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昨夜、科の先生方と「前期お疲れ様会」と称して飲み会をやっていたのですが、その中である同僚がオーストラリアに留学していた時の話をしてくれまして。 それによると、オーストラリアって留学するにはいいところで、キャンパスにはワラビーが飛び回っているし(?!)、アメリカの大学とかに比べてのんびりしているんですと。 で、ほほう、と思いながら話を聞いていたのですが、そこで授業料の話になりまして。 それによると、オーストラリアの大学では、授業を幾つ取るかによって、授業料が変わってくると。当然、沢山授業をとれば沢山の授業料を払わなければならない。 つまり、日本の大学みたいに、全学生とも一律年間幾ら、という風に決まっていないので、学生によって払う授業料の額が変わってくる。 で、その先生がそのことを現地の同級生たちに告げると、「えーー、それだったら、無制限に授業を取りたいだけ取れるじゃん、いいなーーー!」と言われたと。(実際には「キャップ制」というのがあるので、無制限には取れないけど、ある程度、必要単位以上に授業を取れるのは確か) しかも、オーストラリアでは、単位を落として再履修する場合、改めてその授業の分の授業料を払わなくてはならないと。だから、オーストラリアの大学は、学生をじゃんじゃん落とすんですって。落とせば落とすほど、大学は儲かるからね。 ふうむ。 で、思ったのだけど、日本の貧しい国立大学も、オーストラリアの大学を真似て、授業料を一律幾らではなく、学生個々で授業を取った分に従って決めればいいのではないかと。 つまり、卒業に必要な単位、たとえば128単位とか134単位とかについて、それらを全部取得するといくら、という風に決める。これが基本だから、この時の授業料は現状と同じにする。すなわち、基本的には授業料の値上げはしない。 ただし、卒業必要単位以上に授業を取ろうと思ったら、その分、一授業いくらで加算される。 そしてもう一つ、単位を落として、再履修する場合は、もちろんその分、一授業いくらで加算される。 こういう風にすれば、特に再履修分は大学が儲かる仕組みになるのではないですかね? しかも、こういう仕組みだと、学生の方も、「単位を落としたら、授業料が加算される!」と思うだろうから、なるべく落とさないよう、一生懸命勉強するようになると。ね、一石二鳥じゃない? 現状の授業料を値上げするというと、色々反対勢力はあるだろうけど、上のようなオーストラリア方式にすれば、普通に卒業する分には値上げにならないのだし、授業料が加算されるケースにしても、常識的なルールなんだから、反対できないのでは? と思うのだけど、どうかしら。 まあ、日本の文科省は頭が悪すぎて、こういう合理的なシステムを導入して、国立大学の貧困問題を上手に解決するだけの頭はないだろうけどね・・・。 しかし、ワラビーが飛び回るキャンパスって、ちょっといいな。ワタクシも定年になったら、オーストラリアの大学でも留学しに行こうかしら。ワラビーに会いに。
July 31, 2025
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今日、職場の飲み会があったのですが、その場で「Boldvoice」というサイト?が話題に上がりまして。 これね、英語のアクセントから、話し手の母語を当てるというもの。簡単な英文が出るので、それを読み上げると、即座に「お前は○○人」と当ててくる。 で、その場にいたイギリス人が試したら、見事に「あなたはイギリス人です」と見抜き、ドイツ人が試したら、「あなたはドイツ人」と的中! すごいな。 で、私が試したら、「あなたは日本人」だってさ。しかも「アメリカン・アクセント90%」と出た。まいったね。 これ、よほどネイティブに近い英語の使い手でも、日本人であれば「あなたは日本人です」と当てるらしい。AIってどこまでスゴイの? ということで、もし興味のある方、我こそはネイティブ並みの英語の遣い手と自負されている方は、チャレンジしてみてはいかがでしょうか?
July 31, 2025
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ひゃー! 今日の授業を持って、前期終了~! あとは期末試験の採点業務があるけど、まあ、それは適当にやるとして、とりあえず授業が終わったのは嬉しい! まあ、それはいいんだけど、ここへ来て立て続けに心配事が・・・。 一つはゼミ生の一人が、欝っぽいと言い出したこと。6月中に就活を無事終了したまでは良かったのだけど、それで燃え尽きたのか、7月に入ってからどうもやる気が出ないと。 で、友達との遊びの約束も3つキャンセル。しかも夜は眠れず、医者でもらった薬でようやく2時間くらい寝ているとのこと。そして外へ出る気力もなし。 あー。それ、欝だわ。これから夏休みの楽しい時期なのになあ・・・。 もう一件は同僚に関して。この人ももともと欝っぽくて、公務をさぼり勝ちだったんだけど、ついに最近は授業も行かなくなってしまったんですと。公務を果たさず、授業もしないとなると、本格的なヤツやん! 本人も辛いのだろうし、助けてあげたいのだけど、こちらとしてもどうにもしようがないし。相手が欝の場合、励ますのもあんまりよくないって言うじゃない? まあ、色々ありますなあ。 小学生の頃のように、夏休み=幸せ爆発! という風にはなかなかならない60代。でもまあ、人はともかく、自分に関しては、この夏を利用して、せいぜい、自分の責務を全うするしかないな。
July 29, 2025
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今日、先輩同僚で、今は非常勤として大学に教えに来ていただいている「アニキ」ことK教授と話していたのですが、アニキは『鬼滅の刃』の最新作を映画館で観てきたとのこと。 この映画に関しては、ワタクシもバリバリ観る気満々なんですけど、「どうでした?」と尋ねると、「すごかった」と。 まあね、息を呑むようなスリル感がずーーーーーーーーーっと続くんですって。それに、映像の迫力もすごいと。無限城に落ちていく落下感がものすごいらしい。 で、映画館でアニキの隣に座っていた人が、山盛りのポップコーンを持ち込んでいたらしいのですが、なんと、最後までほとんど食べた形跡がなかったと。 ポップコーン食う暇もない――それが『鬼滅の刃』の最新作なのか~!? いやあ、楽しみですなあ。近いうちに観に行かなくちゃ!
July 28, 2025
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土曜日・日曜日と二日連続での市民講座ツアー、終了いたしました~! こういう市民講座では、自分よりお歳を召した人生の先輩方が聴きに来られることが多いのですけど、やっぱりわざわざ講演を聴きにいらっしゃる方というのは、勉強熱心な方ばかりなので、すっごく一生懸命、ワタクシの話に耳を傾けてくださる。 そういう点では、勉強不熱心な学生相手に講義するよりよっぽど楽しいですわ。あと、こういう市民講座って、たいてい事後にアンケートをとるのですが、そのアンケート結果を読むと、昨日も今日も大好評だったようなので、その点でもホッとしました。 ところで。 今日、講演をした県内C市の市役所には、ワタクシの昔の教え子のYさんが勤めておりまして。で、Yさんは、私がC市で講演をする時には、日曜日であるにもかかわらず、わざわざ聴きに来てくれるんですわ。義理堅いねえ。 で、今日もYさんが来てくれたのですが、その前に、C市中央公民館の担当者がワタクシのところにやって来て、幾分か緊張した面持ちで「今日はY部長がご臨席されます」みたいなことを私に告げに来たのよ。 ん? Y部長? ご臨席? え? Yさんって部長になったの? で、後で実際にYさんに会った時に聞いたら、今年度から部長に昇格したんだって! 50代そこそこの若さで! 課長職を4年で通過する異例の大抜擢だったみたい。どうりで、公民館の人が「ご臨席」だなんて、現人神でも来るのかと思うような丁寧な言葉遣いをしたわけだ。 しかし、さすが、自己啓発本の研究者たるワタクシの教え子だなあ! 学生の時から才媛だったけど、そうか、そんなに出世したのか。 というわけで、講演後にはYさんと素敵なレストランに行ってランチを食べつつ、祝杯を挙げてきた次第。まあ、現人神級の「Y部長」も、私から見れば可愛い昔の教え子ですからね。教え子っていうか、何しろ30数年前となるとこちらも20代でしたし、先生と学生というよりは、ほとんど同年代のノリで、一緒に遊びまくった仲だから、双方、遠慮がないんだけど。 ということで、講演は成功だったみたいだし、大出世したY部長と久しぶりに会って話に花を咲かせることができたので、今週末は楽しい週末となったのでした。
July 27, 2025
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前田勉先生の書かれた『江戸の読書会』という本を読んでおります。これこれ! ↓江戸の読書会(871) 会読の思想史 [ 前田 勉 ] 今、日本の自己啓発思想史を勉強している、その過程で必要になったので読んでいるのですが、これがとても面白い。 この本は日本の儒学者の間で「会読」という文化が生まれていく様を跡付けているのですが、日本では江戸時代から、一冊の本を皆で頭を寄せて読み解こうとする、そういう学問的な文化が根付いていたのか・・・というところに感心するばかり。 それにしても伊藤仁斎とか、荻生徂徠とか、名前だけは何となく知ってはいるけれど、その思想や業績の何たるかを、まるで知らなかったという。特に、荻生徂徠に関しては、荻生以前と荻生以後でまるで変って来るほど、それほどすごい人だったとはつゆ知らず。 同じ研究者とはいえ、分野が違えば常識も違うわけですけれども、これほど無知であったとなると、日本人として恥ずかしいですな・・・。 まあ、自己啓発思想の日米における発展を考えるために、今まで無知で通して来た分野の本に目を通すようになって、少しは無知が改善されるとしたら、自分にとってはいいことなのでありましょう。 それにしても、アメリカ文学者の私が、この暑い夏の最中、荻生徂徠のことを知ろうとしているというこのシュールなシチュエーション。この研究を始めなければ、起こるはずのないことではありましたね。
July 26, 2025
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今週末、ワタクシは結構忙しくてですね、明日土曜日は県内M市、明後日日曜日はC市にて、それぞれ市民講座でお話をしてまいります。ま、内容は同じで、日米自己啓発思想史なんですけどね。 で、その準備は既に終わっておりまして、一応、原稿は用意してある。 だけど、講演ってのはね、あまり準備し過ぎるとよくないのよ。 一方的にが―――っと内容を伝える学会と違って、講演だと、ある程度は聴衆との駆け引きですからね。自分の言っていることが伝わっているかな~、ここでもう少し追加説明した方がいいかな~、的な余裕を持たせておかないとまずい。 あるいは、ここでちょっと卑近な例を出して、聴衆の皆さんを笑わそうかなとか。あまり根を詰めた話を続けると、聴衆が疲れるから、ここで一回、息抜き的なエピソードを差し挟もうかなとか。 そういう隙間がある話をしないとまずいわけ。 そのためには、あまり準備し過ぎると、準備したものに拘泥してしまって、そういう駆け引きができなくなるのよ。 というわけで、こういう順序でこういう話をする、ということだけ決めて、あとはその場に応じて適当に進めていくくらいの、ちゃらんぽらんな準備をして、後は早目に寝て体調を整えることに専念する予定。まあ、明日上手くいったら、明後日はもっと気楽に行けるでしょう。
July 25, 2025
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皆川おさむさんが亡くなりました。享年62。私と同い年。 皆川おさむさんといえば、「黒猫のタンゴ」。まあ、一世を風靡しましたからねえ。同年ということもあり、私も子供の頃、随分歌わされました。あれ、歌い易いんだよね。音階の幅がせまく、同じような音程のところを上に上がったり下に下がったりするだけだから。 あと、もう一人、私とまったく同世代で、小さい頃からテレビに出ていたのが宮脇健さんね。『チャコねえちゃん』のケンちゃん役の。ちなみに、チャコねえちゃんを演じた四方晴美さんは、小学校で私の姉の先輩でね。だから、チャコねえちゃんとケンちゃんの関係性は、姉と私の関係性とほぼ同じなのよ。だから、テレビでこの二人の姉弟のドラマを見ていると、まるで自分と姉を見ているようだった。 で、宮脇健さんと皆川おさむさんって、子供の頃、どっちもおんなじような顔でね。で、私も二人に似たところがあったので、なんか、ワタクシとしては、この二人にはずっと親近感があったのよね。 その皆川おさむさんが亡くなったのですから、私としてはちょっとショック。 で、皆川さんのことをググってみると、なにやら「逮捕歴」とか、そんな言葉が躍っている。ふうむ、私は知りませんでしたが、そんなこともあったのね。やっぱり、子供の頃にあまりにももてはやされると、その後の人生で、難しいことがあったりするのかもね。 まあ、そういうことがあったにせよ、遠い昔に親近感を抱きながらブラウン管上に見ていた同世代の坊やが亡くなったということで、うーんと唸ってしまったワタクシなのであります。 瞬間風速的とはいえ、昭和の大スターであった皆川おさむさんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
July 24, 2025
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私の書斎は、もうこの上なく乱雑になっていて、そのため私はやたらにモノを失くすというか、どこにしまったのか忘れてしまって、しょっちゅう何かを探しているんですけど、最近、不思議なことを聞きまして。 なんでも、失くしたものを探す時は、「たぬきがこけた」とつぶやきながら探すと、たいてい、見つかると。 ほんとかね?! 理屈から言うと、モノを失くすとはいえ、脳の中ではどこに置いたか、記憶は残っている。ただ、その記憶が埋もれているだけだと。 で、「たぬきがこけた」という、回文チックな言葉を呪文のように唱えることで、モノを失くしたことによるパニック状態を脱し、落ち着いて脳の中の記憶を掘り起こすことができるのだと。 まじか?! いやあ、面白いね。ほんとかな。実際にやってみたい。成功したら、すごいよね。 しかし、それを試すには、まずモノを失くさなければならない。 あー、なんか、モノを失くさないかな!
July 24, 2025
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そうか、渋谷陽一が死んだのか。享年74。私より一回り年上だったんだな。 ロックのことがやたらに好きで、やたらに詳しくて、言いたいことが沢山あって、その方面のジャーナリストになって、『ロッキング・オン』をミニコミ誌から育て上げ、誌面のみならずレコードやCDのライナーノーツ、ラジオ放送やテレビ画面などあらゆるメディアを使って洋楽の伝道師として活躍された――なんか、そういう、この上なくストレートで熱い生涯ってすごいな。そのロック観のすべてに賛同するかどうかは別として。 70年代、80年代の日本って、そういうがむしゃらで一途なオタク的専門家って、結構あちこちにいたよね・・・。渋谷陽一系統では伊藤政則とかピーター・バラカンもいたし。映画だって、それこそ淀川長治さんとか白井佳夫さんとか佐藤忠男さんとか、そういう方は大勢いた。 ○○評論家ってのは、そういうのが当たり前だと思っていたけど、今、ふと周りを見渡しても、こういう感じの評論家ってあんまりいないよね・・・。SNSで評論家を気取る人は大勢いるけど、渋谷陽一的な人って、いないもんね。言いたいことがいっぱいあって、雑誌を創刊しちゃった、なんて人、いないんじゃない? なんか、そういうエネルギッシュな時代が懐かしい。つまりはそれが昭和を懐かしむ心なんだけどね。 私自身は『ロッキング・オン』をむさぼり読んだ、というような感じではなかったけれど、その活動はずっと知っていた、そういう同時代の熱い音楽評論家であった渋谷陽一さんのご冥福をお祈りします。合掌。
July 22, 2025
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近い将来、自宅のリフォームに着手しようかと考えているもので、今日は少し不要物の処分に手を付け始めました。 我が家で一番場所をとっているもの・・・本、そして雑誌。 で、今日、手を付けたのは、雑誌の処分ね。そしてその対象となったのが、『エンジン』という雑誌。 2000年に創刊されたこの雑誌、私は創刊号からずっと買っていて、つい数年前までずっと買い続けていた。仮に20年買い続けたとすると、12×20で240冊。これが相当な場所塞ぎになっていたわけよ。 だけど、創刊号から買っていたからねえ、それだけ思い入れもあるし。それを全部処分するとなると、なんだかとっても寂しい。でも、いつまでも持っていられるほど、家にスペースはないからねえ・・・。 ということで、20年分の『エンジン』、それに加えて時々買っていた『NAVI』『CG』『Pen』『LEON』『Brutus』などを段ボールに詰めていったのだけど、10箱分になりました。さすがに段ボール10箱分の雑誌が消えると、部屋に大きなスペースが。 というわけで、部屋はガランと広くなり、ココロにはガランと大きな隙間が生じた、三連休最後の一日だったのでした。さみしーーーーーー!
July 21, 2025
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ジェームズ・クリアーが書いた『複利で伸びる1つの習慣』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、原題は『Atomic Habits: An Easy & Proven Way to Build Good Habits & Break Bad Ones』(2018) といって、ベストセラーなんですけど、『複利で伸びる・・・』なんてヘンテコなタイトルにしないで、『アトミック・ハビッツ』のままにしておけばいいのにね。 ・・・っていうか、アレかな。日本人には「アトミック」という言葉に敏感に反応するからまずいと思ったのかな。 それなら分からぬでもない。でも本書でいう「アトミック」というのは「原子力」とは全然関係がない。むしろギリシャ以来の原子観、すなわち「最小単位」という意味のアトミックね。そのココロは、「ものすごく小さな努力を積み重ねていけば、やがては大きな結果が出る」という意味。ここまで言えば誰でも推測できるでしょうが、この本はそういう、何人も否定のしようがないほど正攻法な努力論です。健康的だねえ。 さて、この本を読んで、一番感銘を受けたのは、第2章ね。この章は素晴らしい。 先に述べたように、本書は良い習慣を身につけることによって望ましい結果を得るためのノウハウを伝えることを目途としているわけだけど、クリアー曰く、良い習慣をつけるのは難しく、悪い習慣を繰り返すのは簡単だと。では、それは一体なぜなのか? クリアー曰く、身に付いた悪い習慣を改めて、良い習慣を身につけるのが難しいのは、理由が二つある。一つは「変えようとするものが間違っている」で、もう一つは「習慣を変えるための方法が間違っている」と。で、本書第2章では、「変えようとするものが間違っている」という部分について詳述してある。 じゃあ、普通の人は、何を変えようとするのか。 クリアー曰く、普通の人(つまり、習慣を変えることに失敗する人)は、結果を変えようとする、というわけ。あるいは、何らかの成果を得ようとする。 たとえば「喫煙」という悪習慣を変えようとしている人は、タバコを吸わないという結果、ないしは成果を達成しようとしがちだと。だから、こういう人が誰かから「タバコ、どうですか?」と勧められると、「いや、結構です。禁煙中なので」というような答え方をする。 はい、こういう人は、絶対禁煙できません~。 では、喫煙習慣を変えて、禁煙に成功する人はどう答えるか。そういう人はね、「いや、結構です。私はタバコを吸いませんので」と答えるんですって。 「禁煙中だからタバコは要らない」と答える人と、「私はタバコを吸わないので、タバコは要らない」と答える人。この両者には大きな違いがあると、クリアーは言うわけ。 前者は、まだ自分が喫煙者であることを認めているのね。喫煙者なんだけど、今は禁煙中だ、と。しかし後者は全然違う。後者は「自分はもはや喫煙者ではない」と言っている。 つまり、アイデンティティーが違うんですな。前者のアイデンティティーは「喫煙者」、後者のアイデンティティーは「非・喫煙者」。だから、前者は禁煙に失敗するし、後者は成功する。 クリアーによれば、すべての習慣の背後にはアイデンティティーがある。そのアイデンティディーを変えない限り、習慣を変えることはできないんですな。だけど、アイデンティティーごと習慣を変えようとする人は少ない。だから、多くの人は悪習を断ち、良い習慣を身につけることに苦労するのだけど、アイデンティティーから変えてしまえば、そうすることはずっとたやすくなると。 ひょえー! 素晴らしい洞察! 私はこの章を読んで感動しちゃった。 だからね、「ボストンマラソンに出るために、ランニングの練習をしよう」としても、この習慣は身に付かず、さぼりがちになるわけ。そうではなく、「私はランナーだから、毎日走るのは当たり前だ」という風に、ランナーとしてのアイデンティティーを確立していれば、さぼることはなくなると。「選挙の投票は国民の義務だから」と思っている人は、悪天候の中、わざわざ投票に行くことにためらいがちになるけど、「私は有権者だ」という風にアイデンティティーを確立している人は、天候がどうだろうが投票に行く。それが自分であることの表明だからね。 ただし、アイデンティティーは諸刃の刃でもあるのね。たとえばアイデンティティーとして「自分は数学が苦手だ」と信じている人は、数学の勉強をすることをためらうようになる。同じく「自分は方向音痴だ」という風にアイデンティティーを持っている人は、地図を読む練習すらしなくなる。こうなると、習慣を変えないための口実にアイデンティティーを使っていることになりますわな。 だから、扱いは難しいのだけど、確実に言えることは、アイデンティティーごと変えていかないと、悪習を断って良い習慣を身につけることは難しいということ。これは覚えて置いていいことではないかと。 で、以下、本書ではどうやったら良い習慣を身につけることに成功するか、どうすれば悪習を断てるか、その具体的かつ効果的なノウハウが次々と出てきます。 たとえば、「いきなりハードルを高く設定してはダメ」とかね。 毎日、本を読むことを義務付けようとか、毎日走ろう、と決意しても、三日坊主になりがち。それならば、最初のうちは「毎日1頁だけ読もう」とか、「毎日2分だけ読もう」とか、そういう風に極端に低いハードルを設定する。「毎日走る」のではなく、「毎日、この時間になったら、ランニングシューズに足を入れる」とか。そうやってごくごく軽い負担を設定し、しかし毎日確実に続けていけば、いつか1頁、2分の読書だけでは物足りなくなるし、どうせランニングシューズを履いたのなら、家の周りを一周するか、という気にもなる。まずはそうやって、習慣を継続することが重要だよ、と。 逆に、悪い習慣を断つためには、その悪い習慣を続けるためのハードルを上げる。ついついテレビを見てしまう、ついついパソコンでアプリを使ってしまうのであれば、テレビを観た後にはコンセントを抜いてテレビを押し入れに片付け、アプリを使った後にはその都度そのアプリを削除する。次にテレビを見たり、アプリを使うために、相当面倒臭いことをしなければならないのなら、その習慣はだんだんなくなっていくだろうと。 あるいは、人に見られている、あるいは、人から判断されていると考えると、自ずと自制心が出る、という心理学的真理を用いて、家族の誰か、たとえば奥さんとかに、「自分が○○していたら/していなかったら指摘してくれ」というように頼んでおくとか。あるいは、もし「○○をしていたら/していなかったら」特定の誰かにある程度の額のお金を渡す、というようなルールを設定しておくといい、とかね。なぜなら、人間は、短期的な罰を避けたがる習性を持っているから。 あるいは、毎朝、健康的な食事をとる、ということを目標にするのならば、朝を迎えてからあれこれ作業するのではなく、前の晩のうちにサラダを作って冷蔵庫に入れて置くなど、そのための作業を少なくすれば、習慣が維持されやすいとか。 とまあ、そんな感じで、どうやれば良い習慣を続けられるようになるか、悪い習慣を断てるようになるかについて、心理学などの学問的根拠のあるありとあらゆるノウハウが書いてあって、それらはどれも理屈の通った、効果的なものだと私には思えます。 まあ、でも、やっぱり私にとってこの本を読んで一番驚いたのは、アイデンティティーの部分から変えろ、というアドバイスだったかな・・・。あれにはまいった。 ということで、私もこの本を読んで、アイデンティティーごと変えて、よい習慣を身につけることにしようと思います。大いに勉強になりました。この本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣 (フェニックスシリーズ) [ ジェームズ・クリアー ]
July 20, 2025
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明日は参院選、なんだけど、妙に静かだねえ・・・。私が子供の頃、選挙と言えば、街宣カーが走り回り、朝から晩まで候補者の名前だけを連呼して五月蠅かったものだけど、最近はそういうのはご法度になったのかしら? まあ、五月蠅くなくなるのはいいけど、投票前日だというのにこんなに静かだと、逆に寂しくなってくるわ。もうちょい、盛り上げていった方がいいんじゃね? ところで、参院選の争点をみると、消費税問題やら地方創生やらが争点として挙げられているけど、私が思うに、これらを一挙に解決する方法なんて簡単ではないかと。 人口流入が続いている首都圏とかの消費税を15%くらいに上げて、人口が減りつつある地域には段階的に10%、8%、6%・・・みたいに下げていって、もうすぐ消滅すると予想される過疎地域は消費税ゼロにしちゃえばいいじゃん。で、その比率を5年毎くらいに見直すと。 アメリカでもオレゴン州のポートランドは、消費税ゼロだよ。その分、住民税は少し高いみたいだけど、結果として近隣の街や近隣の州から買い物客が押し寄せるので、ポートランド自体は潤っている。消費税と頭は使いようよ。 だから日本でもそういう風に傾斜配分すればいいんだって。 最近の日本の政治は現ナマをばらまく政策ばかりで、消費税維持を主張する党も「消費税で国が得たお金を地方に還元する」みたいなことを言うけど、そんなことしないで、消費税率を地方毎に傾斜配分すれば、自動的に過疎問題まで解決できるじゃないの。どうしてそういう風に考えないんだろう。 まあ、政治家も官僚もおバカさんなんだろうね。 しかし、明日の結果次第では、石破さんの首も危ないな。結局、あの人、何にもしなかったね。期待外れもいいところ。と言って、次に「この人になって欲しい」というのもいないしなあ・・・。ひょっとして、コメ騒動で名を上げた小泉ジュニアがなったりして。そうなった暁には・・・くわばら、くわばら。
July 19, 2025
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名古屋センチュリーシネマで『ストレンジ・ダーリン』という映画を観て来ました。 テレビドラマ『ジャック・リーチャー』で女性捜査官を演じて印象的だったウィラ・フィッツジェラルドがこの映画でヒロインを演じているということもあり、興味津々。 で、この映画の一つの見どころは、時系列がバラバラに描かれているところ。全6章でできているのですが、それが1章、2章、3章・・・と順番に描かれるのではなく、最初に第3章から始まるのだから、観客としては当初、何が何だか事情が分からないまま、物語が進行していくことになる。そこがね、スリラーとして面白いところで。 しかし、そこに面白さがあるので、ストーリーをばらすわけにはいかないのね。漠然と、「シリアル・キラーと遭遇してしまった人々がとっても悲惨なことになる」としか言えません。まあ、興味のある方はぜひ。観た後の感想としては、人間って、怖いなと。これこれ! ↓『ストレンジ・ダーリン』公式サイト さて、私としてもう一つ、是非観たいと思っているのは、もちろん『鬼滅の刃』無限城篇第一部。テレビでこれまでのエピソードも十分復習したので、準備は万端。久々に邦画を観ようかなと。昼間に観に行くと、夏休み中の子供たちと一緒になってしまうので、せめてレイトショーで観なくちゃね。
July 18, 2025
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今日は道場の日だったので、仕事帰りに一汗かいてきました。 そうしたら、今日は珍しくうちの道場の師範格が全員揃っていたという。道場主で皆伝師範のA先生はもとより、同じく皆伝師範のU師範、そして5段師範のOさん、H田さん、H松さん、そして私。一つの道場に6人も袴姿の師範が揃うと、なかなか壮観です。そしてそれに加えて黒帯さん、白帯さん、さらには見学の方もいらしたので、総勢12人くらいいたかしら? これって・・・鬼滅的に言うと・・・柱稽古? なるほど、ならば一人一人、割り当ててみよう。 A先生は、もちろん産屋敷先生ですな。となると一番弟子のU先生は、岩柱の悲鳴嶋さん? 私の兄弟弟子のOさんは、滑らかな技を繰り出すので、水柱かな。 H田さんは、力が強いので、炎柱か。H松さんは、物静かだから霞柱に決まり。 残るワタクシは・・・ワタクシは・・・恋柱か(なんだよ、それ!)。うそうそ、文章を書くから、「筆柱」を自称するということで。 まあ、ワタクシは鬼滅の柱の皆さんのように強くないけれど、稽古だけは一生懸命、務めることにいたしましょうかね。
July 18, 2025
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チラッと家の近くにある古本屋(ブックオフ的な)に寄ったら、110円コーナーに田村隆一の『自伝から始まる70章 大切なことはすべて酒場から学んだ』(思潮社・詩の森文庫)が刺さっていたので、とりあえず、文化財保護。これこれ! ↓自伝からはじまる70章 大切なことはすべて酒場から学んだ (詩の森文庫) [ 田村隆一 ] で、チラチラ読み始めたんだけど、やっぱり面白いんだ、コレが。田村隆一という詩人、中途半端に無頼派なので、身近な知り合いとしていたらちょっと面倒臭そうな感じだけど、エッセイストとしては一流ですな。 で、この本はそんな田村さんの学生時代のことから書き始められていて、戦中の新宿あたりの飲み屋のことがあれこれ書いてあるんだけど、そういう酒場とかで田村さんは色々な人に出会う。中桐雅夫だったり北村太郎だったり、武林夢想庵の娘だったり、堀田善衛だったり、白井浩二だったり、芥川比呂志だったり、草野心平の奥さんだったり。 で、こういうのを読むと、私は何だか不思議な気になるのよ。オレの学生時代には、そんなことはなかったなと。 で、田村さん世代以前の人たちと、私以降の人たちの決定的な違いがここにあるのではないかと。つまり、人的関係性に富んでいるか、それとも乏しいか、という。 たとえば、自己啓発思想の研究をしていて、日本の自己啓発思想の明治・大正期の展開なんかを見ていくと、そこに「岩波文化世代」というものがある。岩波書店が出していた本に、当時の人たちは大いに啓発されていわけよ。 じゃあ、岩波文化とはなにか? 岩波書店の書店主・岩波茂雄は、一高は出たけど東京帝大には進学せず、古本屋になった人。ではなぜ古本屋の店主が、岩波書店なる堂々たる出版社を興せたかというと、夏目漱石にコネがあったから。 ではなぜ夏目漱石にコネがあったかというと、一高時代の友人たちが帝大に進学し、ケーベル博士の薫陶を受けた後、漱石の弟子になったから。そしてそういう友人たちに口添えしてもらって、『こころ』を岩波から自費出版することを、漱石に頼むことができたから。 で、『こころ』がバカ売れした後、漱石の本は岩波から出ることが通例となり、また彼の高校時代の友人たちもそれぞれ出世して学者になったり作家になったりして、そういう連中の本も岩波が引き受けることになって、それでこの時代の文化的に価値のある本はすべて岩波から出ることになってしまったと。それで、岩波文化圏というものができたのであって。 つまり、すべては人的関係性の故ですよ。 今、そういう人的コネって・・・あるの? 実際にはあるのだけど、私がそのサークルの中に居ないから知らないだけか・・・。どうなのかね。 でも、仮にあったとしても、昔ほどはないんじゃないかな。 そもそも、昔の大学に通う人なんて、ほんの一握りのエリートだけだから、いわば選りすぐりの人たちが一ヵ所に集まるわけだよね。だから、そこで知り合った人たちが全員、後に有名になって・・・ということだったのではないかと。 昭和40年代半ば以降の大学なんて、マンモス大学、レジャー大学だから、そこで知り合った人全員が後に有名になる、なんてことにはならんのでしょう。 そういうことを考えると、なんか昔の人たちの学生時代って、羨ましいよね・・・。新宿の酒場に行ったら、あそこに詩人の〇〇がいる、あっちには評論家の△△、こっちには俳優の✕✕がいる、という風で、その内みんなで合流して盛り上がって、喧嘩して、殴り合いになって、なんていう青春時代が欲しかったわ。 そう言えば大学院の頃、同級生たちとパソコン(NECの8ビットパソコン!)を秋葉原に買いに行ったら、向こうから自転車に乗った吉本隆明が我々の脇をすり抜けていったけど、我々の世代の有名人との遭遇って、そのくらい薄い薄いうっすいものでしかなかったんだねえ・・・。
July 16, 2025
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このところ、仕事の依頼が来ないな、と思い、昨日、大学への出勤途中に寄り道をし、行きつけの(?)白山神社に出向いて、いつもより多めのお賽銭を投入しつつ、「マスコミ系の仕事の依頼がありますように」とお願いしてきたんです。 いや、正確に言うと、「マスコミ系の仕事を回してくださって、ありがとうございました」と過去形でお礼を言ったの。神社にお参りする時は、未来のことも過去形でお願いしないとダメよ。もうその願いは叶いました、という体でお参りするのが本式だからね。 そうしたら・・・ もう、今朝、ご利益、出ました。デジタル雑誌への執筆依頼。 こうも顕著にご利益って出るものかね? 昨日の今日だよ!? いいのか、こんなに図に当たって?? しかもね、デジタル雑誌と言っても、そんじょそこらのじゃない。天下の Forbes だからね。 ということでまたしてもライター業発動! ありがたいねえ。またまた小銭を稼いじゃおうっと。 でも、ほんと思うんだけど、皆さんも神社への参拝、した方がいいよ。しかるべき額のお賽銭を投入して、礼儀正しく、かつ神様に甘えるつもりで、一心にお願いしてみ。うそ!?っていうほど、ご利益あるよ。 まあ、こういうことを言うと、学者にあるまじき、とか言われるんだけど、言いたい人には言わせておきましょう。ご利益さえあれば、こちらとしては何を言われたっていいんだから。そうやって、どんどん実績積んで、仕事していけばいいだけの話で。 とにかく、白山神社とそこのお住まいの龍神様を味方につけているワタクシはまさに最強。夏は仕事するぞ~!!
July 15, 2025
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マルコム・グラッドウェルが書いた『天才! 成功する人々の法則』(原題:Outliers: the Story of Success, 2008)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 マルコム・グラッドウェルというのは、私と同い年の人ですが、モノが爆発的に売れ始めるとはどういう現象かを説明した『ティッピング・ポイント』という本で華々しくデビューし、直観やひらめきの正しさを論じた第2作『ブリンク(最初の2秒の「何となく」が正しい)』も売れたベストセラーライター。当然、『天才!』も売れて、まあ羨ましい限り。 しかし、売れるのも当然で、グラッドウェルは目の付け所が素晴らしい。 本作『天才!』も、冒頭からして面白いんだ、これが! この本の冒頭、ある学者さんが奥さんを連れてアイスホッケーの試合を見にいくシーンがある。で、選手たちを紹介したプログラムを見ていた奥さんが、ある驚くべき事実に気づくんですな。 なんと、アイスホッケー・リーグのトップチームの選手たちのほぼ全員が1月・2月・3月生まれだったと。 で、奥さんにそのことを指摘されてビックリしたその学者さんは、慌てて他のプロ・ホッケーチームの選手名鑑を調べたら、そこでも圧倒的多数が1・2・3月生まれだった。 なんでそうなるのか。 実はカナダのプロホッケー界では、毎年、1月からシーズンが始まるので、ホッケーというスポーツ全体が1月を基準に年度が変わっていくわけ。そうするとその下のリーグもそうだし、もっと若い、9歳とか10歳とかいう少年たちのレベルでも、1月のシーズン開幕と同時に、有望株を探す作業が始まると。 そういう少年レベルになると、1・2・3月生まれは、10・11・12月生まれの子供よりよほど成長が早いわけ。だから体も大きい。当然、上のリーグの連中がその中から有望株を探すとなると、1・2・3月生まれの、体の大きい選手から探すことになるので、そういう子たちが特待生枠に入りやすいと。 そうやって小さい頃からホッケー特待生に選ばれ、その分、他の月の生まれの子供たちより早く、専門的な指導を受け、豊富な練習時間を与えられ、設備の整った環境でホッケーの練習ができるようになるので、そういう子供たちは、そうでない子供たちよりどんどん上達していく。結果、プロ・ホッケー選手になるのは、そういう子供たちの誰かなんですな。だから、カナダのプロ・ホッケー選手の大半が1・2・3月生まれだったと。 はい、このことから何が分かるでしょうか? プロ・ホッケー選手になる人というのは、ホッケー選手のごく一部、頂点の頂点、すなわち全員が例外的な天才(Outlier)なわけですが、実は天才というのは、単にその選手の才能のことを指すのではなく、その選手が勝ち得た「環境」をも指すのだと。つまり、天才が生まれるためには、偶然その人に与えられた環境の影響が、実は想像以上に大きいのだと。 だけど、天才が開花するためにはもう一つ条件があって、それは圧倒的な練習量。で、本書によると、そこにもティッピング・ポイントがあって、それは「1万時間の練習量」(47ページ)なのね。複雑な仕事をうまくこなすためには、1万時間の練習が必要であると。 だから、早くから才能を開花させた天才というのは、偶然恵まれた環境の恩恵で、早くから練習を始めることができたため、早い時期に練習量1万時間を突破し、そのために若くして才能を花開かせたのだと。 たとえばモーツァルトのような天才ですら、6才の時に作った交響曲なんて大したことない。だけどその後モーツァルトは作曲を続け、21歳の時に初期の傑作『ジュノム』を書き上げる。6才の時から21才までの間に、モーツァルトは「1万時間」の壁を突破したんですな。 だから、天才というのは環境の影響を受けるわけだけど、たとえばビル・ゲイツもそう。 ビル・ゲイツはもちろん、コンピュータ界の天才であるわけだけど、彼がその才能を発揮できたのは、生まれたのが1955年だったから。もしそれ以前に生まれていたら、まだパソコンがない時代なので、少年時代の彼がパソコンに触れられたはずがない。またもしもっと後に生まれていたら、ただ単にパソコンに詳しい少年ということで、そのまま大学でコンピュータを学び、卒業後はIBMにでも就職して平凡な技師で終わったかもしれない。 パソコンの創成期、まだどっちの方向に成長していくか分からない時期に、たまたま、完成まもないパソコンに触れるチャンスを得たことによって、ビル・ゲイツの才能が開花したのであって、それは生まれ年という、ゲイツ本人にはどうしようもない環境的条件の結果であったと。 天才とは、個人の才能と、その個人が偶然に得た環境の産物だ――これが本書を通じてのグラッドウェルの主張ね。 すごくない? 天才ってのは、いつの時代に生まれても才能を開花させたはずだ、という風に普通は思うわけだけど、そうではない、と、色々な例を引きながら説得力を持って主張するわけだから、この本が面白くないわけがない。 でまた逆に言うと、環境が揃わなかったら、天才は天才を発揮できないということにもなるのだけど、グラッドウェルはそういう例も出す。IQ的に言えばアインシュタイン・レベルの人がいるんだけど、この人は生まれた家の環境が悪くて、親の支援が受けられなかった。その結果、大学すらもまともに出ることができず、何の成果も出せないまま、フリーターみたいな状態になっている。 そういう人っていうのは、多分、世界中にゴマンといるんでしょうな。環境のせいで、才能を伸ばせなかった人っていうのは。 でも、このことはある意味、とても自己啓発的なわけよ。だって、生まれ持っての才能の部分は自分にはいかんともしがたいけれど、環境については、ある程度まで自分で何とかなるわけだから。たとえ才能の点では多少、トップの人たちには届かなくても、自分で環境を整備し、「1万時間」の練習量をこなせば、ひょっとすると、埋もれた天才よりはすごい仕事を後世に残すことができるかもしれないのだから。 だからこの本は、ある意味、自己啓発本です。 だけど、この本はここからさらに、妙な方に話が進むの。 たとえば、ある時期、韓国系の航空会社が、航空事故を頻発させた、というような話が延々と続いたりする。 ではなぜ、韓国の航空会社で飛行機がやたらに落ちるのか? それは、韓国社会が長幼の序を重んじるから、なんですな。だから、副機長は、機長のやることに口出しできない。機長が間違った判断をして、副機長がその間違いに気づいたとしても、長幼の序があるから、機長にそのことが言えない。だから結局、機長の間違った判断のまま、飛行機が落ちると。 つまり、飛行機が落ちるのは、韓国の長幼の序を重んじる文化のせいだったわけ。 天才を生むのも環境の要因が大きいのだけど、飛行機が落ちるのも、実は、環境(文化)のせいだったと。 だけど、人はそのことに気づいていない。文化のせいで飛行機が落ちるなんて、思ってもいない。だから、このことに気づくのが重要だよと。事実、韓国の航空産業でもこのことに気づき、コックピットの中の会話を英語でするように変えたんですって。そして機長と副機長が英語で会話することで、文化的要素が多少とも薄れ、お互いプロとしての仕事を完遂することができるようになった結果、実際に韓国の飛行機は落ちなくなった。 つまり、そのことに気づけば、直すこともできると。 はい、自己啓発~。 そして、さらに印象的なのは、この本の最後の章。なんとグラッドウェルは、自分の先祖の話をし始める。 それによると、グラッドウェルの祖先はジャマイカの人なんだけど、そこにイギリスから支配層(白人)がやってきて、サトウキビ産業を興すと。 当然、白人は、ジャマイカの黒人の女性を奴隷として買って、愛人にする。すると、色の白い混血の子供が生まれる。 アメリカの場合と違って、ジャマイカでは、白人支配層は金儲けのことだけ考えていて、ジャマイカを政治的に支配しようとは思っていない。そうなると、あくまで現地のことは現地人が仕切ることになるのだけど、そうなってくると、現地人の中でも肌の色が薄い人ほど、ジャマイカ社会では特権的立場を得ることになる。 で、グラッドウェルの祖先も、混血児の家系として特権的な立場を得てきたと。だから、さらにその子孫であるグラッドウェルも、いい身分の子として、あらゆる恩恵を受けながら育った。もちろん、それは混血ヒエラルキーの結果なのだから、大手を振って自慢できるものではないかもしれないけど、とにかく、そうだったと。 グラッドウェルは本書の最後の章でそういう自分の出自を語るわけ。自分が今日あるのも、そういう環境のおかげだと。 ちょっとこの辺りの記述は、なんというか、ぞっとするような告白だよね! でも、グラッドウェルは自分のことも、環境の結果なんだと認めることで、本書の主張の後ろ盾にしているわけ。 というわけで、この本、厳密な意味で実証的な本ではないかもしれないけれど、妙に説得力があると同時に、単なるビジネス書ではない、どこか文学的な何かを感じさせるような締めくくりを持つ、印象的な本だったのでした。これこれ! ↓【中古】天才! 成功する人々の法則 /講談社/マルコム・グラッドウェル(ハードカバー)
July 14, 2025
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5月にお世話になった先輩同僚が亡くなったので、現在、同窓会報の追悼号を編集中。かつての同僚や、教え子の皆さんから追悼文を募集し、それを編纂しております。 で、一応、今日を提出締切にしておいたので、続々と追悼文が届いているのですが、そういうのを読んだり編集したりすると、亡くなられた先輩同僚の人徳というか、そういうのがますますよく分かる。 やっぱり、いい先生だったんだなと。 じゃあ、何がいい先生の決め手かっていうと、オープンであること、かな。 確かにその先輩同僚のH先生は、教え子に対してとてもオープンだった。誰に対しても気さくに話しかけ、世話をする時は全力で、っていう感じ。垣根を作らないというか。それが誰に対してもそうなので、そこがすごいなと。 そういうのを、人は敏感に感じ取るんでしょうな。だから、教え子の誰もが、H先生に対してすごくいい印象を持っている。 翻って、自分はどうなのかと。 オープンでない、とまではいわないけれど、誰に対しても等分にオープンかというと、そうでもない気がする。ゼミ生に対してはオープンだけど、それ以外の学生に対しては、結構厳しかったり。 それは、必ずしも意識的にそうしているというより、結局、人見知りなのよね、ワタクシの場合。だから、よく知る学生には甘いけど、そうでない学生にはこちらから親しげに近づいて行くということまではしないかな。 本当は、それではダメなんですな。誰に対してもオープンであることが、人としての器量なのでありましょう。その点、ワタクシはH先生には全然かなわない。 こんな調子では、私が死んだ時、一体誰が「追悼」してくれるのか。考えると怖くなる。 まあ、ワタクシもこれを機に少しは反省して、人に対してオープンであることを学ばないといけないのかもね。
July 13, 2025
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土曜日は、午後から家内が高校時代からの友人と年に二度の「バーゲン買い物ツアー」に出たので、夕食は一人で食べました。 というわけで、一人静かな週末。仕事はいくらでもあるので、それらを淡々と。 で、夜は近くのお弁当屋さんで、から揚げ弁当を。 咳をしても一人。 そして、夜、買い物バッグを持った家内を迎えに、最寄りの地下鉄の駅までクルマで。帰り道、楽しかった今日一日の話を家内から聞きながら。 まあ、そんな一日でした。
July 13, 2025
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今年の9月、1週間ほど京都に滞在するので、今日、その宿を予約しました。 何でもないことを言っているようでしょ? でも、違うの。すっごく気が重いの。 なぜなら、私は、日本の中で京都ほど嫌いな町はないから。ほんっとにキライなのよね。だから、そこに1週間も泊まるなんて、考えるだけで身の毛がよだつわ。 じゃ、なんでそんなにキライな町に1週間も滞在するのかっつーと、京大で集中講義をやるからだよ! 集中講義をするのは初めてだし、伝統ある京大で教鞭を執るという経験も得難いもので、つい、承知しちゃったんだけど、時期が近づいてくるにつれ、気が重くなってきた。 でも、まあ、仕事を引き受けた以上は仕方ない。 で、ようやく重い腰を上げて、ホテルの予約をしたという次第。 だけど、とにかく京都がキライだから、観光とかで行ったこともあまりない。なので土地勘が全然ないのよね。どこに泊まればいいのかさっぱり。 っていうか、そもそも京都駅と京大との位置関係すら全然知らなかったんだけど、地図で見ると、ふむふむ、こういう感じなのね。 でも、京都大学にほど近いホテルに宿をとると、夜、飯を食う場所とかに困りそうな気もするしなあ。やっぱり駅の周辺に宿をとった方が、トータルでは便利なのではなかろうか? とまあ、あれこれ考えた結果、京都駅と七条駅の中間くらいのところにあるビジネスホテルに決定! これなら京都駅も近いし、七条駅から電車に乗れば、出町柳にもすぐ出られそう。我ながら頭いい! っつーことで、とりあえず宿は確保できたので一安心。こうなった以上、1週間の京都ライフを楽しむことにしましょうかね。この先、そんなことは二度と起こらないだろうしね。
July 11, 2025
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2,3か月前からずっとギックリ腰のような症状が続いているもので、一度整形外科で見てもらおうと、今日は出勤前に病院に寄ってきました。 前に一度、五十肩の時にお世話になった病院だったのですが、比較的大きな病院なのに、運営がとても効率的で、待ち時間が少ない。今日も、ものの5分くらいで呼ばれてしまった。 で、問診を受け、実際に背骨や足、腰の具合を触診で見ていただいた後、レントゲンを撮ることに。 で、レントゲンを撮り終わると、もうすぐに診断に進むという効率の良さ。素晴らしい。 結論から言いますと、とりあえず骨に異常なし。というか、年齢の割にはしっかりとした背骨なんだそうで。 もちろん、レントゲンでは神経までは映らないので、さらに詳しく検査するならMRIを撮らないといけないのですが、手足にしびれのような症状はないようだし、とりあえず痛み止めの飲み薬と湿布を貼って様子を見て、いつまでも痛みが続くようならもう一度検査しようということになり、今日のところはこれにて終了。 まあ、そういうことになるだろうとは思っていましたが、レントゲンまでとって異常なしとお医者さんに言われると、なんとなく不安が解消し、「痛み程度なら、放っておけばなんとかなるだろう」という楽観的な気分にもなる。病院に行くということの半分くらいは、この楽観をもらうためですからね。 それにしても、担当してくださった「山田先生」とおっしゃる整形外科の先生がステキな方でね! お歳は私より上のようでしたが、上品な老紳士で、ニコニコといかにも優しい。そして触診の際の診察の手際がテキパキと素晴らしく、判断が速い! 診察結果を教えてくださるのも丁寧で、暖かく、親身になってくれる感じ。「ああ、この先生に任せておけば大丈夫だな!」という感じがするんですわ。 昔から「医は仁術」って言うけれども、まさにこの言葉を体現しているような慈愛溢れる先生だったわ~。こういう先生に出会えたというのも、偶然とはいえ、きわめてラッキーなことでした。 っつーことで、やっぱり今日は思い切って病院に行って良かった! 今日も、いい日だ!
July 10, 2025
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いやー、毎日暑い! 年々、夏の暑さが異常になってきますな。7月上旬でこのざまでは、盛夏になったら40度越えもあるんじゃない? さて、そんな夏の日差しに備えて、昨年、私は日傘を買いまして。それも結構洒落たヤツ。内側は黒だけど、外側は「アジサイ色」という。 だけど、まだ実際に使ったことはないんだよね・・・。 だって、やっぱりまだちょっと恥ずかしいんだもん! 昭和の男としては、「男子たるもの、日光を避けるようでどうする」という気持がちょっと残っているもので。だけど、そうは言いつつ、さすがにこのキビシイ夏の日差しをまともに浴びると、「死ぬな・・・」という気がしてくる。 で、たまたま今日のゼミで、その話題になったんだけど、その時、「まだ気恥ずかしくて、日傘をさしてない」と告白すると、ゼミ生たちが一斉に口をそろえて言うには、「先生、それはさすべきです」と。「釈迦楽先生がさしたら、ぜったいに似合う」と。 え、まじ? 若い衆に躊躇いなくそう言われると、何だかちょっと自信が出てきた。 よーし! 明日はいよいよ、日傘男子デビューをするかな!
July 9, 2025
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昨夜、実家から名古屋の自宅に戻ったのですが、その途中でちょっと寄り道。 いつもですと、新東名の清水SAあたりで夕食をとる、というのが帰り道の定番だったのですが、毎回それだとちょっと面白くない。 ということで、今回は趣向を変えまして、東名の沼津ICで高速を降りて、沼津市街で夕食をとろうということにしたわけ。そりゃ、SAよりも町に出た方が、食べ物のバリエーションは増えますからねえ。 だけど、それだけじゃない。今回は寄り道にさらに寄り道を加え、沼津の町中にある「ジュジュカ」という古着屋さんに寄ってみたんですわ。 名店の誉れ高いお店ですが、噂に聞いた通り、品揃えが面白い。店内のしつらえもステキ。でまた、お店のオーナーご夫妻がとても感じのいい方たちで、ほんとに気分よく買い物ができる。これが一番の魅力かなあ。 で、あれこれ試着した結果、家内がサマードレスみたいなのを気に入ってゲット。私は、リーバイスの501のブラックデニムをもう少しで買いそうになったのですが、まあそれは我慢。でも、いい買い物ができました。ジュジュカ、最高! で、いい気分でお店を後にした我等が向かったのは、沼津港。ここにお魚を食べさせるお店がずらりと並んでいるので、そのどこかで夕食を食べようというわけ。 ところが、到着したのが7時過ぎだったんですけど、もうほとんどのお店が閉店しておりまして。うーん、沼津は夜が早いのかなあ? でもそんな中、営業中だった「浜焼きしんちゃん」というお店に入ることに。 で、ここで「アボカドと豆腐のサラダ」「中落ち焼き」「猟師風チャーハン」「シラスご飯」など、あれこれとって食べたのですが、これがまたどれも美味しくてね。大満足の夕食となったのでした。 で、そこから東名愛鷹インターに戻って名古屋に戻ったのですが、夜の沼津市街、とりわけ千本松沿いを走っていると、なかなか趣がありましてね。今度は夜ではなく、海が見える昼に来てみたいなと思いました。 まあ、沼津に限らず、知らない街をちょっと散策するってのは、面白いもんですな。 ということで、ジュジュカで買い物をしたり、港で魚料理を食べたり、街をドライブしたり、いつもの東京・名古屋往復ではない、ほんのちょっとの冒険をして、大いに楽しんだ我等だったのでした。
July 8, 2025
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昨日相続関係の手続きと父の祥月命日がらみのお墓参りを済ませ、今日はもう名古屋に戻ります。 で、どうせならちょっとだけご馳走を食べようということになり、今日の昼は新百合ヶ丘にあるイタリアンの名店、ラ・カンパァーナでランチをすることに。 ランチの予約はできないということでしたので、少し早めに行って、開店と同時に入店。私と家内、そして姉と姪っ子の4人でテーブルを囲みました。で、大人3人は魚(タイのムニエル)料理を、姪っ子はパスタを。 で、この時に、ワタクシはグラスで白ワインを頼んだのですが、その銘柄がナエリというもので。これが結構美味しかったのよ。パイナップル・青りんご系の味わいですが、辛口で、最後に少しビターなテイストがある。夏に冷やして飲むには最適。高級なワインではないので、日常的に楽しめそう。これこれ! ↓【ポイント3倍 7/15まで】ドリアノーヴァ ナエリ 750ml [SMI イタリア 白ワイン 辛口 613957] ということで、美味しいイタリアン料理とワインを飲み、いい気分。 さて、今回の帰省の目的はこれで果たしたので、今日はこの後、名古屋に戻ります。このくそ暑い時期に帰省したので、なんとなく夏休みに入ったのかと誤解してしまいますが、まだまだ実際の夏休みまではひと月くらいある。まあ、それまで夏バテしないよう、頑張ります。
July 6, 2025
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昨日、実家に戻り、今日の午前中、司法書士の方と税理士の方にお会いして、相続関係の手続きを終えてきました。 そして午後は、お墓参りをして、父と母にそのことを報告してきました。まあ、色々片付いて、良かった良かった。 ところで、今回は、相続手続きと墓参りの他にもう一つ、ミッションがあったのであります。それはなにかと言いますと、実家の近くの有隣堂書店に寄って、「ブッコロー」をゲットすること。で、実際にゲットしてきました~! ブッコローって、ご存じ? 有隣堂書店のYouTube サイト、「有隣堂しか知らない世界」でMCを務めているキャラ。めっちゃ面白いの。すごい好き。これこれ! ↓ 有隣堂しか知らない世界 で、前々からブッコロー・マスコット欲しかったんだけど、なにせ有隣堂でしか売ってないから、名古屋では買えないのよ。でも、ようやく入手できたわ。 これ、通勤カバンに付けようっと。ちなみに「有隣堂しか知らない世界」のファンは、「ゆーりんちー」っていうんだけど、これで私も立派なゆーりんちーだ! っていうか、ワタクシもこのYouTube 番組に出たい! 「有隣堂しか知らない、自己啓発本のせかーい!」とか、そういうのやってくれないかしら。この番組に出られたら、自己啓発本の研究者として冥利に尽きる。 はーい、有隣堂の担当者の方~! ぜひ「自己啓発本の世界」を、番組で取り上げてくださーい! 出演依頼、お待ちしてまーす!
July 5, 2025
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本当は6月20日の父の祥月命日の近くに帰省したかったのですが、風邪を引いたりしたため、ちょっと遅くなってしまった。でも、とにかく今週末を法事で過ごすべく、今日、帰省しました。まあ、法事と言っても、家族でお墓参りするぐらいのものではあるのですが。 でもね、父が、そして母が、私の顔を見るのを楽しみにしていると思うので、明日は墓前に参ります。沢山のお花を持って。
July 4, 2025
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近藤康太郎さんが書いた『百冊で耕す』という本を読了したので、心覚えをつけておきましょう。 ひと月くらい前だったか、同じ著者の『三行で撃つ』という本を読んだことをここで書きましたけど、今度読んだ本はその姉妹本。『三行で撃つ』が文章の書き方指南本だったのに対し、こちらの『百冊で耕す』は、本の読み方について論じてある。 『三行で撃つ』も面白かったけど、個人的には『百冊で耕す』の方が好きかも。まあ文章の書き方というのは、人それぞれでね。近藤さんにとって「こうすればいい」というコツがあったとしても、それは私には通用しないことの方が多い気がする。一方、本の読み方となると、「その読み方はキライだ!」と思うような読み方なんか、ないからね。だから、共感できることの方が多いというか。 で、本書のタイトルである『百冊で耕す』の意味ですけど、「耕す」の方は、「cultivate」の意味。農業的に言えば「耕す」だけど、文化的な意味では「啓発する」とか「修行する」に近いのかな? 自分の内面を耕して、肥やせと。 じゃあ「百冊」とは何か。これはこの本のポイントとなる主張なんだけど、簡単に言えば、人生の友となる本百冊分の書棚を作れ、ということ。もちろんこれは単に「古今東西の古典百冊読め」という意味ではありません。そうではなくて、一生の友になるような本を100冊持てということね。そしてその100冊のメンツを、常に入れ替えろと。そうやって自分の血肉と化した本が100冊あれば、どんな状況であれ孤独にはならないし、幸福になれるよと。 映画『イコライザー』で妻を失った主人公マッコールが、妻の愛読書100冊を順に読破していくという設定になっていたけど、あれをちょっと思い出しますな。 まあ、でも、この提案はなかなかいいじゃない。 人文系の研究なんかしていると、本は無限に読み続けなければならないんですけど、そういう仕事で読む本とは別に「これがオレの愛読書ベスト100」というのを決めて、書棚の一角をその100冊のために割き、時々メンツを入れ替えながら、常時100冊の相棒たちを自分のすぐそばに置いておくってのは、いいよ。 やっぱり、人間の愛には限りがあるからね。読んだ本すべてに同等の愛は注げない。100冊に限るというのは、いい線引きだと思います。 あと、色々読んだ経験の果てに愛読書100冊をリストアップするのもいいけれど、場合によっては100冊の古典的名著を先にセレクトして、それを最初に書棚に置いちゃう、というのもアリだと近藤さんは言っております。で、それを片端から読んでいく。順序は逆になるけれど、先にセレクトした100冊の古典によって自分をそのレベルまで高めることができるよと。なるほど、それもいいアイディアかもね。 で、近藤さんご自身の100冊も、本書の巻末にリストアップされているんですけど、本書ではそこへたどり着くまでに、近藤さん流の本の読み方、というのが縷々、披露されている。 たとえば、まとまった読書の時間が取れないにしても、隙間時間の15分くらいはあるだろうと。ならばその15分を、スマホなんか見ないで本を読め!とかね。それも1冊の本をずっと読むのではなく、同時に4種類くらい読む。15分、洋物の古典文学を読んだら、次の隙間時間の15分には社会学的な本を読む。そして次には詩集を読む・・・みたいな感じで、性質の異なる本を常に4種類くらい読め、とか。 あと、本の内容が分からなくても読むことが重要だ、とも近藤さんは言っています。難しい哲学の本とか、素人が手を出したって、わかるわけない。でも、読む。目を字面の上に這わせる。それで一ヵ所でもわかるところがあったらいいじゃないかと。そんな風にわからない本を、わからないなりに、適当な間隔で何度もトライしてみる。時には参考書の力も借りながら。そうしているうちに、やがてはその本が何を論じようとしているのかくらいは見当がついてくるし、少しは面白味も分かってきて、たとえば他人にその本を読んだ経験とか、自分が面白いと思ったところはどこかとか、少しは語れるようになる。その「語れるようになる」というのが重要なんだと。 あと、できれば外国語の一つや二つ、ゆっくり本が読めるくらいにはマスターして、原語での読書に挑戦したり、あるいは日本の小説で他原語に翻訳されたものを読んでみたりするのも面白いよと。 あるいは読書とは、つまるところ、本を読んだ痕跡を残すことだから、本に線を引いたり、耳を折ったりして、感動したり納得したところがどこなのかを記すことも重要と、近藤さんは言います。そしてできれば、ある程度時間を置いて、その本で一番感動したところを抜き書きし、その抜き書きのノートを作る。そうすると、その抜き書きノートが一生の宝になるよと。 とまあ、そのほかにも色々、近藤さん流の読書術が書いてある。それはすべて近藤さんが実地にやっていることだから、説得力もあるし、採り入れたらいいんじゃないかなと思うようなことが随所にある。読書論としては相当説得力があります。 だから、なかなかいいよ、この本。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術 [ 近藤康太郎 ] ただ・・・。 前に『三行で撃つ』について書いた時も指摘したんだけど、近藤さんの文章がね、独特の外連味溢れるクセがあって、とても気になる。ハッキリ言ってキライ。 どういうクセかというと、常に一言余計なのよ。常に。 例を挙げると、〇物語の筋とは関係のない、なんということのない一節だが、わたしはこの一節から離れられなかった。救われた。〇速読だけでなく、遅読にも技術がいる。作法がある。〇本は、たしかに大事なものだ。人類の宝だ。しかし、大事にしすぎると、本を読む意味はほとんどなくなる。使われない名刀は錆びる。〇深みのある本棚を最初に作ってしまえば、その人は、いずれ深い人間になる。美しい本棚の持ち主は、やがて美しい人になる。本棚が人格を作る。〇それが納得できない。分からない。 上の五例、どれも最後の一文は余計だと思う。こういう余計なしっぽのついた文を繰り返し読まされると、ホントに嫌になってくるんだなあ・・・。 あとね、近藤さん、これだけの読書家でありながら、やっぱり自己啓発本をバカにするんだよね。これは、自己啓発本研究者としては、すごくガッカリする。でまた、そのバカに仕方が、例によって余計な一文付きなのよ。たとえば・・・〇本棚ひとさおに収まるだけの本しか持たないと、まずは決めてしまう。そこに、自己啓発本やお手軽なビジネス書の入り込む隙間は、おそらくないんじゃないか。いや、買って読んでもいい。しかし、読んだら処分する。古本屋に売る。〇しかしそれだけでは満足できない。新刊本も、話題本もベストセラーも、たまには自己啓発書やタレント本だって、本は浴びるように読む。読みたい。 こういう文体は、近藤さんが意識的に作って来たものなんだろうけれども、私はもっとクセのない、水が流れるような文章が好きだな。 ということで、この本、全体としてとてもいい本なんだけど、私の100冊には入らない本なのかもね。
July 3, 2025
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今日ほど、自己啓発思想のありがたみを実感したことはなかったねえ・・・。 いや、実はね、私が所属している科で、同時に二人、欠員が生じることになったのよ。一人は定年、一人は転出。 うちの科としては、二人欠員が出たわけだから、二人補充してもらいたい。だけど、今、地方国立大学はどこも火の車だからね。事前の予想では、一人も補充されないのではないかと言われていたわけ。つまり、「現在の人員、マイナス2」のまま、来年以降もやれと。それが大学執行部の思惑であると。 その話を聞いて、私も怒り心頭。ふざけんなよと。で、今日、大学の担当理事と私が面談し、この件に関して交渉することになっていたわけ。 でも、こちらとしては「欠員2」だけは避けたいので、今日はもう理事と刺し違えるつもりで、喧嘩腰の超攻撃的スタイルで交渉に臨もうと思っていたんですわ。 だけど、そこでふと考えた。おいおい、お前は自己啓発思想の研究者なんじゃないのかと。 自己啓発思想では、「客観的な世界なんてものは存在しない」と考えます。今私が見ている世界というのは、私の内面が反映された世界のみ。 もし私が喧嘩腰で交渉に臨めば、理事も喧嘩腰になるでしょう。私の内面が反映して、世界は互いへの憎しみに満ちたものになる。逆に、私が穏やかな笑みを持って交渉にあたれば、それが世界の姿に反映し、理事も折れるところは折れてくれるはず。 よし、ならば穏やかな世界を現出させようと、私は思ったわけよ。で、にこやかに、感じよく交渉の席についたわけ。 理事は、事前に私が怒り狂っているという情報を事務方から聞いていたようで、相当用心していたようですが、そこへ私が借りてきた猫みたいに穏やかに席についたので、向こうも毒気を抜かれてしまったらしい。 結果、「二人分の補充」という、信じられないような交渉成果を、私は自分の科に持ち帰ることに成功したのでございます。 これだよ、これ。これが自己啓発思想の世界なんだよ。私が微笑めば、世界も微笑むと。 っつーわけで、今日は自己啓発思想を実地に試して、見事な結果を得たワタクシだったのであります。まあ、これだけの成果をあげたのだから、夕食の時にはビールの一杯も飲んだっていいんじゃないの?
July 2, 2025
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先々週末に引いた風邪がまだ続いておりまして、どうも体調がよろしくない。私の場合、サッと風邪ひいて、サッと治るということがほとんどないのよね・・・。段々、段々、少しずつ、少しずつ悪くなっていって、その状態がいつまでも、いつまでも続くっていう。本当に質が悪い。 こういう時は逆に、炎天下で少し運動でもして、滝のような汗でもかいた方がいいのかしら? それでスッキリ治るのなら、やるけどね! とはいえ、授業はあるし、会議はあるし、そうそう休んでもいられない。困ったもんですわ。 とりあえず今日の授業はなんとかやり遂げた。問題は明日の会議二つ。それを乗り越えれば少し、楽になるかな。 まあ、頑張りましょう。
July 1, 2025
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