Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2015/11/04
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 首都ウイーンが「音楽の都」と言われるオーストリアからは、素晴らしい作曲家・演奏家がたくさん輩出しています。なかでも一番有名なのは、ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1791)でしょう。モーツアルト以外でも、ワルツの父・ヨハン・シュトラウス2世や、シューベルト、マーラー、ブルックナーもオーストリア出身です。ドイツ出身のベートーヴェンやブラームスも、主な活躍の舞台はウィーンでした(ただし18世紀半ばまでは、欧州ではイタリアが音楽先進国だったそうです。このためモーツアルトも、作曲したオペラの大半は台詞がイタリア語で書かれています)。

 今回、ザルツブルクにも足を延ばしたのは、(モーツアルト好きの)僕のわがままです。クラシック音楽はそんなに大好きという訳ではなかったのですが、モーツアルトとショパンだけは例外で、30代後半くらいからよく聴いていました。とりわけモーツアルトは僕にとって別格の存在でした。彼の生きざまにとても興味を持ち、岩波文庫で上下2巻で出ている「モーツアルトの手紙」は昔から愛読書の一つでした。

 下手くそピアニストの僕ですが、ショパンは難しくて無理でも、モーツアルトなら(曲の一部分であれば)弾ける旋律がいくつかありました。モーツアルトの生涯を描いた映画「アマデウス」も、何回も繰り返し観ました。作曲家モーツアルトももちろん好きですが、それよりも(妻コンスタンツェへの手紙に下ネタを連発するような)その天真爛漫なところ、人間くささに、僕は惚れ込みました。だから、モーツアルトはあこがれの偉人の一人で、彼が生まれ育ったザルツブルグを訪れることは一生の夢でした。

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 「世界遺産」ザルツブルク旧市街への入り口は、最寄りのトロリー・バスの停留所「ラートハウス(Rathhaus)」で下車すればすぐです(関係ないけど、横断歩道の青信号の時間がどこも短い。10秒もないので、渡り切れない人が続出です!)。

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 古い建物の下のアーチ状の入り口をくぐると、もうそこは中世の街です。ただし、街中はあちこちで道路工事中で、資材がごろごろ。少し小雨も降ってきました。

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 街の入り口辺りは、細い路地が入りくんでいます。観光地化された現在では、両側の建物から商店の看板がせり出していますが、昔はどうだったのでしょうか?

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 数分も歩けば、有名なモーツアルトの生家の建物です。6階建てのこの家の4階でモーツアルトは生まれ、17歳まで暮らしました(もっとも3歳の頃から、父に連れられてパリ、ロンドン、ミラノ、ミュンヘン、プラハ等々ヨーロッパじゅうを旅していたモーツアルトなので、実際はこの家に腰を落ち着ける時間はあまりなかったのかもしれませんが)。

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 生家の入り口は、建物1階内部から階段を上がって2階にあります。モーツアルトはここで両親と姉の4人で暮らしました。

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 吹き抜け部分に面した廊下。天井は意外に低いです。ただし、モーツアルトは当時の平均的オーストリア人から比べると身長はかなり低く、163cmくらいだったと言われています。

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 モーツアルトが使っていたピアノ。現代のピアノと比べると小ぶりで鍵盤の数も少なく、当時はフォルテピアノと呼ばれていました(18世紀後半、現代のような88鍵のピアノはまだ誕生していませんでした)。モーツアルトが作曲した「ピアノ協奏曲」は27曲ありますが、モーツアルト自身は「クラヴィーア(鍵盤楽器)のための協奏曲」として書いたものが、現代ではピアノで演奏されているに過ぎません。彼の生きていた時代、コンサートでは、演奏家がフォルテピアノ、チェンバロ(ハープシコード)、クラヴィコードなどの鍵盤楽器から自分の好みで選んで演奏していたそうです(この項の出展:Wikipedia日本語版)。

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 モーツアルトは生涯に約900曲を作曲しました。生家内では、モーツアルトに関する数々の資料(実際に使ったバイオリンや遺髪、旅行で携帯していた財布など)が展示してありますが、直筆の楽譜や手紙類はほとんどが複製(コピー)だったのは少々興ざめでした。

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 生家見学のあと、モーツアルト一家が1773年に引っ越した家(こちらも記念館として公開)を訪れました。この家は荒れ果てていたのを世界中のモーツアルトファンのほか、日本の生命保険会社などの多額の寄付で、当時の姿に再建したそうです。
 モーツアルトは妻コンスタンツェとの間に4男2女をもうけましたが、成人したのはカール・トーマス、フランツ・クサーヴァーという2人の男子だけ。ただし、2人とも子どもを残さなかったので、現在直系の子孫はいません。コンスタンツェは、モーツアルトの死後、1809年にデンマークの外交官ニッセンと再婚し、1842年、80歳で亡くなるまでザルツブルクで暮らしました。

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 モーツアルトゆかりの2つの家を見た後、僕らは旧市街の中心へ。その名も「モーツアルト広場」には銅像がありました。

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 ザルツブルク旧市街には、このような広場がたくさんあります。広場が点在しているので、街のどこを歩いていても空が広く見えて、圧迫感がありません。

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 川べりからは、ザルツブルクのシンボルでもある「ホーエンザルツブルグ城」が望めます。明日は、ケーブルカーで登って、山上の城まで行くつもりです。


<ザルツブルク編(3)>へ続く。


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Last updated  2015/11/07 01:44:39 AM
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汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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