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ケンタロー (la joie de vivre)さんKeyword Search
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東京農民連の第37回総会の報告と方針を読んで
私は、2000年から東京・八王子から神奈川県の真鶴に通って、みかんの栽培をしています。
この25年間、東京の生活者が、まったくの手さぐりで、みかんを栽培してきたわけです。
「まったく」というのは訂正で、2011年1月に、小田原のみかん園を営む旧友と再会して、その土地の一角を借り、みかん栽培の技術を学ばせてもらいました。その彼は、2年前に天国に旅立っていきました。
本日、2026年3月6日に、東京・町田市のはずれで、多摩市との境界あたりですが、
そこには、みかんの木が、かねてから7本の木がありました。
町田のこの園主さんは、ここにみかん畑をつくりたいと、かねてからアンビシャスを持っていたんです。
しかし、東京の農家です。日本農業の困難、その矛盾の最先端にある農家です。
本日、3月6日、その夢のみかん畑づくりですが、
もともとは畑だったと思いますが、今は荒れた原野です。
それを、みかん畑に変えようと、3人が集合して伐根作業をしました。
これが、そのひと仕事を終えた時のもの。
後ろの方には、今回の主役だった伐根機があります。
午前の仕事を一区切りしたところです。
今回、一度畑が荒廃すると、たとえ1年でも畑を手入れをしないと、どういうことになるのか。
それをもとの状態に復活させるには、どれほどの苦労が必要となるか、それを体感させられました。
今の国の農政をあずかり決めている農林議員族の面々に、この苦労を実際に体験させたいものです。
かれらは絶対にその苦労などはしないし、そんな話は蹴とばすでしょうが。
「農民運動連合会」ですが、
私などは、思います。
それは、農業者の存在の客観性、その要求(意識と理論)をまとめている存在ですね。
私などは、みかんの栽培をしていながら、その存在、みかん農家の状況、いや日本の農家の歴史的なコメを中心としたその一般的姿を知らなかった。
そりゃあそうです。
私などの真鶴というのは、箱根山の溶岩が海に流れた地ですから、そこに平野というものが無いんです。だから私などは、水田のお米栽培なんてことは、全くと言っていいくらい知らないんです。
農民連に参加した理由ですが、
その一つは、農家の今の姿です。
農業の一端をしていながら、草刈りに追われてヘトヘトで、自分自身の農夫というその存在状況を知らなかった。だいたい日本農家の主体だあるお米農家ですが、それが、ずーっとこの間に、なぜ悲鳴を上げているのか。それはまた、高いコメを強いられた国民・消費者にとっての問題でもあります。
ふり返れば、TPP問題。農家の総意に反して、国は外国の安い農産物から農家をまもる関税を自由化するといった、自国の農家をまもってきた手立てを取り外した。農産物の輸入自由化ですが。なぜ農家を切り捨てるような、国民の食糧自給の低下を押し付けたのか。こうしたいまの日本農業の衰退事態がもっている基本的な問題です。
農家のだしている悲鳴に応えずに、国の多数決で農家に無茶苦茶な事態を押し付けている。そうした事態を国民には知らさずに、食糧自給の低下・依存をきたしている。自分自身の存在をみえなくしている。
もう一つは、理論です。農業理論であり、農民の要求運動論の理論を、よく知らないんですね。
農民連の新聞『農民』は、今の日本の農家の要求を、丹念によく紹介してくれてます。そのことが分かったのは、つい最近ですが。
しかし、それだけでは、私などには足りない。農民運動のもっている歴史的な要求はどうであったのか。その今の局面をなす農家の要求は何なのか。公約数的要求は何なのか、それがどのように生かされているのか。
それだけじゃない。江戸時代からの徳農家、近代の農業論には、農業のはたしている役割を確認・評価して、人間社会が生きていく自然的な基礎を考察した農業論が、歴史的な遺産としてあると思うんです。
しかし、私などのこれまでは、ひたすら雑草をたたくことに、すべての労力をもって後追いしてきたのが状況でした。「知は力」というのは、言葉としては知っていたとしても、生きた精神になっていなかった。
あらためて、マルクスの『資本論』が話題になってますが、そこでは農業の問題がどのように研究されていたのか。「地代論」ですが、その資本主義的生産様式がしいる農業の姿が探求されていると思うんですが。しかし、そもそもその基礎にある農業論ですが、それが日本においてはどの様な理論がなされてきたんでしょうか、どうなっているのか。
ようするに、もう一つは、この農業論、農民運動論です。
そうしたことを探ると「お前は共産党か」との見方が出てくるんですが。
これは、共産党とかの一党一派の問題ではありません。農業の問題です。農家というものの理論と立場の根本問題です。そんなことは成り立たないんですが、農民党の問題です。
歴史社会の流れ発展の中で、農業そのものが果たすべき国民的な役割といったことです。それを、国民諸階層が、また各政治党派が、それをどのように取り上げているのかという問題です。
これが、私などの目の前に示されている農業の現実的な存在と、その概念的な認識の総括すなわち理論とが、実際とその認識ですが、この二つが問題となっているわけです。
わたしなどは、あらためてみかん作業をすすめる、と同時に、日本の農業の理論とその運動を探ろうとしているわけです。
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