この比較は、大変難しい~。
メリットとデメリットが、それぞれあります。
~まず、協同組合型施設について~
昭和48年のヒット曲をご存知でしょうか?
『神田川』 『くちなしの花』 『てんとう虫のサンバ』の歌謡曲が
ヒットした頃、みつかいどうプラザは、3月3日にオープンしました。
当時、珍しかったショッピングセンターでした。
水海道小学校の跡地に、建てられました。
明治14年に水海道市で建築された小学校。
大きく突出した玄関部に特色があります。
均整のとれた柱列や中央にそびえる塔(鼓楼)など
随所に欧化主義の一端が見られる。
その跡地に、地元の商店主に集まって、
茨城県で、第1号となる協同組合型のショッピングデンターを作った。
茨城県中小企業団体中央会様のご指導を受けて、
協同組合型のショッピングセンターを
若手経営者を集めて
勉強会を繰り返して、
作った。
・・・・・・・と会長 故 羽富 正三から、教えてもらった。
ある人が言います。「私が、お嫁に来た時に、・・・。」
また、ある人は、「子供の頃、母親と屋上で、怪獣ショーを観た」とか
「おもちゃを買うために 友達と自転車で、・・・。」
という声を耳にしました
茨城県では、当時 まだ珍しい商業施設を
地元の若き(当時30,40歳代経営者)が、約40名集まり 国や、県に
働きかけて、
協同組合型のショッピング・センターを小学校の跡地にて、建設。
スーパーマーケット(京成ストアーその後ヨークマートなど)
を誘致して、営業を開始した。
申請、許可を得るために、
時には、議論が熱中して、朝が明けてしまうことも、珍しくなかった。
・・・と当時のメンバーが語ります。
本業の商売の後片付けが
終わってからの深夜までのオープン準備会議。
でも、疲れなかった。
なぜ??? 『それは、夢に向って走っていたから』と熱く、語ってくれました。
その後、幾度の改装リニュアルオープンを繰り返しながら、
地域住民の利便性を考えながら、地域一番店として存在価値はあった。
しかしながら、平成の時代に入ると、
近隣に大型商業施設が台頭しはじめ、
地元商店主の経営者の高齢化や、業種、業態の変化もあり、
退店が、年々続くようなって参りました。
1店舗が減り、また1店舗。
残念ながら、
平成19年12月2日(日)
34年間の営業に
終止符を打ちました。
水海道で生まれ、育った人。 結婚して水海道に来た人。
仕事関係で、水海道に住んでいる人。
それぞれ、その想いは違っても、みつかいどうプラザが、
この街から
無くなりことを寂しく思うのは、私たちだけでしょうか?
数々の思い出を懐かしむ声が、日々聞こえて参ります。
みなさんは、みつかいどうプラザについて、どんな思いが、ありますか?
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時代は変わり、大型商業施設の時代へ突入した。
つくば市に、巨大な商業施設の誕生。
近郊のお店の廃業、倒産が
多くなってきた。
中小零細の得意の分野を伸ばす。
それは、接近戦です。
局地戦だと思います。
その大型商業施設は、賃貸借契約から、定期借款契約への移行が、
主流となってきました。
そのために、内装費にお金をかけて、出店というのが、難しくなってきました。
5年、6年で、減価償却できないうちに、退店を余儀なくされてしまう。
いずれにしても、自分たちの店は、自分たちで、守る。
その姿勢だと想います。
集まる 仕組みではなく、 集まってくる 仕組みを
学んでいます。
不特定多数ではなく、特定多数の時代が、いよいよ、やってきたと想います。
参考になりますか?????
