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もう陽も傾いて、白いお月様は線路がカーブする度に行ったり来たり。この列車は、後20分もすればザルツブルクに着くだろう。 無事、ここまで帰って来た。 帰国まで まだ一週間ほどあるけれど、現地レポはこれを最後にしようと思う。 その時々に見たもの感じたものを、そのまま整理せずに記してきた。 お恥ずかしいこと、この上ない。(笑) いかに私が浅はかか、中身のない旅をしてきたか、全て暴露してるも同じだった。 しかも、リアルタイムで。(爆)この旅行記は、まだ続く。 だが、それは私が日本へ帰ってからのことである。 オーストリア時間 19:20 ウィーンからザルツブルクへ向かう列車にて写真は、ザルツブルクのとある店先にて、モーツァルト君たち。(笑)* ここまでお付き合いして下った皆様、誠にありがとうございました。 拙い日記を読んで頂き、感謝しております。
2012.09.28

ウィーンに出て来て以来、ずっと紅茶ばかり飲んでいた。 でも、最後の一杯くらいお洒落なカフェで珈琲飲まなきゃ。 お洒落なカフェ?ウィーン中、何処もかしこもだ。そこで、ありきたりなのだが、かつて皇室御用達だったデーメルか、 昔の優雅な宮殿を用いたツェントラルが頭に浮かんだ。 だけど結局選んだのが此処、ザッハー。(笑) 歩き過ぎて、くたばった先に見えたのがザッハーだったのだ。ザッハーの向かいにはスタバもあるのだが、やはりウィーンならザッハーであろう(?)。ザッハーさん、ウィーンでもザルツブルクでも、何故かいつもお世話になります。と、一応挨拶。(笑)あ、ザッハ・トルテは3週間前にザルツブルクで食べたので、今日はやめた。どうしても私には甘過ぎるから。 オーストリア時間 14:50 カフェ・ザッハー ウィーンにて
2012.09.28

お天気に恵まれている。 この3週間、ザグレブ以外は全く雨にあっていない。 どんよりと泣きそうなくらい重~い曇り空はベオグラードだけだった。夜、窓の向こうに雨音を聞いた日もあるが、大抵 日中は晴れていて、汗ばむ陽気が続いている。ただ、雲の出具合で気温が一気に下がる。それだけが読めない。暑いのか寒いのか、毎朝 服選びに悩むところで、その殆どが裏をかかれる。(苦笑)で案の定、本格的に風邪をひいた。しかし、身体の火照りもウィーンの魔法で気にならない。唯一、止めどなく垂れてくる鼻水だけが私を苦しめた。せっかくのウィーン、せっかくのブダペスト。 一方では、鼻歌まじりに落ち葉を踏み締め、ウィンナーワルツにスキップし、 もう一方では、チャールダーシュにきゅんとなる。 そんな夢見心地のはずの晴れ女。だが その鼻は、、、、、真っ赤にずるずる、じゅ~るじゅる(苦笑)。 ウィーンもブダペストも似合わない、、よな。(涙) オーストリア時間 11:40 ウィーン・シェーンブルン宮殿のカフェにて
2012.09.28

今、シェーンブルン宮殿のバルコニーを独占している。ゆっくりと、まるで自分の宮殿のように回ろうと思ってやって来た。 (笑)あちこちから聞こえて来る甲高い中国語には興ざめするが、それさえ除けば、気分は少女時代のマリー・アントワネットといった感じか。(爆) 赤にピンクに紫に、様々な花が咲き誇る庭園を見下ろしながら、 マリー・アントワネットという女性は、ブルボン家の王妃という立場より、ハプスブルク家の皇女としての誇りが最後まで彼女を支えていた、そんなことを思っている。 中国人の集団が去ったと思えば、次は続々と日本人団がやって来た。 「はい、チーズ!」・・・もう、去ろう。オーストリア時間 9:10 ウィーン・シェーンブルン宮殿のバルコニーにて 写真は、庭園内で見つけた可愛い門。 あまりにも気に入ったので、「これはもう、私のもの!」と唾を付けて来たところ。(爆)
2012.09.28

バタバタと駆け足で回った2日間を終えようとしている。 明日、ザルツブルクへ帰る。 「帰るたって、ウィーンの観光してないじゃん!」 という声が聞こえてきそうだが、ブダペストも全く観光してないことを、こっそり小声で告白しよう。(笑) これまで、旅といえば、それはいつも点だった。 その一点を短い時間の中、どれだけ多くのものを見、回れるか。 まるで勝負のようだった。(苦笑)だが今回、船にしろ鉄道にしろ車にしろ、点と点を結ぶ線が引けた。それって、実は大きなことだと自分で思う。気が付けば、3週間で8ヶ国も巡っていた。この旅を終えたら、次はその線をより太く、たまには色付けしていきたい、そう思っている。 ハンガリー時間 19:00 後10分でブダペスト発。 写真は、ブダペストの鎖橋から見たドナウ河対岸の国会議事堂。 今日は同じ写真ばかり撮っている。
2012.09.27

ブダの丘から見下ろす景色は、夕暮れ時から夜に掛けてが一段と美しさを増す。 しっとりとした優しい風景をお届けしよう。
2012.09.27

ブダペストの漁夫の砦にあるカフェで、ドナウ河と国会議事堂を見下ろしている。 3年前に来た時は、冬場の為に閉まっていたカフェだ。先程、せめて鎖橋と国会議事堂ぐらいは眺めたいと書いてすぐ、目の前に国会議事堂が現れた。 そうか、ウィーンから大河を下れば、国会議事堂、鎖橋、エルジェーベト橋を越えたところがブダペストの船着き場だ。 相変わらず、美しい。いきなりのお出迎えに心弾む。 心弾ませながら、自然とチャールダーシュを口ずさんでいた。ハンガリーといえば、チャールダーシュだ。そう思ったら、カフェで演奏会が始まった。一曲目は、やはりチャールダーシュ。(笑) ありがたい。そして彼らは、一人一人にリクエスト曲を尋ねて回る。 私は「Gloomy Sunday (暗い日曜日)」をお願いした。 この曲もブダペストでこそ聴きたかったもの。 眼下にはドナウがとうとうと流れる。 最高の気分だ。 帰りは最終列車に乗ることにしよう。(笑) ハンガリー時間 16:40 ブダペスト・漁夫の砦にて
2012.09.27

私が共にするドナウは、その全容の十分の一程度。 だが、それでも幾分 河幅が広がり、水量が増したのが分かるだろうか?ウィーンで見た時よりも、以前、ブダペストの鎖橋の上から眺めた時よりも、不思議とドナウの母性を感じている。(笑) ハンガリー時間 14:30幾つもカーブがあったせいか、ドナウがほぼ直角に折れ曲がる街、ヴイシェグラードに気付かなかった。(苦笑)予定より30分近く到着が遅れそう。 17時の列車に乗る為には、ブダペストではお茶一杯がいいとこか。せめて、鎖橋と世界一美しい国会議事堂だけは眺めたい。
2012.09.27

ドナウに例えると、私は人生のどの辺りにいるのだろうか? 考えてみる。「ウィーン!」と言いたいところだが(笑)、それはとうの昔に過ぎている。 青春という文字が似合うウィーンのドナウなら、 私はもうブダペストも過ぎてるな。(涙) 本当は、ブダペストの辺りが最も美しい景色であると、私は思う。 それは若さでは出し得ない、しっとりとしたブダペストの灯が一層ドナウを輝かせるのだが。 しかし、ドナウはそこからが長い。 セルビアに入りベオグラードを越えてもまだ、ブルガリアとルーマニアの国境沿いを延々と流れていく。 黒海に注ぐその時まで、清きも濁りも呑み込みながら、どれだけ広大なものになるのだろうか? なんだか私まで、ルーマニアの果てまでもドナウを追いかけてみたくなっている。(笑) スロバキア時間 11:45ドナウ沿いに町や古城が見えてくると、船内ではちゃんとアナウンスしてくれる。
2012.09.27

ドナウ河は、源流から黒海に注ぐ終着点まで、およそ3000kmあるという。その源は、ドイツの「黒い森」にある三つの泉なんだそうだ。 宮本輝氏の言葉を借りよう。~ あそこには、三つの泉があったな。 ブリグッハの泉、ブレークの泉、そしてドナウエシンゲンの泉……。 どれもみな小さな泉で、それぞれはたよりなげなせせらぎを成して森の中を縫っていた。ちょろちょろと流れるせせらぎは、やがて合流して川となって「黒い森」から抜け出ると、ヨーロッパを東へ東へと流れ始めた。 幾つかの支流が、衰えかけた泉の水に力を与え、少しずつ少しずつ、大河を形成していく。 河が細く浅くなる地点には、なぜか頃合を見計るかのように別の川が待ち受けていて、ドナウ河に活力をもたらしているのだ。~ この「ドナウの旅人」では、後半部分でセルビアの場面が出てくる。 当初からセルビアの首都ベオグラードへ行くつもりだった私は、旅に持参する本の一冊にこれを選んだ。今、私が流れている この河の先には、ドナウの真珠と讃えられるブダペストがあり、あの切ないベオグラードの景色がある。多くの支流を従えるドナウは、ベオグラードで もう一つの大河サヴァ河と交わり、ますます力を付けていく。 あの場所に立った日がまるで遠い昔のようだが、サヴァ河と結ばれるドナウの喜びを、何故か今、噛み締めている。 スロバキア時間 11:00 先程、ブラチスラヴァを通過した。一段と河幅が広がった。まさに大河、驚いている。写真は、ウィーンを流れる美しき青き(スマートな(笑))ドナウ。
2012.09.27

「ドナウの旅人」を読んでたら、私も「ドナウの旅人」になりたくなった。 昨日の午後、ウィーンから隣国スロバキアの首都ブラチスラヴァまでドナウ河を下った。晴れたらドナウを遊覧しようと決めたのだ。ブラチスラヴァまでは、ウィーンから1時間15分。ちょっと物足りなかった。ドナウといえば、やはりブダペストは外せない、急にそう思った。晴れても雨でもブダペストまでドナウを下ろう。 昨夜、決めた。 オーストリア時間 9:00 これから出航だ。 写真は、ドナウから見上げたブラチスラヴァ。 実は、ウィーンからの日帰り。(笑)帰りはブダペスト東駅(ケレティ)から列車に乗る予定。*参考までに、ウィーンからブダペストへ行く場合、ブラチスラヴァ行きと船着き場が違うので要注意。また、ウィーン発は火曜と木曜、ブダペスト発は月曜と水曜のみ。どちらも9時発。4/30から9/27まで運航している。ちなみに、ウィーンからブダペストへは5時間半、109ユーロ。 ブダペストからウィーンまでは6時間半、99ユーロ。 (2012年9月現在)
2012.09.27

気持ち良く、ウィンナーワルツに足が向いた。 国立歌劇場前の地下鉄駅構内である。 ワルツが流れる部屋へ入ろうとして、思わず吹き出してしまった。もう!(笑)だって、そこはトイレだから。 はいはい、70セントね。 私はコインを取り出し、中へ入った。 こういうの私も好きだけどさぁ、70セントも取るのなら、もうちょっと掃除してよねっ。(笑)
2012.09.26

何故か駆け込んでしまった。 18時に閉まるところを、10分前に滑り込んだ。 そこは、カプツィーナー教会。 ハプスブルク家の歴代皇帝納骨所が地下にある。決して墓好きではないつもりだが、何故か墓巡りばかりやっている。(笑)1700年、1800年、延々と続く棺の最後で足を止めた。 一段高く置かれたフランツ・ヨーゼフ1世を挟んで、彼の妻エリザベート(シシィ)と息子ルドルフが眠っている。 そこだけ献花がなされていた。 私には、もう5分しかなかった。 シシィと話す時間はない。 でも、ここまで来れた。 それで十分だった。 最後の私を待って、係員のおじいさんが扉を閉める。「I love Sisi.」一言言ったら、笑顔でお見送りしてくれた。教会を出て、目の前にある中華レストランで腰を降ろす。 急に米粒が欲しくなったから。(笑)オーストリア時間 18:20 ウィーン・カプツィーナー教会前のレストランにて写真は、眠るシシィの天井に施された装飾。
2012.09.26

あまりに興奮したせいか、又も一本道を見失ってしまった。ここでも行きずりのマダムに、シュテファン寺院まで案内してもらう。旅ベタもはしゃぐ調子も昔の自分と変わりないが、知らない人に助けてもらうのだけは上手くなってる気がして笑えた。*これも見た。 ここにも入った。 10年前(正確には、8年9ヶ月前だった)に歩いたコースを駆け足で巡りながら、 「やっぱり素敵だ。」を連発していた。 一気に4時間半も ぶっ通しで歩いていた。ウィーンのそこここで感じる確固たる誇り、気品、華やかさ。 時にそれは重圧感にもなるのだが、圧倒的な自信を持って挑んでくる。 それは何年経とうが変わらない気がするし、(私にとって)思わずひれ伏したくなるようなプライドの高さは、永遠に変わって欲しくない。 オーストリア時間 12:45 ウィーンからブラチスラヴァへ向かう船にて
2012.09.26

シュテファン寺院、王宮、国立歌劇場。 それだけではないが、ウィーンの王道とも呼べる名所を足早に回った。が、どこも中には入らなかった。 入った場所は、分離派会館(セセッシオン)のみ。分離派とは?という問いには、彼らのモットーが最もそれをよく表している。「時代には、その時代に相応しい芸術を、 芸術には、芸術に相応しい自由を与えよ。」保守的な美術界から独立した、彼らウィーン分離派の中心人物が、ご存知クリムト。 今の私がウィーンで見たかったものは、有名な教会でも宮殿でもなく、セセッシオンの地下を囲む彼の作品、『ベートーベンフリーズ』だけだった。 それは、人類の幸福への憧れがテーマだと書いてある。 ワーグナーの、ベートーベンの『第九』に対する解釈をクリムトが絵でもって表現したらしいが、そういう蘊蓄は私には分からない。だが、以前テレビで見て以来、どうしてもそれを実際に見ておきたかった。 彼らしい金箔の使い方に、官能的描写。作品の素晴らしさ以上に、「クリムトだぁ」というのが何よりも嬉しかった。(笑) 昨日、お墓参りもしたしね。オーストリア時間 12:00 ウィーン・シュヴェーデンプラッツ船着き場にて 写真は、その分離派会館。 この建物は、「金色のキャベツ」と呼ばれるらしい。(笑)
2012.09.26

それは偶然。ホテル前にあるシェーンブルンの庭園へ行こうと潜った門の向こうに、彼はいた。 居た、というか埋まっていた。(笑) 庭園かと思った場所は墓地だった。 同じくウィーンにある中央墓地ほどではないにしろ、ここもかなり広そうだ。私は早々に退散することにした。 陽が高いうちに。 その出口で偶然見かけた掲示板に、彼の写真があった。 「え? ここにクリムトのお墓があるの?」再び中へと引き返し、「私はあなたの絵が好きです」と告白してきた。 *10年前、べルヴェデーレ宮殿においてクリムトの作品『接吻』を前に立った時、涙が溢れた。 それは絵に対しての感動ではなく、 ちょうど その数週間前に大好きな人との別離があったから。 そういえば、今回もムラトさんと別れたばかり。 誰かを失わないと、私はウィーンへ来れないのだろうか?(苦笑)オーストリア時間 18:00 ウィーン・シェーンブルン宮殿に隣接するホテルにて
2012.09.25

なに、張り切ってシェーンブルンに来たわけではない。 ウィーンで押さえたホテルがシェーンブルンに隣接しているということで、到着早々やって来たのだ。大宮殿の隣りだなんて、なんと贅沢なと思われがちだが、 いや、2日前にホテルを検索した時、最も安かったのがその宿だった。 安いからには理由があった。まぁ、それだけではないが、広大なシェーンブルンの敷地の端、宮殿と正反対の場所にそれはある。 ちょっと庭園まで、ちょっと庭園にある高台のグロリエッテのカフェまでと思ったら、徒歩で優に1時間以上掛かってしまった。そのまた向こうの宮殿までだなんて、鼻水を垂らしながら行こうなどと到底思わない。(笑) しかも、後30分で閉館だ。以前来た時は元日だった。 雪に覆われた、真っ白で人気のないシェーンブルンより、色とりどりの花が咲き、人々で賑わうこんな方がシェーンブルンらしい、 そう思うのは、私だけではないだろう。 オーストリア時間 16:30 ウィーン・シェーンブルン宮殿(グロリエッテ)にて
2012.09.25

「なんで そんなに詳しいの?」 昨日、知り合った女性は何度もその台詞を繰り返した。 「だって、行った場所だから。」 私は答える。 そう答えながら、旅先での何気ないささやかな出会いを綴る為に始めたブログが、私に僅かながらの知識を定着させていることに気が付いた。 「だって、ブログ書いてるから。」 そう答えるべきだったかな。(笑) そして、彼女はこんなことも言った。 「そこの橋のたもとで、「ガイドします」って書いた紙を持って立ってたらどう?」 私は思わず苦笑いしてしまった。 「でもね、私は敢えてザルツブルクの見処を全て回らないようにしてる。 だから、まだ見てないものも沢山ある。 また来たい場所だし、その度の新鮮な感動を残したいからね。」
2012.09.25

「旅先で動かない」ということにも勇気がいることを初めて知った。 せっかくなのだから、そう、つい欲張ってしまう自分がいる。 だが、考えてみれば自分という小さな器は限られている。 そして、必要なものはちゃんと見せてもらっている。 旅も人生と同じなんだなぁ。 「動かない」と言いながら、女々しくちびちび動いてる、そんなpicchukoの独り言。気にしないでもらいたい。(笑)写真は、ある日のザルツブルクの街角で。
2012.09.25

2時間前に出発するつもりだった。 だが、今日は朝から喉が痛い。 どうしようかと迷ったが、9時近くまでベッドでごろごろすることにした。 なので、昼近くにもなって列車に飛び乗ったというわけ。 私は、これからウィーンへ行く。 ウィーンへといっても、ただウィーンの空気を吸いに行くだけであるから、特別どこそこへという やる気はない。(笑) すでにザルツブルクにトータルで一週間近く滞在し、後10日近くもオーストリアにいるのなら、やはりウィーンは拝まなくちゃ、という程度なのである。 * さて、ウィーンといえばカフェ文化発祥の地であるが、 今回、私はザルツブルクのカフェをかなり巡った。 大抵はそこで、人物観察をしたり、日本から持って来た宮本輝さんの著書「ドナウの旅人」を再読したりしている。 あ、ブログ更新もやってるな。(笑)先程も、ザルツブルク中央駅構内にあるカフェで一服したところだ。熱い紅茶をくっと喉に通したかったから。 ここのカフェの、お茶に添えられる小さな菓子は、いつも疲れを忘れさせてくれる美味しさだ。そして、ヨーロッパといえば、(私にとって)強烈な甘さと半端じゃない量のスイーツを競うようなカフェばかりの中、 上品で控えめな甘さが嬉しいケーキと出会うことができた。 それは、カフェ・ザッハーと同じくザルツァッハ川沿いに並ぶカフェ・バザール。ここのマロンケーキを食べた時、ふわぁっと優しさが口の中に広がった。 オーストリア時間 11:45 ザルツブルクからウィーンへ向かう列車にて
2012.09.25

風邪をひいたかもしれない。少し鼻がずるずるし始めた。少し肌寒いのを、痩せてもないのに薄着でやせ我慢したせいか。(苦笑) *今日の午後、飽きもせずにメンヒスベルクの丘に登った。 そこで、「日本の方ですか?」と声を掛けてくれた女性がいた。彼女はその丘にある、小さな古城のホステルに滞在すると言い、大きな荷物を引き摺っていた。 ホステルに併設したレストランで腰を降ろし、しばらく話しを続けるうちに、彼女は私と同じ香川県から来たことが分かった。 しかも、同い年。(笑)気が付けば4時間ぶっ通しで喋っていただろうか。 レストランのおじさんは、私達の横を通る度に肩をすくめ、目配せをした。 彼女は私と話すテンポこそ違えども、独自の世界観を滲ませた人。帰国後メールする、そして、一緒にうどんでも食べに行きましょう、うどん県民同士、そんな話しになっている。(笑) オーストリア時間 20:00 ザルツブルク・ミラベル宮殿に近いホテルにて写真は、メンヒスベルクの丘の散歩道から見上げたホーエンザルツブルク城塞。 それは子供の頃に親しんだ、おとぎ話の絵本にあるような風景だ。
2012.09.24

「日本の食事が恋しくなってます?」 元同僚 K西くんからのメールだ。 なに、彼がそう思うのも当然だろうが、私が今一番食べたいものはキムチチゲ。 いつも通っている韓国料理店ウォンさんのキムチチゲがめちゃくちゃ食べたい!(笑) で、こちらでの食べ物はというと、まぁ まずまずといった感じ。 ザグレブ(クロアチア)で食べた べちゃべちゃのパスタ以外は外れなし。 一週間前、ムラトさんが見つけたザルツブルクのトルコ料理店も美味であった。ケバブに対する私のイメージが変わったくらいなのだから。(笑)そして、特筆すべきもの!それは、メンヒスベルクの丘で食べたウィンナーシュニッツェルであろう。ウィーンで食べたものよりも うんといけた。 ホントもホント。パン粉をまぶせ、バターで焼かれた薄切りの七面鳥にぎゅっと絞ったレモン、これがめちゃくちゃ美味かった!ザルツブルク滞在中、少なくとも もう1回は食べに行こうと密かに誓う。(笑) では、今何が一番恋しいのかと言うと、 それは、ゆったり浸れる なみなみとした湯船と、 暖か~い便座だったりする。(爆)オーストリア時間 18:00 ザルツブルク・カフェ・モーツァルトにて
2012.09.24

朝夕のミラベル散歩は欠かさない。今朝はいきなり、こんな出来損ないモーツァルトが立っていた、2人も。(笑) 行く人は ちらっと横目で彼らを見、くすっと笑って過ぎていく。そっと私がコインを投げ入れ去ろうとすると、彼らが声を掛けてきた。 「マダム、一緒に写真を撮りましょう。」 腕を組み、2人に囲まれ撮った写真は傑作すぎて見せられない。(笑) そんな写真をベンチに腰掛け見ていると、「なんだい、朝っぱらから疲れてるのかいっ!」 太った身体を揺さぶりながら、陽気なザルツブルク人が話し掛けてきた。くるくる変わる表情に、人の良さが出ている二重顎。非常に愉快な人だった。どこからか風に乗せて運ばれてくる、バイオリンの音色も心地良い。だから、ミラベル散歩は欠かせないのだ。(笑)あはは。出来損ないのモーツァルト君、彼らは今も動かず立っている。 どうせなら、一曲歌えばいいのにねぇ。(笑)オーストリア時間 10:20 ザルツブルク・ミラベル庭園にて
2012.09.24

確か以前、ザルツブルクは頭上から音符が降って来るような町だと表現したことがある。そして、お気付きの方もあるかもしれないが、私はザルツブルクではとりわけお喋りになる。事実、ブログ更新も多いはず。(笑) というのも、このザルツブルク、音符だけでなく言葉さえもリズミカルに降って来る、そんな町なのだ。
2012.09.24

ザルツブルクがどれくらい音楽の町かというと、 これくらい。(笑) このパン屋さん、私が通る時はいつも休みなんだよなぁ。ウィンドウから いつも眺めるこのト音記号、食べてもお腹は大丈夫なのだろうか?(笑)
2012.09.23

もう15分は鳴り響いている。 それは、大聖堂広場を囲む建物に反響し、幾重にもなって轟かす。 アコーディオン片手にステージに立つおじさま方も苦笑い。 "わしらの歌声も、さすがに大聖堂の鐘の音だけにゃ敵わない"、といった表情だ。(笑) お祭りも中断。誰しも大聖堂を見上げている。目を閉じて、鐘の音だけに集中してみる。 すると、大聖堂の正面に施された彫刻の天使達が、手にする金色の冠を、そっと私の頭に乗せてくれた。(笑) 同じテーブルに座るおじさん、ヨーゼフさんがぐいっと一杯私に勧める。強いお酒だ。 喉が焼けるのかと思った。 オーストリア時間 15:20 ザルツブルク・大聖堂広場にて
2012.09.23

レジデンツ広場に面したカフェから、ぼぉーと雲を見上げている。穏やかな昼下がりといいたいところだが、ザルツブルクの旧市街は今、お祭り騒ぎの真っ只中だ。 大聖堂の上をゆったり流れていく雲とは裏腹に、広場は大晦日以上の賑わいを見せている。溢れる人達は、真っ昼間からビールにワインに明け暮れる。後で私も一杯やってみようかな。(笑)ドイツのバイエルン州から僅か10kmに位置するザルツブルクであるから、ここでもオクトバーフェストなのかと私は思った。だが、どうもそれとは違うらしい。 「でも、まぁ似たようなものね。」そうカフェのおばさんは言う。 で、何という祭りか聞いてみたのだが、それは聞き取れなかった。今日のイゴール(絵描き)は、いつもに増して商売繁盛。(笑) オーストリア時間 13:30 ザルツブルク・レジデンツ広場にて
2012.09.23

モーツァルトが生まれた頃にはすでにあった、ザルツブルクの老舗カフェ・トマッセリで遅めの朝食を取っている。 結局、ここなのだ。(笑) 自分でもおかしなくらい。 なので、もうむやみに動かないことにした。といっても、オーストリア内をウロウロすると思うが、残り10日あまり、暮らすようにオーストリアというのも良いのでは、と思っている。 何だか疲れたのだ。大して観光もせず、思い通りに動けていなくとも、心も体も休みたいと言っている。 だから、ザルツブルクに帰って来た。 こうやって帰る場所が日本以外にもある私は幸せだとも思う。とはいえ、素直に耳に入るドイツ語は、「ダンケ シェーン!」「ビッテ シェーン!」くらいというのが悲しすぎるかな。(爆)*さて、もう10年ほど前になるだろうか。 ウィーンが誇る名門ホテル・ザッハーで、初めて真のザッハトルテを食べたのは。 あの強烈な甘さに、以来私は珈琲に砂糖を入れずとも飲めるようになった。 で、今回。油っこい、大味の食べ物ばかりの連続に、紅茶も砂糖なしで飲めるほどに成長したpicchukoなのである。(笑)オーストリア時間 10:30 ザルツブルク・カフェ・トマッセリにて
2012.09.23

何かで読んだことがある。 「出会いとは、一秒たりとも早すぎも遅すぎもしない」、というようなことを。 私は再びオーストリアへ向かう列車に揺られている。 本当は、つい先程までザグレブからハンガリーの首都ブダペストを目指すつもりだった。 昨夜、ブダペストからスロバキア、チェコへのルートを念入りに調べ上げていた。 だが、また急に気持ちが変わってしまった。 「縁がなければ、どんなに行きたい場所であっても行けないものよ。 逆に縁があれば、行きたくなくても行かされる。」 これも誰かに言われた言葉だ。 予定に沿って旅するつもりが、同じ場所を行ったり来たり。まるで放浪者の私である。(笑) 何度も何度も引き返すのは、そこに見えない意味があるのだろうか?流れる景色を眺めながら、コンパートメントを共にする顔ぶれを見つめながら、その誰かの言葉が頭をよぎる。 自分の気持ちさえも、結局は知らぬ間に縁の糸で操られてるんだな。時さえも自分で選べない。そんなことを思った。 旅の後半戦。 どうなるやら、自分でもさっぱり読めない。(苦笑) スロベニア時間 10:50 ザグレブからフィラッハへ向かう列車にて写真は、サラエボの夜。
2012.09.22

モスタルで飛び乗ったタクシー。 運転手のボスニア人のおじさんは、英語こそ通じないものの、とても親しみやすかった。 ボスニア・ヘルツェゴビナからクロアチアへ入ったところで彼は車を止めた。 「ちょっとお茶でもしないか。」 そして、この一枚。 二人でしばしブレイクタイム。 彼のおごりだ。ついでにジュースとポテチを買い込み、スプリットまでの道すがら、二人でつまむ。(笑)
2012.09.21

スプリットを発つ前に、サラエボについて僅かながら記しておきたいと思う。 一言で表すと、サラエボは非常にモダンな街だった。 古さも新しさも、西も東も、哀し過ぎる傷痕さえも素晴らしく融合し洗練され、不思議な雰囲気を滲ませていた。 街を闊歩する若者のお洒落なこと。 こんなに美人の多い街は、世界広しと言え珍しいと思う。 その街に似て、西洋と東洋が入り交じる神秘な魅力を醸し出す。モダンだ。 そこに、ベオグラードで見たような切なさはない。 私が思い描いていたサラエボは、それはベオグラードであった。私の中にある褪せた旧ユーゴスラビアのイメージは、正にベオグラードだったのだ。 声にならない悲痛な叫びは、ベオグラードこそあれサラエボからは感じられない。 サラエボは、とうの昔に立ち直っていると感じた。 もしかしたら、今なお傷を引き摺っているのはベオグラードの方かも。 私には、そう感じた。写真は、サラエボの旧市街の中心、セビリ(水飲み場)のあるバシチャルシァ広場。 観光客が必ず訪れる場所だ。
2012.09.21

古代都市が息づくスプリット。 その中心ディオクレティアヌス宮殿の、そのまた中心 大聖堂前の石段に、今 私は腰掛けている。 ローマ帝国の影響か、至るところでローマと同じ香りを感じる。 私はカンツォーネに耳を傾ける。 あらかじめ、日本から持参して来て正確だった。 ダルマチアン(クロアチアのアドリア海沿岸地方)音楽でも良いのだが、今は100%イタリア気分なのだ。(笑) この古代宮殿は、ローマ皇帝ディオクレティアヌスによって300年頃に造られる。 その後、7世紀にスラブ人の攻撃により崩壊。 住民は朽ちた宮殿の資材を利用して、家や道路を再建したという。写真は、その中で最も目立つ存在、大聖堂の鐘楼。 大聖堂は、もともとディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたものを、後にキリスト教の教会として利用されるようになったそうだ。 鐘楼は中世に加えられたもの。クロアチア時間 13:30 スプリット・ディオクレティアヌス宮殿にて
2012.09.21

次から次へと港に船が入ってくる。 スプリット港はいつも大勢の人で大賑わいだ。 この街はとても気持ちいい。そして、目の前のアドリア海はたまらなく青い。 私はゆっくりと疲れを癒し、溜まった洗濯物を片付けた。 ここでしばらく滞在することも考えたが、やっぱり私は動こうと思う。 まず考えたのが、同じくアドリア海沿いの街リエカまで船で行く方法。 だが、それは週2便しかないらしく、次の便は日曜の夜だと告げられ、別のルートを考えた。 そこで、今夜9:18発のザグレブ行きに乗ることにした。 今、座席を予約したところだ。 夜行列車は少々心地悪いし寒いのだが、ホテル代が浮くので有難い。(笑) 明朝6:26、ザグレブ着の予定。 そして、その足でザグレブを発つと思う。 その先は、まだ未定である。クロアチア時間 12:15 スプリット鉄道駅にて
2012.09.21

怖いくらいに鳴り響いた雷から一夜明けて、カモメの鳴き声で目を覚ました。 昨夕、私はスプリットへやって来た。ムラトさんから逃れるために。 と、いきなり こんなことを書くと、何なんだと思われそうだ。(笑) * ザルツブルクに着いた私は、トルコから戻ったばかりのムラトさんと合流した。 彼にザルツブルクを案内し、私がサラエボへ行くつもりの旨を伝えると、1000kmもの道のりを車で連れて行ってくれると彼は言う。 それは、ベオグラードで勢いを無くしていた私にとって、非常に有難い申し出であった。 18日、朝8時半にザルツブルクを出発。 私としては、再びリュブリャーナ、ザグレブへと引き返すことになる。 時速140kmで高速を飛ばす。 道路はクロアチアに入った辺りから舗装が悪くなった。 そして、ボスニアへの入国にしばし手こずる。 全てムラトさんがドイツ語で対応してくれたので、私はただ助手席に座っていただけなのだか、 やはりセルビアとボスニアの両国は簡単に「はい、どうぞ!」という雰囲気ではなかった。 ここまで、ガソリン代、高速代などを含めて150ユーロ近くの出費。 一人で列車を乗り継いだ方がかなり安価なのだが、これは安心&安全料だと思うことにした。(笑) さて、ここから詳しくは後日記すことにして、 サラエボを発った私達はドゥブロブニクへ向かう為、途中ヘルツェゴビナのモスタルへ立ち寄ることになる。ドゥブロブニクは彼の希望、モスタルは私の提案。 トルコを誇りに思う彼に、そのトルコ建築傑作のスタリ・モスト(世界遺産の橋)は相応しいと思ったからだ。ところが、サラエボを出発した頃から(正確にはサラエボへ到着する少し前にも言い争いがあったのだが)、私達に溝ができ始めた。どうも価値観や金銭感覚が違う。それも雲泥の差の。 その上、彼の平気でセルビア人やユダヤ人を批判する姿にがっかり。 サラエボには至る所に20年近く前の紛争痕が残っているのは周知の通り。 それを目にする度、セルビア人を悪く言う彼にますます嫌気が差してきた。 私は堂々と言う。私はセルビア人が好きだし、トルコ人が特別優れているとは思わない。第一、〇〇人だからと枠にはめること自体嫌いだ。 挙げ句に、彼は私に決して言うべきではない一言を口にした。サラエボまで連れて来てもらって こんなことを言うなんて、それこそ私の方が嫌なヤツだし、これ以上は彼への悪口になるので省略するが、 5月以降、少しづつ感じていた、「これで いいのか?」という疑問に終止符を打つ時が来たと思った。モスタルに到着した早々、私は「これからドゥブロブニクへ行く。」と彼に告げた。 「はぁ? 一人でこれからドゥブロブニクって、どういう意味だ? 君の言うことが分からない。」 私は冷たく答えた。 「そう。私は何にも分かってなかった。ドゥブロブニクへ出て、それから日本へ帰る。」サラエボから私の様子がおかしいと察知していた彼は、「じゃぁ、日本へ帰るといい。」と言った。 しかし、この時の彼には私の本気具合は理解できていなかった。 私は道端のおばさんにスタリ・モスト(町の中心)への行き方を問う。 無言のまま、彼など見向きもせず進む私に、彼は初めて「やばい」と思ったようだ。 車から大声で叫ぶ。 無視をする私と尋常ではないトルコ人男性に何かを察したのか、おばさんは私をスタリ・モストまで連れて行ってくれると言ってくれた。 私は、「これからバスでドゥブロブニクかサラエボへ向かうつもりだ。本当はバス停を探している」と彼女に言った。 彼女は近くの店に立ち寄り、サラエボ行きなら夕方6時半の便があることを聞いてくれた。 彼女と別れ、私は素直にバス停へ向かうつもりだった。 だが、一人になった途端、恐怖が私を襲う。それはボスニア・ヘルツェゴビナという国ではなく、ムラトさんに対してである。 以前、トルコ人男性の気質については教えてもらっていた。 彼らが言う誇りを傷つけられた時、彼らが取る行動についても。 私は背後を振り返り、彼がいないことを確認した上で、目の前のタクシーに飛び乗った。ドゥブロブニクもサラエボも危険だと思った。何よりバス停が危険だ。 そして、ボスニア・ヘルツェゴビナの物価の安さにかけてみた。「私をスプリットまで乗せて行ってちょうだい!」 そして昨日の午後6時半、私は来るはずではなかったスプリットに到着した。クロアチア時間 12:30 アドリア海に臨むスプリット港にて
2012.09.20

空が白み始めた。 気が付けば、車窓の向こうは見慣れた牧草風景に変わっていた。 外はかなり冷え込んでいる。 スロベニアだ。 * セルビアからまるで逃げ帰るような感じだが、だがセルビアが嫌いなわけでない。 ただ今の自分では耐えられない重さを感じただけだ。 こういう感覚は、私が旅で最も大切にしているものだし、 私だけが感じるものこそ、私だけの真実だと思っている。 最後に、セルビアは苦しさと切なさに、私に懐かしさをも与えてくれたことを付け加えておこうと思う。 これがデジャブというものだろうか。そういう瞬間が何度もあった。 そして、それはとりわけ人にあった。 ザグレブからベオグラード行きの列車の中で隣りになった女性もその一人。 赤茶の髪に青白い顔。薄いグレーの瞳からは知的さが窺える。 確かにこの顔、見覚えがある。不思議だか、彼女が気になって仕方ない。長い列車の旅。 最初は二言三言しか喋らなかった。 その彼女が、ベオグラードに到着する30分程前に再び声を掛けてきた。彼女の名はイワナという。イワナは私に、ベオグラードのどのホテルに泊まるのかと尋ねる。私の答えに対し、ではその住所は、地図はと畳み掛けてくる。 そして、その方角が自分の家と同じだと知ると、近くまで案内してくれると言う。 彼女は続ける。 ベオグラードの見処は何処か、お金の両替は銀行ですると損だから両替所ですべきだとか、挙げ句には、サヴァ河がスロベニアからどのようなルートでベオグラードまで流れ着くか、 ただひたすら説明を続けた。 ベオグラードの都会ぶりを驚く私に、その澄んだ瞳を悪戯っぽく輝かせ、ちょっぴり鼻を高くして、「スロベニアの国民は200万人、ベオグラードは一都市でその同じだけの人口を持つの。 なんたって、ユーゴスラビアの首都だった街だからね。」 すでに、そんな彼女の顔が懐かしい。 セルビアで暮らすからといってセルビア人とは限らないのが難しいところだが、 彼女以外にも、セルビアで出会った人達は本当に優しかった。温かかった。 だからこそ、余計にあの重い感覚が耐えられなかったのかも。 これからも私がセルビアを思い出す時、 重い空にも、息苦しい空気にも、そして懐かしい顔達にも、同じだけ親しみと切なさを感じることだろう。スロベニア時間 7:00 今日のお昼にはザルツブルク着。写真は、東方正教の教会としては世界最大の規模を誇る聖サヴァ教会。 ライトアップされ夜空に浮かび上がる姿で、夜行で発つ私を最後まで見送ってくれた。◆9月15日(土)7:45 ホテル発8:15~10:00 列車にてノヴィ・サドへ10:15~11:20 ペトロヴァラディン要塞11:30~12:45 スロヴォダ広場・カトリック大聖堂(外観)・市庁舎(外観)・セルビア正教会・シナゴーク(外観)13:30~15:00 列車にてベオグラードへ15:30~17:00 カレメグダン公園17:15~17:50 聖サヴァ教会 21:30 ベオグラード発
2012.09.16

現在、日付が変わって、16日の0時半。真夜中でも お構い無しにパスポートチェックが始まった。 それにプラス、セルビアの場合は、出国時に宿泊証明書が求められる。 それがないと、どこに滞在したのか怪しまれ、あらぬ嫌疑をかけられるのだそうだが、こんな国は初めてだ。 あのロシアでさえ、そんなもの必要ではなかった。 ついでに、座席下をもチェック。 列車内全ての検査が終わっても、すぐ又クロアチア側でも同じこと。 到底眠れそうにない。
2012.09.16

「引き返す勇気を持ちなさい。」 これは、私の無鉄砲な旅に対して、以前 上司から言われた言葉である。 今朝、ノヴィ・サドを訪ねたことで、私は若干気持ちを取り戻した。 ベオグラードでは居たたまれない気持ちだったのが、ほんの少しだけ軽くなった。 午後、ベオグラードに戻り、旧市街を廻りながら、急きょ予定を変更することにした。引き返そう。 実は、私の心はまだバランスを崩したままだ。 平常心でさえ重いであろう この国に、これ以上居る自信がない。まずはオーストリアまで引き返そう。 そう決めた途端、心は軽くなり、あんなに苦しかったベオグラードの景色が逆に愛しく思えてきた。(笑) そして今、オーストリアはフィラッハ行きの深夜列車に揺られている。セルビア時間 21:30 ベオグラードからフィラッハへ向かう列車にて写真は、ベオグラードの旧市街と新市街の間を流れる二つの大河、サヴァ河とドナウ河が交わる場所。 切なさは変わりないが、この景色に救われた気がする。ちなみに、サヴァ河はスロベニアで生まれ、ここで母なるドナウと一つになる。
2012.09.15

ベオグラードから列車に乗り、セルビア第2の都市ノヴィ・サドへ向かっている。 いきなり弱音を吐くわけでないが、セルビアは私には苦しい。 今の私では抱えきれないものがある。それは、10年前のNATO軍による空爆痕を見たからではない。ベオグラードは無機質な大都会に見えた。じわり滲みでる味もあるが、私にはそれさえも切なかった。いや、セルビアだけじゃない。 ザグレブを発ち東へ向かうと、もうそこは欧州ではなかった。 酸っぱい匂いが漂う。これまでも鉛を呑み込んだかのような重い気分になった場所はある。しかし、ここまで息苦しいのは初めてかもしれない。 どんよりした曇り空のせいか。おかげで、水以外喉を通らない。 一人で来るべきではなかった。この思いを紛らわすものがない。 親切な人にも出会った。 優しい笑顔も見た。 なのに、私の心は堅く閉ざされてしまっている。笑えない。 分からないが、この国、セルビアというかユーゴスラビアの抱える深い傷がまだ新し過ぎて、息ができない。 泣きそうだ。 このままベオグラードに居続けることも、サラエボへ行く勇気も今はない。旧ユーゴを受け止めるには、まだ私は早すぎたのか。。。セルビア時間 9:30 ベオグラードからノヴィ・サドへ向かう列車にて 車窓からは、こんな風景が何処までも続く。 何時もに増して画像が汚いのは、汚れた窓ガラスのせいである。
2012.09.15

多くのクロアチア美人を見てきたが、この子が一番だと、私は思う。(笑)3歳なんだそうだ。パパと2人でロトルシュチャック塔に登ったところで私と出会った。人見知りもせず、あどけない笑顔をいっぱいくれて、ありがとう。*昨晩は、スペインから来た2人の女性と同室になった。早朝まで街へ繰り出していた彼女達は、きっとまだ寝ている。彼女達は昨日、ハンガリーのブダペストから列車で8時間掛けてザグレブまで来たと言っていたが、私も今日、同じく列車で6時間半掛けてセルビアのベオグラードへと向かう。雨が上がり、いつの間にやら秋が深まっていた。クロアチア時間 9:45 ザグレブ中央駅にて◆9月12日(水) 10:35 ザグレブ着11:00~11:30 レストラン・ピブニツァ・トミスラフ 11:50 ホテル・チェックイン14:40~15:00 青果市場15:00~15:30 聖母被昇天大聖堂15:30~15:45 大聖堂広場16:00~16:30 聖マルコ教会・マルコ広場16:30~17:15 ナイーブアート美術館17:20~18:00 ロトルシュチャック塔18:30 ホテル着◆9月13日(木) 8:20 ホテル発8:50~11:10 バスにてプリトゥビツェへ11:10~17:00 プリトゥビツェ湖群国立公園(トレッキング)17:00~19:10 バスにてザグレブへ 19:30 ホテル着 ◆9月14日(金) 8:45 ホテル発 8:50 大聖堂広場8:50~9:25 聖母被昇天大聖堂(ミサ)11:03 ザグレブ発
2012.09.14

プリトゥビツェ湖群国立公園へ行くのに、バス代を180クーナ払った。 それに国立公園への入場料110クーナを支払ったところで、私の手持ちは40クーナになってしまった。 40クーナとは、およそ600円。 そのうち15クーナは、駅に預けた荷物のコインロッカー代金と使い道は決まっている。ということは、残り25クーナ、375円ということである。(爆) いざとなればビザでと思ったが、その肝心のカードはホステルのロッカーに入れたまま。 それに気付いたのは、バスがザグレブを出発して30分経過した後だった。 まっ、まじで? (●д●)万が一、何かトラブルがあれば、お金が必要になれば、私はどうすればいい? 375円だなんて、小学生の遠足のお菓子代かい!? 自分で自分をツッコんでみるも、コインをポケットに入れて叩いてみるも、その事実に変化なし。 私は内心、冷や汗ダラダラであった。* さて、それでも無事にトレッキングを終え、寒さしのぎにカフェに入る。 そこで、財布の隅に隠れていた65ユーロを発見☆ 一気にお金持ちになった気がした。(笑) カフェのレジでユーロが使えるか尋ねてみる。 すると、隣りのインフォメーションで両替できることを教えてくれた。 で、私が両替したのは 結局5ユーロ。 ユーロで気持ちが大きくなり、やっぱりクーナはそんなにいらない、そう判断した。 カフェで、フライドポテトとコーヒーと水を買う。 合計27クーナ。 よって、手元には30クーナ。 すなわち、450円。 明日の昼前にクロアチアを発つまで、それが私の全クーナ財産だ。 だが、ホステルに戻り、ビザとユーロという強みを得た今、私はもう怖くない。(笑)クロアチア時間 22:00 ザグレブ・ホステルにて写真は、不安な私の心をひととき和ませてくれた東京からのカップル。 現在、一年間の旅の途中だと言っていた。
2012.09.13

今、世界遺産の湖群に来ている。ザグレブから140kmほど南下したところだ。そこでは、雨粒がエメラルドグリーンの湖面をダンスし、 水面に立つ泡は、まるで天の川をうめ尽くす星達のよう。 あちこちで弾ける滝のしぶきと、 辺りを立ち込める蒸気が幻想的な世界を造り上げる。 そして、それが描かれた幻なら、今の私にとって、寒さでかじかんだ手と、たまらなく冷たい濡れたジーンズが超現実。(苦笑)めちゃくちゃ寒い。半端じゃない。 あまりの寒さと雨の冷たさに我慢できず、2時間半で早々にトレッキングを切り上げ、カフェで暖まっている。(苦笑) ここで凍死はできない。クロアチア時間 15:00 プリトゥビツェ湖群国立公園にて
2012.09.13

一気に気温が下がった。 今日は一日中雨なのだろうか。 こんな時に限って、湖群と滝が美しいという国立公園へのツアーを申し込んでしまっている。(T^T)昨晩はよく眠った。 信じられない、11時間も寝ていたようだ。 運良く3人部屋を独占でき、久しぶりに熟睡できたのだ。目が覚めても、隣りに見知らぬ裸はない!(爆)明るくて清潔な部屋。シャワー室もとても綺麗で広い。 おかげで 穏やかな気持ちで身体を洗えた。(笑) なんて書いていると、リュブリャーナのホステルが一体どれほど酷かったのかと思われそうだが、 事実、酷かった。(苦笑) 50年前の芸術家アパートみたいだった。 壁に掛けられた大きな裸体の絵も無気味。今後は立地的、金銭的だけのホステル選びはやめようと心に誓う。 まぁ、済んだことはどうでもいい。 なのに再び書いたのは、それくらい強烈だったからなのだが。(笑)今は良く眠れたおかげで身体が軽い。 残念なことは、ただ一つ。 降り続く雨のみだ。クロアチア時間 8:20 ザグレブ・ホステルにて写真は、ロトルシュチャック塔から見下ろすザグレブの象徴、聖マルコ教会。
2012.09.13

美味しそうな匂いに惹かれて立ち寄ってしまった。 1本10クーナ。 先程もチョコレートの乗った これまた美味しそうなパンについつられ、2個で5クーナ支払ったばかりだというのに。 まぁ、パン屋さんではおまけにケーキももらったが。(笑)予算は限られている。 もう贅沢はできない。 ちなみに、1クーナは現在 15円くらいだろうか。(10+5)クーナ×15=225円?ザグレブの方がリュブリャーナよりも物価は安いように思う。 そして、同じクロアチアのドゥブロブニクよりも。 クロアチア時間 16:20 ザグレブ・マルコ広場にて
2012.09.12

良かった。 どうやらザグレブのホステルは綺麗そうだ。レセプションのお姉さんも華奢で可愛い。(笑)私は今、ホステルのソファで部屋の掃除が終わるのを待っている。*2時間ばかり前、ザグレブに到着した。すぐさまユーロをクーナに両替し、2日分以外の荷物を駅のコインロッカーに全て預ける。 この判断は正しかったと思う。 観光しやすいように、名所の多い旧市街の真ん中に宿をとったのだが、 このザグレブの旧市街、小高い丘の上に広がっているのだ。大きなスーツケースをゴロゴロするには相応しくない、石畳と階段が多いのである。 さてザグレブは、空港だけなら今年のお正月にも訪ねた場所だ。 今回 街に出てみて、その都会加減にちょっとびっくりした。 もちろん、超田舎者の私の感想であるから、鵜呑みにはしないでもらいたい。(笑) これがウィーンから出て来たのであれば、また違った感想であっただろうが、だが、リュブリャーナと比べると垢抜けているというか、実に洗練されている。 少し緊張してしまった。 私は寂れた街の方がいい。(笑) なので、ちょっと気後れとともに やる気も失せ、まだ真っ昼間だというのに、ホステルでゴロゴロしているというわけだ。(笑)クロアチア時間 13:15 ザグレブ・聖母被昇天大聖堂近くのホステルにて
2012.09.12

これからクロアチアへ入るらしい。 今、列車内はパスポートチェック中である。パスポートに押されたスタンプには、可愛い機関車が描かれていて、思わずニヤリとしてしまった。 いつも味気ない飛行機の絵ばかりだから。これまでも鉄道での国境越えを何度か体験して来たが、スタンプを押してくれたのは初めて。 海に囲まれた島国の民としては、こういうことが何気に嬉しい。(笑) クロアチア時間 12:05 後30分でザグレブだ。
2012.09.12

鉄子失格だ。 旧ユーゴを鉄道で廻るという計画も、すでにセルビアからの行程で挫折してしまったし、それよりも、疲れのあまり、列車に乗ると必ずやうつらうつらしてしまっている。 今もすとんと眠りに落ちそうな勢い。リュブリャーナからザグレブまで、乗車時間は2時間15分。 *さて、リュブリャーナでは、こんな裏町に宿泊していた。 といっても、街の中心フランシスコ教会から徒歩1分なのだが。(笑) あ、ぶら下がった沢山の靴の意味は私も知らない。 泊まった安宿は、多くのバックパッカーが集うホステルだった。 ドミトリーの部屋は、NZ一周以来10年ぶりである。あの時も見知らぬ男女が共に枕を並べたのだが、 こういう体験、すっかり忘れ去っていただけに新鮮というか、ちょっと戸惑ってしまった。 古びたドアを押し開けると、そこに髭もじゃの男性が現れた。 一瞬、私は部屋を間違えたのかと思う。 再び部屋番号を確認するも間違いなし。 「あ、僕は下で寝るから。」そう言ったのは、英国からの音大生。振り返り見上げると、梯子の上に屋根裏のような空間。 そこに、2つのマットが並べられてあった。それでも、この日はまだ良かった。 昨日、そこに新しい客が加わった。 並んだ2つ目のマットの客である。 それが、ミュンヘンから来た男性、 そう、男だったのだ。当たり前のことだが、今朝目が覚めると、隣り(若干の空間はあるのだが)には上半身裸の男性が、、。(¥△¥;) 確か、宿を予約する時、女性と同室を希望したのにな。 まぁ、残り部屋僅かなところに私一人だもんな。 余り者同士、押し込まれたのだろうか。 ぶちぶち言いながら、実はザグレブの宿を心配している。スロベニア時間 9:10 リュブリャーナからザグレブへ向かう列車にて
2012.09.12

ちょっぴり贅沢な夜を迎えている。 と書くとどれほどかと思われそうだが、 なに、スロベニア、つまりユーロ圏最後のディナーにステーキを頼んでみただけだ。ちなみに、値段は13ユーロ。バックにアコーディオンの生演奏が雰囲気を盛り上げる。なのに、ワインが分からない私の飲み物は水。(笑)レストランの愉快なおじさん、日本語で「おおきに!」とはこれいかに?(爆)*正直、スロベニアはセルビアへの通り道のつもりだった。 だから下調べもせず、もちろん これっぽっちの期待もなかった。その私が、ここで旅を終えてもいいくらい満足している。(笑) アルプスの山々に煌めく湖。 スロベニア屈指の観光地、ブレッド湖が"アルプスの瞳"と謳われることに納得。そして、鍾乳洞は地中の天空を見せてくれた。今の私がもしもツアーを組むのなら、迷わず「さぁ、今すぐスロベニアへ行こう!」で決定だ。(笑)写真は、ブレッド湖に浮かぶ聖マリア教会。ブレッド城から見下ろした景色だ。ただ風景だけなら絵葉書と同じなので、スロベニアン・ナイスガイも入れてみた。(笑)◆9月9日(日) 16:50 リュブリャーナ着 19:00~19:45 リュブリャニツァ川ボートツアー 20:10 ホテル着 ◆9月10日(月) 7:15 ホテル発7:20~8:00 三本橋トロモストウイエ8:30~19:00 アルパイン・フェアリーテイル ツアー ・ブレッド城 ・Vintgar(渓谷) ・ボーヒン湖 ・バプティスト教会 ・ブレッド湖 ・Skofja Loka(古都) 19:15~19:30 フランシスコ教会20:10 ホテル着 ◆9月11日(火) 7:15 ホテル発 7:30~7:50 リュブリャーナ大聖堂9:40~10:45 列車にてポストイナへ 11:30~14:45 ポストイナ鍾乳洞 16:10~17:15 列車にてリュブリャーナへ17:45~18:30 リュブリャーナ城19:00~20:30 レストラン・ゴスティルナ・シェースティツア 20:40 ホテル着
2012.09.11

雷が轟いでいる。 微かに感じる雨の匂い。 鍾乳洞から、つい5時間ばかり前に歩いた道を、確かに引き返したはずだった。 しかし、何処まで歩いても駅はない。 周りの景色も見覚えがない。(爆) 「駅はどこ?」 道行くおじいさんに聞いてみた。 「ずっと向こうだよ。 今来た道を戻って、右に折れたら階段を上って行くことだ。」 たぶん、そう言った。おじいさんが話す言葉は、スロベニア語なのか 訛った英語なのかさえ分からない。薄曇りの空を見上げ、足を速める。 こんな階段、行きの時は下らなかった。目の前に続く長く急な階段に溜め息をついた時、 また別のおじいさんと目が合った。「これをあげるよ。」 彼はいきなり林檎を突き出す。 私も素直に手を出してみる。 「ありがとう。」 「もう一個も持っておいき。」雨の匂いに林檎の甘い香りが加わった。手元にある2つの林檎、やっぱり洗ってかぶり付こうかな。(笑)スロベニア時間 15:55 無事にポストイナ駅にて
2012.09.11

欧州最大だというポストイナ鍾乳洞に来ている。 こんなに凄いもの、私のような者が見てしまって良かったのだろうか、というのが一番の感想。 たかが鍾乳洞と侮るなかれ。 そこは天空であり、大海の底であり、天然の宮殿であり、シャンデリアであり、自然が造り上げたダイナミックな彫刻が数えきれないほど聳えていた。 もしも この場所に、ミケランジェロやロダンが来たなら、自分の才能のなさを嘆くはずだ。(笑)とにかく凄い。長さ27kmの洞窟のうち、見学できるのは約5kmほどで、歩くのは1.7km。 後はトロッコ列車で疾走する。そこには、一体何万年の月日を要したのか想像できない鍾乳石の塔が続く。 エジプトのクフ王時代からの成長は、僅か25cmというのだから驚きだ。 いや、ホント。 こんなに凄いもの、私が見てしまって申し訳ない。 最後に、この場所を是非ともと勧めてくれたインド人カップルに感謝する。 スロベニア時間 14:00 ポストイナ鍾乳洞にて
2012.09.11

肌が褐色の、やんちゃそうな男の子に声を掛けられた。 校庭でサッカーをする彼らを眺める私の足もとに飛んできたボールを、その子が取りに来た時のことだ。そうか、、、私はヤポニャなのか。(笑) * 海外では、お尻を半分出したかのような、下がったズボンを引き摺って歩く若者をよく見かける。 ところが今、私も例外ではないのだ。 というのも、食欲のなかった先月のせいで、何故か下半身だけ痩せてしまった私は、履き慣れたジーンズがぶかぶかだ。 はっと慌てて持ち上げることもしばしば。(苦笑) さて、今日は大人しくリュブリャーナ市内を観光するか、バスで1時間程の場所にある鍾乳洞へ行こうか検討中なのだが、 駅前のカフェで軽く朝食をと思ったところ、目が飛び出そうな大きなミートパイが現れた。 この旅が終わる頃には、履き慣れたジーンズは元通り、私のヒップにぴったりマッチすることだろう。 スロベニア時間 8:45 リュブリャーナ駅前にて
2012.09.11
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