全404件 (404件中 1-50件目)
宇宙戦争 (偕成社文庫) [ ハーバート・ジョージ・ウェルズ ]この表紙を見てわかるように、火星人の戦闘マシーンは巨大怪獣である。そして、このSF小説は、怪獣パニック映画として味わうことができるのだ。件の戦闘マシーンについて、小説の中では「怪物のようにおおきな三脚とでもいおうか。たいていの家よりも高く、若い松の木ぐらいはかるがるとまたげて、ぶつかれば両側へなぎたおしていく」と描写されている。「背たけは30メートル」という表記もある。なおかつ、戦闘マシーンは熱射線を発射し、人々も森も街も焼き払う。最初はイングランドのウォーキングあたりに飛来した火星人は、戦闘マシーンを駆使してロンドンに進攻していくのだった。経路に住む人々は、日常生活を奪われていく。次々に飛来する火星人、続々と増えていく戦闘マシーン。火星人の攻撃がますます激化し、映画でいうモブシーン、人々の逃げ惑う姿が描かれる。イギリス軍も砲撃により戦闘マシーンを一機撃破する、が、それだけ。まったく打つ手がない。などなど。小説『宇宙戦争』は、読む怪獣映画である。この戦闘マシーンについて、映像作品から、その登場シーンを見てみよう。『宇宙戦争(2019)』では、全4話の第2話の冒頭で初登場する。火星人の襲撃が始まった。「逃げろー!」という怒号、人々の悲鳴。しかし、どこで何が起きているかはわからない。わけもわかず、地響きに苛まれる中で、尖塔の向こうに何か巨大なものが見える。そして、尖塔の背後から、徐々に姿が見える戦闘マシーン。ゆっくりと三脚(トライポット)を伸ばして、戦闘マシーンが立ち上がった。完全に尖塔を見下ろす戦闘マシーン。さらに、戦闘マシーンを見上げる主人公。『宇宙戦争ーロンドン壊滅ー(2023)』宇宙からの奇妙な飛来物を見に来た主人公たち。すると、飛来物の向こう側から、巨大な甲殻昆虫の脚のようなものが見えてくる。「なんだ?」と思っていると、そのものはゆっくり立ち上がり、見上げるような高さとなる。あっけにとられている野次馬たち。いきなり熱射線が放たれ、人々は一瞬で焼き尽くされる。それに比べると、元祖『宇宙戦争(1953)』はちょっと物足りない。原作には、火星人のメカとして、戦闘マシーン、作業マシーン、飛行マシーンが出てくる。ジョージ・パル版映画の『宇宙戦争』では、戦闘マシーンと飛行マシーンが合体した形のマシーンになっている。このマシーンは飛行形態で、原作にある「おおきな三脚(トライポット)」の部位はない。そうすると、宇宙船の攻撃という印象になり、残念ながら怪獣感は乏しくなる。あと、『宇宙戦争(2005)』の戦闘マシーンは、街中で、いきなり地中から建物や車両などをぶっとばしながら登場する。圧倒的なパワーが発揮された、派手なシーンではある。しかし、その分、情報量が多すぎる。破壊される街に目が行ってしまい、肝心の戦闘マシーンの印象が薄くなってしまった。ここは、戦闘マシーンの巨大感に焦点化してほしいところだ。また、この戦闘マシーンは、メカ感が強い。モンスターというよりも巨大ロボットのイメージだ。やはり、巨大怪獣は、初代『ゴジラ(1954)』のように、山陰からぬっと現れるようなのがいい。一瞬、山が動いたかと思えるかのように、ゴジラの背びれと頭部が目に入る。人々の驚愕の悲鳴。ゴジラが人々に目を向ける。巨大怪獣を見上げ、恐怖し、こけつまろびつして逃げ去る人々。人々の背後から、ゴジラが咆哮を上げる。タメ、が効いてるね。宇宙戦争 ロンドン壊滅 [ サム・ギティンス ]宇宙戦争(1953) スペシャル・コレクターズ・エディション [ ジーン・バリー ]宇宙戦争 スペシャル・コレクターズ・エディション【Blu-ray】 [ トム・クルーズ ]『ゴジラ』 4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]
June 8, 2024
コメント(0)
女神の見えざる手【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]主人公エリザベスは、はなはだとっつきにくい人柄だが、有能なロビイストである。けど、ロビイストってなんだ?ロビー活動、は聞いたことがある。ロビーには「議院内の控室」という意味がある。つまり、人々が「議院内の控室」に行って、議員(政治家)に対して陳情や働きかけをすることなのだ。ロビー活動というものは。そうした陳情などを行う人のことをロビイストという。しかし、エリザベスの場合は、プロのロビイスト、なのである。大手ロビー会社(そんなものがあるんだ)のやり手ロビイストとして華々しく活躍するエリザベス。目的を達するためには、手段を選ばないところがある。そんな彼女を見込んで、有力な銃擁護派団体から仕事の依頼が来る。銃規制の強化を支持する多くの女性を、イメージ操作することで支持派に変えさせてほしいというのだ。しかし、銃規制強化派のエリザベスは自分の考えを曲げることをせず、会社を辞める。そして、銃規制強化を支持する側の小会社に移籍する。その後、銃規制強化に向かってあの手この手で驀進していたエリザベスであったが、やがて様々な障壁が立ち塞がってくる。エリザベスの同僚エズメは、かつて銃被害を体験したことがわかる。エリザベスは、気の進まぬエズメを前面に押し出し、活動を進める。しかし、そのエズメが、銃規制反対派の男から襲撃を受けてしまう。間一髪エズメを救ったのは、銃を所持する一般市民による発砲であった。なんたる皮肉。この事件は、アメリカ社会における銃の必要性を実証する事例になってしまう。こんな事態を、逆転させられるのか?さらに、銃規制強化を反故にするために、擁護派は、エリザベスの手口の違法性を問い、精神面やスキャンダラスな素行まで持ち出す・・・・。エリザベスは、信念を曲げない。銃規制強化はいいだろう。しかし、彼女は、頑なな性格なだけなのではないか?単なる自己有能感追求の鬼なのではないか?そんなエリザベスは、ワーカホリック状態であり、仕事面でもプライベートな面でも、事務的、機械的、合理的で、人間味や温かみが感じられない。「敵の不意を突くこと。突かれてはいけない」なんて言われると、引いてしまう。そのため、見ていてエリザベスに感情移入することが難しかった。「勝者は相手の一歩先を読んで、相手が切り札を出したあとから自分の切り札を切る」というエリザベスの決めゼリフも、最初は作為的で冷たく響いた。ところが、その印象が激変する・・・。やがて、悪の本性ならぬ、エリザベスの本質が見えてくるのだった。銃規制がらみの展開もさることながら、エリザベスが興味深い。 もうひとつ、人を信用しないエリザベスだったが、窮地に陥る寸前で思わぬ温情に救われる。それはエリザベスにとっても、まったく想定外の、信じられないできごとだったのではないか。おそらく、そこでエリザベスは、人間に対する見方が変わっただろう。仕事もプライベートも事務的、機械的、合理的。他者の目には、そんなふうに映るエリザベス。彼女の見え方に、大どんでん返しが起こる。エリザベスを演じたのは、ジェシカ・チャスティン。フィルモグラフィを調べてみると、『X-MEN:ダーク・フェニックス(2019)』『“それ”が見えたら、終わり。(2019)』など、見ているはずだが・・・。 名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」(2010)の“家庭教師”メアリー・デベナム役は、エリザベスとは全然印象が違った。 このあと、『ゼロ・ダーク・サーティ(2012)』を見てみよう。X-MEN:ダーク・フェニックス【Blu-ray】 [ ソフィー・ターナー ]IT/イット THE END “それ"が見えたら、終わり。【Blu-ray】 [ ジェームズ・マカヴォイ ] ゼロ・ダーク・サーティ【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]
June 1, 2024
コメント(0)
映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会伊福部昭先生の『古稀記念交響コンサート(1984)』にも行きました。『渡辺宙明特集ヒーローオーケストラ/昭和の子どもたちへ(2018)』にも行きました。その都度、特撮ファンでよかった、としみじみ感じ入りました。特撮シーンと音楽は、一体なのです。そして、今回は『映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会』に行ってきました。おめあては、〇眞鍋理一郎作曲・『ゴジラ対ヘドラ』(1971年、坂野義光監督)より「かえせ!太陽を」・『ゴジラ対メガロ』(1973年、福田純監督)より「メガロをやっつけろ」「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ」〇佐藤勝作曲・『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年、福田純監督)より「ミヤラビの祈り」〇いずみたく作曲・『宇宙大怪獣ギララ』(1967年、二本松嘉瑞監督)より「ギララのロック」こうした楽曲が、生演奏で、生歌で聴くことができるなんて。じつに感涙体験でした。それに加えて、〇團伊玖磨作曲・『白夫人の妖恋』(1956年、豊田四郎監督)より「しらとり韶」、メインテーマ・『ゲンと不動明王』(1961年、稲垣浩監督)よりメインテーマこれらも、円谷英二が特技監督としてかかわった映画です。思い入れがありました。もちろん、特撮系以外の映画だって見ていますから。とりわけ、斎藤高順作曲の小津安二郎監督作品の楽曲には、しみじみ和やかな気持ちになりました。司会・解説の方がお話されていましたが、今回の選曲は、・伊福部昭じゃない特撮音楽・黒澤明じゃない佐藤勝といった側面があったとのこと。だから、じつに貴重な体験となりました。アンコールでは、「ソプラノ独唱の山本澄奈さんのおじいさんにあたる、山本直純さん作曲による・・・」というアナウンスがありました。そこまで聞いて、「え⁈、マグマ大使⁈」と思いましたが、『男はつらいよ』でした。マグマ大使は、映画じゃなくてテレビ番組だからね。『ゴジラ対ヘドラ』4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 坂野義光 ]ゴジラ対メガロ【Blu-ray】 [ 佐々木勝彦 ]ゴジラ対メカゴジラ【Blu-ray】 [ 大門正明 ]宇宙大怪獣ギララ【Blu-ray】 [ 和崎俊也 ]
May 26, 2024
コメント(1)
9人の翻訳家 囚われたベストセラー【Blu-ray】 [ ランベール・ウィルソン ]スティーブン・キングの『ミザリー』では、小説『ミザリー』の熱狂的なファンが、作家を拉致して、自分のために新作続編を書かせた。その気持ちは、わかる。当方、何気なく『ザ・ファブル(2019)』を見たら、おもしろくって、何回も繰り返して見た。原作漫画も読んだし、公式ガイドブックも買った。サブスクで『ザ・ファブル 殺さない殺し屋(2021)』が配信されたときは、『ザ・ファブル』と交互に、繰り返し見続けたほどだ。じつのところは、すぐにも続編を見たい気持ちでいっぱいだったが、それはできない相談だから、代替行為としてその2本を見ていたのだ。『ザ・ファブル』のおもしろさとは、殺しの天才と、彼に課せられた平凡な日常生活とのギャップにあると思う。今は、アニメを毎週心待ちにして見ているし、もちろん映画の続編を熱望している。事程左様に、おもしろい作品は、ファンの過剰ともいえる期待、または渇望感を生むのだ。【あらすじ】世界的ベストセラーミステリー「デダリュス」三部作の完結編が書きあがった。出版社社長エリックは、独占出版権を獲得し、世界同時出版に向けて翻訳作業に取り掛かる。9人の翻訳家が集められるが、小説の事前流出を防ぐために、地下シェルターに幽閉される。そこでは、外出もSNSも電話も禁止だ。にもかかわらず、原稿の一部がネットに流出し、「500万ユーロを支払わないと、次々と原稿を公開する」という脅迫メールが届く。疑心暗鬼に囚われたエリックの締め付けは、ますますエスカレートし、拳銃の引き金が引かれる。しかし、原稿の流出は止まらず─。冷酷な隔離、厳しい行動管理のもと、なぜ原稿は流出したのか?これは、密室殺人に通じるミステリーである。そして、ベストセラーとなった小説は、読者のものか、作者のものか、それとも出版社のものなのか?後半部分で、オリジナル原稿の奪取作戦が回想される。これまでの犯罪ストーリーは、金塊や宝石や、国家的な重要機密、ヘロイン等が狙われる話が多かった。しかし、今回は、小説の原稿なのだ。要は、モノがなんであっても、それが大金を生みだせばいいのだ。原稿の奪取作戦が、計画通りにことが運ぶかどうか、サスペンスフルな展開が繰り広げられる。しかし、映画の流れの上では、その時点ですでに原稿の流出はわかってしまっているんだよね。「作戦が成功し、原稿が流出したっていう話なの?」と先読みすれば、物足りなさを感じた。スリリングではあっても、結果は見えているから、ちょっともどかしかったのだ。だが、しかし、この映画はそんな生易しい展開ではない。原稿の奪取のサスペンス、さらに流出にかかわる謎解きだけではない。隠された真実が顕わになる。「そうだったのか!」鮮烈な大どんでん返しが起こるのだよ!出版社の社長エリックは、冷酷非情なヴィランとして、わかりやすく描かれている。彼は、大ベストセラー小説という金脈を掘り当て、金銭的利益が最優先事項だという価値観で行動する。それに対して翻訳家たちからは、作品や文学に対する愛が語られる。さらに、熱狂的なファンの立場からすると、ネット流出がルール違反であることを知っていたとしても、ベストセラー小説への飢えを満たそうとするのだ。世界的なベストセラー小説『ダ・ヴィンチ・コード』などの「ロバート・ラングドン」シリーズでは、4作目となる小説『インフェルノ』の出版時には、内容の流出を防ぐために、翻訳家たちを地下室に隔離して各国語に翻訳させたそうだ。そのことが『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』の元ネタになっている。無論、『インフェルノ』を翻訳しているときに、地下室で銃撃などの事件性があるできごとが起こったわけではないのだろうが。
May 4, 2024
コメント(1)
当方は、第一次怪獣ブーム直撃世代である。いや、それ以前から東宝特撮映画などにかぶりついていた。爾来、そうした映画を見続けてきわけだ。【あらすじ】前作『ゴジラVSコング』から3年、ゴジラは地上、コングは地下世界と棲み分けをしていた。そして地下世界のコングは、同族の巨大猿集団(グレイト・エイプ)と巡り合う。しかし、グレイト・エイプを支配するスカーキングはコングを排除しようとした。スカーキングの勢力がさらに増大すると、地上世界も危機に陥る。コングは地上のゴジラとともに、スカーキングと配下の冷凍怪獣シーモらと激突する。この映画は、いわゆるジェットコースター・ムービーで、おしまいまで飽きずに見ることができた。そんな中で、当方のノスタルジーを痛く刺激するシーンがいくつかあったのだ。まず、ゴジラが北極海での海蛇怪獣ティアマットとの激闘場面だ。北極海へ向かうゴジラを、モナークの潜水艦が追う。北極海、潜水艦、氷山、そしてゴジラとくれば、元祖『キングコング対ゴジラ』をどうしたって想起するよ。原潜シーホーク号が北極海で謎の発光氷山を発見し、そこでさらにゴジラ復活に遭遇し、あえなく撃沈されたのだった。キングコング対ゴジラ 4Kリマスター【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]つぎに、この映画には、モスラも参戦するのだよ。モスラといえば、小美人、コスモス、エリアスなどと称される妖精である。彼女たちは、モスラとコンタクトする。今回は、イーウィス族の少女ジアが、一人でモスラの覚醒をサポートした。だが、しかし、ここは願わくば二人組にしてほしかった、妖精ではなかったとしても。当方としては、前作までシリーズに登場していたマディソンと、このジアとの二人組がよかろうと思うのだ。映画を見ている最中は、マディソンが出てこないから、ジアとイーウィス族の女王がペアになるのか、なってほしいと願ったが、それはちょっと無理があったね。なお、イーウィス族はテレパシーでコミュニケーションをとるが、東宝特撮では小美人がテレパシーで交信することができたのさ。【中古】発光妖精とモスラ 筑摩書房 中村真一郎さらにモスラに関しては、目覚めてすぐに、対立するゴジラとコングの仲裁を行う。このシーンは、いわずと知れた『三大怪獣地球最大の決戦(1964)』である。最強の外敵キングギドラに立ち向かうため、マウント争いをするゴジラとラドンを諫めるのがモスラだった。つまり、この映画の立ち位置では、ラドンとコングとが入れ替わったことになる。三大怪獣 地球最大の決戦 4Kリマスター【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]観賞途中、ふと心配になったのが、怪獣バトルの場面設定が地下世界になるのか、というところだった。和解が成立したゴジラとコングは、モスラともども地下世界に向かう。地下世界は、山々に囲まれるなどしたほぼほぼ自然の状態である。かつて、昭和ゴジラ(やその他の特撮映画)は、徐々に南海の孤島や富士の裾野のような場所で怪獣バトルなどが行われがちになった。経費節減のために、ミニチュアセットが必要な都市破壊が避けられたのだ。これは、はなはだ残念なことだった。島や地下世界では、怪獣の巨大さが実感しにくい。例えば、この映画では、発掘作業中のピラミッドの陰から、ピラミッドに劣らぬ巨体のコングが、ぬっと姿を現すシーンがあった。こんなところに、怪獣の圧倒的な巨大感が漂うのだ。しかし、今回の映画は、地下世界で怪獣の顔合わせがあったのちに、舞台を地上のブラジル、リオデジャネイロに移したのだった。大都会リオデジャネイロでの巨大怪獣の大激闘、高層ビルを破壊しながら暴れまわる怪獣とその下を逃げ惑う人々、なっていうシーンは、現実と非現実が入り交じり、怪獣映画の醍醐味ここにあり、である。あと、おまけ。新怪獣シーモは、冷凍怪獣である。口から吐き出す冷凍エネルギーで、コングを凍傷に追い込む。かつて、東宝特撮では、『海底軍艦(1963)』の冷線砲が、ムー帝国の守護怪獣マンダを氷漬けにした。だが、過去、ゴジラが対戦した中に冷凍怪獣はいなかった。また、『ゴジラ FINAL WARS(2004)』において、ゴジラは海底軍艦轟天号と一戦を交えているが、このとき轟天号は冷線砲を使用していない。冷凍怪獣として記憶に残るのは、大映ガメラシリーズのバルゴンである。バルゴンは霧状の冷凍液を噴射して大阪城を凍らせ、ガメラをも凍結に追い込んだ。当然、所属団体がちがうから(プロレスか⁈)、ゴジラは、バルゴンとは対戦していない。ゴジラにとって、冷凍怪獣シーモはまだ見ぬ強豪だったわけだ。(それにしても、ゴジラが、あれほどエネルギーをチャージする必要があったかどうかは疑問が残る)海底軍艦【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン[Blu-ray] Blu-ray [Blu-ray] / 特撮ゴジラ ファイナル ウォーズ【Blu-ray】 [ 松岡昌宏 ]そんなわけで、今回は、IMAXレーザーで大迫力を堪能できた。そのIMAXレーザーは、デジタル上映である。さらに、ゴジラなどの怪獣、建物のなどもCGである。当方としては、着ぐるみ、ミニチュア、フィルム上映が好みなのだが、それらはもう望むべくもない。
April 28, 2024
コメント(1)
ネイビーシールズ:オペレーションZ [ エド・クイン ] ヴィランが強く、ヒーローも強ければ、話は面白くなる。しかし、ヒーロー側がポンコツでも、場合によっては非常にスリリングな展開が生まれるのだ。 バージニア州バトンルージュにゾンビが大量発生、その渦中に副大統領が取り残された。 救出に向かうのは、アメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズの精鋭たち。 特殊部隊とは、知力、体力に優れた集団である。 未曾有のゾンビ群に対抗するためには、強豪エリートチームが必須だ。 すでにバトンルージュにはFBIの救出部隊が向かい、全滅している。 「精鋭部隊を送り救出せよ」、大統領の指示を受け、ネイビーシールズ、カニンガム隊が出動。 しかし、このカニンガム隊、なんだか頼りない。 この人たちに、ミッションが達成できるのだろうか。じつにハラハラ、ドキドキの展開だ。 まず、カニンガム隊が気の毒だったのは、正確な情報や適切な指示が降りてこないことだ。 指令室ではシアー中佐が指揮をとっているのだが、そこへCIA捜査官のトーマスが小出しに情報を提供する。 そのたびにシアー中佐は指示が変わる。 最たるは、副大統領の救出で終わらず、突然研究者を助け出す任務も加わったことだ。 じつに、先行きの展開が読めない。 つぎに、バトンルージュではゾンビの襲撃にあうのだが、情報が不正確なために発砲許可がおりず、隊員が噛まれてしまう。 この隊員がゾンビ化し、葛藤や悶着があるのかと思ったが、その後のこの隊員の姿は確認できなかった。 さらに、シアー中佐から「噛まれた者は(救出用の)ヘリに乗せるな!」との連絡がある。 それに対してカニンガム隊長は、救出を待つ者たちに「噛まれた者はいるか?」と問いかける。 噛まれてない人も、噛まれた人も、皆同様に首を横に振る。 身体検査などはすることなく、副大統領と嚙まれた者を同じヘリに乗せる。 結果、ヘリは墜落する。 ヘリの中で、嚙まれた者が瞬時にゾンビ化したようだ。 そして、隊員のJA。 彼は、民間人2人を保護する役目となり、そうこうするうちに本隊とはぐれてしまうわ、無線機を落としてしまうわ。 JAは民間人に携帯電話を借りる。 「圏外よ」 「いいから」 さすがネイビーシールズの精鋭、圏外でも通信する方法を知っているのか? そのとき、JAが電話したのは、自分ちだった。 妻が電話に出ると 「冷蔵庫に本部の電話番号が貼ってあるからそこに転送してくれ」 (ひとしきり「早く帰りたい」「愛してる」と私用を兼ねることも忘れない) 緊急時に備えて、連絡先の記憶、記録はしないのか、ネイビーシールズ。 歯医者の予約をキャンセルするのとはちがうんだから。 このJA、ゾンビ化した少女を撃つことができず嚙まれてしまう。 そのため、合流地点では、ヘリに乗らないと言う。 いい判断だ。 それに対して隊長や隊員は「お前は助ける」「独りにはしない」とヘリに乗せてしまう。 生死を共にしたメンバーに対する熱き友情か⁈ 身重の妻が待つJAへの温かい配慮か⁈ 血も涙もある精鋭部隊だ。 しかし、「噛まれた者はヘリに乗せるな!」という命令はどうした⁈ 感染が広がってもいいのか⁈ たとえゾンビになっても妻の元へ連れて帰りたいか⁈ 研究者は「治療薬はない。ワクチンならつくれるはずだが」と発言していたはずだ。 どうなる?どうなる? 一気にゾンビが拡散するのか⁈ 結局、JAは噛まれたが感染しなかった。 治療を受けたからではない。 「つまりAJは免疫者だった」(CIAトーマス)、という顛末。 AJは無事妻の元に帰り着く。 「家はいいな」とのこと。 ゾンビは、非日常的な強敵だ。 それに対する鍛え抜かれたネイビーシールズ。 という設定であれば、どうやって勝利を得るかという視点で映画を見るはず。 しかし、ネイビーシールズ側がもたもたしてると、どこかでやられちゃうんじゃないかと心配しながら見守るしかない。 スリル満点だ。
May 28, 2023
コメント(0)
世紀の怪物/タランチュラの襲撃 [ ジョン・エイガー ]【中古】 夕陽のガンマン(Blu−ray Disc)/クリント・イーストウッド,クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,セルジオ・レオーネ(監督),エンニオ・モリコーネ(音楽) 【中古】afb【中古】 続・夕陽のガンマン(Blu−ray Disc)/クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,セルジオ・レオーネ(監督),エンニオ・モリコーネ(音楽) 【中古】afb原子怪獣現わる【Blu-ray】 [ ポール・クリスチャン ]【中古】 金星人地球を征服/ピーター・グレイヴス 【中古】afb(1956) 今回見たのは、以前CSのMovie Plusで放送されたものである。 本編が始まる前の画面には、出演者のトップに、かのクリント・イーストウッドの名前が掲げられていた。 しかし、映画の中では、オープニング・クレジットに彼の名前はない。 はたしてイーストウッドはこの映画に出ているのでしょうか? 主演はジョン・エイガ―、医師マット役の彼はB級モンスター映画によく出演している。 ほかに目を引く出演者は、レオ・G・キャロルだ。 ヒッチコック映画の常連的存在だが、なんといってもスパイ・シリーズ『0011ナポレオン・ソロ』のウェーバリー課長役が印象深い。一生懸命に『0011ナポレオン・ソロ』を見ていたから、ウェーバリー課長は近所のおじさんのように思える。 そのレオ・G・キャロルが演じるのは、生物学者ディーマー博士である。 人里離れた荒野に研究所を構えている。 博士は食料不足に備えて生物を巨大化させる栄養素の研究を行っていた。しかし、助手に研究開発中の放射性同位元素を結合剤とした栄養素を注射され、容貌がおそろしく変化していってしまう。 博士の助手たちも、栄養素によって姿かたちが変貌し、正常な判断力を失い死に至る。 この設定だけで、ホラー映画がつくれそうである。 ともあれ、ディーマー博士と助手のトラブルのどさくさで、栄養素を投与され犬くらいの大きさになったタランチュラが逃げ出す。 そして、タランチュラがつぎに姿を現したときには小山くらいに巨大化し、牧場の家畜を襲う。 知らせを受けて調べに行ったマットは、白骨化した家畜の近くにベトベトしたものが溜まっているのを発見する。それを手に取ると、なんとテイスティングするのであった。 何かわからない物質をいきなり口に入れるか? この人、お医者さんではなかったか? 小学校の理科の実験でも、してはいけないと厳重注意を受ける行為である。 検査の結果、そのベトベトはタランチュラの毒だとわかる。 言わんこっちゃない。 しかし、検査担当から「毒性は低い」とのコメントが加えられる。 確かに、タランチュラは毒蜘蛛というイメージの割には、死に至るような猛毒をもっているのではないとのこと。よかったねー。 巨大タランチュラは、家畜のみならず人を襲うまでになる。 そして、生まれ育った場所が懐かしかったのか、研究所を覗きにやってくる。 一人残っていた女子大学院生のスティーヴに巨大タランチュラが迫る。 そこへ救出にきた医師マット。 あわやのところで逃げ出し、研究所は巨大タランチュラによって壊滅する。 タランチュラは、車を走らせるマットとスティーヴを追ってくる。 街からは、警官隊が迎撃に向かう。 さらに、街では人々が避難するとともに、あるったけのダイナマイトを用意する。 警官隊のマシンガンをものともせずに進む巨大タランチュラ。 この時期、アメリカの巨大生物映画は、実物を使うことがよくあった。 今回も、生きているタランチュラを撮影し、それを拡大して画面に合成している。 実物のタランチュラだけに、見た目はリアルである。 けど、些細な点だが、ときどき脚の先っぽが切れる場面がある。 直線的にマスクを切って合成したためだろう。 このタランチュラ、薬物を注入されて動きがスローモーになっていたらしい。 確かに、巨大タランチュラがカサカサとせわしなく動いたら、迫力に欠けるからね。 それにしてもくだんのタランチュラは、役の上だけでなく、実体験として薬物の影響を受けてしまったわけだ。 さて、人々は巨大タランチュラの行く手に大量のダイナマイトを仕掛ける。 そして、巨大タランチュラがダイナマイトをまたごうとする瞬間に爆発させる。 この大爆発も合成である。 実際にその場で爆発を起こしているのではない。 荒野の実景に巨大タランチュラを重ね、さらに爆発シーンを重ねたのかな(三重合成)。 だから、道路が吹き飛ぶなどの周囲の環境への影響はない。 巨大タランチュラは爆発をものともせずに前進を続ける。 いよいよ街に迫るタランチュラ。 というところで空軍のジェット戦闘機編隊が到着する。 歓声をあげる人々。 巨大タランチュラにミロケット弾攻撃を仕掛けるが、効果はない。 ジェット機編隊は都合4機。 その中の1機だけが、コックピット内とパイロットの姿を映し出す。 指示命令を発しているところからして隊長機なんだろう。 しかし、この隊長、何やら見覚えがあるような・・・。 ジェットパイロットは酸素マスクを装着しているので、しっかり顔の確認ができないのだ。 ついにジェット戦闘機編隊は、隊長の「ナパーム弾投下」及び「続けて投下しろ」の命令とともにナパーム弾の波状攻撃を実施する― そして、エンドクレジット。 ここにもクリント・イーストウッドの名前はなし。 してみると、やはりジェット戦闘機編隊の隊長がクリント・イーストウッドだったんだなー。 このシチュエーション、どこかで見たような。 そう、『原子怪獣現る(1953)』では、若き日のリー・ヴァン・クリーフがクライマックスで登場する。 アメリカ陸軍の射撃の名手として、リドサウルスにアイソトープ弾を撃ち込むのだ。 リー・ヴァン・クリーフのほうは、クレジットにちゃんと名前があった。 クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフ。 この2人は、マカロニウエスタンの『夕陽のガンマン(1965)』『続・夕陽のガンマン(1966)』で共演し、ブレイクする。 そこには感慨深いものがある。 なお、リー・ヴァン・クリーフは『金星人地球を征服か(1956)』に、金星人を呼び寄せる博士の役で出演している。
May 21, 2023
コメント(1)
ゴジラの逆襲【Blu-ray】 [ 小泉博 ]ゴジラ (ちくま文庫) [ 香山滋 ] 今ほど情報が得られなかった1960年代に、小学生の当方は『ゴジラ対アンギラス』という映画があると思い込んでいた。 当方は、『モスラ対ゴジラ』を見て、幼心に著しい衝撃を受けた。 この映画については、事前の情報があった。 親友が「こんど『マンモス対ゴジラ』がやるぞ!(公開されるぞ)」と勢いよく伝えてきたのだ。 これを聞いて、そうかゴジラがマンモスと闘うのか、ととても楽しみになり、図画工作の時間に粘土でゴジラとマンモスをつくったのだった。 その直後に、街でその映画の大看板を見た。 そこには『モスラ対ゴジラ』とタイトルの表記があった。 マンモスではなかったのかぁ⁉ モスラなのかぁ。 モスだけが同じだった。 けれど、思った。 モスラってなんだ? じつはこの時点ではゴジラについてだって、全貌がよくわかっていなかったと思う。 その後、親友に「『マンモス対ゴジラ』じゃなくて『モスラ対ゴジラ』だったぞ!」と告げた。 そうしたら親友は「『マンモス対ゴジラ』ってなんのこと?」と答えた。「だからマンモスとゴジラをつくってたのか⁉」とも言われた。 その親友は、材木会社の社長の息子だった。 例えば『海底軍艦』。 親友とは、この映画について、すっごく話が盛り上がった。 そして親友には高校生の兄がいた。(6年生の姉もいたが) この兄が、特撮映画(のちにはスパイ映画、マカロニウエスタンなど)の貴重な情報ソースだった。 『ゴジラ(1954)』のつぎが『ゴジラの逆襲』である。 ゴジラは、『キングコング対ゴジラ』の前にアンギラスと戦っている。 大怪獣バランは、後頭部の角がきれいだった、などの話を聞き、特撮怪獣映画に思いを巡らせ、深みにはまっていった。 その時点で、『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲』の2本は、ゴジラが一体のみ出てくる映画だと解釈した。 なぜならば『ゴジラ』及び『ゴジラの逆襲』は、それぞれ怪獣の名前が一つしかない。 『キングコング対ゴジラ』とか『モスラ対ゴジラ』は、そこに2体ずつ怪獣の名前がある。 だから、ゴジラとアンギラスが対決するなら、それは『ゴジラ対アンギラス』という映画だろう、と考えたわけだ。 それと同時期に、ほかの友達の家に遊びに行った。 そうしたら、そこにゴジラ映画のパンフレットが数冊あった。 当方は、それを借りていって隅から隅まで目を通した。 その中の一冊に、東宝特撮映画年表が掲載されていた。 しかし、そこに『ゴジラ対アンギラス』という映画はなかった。 なんども見直したが、『ゴジラ対アンギラス』はない。 これはどういうわけだ? さて、『ゴジラ(1954)』がテレビで初放映されたのは、1967年のNHK総合だった。 その前年1966年に、特撮怪獣映画として初めてテレビ放映されたのが『ゴジラの逆襲』である。 それを私は見ている。 ラスト近く、ゴジラが雪崩に埋まるあたりからなんだけど。 『ゴジラの逆襲』は、ゴジラ対防衛庁の飛行機(シナリオより)編隊で決着を迎える。 神子島に上陸したゴジラに対して、その背後にそそり立つ雪山を爆撃し、雪崩を起こしてゴジラを生き埋めにする作戦だ。 この対決は、早すぎた『トップガン マーベリック』とも言える。 防衛庁の飛行機は、崖にロケット弾を撃ち込み、山腹に沿って急上昇するのだ。 これを見て、『ゴジラの逆襲』はゴジラが単独で登場する映画だとの確信に及んだのだった。 しかしながら、『ゴジラ対アンギラス』は依然まぼろしのままだった。 とても気がかりだった。 その2年後くらいに、またまたある友達の家に遊びに行ったら、居間の本棚に『ゴジラ 東京・大阪編』を発見した。 これは、小説版のゴジラである。 こちらも借りていって、かつて経験がないほど熟読玩味した。 「東京編・大阪編」ってなんだ? 読み進むうちに、「東京編」が映画『ゴジラ(1954)』であることが見えてきた。 まだ見ぬ『ゴジラ(1954)』の内容を窺い知ることができた。 次いでわかったのが、「大阪編」は『ゴジラの逆襲』なのであった。 「大阪編」のラストは、神子島でのゴジラと防衛庁の飛行機編隊のバトル、生き埋め作戦だったから。 さらに、「大阪編」では、序盤、中盤にアンギラスとの対決があった‼ ここに来て、長年の謎が解けた。 『ゴジラ対アンギラス』=『ゴジラの逆襲』だったのだよぉ。 『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ(1954)』の空前の大ヒットを受けてつくられた映画だ。 けれども、最近のゴジラ映画の人気投票では、いつも下位に甘んじている。 さらに、この映画についてはあまり語られることもない。 しかしだよ、『ゴジラの逆襲』のゴジラこそが、このあとキングコングと闘い、モスラとバトルをして、さらに地球を守っていくのだ。 いわゆる「初代ゴジラ」は、オキシジェン・デストロイヤーによって葬り去られている。 『ゴジラの逆襲』の「2代目ゴジラ」が、怪獣たちとの名勝負を繰り広げ、シリーズを盛り上げわけだ。 この映画は、ゴジラシリーズの中で見ると、常連である本田猪四郎(監督)のいない映画である。同時に、伊福部昭(音楽)もいない。 けれども、かの円谷英二は、この映画で初めて「特技監督」という役職名を得たのだった。 確かに『ゴジラ』は歴史的な映画である。 内容的にも、姿勢を正して見るべきものをもっている。 一転して、『ゴジラの逆襲』はエンターテインメントだ。 まず、ゴジラが早い段階で登場する。 『ゴジラ』では、映画開始後22分30秒ころまでゴジラは姿を現さない。 それに対して『ゴジラの逆襲』は、8分36秒ほどでゴジラが登場し、その10数秒後にアンギラスまで登場するのだ。 そして、前作では重厚な存在だったゴジラが、なにしろスピーディーに動き回ってアンギラスと格闘する。 この対決の決め技となるのは、ゴジラの嚙みつき攻撃だ。 アンギラスは首筋に喰いつかれ、流血淋漓で敗北する。 元祖『ジュラシック・ワールド』だよ。
May 14, 2023
コメント(0)
シン・ランペイジ 巨獣大決戦 [ ロー・ガーリョン ]シン・ゴジラ Blu-ray特別版4K Ultra HD Blu-ray同梱4枚組【4K ULTRA HD】 [ 長谷川博己 ]シン・ジョーズ [ レイチェル・ブルック・スミス ] TSUTAYAのリリース情報を見ていたら、『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』(以下『シン・ランペイジ』)が目についた。 「なんで今ごろになってリリースされるんだ?リマスター版とか4K版とか、ディレクターズカット版とかなのかな?」 と思ってよく確認したら「シン」とついているではないか。当方はてっきり『ランペイジ 巨獣大乱闘 (2018)』(以下『ランペイジ』)だと思ってしまっていたわけだ。 よくあるヒット作のパチモンだろう。 であっても、見たいものは見たい。 あるいは、パチモンだからこそ見たいのだ。 ちょうどTSUTAYAの新作半額クーポンがあったので、レンタル開始日にすぐ借りた。 第二次世界大戦の末期に、アメリカ軍の兵士2名が核爆弾を空輸していた。 魔の海域ドラゴントライアングル上空にさしかかったとき、変事に巻き込まれて飛行不能となり、兵士たちはパラシュートでとある島に降り立つ。 ・・・どこかで見たようなシーンだ。 なんてことは思う手間暇もなく、『キングコング: 髑髏島の巨神』(以下『髑髏島』)を想起する。 『髑髏島』のほうも、先の大戦中、戦闘機同士の空中戦の末に、アメリカ兵と日本兵の2名がパラシュートで孤島に降下する。 こんな出だしなので、いやでも『髑髏島』との類似が気になる。 『髑髏島』では、降下したアメリカ兵マーロウが重要な役目を果たすが、『シン・ランペイジ』では島に降り立ったアメリカ兵は、その後登場しない。 なぜならば、『髑髏島』は戦後30年くらいの1970年代の話だが、『シン・ランペイジ』は21世紀の現代の話である。戦後70有余年たっているので、さすがに本人は生きてはいない。しかし、アメリカ兵の住家は残っていた。 そして、魔の海域ドラゴントライアングル上空で旅客機がまたもや変事に遭遇する。旅客機は海面に不時着水し、生き残った人々は島に上陸するのであった。 この旅客機墜落のくだりは某テレビドラマの設定に似ているらしいが、そこにはふれない。ここでは当方の知る範囲において、類似性、相違性に言及していく。 さて、当方の関心事は、巨獣(怪獣)にあるわけだ。 その点で見ていくと、この映画に登場するのは、まず巨大化した蜘蛛である。 ここでは「巨大な蜘蛛」といわず「巨大化した蜘蛛」といいたい。 人が見上げるような脚の高さをもつ蜘蛛である。 このような蜘蛛は、すでに『髑髏島』でバンブー・スパイダーが出現している。 つぎの巨獣(怪獣)は、巨大化したワニである。 この映画の巨獣(怪獣)は、この2種類のみだ。 ちなみに『髑髏島』には7種類、『ランペイジ』には3体の怪獣(巨獣)が姿を見せるけどね。 で、巨大化したワニについてだ。 なぜ、ワニなのかを考えてみたい。 本家(?)『髑髏島』の主人公はキングコング、巨大なサル(ゴリラ)である。 その向こうを張って巨大化したワニなのか。 当方、このワニは、『髑髏島』でキングコングと激闘を繰り広げるスカル・クローラーから来ているととらえた。 スカル・クローラーとは、二足で地を這うように突進するモンスターである。 このスカル・クローラーは、1933年版『キングコング』に登場する「後ろ足のないオオトカゲ」がモチーフになっているとのこと。 トカゲとワニのちがいはあるが、「這う」という動作がとりわけ印象的な共通点ではないか。 また、『ランペイジ』には、様々な遺伝子で変異するとともに巨大化したワニのリジーが暴れまわる。このリジ―もワニをもってきた要素としてあったのであろう。 スカル・クローラーは、「モンスターバース」の世界観に存在する、現実世界を凌駕した怪獣である。 また、リジ―は、ゲノム編集の事故から怪獣化する、科学の力でワニを超越したスーパーワニである。 これらはそれなりに手が込んだ設定になっている。 それに対して、『シン・ランペイジ』のワニは、巨大化しただけのワニである。 なぜ巨大化したかといえば、放射能の影響によるのである。 この設定は、お手軽といえばお手軽。 シンプル・イズ・ベストという点でいえば、現実からの飛躍が少なくて説得力がある、と製作者は考えたのだな、きっと。 最後にタイトルについてである。 『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』の何が「シン」なのかについてだ。 いうまでもなく「シン」というのは『シン・ゴジラ』で世に広まった。 この場合の「シン」には、旧来の「ゴジラ」との差別化の意図、意味があったのだろう。 これら『シン・ゴジラ』と『シン・ランペイジ』の間に『シン・ジョーズ(2016)』を挟んでみる。 まず『シン・ゴジラ』については、「巨大生物の正体は太古から生き残っていた深海海洋生物が、不法に海洋投棄された大量の放射性廃棄物に適応進化した「ゴジラ」 (GODZILLA) と呼称される未発表の生物である」( Wikipediaからの引用)。 そして、『シン・ジョーズ』は「核実験の影響により進化したサメ」(「キネマ旬報社」データベースより)である。 このふたつの共通点は「放射能」である。 つまり「シン」は放射能の影響を表わす言葉として用いられているのだ。 ゆえに、核爆弾の放射能で巨大化したワニや蜘蛛が登場する映画だから『シン・ランペイジ』としたわけだね。 おそらく、2021年公開予定の「シン・ウルトラマン」以降は、この手(放射能つながり)は使えなくなるはずだ。 なお、この考察についての「証拠」を問われるところがあったとしても、当方はただ退場するのみである。
November 15, 2020
コメント(1)
【中古】期限)4.仮面ライダー THE MOVIE (完) 【DVD】/高杉俊价 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー オリジナルサウンドトラック [ (キッズ) ] 南光太郎は、親友の秋月信彦とともに暗黒結社ゴルゴムによって拉致される。そして、ゴルゴムの次期創世王候補として生体改造されしまった。 だが、光太郎は過去の記憶を消される寸前に、ゴルゴム神殿を脱出。そして、仮面ライダーBLACKとしてゴルゴムと闘うこととなる。それは同時にシャドームーンと姿を変えた親友信彦と対立することにもなってしまった。 そして、物語も佳境に入り、第47話、第50話など、BLACKとシャードームーンは大バトルを繰り広げる。 さて、このシャードームーン、メタリックなボディがカッコよく、足首のあたりに羽が生えたようなレッグトリガーといわれるものを装着?している。 そして、シャドームーンが歩を進めるたびに、カシャ、カシャっと不気味な音をたて、レッグトリガーの先端が上下に跳ねるように動く。シャドームーンの個性を際立たせているのだが、人によっては「歩きにくそう」との感想をもらすこともある。 このレッグトリガーだが、BLACKとのバトルにおいては、出現したり消えたりする。 どういうことかというと、シャドームーンとBLACKが対峙するシーンでは、確かにシャドームーンの足首あたりにレッグトリガーが目視できる。しかしながらいったん格闘が始まると、レッグトリガーはなくなってしまう。同時に、シャドームーンの足部の形状も硬いロボットみたいなものからやわらかい材質に変わっているように見受けられる。 シャドームーン は、戦闘モードになるとレッグトリガーが消え失せる。 やはり、「歩きにくそう」と見えるように、レッグトリガーは動きづらく、格闘には不向きなのだろうか。 これは、戦う段になってレッグトリガーを取り外して傍に置いておくとかではなく、平成仮面ライダーのフォーム・チェンジの走りと見てよいだろう。 例えば、第47話「ライダー死す」にはこんなシーンがある。 シャードームーンとBLACKの踵蹴りが打ち合いになる。 シャドームーン がキックを打ち出す構えの時点では、レッグトリガーはない。 しかし、次のカットで踵蹴りが交差した瞬間はレッグトリガーが出現し、BLACKの踵を挟み込んで捻り倒す。そして次に倒れたBLACKをシャドームーンが攻撃するカットでは、レッグトリガーは消えていた。 カットが変わっているので、レッグトリガーが出現したり引っ込んだりする瞬間はわからない。だが、レッグトリガーが武器として必要に応じて出現することがよくわかった。 シャドームーン とBLACKは、映画版仮面ライダーBLACK『恐怖!悪魔峠の怪人館(1988)』でも熱い戦いを展開する。 この映画版では、レッグトリガーがないフォームでシャドームーンが歩行シーンするシーンがある。 このとき、あのカシャ、カシャという音が聞こえてくる。 ということは、カシャ、カシャは、レッグトリガーが動く音ではなかったのか? おまけ 『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー(2009)』で、シャドームーンは初登場の仮面ライダーWと対戦している。このときは、レッグトリガーを着けたまま闘っていた。そして、Wのメタルシャフトではじき飛ばされてしまった。レッグトリガーを外していればそんなことはなかっただろうに、強豪シャドームーンはW売り出しの引き立て役となってしまった。 ヨーロッパから凱旋帰国した前田日明の初戦の相手を務め敗れたポール・オーンドーフを思い出したぞ。 きっとシャドームーンはデビュー戦だったWを甘く見たのだろう。ブログランキングクリックお願いします
December 2, 2018
コメント(1)
【中古】 仮面ライダー THE MOVIE VOL.4 /石ノ森章太郎(原作) 【中古】afb テレビ番組の仮面ライダーBLACKを見ていて、とても気になることがあった。 仮面ライダーBLACKは、番組の中でほぼ2回変身する。この2回の変身なんだけど、1回目の変身で敵を倒すことはまずない。ときに敵が複数の場合(怪人+幹部)には、1回目の変身で怪人を倒すことはある。だが、2回目の変身では幹部と闘いが控えている。そのような例外的な場合を除き、通常は1体の怪人を2回の変身でやっつけていた。 なぜ、1回の変身で怪人を倒すことができないのか。 この問題を解決するため〝簡易変身〟と〝本格変身〟という仮説を立てた。 そして、この仮説を検証するために「映画版仮面ライダーBLACK」を見てみた。 まず〝簡易変身〟と〝本格変身〟について説明しよう。 テレビ版は、コマーシャルを挟んで前半部分と後半部分に分かれている。 そして、南光太郎は、たいてい前半1回と後半1回、都合2回仮面ライダーBLACKに変身する。 テレビ版全51話のうち、2話ほどは前後半通して1回しか変身しないこともあったが。 〝簡易変身〟とは、前半部分での変身である。 この変身では、南光太郎は変身ポーズをとらない。怪人が襲ってくるなどして人々が危機に瀕している、急いで、あわてて変身しなければならない。だから、「変身!」と声を上げジャンプしている途中でBLACKに変わるなどする。〝ながら変身〟といってもいいだろう。 〝本格変身〟は、後半部分の変身である。こちらは顔の右側あたりで両のこぶしを上下に構え、「ギュギュギュ」と握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとり、そして光太郎の顔からBLACKへの顔へと変身する過程が見せられる。 前半での〝簡易変身〟では、数少ない例外はあるが、原則的に怪人などを撃退することには繋がらない。そして、〝本格変身〟は怪人(敵)を撃破できる。 これらを見る限り、仮面ライダーBLACKが1回目の変身で敵を倒せないのは、間に合わせの〝簡易変身(ながら変身)〟だからだといえるのではないか。〝簡易変身(ながら変身)〟では、ライダーパンチとライダーキックに威力はない。きちんと本来の手続きを踏み、〝本格変身〟することによって、仮面ライダーBLACKは、フルパワーを発揮して必殺技としてのライダーパンチとライダーキックを繰り出し、無敵の存在となるのである、と見た。 この〝本格変身〟を別名〝決着変身〟と呼称する。 では、この変身について、映画版ではどうなっているのだろうか。映画版は、テレビ版ようにのコマーシャルを挟まないから、前半と後半に分けることもないはずだ。 『映画版仮面ライダーBLACK』は2本つくられた。 『仮面ライダーBLACK 鬼ヶ島へ急行せよ(1988)』と『仮面ライダーBLACK 恐怖!悪魔峠の怪人館(1988)』である。 ちなみに、テレビ版は一話の長さが約23分だが、映画版は上映時間が約25分である。ランニンタイムはほぼ同じだ。 まず『鬼ヶ島へ急行せよ』だが、こちらは1回目の変身はなかった。 映画が始まり、冒頭から子供達が姿を消す怪事件が勃発する。実行犯のカメレオン怪人を阻止するために仮面ライダーBLACKがバトルホッパーに乗って急行するので、南光太郎が登場して変身するくだりはないのだ。 おっとり刀で駆けつけた仮面ライダーBLACKはカメレオン怪人と激突するが、剣聖ビルゲニアの乱入により取り逃がす。さらに、剣聖ビルゲニアも闘い半ばで姿をくらましてしまう。 仮面ライダーBLACKは素顔の南光太郎として姿を消した子供達を探す。そして、鬼ヶ島に暗黒結社ゴルゴムの秘密基地があることをつきとめ、そこへ乗り込んでいく。 しかし、待ち受けていた5体のカメレオン怪人(映画だから豪華に怪人増量!)に取り囲まれる。ここで「ヘン〜シン!」 そして、仮面ライダーBLACKは激闘の末に、ライダーパンチとライダーキックを繰り出し5体のカメレオン怪人軍団を倒す。さらに子供達を救出、ゴルゴムの秘密基地を破壊する。ここまで、ずっと仮面ライダーBLACKの姿だ。素顔に戻った南光太郎は、エンディングでヨットハーバーを背景に、ミュージック・ビデオさながらに歌を披露する。 ということで映画『鬼ヶ島へ急行せよ』では、簡易変身のシーンはなかった。しかし、本格変身すれば、5体の怪人をも叩き伏せてしまうのだった。 つぎに『恐怖!悪魔峠の怪人館』だ。こちらは劇中で2回変身する。 ゴルゴムのシャドームーンは、北海道夕張市に世界征服の一大拠点を築きあげようと企てていた。ゴルゴムに利用されていた牧野博士は隙を見て脱走を図る。逃げた牧野博士をツノザメ怪人が襲撃し、そこへ南光太郎が救出に現れる。 ここで1回目の変身。 「ギュギュギュ」とこぶしを握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとる。しかし、光太郎の顔からBLACKへの顔へと変わる変身過程はない。この変身は、テレビ版にはなかったパターンである。 そして、ツノザメ怪人を追い詰めるも、段ボール箱が崩れ落ちる間にツノザメ怪人を見失ってしまう。 これは、第三の変身シーンとして〝不完全変身〟を呼びたい。やはり、完全な本格変身でないと、怪人を倒すことはできないのか。 引き続き2回目の変身。 夕張に到着した南光太郎は、悪魔峠の怪人館にゴルゴムの巣窟があるのをつきとめ、ロードセクターに乗って激走する。 途中、待ち受けたゴルゴムの襲撃を受ける。南光太郎は、疾走するロードセクター上で変身ポーズをとる。だが、これも〝不完全変身〟である。顔が変わる過程がない。 この襲撃シーンは、大爆発が連続する中をロードセクターに乗った南光太郎ないしは仮面ライダーBLACKが駆け抜ける。東映特撮アクションならではの大迫力だ。 しかしながら、その後仮面ライダーBLACKは、映画が終わるまで南光太郎に戻ることはない。そして、ゴルゴム亡霊怪人軍団、シャドームーン、ツノザメ怪人と仮面ライダーBLACKは連続バトルを繰り広げる。悪魔峠の怪人館=ゴルゴム基地は爆破、壊滅し、仮面ライダーBLACKはツノザメ怪人を必殺ライダーキックで撃破する。 ここに至って、本格変身ではない形の不完全変身でも、仮面ライダーBLACKは強敵怪人を倒すことができるとわかった。変身過程を省略しても、変身ポーズがあれば、「フルチャージ」できるわけだ。いや、宿敵シャドームーンについては退却させただけで、完全勝利を得ることはできなかった。これが〝完全本格変身〟だったら、シャドームーンを打ち破ることができたのではないか。 さて、『鬼ヶ島へ急行せよ』では南光太郎のミュージック・ビデオがラストを飾った?が、『恐怖!悪魔峠の怪人館』は仮面ライダーBLACKが素顔の南光太郎に戻ることはなく、仮面ライダーBLACKのままでロードセクターを駆って北海道を走り抜けていく。このちがいはなんなのだ?ブログランキングクリックお願いします
November 25, 2018
コメント(1)
宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・スクワッド [ 岐洲匠 ] 家族連れのちびっ子たちに混じって『宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・ スクワッド』の劇場公開を見てきた。 ちびっ子たちのおめあては2月まで放送されていたキュウレンジャーだろうが、当方の興味は、スペース・スクワッドだった。 スペース・スクワッドのメンバーとなる懐かしのヒーローたちの活躍を見たかったのだ。 もちろん、ちびっ子たちに負けないで、戦隊や仮面ライダーの新作映画も必ず見る。 しかし、懐かしのヒーローたちへの思いは、時間をかけて熟成されているからね。 残念ながら、今回はちびっ子たち向けにキュウレンジャーが主体の話だった。 スペース・スクワッドの方はといえば、宇宙刑事ギャバンとシャイダーが事件に絡む。 なぜかシャリバンは登場しなかった。 (宇宙刑事たちはオリジナルメンバーではなくて、みんな2代目だ) もう一人、メタルヒーローの世界忍者戦ジライヤが出てきたものの、あまり見せ場がなくて気の毒だった。 そんな中で、久しぶりに一人の女優さんとの再会が感慨深かった。 その人は、広瀬仁美さん。 『有言実行三姉妹シュシュトリアン(1991)』の山吹花子や『忍者戦隊カクレンジャー(1994〜1995)』のニンジャホワイト=鶴姫を演じた方。 シュシュトリアンでは、ウルトラマンとの共演、共闘を果たしている。 最初にスクリーンに顔を見せたときには、「誰かな?」と思ったが、次第に鶴姫にちがいないと確信し、念のためにエンドクレジットで確認した。年齢を重ね、落ち着いた雰囲気を感じた。あのころは、小学生もしくは中学生だったからね。 さらに、この作品では、『獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007〜2008)』のメレ、『特命戦隊ゴーバスターズ(2012〜2013)』のエスケイプなど、過去の特撮ヒーローものに登場した、ちょっとだけ懐かしい悪役が、復活、再登場していた。こちらも嬉しかった。 特撮ヒーローものに出演した役者さんたちの中には、それをきっかけにしてスターになっていった人たちもいる。しかし、今回の広瀬仁美さんは、なかなかそのお姿を見ることができなかった。それゆえに感激もひとしおだった。さらに、一般の映画やドラマではなく、特撮系の作品だったことが、これはもう感涙ものといえるのだ。 特撮ヒーロー贔屓としては、作品もキャラクターも、キャストもスタッフも,、すべてに思い入れをもっている。 そして、スターとして有名にならなくたって、特撮ヒーローに出演した役者さんのことは、いつまでも忘れない。ブログランキングクリックお願いします
July 1, 2018
コメント(1)
リバイアサンX 深海からの襲来 [ アンナ・ドーソン ] モンスターフェチではある。 とりわけ等身大のモンスター以上に、やっぱ巨大モンスター贔屓だ。 なにはともあれ巨大モンスターに満たされたい。 で、『リバイアサンX』だ。 リバイアサン自体は、旧約聖書に登場する、船を飲み込むような巨大さを誇る海の怪物だと認識する。 それをタイトルにもってきているんだから、この映画に巨大モンスターが出現するのを期待するのは何の不思議もないだろう。 さてさて、海洋生物学者のオリーブは潜水服をまとい、深海を探査する。そこで、タコなのかイカなのか、触手をもった生物(クリーチャー)に襲われてしまう。 そして、命からがら卵みたいなものを持ち帰る。 その卵から、何やら触手をもつ生き物が生まれるわけだ。 さしあたり、このクリーチャーがでかくなって、暴れまわると予想できる状況だ。それでもって、先行きを見守ってたんだよ。 ストーリーがグダグダであっても、クリーチャーが巨大化するだろう。 映像に難があっても、クリーチャーが巨大化するだろう。 女優や俳優がパッとしなくても、クリーチャーが巨大化・・・しないじゃないか! クリーチャーは、ほぼオリーブの家にひきこもっているから、でかくなっても暴れまわるような場所がない。はたまた登場人物が少なくて、襲われて逃げまどう、つまりあらかじめモンスターの犠牲を想定された人々の存在もないのだよ。 しかし、この映画、『ガメラ3邪神(イリス)覚醒(1999)』にインスパイアされたものだと思うぞ。 イリスもこの映画のリバイアサンも、女性が偏った愛情で飼育し、肉体にしろ精神にしろ、女性と生物が一体化を図る。そして、両者とも、触手を備えている。触手で人を襲う。 なんて見てると、こんどは、この映画のリバイアサンとは、じつのところ、あのクトゥルフではないのか、という展開を見せてきた。 クトゥルフとは、ハワード・フィリップス・ラブクラフトが創作したクトゥルフ神話に登場する宇宙生物、旧支配者、あるいは邪神ともいわれるものである。 邪神、ほらイリスだよ。 タイトルにリバイアサンと称されたものが、ホントのところはクトゥルフだった。まぎらわしい。 クトゥルフであれば、待ち望んだクリーチャーの巨大化が見られてもおかしくない! と、気を取り直す。 だがだが、巨大クトゥルフは気をもたせるばかり。 そして、ようやくー ああ、ときはすでに遅かりし。 もっと早く巨大化しろよー、クトゥルフ!ガメラ3 邪神<イリス>覚醒【Blu-rayDisc Video】 [ 中山忍 ]
May 19, 2018
コメント(1)
SECURITY/セキュリティ 【DVD】【中古】 スーパージャイアンツ コンプリート・ボックス(57〜59東宝) /宇津井健,池内淳子,中山昭二,三ツ矢歌子,ジャック・アルテンバイ,石井輝男(監督),宮川一郎 【中古】afbマスク・オブ・ゾロ【Blu-ray】 [ アントニオ・バンデラス ] たとえば宇津井健。 当方にとっては、この人はスーパージャイアンツである。 スーパージャイアンツは、日本初の特撮スーパーヒーロー映画(1957〜1959)の主人公だ。 DVD-BOX『スーパージャイアンツ コンプリートBOX』(4枚組)、所有しています。 その後、宇津井健が伝説の力士を演じた『雷電(1959)』を見たときも、親に「雷電は絶対に負けないよ。だってスーパージャイアンツなんだから」と力説していた。 このように、スーパーヒーローとそれを演じた役者さんはとかく分かち難い、のは当方だけか? そして、アントニオ・バンデラス。 バンデラスは、ヒット作『マスク・オブ・ゾロ(1998)』で主役のゾロを演じた。 ゾロといえば、テレビ番組の『怪傑ゾロ(1957〜1959、日本では1961〜1966放送)が当方にとってヒーロー原体験の一つである。そのほかにも『アラン・ドロンのゾロ(1975)』もすこぶる面白かったけどね。 とにかく、アントニオ・バンデラスは、仮面のヒーロー、ゾロを演じた俳優として、当方の身勝手な期待感を背負っているのだ。 しかし、最近はあまりメジャーな活躍はないように思っていた。 そんな中で『セキュリテイ』を見たわけだが、これは、アントニオ・バンデラス版『ダイ・ハード』だね。 本家『ダイ・ハード』は上映時間が133分だが、対する『セキュリティ』の上映時間は92分だ。 そして、『ダイ・ハード』にくらべて『セキュリティ』は、出演者の人数も少ない。 また、タイトルも『ダイ・ハード』=「最後まで抵抗する者」「なかなか死なない者(不死身)」に対して『セキュリティ』=「警備員」(?)だからね。 つまり、『セキュリティ』はB級感覚の映画なのである。 しかし、『ダイ・ハード』の後追い映画であっても、『セキュリティ』は楽しめる映画だったのですよ。 『ダイ・ハード』は爆発的な大ヒットを記録した。そのため、それに似た映画が続いた。内容的には、主人公マクレーン刑事は別名「世界一ツイてない男」といわれる。マクレーン刑事は、偶然大事件に巻き込まれてしまい、孤軍奮闘するのである。この骨子を、多くの映画が引き継いだのだ。 『セキュリテイ』のバンデラスは、職にあぶれた退役将校エディの役だ。なんとか最低賃金で、ショッピングモールの夜間警備の仕事を得る。 エディが初出勤した真夜中、一人の少女が助けを求めてショッピングモールに飛び込んでくる。 少女は、重要事件の目撃者だったのだ。翌日の裁判での証言を阻止しようと、殺人軍団がショッピングモールを襲撃してきた。 映画の舞台となるショッピングモールは、あまりはやっていないのかもしれない。 バンデラスの仕事は、閉店後に夜通しで警備にあたるのだが、最低賃金しか保証されていない。そして、他の警備員たちも、チンピラ風だったりひきこもり風だったり飲みすぎ女だったりして、どうでもいい状態が漂うダメダメ集団なのだ。 そんなところへ、強雨の中を少女が助けを求めてやってくる。直前まで、少女はFBIにがっちりガードされていたはずなのに、殺しのプロ軍団はそれを撃破してしまった。九死に一生を得て、少女は逃走してきたのだった。当然、殺しのプロ軍団は少女を追尾してくるわけだ。 この状況設定が、スリルとサスペンスを生む。 元軍人のバンデラス=エディは、多勢に無勢、しかも軟弱なダメダメ連中を率いて、重火器フル装備の殺戮集団と闘い、少女を守らなければならない。 しかも、エディは、吹き替えのセリフ上は元大佐と言っているが、字幕では元大尉と表示してある。大佐と大尉の差は大きいぞ。さしずめ大佐であれば、退役後に無職ということはないだろうと思うのだが、どうだろう。 それはさておき、軟弱連中も、エディの作戦指揮のもとに闘い、一定の成果を得ていくと、徐々に使命感に燃え、奮闘し始めるのだった。人間、負け犬になっていては心も荒む。自分もやればできるとわかると、命がけの勝負にも挑んでいけるのだ。エディ=バンデラスは、確かな資質を備えたリーダーだった。 もしかすると、この軟弱連中が無傷で少女を守り切るのか、とも思ってしまった。しかし、そこはリアリティを重要視したのだろう。そうは問屋が卸さない。 というわけで、バンデラスは、B級環境の中でもいい仕事をしていたのだ。 続けてバンデラス主演の『ザ☆ビッグバン!!(2011)』という映画を見た。探偵フィリップ・マーロウが登場する『さらば愛しき女よ(1975)』に似たところがあり、バンデラスも探偵役なのだが、SF的な設定もあるという一風変わった探偵映画だったけれど、こちらも見応えがあった。 アントニオ・バンデラス、がんばっている。 さすが怪傑ゾロ!人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
May 5, 2018
コメント(1)
パシフィック・リム:アップライジング (角川文庫) [ アレックス・アーバイン ]パシフィック・リム【Blu-ray】 [ チャーリー・ハナム ] この映画を見ようと某シネコンのロビーで待っていたら、以下のアナウンスが流れたんだよ。「お客様に入場開始のご案内をいたします。11時20分より上映の『パシフィック・リム アップ』、『パシフィック・リム アップ』の入場を開始しております」 以後、アナウンスは『パシフィック・リム アップ』と連呼されていたが、『パシフィック・リム アップライジング』か、もしくは『パシフィック・リム 』のどちらかにしてほしかったぞ。 さてさて、前評判の低さの割には期待感をもって、アップならぬ『アップライジング』を見た。 前半、シドニーでのジプシー・アベンジャーとオブシディアン・フューリー、善と悪のイェーガー初対戦は、巨大感あふれ、都市破壊も迫力があった。 プラズマブレードが近代的ビルに食い込み、ビジネス真っ最中のオフィスを切り裂くシーンなど、日常生活上に突如として非現実が乱入する怪獣映画の醍醐味を味わった。 着ぐるみ、ミニチュア特撮を愛でてきた者にとっては、CGはやはり「絵」に見えてしまうところはあったが。 こういったシーンを見ると、ストーリーやドラマといったものよりも、怪獣と巨大ロボットのバトルのような非日常のスペクタクル・シーンを堪能できればいいや、と思うのだった。 しかし、その幸福感は持続しない。 今回、ジプシー・アベンジャーなどのイェーガーは、スマートなデザインになり、動きも軽快になっている。 そして、ロケット・ブースターを装着して飛行も可能となる。 このくだりは、「鉄人28号」を思い出した。鉄人も、最初は地上を闊歩するだけだったが、後付けでロケット推進器を背負って飛べるようになった。そこにありがたみがあったわけだよ。 しかし、前作のイェーガーは無骨で重厚なところにパシフィック・リムらしさが漂っていたと思う。 今回、動きが素早くなり、変形もしたりすると、「トランスフォーマー」に見えてしまった。 さらに、敵怪獣が合体巨大化して、チームを組むイェーガーとバトルすると、戦隊ヒーローもののクライマックスシーンにも見えたぞ。 もともと、『パシフィック・リム』の世界観は、怪獣軍団の攻撃によって、人類が絶滅の危機に瀕しているという、切羽詰まった状況設定があったわけだ。 人類は打つ手がなく、イェーガーも残り数体になって、崖っぷちに追い込まれていたのだ。 イェーガーを飛ばしたくても、そんな余裕はまったくなかったがゆえに、見るものはバトルにひきこまれていった。 無骨で重厚といえば、先の鉄人28号は、光線やミサイルなど飛び道具も、剣も、武器は何一つもっていなかったから。 パンチとキックを主体としたシンプルな技だけで闘ったのだった。 プロレスにおいても、昭和のプロレスラーは技が限られていたがその分重みがあったし、彼らは際立った存在感を示していた。 「ある」ことよりも「ない」ことの方が、感情移入を誘う。 そういう点では、「量」より「質」を考えることが必要なのではないか。 シドニーでのバトルも、一対一だったわけだよ。 『パシフィック・リム』は次回作は、どんな「アップ」を見せてくれるだろうか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
April 15, 2018
コメント(1)
SFフランケンシュタインの逆襲 FRANKENSTEIN MEETS THE SPACE MONSTER[DVD]フランケンシュタイン [ ボリス・カーロフ ]フランケンシュタイン対地底怪獣【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ] 洋の東西、体つきの大小を問わず、モンスターに魅入られてきた。 とりわけ、フランケンシュタインを偏愛してきた。 あのフランケンシュタイン博士は、そのマニアックぶりに甚だしい憧憬を感じる。 しかしながら、フランケンシュタインへの偏愛は、元祖マッド・ドクターのF博士より、Fのモンスターに対する心持ちのほうがまずもって深いところにある。 ドラキュラや狼男などの呪術的なモンスターより、死体をつなぎ合わせた人造人間というシュチュエーションが、おどろおどろしさ倍増の味わいである。 はたまた、ただ単にFの怪物を偏愛しているのではない。 ユニバーサル・ホラーの、本家ボリス・カーロフ・タイプの怪物は、じつに見飽きることがない。 一般的にFの怪物といえば、額がせり出したあの顔を思い出すだろう。ロン・チェイニー・ジュニア、ベラ・ルゴシ、グレン・ストレンジと演じる役者は変わっても、ボリス・カーロフ・タイプの怪物メーキャップはそれぞれに見どころがある。 しかし、クリストファー・リーやロバート・デ・ニーロらが演じた怪物のメーキャップは、恐ろしげな顔立ちだが額がせり出したあのモンスターの顔ではない。そうなると、残念ながらFの怪物とは感じられない。だから、それらがフランケンシュタインの映画といっても、餡の入っていないあんパンみたいなものである。 という具合に、Fの怪物についてなど、ゼータクを言うようになったのは大人になってからのこと。 小・中学生のときには、フランケンシュタインと聞けばとにかく見ようとしたものだ。 一度、新聞のテレビ欄をチェックしていて、深夜映画枠に『フランケンシュタイン』の文字を見つけ、夜中にこっそり見ていてことがある。そうしたら父親に見つかってしまった。前半部分でテレビを消されて、布団に入って泣いた。 あのときの映画は『怪人フランケンシュタイン/生きかえった死体(1957)』である。怪物は、格調高いボリス・カーロフ・タイプではなく、右目の眼球が飛び出し顔面ぐちゃぐちゃのグロテスクな面相をしている。 さてさて、今回の『SFフランケンシュタインの逆襲』も、Fの怪物はボリス・カーロフ・タイプではない。 だが、この映画のFの怪物は、宇宙怪獣と闘うという魅力的な展開で、ずっと見たかったものだ。 おりしも宇宙ロケットの打ち上げを前にして、飛行士であるサンダース大佐の記者会見が行われていた。 記者からの質問に答えるサンダース大佐だったが、突然、笑ったままの表情で何も話さなくなってしまう。すべての動きが止まってしまったのだ。 あわててスタッフがサンダース大佐を連れ出した。 手術室でサンダースの頭髪部分をベリっと剥がすと、なんと脳の中に真空管⁉︎やトランジスタ⁉︎のような部品が埋め込まれているのが見える。 じつは、フランク・サンダース大佐は、宇宙開発を任務とする人造人間だったのだ。 (サンダース大佐は、この映画の紹介文によって、ロボットともサイボーグとも書かれている。だからここでは「人造人間」ということにする) 「いやー、湿気がまだこんなに影響(してフリーズ)するとはな」などと製作者のスティール教授は宣うが、そんなことで動作停止状態になってしまう人造人間って、宇宙に行って大丈夫か? 何しろ真空管やトランジスタの時代だからね。教授は、真空管をいじって接触不良を改善していた。まあ、昔の真空管テレビは、映りが悪いときに叩くと直ったからな。 ともあれ、この記者会見で、サンダースが人間ではないと示されたのだった。 そんなこんながあっても、サンダース大佐はロケットに乗り込み宇宙に向かって打ち上げられる。 ところが、秘密裏に地球に攻め入ろうとしていた火星人が、自分達の存在を気づかれてはならないと、サンダース大佐のロケットを撃ち落としてしまう。 さらに、追撃してきた火星人の熱線銃を浴びて、あわれサンダースの顔面左半分が焼けただれてしまうのだった。 もともとが人造人間のサンダース大佐、そして、もともとは離れ目系の顔立ちだったのだが、激闘によって醜く変貌してしまった。つまり、ここにきてフランケンシュタインの怪物が出来上がったというわけだ。 サンダース大佐の名前が「フランク」であるところも、フランケンシュタインの怪物とつなげたかったのだ。 紆余曲折があって、フランケン=サンダースは、火星人の宇宙船に拉致されていた若い女性たちを救い出す。 なんで女性たちが拉致されていたか、興味があれば映画を見てほしいが、そんな人はいないだろう。 ついに火星人は、宇宙怪獣ムルをフランケン=サンダースに向けて放つ。 いよいよ、この映画のメインイベント、ムル対フランケンシュタインの怪物の対決が始まった、と思ったが、直接対決は正味1〜2分という短期決戦、さらに煙が立ち込めてよく見えないのだったぁ。 この映画は、1965年公開。 同じ年、我が東宝特撮は、名作『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』を公開している。こっちは、フランケンシュタインとバラゴンがたっぷり名勝負を展開する。カラーだし(『SFフランケンシュタインの逆襲』はモノクロ)、ボリス・カーロフ・タイプだし。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 11, 2018
コメント(1)
ロスト・ワールド 2in1 「ロスト・ワールド」(1925)/「失われた世界」(1950) [DVD] 今年に入ってここまで「ロスト・ワールド」ものに肩まで浸かってきた。 ことの始まりは、年末年始にバローズの小説『時間に忘れられた国』を読んだことだった。 そうすると、「ロスト・ワールド」ものをコンプリートするべく思考が偏向した。 だからつぎにヴェルヌの『地底旅行』を読んだ。 そして、コナン・ドイルの『失われた世界』を読み終わったところだ。 これらの小説は、どれも映画化されている。 『時間に忘れられた国』は、『恐竜の島(1975)』と『続・恐竜の島(1977)』になった。 『地底旅行』は、『地底探検(1959)』『センター・オブ・ジ・アース(2008)』などがある。 それでもって『失われた世界』は、『ロスト・ワールド(1925)』『失われた世界(1960)』などなど。 そもそも「ロスト・ワールド」系の小説に興味を駆り立てられたのは、とりもなおさず「恐竜」が登場するからである。 これまでそれぞれの映画は見てきた。それは「恐竜」が登場する「特撮」映画だからだ。 そして、今回小説を読むのと並行して、あらためて映画の方も見直している。 そんな中で、行き当たったのが『失われた世界(1950)』だった。 この映画は知らなかったなぁ。 小説『失われた世界』を原作とする映画としては、まずもってサイレント映画の『ロスト・ワールド(1925)』がある。特殊効果・技術監督は特撮映画の先駆者ウィリス・オブライエンである。 オブライエンは、ストップモーション・アニメという技法で恐竜を映像化した。そのあと不朽の名作『キングコング(1933)』でも特撮を担当する。オブライエンの功績は特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンが引き継ぎ、ダイナメーションとしてさらに発展させた。 我が日本の円谷英二も、『キングコング』の特撮には並並ならぬ衝撃を受けたのだった。円谷も、じつは『ゴジラ(1954)』をストップモーション・アニメ的な手法で撮影したかったのだ。しかし、手間暇の関係で断念したのだった。結果、日本では着ぐるみによる特撮怪獣映画が発展することとなった。 円谷英二が特撮監督を務めた東宝の『キングコングの逆襲(1966)』は、着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものと言えないこともない。また、円谷プロが製作した日米合作の『極底探険船ポーラーボーラ(1977)』は、確実に着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものである。円谷英二没後の映画ではあるのだが。 一方の『失われた世界(1960)』は、本物のトカゲやワニに背びれやトゲなどの装飾を施し、大映しにして恐竜に見せた(通称「トカゲ特撮」)。ちなみに、「トカゲ特撮」は、先の『地底探検(1959)』『失われた世界(1960)』にも登場する。 つまり「ロスト・ワールド」ものの映画は、ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、さらにトカゲ特撮と、巨大生物を映像化する特撮の見本市の様相を呈しているのだ。 さてさて、くだんの『失われた世界(1950)』である。 この映画は今回初めて見るわけで、当然のこととしてコナン・ドイル原作の『失われた世界』を映画化したうちの1本だと思っていた。 ところが、メインタイトルが表示された瞬間に「え⁉︎」となってしまった。 まず、タイトルの頭に「TWO」の文字が見えたのだ。 このとき『THE LOST WORLD』の「THE」を「TWO」と見まちがえのかなと思った。けど、あわてて巻き戻して見たら、やっぱり「TWO」だった。 ということは、複数形になるわけだから「WORLDS」と「S」がつくのだろうかと確認したら、タイトルは確かに『TWO LOST WORLDS』だった。 さらに、クレジットタイトルには、原作者であるコナン・ドイルの名前がどこにもなかった。「なんじゃ、これは?」 結論からいえば、コナン・ドイルの『失われた世界』とはまったく別物だったのである。 ときは19世紀。東インド諸島と西洋社会を帆船が行き交う時代。 ストーリーをはしょると、ヒロインが海賊に連れ去られ、ヒーローは大海原を追撃し、帆船同士で大バトルとなる。帆船は大破し、ヒーロー一行は救命艇で脱出する。たどり着いた孤島では、なんと有史以前の巨大生物が跋扈していたのだった。 この映画の巨大生物は、「トカゲ特撮」である。 背びれをつけたワニとオオトカゲが闘う。 お互いに大きな口、鋭い歯で噛み付きあって、ぐるんぐるん回転しながら争う。 激闘を尽くす中で、よくワニの背びれが取れなかったものだ。 しかし、これらのワニとオオトカゲは、本来闘いたくて闘っているわけではない。 映画撮影のために、人間に闘いを仕向けられているわけだ。 また、島の火山が噴火するシーンでは、ワニとオオトカゲが地割れに落ちたり森林火災に巻き込まれたりする。 このような「トカゲ特撮」のシーンは「動物虐待」として、今の時代はもう撮影不可だ。 かつて当方は、巨大生物を映像化するための三技法(ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、トカゲ特撮)の中では、「トカゲ特撮」を最下位にランク付けしていた。 生きているワニやトカゲだから、確かに生物感はある。だが、やっぱりトカゲやワニを恐竜と見るのは無理があるでしょう。 そこらへんのお手軽さが特撮映画を安っぽく見せていると思ったものだ。 でも、CG全盛の今となっては、「トカゲ特撮」を「失われた特撮」の一つの技法として興味深く鑑賞している、「動物虐待」を痛々しく受け止めながらも。 なお、この映画の「トカゲ特撮」は、『紀元前100万年(1940)』の「トカゲ特撮」のフィルムを流用したものだ。このように「トカゲ特撮」は、一回撮影して映画に使ったフィルムを使い回すことが多い。つまり一本の「トカゲ特撮」の映画を見ると、ほかの映画で見た場面がまた出てくるわけだ。そして、映画の数にくらべれば、ワニやトカゲを実際に使った撮影は回数が少ないのである。少しは救いになるかな。 ということで、『失われた世界(1950)』は、コナン・ドイルの小説の映画化ではなかったが、進化に取り残された島が登場する点で、コナン・ドイルの小説のタイトルにあやかったわけだ。 特撮という点では、トカゲ特撮以外のところで、帆船や港のミニチュア・セットが目に楽しかった。 それにしても、『TWO LOST WORLDS』の「二つの世界」って、なんだったんだろう?人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 4, 2018
コメント(1)
サラマンダー [ マシュー・マコノヒー ] 映画『GODZILLA 怪獣惑星(2017)』の前日譚を綴った小説に『GODZILLA-怪獣黙示録』がある。『GODZILLA 怪獣惑星』に続く過程で、怪獣により人類の存続が危ぶまれているという状況設定が行われている。 また、小説『KAIJU黙示録(アポカリプス)』は、『GODZILLA-怪獣黙示録』とタイトルも似ているが、怪獣によって滅亡寸前までに追いつけられた人類が、巨大宇宙船で地球を脱出するという展開も似ている。 ともあれ、この「怪獣の襲撃によって地球規模で人類が危機に瀕している」というのは、『パシフィック・リム(2013)』以降の流行かな、と思っていた。 ところが、それ以前に『サラマンダー(2002)』があったのだ。 こちらは、怪獣は怪獣でもドラゴンである。 未知の巨大生物ではなく、伝説の竜が21世紀に出現したという設定だ。 映画の中では以下のような説明がされている A.クインによる説明 大昔 サラマンダーが恐竜を焼き払い その灰が氷河期を招いた やがて地球上の生物を残らず焼き尽くし 奴らは飢え 地下に潜り 地球に再び生命が満ちるのを待ったのだ 最新兵器で攻撃してもサラマンダーは倒せない 奴らは不死身だ 人類はついに 核兵器を使い 奴らを滅ぼそうとした だが恐ろしい荒廃をもたらしただけ 生き残った者は都市を捨て 荒野に逃れた 未来は闇の彼方だ 人類を救う武器はなく 竜の炎を消すものはない B.ヴァン・ザンによる説明 竜は魔物ではない 脳 心臓 肝臓を持つただの生物だ 臓器をつぶせば竜は死ぬ これら二つの説明には矛盾点が見られる。 それはクインが「不死身」といっているのに対して、ヴァン・ザンは「ただの生物だ」といっている点である。 最終的にはヴァン・ザンの案に従って、クインは最新兵器、核兵器でも倒せなかったサラマンダーを退治するために千載一遇のチャンスを狙うのだ。 さて、このサラマンダーだが、『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』に登場した超遺伝子獣ギャオスに似ている。 ギャオスは、滅亡した超古代文明の遺伝子工学により、「増えすぎた人口を減らすため」という目的で?産み出された。 しかし、ギャオスは超古代文明人の手に負えなくなってしまうほど勢いを増し、慌てて天敵となる生体兵器ガメラを生み出したが、それも間に合わず、彼らは滅亡させられてしまう。 食料がなくなったギャオスは、自分に適した環境がやってくるまで、耐久卵(長期間休眠できる特別な卵)に潜み続け、ついに現代に蘇った。 また、サラマンダーもギャオスも、食糧不足になると同種間での共食いも辞さない。 ということで、怪獣映画は相互に影響しあっている様子が感じられるのであった。 主人公のクインを演じたのはクリスチャン・ベイル。 バットマンになる前は、サラマンダーと闘っていたのだ。 いや、時代的にはこの映画が2020年という設定なので、バットマンを引退してからサラマンダーに挑んだのか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 24, 2017
コメント(1)
ポセイドン・レックス [ ブライアン・クラウズ ] 主人公は、トレジャーハンター(なのかな?)のジャックス。 このジャックス、じつに犠牲的精神に厚い男だ。 ジャックスは、仕事柄、沈没船から金貨を引き上げようとしていた。 海底に埋もれた沈没船を掘り出すために爆破作業をしたら、何と、太古の恐竜(ポセイドン・レックス)が出現してしまった。なんでかよくわからんが。 ジャックスは、恐竜に襲われ一命をとりとめたものの、気を失って漂っていた。島のガイドと、ガイドに案内されてシュノーケリングに来たカップルが、海に浮かぶジャックスを発見し救出する。 「病院はよせ」 完全失神状態のはずなのに、なぜかジャックはそこだけ口走る。 狸寝入りなんじゃないのか。 そして、ジャックスは海洋生物学者サラ博士の研究室で看病される。カップルと島のガイドが付き添っている。 ジャックス「(目覚めて)俺はどこにいるんだ」 サラ「病院はよせと言ったからここに運んだのよ」 ジャックス「(この俺がそんなこと言ったのか?)」みたいな、わけわかんない状態の表情。 そのリアクション、違うと思うけど、狸寝入りではなかったらしい。 このあと、謎解きとか緊迫感とか盛り上がりとか、この種の映画に必要なものがないままにポセイドン・レックスが暴れ回る。 ポセイドン・レックス、海面に浮上するときなど、海面が波立つようなことはまるでない。手抜きのCGだからな。 ゴジラなどは、海中から海面に出現するときは海水が盛り上がるとか大きな波紋が広がるとか、巨体なりの周囲への影響、被害がある。しかし、ポセイドン・レックスが海面に姿を現すときは、その形相、風体に比べてじつに静かなもんだ。 あたかも高飛び込みの選手が水しぶきを上げない(ノースプラッシュ)を競うかのようなポセイドン・レックス、物理の法則を超越している。 したがって、近くにいる船などもまるでゆれることはない。なのに乗っている人間は、うわぁ!とか言って足元がおぼつかなくなり、海に投げ出されたりする。これは、恐竜が出現したときの心理的パニックか? ともあれポセイドン・レックスは上陸して、街を襲う。 ここからがジャックスの犠牲的精神の真骨頂だ。 ジャックスとサラと、カップルの男の方ロッドは、ポセイドン・レックスの襲撃から逃げなければならない。 ジャックス「俺が奴の気をそらすから2人は車へ行け」 見ると車の外に男が血を流して倒れている。 これがわからない。 この男はこの車のドライバーであることは間違いない。男から車のキーが発見されるから。 でも、ポセイドン・レックスに襲われ車が激突したかなんかだったら、運転席にいるはずだろう。 さもなくば、車の外でポセイドン・レックスに食われたのなら、体が引きちぎられているかなんかしないとね。 そういう形跡もなく、車の外で血を流して倒れているってなんなんだ?車から降りたところを強盗にでも襲われたのか? 話を犠牲的精神に戻す。 ジャックスは、ポセイドン・レックスに向かっていく。 だがポセイドン・レックスの方といえば、群衆を追いかけている真っ最中。 つまり、ポセイドン・レックスはジャックス、サラ、ロッドについてはまるで眼中にない。 ああ、それなのに、 「へい、こっちだ。醜い怪物め、捕まえてみろ。爬虫類の老いぼれめ」 と大声で悪態をついて、ジャックスはポセイドン・レックスをわざわざ自分の方に振り向かせる。 ポセイドン・レックスが群衆を追いかけている時点で、気をそらせるという本来の目的は十分達成できているのだから、そのまま3人で車に乗って逃げればいいのではないか。 なのに、ジャックスよ、ポセイドン・レックスに声をかけて、自分の方に気を向けさせてどうする。 ポセイドン・レックスがジャックスを追尾してきたら「今のうちだ!」って、無駄な労力使ってますよ。 さらに、クライマックスらしきシーンでも。 ジャックス「俺が軽飛行機を操縦してポセイドン・レックスの気をそらす。その隙に港へ逃げろ」 それに対してサラは、「なんて犠牲的精神にあふれた男らしい人なの」という眼差しを向ける。 そして飛行機を飛ばし「俺についてこい」とポセイドン・レックスを挑発する。だが、当のポセイドン・レックスは一瞥しただけで、飛行機には何の興味も示さずサラ達のボートに向かっていく。 映画を見ているこちらとしては、ジャックスの飛行機がポセイドン・レックスの鼻先をかすめるなどしてポセイドン・レックスに絡み、サラたちのボートを救うのかと思いきや、ポセイドン・レックスにそっぽを向かれて、ただ飛んでいるだけ。「気をそらす」と言っただけで、その役目はまったくもって果たしていない。 だから、追いかけてくるポセイドン・レックスを撃退するために、ロッドはロケット・ランチャーを駆使して戦うがボートから転落して食われてしまう。ジャックス、少しは責任を感じなさい。 そして、空軍ジェット戦闘機のミサイルでも死ななかったポセイドン・レックスなのだが、なんとサラがロケット・ランチャー一発でその首を吹っ飛ばして仕止める。 海洋生物学者だから、サラはポセイドン・レックスの弱点がわかっていたのだろうか。そんな説明はなかったが。 主人公であるはずのジャックスは、悪い人ではないんだけどね。 おとりになるとかの危険を厭わぬ気持ちは満々だったのだが、状況判断力と行動の方向性に課題が残ったね。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 17, 2017
コメント(1)
【12/8 20時から12/12 10時まで★ポイント10倍★☆期間限定】【VHSです】空の大怪獣Q|中古ビデオ【中古】「怪獣」とはいかなる存在であるか。この映画のタイトルは『空の大怪獣Q』。これは我が東宝特撮の『空の大怪獣ラドン』に倣ったものだろう。この映画、30年以上前に海賊版ビデオで見た。当時は、本邦未公開の映画を海賊版ビデオ(テープ)にして、平気でレンタルしている店があった。ざっとストーリーを示すと、高層ビルの窓拭き作業をしていた男が、突如首なし死体と化す。屋上プールで日光浴中の女性が、空から現れた何ものかに襲われ、忽然と姿を消す。さらに、ホテルの一室で全身の皮を剥がされた死体が発見される。シェパード刑事(デヴィッド・キャラダイン!『燃えよ!カンフー(1972〜1975)』『キル・ビル(2003)』)は、一連の猟奇事件を追っていた。そして、博物館で、古代アステカの翼のある蛇神ケツァルコアトルと、ケツァルコアトルへの人身御供の儀式について知る。シェパード刑事は、人の皮を剥ぐのが儀式によってケツァルコアトルが蘇り、人を襲っているのではないかと推測する。そして、高層ビルの尖塔内部に、巨大な生物の巣と卵が発見される。この映画の怪獣は、蛇神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)すなわち「Q」である。Qは翼のある蛇神なのだが、前足、後足がある。デザイン的には、いたってシンプルだ。ツルンとしたボディに翼がある感じ。その巨大な卵は、とりもなおさずQの卵だ。映画の中では、卵を破壊しようと警察が機関銃を乱射し、割れたところから雛が姿を見せるが殺される。蛇神であっても、卵から生まれるのだ。モスラやラドンも卵から生まれる。あるいはギャオスも卵から生まれた。モスラ、ラドン、ギャオスなどは、怪獣といえどもその基盤は生物である。だから卵から生まれてもあまり違和感はない。だが、蛇神も卵から生まれるのか。怪獣とは、通常の生物、常識内の生物ではない。生物を基盤としながらも、生物を超越したものである。とんでもない生物といってもいいだろう。その巨大さ、そして通常兵器が通用しないところなどがとんでもない生物=怪獣の特徴だ。蛇神も怪獣となり得るだろう。しかし、蛇神であるからには、生物を基盤とした怪獣とは趣が違うのではないか。怪獣には、通常兵器は通用しないが、科学技術によって退治することができる。例えば、ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーのように。それに対して蛇神というからには、呪文とか神剣とか、そういった科学ではないもので倒されるべきではないか。最終決戦では、巣と卵を破壊したのちに、高層ビルの尖塔で待ち受けた警察隊とQとのバトルが繰り広げられる。巣に戻ってきたQを、警察隊は機関銃の総攻撃で迎え撃つのだ。これは『キングコング(1933)』の逆パターンである。『キングコング』では、コングがエンパイヤステートビルの尖塔に登っていき、警察の複葉機が飛来して機関銃でコングを攻撃した。警官隊との激しいバトルの末、Qは銃弾を撃ち込まれて高層ビルから落下して倒れる。Qは、人の皮を剥ぐという無残な生贄を捧げて、呪術的に現世に復活した。にもかかわらず、雛とともに通常兵器の銃弾によってこの世を去った。ところが卵は1個じゃなかった。アメリカの怪獣映画は、通常兵器で片がついてきた。だが、『パシフィック・リム(2013)』『ゴジラ(2014)』と、通常兵器が効かなくなってきた。いつの日か、Qもパワーアップして再登場してほしい。あの卵が何十年を経て孵化するのを待とう。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 10, 2017
コメント(1)
オクトパス【動画配信】この映画、じつにハラハラ、ドキドキだったよぉ。1962年、キューバ危機に直面して、ソ連の原潜が放射性物質を運んでいる。この原潜の艦内がアップ画面多用なのだ。まず、この場面でハラハラドキドキ。どういうことかというと、原潜内部のセットをきちんと組んでないので、背景をなるべく見せたくない。そのために、アップを多用しているのではないか、との疑惑がわいてきたわけだ。予算、手間暇を出来うる限りかけないイージーな映画ではないか、と心配になったのだ。何せタイトルからして「オクトパス」だからね。日本語だったら、「蛸」でしょ。シンプルすぎる。モンスター映画のタイトルとしては、もうちょっと陰影があってもいいと思うが。こうしたB級モンスター映画では、モンスターさえろくに出てこないというものもある。じつにあたりはずれが激しい、という以上に、期待はずれが多い、という状況をこれまで幾度も経験してきている。そんなんだから、心配要素が目につき、警戒心が急上昇する。ともあれ、ソ連の原潜がアメリカの原潜から魚雷攻撃を受け、沈没する。そして、放射性物質が海底に流れ出してしまう。時は経ち、現代。ブルガリア。テロリストが建物内に爆弾を仕込んだバッグを置いていく。それを子供が見つけて抱え上げる。ああ、ハラハラドキドキ。そして、爆発!ヒッチコックの『サボタージュ(1936)』では、少年がそれとは知らずに時限爆弾を運ばされる。それを見て観客はハラハラ、ドキドキするのだが、ついに少年は爆発に巻き込まれてしまう。この展開は映画のタブーを犯したもので、公開後ヒッチコック監督も慚愧の念に堪えなかったそうだ。なのに、ここで同じ過ちを繰り返してしまうのか。ヒッチコック大先生が残した教訓をなんと心得るか!この憎っくき爆弾魔テロリストをば、速攻で2人組のCIAのエージェントが追う。しかし、そのうちの一人は、退職を目前にしたメタボおやじ。腹回りがビヤ樽だ。この人がテロリストを追いかけるが、息が切れて苦しそう。追撃中に、演技じゃなくて心臓麻痺を起こすんじゃなかと、ハラハラドキドキ。結局撃たれて死んでしまう。残った若いエージェントが激闘の末、テロリストを捕まえる。そして、若いエージェントは、なんと、アメリカ海軍の原子力潜水艦でテロリストを護送する。そんな政治的目的で破壊活動を行うテロリストに、原潜の内部を見せちゃっていいのか?そもそも原潜が、犯人?容疑者?の護送なんかするんかい。でもって、潜航中に原潜は謎の物体に襲われ海底に座礁する。この状態で、どうやって乗組員他は救助されるか?ハラハラ、ドキドキ。そうしたら、謎の物体(オクトパス以外の何物でもない!)が原潜を破壊する。太長い吸盤がついた触手が艦内に侵入してくる。ソ連原潜の放射物質により突然変異をとげたタコが、何世代かを経て巨大化し、その巨体を維持するためにタンパク質を求めて荒れ狂うんだとかの説明あり。主要メンバー数名を残して(含むエージェント、テロリスト)、乗組員は犠牲となる。「潜航艇で脱出しよう!」その手があったか。確かに原潜の後部甲板に小型潜航艇が装備されている。昔、小沢さとる作の『サブマリン707』というマンガがあった。707には、ジュニア1号、2号という単座の小型潜航艇が後甲板に搭載されていた。それを思い出したぞ。そして、この時点で、小型潜航艇の定員内きっちりの人数が残っているのも、天の定めか。その一方で、テロリストの仲間たちが、豪華客船に乗り込んで、捕まったテロリストの救出に向かう。そう、快速艇とかクルーザーでもなければ漁船でもない。悪人たちがよりによって豪華客船を乗っ取って仲間を救いにいく。騒ぎが大きくなるだけだと思うが、それもこれも大ダコに襲われるスペクタクル場面を派手にするためだ。漁船が大ダコに襲われてもね、映えないやね。そして、当方のハラハラ、ドキドキは、もしかして、触手だけが画面に登場して終わるのではないかという心配で頂点に達する。どれほどタコが、そして豪華客船までもがCG以外の何物でもないというチープな映像であってもいい。タコのモンスターをどこまで、どんなふうに見せてくれるのかが肝要なのである。豪華客船のキャビンを、船内を、タコの触手が這い回る。欧米人はタコのことをDvil Fishと呼んで忌み嫌うそうだから、もともとモンスター的なイメージがあるのかもしれない。しかしなぁ、日本人である当方などにしてみれば、大きいだけのタコは、モンスターとしての魅力があまりない。などと画面を見ながらも思考をとばせていたら、脱出した潜航艇が浮上した。そこには豪華客船が。潜航艇を追って、ついにタコが全貌を現した。豪華客船を抱きかかえるようにしてからみつくタコ。おお、触手だけの出し惜しみ、手抜きのタコではなかったぞ。そして、大ダコの出現に女テロリストがマシンガンをぶっぱなす。しかし、大ダコは弾丸連射などものともせず、触手が円を描いて生えているその真ん中にある口からトゲトゲの歯がむきだしの巨大な嘴を出してきた。日本のマンガのタコみたいなひょっとこ口ではない。嘴を開くと、なんとその中からもうなる鞭のような触手が伸びてきて、女テロリストをからめとると、自らの口に運んでしまった。触手が口の中から出てくるなんて、ただでかいだけのタコじゃなかった!とりあえず、モンスター化したタコだ。そこが着地点かぁぁ。<a href="//blog.with2.net/link/?313517"><img src="https://blog.with2.net/img/banner/m12/br_banner_nightsnow.gif" title="人気ブログランキング"></a><br><a href="//blog.with2.net/link/?313517" style="font-size: 0.8em;">人気ブログランキング</a>クリック、よろしくお願いします
December 3, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ウエストワールド [ ユル・ブリンナー ] 巨大テーマパーク「デロス・ランド」。 西部劇の世界では、ロボットを相手にして、撃ち合いや乱闘などのリアルな体験ができる。 ロボットは、やられ役にプログラムされているはずだったのだが、突如として人間を襲撃してきた。 この映画は、公開時に見ている。 テーマパークのロボットが反乱する、というところが軸である。 登場するロボットは、主にアンドロイドだ。人間と同じ外見をもつ。 あるいは、ガラガラ蛇も馬もロボットだったりする。 当時は、この点がつまらないと思った。 アンドロイドまたは動物のロボットなど、ビジュアル的な非日常感がない。 幼児のロボットごっこじゃないんだから、ロボコップみたいな、映像でしか見られない(現実には存在しない)かっこいいメカか、または異形のロボットが見たかったわけだ。 しかし、今回見直してみて、印象が変わった。 西部世界で黒ずくめの悪役ロボットを演じているのが、かのユル・ブリンナーである。酒場のシーンに初登場し、客に因縁をつける場面がすばらしい。人間の0.9倍速くらいのゆっくりさで動く。なんとそこにロボット感が出ているのだ。演技力でロボットを表現しているのである。 そして、ロボットの反乱という展開が非常に興味深い。 デロス・ランドでは、客が悪役ロボット相手に腕力を振るったり、銃をぶっ放したりしてストレスを解消する。 そんなふうにして活況を呈するデロス・ランドだったのだが、ある時からロボットの故障が急増する。それらの故障は、周辺機器ではなく行動をコントロールする中央ユニット部分に集中しているのだ。 メンテナンス工場では、科学者、技術者が故障について協議していた。「(ロボットの故障が)一週間で2倍に増えた。修理しても故障率は上昇している。パターンに類似性があり、伝染病が広がっていく過程とそっくりだ」「ロボットに病気があるとは考えにくい」「我々が取り扱っているのは高度に進歩した特別な装置で、生物同様に複雑だ。コンピュータがデザインした部分も多く、我々は機能すら知らん」 人間側は、何の疑問もなくデロス・パークの最新システムをコントロールできていると思っていた。ところが、気がついたらロボットは人間の支配と予想を超えた活動を行い、手に負えなくなってしまったのだ。 西部劇の撃ち合いをすれば、ロボットは必ず撃たれるようにつくられていた。そして、ロボットの銃は、人間に向かっては弾丸が発射されないように設定されていたはずだった。 それなのに、ロボットが人に向かって発砲し、実弾が人体をえぐる。 例えば、スマホなど、本来は便利な機器であったはず。ところが、スマホ依存症や歩きスマホなど、人間の生活に害を及ぼす側面も少なからず見せている。これは、スマホが人間の役に立つ範囲内でのコントロールを逸脱して、負の存在にもなってしまっているわけだ。 スマホは、悪影響が積み重なることはあっても、直接的には人を襲ってくることはない。多分。 しかし、デロス・ランドのロボットは、どこまでも人を追撃し殺害する。 人を追い詰め殺害するといえば、『ハロウィン(1978〜)』シリーズのマイケル・マイヤースや『13日の金曜日(1980〜)』シリーズのジェイソン・ボーヒーズなどのスプラッター殺人鬼がいる。彼らは、血縁関係やキャンプ場の監視員に対する怨恨といった動機がある。 あるいは、同じロボットである『ターミネーター(1984)』のT~800は、もともと人を抹殺するようにプログラムされている。 ところが、デロス・ランドのロボットは、なんで人を襲ってくるのか、全く不明なのである。 機械であるロボット、あるいはコンピュータ・システムが、勝手に暴走したとしかいいようがない。 この映画の監督、脚本はマイケル・クライトンである。 マイケル・クライトンは、『ジュラシック・パーク』の原作小説を書いている。 テクノロジーでコントロールされたアミューズメント・パークが、あるとき地獄と化すという設定は、この『ウエストワールド』がプロトタイプといえるかもしれない。 確かに恐竜が襲ってくるのも恐いが、不気味さでは『ウエストワールド』に軍配が上がる。人気ブログランキング
November 19, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ファイヤードラゴン [ ドミニカ・ジュリエット ]『ファイヤードラゴン』 ブランドン・リー(ブルース・リーの息子)の映画か? あれは『ファイアー・ドラゴン (1986)』。 「ヤ」ではなく「ア」ですね。 『怪獣総進撃(1968)』のラスト近くに「ファイヤードラゴン」が出てきたが、こちらはキラアク聖人の円盤が炎を発していただけ。怪獣ではなかった。 では、この映画の「ファイヤードラゴン」はいかに。 ワシントン州のベイカー山が突如噴火する。 噴火とともに飛んできたのは、なんとドラゴンの繭だった。 そして、夥しい数のドラゴンが人間社会を襲う。 さらに、最強のマザー・ドラゴンが出現か。 やっぱり欧米人にとっては、ドラゴンというのは身近な怪獣なのだろうか。 眠りについていたドラゴンが、現代に蘇るという映画がいろいろある。 クリスチャン・ベールが主演した『サラマンダー(2002)』とか『ドラゴン・オブ・ナチス(2014)』とか。 いずれにせよ、怪獣映画についてはチェックしないではいられない。 当方が怪獣映画に期待するのは、怪獣による都市破壊だったり、人間と怪獣との壮絶バトルだったりする。 設定がグダグダだろうが、ストーリー展開がゆるかろうが、怪獣が暴れまわってくれればいいわけだ。 もちろん、平成ガメラシリーズのように設定もストーリーも本気で作ってあれば、そんないいことはない。けれど、通常はそこまでは望まない。 で、『ファイヤードラゴン』だが、案の定設定はグダグダで、ストーリー展開はゆるゆる。シーンによってはユーモラスな演出しようとしたらしいのだが、もともとゆるいのだから、ふざけるな!と言いたくなった。 そんな思いをしながらも、ドラゴンさえ暴れまわってくれれば報われる。 しかしながら、ドラゴンは、モスクワ上空やロンドン上空を集団で飛び交うが、飛んでるだけ。攻撃はしない。 確かに、東京だかパリだか、タワーが破壊され倒壊するシーンもあるにはあったが一瞬で通り過ぎてしまった。 これは、とりあえずドラゴンの襲撃シーンのさわりだけ見せて、あとは観客が各自脳内スクリーンで想像してくれってことかな、と思ったぞ。 けど、見て損したとは思わない。 設定グダグダ、ストーリー展開ゆるゆる、怪獣あっさりさっぱりであっても、見ないままでいるより、見た方が断然いい。 モンスター映画を放置するより、見たときの脱力感を選択する。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
November 12, 2017
コメント(1)
ムービー・スター 2017年11月号 【特集】 『マイティ・ソー バトルロイヤル』 【付録】 2018年『SHERLOCK/シャーロック』『ウォーキング・デッド』リバーシブル・カレンダー[本/雑誌] (雑誌) / イン・ロック これまでの『マイティ・ソー』とちがったところ。 まずは「笑い」ねらい、である。 「助けて」というギャグがあった。どんなギャグかは、は映画を見るときのお楽しみ。 そして、ソーとロキ、あるいはソーとブルース・バナー(ハルク)のかけあい漫才みたいなのがところどころ出てきた。 ソーとバナーのかけあいなど、ストーリーの流れが突然ゆるくなる感じで「もういいから早く話を進めろ!」と言いたくなった。ところが、つぎのアクション中心の展開に移ったときには、よりスピーディ(急)に感じたので、かけあい部分が緩急の「緩」の効果があったとわかったのだが。 ブルース・バナーが意を決してハルクに変身し、闘いに向かう勇ましい場面にもギャグが入る。この展開は、そうなることが読めた。 こうした笑いは、ロキじゃなくて予期しなかったことで、公開初日の観客席には笑っていいのかどうなのか、戸惑いがあったようだ。 最初は、客席の一部で笑い声が聞こえてきた。しかし、大部分には「ここは笑う場面ですよ」とのsuggestionが必要だったかのもしれない。「笑い」をねらった場面が度重なって登場すると、観客席もそこを理解したようで、「笑い」の空気が静かに拡大していった。 つぎ。過去2作からは、『マイティ・ソー』の映画では、メカは無縁だと思っていた。なぜならソーは「神」だからである。ソーの武器であるムジョルニアは魔法のハンマーだ。魔法というのは、端的に言って科学的ではない。ソーは、ムジョルニアを武器とするだけではなく、空を飛んだり、時空を超えたりするときにも用いる。 しかし、今回はムジョルニアを破壊されてしまうので、ソーは宇宙船を操縦するのだ。 『サンダーバード』の昔から、ライドメカなどの映像が好きだった。しかし、『マイティ・ソー』は、剣と魔法の世界観だと思っていたから、この映画を見る前は、ライドメカなどは全く期待していなかった。ところが、神様も移動に宇宙船を必要とする場合があるわけだ。 そして、今回の敵は、ソーの姉、つまり初の女性ボスキャラである。 「最強の敵」ということが強調されていて、さすがのソーも翻弄される。 しかしながら、『ダークナイト(2008)』のジョーカーのような狡猾さなどはあまり見られない。つまり、強いことは確かなのだが、ヴィラン(敵キャラ)としての深みがないといったところ。 やっぱり、ヴィランは、観客の憎悪や嫌悪感を煽ってこそ、スーパーヒーローは倒しがいがあるというもの。 その点、以前のロキは憎たらしさが濃かった、だが、ロキ自体の人気が高まってきたとか。ロキを演じるトム・ヒドルストンも『キングコング: 髑髏島の巨神(2017)』でヒーロー役(スーパーヒーローではない)をやったりして、悪役のイメージではなくなっているとか。 だから、ロキは、ヴィランからソーのパートナーに変貌しつつあるのかもしれない。人気ブログランキング
November 5, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】X-コンタクト [ ランス・ヘンリクセン ]この映画を見た人は、 『エイリアン(1979)』みたいだなー とか 『遊星からの物体X(1982)』に似てるなー などと感じるかもしれない。 それもそのはず 『エイリアン』、『プレデター』、『ターミネーター』シリーズのSFXスタッフが手がける、原点回帰の正統派SFスリラー(TCエンタテインメント・ホームページより)。 だからであり、また、そのスタッフが、 『遊星からの物体X ファーストコンタクト(2011)』でできなかったことをしよう(TCエンタテインメント・ホームページより)、 ということでつくられた映画だからである。 こんなお話です。 セイディは研究調査のため、大学の仲間達と祖父の漁船に乗り込む。そして、海中に不思議な発光体を発見して引き上げる。それは旧ソ連が打ち上げた衛星が帰還したもので、中には氷付けになった宇宙飛行士の死体があった。その死体には宇宙生命体が寄生しており、氷が溶けると生命体は活動を再開した。生命体は固体と液体とに自在に姿を変えながら、船の人間を襲い、寄生時我がものとする。はたして彼らは、この寄生体を撃退することができるか。 類似した映画のあるなしよりも、この映画の価値は、「一撃必殺」なところにある。 「一撃必殺」とは、武術(格闘技)に起因する言葉なわけだが、今年、新日本プロレスは、試合におけるレスラーの大怪我が相次いだ。 それは、最近の試合が、大技やアクロバティックな空中殺法など、危険な技の応酬になる傾向が強く、そのため立て続けに重傷者が出ているからなのだ。 かつて、昭和のプロレスは、一発の必殺技で試合が決まった。 例えば、「ネックブリーカー・ドロップ」。 今では、つなぎ技、見せ技として使われているこの技が、かつては一撃必殺の押しも押されもせぬフィニッシュ・ホールドだった。 思い起こせば1969年(昭和44年)、アントニオ猪木、吉村道明 対 バディ・オースチン、ミスター・アトミックのアジアタッグ選手権2連戦は、必殺技「ネックブリーカー・ドロップ」をめぐる攻防戦だった。 ミスター・アトミックの必殺ネックブリーカー・ドロップが決まれば、確実にフォールを取られてしまう。だから、ネックブリーカー・ドロップを喰らってはいけない、出させてはいけない。 10月10日の山形県体育館、猪木、吉村の防衛戦60分3本勝負では、決勝の3本目、ついにアトミックが吉村の首から頭部をロックし、反動をつけて今にもネックブリーカー・ドロップを決めようとした。 その瞬間、猪木はエプロンからロープ越しに吉村の体をつかんで投げられないように助けた。そのためアトミックはひとりマットに体を打ちつけて自爆し、そこをファールされて勝負が決まった。 猪木、吉村組は、アジアタッグのタイトルを防衛したが、オースチン、アトミック組は、「猪木のインターフェアによる反則だ」とのクレームをつけた。そのため、タイトルはコミッショナー預かりとなり、あらためて10月30日岐阜市民センターで、両チームによる王座決定戦が行われた。 岐阜での決定戦は「ネックブリーカー・ドロップ」による因縁含みの試合となった。ネックブリーカー・ドロップを決めようとするアトミックと決められまいとする日本側のスリリングな試合展開の末、日本側は、みごとインターフェアなどなしにアトミックのネックブリーカー・ドロップを防ぎ切り、タイトルを獲得した。 このように、たったひとつのプロレス技が、アジアタッグ選手権の行方を左右するとともに、試合をドラマチックに演出していたのだった。 あのころは、必殺技が、たった一発でまさに必殺技だったのだ。 ところが、今は、様々な必殺技を何発も繰り出さないと試合が決まらない。 そして最近は、プロレスばかりでなく、ジャンル映画においても、なかなか決着がつかないパターンがありがちだ。 モンスターなどが、やっつけた、と安心しても、何度も、パワーアップして、起き上がってくる。 あるいは、地球規模の大破壊に至るまで収拾がつかないで延々とバトルが続く。 などなど。 映画の場合は、プロレスと違って、決着がつくまでに、これでもかこれでもかと見せ場を作ったとしても、けが人が出るということはないだろう。 しかし、物量作戦、派手な光の点滅、大音量で見せればいいというものではないと思うのだ。 その点、『X-コンタクト』は、クリーチャー(宇宙生物)の襲撃に主人公側は防戦一方だったが、「必殺技一発」で完全決着がつき、清々しさを味わった。 このクリーチャーが、性懲りも無く復活して襲ってくるかどうかは、別問題だ。 とはいってま、第2作がつくられるほどの映画ではないように思うが。人気ブログランキング
June 18, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】【楽天ブックス限定先着特典】キングコング:髑髏島の巨神 ブルーレイ&DVDセット(2枚組/デジタルコピー付)(初回仕様)(オリジナルポストカード付き)【Blu-ray】 [ トム・ヒドルストン ] この映画に登場するキングコングや巨大モンスターは、髑髏島の外へ出ることはない。 このように、特定の島の中だけで、巨大生物や怪獣が跋扈する映画はいくつかある。 東宝特撮では『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966)』や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967)』そして『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣(1970)』がそうだ。 これら「島限定」の怪獣映画には、怪獣映画につきものの「都市破壊」がない。 いうまでもなく、これらの「島」には、都市そのものがないからだ。 そして、怪獣が都市を襲わないのだから、やはり怪獣映画につきものであるはずの防衛隊との攻防戦もないし、群衆が逃げ惑うシーンもない。 当方が特撮映画に求めているもののひとつは、非日常感である。 怪獣が近代的なビルの谷間に巨大なる異形の姿を見せたときなど、文明社会との対比において、怪獣は圧倒的な存在感を見せつける。 怪獣の巨大さによる迫力だけでも非日常的ではあるのだが、非日常的な存在であることをいっそう際立たせるのが、都市破壊、防衛隊、群衆なのだ。 なのに、なぜ東宝特撮怪獣映画において、都市破壊や防衛隊、群衆シーンがない「島限定」の特撮怪獣映画が作られたのかといえば、それは予算の節約のためだからだった。 この時期邦画は、斜陽産業としての傾向が著しく、かつては人気を誇った特撮怪獣映画も、観客動員数及び収益が激減していた。なので、島を舞台にすることで、建物のセットを組むなどなどの予算を削減したというわけだ。 「島限定」特撮怪獣映画の嚆矢となった『南海の大決闘』はゴジラ・シリーズでは第7作である。 『南海の大決闘』では、舞台となったレッチ島に軍事組織「赤イ竹」の秘密基地がある。 そして、小規模ながら、ゴジラが秘密基地を破壊するシーンや「赤イ竹」の戦闘機がゴジラを攻撃するシーンもある。 それまで特撮怪獣映画には破壊シーンや近代兵器での攻撃シーンが、当たり前のこととして存在したのだから、完全に削除することはできなかったのだろう。 『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』と『 決戦! 南海の大怪獣』には、破壊シーン、近代兵器のシーンはない。 『南海の大決闘』をスモール・ステップとして、それらのシーンをなくしていったのだろう。 この『南海の大決闘』は当初は『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』として企画されていた。キングコングがメインとなる映画になるはずだったのだ。それが、都合によりゴジラ映画に変更されてしまったのだった。 もしかしたら、「島限定」の東宝怪獣映画登場したかもしれなかったコングだが、アメリカ版のオリジナル・キングコングは、もともと島生まれ、島育ちであった。 『キング・コング(1933)』では、髑髏島でコングは恐竜を向こうに回して大暴れするが、人間に捕獲されてしまう。そして、大都市ニューヨークに連れてこられる。 ニューヨークでは、怒りに任せて鎖を引きちぎって市街地になだれ込んで大暴れし、最後はエンパイア・ステート・ビルに登ったところを複葉機に銃撃される。 つまり、オリジナル・キングコングは、自身の意思からではないが、島から出て、都市を襲う。人々はパニックになり、近代兵器から攻撃を受けるのだ。 これは1976年、2005年のリメイク版もこの展開は同じである。 ただ、『コングの復讐(1933)』は「島限定」だった。 こちらは、キングコングそのものは登場せず、コングの息子といわれるキコの映画である。 キングコングは、発音上では「キンコン」である。ピンポン (ping pong)、香港(Hong Kong)と同じだね。 そして、その息子は、まだ成獣ではないからなのか「キコ」と呼ばれた。 (映画の中では、「キコ」という名称はでてこない) ラスト・シーン、キコは自らの命を呈して人間を救う。そのシーンは、悲しくも強く印象に残った(もちろん、リアルタイムで見たわけではない)。 なお、この「島限定」『コングの復讐』も、低予算、短期間制作の映画だった。 さて、今回の『キングコング:髑髏島の巨神』だ。 この映画が「島限定」となったのは、もちろん予算面の問題からではない。 それから、この『髑髏島の巨神』のコングは、これまでのアメリカ版コングに比べて、かなりデカくなっている。 これまでのアメリカ版キングコングは、体長が5m〜7mくらいだった。 しかし、このたびの巨神コングは、なんと31.6mなのだ。 そして、映画の中では、巨神コングがまだ成獣になりきってない(キコ状態? キコは4m)ことが示唆されている。 つまり、まだまだ大きくなって再登場することがありうるのだ。 いずれにしても、これまでのコングよりも5倍、6倍の大きさだから、迫力も5倍増、6倍増している。同時に敵となる巨大生物もまたコングに見合った大きさで、そららとのバトルも、見応え十分だ。 だが、やはり「島限定」だ。 残念ながら現代文明から隔離された島は、もともとが秘境であり、つまりは異世界である。 そういった非現実的な場所ではなく、身近な文明社会に出現すれば、コングなどがいっそう非現実感を味わわせてくれたのではないだろうか。従来とはデカさが違うコングなのだから、さらなる非現実感を生み出したのではないかと残念に思う。 その一方で、ノベライズ版の『キングコング:髑髏島の巨神』はおもしろく読むことができた。 秘境冒険小説として、楽しかった。 これは、ビジュアルと文章表現の違いだろう。 巨大生物をビジュアルで感じるときには、密林や山などを背景とするより、ビル街を破壊して回った方が非現実感をより深く味わうことができるというわけだ。 さてさて、従来のアメリカ版コングより、今回の巨神コングはずいぶんデカくなってしまったわけだが、東宝版のコングの体長は、45m(『キングコング対ゴジラ(1962)』とか、20m(『キングコングの逆襲(1967)』)とかだった。 巨神コングの体長は、かつての東宝コングの体長に接近しているのがわかる。 当時の東宝特撮怪獣映画は、ゴジラの体長を50mと設定していた。そして、東宝コングは、そのゴジラの世界観の中に登場したのだから、アメリカ版コングよりもずっと大きかったのだ。 今回のアメリカ版コングの設定変更は、2020年に公開される予定の『Godzilla vs. Kong』に向けたものだろう。 巨神コングは、ゴジラと対決するために、これまでにない巨大さに設定されたのだ。 とすると、「島限定」コングは、オリジナル・キングコング・ストーリーでいえば前半部分(=髑髏島で捕獲されるまで)に相当し、つぎの『Godzilla vs. Kong』では、いよいよ都市に出現することになるのだろうか。 そう考えると、いやがうえにも期待が高まる。 くれぐれも、ゴジラが髑髏島を襲って、そこで両怪獣が対決するという「島限定」の『Godzilla vs. Kong』は避けたいぞ。人気ブログランキングご協力、よろしくお願いします。
June 11, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】シャークネード ザ・フォース・アウェイクンズ [ アイアン・ジーリング ]◎サメだけではシリーズが続きません おバカ映画『シャークネード』も4なんだと。 シャークネードとは、海から鮫の群れを巻き上げた強大竜巻だ。 夥しい数の鮫が竜巻とともに旋回しながら、都市を、人々を襲う。 こう文章で表現しても、常識あるフツーの感覚の人には何のことかわからないだろう。 だいたいなぜ自然現象の竜巻が、鮫だけを好んで巻き上げるのか? マッドサイエンティストが、人為的に「シャークネード」を発生させてアメリカを壊滅させようと企んだわけではない。 なのに、「シャークネード」は、これまでの3作でロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンと合衆国の大都市を選んで襲撃してきたから、さらに意味がわからない。 このまま「シャークネード」は、アメリカ各地をさまよい、寅さんみたいなご当地映画になるのだろうか。今回もラスベガスだの、カンザスだの、ナイアガラだのを巡ります。 さらにこの「4」では、変わり種トルネードがいくつも登場した。 シャークネードが油田を直撃しオイルネード。 オイルネードが引火してファイアネード。 シャークネードが発電所を直撃し、雷を伴うライトニングネード。 シャークネードが原子力発電所を巻き込んだら、放射能を撒き散らすニュークリアネード。 これを止めないければ、アメリカ全土が壊滅だ! このほかにも溶岩ネードとかカウ(牛)ネードとか、何でもありの竜巻総進撃。 鮫とご当地だけでは、アイデアも尽きて飽きられるからね。 ◎ゆる〜い映像が決め手の「シャークネード」 さてさて、「シャークネード」では毎度お馴染みのゆる〜い映像についてである。 シャークネードがその他の「なんとかネード」に変わっても、物凄い自然災害だという想定には変わりはないはず。 いうまでもなく、トルネードとは、竜巻である。 竜巻とは、ただでさえ強烈な風を伴うはず。 ましてやシャークネードや、その他の変わり種トルネードは、巨大竜巻なのだ。 なのに、シャークネードの周囲では、木の枝、葉っぱがまるで揺れていない。 確かに、場面によっては、シャークネードの襲来に合わせて、木々が、そよそよと揺れているときもある。 シャークネードの近くでそよそよもないだろうと思うのだが、まだ揺れているだけいい方だった。 主人公フィンの実家の家屋が竜巻に根こそぎ舞い上げられるシーンでは、その背後を取り囲む森林が、強大モンスター竜巻とはあたかも無関係であるかように静粛の佇まいを見せている。森は、頑として風にたなびくのさえ拒否しているかに見える。 このようなゆるい映像も、超強自然災害なのだが、周囲には影響を与えないで、ピンポイント、超局地的にのみ激しい被害を及ぼすのが、モンスター竜巻=シャークネードの特徴なのだと解釈しようではないか。 ◎「シェパード家、ファイヤー!」 そして、この映画は、スーパータフガイヒーロー、フィン・シェパードを主人公にして、彼のファミリーの人間ばなれした活躍を見せていく。 フィン・シェパードは、トレードマークであるチェーンソーを携えてシャークネードに向かっていく。 やっぱり常識ある人なら、なんで竜巻相手にチェーンソーなんだと思うだろう。 さらに、前作で死んだはずのフィンの妻エイプリルが、実は生き延びていて、なんと空飛ぶスーパーヒロインとなっていた。 それだけではない。フィンの父、軍人の長男、5歳の次男、姪、長男の婚約者など、シェパード一家が勢揃いし、Gメン75状態で、勇んでシャークネードに挑んでいく。 これって、何かに似てないか? そう「野原家、ファイヤー!」のクレヨンしんちゃん一家みたいだ。◎おバカ映画の結末はいかに? しかし、シャークネードは手強い。 いかに勇猛果敢なシェパード一家といえども、竜巻から襲い来る鮫の大軍につぎつぎと食われていく。チェーンソーで激闘を繰り広げるタフガイヒーロー、フィン・シェパードもあえなく鮫に飲み込まれてしまう。 万事休す、頼みの綱のシェパード一家が壊滅し、ついにアメリカはシャークネードに屈するのか、と思ったが・・・・。 あとは見てのお楽しみ。 なにせ人間ばなれした一家なのですから。 という言葉に煽られて、うっかり見てしまい、挙句の果てに「ふざけるなぁ」と苦情を言っても、当方は知りません。人気ブログランキング
May 5, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】完本天龍源一郎 [ 天竜源一郎 ] 天龍源一郎の勇姿に、テーマ音楽「サンダーストーム」がかぶされば、俄然気分は盛り上がる。 映画は、勇壮な「サンダーストーム」から始まるのかと思いきや、これがなかなか聞こえてこない。 天龍の試合会場への入場シーンがカットされていたり、あるいは花道に出る前の通路で、会場内のテーマ曲が漏れ聞こえてくるだけだったり。 しかし、満を辞して、いよいよ「サンダーストーム」が鳴り響くときには、興奮はクライマックスに達するのだった。 この映画は、天龍の格闘技人生を記録したものではない。 引退ロードのドキュメンタリーなのだ。 だから、若い頃の試合や天龍同盟として暴れ回った姿は見られない。 引退を決意し、腰部脊柱管狭窄症の2度の手術を経た、60代半ばの痛々しいともいえる姿が見られるのみ。しかし、気力は一向に衰えを感じさせない。 そして、懐かしい昭和の名レスラーがスクリーンに姿を現す。 グレート小鹿、グレート・カブキ、ドリー・ファンク・ジュニア……。 グレート小鹿は、アメリカでヒール(悪玉)として名前を売り、他のレスラーと同じように日本に帰ってきてベビーフェイスに戻るのかと思いきや、異例のヒール・スタイルを貫いた。 グレート・カブキは、若手の天才レスラー、高千穂明久としての活躍が強い印象を残している。ドラゴン・スープレックスやタイガー・スープレックスなど露ほどもなく、ジャーマン・スープレックスさえ使い手がほんのわずかしかいなかった時代(1960年代)に、前座戦線でオージー・スープレックスにトライしていた。オリジナルのオージー・スープレックスはローリングして固める技だったらしいが、高千穂は見事に投げていた。当方が会場で見たときは、片腕のロックが外れて決め技にはできなかったが。 そして、ドリー・ファンク・ジュニア。 彼は、1960年代の終わりに、いきなり若きNWA世界ヘビー級チャンピオンとして顕現した。「日本プロレス中継」の速報ビデオで、荒法師ジン・キニスキーを破ってチャンピオン・ベルトを掲げて歓喜のジャンプを繰り返す姿が、本邦初お目見えだった。 以後、猪木、馬場、坂口と名勝負を繰り広げた。得意技としたスピニング・トーホールドやテキサス・ブロンコ・スープレックスには目を見張った。 そして、1977年のオープン・タッグ選手権開幕戦の後楽園ホール、馬場、鶴田組対ブッチャー、シーク組、史上最凶悪コンビの暴走ファイトから鶴田を助けようとした弟のテリーが返り討ちに合ってしまった。そこに、押っ取り刀で丸椅子を手に組び込んできたのがドリーだった。手近にあったから持ってきたのか、丸椅子は攻撃には使いにくそうだった。ここから、ザ・ファンクスとブッチャー&シークの因縁が始まったのだった。 そうした名レスラーだけでなく、門馬忠雄氏などのマスコミ関係者の顔も見られた。 これらの昭和プロレスを彩った顔も、今は年輪を重ねている。天龍よりも年上のレスラーたちがリングで、若かりし頃に得意としたファイト・スタイルを披露する姿を見ると、あの頃が蘇ってくる。 おそらく、懐メロを聞くと、その曲から、かつての自分自身やその頃の風景なども同時に脳裏に浮かぶのではないか。プロレス界も、その年々に数々の名勝負や様々な出来事があり、昭和のレスラー諸氏、関係者がお元気な様子を見ると、自分の歩んできたその時々を思い起こさずにはいられない。 天龍本人は、映画の中でこれまでの格闘技人生を振り返り、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えてきた」と語っていた。 天龍の著書『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY‐いまを生きる‐』には、「北向きの天龍」という表現が出てくる。 「北向き」とは、「相撲界の隠語で変わり者、すねっぽい人のことを言う」とその著書にある。 この「北向きの天龍」を目の当たりにしたのは、1990年2月10日東京ドーム'90スーパーファイト IN 闘強導夢での「天龍源一郎&タイガーマスクvs長州力&ジョージ高野」だった。両コーナーのレスラーがリングの登場するまでに、お立ち台があった。しかし、天龍はそのお立ち台には上がらず、お立ち台を拒否して花道を歩いていった。 この日天龍は、全日本プロレスを代表してライバル関係にある新日本プロレスに登場した。だから、ショーアップの部分であるお立ち台を「ふざけるな」と拒否して、闘いへの意気込みや集中などを胸に入場していったのだと見受けた。 「北向きの天龍」とは、いかに自分の感性に忠実にいられるか、ということではないだろうか。 アントニオ猪木は、「プロレスの市民権」を訴えて世間と闘った。 長州力は、「咬ませ犬じゃない」と発言して?序列と闘った。 彼らの闘いは、いわば外敵との闘いであった。 しかし、天龍の戦いは、自分自身が、周囲との軋轢の中で、流されずに、自分自身でいるための闘いだったと思う。 周囲が南を向いていても、自分自身の感性は北を向いている。そんなときに、安易に南を向かないように、「何くそ、と、目の前の困難を一つ一つ乗り越えて」行ったのだろう。 そして、その自分が自分であるための闘いが、天龍の生き様になっていたのだ。 だから、天龍こそが、自分自身に妥協しない「生き様」を見せたレスラーだった。 プロレスラー天龍は、映画の中で「プロレスは楽しい」と語っていた。 そう語る天龍が引退試合に選んだ対戦相手は20代のIWGPチャンピオン、オカダ・カズチカだった。 この時代のトップであるオカダ・カズチカと、初対決であると同時に自身のラスト・マッチを行なったのも、最後の最後まで、チャレンジ精神をもって自分自身と闘い、生き様を示したのだった。人気ブログランキングへクリック、よろしくお願いします。
February 19, 2017
コメント(1)
【税込み】【3500円以上で送料無料】【レンタル落ち中古DVD】JAWS ATTACK ジョーズ・アタック 2 /マイケル・ソプキウ 【吹き替え・字幕】【中古】 『ジョーズ・アタック2』、VHSテープで出たときのの題名は『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』そしてオリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』。 この映画は、「シャークトパス」の元ネタとして知られている。といっても、世間的に広く知られているような事柄ではない。 世間には、それがわかったからには、この映画を見ずにはいられない者もいる。 当方は、元来が、原作やノベライズと映画、テレビ版と劇場版、アニメ版と実写版、オリジナル版とリメイク版など、一つの映画にかかわって複数の作品があるときには、その相違点を確かめずにはいられない性分である。 今回の『ジョーズ・アタック2』と『シャークトパス』は、オリジナル版とリメイク版の関係だ。 ストーリーや設定などが、どんなふうに同じか、あるいはちがうか。確かめずにはいられない。 ことに、両者に共通しているのは、サメの頭部にタコの触手をもった合成怪物[shark+(octo)pus=シャークトパス!]が登場するところである。 この合成怪物、オリジナル版とリメイク版とでは、造形、映像化などの点でどうなのだろうか、興趣が尽きない。 まず、リメイク版のタコサメ合成怪物シャークトパスだ。こちらは、CG(コンピュータ・グラフィックス)で映像化されている。 凶暴無比のサメが触腕をもっていて、それでもって人間や敵モンスターに絡みつき、そして鋭い歯で食らいつく。 あるいは、半サメ=半魚類ながら、シャークトパスは触手で陸上を闊歩し、獲物を襲う。 しかし、CGの技術が発達してきて、映画の中で効果的に使われるのは1990年代である。 では、1980年代前半につくられた『ジョーズ・アタック2』では、サメタコ・モンスターをどのように映像化したのだろうか。 サメだけならまだしも、タコ足がくっついているのだ。サメが8本の触手をもっているのだから(足?触手?触腕?)、その複雑な動きを、CG以前の「特撮」でどのように映像化したのだろうか。 考えられたのは、まずストップモーション・アニメーションである。 例えば『水爆と深海の怪物(1955)』は、大ダコが登場する。 この大ダコは、特撮技術の魔術師レイ・ハリーハウゼンが、タコの模型を1コマずつ動かして撮影した。しかし、この大ダコは、足が6本しかなかった。手間を省いたわけだが、それだけモデル・アニメーションは、作るのが大変だということだ。 次に、日本の特撮の伝統芸、着ぐるみがある。 『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970)』のカミナリイカの怪獣ゲゾラは、着ぐるみ特撮である。 ゲゾラの着ぐるみは、下半身(?)に足がたくさんあるのだが、着ぐるみ役者の脚を取り囲むようにしてある。幾多の足で地上を歩き回るが、ときどき着ぐるみ役者が歩行する脚が見える。そして、触手で人間(人形で吹き替え)を絡め取る。その触手は、操演(ワイヤーでひっぱって動かしている)なのだ。 ストップモーション・アニメーションなのか、着ぐるみなのか、操演なのか、事前にいろいろと可能性推測して、そして本編をみた。 そうしたところ、くだんのサメタコ・モンスターがなかなか姿を現さない。 90分の上映時間で、映画が始まってから20分後にようやくちらっと出現した。 その後、正体不明だったサメタコ・モンスターの存在が明らかになることはなる。そこからは、サメタコ・モンスターが大暴れをするのではないかと期待したが、出番が少ない。 じゃあ、サメタコ・モンスターが登場しないで、90分の上映時間で何をやっていたのか。 例えば殺し屋が出てきて、暗躍する。 この殺し屋が、ストーリーにどう絡んでいるのかがよく分からない。 そのうちタネ明かしがあるだろうと見ているわけだが、ずるずる、もたもたと映画は進んでいく。 その展開の中で、肝心かなめのサメタコ・モンスターはなんか隅に追いやられてしまっている感じ。 サメタコ・モンスターが見たいのに。 そうこうするうちに、ラストまで、サメタコ・モンスターは、全身を露わにすることがなかった。 海面から触手が出てきて、人を襲ったりする。 サメとは思えないような、いかつい形相の頭部も見ることができる。 これらは操演だね。 触手の動きは、意外となめらかだった。 しかし、それらが、触手は触手、いかつい頭部はいかつい頭部で、別個に画面に登場するのだ。 もしかしたら、サメ怪物とタコ怪物の二頭がいるかと勘違いしながら見た人もいるんじゃないか。 なんにしても、CGのシャークトパスのように、サメ頭のタコ状態で暴れる場面はない。 ここにリメイク版シャークトパスの存在理由があるのだ。 『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)のサメタコ・モンスターは、早すぎた怪物だった。 この当時、サメパーツとタコパーツが分離させてしか映像化できなかったものが、CGによってシャークトパスどして合体し、ようやく本領を発揮できるようになったという寸法だ。 特撮は、創意工夫の技術である。特撮の時代であっても、その気になればCGのシャークトパスに負けないサメタコ・モンスターはできたと思う。 特撮びいきとしては、ストップモーション・アニメーションや着ぐるみ、操演で迫力あるサメタコ・モンスターの全身像、勇姿が見たかった。 しかし、それほど手間暇と金をかける内容じゃあないからね。 本当は、オリジナル版の方でも、触腕で獲物に絡みつき、サメの鋭い歯で食らいつく迫力あるモンスターを、1シーン・1カットで撮りたかっただろう。CG時代になって、ようやくそれがかなったというわけなのだ。 だから、シャークトパスは、『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)のリベンジだったのだ。 『ジョーズ・アタック2』(あるいは『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』、オリジナルのタイトルは『MONSTER SHARK』)は、中身的には期待はずれだったが、『シャークトパス』の原型をとくと見たぞ。人気ブログランキングへ
February 12, 2017
コメント(1)
2017年、スーパー戦隊大進撃!本能覚醒・無限の忍タリティで最強アメイジングバトル開幕!東映ビデオ 劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 【DVD】 DSTD-03970 [DSTD03970] 月光仮面、七色仮面、遊星王子‥‥。 東映スーパーヒーローは、草創期よりテレビ版とともに劇場版があった。 日常的にはテレビ版に親しんでいるのだが、劇場版には特別感や「特上」の趣があった。 そんな人生の原体験があるから、今でも、劇場版仮面ライダーや劇場版戦隊ヒーローを見に、東映の映画館に足を運ぶのだ。 とりわけ、戦隊ヒーローは映画館で見たい。 巨大化した怪人と戦隊ロボのバトルは、大スクリーンで見てこそ堪能できるというもの。 そういったところで、劇場版『ジュウオウジャーVSニンニンジャー』を見るため、意気軒昂に映画館へと足を運んだ。 例によって、最初、両戦隊は対立する。 なぜかニンニンジャーが、ジュウオウジャーを妖怪だとして退治しようと襲撃してくる。 そして、都会のど真ん中で忍者ロボと動物ロボが大激突。 ベビーフェイス(善玉)同士の夢の対決だ! と喜んでいる場合ではない。 巨大ロボの大バトルのせいで建物は破壊され、市街地は大ダメージを被る。 知らせが早かったのか、予算の都合か、逃げ惑う人々は皆無だったのが救いだ。 これが『アベンジャーズ(2012〜)』の世界観なら、世間から厳しい批判が出て、戦隊ヒーローを国際的政治組織の管理下に置こうという動きも出てくるだろう。 しかし、劇中に戦隊ヒーローが非難される場面はない。 東映スーパーヒーローの世界観でよかった。 ともあれ、見せ場が多くて目を楽しませてくれる。 いつもなら、仮面ライダーでも、戦隊ヒーローでも、等身大ヒーローのバトル場面では周囲が破壊されないことが不満である。 マーベルも、DCコミックも、スーパーヒーローの映像作品(映画、テレビ)では、バトル場面において、スーパーヒーローたちの並外れたパワーのぶつかり合いのあおりを受けて、周囲の壁といわずフェンスといわず破壊されまくる。 しかし、東映スーパーヒーローの闘い方は、周囲の環境にやさしい。 ロケ地を汚したり、傷つけたりすることはできないからね。 予算的に、なかなかバトルのためのセットを組むことは難しいようだ。 そこが物足りなかったが、今回は、流れるような展開とアクションで、周囲への影響まで気にしているヒマがなかったよ。 スーパー戦隊の「名乗り」も、2チームだから、劇場版VSシリーズでは2倍になる。 この「名乗り」は、歌舞伎の『白浪五人男』勢揃いの渡り台詞がもとになっている。 10人を超すヒーローが「名乗り」を上げると飽きるのではないかというと、そんな心配は全然いらない。全員が言い終わるまで、頭の芯が痺れっぱなしだったね。東映ヒーロー映画を60年近く見続けてきた身であっても、そのかっこよさにはエモーションが揺さぶられる。 そうして、等身大ヒーロー2チームが、各色入り混じってキレのある大乱闘を見せた後は、クライマックスの巨大対決だ。 今回は地に根をはる植物怪人が、とんでもない大きさになる。 その超巨大植物怪人と戦隊2チームの複数のロボが激戦を繰り広げる。 当方は、CGよりも特撮贔屓であり、ミニチュア・ワークに心惹かれる。 今のご時世では、映画の全編がミニチュア・ワークというわけにはいかない。 また、CGだって使いようで、空想映画の世界がさらに活性化すると思う。 けど、東映も−東宝、円谷だけでなく−これまで素晴らしい特撮シーンを生み出してきた歴史がある。そして、この映画にも、東映特撮の歴史と伝統は確実に受け継がれ、テレビよりもデラックスな形で提示されている。 その卓越した特撮技術は、テンポの早い映画を一度見ただけでは十分に味わい尽くすことはできない。 なので、後日、ビデオでていねいに見ていきたいものだ。 というわけで、東映が築き上げてきた、颯爽とした正義のヒーロー像と見応えがある特撮シーンは、劇場版でいっそう楽しむことができるぞ。 ところで、この映画を見たのは、封切りから2週間ほどすぎた日曜日の朝一番。この日、この映画館では一回きりの上映だった。 観客は6組15人ほど。その中で、子供(幼児)は二人だけ。あとは、その子たちの両親も含めて大人ばかりだった。人気ブログランキングへクリック、お願いします。
January 29, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ドルフ・ラングレン 処刑鮫 [ ドルフ・ラングレン ] 『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』 このタイトルを見たときには、ドルフ・ラングレン=「処刑鮫」かと思った。ドルフ・ラングレンが「処刑鮫」と呼ばれ、恐れられるアウトロー刑事か、あるいは必殺系の殺し屋を演じる映画なのかと。 『新宿鮫』(大沢在昌のハードボイルド小説シリーズ)ってのがあるからね。 しかし、タイトルの「鮫」は、ドルフ・ラングレンの役の上でのニックネームではなかった。 なんと、ドルフ・ラングレンが主演するジョーズの系譜にある「鮫」映画だったのだ。 ということで、この映画には、3つの視点がある。 1.アクション・スター、ドルフ・ラングレンの主演作としての視点 2.鮫映画としての視点 3.ドルフ・ラングレンvs.鮫の対決ものとしての視点 上記の3つを通して、『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』を見ていこう。1.ラングレン主演作として ドルフ・ラングレンは、空手の有段者というバックボーンをもつアクション俳優である。 愛称は「人間核弾頭」。処刑鮫ではない、しつこいが。 『ロッキー4/炎の友情(1985)』でロッキーの敵役イワン・ドラゴ役で売り出し、近年はロッキーのシルヴェスター・スタローンが率いるアクション巨編『エクスペンダブルズ』シリーズ(2010〜)のメンバーでもある。 なので当然、ドルフ・ラングレンの映画を見る人は、ドルフ・ラングレンのアクションを期待するだろう。しかしながら、『ドルフ・ラングレン処刑鮫』は、ドルフ・ラングレンの空手を生かしたアクション全開、というわけではなかった。 ドルフ・ラングレンの役名は、クリント。違法な動物売買を行なった廉で逮捕され、刑務所に。幼い娘カーリーが一人取り残される。そんなカーリーを不憫に思って、クリントを逮捕した女性警察官のメレディスが引き取って育てている。 やがて、クリントは、刑期を終えて出所する。 ドルフ・ラングレンの役どころは、法を犯して収入を得ようとするが、それもこれも愛する娘のためにしたこと、実はいい人なのだ、というもの。 アウトロー刑事、あるいは必殺系の殺し屋の役であれば、闘うべき組織や倒すべき敵がいるのだが、この映画では、ドルフ・ラングレンが持ち味のアクションを披露する対象となる相手がいない。 申し訳程度に、雑魚との小競り合いはあるものの。 人間の敵がいないのだから、ドルフ・ラングレンvs.鮫への期待が高まる。 それしかないでしょう。2.鮫映画として この映画の舞台となっているのは、内陸部の森に囲まれた湖だ。 つまり、この鮫は、なんと淡水に生息しているというわけ。 えー! 映画の中では、鮫には浸透圧の調節能力があるとかで、淡水にも適応できるとの説明がある。 いずれにしも、湖に鮫が出現するのは、意外性を伴ってミステリアスに引っ張ることができるポイントだと思うのだが、残念ながらそれほど盛り上がらないで、むしろ淡々と進んでいく。 鮫(動物パニック)映画は、『ジョーズ(1975)』からのお約束パターンで、町おこしのイベントがあることになっている。 そのイベントに集まってきた大勢の人々が、鮫やピラニアなどの危険生物に襲われて、阿鼻叫喚の地獄絵図となるっていう寸法だ。 しかし、この映画は、イベントがないどころか、鮫が出現したことがわかると、人々はあっさりと湖に立ち入らなくなってしまうのであった。 そうなると、せっかく湖に現れた鮫も、存在感を示すことができない。 そこで、女性警官メレディスの老母が、走り去った飼い犬を探して湖まで来ることになる。湖面は静かである。だが、老母はなぜだか犬が入水したと思ったらしく、犬の名を呼びながらザブザブと湖に入っていってしまう。案の定、老母は鮫に襲われてしまった。 愛犬が犬かきで泳いでいれば、まだよかったんだけどね。犬の姿など、どこにも見えなかったのだよ。 そんなふうにして、周囲が特別に気を遣って、鮫の見せ場を作っていたね。3.「ドルフ・ラングレンvs.鮫」の対決ものとして さてさて、そうした必然性のない展開が続く中で、いよいよ映画も終盤となる。 カーリーは、父親に会いたくて、こっそりクリントの船に乗り込んだ。 しかし、夜の湖上を航行中にカーリーは船から落っこちてしまう。 そこへ鮫が襲ってくるのだ。 クリントは、自ら湖に飛び込んで、鮫をおびき寄せて娘を救おうとする。 ついに、ドルフ・ラングレンと鮫の激突だ! ここまで焦らされてきたが、いよいよ待ちに待った痛快アクションか。 さすがはアクション・スター、ドルフ・ラングレンだ。防戦一方で手傷を負いながらも、鮫の猛攻を一定時間耐え抜いた。 しかし、そこまでが限界なのか、屈強なクリントも鮫相手に水中での反撃はかなわない。 もう、これ以上のバトルには耐えられないというところで、鮫を射止めたのはクリント=ドルフ・ラングレンではなかったのだった。 確かに、生身の人間が鮫を相手に食い殺されなかっただけでも、凄いことかもしれない。 事実、クリントとの遭遇の直前、海洋生物学者のピーターは、簡単に鮫の餌食になっているのだから。 だがしかし、負けなかったというだけではインパクトは弱いのだ。 ドルフ・ラングレンと鮫の一騎打ちは、昔のプロレスでよくあった両者リングアウトの引き分けといったところだ。 プロレスのスター選手同士が対戦した場合、どちらも負けさせるわけにはいない。そのため、両者ともにいいところを見せ合うのだが、最後はリングの下で乱闘となって勝負はつかず、ってことがかつてはよくあった。 そうなると、観客は消化不良の思いになっちゃうんだよね。 ここはドルフ・ラングレンに花をもたせるべきでしょう。 鮫がアクション・スターに負けたからといって商品価値が下がるわけでもなし。 アクション・スター、ドルフ・ラングレンの魅力を最大限に発揮させるためには、鮫を陸に引っ張り上げて、空手有段者の手刀、突きや蹴りの波状攻撃で鮫を撃退してほしかった。ドルフ・ラングレンの威光を観客にアピールするのは、引き分けや負けなかった、ではないはず。 あのガメラも、『ガメラ対深海怪獣ジグラ(1971)』で、ジグラとの海中対決を避け、地上に引っ張り上げて勝負をつけたのだから。 ガメラはさておき、ドルフ・ラングレンは極真空手道参段だ。 極真空手といえば、創始者はあの「牛殺し」大山倍達。 だから、ドルフ・ラングレンは「牛殺し」ならぬ「鮫殺し」の異名をとってもよかったのではないだろうか。人気ブログランキングへ
January 22, 2017
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ゾンビシャーク 感染鮫 [ キャシー・スティール ] 鮫の映画が好きなわけじゃない。 『ジョーズ(1975)』にしろ、超大型の人喰いホオジロザメが襲ってくる話なわけだ。 超大型と云っても、ビルよりも大きいわけじゃない。 異常に頭がよく、力も強いが、生物としての範疇は超えていない。 つまり、当方が好むところのモンスターではない。 モンスターとは、生物学的な存在とは確実に一線を画していなければならない。 大きかろうが、強かろうが、頭がよかろうが、鮫は鮫なわけで、現実に依存したものはモンスターではない。 そういった超常現象的な視点からして、『ジョーズ』に思い入れはもてない。 そして『ジョーズ』からすでに40余年、様々な鮫映画が登場し、怪獣的な鮫も出てきているわけだ。 ロボシャーク(ロボット鮫)とか、シャークトパス(鮫と蛸の合体獣)とか、トリプルヘッド・ジョーズ(三つ頭鮫)とか。 そうした、フツーじゃない鮫たちは、モンスターと呼べるのか。 あるいはパワーアップしただけの鮫にすぎないのか。 で、今回は「ゾンビシャーク」とあいなった。 タイトルからは、生物学的にあり得ない、超常現象的な鮫だ。 果たして、どれくらい怪獣しているか。 オバさん顔の主人公アンバーは、見かけほどは年がいってないらしい。 妹たちとシーズンオフのリゾート地、レッドプラム島に出かける。 そこにアメリカ軍の研究施設があり、負傷した兵士の治療、回復のために、細胞再生の研究が行われていた。そして実験のために、サメが使われていたのだ。 オバさん顔のアンバーたちが今はもう秋のビーチにいくと、鮫が砂浜に打ち上げられていた。 見ると、鮫の体の一部が大きくえぐられている。 その傷が致命傷で死に至り、浜に打ち上げられていたと誰もが思う。 ところが、死んだかと思われていた鮫が、突然アンバーの彼氏を襲い丸呑みした! ゾンビシャークの出現だ。 ちょっと待てよ。細胞、再生してないじゃないか。えぐられたままの傷は何なんだ? よくわからんが、ま、とにかく、軍の秘密実験がゾンビシャークを産み出したと云うことだ。 それにしても、なんでリゾート地にアメリカ軍の研究施設があるんだ? そんでもって、危ない秘密実験をしている。 危機管理意識がまるでないぞ。 さてさて、この手の鮫映画を「動物パニック」と位置づけたときには、ひとつのパターンがある。 それは、町おこし、村おこしのお祭りがあって、人が大勢集まってくる時期に鮫やピラニアが襲ってくる、というのが「動物パニック」の定番なのだ。 なぜならば、鮫やピラニアが大勢集まった人々を襲い、阿鼻叫喚の大パニックになるからだ。 しかし、今回のリゾート島は、シーズンオフ。 人がいない。 アンバーたちは、時季外れの格安料金だということでレッドプラム島にやってきたのだった。 これまでの動物パニックとは異なるアプローチで新風を吹きつけるのか。 人気(ひとけ)のないリゾート地で、孤立感を出すとか。 いや、ちがう。 予算が乏しいから、常套手段のお祭り騒ぎができなかっただけだ。 スケール・ダウンは否めない。 いずれにしろなんにしろ、鮫がゾンビになっても、しょせんは水の中の生物。 鮫がゾンビに感染しても、海の中で泳ぎ回っているだけ。 人間のゾンビみたいに群れで襲ってきて、人が追い詰められるというような展開にはならない。 人間は陸にいれば問題ないはず。 ところが島の人々は、海に入ってゾンビ鮫を退治しようとする。 当然ゾンビ鮫は、手ぐすね引いて待ち構え、人間を食らいまくる。 水の中で人間が鮫に敵うわけがない。 無謀にもほどがあるだろ。 お祭り騒ぎによる集客ができなかったので、阿鼻叫喚のパニック・シーンを演出したいがために、この惨劇を招いたのか。 もうスタッフは自棄(やけ)なのか、単なるおバカなのか。 そうなると、ゾンビ症状は人にも感染するわけだ。 もしかして、ゾンビ人間が主人公たちを襲うのかと思った。 であるならばゾンビシャークからは軸がずれるが、それで盛り上げようというのか。 だが、ゾンビ人間は、群れどころか、多分3人しか出てこなかったぞ。 てなことで、ゾンビシャークには、モンスターと呼ぶ呼ばない以前に、もうちょっと活躍の場がほしかったところでございます。人気ブログランキングへ
December 25, 2016
コメント(1)
<期間限定!クロネコDM便ご選択で送料無料!>新品北米版Blu-ray!【ロボ・ジョックス】 Robot Jox [Blu-ray]!我々の世代で、ロボット・ヒーローといえば、『鉄腕アトム』と『鉄人28号』である。 そして、当方は、『鉄人28号』贔屓だ。 なぜか。 それは、鉄人28号が大型ロボットだからだ。 大きさについては、原作マンガでもアニメでも、登場シーンによって異なる場合がある。どうにかすると、大型という以上に巨大ロボットに見えることもあった。 いずれにしろ大きい。 ロボットも怪獣も、大きいものは非現実感があっていい。 そして、今回、巨大ロボット映画の『ロボ・ジョックス』を見た。 核戦争を経て、世界は「共和国(コモン・マーケット)」と「連邦(コンフェデレーション)」の2陣営が対立していた。戦争は禁止された(!?)が、国際問題は巨大ロボットの一騎討ちで解決を図られていた。 共和国側のアキレスは、連邦のアレクサンダーと一騎打ちを行うが、引き分ける。そればかりか、自らが操縦する巨大ロボットが観客席に倒れ込み、大勢の人々をその犠牲にしてしまう。 自らの失策からいったん身を引くアキレスだが、女性ジョックスのアシーナがアレクサンダーに立ち向かうと知り、再び闘う決意をする。 この映画、あの『パシフィック・リム』と似ているところがある。 (『パシフィック・リム』の方は、巨大ロボットがKaijyuを迎撃する話) まず、巨大ロボットの操縦方法が、パイロットの動きをトレースするマスター・スレイブ方式である。とはいっても、『ロボ・ジョックス』のシステムはいたってシンプル。あんまり装置などがない割には、ロボットがジョックス(操縦者)の動きを反映することができる。一見便利そうだが、チープな印象もある。 一方の『パシフィック・リム』は、イェーガー(ロボット)のパイロット(操縦者)ががっちり装置で固められる。操作が大変そうだが、巨大ロボットを動かしているリアル感がある。 また、ジョックスもイェーガー・パイロットも、訓練のために格闘技に取り組む。 パイロットは、役者自身がトレーニングされた体つきや動きを披露する。 ジョックスは、見ている者の想像力で、演技者の動きや演出者のイメージを補完しようとする。 格闘シーンでは、女性ジョックスが水面蹴りと回し蹴りの連続攻撃を放つところで、突然蹴り手が男に変わってしまった(スタントマンの吹き替えだったのだが)。 さらに、『パシフィック・リム』はパイロットであるローリーとマコを中心に進んでいくが、『ロボ・ジョックス』もアキレスとアシーナの男女がドラマを織り成していく。 こう書いてくると『ロボ・ジョックス』は、『パシフィック・リム』のパチモンのような印象があるが、『パシフィック・リム』より20年以上先行してつくられたものなのだ。 『ロボ・ジョックス』があってこそ『パシフィック・リム』ができたともいえる。 さてさて、巨大ロボットについては、世界中でも日本における映像化が一番盛んなようだ。 この日本の映像作品、中でも特撮のロボットとは、人間または動物/生物が基本になっているように思う。 冒頭で話題にした鉄人28号も、ロボットとはいえ、巨人を指向しているように思う。敵ロボットのオックス、バッカス、ギルバートなども、本来は普通サイズの人間が、巨大な分身を形づくっているのではないか。 『ウルトラQ(1966)』のガラモンは、怪獣に見えてじつはロボットだった。 『ゴジラ対メカゴジラ(1974)』のメカゴジラは、最初ゴジラを装っていたが、化けの皮がはがれるとロボットだった。 対してアメリカのロボットは、最初から機械という印象だ。 巨大ロボットではないが、『禁断の惑星(1956)』のロビー・ザ・ロボット、宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)のフライデー、そして『スターウォーズ』シリーズ(1977)のR2-D2も。 かろうじて『ウルトラセブン(1967〜1968)』に登場したキング・ジョーがアメリカのロボット的だが、それでもちゃんと手足があるからね。頭部はないけど。 そんな中で、『ロボ・ジョックス』のマツモト14号やボバレフスキー42号、そして『パシフィック・リム』のロボット軍は、日本のロボットの影響を強く受けているといえる。機械の外見を保ちながらも、手足があって、マスター・スレイブ方式で、パイロットの動きをトレースして、ロボット同士あるいはKaijyuと闘うのだから。人気ブログランキングへクリック、お願いします。
December 18, 2016
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】エクストラ テレストリアル [ ブリタニー・アレン ]キーワードは、エイリアン・アブダクション、山小屋ホラー、マイケル・アイアンサイドだ。 ストーリーの骨子的には「エイリアン・アブダクション」である。 映画の冒頭では、家族が宇宙人に連れ去られる。母親は、電話ボックスから電話をかけて助けを求めるが、電話ボックスごと空に舞い上がり、空になった電話ボックスだけが落下してきて粉々になる。 エイリアン・アブダクションとは、宇宙人に誘拐されて、人体実験をされるというもの。 映画の中には、キャトル・ミューティレーションも出てくる。 キャトル・ミューティレーションとは、家畜の体の一部がきれいに切り取られるというもの。それは、耳や足といった出っ張り部分ではなく、腰の肉などが円形にスライスされたような状態だから異様だ。 この映画は、SFではない。ホラー映画であり、恐い対象は宇宙人という設定なわけだ。 という前提で見ていたのだが、次第に「山小屋ホラー」の様相を帯びてくる。 山小屋ホラーとは、能天気な若者たちが山小屋に遊びに出かけ、そこで恐怖に遭遇し、阿鼻叫喚の事態に陥るというもの。 『死霊のはらわた(1981)』では、若者たちが山小屋で悪霊を呼び覚ましてしまう。 『キャビン・フィーバー(2005)』は、若者たちが正体不明のウイルスに感染していく。 『マイティ・ソー(2011)』のクリス・ヘムズワースが出演していた『キャビン(2011)』は、タイトル通りの山小屋で恐怖に襲われるのだが、じつに意外性のある展開だった。 『アックス・ジャイアント(2013)』も、山小屋ホラーの一種だ。遊びにいったわけではなかったが。 山小屋ホラーは、ホラー映画の定型のひとつ。 襲ってくる恐怖を変えれば、つぎつぎとホラー映画ができる。 そして、はめをはずす若者たちの中に、なぜかけっこうまともなのがいるのもお約束。そうじゃなければ、観客の感情移入が図れない。 今回は、山小屋に出かけた若者たちが、恐怖の宇宙人に襲われ、エイリアン・アブダクションの犠牲者となっていくのだ。 3つめのキーワードは、「マイケル・アイアンサイド」。 彼は、『スキャナーズ(1981)』や『面会時間(1982)』のアブノーマル・タイプの人物を、じつに恐く演じて売れた人。 B級映画に、名が売れた俳優が一人、昔の名前で出演するのことはときどきある。 今回も、マイケル・アイアンサイドは、山の中で、一人麻薬を栽培しながら暮らし、なんだかアメリカ政府と宇宙人との取引についても知っているみたいだし、それでいて主人公の女性にはやさしい、そんな変人を演じている。 当方は、つぎのように期待した。 せっかくビッグ・ネームのマイケル・アイアンサイドを起用したのだから、宇宙人とつながっているマイケル・アイアンサイドが、アブノーマルな形相で襲ってくると。 それがマイケル・アイアンサイドを生かす道。 しかし、そうではなかった。 大変残念。 きっと、宇宙人より恐かったはず。人気ブログランキングへ
November 27, 2016
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ウルフ・コップ [ レオ・ファファード ] 世界三大モンスターといえば、ドラキュラ、狼男、フランケンシュタインの怪物である。 その狼男が、警官となった。 映画の中では、警官が、邪教集団によって狼男にさせられてしまった。 それがウルフ・コップだ。 だからといって、ウルフ・コップは邪教集団の手先ではない。 姿形は狼男だが、警官の心は失っていない。 だから、ウルフ・コップは、パワーを得たあと、強盗やカツアゲなどの犯罪現場にかけつけ、悪人ばらをやっつける。 まるでスーパーマンかスパイダーマンのようだ。 そして、邪教集団に闘いを挑む。 そう、もとは人々を恐怖に陥れる三大モンスターの狼男なのだが、この映画ではりっぱなスーパーヒーローになったのだ。 スーパーヒーローは、変身前と変身後の二面性が楽しみの一つだ。 仮面ライダー=本郷猛は、変身前から知能指数600、スポーツ万能。そういう優れた資質から、仮面ライダーに選ばれたわけだ。こちらは正義のエリートのさらなるパワーアップ型といえるだろう。たくましいことこの上ない。 一方、『快傑ゾロ(1940)』や『アラン・ドロンのゾロ(1975)』のドミノマスクのヒーロー、ゾロは、素顔では気弱な貴族を演じている。しかし、ゾロに変身したら勇猛果敢な剣豪だ。 その二面性が、見るものをしてエモーションを刺激する。弱々しい姿から、一変し本当の強さを見せたときには、たっぷりカタルシスを味わわせてくれる。 で、ウルフ・コップはどうかというと、これが狼男になる前は、アル中のだらしないダメダメ警官だったのだ。けれども、胸の奥には正義の心を秘めていた。 それが、狼男になることによって、圧倒的なエネルギーを爆発させて法の番人として使命を果たす。 モンスターのパワーを得て、スーパーヒーローとなったのだ。 けど、変身シーンは、光に包まれて登場するというようなことはない。 警官=人間の皮膚を破って狼男が出現する。 かなりグロい。もともとはモンスターだからね。 これもまた二面性。 つまり、モンスターとスーパーヒーローは紙一重。 モンスターはスーパーヒーローになりえるし、スーパーヒーローもある意味ではモンスターである。 ウルフ・コップだから、狼男なんだけど、バンバンと銃をぶっ放すよ。人気ブログランキングへ
November 13, 2016
コメント(1)
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ザ・ハロウ/侵蝕 [ ジョゼフ・マウル ] アイルランドの森林が伐採され、ハロウたちの棲家もなくなっていく。 クリーチャー(≒モンスター)が登場する。 赤ちゃんも登場する。 アイルランドの森を、森林伐採のための調査をするため、乳飲み子のいる家族がやってくる。 赤ちゃんは、丸くてかわいい。 この赤ちゃんを、パパはやたらと連れ回す。 そういうのやめてくれよ。 赤ちゃんの身に何か起こったらどうするんだ。 木々を調べるために、森の中に踏み込んでいくときに、赤ちゃんを背負っていく。 妻の家事労働を軽減するためなのか。 森の中の小川を渡るとき、赤ちゃんは、口にしていた「おしゃぶり」を流れの中に落としてしまう。 とある小屋の中で、動物の死骸を発見する。 動物の身体には、何やら黒い物体が付着している。 その黒いものを持ち帰る父親。 赤ちゃんにくっついたらどうするつもりだ。 妻は、家の窓に取り付けられた鉄格子のようなものを一本一本取り外していく。なぜ、どの窓にもそんなものがあるのだろうか。 鉄格子がはずされた窓がなにものかに割られる。 夫は、窓枠を車に乗せて街まで出かけていく。修理してもらうために。チャイルドシートには赤ちゃんもいっしょだ。 街からの帰途、車が運転不能になる。 あやうく大事故になるところだった。 だから、赤ちゃんを乗せたらだめなのだ。 ボンネットを開けると、エンジン回りに黒い物体がびっしりはりついていた。 隣人は、伐採のための調査に来ている家族に対してここを去れという。 「赤ん坊も危険な目に会うぞ」 そして、森に棲むハロウについて書かれた本を置いていく。 そこには、「子取り替え」に記述もあった。 赤ちゃんの安全を思ったら、早く立ち去ってくれよ。 このハロウ、『ディセント(2005)』の地底人に似ている気がした。ワサワサと集団で襲ってくるところあたりが。 だが、ハロウは、地底人より強力といえよう。 ハロウに襲われると、普通の人間もハロウになってしまう。 同時に、ある弱点ももっている。 これらについては、科学的な理屈をつけて説明しようと思えばできてしまう。 ハロウは、伝染性のある風土病だとか。 でも、そういう見方はしたくない。 やはり、超常的な存在としてとらえたい。 そして、ついに、赤ちゃんに魔の手が迫る。 赤ちゃんを助けてくれ! いたいけな者を危険にさらしちゃいけないよ。 おしゃぶりをかえしてくれぇ。人気ブログランキングへクリックしてね
November 6, 2016
コメント(1)
ロボシャーク vs. ネイビーシールズ [ アレクシス・ピーターマン ]価格:3693円(税込、送料無料) (2016/10/30時点) 宇宙に浮遊する巨大UFOから地球に向けて、数個、球形の物体が発射される。 そのうちの1個が海に落下する。何やら海中で、あたりを見回すような球形の物体。 そこへホウジロザメがやってきて、いきなりがぶりと球形の物体を飲み込んでしまう。 ホウジロザメはいつも腹をすかせているから、なんでも食らいつくんだねぇ、などと思っている間もなく、ホオジロザメは閃光とともにロボシャークに変身! いいねぇ、このすべりだし。 モンスターは非現実的な存在である。 モンスターの出現に関しては、それなりの説得力も大切だ。 けど、小難しい理屈を提示され、それを理解しなければならない。 お楽しみでモンスター映画を見るんだから、あんまり脳や心に負担がない方がいい場合もある。 だから、こんなふうな展開もいいと思うぞ。 お手軽と言われようが、マイナー映画は、メジャー映画ができないことをやれるんだ。 だから、期待感をもってマイナー映画を見る。 B級モンスター映画の心意気、マイナーパワーを爆発させてくれ。 かくてロボシャークはアメリカ海軍の潜水艦を襲い、轟沈させる。 これに怒ったアメリカ海軍は、ロボシャーク撃退に出動する。 『ロボシャーク vs. ネイビーシールズ』の雰囲気が盛り上がるシーンではあるが、この映画に海軍は出てくるが、ネイビーシールズは登場しない。セリフの中にさえ、ネイビーシールズにはまったく話題にさえふれられることはない。 そして、ストーリーは、テレビのお天気リポーターの女性とその家族を中心に進んでいく。 お天気リポーターとスタッフは、山間部へ大雪の現場中継に向かう途中で、海軍の前線基地の設営を見かける。さらに、街に出現したロボシャークとも遭遇する。 このリポーターは、高校生の娘がいるような年齢なので、かねがねお天気レポーターを卒業して、二ュース・キャスターに昇格したいと思っていた。なので、これがチャンスと事態を報道しようとする。しかし、モンスター話の定石通りに、テレビ局も、かけつけた消防隊なども、ロボシャークのことをまるで信じない。 あまつさえ、消防隊の隊長からコスプレお天気リポーターであることを指摘される。 画面には、様々なコスプレでおばさんレポーターが天気予報するシーンが挿入された。 このノリはなんだ。 そうか、B級モンスター映画にも、ときには笑いやギャグは必要だ。 シリアスばかりが能じゃない。 この映画では、ネットやSNSが活躍する。 テレビ局が相手にしないのであれば、インターネットを使って実況中継。 そこで注目を集めれば、テレビ局も黙っていないだろうという目論見だ。 これは、格式あるメジャー映画に対抗して、ゲリラ戦法で映画づくりに励むマイナー映画の構図にも似ている。 マイナーパワーだ。 さらに、お天気リポーターの娘のSNSに、なんとロボーシャークが書き込みをしてきて、両者は心を通わせる。 うーん、ガメラと草薙浅黄は、勾玉によって心を通わせたものだが、21世紀ともなるとスマホなんだなぁ。 それにしても気になるのは、お天気リポーターの夫の必要以上のオーバーアクションだ。 笑いを取ろうとして、完全にモンスター映画のシリアスな雰囲気を壊している。 はたまた、ロボシャークが下水を破壊して市の職員だかが汚水まみれになるし。 ギャグや笑いのサービスはいいから、早くシリアスに戻ってくれ、と言いたくなった。 そうこうしているうちにロボシャークはシアトルのランドマーク、スペースニードルをめざす。 シアトルといえば、Microsoftの本社がある。 そこでロボシャーク撃退に乗り出してきたのが、なんとビル・グレイツ社長。 ビル・ゲイツのそっくりさんだ。 ビル・グレイツ社長は、MSドローンでロボシャークに挑むが・・・。 これじゃあ、おバカ映画じゃないか! 期待が強すぎて、否定し続けたが、やっぱりおバカ映画だったのだ。 確かにメジャー映画ではやらない試みである。 しかし、B級モンスター映画の心意気はなかった。 マイナーパワーは多少なりとも感じたけどね。人気ブログランキングへクリックしてね
October 30, 2016
コメント(1)
『シャークトパス(2010)』『シャークトパスVSプテラクーダ(2014)』に続くシャークトパス・シリーズの第三弾。 狼鯨は英語でWhalewolf(ホエールウルフ)。 狼が吠えーるというダジャレではありません。 本編を見るまで、狼鯨は、マッコウクジラとかシロナガスクジラと狼とを合体させた怪物かと思っていました。そうしたら、「鯨」とはなんとシャチのことでした。 シャチはかつて『オルカ(Orca 1977)』という映画があったから、英語名は「オルカ」かと思いました。 イルカとオルカ、これは名前だけでなく、形状からも親戚だとなっとくできます。 でも、イルカやシャチと、クジラとではなんかちがう気がしました。 ところが、シャチのことを英語で「Killer whale」というのだ。 シャチはやっぱり鯨なんだ。 昔、シャチ横内というプロレスラーがいたなあ。 で、くだんの狼鯨は、どのように誕生しかというと、マッドサイエンティストが、カムバックを願うプロ野球選手に、動物のDNAを注入してモンスター化させてしまったというわけ。よくわからないか。 このマッド・サイエンティストが、なんと女医さんなんです。 女のマッド・サイエンティストというのもめずらしい。 女マッドサイエンティストで、思い浮かぶのは『フランケンシュタイン・娘の復讐(別名レディ・フランケンシュタイン)(1971)』という映画です。知っている人はごくごくわずかでしょうが、なんと『第三の男(1949)』『疑惑の影(1943)』で知られるジョセフ・コットンが出演しています。 かのフランケンシュタイン博士(ジョセフ・コットン!)の娘が、父を殺した怪物を退治するべく、新たな怪物を創造するというお話。この娘も、女医さんでした。 父であるフランケンシュタイン博士は、マッドサイエンティストの代名詞のような存在です。 話を狼鯨の女医さん=ラインハルト博士に戻します。 様々な動物のDNAを注入したのに、なぜ狼鯨ができあがってしまったのか。 ラインハルト博士は説明します。「ヒト遺伝子が分解され不安定な状態だわ」「あなたは死ぬはずだった」「何かが触媒となって細胞レベルの変化が起きたのよ」折しも夜空には満月が。「オオカミは月に対して敏感に反応し、シャチは満ち潮を好む」。だからヒト=元プロ野球選手が狼鯨になってしまったのだそうです。 なんともおちゃらけた説明ですが、とりわけ今回はコメディ路線に走っています。 今、『シン・ゴジラ(2016)』で人気が再燃しているゴジラも、『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲(1955)』に続くシリーズ第3作目の『キング・コング対ゴジラ(1962)』では、前2作にはなかったコメディ・シーンが賑やかに繰り広げられました。 当方は、正直言って、もっとまじめにゴジラをつくってほしい、などと思いました。 けれど、有島一郎、高島忠夫、藤木悠の掛け合い、とりわけ有島一郎の名人芸には感服せざるをえません。 なので、「ゴジラ映画は一流のエンターテインメント、コメディ・シーンも観客サービス」と見直すことにしました。 なにせ『キング・コング対ゴジラ』は、観客動員数1255万人の観客動員数の、邦画の歴代記録ベスト5に入る大ヒット映画。大勢の皆さんに喜んでいただけるのであれば、当方が文句をいう筋合いのものではありません。 シャークトパス・シリーズ3作目が、ゴジラ・シリーズの第3作目に倣ってコメディ化したわけでもないでしょうが。 さてさて、シャークトパスと狼鯨の対決です。 両雄とも、CGのゆるいところがまずもって残念。 シャークトパスのほうは、ぐわーっと海面から巨体を現しても、なんだか影が薄くて周りの風景との違和感がありありでした。 狼鯨のほうは、CGの立体感があまりなく、アニメと実写を合成したような印象でした。 アニメと実写の合成といえば『ロジャー・ラビット(1988)』とか『スペース・ジャム(1996)』などがありました。 なぜ、狼鯨がアニメっぽかったかというと、その目です。アニメの動物キャラクターと似た目つきをしていたからなのです。 そうした難点があっても、両雄の迫力あるバトルが繰り広げられればよかっと思うのです。 たしかに絡み合いはあるのです。しかし、波止場や野球場でくんずほぐれつするだけ。この絡み合いをさらに印象強く見せるためには、周囲の建物を破壊するなどしてほしかったなぁ。 ゴジラとはいわないが—体のサイズがちがうので—、東宝特撮『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ(1966)』を参考にしてくだされ。映画(全般) ブログランキングへ
September 22, 2016
コメント(1)
残穢【ざんえ】-住んではいけない部屋ー【Blu-ray】 [ 竹内結子 ]残穢 [ 小野不由美 ] 原作を先に読みました。 じつに納得のいくホラー小説(怪談)でした。 何が納得がいくのかといえば、確実に恐いのです。 当方は、以前、映画等で話題になる前に、小説『リング』を読みました。このときも恐かったのですが、それ以来の恐さでした。 それは・・・ とあるマンションのひと部屋で、怪奇現象が起こります。 住人の背後で、畳をするような音がするのです。 どこからか風が吹き込んでいるのか、気のせいなのか、あるいは霊的なものなのか、わかりません。 しかし、何回目かに、ふと音をたてているものが見えました。見えたと思ったのですが、それも光の加減だったのか、思い込みだったのか、あるいは霊的なものなのか、わかりません。 さらに、そのものが、なぜそこで畳をこするようにしているのかも、わかりません。 そのマンションは、部屋によって人が居着かないことがわかります。 同じ建物なのに、どうして頻繁に人が入れ替わる部屋と長い期間住み続けている部屋があるのか。 入れ替わる部屋が、同じフロアだとか、上下の同じ場所に位置しているとか、規則性はまったくありません。 怪奇現象に見舞われた女性(ホラー・ファン)とホラー系の女性作家が、共同で謎の解明に乗り出します。 調べを進めるうちに、マンションを出た人が、転居先で自殺しているとわかります。 そのほかにも、近隣の一戸建てでも、人が居着ず、住人がたびたび入れ替わる家があることもわかってきます。 いったい何が起こっているのか。一部の問題なのか、地域全体の問題なのか。人の問題なのか、土地の問題なのか。規則性や、理屈で考えて繋がるものは見つかりません。 女性作家は、ホラー系の小説などを書きながらも、合理主義者で霊的な現象などについては懐疑的です。 一方、住人の女性はホラーファンなのです。彼女には、霊的な現象などを期待している気持ちがあって、単なる自然現象を自分の望むような霊的な現象と解釈しているのではないか、と、女性作家はそういう見方をします。 ファンの女性と作家は、地域の歴史を遡り、霊的な現象の原因を探っていきます。 しかし、なかなか的確にヒットしない。 そうこうするうちに、ときならぬとき、ときならぬ場所に、ふーっと霊的な現象が姿をあらわすのです。当方は、こめかみあたりから、すぅーっと熱が引いていくような感覚を味わいました。 とにかく、こちらの読み手側は、霊的な現象が解明されて、原因がわかりたいので、小説から目が離せません。早く落ち着いた気分になりたいのです。ところが、小説は不安定な雰囲気を醸し出したままで書き綴られていきます。 で、映画のほうです。 原作は、「ドキュメンタリー・ホラー」というコピーが付与されています。 映画のほうも、ドキュメンタリー・タッチで進んでいきます。その点は臨場感があったと思います。 けれど、これまで当方は、「映画が先、原作(ノベライズ)があと」と原則を決めていましたが、今回はそれを破ってしまいましたので・・・。 これから『残穢』にチャレンジする方は、映画を先に見たほうがいいでしょう。映画(全般) ブログランキングへ
September 11, 2016
コメント(1)
あの頃映画 松竹DVDコレクション 宇宙大怪獣ギララ [ 原田糸子 ] 3月15日 大映映画『大怪獣空中決戦 ガメラ対ギャオス』公開 3月25日 松竹映画『宇宙大怪獣ギララ』公開 4月22日 日活映画『大巨獣ガッパ』公開 7月22日 東宝映画『キング・コングの逆襲』公開 12月16日 東宝映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』公開 1967年のラインナップ。 過去にはこういう年もあったのだよ。 怪獣ブームの真っ只中だ。 特撮怪獣映画の本家東宝のエース怪獣は、恐竜型のゴジラ。 対抗する大映は、空飛ぶ大亀ガメラ。 東宝も大映も、ゴジラ、ガメラともにシリーズ化して実績をつくっている。 そこへ新規参入する松竹は、「宇宙大怪獣」ギララをもってきた。 追随する立場の松竹としては、なんとか自社製品に注目を集めなければならない。 そのために、とった手段のひとつが、主演怪獣の名前の公募だった。 当時小学生だった当方は、マンガ雑誌の広告を見て、さっそく名前を考えた。 「スペース・キング」 宇宙怪獣というイメージを最大限に生かしたわけだ。 応募する前、親戚のおじさんに、「新しい怪獣の名前、これでどうだろう」と聞いてみた。 そうしたらおじさんは、「スペース・キングって、どういう意味?」と聞き返してきた。 「宇宙の王様、という意味なんだ」と答えたら、「いいじゃないか!採用されるぞ」と絶賛。 それに気をよくして葉書に書き込もうとしたら、父親が「ゴジラ、モスラ、ガメラと、怪獣の名前はみんな最後が「ラ」になっているぞ。「ラ」がつくように考えたほうが当選する」と一気に水をさすようなことを言った。 しかし、従来の「ラ」ではなく、それまでの怪獣にない「スペース・キング」に自画自賛状態だったので、そのまま応募した。 結果、決まったのは「ギララ」。 「ラ」だった。 ゴリラとクジラをたして2で割ったといわれる「ゴジラ」、カメ怪獣のガメラなどは、ネーミングの根拠が理解しやすい。「ギララ」は、きららか(きらきらしてうつくしい)という言葉と似てるし、怪獣らしい「ラ」で終わる名前だが、「ギ」となっているために不気味感がある。3文字の中に「ラ」が2回続けて出てくることもあって、ユニークで印象深い名前だ。宇宙怪獣らしくて、やっぱ、スペース・キングよりいいわ。 『宇宙大怪獣ギララ』は、とにかく「宇宙」を売り物にして他社の怪獣との差異を図った。 この時点では、すでに東宝が『宇宙大怪獣ドゴラ(1964)』や『三大怪獣 地球最大の決戦(1964)』で宇宙怪獣キング・ギドラを登場させている(そう、「スペース・キング」は、キング・ギドラのもじりであり流用だったのだ)。 しかしながら、ドゴラもキング・ギドラも、宇宙怪獣であるやつらのほうから地球にやってきたのだった。つまり、おもな舞台は地球となっていた。 ところが、『宇宙大怪獣ギララ』の前半は、宇宙空間に飛び出して展開される。 そこに登場するのが、「宇宙船AABガンマー号」だ。AABとは「Atomic Astro Boat」のことで、通称アストロ・ボートと呼んでいた。 当方は、公開当時、アストロ・ボートのプラモデルを買って、マブチ水中モーターを装着して風呂で遊んだ。 このアストロ・ボートは、東宝特撮の宇宙船とは異なる魅力があった。 船体のデザインも去ることながら、船内、コックピットがちがった。 東宝の宇宙船はロケット型だった。『宇宙大戦争(1959)』のスピップ号や『妖星ゴラス(1962)』の隼号は縦長で、旅客機や観光バスのような縦並びの座席になっている。そして、潜水艦の内部ように操作機器等が配置されていた。 それに対してアストロ・ボートの操縦席は、横並びなのだ。もうちょっと付け加えると、フロントガラス方向を外側として弧を描くように4人の乗組員の座席がある。椅子が回転式となっていて、内側を向いて対面で話をすることもできる。乗組員の背後にはそれだけの空間があった。 当方、弟と子供部屋で宇宙船ごっこをするときには、このアストロ・ボートの操縦室をイメージした。兄弟の勉強机が横並びで、回転椅子だったからだ。もうひとつ、宇宙船ごっこに都合がよかったのが、SFテレビドラマ『宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)』のジュピター2号(円盤形宇宙船)だった。 縦長のロケットは、遊びにくい。 さて、アストロ・ボートは、富士宇宙センターから火星をめざして飛び立つが、謎の飛行物体の襲撃を受け、同時に乗組員が体調不良となり、とりあえず月基地に緊急着陸する。 この月面基地については、日本特撮映画史上初めてスクリーンに登場したのではないか。 東宝では『怪獣総進撃(1968)』で、やはり縦並びの操縦席のムーンライトSY−3号が地球と月基地とを行き来する。それよりギララの月基地は1年早かったわけだ。 そして、ギララの月基地には、仮面ライダー1号=本郷猛こと、若き日の藤岡弘が顔を見せる。こちらも特撮作品初登場だ。 そして、ギララについて。 体型としては、恐竜型に分類できる。 だが、その頭部は、いかにも斬新である。 頭部だけ外したならば、謎の飛行物体にも見える。 あるいはアンテナのような触角を備え、ロボットにも見える。 地球の生命体とは異なる印象で、じつに宇宙怪獣にふさわしいデザインだ。 このギララ、飛行能力もある。 赤い火球となって飛んで移動することができるのだ。 怪獣の元祖ゴジラには、飛行能力はなかった。 しかし、後続のガメラはジェット噴射で飛ぶことができた。 このガメラの飛行能力は、他の怪獣に与えた影響が大きかったようだ。 ギララに続く日活の『大巨獣ガッパ(1967)』も、背中に生えた羽で大空を行く。 怪獣は、口から火や光線、エネルギー波などを吐くが、同じように飛行能力も必須のものとなったかに見える。 4社の看板怪獣のうち、3体までが飛べるとなると、飛べないゴジラは少数派になってしまった。だからなのか、ついにあのゴジラまでが、『ゴジラ対ヘドラ(1971)』では、飛行体で逃げるヘドラを追いかけて、低い位置ながら空中を行く姿を見せたのだった。 特撮怪獣映画の見せ場といえば、都市破壊のシーンだ。 建物のミニチュアなどは、テレビ特撮のクオリティかと見えないこともないが、でも、ビルを破壊し、高速道路を破壊し、港湾地区のクレーンを破壊しと、なかなかがんばっている。 自衛隊とのバトル・シーンも定番通りあって、光線兵器も出てくる。当時は、ロッキードF104が主力戦闘機で、ガメラ・シリーズやガッパ、そしてギララでもスクリーンにその勇姿を見せる。F104は、銀色のシャープなデザインなのだが、なぜかゴジラ・シリーズでは見かけない。だから、ギララとの対決はなお嬉しい。 この年、ゴジラ映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』では、都市破壊のシーンも自衛隊との攻防シーンもまるでない。映画は、無人島であるゾルゲル島を舞台にしているからだ。前年の『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘(1966)』も、レッチ島を舞台にしていたから同様だった。 そんなふうに東宝怪獣特撮映画が、方向転換を示していたので、新規参入の映画会社が、約束通りの映画を見せてくれると安心感を覚えた。 じつはこのころ、映画全体の斜陽化が進んでいた。同じような時期につくられた『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966)』や『キングコングの逆襲』では、都市破壊などがあった。その一方で、ゴジラ・シリーズが南海の孤島で、都市のミニチュア・セットや自衛隊登場シーンをカットしたわけだ。これは、ネームバリューと実績のあったゴジラ・シリーズでは、予算を削ったのではないか。 そんな中で、『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』も『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』も、観客動員数などのワースト記録を更新していく。やがて、ゴジラ・シリーズの『怪獣総進撃(1968)』では、特撮怪獣映画の打ち切り案が出るに至った。 第一次怪獣ブームの終焉である。 『宇宙大怪獣ギララ』も『大巨獣ガッパ』も。怪獣ブームの真っ只中につくられたとはいえ、続編は立ち消えになり、ともに松竹唯一の怪獣映画と日活唯一の怪獣映画となってしまった。 しかし、ギララは、40年の時を経て、突如『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発(2008)』で蘇る。とはいっても、この映画は松竹の制作ではない。だから、ギララ映画は2本あっても、松竹としては『宇宙大怪獣ギララ』が一本きりの怪獣映画なのだ。
September 4, 2016
コメント(1)
ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ [ 庵野秀明 ]価格:10584円(税込、送料無料) (2016/7/31時点) シン・ゴジラのキャッチフレーズは、「現実(ニッポン)VS 虚構(ゴジラ)」 当方の現初体験は、007と東宝特撮である。 007は、無敵のジェームズ・ボンドの活躍や、ボンド・カーをはじめとした新兵器、秘密兵器など、奇想天外、超現実(虚構)の世界に入れ込んだ。秘密情報部員になりたかった。 しかし、007の映画は、ダニエル・クレイグ版からリアル路線となった。新兵器、秘密兵器は登場しない。 そして、今回『シン・ゴジラ』も、リアル路線に・・・。 この『シン・ゴジラ』、おおまかにいって『ゴジラ(84)』のリメイクと受けとった。 『ゴジラ(84)』も「ニッポンVS ゴジラ」の体裁をとっていたから。 あと、海外からゴジラへの核攻撃というくだりや、カドミウム弾と凍結剤の違いはあっても、ゴジラの動きを止めるのも同じだった。 この『ゴジラ(84)』は、樋口監督が初めて参加した東宝特撮作品とのこと。 さらに、樋口監督は、雑誌のインタビューで以下のように語っている。 ・子供の頃に見て印象に残っている特撮映画は、『ノストラダムスの大予言』と『日本沈没』。両方とも怪獣映画使っているビル街の模型を地震で崩しているので、アプローチの仕方も仕上がりも同じ。ただ怪獣がいないだけ。いっしょに観に行った親父は、「怪獣映画なのに怪獣が出ていないじゃないか」って怒っていました。 ・ほかの怪獣映画は野原で闘うのばかりだったので、あの二本に出会って「見たかったのはこれだよ!」と思ったのを覚えています。不謹慎ですが、やっぱり崩れるビルが好きだった。小学生は、日常が崩壊してほしいという願望がすごく強いんでしょうね。 (雑誌「東京人—特集1960年代特撮と東京—(No.374 August 2016)」より) ここで当方の嗜好とのちがいがわかった。当方は、怪獣がビルを崩すシチュエーションが好きなのだ。だから『日本沈没(1973)』や『ノストラダムスの大予言(1974)』は、当方にとっては、どうせ特撮映画をつくるなら、怪獣が登場する映画を撮ってほしかった、と思った。 当方の東宝特撮原初体験は、『モスラ対ゴジラ(1964)』だった。怪獣が野原で闘うばかりではなく、ゴジラが四日市コンビナートから名古屋城まで破壊する、迫力あるシーンを見せてくれた。怪獣のパワーや存在感、その印象がとてつもなく大きいのだ。 今回の『シン・ゴジラ』のリアル志向とは、ゴジラの設定、ゴジラを迎え撃つ日本政府や自衛隊の動きなど、ディティールまできちんと追究してあるところだ。 多くの怪獣映画やテレビ番組では、怪獣を倒す方法が、たまたま新兵器ができていたり、簡単に急ごしらえしちゃったりすることがありがち。でも、『シン・ゴジラ』は、そこをいかに手間がかかったかをきちんと見せていた。ただ、もっとサスペンスを盛り上げればさらにおもしろかったと思うが。 もちろん、当方は、怪獣映画といえども、いや、怪獣映画だからこそ、リアルさが必要だと思う。 当方が最も評価する怪獣映画は『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』だ。この映画で、樋口監督が特技監督としてデビューした。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』も、『ゴジラ(84)』とはちがった意味で、『シン・ゴジラ』の原型といえると思う。それは、「もし、今の日本に怪獣が現れたら」というシミュレーションで映画ができているからだ。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、虚構の話に説得力があり、見応えがあった。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』と『シン・ゴジラ』の違いは、どのくらい「映画的な嘘」を許容するかではないだろうか。 マスコミ等がゴジラについて「生き物が火を吐くわけがない」と批判したことに対して、本多猪四郎監督は「放射能は炎でないことは分かっている。映画的な嘘である」と答えている。 同じようにヒッチコックも、観客を楽しませるために、実際は辻褄が合わなくても「映画的な論理性」を優先するというような発言をしている。 『シン・ゴジラ』は、確かに映画的な嘘もあるのだが、リアリティで覆われ固められている。 その点、『ガメラ 大怪獣空中決戦』のほうは、リアリティでは一歩ゆずっても、そこに遊びがある分楽しいと当方は感じる。 そして、『ガメラ 大怪獣空中決戦』のほうが、怪獣に対する思い入れをもつことができた。 それは、ガメラが善玉的な役割をもっていることもあるが、ガメラの飛翔場面や空中戦など、巨大生物そのものの脅威をリアルに感じさせてくれたからだと思う。さっきのモスゴジのゴジラと同じやね。そのとき、樋口特撮のファンになったのだが。 しかし、『シン・ゴジラ』は、劇場で一回見ただけでは十分味わい尽くせない映画だと思う。映像ソフトが手に入ったら、特撮場面は当然、ストーリー展開もディティールが凝っているし、情報量が多いから、何回も見て確認したい。(情報量が多いので、出演者はみんなセリフが早口だった) そうそう、当方はエヴァンゲリオンについては全く何も知らない。だからそこを論じることはできない。人気ブログランキングへご協力お願いします
July 31, 2016
コメント(1)
「大巨獣ガッパ」パーフェクト・トラックス〜オリジナルサウンドトラック<完全盤>〜 [ (オリジナル・サウンドトラック) ]価格:2208円(税込、送料無料) (2016/7/25時点) 元祖東宝はゴジラ、続く大映はガメラ、そして松竹はギララと来て、日活はガッパ。 他社はみんな怪獣の名前の最後が「ラ」、怪獣といえば「・・ラ」なのに、日活はあえてはずして「パ」。 しかも怪獣といわず「大巨獣」なのだ。特撮怪獣映画の最後発会社としては、差異をつけたかったのだろう。 ガッパというネーミングは、カメの怪獣だから「ガメラ」というノリで、カッパからガッパになったのだろうか。といっても、ガッパはカッパとは全然似ているところはないが。 1960年代後半、こうして各映画会社が競って怪獣映画をつくった。 これは、東映で、高倉健、鶴田浩二の任侠映画がヒットしたら、大映では市川雷蔵の『若親分』シリーズとか、日活では高橋英樹の『男の紋章』シリーズがつくられたのと同じ現象と考える。 この『大巨獣ガッパ』、内容的にはどこかで見たようなぁ。 まず、怪獣(巨獣か。でも、映画の中では、「熱海に出現した2匹の怪獣」と言ってる)が、人間に連れ去られた我が子を取り返しにくる、というプロットはイギリス映画の『怪獣ゴルゴ(1961)』とおんなじ。 というか、ガッパは南の島からやってきたのだが、すでに『モスラ(1961)』が、やっぱり南の島から小美人を取り戻しに日本にやってきてるんだよね。あるいは、『モスラ対ゴジラ(1964)』では、モスラの卵が台風で流されて、成虫モスラが小美人と一緒に卵を取り返しにきたりとか。 それから、子ガッパが檻の中で飼育され、どんどん大きくなっていく様子は、『フランケンシュタイン対地底怪獣(1956)』で、フランケンシュタインの怪物も似たような状況があった。 そして、この『大巨獣ガッパ』には、いくつかふしぎな場面があったぞ。 まず、洞窟の中の湖に、つがいのガッパが姿を現す。そこで、卵から孵った子ガッパの姿が消えていることに気づく。 しかし、もうすでに、人間たちが子ガッパを船に積み込んで、航路についている。そして、子ガッパを待ち受ける日本でのあーだ、こーだが続く。ようやく怒り狂ったガッパが洞窟の壁を破壊して出てくるんだが、行動が遅いよ親ガッパ。子供がいないとわかった瞬間に後を追っていけよ。 だって、ガッパは空を飛べるんだ。だから、早く船を追えばよかったんだよ。例え、親ガッパが気づいたときには船が出てたとしても、南の島から日本までは、船で何日もかかるはず。ぜったい追いついて、子供を取り返すことができたって思うけど。 また、子ガッパは、人間の与える餌はいっさい食べない。だから、母ガッパが口に大蛸を咥えて日本に上陸し、一刻も早く食事をさせようとするわけだ。なのに、空腹のはずの子ガッパはどんどん大きくなっていくんだ。怪獣は、何も食べなくてもぐんぐん成長しちゃうのかいな。 もう一つ。旅客機が飛行中に、パイロットが巨大なふたつの飛行物体を目撃する。 子ガッパを飼育する研究所では、雑誌記者がパイロットの話から「もし親のガッパがいたとしたら、飛べるのだろうか?」との疑問を出す。しかし、学者は「(子ガッパの)羽はそうとう退化しているし、例え親でも(飛ぶことは)無理だろうな」と断言する。 くだんの子ガッパだって、この後立派な翼を広げて自力で飛ぶのだけれども。 確かに、「常識では考えられんことが(起こってる)」という雑誌記者のセリフもある。けど、なんだもそれでフォローしちゃあいかんぞ。 ちなみに助教授を演じているのは、小高雄二さん。この人の姪が、平成ゴジラ(VS)シリーズで三枝未希を演じた小高恵美さん。この特撮つながりは、なんだか嬉しい。 さてさて、1960年代後半の怪獣ブームに乗ってつくられた『大巨獣ガッパ』はこれ1本きり、残念ながらシリーズ化はされなかった。 任侠映画とちがって、特撮怪獣映画のシリーズ化は難しかったのか。 松竹の『宇宙大怪獣ギララ(1967)』もシリーズ化はされず、長らくその1本だけだった。しかし、忘れたころに、40年ぶりに新作『ギララの逆襲(2008)』が公開された。 ぜひ、『大巨獣ガッパ』も、新作を見てみたい。特撮ファンは、何十年たっても、作品を忘れない、口うるさいけど。人気ブログランキングへご協力よろしくお願いします
July 25, 2016
コメント(0)
カリフォルニア・ダウン【Blu-ray】 [ ドウェイン・ジョンソン ]価格:1500円(税込、送料無料) デザスター(災害)映画に対する当方の受けとり方は、「非日常」「非現実」であった。 デザスター映画は、SF映画とかぶるところがあるし、また特撮を抜きにしては存在しない。 例えば、古い日本の映画であれば『妖星ゴラス(1962)』がある。 地球の6000倍の質量をもつ黒色矮星ゴラスが発見された。ゴラスの軌道は、やがて地球に激突するという。ゴラスが地球に接近してくると、火山の噴火や大津波などが起こる。 もうちょっと新しい映画では『日本沈没(1973)』、地殻変動により日本列島が海の中に沈んでしまうというもの。休火山の噴火や巨大地震が描かれる。 これらは科学的な説得力に留意し、特撮によってリアルな映像がつくられた。 そして、見ている当方は、「非日常」的、「非現実」的な災害の脅威を味わった。 日本以外でも、説明不用の『大地震(1974)』、小惑星、隕石が地球とぶつかる系の『アルマゲドン(1998)』『ディープインパクト(1998)』、さらに竜巻、火山の噴火、氷河期などのデザスター映画がある。 しかしながら、日本では、現実の世界で度重なる「未曾有」の大災害が起こった。 阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震。 映画という虚構の世界では、現実では味わえないできごとを可視化していた。 だから、デザスター映画では、現実では起こりえないようなー日本列島が沈んでしまうとかーとんでもない災害を描いてきた。 ところが、連続して日本を襲った大震災は、虚構をはるかに凌駕する超災害だった。 当方は、以前デザスター映画を、SF的設定や特撮の妙など、エンターテインメントの視点で見てきたわけだ。 けれども、だんだんと距離を置いて虚構の世界のデザスターを眺めるのがむずかしくなってきているのだ。 『カリフォルニア・ダウン』では、巨大地震の大被害を、これでもかこれでもかとスクリーンに映すのだが、どこか絵空事に感じてしまう。 さらに、主人公のレスキュー隊員が、巨大地震が襲ってきているにもかかわらず、「おれは娘を助けにいく」と消防署に電話連絡し、署の方も「こっちは大丈夫だから行ってこい」ってのはどうなんだ。 『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』で、気象学者が息子を救出に凍結したニューヨークまで行くのとはわけがちがうでしょ。 職務に対して無責任であるとともに、切迫した事態の中で個人的な事情のために職場を離れるなんて設定があますぎる。巨大災害が発生しているはずなのに、「行ってくるよ」「こっちは大丈夫だから」というやりとりはいかにも軽すぎるでしょ。日本では、ボランティアを含めた救援の人数が不足している現実があるというのに。 このあとも、緊迫した大災害の中で、ご都合主義の展開が続いた。クライマックスでは、主人公のレスキュー隊員が、津波のために水没したビルに閉じ込められた娘を救いにいく。レスキュー隊員は、驚異の心肺機能で水中を泳ぎ回り、娘を助ける。これは超人級であった。 その前にも、ゴムボートで巨大津波を乗り越えるシーンがあった。それよりも、水中でいつまでも息を止めていられるほうが、ずっと超人だと思う。運や技術ではできないことだから。 その超人ぶりから、この映画は虚構だと納得した。 金のかけかたはちがうが、ご都合主義的な内容はThe Asylumの映画かと思うぞ。 いやいやThe Asylumは『カリフォルニア・ディストラクション(2015)』をつくっていたぞ。見比べてみるか。映画(全般) ブログランキングへ
July 18, 2016
コメント(1)
映画秘宝 2016年 07月号 [雑誌]価格:1080円(税込、送料無料) 『デッドプール』はR15+指定の映画である。 15歳以上でなければ見られない。 15歳といえば中学3年生だ。 つまり、小中学生は、この映画を見ることができないのだ。もちろん幼稚園児も。 スーパーヒーローは、正義の味方、人並みはずれた力で人々を救う人である。 だから、子供達のあこがれなのだ。 なのにデッドプールはR15+指定、子供を相手にしていない。 日本でも、『仮面ライダー THE NEXT(2007)』はPG12だ。 また『快傑ライオン丸(1972〜1973)』のリメイク作品『ライオン丸G(2006)』は、テレビの深夜枠の放送だった。 これらも、スーパーヒーローものではあるが、子供は度外視してつくられていた。 あるいは、『ULTRAMAN(2004)』は、大人も楽しめるウルトラマンというコンセプトでつくられた。 スーパーヒーローものを、カンペキにお子様向きにしてしまっては、大人の鑑賞には堪えない場合がある。 たとえばアンパンマンは、幼児を対象としている。これはアニメであって、実写特撮ではないが。 もちろん、アンパンマンが好きな大人のことを否定するつもりはもとよりない。 何が言いたいかというと、アンパンマンの映画については、多くの場合、大人は子供にすきそって、つきあって見ることが多いという話。 それに対してアベンジャーズは、大人が自分の選択で見る映画である。 そして、アベンジャーズなどは、大人も子供も、どちらであっても十分に楽しめる映画だ。 これが『ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ(2014〜2015)』だと、子供向になっちゃう。これもアニメだが、小学校の低学年に合わせた内容となっているのだ。 『デッドプール』の映画を見た印象では、デッドプールは、バットマンやスーパーマンのような正義の味方という印象はない。人々や、地球を救うという志はあまりもっていないようだ。 結果的に悪人と闘うことにはなるデッドプールだが、その動機は個人的な復讐なのだ。 ただ、愛する女性を出会ったことで、人間性は深まった面はある。 こうしたデッドプールをスーパーヒーローと呼んでいいものなのか。 確かに、人並みはずれたスーパーパワーをもっている。 しかしながら、スーパーヒーロー=正義の味方というイメージは強い。 それは、ヒーローとは日本語でいう英雄だからだ。 だから、デッドプールはダークヒーローという呼び方がいいんじゃないか。 じゃあ、バットマンをダークナイトまたはダークヒーローと呼ぶのはどうなのか。 バットマンの場合は、根底に正義がある。 だが、あまりに卑劣な悪に対しては、きれいごとを言っていられないところから、ダークナイトまたはダークヒーローとして対応せざるをないのだ。 例えば、ハリー・キャラハンはダーティハリーと呼ばれている。 ハリーは、犯罪を憎む心から、刑事であっても組織や規律からはみだして犯人を追い詰める、そこからダーティとあだ名されるようになった。 ハリー・キャラハンは、ダークヒーローといえるだろう。 そういえば、『ダーティハリー5(1988)』の原題は『The Dead Pool』だ! だが、デッドプールは、悪や犯罪を撲滅するという熱意が最初にあったわけではない。 だから、ダークヒーローと一口にいっても、デッドプールは、バットマンやダーティー・ハリーとは趣きを異にするね。 いずれにしても、当方自身は、スーパー戦隊の映画も、デッドプールのような映画も見られる立場にいるから、それはよかったなぁと思うわけだ。 小中学生諸君の中には、スーパーヒーローものが好きで、『デッドプール』が見たいと思っているのに、当面は見ることができないというのは、もし自分がその立場だったら、とっても悔しいと思うにちがいない。人気ブログランキングへ
June 12, 2016
コメント(1)
ヘラクレス 怪力ロング・バージョン【Blu-ray】 [ ドウェイン・ジョンソン ]価格:1500円(税込、送料無料)ザ・ヘラクレス【Blu-ray】 [ ケラン・ラッツ ]価格:1500円(税込、送料無料)ヘラクレス 帝国の侵略 [ ジョン・ヘニガン ]価格:4665円(税込、送料無料) 子供のころ、カナダ製アニメの『マイティ・ハーキュリー』という番組をよく見てた。 ハーキュリーとはヘラクレスの英語読みである。 ちなみにヘラクレスはギリシャ語読みだ。 今回見たヘラクレスの映画の中で、「マイティ・ハーキュリーズ」という言葉が何回か聞かれた。 してみると「マイティ・ハーキュリー」というのは、単にアニメのタイトルではなく、マイティという言葉がヘラクレスにはつきものの、ヘラクレスのためのニックネームみたいなものだったのかもしれないと思った。例えば、「剣豪」宮本武蔵のように。 最初に取り上げるのは、ドウェイン・ジョンソンが主演を務める『ヘラクレス』だ。 このヘラクレスは、ギリシャ神話に登場するような半神半人ではない、もともと人間で傭兵を生業としているが、半神半人の伝説を宣伝また敵に対する威嚇に活用している。 しかし、このヘラクレスは、「蓄えができたら、質素に暮らすさ」「残りの人生を静かに暮らす」「どこに行ってもやすらぎはない」「この文明社会は性に合わん」などと述べる。「私はただの傭兵です」と英雄ぶることもない。紆余曲折、悲劇的なできごとがあった中で、ヘラクレスは清貧を望む人間となっていた。 こうしたある種悟りの境地に達したヘラクレスと、欲望にまみれたコテュス王、エウリュステウス王との対比がおもしろかった。 法外な野望をもち、地位や富ばかりを求めて人を欺く王たち、彼らは競争社会の中で勝ちにしがみつく我利我利亡者の象徴だ。 「世界は真の英雄を求めている 神の子でなくても英雄になれる 自分を英雄だと信じればいい ヘラクレスは自分を信じた」 ヘラクレスは、心ある人間として生きる道を望んだのだ。 つぎは、レニー・ハーリン監督の『ザ・ヘラクレス』だ。 何かと評判はよろしくないレニー・ハーリン監督だが、当方は嫌いじゃない。 レニー・ハーリン監督の映画だとわかれば、好んで見る。 今回の『ザ・ヘラクレス』も楽しく見た。 こちらのヘラクレスは、半神半人である。 しかし、王である父ティリンスと兄イピクレス(本当の父、兄ではない)から疎まれ、人間として艱難辛苦を経験する。 そして、自身が囚われの身となり、鎖でつながれて、万策尽き果てて仲間を殺されようとするとき、ヘラクレスに神の力が宿る。 絶体絶命のピンチに遭遇し、人間を超えた力で仲間を救うヘラクレスであった。 とはいっても、ここから宿敵である王との一騎打ちにもつれ込む。このとき、ヘレクレスが神の力をもって闘えば、不公平だよね。というわけで、神の力を使えば簡単に勝っちゃうところを、神の力なんてなかったかのように人力で闘うヘラクレスは、いかにもエンターテインメント優先のレニー・ハーリン監督だと思うね。 最後は、あのTHE ASYLUMの『ヘラクレス 帝国の侵略』だ。 ASYLUM社は、手間隙かけず、金かけず、ヒット作、話題作のパクリ、便乗映画を量産する映画会社だ。 『ヘラクレス』と『ザ・ヘラクレス』のどっちをパクっているかといえば、これは『ヘラクレス』のほうだね。 いつも以上のぐだぐだ展開で、見ているのが辛かったが、このブログのためにがんばって見た。 ヘラクレスを食ってしまい、こっちが主役かと思ったのは兵士アリウス。 このアリウス、クライマックスで将軍ニコスに剣を突き刺され、バルコニーから突き落とされて完全に死んだと思っていたら、むっくりと立ち上がりニコスを追う。それでも、まだこのあたりは、ダメージを表現していた。 しかし、ニコスを倒し、恋人である王女セオドラを救い出すころには、もう完全に回復したようで、刺され高所から落下したダメージは露ほども見せなかった。 さらに、ヘラクレスにいたっては、薬を飲まされて錯乱したとはいえ、仲間を殺しまくってしまった。そして、大乱闘劇では、ただ暴れ回っていただけで、目立った活躍もなかった。 なのに、ラストは民衆から「ヘラクレス、ヘラクレス」の大コールを受けていた。 民衆も錯乱していたとしか思えない。 この場面は、大コールは、『ヘラクレス』にもあったなぁ。そして、薬で錯乱する場面もあったし。 ところでアニメの『マイティ・ハーキュリー』は、オープニングでハーキュリーが牛乳を飲む場面(スポンサーが明治)があった。当時のアニメ技術ではとっても不自然な動きになっていて、本編のストーリーは忘れてしまったが、その場面は脳みそに刻み込まれている。それを、若い人が知っていて驚いたことがあった。どうやら、懐かしのテレビ番組特集でときどき紹介されているらしい。人気ブログランキングへご協力のほど、よろしくお願いします。
June 5, 2016
コメント(1)
ドラキュラZERO [ ルーク・エヴァンス ]価格:1000円(税込、送料無料)15世紀のトランシルヴァニア。ワラキア公国は、ヴラド・ツェペシュが王として国を治めていた。 ヴラドは、ワラキア領土内で、強大なオスマン軍が攻め入ろうとしている徴候を見つける。 オスマン軍は、牙の山に潜伏しているようだ。 ヴラドが牙の山を調べに行くと、オスマン兵士の鎧兜、そして人骨が散乱している。 さらにヴラドは、そこで正体不明の魔物の襲撃を受けたのだった。 命からがら逃げ帰ってきたヴラドに、修道士が牙の山の魔物はヴァンパイアだと伝えた。 翌日、オスマン軍の使者がヴラドの居城にやってきた。 使者は、オスマン帝国の王であるメフメト2世からの伝言を伝えた。 それは「オスマン軍の兵士を養成するために、1000人の少年とヴラドの息子を差し出せ」というものだった。 ヴラドは、勝ち目のないオスマン帝国との戦争は避けたかった。 だが、そのためには1000人の子供ばかりか息子までも差し出さなければならない。 ヴラドは、国を守るために、苦渋の決断をする。我が子ともども1000人の男子を差し出すことにしたのだ。 しかし、いざオスマン軍に息子を渡す段になって、王妃ミレナの悲痛の叫び声を聞き、ヴラドは息子を渡さずオスマン軍の使者を皆殺しにしてしまった。 もう戦争は避けられない。 しかし、圧倒的な戦力を有するオスマン軍に対して、弱小ワラキア公国がまともにやりあっては、大虐殺も免れることはできない。 ヴラドは、牙の山に出向き、自らも魔物になってオスマン軍と闘うことを決意する。 牙の山でヴァンパイアと顔を合わせると、ヴァンパイアはヴラドに自分の血を差し出した。 それを飲めばヴァンパイアのパワーを得ることができる。と同時に、血に対する激しい渇望が湧き起こってくる。 もし、その渇望に抗しきれず、一滴でも血を口にすれば本物のヴァンパイアになってしまう。 だが、その飢えを3日間我慢することができれば、人間に戻ることができるとのこと。 ヴラドは、国を守るため、家族を守るためにヴァンパイアの血を飲み干す。 おりしもオスマン軍が1000人規模でワラキア公国に攻めいってきた。 ヴラドは、ヴァンパイアのパワーで1000人の兵を撃退した。 いったんは難を逃れたものの、オスマン軍が兵力を増強して攻めてくることは目に見えている。 ヴラドは、公国の人々に山の頂上にある修道院まで避難するよう命じた。 その一方で、怒り狂ったオスマン帝国のメフメト2世は、なんと10万の兵をワラキア公国に送り込んできた。 ブラドは、オスマン軍の侵攻に備えながらも、生き血に対する強すぎる欲求に必死で耐えていた。 さすがに王妃ミレナは、そんなヴラドの様々な異変に気づいてしまった。 ついにヴラドは、自分がヴァンパイアになりつつあることを告白した。 また、3日間生血への渇望に耐えれば人間に戻れるとも説明した。 無事に修道院までたどり着くことができた。だが、修道士にヴラドがヴァンパイア化していることを勘づかれてしまう。 修道士は、火攻めにしてヴラドを抹殺しようとしたが、ヴラドは炎を物ともしなかった。 ヴラドにしてみれば、公国の人々を守るために魔物化したのだった。それなのに、民衆はそんなヴラドを忌み嫌う。それを必死にかばう王妃ミレナ。 ついに1万のオスマン兵がワラキア公国に攻め込んできた。 ヴラドはコウモリの大群を操って対抗した。 しかし、この1万のオスマン軍勢は陽動作戦だったのだ。 オスマン軍の精鋭部隊が密かに修道院に潜入していたのだ。 そのことに気づいたヴラドは、戦場から急ぎ修道院に戻る。 彼らはヴラドの息子を誘拐し、王妃ミレナを断崖絶壁から突き落としてしまった。 落下していくミレナを急降下しながら必死に追って行くヴラドだったが、彼女を救うことはできなかった。 息を引き取る間際にミレナは、自分の血を飲み、本物のヴァンパイアとなって息子を救い出してほしいと嘆願した。 ヴラドは、ミレナの血を口に含んだ。牙の山の魔物の血を飲んでから、3日目がすぎようとしているときのことだった。 こうしてヴラドは、吸血鬼ドラキュラと恐れられる存在になっていったのだった、というお話。 いうまでもなく、創作である。 ドラキュラのモデルはいる。 ルーマニア南部にあったワラキア公国のヴラド3世だ。 ドラキュラと呼ばれたのは、ヴラドの父の名がドラクルで、ドラキュラはドラクルの息子という意味だそうだ。 彼は、他国からの侵略者からは串刺し公と恐れられるような残虐性も秘めていたことから、作家のブラム・ストーカーがヴラドをモデルにして小説『吸血鬼ドラキュラ』書いた。 ちなみに、小説では、最初から吸血鬼として登場する。 この映画は、ヴラドとドラキュラのすきまを埋めた形になっているわけだ。 しかし、この映画において、ヴラドが吸血鬼になる過程には、妻である王妃の影響が大であるなぁ。人気ブログランキングへご協力のほどよろしくお願いします。
May 29, 2016
コメント(1)
ドラゴン・オブ・ナチス [ スコット・マーチン ]価格:3888円(税込、送料無料) 映画の出だしはよかったんだけどね。 ときは第二次大戦中。 岩山で科学者とおぼしき者が、謎の卵を発見。 しばらくして、砂漠を進撃する連合軍の戦車が、何物かに高熱で焼き払われる。このとき、戦車の小窓からは、その攻撃してきたものの実体がとらえきれない。 さらに、連合軍の戦闘機隊も、飛行中に大きく羽ばたく何物かに撃墜される。 撃墜された戦闘機に搭載してあった撮影機を回収してフィルムを現像してみると、そこには、なんとドラゴンの姿が写っていた。 ナチスドイツは、ドラゴンの軍団を操り、生物兵器として連合軍に攻撃を仕掛けてきたのだった。 そして、夥しい数のドラゴンの卵を孵化させて、連合軍に一大攻撃を仕掛けようとしていた。 連合軍は、ドラゴン軍団に対抗するために、一癖あるパイロット連中を集めて、P-51ムスタング戦闘機のゴースト飛行隊を編成した。 まず、なんでドラゴンなんだ、という点だ。 ナチスは、ドラゴンの卵を探し求め、見つけたわけだ。 しかし、ドラゴンってやっぱり卵から生まれるものなのかぁ。 爬虫類っぽいから卵なんだろうなぁ。 だったら、ドラゴンの骨とか化石とかあってもいいってことにならないか。 このドラゴン軍団は、魔女たちが歌をうたって操る。 小美人がモスラとコミュニケーションをとるみたいに。 なにしろナチスの総統ヒットラーは、オカルト好みだったそうだ。 そういうところから、魔女だとドラゴンだのって話になっているのだろう。 それでもって、魔女ってことは、やっぱり魔術なわけで、ドラゴンは剣と魔法の世界の生き物だと思う。 つまり幻獣だ。 そのあたりを考えると、ドラゴンが卵から生まれてもかまわないのだが、科学者が発見するのではなく、魔女たちが隠しもっていたというようにしたほうが理屈も雰囲気もマッチするのではないか。 ヒットラーとオカルトとの関係もさることながら、この映画でドラゴンをもってきたのは、多分、火を吐くからだと思う。 単に奇を衒った空飛ぶ生物兵器であれば、いろんな理由をつけてプテラノドンを蘇らせるパターンもあるかもしれない。 しかし、プテラノドンには飛び道具はない。 やっぱり空中戦となれば、飛び道具が必要だ。 その点では、もともと火を吐くドラゴンは、戦闘機とのドッグファイトが絵になるというわけだ。 さて、このドラゴン軍団、じつはメスばかりなのだ。 もし、オスが生まれると、それはメスよりも何倍も大きく、さらに魔女たちもコントロールすることはできないので、とんでもないことになってしまうという。 万が一オスのドラゴンが生まれてしまったら、ナチスもその場で殺すしかないとのことだ。 というやりとりがあれば、これはいずれオスが出てくるという前ぶれにほかならない。 そうか、そこがクライマックスか、であればどんなオスが出てくるのか、もしかしたらキングギドラみたいなのが出てきて、空からヨーロッパ中の都市を火炎攻撃し破壊し尽くす映像が見たい、と夢が暴走する。 その一方で、この映画のレベルからすると、そこまでできないだろうという冷めた目も同時にあったのだが。 満を持して、かどうかしらんが、万が一のオスのドラゴンが登場した。 確かに登場した。 だが、オスのドラゴンは、キングギドラでもなければ、ラドンでも、バドラ(バトラではない)でも、リトラでも、なかった。 もちろん、ギャオスでは決してない。 ドラゴンのメスは、オスがいなくてもクローンの形で卵が産めるというあたりは、ちょっと平成ギャオスの設定に似てたけど、ギャオスは雌雄の区別がない、つまりオスという存在はない。 この映画が、平成ギャオスを参考にしたかどうかは知らない。しかし、最初はメスばかりを出して、オスを至極特別な扱いをしたのであれば、日本の翼竜怪獣を参考にして、もうちょっと盛り上げてほしかったね。 日本には、『恐竜・怪鳥の伝説(1977)』のランフォリンクスだっているんだぞ。恐竜・怪鳥の伝説(DVD)価格:3923円(税込、送料別)人気ブログランキングへ
May 22, 2016
コメント(1)
荒野の棺桶 [ アンソニー・ステファン ]価格:1000円(税込、送料無料)「荒野」、「棺桶」とくれば、マカロニウエスタンの風情が漂うタイトルだ。 かの『続・荒野の用心棒(1966)』では、映画が始まるや否や主人公ジャンゴが棺桶をひきずって登場する。そして敵の大軍団に1人立ち向かい、棺桶の中からなんと機関銃を取り出して並み居る悪漢どもにぶっ放す。それら度肝を抜く演出によって、当方はマカロニウエスタンに深くはまり込んでしまった。 そして、『続・荒野の用心棒』のセルジオ・コルブッチ監督による『ザ・サムライ 荒野の珍道中(1975)』では、マカロニウエスタンのプリンス、ジュリアーノ・ジェンマが棺桶を引きずった。こちらは喜劇だったが。 『荒野の棺桶』は、棺桶好きのセルジオ・コルブッチの監督作品ではない。 さて、『荒野の棺桶』では、どんなふうに棺桶に脚光を当てるのか、興味深い。 この映画、タイトルだけでなく、中身も音楽もじつにマカロニウエスタン臭が強いのだが、どこかおかしい。コーヒーに、ミルクではなく豆乳を入れちゃったみたいに。 まず、タイトルバックに流れる主題歌で「復讐だけが俺の生きがい」「復讐だけが人生さ」と歌っている。「復讐」は、マカロニウエスタンの定番である。その割には、主人公テキサス・ジョーが何の復讐をしたいのかなかなか明かさない。 テキサス・ジョーは、ある目的があって、悪漢ルーペ・ロホの一味に加わる。 そして、映画が始まって35分くらいのところで、ようやく復讐の理由について、片鱗がうかがうことができる。 ジョーはルーペ一味のひとりを問いつめる。「2年前のオマハの駅馬車強盗だ。女を犯して殺したのは誰だ」という具合に。 かつてルーペたちが、オマハを襲ったときに、ジョーの妻が殺されたのだった(この時点ではまだそこまでの詳細は明かされていない)。 この復讐の理由については、どこかで回想シーンが出てくるかなぁと思っていたが、結局何回かセリフで説明されただけだった。 やっぱり、復讐を盛り上げる(というのも変な言い方だが)ためには、その原因となるできごとをビジュアルで示してほしいものだ。 例えば『女ガンマン / 皆殺しのメロディ(1971)』ーこれはイギリス製西部劇ーでは、映画の始めのほうで悪者三人組が牧場を襲い、牧場主を殺し、その妻である主人公ハニー・コールダーに暴行をはたらく。 もちろんこの場面は、映像である。そして、主人公の回想となって何回も見せられる。 ハニーは、屈辱をはらすために、臥薪嘗胆して銃の腕を磨き、女ガンマンとなって、悪者三人組を探して復讐を果たしていく。通常こういう形で復讐に説得力をもたせると思う。 テレビの『必殺』シリーズでも、町民などが不良旗本や悪徳商人から、かなりひどいめにあわされる。 場合によっては、そこまでせんでもいいだろう、と思えるような展開もあるが、不自然なほど許し難い所業を映像で見せて、これは仕事人だちが相手をぶっ殺してもいいと、見ている者に思わせる。 不自然なまでにする必要はないと思うが、この虐げられた状況が弱いと、復讐への高まりがなくなっちゃうんだよね。 つぎに、テキサス・ジョーは善玉なんだけど、いったん悪党一味に加わっているわけだ。悪党は、ある牧場を襲撃する計画を立てる。 これも、うん?と思うところがあるんだけど、その富豪牧場主は「金は家に置く主義でね」と公言しているのだ。こんなの、襲ってくれと言わんばかりなんだけどね。 それで、ルーペ一味が牧場を襲う前に、ジョーは知らせに走った。 そして牧場側が迎撃体制を整えているところで、ジョーは悪党一味のアジトに戻ってくる。 そこを、悪党一味のナンバーツーであるマーダーに見つかってしまう。 ジョーはなんとか言い逃れるが、マーダーは馬が汗をかいているのを発見する。つまり、急いで遠くまで行ってきたのがわかるのだ。 当方としては、ここからマカロニウエスタンの定番であるリンチに発展するのではないか、と思っていたら、ここではなかった。悪党一味は、ジョーも含めて牧場を襲撃に出かける。 そして、牧場側の反撃にあい、悪党一味はほうほうの体で引き上げてくる。 で、アジトに帰ってきてから、「出発前にお前はどこにいた?」「馬は汗をかいてたぜ」と尋問され、さらにそのほかの証拠もつきつけられ、そしてマカロニウエスタン名物のリンチに行き着く。 「疑わしきは罰せず」とはいうが、襲撃の前にジョーに対してきちんと説明を求めていたら、襲撃を失敗することはなかったのではないか。 ルーペ一味は危機管理意識が弱いといわざるをえない。 というわけで、『荒野の棺桶』は大まじめでマカロニウエスタン風味が満載の展開なのだが、このほかにもどこかおとぼけな展開が目白押しである。 そうそう、「棺桶」なんだが、映画の中で棺桶はビジュアルとしては姿を現さない。 テキサス・ジョーがリンチにあっているときに、ルーペが「パプロ、墓場に行って棺桶が余ってるか見てこい」とドスをきかせる。 この言葉だけだね、「棺桶」が出てきたのは。人気ブログランキングへクリックよろしくお願いします
May 15, 2016
コメント(1)
マッドマックス 怒りのデス・ロード 3D&2Dブルーレイセット(2枚組/デジタルコピー付) 【初回限定生産】 【Blu-ray】 [ トム・ハーディー ]価格:3234円(税込、送料無料)マッド・スピード [ クロエ・ファーンワース ]価格:4975円(税込、送料無料)ゾンビマックス! 怒りのデス・ゾンビ [ ジェイ・ギャラガー ]価格:3936円(税込、送料無料) 『マッドマックス』シリーズ(1979〜)は、エポックメイキングな映画でした。 『マッドマックス』シリーズ以降、荒廃した未来を描くSF映画は、その影響が強くありました。『マッドマックス』シリーズに見られた未来世界こそが、リアルな未来であるかのごとく。あるいは、『マッドマックス』の続編かスピンオフに見えるような後追いや、もどき、パチモン映画もたくさんありました。 けれど、当方は『マッドマックス』に思い入れはありませんでした。 あの埃っぽさ、不潔さがいやだったのかもしれません。 この『マッドマックス』シリーズ、最新作(『怒りのデスロード(2015)』が前作から27年のときを経て公開されました。 最近ビデオで見ましたが、水も資源も乏しい世界での狂気と、そんな修羅場に残る人間性とが描かれていました。 そして、今回も、ご多分に漏れず『マッドマックス』便乗映画がありました。 まず『マッド・スピード(2015)』、手間隙かけず、金かけず、ヒット作、話題作のパクリ、便乗映画を量産するアメリカの映画会社ASYLUMの映画です。 この映画ではゾンビみたいなヴァンパイアが襲ってきます。 けど、ASYLUMですから、「ヴァンパイアの大群が襲ってくるぞ〜」といっても、画面に映るヴァンパイアは数えるほどのしかいませんでした。 この切り込み隊のあとは双眼鏡のフレーム外とか、夜の闇にまぎれてたくさんのヴァンパイアがいるんだろうな、と見る者の想像力におまかせの状態です。 さらに、これもASYLUMの特徴ですが、特定の場面で登場人物が「ああでもない、こうでもない」と話し合っている場面が多くて長い。セットや小道具にかかる予算を節約し、早撮りを心がけているのでしょう。 つぎが『ゾンビマックス!/怒りのデス・ゾンビ(2014)』 この映画も、地球上はゾンビの世界となっています。 ある夜流星群が降り注ぎ、そこからゾンビが大量発生したのです。 当方は、マッドマックスものに思い入れがないと同時に、ゾンビも好みではありません。 でも、この映画はおもしろかったなぁ。 それは以下の趣向からです。 1.ゾンビになる人間がいればならなかった人間もいる。ならなかったのは血液型がRHマイナスの人間だった 2.ゾンビが発生してから、燃料がすべて水になってしまった。しかし、ゾンビの血液や呼気が燃料となる。夜、ゾンビの活動が低下すると、燃料も使えなくなる 3.マッドサイエンティストにゾンビの血を注入された者は、ゾンビを操る能力を身につける ただ大群で人を襲ってくるだけの存在だったゾンビが、一捻りすることでこんなにおもしろくなるとは。 もしかしたら『マッドマックス』が、それ以後の映画に影響を与えたように、『ゾンビマックス!/怒りのデス・ゾンビ』も、ゾンビ映画に新しい風をもたらすかも。人気ブログランキングへどうぞご協力よろしくお願いします
May 8, 2016
コメント(1)
エアポート2015 [ ファラン・タヒール ]価格:4665円(税込、送料無料) 1970年代に「エアポート・シリーズ」と呼ばれた映画があった。 それらには、バート・ランカスター、ディーン・マーチン、チャールトン・ヘストン、アラン・ドロン、ジャクリーン・ビセット、カレン・ブラック、シルビア・クリステルなど、綺羅星のごとく当時の有名俳優が出演していた。 『エアポート’75(1974)』を見に行ったとき、当時は入れ替え制や全席指定というものはなかった。いつ映画館に入ってどこに座ってもよかった。だから上映中だったけど客席に入ったのだけど、そうしたら、いきなり客室乗務員のカレン・ブラックが必死の形相で操縦桿を握るアップが映し出されていた。 機長(テレビ番組『FBIアメリカ連邦警察』のエフレム・ジンバリスト・Jr)らが操縦不能状態になり、CAのナンシー(カレン・ブラック)がボーイング747旅客機を飛行させていたのだ。 カレン・ブラックは、美人ではないと思うが色気のある女優さんで、男臭いチャールズ・ブロンソンに対して、女臭いといわれていた。 暗闇の中で大スクリーンに映った女臭い女優さん、ある種の衝撃があったね。 そして記憶に残るのが、『エアポート’80』の名場面。 なんと超音速旅客機コンコルドが、戦闘機から発射されたミサイルで撃墜されそうになる。ミサイルの追撃をかわすために、機長のジョージ・ケネディは、コックピットの窓を開けて信号弾を撃った。ミサイルは、信号弾の発する熱を追ってコンコルドからそれていった。 超音速機の飛行中に、窓を開けること、さらに信号弾を撃つことが可能かどうかは知らない。 そんなふうに一世を風靡し、思い出深いエアポートシリーズだから、『エアポート2015』のタイトルを見たときには、食指をそそられた。 もちろん、かつてのエアポートシリーズが、35年の時を経て21世紀まで綿々と続いてきたとは思わなかった。 正統派のエアポートシリーズは4本で完結しているはず。 それにしても、映画の冒頭、大空を行くCG以外の何物でもない旅客機にかぶって「THE ASYLUM PRESENTS 」と表示が見えたときには脱力した。 Asylumは、手間隙かけず、金かけず、ヒット作、話題作のパクリ、便乗映画を量産するアメリカの映画会社である。 だから豪華スターの競演などはもちろんない。 この会社の場合、映画を楽しむよりは、Asylumとして楽しむという心構えのほうがいい。 というところで『エアポート2015』のストーリーだ。 アメリカ発ロンドン行きの旅客機が、激しい乱気流に巻き込まれる。なんとかそこを脱するが、なんだか様子がおかしい。本来だったらまだ午後の時間帯で、このあと機内から夕陽が見られるはずだったのに、すでにとっぷりと日が暮れている。 最新の通信機器がまったく役に立たない。航空管制と連絡が取れない。 なんだなんだ、とりあえず雲の下まで降りてみると、爆撃機の編隊が空襲攻撃をしていた。 そこは第2次大戦中(1940)のヨーロッパ上空だとわかる。 旅客機は、タイムスリップして過去の世界に出現してしまったのだ。 運よく?イギリスの学会に参加する予定の歴史学者が乗っていたから、それがわかったんだよ。 まず、この夜という設定がクセモノだ。 真っ暗な中を旅客機が飛んでいきますから、地上も何も見えない。いいかえると、画面に映る外景は旅客機と闇だけでいいということ。 空襲場面も夜だから、建物なども闇の中でしかとは見えず、そこから火の手が上がっている様子はわかる。 で、ドイツの戦闘機Me262が襲ってくるが、なにせ暗闇だから、戦闘機がときおりそれとなく姿を現すだけでいい。 手間隙がかからない。 そして、このMe262とは、なんとジェット戦闘機なのだ。 実際にドイツ軍は、第二次大戦中にジェット戦闘機を開発を急いでいたとのこと。 しかし、実用化されるのも夜間飛行ができるようになるのも、もっと後になってからだったらしい。 そうした史実を曖昧にしてジェット戦闘機を登場させたのは、プロペラ戦闘機じゃあジェット旅客機に追いつかないからだね。 もし、当時の技術に忠実にして、たとえば地上からの高射砲攻撃の場面などをもってきたとしたら、撮影に手間隙、お金がかかっちゃう。 このあたりは「ここはもう我々の知る世界じゃない」「見知らぬ歴史が進んでいます」と話を進めていく。 第二次大戦中には力を発揮するところまでは至らなかったジェット戦闘機、だからなのか相手が民間航空機でも機銃攻撃などがかわされてしまう。 もちろん、民間航空機のほうだって、急上昇急降下、ジェットコースター級の飛行テクニックで銃弾をよけて飛び回る。 本来だったら弾があたってもいいような場面で、全然あたらない。 なんだかとってもスリリング。 そして、ドイツの戦闘機からミサイル攻撃が。 さすがに『エアポート’75』のように追跡ミサイルまでは登場させられない。 奇跡のアクロバット飛行で被弾をまぬがれていた旅客機も、ついに機体を撃ち抜かれる。 側面が破壊されれば、機内の気圧が激しく変化する。 こんな場面では、必ず天井から酸素マスクがぶら下がってくるのがお約束。 しかし、この映画の、この旅客機では、酸素マスクが落ちてこない。 故障なのか、不良品なのか、映画的な予算の問題での手抜きなのか? こんな旅客機には乗りたくない。 常識、定石は通用しないのがAsylum。 乱調のピッチャーは、的を絞ることができないので打たれそうで打たれなかったりする。 それと同じでドキドキ、ハラハラ、とってもスリリング。映画(全般) ブログランキングへご協力のほど、よろしくお願いします。
May 5, 2016
コメント(1)
全404件 (404件中 1-50件目)