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第5回「赤本(資本論)」の学習の模様東京・八王子市鹿島で、第5回「赤本(資本論)」学習会が開催されました。これには、隣の多摩市の方もふくめて、4名の方が参加しました。この学習会では、チューターから事前に4ページのレジメが配布されていましたが、今回の対象は、「赤本」第4章「生産力の資本主義的な発展」です。レジメにしたがって内容が紹介がされ、参加者はその報告を受け止めさせていただきました。私などは、最後の討議が印象的でしたが。『資本論』は,刊行されて150年余、バイブルのように奉られているけれど、それをひとりで読み解いていくのは至難のことなんだけれど。しかし、それは必要なことだとおもう。しかし、この活字離れの現代に、いくらそれが大切だとしても、いったいどれだけの人が、この大著を実際にクリアーできるだろうか。「言うは易し、行うは難し」しかし、その挑戦が、たとえダイジェストにしても呼びかけられた。そして、実際に、青年の先進部分であるにしても「赤本」という成果をつくった。これは、『資本論』の学習のお誘いであり、「赤本」は『資本論』そのものに変わることは出来ない。「運動」とは、一人ひとりが、これを機会に『資本論』そのものに、どれだけ挑戦するかということだ。あれこれの事例を並べることではなくて、『資本論』の哲学・方法が求められている。日本の歴史において、これまで何らかの形でもマルクス学をたしなんできた人が、その経験と成果を、現代に、若ものたちに伝えていく、その努力が求められている。今という時は、その機会であり、二度とはないかもしれない、今は、それだけの機会なんだということ。そんなことが、語り合われました。
2025年11月22日
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うれしい群馬からの季節の便り私には真鶴と群馬の、二つの郷里がありますが、うれしいじゃないですか、本日、群馬から季節の便りが届きました。リンゴです。東京では、リンゴは高価な高級な果物ですから、私などは手にすることはではないんですが、さっそく、その新鮮なそのに味を、お礼を言う前に、賞味させていただきました。まったくもって、ありがたいことです。
2025年11月22日
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第3回サツマイモとみかんの朝市11月22日(土)は、多摩の永山団地で、みかんとサツマイモの朝市でした。落ち葉の散る商店会の道路です。寒いし、人通りは多くはないんですが。今回は3回目ですが、町田であずかったサツマイモと、小田原から搬送してきた早生みかんのコラボです。ともに今が旬の秋の作物です。「ほっとセンター」の毎週土曜日の朝市です。団地生活の高齢者に、値段は安めに設定して、みかんは味見をしてもらって販売しています。『今年はみかんは豊作だと聞くけれど、スーパーでは安くない。私は酸味のあるみかんが好きなので、これは美味しいし、たすかる』と、うれしい言葉を残してくれた人もいました。この言葉を農家の方に聞かせたいですね。
2025年11月22日
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第5回「赤本(資本論)学習会」を前に明後日の11月22日は、第5回赤本(資本論)の学習会です。その学習会を前にして、本日、第4章「生産力の発展がもたらすものは」のレジメが、チューターから到着しました。すばらしいですね。この参加されている方たちの努力によって、『資本論』の魅力ですが、私などにも、また一つ、あらたな側面、内容が見えてきます。これまで紹介してきたこと重なるんですが。第一は、今回、8月10日に志位和夫さんが『Q&Aいま『資本論』がおもしろい』をまとめたことです。『資本論』は、心ある人たちにとって、いわばバイブルのようなものですが。1867年に刊行されてから178年がたちました。江戸時代末期に刊行されたものです。その重要性を感じた研究者や運動家によって、日本でも戦前の弾圧の中にあっても探究されてきました。しかし、『資本論』第一巻は1352ページもあるんです。忙しい現代人で、ましてや活字離れの今日にあって、だれがまともにこのバイブルを読むか。私などは、ごく一部の研究者くらいが関の山じゃないかと思っていたんですが。それを、志位和夫さんが、もちろんごく主要な要点ですが、それをたった3時間半の講座において、そのポイントを紹介しちゃったんです。178年の歴史にあって、細かな探究はいろいろあったとしても、その全体にあらたな光をあてて、その内容のもつ意義を浮かび上がらせたということです。世界的な関心の動向を紹介しつつ、「この日本でも新たな学習運動をおこそう」と呼び掛けた。46万部刊行の斎藤幸平氏との対談でも、意気投合して、「もちろん」と話が弾んだんです。第二に、マルクスは何を出発点にして剰余価値の秘密の解明にたどりついたのか。その本質を、抽象的に繰り返すんじゃなくて、どの様な具体性において証言しているか、ということ。確かに今日に深刻な格差社会を出発点にした「賃労働と資本」問題、その探究の結果としての『資本論』の経済学批判ですが。今回の『資本論』学習をとおして、現代社会の基軸には、資本対賃労働の関係、剰余価値論があるということ。マルクスは1844年に経済学を学びだしてから、1867年『資本論』を刊行するまでの23年間の研究があるわけです。1883年まで探究しつづけているわけです。 重なりますが、そうした成果の全体を「赤本」はごくエッセンスとして、それを3時間半の講義で語ったということです。このこと自体、志位さんの今回の努力は、『資本論』を現在に引き寄せた画期的な「偉業」ですね。この努力を生かすには、この「赤本」を一つのアドバイスとして、『資本論』そのものの成果をさぐり・吸収するように、われわれ一人ひとりが、それぞれのところで可能な努力が求められているということです。だいたい今回の「4、生産力の発展が労働者にもたらすものはなにか」だって、これは『資本論』では、第四篇「相対的剰余価値の生産」で、p553ー879の300ページ強を対象としたものであす。それを「赤本」ではp83-113の30ページにエッセンス化しているわけです。だから「赤本」をよむことで『資本論』学習をすますようなことをしたら、いったいマルクスの努力は、苦労はどこにあったのか、氷の上を滑るようなもので、後世の怠慢なことを指摘されたとしても、言い訳はききません。今回、私などは、みかん園で、収穫とともに遅れている草刈りをしてきたんですが。そこで、この第11章「協業」ということをあらためて感じさせられました。マルクスは、相対的剰余価値の生産を、生産力の発展ということを、第11章「協業」-第12章「分業とマニュファクチュア」-第13章「機械と大工業」の発展ということで、生産力を向上を分析しているわけですが。この「協業」についても、みかん作業において、1人が100日かけてある畑を草刈りするのと、10人が10日で同じ面積の畑を草刈りするのとでは、結果として面積は同じであっても、当事者の苦労ということにおいて、すなわち生産する能力ということでは、この二つでは格段に違うということを、実感させられました。ひとりでは、賽の河原の、終わりの見えない草刈りでしたが、3名がかかったら1時間足らずで終えちゃったんですね。これもまた協業の威力です。ようするに、『資本論』という大著にあたるには、ダイジェスト版は大変貴重なんだけど、ダイジェスト版の学習で「分かった」などとしてはならないということです。ダイジェストではふれようがない大事な問題が、たくさん、それこそたくさんあるわけです。マルクスが全体として、具体的にどの様な努力をしたのか、それを知るには『資本論』そのものにあたることが、気ぜわしい現代人の日々の生活の中ですが、それでも先人の努力のそのものを、なるべくリアルにつかむことが必要だということです。それを知るだけじゃなくて、それを自分たちの抱える問題にたいして、その方法を生かす力が必要だということです。
2025年11月20日
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第5回「赤本(資本論)学習会を前に明後日の11月22日は、第5回赤本(資本論)の学習会です。その学習会を前にして、本日、第4章「生産力の発展がもたらすものは」のレジメが、チューターから到着しました。すばらしいですね。この参加されている方たちの努力によって、『資本論』の魅力ですが、私などにも、また一つ、あらたな側面、内容が見えてきます。これまで紹介してきたこと重なるんですが。第一は、今回、8月10日に志位和夫さんが『Q&Aいま『資本論』がおもしろい』をまとめたことです。『資本論』は、心ある人たちにとって、いわばバイブルのようなものですが。1867年に刊行されてから178年がたちました。江戸時代末期に刊行されたものです。その重要性を感じた研究者や運動家によって、日本でも戦前の弾圧の中にあっても探究されてきました。しかし、『資本論』第一巻は1352ページもあるんです。忙しい現代人で、ましてや活字離れの今日にあって、だれがまともにこのバイブルを読むか。私などは、ごく一部の研究者くらいが関の山じゃないかと思っていたんですが。それを、志位和夫さんが、もちろんごく主要な要点ですが、それをだった3時間半の講座において、そのポイントを紹介しちゃったんです。178年の歴史にあって、細かな探究はいろいろあったとしても、その全体にあらたな光をあてて、その内容のもつ意義を浮かび上がらせたということです。世界的な関心の動向を紹介しつつ、「この日本でも新たな学習運動をおこそう」と呼び掛けた。46万部刊行の斎藤幸平氏との対談でも、意気投合して、「もちろん」と話が弾んだんです。
2025年11月20日
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スズメバチの危険を回避小田原のみかん園は、今早生みかんの収穫のビークです。寒さが近づいているのは、富士山の様子にもうかがえます。11月16日に、小田原厚木道路の小田原サービスエリアから見えた富士山です。みかんは太陽のめぐみで、寒暖の差で色づきがすすみます。秋晴れの日差しが、みかんの甘さをつくります。今年は、みかんの色づきが、例年より急速に進んでおり、農家の作業は、今は早生みかんのピークですが、急ピッチな収穫作業がすすめられています。私などのみかん畑は、この夏の暑さで草刈り作業が遅れてましたから、いまが収穫の時期だというのに、アメリカセンダングサ、クズやママコノシリヌグイなどの草刈り作業と、その刈草の野焼き作業を、援農者の方たちの力も借りて、今日もすすめてきました。この野焼き作業を終えて、「やれやれ」と、柵のせり出した枝葉を切った草刈りでしたが、その側面をみて驚きました。なんと、整姿剪定をしていた時には、まったく気がつかなかったんですが、スズメバチの巣の側面を整姿していたんですね。しかもここから15メートルくらい離れたところには、もっと大きな巣があったんです。いまは、気候も寒くなり、オオスズメバチの数へって、一匹見かけただけでしたが。働きバチも消えて、戦闘モードにスイッチが入ることはなくなっていますが。もしもこれが夏だったら、この整姿剪定は、どのような事態になっていたか、巣があるのを知らずに枝払いをしていたわけで、他方巣を守るため蜂は必死ですから、知らないうちに喧嘩になっていたことでしょう。それを考えるとぞ~ッとします。くわばら、くわばら、です。とにかく、この夏から遅れに遅れていた草刈りをすすめながら、無事に、早生みかんの収穫をすすめています。
2025年11月19日
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『Q&A資本論』の学習の仕方について東京・八王子市の、広い八王子市の片隅の鹿島ですが、『Q&A資本論』の学習を始めています。学習会を四回かさねると、学習の仕方について、私たちなりに一定の形がでてきます。今回は、私たちの学習の仕方について、何かしら参考になればと思い、紹介させていただきます。一、だいたい1回が2時間の学習会ですが。あらかじめ各章ごとにチューターを、数回先の分まで、決めるようにしています。チューターには、担当の範囲について、どんなに簡単でもレジメを用意してもらっています。今回初めて『資本論』を「赤本」で手にする人、かつて『資本論』を学習したことがある人、それぞれ『資本論』に対する認識には違いがあります。しかし、今回は「赤本」という共通のテキストがあります。「赤本」は、初めてマルクスや『資本論』にせっする若ものたちに、志位さんが『資本論』第一巻の中心点を3時間半の時間で紹介しちゃった。それに対して、若ものたちが生きいきと受け止めている、そうした様子の記録です。このわかりやすさと、初めて聞く人の感性が大事だと思うんです。二、チューターには、冒頭に20分位で、内容について紹介してもらいます。「Q&A」の内容について、チューターなりに感じた点、中身に即して理解出来た点、不明な点、自分の意見など意見などです。三、ついで、参加者のそれぞれから、その範囲を自分が読んでの感想と意見、チューターの紹介した点に対する感想を出してもらってます。四、あとは、チューターと参加者とから出された問題から、問題となる点を、参加者で討議するようにしています。当然、この場ですべてが理解できるわけではなくて、おおくは問題を確認して、その後の各人での学習に委ねることになりますが。全体として、『資本論』学習ですから、経済・哲学を大事にしますが、志位さんが今を生きる私たちの社会の問題に光をあててくれています。ましてや、高市政権の登場です。従来問われてきた自民党政治の問題を、さらに悪化させる事態がすすんでいます。その中での『資本論』学習です。選挙ドットコムの鈴木氏や『人新世の資本論』の斎藤幸平氏との対談が示しているように、どの様な問題からどの様に近づけば『資本論』の成果を受け取るられるようになるのか。これが大事ですね。立場を越えて、『資本論』学習の学習運動をおこそう、現代版『反ファシズム統一戦線』=民主主義的共同をつくろうと、エールが交歓された状況ですから。もちろん学習会の参加者は、それぞれの人生と課題をもって学習会に参加して来ているんですから。そうしたオンリーワンの社会的なかかわりを理解し合うことが、貴重だし大事だと思っています。そして、『資本論』の基本にある唯物弁証法と唯物史観の科学的な方法の問題ですね。この方法にもとづく、1844年から1883年の40年間の、マルクスの努力なんだということを感じたしだいですね。なんたって、今も生きてい強力な方法ですから。これを粗末にしていたら、先人の努力にたいして申し訳ないじゃないですか。
2025年11月16日
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第二回みかんとサツマイモの団地朝市ようやく、今年も秋晴れの天気となりました。収穫の秋です。小田原・真鶴で収穫した早生のみかんと、東京の町田で収穫されたサツマイモですが、11月15日(土)に、この二つを、多摩市の永山団地の朝市で販売してきました。多摩ニュータウンの住人は、日本全国の各地から上京してきた人たちです。多摩ニュータウンも50周年となると、30歳で入居した人は80歳です。故郷ははるか遠くなり、人によっては独居暮らしの人たちも出てきている。そうした人たちに、政治が光をあて支援するなんて、今の事態ではありません。年金は減らされ、医療費・介護保険・国保料の値上げがすすめられています。それが敵基地を攻撃するための軍事費をねん出する為なんですから。庶民が怒るのも当り前なんです。怒らない方が、おかしい。そうした中で、この朝市は、東京と神奈川の農家の方たちが、東京の団地生活者を支援しようと、農産物を安く提供してくれているんです。「ここに光りあり」ですね。今回は、散歩を一緒にしてきたブルドックですが、みかんの味見をしてくれたんです。これは、その試食した後の表情です。みかんの味を、評価してくれているものと見ました。
2025年11月15日
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八王子市鹿島の第四回『Q&A資本論』学習会東京・八王子市鹿島で、11月8日に志位和夫著『Q&A資本論』の第四回学習会が開かれました。この学習には、隣接する多摩市からの参加者も含めて、全体で7名が参加しました。いくら志位さんの『資本論』ダイジェスト(赤本)の学習だといっても、やはり『資本論』の学習ですから、いくら呼びかけたとしても鹿島地域だけでは無理なんです。学習会として議論をするためには、最低でも3名以上が集まらないことには討議になりません。その学習会を八王子市鹿島の地域で開催しようというんですから。ですから地域のつながりの範囲を越えて、広く集まってくれそうなあらゆる人たちに対して、なんとしても4名以上のメンバーを集めようとして、「赤本『資本論』を一緒に学習しよう」と、これまであったあらゆるつながりに対して、よびかけたんです。そして、今回の第四回に7名の参加がありました。学習会の成立自体はもう大丈夫です。しかし問題は、新たなステージに移りました。どの様に学習しているのか。はじめだした赤本『資本論』の学習会ですが、いよいよそれが、いったい、その中身がどうなのか、そのことが問われる段階に入りました。この学習会ですが、参加者が輪番でチューターを担当するようにしています。私は前回の第2章のチューターをしました。この学習会への欠席者があったことで、急きょその穴埋めでしたが、第2章の「搾取の謎解き」のチューターを担当することになりました。しかしそのことは、じつに幸いなことでした。というのは、その欠席者の代わりに準備したことで、『資本論』のマルクスの「経済学批判」というのは、とどのつまりは、基本的に、抽象的な一般的基軸として、剰余価値の解明=搾取の解明を、このことを基軸にしているということなんですね。あらためて、剰余価値論の意義、この一点を悟らしてくれたことの点だけでも、今回の八王子市鹿島での『資本論』学習は、私にとって有意義なものだということでした。そして、今回の第四回の剰余労働時間を延長することで搾取率を高めるとの点ですが、今回のチューターは大手の企業で働いてきた方ですが、今は年金生活者ですが、その体験の重みをもって現実性を紹介してくれたんですね。それはマルクスの解明が、赤本のトラックドライバーの「こそどろ」搾取の例だけでなくて、今日の労働運動の問題であり、本質のあらわれであることを、これまでたたかってきたその人の体験をもとに紹介していただきました。それは値千金の話というか、現実なことだけど、ほかでは聞くことのない話でした。
2025年11月14日
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斎藤幸平・志位和夫対談が連載終了『資本論』をめぐる斎藤幸平と志位和夫さん、お二人のユーチューブでの対談ですが、それが「しんぶん赤旗」に連載されてきましたが、本日・11月13日に終了しました。この対談ですが、ユーチューブでは2時間余したが、すでに少し前に公開されてました。しかし、それを動画でみるのと、それを活字によって読むのとでは、違うじゃないですか。その対談の内容をつかむ上で、生きた対談の様子を伝える動画と、その中心点を活字にされたものをよむこと、この動画と活字との二つには、その内容をつかむ上で、この二つには感覚と理性とによる把握という、それぞれにはその特性があるじゃないですか。それぞれの関係者にたいし、その努力に感謝です。私などが、日々のみかん園の草刈りの難行苦行の中にあって、この対談から受け止めることですが。その一番のことは、マルクスの『資本論』は1867年刊行ですから、日本の歴史では幕末のころ、今から150年以上も前の作品ですが、それが今に生きる私たちにとっても、新鮮に受け止めれる中身をもっていること。それは、唯物弁証法の哲学と唯物論歴史観による、剰余価値の理論とその論証にあるわけですが。そのことが、志位和夫さんと斎藤幸平さん、このお二人によるそれぞれの探究と、それが今回の対話によって、この対談で紹介されています。それを確認できると思うんですよ。このお二人が、意気投合していることですが、そのことの意味というのは、そのマルクスの『資本論』の成果の確認という意味で、やはり大きな意味をもっていると思うんですよ。それが一つです。そして、このお二人が、今回、マルクスの『資本論』の内容について、意気投合したことの意味というのは、日本の歴史においてふりかえって見た場合に、やはり大きく重要なことだと思うんですよ。というのは、私などは1970年頃に法政の学園で、はじめて『資本論』に接したんですが。その頃には、宇野弘藏氏とか、向坂逸郎氏の理解の仕方とか、様々な人の解釈の仕方の違いがあるわけですが、それが「われこそは」と、その正しい解釈というものをめぐって、同じ民主主義者の間にあっても、「われこそがマルクスの正しい理解だ」として、それこそ犬猿の争う関係にあったんです。田舎から出てきた私などは、それに翻弄させられたんです。しかし、今回の対談はちがっていました。斎藤氏と志位さんは、細部ではその理解の仕方は違っていたとしても、大きく太い共通性を確認し合っているんですね。そして、共同してお互いに『資本論』を成果を日本社会の中に広げていこうということで、この対談で意気投合しているんです。私などは、歴史的な和解のように感じるんですが。このことは歴史的に見てなんとも、なんとも貴重な合意だとおもうんです。この対談は、それを確認し合っているんですね。このことというのは、私などは歴史的に見て、じつに素晴らしいことだと思うんです。それは、2015年の戦争法反対の共同につづいて、今度はマルクスの哲学と剰余価値理論の探究において、日本社会のどこを変える必要があるのか、そのことをめぐって民主主義的に共同していこう、との新たなステージが確認されたということだと思うんです。私などは、1989年に東京・多摩の地域で学習サークル「南多摩社会科学研究会」をつくって、2001年まで学習活動を続けたことがあるんです。レーニンの『唯物論と経験批判論』も学習し、近隣の学者研究者の協力を得てカントを、プラトン・ホップスを学び、宇宙論を学び、そしてマルクスの『資本論』全三巻についても、理解のほどはともかくとして、おわりまで学習したことがあるんです。だいたい、著名な有識者のお話を聞くくらいなら、誰しも時間があれば可能かと思うんですが、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」じゃないですが、カントの「啓蒙とはなにか」じゃありませんが、しがないお粗末な自分たち自身が、自分たちの力で学習してゆこうということですから、『知は力』の一つの挑戦だったんです。こレが『資本論』の、この難攻不落なエベレストに挑戦したわけでした。ですから、 『言うことは易し、しかし実際に自分たちで行うは難し』このことを、『資本論』を読むということにおいても、素人が数年間にわたり体験したんですね。だから、自分で苦労して挑戦するという、その大変さは困難さというのは、わかるんです。しかし、その大事さも、今を生きていく上でかけがえのない科学の探究なんだということも、感じていたんですね。それが終わりまで続けれたということで、そこに参加したそれぞれが、その時に途中で放棄せずに、議論して切磋琢磨した。そのことの大事さを、それぞれなりに感じたんですね。だから終わりまで行けたんですね。今、それが、だれがイニシアチブをとったとしても、それは誰であっても良いんです。問題は、広く国民のひとりひとりに、『資本論』を学習しようと、呼びかけられたことです。私なども大賛成なんですが、あえてそれが成功するためには、私など思うには、その基礎には唯物弁証法の哲学の基礎の理解があることを、それを意識的に押し出す必要があると思っているんです。マルクスも『資本論』の序論で繰り返し述べていることですが。とにかく、私たちの日ごろの気ぜわしくも、ヘトヘトにさせられている日常生活の日々ですが、そうであればこそ、それをモグラたたきの状態に終始しているのではなく、あきらめや無為に時を過ごすのではなく、その小さな努力が現実の事態を変えていく道に通じるように、変革の契機を探り出したいものです。お二人の対談の、晴れやかな会話の姿が印象的ですが。その中に、そこにはそうしたヒントがあると感じた次第です。
2025年11月13日
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早生みかんの収穫と草刈り小田原のみかん園からです。本来ならば、この時期は早生みかんの収穫に専念しているはずなんですが。実際、早生みかんは、今が一番の収穫の時で、みかんがこの時の収穫を待っているんです。ところが、今年の夏の暑さは、いつになく尋常ではなくて、夏の草刈りが、日中に作業する時間が、例年になく限られちゃったんです。そのため、クズやママコノシリヌグイ、アメリカセンダングサなどの雑草が、みかん園を覆いつくすように繁茂しちゃったんです。みかん農家の作業は、とどのつまりこれとの戦いです。小さな木は、それに覆われてしまい、陽がさしませんから、枯れてしまいました。せっかくのみかんの木が、地面の養分を雑草にとられ、センダングサを主柱として伸びたクズやママコがみかんの木の全体を覆ってしまいました。本来ならば、今の時期は早生みかんの収穫期なんです。暑さから寒さへと季節の急速な変化によって、みかんの成熟も急速に進んでいます。そのため、みかんの収穫とセンダングサの草刈りの同時進行が求められています。今回、援農の方二人が来てくれたんで、なんとか、センダングサをたたくことが出来ました。センダングサを、いくつもの山として積み上げたんですが。そのうちの一つの山については、野焼きをしました。本来なら、みかんの収穫に専念すべき時なんですが、センダングサの種は、軍手や衣服について、みかんの木に近づけ亡くなりますから、みかん農家にとって、収穫前の必須の作業になっています。後手後手になっているわけです。
2025年11月12日
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みかんとサツマイモの朝市多摩ニュータウン・永山団地で、11月8日(土)、朝市を開きました。みかんとサツマイモの朝市です。11月3日に早川で、11月4日に真鶴で収穫してきた早生みかんです。加えて、昨日、町田の畑でとれたサツマイモです。新鮮でおいしい旬の味覚です。値段の方も、周囲のお店に比べて、けっして高くはないはずです。これは団地住人に対する農家からのプレゼントです。
2025年11月08日
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町田の畑でサツマイモ掘り秋の青空がのぞいて、ようやく秋らしい陽気になりました。たしかに学習・読書の秋ですが、同時に食欲・収穫の秋でもあります。もっとも、お腹をすかしていては、勉学にも身が入らないでしょう。そして食欲がいくらあっても、食べるものがなければ、どうしようもありません。人びとが生きていく上で、その食物を生産するというのは、根本的な問題です。ということで、本日、東京・町田の畑で、サツマイモ掘りをしてきました。明日は土曜で、恒例の多摩の団地のみかん朝市なんですが。今回は、みかんに加えて、本日収穫したサツマイモを提供します。収穫の秋ですから、あらたな一品が加わります。くらし応援で、団地の生活者に対して、美味しくて安い農産物を提供します。
2025年11月07日
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早生みかんの収穫期神奈川県の小田原方面でも、11月にはいってから、いよいよ、早生みかんが収穫期となりました。この小田原方面というのは、みかんの産地としては北限の地域なんです。「酸味のなかの甘さ」というのが、この地域のみかんの特質です。今、農家は、一年の苦労が実る時です。高齢化した農夫の人たちですが、みな一生懸命に頑張っています。
2025年11月06日
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斎藤幸平・志位和夫対談のユーチューブを見ましたユーチューブでお二人の対談が公開され、さっそく見させてもらいました。しんぶん「赤旗」11月1日付には、その中心点が紹介されているんですが。両方を見て、わたしなどが感じた点ですが。新聞の紙面には掲載できる字数は限りがありますから、中心点とされる部分が紹介されてます。新聞は、くり返し何度も、すぐに確かめれて、理解させてくれるんですが。ユーチューブは2時間余の対談の全体を聞くことが出来ます。一、対談を通じて、二人の会話が弾む。率直にお互いの意見が交換されて、お互いの認識がすすむのがわかります。志位さんは、政党責任者としての家庭生活の悩みの問題まで、今の努力まで語っているんですから。二、日本は、歴史的に民主主義的な共同ということが、個々人の思想や願いとしてはあっても、運動としては、出来ていないじゃないですか。マルクスを研究する人たちたちでも、正統性(正しさ)を競い合って、お互いの一致点を尊重しない、そんな傾向があるじゃないですか。これまでも、安保共闘とか、地方政治の革新共闘とか、部分的にはありましたが、2015年の戦争法に反対する国民的な共同は、そうした事態を克服する一歩だったと思います。今日、自民党・維新の連立政権が、軍事費拡大で国民の民主主義・くらしを押しつぶそうとしている状況です。それにたいする二人の対談ですが、この事態を打開しようとする意思がうかがえます。片や46万部の「人新世の『資本論』』の著者、片や政党の代表でもあり『Q&A『資本論』」の著者、このお二人の対談ですが、その最後の方で、現代版「反ファシズム統一戦線」のようなものをつくることがよびかけられました。ここは、今の日本で、未来をひらく希望がかかっているところでね。私などがうれしく感じるのは、この対談の終わりのところですが、マルクスをさぐる人たちが、お互い意見の違いを置いて、一致点で共同しようという表明が出されたことです。これは、歴史的な棘を抜こうとする提起ですね。いわば「歴史的和解」を提起したということですね。それは、マルクス研究者のなかだけのことではなくて、ことの性格は民主主義的な共同の道ですね。国民諸階層の国民的な共同の道ですね。統一戦線の思想の現代版の提起ですね。それがよびかけられた。たんに思想としてだけでなく、じっさいの運動にしていこうという呼びかけです。わくわくしてきませんか。三、この対談を見ていて、私などが感じた点ですが。今回は、『資本論』の今日的意義として、主として経済学の面を中心にした対話だったと思います。気候問題とかジェンダーの問題、民主的共同の問題もあれましたが。これから、よく学ばしていただくところですが。その上で、私などは一つ思うんです。『資本論』には、その基礎に哲学の問題があります。それはどの解説書もふれていますが。私などの問題意識としては、ドイツ古典哲学の歴史ですね。個人の尊厳と批判的精神を説いたカント、逆立はしていても世界の弁証法を説いたヘーゲルです。マルクスの努力はその批判の上にある。唯物弁証法と唯物史観の確立は、そうした哲学の大道からみちびきだしたものだし、それが『資本論』の基礎として、方法としてあるわけですが。そのことは当然のことですが、しかし分かりやすく意識的に押し出されることが弱い。『資本論』での搾取が死語になっているように、その哲学も死語、ないしマンネリになっていると思います。つぎには、この哲学の面に光をあててくれるような企画を期待しているところです。私などにもわかりやすいような、個人でも、ゼミでも、誰かとどこかの対談でも、期待しているところです。
2025年11月02日
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永山商店会のサンマ祭りでみかんの初市東京・多摩市の永山商店会で、11月1日(土)にサンマ祭りが開かれました。当方は、午前10時からの祭りの前に、今年最初のみかん朝市を開きました。午前8時半、商店会の役員の人たちが、祭りの準備を始めています。今回から、土曜日の朝に、みかん朝市を開催していきます。朝市は2016年から始めましたから、10年を続けてきたことになります。小田原のみかんは、酸味を含んだ独特の美味しさがあります。今年は、一袋350円です。都会の団地生活者に、ジューシーな美味しいみかんを、良心的な価格で届けるということです。まだ早生みかんの収穫は始まりだしたばかりですから、今回の数は、17袋と少ないんですが。それでも、とにかく、みかんの季節がやってきたということです。今回は、特別にサンマ祭り用に、真鶴からスダチも少し用意しました。ということで、今年も、いよいよ永山団地での土曜朝市が始まりました。
2025年11月01日
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まってました! 志位・斎藤幸平対談の後半ですおどろきです。既に放映された前半の1時間は、短期間に20万人の視聴者があったとのこと。それは日本社会にひろくあるマルクスに対する関心ですが、それはさすがですね、大したものです。なんたって、短期間に20万人の視聴があったとのことですから。日本社会がもっている、そのおおきな潜在力を、私はあらためて再認識しています。私などが思うのに、その哲学ですが、カントは封建的な社会体制の中にあって「啓蒙とはなにか」—理性を説きました。その精神革命は、理性的な精神以外の勝手なものは認めないと、これはフランス革命のロベスピエールが行為で示したものです。カントは、イギリスの経験主義の近代の合理的な成果と、フランスのルソーの『エミール』に学んで、主観的観念論の立場からですが、近代人の必須の要件を明らかにした。私たちにも一般によくある経験主義をのり越えて、庶民が無教養だからといってそれを蔑視するような姿勢をあらためて、カントは哲学の世界でしずかな精神の革命を起こした。それを引き継いだフィヒテは、主観的観念論からであっても、自我の認識に弁証法をさぐった。その成果をシェリングは、直感(直接知)からだけど、主客が同一することをとらえた。その同僚のヘーゲルは、これらの努力を吟味して、観念論の立場からだけど、世界(自然・精神の歴史)にある弁証法をとらえた。その成果をマルクスは検討する、そしてヘーゲル弁証法から唯物弁証法をつくりだした。さらに唯物論的歴史観を1844年に提起した。そして社会の基礎に経済を見て、経済学を学びだし1847年には「賃労働と資本」-剰余価値論の基本を講演した。同時に1848年には『共産党宣言』で諸国の人たちに、現代人はその条件に応じての資本主義社会の搾取をのり越えるとの課題を提起した。以来20年、経済学の批判作業をすすめて、1867年『資本論』にまとめて第一巻を遺した。エンゲルスは1891年(明治24年)に『賃労働と資本』の「序論」を書き、『資本論』の第二巻、第三巻をまとめ、私たちに残してくれた。私などが思うのに、今回の志位さんの「赤本『資本論』」ですが、それは、『資本論』第一巻のおおまかな要点を、3時間半の短時間で現代人に紹介した。これは奇跡的な作業です。それはドイツ古典哲学からの唯物弁証法、マルクスの唯物論的歴史観によるもので、マルクスの剰余価値論を、コンパクトに現代の日本資本主義社会の本質を明らかにした「つぶて」です。もしも否定できるなら、どうぞ否定して見ろ、といった科学の大道です。しかし、私たちはその真理を、ただ一般的に繰り返すのではなくて、それを一つの基本認識として、それぞれの人が、今の社会の中で自分が直面している問題を、具体的に探って、自分自身で打開する道を見つけなければならないという歴史的な宿題ですが、そのことをマルクスが提起していることを、現代人に再確認させたということです。今日、志位さんと斎藤幸平氏の対談の後半が公開されました。すでに前半の1時間は公表されていますが、今回はその対談の後半です。はたしてそこでは、どの様なことが語り合われているのか。気候危機と格差の広がりが問題とされる今日の世界ですが、とりわけ卑屈な対米従属、『女工哀史』ころからの労働条件改善の問題、高齢化して風前の灯火にある農業、若ものたちをとりまく閉塞状況、危険な軍事優先を推進する自民党政治、これらの現代資本主義の矛盾の集中している今の日本です。お二人が、この問題をどの様にとらえ、その打開策をどう語り合っているのか、注目しています。それは、現代の日本人全体が直面している問題ですが、同時に世界が抱えている問題です。それをお二人がこの対談をとおしてどの様にとらえているか。私たちとしても、それをしっかりと確認する必要があると思います。【斎藤幸平vs志位和夫】激論!搾取されない人生とは?『資本論』から知る共産主義への想い【ReHacQvs日本共産党】 - YouTube
2025年10月31日
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みかんの収穫と『資本論』の学習今年の夏は暑かったですね。小田原のみかん園は、そのため、草刈りがまったく追いつきませんした。この夏は、比較的に涼しい早朝と夕方に草刈りたんですが、とても自然の力には及びません。熱い日中には、作業ポイントと短時間作業をさだめて集中作業をしたんですが。これは、その結果です。どこに肝心のみかんの苗木があるか、わかりますか。今回の草刈りで、みかんの小木(苗木)を「苗木を発掘した」というのが、今の情況です。この木まわりの草刈り作業ですが、もしもそれがされていなかったら、この苗木どうなっていたか。おそらく、雑草にうもれて、せっかくのみかんの苗木ですが、それは消滅していたでしょう。「生か、死か」ひっ死になって、こうした小木(苗木)の木まわりの草刈りをしていた、それが、この夏の熱い最中での、わたくし如きの農夫の作業でした。雑草のおそるべき自然の力から、「みかんの木をすくえ」と。これは、みかん農家だけの問題ではないとおもいます。すべからく、さまざまな農家が、お米づくりや野菜栽培、りんごや梨づくり、等々、それらをつくっている農家の当たり前の思いだす。これだれしも、これが今の農家が直面している問題の、基本中の基本だと思うんですが。問題は、この農家、国民の食べ物づくりの状況ですが、それが自民党の総裁選挙に、どのていど反映していたかということです。誰でもいいですよ、たとえば小泉氏でもいいですよ、この基本問題を、どのように語ってくれていましたか。高市氏が首相になりましたが、高市氏は、この実情にたいして、どの程度理解し、それを語っていたか。私などは、そこを注目しています。私などが見ると、その結果というのは、まったく自民党政治家というのは、国民の要求を如何にもわかっているような演技をしている、そのごまかし・厚化粧をきそっている程度でしかない。心がない。それを自民党の世界のなかで、コップの中で、お互いに顔色うかがいでしかありません。その建て前と、実際です。国民は平和を望んでいるのに、他国にたいする攻撃をする武器の購入です。国民は平和とくらし向上を求めているのに、「自国の意思」で軍備増強の前倒しです。そうなれば、国民の暮らしの予算の削減です。その突き進む政治を、国民の批判をかわすために、いろいろな美名をもって誤魔化している。如何に誤魔化し方がうまいか、それを競い合ったわけで、そこには心がありません。そうした中から高市氏が選ばれたわれですが、アメリカはもちろん、世界に無茶苦茶なトランプです。それといかに「ウィン、ウイン」の関係をつくるか。それにすり寄ること、これが彼女の、自民党の、日本政治のあるべき姿だというんです。私などは、今日も草刈り作業で、自然との関係でヘトヘトにさせられいてます。がしかしその苦労してますが、それは自然との関係でありも、政治についてははっきりしています。軍備増強は、国民予算を削り取る。「大砲か、バターか」です。しかし、へらへらした政治家の人たちは、これにいったい何といい、どの様な態度をとっているか。ここが、リトマス紙です。バロメーターです。私などは、政治家に、一週間、いや一日でもいいから、私などの草刈りにいっしょに共同すべきだ、と思っています。「国民生活がわかるという政治家である」というならば。「国民、農家、働く人、若もの、高齢者のために」などと、きれいごとを言っている政治屋たちよ、裏金で飲み食いしている政治家たちよ、いっいも、せんなきことかもしれないけれど、しかし「国民の実際の苦労を知れ」と言いたい。そして、赤じゅうたんのうえでの生活に、「顔を洗ってでなおせ」と言いたいんですね。もっとも、聞く耳は持たないでしょうが。無理であっても、しかしなおのこと言い続けます。一時間であっても、農家の草刈りの苦労を分かちあえ、と。だけど、八王子を見ると、そうした政治家が有力者としてのさばっている今現在です。その現実と、一般の国民が思っている意思ですが、そのギャップに現代の基本がある。平和と民主主義が、国民主権が生きている日本の政治社会をつくりたいものですね。私などは、特に今年は、草刈りに追われてヘトヘトなんですが、しかし、そうであっても、そうであるからこそ、疲れた中でいいたい、今回の選挙結果は、「そんな、自分勝手な浮ついた自民党政治路線を、今回、国民は意思はNOを」示したんだよ。過半数をわった自民党が、その自民党路線の助け舟をもとめて、公明党に変わって、あらたに維新をたして多数をつくろうとしている。閣僚になるのは国民の手前、怖いんですね。しかしそれを、NHKやマスコミは「客観的」な報道をするばかりで、問題点を指摘しない。それは流される葦です、ケセラセラです。「流れはこうだ」との政府のスピーカーです。そんな態度がかつてあったことを、それはまずいと1945年の頃反省したんじゃないんですか。その頃の反省にてらして、いいんですかね、今のマスコミの態度というのは。事態の本質は、くらしと福祉を削って、敵基地攻撃の軍備を増強する、いったいそのことは国民生活に何をもたらすのか、それを語れ。戦争を呼び込む政治が、国民の生活に何をきたそうとしているのか、それを語れ。このことが、今問われていることだと思います。肝心なことを語れ、私など、みかん農夫にとっても、そこが問題です。
2025年10月29日
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第三回『赤本『資本論』』の学習会東京・八王子市の鹿島で、10月25日に志位『赤本『資本論』』の第三回学習会が開かれ、第二章「搾取はどうやって行われているか」を学習しました。この学習会には、隣の多摩市からの方もふくめて、5名の方が参加しました。そこで議論されたことですが、私なりの私見ですが、紹介します。1、第2章「搾取の仕組み」を、チューターを担当したものとして感じたことですが、ここは、搾取論=剰余価値の謎解きとして、『資本論』の要中の要でした。新版『資本論』では、第一分冊と第二分冊のはじめを内容とするものですが、あらためて志位さんが3時間半で『資本論』第一巻を若ものたちに伝えた偉業を感じさせられました。参加者の議論ですが、2、今日の社会では「搾取」の言葉は、死語になっている。総評は解散され連合と全労連がつくられ、大学ではマルクス経済学は風前の灯火の状態です。その言葉を今にいうのは、ごく一部の人です。平場で言っても、「なに?それ」と変人と見なされる。しかし、「それでも地球は動く」-科学的真理は、あくまで真理です。3、『資本論』が刊行されて150年、くり返し、くり返し搾取の仕組みは紹介されてきました。そこにはマンネリズムがあって、「あっ、またはじまった」とわきに置かれてしまう。そうした中、今回、青年とのゼミの「赤本」、選挙ドットコムの鈴木編集長との対談、これらが開拓したのは、真理にたいしてどの様に接近するかと、いうことだと思います。真理を一般的にくりかえすだけでは人の心に響かないわけで、どの様な関心・要求から、その真理をさぐるかということ、この問題です。4、今回の学習会の参加者は、職場を定年退職した労働者のOB、そして教師や保育士をつとめてきた人、私のようにみかん農夫でしたから、「搾取」といっても、その受けとめ方は様々なんです。議論していくと、「これは本質問題だ」となるんですが、「資本家と労働者」「賃労働と資本」の基本関係において、それが直接・間接的な関係にあるわけで、「搾取」の形にもいろいろあるということでした。5、そこには、3時間半の志位さんの講義では簡単にしかふれられてませんが、『資本論』の基礎にある哲学の問題、方法論の問題があると思うんです。2章の冒頭のQ5「搾取」の現実を実感するか、個人の意識の問題もさることながら、鈴木編集長との対談で指摘したように、今の社会全体からとらえて、その現実を実感できるかどうか。これが表⑩,⑪を理解するうえで大事だと思うんです。それ現実感が弱いと、抽象的な商品の価値とは何か、などの検討には、なかなかついていけません。多くの人が『資本論』の本を買ったんだけど、そこでつまずいて投げ出してしまう。どうして、第一篇「商品と貨幣」が『資本論』のなかで「もっとも困難」(①P8)なのか。何故、もっともあたり前になっている商品から始めたのか、それがなぜ困難なのか。この点も挫折する事情になっていると思います。6、マルクスが剰余価値論を正面に提起したのは、1848年1月の『共産党宣言』より少し前の、1847年12月の講演『賃労働と資本』でした。資本主義社会の搾取の問題が、政治社会の根本にある、唯物史観を確立していた。それから1867年に『資本論』が刊行されますが、それは、この問題を20年にわたって経済学批判の作業をかさねてきた、そのまとめなわけです。エンゲルスは1891年(明治24年)に『賃労働と資本』の「序論」を書いていますが、たった「力」の一文字にあるマルクスの努力を紹介しています。剰余価値論の核心となる一字ですね。晩年にあっても若き頃の探究を検討・吟味している。科学の認識過程をさぐる努力というのは、たいへんなんですね。しかし結果からみると『資本論』の結論は、いたって理路整然としていますから、ごく当たり前のように感じなくもないんですが、そこには、どのようにまとめて叙述するか、そこにたいへんな努力があるということです。7、マルクスはどの様な「間口」から、要求から「賃労働と資本」の関係に、剰余価値の問題に迫ったのか。この問題も大事だと思うんです。このことは、私たちはどの様な要求、「間口」から、赤本『資本論』、ないし剰余価値論にせまるのか、このことが問われています。それがないと真理一般という『聖書』のような扱いにもなるわけで。この点で、青年の感性がなぜ、どこから赤本『資本論』に感動したのか。このことは、大きくは国民のそれぞれが、どのようにしたら『資本論』への接近が可能になるのか、接近しやすくなるのか、この問題でもあります。この点が疎いと、一般的な真理をテープレコーダで繰り返すことになります。せっかくの正しいことを説く努力が、肝腎の聞く人に相手にされなくなります。8、議論のなかでは、この日の赤旗で紹介された志位&斎藤幸平氏との対談が話題になりました。46万部を出した『人新世の『資本論』』の斎藤幸平氏と志位さんが「赤本『資本論』」をもとに対談したこと。昨日、その前半の1時間がユーチューブで公開されましたが。この対談の感想が紹介されました。後半では、どのような話が交わされるのか注目される、と。この対談は、格差や気候危機、マルクスと社会主義論を間口にしている。ドットコムの鈴木編集長との対談は、労働者の関心の労働時間の短縮や、利潤追求を第一とする資本主義の問題を間口として重視したもので、ともに生きた対話によって、社会の認識発展がしめされたものとして注目される、と紹介されました。いずれにしても、『資本論』が刊行されて150年以上がたち、戦後80年の日本社会は、資本主義の過酷な抑圧支配とアメリカ追随の政治で、世界の中でも社会矛盾が大きい。この中で、政党が『資本論』の今日的意義を評価して、国民にたいして『資本論』の学習運動を呼びかけ出した。なんと無謀ともいえる大胆な提起じゃないですか。そんなことは、世界のどこにもありません。アメリカのようにサンダースさんという一議員が呼びかけることはあっても。フランスやドイツの労働組合が学習をすすめることはあっても、政党が呼びかけるなんて、これまて無いと思います。歴史上、初めての挑戦じゃないでしょうか。私などは、もちろん、誰が呼びかけようとかまいません。がしかし、この『資本論』の科学的な成果の真理を、死語からすくいだして、今の社会問題の根本を問う光りとして、生きた学習を広げよう、との提起ですから、大歓迎ですね。私たちの学習も、そうした流れの一つとして始めだしたわけですが、これはじつに面白いことじゃないですか。まぁ、そんなことが、この学習会で議論されました。
2025年10月25日
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注目!、よぅ待ってました!斎藤幸平氏と志位和夫氏、二人の対談ですお互いにマルクスを尊敬しあっているお二人の対談です。そこから、何が語り合われるのか、注目です。その対談です。私などは、これは現代の知性のぶつかり合いだと思いますが。https://www.youtube.com/watch?v=DEMH8VS6sns&t=3630sしかし、あかるい未来を予感させるものが、そこにはうかがえると思っているんですが。
2025年10月24日
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「赤本『資本論』』第2章「搾取論」のレジメ①明日は、東京・八王子市の鹿島で、第三回「赤本」学習会が開かれます。「赤本『資本論』」の第2章「搾取論」が対象です。鹿島地域だけでなく、ひろく近隣の地域にも呼びかけて学習会が成立するようにしています。前回は、多摩市の方もふくめて4名の方の参加で、第一章『資本論』とは、を学習しました。現代の新聞すら読む人の減っている事態の中で、マルクス『資本論』を学習しようというんですから、容易ではありません。誰か権威ある学者・研究者のお話を聞く程度なら、まだしもですが。今回、第2章の「どうやって搾取がおこなわれているか」ですが私がチューターを担当することになっているんです。一回の学習会は2時間ですから、第2章全体を20分以内で報告せよ、これが宿題です。志位さんが、青年たちとのゼミで、『資本論』第一巻の全体の中心点を、3時間半の短い時間で話したわけでして、その記録が「赤本」なんですね。従って、「なせばなる」とすでに実践しちゃったわけですから、私ごときでも、その「赤本」をテキストにして『資本論』を学ぼう、というわけです。これは、その学習会のレジメをつくるための下作業です。そのレジメは、ちょっと前に一度は完成したんですが、それを送信しようとしたら、パソコンのトラブルがあって、その全部の内容が消えちゃったんです。長すぎたからかもしれません。それで仕方なく、あらためて下書きづくりに挑戦だしているところです。今回は、トラブルの被害を緩和するために、第2章「搾取論」を、3回くらいにわけて、発信します。
2025年10月24日
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赤本『Q&A『資本論』』学習会を準備しつつおもう今の社会の根本問題を問うマルクスの『資本論』ですが、それを学習しようとする運動が、日本と世界でおきつつあること、それは素晴らしいことだと思います。東京・八王子の地域の片隅でも、政治の動きが激しい中で、その中で赤本『資本論』学習会が始まっています。その学習会の準備をしていて、その難しさがどこにあるのか、考えさせられます。一、マルクスの『資本論』は有名です。そして今の社会の本質を解明しています。しかしそれは、1867年に刊行されて、その後、はたしてどれだけの人が、それを実際に読めたでしょうか。この現実を、私などは注目するんですが。夏目漱石が、ロンドン留学中に読んだ記録が、その書簡にありますが。宮本百合子はリアルな挑戦のほどをのこしてはいますが。しかし、実際には、なかなか我々一般人がこれを読むのは難しいことです。しかし、今回、共産党の志位和夫さんが、その『資本論』の第一巻を、若ものたちとの間で、たった3時間半ですよ、この短い時間によく準備した上で講義した。それにたいして、その若ものたちたちは、それを生き生きと受けとめたこと。その考えられない実際の記録ですが、それがこの「赤本」なんです。それは、学生時代に『資本論』を多少となりかじったものにとっては、おそらくまったく考えれないことであり、これはまさに奇蹟的成果なんです。私などは驚かされているんです。二、この出来ごとをしって、私などは、この機会に、身の回りと、かつての学友たちにもよびかけて、しかし、現実の自分の住む地域に呼びかけて、赤本の学習会をひらくべく、準備してみました。これはそこで感じたことですが。だいたい革新系の人たちは『資本論』を礼賛します。しかし本当のところ、活字離れのこの社会にあって、だれがどれだれの人が、それに本当に挑戦できたのだろうか。疑問をいだきます。中には、「こんな赤本なんてわかりきっていること。こんなものをなんでいまさら呼びかけるのか」と、ばかにする人もいます。しかし圧倒的多くの人たちというのは、新聞すら読んでないわけで、『資本論』の「し」の字も知らない人たちです。もちろん意識的に難癖をつける人たちも、昔ながら大勢います。そうした中で、今日『資本論』を学習しようなどということですから。猫に小判のことがらに、いったいどの様にして誘えばよいのか、すすめればよいのか、それが基本的に問われるところです。三、一つの問題として、『資本論』への接近の仕方の問題があると思うんです。この間に志位さんは、同じ問題ですが、それを3回話しています。1つはこの「赤本」の、青年たちとのゼミです。2つは、9月26日には国会議員団と事務局を対象とした学習会です。これは赤旗に5回の連載で紹介されてます。志位さんのストレートな配慮抜きの思いが出でいます。3つ目は、10月14日付赤旗に紹介されましたが、選挙ドットコムの鈴木編集長との対談学習です。これは、今の現実の労働者に対するメッセージとして読ましてもらいました。私などが注目するのは、同じ問題の三つの語りかけ、それぞれどの様な足場(関心事)から搾取論・『資本論』の目標・内容にたいして、接近していくのか。身近かな感性から出発して、科学的な理性に接近していく。ここに重要なヒントが、問題があるということです。日本社会は、気候危機への対策は投げ槍な状態、1980年代以降、非正規雇用など低賃金・長時間労働の格差がひどい、政治は憲法の平和と民主主義を蹴飛ばしている。若ものたちの悲鳴はそこにあります。その現実の渦中にある人たちの問題を、どの様にリアルにとらえれるのか。その悲鳴と『資本論』との関連の解明ですが、それをどの様に具体的なつながりをしめせるのか。それらが今日を生きる私たちの重大なテーマですね。人はそれぞれ各人いろいろですが、いったいどこから接近していくのか。その持ち場、その持ち場において、いったい『なにをなすべきか』、『どの様になすべきか』、それが問われているということです。四、今回、志位さんは、とにかく3時間半の時間ですが、若ものたちに『資本論』の概略のポイントを伝えたんだと思います。実際に、それをやっちゃったんです。そうした経験があるわけですから、戦後80年、その学問の自由の中で、これまでに多少となり『資本論』を学んだことのある人は、この科学を開く呼びかけに、自らの努力が問われていると思います。『資本論』を学習するとは、何が問題なのか、どこに難しさがあるのか。この志位さんの奇跡的な講義ですが、いったいそれが、どの様な努力によってそれが出来たのか。それぞれ自分なりの仕方で、自分としてどの様な内容を、どの様にして自分のまわりの人に対して、「だれが、だれに、どのように」、内容を分かち合えるのか。それが問われている。だれのイニシアチブでもいいんです。問題は、今の日本社会に暮らすわれわれに、その運動をおこすことが提起されたということです。 しかし根本的には、1867年にマルクスが『資本論』を刊行した時に提起されたことです。基本的には、人類の社会進歩はどの様にすすんでゆくのか。資本主義社会は、経済関係は、どの様な問題をもっているのか。日本でも、戦前から、弾圧されても探られてきたからこそ、今があるわけで。一連の探究の基本にある問題として、こうした問題が提起されているわけです。そのマルクスが提起し、努力した問題は、今を生きるすべての人にかかわってます。それをわれわれがどう生かして、未来をひらく力にするのか。今を生きる我々にとって、誠実にはたすべき課題としてあり、そのためにわれわれはどの様に努力すべきか。今の瞬間に、一人ひとりに問われている問題だということです。
2025年10月23日
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渋柿の収穫と、干し柿への挑戦小田原のみかん園は、天候がままなりません。台風22号、23号、そして秋雨前線と、秋晴れが少ないんです。10月20-22日も、また小雨の天気で、早生みかんの収穫は、少ししか出来ませんでした。収穫したみかんが濡れていては、傷みやすいんですね。その代わりに、これまでは放ったらかしだった柿ですが、渋柿なんですが、31個収穫してきました。今回初めてなんですが、この渋柿を、干し柿にする挑戦をすることにしました。これは、先日、NHKの朝の番組でしたが、干し柿の作り方を紹介してくれたんですね。これまでは、出来上がった干し柿をたべて、その美味しさに感心するだけでしたが。カビが出るのをおさえて、ただ干すだけだというんですね。それだけで、干し柿の甘さがでるんだそうです。やはりみかんと同じく、太陽のめぐみですね。だれがあみ出したのか知りませんか、砂糖が一般化する以前には、干し柿は最高の食品だったと思います。それが、陽に干すだけで出来るなんて、すごい発見ですね。まぁ、しかし、それほど簡単じゃないとは思いますが、とにかく、干し柿づくりを試してみます。
2025年10月22日
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東京・町田でも、みかんの収穫が10月18日(土)、東京・町田市のOさんの畑でみかんの収穫をしました。早生みかんの木が、1本ですが、収穫期に入ったんです。当方が出来たのは、クズやヤブカラシにみかんの木が覆われないように、草刈りを手伝ったくらいなんですが。今年の3月23日に東京農民連の方に案内してもらって、初めて町田でみかんをつくろうとしている農家があることを知りました。私などは小田原・真鶴方面の手入れが大変ですから、町田園へは、それから木まわりの草刈りを3回くらいしただけなんですが。それでも自然は大したものです。綺麗な早生みかんを収穫することが出来ました。私などは、なるべく熟していそうなみかんのみを採るようにしてますから、大した仕事でも、収穫量でもないんですが。それでも、貴重なみかんの収穫です。さっそく、収穫したみかんを園主さんのお宅に、届けてきました。前回、2個でしたが、味見用のみかんを届けておいたので、こんかい、その感想をお聞きしたところ、『味が濃いいみかんだね』といっておられました。町田というのは、内陸にありますから、寒暖の差が大きい。日当りは良いし、雨も適度にある畑なんですが、小田原方面に比べると、少し酸味が強いんです。それで、なるべく熟したみかんを採るようにしていきます。それと、数日寝かしておいた方が、酸味が和らいで、甘さが浮き出てきい、もっと美味しくなると思っています。まぁ、とにかく、東京でも、みかんがつくれることを、この町田園は実証してくれてます。
2025年10月19日
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斎藤幸平著『人新世の資本論』と赤本『資本論』東京のはずれのいち地域でのこと、志位さんの赤本『資本論』学習を始めだしているんですが。そのなかでのことですが。その中で、斎藤幸平さんの書いた『人新世の資本論』が話題になりました。だいたい『資本論』を学習するなどということは、どこかの大学とか、研究者の間でならばともかくですが。日本社会の片隅で、この堅物を学習するなどということは、一般には、これまでありえないことと思っていました。独習なら可能ですが、一人で読み進むというのは簡単なことではない。だれか偉い人の話を聞くというなら、ともかくですが。何人かの人が、この学習に集まってくるなんて。だいたい、このヘーゲル・マルクスのち密な考察を、活字離れしている現代人がですよ、集まって読むなんてことは、ありえないとだと思っていたんですが。そんなことは、キリストが、荒野の中で人々に説教するようなものです。砂漠に水を撒くようなものです。重要な本と感じていても、いったい誰がそんな提起を実行できるのか、と思っていたんですが。ところが、この『赤本・資本論』を読んでみると、この青年たちと志位さんのゼミは、そのことに成功したんですね。そして、それを活字で本にした。赤本というのはその記録です。そんなことは、『資本論』が刊行されて150年たちましたが、大学や研究者ならともかく、一般的な青年学生の『資本論』学習の試みなんて、近年では、珍しい、奇特なことだと思います。『資本論』の中心点を、若ものとの間で理解し合ったなんて。若ものが、一段落したところで感想を述べてます。『1時間足らずでここまで、細かい点は別にしても、本質的な部分を教えていただくとは』たしかにこのゼミで、かなめのところで納得したこと、その感動が伝わってきます。それは、今どきに、驚くべきことです。そんな「赤本」であり、そんな共感の作用も働いて、私など年配者ではあっても、東京・八王子、日本の下世話の世界の片隅ですが、『よし、それならやってやろうじゃないか!』とのことになって。再度『資本論』のほこりを払った次第です。しかし、問題は、今の活字離れの時勢での『資本論』です。今を生きる人たちにとって、ほとんど無縁になっている『資本論』ですから。もちろん左翼の進歩的な人たちにとっては、いわば『バイブル』ですが、学術としては確かな到達ですが、簡単ではない。せわしい日常の中にあっては、本棚の片隅でほこりをかぶっている書なもので。「なにを、今さら」の感じもなくはなかったんですが。それに対して、志位さんが、今、あえてその内容を学習しようと呼びかけてくれている、私などは、それは、誰が呼びかけてくれたとしてもいいんですが、この真理へのいざないを、誰が呼びかけてくれたとしてもいいんですが。私などは、この呼びかけは、たいへんもありがたいこだとおもっています。しかも、ただ一般的に提起したんじゃないんです。実際によく準備して、青年たちと学習したこと。しかも、その内容を『Q&A『資本論』』として、私たちにもわかるようにと、2025年8月10日付で、共産党議長の志位和夫さんが刊行されたこと。この産物は、今の日本共産党の集中力によるものだと思うんです。なかなか、こんなことは、やたらにできることではありません。さらに、一つの政党としても、その『資本論』学習を広く呼び掛けてくれた。これは、日本が歴史的に積み重ねてきた、もっている力ですね。それは、バーニー・サンダース議員のように、いち一個人の呼びかけじゃないんです。サンダース議員は広いアメリカのなかで、民主党のひとりの議員としての運動です。それは今のアメリカの中にあって理性の光ですが、しかし大変なことかと思います。とてつもない厚い壁に対して、民主党のひとりの議員として働きかけとして、広くアメリカ社会に呼びかけ運動している。これは世界に対しての宣言だと思うんです。それに比べれば、アメリカであれば民主党の一議員がしている提起を、日本では、一つの政党、日本共産党の志位議長が、一つの政党の代表が、その政党の方針として、『資本論』学習運動を呼び掛けたんです。こんなこって、これまで世界になかったことでしょう。なんとも恐れおおくも大胆なことを提起するのかと、私などはその瞬間に思いましたが。しかし、日本共産党は科学的社会主義を基本とする政党です。そこには歴史があるわけで、日本では、幸徳春水、河上肇、野呂栄太郎、宮川實、大内兵衛などと、世界にほこれるマルクス研究の脈々とした人たちの努力があるじゃないですか。そうした戦前・戦後の積み重ねられた努力のなかでの今現在です。戦前の苦労を思えば、今は民主主義制度のもとでの『資本論』学習の提起です。『よし、それならやってやろうじゃないか!』ということでして。今回の学習会の中で、一冊の本が紹介されました。今の日本の大きな流れの中で、斉藤幸平さんの『人新世の『資本論』』です。2020年9月に刊行された集英社新書、1020円です。「2021年新書大賞第一位、30万部突破」—これが私などが手にしたときの帯封でした。先日、出版の集英社に問い合わせたら、今は46万部を印刷とのこと。これはすごいですね。これは、志位議長の「赤本」のように、共産党の組織があるわけではないんですよ。あくまで一個人としての斉藤幸平氏による著書『人新世の資本論』』の刊行です。それが、日本社会で、このように広がるということは、これはいったい何としたことか。あきらかに日本の土壌にある、ある種の地下にある潜在的な力ですね。それと同時に、この本には、若ものや、さらにひろい人たちに、新たな共感を呼んだんだと思います。いったいこの本には、どの様な人を引き付ける力があったのか、それはなんなのか?それで私も『人新世の資本論』を、あらためて読んでみたんです。私などが読むのに、斎藤さんのマルクスの理解には、率直なところ、マルクスの理解に誤解されている点も含まれていると思んです。「晩年に基本思想を変えて、新たな思想をつくった。それを私は発見した」といったことを、斎藤氏は意見展開しています。その点では、私などは問題があると思っているんですが。しかし、斎藤さんが、マルクスの努力していることを評価しようとしている点で、そこにあらたな光が当てられていると思うんです。例えば、日本社会の格差の問題や、気候危機に対する対応の問題などについて、若ものの不満です。そしてその点でマルクスが先駆的な評価をしていると指摘している点です。150年前の『資本論』ですが、斎藤さんは、それがこの点では、今にちっとも古くなく、むしろ今の世界に輝いているとの認識であり、それを紹介しているんです。それは私なども共感できる点なんですが、そうした点が現在に響いているんじゃないですかね。私などは、勝手ながら期待しているんです。もしも志位さんと、斎藤幸平さんが、『マルクス、資本論を語る』対談してくれたら、マルクスの魅力が、もっともっと客観的に、豊かに引き出されるだろうし、現代に魅力ある点をいろいろと引き出してくれるだろうとおもいます。そうした思いを感じさせてくれる、二人の本でした。私などは、それを期待しているんですが。
2025年10月18日
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『資本論』をさぐる素晴らしい対談ですユーチューブで10月11日に公表された志位さんと鈴木編集長との『資本論』の対談ですが。その紹介が「しんぶん赤旗」の10月14日付に掲載されました。【77分で『資本論』がよくわかる】日本共産党・志位和夫議長が集中講義!|選挙ドットコムちゃんねるこれは『資本論』をさぐる貴重な対談だと思うんですよ。いま、何故『資本論』が注目されているのか。質問している鈴木編集長は、いま現在の労働者の気持ちや関心をもとに、質問を提起してくれています。それにたいする、志位さんの『資本論』の紹介ですが、生き生きとしてわかりやすく、正確だと思うんです。この対談は、『資本論』の今日的にもつ魅力や内容を、またマルクスがどの様な探究により、こうした成果をつくりだしたのか、わかりやすく紹介されています。貴重な成果だと思うんですよ。フェイスブックで紹介したんですが、それだと日にちが過ぎると探せなくなりますから、このブログにも記録しておきます。一つ私などが思うんですが、『資本論』の成果はすばらしいんですが、その全体を知るのは大変なことですが。同時に、それをあみ出した努力の基礎にある方法の問題も大事だと思うんです。唯物弁証法と唯物論的歴史観、それと経済学批判の方法ですが。マルクスはそれを序文やその他でも紹介していますが、本論の方法であり、まとめである、この方法も探ってみます。
2025年10月15日
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10月12日、小田原の早生みかん台風23号が八丈島付近を通過しています。みかん栽培をしているものにとっては、みかんは太陽のめぐみですから、秋晴れが大事なんです。ところが今年は、関東に関しては、秋晴れが少ない。寒暖の差が出てくることで、みかんは色づきますが、甘い美味しさにとっては、秋晴れの太陽の日差しが、やはり何よりも大切なんです。今はまだ、秋雨前線が影響して曇りがち、秋晴れがすくなんて、季節の移行期です。今回も、台風22号、23号による曇りがちの天気です。あさ東京・町田でみかんが色づきだしを確認しました。帰ってから天気予報を見たら、神奈川の小田原にも雨が近づいているとのこと。このため、10月12日は、朝は東京・町田で、夕方は神奈川・小田原で、みかんを、同じ日に見ることになりました。小田原では、なんとしても雨が降る前に、成熟しだているみかんについては、収穫しておきたかったんです。一週間に一度しか行けませんから。これが、その小田原の早生みかんです。まだ小田原では、みかん収穫ははじまりだしたばかりの時です。私などには、色づきだした早生みかんの木というのは、3本しかありませんから、収穫量できる数は、その数量はたいしてないんですが。しかし、ヒヨドリなどは、それを狙っています。鳥たちは、みかんが熟したか、美味しいみかんはどこにあるか、教えてくれます。収穫の時が遅いと、せっかくのみかんがその餌になってしまいます。しかし、鳥たちの加害の問題もありますが、なによりも天候が問題です。秋雨前線や台風の余波で、ないし季節の変わり目で、夜な夜な雨も降るんです。みかんというのは、雨が降って濡れていたら収穫は出来ません。濡れていたら、せっかく収穫しても、みかんが傷みやすくなるからです。したがって天気はどうか、現地の天気予報をしらべてます。今回も、朝は東京・町田をみて、そのあと、雨の予報を知ったので、降りだす前に、急きょ小田原のみかん園へでかけました。本来なら、今ごろは秋雨前線が通過して、秋晴れが続くようになっているはずんですが。しかし仕方ありません。農業というのは、人間の都合などは二の次なんです。人間は、自然の方に、合わせるようにしなければならないわけです。ということで、同じ日に、東京と小田原のみかんの様子を見てきました。
2025年10月13日
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東京・町田でもみかんが色づきだす東京にも農家があります。多摩ニュータウンのすぐ隣の町田市ですが、農業が営まれています。おそらく日本の農業問題の最先端の問題の一つの姿かと思いますが。畑の隅にはみかんの木が成木が5本、苗木が6本植えられています。10月12日(朝)に見てみたら、その内の1本ですが、早生みかんでしょうか。みかんが色づき始めていました。気候の温暖化が問題になっていますが、このことは、東京でも、社会がその自然を大事にすれば、みかんが栽培できることをしめしています。まだ、他の4本の方は、みかんが熟すのは、この先のことなんですが。しかし、木には果実がたくさんついています。期待できるんじゃないでしょうか。もちろん、みかん栽培には、自然と社会の条件が大切です。みかんは、基本的には太陽のめぐみですが、その味が美味しいかどうかは気候など自然条件にもよります。はたして町田産のみかんは、どうか?色づきでは合格ですが、はたしてその味はどうか?本日、一番熟していそうなみかんを、農家の方に試食してもらうことにしています。
2025年10月12日
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始まりました『Q&A資本論」の学習会東京・八王子市の鹿島地域ですが、ついに『Q&A資本論』の学習会が動き出しました。しがない日本の地域片隅で、マルクス『資本論』を学習しようなんてことは、夢幻の空想的なことです。それが、10月11日(土)ですが、東京・八王子市の片隅で、実際に4名の人参加で実現したんです。「学習」にもいろいろな形があります。だれか偉い専門の人の話を聞く、それもまた一つの形ですが。この学習会は、違うんです。志位和夫さんの『Q&A資本論』の学習ですが、輪番で、全体の8章を、チューターを決めるようにしています。チューターには、その人なりに、担当する章のレジメをつくってもらって、担当する範囲の要点を、そして疑問、問題点、意見などを、簡単にレジメにしてもらうようにします。それを学習会の冒頭で報告してもらって、その後、各人に読んでの感想と、報告に対する質問・意見を出すようにしてもらって、その上で、問題点について、討議するようにしています。理屈の上では、この形式により簡単にすすみそうですが、それが、そうは簡単にいきません。学習会に参加してきた人たちは、『資本論』を何とか理解したいとの点では共通なんですが。なにしろ、この日本社会を生きてきた経験、今おかれた状況は、それぞれ違いますから、テキストは同じ一つですが、それに対する対応は人それぞれ様々なんです。『青年は、この『資本論』の学習で、本当に話が弾んだの?』『年金生活者の私は毎日が自由だけどお金はない。志位さんの言っている「自由」って一体か?』『この日本社会の巷で、『資本論』学習を提起するなんて、太平洋にション便する様な事じゃないか』いろいろ議論が交わされました。確信のある回答というのは、誰も出来なかったんですが。誰しも現実生活から出てくる切実な要求がある、その要求と『資本論』の解明がどうつながるのか。これから『Q&A資本論』の全体の8章を学習することで、それを探ってみたい、それが今回の結論でした。
2025年10月11日
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明日の『Q&A資本論』学習会を前に思う明日は、志位和夫著『Q&A資本論』の最初の学習会があります。東京・八王子市の東のはずれにある鹿島団地でのことですが。だいたい、東京の片隅で、マルクスの『資本論』を学習しようなんて、「ネコに小判」「馬の耳にション便」だと、思いませんか。どこかの大学で知識層の集まるところでだとか、あるいは青年の人たちの、その先進的な人たちのなかでのことならともかくですが。なにしろ、ここは東京の一番西側の、片隅にある八王子・鹿島です、しかも、広い八王子のはずれにある一つの団地、鹿島団地でのことですから。砂漠の水ですが。しかし、「糠に釘」とはいえ、とにかく「地の塩」だとおもって、呼びかけてみたんです。はたして、明日はどうなることでしょうか。
2025年10月10日
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みかんの収穫の季節10月8日(水)、小田原のみかん園でのことすが、今季はじめてですが、早生みかんを80個収穫しました。これがそのみかんです。これまでは、全体が黄色くなるまで採らずにいたんですが、数日後の10月12日に、住んでいる八王子の団地で、「秋まつり」をするというんです。早生みかんは、普通のみかんの大津や青島とは違って、完全に着色するまで待つことはないんです。とくに、最近の夏や秋口の暑さからしたらなおのことで、多少は緑色があっても肝心なのは味なんです。それで、味を確かめて、今季の初収穫で、80個を収穫しました。これを八王子の団地の秋祭りで提供しようと思っていますが、8日に持ち帰って、そのことを話したところ、団地の管理組合役員の方によると、『まつりの野菜は、みかんも、すでに八王子農協に手配してある』とのこと。従って、この80個が「団地の秋まつり」で活用できるかどうかは、まつりを4日を前にして、もっか検討してもらっていますが、生きるかどうかはまだわかりません。しかし、それがダメだったとしても、これを首を長くして待っているいつもの団地の朝市の場がありますから、この需要には問題なし。でも、出来たら、新鮮でジューシーな「小田原の早生みかん」を、八王子の団地の人たちに味わってほしいじゃないですか。相模湾の潮風にあたって、酸味のなかの甘さ、それが特徴ですから、その刺激的な味ですが、初めてですが、東京のわが団地生活者に、一つの活性化のためのプレゼントとして、味わってもらいたいと思っています。この写真は10日前のものですが、いずれにしても、いよいよみかんの収穫シーズンの到来です。まだ草刈が終えてないんですが、とにかく、これから12月末までは、もちろん5月の甘夏までつづいていきますが、いよいよ、小田原・真鶴のみかんの収穫シーズンの到来です。
2025年10月09日
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「Q&A『資本論』」(5)『資本論』はどの様な本か?東京・八王子市鹿島でも、「Q&A『資本論』」の学習を始めました。名にしおう『資本論』です。志位さんが『資本論』ダイジェストの『赤本』をだされた機会です。「よし、ひとつこれを学習してみよう」と、9月20日に5名の人が顔合わせしました。10月11日に「第一章『資本論』はどの様な本なのか」を学習する予定なんですが、一昨日、この章を分担したチューターから、そのレジメが届きました。『赤本』は、青年と志位さんの意気投合しての3時間半、『資本論』第一巻を学習した記録です。『資本論』第一巻を読むには、私などの経験では、学生でもかなりの時間がかかります。それを、いくら中心点だといっても、わずか3時間半でそれを学習するなんて。これは、これまでかんがえられない成果です。その実際を形にしたのが、この『赤本』(『資本論』ダイジェスト)なんです。マルクスの『資本論』の成果を、現代に、今の若ものや、一般の人たちに引き継いでいく上で、今回の志位さんの努力というのは、この「赤本」は、素晴らしい貴重な成果だとおもいます。ただし、今回、「第一章『資本論』はどの様な本なのか」を学習するに際して思うのは、これは、『資本論』の基本思想の問題であり、『資本論』全体の評価ということですね。私などの手元には、150年の歴史はありませんが、50年の試みの成果があります。その時、その時の努力として、『資本論』の基礎にある唯物史観、そして『資本論』の方法について、『資本論』の意義について、探究していることがうかがえます。河上肇も、その努力をしてますね。この日本の先人たちの探究の歩みに対する評価が大事だと思うんです。その上に今という現実があると思うんです。『資本論』において言いたいことについては、志位さんは三点にまとめていますが。そもそも、そのことはマルクス・エンゲルス自身が発言しています。それは、『資本論』をつらぬく基本思想であり、全体の総括論ですから。その人となり、時・所・場所により、いろいろな形で表現がされるわけですが。もちろんマルクス自身は『資本論』の序文や「あとがき」にありますし、エンゲルスにおいては『マルクス『経済学批判』の書評』、『反デューリング論』がありますし、二人の『資本論書簡集』などで、述べられています。そのことを志位さん流に三点にまとめたんですね。そうした一つですが、「われわれの党は、ひとつの新しい科学的な見解を理論的基礎としているという大きな長所をもっていた」「この党の理論全体は経済学の研究から生まれたのであり、・・・このドイツ経済学は、根本において唯物史観にもとづいている」(エンゲルス『マルクス『経済学批判』の書評』)。あらためてこの「書評」を読んでみると、これは、エンゲルスとマルクスが相談し合って書いている。ようするに二人の共同作品であることがうかがえます。日本社会での受けとめはどうか。アメリカでは50年ぶりの英語版がある大学から出されたそうですが、私などの手元には、普及版、全集版、新書版、文庫版と、この50年間に日本では、いったい何種類の翻訳が出たことか。もちろん大事なことは、その受けとめですが。「この日本の先人たちの探究の歩みに対する評価」ですが、その知識人・文化人の場合の受けとめを二つ紹介します。宮本百合子については、『宮本百合子全集』第15巻「カール・マルクスとその夫人」(1947年)で、『資本論』を準備しているころの暮らしの様子を紹介しています。私などはこれを、友寄英隆さんの「『資本論』をめぐるイギリスの旅」第9回、(『月間学習』2022年3月 第738号)で知ったんですが。マルクスはどの様な努力の中で、『資本論』をまとめていったのか、生活者の視点から紹介されてます。年金やらの社会保障制度がなかった中での、いかに苦労したかを明らかにしています。これは、その一端を紹介していますが、1945年以降でなければ書けなかった作品ですね。夏目漱石については、彼もまた『資本論』を読んでいた。漱石全集第14巻 書簡集の181 明治35年3月15日付の書簡ですが、当時のもうけ本位の世相を嘆いた後で「カール・マルクスの所論の如きは、たんに純粋の理屈として欠点はあると思うけど、今日の世界にこの説の出てくるのは当然のことと思います」(P200)。漱石は、ロンドン留学中に『資本論』を読んでいたんですね。これは、私信でなければ、明らかに出来なかった事柄ですね。そうした大きな流れをかさねた中に、今という時があるわけです。ようするに、日本の近代史の中では、戦前の治安維持法などの思想取り締まりのもとにあっては、まだそこまではいかなくても、戦前の日本社会では、そうした時代の流れの中では、率直に公けに発言することは出来なかったわけですが。しかしそうした社会の中でも、国民的な知識人とされる人のなかで、『資本論』が吟味されていたということです。それが、彼らの作品の中に、しっかりと刻まれているわけです。おなじ『資本論』を読むにしても、その時代の社会条件によって、それぞれ環境・苦労が違う。今の時代というのは、日本国憲法により、民主主義の学問研究の自由が、思想や言論の自由が保障されているんですから当たり前の自然なことですが。だから今の時代は、夏目漱石や、宮本百合子の時代とちがって、他人の目をはばかることなく、個人の自由があり、自由に内容を発信できるということです。それは先人の苦労のたまものだということです。もっとも、現代は、それこそ様々な思潮が氾濫しているわけで、ましてや活字離れの現代ですから、戦前とは別なかたちでの苦労があり、今日では今まで以上に、自分自身の主体的な意思と努力が、必要だということですが。以上、事前の学習で、第一章を読んでいて思ったことです。
2025年10月08日
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みかんは、いよいよ勝負の3カ月ですブルーベリーの収穫は7月・8月ですが、みかんの収穫は11月・12月です。二つの収穫期は、夏と冬で、対象的です。カレンダーはめくられて10月となり、いよいよみかんの収穫期が始まろうとしています。今日、ひさしぶりに直接にあった東京・永山団地のひとですが、「ずいぶん、日焼けしたね」といわれました。小田原から、先ほど東京にかえったところでしたが。今回の小田原行きは、もちろんみかん園の草刈りでしたが。10月3日(金)、14時56分、小田原厚木道路の平塚SAから見えた富士山です。夏の時期は湿気がありますから、富士山は雲の中にかくれて見えなかったんです。この景色、富士山が見えることに、ようやく季節は秋に変わったんだと感じさせられます。今年の夏は暑かった。自分の顔なんか見ることはありませんから、他者から言われてはじめて気がつきます。「そうか、この間炎天下のもとで草刈りしてきたけど、自分の風貌は日焼けしていたのか」と。今回の小田原みかん園行きは、もちろん草刈が主題でしたが,これはその草刈り作業の一枚です。この夏は、30度以上があたりまえになってましたから、東京・八王子の「鹿島・松が谷ニュース」に書いたんです。「今年の夏は、朝と夕方の1時間、日中に1時間の草刈りで、それこそ汗びっしょりで、ヘトヘトにさせられます」と。しかし、まだ日中は暑くて、草刈りはいつもの様にはすすんでなくて、大変なんですが、それでも、自然というのは大したもので、ここにきて朝晩が涼しくなりました。ようやく睡眠は、夜中に汗をかかないで、ぐっすりと眠れるようになりました。ほっと一息しているところですが。しかし、この草刈りの後を見た下さい。草に覆われたみかんの小木を発掘する草刈です。クズやヤブカラシ、センダングサやママコノシリヌグイに巻きつかれているみかんの木です。これはいっばんのみかん農家の人の目からしたら、「あんたはいったい何をしているのか」と、非難されているところなんですが。ようするに、草刈の作業が後手後手になっていて、そのために、これでは、せっかくのみかんの収穫どころか、木が枯れていってしまう、との指摘です。その指摘は状況からして当たっています。しかし、みかん園を荒廃させずに、どの様に手当てして健全に維持していくのか。これが、にわか農夫の、引き続いている課題です。季節は10月になり、これからみかんの収穫期に入っていく時ですが、新米農夫が、直面しているところの課題です。
2025年10月06日
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『資本論』をつくるための苦労今、志位さんの『Q&A『資本論』の学習が呼びかけられています。多少となり、マルクス『資本論』を知っている身としては、この提起を、私などとしても、またとない機会として歓迎しています。今回、日本共産党・志位和夫議長のイニシアチブの提起がきっかけですが、このことは日本国民にとって、歴史的な知性全体が問われていることだと思います。この問題の性格は、今の小さな共産党がどうだこうだ、といった問題ではないと思います。マルクスが『資本論』を刊行したのは、1867年の明治維新の前年です。留学した夏目漱石ですが、イギリスのロンドンで『資本論』を読んでます。イギリスと日本、個人と基本的人権でのその意識のギャップに、胃を悪くしたほどなわけで。近代日本の良識は、日本の進路の一つの可能性として、命がけで探ったわけです。幸徳秋水、河上肇、戸坂潤しかり、脈々とした努力があるわけです。それらの努力が、日本の科学的社会主義につながるわけで。『資本論』にたいする理解ということも、またしかりです。これは偶然なんですが、『月間学習」2022年3月 第738号を見たんですが。そこに友寄英隆さんの「『資本論』をめぐるイギリスの旅」の連載で、第9回ロンドン①マルクスの住居 という紹介がありました。その中に、『宮本百合子全集』第15巻「カール・マルクスとその夫人」(1947年)そこからの引用がありました。宮本百合子は、女性ならではのセンスをもって、『資本論』を準備するマルクス夫婦の生活を紹介しています。今の日本は戦後の運動により、社会保障制度という、十分かどうかは別にしても、医療や年金が国民皆保険としてあるじゃないですか。戦前の日本はそれがなかったように、マルクス夫婦のロンドンの生活もたいへんでした。「エンゲルスの援助と、ニューヨーク・トリビューン紙から送られる一回わずか5ドルの原稿料が生活の資であった。・・・・家主に追い立たてをくって、寒い雨の降る陰気な日にマルクスは妻子のために家を探してかけめぐった。子供が四人いるときくと貸す人がいなかった。やっと小部屋が見つかった。家主がマルクス一家のシーツからハンカチーフ迄差し押さえ、子どものおもちゃから着物まで差し押さえたときくと、あわてた薬屋、パン屋、肉屋、牛乳屋が勘定書をもって押しかけて来た。その支払いのためにはベッドが売られなければならなかった。2-300人もの湯治馬に囲まれて、全財産を手放したマルクス一家は、新しい小部屋に引移った。」(新日本出版社 第15巻 P179)宮本百合子は、治安維持法の禁圧が解けた1947年に、女性としての生活者の視点から、ロンドンでのマルクス一家の生活の様子について、残された書簡をもとにして紹介しています。こうした苦労の中から、『資本論』というのはつくられたんですね。
2025年10月01日
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「Q&A『資本論』」とヘーゲル『小論理学』マルクス『資本論』とヘーゲル『小論理学』をあたってます。ともに活字離れの現代にあっては難書です。どうして、その難書をあたることになったのか。それは、志位和夫さんが、『Q&A『資本論』ゼミ』の学習を提起したことによるものですが。第一に、この本は、若者たちとの間に『資本論』学習の道をひらいたものとして、すごいものだと思うんですよ。しかし私などは、その『資本論』というのは、一般勤労者にこそ求められている事柄だと思うんです。1970年頃、学生としてそれを学んだ身としては、そこの真理があるとしても、一般の人がそれを学ぶなんてことが、いかに簡単なことではないことを、実感しているわけでして。第二に、『資本論』の基礎には、唯物史観の歴史観と経済学批判の方法論の問題があると思うんです。ダイジェストの赤本では、そんな小難しいことにふれることは出来ませんが、それがあると思うんです。私などは、その学習の基礎部分として、確かめることが問われました。さらに第三に、私などにとっては、ヘーゲルが『小論理学』「序論」でいう「客観性に対する三つの態度」に対する理解がとわれました。それは、第一にカント以前のヴォルフなどの形而上学に対する理解、第二はイギリス経験論とカントの批判哲学、などですが。これまで、一応通読はしていたものの、そこでヘーゲルが何を言いたいのか、得心出来なかったんですが。『小論理学』はヘーゲルの監修のもとで刊行されたものですが、最近の2010年に息子さんのカール・ヘーゲルによる『論理学講義』が出されました。1831年のヘーゲル講義を筆記したものですが。これは、『小論理学』をテキストにして、それをヘーゲルが晩年の1831年に解説講義をしたものなんですね。本題の「Q&A『資本論』」の学習からしたら、このヘーゲルの「客観性に対する三つの態度」というのは、一つのわき道にそれるとの感もなくはないんですが、しかし、私としては、ここに明確にしておくべき、大事な問題が提起されていると感じています。
2025年09月30日
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みかんの収穫は近い、その前に草刈りです小田原のみかん園へ、9月27-29日に草刈りに行ってきました。あと間もなくです。これから早生みかんから、みかんの収穫がはじまります。しかし、その前に大きなひと仕事があります、それはみかん園の草刈りです。右側に、畑を手入れしている人の姿が見えますが、その畑のすぐその隣は、草ぼうぼうです。今回の仕事の一つは、この雑草に埋もれている、みかんの小木ですが、その発掘作業からでした。さらに遠景を見ると、向かい側の畑では、みかん小屋の奥の方にある成木ですが、クズやヤブカラシの蔓によって、すっかり絡みつかれ覆われています。今回の作業は、手前の側での草刈り作業と、向かい側の畑ではつる草の除去と、これは自然との闘いです。これは、作業を終えて引き揚げる時の様子です。箱根山から援農者が来てくれたんですが,その草刈り支援のおかげで、頂上にみかんの木ですが、この間、草に覆われていた木でしたが、くっきりとそのみかんの木の姿が、浮かびあがるようになりました。これはまだ、さいわいの部類です。クズやヤブカラシ、ママコノシリヌグイ、こうしたつる草に覆われているみかんの木を、なんとか一本でも救い出すように、今、悪戦苦闘の戦いが展開しているところです。
2025年09月29日
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軽井沢での同窓会法政大学・経済学部に、1969年に入学した有志ですが、9月24日から26日でしたが、長野県の軽井沢で同窓会を開催しました。私たち同窓会が、高級リゾートの地・軽井沢を楽しむなんて、まったく場違いなことなんですが。しかし、楽しんできました。今回は、いつもの同窓会とは、文化的にもチョット違ってました。25日の夕方の宿舎でしたが、生コンサートが開催されました。ただ聞いていたんじゃないんですよ、参加者メンバーの3人自身による、自らの演奏を披露してくれたんです。それは「スペシャル・ライブ・コンサート」として、本格的なものでした。メインは、モーツァルトとヴェルディ―の、オペラのバスによるアリアでした。本格的なバスによるアリアです、生の声楽が響き渡りました。だいたい、こんな力が同窓生にあるなんてことは、1969年の荒くれた法政大学にあったなんてことが、いったいだれが想像したでしょうか。その後の人生のなかで、それぞれの趣味と鍛錬の努力が、こうした形になるなんて、私などにはおどろきですが、とにかく現実にその力を披露してくれたんですね。さらに、そのバスによる歌だけじゃないんです。幕開けは、同窓会の幹事自身が、自らのピアノ演奏を奏でるとともに、それにのせて、あの頃耳に親しんだ曲目のレパートリを、披露してくれたんです。これまたオンリーワンでして、当人が言ってましたが、世界のすべての努力はこの瞬間にあり、ということでした。さらにそれだけじゃないんです。日本があみ出した音楽、尺八による生演奏です。江戸時代の「八つ橋けんぎょう作の六弾の調べ」とのことですが。確かに耳のどこかで聞いた事のある曲ですが、その生演奏です。ミニコンサートの最後は、参加者一同による「故郷」の合唱でした。「うさぎ追いし」の曲ですが、どうしたわけか、おさなき身には「ウサギ美味し」と思っていた人が、参加者の記憶でした。そもそも、どうしてこんな生コンサートがひらかれたのか、しかも、今や高級リゾート地の軽井沢の地でひらかれたのか。いまから50年前の荒廃した法政大学でしたが、全国の各地から集まってきた若ものたちが、突然にその現実に投げ出されたこと、その当時を思えば、こんな文化的なことは考えられないことですが。それぞれが、50年余間の間に、忌まわしい現実から、みずからのあるべき道を、そして趣味を探ってきたというわけです。それぞれが、それぞれのなかに、いろいろと思いを持ち続けてきたというわけです。今回の同窓会も、そのあがきつづけてきたことの一端が、それぞれの人のライフワークの形として、今日に楽しく交歓されたというわけです。あの50年前の当時では、殺伐とした学園でしたから、まったく想像しえないことでしたが、しかし、時を経てみると、そこにはそんな力が眠っていたんですね。まぁ、私などは、みかん園の草刈りでヘトヘトですから、せっかくの芸術は「猫に小判」でしたが。それでも、本格的な生演奏の迫力でして、それなりに楽しませていただいたということです。それにしても現在の高級リゾートの軽井沢の地に、みかんの草刈りを本業とする、草刈り農夫が出かけてくるなんて、いったいどうしたことか。今回、そんなミラクルなことが、どうして実現したのか。じつは、今回の幹事の方が、軽井沢の発地で、20年前からブルーベリーの栽培をしているんですね。私などにとっては、軽井沢なんて高級リゾートは、トンと無縁な世界だったんですが。しかし、この地に長年ブルーベリー農夫として暮らしてきた人がいて、そのことが幹事として、軽井沢の自然と人、文化と歴史に通じていたことの紹介だったんです。だから、当然高級リゾートの世界を横に見つつも、そこで暮らしている人たちとを、わたしなどを様々つないでくれたんですね。それが、今回のミニコンサートと軽井沢を材料に、私などをつないでくれる旅でした。だいたい、そもそも軽井沢は、近代以前の昔から中山道の宿場町でした。中山道の一番の難所、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠ですが、そこを越えていく人々のための休憩所・宿場町が軽井沢だったわけで。難所とは裏腹に、浅間山の景色が素晴らしくて。それは、ふるくから文化人にも愛されていた。それが、やがて1960年代ころからは、高級別荘地に変わってきたというわけです。たしかに、夏のリゾート地としては、この地の自然は快適かと思います。しかしですよ、この地の冬の寒さというのは、はたから見ても厳しいことがうかがえます。そこに暮らす人たちというのは、夏季に滞在する面々とは違って、たいへんだということです。その昔ながらの中山道、その峠にある茶屋によってきました。碓氷峠には、今でも一軒の茶屋があって、今は車で簡単に来ちゃいますが、昔の徒歩の旅人たちにとっては、きつい難所だったでしょう。峠越えのきびしさというのは、「あぁ、野麦峠」にも出てきたかと思います。私たちも、その峠にある茶屋において、名物の団子と蕎麦を味わってきた次第です。
2025年09月26日
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共産党・田村委員長講演と自民党総裁選挙9月24日付の新聞ですが、共産党創立記念の田村委員長の講演と、自民党総裁選の記者会見が報道されています。これを見て、私などが感じることですが。第一に、私などが見るのに、先の参議院選挙をくぐってきたんですから、世界と日本国民にとって何が問題か、その課題は、明確になっていると思うんです。しかし、あらためて二つを読み比べると、対象的ですね。今、日本の政治に何が求められているのか、それに対して何を提起しているのか。一方の、共産党の田村委員長の政治的提起は明確です。他方、それに対して、自民党候補の総裁候補ですが、経済・外交安全保障・裏金、選択的夫婦別姓、だれも国民要求にたいして明確な発信がない。何に対して、だれに対して、気兼ねしているのか、曖昧な言葉に終始しているわけで。これじゃあ、変えれないし変わらないですね。いや、むしろ国民をなだめすかして、従来の危険な方向をもっと強力におし進めようとしているわけで。この二つの対比が、明確になっていると思います。第二に、共産党・田村委員長の5つの発信ですが、今の日本国民が置かれている問題が何なのか、課題と方向は明確ですね。わたしなども賛同できるんですが。問題は、どのようにしたら、この国民的な共同を、一刻も早く形と力をつくるのか、つくれるのか、ですね。この間、『Q&A 資本論』の学習を、私なども始めたんですが。あらためて、『われわれの党は、ひとつの新しい科学的な見解を理論的基礎としているという大きな長所をもっていたし、この見解を仕上げることは、党にとって大きな仕事であった』この言葉は、1859年8月、エンゲルスがマルクスの『経済学批判』によせた書評ですが、この言葉の意味が伝わってきます。今、『資本論』の学習が、今回の田村講演の5つ目の柱としても、提起されています。私などは、当初、『資本論』を学習せよなどという提起は、活字離れのこの時代社会に、そんな提起は国民にとっては難しい、その大変なことがわかっているのか、と斜めに感じていたんですが。もちろんそれが必要なことも、そうあってほしいことも、当然感じていたんですが。しかし、変えました。この提起は、世界の良心者の運動の一環であり、今がそのチャンスなんだと。実践してみるしかないと。その上で、私などが感じている問題ですが、問題は、『資本論』の中身を、どの様につかんで、それを今日に直面している問題にどのように生かすこと、そのためにはマルクスが『資本論』において切りひらいた一歩の努力を、巨大な一歩を、いま私たちがどの様に発展させるか、この問題ですね。このことが問われていると思います。
2025年09月24日
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共産党「さいとう伸子」候補当選—真鶴町議選昨日、2025年9月21日投票の神奈川県真鶴町の町議会議員選挙ですが。共産党の「さいとう伸子」は、やりました。定数10議席を12名で競う中、みごとに10位で当選することが出来ました。共産党は、50年余の黒岩夫婦が議席を守ってきました。その議席を今回、さいとう候補に引き継ごうとしたわけですが、小さな町の選挙ですから、様々な地縁血縁が交差する中で、共産党を看板に、筋を通す議席を持つということは簡単なことではないと、私などは、外から郷里をみていて感じていたんです。今回は、有権者は5,813人、投票数は3,447票とのことですが。定数が10名の町議会に、住民の要求を守り抜く共産党の議席が、有ると無いとでは大違いになります。新人の「さいとう伸子」候補は、貴重な231票をえて、最後の10番目での議席獲得でした。街の中には確かに良識者がいて、その力が新人をみごとに議会に送り込んだということです。最下位ですから、新人は実際のところ危なかったわけですが、当選しました。この暑い日差しの下での、一人ひとりをつなぐ大変な選挙だっただろうと想像します。ご苦労様でした。これは、世界と日本の「戦争と平和」がぶつかり合っている今の局面で、平和と理性の努力が、頑張って道を切りひらくという、ある意味では当り前のことですが、しかし、そのために努力しなければならないんですが、時によっては、そうしたさまざまな努力がむくわれないこともありますから。この真鶴町の町議会選挙をめぐる努力と結果は、ありがたいじゃないですか。日本の片隅の、小さな真鶴町でも、5,813有権者の中に、231票の支持者を集めて、日本共産党の確かな一議席を確保し、継承したということです。これは、世界と日本全国への、一つのメッセージを発信したということです。まぁ、わたしなどは、これからも真鶴に草刈りに行くことがあるわけですが、なんとなく、少し誇らしく足どりも少し軽くなるような、そんな気がしてきます。
2025年09月22日
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「Q&A『資本論』」の学習(その4)東京・八王子市の片隅でも、志位「Q&A『資本論』」の学習が始まりました。これは、その学習の様子とは別でして、私個人としての思いによるものなんですが。今回の『Q&A資本論』学習は、私などにとっても、大歓迎でした。だいたい、『資本論』を、たとえ第一巻であったとしても学習しようなんてことは、この50年の世相からして、一般の活字離れ、91年のソ連崩壊、新自由主義の喧伝からして、そうしたことは、日本社会の一部の人のせまい努力に封じ込められてきたと思うんです。そうした中で、「Q&A『資本論』」刊行と、その学習の呼びかけは、大歓迎なんです。この『Q&A『資本論』』は、世界の動きの紹介と日本の若者たちに対して「マルクスと『資本論』」を案内する絶妙な成果だと思うんです。3時間半の講演で『資本論』第一巻をわかりやすく紹介するなんてことは、ありえないことなんですが。しかし、それがおこなわれて、本という形にまとめられたわけです。私などオールド世代としては、この間に、「弁証法」「唯物弁証法」を紹介してきたんです。その次の課題として「唯物史観」を紹介しようとしていた、ちょうどその時にこの「Q&A『資本論』』学習の提起があったわけです。私などの思いは「科学的社会主義と『資本論』の内容を、その今日的意義を広げたい」ということですが、そこにはどこか重なっているものがありますよね。今、探っている一つは、『経済学批判』「序説」ですマルクスがエンゲルスとともに1844年ころですが、政治・階級闘争の、国家社会の変化する基礎に経済があることを洞察した。エンゲルスは「国民経済学批判大綱」を書きましたが。マルクスはそれから23年の研究を、1867年に『資本論』にまとめ刊行した。その途中ですが、1859年に『経済学批判』を出した。それは出版社の都合により、はじめのごく一部しか出版出来なかった。『経済学批判』の「序説」というのは、マルクスは唯物史観と経済学批判の方法を確立して紹介するとともに、同時にその時点では探究途上ですが『資本論』の全体構想と社会像をまとめていたんですね。マルクスは、結局、『資本論』第一巻をだしただけの途中で、1883年に亡くなっていますから、『資本論』全体と、さらには唯物史観の社会像は、探究の途上で亡くなってしまった。だから、そののちに生きる私たちとしては、それをどの様につかむのか。その後において、世界をどの様に探っていくか。私などは、『経済学批判』の「序説」は、それを示唆する大事な文献だと思っています。しかし、マルクス自身は、その「序説」を、刊行しませんでした。おそらく「全体の結果についての、グダグダした文章となるから、発表はひかえる。『資本論』そのものを読んでいけば、自ずから理解されるだろう」として、「序説」は刊行されなかったんですね。しかし、私などは、今日にしておもうんです。この「序説」は、完成版ではないにしても、ある程度の『資本論』の構想を、経済学批判の方法を探る上で、『経済学批判』の「序言」とともに、大事な注目すべき論文だ、と。ということで、今回は『経済学批判』の「序説」の紹介と、お勧めです。
2025年09月21日
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「Q&A『資本論』」ゼミの学習 (その3)いよいよ始まりました、志位「Q&A『資本論』」ゼミの学習が。9月20日に、東京・八王子市の片隅の鹿島でも、学習運動がはじまりました。この大都会・東京の片隅の砂漠のような南多摩でも、今日から、「Q&A『資本論』」学習が始まりました。5人の人たちが参集しましただいたい考えてもみてください、今日の世知辛い日本の社会の中にあって、東京の片隅でですよ、このとっつきにくい『資本論』をテキストにして、学習するために集うなんてことは。そりゃぁよいことですが、ふつう一般的には、ありえないことだとおもうんです。もちろん、青年の先進的なひとたちによるものだとか、経済学の研究者の一部の人たちとかであるならば、それならばまだしもありうるんですが。「隣は何をする人ぞ」の大都会のかたすみですよ、それぞれさまざまな事情をかかえる老若男女がくらしている八王子のへき地でのことですから。それこそ、砂漠に水をまく様なこころみなんです。それなのは、この呼びかけに5名の人があつまってくれた。こんなことって、すごいことだと思いませんか。共産党の呼びかけが、夢幻を実現したということです。今回は、初めての顔合わせの、交歓でしたが参加者は、それぞれ、これまで日本社会の様々な分野で苦労してきた面々です。今回は、それぞれの『資本論』との出会い、志位さんの「Q&A『資本論』」の成果を確認しつつ、現在の状況について、交換しました。これから「Q&A『資本論』」の学習をすすめていくわけですが、まずは、その感想について、提起されている問題や課題について、それぞれの問題意識を議論しました。〇切実になっている自然環境と政府・財界が原発復帰しようとしている問題、〇マルクス経済学がはたした成果と今日の現状把握と変革課題の問題、〇参院選後の政局と自民党政治を変えるための努力の問題、〇いまの若ものたちの問題意識と『資本論』との関連の問題、〇高齢者の私たちが、どうしたら若ものにはたらきかけうるかの問題、それぞれの経験からして貴重な意見が出されました。それらは活字にはなっていない、実際の社会の紹介でした。今後のすすめ方を議論しましたこれから月に2回のペースですが、『資本論』第一巻について、「Q&A『資本論』」ゼミの8つのテーマを軸に学習してゆきます。今回、それぞれテーマごとに、その要点・問題提起をするチューターを決めました。これから、それぞれの参加者による議論をとおして、志位テキストの学習をすすめていきます。ということで、当地でも「Q&A『資本論』」ゼミの学習が始まりました。
2025年09月20日
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私なりの『Q&A 資本論』の学習 その2明日から八王子市鹿島でも、志位和夫著『Q&A いま『資本論』がおもしろい』(新日本出版社)の学習会を始めます。今、その準備をしています。だいたいマルクスの『資本論』とは、どのような本なのか、それをどのように学習するのか。このこと自体が問題です。第一に、「いま、なぜ『資本論』か?」ですが一方では、一般的には活字離れの世相ですし、ロシアのウクライナ侵略に重ねて「これが社会主義だ」と宣伝があおられてるじゃないですか。しかし他方では、格差の広がる世界で、世界の各地でマルクスと『資本論』が注目される芽があるとの社会状況です。この中で大事なことは、私たち自身が、「今、『資本論』をなぜ学ぶのか」、この学習に挑戦するということです。その運動に呼応するということです。第二は、名前こそ有名な『資本論』ですが、なんたって大著です『資本論』は、第一巻だけでも4分冊、1352ページもあるんです。だいたい、ほこりをかぶって本棚にもっている人も多いんじゃないでしょうか。それはそうなんです、一般の私たちには、この難解な大著を読み通すだけの条件があったでしょうか。しかし、今回は違うんですよ。今年の8月に案内書—志位和夫著『Q&A いま『資本論』がおもしろい』(新日本出版社)が出たんです。民青同盟の青年たちとの学習会で、『資本論』第一巻を8つのテーマにまとめて、3時間半で学習したのをまとめた本です。青年たちとの生き生きとした対話学習を紹介した本です。それによると、この『資本論』学習の場は、一般によくある「話がむずかしい」とか「ながすぎる」とかいった、長年経験してきたことじゃなくて、『分かった!』ということ。講演の最後に、若ものの感想ですが、全体をとおして『非常に知的な刺激を受けるお話をいただきました』との述べているんです。すごいでしょう、確かに生きた学習会がおこなわれたんです。それがこの本にまとめられているということです。その青年たちが感じた息吹ですが、わたしたちとしても、それをつかんでみたいじゃないですか。第三に、「Q&A『資本論』」をもとに『資本論』そのものにせまろうわたしなどは、そうした青年たちとの学習が行われたとしても、『資本論』に迫るのは簡単ではないと思います。何しろマルクスが1844年から1867年の23年間の努力をまとめた本ですから。この志位さんの本は、第一巻の中身を8つの柱にしぼって説明しているわけで、中心点を解いているわけです。当然、この本の基調になっている唯物論的歴史観やこの経済学批判の方法をつかむことだって、必須の課題です。もしもそれが簡単に分かるようだったら、だれも苦労はないわけでして、その内容は深いし広い。しかし、そのしぼられたテーマの「ごくごくのあらまし」でも、そこで得心をつかめたら、『資本論』そのものを理解する一歩になると思います。現実から出発して、その生きた把握を目的としているわけですから。第四に、第一テーマの「『資本論』とはどのような本なのか?」ですが志位さんは「変革と希望の書」とまとめています。これは、人それぞれの表現がありうると思います。マルクス自身が『資本論』に込めた思いというのは、『資本論』の序言や「あとがき」に書いています。そして『経済学批判』や『資本論』を刊行した前後にいろいろな人にあてた手紙で書いています。それは『書簡集』で探れます。このテーマについて、ほとんどすべての本に様々な解説がありますが、その一つですが、『マルクス主義経済学講座』(新日本出版社 1971年刊行)のなかにある 序章「マルクスの経済学の基本的性格と方法」(横山正彦著)私などは、この論文も優れたものだと思っています。さて、次の第二テーマは「どうやって搾取はおこなわれているか?」ですが、これは次回です。
2025年09月20日
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みかんの木の草刈りとつる草はがし早生みかんの収穫は、10月末くらいから始まりますが、その前に、みかん園では大仕事があります。みかんの木を覆いつくす雑草の草刈りと、クズなどのつる草はがしです。手前のみかんの木は、これまでにつる草をはぎ取ったんですが、畑の上の方については、いま現在、悪戦苦闘しているところです。みかん園の雑草の繁茂をおさえるには、草刈りのタイミングがあるようです。若草のうちに抑えておく必要がありました。アメリカセンダングサなどが伸びだすと、それをつたってクズやママコノシリヌグイなどのつる草が繁茂して、みかんの木を覆いつくしてしまいます。みかんの木がつる草に覆われると、みかんの木に陽が当たらなくなりますから、果実はダサくなりますし、葉も減って、みかんの木自体が枯れてしまいます。しかし、今年の6月来の暑さです。表で作業できる時間は限られていた。早朝と夕方の、各1時間くらいの草刈りが基本となりました。日中は、焦点を定めて、30分くらいの集中力で。草刈り以外にも、お茶の木の茶摘みと整姿とか、いろいろありましたから、結局、みかん畑の草刈りは、すすまなくて、だいぶ遅れてしまいました。そのつけが、つる草はがしの大仕事として、今、悪戦苦闘の作業となっているわけです。みかん農家の方たちは、みかん畑の雑草の繁茂を抑えているんです。にわか農夫としては、まわりの手入れの行き届いたきれいな畑をみています。それは「ウサギと亀」のようなもので、一生懸命に、いま汗をかきつつ、カメを追いかけている次第です。
2025年09月18日
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9月21日投票の真鶴町議会議員選挙私などのみかん園のある神奈川県真鶴町ですが、9月21日投票で真鶴町議会議員選挙が始まりました。関東の西はずれの町で、知る人ぞ知る町ですが。東海道線の駅では、神奈川県境の湯河原、そして真鶴・根府川・早川・小田原と続きます。石橋山の戦に敗れた頼朝ですが、再起をはかって房総方面に船出したところでもあります。私などの故郷でもあるんですが。その町での、町議会議員選挙です。私などは、50年前にその地を離れていますから、浦島太郎なんですが。真鶴町の有権者は、5,870人だそうです。むかし、私などが住んでいたころは、人口1万人を超えていたんじゃないかと思いますが。真鶴町議会の定数は10名とのこと。今回12名が立候補しているそうです。共産党は、長年、黒岩町議が頑張ってきていて、ご夫婦で50年余の議員活動してきたんです。このへき地で、共産党を看板にて、議員活動をするというのは、大変なことだったと思うんですよ。今回、教員生活43年、町の住民運動にたずさわってきた「さいとう伸子」さんに、その仕事をバトンタッチするというんです。わたしなどがみかん園に草刈りに行ったとき、そのすぐ近くに事務所が出来たんです。もちろん、私などは有権者でも、知り合いなどもないんですが。しかし、これは傍観しているわけにはいかないじゃないですか。関東の片隅で、日本共産党を看板にしての選挙です。今の日本の縮図じゃないですか。それで、草刈りついでに、告示日にさいとう候補の事務所を訪ねたんです。「午前10時から出発式があります」というんで、地域のかかわりは、雑草しかない私ですが、気持ちだけでもと応援してきました。だいたい、町民が主人公の街をつくっていくためには、一人くらいは、確かな議席が、頼れる共産党の議席が必要じゃないですか。私などは草刈りに来るだけですから、街中のことについては、具体的なことはまったく分かってないんですが。だけど逆に、遠くから見ていると、それだからこそ街中の人以上に、見えてくることがあるんです。さいとう候補は、4つの公約を選挙ビラに発表しています。1、水道料金の値上げ反対2、中学校給食も完全実施3、70歳以上の医療費助成4、介護サービス 保険料・利用料の軽減 です。これは、さいとう候補にとっては、人生の結論的な要求ですね。それが共産党の主張・政策と、ぴったりかつなったんです。だから、新人であっても、町の行政に対して、ゆるぎなく主張できるんですね。私なんかは、たまたまの草刈り作業に来たくらいなんですが、9月半ばとはいえ、陽気がまだまだ暑くて、表での仕事はきついので、ここでの仕事は止めました。しかし、選挙の候補者は、「暑いからやめる」というわけにはいきません。これから投票日まで、強い日差しのもとですが、たいへんきつい選挙活動ではあるんですが、頑張るわけで、敬意を表します。しかし、それは、町民にとっての、いつでもどこでも誠実な、この確かな議席を守って、引き継ぐことです。それぞれの町民の暮らしにとっても、真鶴町の全体にとっても、大切な議席だと思います。この街にすんでいる人たちにとっては、狭い町での地縁血縁のしがらみ選挙との面もあるんですが、しかし、私などは注目しています。さぁ、何人の方が、この存在にたいして、信をたくしてくれるか、良識のバロメーターであり、それは日本の縮図です。私などに出来ることは、限られているんですが。私など同様に、町の外に出た人たちにたいして、「郷里の真鶴町では、そんな町議会議員選挙がおこなわれているよ」と、数人の知人に、告示日の様子を紹介することくらいなんですが。これもまた、なにも無いよりかはましだと思っています。にかには『突然の藪から棒に、いったい何ごとだ!』心外なこととして受け取る人も、中にはいるかとは思うんですが。部外者による郷里からの便りだということです。
2025年09月17日
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私なりの『資本論』学習 その1この8月10日に『Q&A いま『資本論』がおもしろい』(新日本出版社)が発売されました。これは、共産党議長の志位和夫さんが、民青同盟のゼミで質問に答えつつ講演したものです。その前提条件は、いま、はじめてマルクスや『資本論』に接する若ものを対象にして、3時間半という限られた時間の中で、『資本論』第一巻についての基本的内容を紹介するというものです。これは、すごい試みだと思いませんか。しかも、この書の出版をきっかけにして、ひろく多くの人たちに『資本論』への挑戦が呼びかけられました。私などは、活字文化が後退する今の社会の中での『資本論』学習の呼びかけですから、流れからして大きな困難さを感じるとともに、8月30日のブログで紹介しましたが、「よし、やってやるか!」と。いま、その準備を始めだしたところです。東京の片隅の、南多摩でも『資本論』学習をはじめます | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログふりかえると、マルクス『資本論』ですが、本は有名なんですが、これまではおもには個人的な学習でしたから、その中身について語り合えるというのは、少なかったんです。そりゃあそうです、この難攻不落な『資本論』ですから、そんな暇人はなかなかいないわけです。それで、これは「もったいない」と、なんとか議論するような機会が必要だということは、つねづね感じていたんです。そこに、今回の呼びかけでしたから、これは大歓迎です。私なども、できる努力をつくすということです。本棚にあった本ですが、いくつかをならべてみました。志位さんの第一テーマは、『資本論』とはどのような本なのか? ですが。これは「序説」ですね。それはこれから学習をはじめるにあたって、念頭においておきたいリードとなる一般認識です。じつはこれは、全体をとおしての結論ですね。だから、人には人の認識があり、一般的なリードで、参考意見くらいのうけとめでよいと思うんです。ちなみにマルクスも『経済学批判の序説』を、まとまった論文を最初に書いていました。しかし、それは引っ込めて、「序言」の形に書き換えました。「まえにざっと書いておいた一般的序説は、これをさしひかえることにする。というのは、よく考えなおしてみると、これから証明されるべき諸結果を事前に示すことは、妨げになるように思われるからであり、およそ、私についてこようとする読者は、個別的なものから一般的なものへ登っていく覚悟を持たなければならないからである」(『経済学批判』の序言 国民文庫 P13)と。この『序説』の内容に、マルクスはこの探究の結論としてどの様なことを考えていたのか、その内容に、私などは注目するんですが。その中には、『資本論』の基礎にある唯物史観についての紹介があります。「序言」では簡潔にまとめていますが、それとは違った形で紹介されています。それから、研究していく過程と、それを叙述していく過程の、その違いが述べられています。マルクスによるリードですが、『資本論』は何を意図しているか、ですが。それは『経済学批判』でも『資本論』でも、それぞれに序言や「あとがき」があります。そして、それぞれが刊行された前後の書簡が遺されてますが、そのなかで語られています。もちろん、『資本論』を訓詁学するつもりではありませんから。非正規雇用の新自由主義、格差拡大と、異常な気候変動をどう抑えるか、私たちが今生きている社会の問題こそが問題で、『資本論』がそれに対して、どの様なプレゼントをしてくれているか、今日的な意義が問われます。こうしてみると、簡単ではないまず、『資本論』第一巻の基本的な内容をつかむこと。難書を途中放棄しないで、終わりまで進むことは大切なことです。このことは、『Q&A いま『資本論』がおもしろい』が刊行されたわけですから、第一巻については、プレゼントがありますから、比較的容易なことかとおもいます。しかし、『資本論』第一巻の基本をつかむことと、『資本論』そのものとは違います。マルクスが、1844年—『経済学批判』(1859年)—『資本論』(1867年)と、33年間の努力の研究成果ですから、個別の問題に入ると、たいへんな事柄です。それも確かめたいじゃないですか。マルクスがどのように学術を前進させたのか。しかし、それを個々につかむということは、簡単なことではありません。そこでは何が問題か、課題を確認することくらいかもしれません。さらに、『資本論』の学習は、詁学的に学習するわけではないし、重箱の隅をほじくるわけでもない。私たちが今生きている人生を豊かにするために、マルクスはどの様なプレゼントをしてくれているか、問われています。そうしたことが、この志位さんの本を始めるにあたっての思いです。これだけでも、多くの探らなければならない課題が出ているんですが。それは、時間が許す限りで当たるようにして。次の、基本的な柱となるテーマですが、「2、どうやって搾取はおこなわれているか」です。
2025年09月11日
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雑草の繁茂に追いつけ今年のカンカン照りのみかん園ですから、表てで出来る仕事は時間も限られます。なんたって、雑草の、クズとママコノシリヌグイの繁茂なんですが、その繁茂がすごいんです。前回、紹介しましたが、ちょっと前に草刈りをしていたはずですが、前回紹介したとおり、みかんの木が覆いつくされていました。草刈りや、つる草はがしにかかると、30分間で汗びっしょりのヘトヘトです。前回は、その草取り作業の結果は、ヘトヘトで紹介できませんでした。今回、イの一番は、前回の草刈りした結果の報告です。みかんの木に巻き付いたクズやママコノシリヌイのつる草をはぎ取っています。なんとか、つる草の下にあるみかんの木が、顔を出しました。そのままつる草に覆われたままでいると、内側となったみかんは陽が当たりませんから成育できません。それどころか、みかんの木自体が、陽も当たらなくなるので、木は枯れていってしまいます。ここが、この時期の、みかん木の手入れの勝負どころです。この炎天下の事態ですが、どうしても頑張らなければならない課題であるわけです。おそらく、成木であれば、1時間で2本くらいの手入れです。30分間くらい表作業をすれば、もはや汗びっしょりのヘトヘトです。手前の方は、みかんの木が、それでも何とか、顔が見えるようになりましたが、畑の奥の方を見ると、まだまだ、つる草はがしの大仕事が、残っているということです。まわりの整備されているみかん畑を見るにつけ、いったい農家の人たちは、いつ、どのように手入れをしているのか、まったく、スーパーマンのようで、不思議に感じます。
2025年09月09日
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戸坂潤著「哲学の話」を紹介します戸坂潤は、戦前の「唯物論研究会」の中心メンバーでした。その名前は有名ですから、何とか一冊でも読もうとおもって、本棚に『科学的精神の探究』(新日本新書 1972年)があったんです。しかし、これまで私などには、どの論文もなかなか目を通すことが出来なかったんです。ごつごつとして、理屈っぽくて、簡単には読めない。私などは、「これが哲学者なのか」と投げだしていたんですが。その中の「哲学の話」(1934年1月刊)ですが38頁の短い論文ですが。これまでは読み通せなかったんです。ところが今回、その解説者が福田静夫先生であることに気がつきました。先生には、私は数年前にヘーゲル『法の哲学』を講義していただいたんです。〈そして、やさしそうな題名だけど、戸坂潤らしいがっちりとした論理によって組み立てられている本格的論文だから、途中で投げ出さないで、終わりまで是非読み通してほしい〉これが先生のアドバイスです。それで今回、再度、終わりまで読んでみたんですが。それでわかりました一、読みにくかったのは、おそらく戦前の治安維持法の検閲を考慮してのこと、わざと冒頭部分はどうでもいいような形式的なことを置いたのではないかと。二、ここには戦前の唯物論研究会のメンバーの見識が、この短い論文ですが、残されていました。唯物弁証法が、哲学の歴史のなかから、論理的必然として誕生したことが、骨太く説かれている。ヘーゲルの世界史の哲学や、社会構造論から唯物史観がつくりりだされたこと。それまでの社会主義の理想社会論にたいして、それをつくりだす運動過程こそが問題だと。今に生きる内容が、当人のみずみずしい精神で語られています。こんな思想を、戦前の暴圧の中であったとしても、堂々と骨太く説いていたんですね。当時は、率直に語りあう自由が、学問研究の自由が、無かったんですね。しかしこの鎧の下から、素晴らしい思想が、今にいきる知的宝が見えてきます。図書館などで借りれると思いますので、ぜひ一読してみてください。
2025年09月07日
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しんぶん『農民』に、学習・交流会の記事が農民連の新聞『農民』(9月8日号)に、8月18-19日山梨で開催された農民連・関東ブロックの学習・交流会が紹介されました。これは、私なども参加していて、私もブログ(8月20日)で紹介したところのものですが。この記事を見て、あらためて、その時の様子が思い起こされます。私などにとって、はじめての農家の方たちとの交流会参加だったんですが、そこで何を感じたか。この交流会は、7月20日の参議院選挙の直後に開かれました。この選挙を通じて、日本の農家・農業が抱えている大変な事態ですが、そのことが、これほど社会的に大きな問題として問われたことはないと思います。長年にわたり、農家・農民連が主張し続けてきたことが、今や国民的な承認を得ているということです。直接には、国民の食生活問題です。お米が5キロで、これまで2000円くらいだったのが、5000円になるし、それでも手に入らないという消費者、これは現代の「コメ騒動」です。しかし農家の実情は、減反減反をおしつけられてきているわけで、1時間の労賃が10円の事態。とても生産費をまかなえない事態です。国会でそれが明らかにされていたのに、対策を取らない政府。お米が不足すれば、アメリカの「もっとお米を輸入しろ」とのトランプ政権と水面下での交渉。それを受け入れようとするのは、日米の財界の主張ですし、その方針を答申している政府の財政審議会ですし、それらをおしすすめようとしている石破首相と農林水産大臣です。農家と国民の要求は、これとぶつかっているわけです。そして、参議院選挙の結果は、そうした亡国政治はノーとの国民の意思が示されたわけです。しかしですよ、選挙後の様子は、グズグズしていて、反省も不明確だし、政策転換は口先だけで、引き続きこれまでの政策を続けています。これが、農民連の関東ブロックの、今回の山梨での学習交流会での内容でした。まぁ、それについて私なりに感じたことは、8月20日のブログで紹介したところですが。しかし、今回は、しんぶん「農民」による,識者の客観的な報道です。あらためて、私などが感じたことは、それが私個人の感想ではなくて、この交流会全体としての、大きな基調であったことが、この記事によって確認できました。この亡国の農政を変えること。時をいたずらに過ごせば、農夫は高齢化していきますから、ますます農地を保全することは、難しくなります。この事実をリアルに認識して、一刻も早く、国民生活を守るために、まともな農業政策をすすめさせましょう。
2025年09月06日
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東京・八王子でも『資本論』学習をはじめます何しろ『資本論』ですから、簡単ではないんですが。八王子の片隅の鹿島ですが、昨日から近隣の人たちにも呼びかけだしています。志位和夫さんが、せっかく『資本論』第一巻の案内書を出してくれましたから。なおかつ、学習運動をひろく有志に対しても、呼び掛けてくれています。これまでにも、個人の努力課題としてはありましたが、なんとも志の大きな課題じゃないでしょうか。だけど、このようにこの『資本論』の学習を、共産党と有志に呼びかけるなんてことは、なんと大胆なことか。しかも、『資本論』第一巻の案内書を2025年8月に、青年の人たちととも刊行したんです。私なんかは、『資本論』を学習した体験がありますから、「そのために、一般庶民が置かれるだろう苦労もしらずに、よく言うよ」と、最初は思ったんですが。しかし、いくら難しいからといって社会科学と経済学の真理を、放置しておいたら、そして、この共産党のイニシアチブを斜めに見ていたとしたら、袖にしたとしたら、いったい、あんたは何を努力してきたんだ。先人が努力してきたことも振り返りつつ、出来うる努力をつくさずして、この機会を無にするのか。ということです。はたして、この学習会に、何人の人が集まれるのか、東京の片隅の八王子、その片隅の鹿島団地を会場としてのことですから、はたして『資本論』の学習会が成立できるかどうか、そんな奇特な方が、この地域にはたしているのか、それは分かりませんが。せっかくの、志位さんと共産党の呼びかけです。一党一派の問題でなくて、社会の真理と『資本論』を学んでみたいという人たちにたいして、東京の西はずれの、街のごく片隅ですが、この9月20日に「顔合わせ」しようと、呼びかけていきます。
2025年09月05日
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みかんの木にかぶさるクズの剥ぎ取り以前に、援農者といっしょに、この畑も草刈りをしておいたはずなんですが、そんな以前の努力は、どこへやら。この9月1日の状況は、ご覧の通りです。いったい、どこにみかんの木があるのか、わかりますか。これが、みかん畑の様子なんです。今年の暑さで、炎天下の草刈りを、少しひかえていた結果です。今回、9月1日でしたが、あらためてみかん畑を見たら、クズやママコノシリヌグイなどのつる草によって、みかんの木がすっかり覆われちゃってました。これでは、みかんを収穫するどころか、みかんの木そのものに日が当たらなくなって、木は枯れてしまいます。ですから、この時期の農家は、自然の力との綱引きです。みかん畑を維持するとは、草刈り、つる草の剥ぎ取りは、欠かせないんですね。そうしなければ、みかんの収穫は出来ないんです。みかん狩りを楽しんでもらう為には、この裏方作業が欠かせないんです。ところが、今年は、6月ころからの、この炎天下がつづいていて、畑の表仕事は灼熱地獄です。この7,8月の熱さのもとでしたから、農夫は危険が続いたんです。いくら「草刈りが欠かせない」とは言っても、この日中の表での仕事は、人の体力に限度があります。ついつい、みかんの木を守るために、作業に夢中になるんですが、それは、危険と隣り合わせなんです。とにかく、巻き付きつる草からみかんの木を守らなければならない。そうした、炎天下の草刈りの結果ですが、私などは、片耳ばかりか、両耳に難聴をきだしてます、他者との会話が聞き取りにくくなっている。ヘトヘトを示す事態は、この時期に欠かせない草刈り機ですが、畑に置いたのを忘れてしまって、それは盗難にあったのかとパニックをきたしたりして、それがなければ仕事になりませんから、代りの草刈り機を注文しちゃいました。体調は、熱中症とまではいかなくても、炎天下の身体は危ない事態にあったわけです。今回だって、つる草を剥がす前の様子は写真撮影したんですが、作業した後はクタクタになってしまい、早く帰って休みたくて、その労働の成果を撮って確認することを忘れました。しかし、そうであっても大したものです、自然は、そうした中でも着実に移りゆきますセミの鳴き声は、以前ほどにぎやかではなくなり、スローモーションになってきたり、主役がクマゼミからツクツクボーシにかわったり、夕方には、赤とんぼがゆうゆうと飛び交い出したり、朝晩には秋風も感じられるようになったり、なによりも、みかんの方も、今季最初のスダチの収穫が始まりだしています。自然の移ろい、みかんの収穫シーズンが近づいてきているということです。確かにまだまだ、草刈りの難行苦行は、ご覧の通り大仕事が引き続き残っていますが、いつまで続くのか、まだ続くこの暑さのなかて、もう一仕事ですが。しかし、人間、いくら草刈りの必要性があったとしても、すべては体あっての物種です。この炎天下の作業ですから、体を壊しても、そのすべては自己責任ですから、よくよく、自分の体調とも相談しつつ、無理をきたさぬようにして、だれになんと言われようと、都会人にとってなれない作業の草刈りです。しかし、みかん園を維持するために、みかんの木を守るために、収穫前のもう一仕事を、できるだけ努力をつくすということです。
2025年09月03日
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