全99件 (99件中 1-50件目)
しばらくご無沙汰しておりましたが、また、時々投稿しようと思います。どうかよろしく。取りあえず、練習です。私の住まいの近く、西武池袋線 石神井(しゃくじい)公園駅が、長年の工事を経て、駅舎、線路の高架への改修建設が近く完了、オープンに先立ち、見学会が開催されました。これにより、5か所の踏み切りの立体化で交通渋滞が解決、安全性などの環境も十分になると思われます。多数の周辺住民が見学に訪れ、入場に行列ができるほどでした。P1300015 posted by (C)sharaku1116(平成22年1月31日)
2011年05月08日
コメント(2)
先週の日曜日、(5月9日)、好天気なのでブラリと、信仰の山であり有名な観光地でもある高尾山へ。中央線から京王線に乗り継ぎ、らくに高尾山口駅。ちょっと歩いてじきにケーブルカーまたはリフトの清滝駅着。S.5090001ケーブルカー高尾山駅から歩く。この辺から深い木立、特に杉の巨木が連なる。同時に寺に杉苗の寄進の札が多く目立つ。S.5090042天狗の像があちこちに。不動尊信仰と、原始的山岳信仰(山中での荒行修験者への畏敬)とが習合したものと思われる。S.5090016いよいよ薬王院。(真言宗智山派大本山)この寺の中心的堂宇だ。1200年の歴史で信徒も多く、参詣者が絶えない。S.5090020少し登ると大師堂。大師堂のまわりには、小さな地蔵さんたちがいっぱい。一つ一つのお地蔵さんを全部回って拝むにがしきたりという。さらに登って奥の院。奥の院は小柄な赤色のお堂で、親しみやすい。ここまで登ると、人も少なく凜とした雰囲気。やっと頂上です。素晴らしい展望。雲がまったくなければ富士山もグッと近くにみえる筈。頂上にはちょっとした広場なっていて、観光客も登山者もみんなここで一休み。S,5090034頂上まできたので、帰路に途中の数々の塔頭を参拝、足休めにサル園を覗いてサルの芸を観て楽しみました。途中の塔頭やサルの芸の写真は、後日このブログでご覧いただけるようにしようと思います。(都合で約1カ月ほどブログ提出、みなさまからのブログ拝見は休ませていただきます)なお、高尾山、サル園の写真は、下記で、すでに出しております。お暇と関心がおありでしたら、よろしかったらご高覧下さい。 http://photozou.jp/user/top/24017 ハンドルネーム sharaku 1116(入力不要)これでフォト蔵<写真共生>の小生のページが直接だせます。まず、写真の文字をクリック。タイトルを出し、アルバムをクリック。アルバムが出たら2番目の写真をダブルクリックすると、写真が大きく見やすく出ます。あとは前進後進お好きなように。掲載写真の容量、点数の制約が、あまり楽天さんほどではないので、楽天さんと、フォト蔵さん両方を利用させてもらっております。 (写楽1116)
2010年05月13日
コメント(1)
4月25日(日)練馬区石神井(しゃくじい)公園で照姫まつりが開催された。今年で23回目。祭りの目玉は、照姫を中心とする武者行列。公園の野外ステージから西武線石神井公園駅までを往復行進する。行ってみると、好天気もあってたいへんな人出。もう駅に向かって出発していた。写真 4250015花拍子 しなやかに舞ながらの行進でたいへん。写真 4250012 武者のなかには髭を筆と墨で描き、即席に間に合わせた人も…。写真 4250042 「エイ、エイ、オー」駅まえひろばで。写真上は駅の出来立ての高架フォームに停車の西武電車。写真 4250054 輿の上から上品に会釈の照姫さん 写真 4250059武者行列が会場に戻るまでさまざまな出し物が用意されている。写真 4250088行列が無事帰還。いよいよフィナーレ。歌、踊りなど出演者全員が盛り上がったところでお開き。出演者はすべて練馬区民。多数の応募者から選ばれた。照姫は高校生という。出演者のみなさん、お疲れさんでした。 主催 照姫まつり実行委員会 後援 練馬区 練馬区観光協会 東京都東部公園緑地事務所 協賛 練馬区議会 練馬区産業連合会 練馬区商店連合会 西武鉄道KK ほか中世戦国時代、石神井、練馬、中野、豊島の一部の領主だった豊島泰経は、江戸城の太田道潅に攻められ、江古田付近での合戦に敗れ、本拠の石神井城にいた照姫は3つの宝物を抱いて三宝寺池に入水。豊島家一族の悲劇となったのですが、この祭りは歴史的事実とは関係なく、もっぱらレジャー・イベントとして明るく楽しく、そして町おこしをモットーに、年々華やかになってきています。すぐ近くには供養塔の、姫塚,殿塚がありますが、ほとんど見に来る人はいないのは、残念です。なお、蛇足ですが、戦後、照姫が宝物をもって死んだという伝承を考古学的に調査したが、池の中に宝物は見当たらかったということです。
2010年04月28日
コメント(2)
東京は桜開花の真っ盛り。そんな中で時期外れのような、伊豆大島への「椿まつり」旅行の話。3月23日、家内、妹をつれて日帰り旅行です。ちょうど東海汽船KK主催の、大島「椿まつり」ツアー開催中、それに便乗した別の目的もあって出かけたのです。P 3230002 高速ジェット船。竹芝桟橋から2時間足らずで大島岡田港着。航行中は船体が浮き上がるので、殆んど揺れない。P 3230006 椿まつりのショーがあり、歓迎される。P 3200012 椿資料館で各種多様な椿が栽培されている。いくつかの椿をご覧ください。P 3200018P 3200023 P 3200029 黒色は、三原山新噴火(昭和61年)で溶岩流が内輪山を越え流れ出た跡。P 3200038 日航機もくせい号墜落(1952年、三原山山頂付近)で、乗客・乗員37名、全員死亡。1年後、建立された航空慰霊碑。三原山展望台御神火茶屋付近にある。今度の訪島は、ついつい行けなかったこの慰霊碑参拝が目的。37名の死者のなかに亡父がいた。忌日の墓参、法事などは東京のお寺で済ませていたが、ようやく念願の慰霊碑参拝ができた。P 32000033 航空慰霊碑裏面。 当時、自由党幹事長三鬼隆氏、宝飾デザイナー小原院陽子氏、人気の漫談家大辻司郎氏などのお名前もみえる。P 3200043 昭和25年、61年の三原山大噴火新火口跡を歩く(噴火のとき、全島避難)。遠方には大島空港が見える。ちなみに、昭和30年、大島飛行場開港。日ペリ運行開始。 平成14年、大島空港供用開始。ジェット機就航。このあと、リス園などを観光、夕刻、帰途につく。このほど漸く慰霊碑参拝を済ませ、長年の念願を果たし、感慨あらたなものがあります。ただ、大島の観光ツアーを利用・参加したわけで、いささか忸怩たるものがあります。 (写楽1116)
2010年04月04日
コメント(4)
小旅行で、姫路から岡山へ。最終の観光スポット岡山後楽園。ざっと振り返ってみよう。岡山藩主池田綱政が10年の歳月をかけて造園。林泉回遊式の庭園と呼ばれる。S 3110096S 3110099 延養亭 藩主池田綱政が最も好んで利用した。園内の景観が一望できる。S 3110101 大立石 このあたりに巨石を置き、景色を引き締めたかったのだろう。大岩を一度いくつかに割り裂き、切り口を滑らかに加工して、もとの大岩に組み直したもの、と地元のガイドさんの説明。奇抜な着想で、藩主の凝った趣味が窺える。S 3110102 廉池軒 茶亭と水の景観が美しい。S 3110103 流店。 亭舎中央に水を流し、流れの中に石を配置。藩主の休憩所とした。造亭のつくりが独創的で奇にして妙。たいそうな趣味人だ。S 3110107 園の中心の沢の池。中の島付近。 岡山後楽園 明治17年 一般公開 昭和27年 特別名勝に指定S 3110110 後楽園から見た岡山城天守閣。後楽園の西を流れる旭川の対岸に聳える岡山城。太平洋戦争の空襲で城の殆んどが焼失したが。戦後、天守閣のみ豊臣時代に宇喜多秀家が築いた姿がコンクリート建築で復元された。3月10日~11日の小旅行。岡山倉敷、津山から姫路の霊場書写山円教寺、平成大修理が始まる直前の姫路城、そして岡山に戻り後楽園。二日間にしては少々ハードでしたが、得るところもいろいろあり、楽しいツアーでした。 (写楽1116)
2010年04月01日
コメント(2)
今回の小旅行、コースの最初は倉敷市美観地区。あいにくと天気はあまりよくない。倉敷は江戸時代からの幕府直轄領として繁栄。米や物資の集散地で、商人の町屋や土蔵が立ち並び、明治期になると繊維工業も発展、現在でも伝統と産業、そして観光事業が共存する姿が見えるのが特色。 写真 P3100025 美観地区 倉敷川べり美観地区の中心に位置する大原美術館。私立美術館では最古。古今東西の著名な美術彫刻作品が多数。愛好者、研究者にはたまらない魅力だろう。じっくり観賞すれば、まる1日はかかる。館のパンフによると、チケットがあれば、その日は何度でも入館できる、とある。研究者・愛好者の美術へのこころを大切にする、という創業者以来の館の方針の表れと感じる。 写真 P3100026 大原美術館 正面 写真 P3100028 大原邸(重文) 写真 P3100034 倉敷川両岸の観光船の船頭さん 写真 P3100038 美観地区の店並み倉敷から津山へ津山城跡(鶴山公園)は、西日本屈指の桜の名所。約5千本の桜は見ごたえがあろう。この時期、それは見ることができないのは残念。津山城は、森氏の居城。織田信長とともに本能寺で死んだ森蘭丸は、ときの城主森忠政の実兄。明治の廃城令で取り壊された。しかし、残った石垣などを見ると、天守、本丸、二の丸、三の丸の規模は相当なもので、建物があれば壮観だったろう。 写真 P3100043 復元した備中櫓 珍しく畳敷きで城主や家族用の櫓とみられる 写真 P3100044 同じく備中櫓 写真 P3100047 左が天守台の石垣 右が備中櫓小観光旅行、1日目の見物はおわり、宿泊の湯の郷温泉へ向かう。 (写楽1116)
2010年03月28日
コメント(2)
3月11日、小旅行書写山円教寺。ツアー旅程では、しばしば姫路城と円教寺は近接しているためかセットにされている。円教寺は一千年のむかし、性空上人によって開かれた。まさに深山幽谷の、悟りと信仰の道場で西の比叡山とも称された。ロープウエイで登り、さらにマイクロバス(徒歩でも可。だいぶ以前に馬車をつかった記憶がある。尋ねると、馬は死に、バスに換えた、という)で奥へとすすむ。古色蒼然とした塔頭が点在する。魔尼殿前がバス終点。 写真 3110052 魔尼殿 崖の中腹に建立されている。釘は1本も使わない。 しばらく歩くと、忽然と三つの堂が、逆コの字形に現れる。大講堂、食堂(じきどう)、常行堂である。あまり見かけない特色ある伽藍配置。円教寺の中心的堂宇群だ。 写真 3110060 食堂2階から見る大講堂 写真 3110055 食堂 写真 3110057 食堂内部(1階)信仰資料が展示されている 写真 3110061 食堂2階から見る常行堂このほか、多数の堂宇が点在する。修行信仰の道場という性格や、交通がやや不便ということもあり、観光客や庶民の参拝も多くはないようだ。そのためか、しんと静まり、霊気が漂う気がする。次に訪れた大混雑の姫路城とは対照的でした。 境内は国指定史跡 魔尼殿、大講堂、食堂、常行堂をはじめ、多数の仏像などが国の重要文化財 (写楽1116)
2010年03月24日
コメント(3)
3月10日、大学時代の友人二人とともに、観光旅行。岡山倉敷、津山城址、後楽園、姫路市書写山円教寺、姫路城など。姫路城は4月から大修理で5年間は眺めることも中に入ることもできないので、この旅行は姫路城がメイン。まずツアーの順序とは違うが、姫路城をざっとふりかえる。 写真 P3110092 連立式天守閣 大天守に二つの小天守が連なるのは姫路城のみ。 写真 P3110073 写真 P3110076 銃棚 あちこちにある 写真 P3110090 瓦 築城に協力させられた大名たちの家紋が瓦に焼き込まれている 写真 P3110086 徳川家康は、大坂の豊臣秀頼が反徳川の兵を起こし、それに呼応して豊臣系西国大名が大坂に駆けつけることを予想し、姫路城でこれをくい止めるため、それまでないさまざまな工夫を凝らし、大要塞として築城(改築)させた。しかし、大坂冬の陣、夏の陣ははやく終わり、豊臣氏は滅亡。以後、姫路城は築城400年の現在まで実戦することはなく、この間、廃城、売却案、空襲 などの危機を乗り越え、今日に至ったのは奇跡といわれる。 世界文化遺産、国宝、重要史跡。 (写楽1116)
2010年03月24日
コメント(3)
2月28日、毎年恒例のベートーヴェンの第九交響曲<合唱付き>を5000人が歌うコンサートを聴きに家内と両国国技館へ。このコンサートは今年で26回めという。もともとは、昭和60年、国技館の落成を祝い企画されたもので、墨田区が発祥の地だ。コーラスは、北海道から沖縄まで、それに外国の方も加わり、国技館の全座席の半分を5千人のコーラスで埋める。1年間の練習は、地域が全国に及んでいるだけに、さぞ大変だったと思われる。 写真 P2280007今回のコンサートテーマは「全人類は兄弟・姉妹」。ベートーヴェンの理想と願いをこころのベースに、大曲を歌い上げるのだ。 独唱 ソプラノ 佐藤しのぶ メゾソプラノ 坂本 朱 テノール 錦織 健 バリトン 福島 明也 管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮 張允聖 合唱指揮 栗山 文明 北川 博夫 合唱 国技館すみだ第九を歌う会合唱団5000人 写真 P2280012演奏直後、聴衆の大喝采に応える。 前列の右端 錦織氏、中央へ 佐藤さん、坂本さん。 写真 P2280015最後に、聴衆5千人と出演者5千人が、滝廉太郎の「花」をオーケストラの伴奏で歌う。1万人のコーラスが国技館内に美しく響きわたった。感動的なコンサートでした。写真共生サイト「フォト蔵」でも、ほぼ同様のご報告を載せたつもりでしたが、不慣れとPCを変えたことから、操作が不適切で混乱し、お見苦しいものになりました。ご了承ください。 (写楽1116)
2010年03月02日
コメント(2)
2月14日 秩父長瀞のろう梅が見ごろと聞き、久しぶりの好天気でもあり、長瀞へぶらりと出かけました。長瀞は観光地として整えられ、梅見の人々で賑わっていました。梅園は長瀞宝登山の頂上にあるのですが、まずは宝登山ふもとに鎮座する宝登山神社に参拝。そこから頂上まではロープウエイで5分くらい。ろう梅は、鉄道会社の宣伝とは少し異なり、花は咲いているものの、殆んど下向きで、萎れた感じ。天気が前日まで悪く、気温の変化が著しいのが原因かと思われます。もう少ししっかりと凜とした姿だと、なおよかったことでしょう。ろう梅は2千本、僅かながら紅梅、白梅もあり梅園を引き立てていました。梅園付近では展望台の眺めもよく宝登山神社の奥宮もあり、神職さんが焚き火のサービス。なるほど頂上付近はまだ残雪があり、寒さが身に浸みました。ところで、宝登山神社の縁起などによると、4世紀ころ、大和政権は九州のクマソ、東国、東北のエミシなどを従属させようと倭建命(ヤマトタケルノミコト)を遠征させたおり、この宝登山あたりで反大和政権の部族がヤマトタケルを包囲、火攻めにした。ミコトは剣で草木を伐り払い、反勢力を敗退させ(古事記)、ミコトは神助を得たと感謝し、この地に神を祀り、火止山(ほとやま)と名づけ、のち、宝登山と言い換えた、とあります。もちろん、ヤマトタケルは実在の人物でなく、当時の大和政権の全国制覇政策の象徴としての物語上の人物でしょう。しかし、この地が伝承・物語の舞台になっいたとは知りませんでした。古代史上の物語の舞台が、意外に身近にあるなあ、と思いながら帰途についたのです。都合で、下手な写真は数枚を下記に搭載しております。よろしければ覗いてくださいませんか。 http://photozou.jp/photo/top/240173 ニックネーム sharaku 1116 出し方(ご参考) 上記アドレスですぐ私の写真ページが出ます。 タイトルを選びクリック→わたしのアルバム(項目)からどれかをクリック。 小さい写真のどれかをクリック。 写真が大きく出ます。大きな写真の右上か左上をクリック。大きい写真がつぎつ ぎと出ます。なお、楽天さんのブログをやめたわけではありません。今後の「楽天ブログ」も「フォト蔵」も、ともによろしく。 (写楽1116)
2010年02月23日
コメント(4)
先日、ラスベート交響楽団第22回定期演奏会を聴きました(杉並公会堂大ホール)。このオケは数回聴いていますが、聴くたびに芸術的、アンサンブル合奏技術、音の美しさなどが著しく向上し、楽しいものでした。もちろん、指揮者秋山俊樹氏の指導によるところも大きかったのでしょう。写真P1240018曲目 モーツアルト 歌劇「魔笛」序曲 イヴァノフ コーカサスの風景 から シベリウス 交響曲第2番というプログラム。とくにシベリウスは楽章によっては、北欧の、重い静寂さがよく出ていて、印象深いものでした。秀演といえるでしょう。 オケの名前ラスベートは、夜明け という意味だそうで、名称どおりに今後の発展を期待します。 (写楽1116)
2010年02月07日
コメント(2)
ちょっと前の話ですが、正月初めころ、近くの都立石神井(しゃくじい)公園の池に2羽の黒鳥が飛来しました。どこから来たかは分かりません。2羽は仲良く、いつも一緒です。つがいでしょう。読売新聞にも報じられました。人や動物を怖れず、悠々と泳ぎ、他の水鳥と喧嘩もせず、あたりを眺めています。珍しい水鳥なので近隣のかたがたはもちろん、遠方から電車に乗って見にくるかたもいます。 写真P1080120 写真P1080136 写真P1210008めったに羽を広げませんが、黒鳥の大サービスでしょうか、見せてくれました。とっさの撮影でピンボケです。1月27日ごろ、どこかへ飛び立っていきました。お暇と興味をおもちでしたら、下記でも写真を少し多く出しています。よろしかったらご覧下さい。 http://photozou.jp/photo/top/240173 ニックネーム sharaku 1116 (写楽1116)
2010年02月02日
コメント(2)
明けましておめでとうございます。新年のご挨拶にしては遅くなり、失礼しました。実は、わたしのパソコンが年末に故障してしまい、どうしても作動せず、メーカーのユーザーサポートにヘルプを頼み、数時間にわたって電話でのやりとりによるチェックと改善の指示を受けたのですが、結局ダメで、故障の宣告をうけてしまいました。修理にだせば○万円はかかると!それならいっそ新品を購入したほうがいい、ということになり、突然の出費で痛いのですがソニー・バイオを購入。しかし、パソコンの技術は日進月歩、旧機とはだいぶ異なり、操作は難しく、現在新パソコンと悪戦苦闘中です。(私はメカに弱いのです)残念なのは、メールの受信・送信の記録、ヘタクソながら保存しておきたい写真、ブログの記録の一部、住所録、Eメールアドレスなど全部パーとなったことです。旧機のハードデスクだけを取り出し、新機のハードにコピーさせることも考えましたが、やはり○万円かかり、しかも保証はないと。これもあきらめざるをえませんでした。こんなバタバタした越年は初めてです。でも、新品を買った以上は頑張らにゃ…、と思っています。(このブログも試行の意味を兼ねています。お見苦しい点がありましたらご容赦ください)末筆ですが皆様のご多幸を祈念いたしております。 本年もどうかよろしくお願いいたします。 (写楽1116)
2010年01月05日
コメント(4)
12月1日ブログ上の知人(女性)からの紹介で、千葉県野田市清水公園へ紅葉見物に出かけた。現役時代の旅行会のメンバーで先輩のY氏と一緒に。東武・野田線の清水公園駅から10分。紅葉は、最盛期の見ごろの時期、見応え十分。公園のなかに、金乗院という真言宗の古刹があり、あたり一帯の紅葉はすばらしく、紅葉をひきたてるように、いちょうの大木の黄葉も黄金色に輝く。 写真 010004 写真 010010 写真 010011 鐘楼 公園は、有料ゾーンもあり、花ファンタジア(ローズ園、温室植物、ラベンダー園、ボタン・シャクヤク園、花菖蒲園など)、レストラン、アスレチック、など多様なゾーンがあり、楽しめる。 写真 010021 ばら園 写真 010025 写真 010029 温室エントランス中央にクリスマスツリー 温室の2階がレストラン。ここがなかなかいい。昼食をとりながらガラス越しに眺めを満喫できる。そしていくらねばってもOK。へたな写真ばかりでお恥ずかしい。なおご覧に入れたいのもありますが、今回はこれにて…。(写楽1116)
2009年12月03日
コメント(4)
2009.11.17モーツァルトの死の直前に作曲された「レクイエム」を聴きに、東京、サントリーホールへ。母方の従弟が、コーラスに助っ人で出演するので大いに期待して、家内と出かけた。あいにく、天候は悪かったが、従弟が、2階正面の前列2番目の、最高の席を用意してくれた。 サントリーホール玄関前 演奏開始直前のチューニング 当日のプログラムは、 モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 同 レクイエム(鎮魂曲) 出演 ソプラノ 幸田 浩子 メゾソプラノ 小川 明子 テノール 錦織 健 バスバリトン 北川 辰彦 合唱 ミナトシティコーラス 合唱指揮 安達 陽一 管弦楽 東京交響楽団 指揮 大友 直人独唱は文字どおりわが国のトップクラスのメンバー。コーラスも極めて上質のものだった。オケも、1946年創立以来の伝統もあり(設立は近衛秀麿。山田耕筰、上田仁らが協力)、落ち着いたいい響きを奏でていた。印象深いコンサートであった。 (写楽1116)当ブログは器機の不調でしばらく休んでおりましたが、どうやら復調し、ポツポツ再開です。この間、下手なものですが「写真共有サイト フォト蔵」をわずかに利用発信しております。お暇と関心がおありでしたら覗いてみてください。(ニックネーム sharaku1116)
2009年11月19日
コメント(2)
2009.11.4ときどき、写真をそえた感想文などをブログで公開しており、見ていただいておりますが、このところ、ご無沙汰しております。以前から、写真の残り容量の不足で、こころならずも写真サイズを圧縮、点数も絞っておりましたが、有料ブログの扱いがあり、容量を気にせず、写真添付のブログがつくれる、という広告に期待し、入会金も支払い、やってみました。最初1,2度はなるほど上手くいきましたが、あと、だんだん残り容量不足でエラーとなり、ついに1枚も写真を載せられなくなりました。広告の文言とは逆進です。それでブログ発信を一時休止したのです。わたしの操作が間違っているのか、パソコンの一部が故障しているのか、楽天さんになにか手違いがあるのか、それはnetに弱く、パソコンの機能・操作に未熟なわたしにはわかりません。せっかくアクセスしてくださった方々には申し訳なく存じます。ただいま、経緯と現状、その改善につき、楽天ブログさんに問い合わせ中です。ブログヘルプを開いてみても、該当するアドバイスは見つかりません。ブログ窓口のユーザーサポート直通電話は何処にもありません。やむなく、郵便で問い合わせておりますが、なかなか返事がこないのです。なにかアドバイスをいただければ幸いです。(写楽1116)
2009年11月04日
コメント(3)
2009.8.12まさに異常といえる大雨、そして震度6弱の大地震。亡くなられたかたのご冥福を祈り、罹災されたかたがたに、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興と生活の正常化を祈念しております。お盆ですので、家内をつれて埼玉県新座市の平林寺へ詣でました。東京、埼玉周辺ではかなり著名な古刹ですが、交通が不便で参詣者は少なく、寺内は静寂、この雰囲気が心を落ち着かせるのかもしれません。わたしはこれで3度目の訪れですが、殆ど変わっていません。 三門と仏殿 本坊 豊臣政権の五奉行のひとり増田長盛の墓。この隣に武田信玄のむすめの墓があります。 江戸幕府の重鎮、松平信綱と一族の墓当時としては、極めて豪華なものと思われます。 お墓ばかりで、陰気ですが、お盆ということでご了承ください。<ご参考>平林寺は、臨済宗妙心寺派。創建いらい、やく350年経過。「野火止用水」の水路を寺内あちこちに見ることができます。 <写楽1116>
2009年08月13日
コメント(1)
2009.8.1公園のボート池で灯籠流しがあると聞き、ぶらりと散歩をかね、見物に出かけました。灯籠の出発点は、ボート池の乗船口。主催は、消防団、商店街関係、防災、交通安全関係 など。灯籠は大小2種あって、大は主催関係、小は誰でも自由に、願望・慰霊の絵やことばを書いて参加できる、というものでした。すこしあやしい雲行きでしたが、相当な混雑。 ボート池の、中央、西側は灯籠も人出もまばらになるのは仕方ありません。 浅草とか両国などのように規模の大きい夏の夜の行事にはとうてい及びませんが、ここなりに情緒を感じさせる灯籠流しでした。なお、同公園の別のコーナーでは、全国有名な陶器市も開かれるそうです。 <写楽1116>
2009年08月02日
コメント(3)
2009.7.26「世界初公開、誰も見たことがない写楽がギリシャにあった…」という広告が目立つようになりました。国外へ流失し、ギリシャのマノスコレクションにあって、このたび里帰り、というわけです。わたしのハンドルネーム写楽は東洲斎写楽さんからお借りしているもので、そのいきさつや理由はとも角として、この画展は見過ごすわけにはいきません。雨上がりをみて、両国国技館の隣、画展会場の江戸東京博物館を訪れました。 相当な作品群。写楽とほとんど同時代に活躍した、広重、歌麿、北斎、鈴木春信、などの作品も一緒に展示され、作者・作品のそれぞれ個性・画風の違いもはっきり認識できました。役者絵、首絵などの面白さもありますが、オリジナル作品と後年の木版摺りもそれぞれ保管状況がすぐれていて、両者の判別しがたいのもあり、感心しました。写楽という人は実在しない、他の作家の偽名であるとの議論や写楽の正体探しも以前からあったのですが、ここの展示場では当然のことながら触れていません。全体的に、面白い画展であり印象的でした。場内はもちろん撮影禁止。ご紹介できないのが残念でした。 <写楽1116>
2009年07月28日
コメント(0)
2009.7.22朝食をとりながら、TVなどでいわれている皆既日蝕は今日だったな…と思い出し、「そうだ、写真に撮っておこう…」と思い立ったのです。といっても突如現地にいける筈もなく、TVの画像を撮ることにしたのです。あわただしくTVの前にカメラをすえ、放送が開始されると同時に、兎に角シャッターをきりました。特別の準備なしのバタバタ行動で、いいものが撮れるわけはありません。画像に縞模様が入り、まったく不出来でお恥ずかしいのですが、よろしかったらご覧ください。NHKでは、当日の悪天候なども予想し、悪石島のほか、硫黄島(太平洋戦争激戦地)、太平洋上(大型船舶)、中国、インド等からの放送も手当てをしていました。なお、画像の縞模様の原因と対処方法につき、どなたか、教えてくだされば幸いです。 写真 P7220072 写真 P7220074 写真 硫黄島 P7220077 写真 硫黄島、沈没した日本軍艦の残骸がいまだに残っています。 P7220084 写真 上海P7220086 写真 P7220094 硫黄島 皆既日蝕撮影のため、2~3日前から悪石島に天体観測用のすごいカメラを持ち込まれ、ひたすら今日のハレを念願されていた多くのカメラマンのかたがたには、たいへんお気の毒でした。(写楽1116)
2009年07月22日
コメント(2)
7月11日(土)わたしの拙いブログをご覧くださっている皆さま、このところ、ちょっとブログ発信をせず、失礼いたしました。近頃の天候では、ウオーキングの計画もできず、好天に恵まれるのを待つしかありません。先日、すぐ近くの石神井(しゃくじい)公園を散歩中、大きな、そして華やかな七夕の飾りが目に入りました。見ると、近くの大泉幼稚園の園児たちが制作したものでした。学齢まえの園児がいろいろ工夫・努力してまとめたものなんでしょう。お願い事もさまざまで「はやく大きくなりますように…」など、幼児らしいお願いがいっぱいでした。 写真 七夕飾り 写真 七夕飾り すぐ近くに、三宝寺池があり、蓮がびっしり。花も咲き始めたようですが、花が小さくこの写真でははっきりしません。 写真 三宝寺池の一部 写真左の奥あたりが、石神井城本丸跡(4~500年前)になります。城の北側の堀は、代わりに三宝寺池を利用したということです。 写真 蓮の花 写真 花のアップ散歩中、道端に咲いていました。花の名はわかりません。 写真 他家の花 この花は、公園近くの他家のお庭に見事に咲いていました。わが家のせまい庭にも全く同じ花がありますが、これよりずっと小さく、名は、家内によるとノーゼンカツラというのだそうですが、若干、あやしげです。 <御参考>七夕伝説はいろいろあるようですが、全天を飾る88星座別のギリシャ神話から のもの。 日本、中国、ベトナム、韓国など、節供のひとつ。 日本では新暦では7月7日、旧暦では8月7日に祭りが行われる。 各国とも古来からの習俗のひとつ。 (写楽1116)
2009年07月11日
コメント(4)
09.6.12前掲のユリ園の続きです。不動寺、菖蒲まつり、正福寺(しょうふくじ)を歩きました。不動寺はユリ園のすぐ隣、周囲がドーム、西武園などレジャー施設が多いなかで、静寂なたたずまいを保っています。江戸時代初期の創建のようです。太平洋戦争の空爆で本堂は罹災したそうです。 ここから西武線東村山へ。市を挙げての菖蒲まつり。全体を見渡すため、臨時の眺望台も用意されています。そこからの眺めは素敵でした。 菖蒲を鑑賞して、近くの正福寺(しょうふくじ)へ、寄り道しました。この寺の地蔵堂は、寺社建築のジャンルでは東京都で唯一の国宝です。鎌倉時代に創建された円覚寺の舎利殿と同じ様式のものといいます。 2度目の訪れですが変わることもなく、いかにも禅宗寺院らしく、小さいながら威容と歴史の重みを感じます。
2009年06月21日
コメント(2)
先日(6月12日)埼玉県所沢市のユリ園に行ってみました。西武ドームの向かい側、西武線西武球場前からすぐのところです。50種類、45万株のユリ、なかなか見ごたえがありました。ゆっくりと鑑賞しながら写真を撮ったりすると、2時間くらいかかります。そのときの写真の一部をご覧に入れます。 <試し>
2009年06月19日
コメント(4)
09.6.12埼玉県と所沢市のバラ園と、東京都東村山市の花菖蒲まつりへ、足を向けました。バラ園は西武ドームの向かい側。バラの種類の多様さは想像をこえました。50種類45万株というそうとうな規模です。ゆっくりとバラを鑑賞し、時々写真を撮りながら一周すると2時間近くかかります。すぐ近くの不動寺をめぐり、多宝塔2基その他に詣で、東村山市の北山公園へ。「菖蒲まつり」観光客招致に市をあげて努力しているようです。花菖蒲の鑑賞をおえて、北山公園の近くにある正福寺(しょうふくじ)へ寄り道しました。ここの地蔵堂は、寺社建築で東京都内唯一の国宝です。今回で2度目の訪れですが、国宝の建造物は、やはりそれなりの雰囲気があり、歴史を感じさせます。以上の本文に写真を添付したいのですが、やはり今回もエラーとなって写真はでません。取りあえず「フォト蔵」にだしましたので、興味・関心と、時間ががおありでしたら、覗いてみてください。「フォト蔵」でのニックネームはsharaku1116 です。 (写楽1116)
2009年06月17日
コメント(2)
6月3日わたくしの拙いブログをご覧くださっておられた皆さま、このところ、ちょっと楽天ブログに出すのを休んでおりました。下手な写真をメインにしておりましたが、次第に写真がブログに上手く出せなくなったのです。1件につき写真を5~7枚出してきていましたが、だんだん許容がすくなくなり、ついに1枚くらいがせいぜい…。写真画面(サイズ)をグッと小さくし、点数も減らしましたが、いつも許容量オーバーで、エラーになります。PCのHDには十分に余裕があるにも関わらず、いつもエラーでだめなのです。何か理由があるのでしょうが、わかりません。それで、取りあえず、楽天でなく、フォト蔵 (http://photozou.jp/) のサイトを利用し始めました。これは相当数の写真も登録可能、受信の相手も思いのまま指定できます。もし、興味とお暇がおありでしたら、覗いてみてください。ただし、登録(無料)が必要かと思います。楽天ブログの(わたしにとって)不具合が調整できましたら、楽天ブログに復帰します。楽天と フォト蔵 2箇所を利用することになります。フォト蔵でのわたくしのニックネームは sharaku1116 です。よろしくお願い申し上げます。取り急ぎご案内まで。!ついに写真は1枚も入れなくなりました。
2009年06月03日
コメント(0)
2009.4.28(火)天皇・皇后両陛下ご成婚50周年ご即位20周年 記念コンサートの入場整理券を母方の従弟が都合してくれたので、喜んで出かけました。(東京NHKホール、7時)しかし、入場には厳しいルールやチェックがありました。入場のさい、整理券と座席券と引き換えるが、座席券はランダムに渡されるので、希望する座席にはつけない。数名が一緒に並んでも入り口玄関でバラされ、座席券も上記のとおりで、知り合いのものが固まって座ることはできない。入館のさい、空港での航空機搭乗と同じく、磁気金属探知機をくぐる。持ち物検査を受ける。録音、録画、撮影は一切禁止。警備体制・人員が多数。推測ですが、皇宮警察、警視庁、NHKホール警備担当。警察犬1匹、これも推測ですが、爆発物発見の警察犬でしょうか。などです。これは、両陛下ご来臨のためと思われました。やはりプログラム第2部開始直前に、両陛下がお出でになりました。 満席の聴衆、ステージ上のN響、大きな拍手と歓声に、両陛下はにこやかに、丁寧に手をふられてご着席。 出演は、出演順に、 吉野直子(ハープ)、高木綾子(フルート)、神尾真由子(ヴァイオリン)、 佐野成宏(テノール)、中村紘子(ピアノ)、佐藤しのぶ(ソプラノ)、 NHK東京児童合唱団、 指揮 外山雄三 管弦楽 NHK交響楽団 司会 NHKアナウンサー 黒沢保裕・高橋美鈴 といった、わが国第一流のクラシック音楽アーティストのかたがた。そして、この記念コンサートにふさわしい名曲の数々でした。この中で、最後から2番目の「ねむの木の子守歌」は皇后陛下が高校生時代に作詞されたもので、千住明さんの編曲。中村さんのピアノ、佐藤さんと児童合唱団の歌、N響の伴奏で、鑑賞の機会をえられたことはとくに永く記憶に残るものに違いありません。終演後、再び聴衆と出演者全員が自然に起立、大拍手がおこり、両陛下も出演者に拍手、そして、長い間、にこやかに拍手にこたえられててをふられ、会場を去るのがいかにも惜しいご様子でいかれたのです。このような、皇室と国民とのこころ温かな、なごやかな交流の場に居合わせたのは実に幸いで、一生印象に残るものと思われます。なお、私見ですが、両陛下ご来臨であるにしても、やや、警備過剰かとの印象もありました。こういう場合は止むを得ないのかもしれません。 了
2009年04月29日
コメント(0)
2009.4.22(水)徳川綱吉が、将軍になる前にながく城主だったところ、群馬県館林市。ここに日本有数のツツジ園があるというので、ちょうどツツジの花の見ごろの時期でもあり、家内と訪れた。北千住から東武伊勢崎線急行で1時間ちょっと。館林駅前の観光案内、ツツジ園へのアクセスなど、市をあげての至りつくせり…のサービスである。ツツジ園の正式名称は、「県立つつじが岡公園」。園内のツツジは、老木、大木、巨木、種類もさまざまだ。1万本あるそうだ。むかし鎌倉時代、新田義貞の愛妾がこのんで愛しんだといわれる、樹齢800年のツツジの古木もある。園のスケール、歴史などから、なるほど日本一のツツジ園であろう。残念なことに、当日は風が強くツツジがたえず揺れ動き、写真がきわめて撮りにくい。市内あちこちに鯉のぼりの鯉が空中を泳ぐ。端午の節供が近いのを実感する。バスで移動し、「野鳥の森公園」。美しい絨毯のような芝桜をみて、次はいよいよ分福茶釜で有名な茂林寺。 三門をくぐると二十数匹のタヌキちゃんが、さまざまな表情で出迎えてくれる。遅い昼食は、この町自慢のうどんを摂り、家路につく。帰宅5時 了
2009年04月26日
コメント(2)
4月19日(日)男性コーラスを聴きに、家内を伴い出かける。出演は母方の従弟も有力メンバーの一人の、白門グリークラブ(中央大学男性コーラスOB)。曲のメインはフォーレの「レクイエム」そのほか、オペラの合唱曲集、小山章三氏の作品、懐かしく心に残る思い出のうたなど。いずれも、白門CGの実力をフルに示す好演。フォーレとオペラ合唱曲には、白門GC記念アンサンブルオーケストラの賛助出演。小編成ながら美しく深みのある演奏であった。全体として、白門GC演奏会は、聴衆への感銘も深く、大成功となった。大拍手に応える 指揮 小山章三、松本宰二(常任) ピアノ 大庭直子 会場 東京、北区 北とぴあさくらホール 以上
2009年04月20日
コメント(0)
2009.4.6~4.7例年になく暖かで晴天が続く桜の時期です。少々近郊の花見に出かけましたが、さて、地元の石神井公園の桜はどうか? とブラリと散策。6日~7日あたりは満開の時期を狙ったんです。その時の下手な写真です。全国著名の桜の名所にはとうてい及びませんが、それでも当地の桜も見ごたえがありました。桜は、おもにボート池周辺と野球場付近に集中。区の広報誌によると、約240ほどあるということです。 三宝寺池の北にある、照姫古墳(供養墓)。戦国時代、豊島区、練馬区、一帯を支配していた豊島氏が、江戸中央の支配者太田道灌と対立、現、江古田の原の合戦で敗れ神奈川に敗走。伝承によると、娘の照姫が宝物を抱いて三宝寺池に入水した。哀れに思った村人が、後年供養塔を造り慰霊した、といいます。(考古学的調査では、宝物はなかったそうです)近くにも多くの桜があり、その下での花見の宴会も盛んですが、照姫古墳に詣で、中世の昔を偲ぶ人はごく稀です。 <了>
2009年04月09日
コメント(0)
2009.4.5(日)続き昨日ご覧に入れた岩槻城址公園の様子の一端は、PCの若干の不具合いから、写真の点数が減ってしまいました。そこで、ここに少しばかり追加をさせていただきます。 菖蒲池の朱塗り八ツ橋と桜 満開の桜 桜のしたでの太鼓組みの演奏 兄さん、姐さん方の太鼓の響きも凄いが、見ていて絵になると感心する。
2009年04月08日
コメント(2)
2009-4-4(日)急に思い立ち、家内と岩槻城址公園に花見に出かける。ここは、関東・近県では桜の名所として名高い。平成の大合併で岩槻市はさいたま市に合併され、岩槻区となり、市長は失職した。岩槻城は、川越城、忍城とともに武州三名城のひとつとされ、16世紀後半まで太田道灌が城主。豊臣秀吉の小田原攻撃のときに同時に落城。以降、有力大名の居城となる。現在の城址公園は17.9hr。現在は市民の憩いの公園として、また観光資源として広く美しく整備され、特に桜、蓮の時期にはたいそう賑わう。訪れたとき、ちょうど時期的に、桜は満開、見事だ。赤い橋がきれいに映るこの池は、かつて明治神宮の菖蒲を根分けして栽培していたがいまは枯れてしまい、代わりに蓮が多くなっているという。帰途、近くの久伊豆神社(出雲系)に参拝。好天に恵まれ、よき一日だった。
2009年04月07日
コメント(0)
近頃、外出が多くなった。今回は、家内とともに日帰りバスツアーに参加、千葉県山武市の二つの寺院のしだれ桜の観桜と、茂原市郊外の、四方懸け造りで有名な笠森寺(笠森観音)詣で。帰途、東京湾アクアライン海ほたる。いずれも初めてだ。行程、休憩、参観、食事などすべてお任せで気楽である。長光寺のしだれ桜。相当な古木。7分咲きくらいか。見事なものだ。県の天然記念物指定。 しだれ桜はこのほか数本あり、静かな境内で咲いていた。満開の桜の下での酒盛りの賑やかな花見とは趣が異なるが、これはこれでゆったりと落ち着いて観桜が楽しめる。長光寺から近い妙宣寺のしだれ桜は、種が違うのか、5分咲きくらい。 昼食は九十九里町「ちよもと」で鰯料理。鰯料理といっても随分といろいろな料理があるものだ。美味。食後、いよいよ笠森観音へ。実は、わたしにとってここが一番の目当てであった。崖の頂上に61本の異なる寸法の柱に支へられた、本邦唯一の四方懸け造り建築である。伝承では、京都の清水寺舞台の懸け造りを完成した棟梁・職人たちが、のち、ここの四方賭け造りを造営・完成したという。ここの急な階段は年配者の方々には少々大変だった。鎌倉建長寺の半僧坊くらいか。 東京湾アクアライン海ほたるで休憩海ほたる <参考>笠森寺 天台宗別格大本山。 伝教大師最澄の開基と伝える。本堂は1025年建立。 国指定重要文化財。 観音霊場巡礼第十三番札所。
2009年03月30日
コメント(1)
昨3月24日、ひとりで横浜本牧の三渓園へ。横浜駅東口からバスで約40分。正門から入ると三渓園のシンボル的な景観、奥の小高い丘のうえの三重塔と手前の大池が目に入る。それらを取り巻いて、三渓記念館、京都から移築した旧燈明寺本堂や、鎌倉から移築した東慶寺本堂など、多数の建築物が散在する。広大な庭園はよく整い、美しい。遠くに見える三重塔が園の一番奥かと思うとそうでなく、園のほぼ中央に位置する。 池には沢山の水鳥 関東地方では最古の塔1457年の建築 旧燈明寺本堂と桜 桜と塔遠望 ゆきやなぎ 帰途、桜木町のみなとみらいの中心、ランドマークタワー展望フロア(69階)に立ち寄り、しばし、横浜の中空からの眺めを楽しむ。 この日は時間の関係で、三渓園も、みなとみらいも端折って帰宅。できればまたいつかじっくりと見に行きたいものだ。<参考>三渓園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家 原三渓の元邸宅。明治39年に公開された。約53000坪。歴史的価値の高い建造物を移築、巧みに配置した。大正12年に内苑が完成。重要文化財10棟、市指定有形文化財3棟。太平洋戦争で大きな被害を受け、昭和28年、原家から横浜市に譲渡・寄贈され、現在に至る。
2009年03月25日
コメント(0)
前日(3.1~3.2)の続き2009.3.2 この日はほぼ晴天。正面は太平洋。気分がいい。ホテルのロビー飾られたおひなさま。キャラクターびなというべきか。ホテルでの朝食後、すぐ隣のシーワールド遊園地へ。ホテルの宿泊客は、遊園地はフリーパス。ここは動物たち(イルカ、アザラシ、シャチ、アシカなど)が調教師のサインで次々とショーパフォーマンスに出演するため、いくつものステージと観客席が用意されている。いやー、その芸のおもしろいこと、予想外だ。時間のたつのも忘れ、久し振りに童心にかえる。体の巨大さに驚くベルーガパフォーマンスイルカたちの熱演「おお、よしよし!」調教師を乗せて泳ぐシャチ午前中で鴨川シーワールドに別れを告げ、路線バスで南房総市のお花畑へ。この時期、南房総では暖かく、あちこちのお花畑は真っ盛り。きんせんかきんぎょそうストックほかしばらく逍遥してお花を観賞し、バスで館山へ。そこからJR特急で帰京。勝浦、安房小湊、鴨川、南房総をめぐっての小旅行、たのしい二日間でした。 なお、このブログに掲載の写真の扱いに誤りがあります。お許しください。
2009年03月07日
コメント(2)
2009.3.1~3.2 千葉県勝浦の「ビッグひな祭り」などを観る。以前、勤務していた社の先輩と二人での観光小旅行。あいにく天気予報がはずれ、勝浦の朝は雨天で風も強く、メイン会場の遠見岬神社正面の階段で飾ったひな壇は中止、代わりに第二会場の市民会館で飾った雛を観る。日曜日、殆ど観光客全員が市民会館に移動したので相当な混雑。数々のひな人形は、古いものから現代のものまで大集合、まさにビックリだ。永年自宅に保存していた人形を、文化財保存の観点から市に寄贈したり貸し出したり、また遠い地方の人々も協力する人もいたりで、いかにも地方都市らしいひな祭りだ。午後は天気も持ち直し、予定通り安房小湊へ。日蓮上人生誕の地に建立されている誕生寺(日蓮宗大本山)参詣。誕生寺は、かつて二度の大津波で倒壊し、現在の本堂ほか塔頭は三度目の建立。そのあと、鯛の浦の観光船で禁猟区の鯛の群れを見学する。TV等マスコミ報道では、この期間中のひな祭りに30万人の人出だという。この日は、安房鴨川の鴨川シーワールドホテル泊り。二日前にかろうじて予約をとれたが、ほとんど満室だった。同ホテル付きの遊園地は、我々大人でも面白く楽しかった。
2009年03月05日
コメント(0)
桃の節供ー女の子の節供ーはもう過ぎたが、桃の節供について考えてみる。古くから貴族・武士の私的な節日として祝われてきた。その後江戸幕府によって式日として定められたが詳しいことは不明である。民間でこれらの日が祝われるのには、古代中国の暦の影響もあるが、日本古来の民俗が基礎となっている。三月三日の節供というと、内裏雛を始め多くの雛を飾り桃の花を供えるのだが、全国的にはいろいろな形があり、ご馳走を作って磯遊びや山遊びなども行われていたようだ。これらは、三月の農事開始を控えての重要な季節とあわせ考えられてもいる。さらに、日本古来の習俗との関係を考えるなら、三月節供を「女の家」とする伝承もある。「女が上席に座ってよい日」「女天下の日」「女のみが宿に集まって遊ぶ日」などの民俗もあったらしい。しかしこれらの、古くからの民俗は、次第に現代の荒波に飲み込まれようとしている。 (「日本民俗学の視点 2」日本書籍刊を参考とする)千葉県勝浦ビックリひな祭り(市民会館にて)
2009年03月05日
コメント(0)
「人と自然の共生」をテーマに、5000人が歌うベートーヴェンの「交響曲第9番合唱付き」を聴きました。母方の従弟が合唱に出演すると聞き、是非聴きたいと出かけたのです。5000人の合唱団とソリスト4人、70名のオーケストラが、東京・国技館での公演。今年が25回の記念演奏ということです。演奏が終わり、賞賛の拍手にこたえて起立するオーケストラと合唱団合唱は「すみだ第九を歌う会」を主体として、東京墨田区をはじめ、宮城、山形、長野、名古屋、大阪、九州、沖縄などからも参加されてました。今年は25回記念演奏会ということで、20回以上連続出演者の表彰セレモニーがあり、感心しました。「第九」のまえに、ベートーヴェンの序曲「レオノーレ第3番」の演奏。これもオーソドックスないい演奏でした。「第九」はなにしろ5000人がオケと息が合うのか、やや心配でしたが、よく整った立派な演奏でした。(大拍手) 合唱以外の出演 ソプラノ 佐藤しのぶ メゾ・ソプラノ 坂本 朱 テノール ローレンス・バクスト バリトン 福島明也 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮 ケルステイン・ベーンケ 合唱指揮 栗山文昭・北川博夫最後に、滝 廉太郎の「はな」を、あらかじめ配られた楽譜で全員(1万人)合唱。感銘深く帰路につきました。
2009年02月22日
コメント(1)
2月15日 鎌倉をあるく(8)から続く今度は、金沢街道沿いの杉本寺、報国寺あたりを参詣します。杉本寺へはバス利用です。この寺は、鎌倉最古の寺。天台宗。734年、藤原房前と僧・行基が建立。奈良時代に政治権力が東国に及んでいたか、少し疑問もありますが、本堂は萱葺き、本堂にいたる石段は人の往来が長く続いたものによる擦り減りようなどを見ると、「最古の寺」の実感を覚えます。本尊は秘仏、前立ち観音は源頼朝が寄進したものだそうです。磨耗した石段 危険なので側道を登る。ここは通行禁止。本堂報国寺 臨済宗建長寺派。鎌倉時代末期に、足利尊氏の祖父,家時が、中国から仏乗禅師を招き開山。永亨の乱(1439年)で足利持氏と子の義久が自刃した悲劇の寺です。庭はよく手入れされ、庭石の配置も独特です。裏手には竹林があり、竹寺のあだ名で有名。山門供養塔本堂「鎌倉をあるく」は(1)から(9)までで一応終了します。これをご覧くださった皆さま、お粗末なブログで恥じ入ります。経験不足もあり、写真の扱いが不十分となりましたがご海容をお願いいたします。(2月20日)
2009年02月20日
コメント(2)
2月15日 鎌倉をあるく(7)から続くぼたん苑の正式名称は、八幡宮神苑ぼたん庭園。八幡宮の、源氏池の東端にあります。各種のぼたんは背は低いのですが花が見事でした。立てば芍薬、座ればぼたん…といった戯れ歌?を思い出しました。このあと、訪問先は、杉本寺、報国寺(竹寺)あたりです。八幡宮からはバス利用です。ここで、東慶寺について舌足らずを補います。東慶寺について、尼寺と書きましたが、女性の住職制度は江戸時代末期までで、現在は男性が勤めておられるそうです。ご存知のかたも多数いらっしゃると思います。また、豊臣秀頼のむすめが大坂城落城後徳川家康の命で東慶寺に入寺、第二十世住持を勤められたということです。鎌倉をあるく(9)に続く
2009年02月19日
コメント(2)
2月15日 鎌倉をあるく(6)より続く東慶寺から徒歩10分ほどで巨刹建長寺です。広大な規模と風格に圧倒されます。臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山筆頭。中国出身の大覚禅師の開山。国重文が多数。境内は史跡指定。法堂(はっとう)内部境内の白梅寺内拝観後、昼食。鶴岡八幡宮 日曜日で参拝者多数。八幡宮社務所の南がわに流鏑馬馬場があり、その脇に白旗神社。ここは初めてでした。源頼朝、実朝を祀る黒塗りの社殿が印象的でした。八幡宮の源氏池周囲の一部がぼたん苑。有料ですが入ってみることに…鎌倉をあるく(8)に続く
2009年02月18日
コメント(0)
2月15日 鎌倉をあるく(5)に続く円覚寺からすぐ近くの東慶寺。臨済宗。北条時宗の妻、覚山尼の創建。寺格の高い尼寺。俗に、縁切り寺、駆け込み寺といわれる。代々の住職が女人の救済に力をそそぎ、離縁について徳川幕府もこれを認めた。以来、徳川家との関係も深い。東慶寺墓苑には、覚山尼はじめ、鈴木大拙、和辻哲郎、高見順、野上弥生子など寺にゆかりのある多くの文化人の墓がある。巨刹の円覚寺とは異なる趣きがあり、親しみやすく小じんまりとしていて、気楽に訪れることができる。参道と本堂まんさくや福寿草もみました。鎌倉をあるく(7)に続く
2009年02月18日
コメント(0)
2月15日、急に気温もあがり、正月に続いてまた鎌倉を歩きたくなりました。人があまり行かないところを考えましたが、家内も同行することになり、コースの予定をやや変更して出かけました。JR北鎌倉で下車、円覚寺へ。臨済宗円覚寺派総本山。執権・北条時宗が宋の高僧無学祖元を招き建立。鎌倉五山第二位。三門仏殿内部 この日はたまたま釈迦入滅の日(命日)で、涅槃図が正面の奥に祀られていました。境内の白梅国宝・舎利殿紅梅鎌倉をあるく(6)に続く
2009年02月17日
コメント(2)
「吹奏楽」は日ごろほとんどご縁がないのですが、ご案内をいただいたので聴きにでかけました。(2月1日、大沢和幸指揮、所沢市民文化センター「ミューズ」アークホール)プログラムは、第1部はクラシック系の曲で3曲。 第2部はガラリと変わって「IN THE 昭和」。昭和時代に誰もが聴き、親しん だポピュラーな名曲、イン・ザ・ムード、恋のバカンス、川の流れのように などなど。約60名のメンバーの意気があい、メンバー自身十分に楽しそうな演奏。もちろん聴衆は大拍手。パワーもあるし、うまいねえ!と、思わず声が出るほどでした。音響機器の大メーカー、パイオニアの従業員で組織された楽団だけに、音楽の専門教育を受けたメンバーが中心となっている、と推測します。とにかく、上手なんです。ソロプレーヤーはステージの前にでてきて腕前のご披露ですが、写真は撮れませんでした。たまには、ポピュラーのスィング調や美空ひばりちゃんの曲なんかもいいですね!それに、ここにはクラシック音楽では何度もきていますが、すばらしいホール、残響もほどよく、癒されます。(09.2.1)
2009年02月02日
コメント(3)
ナマの音楽を聴きたくなりました。ラスベート交響楽団の第20回定期演奏会(秋山俊樹指揮)の招待状がきていたので、出かけました。25日、東京・杉並公会堂。曲目は、チャイコフスキーの大序曲「1812年」 ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」という、意欲的なプログラム。前者は子どものときから親しんでいる曲ですが、後者は、ナマで全曲を聴くのは初めてで、すこし緊張しました。たまたま、一昨日NHK教育TV「音楽の森」で、ショスタコーヴィチの交響曲第9番(新日本フィル)を聴いたので、彼の大曲2曲を続けて聴いたことになりました。彼の曲はテーマ、フレーズ、オーケストレーションなどとても親しみやすく、難しい…とは思えません。オケは、豪壮なこの7番を迫力あるすばらしいものに仕上げていて感心しました。アマのオケとは思えないほど音楽性・テクともに充実したものでした。第1曲目が終わって拍手に応えるオケ。杉並公会堂入り口ラスベート響を聴くのは4回目ですが、実力の躍進ぶりも感じられ、気分よく帰宅しました。(09.1.25 写楽1116)
2009年01月25日
コメント(2)
鎌倉をあるく(3)からつづく佐助稲荷は素朴で小さな神社ですが、かつては格式は高かったのではないかと想像します。というのは、下社、本やしろ、奥社、と小さいながら3つの社があるのです。神職さんは一人、もちろん掛け持ちです。お守り、おふだからコーヒー、甘酒の販売まで一人ですから忙しい。わたしも甘酒をいただきました。もちろん、キツネさんは数え切れないほどたくさん。銭洗い弁天に近いせいか、参詣者は思ったより多かったようでした。銭洗い弁天経由、源氏山公園がウオーキングの最後となりそうな時間でした。急坂が多く、辟易しましたが、無理せずゆっくり歩き、葛原岡神社(日野俊基を祀る)、源頼朝像をみて、JR鎌倉に戻り、この日の社寺めぐりは終了です。帰宅は6時でした。頼朝像PCの不具合を生じ、コマギレのブログとなってしまいました。悪しからずご了承ください。(09.1.12)
2009年01月12日
コメント(6)
鎌倉をあるく(2)の続き鶴岡八幡宮はこの日7日でも、初詣で人の波。頼朝に捕らえられた義経の妻、静御前が頼朝の命令で八幡宮の舞台で舞った舞殿では、「神代神楽」が奉納されていました。ふと、静御前の心情が偲ばれました。小町の雑踏を通り抜け、江ノ島電鉄で長谷へ。おなじみの大仏さま。もう、10回近くお目にかかっていますが、何となくまたお会いしたくなり、寄らせてもらいました。八幡宮とは違って、参拝者、見学者は不思議なくらいまばらでした。佐助稲荷神社はいままで行ったことがないので、今回は是非、と訪れました。頼朝が平家打倒の旗揚げのまえに病気になり、このあたり隠れて病気を治したとか、いろいろ伝説があるようですが、この地と頼朝とは関係が深いことは概ね事実のようです。現在の地名も鎌倉市佐助…であり、頼朝が、「すけどの」と呼ばれていたことによる地名という説も、なるほどな、と肯いてしまいます。稲荷の旗の中を登ると、まことに素朴な神社ですが、7~800年前から、こんな姿のまま時間だけが過ぎていった、いわば中世の面影がここにある、といった印象でした。つづく
2009年01月12日
コメント(0)
建長寺 総門から仏殿を見ます。かつては刑場だったこの地に、北条時頼によって建立されたわが国最初の禅寺ということです。建長寺の奥の急な石段を登ると「半僧坊」で、天狗を大権現として祀ってあります。子どもの頃、階段を、息を切らせてやっと登ったのを思い出します。半僧坊は、多分、日本古来の山岳信仰と、民間の天狗伝承が結合したものでしょう。鎌倉は大好き、と(1)で書きましたが、理由を問われるとこまるんです。京都や奈良に比べると、個々の社寺の規模がやや小さいものが多く、それでいて姿、形がそれなりによく整い、キリッとした印象をあたえてくれ、かつては武家政権の中心地でありながら、近くの町、商店との融合もあって、親しみ易いのです。続く
2009年01月11日
コメント(1)
1月7日、大好きな鎌倉へ、ウオーキングに出かけました。去年の秋~暮の入院による、足腰の強化対策です。相変わらずのへたな写真ですが、2~3に分けてご覧に入れます。JR北鎌倉で下車、まずは浄智寺(鎌倉五山の第四位)へ。総門と仏殿。総門は近年の補修できれいになりましたが、以前の古いままのほうが歴史を感じ、似合うように思えます。この時期、お花は観賞できないのですが、近くの住宅のお庭に,蝋梅が咲いているのを見つけました。建長寺(鎌倉五山の第一位)総門続く
2009年01月11日
コメント(2)
連日、好天気なので初詣に一人でブラリと出かけました。都内某神社を予定してましたが、なんとなく気が変わり、茨城県の笠間稲荷神社に変更、JR常磐線準急で、友部で水戸線に乗り換え笠間に1時着。駅で笠間市の観光マップをもらい、徒歩25分で神社着。稲荷神社は、もともと商売繁盛・五穀豊穣のご利益ある神様ということで、この未曾有の不景気を乗り越えようと、祈願し神札を買う人たちで大賑わい。門前町の商店も活気で客引きに懸命。お稲荷さんとなればキツネ。キツネの石像はあちこちにたくさんありました。キツネは神様に仕え、または神様のお使いという役割をもっていて、神様ではないのはいうまでもありません。笠間には、ほかにも見るべきスポットはいろいろあるようですが、時間の関係もあり、またのチャンスといたしました。途中、土浦で特急に乗り換え、6時帰宅でした。(09.1.4)
2009年01月05日
コメント(6)
遅くなりましたが…新年のお慶びをモウしあげます。本年もどうかよろしく。昨年は秋から年末にかけて不覚にも病気・入院しまして、楽しくない半年でした。今年は、無事・健康に過ごせるよう、努力したいと思っています。丑年ですので、平凡ながらウシの写真をご覧に入れます。下手な写真でバカに大きくなり、ギョッとしましたらご免なさい。東京・亀戸天神社本殿のわきで、参拝者を眺めてます。菅原道真公は丑年生まれで、伝承によると、道真公と牛とはなにかと関係が深い、ということです。入院の合間に、一時帰宅許可がでたときの撮影です。
2009年01月03日
コメント(1)
全99件 (99件中 1-50件目)