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最近感じること。今の私の人生って、波乗りのようだな~ということ。いろいろと細かいことろを見れば、足元はいろいろな混乱が渦巻いているんだけど、上手くその上にボードを仲介として乗り、進んでいる。若いときは、そのひとつひとつの混乱に注目して取り入れられてしまって、自分の足元がふらつきやすかったけれど、今は適当にバランスをとりながら取捨選択できている。これはもしかすると、異国の地で、あまり責任も無く、自由にできるからかもしれない。日本なら、敏感に気づかなければならない「オキテ」も、ここアメリカで英語を使用する環境で、気づかなかったり、外国人として責任が無い、というのもあるかもしれない。いずれにせよ、バランスをとることが重要だということを最近しみじみと実感する。いろいろ面倒くさいことなどで、足を引っ張られるが、それをあまり重要視していては、自分のバランスを崩す。天にも昇るような気持ちは素敵なことだが、それに溺れるとやっぱりこける。常に自分が自分を上手く運転して、コントロールする。それがすなわちバランスを上手くとることじゃないかな、って思うのね。音楽療法の現場で見学するでしょ。そうすると、成人の脳損傷の患者さんに音楽療法士が認識させることは、"I am the boss!"なの。セラピストは患者さんにそういうようにさせる。患者さんは「私が自分の身体のボスだ。」と言う。そうやって、身体の損傷した部分を自分の意思でコントロールする意識を植え付ける。なるほど、って思ったわ。その言葉(私はボスだ)づらだけを日本人の私が聞くと、「なんて強い言葉。」と感じてしまうのだけれど、この言葉は、英語ではとても前向き、Positiveな言葉なのよね。不自由になった身体の機能からくる精神的落ち込みをそうやって上に引き上げる。つまり、不能感と意志との間のバランスをとるわけまだ私は人生がサーフィンのように安定してないのだけれどこれが昔の人の言うように「人生は航海だ。」といえるように、ボードではなくてしっかりした客船に感じられるように、いつなるのでしょう。とっても楽しみ♪
2005.12.21
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最近、冬になって帽子(hat)をかぶるようになって、ときどき言われるのようになった。お店などでものを見ているときや、学校の近くのホテルの中でコーヒーを頼んだときなどに、店員さんやウエイトレスさんが「何かあったら声かけてください、マム?」「Yes, ma'am. Thank you, ma'am.」等々あまり詳しくは無いが、これは女性への敬称で割と使われているのを聞く。アイルランドでもお店の中でものを見ていたら言われたことがある。初めはちょっと「え?」と思うが、何度か言われるとだんだん嬉しくなってくる。ただし、ちゃんとした格好をしたとき、そして、私の場合この長年愛用している「帽子」を被ったときに言われる確率が高い。この帽子は池袋で安く買ってもう3年くらい被っているが、どこでもなかなか評判が良い。海外旅行で被っていて「どこで買ったの?」と言われたり、帽子を脱いでがっかりした顔をされたり?!、またここでも、「その帽子好きだな。」など言われたりする。何がそんなに評判が良いんだろう?ただの茶色の帽子なんだけどな。というか、私の顔が半分隠れるからいいのかな?!?結構当たっている気がする。。。^ー^;;また"ma'am"と呼ばれるのを心待ちにするDavinaなのであった。。。
2005.12.19
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音楽療法の日記に名前を変えながら、全然そのメインの話題に触れていなかった。何だか自分にとってもう身体の1部のようなものになっていて、改めて書きたいことが無かったのだ。しかし秋学期に学んだことは沢山あって、その中から少しずつ選んで情報を共有していきたいと思う。まず、音楽療法に関しては、アメリカがパイオニアである。なんと1804年に、医学生の博士論文で音楽の効用が始めて述べられた。1800年前後に精神科医たちが論文で音楽の治癒的効果を述べ、その後しばらくのギャップがあいて、1800年代後半から内科医等が論文に音楽療法について書き始めている。そして、1900年代に入って、第一次、第二次世界大戦を経て、音楽療法は大きく発展した。戦争中の国内の人々の精神的混乱と、帰還兵の心の治癒が発展した大きな原因だ。その後、医師の手から音楽家、音楽療法家の手により、アメリカの音楽療法は確立されてくる。今では精神科医等の参加はとても少ない。音楽療法の独自の世界を築いたともいえる。私が米音楽療法の歴史を学んでとても感銘を受けたのが、この「兵士や特に戦時中の子供たちの、心の傷の回復」だ。シーモアという、USの音楽療法中心人物のひとりがこれらの精神的ダメージに対する回復を丁寧に著書で述べていて、その願いがひしひしと論文から伝わってくる。それを学びながら、私は日本の兵士のことを思った。第二次世界大戦で、勝ったアメリカと、負けた日本。アメリカの兵士たちは、戦時中から傷ついて帰還すると、病院でその傷の手当てとともに、精神的治療も試みられた。じゃあ、日本の兵士は?音楽に関する記録は無いだろう。そして、彼らの精神面の回復を日本の病院で試みられたと考えるのは、難しい。負けると分かっていた戦争にひっぱり出されて、例えば自転車部隊とか、水の中を潜っていく作戦だとか、大国の武力に対してまったくのドンキホーテ状態に置かれた日本の兵士たちあの状態を考えれば、日本の政府が、帰還兵の精神的治癒を考えたとは到底考えにくい。人間を消耗品くらいにしか考えていなかったともいえるのでは、と、私は個人的に思っている。国の資源の違い等、いろいろ専門的な分析はあるだろうが、私が音楽療法を学んでいる上で痛感することは、人間の精神に対する考え方の違いも、勝ち負けを決める大きな原因になっているのではないか、と思う。敵国の日本に原爆を落として、パールハーバーの60倍近い市民を「正義」という名の下で殺戮して平然としている神経をもったアメリカではあるが、やはり精神面の回復を音楽を使用して行ったことを考えるとき、人間の心の回復を考えることは、とても重要なことだと、本当に思う。それがパワーの源でもあると痛感する。
2005.12.18
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アメリカに滞在しはじめてもうすぐ半年がたつ。当然のようにアメリカン・アクセントの英語に浸っているのだが、ここにきて改めて感じ始めていることがある。それはアメリカ英語とイギリス英語のアクセントの違い。Noermi*さんのところでも書きこんだのだが、私はイギリス英語のアクセントの方がやはり好きだった。日本にいたころから両方の違いには興味があって、TOEFLのリスニングのときにシャドーイングをすると、「この発音を練習するより、ブリティッシュ・アクセントを口から出したい。」と思っていた。また、私の音楽関係の仕事先の仲間たちは、クラシックをしていたので、ほとんどヨーロッパへ勉強しにいくし、興味はそちらの方にある。そうすると、ヨーロッパに滞在したことのある人ならお分かりだろうが、アメリカの発音はかなりからかいの的にされることがある。あるスペイン人は、舌を巻いてわざと発音して「アメリカの発音ってこんなんだよねー。」最初にそちらの方面に触れていたせいか、私も偏見が入っているのかもしれない。しかし、それ抜きにしても、やはり子音がはっきりでているあの音は、聞いていて心地がよいのだ。もちろんこれは個人的好みだ。アメリカン・アクセントは流暢に流れて、明るく楽しく聞こえる。なので、私がいつも連想するのは、「関西弁」だ。関西弁はリズムがあって、お喋りをしやすいし、冗談を言いやすい。つっこみが入っても、関東弁のような冷たさが無い。分かっているのだが、ここ米国でテレビを見ていると、無性に英英語で聞きたくなる。ハリー・ポッターを観ていて、とてもそう思った。いかん、英語のリスニング、スピーキング上達にブレーキがかかる大きな原因だあ。。。私が米国に留学したのは、感動した論文の著者がこの大学にいるからだ。その厳しい教授のクラスをとって、苦心しながらもとても幸せだ。でも、もしその人の論文に出会っていなかったら、私はイギリスに留学しようと思っていた。最近、確実にアメリカン・アクセントになっていると感じるDavina。アメリカはやはり日本にとって重要だから。。。と言い聞かせるも最近、BBC放送をネットで聞いて、耳が好きな言語音に飢えている気がするのは、多分気のせいではない。あと2年くらいはこちらにいるのに、ちょっと戸惑っている自分を発見。好き嫌いはしょうがないよね。別にアメリカ人たちと仲が悪いわけではないのだが、音楽でも好き嫌いがかなりあるから、これもそのレベルで自分の中で選択されているのだと思う。両方身につけるっていうつもりでいけば、positiveな態度でいけるかなーと考える今日このごろでした
2005.12.17
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USの大学院に留学して、初のファイナルが今日終了!一番最後に、一番難関なセミナーの試験だった。「君たちに、今まで皆がしたプレゼンの論文を頭の中でオーガナイズしてほしいんだ。」あの、120本近くあるんですけど。。。なんて教授が先週言うものだから、必死でノートを作るも、とても名前と内容、そして発行年なんて覚えることなんでできなかった。実際のテストはその中から12本選んで、構成して書くもの。良かったー。おどかさないでよー。とにもかくにも、睡眠時間2時間で、頭の中にあることを目一杯構成し直して書いたから、もう思い残すことはなーい。^▽^初の長期アメリカ留学、その最初のセメスターを振り返ってみると。。。7月に渡米、1ヶ月語学学校に通う。*アジア人ばかりで、いろいろな発音の英語を聞く。8月下旬より、大学院プログラム開始。でも、エクイバレンシーで学部の授業も多くとる。*ほとんどアメリカ人ばかりで、日常会話が聞き取れない。^ー^;授業開始後2週間たつも、噂に聞いていた大量のアサインメントなど、影も形も表れない。なんだー、有名な難しい大学じゃないから楽なのかしらなんて考えていたら、9月に入ってから稼動しはじめた。リーディング・アサインメントをはじめ、とにかくテスト、プレゼンが立て続けに予定に入ってきた。週末をほとんど課題のためにさく。たまの息抜きは、夜、友人と外食すること。そう、9月から、10月中旬のサンクス・ギビングまで走りっぱなしとなったのだった^ー^;;;そして今回のファイナル、サンクス・ギビングからやはり時間を費やしっぱなしだった。テスト前の睡眠時間、2,3時間は、もう慣れた。英語の扱いに時間がかかるので、内容が難しいというよりも、その解釈と意味を身体のなかに落としていくのに時間がかかる。2時間睡眠にはこつがあって、朝方まで勉強し、電気をつけたままベッドの上に横になる。電気を消してぬくぬくとベットなどに入っては決していけない。寝過ごすのが目に見えている。でもあまりつらくない。不思議だ。そんなこんなで、なんとかくぐりぬけた最初のセメスター。自分的には完全燃焼したので、まあ成績がどうでようと満足だ。この人生の中で始めて英語づけで勉強した4ヶ月のご褒美は、友人の住むカリフォルニアにクリスマスから1週間滞在して交友をあたためるのと、その後、ここコロラドの有名なスキー・リゾート地に10年以上ぶりにスキーをしにいくことである♪そして来セメスターもまた完全燃焼しよう。今度はもっともっと英語をうまく操つれるようになりたい。
2005.12.15
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授業中、教授が学生たちに意見を求めるところからはじまって、バスの運転手さんが、乗ってきた人に話しをふったり、演劇で、舞台上から観客に舞台上に上がるように求めたりして、そのたびに、アメリカ人たちは、しっかりとリアクションをするのだ。それがすごいと思う!土曜日にお芝居を観にいって、つくづくと感じ入ってしまった。。。そのお芝居はコメディーで、カソリックのシスタ-役の年配の女優さんが、たった一人で、1時間半くらいの舞台をこなしていた。頑固なシスターのイメージを利用して観客を笑わすのだが、演劇部だったDavinaとしては、彼女の技に関心しきり。オーディションはやはり長時間、一人で監督やら脚本家の舞台関係者の前で喋りまくるのだろうか?すごすぎる。。。と、舞台裏を想像しながらただただ関心しながら、でも笑っていた。。。前半は彼女がそうして観客を相手に笑わせる、そして後半は、何人か観客から募り、クリスマスのキリスト降誕劇をするのである。観客から希望者を募ると、まあ、手の上がること、上がること。。。^▽^そしてびっくりしたのが、いわゆる「中年のおじちゃん」たちも、沢山参加したがっていたことだ。私たちの前の席に座っていた中年のおじちゃん、一段上がった一階席だったので、舞台上のシスター役の女優さんからはなかなか視線が届かない。何回も手を上げるが、そのたびに別の前方の人が指されて舞台に上がって行く。背中に哀愁がただよい始める。。。?他の後方の席の人たちも手を何回も上げているが、やはりシスターの視線に入らないようで、指名してもらえない。途中から手を上げなくなったおじちゃん、あきらめたかー、と思っていたら、一番最後にシスターが最後の役の人を募って、視線がこちらを向いたと思った瞬間手をさっとあげたー諦めて無かったのねー^▽^しかし前方の人が指されて、またまただめだったおじちゃんよく頑張ったねーT▽Tいやー、日本なら、こんなにがんがんと手を上げないだろーと感心してしまった。誰かいませんかー、やりませんかー、としつこく言って、じゃあ。。。と一人二人。。。そう考えると、授業中にしても、何かふとしたときでも、アメリカ人は、自分に何かふられたとき、意見をもとめられる、とか行動するとか、の時に、あまりたじろがずに、ちゃんと受けてリアクションするんだよね。えー、突然言われても。。。もじもじ。。。沈黙のときーということはほとんど無い。子供のときから、そのように教育されているだろうし、第一周りの大人がそうなら、子供のときからそれを見て、当然学習しているだろうし。私にはこれが、とても潔く見える。私も自然にそうできるようになりたい!って本当に思った。やはりふられると緊張しちゃうものね。きっと皆、自分のことを人前で披露することを楽しんでいるんだろうな。日本だったら、「なーに、あの人、変な人。。ひそひそ」とか言われそうな場面もあるかもしれないが、つくづく文化の違いなんだなあ、と本当に面白かった。何か自分にふられたら、にっこり笑って受けましょう^▽^
2005.12.05
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とにかく、背を丸めて下を向いてこそこそと行動しては印象が悪いだけなのだ。歩くときには、大地を踏みしめでがっしがっしと歩き、話すときは、しっかり顔や目を見て腹筋を使って話し、遅刻したときも、堂々と入る。他の人の迷惑にならないかときょろきょろし気を使う態度は、ここでは大変印象が悪い。なんだかおびえた小動物みたいだ。何か行動するときに、目立たないようにそそくさとするのは、何か良くないことをしているように見える。話しかけるとき、横目で小声で、相手の様子を見ながら喋ると、相手の表情がけわしくなる。とにかく真正面からいく、という心構えが必要だ、と思った。文化の違い、国民性の違いだけど、本当に、日本の習慣は、米国と正反対なことが多いなあーと思う。ちょっと違うのではなくて正反対日本では、力強く胸張っている態度が、「えらそう」に見えて印象が悪かったりするものね。いかにいる場所によって、使い分けができるようになるか、それとも、好きな態度を貫くか、それは自分次第私はここの行動の仕方が気持ちよくなってきた。対人関係は、とにかく真正面から。絶対こそこそした態度はとらない。でも、カソリック教会の「ひざまつき台」(椅子の足元にあり、ひざをついて祈るときに下ろして使う)を足で上げ下げするのはどうかと思うけど。。。
2005.12.02
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昨日の日記の中にちょっと書いた、寮のそばにある学生向けのカフェなのだが、ここが驚くことばかり。PCが持ち込める、これは当然、しかーしコードを持ち込んで、電気が使えるのだー開店時間は、図書館と大体一緒。平日は6am-0am、週末は夜10時まで、でも日曜は午前12時まで。スタッフは学生さんも多く、客が入ってこないと、カウンター前のテーブルに座って、勉強していたり、ギターの練習をしていたりする。そして、とても丁寧で愛想が良い^▽^コーヒー一杯で何時間でもねばれる。だから、学生が勉強しにやってくる。そして、その一番安いコーヒーが、$1.45....平日は、夕食後、日曜日の夜あたりなど、コーヒーだけを注文して勉強しにくる学生で一杯。ひとごとながら心配しちゃう。もうけはあるのかしら?と自分はその$1.45のコーヒーで3時間は勉強するDavinaなのでした。なんかこういうところって、アメリカ人のオウヨウさを表していて、私はとても関心してしまう。この小さい街だから?図書館に飽きたDavinaは、こうしてほぼ毎日通ってしまうのであった。
2005.11.30
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私の楽しみの一つに、居心地の良いホテルのカフェでコーヒーを飲みながら勉強する、というものがある。日本にいたときの都内のお気に入りのホテルは、紅茶を頼むと税金、サービス料含め、1,500円くらいした。だから、たまーーーに、たっぷり時間のあるときにしか行かなかった。その代わり何時間でも居られるし、何杯でもおかわり(ポットで)できるし、サービスは満点。どこぞの貴婦人になったような気分を味わえる。そしてもうひとつは、海の見えるカフェテラスのあるホテル。ゆったりと、居心地の良い空間で論文を読んだり、PCをうったりすると、その2-3時間は、極上の時となる。ただし、急ぎではない勉強のときに限るけどね。アメリカのこのコジンマリとした綺麗な都市に来て、少し前から大学の前に建っているヒルトン・ホテルに注目していた。唯一の大きくて近いホテル、外見はあまり趣味がよろしくないけど(やっぱり田舎なのかしら)、1度中で食事をさせてもらったとき、ロビーは広くて、すいていることを発見。そして一人でコーヒーを飲みながらPCをうてるカフェもどきのところも発見していた。そろそろ見知らぬ土地に少し慣れてきたころ、やはり以前の楽しみがむくむくと頭をもたげてくる。一人で入れるのかしら?日本では勝手が分かっていたから、どう振舞ったらスタッフが違和感無く対応してくれるか、ある程度は分かっていた。しかしここは米国、暗黙のルールも違うだろう。でもどうしても一人で入ってみたくて、ある日、日曜日の教会の帰りに入ってみた!教会の帰りが、一番ちゃんとした洋服を着ているからだ。ちなみにこの都市は、リタイアしたわりと余裕のある人々が戻って来て住むので知られているので、教会へはちゃんとした服装をしていかないと、なんだか落ち着かない。まあ、1回くらいはコーヒーが$10くらいしても我慢しよう。それで数時間いられるなら、たまに来るくらいで、日本のときと同じだもの。そう思って行ったら、なんとも面白い感じだった。まず、入って中央にはレストランがある。そこはお食事の人用に、ナプキン、ナイフ・フォーク類がセッティングされているので入るのをためらうが、左横の1画にバーコーナーがあって、大型画面が備え付けられている。テレビもある。なんといってもこの2畳ほどの大画面、大学のフットボールの試合を見るためにあるのだ。うちの学生が1/5を占める我が都市では、秋のフット・ボールの試合が学生から卒業生から市民まで好きな人々が多い。その人々のために、なんとホテルのバーに、テレビが備え付けられている。大画面が1つ、小さいテレビが2つ。その中の脇のテーブルに腰かけてコーヒーを注文した。すると、フットボールの選手のようなウエイターがコーヒーをトレイを使用せずに持ってきた。要は、ソーサーを両手で持って、運んできたのだ。うーん、日本のサービスでは考えられない。。。^ー^;どんっ、と置いて、私に聞く。「ミルクとか、砂糖とかはいるか?」なんか肩で歩いているような力強いお兄ちゃんの英語は、どうしても「お使いになりますか?」というようには聞こえなかったー。。。^ー^;;;なめてんのかよーと思ったが、その後、頻繁にコーヒーの減り具合を除きにきて私に尋ねる。「もう一杯いるか?」このお兄ちゃん、以前数人で食事に来たとき、メニューをばらばらと落とし、唯一の中年男性(私たちのスポンサーね)にメニューを渡すのを忘れ、ナイフ・フォーク類をセットする前に料理を運び、私が水を頼むと、私の分だけ持ってきて(他に3人いるのに)どんっと目の前に置いて、その後全く無頓着だったときから、(わざとか?天然か?)とチェックを入れていたお兄ちゃんだった。私がその”ごつい”サービスに笑顔で「Thank you!」というと、ちょっと嬉しそうな顔をした。基本的にバーなので、5時までくらいで切り上げる。初めて来て、コーヒー2,3杯で3時間ほど。なかなか過ごしやすい空間だ♪会計をしにバーのお兄ちゃんのところへ行くと、別の客とバッティングした。そうしたらそのお兄ちゃん、私に「きみは~ドルだ。」と力強く言う。^ー^;もうひとりの中年男性が、ワインを頼んでいた。そのお兄ちゃんはワイングラスとボトルを持ってきて注いだ。が。。。ワインがもう最後で、少なめだった。新しいワインを足すわけにはいかない。後は新しいのと取り替えるしかない。お兄ちゃんんも中年のおじちゃんもワインを見つめる。お兄ちゃんは少ない事実に気づいたようで、じっと見つめていた。が。。。それを無言で指さし、無言で彼自身の中で確認した様子が見られると、それを客の前に差し出し、そして一言、「$7!」おいおいおーい。。。^▽^;;;おじちゃんの顔色が一瞬変わったように思えたが、そこはホテルの客、そのまま黙ってお札を出しておつりを受け取り去っていく。あ、アメリカ人て、主張する国民じゃなかったっけ;^▽^;?しかしそれを見て、確定した。このおにーちゃん、天然だ。。。。。そして何と、ヒルトン・ホテルのコーヒーは$1.5だった。。。とても過ごしやすかったのでその次の週も来たのだが、少し早く、まだバーコーナーが閉まっていて誰も給仕してくれなかった。なのでレストランのスタッフに頼んだら、なんと、レストランの入り口にあるマフィンなどを売っているコーナーがスタバで、そこで買ってくれという。それを持って、自分の座っている場所へ持っていった。ここは一応ホテルです。。。。。。。。^▽^;;;そのスタバのコーヒーとシナモン・ロールで、3時間くらい居たDavina。本当に本当に不思議だった。街の学生向けのカフェと、ヒルトン・ホテルのコーヒーの値段が一緒なんてまた通うしかないじゃないの~^▽^/面白すぎる、アメリカのホテル!
2005.11.29
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ハロウィーンとサンクス・ギビングという、米国のメインのお祭りのうちの2つを経験して、面白いやら、感心するやらハロウィーンは、そのころ急ぎのプレゼンが入ってしまっており、ハロウィーンに意識がいってなかったのだが、とても面白かったのが、大学に仮装して来ている人たちだった^ー^朝一の8時から始まるクラスに行くと、一人、赤いドレスを着て、赤い帽子をかぶっているクラス・メイトがいた。どこかの村娘のようなドレスだった。その上に長い赤いコートを羽織っている。なんでこんな動きにくいかっこをしてるんだろう?私は気になってちらちらと見ていた。でも、他のクラスメートは特に気にするそぶりも無く、普通に授業を受けている。その彼女は、ずっとそのかっこで他の授業にも出ていた。ピアノのクラスではその格好でピアノを弾いていた。午後のクラスでは、別の二人の女性が、魔女と妖精のかっこをしていた。学校内を歩いていると、ドラキュラのようなカッコの人が胸を張って歩いていたり、ピエロのような人が図書館の受付に並んでいたり、まさか大の大人が、仮装して学校にくるもんだとは、全然知らなかった。。。^ー^;;そしてもっと面白いのが、皆が、特に意識するとか面白がる様子も無いことだった。。。^▽^;ぷれぜんの準備で焦りまくっていた私は、来年は、クラスに仮装していこう!と決心した!また、サンクス・ギビングは2つのパーティがバッティングしてしまって、困ってしまった。。「サンクス・ギビング・デイのパーティは出席できる?」と、1週間程前に、私のメンターから連絡があり、「もちろん♪」と返事をし、友人の大家さんの家でパーティがあると聞いて、「友人を連れて行ってもいい?」とわざわざ友人に聞いてもらって、快く承諾をもらったにも関わらず11月24日の午後の同じような時間から、両方のパーティーが始まったのだった。。。私はずっとサンクス・ギビングというのは、この2,3日に渡っての日々がそうなのだと信じていた。まさか1日だけなんて!私のメンターは、エジプト出身で今はアメリカ人。でも、エジプト人としての誇りは持っているので、いつもお宅に伺うと、エジプト人歌手のビデオや、音楽や、エジプトの家庭料理を味わえる。アラビックの字幕や、古代エジプトの文様の飾り物(沢山の人が横向きで並んでいる、あれね)で、独特の雰囲気をかもし出す。でも、友人の大家さんはアメリカ人。アメリカ人のサンクス・ギビング・パーティも見て見たい!^▽^結局、メンターの家に行き(やっぱりはずせないから)なんとなく帰れそうになったところでおいとまして、友人に電話するも、やはりそちらももう終わっていた。仕方ないので、友人3人でバーに行き、飲んで喋った。いつも関心するのだが、パーティというと大量の料理を作ってそれを10人以上の招待客に振舞う。もちろんそれに伴って大量の洗い物もでるのだが、それを手際よくこなしていくのをよく見ていて、ただただ関心するばかり。彼女は大学の教授。責任ある職も沢山かねて忙しいのに、いつも元気に明るくこなす。もう孫も二人いるおばあちゃんだ。私もこんな風に、頻繁にパーティを開けるようになりたいなーって思う。ここ数年は学業にかこつけて、料理も最低限のことしかしていない。とても人を呼んで食べてもらう自信はない。まあ今は学業に専念して、少しずつ、腕を磨くことにいたしましょう。パーティは、来た人たちと食べながらお話したり、ビデオを見たり、犬をからかったり、のんびり、ゆっくりのほかほかパーティでした。知らない人と話をする機会が得られるのは、パーティならではよね。しかも子供や、年上の人たち。日ごろはあまりそんな機会の得られない人たちばかり。とにかく、初、生アメリカ、ハロウィーン&サンクス・ギビング体験でした^▽^
2005.11.27
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今、サンクス・ギビングの休みの週に入り、9月から走りっぱなし、課題に追われっぱなし、そして英語に少々溺れかけていたDavinaは、ここ数日間で、かなり充電に成功している^▽^多分、先月末から今月初旬ごろが、今学期の山だったと思っているが、休み前は、もう英語が消化不良状態で、下痢気味だった。。。T▽T;なんといっても、院のセミナーで、9本の論文を1週間でまとめてプレゼンしなければいけなかったのが効いた!私の大尊敬する教授の前、人生の中で一番かっこよく決めたかったプレゼンが、人生の中で一番かっこ悪いプレゼンとなってしまった。。。;;TーT;;全部、興味ある聴覚認知と音楽療法についての論文、せめてもう1週間あれば、なんとかそれなりにまとめられたのだが。。。ともう何度も愚痴ったが、自分の実力をもっとつけて、次回に挽回しよう、と何度も自分に言い聞かす。そんなこんなで、中休み。それでも休み明けのプレゼンや課題の準備をしているんだけど、ルーム・メイトが、ボーイフレンドや友人たちと楽しんでいるのを見ながら、私、結構勉強を楽しんでるじゃん♪^▽^ということに気づき、ちょっと安心する。*****************************米国に来て、もうすぐ5ヶ月日本食の材料があまり見当たらないので、日本食は全然作っていない。いつになったら恋しくなるのかなーっと、ちょっと自分でも楽しみにしていた。この間、日本人の友人から2回おにぎりをもらい、すし屋へ2回食べに行き、かぼちゃの煮付けを1回もらった。結構食べている(?!)そろそろだろう~と楽しみに(?)していたら、恋しくなったのが、日本料理ではなくて、なんと、海だった。。。。。。。。。。。以前の日記で、何度も書いたが、私には海の水平線の見えるお気に入りのカフェが日本にあって、そこは、私の魂の洗濯の場所になっていた。ところが、ここCOは山岳地帯。我が美しい都市は、富士山と同じ標高に位置する。海ではなくて湖や、川よねー。。。し、しかし。年間300日晴天のとても過ごしやすい気候の場所、雨が少なく、雪が沢山降れば給水は大丈夫だけど、少ないと、夏に節水制限がよくあるらしい。それでもスプリンクラーが週に3℃も稼動するって、どーよ。ま、それはいいとして、昨年と今年の初めはとても雪が多かったらしく、街は緑に溢れていた。これが少ないと、結構木々や芝生が枯れているらしい。それは、夏真っ盛りのときに、芝生が枯れはじめていたのを見たので理解できる。当然、豊かな湖よりは、池の大きいもの、というのが、ロッキー山脈の中の公園に存在するのだ。途中の山道で、川を見れることはとてもまれ。見れて1本。川の存在を示す「跡」は確認できるけれど(夏にハイキングとかに行くときね)。親しい人々や、お気に入りのレストランや、美味しいもの、そして当然風景など、なるべく比べないようにしていた。ここには、ここの良いものがあるから、別のものなんだーって、自然に思っていた。だけど、まず最初に「不足感」を感じたのは、「海」!!!!!「水」!!!!!!!!!カリフォルニアに住む友人に言ったら「まさか最初に海が恋しいって言うと思わなかったわ。」って言ってた。そりゃそうよね。私の永住するところは、多くの人がそうなように、大きな水辺のあることろだわ。。。今年のクリスマスから新年にかけて、カリフォルニアに住む友人夫婦のことろに行くので、そのときたっぷり、海を見てこよう^▽^
2005.11.23
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Nuerological Music Therapy, which is researched at my university. The professor I respect for 3 years has been leading the group here and trying to prevail it. Around 2weeks ago, I saw the video of music therapy that he established emphasizing rhythm in music. That was the training of a brain injury person who could not walk properly, keeping unbalance. However, when the music adjusting the patience played by an autoharp, he started walking rhythmically and stably in spite of his slow pace.One student said, "Amazing!" Some persons didn't seem to impressed by the video. It was so natural that they didn't differentiate the difficulties. But I know that the individual with experience of serving people with handicaps can realize the hardness to affect them correctly. As for me, I just moved the video as I saw it. I read the paper that the video showed in an academic journal three years ago when I started writing my senior thesis at my university. The excellent paper surprized me, attracted me, and invited me here, the middle of Rocky Mountain!!! Three years ago..., studying abroad was not in reality for me due to my English ability, age, and funds. It was just dream at that time. However, I am in here certainly, and even receiving a scholarship!!! I like the professor as well. When I met him actually, I liked him soon. It is very important because the first impression is almost correct. Among men, some persons are negatively sensitive to me from the beginning of meeting, although I don't have any feeling to them. At the same time, I can make a good friendship with a man who I like it. But I should not think about it profoundly.In addition, the interest part in Neurological Music Therapy is still not common. This fact will be shown two divided ways; one is to appeal my research to the professor strongly, and the other is to withdraw him from my interest. I need a careful preparation to proof the evidence. Yet, what I have researched in Japan is closer his research area than I'd expected. Perhaps, the more get knowledge to the system he has been created, the more finding the common things I am!!! Moreover, in the future, PhD course seems to set up at this university. Currently, I started considering about a doctorial course because Master Degree has not big power to academic areas! As my research is not common and familiar area, I don't have strong persuasion to people with higher degrees. I went through the fact enough in Japan. Also, my explanation was not so good! Acquisition of PhD will become the high-powered if I succeeded to show the evidence of my research. Actually, I was given advice from friend transfering the major such as psychology and would ask the professor to be still an adviser after that. I don't need to do such a thing, however, if PhD course will be planed to be created. I really suspected my ears when I got the information from a man who is close person of the researcher. I believe God's will that recommended me Music Therapy 9 years ago, introduced me to a university in Japan which invited a professor who guided me based on Developmental Psychology, gave me the scholarship which can help my old parents funds and to be aware of Japanese, guided me to the university where the first-class researcher will be my supervisor, and will be possible to get the highest study! I have always experienced that only music therapy is giving the way to go forward to the future. If it is God's will, the course of study will be able to stream smoothly and if it's not, I will meet the impossible.I expect that my life is going to the interesting way!!!
2005.10.18
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Knowing the plan I will have to make presentation in the class, an American classmate who I sometimes talk offered me before the class, "I will be able to check your English of PPT & script." I was really glad to hear that. She walked her seat not near by my place. Her English is not fast so I can more understand it than others'. In other day, she said as well, "I cannot imagine if I made a presentation using the second language!"Every time I asked her some questions, she answered kindly. Of course, almost all in my class do the same but she is always careful to make me clear in the point I asked. We promised instrument exchange, which means that I teach her how to play the piano, and she teachs me how to play the guitar in our requirement class. She majored in the guitar but is not good at playing piano. That is good idea! And I will be able to make a relationship with her more!I believe that I will be able to make relationships her & her friend but sometimes I cannot understand their English in conversation so I sometime don't have full confidence to join it. I feel sorry about it to them. But I am improving more and more so I think I need to be patient a little bit. Anyway, if I stood the opposite situation, I would do the same thing as what she gave me!
2005.10.15
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I completed my presentation in a seminar today! I am so happy in comfortable tiredness now. Actually, I have devoted to studying and preparing the presentation, quizzes in 2 classes and reading assignments during the last 3 weekends. I have not slept enough for a week as well. I wonder, however, why I don't have any negative emotion. It was big tusk for me but it is not problem. The main reason I am pressed for time is still awkward in my English. The content is not difficult, but operating English has problem. However, passing almost 3 months, I am getting used to speak & listening to English before. Recently I often noticed when I spoke English with my friend, my rhythm in English runs well and listened to TV, I surely could understand it before. Remember, a child speaks his/her own language strangely when they are too young. I think that I am tracing the same way. The fact that a person who learns the second language is evidenced the very similar way to a native child. Interesting!I am not afraid of my awkward English. On the contrary, I am enjoying the imperfection. Why? Because I have observed the transition of the development of my ability to English! At the same time, I am supported by my friends. One Philippine is still talking to me, although she met a lot of embarrassment regarding my English!But I have one desire. That is, I speak France fluently as well! The language has different rhythm both Japanese and English. As I am interested in the language rhythm, it is essential?!? That is why I'd like to master it. I am serious a half. Anyway, I am glad to know that I don't suffer the limited English. Through this observation, I may get the significant information in development!?!
2005.09.22
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英語のリズムは、日本語のリズムに比べて、一区切りが長い。単語ひとつとっても、日本語が「4」刻むところを、英語は「1」だったりする。日本語は、とても細かくリズムを刻む言語なのだ。<例>スポーツ 日本語:す・ぽ・お・つ=4刻み 英語:スポーツ=ポにアクセントで、1刻み渡米して2ヶ月、最近、この英語のリズムに身体が乗れる、ついていけるのを実感している。以前は分からないと、英語が頭の上を通過している感じ、要するに自分の身体から全く分かれている感じがした。しかし今は、細かい内容がとれなくても、全体の言葉のリズムに載っている、追っていけるようになっている。すると不思議なもので、相手が何を言っているのかが、おおまかに分かることが多くなってきた。何でこんなことを事細かに説明しているか、というと、私はこの言語のリズムが関心の的だからだ。発達心理学的に言うと、赤ちゃんの言語の獲得の段階として、まず何よりも最初に、言語のリズムを体得する。そしてその後、音素(言葉を構成している細かい音:子音や母音)を獲得してくるらしい。不思議じゃない?だって、まずひとつひとつの音を体得してから、単語や文章のリズムを体得していくのが自然なように思えるから。。。でも考えたら、ひとつひとつの音、日本語なら50音、英語ならアルファベット、は、正確にリズム(時間)を図ったら、違うことは容易に想像できる。特にアルファベットは、OとBとは耳でたやすく知覚できるくらい、リズムが違う!以前、Noemie*さん(相互リンク張ってます♪)とこの言語のリズムの話をしたが、英語のリズム、フランス語のリズムにのって話すと、大変相手の反応がいい♪多少文法がくずれたって、単語の選択を間違えたって、会話がスムーズに流れやすい。しかし、このリズムを大きく崩すと(一番てきめんに分かるのは、細かくリズムを刻んだとき)、相手の興味がそれるのがわかる!遅くても、この息の長いリズムにのっているのはOKだが、速くてもぶつぎれになると、相手の集中力が切れることが多い。うーん。面白すぎる。。。。。。。^ー^耳が自然に英語を聞き取れるようになるまでの過程を自分を実験台にして観察しているのも、なかなかいーものだ♪^▽^♪これでますます自分の研究が面白くなってしまう。リーディングもプレゼンもどんとこいっ!・・・・・と泣きながら言うDavinaなのであった。。。T▽T/~~~~~~~~~
2005.09.04
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音楽療法の秋セメスターの講義が始まった。目指すはGPA 4.0♪以前どこかで聞いた言葉に従っての目標設定だ。「世界一になろう!と思って、日本一だ。」中学のときに通った塾の先生も言っていた。「120%取ろうと思って、100%だよ。」ということは、最初に(70%でいいや)と思ったら、50%くらいってことかな。なのでついでに、"Outstanding Graduate Student Award"を卒業時にいただくことも決心する♪♪♪^▽^そして、私が3年前から尊敬しているDr.Tに、講義でやっとお目にかかれた。背が高く、低音の響く声でちょっとぼそぼそと話す、澄んだブルーの瞳のおじちゃんだ。写真よりも数倍良い♪^▽^/おまけに、テキストにもなっている彼の最新本は、私が知りたいこと、興味のあることのオンパレード!こんなに自分の真ん中にくいこんでくる研究者もめずらしい。。。^▽^♪♪♪すっかりごきげんなDavina,しかし物事には全部良いということはあまりない法則に従って、そう、このナイスガイDr.Tの英語がドイツ語訛り、しかもぼそぼそと話すので、International StudentなDavinaは、大変聞き取りが難しいことに気がついた。。。T▽Tそのことは、1回目のコース案内から容易に予想できたので、テープで彼の講義だけは録音した。そしてそのテープを、家に帰って聴きなおし、ノートをもう一度上から埋めていく。4時間くらいはかかっていると思う。こういう聞き取りにくい先生に限って、テキストが無い。。。;;;T▽T;;;でも!テープを聴いているうちに、結構面白くできることに気がついた。英語が聞き取れたらノートが埋まるので、耳が英語を聞き取ろうと集中する。その後にルームメートと喋ったら、いつもよりスムーズに話が流れた。これは、先輩たちが言っていたのと同じ状況になっている!彼女たちも最初は聞き取れなくて、テープを録音し、それを家に帰っておこしていたそうだ。その時の講義ノートは、今でもとても重宝しているそうだ。何しろ基礎が満載なのだから!一番重要な教授が「ぼそぼそ」のおかげで、もしかしたら彼の授業は隅々まで勉強できるかも・・・?!?とにかく、やっと始まった音楽療法のクラスである。そして今気がついたのだが、「留学したい」と思ってから、10年の歳月が流れていた。それはまだ、日本で音楽療法に出会う前である。人生って面白い。あのとき、あの決断をしていなければ、今の生活は無いのだから。。。!とにかく、納得できる勉学・研究生活になるように努力しようっと♪
2005.08.26
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見知らぬ土地に来て、自分の馴染んだものに出会うと落ち着くものだが私の場合、それのひとつに、カソリック教会がある。私はカソリックに改宗してから10年くらいになる。旅行に行ったりすると教会をのぞいてみるが、今回のように長期の留学になると、ミサに参加することがものめずらしさ以上に大切な意味を含んでくる。慣れない場所、自分とは外見の違う人々が沢山いるところで、似たようなプログラムで進行していき、英語がよく理解できなくても、聖歌集があれば歌は歌える。そして、途中でお互いに挨拶することも日本と同じ、またそれが、くすぐったいような嬉しさだ。アジア人はとても少ない。だから私をじっと見る人もいる(子供などには結構多い)。でも、それでも笑顔で挨拶してくれる人も多い。そんなとき、私はとても幸せになる♪カソリックの信仰が、会わなかったかもしれない人々と結び付けてくれた、ということ。正直言うと、私はそんなに熱心な信者ではない。キリスト教の信仰は祖父母の代からで、高校生くらいまでは、親の圧力で行っていた部分もある。しばらく離れた時期を経て、興味本位でのぞいた東京のカソリック教会で、とても素晴らしい神父さまに出会った。決して宗教を押し付けない、自然体の頭の良い方だった。「自分たちが一番」という教えに辟易していた私は、今は自然なかたちで頼っている感じだ。こんなことを書くと熱心な信者さんから怒られるかもしれないが、私は教会内の美しい飾りを見て落ち着き、オルガンの音や聖歌隊の歌声を聴いてリラックスする。そして私も歌うと、それがまたとても気持ち良い♪そして更に良いことは、ルームメイトの友人のイタリア人に誘われて、聖書のことばについてのディスカッション・ミーティングに参加していることだ。そこにはイタリア人、アメリカ人、フィリピン人たちがいる。教会に行くことがなければ、決して出会ってない人々。その人々と、英語を使って、幼いころに学んだ聖書の中のことばについて、自分の意見を語り合う。全くじめじめしていないのは、話を沢山する習慣の彼らが主催しているからだろう。皆、本当に純粋な気持ちで語り合う。変な告白めいた話し合いにはならない。いたって自然。本当に利害関係なく話しているとき、外見は大きく違うけど、人間ってやはり、その人の持ち味で付き合うんだなー、って思えるのがなんか嬉しい。世界共通のものって、いいね。私の所属している奨学金団体も世界各地にあるが、人種や国境を簡単に超えて、お互いの心に近づけるのが幸せだな~と思う今日この頃である。楽譜が読めるのも強力な国境越え。英語でまだ言えなくても、楽譜があればがんがん歌えちゃうもんね^▽^場所が変わっても自分のコアな部分が保てるのが、とても嬉しいDavinaであります。
2005.08.23
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学校の先生はもちろんのこと、挨拶の後に必ず名前をつける友達、クラスメートたち、眼鏡を買いにいって、名前が分かると名前を呼ぶ店員さん、果ては、銀行員のひとびとうーん、嬉しい習慣じゃあないですか ^▽^私はというと、あまり名前を呼ばないことに気がついた。横文字の名前を呼びなれていないことと、無意識のうちに、そんなに親しくないのに、ファースト・ネームを連発してよいのか、というためらいがあるのに気がついた・・・!日本では、かなり名前を呼ぶ方なんだけどね。女性の場合、ファースト・ネームをちゃんづけで呼ぶのが好きなのね。きっと、子供と接する仕事が長いから、そのくせだと思う。そしてその影響で、苗字よりも名前の方が覚えやすかった。しかーし。こちらに来て、名前の覚えにくいことったら!中にRの発音が入った微妙な音ならば尚更覚えられない。でも挨拶してくるときって、最後に名前をつけて私に言ってくれるのよね。”Good morning, Davina!”のように。私はこの名前を付け忘れてしまうことが多くて(”Good morning!"だけ)、これはひょっとして、せっかく名前を呼んでくれた人に、ちょっとそっけなく聞こえるかも~と、最近感じるようになった。でも、眼鏡を買いに行って、カードのサイン後に私の名前を知った店員さんが、”Davina, brabrabra"と言ったときは、「お義理」な感じがしたが銀行に行って、私の口座の使用履歴を出してもらう依頼としたとき、とても美人な窓口の女性が一番最後に”くらーく、くらーく(?)”と、すごく聞きにくい発音の言葉を何度も言った後、ちょっと間をおいて ”で、あなたの名前は?”と聞かれたときは、ちょっとびっくり。もしかして、自分の名前を名乗って、私の名前も聞こうと思ったのかしらん?私が名前を答えると、その女性は満足したように”じゃあこれで全部かしら?Davina?"と呼びかけてくれた。こんな雑用な仕事なのに、こんなにフレンドリーな関係を築こうとしてくれるあなたは、、、、、、なぜ?^▽^???嬉しかったが、さすがにいきなり銀行員さんのファースト・ネームを呼ぶのはためらわれて、ありがとう!だけ言って帰ってきた。うーん、椅子に座って対応する方なら分かるけど。。。そう思っていたのだが、別の日にまた銀行に行ってみると、別の美人な窓口のお姉さんが、再び私の名前を聞いた ^▽^!分かったわ。これから大学の銀行の窓口に行ったら、”Hello, Mary!"なんて名前を呼んで話を始めよう!なれなれしくないか?と反射的に思う自分に気付くと、「くすっ」とかする。しかし、皆同じような名前で、覚えにくいのよね。。。
2005.08.18
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日本ではアマゾンを愛用していたので、USでも早速活用している。ところが、日本アマゾンは3,4日で届くのに、USアマゾンは、1週間以上はザラなことが発覚してきた。。。^ー^;学期の始まる前に、一通りテキストに目を通しておくことを先輩からアドヴァイスされ、早速集め始めたのが8月頭くらい。中古、新品を大学の書店の値段と比較し、安い方を注文する。1冊5000円、一番高いもので1万円くらい。厚さ2cmくらいだったりする。。。なんでこんなにテキストが高いの?!?(T▽T)?そして、なんで大学の本屋で買うと、5ドルも税金がかかるの?!?(T▽T)??その$5を払わずにすむUSアマゾンに注文したのだが、これがちょっと失敗だった。。。10日たってもテキストが届かない。。。そして授業まで、5日しかなくなってしまった。。。。。1週間たったあたりで「やばい」と感じ始め、その対応策としてとったのが、本屋での立ち読みだった(^▽^)/どうせ沢山あるテキストは、アウトラインの部分やサマリーの部分を全体的に流し読みしている。ならば、本屋の立ち読みなんて、そのようなざっと読みにすごく適しているじゃない♪(^▽^)♪♪そう思ったDavina, 今日で3日目、5章までアウトラインを読んできたー。この1時間くらいの時間が、結構勉強になることに気づいた!目を早く動かして英文を読み取ろうとする。必要な細かい部分だけじっくり読もうとするので、無駄が無い。そして短時間で読もうとするので、かなり集中して、自分の世界に入り込む。その後は気持ちよい疲労感~~~~~^▽^しかし、さすがに3日目ともなると、私の存在に気付かれたらしい。今日私が読んでいると、スタッフが寄ってきた。「何かお手伝いできることはあるかな?」これって、うろうろ迷っているときによくスタッフにかけられる言葉。でも私は、微動だにせず立ち尽くして読んでいるのだ。なのに来た。今日は1時間をゆうにこして1時間半くらい立ち読みしてたみたいだ。だって、その後15分くらいして別のおじちゃんにもう1回声かけられたときは、「もう閉まっちゃうよ。」というお知らせだったんだもの。シャッターが閉まる音も聞こえなかった。。。^ー^;;;というのも、この本が私が指導してもらいたい教授の最新版で、もう自分の研究分野に役立つことばかり載っていたからだ。おー、私の目に狂いは無かったわ!やっぱりこの教授のもとでしか研究を深められない♪明日も読めるかなー。テキストを片手に1時間以上、3日もくるアジア人Davinaをスタッフはそろそろ追い出しにかかるかな?でも、USアマゾンの遅い配達網のおかげで、英語の流し読みの練習ができるとは夢にも思わなかった。転んでも、ただでは起きてはなりませぬ。^▽^♪・・・でもこれ、授業に間に合わなかったら、書店で買うはめに、そして遅れてきた本を売る羽目に、なるのだろーか。。。アメリカは広いから遅れるの?それとも、そんなサービスするつもりは毛頭無いの?
2005.08.17
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USにきて、この言葉が人々にとってとても大切であることに気づいた。最初に聞いたのは、私の所属している団体のメンターO(世話役のような人)が、私のことを「Davinaは、independentな女性ね!」と言ったときこの最初のときは、Oが自分のメンターの仕事をおざなりにしていたのを誤魔化すための言葉に使われたかな。彼女に連絡が取れないので、私が自分でするしかなかったからだ。でも2回目は、銀行口座を開いたか聞かれて「開いてるよ。」と答えたとき、再び褒めるように言った。「本当にあなたはindependentね!」銀行口座くらい誰でも開けるでしょ、と思ったが、同時に私の感じたことは、(なんでも一人でやって、頼らないのね・・・と思っているのかしら)という、悪い意味が含まれているかもということ。ところが、先日、語学学校最終日にスクール・トリップで博物館に行った時、運転していた学校の責任者の一人のアメリカ人女性も「アメリカ人はindependentしているから・・・」と言った。それがとても印象に残った。詳しくはこうである。何台かの車に生徒たちが便乗して、日帰り旅行へ行った。ナンシーの運転する車に、私を含め、3人の生徒が乗った。私は助手席に座っていて、皆といろいろと話をしていた。そのうち、高速道の沢山車を見ていて、私は前から感じている(地球に石油が無くなったら、この車がないと生活できない環境にいるアメリカ人は、どうするんだろう?)という疑問が、再びむくむくと湧き上がってくるのを感じた。車が無いと無意味なところに沢山ある家々。エコカーが、石油にとって代わるくらい便利になるとは、コスト面等から考えて、ずーっと遠い未来か、不可能に近いかも・・・なぞと、ここに来てから考えていた。私はナンシーに聞いた。「もし世界中の石油が無くなったら、アメリカ人はどうやって移動するの?」するとナンシーは少し間を置いて、力を込めて答えた。「アメリカ人はindependentしているから、行きたいところへ行きたいときに車で行くのよ。独立しているから!」そう言って、independentのところで、言葉のリズムに合わせて右手でハンドルをどん(inde)、どん(pendent)と叩いた。ちょっとびっくりした。答えになってない、と同時に、車で移動することのベースに、”独立・自立”がある、という予期せぬ答えに驚いたのである。そのとき、アメリカ人にとって、独立戦争を経て勝ち取った自由、独立という精神がいかにしっかりと根付いているのか、ということを直感的に悟った。そうか、これが彼らの誇りなんだ。日本人の私には全く思い浮かばなかった答えだ。ちなみにナンシーは、ずっと後になって、「アメリカ人は忍耐強くない(inpatient)。行きたいときに、すぐ行かないと気がすまない。バスをのんびり待つなんてことはできないのよ~。」と咎めるような口調で言っていた。変に強調し過ぎたとでも思ったか?ナンシーは、ヨーロッパでの経験の長い人だ。ヨーロッパは鉄道が発達しているから良い、と付け加えた。その前の、「東京は3分に1本電車がくる(山手線だけどね)。」という私の発言を受けてのことだ。決して井の中の蛙でないアメリカ人ナンシー。でも彼女の口から力強く「アメリカ人は独立・自立しているの!」と聞けたことが、いろいろと不思議に思うことを解くキーになることは確かだ。日本語では「独立・自立しているね。」という言葉は、ある寂しさを含めて言われることが多いと思う。だから私は、ひとりでいろいろと行うことが嫌でないのにも関わらず(Davina is independent!って、褒められているのかな・・・)と反射的に思ったのである。この国民のメンタリティーの違いって、本当に面白い♪
2005.08.09
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日本から、ダンボール10箱以上送った、Davina。1ヶ月以上たって、続々と到着し始めた。わがアパートのビルは、大学の配慮によって、住人以外は入れない。よって、郵便屋さんも、小包や書留などは、そのたびに通知をする。そして、再配達してくれるか、こちらが郵便局に取りに行く。最初のダンボールが届いたとき、郵便屋さんが荷物をアパートまで配達してくれた。呼び鈴も無いので、電話を私に入れてくれて、それで荷物を受け取った。配達車から私の部屋の前まで少し距離があり階段もあったので、「ドアの前まで運んでもらっても良いですか~^▽^」というと、運んでくれたので、$1チップなぞをあげてみた。Davina、これですっかり荷物をアパートまで配達してくれると思い込み、その後にまたダンボールが来たときに、郵便局に電話した。「再配達してくださーい。」すると、配達できない、という。郵便局まで取りに来て、という。なんで?!おとといは運んでくれたじゃないの!しかも到着したら電話までかけてくれて!電話口で、早口のお兄ちゃんが何か一生懸命説明しているが、よく分からない。そのうち「ルームメートは英語ができる?じゃあ、電話するように言って。」それで引き下がるDavinaではなーい。「とにかく、アパートに配達してよ。着いたら電話してくれればいいじゃない。それができないの?じゃあ、土曜日一日家にいるから、持ってきてよ。なに、取りに来いって?だ・か・ら、私は車が無いから取りにいけないのよ!だから配達してよ。それなら、荷物をポストの前に置いておいてよ。構わないから!」車を出してくれる友人はいるのだが、なるべく迷惑をかけたくない。友人は女性だから、ダンボールを運ばせるのも嫌だ。とにかく自分で処理したい。半分切れ気味になって話して、じゃあ、荷物をそのまま置いていく、と話がまとまった(と、Davinaは思った^▽^;)ので、翌日楽しみに帰ってみると、”我々は、あなたのアパートにアクセスできないので、荷物を取りに来てください”また郵便局に電話する。「私の責任で、荷物をおいていっていいから!」というも、「それはセキュリティー上できない。」それで、受付のある、もうひとつのアパート群に転送してくれるように頼んだ。だいたい最初、私のアパートに着いた荷物は、そちらに自然に転送になると教えられていた。大学のルールになっている。なのに、どーして、こちらにばかりくるの?そう思った私は、今度は怒り口調ではなく、困った口調で電話で訴えてみた。そこなら友人に頼んで、授業後にとりに行って間に合う。ここまで頑と受け付けないのなら、こちらも友人の車を頼むことまで譲歩するよ。すると運転手に言ってくれ、という。おまえらが言った方がきくだろー・・・▼ー▼;;でも、ずっと郵便局に電話をしていて、どうやら日本のように上から下へと命令系統がすっきり通っていない感じだ。配達人に任される部分が日本より大きいらしい。私も電話での会話が100%理解できないので、自分の都合の良いように理解できたら電話を切る(なんだ、会話じゃないねー)。郵便屋さんは学校に行っていて捕まえられないので、ポストの前にメモを貼っておいた。これ、この今回の押し問答関係で2回ほどメモを貼っていたが、同じアパート群に住む、同じクラスの韓国人男性に、「メモあったでしょ。」と言われたので、皆に読まれているらしい^▽^;この2回目の3個のダンボールが来ていると分かってから、この時点で3,4日経過。毎日のように電話しているんだから、早く話しを通せよー、と思っていたがルームメイトも、その韓国人男性も、車を持っている友人も、皆、荷物が届いたら、自分で取りに行ったということに気がついた。。。。あれ、これって、普通は、こちらが取りに行くものらしい。。。。。^▽^;;;/それで、「転送してね!」メモを貼った日に、同時に郵便局へ行った。1個くらいは持って帰れるかも。私の荷物を見に行ったおじちゃん、「うーん。重すぎて持っていけないよ。歩きは無理だよ。何かキャリーかなんかないと(暗に車でおいでニュアンス)。」Davina「昨日、電話でここのスタッフと話したんだけど、もうひとつのアパートの受付まで転送して欲しいの!そうすれば、郵便局は午後5時までで、車を持つ友人が間に合わないけれど(あー言っちゃった!)、その受付なら午後6時半まで開いてるから間に合うのよ~。」郵便局のおじちゃん「明日、土曜日は?10-2時で開いてるよ。」土曜日は閉まっていると思っていたので、「わかったー」と行って帰ってきた。やっぱりSちゃんに頼むしかないよなー。悪いなー。でっかいの3個もあるよなー。それとも、「瞑想の会をしているけど、来ない?」と言っていた、日本にいたあのアメリカ人男性に頼んでみようかな?代わりに瞑想の会にでたら、ちゃらかな?でも、あの会、出たくないなー。いろいろ考えて、諦めて荷物を取りにいくことにした。だって、誰も配達してもらった人がいないんだもん。。。T▽T;;知らぬが仏とはこのこと。書留でサインがいるから、たまたま最初のときはついでにダンボール箱を持ってきてくれただけなのだ。なんだ、日を決めて、着いたら電話か、クラクション鳴らしてくれればいいだけじゃない。(あくまでも、自分は正しいと言いたい)友人にもその話を通し、1週間くらいのばして、全部到着するのを待ってもいいよなー、何かおごらなきゃなー、と思っていた。すると郵便局に行った次の日の土曜日の朝、電話がなった。ものすごい早口の局員が何が言っている。(こいつ、私が半分切れかかって話した奴だ)と話の内容ではなく、人物特定が先にできた。「あと30分くらいで持っていくから」すごい早口で、確認するまで時間がかかったが、早口で喋るくせに、こちらの遅い反応をずっと待ってくれる。持ってきてくれることがはっきり確認できたので「Thank you so much!!!」と言うと、「ん、じゃあね。」と切った。私が英語を聞き取れないのは覚えているはずなのに、早口でまくしたて、でも、こちらの沈黙、確認などのスローな反応はずっと待っている。一体、不親切なの?それとも親切なの?本当に言った時間通り郵便やさんが来たので、すぐ出て行って今度はビルの入り口までで置いてもらった。もう一個日本から届いていて、全部で4個の大きな荷物。「部屋の前まで運んで♪」とは今回は言わなかった。なんたって、皆は取りにいくんだからね。。。相変わらずの無愛想ぶりだが、でも、言えば運んでくれる。またまた$1チップをあげて帰ってもらった。普通、ホテルなら荷物1個につき$1だけど、公務員だからなー。でも、あれだけ配達しない、ましてや連絡はできない、と言い張っていたのに、突然どうして?転送するのなら、めんどくさいから直接もってきた方がいいと思ったのか、それとも、昨日話した、郵便局のおじちゃんから、歩きで持って帰ろうとした可哀想なアジア人、と話がいったのか?いずれにせよ、宅急便のように配達してくれて、これはこちらの郵便局において、ビップ待遇並なのに違いない!(日本なら当たり前なのにね)あれだけ取りに来て、と言っていて、電話をしてくれて持ってきてくれ、ドアの前まで運んでくれるアメリカ人って、不親切なの?親切なの?面白すぎるよ、アメリカ人!
2005.08.01
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日本って、やはり豊かなんだなーと最近思う。生活費、食費、レクレーション費など、日本に比べて断然安い。もちろんここは、田舎だからであるが。。。例えば、アパート。今大学のアパートを二人でシェアしているが、1ヶ月約4万円弱。それも、水道、電気代込みである。食費、ルームメイトも日本人の友人も、基本は家で作って、月に2万円強くらいに抑えられるという。レクレーション、例えばゴルフ、4000円弱で回れるらしい!そのうち始めてしまうかも。映画は、600円くらい。えええ~?自転車など、新品で7000円くらいで買った。そのスーパーで最低価格なもの。こんな値段で日本じゃあ、買えないよねー?ところが、タイ人、南米人、韓国人、台湾人は、「本国よりとても高い」という。今日、映画の値段の話になって、日本が飛びぬけて高かった。1800円。南米では、300円くらい、韓国では700円くらい。日本は水曜日にレディースデイで1000円ちょっとになる、といったら「それでも$10・・・!」と苦笑された^▽^;着ているものも、日本人は質の良いものを着ている。決してブランドではなく、Tシャツとジーパンと皆と変わらないのだが、小ぎれいな感じがする(あくまでも私の主観です)。学校の先生が「将来、自分の子供たちの経験のためにも、外国で英語を教えたい。お給料の良い国がいいわ。・・・日本とか。」国を聞かれて、日本と答える。南米はお給料が悪いという。以前スペインのバスク地方で、「日本人の給料はいくら?」と働き盛りのスペイン人男性たちに聞かれたことがある。「普通のサラリーマンで30万くらいかしら?」と答えると、「俺たちは10万だ。日本の給料はいいなあ。」と言っていた。人件費が高いから、物価も高い日本。最近は長い経済の低迷でもがいているが、それでも経済的には多くの国に比べて豊かなのだ。その豊かさが、環境の整備や、芸術・文化にまで十分反映するのは、あとどれくらいたってから、戦後どれくらいたってからになるのだろう。
2005.07.30
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日本を飛び立ってもうすぐ1ヶ月。USに飛ぶ5日前の深夜に、指導教官から投稿論文の直しが送られてきたので、何人もの友人の壮行会までキャンセルをせざるを得ない状態だった。その中で、恩師とだけはなんとか時間を作って会ったのだ。恩師といっても、学校の先生ではない。母の関係の父親のような男性である。ちなみに私は父親がいるが、それ以上に気の合う人なのだ。私の子供のころからのお付き合いだから、20年くらいの付き合いになる。その恩師Yさんと、一緒にお酒を呑むようになってから、何年も行った居酒屋で、そう渡米前々日に呑んで話した。その時、お開きの30分くらい前に、Yさんの泣いたような顔を初めて見たのだ。その居酒屋で、10数年前、私は辛い恋をしていて、Yさんに話して泣いていた。Yさんは、「誤解されるから、泣くなよー。」と困った顔をしていた。しかし、今、Yさんが泣き顔をしていた。ぽろぽろと泣くのではない。ただ、目に涙を浮かべて、赤い顔をして、話をしていた。「向こうに行ったらとか言うなよー。旅行じゃなくて、ずっといるんだろ。遠いじゃないか。」びっくりした。いつもYさんは、私を見守っていてくれて、応援してくれて、でもいつもうるさく説教して、私の前に立ちはだかる、強い頑固な人だった。けんかのようになって呑み終えたこともしばしば、かっこ悪いと私が敬遠した時期もあった。しかし、最近は歳をとったな、と感じはじめたことが、私に少しばかりショックを与えもしていた。私は、「距離は遠くても、メールも電話もあるから、さほど変わらないよ~。今だって、年に数回しか会わないじゃない。」と言った。するとYさんは言った。「俺が嫌なのは、Davinaが助けが欲しいときに、Davinaがそんなに遠くにいたら、すぐ助けてあげられないことなんだよ。遠すぎるよ。」・・・・「とても辛いことがあったら、そのまま帰って来いよ。人間、しなくてもいい経験というものはあるんだから。親が受け入れてくれなければ、俺のところに来い。飯ぐらいは食わせてやるから!」私の価値観や性格は、この人の影響を大きく受けている。今の私は、この人がいなければ無かったと言っても過言ではない。親子でもなく、もちろん恋人でもなく、兄弟でもなく、友人というにはまた違う感じ。20年間かけて築かれた信頼関係、それもほとんどYさんの忍耐の上に成り立ってだ。ボーイ・フレンドに話すと、ほとんどが嫌な顔をする。確かに、これはくつがえせないもんね。。。ずっと前は、私が泣いていた。それを恩師が受け止めていた。でも10数年たった今は、父親のようなYさんが泣いて、私がそれを受け止めている。自分が成長した嬉しさと、同時に歳をとった恩師へのいたわりの気持ち、それに伴う少し痛みを感じる感傷これからどれだけ話しができるのだろうか。
2005.07.27
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音楽に関して、ここに来てとても嬉しく感じることは音楽を楽しむ雰囲気がよく見られること。まず最初に少しばかり驚いたのは、大学の学生センターや寮の受付のところにピアノが置いてあるのだが、よくピアノを弾いている人がいることだ。ピアノが趣味らしい人ががんがん楽しそうに弾いているそれがカルチャーショックだった!^▽^;;なぜならば、人前で弾くのなら、間違えないで弾かなければならない、という呪縛に私が捕らわれていたからだ。。。ピアノの音がホールから聞こえてくる。人の足が止まる。人が何気に集まってくる。人がそれを楽しんで聞き始める。私も立ち止まる人の一人。その人は間違えたり、歌いだしたり、いろいろする。でも、弾きたくて弾いているのが伝わってくる。周りにいる私たちも音を聴いているうちにゆったりしてくる。多分これが日本だったら、「あ、今間違った。」「あんなのでよく人前で弾くわね。。ひそひそ。」と始まりそうなのが想像できる。上手くない人が人前で弾くのは、悪いことのような雰囲気。でも、音楽って楽しんで、それを共有しあうものよね。こんな基本的なことをここにきて改めて思うなんて!学生センターで弾いている人は、皆に幸せを分け与えているようだ。だから、私も、人が幸せな気持ちになるような曲で自分の好きな曲を弾いてみた。気持ちいいじゃない~^▽^間違ったらあきれられる、というのは、やっぱりそういう教育を受けてきたからでしょう。確かに本気で音楽を専門にするためには、それが必要。でも、それだから人前で間違わないようにに常に重点を置いていて、楽しむのを忘れていた私は、かごの中の鳥だったのかしら。同じように、野外でオケのコンサートが大学内であった。ファミリーでいっぱいで、皆な気持ちよく”音”を楽しんでいた。決して上手い演奏ではなかったが。。音楽って、本当に人をなごませるなあ♪
2005.07.26
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友人と母にお土産を送ろうと街へ行った。天然石(宝石、半貴石ではなく)のペンダント・ヘッドがここの特産のようなので、何かユニークなものをと思って探しているととあるネイティブ・アメリカンの工芸品のお店にたまたま入った。木彫りの像や、革製品、独特の焼き物、ターコイズのようなブルーの石を使った装飾品などなど、初めて見る工芸品をゆっくり眺めていた。あるペンダントがとても綺麗だったので、そこでまじまじと見つめていると、お店の人懐こそうなおじちゃんが近づいてきて、「説明しようか?」といろいろ話をし始めた。その中でとても興味深かったのが、ネイティブ・アメリカンの3部族、すなわち、ナボホ(Navaho)、ホピ(Hopi)、ズニ(Zuni)族それぞれに、アクセサリーの作り方に特徴があることだった。まず共通することは、シルバーを使用すること。次に、ナボホ族とズニ族はそのシルバーにスカイ・ブルーの石を多く使用することだ。ホピ族は、シルバーを二重に細工する。1.ナボホ・スタイル*Jewelry fit the stone: 石の台であるシルバーを石の形に合わせて加工する。なので、正確な丸い形ではない場合が多い。2.ズニ・スタイル*Stones fit the Jewelry:シルバーの台を先に加工してから、その形に合わせて石を加工する。なので、石の形が正確に仕上がる。3.ホピ・スタイル*Overlay Silverこの部族は石を使用せず、シルバーを二重に重ねる。上のシルバーはいろいろな形をくりぬく。下のシルバーはわざと黒めの色に加工する。それを重ねると、くりぬいた形のしたから、黒いシルバーが見える、よってくりぬかれた形が強調される、というもの。おじちゃんの説明が只者では無かったので、私もあれこれ質問しているうちに、上の話になった。ネイティブ・アメリカンの部族やブエブロという住居に関しては、TOEFLで幾度と無く出てきていたので親しみがあった。テスト勉強の際には、せいぜい紙に書かれた白黒の小さい絵しか見たことが無かったので、実際に本物の品や工芸品を見ていると、その文字づらがどっと浮かんできて、嬉しくなった。今日ほど、TOEFLっていい奴!と思ったことはない!^▽^/私は忘れないように、そのおじちゃんに紙に書いてもらった。部族の多さを順にいうと、1)ズニ 2)ホピ 3)ナボホ だそうだ。また、ナボホとズニは、皆が工芸品を作るが、ホピはある一部の少人数で作っているため、値段が高い。それで彼らは、”自分たちが一番優れていると思っている”と思っているのだそうだ。”スノッブ”とおじちゃんは軽口を叩いていた。加えて、お守りもナボホとズニは違った。ナボホは木彫りの人形だが、ズニは木彫りの羽に絵が描いてある。プレイ・フェザー(Pray feather)と言っていた。祈るときに使用するのだそうだ。アメリカにはヒスパニック(正確にこう言ったかは自身が無いが)、インディアン(ネイティブ・アメリカン)、そしてコケイジョン(白人)の3種類がいて、自分はコケイジョンだが、ズニの部落で育ったそうだ。そして、このお店は奥さんのもので、自分は手伝いに来ていると言っていた。聞かなかったが、きっと奥さんはネイティブ・アメリカンなんだろう。実は、このお店がネイティブ・アメリカンと分かったときから、複雑な気持ちで品物を見ていた。白人に虐殺されて、マイノリティーとして大変な苦労をしてきただろう、彼ら。その彼らがこうして自分たちの工芸品を堂々と売っていることへの、応援の気持ち。また、白人たちが英語のテスト(TOEFL)に頻繁に登場させることで、彼らの存在を伝えようとする努力。でも、今でも、立場は弱いだろう。私もアメリカの中のマイノリティーのアジア人として、これからいろいろと感じることもあるんだろうな、とも考えていた。私はその中の、おじちゃんの出身であるズニ族のネックレスを友人のお土産に買った。きっと彼女は、これを喜んでくれるに違いない。おじちゃんは、「またおいで。もっといろいろと説明してあげるから♪そう、クリスマスにもおいで。お祭りだから。」と私の名前を呼んで言ってくれた。本当はひやかしのつもりだったけど、自分の店の品物をあれほど愛している人の話を聞いて、買いたくならないわけがない。このような品物が似合う別の友人の顔も浮かんできた。その友人にもお土産にしようかな。
2005.07.23
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外食するものがほとんど、ジャンクな味がする冷凍ピザも、ジャンクな味がする加工してある食品が、ほとんどジャンクになっている印象をうけるやはりアメリカは、基本がハンバーガーなのだあ(T▽T)/だから最近は、昼食にサンドイッチを作って持っていく。だって、大学の売店のサンドイッチはジャンク味大学のミールコーナーは、ジャンクなものばかり。野菜を沢山とって健康的な食生活に慣れ親しんでいる私としては自分の身体にジャンク味はあまりなじませたくないわけでなので、ほとんど家で食べることになった。イギリスの食事がまずい?いえいえ、このジャンク・ワールドに比べれば、味のしないぐちゃぐちゃに煮た野菜たちがいかに貴重かわかるよーーー。少なくとも、あのフィッシュアンドチップスなんて、私にとってはご馳走よお。でも、ジャンクなせいで、家で作って食費が安くあがるの。ほとんど沢山入っていて、安い。例えば、牛乳約4Lで$3。オレンジジュースも同じくらい。水も同量で、$1.5。全てがこんな感じ。とっても辛い、とっても甘い、とってもしょっぱい、とってもでかい日本人の食に対するこだわり、繊細さ、美しさ、美味しさ、これって、世界に胸をはって誇れることは確かだわ。まあでも、このてきとーさが、まあ気が楽で面白いけどね♪
2005.07.22
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今回で2回目の体験となる海外の語学学校での学び。前回の経験から、発言の重要性は認識しているので、これは私の意見!と思った時には積極的にクラスで発言していた。先生もそれをとても評価してくれているようだったので、私は自分が、ディスカッションをかなり上手くできるものと思っていた。しかーし。先日、私は全員が必ずするディスカッション課題(1つビジネスに関する記事を選んできて、それについてクラスをディスカッションにリードする)を初日の二人のうちの一人として行ったのだが、大失敗してまった~~^▽^;そしてたちの悪いことには、私はそれを次の日、先生に個別に呼ばれるまで、成功した♪と思っていたことだ。。。^▽^;;;題材は「e-commerce:イーコマース、インターネットを通したビジネス」で、なかなか良いではないと持っていった。質問をいつくか持っていくのだが、持ち時間35分のうち前半10分はディスカッションだったものの、後半は、穴埋めクイズと化してしまった。それは、webでe-commerceをするための10ヶ条を皆に知らせたいがためだったのだが。私はいつの間にか、教師が生徒に一方的に教えるスタイル、または自分の研究をプレゼンテーショーンするスタイルに陥っていたのだった。。。途中で、「なんかディスカッションしてない感じ」と思ったのだが、慣れてしまったスタイルは変えられない。そう、ディスカッションをすることは頭では分かっていても、実際に身体や感覚が覚えていないのだ。だから、自分の意見をクラスで言うことはできても、ディスカッションをリードすることが、ほとんどできなかったのだ!身体が覚えているシステムは、コミュニケーション無く「教える」「教えられる」ことばかり。。。そしてその2つの違いも、先生に指摘されるまで、全く気にならなかったというわたくしT▽Tまあ、わりと自分の英語が上手くいったので、それだけで頭が一杯になってしまった、ということもあるだろう。ここに来て大分良くなったけど、到着した日は、何人かを困らせたわけだからね。先生:クレアは、「今回のディスカッションは、合格点をあげられないわ。でも、あなたはとても熱心な生徒だから、私も悪い点数をつけたくないの。だから、ディスカッション・プランを立て直して、私に提出して?そうすれば、きっとあなたは合格すると思うわ。」ありがたい~~~T▽T話を聞きながら、やっぱり直感(ドラフト作成している時点から、これはディスカッションから離れている?という声はしていた)に従うべきだな、と思った。もうひとりの南米の男性は、話がだらだら長いわりにも、ちゃんとクラスを自然にディスカッションに導いていた。当たり前のように。自分が受けてきた教育がそのままでるんだなー、ととても強く感じた日だった。ディスカッションは、Japanese-Americanの先生の授業中、それも1年間、くらいしか記憶がないもの。でも今回のこの大きな「びっくり」で、これからはちゃんとディスカッションとプレゼンテーションの違いに焦点を当てて遂行できるな、とも感じた。ディスカッションの快感をしみじみ感じる今日このごろである♪^▽^
2005.07.18
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とにかく明るくて、フレンドリー。これがアメリカに住むアメリカ人の第一印象。そして、本当におかしいのが、いたるところで知らない人同士、話しかけ、喋り始めること(^m^)バスに乗れば、向かい合っている席の誰かが喋り始める。そしてそれに応答してお喋りが始まる。客だろうが、運転手だろうが、関係なく喋る喋る。おじさん、小学生くらいの子供たちにまで話しかける。今日は何か難しい話をして、子供たちは白けていた。それでも話続ける^ー^;途中から乗って来たおじさん、子供たちに何かのパンフレットを渡す。子供たちそれを眺める。おじさんは遠い席にも関わらず、何度も来て説明する。そのうち子供たちの一人が、そのパンフについておじさんに質問しに行く!^ー^;;とにかく、黙っているのが苦痛なようだ。話しかけ洗礼を私はここに来る飛行機のトランジットの時に経験した!たった一人のアジア人の前の椅子に座ったおばさん、こちらに熱い視線を送っていた。途中で気づいたアジア人Davina, 思わず見つめ返してしまった。それが運のつき。話しかけられた。しかし私のリスニングは1回では聞き取れず、もう一度聞いた。それでもだめだった。そこで、よく分からないことを言うと、おばさん、なんか気が抜けたような顔。そんながっかりさせて、私は悪いやつね。。。T▽T;;;日本で沢山のアメリカ人に会って来たが、本国にいるアメリカ人は、やっぱりアメリカ人なんだな、と納得!(なんだそりゃ)明るい、という裏には、「雑」ということも隠されているのを実感しはじめているが、とにかく私も、彼らのテンポの中で応答しようとしている。面白いぜ、アメリカ人!!!
2005.07.15
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1年以上前から、いろいろと質問をしてコンタクトを取ってきた教授に会った~~~^▽^この教授は、メールを出すとすぐ返事をくれる人で、文面からも優しさが滲みでている人だ。音楽療法の本や論文で名前はちょくちょく見ていたし、webで顔写真も載っていたのでかなり親しみを感じていたが、アポをとって行く前はやはりドキドキだった。実際の教授は、笑った顔は写真通り(当たり前か!)、身長が私と同じくらいだった(私が大きいのね!)のと、かなり細かったのが少し意外だったが、履修クラスの説明等、丁寧に教えてくれたー。ずっと教えてもらいたい、と思っていた人と会えるのは、不思議な感じだ。私はそんなに辛抱強かったり、追いかけ続けるパーソナリティではないはずだけど、この学校に関しては、例外中の例外だ。あとは、私が一目ぼれした論文を書いた、本命の教授に会うのを待つばかり。秋学期のクラスでお目にかかれるだろう♪実際の研究では、2学期目からになるようだ。最初のセメスターは、取っていない学部の授業を取るからだ。ペーパーワークがメインになるといっていた。D教授が提示したクラスは5つ、14credits...T▽T日本でさんざん、取って4つが限界、5つは不可能、とTOEFLの問題でもでてきたのはどーなっちゃったのかしら?私がそのことをD教授に言うと、あっさり「大丈夫だよ。それに院では15creditsが標準だし♪」とおっしゃる。先輩に聞いても、私の番号だったら大丈夫じゃないか(学部の中でもそうハードでは無いとのこと)、と言ってたので、まあ心配は軽減したけどね。^ー^;日本で出す投稿論文の直しも同じ時期にかかってくるので、ちょっとびくびく。でも、どっちの先生にも逆らえません。。。Davina, 皆が言うように、泣きながら何とか乗り越えたいです。。。T▽T/~~~~~
2005.07.12
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The second day of Intensive English Program was suddenly difficult for us. M who was a professor in her country quited the class. I suppose that the content of the program was too easy and bored for her to continue studying. I agreed with her on the last Friday by using TV game program that constructed a amusement park. That was waste time because instructions did not show. As M complained the teacher, Clear, she listened to her enough. The reason for her drop stemed from the teacher's treatment. Anyway, our class consists of all asians, which are Japanese, South Korean, Chinese, and Taiwanese and brazilian. Almost all students look so young. I was a bit embarrassed. However, it doesn't matter. The most important point is to do my best in any way. To my surprise, I can manage English easier than before. Practicing TOEFL and public speaking at TMC may improve my English. In class settings, I can sometimes show my opinion well. On the other hand, in my relaxing time, I am often awkward in conversation with my roommate A. I feel that A sometime has confused time to talk in English. Yet, it's Ok, that's life!The teacher, clear is so emthusiastic that I am comfortable to understand English easier. On Friday, I felt that she was too young to teach me a little bit, but today, is OK. Perhaps, dropping of M affected her a bit.Losting M means losing the good opportunity to discuss toughly. However, I could find a Chinese man who looked smart replacing her.Although I was worried about my listening ability, I would take the discussiion tusk at first. I remembered that leader was a risk taker so I tried to do. I really want to take the leadership or initiative in my job in the future. I know I am not suitable for it but at least I should learn it.My goal in IEP is the fist person on the grade!!!
2005.07.12
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この小さな大学町ともいえる場所に着いて一週間、先に勉強している日本人女性たちに、本当に助けてもらって感謝している。私が初日にチェックインしたときの受付のトルコ人女性が、「日本人を知っているから紹介するわ!」と親切に電話してくれた。そして彼女が私のためにわざわざ、彼女の車を持っている友人に頼んでくれて、数日後、私を買い物に連れ出してくれた。そしてまた数日たつと、わざわざ向こうから電話をくれ、「今週は何か車がいることはない?」と聞いてくれ、またお世話になることになっている。二人とも院生なので、いろいろ私に必要な手続きなどを知っていて教えてくれる。またその他、彼女たちが経験したことなど、貴重な情報も教えてくれる。車を持っている女性Sは、「自分が1年前に来たとき、本当に苦労したから。」と言っていた。その苦労を少しでも軽減してあげたい、と思って気を使ってくれる。また、ルームメイトもとても親切な人で、必要なところは気を回してくれる。このAはマケドニア人で、今、物理学の博士候補生だ。生活習慣や食などが良く似ていて、私はとってもラッキーだ。皆に共通していることは、外国で数年間、一生懸命勉学に励んでいて、いろいろ楽しいことや大変な経験を通じて、1本筋が通っていてたくましい、ということだ。考え方も大人だ。そこが話していて心地よい。私は今甘えっぱなしだが、そのうち後輩などを迎えるようになったとき、彼女たちのように、当人の必要なもの(これが難しいよね。要らないことをしてしまいがちな私だから)をさりげなく援助できる人になれていることを願っている。つかず離れずの関係だ。だから付き合いに負担がない。学ばせてもらう人たちがいて、幸せだなあ。
2005.07.10
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Davina, 富士山の五合目と同じ標高のところで留学生活始めました♪自然が豊かで、とっても快適です^▽^ここでこれから数年間、尊敬する研究者のもとで音楽療法を勉強・研究・実践します。Positiveな思考で、でも自然体でいきます。皆さん、これからもどうぞよろしく^▽^/~~~~
2005.07.08
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渡米まであと1週間。子供たちとの音楽療法のセッションをやったり、友人たちと会って呑んで話したり、習い事の最終仕上げにがんばってみたり、身の回りの荷物を送ったり(船便でも、合計するとたかっ)、週末は弾く仕事をしたり、母と京都を旅行したり、英語の読み書きを復習する時間がついつい後回し・・・TーTまあ、それはともかくとして、留学することへの励ましの言葉やちょっとしたプレゼントなどが私をhappyにしてくれる今日このごろ先日、音楽関係の仕事仲間がくれた贈り物に、思わずうなってしまった'0’それは「雲の写真集」by HABUいろいろな表情の空の雲をとっているもので、そこには、海の水平線も映っている。私は風景の写真が好きだが、とりわけ、水平線や空をうまく取り入れてあるものが大好き♪しかし何でも良いわけでは無いので、自分で買うときもかなり気に入らないと買わない。しかし彼女が私にくれたものは、まさに私がはまる写真集だった。なんで私の好みが分かったの???!!!その日の一緒の仕事が終わった後、彼女から留学のお祝いとして貰った包みを開き、その中身に目を通したとき、私は思わずこう言ってしまった!私たちの仕事は、その日に一緒になるメンバーが分かる。朝、そのMさんと一緒になったとき、私がお気に入りの水平線の見えるカフェ(トップの写真のような)から見える風景の英語での表現の仕方をアメリカ人に聞いていた。彼女はその場にいて、その会話を笑いながら聞いていただけだった。その後に2時間くらいお互い分かれて、また最後の仕事で一緒になったのだが、その空き時間にわざわざ私のためにその本を(あとアロマオイルと、ナイスなカードもあった)用意してくれたのだ。私はこんなに私の好みにはまった贈り物を貰った覚えがあまりない。ブランド品や化粧品、その他流行物にもそんなに興味はない。景色の良い場所だとか、おいしい生のお魚とか、深い味のお酒とか、そういったプレゼントしにくいものが大好きそういったものにはかなり細かくチェックを入れてしまうので、いつも自分で選ぶようになったりする。なのに、この写真集・・・中3のとき、体育祭の練習で寝転んで空を見上げてその広がりを一人で感動していたり、卒業時の作文集に「無限に広がる雲が好き」とキザなことを書いていたDavinaそんな私の心をまるで親しい幼馴じみのように察して選んでくれたこの写真集は、私のアメリカ行きのお供になった。たまに仕事で会うくらい、面白い人だな、と思うくらいでとても仲良かったわけでは無かった彼女なのに、その勘のよさに恐れ入ってしまった。お茶するくらいの時間しかなく、今回ゆっくり呑む時間も無いのだけれど、これからいろいろと関わり合いになる人だろうな、と思い始めている。しかし繰り返すけど、あの少しの会話の中から、どうして私のこだわりや好みが分かったんだろう???人の気持ちを察する能力に長けていることだけは確かなようだ。しあわせ♪
2005.06.23
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着付け教室に通い始めて13回目。ほぼ、自分で帯まで締められるようになった♪^▽^先週、初めて着付けて友人と会い、足を組んで(?!)話すこと5時間、そこから1時間強かかる自分の家に帰ってみたら。。。着崩れしてない~~~~~v^ー^vお太鼓と二重太鼓、ほぼできるようになりました。この調子なら、USに行っても、1人で着れそうだわ。日本の紹介などのスピーチの時に着てみたら、やだー、強烈に日本をアピールできるじゃない♪街でちらほら見かける着物姿の女性、色あわせや襟の抜き方、素材、思わず注目してしまふ。・・・素敵♪私たちの着付けの先生も、60代の女性だが、とっても可愛らしい。初々しさがあるのだ。そして着物は、いつもセンスよく、素敵に着こなしていらっしゃる。・・・素敵♪♪ネットやリサイクルやさんなどで見てしまうと、欲しいものが沢山でてきてしまう。今や洗える着物も馬鹿にはできない。先生曰く、触っても分からないくらいだ、という。値段は洋服なみ。雨のときなどに、やはり必要という。海外で着物を着た人の話を聞くと、本当に喜ばれるよう。そんなに着物の美を外国人が認めてくれるなら、ぴしっと着こなしてキャプテン(クルージング時)の横に座らせてもらったり、子どもたちの"手をつなぎたい攻撃”を味わってみたいし、”いくらでもいいから売って!”と、言われ代理店の気分を味わうのも良いし日本の民族衣装のユニークさをアピールして、皆に気に入ってもらいたいですね。着物は八掛け(前の着物地の裏についている生地の部分)や、袖の前後、そして裾等、裏を見せるようにあつらえてあるが、世界の民族衣装の中でも、裏側を意識して見せることをするのは、着物だけなのだそうだ。とても独特な文化ですね。世阿弥が「秘すれば花」と言ったが、わざと隠してあるところを少しだけ見せて、その伏せてある部分を強調する、といった技は、本当に日本人らしいかもしれない。それが、以心伝心や、建前と本音、のようなことばやコミュニケーションのとり方にも表れているのかも。この曖昧さは、現在の社会生活においては、居心地悪くなることの方が多いのですけどね。なにはともあれ、着付け教室に通って、本当に良かったと思ってるわ。これで少なくとも、フランスに留学して着物を持っていかなかったために、「どうして着物を着ないの?!」と責められることもないでしょう^▽^;お茶の簡易な道具も持って行けば、話題に困ったときに助けになるでしょう。先輩たちがそれをやって、好評だったと伝え聞いているし。あんなに露出度が少ないのに色っぽさを感じるのも、不思議な民族衣装よね。*青山きもの学院(青山、吉祥寺、町田、その他)全16回で約10,000円。着物、帯は貸与。強制販売はありません。興味のある方は、下記へどうぞ。03-3409-1051
2005.06.09
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スピーチ・クラスに通い始めて3ヶ月め。今日は6回目のミーティングだった。トレーニング2回目のスピーチは、私のお気に入りの場所の話、絶対の自信を持って臨んだのだがほとんど撃沈状態。。。T▽T頭から英文がふっとんでしまった。人前で上がることはほとんどない私だが今日、上がり症の人たちの気持ちを知ったー。メンバーは皆、英語が堪能な仕事人ばかりつたない英語を聞かせて退屈してるだろーと思いきや私が顔を真っ赤にして記憶を辿ってとつとつと話している私の顔をじっと見て目が会うと、じっと見つめて頷いてくれる明らかに、「聞いてるから、続けて」というエールその会で活躍している人ばかりミーティングが終わって声をかけてくれる。励ましの言葉、明るい前向きな言葉ばかり。直した方が良い部分もしっかり指摘してくれるのがありがたい。私もそうなのだが、通常は、根拠のない明るい慰め方と失敗ばかりを強調して指摘してくれる方法それが多い。しかし、彼らの素晴らしいところは、好ましくないところを指摘した後、その改善策をアドヴァイスしてくれるところだ。あったかい言葉をいっぱいもらった。私が自分で「完璧に思い描いていたのにー。」と言っていたら良かった点をあげて褒めてくれ笑顔と励ましをくれた!だから、楽な気持ちで帰ってこれた。スピーチで自分の中がふっとんでしまったとき、一生懸命私の目を見つめて「聞いてるよ」合図を送ってくれたHappyKさんやKさんの目は一生忘れないと思う。終わった後、私に私の留学の話をさせてくれたAさん今度、farewell speechをアレンジしてくれた。好きなこと、将来のこと、何でも話して良いって言ってくれた♪失敗感で終わらせないで、もう一回チャンスを与えてくれたのだと思うTーT着付け教室の近く、ということで選んだけれど、本当にこの会のメンバーで良かった^▽^しかーし。失敗→成功→失敗と、私らしい結果かな。ホームランか三振か、そうとも言うかも~。
2005.06.08
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米国留学のための準備がほぼ整ったじぇい。いえーい。7月1日にJALでシカゴに飛び、それからUSの心臓部に国内線で飛ぶ。そして、そこからシャトルバスで2時間半(T▽T)ロッキー山脈まで約90kmの大学に到着う。エアOK, 寮OK, 1ヶ月の語学学校OK, ということで、向こうでのスタートはもうスタンバイOK!^▽^大学院のスタートは、8月中旬より始まる。昨年奨学金が決定してからここまで、特にトラブルもなく順調にやってきました。希望したことが、そのままストレートにくるのは私的には大変珍しい!なので、「やっぱりこれは、天職かしら♪」と考えて喜ぶDavinaであります。これまでの準備でいろいろなブログを参考にさせてもらったので、私も情報を集めている方々にお役に立てればいいな、と準備の手間などを書き表してみました。*生活面*1.予防接種州によって要求されるワクチンは違いますが、お医者曰く、MMR(はしか・おたふく風邪・風疹)、肝炎B・C結核は半年前くらいから抗体があるかどうかを血液検査(結核はツベルクリン反応)で調べて接種しておくことが望ましい、のだそう。昔に予防接種した、罹ったというのは、永遠に抗体ができるものでは無いのだそうです。尚、母子手帳があり、それにワクチン接種の記録がある場合、それを認めてくれる病院もあるので、要問い合わせです。抗体が無ければ[MMR] それぞれ1ヶ月空けて2回接種。ただし、1本打つとそれからの1ヶ月は他のどの予防接種もできないので、早めに検査すること。[肝炎B・C] 義務では無いけれど、看護婦さん曰く、自分のために検査をしておいた方が良いのだそう。肝炎Bは、1ヶ月おきに2回、そして半年後に1回の合計3回の接種です。ちなみに、肝炎Cは治療法が無いので、これは自分が把握するだけだそうです。肝炎Aは食物から、肝炎Bは性交等から移るようです。[結核] 日本人は小学校に上がったときに皆打っているので、陽性になるのが普通です。陽性になったらレントゲンをとり、何も無いことを医師にオフィシャルに書いてもらう、または、レントゲンを大学の保険課等に持参する指示がありました。USでは、結核反応に対して、異様にうるさいらしい。2.VIZA申請米国大使館のHPより、非移民ビザチェックリストと必要書類をダウンロードして、チェックリストに従って、面接に向けて書類を揃える。チェックリストの最後に、予約に入れる箇所あり。+必要書類(学生用)a.パスポートb.DS-156:完全にオンラインで記入後、プリントアウト。日付まで入れないとエラー。以下、記入式のものは全て同じ。c.写真(5×5cm):米国大使館の入り口に撮影する機械あり。2枚で1,000円。d.ビザ申請料のオリジナル領収書:日本円で支払い、$100。金額は各月単位で表示あり。e.DS-157f.エクスパック500(返信用封筒)g.裁判記録、警察証明(該当者のみ)h.クリアファイル(全ての書類を入れる)i.DS-158 j.I-20:学ぶ大学、語学学校から送られてくる。k.I-901 SEVIS費用確認書:オンラインで支払い可能。それをプリントアウトする。l.財政証明:英文で作成してもらう。学業最初の1年分の学費・生活費をまかなえる額と同じくらいの蓄えが必要。奨学金をとっている場合は、奨学金と合わせて、初年度の賄える金額を呈示する。m.成績証明:在学中の学生のみ。私は、One留学サポートというところに約1万出して書類を作成とアドヴァイスをお願した。でも、オンラインで書き込む書類を代わりに打ってもらって、その書類は私のもとへ郵送されてきた。職歴等は別紙にタイプしてあったが、特に経歴部分で沢山書く必要の無い人は、自分でもできるのではと思いましたよ。ただ、自分で書いて書き直しなくそのまま通るかどうかは分かりませんが。特に代理店にしてもらった人とそうでない人を分けている様子は、私には見分けられませんでした。でも確実に早くとる必要があるのなら、お願いした方がいいのかな。+申請時4月の金曜日に行ったけど、大使館の門の前にずらっと人が並んでいた。指定時間の15分前に行ってこの状態。門で、手荷物チェックを受けて入る。待ち時間15分くらい。中に入ると、建物の入り口まで人がずらり。そこでバイトらしき人たちが、書類が揃っているかチェック。写真をとる人多数。建物内に入るまで、約15分。入って、探知機で荷物と人間チェック。入ってすぐに、領事官と向かい合って話す小窓がずらり並んでいる。その前のソファに座って20分くらい。まずは書類を渡し、指紋を機械で採取(左人差し指→右人差し指)。面接をするために、またソファで待つように指示あり。名前が呼ばれ、小窓をはさんで立ったままで多少のやりとり。英語で半分、日本語でも半分。たいした質問では無かった。何を勉強するのか、とか、俺の友人もやってる、とか。最後に「~くらいで届きます。」と教えてくれる。ちなみに私は「1週間くらいで~」と言われたが、前の態度の悪い不動産屋の営業マンは、「2週間」と言われていた。4日で届いた。はや!3.国際免許警察署、運転免許場で手続きしてもらえる。+持ち物a.免許証b.パスポートc.写真(5×4cm:これが正確な大きさでないとうるさい)d.手数料約2,800円e.はんこ警察署なら、発行まで2週間くらい。免許場なら、もっと早い。引き取りには、引換券、または保険証などの身分証明書が必要。ちなみにクレジットカードはNG.・もし無事故、無違反期間が長いなら、自動車安全センターにて、英文の証明書を700円で発行してもらえる。USで車の保険に入るときに、掛け金が安くなるらしい。
2005.06.07
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「この団体に所属していて良かったな~って思うことは、皆で協力しあってヴォランティア的なことをすることかな。」「興味のある人はいいけれど、ない人には。。。(関係ない)」ずっと年下の友人、歌い手を目指して邁進している才能ある女性で、私の尊敬している友人たちの1人との会話である。私の所属している奨学金団体は、他の奨学金団体とは異なり、かなりヴォランティア的なことを推進しているところ。当然、OB, OGはそのための活動を奨励されることになる。先日、その一環でチャリティー音楽会がもようされ、私はそれのお手伝いに行ってきた。半年前からの準備、そしてささいなところから、最終的には大きな記念事業にまで発展したこの企画の進行過程を最初からずっと見てきた私はとても感動していた。何に感動したかというと、メンバーたちの協力体制である。皆さん、すでに社会で沢山の責任を追って働いている。その忙しい合間を縫って、分担して、この手のかかる仕事を大成功でやり終えた。これほど、協力して何かをすることの重要性を実感したことは今まであまり無かったと思う。そしてその企画によって、海外の援助を必要としている団体のお役に立てたということがまたまた嬉しかった。これをきっかけに、この奨学金団体に所属していて本当によかったなーっと実感し始めていた。今までヴォランティア活動は多かれ少なかれ携わってきたが、ここでは国境を越えてできるんだ、という新たな体験が私にとても希望を与えてくていた。そんな純粋な気持ちで、私は信頼している友人に話したのだが、彼女の返事が、ヴォランティア活動に対して、あまりにも興味が無いのが分かったので、肩透かしをくらったように感じたのだ。ヴォランティア活動は人に強制するものでは無いことは当然だ。興味の無い人を非難したり、責めたりするのはお門違いだ。今まで私が少しずつでもそれに携わってきたのは、私がそれをしたかったからだ。それをして喜んでもらえたり、自分の勉強になることが嬉しかったからだ。でも正直、私は彼女の反応を見て、心底、がっかりした。通常の友人ならばこんなにがっかりしなかっただろう。現に、多くの周りの人たちは、ヴォランティア活動をしていない。ただ、彼女は私の心から信頼する人だったので、私の気持ちを共有して欲しい、という強い思いが、ちょっとショックを与えたのだと思う。ヴォランティア活動は、いまだに日本ではあまり浸透していないようだ。私はたまたま、そういう環境に子どものころから触れることが多かったのであまり抵抗はない。しかし、あまりこのような環境に触れることが少なかった人たちの中でそれを偽善だ、と思う人もいるようだ。ヴォランティア活動をしている人たちは、心からして喜びを感じている人も沢山いるし、自分の問題をその活動に投影して、逆に迷惑な人もときにはいる。その、悪い部分のみをピックアップして、ヴォランティアを毛嫌いする人たちは、きっと、心から援助を求めている人たちのために活動している多くの敬虔な人たちをも知ろうとしないのだろうな、と感じる。イギリス人の友人の家に行ったとき、友人は、買い物で余った小銭を部屋の隅にある茶封筒に放り込んでいた。それには、小銭が沢山たまっていた。私は尋ねた。「貯金しているの?」すると彼女は答えて曰く、「募金するのよ。」私はちょっとびっくりしてしまった。その人はとても倹約した暮らしをしていて、沢山お給料をもらっているわけでもないのに、その中から、少しずつ貯めて、他の人のためにそれを差し出す。。自分の教会への献金も控えている私は、とても自分が恥ずかしいと思った。そしてそれを自然に行っている彼女をそしてその環境を羨ましいと思った。ヴォランティア活動と大きく構えなくても、日頃のちょっとしたことからすればいいのよね。私の個人的意見だが、自分の能力を使って社会に還元する、という視点に立ったとき、人間は一人前に成長した、といえるのだと思っている。ある人ができないところをできる人が補う。それが、できる能力を与えられた人の役目ではないだろうか。皆、自分のできるところは与えられている。まだ私のその有能な友人は若くて、競争率の激しい環境で必死だけど、彼女ならきっと、もっと大きくなったときに、そのことに気づいてくれる、私はそう信じている。
2005.05.31
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While I ate my lunch box sitting the bench in front of a small pond in the sunshine, my mobile phone rang. That was an owner calling me, who runs an Italian restaurant I am used to go. He phoned me at the first time, although I often made reservations there. I was a bit surprised but happy this unexpected guest during my lunch time. He said to thank me for the reservations and then he asked me to go to a wine bar he knows for a farewell party to me. I really appreciated his offer. My heart was singing and swinging by talking to him at the first time! I felt confident to build a good friendship with him although he was the owner meeting me just when I went to his restaurant. I sent him my e-mails and awaited his reply. However, when I saw his reply filled with his politeness the next day later, the time he asked me as a promise was upset me very much because it was 22:30-23:00, which meant after closing the restaurant. The offer made me ponder deeply. He seemed not to be particular about the late time promise without a secret intention. Yes, I knew his personality for over a couple of years. Above all he was a gentleman as well as honest and serious person. Yet, several memories came up to my mind from my past. My colleague and superior had taken unbelievable actions to me just before I quitted a company I had worked on and my bosses I relied on misunderstood my feeling of faith for them taking as a difference. I know I easily trust and open with men, which sometimes give men transformed meaning. Therefore I was very worried about the owner's real motive. How did I treat with him if he thought I was an easy girl? If I answered "Yes, I can wait for you after business time of you", woule he regard me as a poor woman? It didn't matter for me to promise the late appointment as long as he could stay with me until starting the first train service. But the way only allowed my close friend to promise, our relationship was still distant. Nevertheless, the friendship was getting closer so I didn't want to reply with stiff. I also supposed that it would give him a trouble by arranging his job time.Consequently, I sent him both answers of my ideas in a bit fun. That is, the one was to my familiar male companion and the other was to my unfamiliar male aquaintance. I guessed that he understood my bewildered mind. Unfortunately, I received his disappointed mail with a bit scornful. He reversed his proposal totally. I realized to lose his trust to me and felt his shock to my previous mail. I apologized and explained my situations through my past. Eventually, I discontinued my both bookings at the restaurant. In this time, I thought it over to judge the way of answering. I should've arrange the contents better by myself. However, I belive that a man should not offer the late time when he asks a female companion to go out at the first time as well. That is common sense even if he has a irregular time ranging for the job. As the time has gone by, I made up my mind to be broken our relationships building by dgrees for a couple of years.Ultimately, a mail was sent me by him the next day I had cancelled my advances. It said, "I received your withdrawals. I am sorry for not be able to meet you again. Please book the next promise in earlier time. I am waiting for you to come!" I was surprised a bit but it was expected before from the owner's personality. In addition, my teacher's remark was correct. It did not seem his real motive or just business talks? Anyway, I felt relieved and felt confidnet with development of our friendships! Can we drink nice wine before I depart for the US?
2005.05.30
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最近、これは一生の付き合いになるな~と思う人々を確認することが多い。*私の可愛い生徒たちとその親御さん。ずっと留学準備で1年くらいご無沙汰してて、最近再びセッションをしに行くようになった。彼らが、久しぶりなので意欲満々なのと、私もこの一年、いろいろと考えたり経験したりして落ち着いてきたのが、セッションをとても充実したものにする。アイディアがどんどん浮かんでくる。子どもがどんどん吸収する。あー、これもあと一ヶ月。。。こんなに調子良いのに、この状態で数年この子をほっぽっておくのか。。。親御さん曰く、「行っちゃうんですねー・・・。でも、音楽療法って年齢関係ないでしょ?だから帰ってきたら又お願いできますモンね。死ぬまでのお付き合いですよ♪」*研究に参加させてもらっているところの大学院生1年半ぶりに研究室に行って、その時にセッションした男の子が、ちょっとお兄ちゃんになって前よりも上手にいろいろな学習ができるようになっていた。「お勉強、頑張ってるんだねー。」本当は1回だけの見学のつもりが、アイディアがどんどん湧いてきてしまって、日本出発まで、何回かセッションすることになった。音楽導入で、子どもが湧いた。それの重要性を院生たちは認めてくれた。きっと、異分野同士で、私がギブアップしない限りずっと協力して研究を深めていくことができる。。。*お世話になっている大学の先生Japanese-Americanの女性の先生は、英語や異文化に対して困ったことがあると、すぐ親身になって助けてくれる。年齢もそんなに離れていないので、余計に親近感が湧く。本当はお茶に誘いたいけれど、なにせママだから、とても忙しい。そのうちお酒でも呑めるといいなあ。。。米国に留学したら、益々つながりが深くなりそう。臨床心理士であり、ドクターでもある先生は、私自身の話をよく聞いてくれてアドヴァイスしてくれる。この方には甘えっぱなし。授業にもぐりに行って勉強させてもらえ、帰り道では自分で判断の迷うこと、アドヴァイスの欲しいことなどを話して、それについて意見を貰う。本当に優しくてありがたい存在だ。精神面方面に携わるようになったら、真っ先にこの先生のところに勉強に行くことになっている。*行きつけのお店のオーナーワインやコーヒーの美味しいものを飲ませてくれて説明してくれて、その穏やかキャラがとても居心地良いお店にしているため何度も通ってしまうという方。最近、ちょっとした言葉の行き違いから人間関係壊れたかな?と心配したが、どうやら修復できる模様。友人でも誰でも、嫌なことがあって修復できた後って、より信頼関係が増すよね。そのパターンになるかな。*留学する仲間や、先輩たち何人かとは、とても心打ちとけて話すようになっている。目的が同じなので、未来を語ってとても嬉しい。また、体験してきた先輩たちは、広い視野と充実した人格とで、私に見通しを与えてくれる。サポートしてくれるおじさまたちも、同窓生だったりするととても親しみが湧く。多分、この団体とは一生付き合っていくだろう。それは私にとっては誇りだ。なぜならば、彼らのボランティア精神は私に希望と感動を与えてくれるからだ。自分も随分変わってきたと思う。今振り返ると、やはり私は自己中心に凝り固まっていたと実感する。それは自分が安心できるベースがなかったからだろうし、余裕がなかったからだと思う。でもこうして、”一生付き合っていけるな”と思える存在をひしひしと実感することで、彼らがより愛しくなるし、また彼らに負けないように成長して行こう、と思え自分を成長させる努力が自然とできるようになってくるからありがたい。古い人間関係に加えてこれら新しい発見は、双方が交じり合って新たな空気をつくりだしてくる。それをどのように調整して、より一層膨らますのは私次第。ネガティブな視点で処理しないよう、ポジティブ、ただし現実を踏まえた前向きさで、多くの大切な人々と協力しあいながら、未来に向かっていこう♪
2005.05.29
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When I spoke new scholar students as the experienced person in R club for a year, I noticed that I had been soaked in the wave of this voluntary group. I emphasized how different from other scholarship offices this group is and recommended to try to taste it fully from now on. I didn't talk about my preparation for studying abroad. That doesn't matter. I really feel keenly proud to belong to this organization. Therefore, I was disappointed at remarks my friend, Y said drinking together. She said that a person who was not interested in voluntary activities did not regard the scholarship as importance. Although she is an excellent singer, she still lacks of the significance in human life. Yes, she will be aware of it as she gets older in the future. Yet, her speech let me down profoundly. The help for the charity concert by the neighbor district affected me directly. In the middle of the preparation and cooperation by OB and OG I once seemed to throw cold water on their bond. However, I think that was necessary for protecting President M and warned Ms. K her misunderstand. Though my mail let me leave alone the day, the fear was utterly groundless. Of course we Mr. M, S, and I felt something delicate without words but I could be serenity with my confidence. Again, I believe that my action was needful. Consequently I obtained a lot of benefits that I learned OB/OG's widened views, how to keep my stance I believe, and how wonderfull people cooperate. Cooperation plays significant role on our lives. Actually, however, I have not felt important because of my selfishness. I want to stand out by myself on many matters. Yet, I can never do anything excellent without other's help which leads to cooperation each other. Losing another scholarship may teach me to distinguish the R club from others that don't do voluntary works. Perhaps my God made me feel important belinging to this club through delayed participation and failing to get another scholar. Now I really can believe that this organization stands firmly for a lot of missions for human beings in the world.Anyway, I am proud and happy to be a member of this international club. I will be putting my ability to practical use through my life in my music therapy. Thank God!
2005.05.28
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英語のメールを大学や通販会社等とやりとりするようになって気が付いたこと。簡潔、明瞭だと、返事がすぐ返ってくる確率が高くなる!丁寧な前置きよりも、そのメールで言いたいことを最初の段階で、短めの文章で書いてしまう。でも最後にはお礼を必ずつける。これが慣れてしまうと、書きやすいのね~~~~~^▽^この方式の反応の良さに気づいてから、自分の文章の無駄な部分を日本語でも大幅に削るようになった。そして、長い前置きはやめて、用件を最初に書くようになった。うーん。読みやすい♪私の教授のメールが、以前はそっけないなあ、と思っていたのが、今では「無駄な部分が無くて、分かりやすい♪」に変化する。慣れとは恐ろしい。そうすると、他人のメールの饒舌なものを読むとうんざりするようになって、益々自分の文章に気をつけるようになった。でも、喋りことばはだらだらなんだなー。一杯喋りたくて、まとまりがつかないこともしばしば。用件を先に言わずに前置き長いこともしばしば。まあ、お喋りは余興だからいいとしても、大事な話のときは、素っ気なくならないように、感じよく、用件+ちょっとフレイバーができればいいなあ。お、おとな>自分♪本当に、英語の文章って合理的だとありがたく思う。形式を覚えてしまえば、それに沿って書けばいいんだもの。そしてそれに沿って読めばいいもんね。トフルゼミナールの読解の本は、TOEFLを受ける・た人ならほとんど目を通していると思うけど、あの中で一番印象的だったアドヴァイスは、このことだった。”英語のセンテンスは、前半はその前のセンテンスの内容を後半はその後のセンテンスの情報を包含している”論文書くときは日本語も同じだ!と、私の先生は言っていましたが、しかしこのように整えられているのは、やはり英語の方が強いでしょう。最近、実践でいろいろと英語が使えるのが嬉しいDavinaでございます。
2005.05.18
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Visiting the university I attended after a year and half yesterday inspired me intensively. I met YY who has been treated by graduate research members and saw him being improved his abilities by them. It was so amazing that I felt keenly the important of training in the course of development of children. Of course he has been still behind his life age but he has certainly been enhancing his skills. I felt happy to belong to my life work, music therapy.The strongest impression to me what his mother muttered was that YY's accent was poor when he ordered a game using voice. I remembered about R, who has been a student of mine since 2000. He also has poor pronunciation so sometimes I could not listen to him. Her mother reported me that he became silent when an unfamiliar person for him asked his remarks back when it was indistinct. The point to improve people with handicapps accent can be treated by music greatly. I recalled that Ms. EH developed how to make better the accent of people with Parkinson's disease. I should review it for them. Although I have not met Ms. N for a year and half, we didn't feel gap our relationships. It was nice thing to me to keep in touch with her and the research team. In addition, she offered me to hold a party for my overseas study! I was very glad to hear that. Actually I was worried about my connection with the team because I bothered anything about my research conducting before. They always helped me, but sometimes must've felt taking troubles! Moreover I thought that made a mistake how to attend to my professor in March. However, everything seems good and encourages me a lot!I have to keep in my mind how to research through observations of their ways in a graduate course and want to mix both good points between K university and C university in the US. I appreciate everything including my life until now greatly!!!
2005.05.18
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知り合いが日米教育委員会主催の米国大学留学オリエンテーションに行ってきた。そこで留学予定者に与えられた注意で知り合いが教えてくれたことにびっくりしてしまった。それが標記にあること、つまり「日本人女性は軽く見られているので十分注意してください。」・・・・・・・・・・このことは今まで何度も聞いたし読みもしてきていた。しかしまさか、こんな公けなオリエンテーションでの注意事項になっているとは!私は日本女性の立場としてどうしても日本女性が”性交渉がとても好き”とは思えないのだ。むしろそれは外国人女性の方が先をいっていると思っている。それでこれについての自分の考えを日本女性側から、外国人男性側からそして日本文化の面からあらわしてみた。尚、今回のブログは、真剣な恋愛をしている、日本人女性と外国人男性のことは当然指していない。1.日本女性の側から+外国人男性の「外見」が魅力的に映る動物の本能として、魅力を感じる異性へ歩み寄る。これは男女問わず同じこと。例えば男性は美人に魅力を感じて近づいていく、のと同じ。日本人男性よりも外国人男性に魅力を感じて近づく。日本人と違った凹凸のはっきりした顔、たくましい身体(またはスレンダーな身体)高い身長、色の違う肌等が視覚に魅力的に映る。+外国人男性の「ストレートさ」が魅力的に映る話したい、好きだ、きれいだ、ということをはっきり意思表示をする部分に嬉しさを感じる。日本人の無表情、無言の中から気持ちを読み取るというある意味労力を使うことをしなくてよい。+外国人男性の「自然なスキンシップ」が魅力的に写るエスコートするのに手をそえる、挨拶に軽くキスをする、手をとるなど自然にスキンシップをとるのでそこに親しみを感じる。+外国人男性が恋人という「ステイタス」に酔う自分だけはまわりと違って”雑誌に出てくるような”外国人男性と付き合っているという思いが自分の価値を高めていると思う。+生活の心細さを手近な男性でまぎらわす特にはっきりした目的も無く頼れる宗教心も無く行った場合、日本と正反対の生活の中で心細くなって困ってしまう。日本人に頼るのはなんだし、現地の女性の友人はできにくい。したがって比較的親しくなりやすい近寄ってきた男性に頼ってしまう。2.外国人男性の側から+日本人女性は「きつくない」から近づきやすいはっきりNOと言わないので性交渉のみを求めているずるい、または気の弱い外国人男性はおせばなんとかなる、またきつい物言いをされないと踏んで安心して近づく。興味が冷めて態度を変えても我慢して文句を言わないことが多いので大きなトラブル無く別れられるのが都合が良い。+日本人女性は「褒めことばに弱い」から簡単に気がひける。外国人男性が普通に言うことばも日本人女性は不慣れなためすぐ感激するので同じ西洋人女性よりもたやすく気を惹くことができる。+日本人女性は「お金を持っている」からおいしいお金があるので自分が負担をしなくてもよい。また、ひもになれることもあるので仕事が見つからない怠け者にはもってこいのカモである。3.文化的側面から+ムゲにすることに罪悪感を感じる日本の国民性日本女性は、その外国人男性に特別な気持ちが無くても近づいてきたのをはっきり断ったりNOということに罪悪感を感じる。何も言わないが微妙な態度の中から気が無いことを汲み取ってもらえると思う。また、日本人男性は表立って褒めないので外国人男性に褒められると、そしてそれが日常になるとその嬉しい気持ちを恋愛と勘違いしてしまう。さらに、レディーファーストで自分が女性として大切にされていることを心地よく感じてそれが恋愛に変化していく。日本社会はまだまだ男尊女卑が残るのでそれと全く違う世界の中で居心地良さを感じる。+西洋文化の浸透による「違う未知の世界への憧れ」目新しいもの好きの日本人の傾向が海外における外国人男性の価値を実際以上にふくらませる。+信念の弱さがずるい男性をも受け入れてしまう従うことを訓練されてくる日本人女性(男性もだが)は外国人男性に強くでられるとそれに流されてしまう。その原因のひとつとして宗教心や根底の価値観の薄さが足元をふらつかせる。+日本人は目立つ!アジアのまだ貧しい国が多い。その中で日本人はやはりお金持ち。西洋社会の中で札びらきっているのが髪や目や顔かたちの違うアジア人である日本人なわけで、それだけでも目立つ。その変な意味で注目されているがためより一層、風評が広まりやすい。イエローキャブとか言う外国人男性は自分たちのあさましさを知っているのかしらね。「簡単に落とせる日本人女性」に目をつけて日本名を電話帳で調べて片っ端から電話をする外国人男性たちや、道で声をかけまくる男性たち、プロにお金を払わずにただでいい思いをしようとするわけでしょう?そんな自分たちの堕ちた行動をまったく省みる頭も無く、日本人女性は軽いなんて、よくも平気で言えるもんだ。人の良い日本人女性たちは十分気をつけましょう!
2005.05.15
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Just performing existing things our ancestors created is sometimes bored. Of course it is important for human races to pass it down from generation to generation. However, creation new ideas from the previous conclusion are more important to improve the outcomes invented since. I met and talked to a singer who had studied Opera in France, Paris for 3 years after for a long time today. The discussion was so full that I was inspired a lot by her episodes. The subjects of our conversation was too tough to talk with most of women in my similar ages. I was very happy to meet her and felt that I myself changed very much during these 6 years. Asian singers' situation seems difficult too much in Europe. According to her, western people think that Opera world belongs to only white people. I've heard it from my friend Y, a classical singer. I understand a bit when the situation is placed in Japanese traditional play such as Kabuki. If foreign people play on the stage, we have a feeling of wrongness because they have very different atmosphere that seems not to fit required traditional manner. That may stem from just their different skin, hair and eye color. In short, the atmosphere wouldn't be natural.Yet, the persons like her are very important for Japan because they can provide this small country with international view points, which greatly benefits us. Therefore, they studying abroad diligently should create new program by themselves. And then they can dispatch their ideas that western and Japanese cultures are mixed. Perhaps we, a member of Asians don't have the means to show our unique existence to the world.When talking with her about this matter, I was remembering remarks of my professor, benefactor, and my father. They said me one thing unanimously, that is, "your original idea is the most important in your life."They advised that knowledge from books and papers can demonstrate to others easily because it is kept just by memorization. Accordingly, the most significant point is how we create individually about things. The ability of creation is measured by skillful people. Consequently, we should always try to invent new things within our society. In my case, I feel proud that my research on rhythm may be original and universal among the music therapy world in Japan. I have confidence to develop my unique ideas in the US, CSU. I will discover more fresh ideas for a couple of years forwards in the US with rhythm. Anyway I was so pleased to find the excellent friend who can discuss about complicated matters that I decided to keep in touch with her from now on as a good friend!!!
2005.05.15
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英語のスピーチクラスで、もう1人のアメリカ人を差し置いて、"Ice Breaker Speech(最初のスピーチ)"で、ベスト・スピーカーに選ばれた!あんぐり、である。自慢のように聞こえる?いえいえ、今日言いたいのは、いかに文章や物事の構成を上手く組み立てるか、の重要性を言いたいのである。私は決して英語が堪能ではない。ただ、はったりがききやすい。それは、声が大きい、発音が悪くなく喋るスピードが速い、顔の表情がおおげさ、そしてゼスチャアがある程度つく。これが文法の悪さをある程度カバーする。けれど、長い間のお付き合いだと、この基礎部分がばれてきて、はったりがきかなくなる。それは当然のこと。今回、アイスブレーカーという、スピーチの最初のプロジェクトに挑戦した。内容は自己紹介をかねているので、確かに話しやすい。しかし、前回、2分くらいの小話をしたのだが、大失敗して聴衆を退屈させてしまった。自分でも、これでは皆なつまらないだろーな、ということは分かった。ある程度、失敗してガス抜きができた、と安心した反面、こんなことでは、皆から相手にされなくなる(とても高レベルな人たちばかり)と、かなり危機感を持っていた。だから、まず規定の時間を守ること(4-6分)、そしてテキストの勧めどおり、Intro, Body, Conclusionをしっかり構成することを念頭に、準備していった。このとき程、TOEFLの勉強が役立ったと思ったことはない。30分のWritingの練習で培われた文章構成はお手のもの。マーカー(文章の移行をスムーズにすることば)も使い慣れたものを使い、トピックセンテンスには、具体的な例を用意、1つは絵を見せたり、それで時間を見て内容を大幅にカットしたりした。すると、評価者や皆からのメッセージは、「構成がとてもしっかりしていた。」というお褒めの言葉だった。もう1人のアメリカ人は、そういう意味で、構成をしていなかった。通常はベテラン勢がスピーチしても、たいていはnative speakerがベストをとる。私はそれが不満で、なるべくnativeには入れないようにしていた。彼はその常連の人だった。なのに、この私が、今まで成績の悪かった私がその彼よりも投票数が多かったのだ!今回、私のスクリプトは、時間が無くてnative speakerに添削してもらえなかった。だから、じっくり聴けば間違いが沢山あったはずだ。なのにも関わらず、ベテラン勢からのお褒めのことば。。。この時ほど、文章における良い構成のパワーを知ったことはない。Well-organaizedは文章を美しくするだけでなく、聞き手にとって楽な表現の仕方なのだ。これは文章だけではないだろう。日常のさまざまなところで活用できる技術である。喋りには大いに活用できるところである。私は人様にだらだらと話して、労力を使わせていたのだろうな~と反省する。以前私の指導教官が、"洗練されること”を「良く構成されていること」と言ったことがあった。なるほど、それは絶対に必要な要素だ。こうして構成力のパワーを見せつけられては、無視することはもはやできなくなった。これからは、いかにWell-oraganizedされた文章を読み、書き、表現するかを追及しなくてはいけないな~。それに関連して。「考える技術・書く技術」のバーバラ・ミントが書いているように、”皆が知りたいことを答える”ということが、目的としては必須になってくるだろうな。皆、知りたくないことは聞かないものね。(この本は経済界でとっても有名らしいですが、それ以外の方にもオススメです。頭の中がしまります♪)
2005.05.13
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I felt keenly about Japanese people's atmosphere today. I went to go to "The meeting of preparing for graduate study in the US" by Japan-U.S. Educational Commission. There were one American professor and four alumni including the middle of students. Only one man was talking well with good eye contact but others, especially an only woman always spoke with lowered eyes, which made me irritated. I expected that persons with long experience in studying abroad must've shown different attitudes and atmosphere that we could not do that such as good presentation or speaking skill. However, most of them were still in Japanese unique customs like talking with hesitation and few eye-contacts.These days I felt the similar situation as it among alumni in the R Club. Perhaps almost all had higher experiences in other countries. Yet during exchanging of mails among them in mailing list, they were often showing the paticular Japanese custom through Japanese phrase of verbs or something. Some people are used to say too modestly. They write more humble mails than they are not needed. Actually, I'd like to appear positive in their words and attitudes that have opportunities to change the old Japanese customs we don't need to remain them. Although the professor adviced us, American people tend to want to know each thought directly and express their opinions. Moreover, they regard confrontation on each person as good thing, even though they are friends. The custom is opposite direction to Japanese. However we need the thought because Japanese people already belong to the International world. We have the responsibility to make frendships with poeple in other countries with conversation. Therefore, we Japanese no longer stay in the old small pond!Certainly, two men, the manager of the sociery and the professor at Hawai University were alert us on the matter. I should keep it in my mind. As I expected, my way of speaking and attitude was different from most of other students. I became feeling worse because the rhythm among them in a room was very slow and humid. I wanted to do swing... Oh, I learned the good phrase " in full swing" from a English new paper. As you can see, good condition remains "swing." Swing is difficult in music but it expresses good condition which simple triple time means important!Anyway I never behavior like a woman speaking towards the desk and most of persons with silence until they are pointed out![Take notes]*To express your thought or opinion directly. *Confrontation is regard as good among American.*Writing skill is very important which is required to clear and elegant. *Reading is required to think critically. I appreciate the meeting a lot!
2005.05.13
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日本人であることを意識するようになったのはいつ?と考えると、20代半ばころだということに気が付いた。まわりで音楽家の卵たちがだんだんと留学し始めた時期だ。歌の人たちが人数的にはとても多くて、多くはイタリア、ドイツ、そしてフランスも何人かいた。クラシックの人たちはやはりヨーロッパが多い。最近は良い先生が皆、アメリカに引っ張られているらしいが、それでもヨーロッパに行く人が後を絶たない。歴史が違うからだ。歴史の中で育まれてきたものは大きい。長期で行く人や短期で行く人、それらの人たちとたまに仕事が一緒になるといろいろと面白い海外の話が聞ける。その時に聞いた話で印象に残っているのが、「日本人なのに」という内容のものだ。西洋音楽、オペラや歌曲を勉強しに行った彼女ら日本人に対して、向こうの人たちはこう聞くのだという。「どうして西洋音楽をするの?」「日本の音楽は歌えるの?」20代半ばくらいだと、まだまだ西洋音楽にばかり憧れの気持ちが向いていて、ある人は日本の歌を全然知らずに行ったりするらしい。すると彼らは不思議がる。どうして自分の国の歌が歌えないの?この話を聞いた時、正直、え~っと思った。私にもまだ、自分が日本人というはっきりした自覚が無かったからだ。この後、確かカウンターテナーの米良さんが、同じようなことを言っていた。彼は家の関係で民謡など歌えるから、留学してそれらを堂々と披露したのだそうだ。それからしばらくたって、私は茶道を習い始めた。それは別に、興味があったから始めたわけだが、その時に、私は日本文化の奥深さに感動してしまった。日本人って、なんて繊細で素敵な芸術を創り上げてきたのだろう!静かな和室で、窓から光を一杯受けて光る緑を眺めながら、こぽこぽ・・・と湯が釜の中で沸く音を聴く。釜から柄杓で湯を汲んで茶碗に落とすときにも、とぽとぽ・・・という音を楽しむ。掛け軸の中の作者の想いを読み取り、その側に寂しく生けられている茶花を楽しむ。見えるものから見えないものまで、全て芸術として働いているのだ。表に見えないところにも美を見出そうとするこだわりの精神。素晴らしいと感動した。今、留学するに当たって着物の着付けを習っているけれど、着物の色っぽさも回を重ねるごとに分かってくるし、好きになってくる。ドレスとは正反対の見せ方により、女の色気を表す。世阿弥が「秘すれば花」といったが、この隠れている部分を見つける楽しさを日本人は発見していたのだろう。そしてそれを少しだけ見せて、後は隠しておくというところに、各々が発見したときの喜びが増すようにしたのだろう。海外にでて、日本を軽蔑している”日本人の”若い子たちに会うことがあるが、自分の生まれ育ったところの良さを見つけることを怠っているのだったら、外国の良さもそう簡単には分からないよ。浅いところしか、見れないよ。人間のものの見方って、その人についてまわるものだからね。自分はそうならないようにしようと、本当に思っている。今は和風ブームだけど、それを外国文化との比較の中できちんと捉えたいな。そして、西洋文化と日本文化は、方向性が全く違うということ、それぞれがいいのだ、ということを自分でよく把握して、海外で日本を上手に紹介できるといいな、と思うのでした。
2005.05.10
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After all he didn't come and I succeeded in my Japanese speech or presentation. My presentation has been failed a bit by bad condition of my PC but many members seemed to enjoy it despite of a full of figures and English. Yes, of course, that was my line that has been accumulated for 5 years. As for him, it was natural not to attend there on second thought. After arriving home and looking up the SRC HP, his speech was mentioned on it. His reputation was so well that he doesn't want to lose it by my appearance. Therefore I will be advantageous psychologically than him at least.However, I was disappointed at his absence a little bit. I prepared the meeting completely taking a co-student, visiting the sea to relax in my mind, and simulating any situation I could expected. All seemed to be in vain but change benefits to me in fact. N-kun was really nice because I didn't need to take into consideration! He didn't worry about staying with an older woman, although the reason was revealed later the day! But no problem.As my lifework, music therapy seemed getting popular with members, I will have to join the club after returning to Japan. No way...if so, he will take trouble acting community service in the club as well as that I will. Yet it will be unnatural that I don't become a member of the club. We scholars in this year wrote about the R club whether we join or not in our future! I should not be stand out among them, thought I felt to be conspicuous only on my age...Anyway, the day was nice. I enjoyed talking with N-kun and had my photo copy at a university and I was praised my presentation by leaders. I am just doing my best in my lifework from now on. Thank you!
2005.05.06
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自分がものごごろついて初期のころにとても印象に残っていること。それは、お天気のとても良い日に幼稚園の友達と母親たちで近くの池に行ききらきら光る水面にあめんぼうが浮いているのを見て遊んだときあーこの生きている世界というところはなんて光に満ち溢れて美しいんだろう自然ってなんて美しいんだろう太陽の光ってなんて明るくてまぶしいんだろうって思ったこと私の両親はとても自然が好きでよく私たちは自然の中に行った生まれた場所のすぐ近くにある公園によく母親と弟と私と3人で遊びに行った。記憶ははっきりとは残っていないけれどとにかく緑や水はとても近い存在だった。ここ最近、この子どもの頃の感覚をよく思い出す。家にこもって机に向かうことが多かったせいかなぜかこの、光に溢れて幸せな気持ちを味わったものごごろついたころの自分の感覚を思い出す。私にとってこの世界の印象は希望溢れるものだった。それから今にいたるまでさまざまなことがあった。途中で人生の迷路に迷い込みもう抜けることはできない、と思ったこともあった。もうこの世をリタイアしよう、と思ったこともあっただけど今振り返ると幼い頃の希望に満ちた思い出と思春期の絶望感に羽交い絞めにされた思い出と両方が必要だったんだなと感じる。周りに幸せにしてもらった時代と周りに不幸せにさせられた時代自分で選んで不幸せとされる道を選んだことと自分で自分を幸せにした今と人間をしている上ではこの4種類のときが必要なのかもしれない。だから余計に、今の自分の手で手に入れた幸せがしみじみと嬉しく感じることができるのかもしれない。最初に幸せにしてもらった誕生地で人生の再スタートを切った思い出もオーバーラップしてしみじみ愛する土地というのは愛する人と同じくらい重いものだなあ、と感じ入る今日この頃なのである。今の自分の状態はそう、この世の中を知り始めたころの自分の感覚にとても近い気持ちがする。でもそれが大きく違うことの根本は人生の粋も辛いも多少経験してもういちど戻ってきてそして思うこと。この世界は自分の意思次第で幸せで充実した生き方ができるところなんだなあ、ということだ・・・
2005.05.03
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The day I could not imagine before is just around the corner. The X day is on this Friday. During preparing my power points, something about memories was coming up to my mind after assigned speech by the SR club. What kind of attitudes should I take if he appears in front of me? Would he come to me for something to talk or ignore me completely? It will be the best for me to be disregarded because I will be able to do the same what he does. However, if he talks to me I should be in calmness. Be not upset! Will I smile and answer him, "Are you a friend of T? We had dinner together after her recital." I mean that I would let him know that I utterly remember him. Or I would perform not to recognize and pretend to recall him by degrees? Perhaps, it would be difficult for me to tell a lie totally. Consequently, I had better be natural in the situation. Yet I never contact with him as long as he does so.He composed the song of the SR club. According to the HP, he always seems to accompany the song with a singer while members sing at the beginning of the meeting. I am sure to listen to and see him playing the piano on Friday. I should keep smile and pretend forgetting everything about that day.To be honest, the memory was so nice that I was pleasure to meet him. Although I misunderstood him instead of my ex-boyfriend, I believe that we trusted each other at the moment. At least I'd like to regard as it.Now I have to consider my role in the club for my future activities. The environment surrounding me is different from the past. I am a person in public in the club as a future almini. I will be never allowed to fail to make human relationship with him as one of members in the Foundation Office! Davina, show me your sense of humor!As a matter of fact, I am looking forward to seeing him again. I am being worried on the half but expecting what happened on the other half. I believe that I will be manage this situation and expect him being upset! How interesting if he is! However, he won't be because he is smart.Anyway, I can protect myself as I will go there with my co-scholar. He is easy to talk; therefore I will be able to relax with him. In addition, I will be able to talk with him during the meeting, which helps avoid the man. Good idea!I sang an Irish lullaby. Does he remember it...?
2005.05.03
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