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妙法院の仏教文化講座で阿修羅像など仏像のことを勉強したことを書きましたが、私は有名な阿修羅像を観たことが無かったのです。・・・で、昨1/30の予定が変更になりぽっかり一日が空いたし天気も良かったので朝になって思い立って急遽観に行くことにしました。奈良公園は1/9 (ブログでは1/10~1/12に記載)に大仏さんの鼻の孔を観に行って以来のことでした。近鉄の駅は勿論、奈良公園に入っても当然とは言え?? 視界に入るのは外人さんばかり。妙法院と同じようにここ興福寺でも仏教文化講座が行われていることを知りました。目指すは国宝館 ! !こんな看板が有りました。運慶、快慶は知っていても・・・父、康慶は知りませんでした。余談ながら・・・・快慶は運慶の子供だったかなと・・・・調べて見ると運慶と快慶に血のつながりはなく快慶は康慶の弟子なので運慶とは兄弟弟子と言う関係でした。・・・で、国宝館へ。パンフレットを買い、館内へ。勿論千手観音はじめ沢山の仏像が展示されいるのですが・・・先日の講座で、作られた時代と顔との関係を学んだ??? ものですから、顔と同様に作られた年代を観て行ったのですが・・・何と鎌倉時代に作られた仏像が多かったのは意外でした。さて、阿修羅像は館内最後の展示場所に有りました。先日の文化講座で夏目雅子に似ていると言われていましたが、確かに・・・阿修羅像は余りにも有名ですが、恥ずかしながらこの八部衆の内の一人であるといことは・・・講座を受けるまで知りませんでした。興福寺の五重の塔は修理工事が始まっているのですが・・・間もなくすっぽり覆われて・・・令和13年までかかるようで・・・ここからも当分見られなくなります。しかし、文化財の修理は長くかかるものです。妙法院の庫裏の修理も何年かかっていますやら。ここ暫くプロ野球・ロッテの試合が長引きまして、書くだけで精一杯で訪問も出来ない状態が続いています。ご容赦下さい。
2024.05.31
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私は本が好きで常に何か本を読んでいます。何を読むか、きっかけは色々ありますが・・・つい最近では御陵の案内板を見た花山天皇に興味を持って「炎帝花山」を読み終えたのですが・・・同じ様に・・・5/12に書きましたがこの山に登って・・・この史跡を見て・・・『今読んでいる花山天皇の「炎帝花山」を読み終えたら、宮本武蔵をもう一度読もうと思ったことが今回の登山のひとつの収穫でもありました』なんて書いていたのですが・・・・早速実行に移しました。全8巻の1~3巻を借りて・・・今は1巻の3分の2ほど読んだのですが・・・最初から日名倉の名前が何回も出て来るのです。文章に現地の光景の記憶を重ねながら読むのはなかなか良いものです。
2024.05.29
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妙法院の向かいに超高級ホテルのシックスセンシスホテルが4月に開業したことは書きました。そして200mも離れていない三十三間堂の真向いの日本赤十字社のビルの跡地にホテル計画が公示されたことも書いてきましたが・・・昨日、前を通りますと、いよいよビルの解体工事が始まっていました。先ずは内装の解体かららしいのでまだ外からは見えません。仮設の塀に掲示されている色々の案内の中の・・・右下の小さい掲示が目に入りました。なんと、と言うか、風致地区であるので当然と言うか木を伐採することも許可を取っているのです。確かに2枚目も写真に写っているのは綺麗な枝垂れ桜で有りましたし、見たところ数本の木が生えてはいるのですが、敷地がそう広くないので植木の数もそう多くはありません。裏側に見えているこの竹や生垣は隣のハイアットホテルの敷地なので関係ありません。いずれにしろ高さ制限や外観を和風するなど風致地区ならではの厳しい規制に加えて、民間の敷地の木を切る事まで許可制になっていました。完成時には当然植栽を施すことが条件になっているのでしょう。ところで新しく建つこのホテル名・・・・何と言うのか、知って忘れたか、元々知らないのか? 4階建て53室、最高の立地・・・多分高級ホテルなのでしょう。追伸 当件調べましたら・・・隣接のハイアットホテルの「ハイアットリージェンシー京都の離れ」となるらしいです。
2024.05.28
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野点傘立ても完成したことだし、次は何をする????そこで、前に大量に採って来て佃煮にして保存しいた蕗の佃煮がついに底をついて来たので長靴を履いて2度目の収穫に畑?? に行きました。行ってみると・・・・大きくなった育ったイタドリやツタに畑が一面覆われて、この様にジャングルの様になっていたのです。一瞬ひるんで止めようかと思ったのですが・・・意を決してこのジャングルをかき分け、かき分け蕗の生えている方へ進みました。ジャングルの中では探すのに手間がかかるので採ったのは少しだけでしたがほゞ全ての葉が下の写真の様に虫食いだったのです。なので葉は現場で切り取って捨てました。採れた茎はこれだけで、説明用に虫食い葉を3枚だけ持ち帰りました。蕗が赤みを帯びて写っているのは赤いパラソルの下だからです。採って来た蕗が余りに少ないので、庭に生えて居る栄養失調の小さい蕗を採って加えることにしました。たったこれだけなのですが・・・並べますと・・・右から畑? で採って来た蕗、真ん中の小さいのが庭で採った蕗、そして左端はその葉です。少ない葉でも「貴重品」なので筋を取って持ち消えりました。葉は少ないとは思っていたのですが、葉だけ炊くには余りも少なすぎると茎と混ぜて炊いたとのことでこれだけの葉入り佃煮が出来ました。右側は保存用に冷凍庫で氷りかけていたものを撮影用に出して来たモノです。試食してみると・・・旬を過ぎた為と思うのですが、少し筋が残るような食感でした。まあそれでもこれだけ有れば暫くは味わえそうです。
2024.05.27
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いつも載せる光景では有りますが・・・1. 早いものであれからもう1年が経とうとしています。それは・・・この看板が立って知らせてくれています。何もかも無料で観られる年に一度のチャンス 是非どうぞ!!2. そしてもう一つはいつも見られるこの光景です。多分今年修行に入られた若い生徒さんなのでしょう。この土の部分は青葉祭りの時護摩焚きが行われる場所です。こんな勇ましい恰好の方も・・・木の剪定はプロの庭師さんがいつも入っていますが、雑草抜きは修行の一環なのでしょう。横を通ると大きな声で挨拶してもらえるので随分気持ち良いものです。毎年載せていますが、抜いた雑草捨て場はこの様に・・・
2024.05.26
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5/21のブログで野点傘(実際はビーチパラソル)のスタンドをこの様に作ったことまで書きました。これはこれで良いのですが、ビーチパラソルを机の中心に立てることを考えました。初めは写真の左に写っている前に手作りした机に孔を開けることを考えたのですが、何しろ天板の厚みが6cmもあるのです。そんな大きなホルソー持っていないので、孔を開けることは不可能と諦めました。そこで考えたのはこのスタンドの上に板を置いて机にすることでした。前にストーブを囲む時の机にするために作った板2枚を利用することにしました。まずドリルで孔を開けて行き・・・糸のこで切り取り・・・仕上げて・・・パラソルの支柱のパイプの直径に合わせて2枚作り・・・合わせると見た目は悪いですが一応板に孔が開いた形になりました。こんな形になったのですが、この板は元からアチコチに釘孔みたいな小さい孔が開いているのです。それでは体裁が悪いので数ヶ所の孔をコーキング剤で埋めました。2枚の板を裏返して桟で繋ぎ、写真の様に角形の枠を打ち付けました。この枠の大きさはパラソルのスタンドのサイズに合わして有ります。更にリフォームした時に出た畳の下の板をカットして・・・この様に枠に釘付けして・・・スタンドに合わせて黒いペンキを塗りました。それをスタンドに被せますと・・・パラソルが真ん中に立った机が出来ました。しかし色がマッチしないので茶色のペンキを塗ろうと思ったのですが、残っていたペンキなのでどう見ても量が少ないのです。そこでまだ残っている黒のペンキを混ぜて量を多くしました。(色が少し黒っぽくなるかと思いましたがそう変わりませんでした)(赤みを帯びて写っているのは赤いパラソルを通した光の為です)塗り終えると・・・枠は黒、天板はこげ茶の台が出来上がりました。元々はこの使い方を考えていたのですが・・・新たに作った台を被せて元の机に並べますと・・・こんな使い方も出来る様になりました。勿論単独で使う事想定しているのですが・・・・。高さを揃えるのに手間がかかりましたがこの様につらいちに出来あがりました。高さを揃えるのは先に載せましたこの写真の・・・この四角い枠がスタンドの上に乗るので枠の板をカットして高さ調整しました。
2024.05.25
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今日は書くことがあるのですが、ロッテの野球観戦で忙しかったので簡単に新聞記事の紹介です。前に疎水から分流した白川のホタル乱舞を書いたことありますが、街の真ん中でホタルを見られることは本当に素晴らしいと思います。市内では無いですが・・・この景色も毎年新聞に載る光景です。話は変わりますが、余りに奇麗なので撮って来ました。智積院の青もみじです。
2024.05.24
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昨日、旧友と会うため大阪ミナミへ出ました。久しぶりの大阪を探索しようと早めに家を出て、御堂筋を淀屋橋からナンバまで、地下鉄の3駅を歩きました。淀屋橋で地上に上がりナンバへ向かってほんの少し歩くと・・・元興銀が有ったビル、元は興銀ビルと言ったのですが、合併でみずほ銀行となったのでビルの名前もみずほビルになったかと思いなずら近づくと・・・なんと、ビルの名前は興銀ビルのままでした。このビルには現役の時大口のお得意さんがテナントとして入っていたので週1~2回通っていたことがあったので思い入れのあるビルだったのです。その向かいには三和銀行の低層ビルが有ったのですが、ここは三菱UFG銀行の高層ビルに変身していました。少し歩進めると・・・こんな所に東急ホテルが!!!何ビルの後に建ったのかと思い、下を見ると、何と南御堂の字が・・・裏を見ると確かに南御堂の建物が見えました。前まで行くと・・・・何と南御堂の御堂筋に面した敷地に旧ビルに替わって下駄ばきの様なホテルが建っていたのです。更に進むと・・・今流行りのテスラのショウルームが・・・御堂筋に面した一等地です。心斎橋駅近くまで行くと、豊田ビルには美濃吉の看板が・・・何十年もまだあり続けているのを見て何かホッとしました(関係ないことですが)その1階は昔スルガ銀行だったのですが今はロレックスの店になっています。その前に行列が・・・並んでいるのは多分外国人ばかりなのでしょう。そして通りを挟んだビルに更に長い行列が・・・前まで進むと・・・私は知らないこんなブランドの店でした。円安、免税で高級品を買い漁る外国人の話は良く聞きますが、そのことを裏付ける光景を目の当たりにしました。そして心斎橋まで行くと御堂筋の車道の一部を歩道にする工事が行われていました。ナンバ駅前のローターリーが既に歩行者天国になっているので、南から北へ向かって順次工事されているのでしょう。この緑地帯の左の車道が歩道になるのでは?? と思いました。少し歩いただけでこんなに変わる大阪の街・・・の話でした。
2024.05.23
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・・・と思っていたのですが!!5/14のブログで鳥害を受けながら、初めてこれだけの山椒の実を収穫したことを書きました。そのブログで生協に頼んでいるモノが届けばジク取りをしないと・・・と書いたのですが・・・今日帰ると、配達された山椒の実の処理(ジク取りと湯がき) が終わっていて、今年は私の出番は無しでした。これがその山椒の実です。(この状態で冷凍保存して小出しに使うらしいです)わが家で採れたものも混ぜたが、わが家のモノが俄然大きかったと言うのです。それなら、もっと早く収穫しておけば被害に遭わなかったかも??? と言っても後の祭り。来年からは早めの収穫とネット張りを・・・・・。ところでこれだけの山椒は980円だったらしいのです。これだけ見れば「高い!!」と思うのですが、今年わずかな収穫に手間がかかることを実感した身としましては、高いとはとてもとても思えません(笑)
2024.05.22
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一昨日の続きです。スタンド台の形は出来たのですが、外観が余りにも木箱の様で殺風景なので簡単な模様をつけることにしたのですが・・・偶々手持ちの残材の中にプレスで押し付けた薄い凹凸の模様がある枠材を山形に取り付けました。・・・が、2面だけの分しかなかったのです。まあ、それでも良いか!! と思ったのですが、一念発起して四面に取り付けることにしました。今回は「有るもので作る」ですので買わずに作ることにしました。丁度潰したアクセサリー入れの桐の仕切り板を残していたのでそれをカットすることにしました。・・・・で、4本を切り出して・・・角度をつけてカットして・・・打ち付けました。こちらの2面の細い板は模様が無いのですが、塗装したら分からなくなるので良しとしました。傘立てスタンド本体は市販の野点傘台の様に塗装をしたのですが・・・フタの部分はテーブル代わりにも使うので黒はまずいかと思い・・・塗り残しで残っていたこげ茶色の塗料を塗りました。・・・・で、完成しました。フタに枠を付けたのは載せたものを落とさない様に・・・隙間を付けたのは掃除がし易く、雨水が溜まらない様にです。・・・・で、完成しました。ヒマ潰しのタネは尽きまじ・・・・です。
2024.05.21
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前に予告していました、今回はこのテーマでした。大江親通(ちかみち) なる名前は初めて知る名前でした。それもその筈平安時代の学者でした。いつもの通り最初に講師の紹介が有りました。前回は早く行ったので最前列の次の席辺りを確保出来たのですが、今回15分ほど前に行ったのに中ほどより後ろの席にしか座れず、これから載せます写真も障害物?? が有って上手く撮れませんでした。今回は高尚な内容でもあったのか余り理解出来なかったのですが・・・日本の仏像はギリシャ彫刻を原点に~インドガンダーラ、中国等を経由して入ってきたのですが、法隆寺の時代にはまだ日本的な顔でなく、それが奈良時代を経て平安時代に今の仏像の顔が完成した。・・・と言うストーリイだったと思います。我が家に飾っているこの室生寺の十一面観音は正に日本の仏像の顔です。当然平安時代の作です。途中で・・・阿修羅像の顔が夏目雅子に似ていると言われこの写真を見せられたのですが、確かに似ている気がします。前々から阿修羅像を見に行くつもりながら、まだ実現していなかったのですが、このことを含んで見てこようと思いました。1時間30分の講義でしたが、今回は余り頭の中に入りませんでした。そして、次回の案内を貰ったのですが・・・この内容では・・・・門外漢の身としてパスです(笑)それからこの妙法院の真向いにオープンしたこの超高級ホテルのシックスセンシスですが・・・・前にどこにもホテル名が書かれていないと書きましたが・・・・書いていました!!!下の写真の左側の入口の右に小さく・・・こんな表札??? がかかっていました。
2024.05.20
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昨日の続きです。何かに使えるかもと残しておいた錆も浮いているこの古いキャスター良いものが有ったと野点傘立てまがいのボックスを裏返えして取り付けました。このボックスは次に書きます様に重くなるので移動し易くするためです。そして孔を開けて作ったフタをするとこの様に・・・その孔に・・・カットして節の中を一番下だけ残しあとの節は上から棒で叩いて貫通させた竹を漆喰の容器に立て、周りに土を詰めました(重くするためです)それをボックスの中に入れて・・・フタをするとこんな感じになりました。この竹に昨日届いたビーチパラソルを差し込みますと・・・サイドテーブル兼用のビーチパラソル立てが完成しました。折角ですので前に私が古いモノを残していることを知った友達から貰った舞踊用の赤い番傘も元のパラソル台に刺して並べてみました。出来た事はここまでで・・・・あとはこのペンキ(黒色) を塗る事と・・・台の装飾、そして机の真ん中に孔を開けてビーチパラソルを机の真ん中に刺せるようにしようと思っているのですが、机の天板の厚みが6cmもあるのでどうするか??? まだまだ頭の体操が続きます。ここまでで買ったものはこのペイントとネジ釘だけです。
2024.05.19
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庭で使っているビーチパラソルが小さいのと古くなったので新しく買う事にしました。前々から、ビーチパラソル買い替える時には、この野点傘のイメージで真っ赤なものをと思っていたのです。それで真っ赤なビーチパラソルを買う事にして・・・その前にパラソルをに立てる台を作ることにしまた。材料はペンキや釘類の不足分は買うが、木材は手持ちの材料を使う事を原則にまず買わずに・・・と言う考えで材料選びから始めました。色々ある木材の中でこの写真に写っているのは先日潰した洋服タンスの引き出しなどの桐の板です。それから門松を作る時に貰った竹の残り、そして息子が壁の塗り替えに使った漆喰が入ってた容器(バケツ替わりに使っていたもの) 等など・・・いつもの様に図面も書かず、頭の中の「設計図」で木材のカットから始めました。そして組み立て開始・・・底の斜めに使ってるのは洋服ダンスの引き出しの桐材です。組み立てた木材の枠は漆喰の容器が出し入れできる大きさにしています。そして側面に板を張り・・・洋服ダンスの桐板に厚みを合わせた他の板を混ぜて使います。ここまでが昨日の仕事です。今日も続きをして来たのですが、まだまだ未完成です。(この続きは後日書かせて貰います)明日は妙法院の仏教文化講座の聴講に行くつもりですので作業は休みです。・・・・と言うことで。又々ヒマ潰しのタネは尽きまじです。
2024.05.18
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登山用品を買いにヨドバシカメラのビルの石井スポーツへ行ったのですが、久しぶりに駅ピアノを聴きに京都駅へ足を延ばしました。今日は駅ビル西側の伊勢丹からこのスカイウオークを通って・・・ビルの東側へこの市内を見渡せるスカイウオークですが、伊勢丹から行って10階だと言うのを初めて知りました。エスカレーターで降りて行くとピアノの音が・・・そして赤い絨毯の上に置いたピアノが見えて来ました。エスカレータを下りて左へ・・・曲名は分かりませんが、プロかなと思う程の中年男性の素晴らしい演奏・・・もう少し弾きたかったようですが、次の弾き手にバトンタッチ!!!この辺の譲り合い、見ていて気持ちが良いものです。次は若い女性、身体全体を使ってジャズの素晴らしい演奏・・・演奏が済むと聴衆も大きな拍手!!! 私も・・・拍手するのも良い気持ち!! 会釈し貰って更に良い気持ち・・・ここの駅ピアノは場所が良いので最高です。
2024.05.17
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5/1のブログに 京都三大祭り (祇園祭 時代祭 葵祭) のひとつこの葵祭りのポスターを載せました。私は何十年も観に行ったこと無いのですが・・・・今日の京都新聞に大きく取り上げられていました。巡行のコースは御所をスタートして下図の様に下鴨神社から上賀茂神社まで進みます。次は・・・七月の祇園祭・・・そして8月の大文字と続きます。
2024.05.16
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春から初夏にかけてあらゆる植物が芽生えます。ここ暫くでもイタドリ、蕗、タラ、山椒などの芽生えを書いて来ましたが・・・今回、まず一つ目はこれ・・・・我が家の 半夏生です。 毎年化粧? してから写真を載せて来ましたが、今回は化粧前です。当然、待つものは白く化粧した姿です。苗を貰って植えて数年、今年は更に沢山生える様になりました。ついでながら右の方はギボシです。半夏生は元々有ったギボシから離して植えたのですが両方が根を広げて境界が無くなりました。この分だと混ざってしまいそうです。二つ目は・・・大好物のミョウガです。ここで待つのは・・当然のことながら好物のミョウガです。これだけ茎の芽は成長したのに、食べるミョウガはまだなのです。去年は減反? の為土をいじったので余り採れませんでしたが今年期待です。
2024.05.15
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4/29に我が家で初めて生ったこの山椒の実のこと書きました。その後も増えて喜んでいたのです。我が家では山椒の実は毎年買って保存しているのですが、今年も生協に注文して配達されたら、このわが家製の実も混ぜる予定でいたのです。ところが、生っている実が減って来たのです。山椒の実なんて野鳥は見向きもしないと思っていたのですが、ヒヨドリかメジロか知りませんが食べに来たとしか思われないのです。(減っている量が多いのでヒヨドリではと思うのですが・・・)刺激のある山椒の実なんて食べるとは思われないので今でも半信半疑なのですが・・・・・で、生協に頼んだモノはまだ来ないのですが、慌てて今日収穫しました。房のように残っているのはこれだけ・・・これもまだ房の様ですが・・・あとはみんなこんな状態でした。・・・・で採れたのはたったこれだけ。房の形を残しているのはこれだけでした。来年からはネットを張るつもりです。・・・手間がかかると言われながら、生協のモノは待たず取り敢えずこれだけ先に下処理をしました(してもらいました(笑))
2024.05.14
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昨日の続きです。日名倉山から下山して岡山県から兵庫県加西市のホテルで一泊。翌日はこれも関西百名山の 多可町と神河町境界の千ヶ峰 (1005m) に登りました。兵庫県中部のこの位置(赤丸がスタート、ゴール地点) 山また山の中でした。目指す千ヶ峰は右側の山 (多分) です。登山道入り口に沢山の杖が有るので急峻な山かと思ったのですが、そうでもなかったです。それは後程に。途中で見えて来た頂上です。人気の山なので見晴らしの良い場所所々に立派な休憩所が有りました。汗を拭き拭き登って来たのにこの案内板を見て、ギャフンでした。登山道とは書かれず、遊歩道だと言うのです。冒頭に書きました急峻では無い山では無かったですが、遊歩道よりやはり登山道の険しさもあったと思うのですが・・・(笑)そして、頂上への最後の登りです。そして、頂上に到達!!山名の「千ヶ峰」は千の峰が見渡せることが所以らしいのですが・・・正にそのことを立証する360度の眺め、山また山の眺めは正に千の峰が見える眺望でした。登ったのが土曜日であったからだと思うのですが、次から次へ登って来る人があり、素晴らしい眺望の人気度を実感しました。下山すると所要時間2時間32分の山行でした。帰って関西百名山のリストを久しぶりにチェックすると今回登った2座でもって合計77座踏破していました。
2024.05.13
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昨日の続きです。今回の登山は関西百名山に名を連ねる2座の登山でした。いつもの西の方の登山の様にメンバー2人でJR福知山線の西宮名塩駅からタクシーで中国道西宮名塩パーキングエリアまで行ってそこで和歌山からの車にピックアップして貰いいつもの3人で岡山県に向かいました。目指す日名倉山は兵庫と岡山の県境の山で、今回は岡山県側から登りました。こんな下界の光景を見ながらの登山は・・・・標高1047mと言っても・・・・随分高い所まで車でまで行けたので、確か歩行40分程だったと思いますが、あっと言う間に頂上に到達しました。山頂は360度の大パノラマ、天候も良く山また山の最高の眺めでした。さすが関西百名山 ! ! ! でした。しかし、四方が山だけしか見えないのに見える山を特定できず仕舞いで下山にかかりました。下山すると登山口の横にあったこんな場違いのような建物に寄ったのですが閉鎖中でした。確かに見えるベルは大きかったですが、何を記念して建てられたのか分かりませんでした。よくもまあ山の上にこんな大きなものを建てたものとの思いがしました。そして、駐車場から車で下山中、往路登山口へ向かう時見たこの案内板に関心が有ったので寄って貰いました。この辺り今は美作市ですが、昔は大原町で宮本武蔵の生まれた里なのです。これが牢跡です。こんな立札もありました。吉川英治の「宮本武蔵」は確か中村錦之助でも映画化されたと思いますが・・・・何と言っても宮本武蔵は三船敏郎です。私が観た映画は三船敏郎が武蔵、三國連太郎が本位田又八、八千草薫がお通でした。それはそれは記憶に残る映画だったのです調べて見ると何と1954年公開でした。それを観たと言うのですから齢がばれます(笑)70年前に観たのに良く憶えているのはその後、吉川英治の原作も読んだからだと思います。そんなことで・・・・今読んでいる花山天皇の「炎帝花山」を読み終えたら、宮本武蔵をもう一度読もうと思ったことが今回の登山のひとつの収穫でもありました。話が逸れましたが・・・下山後兵庫県加西市まで引き返しホテルに宿泊して翌日の登山に備えました。明日に続きます。今日も終日出かけていましたので、当ブログを書くだけで精一杯!! 頂いているコメントへの返事等は明日させて頂きます。
2024.05.12
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5/10~5/11で兵庫県西部のこの二つの山に登って来ました。この山は兵庫県と岡山県の県境の山で、我々は岡山県側から登りました。歩行時間が短い山では有ったのですが、体力を使い果たしたため詳しくは明日書かせて頂きます。そして頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.05.11
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4/25のブログに智積院の金堂の前にプロペラから発芽したこれらのモミジの苗を載せました。そして・・・・「間もなく雑草の様に抜かれる運命の儚い命です。功徳と思って今度数本貰って我が家で育てます」 なんて書きましたが・・・早やそれが現実に・・・・この様に跡形もなく消えていました。このことからしても、日頃の掃除や雑草抜きが徹底されていることが分かります(笑)・・・・で、生き残ったのは・・・(これもブログに載せた写真ですが) わが家に移植したこの10本だけとなりました。今となっては貴重な苗、ひとつずつポットに移し替えて大事にせねばと思いました。話は変わりますが・・・5/2にフラワーリレーとして、2輪程咲いたヤマボウシの写真を載せましたが、早やこんなに沢山咲いていました。その近くでは、さらに続く(フラワー) リレーの「助走??」が・・・沙羅双樹(夏椿) の蕾です。そしてその周りには今や名所になりつつあるアジサイも・・・参道には寺紋の桔梗も蕾をつけていました。フラワーリレーは途絶えること無く続きます。そう言えば6/15の青葉まつりはもう直ぐ、一年の過ぎるのは早いです。
2024.05.09
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ここ暫く雨の降る日が多く、一昨日は風も強かったようです。そんな風雨の強かったあと地蔵山墓地を通りますと・・・多分ヒマラヤ杉だと思うのですが巨木の下に細い枯葉がこの様に堆積しているのです。風で地面に落ちた葉が、雨水に流され、普通は散在している葉がぎっしりかき集めたように積もっているのです。そこでピピッと来てリュックの中を確認するとレジ袋が有ったので拾い集めました。上の写真も、下の写真も所々葉が無くなっている箇所はレジ袋に入れるために私が手でかき集めた跡です。まだ湿っている葉が直ぐレジ袋いっぱいに・・・入っているモノは本と貴重品だけで空に近かったリュックに入るだけ拾いました。そして自宅に持ち帰りしたことは・・・先日植えた野菜の根元に乾燥防止の為に撒く事でした。ゴーヤも・・・キュウリも・・・輪作防止の為、今年初めて手作りプランターに植えたトマト類にも・・・・ところが沢山拾って来たのに、シシトウまでは行き渡りませんでした。又拾って来ないと・・・・!!!
2024.05.08
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今日の京都新聞の一面に実相院の「床みどり」が載りました。叡電に乗ってわざわざ観に行ったことも有りましたが・・・この頃は身近な「机みどり」です。早速カーテンを開け・・・・撮りました。晴れていたらもっと鮮やかな緑に写る筈なのですがちょっと映えません。もっときれいに映るように机のニスを塗り直そうかと思うくらいです。・・・・で、机を動かして位置を変えたのですが・・・まあ代わり映えしません。もう一度天気の良い日に撮らないと・・・です。
2024.05.07
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最近はクローゼットの時代で洋服タンスなるものは見向きもされません。わが家には子供が使っていたその洋服タンスが数本あってかなりの場所を占領しているのです。・・・で、今回その内の1本を解体処分しました。元の姿を撮って置けば良かったのですが・・・解体始めてからの写真です。大半をこの様にして大型ゴミとして出すのですが・・・(無料)一部を利用することにしました。立っている板は引き出し側板の桐の板です。上下はタンスに関係ない有り合わせの合板ですが・・・後ろのベニヤはタンスの部材です。組み立てたあとはこれも前に使って残っていたペンキを塗りました。残っていたペンキの量が少なかったので、背面と底の裏は塗装なしです。・・・で、古い和ダンスの上に置いて、古いガラクタを置く台にするつもりだったのですが・・・まだまだ置くものが有るのでもう一段増やしました。これで容量が増えました。ペンキが無くなったので、追加の棚は差し当たりこのまま塗装なしでモノを置くことにします。古い古い和ダンスを残し、新しくてきれいな洋服タンスを潰すなんて、どうかと思う面もあるのですが・・・温故の方をとりました。
2024.05.06
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わが家には数年前にブロ友さんから頂いた「ミヤコワスレ」が毎年咲いてくれます。何も手を掛けていないのに毎年季節が来れば健気に咲いてくれて、切り花にしても長持ちする便利な花なのですが・・・今年も玄関の下駄箱の上にこの様に活けていたのですが・・・他の花は次々と代替わりする中、このミヤコワスレはずっと咲いて萎びたり枯れたりしないのです。活けてから少なくとも20日以上は経っているのですがまだまだ元気なのです。そんな思いでいる中、水替えの時気が付いたと言うのですが、花瓶の水の中でこの様に根を生やしていたのです。アップしますと・・・道理で元気なはずでした。毎年勝手に咲いてくれる花ですが、これを挿し木にすれば別に根分けせずとも又増えてくれるはず。名前は可愛いけど、本当に逞しい花です。
2024.05.05
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ブロともさんがトマトの苗を買われた記事を見て、もうその時期なんだ!! と私もホームセンター買いに行きました。取り敢えず買ったのは・・・・キュウリ色々 4 本ミニトマト色々 3本トマト 1本ゴーヤ 2本 でした。ゴーヤはわが家で種から芽を出したものが沢山あるのですが・・・一番欲しいのはゴーヤなのに出来なかったらどうするの?? と言われて保険の為に買ったのでした。今日は畑を覆う様に葉が茂った柿の枝の剪定(間引き) クタクタ ! !全部植え付けるまでに至りませんでした。
2024.05.04
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3/25のブログにこの妙法院の仏教文化講座に行ったことを書きました。これが566回だったのですが・・・4月の567回の演題は「ギリシアから日本へ風神像の東漸 三十三間堂の風神・雷神によせて」だったのですがこれはパスしたのですが・・・今日三十三間堂の掲示板にこの案内が掲示されいるのに気付きました。(三十三間堂は妙法院の一部です)これは聴きに行かないと・・・。3/1に書きましたが、大変気に入って友達から貰って我が家に来たこのパネル「室生寺の十一面観音像」は・・・あるのは奈良の室生寺ですが、平安時代の作であるし、今読んでいる「炎帝花山」そして数冊読んだ後白河法皇もみんな平安時代が舞台だし、熊野詣が盛んだったのも平安時代・・・・今、平安時代に関心が強いのです。・・・で、万障(と言う程のものはありませんが) 繰り合わせて聴きに行こうと思った次第です。話は変わりますが、5/1に鴨川の床開きのことを書きましたが、今日の京都新聞にこんな記事が載っていました。
2024.05.03
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今日も又智積院を通りますと、ヤマボウシが咲いていました。まだたった2輪だけでしたが・・・。ヤマボウシの季語は夏なのでまだ少し早いと言うことなのでしょう。この緑の実が赤くなるのはいつ頃だったか?? 毎年の様に取り上げていますが???です。このヤマボウシだけでは記事にならないなあと思いながら歩を進めますと・・・咲いていました。「しょうぶ」です。形は随分違うようですが・・・私の古い手帳には次の様にメモしていました。しょうぶ ・・・・黄色・あやめ ・・・・白い網目かきつばた・・・・白い線・・と言う事で間違っているかも知れませんが。これは黄色いので「しょうぶ」と言う事になるのですが定かではありません。花と言えばこれも花なのでしょうね。そして、梅雨近し表すように今年も沢山の梅の実が・・・・ブログネタの無い時の「智積院頼み」でした。
2024.05.02
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昨4/30に又々京都市役所へ。市役所へは京阪電車・三条駅から徒歩5~6分の距離です。まず三条駅の構内で目についたポスターがこれです。そして地上に上がると・・・三条大橋、欄干が新しくなって間が無いので凄く奇麗です。多分ヒノキなのでしよう。 禊 (みそそぎ) 川にはすでに「川床」が並んでいました。床開きは今日5/1からです。netで床の組み立て報道の写真を借りました。こんな風に毎年クレーンで組み立て、シーズンが終わると撤去されます。鴨川を渡り振り返ると・・・36峰が「山笑う」でした。右端が展望台のある将軍塚の筈です。アップしますと笑う様子が更に・・・・。手前の模様のある柵は車道と歩道の間に立っているモノでこうして見ると邪魔なのですが・・・と言いたいところです(これは冗談です)
2024.05.01
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