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文春「髪形も偽造 姉歯一級建築士」。うーむ、うまいな。かなりヤバいですよね。なんかこう浦島太郎的な、私は誰?みたいな。新興宗教的な匂いもしたりして。村井?刺されちゃうんじゃないか…。で、男がヅラをかぶるとき、の話です。わからんのだなこれが。夫は、女が豊胸手術をするのと同じだと言うけれど、そうかな。違うだろう。女の場合、オッパイがでかいかどうかは、かなり早い段階で発覚する。けど、ハゲの場合、結果が出るのはずいぶんと遅い。しばらく大人の男としてのキャリアを重ねた後に、だんだんと頭頂部に心細い気配が発生し、「そんなはずはない」と納得のいかない日々をいたずらに過ごしつつ、取り返しのつかない事態に至る。その時点で、自分の思い描く自分との乖離がすすむわけね。どうにもこうにもそれを受け入れられない。女のオッパイは武器だもの。年齢経過と関係ない。明確な自己認識の元に成り立っている。問題は、ヅラをつくる間のプロセスなんだよね。言ってはナンだが、ヅラ(に限らず、すでにないものをあるように見せかけるためのツール)を創るのには、大変な労力がいる。お金もヒマも。女はそれを待てるわけ。自分を美しく見せるためなら。それが女の使命だから。しかし、男が、そういった途方もない時間と金を使って、待ちに待ったヅラを創り、かぶる、といったような構図が、どうにもこうにも理解できないんです。そういや来年、モト冬樹主演の「ヅラデカ」という映画が公開されると聞いた。秀作「アメリ」を紹介し、「エビ(だった?)レスラー」「コアラ課長(未公開ホラー)」をはじめ、数々の話題作を投じてきた金井さんによる期待大のプロデュース作。顔のデカイ男の話かと思ったら、ヅラの刑事のことだった。さらにベタなタイトルだ。ヅラということで、犯人を不安に陥れるのが彼のテクニックだそうな。しかも、万が一のときは、モトヅラッガーという武器(ただ自分のヅラを投げつけるだけらしい)で、相手を倒す。私が嬉々としてこの情報を解説すると、誰もがどん引く。姉歯建築士も、そのくらいの男気がほしい。いや、ほかのヅラビトたちも、そのくらいの度胸があれば「ハゲ」がセクハラだなんて世間の風潮ものともしないだろう。いざというときヒューザーの小嶋にぶっつけてやればいい。弁解の席で、女子大生の娘にヅラのヅレを指摘されてるようじゃ、あんまり情けないじゃないの。
2005.11.25
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「ALWAYS 三丁目の夕日」。こういう映画の見方もアリかな。ありがちなストーリーで、登場人物もまさにステレオタイプのオンパレードで、なんの驚きもないんだけど、とにかく、時代そのものが圧倒的な力で映像化されてる。見た後に話が尽きないんだ、これが。我が家にテレビが来たのはいつか、から始まって、洗濯機はどこに置いてあったか、氷の冷蔵庫はあったかなかったか、納豆売りはいたか、テレビで何を見ていたか、ラジオで何を聞いていたか…。映像が完璧だから、その世界が自分の中できっちり再現されて、思い出せるんだよね。どんな人間でも、一つや二つはエピソードを持ってるもんです。いや、あの時代だからなのかな。わかりやすかったんじゃないかな。ある意味、人間そのものが。有名人も、一般人も。向いている方向も、愛情の対象も、信じているものも同じで。だから今になっても情報を共有できる。映画は昭和33年春から暮れまでの、東京タワーができていくプロセスを背景にすすむんだけど、うちが一家で福岡から上京したのが、昭和34年だった。皇太子ご成婚は、一つおいた隣の家で見せてもらい、その後、数十倍の抽選を突破して、松戸の団地に引っ越したのが、確か昭和36年。進行のしかたが、まさに同じなんだよね。たぶん当時のどんな家庭も、大して変わらないと思う。少しずつ豊かになっていく。その歩調は、ちゃんと人間の営みのテンポと合っていた。どこでどう、食い違ってきちゃったんだろう。わかりにくいくせに薄っぺらな世の中に、人間が追いつかなくなってる。こないだ、深夜のテレビで、その団地に「孤独死予防センター」ができたというドキュメンタリーを見た。人口は22万から9万になり、独居世帯は1500人以上。入居当時30代だった古株の人たちが中心になり、情報収集とか、各戸訪問とかをボランティアやっている。まさに、ずっと住んでいれば親の世代だ。子供の頃に住んでいた街の変貌ぶりを、偶然目にするのは、複雑な想い。植えたばかりのヒョロヒョロだった桜はみごとだそうだけど、芝生の柵を飛び越えて子供たちが走り回る姿は、もうないんだね。山崎監督は、たぶん少し下の世代なんだと思う。けれども、あの時代と、その中で生きてきた人たちを愛してくれている。だから、多くに受け入れられる。熱くたぎるわけではないけれど、とても誠実な人物だということがわかる。だもんで、キャストもそれに応えて、各々の自分の中の想いを誠実に表現している。薬師丸ひろ子も、堤も(この人、映画だとすごいな)。その点が井筒とは違う。井筒さん、熱くみえるけど、やっぱりあれは違うよ。誰に何を言いたいのさ。
2005.11.24
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運転しながら聴いていたFM東京で、流れていた曲に反応してしまった。歌詞が、歌詞がね。あまりにも刺さります。久しぶりにぐーっとなった。ところが、題名が聞き取れない。歌っているバンド名すら。坂上さん、さりげなすぎ。「…チキンのす…」。それしかわからん。帰りに寄ったイオンで、熱に浮かされたみたいに、ふらふらタワーレコードへ。情報が少なすぎる。し、タワレコは複雑すぎる。って、あ、日本語だからJ-POPか。つくづく疎くなってるなー。自己嫌悪。なにしろほら、バンド名も、下のほうしかわからないでしょ。アイウエオ順だから探しきれん。チキン、チキン、チキンてなんだよッ。ぶつぶつ言いながら、腰曲げてアから見ていく。そのうち、なんか思い出す。そぉだ、バだ。そんなのいた。バンク?バンド?うーむ、と腰伸ばして腕を組んだら上のほうにズラーッと並んでた。本日発売。バンプ・オブ・チキンの「Supernova」。まるで漫画です。カードの期限はとっくに切れてるけど、たぶん娘は持ってるから、レシートにハンコを押してもらって、その時点でもまだ本当にこれを買うんか?と自問自答。なにしろ、こんな買い方、初めてなもので。駐車場に戻って、車の中で開けてみる。セロファンのカバーの破き方も知らんね。けど、歌詞を見て涙が出ました。 熱が出たりすると 気づくんだ 僕には体があるって事 鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事 君の存在だって 何度も確かめはするけど 本当の大事さは 居なくなってから知るんだ 今日、学生時代の友達に会いに、病院まで行ってきた。ひょうきんで皮肉屋の人間味にあふれた、みんなが大好きな彼の世界は、すっかり病気に支配されてしまって、それはしかたのない、どうしようもないことなんだけど、「もう来るな」といわれて、何もできない自分のふがいなさに、いい年して本気でへこむ。すがれるのはたった一つ、彼は自分を、自分の世界を、間違いなく好きなはず。それを自分で手放すことは決してないはず。その世界を、みんなも心から愛していたから。会えなくてもいいや。そのことだけ彼が忘れずにいてくれれば。帰り道に、出会った曲がこれです。一語一語が胸にずしんと響く。こんなこともあるんだね。スーパーノ―ヴァというのは、惑星が生まれ変わるときの大爆発のことらしい。ずいぶんと哲学的で、ジャケットもシュールで、難しいけど、確かに今後、自分にとって大切な曲になるでしょう。けどなー、リビングのデッキが壊れていて、まだ聴けないのです。やれやれ。 歳を数えてみると 気づくんだ 些細でも歴史を持っていた事 それとほぼ同時に 解るんだ それにも終わりがあるって事 君の存在だって いつでも思い出せるけど 本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ 君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事 君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事 誰の存在だって 世界では取るに足らないけど 誰かの世界は それがあって 造られる 君の存在だって 何度も確かめはするけど 本当の存在は 居なくなっても ここに居る
2005.11.22
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また銀座。今日は昼間だけど。農水省に用事があって、ついでに政府刊行物センターに寄って、出ると、この辺は寒々しいねー。空も道もだだっ広くて情ってものがない。腹が減ってるのに、食べるところもない。そそくさと日比谷公園へ逃げ込む。って、犯罪者じゃない。そこそこ紅葉していて、やっぱりなごみますね。ここの昼間のベンチは独特の空気がある。ワケありのサラリーマン、ワケありの中年カップル、ワケありの老人と乳母車。て、勝手に妄想。おのずと歩調も緩む。日比谷図書館の地下で食べようかと思ったけど、昼休みが過ぎていることを珍しく事前に思い立ち、通り抜けるだけ。ベテランのホームレスの人々も健在だったけど、傍らに「暴力反対!」なんて張り紙がつつましく掲げてあったりして、やはり生き難くなっている模様。そういやめっきりカラスの姿も見えないし、共存は難しくなっている模様。来るべき飲み会に備え、軽くうどんでもと、ガード下の木屋に入ろうとしたら、なんと「茶ソバ始めました」。なんてことするのッ、勝手に!(私はそばアレルギーなの)。トボトボ歩いて気がつけば日比谷シャンテ前。そぉだ、久々にカニピラフだ、と三信ビルの地下に下りたら、目当ての洋食屋がないッ、ていうか何もかも閉まっている。開いているのは床屋と本屋とくるみソバだけ。え~~っしょうがないから、再びトボトボと階段を上り、入り口近くのニューワールドへ。ここだけは盛況というのがかえってうら寂しい。古いんだよねー。ここ。カキフライを待っていたら、隣のブースはなんだか地味ながら華やいだ空気。誰かが元気な声で「まもなく到着なさいますッ」。おーっ。「で、本のサインですが、塩川先生は1時間たつと帰りたくなっちゃいます。帰り支度を始められたところで、そのタイミングを見計らって…」。ん、塩川?と思ってる間に、なんと塩じい登場。どうやら塩爺が自伝か何かを出版し、その読者イベントみたいな集いみたいな感じでしょうかね。20人ぐらいで、おばさんもいれば、学生もいる。しかし、しゃべるしゃべる。塩爺一人でずーっとしゃべってる。「明治は運動弱くなったねぇ」だの「ぼかぁ、万歩計つけてるよ」だの。まあ、質問が貧相なんだけど。政治家って、こういうのよくやるんですかね。引退してるけど。太蔵もやってたもんね。「太蔵が聞きたい」とかなんとか。少なくともそっちより中身があるか。いや、カキフライを食べ終わるまでの話は、こっちも大したことなかったな。立ち上がって聞けばよかった。「チルドレンをどう思いますか?」。ついでに赤間二郎をよろしく。太蔵の斜め後ろにいます。そっちの話より、このビルのほうが気になる。反対隣のテーブルの常連らしきオヤジに思わず「このビル、取り壊しちゃうんでしょうか?」と聞いたら、「う~ん、古いからねー」。やっぱ古いと取り壊しなんですかね、塩じい。
2005.11.11
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新宿の打ち合わせの後に、渋谷に出て映画。シネクイント「カスタムメイド10.30」。意外に入ってたな。奥田民生の一人股旅広島球場ライブとなんだかコラボしたような映画で、予告編見て何じゃらほいと思ったものですから。最初はライブだけのドキュメンタリーにしようとしてたらしい。それが、何かの拍子に映画のストーリーにくっついて、手法そのものは面白かったです。最後の最後まで、「何じゃらほい」だったけど。なにしろ木村カエラちゃんがかわいいから許す。映画のほうの主人公。「歌いたんじゃ!」の高校生。バリバリの広島弁。これがいいんじゃ。その意味では二度おいしい。いや、手法そのものはあったか。ライブ部分は文句なくおいしかったです。広島って、いいところなんですね。私は2度ほどしか行ったことがないんですけど。しかも表側だけ。記念公園と美術館。キャストは、これも意図がわからん。単に経費の問題かと思われるが、妙にいやな感じがしない。民生ちゃんの関係とも思えないんだけど。いや、関係なのか?!安斎肇、カエラじゃないカイヤ、加瀬亮と寺島さんはわかる。そして金髪の小倉一郎(!)、そして柳沢慎吾…(沈)。なんか、コマーシャルっぽいなと思ったら、監督はそちらの出身なんですね。名前変更しているので。そういやカエラちゃん、PARCOのCMに出てたな。映画の1シーン。パルコって、やっぱり今もどこかヘンだ。しかし、民生ちゃんって、ものすごい声量だな。あれだけ歌って一つも嗄れない。カエラもそうか?広島の人って、みんなそうなの?
2005.11.09
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ここのところ毎週金曜日、銀座に来ている。やっぱり銀座はいいわ。めちゃめちゃ変わっちゃったけど。まずシネスイッチで「八月のクリスマス」を。リピーターが多そうなのは、一回じゃ物足りないからか。それとも単にまさよしのファンか。いずれも泣く用意して観てる。一回目の身分からすると、韓国版のほうがいい。一流ブランドどころは素通りして、すずらんだの並木だのをぶらぶら歩く。やっぱりその辺もそこそこ世代交代があって、けど、さすがに銀座。底力があるんでしょうかね。ほかの町みたいに、移転を余儀なくされるということは、あまりないみたい。小ぶりの呉服屋なんかでも、手ごろな宝石とかアクセサリーを置いたりしてどっこい生きている。店頭の小テーブルに何気に並んだピアスを、娘用に眺めていたら、和服のご婦人と黒スーツの女性が寄ってたかって相手してくれる。それが、なんつーか押し付けがましくなくて、つい購入。そういうところが銀座らしいというか、あしらい馴れているというか。大人なんだな。ギスギスしていない。裏はどうあれ。まだ待ち合わせに時間があったので、ピルゼンを探したのに見つからなくて、しょうがないから五丁目のライオンへ。久しぶりです。それも一人で。高い天井にワヤワヤ声が反響して気持ちいい。けっこう単身卓もある。名物めいていた案内人も、さすがに若返っているけど、やっぱりでかくてビール腹の兄ちゃんだ。ヘッドホンつけてバッサバッサ空いたテーブルに客を振り分ける。先代のときも、そのみごとな客さばきにうなったものです。隣のテーブルには、これもドイツ人並みにでかいオヤジが一人でバクバクすでに大ジョッキ3杯目。チョリソー一品でちょい飲みのつもりが、私もつられてモツ煮込みを注文。後ろのテーブルにはビシッとキメた出勤前のお姉さま、ていうかママですね。この人も飲むわ食うわ。毎日通っているふうです。やっぱり自分の店では経費使えないんでしょうね。ここでしっかり腹ごしらえして、自分は適当に酒入れて、お客に飲ます。で、その隣に来たオヤジがまた銀座然。不動産ころがしてるふう。小柄でも仕立てのいい服着て、ネクタイと態度がデカイ。ママとは軽く知り合いらしい。けど一緒には座らないんだ。お互いグラスをちょっと持ち上げて、目配せで乾杯。交詢社の前でロングドレスの裾で地面拭いてたネエさんと腕組んで鼻伸ばしていたオヤジより好感持てる、って点数つけてどうする。同伴の歩合も知らないし。ライオンの生はさすがですが、黒ハーフはいまいち。そっちも世代交代か。黒こそ泡が命なのに。頑張ってください。あー来た来た。ヒョロヒョロの幼な飲み友達が「もうでき上がってんの?」って、貴様が遅いんじゃ!。そして我らは…。もちろん七丁目のピアノバーへ歌いに。「私の青空」をさっ。
2005.11.04
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目がちょーっと見えなくて、日記を書けずにすみません。けど、ドラマは見てますね。不思議なことに、若向けばっかりです。1リットルの涙。今回も泣きました。先週の最後のせりふは「先生、病気はなぜ私を選んだの?」だった。滂沱です。これは皆、モデルとなった彼女の本当の日記から引用した言葉らしい。参ります。このところ、身近なことで、よくこのセリフを聞くハメになる。「なんで○○なんだ?」って。聞かれてもわかるかよ~。ていうか、じゃ、自分ならよかったんか?!要するに「○○じゃなくて」がつくんだよね。オトコは何やら、社会的にかなりキツくて、こんなの早くいなくなりゃいいと思うヤツが常に周囲に何人もいる。そんな場面では、自分にとってものすごく大切な人間が逝ってしまうことがわかるとなったら、「なんで?」と思うのかもしれない。このドラマ見て、オイオイ泣きながらそう思った。オマエら、何もできないよ。ただ、自分の生き方を正すだけだ。誰にも言い訳できない、誰のせいにもできない、彼じゃない自分が、ただ生かしてもらっているということを肝に銘じて、人生を謙虚に全うすることしかできない。彼に出会わせてもらったことの感謝の証しとして。どれだけ彼に報いられるか、それだけだろ。と、同級生の男どもに、泣きながら悪態ついて、今週はまた「タイムマシンがあったら…」だって。もうぅッー、どこまで泣かすの?沢尻エリカ。ユイカの次はエリカ。こんなに真っ芯の通った女優はめったにいません。「パッチギ!」では、ただ美貌だけが目立ってたけど。たぶん来週も泣く。どうも、最近は学園系に目が向く。「花より男子」もいいしなー。やっぱり、現実にはありえない高校生のあるべき姿を妄想させられてしまうからか。OLとか主婦とか、わかりやすいシチュエーションに食指が動かないんでしょうかね。まーそれが身近かっちゅうと、そんなワケないんだけどね。エリカ頼みます。来週も泣かせてください。世の中の「自分だけは死なない」と勘違いしてるオヤジたちに、可憐な涙で渇を入れてやってください。
2005.11.01
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