Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2009/02/11
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カテゴリ: 今宵も、BARへ…
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Last updated  2021/07/22 05:43:52 PM
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その17:BARと酒をめぐる雑学(1)

◆BARの起源と発展
 古代文明の発展とともに酒が生まれ、酒場も自然と生まれた。街なかに居酒屋ができたのは、古代エジプト、古代ローマ・ギリシャ時代にさかのぼると言われる。居酒屋の風景は壁画にもしばしば登場し、古代ローマの居酒屋跡の遺跡も確認されている。すなわちヨーロッパでは以後、庶民と酒、街の居酒屋は切っても切れない関係として発展してきた。At the Bar30

 英国では、どんなに小さな田舎町に行っても、「タヴァーン(Tavern)」や「イン(Inn)」と呼ばれる居酒屋(兼宿屋)が、1軒や2軒は必ずある。「Tavern」は住民たちが一日の終わりに、酒を酌み交わしながら語り合う町や村の社交場でもあった。ロンドンやグラスゴー、エジンバラというような都会では、そんな「Tavern」が発展した「パブ(Pub=Public House)」が広がった。

 ヨーロッパでは、日本のような街場のオーセンティックBARはほとんどない。しかし英国では、パブが街場のBARとしての役割を果たし、ロンドンでは街なかにパブが溢れている(ピカデリーサーカスなどの繁華街では、通りに何軒ものパブが軒を連ねるほど)。

 同様にフランスではバールやカフェ、ビストロ(または「ブラッスリー」)が、イタリアやスペインではバール(バル)やタベルナが街のあちこちで見られる。街の酒場で飲まれる酒は、英国ではビールが中心で、ウイスキーは意外と少数派だ。一方フランス、イタリア、スペインではワインやシェリーの人気が高い。

◆英国最古のパブは?
 今も残る英国最古のパブは、パブガイドなどでもよく紹介されているが、ロンドンにある「ジ(イェ)・オールド・チェシャー・チーズ(Ye Olds Cheshire Cheese)」。1538年創業で、現存の店は1666年のロンドン大火翌年の1667年に再建されたものだが、コナン・ドイルやチャールズ・ディケンズも通ったことでも知られる。ダビンチ・コードで有名になったテンプル教会のそばの、わかりにくい路地裏にある。興味のある方はロンドン観光のついでに訪ねてみてはいかが(住所:145 Fleet Street, London)。

 なお、パブが数万軒あるという英国には自称「英国最古」というパブが他にもいくつかある。例えば、イングランド中部・ノッティンガム近郊の「ジ(イェ)・オールド・トリップ・トゥ・イエルサレム(Ye Olde Trip To Jerusalem)」というパブの創業は、なんと1189年の十字軍の時からという(途切れずに営業してきたか真偽の程は定かでないが…)。ちなみにアイルランドの首都ダブリンにも12世紀末創業というパブがある。

 英国最古という訳ではないが、シェイクスピアの生まれ故郷の町、ストラットフォード・アポン・エイボンで最古のパブ「ギャリック・イン」は1594年創業。昔の面影をよく残した、素晴らしい酒場だ。晩年を故郷で暮らしたシェイクスピアもきっと遊んだに違いないパブだ。観光で行かれた際は、ぜひ訪れて地元の美味しいエール・ビールを味わってほしい。At the Bar33

◆日本最初のBARはホテルで誕生
 日本で最初のBARはホテルで生まれた。1860年(万延元年)、横浜の外国人居留地に木造2階建ての「横浜ホテル」。そこに、居留地に暮らす外国人のためのBARが開設されたという。BARと言っても、ビリヤード台のあるいわゆる「プールBAR」だったらしい。

 そして、その10年後の1870年(明治3年)、同じ居留地内に本格的なホテル、「横浜グランドホテル」が誕生し、そこに本格的なBARがつくられた。この頃になると、海外から、ウイスキーやブランデー、ジン、ワインなどが次々と輸入されるようになり、洋酒文化の大衆化も進んでいった。

◆日本で最初の街場のBARは?
 1910年(明治43年)に銀座に誕生した「カフェ・プランタン」が街場のBARの原型と言われる。2年後の1912年(同45年)には浅草で、「電気ブラン」で有名な「神谷バー」が開業する。「神谷バー」はいわゆるオーセンティックBARではないが、現存の酒場としては一番古い歴史を持つ(現在の建物は1921年=大正10年=の建築)。

 それに続くのが「サンボア」バー・グループ。1918年(大正8年)には神戸・花隈にサンボア・バーの前身、「岡西ミルクホール」が誕生している。「岡西ミルクホール」は今はなく、現存するサンボア・グループ11店の中では、京都サンボアが一番古くて、1925年(大正14年)の開業。その後、昭和に入ると、銀座「Bordeaux(ボルドー)」(1927=昭和2年)、大阪ミナミ「吉田バー」(1931=昭和6年)と続く。「Bordeaux」は山本五十六、米内光政が常連だったことで知られ、店の2階には今も、彼らが使ったテーブル席が残っている。

◆日本最初のカクテルは?
 日本最初の本格的なホテルBARは、すでに書いたように、1870年に開業した「横浜グランドホテル」のBAR。そこに、サンフランシスコからルイス・エッピンガーという米国人が支配人として招かれ、米国仕込みのカクテルを紹介していった。

 その彼が、1890年(明治23年)につくったのが「バンブー(Bamboo)」という名のカクテルで、日本生まれ初の創作カクテルにもなった。マティーニのジンの代わりにドライ・シェリーを使い、アルコール度数も抑えて飲みやすくした味わいは幅広い人気を得て、世界中に広まった。そのカクテル名は、竹のように素直でまっすぐでクセがないという特徴から付けられたという。「バンブー」は世界で最も有名な日本生まれのカクテルとして、今日でもなお光り輝いている。At the Bar34

◆カクテルという言葉の語源は?
 カクテル(Cocktail)とは、直訳すれば「おんどりの尾」(ちなみに「めんどり」は「Hen」)。しかし、なぜお酒とリキュールやジュース(果汁)を混ぜてつくる飲み物をこう呼ぶようになったのかには、諸説があって、いまだに定説はない。そのいくつかを紹介すると――。

 さまざまな本で紹介されている代表的な説 → (1) その昔、メキシコの港町の酒場にイギリスの船員がやって来た。少年が木の枝を回してつくっていた飲み物を見て、船員は「それは何だ?」と尋ねた。すると少年は「コーラ・デ・ガジョ(おんどりの尾)」と答えた。「コーラ…」は木の枝の愛称で、少年は枝のことを聞かれたと思った。船員たちは以来、ミクスト・ドリンクのことを「カクテル」と言うようになったとか。

 他にも → (2) アメリカ独立戦争の時代、独立派兵士のパーティーでふるまわれた酒の瓶におんどりの尻尾の羽根が差してあったから  (3) 18世紀初め、米陸軍とメキシコ軍との休戦協定の宴席で、メキシコ王の娘コクテル(Coctel)がつくった酒が美味しかったことから  (4) ニューオーリンズで薬局を営んでいた男がラムベースの卵酒を売り出した。フランス人が多かったニューオーリンズではこれを「コクティエ」と呼んだ。それがいつしか「コクテール」と転じた  (5) イギリスのある地方では、雑種の馬を純血種と区別するために尻尾の毛を切った。これを「ドッグズ・テール」と呼んだが、これが「コック・テール」と転じた。かように諸説入れ乱れているが、語源なんて定かでない方が謎めいていて面白い。

◆日本最初の国産ウイスキー
 ウイスキーを日本に最初に持ち込んだのは、前述した米国のペリー艦隊だと言われている。明治維新後は、欧米からウイスキーが次々と輸入されるようになった。しかし、国産ウイスキーの誕生には、さらに約半世紀の時間を要した。

 1929年(昭和4年)、(株)サントリーの前身「寿屋」が山崎工場(現・山崎蒸留所)で国産ウイスキー第一号を完成させ、「白札」の名で発売する。その後、寿屋の社員だった竹鶴政孝がスコットランド留学後に独立し、北海道・余市で1940年(同15年)「ニッカ・ウイスキー」を生み出した。

 現在では、上記のサントリー、ニッカやキリン・シーグラムなどの大手ウイスキー製造業者のほか、国内各地で「地ウイスキー」を造る小規模な蒸留所が続々と誕生している。「国産第一号」の誕生から80年後の今、日本のウイスキー業界は着実に発展を遂げ、味・技術ともに、今では「世界5大ウイスキー」のひとつとして、確固たる地位を築いている。

◆禁酒法のウソ
 ケビン・コスナー主演のヒット映画「アンタッチャブル」のおかげで、米国に禁酒法時代(1920~1933)があったのを知っている方は意外と多いかもしれない。米国は建国以来、清教徒(ピューリタン)の影響が強く、At the Bar31飲酒について批判的な人たちが少なくなかった。酒類の製造、販売、運搬等を禁止する禁酒法(合衆国憲法修正第18条)は、酒造と酒場を禁止することで男たちを家庭に回帰させ、犯罪も抑止し、健全な家族を育てるという「国家的な試み」だった。

 しかし、米国民のすべてがこの法律に従った訳ではない。金持ちは法律施行までの1年の猶予期間に酒を買い占め、禁酒法施行後は「もぐり酒場」が急増した。アル・カポネに象徴されるようなマフィアのようなギャングは 粗悪な密造酒をつくったり、酒造が合法だったカナダから酒を密輸して「もぐり酒場」で荒稼ぎしたりと、かえって犯罪は増えたという。

 一方、禁酒法は家庭内での飲酒までは禁止していなかったため、「もぐり酒場」へ行けない国民は密造酒を買ったり、唯一、酒を取り扱っていた薬局で「医療目的」として購入したりして、家でこっそりと飲んだという(医者の処方箋発行費用の2ドルがあれば、誰でも薬局で酒が買えた)。

 禁酒法のおかげで、「ジュースを飲んでるんだ」と言って警察の取り締まりをごまかせるようにと、カクテルが発達したのもこの時代だった。さらに、酒場の廃止で失業した米国のバーテンダーの多くがヨーロッパに渡り、米国生まれのカクテルが広まり、ヨーロッパ発の新たなスタンダード・カクテルも生み出されていった。禁酒法のおかげで欧州のBAR文化が発展したのは、歴史の皮肉と言っていい。

 いま振り返れば、世紀の愚法である「禁酒法」は、人間の飲酒への欲望というものは、国家権力をもってしても根絶できないということを証明したのかもしれない(それにしても、宗教で飲酒を禁止し、それを忠実に守っているイスラムの人々はある意味すごく尊敬しています)。

【御礼&おことわり】
【その18へ続く】 ※20回で終了予定です。

【おことわり】 写真は本文内容とは直接関係ありません。


【追記】銀座「Bordeaux(ボルドー)」は残念ながら、2016年末で閉店しました。


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汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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▼Bar UKでも愛用のBIRDYのグラスタオル。二度拭き不要でピカピカになる優れものです。値段は少々高めですが、値段に見合う価値有りです(Lサイズもありますが、ご家庭ではこのMサイズが使いやすいでしょう)。 ▼切り絵作家・成田一徹氏にとって「バー空間」と並び終生のテーマだったのは「故郷・神戸」。これはその集大成と言える本です(続編「新・神戸の残り香」もぜひ!)。
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