教授のおすすめ!セレクトショップ

教授のおすすめ!セレクトショップ

PR

Profile

釈迦楽

釈迦楽

Keyword Search

▼キーワード検索

Shopping List

お買いものレビューがまだ書かれていません。
August 31, 2005
XML

我が家では夕方に一度、そして11時過ぎにもう一度、お茶を飲む習慣があります。これは私が実家から持ち込んだ習慣で、飲むものはたいてい紅茶ですが、一緒に食べるものによってごくたまに日本茶になったり、珈琲になったりすることもある。そして夕方のお茶の時には、それなりにしっかりしたものを「おやつ」として食べます。

で、今日の「おやつ」は白玉でした。もちろん、出来合いのものを買ってきたのではなく、白玉粉から自分で作ったんですよ。

白玉を作るのは、ごく簡単です。まず白玉粉にほんの少しの砂糖を加え、それに水を加えて耳たぶの柔らかさになるまで練る。強いて言えばその時の水加減がちょっと難しいかな? ちょっと足りないかなー、と思うくらいが丁度いいので、油断して水を多くしてしまうと「耳たぶの柔らかさ」を越してしまって、また粉を足すことになってしまう。蕎麦を打つのと同じですね。

で、捏ねた白玉粉を、変なたとえですが「赤血球」の形に整えて沸騰したお湯に落とす。後は落とした白玉がお湯の表面に浮いてくれば中まで火が通った証拠です。そしてその茹で上がった白玉を冷水にとって冷し、後は器にもって小豆のアンコなどを添えるだけ。時にはこれに抹茶を振りかけたり、アイスクリームを添えたりして豪華版にすることもあります。これがうまいんだ!

白玉を自宅で作るという習慣は、私は母方の祖母から受け継ぎました。夏休みなど、祖父母の家に遊びに行く。と、うまい具合に祖父母の家のすぐ近くに市営プール(もちろん昔のことですから野天の奴)があって、まるで自分の家の庭にあるプールででもあるかのように、毎日昼から泳ぎにいくわけ。そして3時頃、泳ぎ疲れて帰ってくると、台所で祖母がこの白玉を作ってくれていたりするんですね。私なんぞは祖母がそういうものを「こさえて」くれるのを見るのが好きでしたから、脇で見ていてすぐ作り方を覚えてしまう。たまに粉を捏ねたり、団子を丸めたり、茹で上がった白玉を掬うのを手伝わせてもらったりしてね。沸騰したお湯の中で白玉がくるくる回りながら浮いてくるのが面白かったもんです。

ま、そんなわけで、私にとって白玉は、「母の味」ならぬ「祖母の味」であり、「田舎の味」であり、「夏休みの味」なんですね。今でも白玉を食べると、どこか記憶の奥の方から、夏草の草いきれとプールの消毒用カルキの匂いが漂ってくるような気がしますよ。

今日はそんな白玉を作って食べながら、8月最後の日をのんびりと過ごしていたのでした。今日も、いい日だ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ここから先はロマンス談義の続きです。今日は、ミルズ&ブーン社が創業以来、最初の試練に直面する、というお話し。



しかし、ジャック・ロンドンの死という大打撃に襲われた1916年、ミルズ&ブーン社はさらに大きな危機に直面します。第一次世界大戦前夜の世界情勢の緊迫により、同社の経営責任を担ってきたジェラルド・ミルズ、チャールズ・ブーンが二人揃って兵隊にとられてしまったんですね。かくして以後同社の経営は3年間にわたってブーンの妹、マーガレット・ブーンが担うことになります。身寄りの少なかったミルズとは異なり、兄弟姉妹の多かったブーン家では、ほとんど一族郎党がこの出版社に勤めていて、マーガレットもオフィス・マネージャー兼校正係として同社で働いていた。それで彼女が臨時の経営責任者に選ばれたんですが、当時、まだ家族経営と言ってもいいような小規模な出版社であったミルズ&ブーンには、他に頼む人がいなかったんです。

しかし、結果から見ると、これが良くなかった。マーガレット・ブーンは、与えられた仕事をこなすことはできても、一つの出版社全体に目配りして、出版スケジュールを決めたり、在庫管理をしたり、ということができなかったんですな。しかも当時彼女は不倫の真っ只中で、仕事に専念できない事情もあった。しかもその不倫相手というのが、同社の専属作家の一人であったソフィー・コール(同社の記念すべき最初の出版物の著者)の義兄弟だった、というのだから事情は最悪。

かくして、徴兵を受けてから3年の後にミルズとブーンが社に戻ってみると、新刊の計画はめちゃくちゃ、在庫は100万部にまで膨れ上がっていることが判明。収益も激減し、1921年にはわずかに40ポンドの黒字しか計上できないまでになり、さらに1923年には2270ポンドの赤字を出すという有り様。周りの同業者は戦後の好景気に沸いているというのに、ミルズ&ブーン社は逆に極度の経営不振に陥ってしまいます。

しかもこれに追い打ちをかけたのが生産コストの上昇です。1914年から1921年までの7年間に、紙の値段や印刷費は倍、製本コストは3倍になり、これに伴って赤字と黒字の転換点もほぼ倍の2000部になってしまった。つまりどんな本であれ、それが2000部売れた段階でようやく出版社に収益が生まれ始めるということであって、これは弱小出版社にとってはかなりきつい数字です。

しかし、それでも何とかミルズ&ブーン社は持ち直し、1920年代後半には以前のレベルまで業績を回復します。まだ第一次世界大戦の爪痕が残るこの時代、他に大した娯楽もなかったこともあり、1920年代というのは世界的に見て読書ブームの時代だったんですね。ま、そんな追い風もあってか、同社の出版物の柱の一つである教育関係の出版物やノンフィクションにもヒット作が生まれ、それなりの収益を挙げるようになってきたし、もう一つの柱であり、また収益率の高い小説部門の方も出版点数が増えてきた。

で、その小説部門での稼ぎ頭となったのがルイーズ・ジラード、ジョアン・サザーランド、エリザベス・カーフレイ、デニース・ロビンズといった女性ロマンス作家たちでした。彼女たちの書くごく軽い娯楽的な小説というのが、1920年代のイギリスの国民嗜好に合っていたんですね。特に、海外を舞台にしてヒロインが冒険的なロマンスに身を委ねるという感じの小説を書き飛ばしたサザーランドと、病院内を舞台にした恋愛小説で名を挙げたジラードの作品は売れ行きも良く、こうしたいわゆる「エキゾティック・ロマンス」や「メディカル・ロマンス」が、ミルズ&ブーン社を代表する売り物になっていきます。

ところで、こういった「エキゾティック・ロマンス」や「メディカル・ロマンス」を愛読したのは、労働者階級の中層から上層にかけての人々でした。つまり1920年代の後半あたりから、少しずつミルズ&ブーン社の顧客層とその好みが見えてきたんですね。無論、当時のミルズ&ブーン社は自分たちのことを決してロマンス専門の出版社だというふうには思っていなかったのですが、とにかく数字だけ見れば、このあたりの階級の人々にミルズ&ブーン社の出版物が支持されていることは明らかだった。

しかも、明らかになったのはそれだけじゃなかったんです。彼ら、労働者階級の中層・上層の人々は、本を買うのではなく、「貸本屋」から借りて読んでいる、ということも同時に明らかになってきた。要するに、ミルズ&ブーン社のロマンスは、「貸本屋」で評判が良かったんですね。となれば、「貸本屋」の存在を、出版社としても無視できなくなってくるのは当然。かくして、1930年代を目前にしたミルズ&ブーン社は、次第に「貸本屋」をターゲットにした出版というものを心がけていくようになるんですな。

では、イギリスにおける貸本屋事情というのは、いかなるものだったのか。その辺のことについては、また後日ということにいたしましょう。それでは、今日はこの辺で!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  August 31, 2005 08:23:26 PM
コメント(2) | コメントを書く
[おいしいもの好き!] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


失われた時をもとめて  
白玉から幼い夏の日々がよみがえってくる。
そんな連想がわいてくるのは幸せですね。

そういえば、こどものころには貸本屋があったなぁ。貸しビデオショップみたいなものか。 (September 1, 2005 10:26:01 AM)

Re:失われた時をもとめて(08/31)  
釈迦楽  さん
Mike23さん
マイクさんは、今住んでいらっしゃるところの他に「故郷」というものはないんでしたっけ? 私にとっては、よく夏休みを過ごした祖父母の家が、そんな位置づけですねぇ。 (September 2, 2005 12:46:08 AM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Favorite Blog

奮闘中 New! AZURE702さん

YAMAKOのアサ… YAMAKO(NAOKO)さん
まるとるっちのマル… まるとるっちさん
Professor Rokku の… Rokkuさん
青藍(せいらん)な… Mike23さん

Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: