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このごろどうも調子が悪い。パソコンをやると電磁波のせいか異様につかれます。マウスからびりびりしたものが伝わってくるのですよね。記事も何回か書こうとしたのですが、なかなか形になりません。また調子がでたら書いていこうと思います。楽天日記をやっていて思いもかけずよかったのは、なかなか体験からでる素晴らしい記事をのせていらっしゃる方がいらっしやったということでしょうか。marks-1石川先生の記事は、いつも読み応えがあり楽しみにしています。また特にこれほどまでに、真剣に確信をもってバッチレメディをやっていらっしゃる方がいらっしゃった事を知り、勇気付けられました。ネイティブひろさんの音楽療法もそれまでの様々な霊性の体験からでてくるものがあり、興味深いです。仕事といえばいくら稼ぐかということが、重要視されるこの世の中ですが、中身のある本当の意味で良い仕事をされているなぁと思いました。miminetさんのバッチの記事は他の本で読むよりもわかりやすく、ためになりました。またオーラのこともわかりやすく書いてあり、面白い世界だなぁと思いました。夢馬さんは最近出てこないようですが、独特のかたり口がユニークです。けっこう画面の前で笑っていたりしています。おすすめ日記のほうにリンクしていますので、よろしかったらどうぞそちらもおたずねください。
2004.08.29
二、三日お休みしましたがブックマークの紹介のつづきです。●宮崎ますみ Mother`s Spirit女優宮崎ますみさんのHPです。宮崎さんが霊的な方向に志向があるのは知りませんでしたが、同級生が教えてくれて知りました。とても真剣に霊性を求めておられる様子が、信頼できます。記事では特にdiaryのところがお勧めです。体験から出た記事なでとても参考になります。●ガユーナ・セアロの支援サイト日本人でミャンマーの大僧正セアロの支援HPです。もともと料理人でありましたが、友達に薦められて気乗りしないままサイババのところに行きました。そしてサイババが目の前に来たとき、思わず「のこりの人生を人々のために役立つよう、私をつかってください」といってしまったそうです。左メニューの「平安への道・六十四編」と「セアロからのメッセージ」がお勧めです。●音楽家 林晶彦さんのホームページ林さんの音楽は、やむにやまれぬ本人の真実を求める気持ちから生まれたと思います。それが本当に奇跡的な純粋さと愛をもって、音にあらわされていると思います。この前久しぶりに聞いてみましたが、ハートが開かれるという体験を音楽を通して初めてしました。あまり知られていないかも知れませんが、イチオシです。
2004.08.22
●アートオブリビングシュリシュリ・ラビシャンカールのホームページです。スダルシャン・クリアという呼吸法や瞑想法を教えています。ストレスとネガティブな思考の関係、またそれを解消するにはどうしたらよいかなどを述べています。クリアはプラーナを増大させることで、ストレスを取り除き、軽減します。これも面白い体験がありました。去年アマチのダルシャンのボランティアをやって、燃え尽きてしまったせいか、ダルシャン後、家族に精神科の受診を薦められるほどの状態になってしまいました。そんな時に、ジュンク堂にいき、何気なくグルジの本を手に取ると、アジュナチャクラに猛烈な白光のエネルギーが流れ込んできました。なんだと思って、本を手に取りページを開くと、その時抱えていた状況に対する答えが書いてありました。しかもグルジがその講和わされた場所がアンマからもらった名前の場所と同じでした。それでこれはすてておけないぞと思って、本を買いました。グルジのいろいろな知恵の話は日常に適用できてわかりやすいものでした。本を持ち歩き、愛読していたある日のことでした。学校からの帰り西武線に乗り換えると、目の前にインドの女性が座っていました。それでなんとなくアマチに似ていたので、気になっていました。それで思い切ってアマチて知ってますかと、聞いたところ知っていますといいました。それでああ、アマチはやっぱり有名なんだなと思っていると、実は私はこれをやっていますといって、グルジの呼吸法の講座の案内をくれるではありませんか!!私はずっとその呼吸法を受けたいと思っていたので、びっくり。目の前に座った人が、まさにその講師だったのです。もちろん、その講座を受けました。●月刊シェアインターナショナルweb版マイトレーヤと覚者方の再臨を伝えるベンジャミン・クレーム氏のサイトです。私の精神世界を参照するときのベースがクレーム氏の著作で養われました。トップの光の十字架の写真は、西武池袋線ひばりが丘駅前の西友にあらわれているもので、マイトレーヤの顕現された奇跡のひとつです。うまく載せられないのが残念なのですが、こんどまた勉強しておきます。ここからキリスト・マイトレーヤのエネルギーが放射されています。まったくの日常の最中にこのようなものが現れていることが、また驚くべきことだと思っています。その3につづく
2004.08.18
今日は左のサブメニューのブックマークの紹介をしようと思います。●アンマ公式ページ日記にも登場したアンマ=マーター・アムリターナンダマイーの公式ページです。アンマはここ十数年毎年五月末ころに来日しています。その魂まで抱きしめるような抱擁に、多くの人が癒され、目覚めさせられています。2002年には国連のガンジー・キング平和賞を受賞され、その功績が世界的に評価されました。●カルキセンタージャパンインドのカルキのホームページです。マイトレーヤと覚者方の再臨を伝えているベンジャミン・クレーム氏によると、カルキはこれから公に人々の間で生活される覚者方のひとりだそうです。カルキは実際にディクシャを通して、人々に悟りを与えることを仕事とされているようです。私がカルキを知ったのは、アンマのダルシャンを初めて受けた年でした。アンマのことを知りたくて、ネットでいろいろ調べているとカルキのホームページに行き着きました。カルキの初期のころの帰依者の一人がアンマのダルシャンにいったときの体験談が、興味深く載っていました。私はカルキが本物の聖者かどうか深く考えていたときに、たまたま精神世界とはまったく関係のない営業の仕事で訪れた家にカルキの祭壇があって、印象深く思いったものでした。そして何かしら捨てて置けないものを感じました。いまは同級生がインドのコースに参加したことなどもあり、実際に変容をもたらし、悟りを与えてくれるカルキが少し身近になった気がします。次回はその2です。つづく
2004.08.17
合格してからも、疑い深い私はあまりにも物事がスムーズに進んだせいか、何か裏があるんじゃないかというような、思いもありました。しかしこの性格なんとかならないものですかね^^;入学式があり、そして授業が始まりました。そしてだんだん気づいていったことがありました。私は治療の場はプラーナやエネルギーが高いところでなければならないと思っていました。だけど受験のときはまるで、学校にそういったものを感じなかったのです。ところが二、三日たつにつれて、はっきりとこの学校特有のエネルギー、プラーナを感じることができました。目を閉じるとアジュナチャクラのあたりに入ってくるエネルギーによってもたらされる光が見えました。S先生の最初の授業がありました。最初は自己紹介をおのおのしてゆきました。S先生が高卒ですぐきた学生から、60を超えたおじさんまで、みな同じように、愛情深く言葉を返し、接していました。それは面白いけど心温まる光景でした。みな大人なのに、何か学生は母親の愛情を受ける子供のように見えました。私は阿弥陀さまか観音菩薩のようなエネルギーを発するS先生にうっとりとし、そのとき初めて「この学校に入学できてよかった」と疑いもなく思えました。そしてまだ習ってもいないのに、この学校独自の治療術を学んで、この道でいこうと決意したのでした。おそらくそう思わせたのも運命かもしれないし、S先生や偉大な先人たちの御徳だったのかもしれません。不思議なものです。たとえていうなら包み紙だけ見て、中のおいしい饅頭をすでに味わってしまったという感じでしょうか・・・。つたない文章でしたが、長い間お付き合いいただいてありがとうございました。一応今回でこの記事を終わります。最初自己紹介を兼ねてと思いましたが、思いもよらず長くなりました。読んでくださった方、書き込みをしてくださった方、本当にありがとうございました。
2004.08.15
さていよいよ二週間後が入学テストです。直前まで受験を決めていなかったので、対策らしい対策はしませんでした。漢字の書き取りの勉強をしたぐらいでした。あせりはあまりなく、そのままの自分で受けて、受かったらよし、受からなくてもよしという心境でした。さていよいよ試験当日です。駅を降りてまだひともまばらな商店街を歩いて、学校に向かって行きます。学校近くになると、スーツを着た人がいて何やら配っていました。なんだろうと思ってパンフなどをもらうと、それはア・マ・指学校にはいるための予備校の案内とでした。「へぇ~、こんなのあるんだ・・・」何も世間的な知識をもたなかったので、そういう専門学校があるのを知りませんでした。またこんな専門学校があるのなら、受験で受かるのは難しいのかなと、その時初めて思いました(汗さていよいよ試験が始まりました。国語と社会は、まぁまぁできたと思いました。生物は高校以来だったので、あまりわかりませんでした。午前中学科の試験が終わり、午後は面接です。9割方、スーツなどを着ている人がいたのは、このためだったのでした。私は就職でもないし、普段着でいけばいいやと思っていましたが、やっぱりこういうときってスーツを着て行くんですよね。面接は受験生三人一組で、面接官3人くらいから、質問を受けました。他の二人はいろいろ詳しく聞かれています。知り合いや、両親がこの学校の出身らしく、割と身内っぽい質問、会話でした。私はといえば、特に紹介をうけてわけでもないし、いきなりといえば、いきなり飛び込んできてしまったので、ありゃ、ちょっと場違いなのかなとも思いました。またS先生の学生を面談するときの真剣な様子に、「あぁ~、なんだか、結構、決意もなく簡単な気持ちで受験してしまった自分は、その場に不釣合いのように思えました。」で、いよいよ、私への質問です。S先生が「なぜ、この学校をしったの?」と聞いてきました。おぉ~、きたと思いました。この学校の受験の道筋がついたのは、アンマのおかげだと密かに思っていましたので、アンマのことを少し言いたい気持ちがありました。それで「アマチのところでボランティアをやっている人から聞きました」と答えました。S先生は何年くらいボランティアやっているのと聞いたので、「二年くらいです」といいました。で、私への質問は単純にそれで、終わりでした。受験が終わり、成績うんぬんよりも、S先生の真剣さを考えると、自分は真剣さとは程遠いい心境にいたので、これは落ちても仕方ないなと素直に思いました。4~5日後、郵送で合否の発表がきました。どうかな~、半分期待する気持ちもあるけど、落ちててもいいやという気持ちもありました。封をあけてみてみると、ナント合格じゃないですか!!おぉ~、うれしい~、アンマありがとう。そう思いました。また一方で勉強も、準備もしていなかったので、なんで受かるんだろうという疑問もありました。世の中不況ですし受験生少なくて経営苦しいからいれたのかなと、なぜかその時はそう思っていました。嬉しさ半分、いぶかしさ半分といったところでしょうか。その疑問は五ヶ月後、入学して最初の授業でS先生の授業を受けるまで、とけませんでした。しかしそれは私の思い込みというものだと、わかるようになりました。入学すると、まさに運命を感じたとかいうしかないくらいの印象をS先生から受けたのでした。つづく
2004.08.14
アマチのダルシャンの後から、治療師になっても良いのだなという思いが生まれた。が、しかし実際に学校に入学したのは、それから二年後である。ダルシャンの後も、カルマというのでしょうか、なかなか人生に展望がひらけず焦りを感じていました。しかし幸運なことに、その後その当時アマチのセンターの運営を中心にやっている人と縁が合って、バイトなどもいっしょにするようになりました。私にとってこのことは大変ありがたかったです。アンマに深く帰依している人たちと一緒に仕事をすることは、アンマのエネルギーの一部を感じることができましたし、何よりもいっしょにいるだけで意識状態がかわり、幸福なこころが出てきました。人間、へたしたら、何年もひとつの暗い想念にとらわれてしまいますが、そういう想念からひとときでも抜け出すきっかけを作ってくれたと思います。いまでもその人たちには大変感謝し、また尊敬しています。そんな生活をしばらくしていた時、仲間の一人が「○○学」という講座が無料で開かれているので、受けてみないかと誘ってくれました。それは台湾出身で、アメリカで開業している医師が考えたエネルギーヒーリングの講座でした。レイキと同じようなものだとその時は思いました。私はレイキは白光真宏会の五井昌久さんに、おなかにいる時から、お清めをうけていた人から伝授されました。この方もアンマのところで知り合いましたが、一目で霊能者とわかるような特徴を備えていた人でした。しかしそのレイキのほうはエネルギー的なものはものすごいと感じましたが、どうもご多分にふれず、それで生計を立てようとしていたようで、何か純粋性や志に共感できるものがありませんでした。また宇宙最高のエネルギーといわれても、それは違うという認識があったので、ついていくことができませんでした。アストラルエネルギーを使う人の中には、悪気はないのでしょうが、勘違いをしている人も多く、このあたりが、いわゆるニューエイジとかレイキとかについてゆけなかった所以でもあります。レイキについては、それはいったい本質はどのようなものだろうと考えていたときに、書店でぱっと開いた本の中に、たまたまレイキについて、書かれていました。私の場合、ずっーとひとつの物事を考えていて、書店でぱっと開いた本のそのページに答えが書いてあるということが、何回かあって、自分ではそれを疑問に対する答えだとしています。「レイキはアストラル界の最上位からのエネルギーで、第一イニシエーションにいきつくまでは有用であるが、それ以降は必要ない」との答えだったと思います。「○○学」の講座は、台湾より講師の方がきてやっていました。三日間で、一日三時間のコースが初級コースだったと思いますが、話や治療の仕方の講義があって、そのあと講師の人にチャクラを開いてもらうものでした。講師の方々はみな奉仕の心にあふれて、大変熱心に指導してくださいました。また古きよき日本の時代というか、欲がなく、礼節をわきまえ、こころの暖かさと謙虚さを備えた人たちでした。私はそのコースを受けて大変感銘を受けて、個人的にはあまりお話をしませんでしたが、講師の方々に感謝し、終わりには、静かに涙を流していました。このコースが終わった後、私はこういう道もあるのだなと思いました。職業としなくても、無料の奉仕として一生ヒーリングを続けていくという道も・・・。それで実はそのころ学校の受験も迫っていたのですが、もう学校へは入学しなくてもいいかなぁとふっきれた気持ちになりました。学校には大変行きたかったのですが、学費の工面もできず、希望はありましたが、あきらめの気持ちもありました。ところがこのコース受けてからはそういった執着というか思いがさらっとなくなりました。台湾の講師の方のように、謙虚に奉仕心をもって道を進んでいけばいいと自然に思うようになりました。それでその日に家に帰ると、母親が「学校は受験しないの?」と聞いてきました。私が学校まで願書をもらいにいっていたのをしっていたのでした。また学費のことで頭を悩ませているのことも知っていました。母は「受けるだけ受けてみなさい。受かったら、それはその時で考えたらいい」と言ってくれました。私は言わなくても自分のことを考えてくれていた母心に大変感動しました。それで母親のそういった後押しがあるのなら、ありがたく受けてみようと思ったのでした。この日は思い出深い日でした。純粋に治療したいという気持ちが芽生えたのと同時に、母親の後押しで現実への道筋がついた日でした。
2004.08.13
「アマチのダルシャン3」アンマは毎年非常に思いで深い経験を残して日本を去って行く。私の尊敬するアンマの帰依者たちは、アンマのためのセヴァ(ボランティア)ができるということに、恩寵と喜びを体験している。そういった人たちはアンマとの特別な思い出を胸に秘めているようだ。私などはまだまだ信仰心が足らないので、とてもアンマのことを語れるものではないが、この記事の締めくくりに最初の年の体験だけ書いておこうと思う。結局その年のダルシャンは全日程参加できた。最終日はデーヴィーヴァーバダルシャンといって、アンマがデーヴィー=女神を顕現する特別なものだった。アンマは帰依者の要望に答えて、デーヴィーの衣装を着て、さらに普段よりわかりやすいように女神のエネルギーを顕わします。この最後のダルシャンまで、私はたぶんアンマにすら心を開いていなかったと思います。この後日本を去ってしまうという悲しみはありましたが。そしてとうとう最後のダルシャンを受ける順番になりました。私は固まった心身の緊張をとれずに、最後のダルシャンを受けていました。そしてその時です。予期しないことが起こったのは。丸く縮こまっているこころをポーンと暖かくアンマがたたいたのでした。たたいたと言っても実際こころは触れないですが、そう実感したのです。そして心を開けない自分を、アンマが知っていらっしゃるということと、そしてそれをそのまま受け入れてくださっているということに突然気がついたのでした。私は初めてそのとき素直にアンマに「ありがとう」と言っていました。手を合掌してそういったのですが、アンマはそのことを見越していたように、絶妙のタイミングでその手にキスをしてくれました。それからもう、おわかりでしょう。一気にアンマが大好きになって、ただそばにいたいという思いだけが起こってきました。その様子を見ていたスタッフの人が、何が起こったか理解するように、舞台の上に残ってアンマの側にいるように言ってくれました。私は歓喜を感じながらアンマのそばで、その輝く横顔を見ていました。そうするとどうでしょう!その神々しく喜びと愛に輝く瞳で、一瞥をくださりました。私は神ご自身に触れられたように、喜びと恍惚を感じました。ダルシャン編はこれでおわり
2004.08.09
「アマチのダルシャン2」二日目の日曜日は朝から会場にいくことにした。前日インド占星術なるものをやっているのがわかったので、見てもらおうと思った。仕事もやめてしまっていたので、これからどうするか途方にくれていたからである。この占星術を見てもらうのは希望者が多いので、抽選制になっている。アンマが入場した後、しばらくして抽選があった。「アンマの恩寵があれば、必要なとき必要な人がくじに当たる」というようなことを回りの人が言っていた。それを聞いて私は祈るような気持ちでくじを引いたが、結果は見事はずれでした。「あぁ~、困っているのに助けてもらえなかったな」という気持ちで、私は落胆しながら自分の席に戻った。そして数メートル先に見えるアンマの姿を見ていた。そうすると横から肩をたたく人がいた。誰かなと振り向くと、占星術の抽選をしていたスタッフの人だった。そのスタッフの人はなんと、自分が当たった鑑定の枠をくれるというのだった。実は僕はそのスタッフの人も自分の鑑定の枠を取るために抽選に加わったのを見て、「えっ!スタッフだし、以前も鑑定受けたと言っているし、これだけ希望者がいるから遠慮すりゃいいじゃん」と心の中で密かに思っていました。が、なんとその人が自分の枠をくれると言ってくれたので、なんだかそう思ったことが恥ずかしくなってしまいました。アンマにこころの中でお礼をし、またさっき思ったことを恥ずかしく思いながらも、鑑定しているスペースに向かった。鑑定はアンマのダルシャンがスタートしてから始まるという。せっかくの機会だからある程度見てもらいたいことを考えておくべきだったが、何か幼稚園前の子供のような思考、情緒状態だったので、何も考えることができなかった。そしてそのままの状態で、いよいよ鑑定師の前に座った。鑑定する人はカナダ人のプラサナンという人で、アンマを知ってから家族でインドのアシュラムに移り住んだ方だった。結婚しているので出家はできないが、出家者と同じような生活や修行をしているそうだ。私は何も質問も浮かばず、自分の生年月日と生誕地の情報をプラサナン氏に渡した。氏はパソコンにデータを打ち込み、ホロスコープを作っていった。が、う~と、うなったまま何か考えていた。「えっ、何かあるのかな」と思ったが、氏は人生で起きた主要な出来事について聞いてきた。どうやらアセンダントの星座がおうし座とふたご座の間でぎりぎりどっちかという微妙な位置だったようで、人生に起きた出来事から、その正確な位置を調整していったようでした。さていよいよ僕のチャートができた。そして開口一番プラサナン氏はこういった。「あなたに向いている仕事は霊気や針、指圧、マッサージといった治療の仕事です。」僕はおぉぉぉと思った。なぜなら一番聞きたいことが、そのことだったからである。氏は質問する前に一番の疑問に答えてくれた。しかも向いている仕事は、自分が心の中で一番やりたいと思っていたものではないですか!僕はこのアドバイスのおかげで、自分に許可を与えることができた。というのも、治療の仕事に興味はあったが、こころの底では自分が治療をしたら人を傷つけてしまうのではないかというおそれがあったのだ。なんというか、こころの中に抑圧されたマイナスの感情があって、それが患者さんに悪影響を与えるのではないかと思って、自分は治療をしてはいけないのではないかという思いがあったのだ。このアドバイスはありがたかった。自分としてはアンマからこの言葉をもらったと思って、治療の仕事をいつか自分の天職としようと思った。つづく
2004.08.07
「アマチのダルシャン1」たぶん1999年のことだったと思う。初めてアマチのダルシャンに行った。自分にとってはインドやインドの聖者についてもそれほど関心はなかった。しかし予想に反して、アマチは心に大きな贈り物を残してくれた。ダルシャンの初日は、あのチラシのアンマの輝くようなスマイルとは反対に、なんだか苦痛や不便さを感じながら始まった。場所はよみうりランドのホールで小さな山の中にあった。初日、土曜の午後に会場につくと既に列が作られ、多くの人が並んでいた。入場まではしばらく時間があり、コンクリートの上に薄い敷物だけで座っているのはつらかった。会場に入場するとまたもや狭い場所に、不機嫌なスタッフに案内されて、なんかやっぱり帰ろうかなとも思った。そしていよいよお目当てのアマチの入場だ!!どんな人かなと思ったが、どう見ても普通の人だった。あまり感じるものがない・・・。何が始まるのかなと思っていたら、いきなりインド風の音楽を演奏し始めた。「うげげ、こんなの興味ないぞ、つまんないや・・・。ああ~、はやく終わらないかな」情けないことに、アンマを最初に生で見たときの印象はこんな感じだった。私のイラツキは高まってゆき、とうとうインド風音楽(これは本当はバジャンといって、神様などのことを歌ったインドの信仰の音楽のことです。)の途中で会場を出ていってしまいました。バジャンが歌われている扉一枚隔てた外で、私はイラツキのタバコを一服吸っていた。はぁ~、どうしたものかと思っていると、会場係りのスタッフが「中に入ってください。瞑想が始まります」というのでした。私は瞑想なら何か神聖さを感じるかも知れないと思って、中に入り一緒に瞑想した。しかしタバコを吸って瞑想とは我ながらあきれたものだ。瞑想は15分もなかったと思うが、またしても私は腰が痛くてイラツキはじめた。うぅっ、はやく終わらないかなと思っていると、やっと終わった。私は平安の気持ちよりも、苦痛から開放されたことで、ほっとしていた。会場の雰囲気がおもむろに、何か暖かいものに変わった。アマチがダルシャンを始めたのだった。ダルシャンとはもともと聖者が帰依者に謁見するというような意味だと思うが、アマチは来場者一人一人を抱きしめていた。最初の人が抱きしめられ、二人、三人と続くと、私は不意に涙を押さえられなくなった。アンマが一人一人を愛情をもって抱きしめる様子に、心を打たれたのだった。輝く笑顔、愛情深い眼差し、そういったものにこころをすべて奪われてしまった。この日は他人が抱きしめられる様子を見て、ほとんどの間泣いて見ていた。なんだか泣きたいのを我慢していたことに、泣くきっかけを与えてもらったみたいに、よく泣いた。さていよいよ自分の番が近くなってきた。アンマの輝く顔が美しい。が、私はなかなか人を信用できない人間のようで、アンマの近くに行くにつれて、次第に身を硬くしていったと思う。そして硬くなったまま、心を開かずにダルシャンを受けた。最後にアンマが額にサンダルウッドのペーストをつけてくれた。何の意味があるのかわからなかったが、何か私は心の中から例えようもない幸福感が沸いてくるのを感じていた。何かがあったから、嬉しいとかそういうのじゃなくて、この自然に心から湧き上がってくるものは、何だろう。そう思いながら帰りの道についた。帰りのバスや電車の中、そして家に帰ってまでも、その湧き上がる幸福感は続いた。おまけに何か活力が沸き、アナハタチャクラ、ちょうど心臓のあたりから、太いエネルギーが出たり入ったりするのを感じた。何か悲しみや苦しみで詰まった胸を、アンマのエネルギーが浄化し、活力を与えてくれているようだった。そんなことははじめての体験だったので、私はアンマに心を開いていないながらも、また次の日も会場にいくことにした。何か人生のヒントやこれからの方向性を与えてもらおうと思っていたのだった。つづく。次回は会場でインド占星術の鑑定を受けたことについて、書こうかなと思っています。
2004.08.06
京都には二年くらいいましたが、その後事情があって東京の実家に戻りました。しばらくF先生のもとで行を続けることもできましたが、半分逃げるように戻ってきました。その後の二年間は慣れない仕事で大変疲れました。家でぶらぶらしている自分をみて、見かねた親戚が植木屋を紹介してくれたのですが、それまで瞑想ばっかりやっていたので、かなりきつかったです。結局これも二年ぐらいで半分ノイローゼのようになって突然辞めました。やっばりがまんしながらのきつすぎる仕事て良くないですよ。仕事を辞めてまた呆然とした悩みの日々を送っていたのですが、捨てる神あれば拾う神があるもので、今生でほんと宝くじがあたったくらい嬉しい出来事がありました。それが聖母アンマ(マーター・アムリターナンダマイー)を知ったことでした。そしてそれから少しずつ今の道へ導いてもらったようです。東京に戻ってからというものの、精神的な支えや実践として伝導瞑想をやり、クレーム氏の著作を読んでいました。またF先生から薦められた五井昌久先生の著書をよく読んでいました。(F先生は人の気質をみて、それぞれ色々な指導や精神的な伝統を教えていました)それでもって自分はクレーム氏の教えや伝導瞑想以外には、他のものには手を出さないように決めていました。というのはこの世界あまりにも情報が多すぎて、回り道をしてはいけないと思っていたのと、いわゆるニューエイジとかアストラル界の情報を真実のものと考える人々とはどうも感覚が合わないようだったからです。そんな状況でしたから、クレーム氏の講演会のあと、たまたまもらったアマチ来日のチラシもなんだろうなぁ~という気持ちくらいで、カバンにしまいこみました。ところが家に帰ってそのチラシをみると、どうしてもそのダルシャンなるものにいきたくなったのです。チラシのアンマの微笑が、非常に魅力的で美しかったからです。そう思ったのは自分にとっては珍しい出来事でした。次回はダルシャンにいったことや、占星術を受けてみたことなど書こうと思います。つづく
2004.08.03
毎日暑いですね。治療師になろうと思ったきっかけを書いてみようとおもったのですが、今回で4回目になってしまいました。なかなか核心のところまで行き着かないのですが、よろしかったらお付き合いください。今日も京都時代の続きです。F先生のところでは滝行もそうですが、それと並行して伝導瞑想を一緒にさせてもらっていました。これはマイトレーヤと覚者の再臨を伝えるイギリスのベンジャミン・クレーム氏が薦める瞑想法で、ラヤヨーガとカルマヨーガを兼ねるものだと氏は言われています。覚者方のエネルギーはそのままでは、強力過ぎて人類に対して使えないので、瞑想者を通してエネルギーを変換し、それを貯蔵庫にプールし、必要なときに人類を刺激したり方向付けたりするために使うそうです。今もプラーナと学校では言っていますが、それがわかったのはこの瞑想がきっかけでした。あるとき5人くらいで滝行にいった帰り、自分が車を運転してたのですが、その帰り道に急に前後不覚というか、現実感覚が急になくなってきたんです。それで半分パニックになってなんとか事務所まで帰ったのですが、どうもなかなか意識と身体感覚が通常に戻りません。その時初めて伝導瞑想に使うマントラを教えてもらったのですが、それを唱えるとなんだか生気が戻って落ち着いてきたのです。不思議なこともあるものだなと思いましたが、それはマントラがエネルギーを喚起するという初めての体験でした。ちなみに伝導瞑想は奉仕したいと願う人が行うそうで、こういった入り方興味の持ち方はちょっと本来の筋からいうと外れていますが、その後一時期は週5日伝導瞑想をするようになりました。伝導瞑想をしていると、副産物として覚者方から送られてくるエネルギーに次第に敏感になってくることがあります。あるときF先生がクレーム氏の書いたリトグラフ(個人で瞑想するときに助けとなる絵画)を伝導瞑想している部屋に持ってきたときには、初めて霊光のようなものがわかりました。絵を部屋に持ち込んだとき、部屋全体が柔らかい明晰な光でいっぱいになりました。そんなことは予測もしていなかったのですが、確かにそのようなことが起こりました。F先生のところでは修行としていろいろ体験させてもらいましたが、こころのこと以外にもそういったエネルギーや霊的な感覚への感受性を高める結果にもなったようです。また聖母アマチを知ることや、いまの学校に縁があることなども、前もって予見されていたようです。その当時盛んに言われていたことや指導されていたことの意味がわからなかったのですが、今になってみると理解できてきたように思います。つづく・・・
2004.08.02
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