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vijayさんのページに印象的な絵がトップにある。レーリッヒというロシア人の絵だ。とても気に入ったのでネットでいろいろ調べてみた。おぉ~、こりゃ面白い。どうやらレーリッヒは画家であると同時に神秘家でもあったらしい。サンクト・ペテルスブルク生まれらしいが、チベットやヒマラヤ、インド、エジプトなどに関係する絵、キリストやモハメッド、さらには役の行者の絵などを書いている。●印象的な青年代にもよるが青が印象的な絵が多くあります。私は青が好きですが、レーリッヒの青は瞑想的、沈着的な感じがあって、シャガールの青よりもこちらのほうが好みですね。★Invocation New Moon★Star of the Hero●スーパー・ヒーローたち絵のテーマの人物に霊性のスーパーヒーローたちがたくさんいる。仏陀をはじめ★Buddha the Conquerorキリストや★Signs of Christクリシュナ★Krishnaモハメッド★Mohammed on Mount Hiraパドマサンババ★Padma Sambhava老子★Lao Tze果てはなんと、役の行者まである★En-no-Gyoja, the Friend of the Travelersしかし老子や役の行者までしっていたとは、いったいレーリッヒとはどんな人物だったのだろうか。不思議な感じがする。他にもシャンバラに関するものがあったり★Path to Shambhala★The March of Shambhalaヒマラヤの絵は何十枚もありますね。★Tempera on board新しい興味ができて、楽しみです。本でも読んでみたいな。Nicholas Roerich(1874-1947)ロシアNicholas Roerich Museum (New York)
2004.12.31
おとといシェアインターナショナルの更新を紹介しましたが、さらによくみると驚くべきことが書かれていました。「華氏911」の元となったというグレグ・パラスト氏へのインタビューが載っています。●共和党員が民主党支持の黒人層の人々を 選挙人名簿から削除した。(投票権がなくなるということ)●民主党支持層であるネイティブアメリカンに仮の投票用紙が わたされた。しかしそれを投票したとしても、 おそらく票として集計されなかった。●オハイオ州の票の集計の責任者はブラックウェル氏という、 ブッシュ政権の宣伝担当者で、 黒人の20万票の票が差し押さえられ、 無効になってしまった。●フロリダではブッシュの兄弟が票の集計に関わっていた。 そして何十万の人々が選挙人名簿から削除されてしまった。●etcしかしひどいものですね。ブッシュさん神は見てますゾ。シェア・インターナショナル=国連公共部門登録NGO
2004.12.27
左のリンクのシェア・インターナショナル・ウェブ版が更新されました。12月号の記事が載っています。●さまようアメリカ(覚者より)ポイント↓・大統領選挙では、多数の 盗まれた票 があった。・アメリカ政府の負債を処理するために、 国民の生活水準が下がる・ドルの価値が下がる・アメリカ政府は神の恩寵と鼓舞のもとに世界の悪と戦っている という グラマー(幻想) に取りつかれている・アメリカは大きく後戻りした。本当の危急の問題は自然環境 問題である・アメリカが協力しようがしまいが、諸国は自然環境問題、 社会問題に取り組むだろう・アメリカは取り残され、世界諸国に 無視 されていることに気づくだろう・それに気づいてはじめて、アメリカは本当に世界のために なることの先導役を果たそうとするだろう
2004.12.25
開業するにあたって、脊椎の矯正くらいできなくちゃいけないなぁ~と最近思っていた。それでいろいろ技術というか、そういうものを練習しなきゃとあせっていました。だけど矯正というものは相手が信頼していれば自然にその動作、形にもっていったときにできてしまうということを改めて体験した。S先生の授業のことは前回書きましたが、その授業の前に私は矯正がうまくできないことについて悩んでいました。そしてその悩みに対する答えを今回もいただけました。不思議なもので毎回、悩みやいきづまりがあると、S先生には何も言っていないのに、その答えをくれるから不思議というかありがたいというか、いつもそう思います。今回も話の流れは忘れてしまいましたが、矯正の話になりました。そしてまずプラーナで組織を緩めて、それから矯正の形にもってゆけば力を加えなくても骨の転移がもどることを体験しました。S先生はその実演のとき、くしくも私を前に呼び、そして私に矯正をかけてデモストレーションしました。そして患者の後ろから膝頭で脊椎を矯正する方法があるのですが、矯正動作にはいるまえに、すでに形をつくった点で、私の脊椎の詰まっているところが鳴り、つまりが取れました。首の矯正もしかり・・・。力を加える以前で既に私の捻じれた頚椎が、ぽきりといって矯正されました。そりゃそうでしょう!母性や慈愛を表す人の前に行ったら、信頼というか幸せというか、そういう気持ちで身をゆだねてしまいます。そんな気持ちになったときには、既に力とか技術を超えて治療がなりたってしまうようです。私が矯正の練習相手はうちの母です。相手というよりも、まぁ年ですからいろいろ痛いところやつらいところがあるものですから、それを緩和しようと思って治療をします。だいたいプラーナで体をゆるめてから、最後に矯正をするのですが、全然矯正ができなかったころも、練習させてもらいました。あるとき突然できるようになって、嬉しかったのですが、その時矯正受けるときて、怖くない?と聞いたところ、信頼しているから大丈夫だといいました。しかし母というものは偉大ですね。素人の息子相手に矯正かけられても、信頼できるのですから。今日はそのことも思い出しました。少し矯正がうまくなった一つの要因は、この母の信頼感でもあるのでした。ありがたいものです。
2004.12.10
今日久しぶりにS先生の授業がありました。一応一学期で正式な授業は終わったのだが、学生の要望に答えて、やってくださいました。しかし実技といってもこの日は、お話と開校50周年記念の冊子に載せる写真の撮影だけだった。でもS先生の授業は実技はなくとも、その時に必要とされていることを教えてもらったり、たくさんのプラーナと愛をいただけるので、ほんとうに顔を見れるだけでも大変幸せに思う。開業にあたって不安もあったが、こうやりなさい!という方向性を示してもらいました。普通開業というと金銭や場所など、いろいろな条件を整えないと無理だと思ってしまいますが、ところがどっこい、やっぱハートが大切なんだなと思いました。卒業生ではほんとハートで開業して、多くの患者さんがくる人も何人もいます。感謝や愛、ありがたいと思う気持ち、技術以上に得られたのは、実はそういう心だったかもしれません。卒業生が開業した話が二つありました。ひとつは女性の方で寝たきりの父親を介護しながら、そこで治療院を開かれた方の話でした。横に寝たきり父さんの簡易トイレがおいてあるにもかかわらず、それにもかまわず、「先生治療してください!」という人がひきもきらず訪れるそうです。環境という面では不利な状況だと考えられますが、そこに患者さんをひきつけるものはやはり、学園で教えていただいた「学園の心」「開祖の心」だと思います。もう一人は男性の方で田舎で開業したそうですが、歩けない人を治療したら歩けるようになってしまって、なんとその人は農作業までできるようになってしまったそうです。それで評判が評判を呼び、一日最高160人の患者さんを治療したそうです。その方はとにかく治療のときはまっすぐで、一生懸命やるタイプの人だそうです。数十年前は一週間の講習で、みな治療家の道を歩み始めたといいますが、その当時は開祖J法師が生きておられたころで、J法師はS先生も言っていましたが、神に選ばれた人間だといっていました。まぁ、偉いとかそういう意味ではなく、戦後貧しい時代に、多くの人の健康や命を救うために、そして現在でも脈々と受け継がれている「霊肉一体の救済法」である療術を人類にもたらすために、転生されたのだと私も思います。J法師は一週間という間で、目に見える技術も伝えたでしょうが、プラーナというか目に見えない徳やこころを伝授されていたのだなと想像します。J法師は皇室の治療を請負い、女官に治療法を教えたり、鳩山一郎総理が、治療を求めたことでも知られます。総理の方はいついつに来てくれと、頼まれたそうですが、もし今晩くるなら治療するといったそうです。というのは翌日から北海道に講習、治療にいく予定で、たくさんの苦しむ人たちが待っていたからです。J法師は名声よりも、人々に奉仕するという道におられた方でした。法師は自分の寿命をしっており、ぴったりその時刻になくなるまでに、多くの人助けをし、そして類まれな治療法を残されました。そんなこんなでいろいろなお話を聞き、大変幸福感につつまれた有意義な授業になりました。そしていくつか個人的に印象的だったこともあったのですが、その中でも一番印象的だったのがS先生のまなざしでした。このまなざしは本当に至福にいざなってくれます。慈愛というかなんというか・・・。少しちらっと目を見てくださるのですが、(おそらく意識してはいないでしょうが)その目は聖母アマチと同じものがあるのです。初めてそのまなざしを受けたとき、あれっと思いました。アマチと同じですから。アマチのデーヴィー・ヴァーバという女神を顕現するダルシャンの時の輝く瞳は、それに見つめられると本当に至福を感じます。それだけで神秘体験をする人もいるくらいです。S先生のまなざしは、それとおなじものがあるのです。「母なる愛と光」というものでしょうか。私はS先生のこのまなざしで大変癒されました。S先生にとって授業はアマチのダルシャンと同じものなのかも知れません。アマチは大聖者ですけど、S先生は普通の悩みも苦しみもあるおばあさんですけど、授業では惜しみなくすべてのものを与えてくださいます。クラスメイトでアマチのダルシャンにいったことがある人に、以前先生の授業を受けながら、まるでアマチのダルシャンだねといったら、本当におなじだねといっていました。ひとりひとりをかわるがわる呼び、頚椎の矯正を教える姿はほんとうにアマチを彷彿とさせました。そして不思議なことにまた別の日の授業では、アマチの身につけているアロマの香りがふわっ~とにおったりしてきました。S先生はサイババの受け入れられた帰依者で、サイババの作った釈迦像建立の法要にいかれたり、また自宅でもビブーティーやその他の物質化現象があった人です。S先生はそれで神は偏在する、阿弥陀如来はいつでも自分を守ってくれていると、信じるようになったようです。サイババとアマチ、違う聖者じゃないか?と思うかも知れませんが、先生の授業を受けているとお二人の大聖は同じ「神や愛」という源からやってこられて、それぞれのお仕事をされているように思えてなりません。我が学園で学べるのは技術じゃなくて、そういった心なのかなと思いました。まぁこんなことをいう人はいないし、入学案内にも「愛」が体験できますなんて書いてませんけど、大切なのはハートなんだなと思いました。僕もそのハートを治療で少しでも顕現できるようにとこころがけたいです。(内緒で・・・)
2004.12.04
今日あったいくつかの出来事について書いてみたい。読み直すと、途中で熱くなっているのでまとまりがなくなっているけど、よかったらお付き合いください。夕方駆け足で学校に急ぐところ、何かのアンケートをやっていた。通りすぎたところだったが、ボードを見るとイラク派兵についてのアンケートをとっていた。主催が「市民の~」というところで、市民が政治に意見を届けるための勉強、活動をしているグループのようだった。ホワイトボードに賛成、反対、その他の欄がもうけてあり、そこに自分の意見を書いて付箋をはっていくようになっていた。集計した結果は首相官邸に届けるとのことでした。私は派兵延長に反対のところに一票をいれました。もともとイラクへの攻撃は正当性もない、ブッシュやその背後の保守層が自分たちの現状の権益を守るために起こしたものだと思っているからだ。9.11事件もビン・ラディンもまた核兵器をつくっているというのもすべて戦争を起こすための口実にすぎないと思っている。また日本の自衛隊がやっているという給水活動も考えものだ。店で100円とか200円で買える水をわざわざ、一万とか二万とかのコストをかけてつくっているというバカげたことをしていると以前ニュースで見た。前線で派兵されている人は、使命感をもって人々のために働いている自衛官の方もいるだろうが、不当な戦争をはじめたブッシュに従う形で国民の意見を無視した決定は、政治も末期状況というしかないと思う。政治の意志決定に何が反映されるべきか?それはほんとうに一般市民の素朴な善意や助け合いの心であるべきだと思う。そしてそれが世界を平和に導くと思う。もうひとつは帰りのJR池袋駅での出来事だ。ガラガラと音が後ろでしたので、振り返るとホームに傘が二本落ちているではないか。何だろうと思ってみていると、車両からホームレスらしき人が、ホームにひきずりおろされていた。電車の中で温まっていたのだろうか?だが通報があったようで駅員に罵声を浴びかけられながら、ひきずりおろされた。私はこの光景をみて悲しい気持ちにおそわれた。足があまり自由でない老人が、駅員にけなされながら引っ張り出される・・・。いくら他人に迷惑がかかるからといって、そのような人を尊重しないような方法で対処するのはいかがなものだろうか・・・。私はそれ以上そのホームレスがそのような仕打ちを受けないよう、そばで駅員の様子を見ていた。あまりひどいことになりそうものなら、キレていたと思う。話を聞いているとそのホームレスは切符を持たないで電車に乗ったりすることが以前も一回か二回か知らないが、駅員の話だとあったようだ。また売店からジュースを盗んだりもしたそうだ。だけど駅員はホームレスをコイツ呼ばわりしたり、抵抗しないこの人をひきずりおろすのをみるのは、悲しいことだった。私は非常に気になりながら、階段を降りてくるそのホームレスを見ていた。そして一足先に階段を降り、財布から千円札を出し、再び階段途中にいるホームレスの方のもとに向った。盗むくらいに食べるもの飲むものがないのなら、少しでも役に立ちたいと思った。「何もできないですけど」といって折りたたんだ千円札を渡すと、「いや、いいですから」といったんは感じよく断られたが、もらってほしかったので差し出すと「ありがとう」といって受け取った。いいことをしたとは思わないが、社会にはいろいろな事情があって働けなかったり、落伍した人もいるのだから、できることはしないといけない。落伍という言葉があること自体も、背後に競争ということやその人自身であるということを否定する意味が含まれているようで、悲しいものだ。私はひきずりおろした駅員よりもこまホームレスの方に同胞としての愛を感じた。がんばって働け!という意見もあるかもしれない。だけど私自身この競争社会を信用していない。人が人のために働く社会じゃないよね。いまの資本主義経済は。あくまでも競争に基づいている。おもいやりや、いのちを生かすという法則に従っていない。またマイトレーヤの言葉で申し訳ないかもしれないけど、第二次世界大戦で顕現された悪のエネルギーは、戦争が終結されると別の場所に居所を求めたといいます。それがどこか?というと、この我々の資本主義経済の中だといいます。分割的、競争的、そしていま自分たちの享受している快適さ、過剰な欲望の充足を守るために、他人に勝とうとしたり、はては搾取する・・・。こんな世界は信用できない。経済効率でいのちをすり減らしたり、もっとも基本的な人権さえ尊重されない世界はごめんだ。僕は政治家にはならないし、能力もない。だけどこうして、いうべきことは言わなければいけないと思う。またこの世の中を変える期待も持っている。それはやはり世界大師や覚者、聖者の存在に希望を託している。もはや人間だけの力ではどうしようもないところまで来ていると思う。この文明は。一人一人の心の状態が大切、そしてそれが世界を平和にするというのも、信じよう。だけどこれは本当に悟った人が一人でも増えたらだと思う。だけどちまたでいうプラス思考なんていうのは、おもちゃみたいなもの。世界は変えられないし、プラス思考自体矛盾をはらんでいる。自分の心に最初はうそをつけるかも知れないけど、だけどそれは破綻する。ゴミをカーペットの下に隠してもやがてそれは悪臭を放って、絶えがたいものになる。そうすると悟りしかない。悟りといってもいろんな段階があると思う。覚者までの道は遥か遠いいが、最初の段階の悟りに近づいている人が、数百万いまの時代にいる。その人たちが壁を超えたら、少しづつ世の中は変わっていくだろう。もちろんその壁を昔に超えて人類にさまざまな智慧や技術をもたらしたり、人々を支え奉仕した人は過去にもあまたいるし、いま現在もいる。また目立たなくても普通に暮らしていて、拝みたくなるような魂をもった人もいる。精神世界のガラクタや娯楽はいらない。競争社会もいらない、保守的、自己利益を守るくそったれの政治家もいらない。だけど我々の普通の善意、おもいやりは必要だ!そして神々や聖者、覚者はそういった側についていると私は思う。
2004.12.01
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