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25日は,某出版社で絵本の打ち合わせ。2年弱放置しておいた案件である。 ということで,今週の前半は絵本のネームを作っていた。 どういうわけか絵は得意な方だった。写生大会などあると,中学の頃まで学年ではだいたい最優秀賞だったから,1位/200人 ぐらいの実力はったのだろう。といっても素人の中での話だからたいしたことないのは言うまでもないのだけど。 絵なんて描いたのいつぶりだろう。鉛筆とか消しゴムとか持っていないので,妹がきたときにもってきてもらう。 最初は寝ながらなんとなくイメージをすると映像が浮かんでくる。おお,これいいじゃんとか思いながら,シーンを進めていく。 自分はイメージ力が多少ある方なのかもしれない。 たとえばめをつぶって「小さな男の子が走っている」映像が浮かんできたとき,もうちょっと斜めの方がいいかなとか,あたかも実際の人間をみる角度を変えるかのように,映像をいろんな角度から捉えることができたりすることがある(他の人がどれぐらいできるのか知らないからなんともいえないけど)。これは心理学でいう「メンタルローテーション」ってやつになると思う。 もちろん,コントロールがうまくできなくて,像が真上から捉えるようになったり真下からになったりすることはあるし,はっきり映像化できない対象の場合,当然ローテーションしようもないのだけど。 さて,ネーム作成は初めての経験だったので,どの程度までちゃんと作るべきかわからなかったため,とりあえず全部のカットを描いてみた。 実際の絵を描くときは,ゆらちゃんと妹にモデルになってもらってシャメでとったのがディテールを書くときの資料として役立てることができた。髪型が斜めなのはゆらちゃんモデル。 昔も僕の絵の描き方は,点画ではないけど,わりと少しずつ書き足していくなかでだんだんできあがるなと思っていたが,これは今の自分なりに言い直せば「自己組織的」な描き方だなと気づく。 これは自分の本や文章の書き方と同型だ。 最初からイメージできない動物などについても,うすく鉛筆で,こうかな,こうかなとか線を描いているうちに,ああ,こんな感じだなと見えてくるのである。なんというか,おおげさにいうと線と線の関係の中に構造を見出すというか,ロールシャッハみたいな感じかな。 だから一度も描いたことのない動物などでもよくわからないなりに描けてしまうので,「へえ,自分ってこんな絵書けるんだー」というものができあがる。 これが自己組織化の妙である。たぶん小説家や漫画家などもこうした感覚を味わっているに違いない。といってもデッサンみたいなものだし,レベルとしてはたいしたものを書いてるわけじゃないのは重々承知しているけども,その感覚自体がおもしろくて,夢中になっていて,気づいたら徹夜していた。 家に帰ってシャワー浴びてから出かける。 間に合わないので特急に乗ったら偶然知り合いの人に会っていろいろ話す。特急で一休みというわけにはいかなかった。 そうこうしているうちに講談社着。30分ぐらいで着いた。 さすが大手出版社という相当立派なビルである。 かならず受付で用件を伝えてからバッジを付けてとシステマティック。 そこここに警備員がじっと立っている。あんなにじっとしていて疲れないのだろうか。いっけん真面目に見えるが,頭の中ではいろいろなことを考えて退屈を紛らわしているのかもしれない。 講談社の幼児図書出版部長のNさんに久しぶりにお会いした。ざっくばらんでとてもいい感じのひとである。どうやらネームに絵は必要なかったようだが,絵があった方がイメージしやすいとのこと。久しぶりに絵を描いて,自分でもいろいろ気づきはあったので,まあよしとしよう。 いろいろアドバイスをもらう。当然なのだが,さすがプロであり,もっともな意見ばかりであった。 「じゃあ,最後のオチをこんな風にするのはどうでしょう?」 「あ,いいですねー。そういう案も持ってたんでか?」 「いや,今話を伺っていて,思い付いたんですが」 等々やりとりが続く。 研究書とはまたちがったおもしろさがある。 漫画家の打ち合わせもこんな感じなんだろうか。 次回の予定を決め,お礼をいって,講談社を出る。 池袋のジュンク堂にNさんも認める絵本の達人がいるらしく,品揃えがいいということを聞いたので,帰りにジュンク堂に寄る。 しかし,あまり絵本を立ち読みする気にはならず,また今度にしようと思って他のコーナーへ。 いつも思うのだが,巨大な本屋をまわっていると,その膨大な本の群れに圧倒される。 自分の書いた本は,この膨大な本の海の中の,数滴に過ぎないとか思うと何やら自分がやけにちっぽけな存在のように感じながらも,関連する書籍の多さに,「こりゃ自分で考えちゃった方が速いぞ」と不遜なことを思ったりする。 本屋は危険である。特にジュンク堂は。 ぐるぐる回っているうちに,いつの間にか数冊を手にしている。 いかんいかん。 本棚に戻してくる。 あ,でもやっぱり必要かも,なんていってまた手にしている。 専門書は高い。初めから母集団が少ないからだ。「専門家」とは少ないから「専門家」なのであって,みながみな専門家ならそれは専門家じゃなくなる。あ,ここで言いたいのは値段が高いのは,決して価値がある(その内容が万人にとって良い)からではないってこと。 簡単にいうと,対象となる母集団のでかい方が一般的には売れるので安いのである。 ゆえに,基本的に本は安いに限るのだが,専門書としてどうにも必要なものは四の五のいってられない。 途中で,もういいやと思って予算を考えることをやめて,カゴにばっさばっさと本を入れていく。そのうちカゴをもっているのも疲れたので,その辺に放置することにした。 当然,盗まれるわけもないし,万が一盗まれようものならまた本棚から抜いてくるのみだ。 自分の本も検索してみると,びみょーな在庫。そりゃそうだ。まったく無かったり,わんさかあまり過ぎていたりするよりいい。池田清彦で検索。 おお,『構造主義科学論の冒険』はやたら在庫があるが,これはコンスタントに売れてるってことである。 なんだか自分のことのように嬉しくなる。とはいえ,池田先生の本ですらびみょーな在庫のものもある。まあ他の本もそうだから,そんなもんなのかも。検索して遊んでから,1階のカウンターにいき,本を大量に購入。2冊だけ持ち帰りにして,残りを郵送してもらう。 池袋のジュンク堂には喫茶店があり,たくさん本を買うと400円の無料券がもらえるのだ。 喉も渇いたので,そこでコーヒーを飲みながら池田先生の本を読む。 『虫の目で人の世を見るー構造主義生物学外伝』。 おもしろ過ぎ!池田先生の著作群の中でもトップクラスのおもしろさだ。 笑いをこらえるのがたいへんで,肩をふるわせていた。しょうがなく本を閉じて深呼吸。落ち着いてから再度本を開くまた笑いがこみ上げてくる。周りの人や店員にはきっとヘンな人だと思われたに違いないが,どうしようもない。 この際まだ手に入れていなかった池田先生の本を買ってしまおうと思い立ち,再度4冊ほど購入する。 うーん,どの本もおもしろい。大量にレビューを書いてみた。20冊ぐらい書いたか。そのうち順次アップしたいと思う。 ということで,今日も徹夜してしまった。 実は今日から集中講義で群馬に向かわねばならない。授業の成否は,徹夜のテンションをいかに維持できるかにかかっていることは言うまでもない。
2006/01/28
19日はT大が最後の講義であった。今学期最後なので善く生きるとはどういうことかとか,不慮の死を回避する方法とか,生きるために大事だと思うことをいろいろ話す。 その後飲み物の名前が二つ付く大学院で質的研究法を教える。こちらでは,学位を取るためだったり,質的研究論文の完成度を高めるのには役立つが,生きるためにはそれほど役に立たない「質的研究論文執筆の一般技法」について解説する。 その後,誠信書房の編集部のMさんが「一度じっくりお話を聞いてみたい」とのことだったので池袋で待ち合わせ。ざっくばらんに話ができておもしろかった。そのうち縁があればお仕事させていただくこともあるかもしれない。しばらくは流れにまかせようと思う。で,その日の夜も寝てもすぐに目が覚めてしまった。微妙に頭がいたい。でも頭が冴えて寝れない。そうして週末は体調を崩してグダグダ過ごすことになる。 次の週の23日,妹が家にきた。 美容院にいくためにゆらちゃんを預けていったのである。ゆらちゃんはあいかわらずかわいい。でもお母さんがいないことに気づかれないように,気を紛らせ続けたので,たいへんだった。 特に離乳食で好物のバナナをつぶしたものを食べさせるのは骨が折れた。おわんに手をつっこんでぐちゃぐちゃやりたがるのである。もうこっちのセーターまでぐちゃぐちゃである。世のお母さん方はほんとたいへんだなと思う。 そのうち,おわんをみせずに,スプーンだけで食べさせれば良いことがわかった(生態心理学流にいえば,ぐちゃぐちゃする行動をアフォードする対象を無くしたのである)。 が,おわんが隠れているであろう方をじっとみている。やばいか。ばれたか。いや,まだかろうじて大丈夫のようだ。ふーっ。部屋をあったかくしていたら途中で寝たかとおもうと,妹が帰ってきた。ずっとゆらちゃんといっしょなので傍にいないとヘンな感じがするといっていた。どうも逆に落ち着かないらしい。 その後,帰りにパパ(しみ)が迎えに来たので車まで送っていって,バイバイーとすると,なんとバイバイを返してくれた! おお,すごい!! もうバイバイできるとは! 天才かもと本気で思ったのだから叔父バカならぬ,バカ叔父という他ない。
2006/01/24
夢現(ゆめうつつ)な日々今日はまとめて日記風に書いてみたい。 ときは,前に日記をアップした15日に遡る。 15日,久しぶりに徹夜をした。 で,16日の朝,ぼーっとしていたら朝,畏友(S島君)から電話がきた。 「…はい,もしもし」 「あ,寝てた?」 「いや,寝てないよ」 「いや,寝てただろ(笑)」 「寝てない寝てない」 「絶対寝てたよ(笑)」 「起きてたって」 とどうでもよい押し問答から始まる。 僕は徹夜したこともあり「寝ていない」ということは事実であるゆえに断固譲れなかったのだが,きっと,心は寝ていたのだろうと思う。 映画『エニイ・ギブン・サンデー』だったか,「死人のごとく生き続けるか,生きた人として死ぬか」というフレーズがあった気がするが,「寝人のごとく起き続けていた」のかもしれない。そういや,「起きているかのごとく考えながら寝ている」こともあるしな。 電話の用件は,二人とも夜に友人同士の結婚届けの証人になるため,新居に招かれていたので,それに関することだった。 その後もなんとなく仕事を続けて夕方家に帰り,ほんのちょっとだけ寝て出かけた。 友と待ち合わせをしておみやげ買ってから新居のマンションに到着。 大学の頃住んでたところのすぐ近くであった(肉眼でみえるほど)。 客人として招かれたため,様々な料理が出てきて,接待される。 二人とも料理がプロ並みにうまく,食通なので,相当うまいものしか出てこない。ワインや日本酒もかなりの上物だ。これだけ食の豊かな家庭はないだろう。うらやましい。 特に豚の角煮は絶品だった。 というよりあれほどうまい豚の角煮は空前である(絶後でないことを祈る)。 友は「こりゃあうまいな!!これならBSEになってもいい!!」と言った。 気持ちは分かったので「うん,これならなってもしょうがない!」と僕も続けた。 が,幸か不幸か“豚”の角煮ではBSEにはならない。 そう突っ込みをうけても,「え,これ牛じゃないの」と半信半疑の様子の友。 「うまかったから牛だと思ったんじゃないの」と僕がいうと, 「そうかも」と友は答えた。 そうなのか? さらに,友は角煮の上に乗っているからしをちょっと食したかとおもうと,「これ何?」と聞いてくる。 「いや,どう考えてもカラシでしょ」 「ゆずかとおもった」と友がのたまう。 …あいかわらずおもしろいやつだ。 まさか「からし」と「ゆず」を間違える人間が存在するとは。 色以外何も似ていないよう思うのだけどね。 養老孟司氏によれば,「天才とは脳に欠損のあるひと」らしいから,やはり彼は天才なのかもしれない。彼をみていると,世界は自分が思っているよりずっと広いのだ,と思わされることがしばしばある。 みんなで,しばらく談笑する。 まことに幸せそうである。 幸せな人をみるとこっちも幸せな気持ちになるから,身近な人が幸せになるのは,ほんといいことだと思う。 友は遠方からきたためそろろろ帰らなきゃということで,結婚届の証人欄にサインをする。 こういうことをするのは,生まれてはじめてである。 え,なぜぼくらが証人に選ばれたかって? その物語を語るとじゃっかん長くなるのでここでは触れないが,一言でいえば,ぼくらがエンジェルとして一役買ったため,お声をかけていただいたということなのだ。 「これがうまくいったら俺等はエンジェリストを名乗っていいよな」といっていたら,わずか10ヶ月あまりにゴールインして,僕らは驚きとともに突如エンジェリストになったのである。 サインを終えて,「エンジェル計画が完了!」という。 二人は一度も喧嘩したことないという。 余程しっくりくるのであろう。 「まだ,結婚届出さないかもしれないけどね」と嫁が旦那をイジメている。甘えているのである。旦那が器量がでかいということに他ならない。 その後,愉しく話をしてから,最終電車で帰宅する。といっても二駅しか離れていないので歩いても帰れる距離なんだけど。 徹夜だったのですぐに眠りに落ちる が,夜中の2時には目が覚める。 しょうがないので,前から読もうと思っていた科学哲学の本を一冊読む。 最近,以前より本を読む速度が速くなっている気がするが,それはきっと書かれている内容について多くのことを知っているからだろう。 なかなか勉強になる。こりゃ今後の執筆に使えるぞとおもって,いろいろメモる。 そうこうしているうちに,朝になる。 なぜこんなに頭が冴えているのか。 前日徹夜したせいでヘンな脳内物質が出ているのか。 このまま研究室に行こうかとも思ったのだが,でも,こういうときに無理をすると後で反動(しっぺがえし)がくるのを経験的に知っているので,ちゃんと休んでおいた方がと思ってそのままベッドの上で勉強を続ける。 10時ぐらいになってようやく眠くなったので寝る。 夢をみた。 高校ぐらいだろうか。 体育館にいる。 みんなで並んで何か出し物をしている。 肩の上にどんどん生徒達が乗っていき,まっすぐ人柱ができている。 なんとなく勢いで始まったのだが,人柱はどんどん高くなる。10人以上垂直に連なっており,倒れないのが不思議である。 2本人柱ができる。 かなりの高さになっており,倒れたら危険である。 と思ったら,1本の人柱がドーンと横に倒れる。 一番上の人は,相当な高さから床に打ち付けられたが,死んではいないようだ。 その(心理的)衝撃が波及したのかもう1本の人柱もドーンと倒れる。 さっきより高い人柱だったので,すごい衝撃だが,なんとか大丈夫のようだ。 おお,怖。一緒にやらなくて良かったよ。 その後,あれはみんなやりはじめたものだから,勢い断りにくくなってみんなやっちゃってんだろうなと思う。 集団心理が働くと,頭ではどう考えても危険だとわかっていても,それを止められないということが起こるのである。 というようなことをグダグダと考えているうちに目が覚める。 17日,すでに夕方になっている。 「こりゃ,無理し過ぎたら倒れるから気をつけろってことかな」と夢を解釈をして勝手に納得する。 そう考えると,やはり朝に研究室にいかずにもう一度眠たくなるまでベッドの上で本を読み続けたのは正解である。 たぶん,あそこで出かけていたら体調を崩しただろう。 そんなの気づいて当たり前だという声が聞こえてきた。 そう,当たり前なのである。 その当たり前のことができないときに風邪を引いたりするのである。 そもそも風邪を引くときというのは,風邪を引いた後になって考えてみると,「そういえば,あのときからだるかったのだけど,気のせいかなと思って,ふつうに仕事にいっちゃったんだよなー」ってことがほとんどのはずだ。 身体は信号を発しているのだけども,理屈でその直感をねじ曲げたりしたときに,体調を崩すのである。 そして【頑張る】を今年の標語に掲げて邁進しているときに,適切に「休む」方を選択したのだから,我ながら英断といってよい。 自分を褒めてつかわした。 ちなみに,後日談になるが,その後も,似たようなことを何度か繰り返したら,結局,体調を崩して寝てるはめになった。体調はすぐに回復したけども,残念ながらバカは寝たぐらいでは直らないのである。
2006/01/17
1月15日である。1年の24分の1(24時間中の1時間に該当)が過ぎたところで,あらためて今年の標語について論じてみたい。今年の標語を一言(三文字)で挙げるなら,【頑張る】ということになる。通常こうした茫漠たるものは目標とはいわない。漠然としすぎていて,行動指針としても機能せず,また成否の判断基準にもならないためである。そのため,こんなことをいってもふつうは何の役にも立たない「戯れ言」ぐらいにしか受け取られない。だから,もう少し論じる必要がある。僕にとって,頑張る/頑張らないの,具体的「境界線」がある。それは「しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやるか否か」ということだ。昨年は,身体を休ませるという意識もあったため,そういう境界線において,踏みとどまることがあまりなかった。まあ,「いいや明日にしよう」とか。「今度にしよう」とか,多くの場合楽な方に流れていった。念のためにいっておくとそれ自体は悪いことではない。ただ,今年は【頑張る】ので,そういう場合に踏みとどることを選択しなければならない。ただし,これはあくまでも「迷ったときに」どちらをとるかということであり,休むべきときにも無理をする,無茶をするということではない。疲れているときは「迷い」などなく休む。眠いときは「迷う」前に寝ている。また逆に,やる気が溢れているときは,いつの間にか何かをしているに違いない。重要なのは,「迷ったとき」その境界線でどちらに転ぶかにある。これがなかなか厄介なところは,1つ1つの決断はとても小さな意味しかもたないことにある。たとえば,今日(昨日)「雨が降っていたから研究室に行きたくないな」と思ったのだが,それで研究室にいかなくとも,その差は1日分仕事が進むか否かというだけのことだ。たいした話ではない。そう,個々の話をみると「たいした話ではない」ゆえに,それが巧妙な罠となるのである。現実には明らかに疲れ切っている時や,明らかにやる気に溢れているときなどはごく一部だからだ。そして,だいたいはやらなくても致命傷になるわけでもなく,やってもとりたてて良いことがあるわけでもなく,“それ”だけみれば,どちらでもいいような曖昧な状況がほとんどなのである。わかりやすくいえば,明らかに疲れ切っている時(有無をいわさず休むべき時)が1割,明らかにやる気に溢れている時が1割,どちらでもいいような曖昧な場合が8割といったものなのである。その8割が,どちらに転ぶかは,長期的にみれば極めて大きな差異になって現れる。「塵も積もれば山となる」という格言の真の意味はここにある。つまり,一見微細な塵のようにみえる瞬間瞬間が現実の多くの割合をやつが占めているため,それが積もると山といったような大きな結果となって現れるということなのである(きっと)。塵が少ししかなければ山になどなるはずがなく,いつまでたってもゴミ以上のものにはなるはずがない。 以上のように考えれば,「今年はがんばる」という漠然とした標語は,日常レベルで機能する【行動指針】に変換することが可能になる。それは,【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやる】ということである。「それでもまだ抽象的だ」という意見もあろう。もちろん,具体的な目標を立てることも大事であり,それを否定するつもりは毛頭ない(別の話になるのでここでは特に論じないけども)。ただ,ここで論じているのは,その具体的な目標を達成するために機能する【行動指針】に他ならない。それをやっていれば,結果的に,その目標が達成できてしまうような指針となることを確認しているのである。これは「原則」であるため,テーマや行為内容を問わず,汎用性のある「視点」となる。「抽象的」というのは実践という側面においては悪口であることが多いが,抽象的だからこそ有効に機能するということもあるのである。多くの実践家は“現実においても”「抽象」は「具体」の反意語だと信じているため,こうした誤解を正解だと信じている。これはいかに現実がみえていない自称実践家が多いかということでもある。しかし,構造構成主義的にいえば,「抽象」と「具体」は関心相関的に選択されるべきことであり,それらは相補完的関係にあるということになる。目的達成のために,どちらも有効に使っていけば良いのである。ともあれ,日々この行動指針を実践できるかどうかに,今年が自分なりに納得いく年になるかどうかがかかっている。そしてその行動指針を一言に凝縮した「標語」が【頑張る】なのである。こうした標語があると便利である。つまり,「よーし,今日も【頑張る】ぞ!」というセリフは,=「よーし今日も【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやる】ぞ!」ということを意味する。そして,「よーし,今日も【頑張った】ぞ!」というセリフは,=「よーし今日も【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやった】ぞ!」ということに他ならない。こうして,日々【頑張る】をおおかた実践していれば,おのずと目標も達成されるはずである。とはいえ,これも100%達成するのは現実的ではないので,8割方達成することを目指してちょうどよいぐらいかもしれないが。ともあれ,とりあえず今日は,「よーし,今日も【頑張った】ぞ!」とある程度胸を張っていえることはできた。ご褒美にビールで買って帰って,ゆっくり休んで明日もがんばろうっと!(注:以上は一般的な(だが実は無根拠な)日付変更時間には従った言明ではないのであしからず)。
2006/01/15
年明け早々暮れの話を書いてしまったので順番が前後しましたが, あけましておめでとうございます。 昨年中はたいへんお世話になりました。 今年もどうぞよろしくお願いします。さて,というわけで年が明けたわけだが,正月になって実家でのんびり過ごしていたところ,昨年はどんな年だったか言い当てる「適切な表現」ってやつがみつかった。 それは 「正月みたいな年」 (ドドーン) である。昨年,『構造構成主義とは何か』をはじめとして2冊の本を上呈させていただくことができた。この本は大学院時代から考え続けてきた理論の集大成ということができ,今後も主著になり続けるであろう。 また,まこすけさんに構造構成主義のHPやコミュニティを作っていただけたおかげで,公刊して1年にも満たないにもかかわらず,短期間に多様な領域に構造構成主義が広まっていき,また多くの方々に著者として力を貸していただけることになったのも,まさに有り難いことであった。また,池田清彦先生と対談をさせていただいたのも思わぬ僥倖であった。以前親友の菅村玄二君に,「過去の人物を含めて一番会ってみたいと思うひとは誰?」と聞かれた際に,僕は「池田清彦」と答えたのである。その当人と二者対談できることになり,本として出版されるのだ。僕が望んだ人がたまたま現代の日本に実在している人物だからこそ実現したが,「プラトンに会いたい」と思っていた人が,プラトンその人と対談できるようになったようなことなのだから,これほどの幸運はちょっと考えにくい。また,池田先生に紹介していただき,養老孟司氏,竹田青嗣氏,甲野善紀氏,加藤典洋氏といった是非話をしてみたいと思っていた方々と会うことができたのも,数年前まではまず考えられないことであり,本当に有り難いことであった。そしてまた今年もallenさん,Shuさん,暁君をはじめとしてほんと出会えて良かったと思える人と出会える縁に恵まれたことにも感謝しなければならない。また,学振PDに通ったのも大きな成果だった。こうしてあらためて考えてみて,本当にめでたい年だったということを再認識した。こんなに良いことがあったとは,想像を超えていたので,あらためて良いことを数え挙げてみるのは良いことかもしれない。ただし,これは総じて一昨年までの活動の結果が昨年出たということであり,実質的な活動量という意味ではーー特に今年度に入ってからはーー比較的のんびり過ごした1年であった。 研究室にいた時間も,パソコンみていた時間も,文章書いていた時間も量も,それまでの年とは比較にならないほど少ない。激減したといって良い。 増えたのは寝ていた時間と,ぼーっとしていた時間と,本を読んだ時間と,あかちゃんと遊んでいた時間ぐらいのものである。姪のゆらちゃんが生まれ,また近所に住んでいることもあり身心ともに癒された(冒頭の写真がゆらちゃん。最近ハイハイができるようになって益々かわいくなっている)。おかげで総じて健康であった気はする。 でも,たぶん寝過ぎた。考えれば,目覚ましをセットするということがほとんどないのだから,寝過ぎるのも当たり前だ。自分が自然と起きたくなるまで寝ているのだから。まさに年中正月の体である。 まあそれまで長年にわたりかなり無茶な生活を続けていたので,昨年は回復期という意味はあったのかもしれない。パソコンをあまりみなかったので目も多少休まった。 特にがんばったことを挙げるとすれば,苦手なパソコンをつかって,ブログを立ち上げたことなどだろうか。あと,夏の集中講義14日間(70コマ)は我ながらがんばったと思う。もっとも一般の社会人のひとからみればそのぐらい当たり前だろって話なのだが,いずれの講義も授業評価はけっこう良かったのはやはりうれしかった。 研究面において自分で一番嬉しかったのは,「時間とは何か」がわかったことだ。この思索により時間に関するおおかたの難問(アポリア)は解明できた(と思う)し,先人の仕事と比較しても先に進んだと思うので,そのうち1冊書きたいと思うが,優先すべき仕事が多いのでかなり先の話になるだろう。それから内田伸子先生(お茶の水女子大学副学長)の依頼により『発達心理学キーワード』の1章を担当させていただく貴重な機会をいただいたのも光栄であった。他の章の執筆者は,発達心理学会の歴代の編集委員長クラスの錚々たる顔ぶれであり,その中に唯一の若手として大抜擢していただいたのである。そして選んでくださったのが尊敬する内田先生であったこともあり,その喜びは二重であった。そういうこともあり,あらためて勉強しなおして,自分なりにかなり力を入れて書いたので,他の発達心理学の教科書にはない,発達心理学の根本から捉え直すなかなかおもしろい内容になったと思う(そろそろ出版されると思うので公刊され次第あらためて紹介していきたい)。またいくつかの出版社からも声をかけていただき,本の企画も実現に向けて動いている。さて,このように昨年は「正月みたいな年」だったのだが,それはそのまま今年の抱負にもつながってくる。 それは「正月明けのようにシャキシャキ仕事をしていく」ということだ。 「正月は享受してよいが,ずっと正月なのはいかがなものか」というわけである。「正月は充実していたな」という人があまりいないように,昨年は僕にとって充実感溢れる年ではなかった。もちろんそれまでの成果を享受するときも,休むときもあってよいのだが,たかが30歳そこそこでちょっとぐらい成果が出た程度で満足して安住したらそれまでである。一休みしたところで,まだまだこれから精進していかなければならない。 とはいえ,これだけだと,いってみれば「正月終わってふつうの生活をする」ということにしかならないので,新年の抱負としてはインパクトが弱い。 そこで,「今年はあえて『本気を出せばたいていのことはできる』という『超楽観的認識論』を再装備したい」とか言ってみる。 今年は,ある程度「本気」ってやつを出したろうじゃないかってわけである。 「常に全力を出し切るべきである」というひともいるが,いつも全力を出しているひとは,ここぞというところで結果を出すことはできないようにも思う。膝が伸びている人はジャンプすることができない。ゼイゼイと息が切れている人が深く潜ることができない。 普段ある程度ゆとりがあるからこそ,ここぞというポイントで飛翔したり,深く潜ったり,一気に加速して何かを成し遂げたりできるということもあるのだと僕は思う。 とはいえ,元来意志が弱くのんびり屋の僕が,本気を出すためには,様々な視点から環境を整備することが不可欠となる。つまり,上の信念は条件付きなのである。 まず第一に,予定をガシガシ入れることによる「時間的環境整備」を行う必要がある。昨年は積極的に予定を入れないようにしてきたが,今年は前倒しで予定を入れることによって,次々と仕事をこなしていかざるをえないようにしたい。あ,あと目覚ましもかけるようにしようかな(←おいおい)。 第二に,「空間的環境整備」である。実質的な研究拠点を構築することが何よりも重要となる(これについてはまた追って)。また一人暮らしをはじめて10年以上になるが,家に机とイスがないのでそろそろ買うべきかもしれない(←おいおい)。 第三に,「体調的環境整備」である。体は環境ではないと思われるかもしれないが,考えてみると,自分の身体は「私」の最も重要な環境ということができる。 こいつが言うことを聞いてくれないとどうしようもないし,そもそも体調がわるいと何もする気が起きない。僕は二日酔い気味のとき,クリックすることはなんとかできるが,キーボードを叩くことができない。 もはや,水泳やテニスによって大学生までに貯めてきた「体力貯金」は使い切ってしまっている。否,むしろ長年の無理がたたって健康負債を抱えつつある可能性もなきにしもあらずである。近年まで学生をやっていたこともあり,未だ学生気分が抜けきらないところはあるが,生物学的にはもう三十路も過ぎたので以前のように無理をしているとどこかでとんでもない形(病気)でツケを支払わされることになりかねない。大病を患うぐらいなら,年中正月だと思って能動的にボーッとし続けていた方が1000倍マシだ。大病だけは避けたい。 ということで,健康を保持しつつ本気を出せるように,一工夫しなければならない。そこで,今年はサプリメントを活用しようと思っている。起きたら青汁を飲んで,たまに肝油を食べて,夜に養命酒を飲めば,かなり活動量が上がるに違いない。心と体はつながっているーーというよりももともと一つなのでーーやる気も上昇するにちがいない。多少少ない睡眠時間でも大丈夫になるかもしれない。 まだ何も買っていないけど,夜中の通販などをみながら,適時買いそろえていこう(お勧めのサプリメントあったら教えてください)。1年はあっという間だ。 1月15日になれば,1年の1/24は終わることになる。 これは24時間中の1時間に該当するのである。 こうして瞬く間に時は過ぎ去っていく。 今年は少なくとも3冊の本を公刊することになるだろうが,しかし,具体的そうした成果はさほど重要ではなく,とにもかくにも“自分なりに納得できる1年にできるかどうか”が本質的に重要なことだ。 納得できるかどうかは本質的に自分の問題であり,自分をごまかすことはできない。そのためにも,本気を出せるような環境を整えることも含めて,やるべきことをシャキシャキやっていくのみである。 ということであらためて,今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 (写真はしみず氏撮影)
2006/01/11
31日,実家の仙台に帰るとざっくりと雪が積もっていた。 寒い。 北国育ちだが寒いのは苦手だ。 どてらを羽織って年賀状書きをする。 本来筆まめではまったくないのだが,一応社会人ということもあり,またお世話になった人が質量ともにあまりに多くなってしまったので,書かねばということで書き始めたのである。といっても普段連絡をとらない人を中心としたごく一部の人にしか書いていないけども。 その前に,所沢を出てくるときに急いで2枚だけ書いて,郵便ポストに入れてきた。それから新幹線で延々と書き続けて,仙台の最寄りの地下鉄の駅近くの郵便ポストに入れてきた。そして残りを実家のこたつで書く。 年賀状とは,お世話になった人への感謝の気持ち,来年もよろしくねという気持ち,近況を伝えたいなど,その表現型はいろいろなんだろうけど,その根本は「“あなた”を気にかけていますよ」ということなんだと思う。 その証拠におそらくほとんどひとは,自分に向けて書かれた手書きの部分しか読まないはずだ。 印刷によって一字一句文句の付けようがない秀麗な定型句が並んでいても,それは背景の絵ぐらいの意味しかもたないから,読まないのである。 短くとも他でもない「私」に向けて書かれたメッセージをもらえるから嬉しいのだ。少なくとも僕はそうだ。 宛名ぐらいは印刷でよいと思うけど(僕は印刷の仕方がわからないので手書きで書いたが),年賀状を隅から隅まで全部印刷で済ませる人は,こうした「心」がわかっていないのかもしれない。 もっとも何も書いてなくとも,年賀状に写真などが載っていると結婚したんだなとか,子どもが生まれたんだなとかわかってうれしいものだ。そういえば,祖母は年賀状のひ孫の写真をして「かわいいから何度見ても飽きないわ」といっていた。 最近では,携帯やパソコンの年賀メールも,自分に向けてのメッセージが含まれているとやはりうれしい。 しかし,聞いたところによると携帯を使ってまったく同一の年賀メールを「全員に配信」する若者がいるらしい(僕は幸いにも受け取ったことがないが)。それは言ってみればチラシと同程度の意味しかない。それならむしろ出さない方がよいのではないか。何でもそうだが「心」を失った「形式」はむなしい。 もっともロクに年賀状を出さずに不義理のまま生きてきた僕としては,人様にとやかく偉そうなことをいえたものじゃない。そもそも池田先生の「能動的権利はあるが受動的権利はない」という原則から考えても,他人に年賀状を出す権利はあるが,年賀状をもらう権利はないのだから,そんなことをつべこべいう方がおかしいともいえる。 ただ,「年賀状ってのは『心』を伝えるものだから,“その人”に向けて書いた部分が一筆もないなら,出さないのと同じかそれ以下になりうるし,一筆書いてあるだけで何か嬉しいもんだよね」ってことを言いたいだけである。 ところで,最近,手書きする際には,筆ペンがお気に入りである。 普段の字はとにかく汚いのだが,どういうわけか筆ペンだと毛筆を意識するせいか,普段とまったく違う書き方になるため幾分マシになる。おそらく道具と行為がセットになっているので,筆ペンだと普段とは完全に異なるモードになれるからだと思う。 といっても全然たいしたことないのだけど,筆ペンには気持ちを込めることができる気がして好きなのかもしれない。強く書こうと思えば強い字で書けるし,細やかな気持ちで書けば細い字になる。スペースにあわせて大きさや太さを自在に変化させることができる。同じ字を書いても必ず違う字になる。 おそらく常にそうした変化がつくため,飽きないのだろう。 もちろんミスもあるのだが,それだって全印刷よりはずっといいだろうってことで,あまり気にしないことにしている。 年の終わりに実家のこたつでトコトコと筆を進めているのはなかなか良いものだ。 年賀状に限らず,暮れに年内中にやるべきことを次々と終わらせていくのは,けっこう楽しい。やりかけの仕事にケリをつけて,新たな気持ちで新年を迎えたいという思いがあるせいか,なんだか小さなことでも達成感がある。 話は実家帰省前に遡るが,やりかけの仕事といえば,魔王を倒すことは2005年の至上命題であった。あ,これは3月からはじめたドラクエ8の話。 なにせ世界の平和がこの双肩にかかっているのだ(正確に言うとコントローラーにかかっているのだが)。 魔王(名前忘れた)は空中に島のごとく浮遊している。そのどでかい魔王には,幾度となく苦渋を舐めさせられた。是が非でも年内にリベンジしておかなければなるまい。 ということで,暮れのある日,スーパー銭湯から帰ってきてから,魔王を倒すべく修行をはじめた。 はぐれメタルとかメタルキングといった膨大な経験値を有するモンスターがいる場所を,忘年会のときに後輩から教えてもらったのだ(←いい年して忘年会で話す内容ではない)で,その場所にいって,そういうモンスターが出たらすかさず「魔神斬り」をかましてぶったおすのである。 その種のモンスターは,やたら防御力が高くて通常1ポイントぐらいしか与えらず,すぐに逃げてしまうのだが,「魔神斬り」はミスすることもあるが,当たると「会心の一撃」で数百ポイントのダメージを与えて一撃でしとめることができるのである。そいつらをガシガシ倒すと,レベルがガンガン上がっていくのである。 さらに余談だが,正月にテレビをみていたら 「くるりワンマンライブツアー2006 ~はぐれメタル魔神斬り~」 という題名のツアーCMが流れていて,一人でやたらウケた。 僕も次に出す本の題名を『科学と哲学魔神斬り』とかにできたらどんなに愉快だろうかと思ったが,さすがにその勇気はない。 くるりとやら,よく知らないながらあっぱれである。そのユーモアセンスと度胸を買って今度CDを買ってみようと思う。 話を世界平和に戻すと,まあ,そんなこんなで「はぐれメタル魔神斬り」しまくって急激にレベルアップして強くなった。 これなら魔王といえども楽勝かもしれない。 なんて思っていたけどもやはり魔王は強く,4人中3人が死んであわや全滅しかけたが,世界樹の葉で次々と生き返らせて,なんとか倒すことができた。 倒してしまうと「図体のわりには意外とHPはたいしたことなかったな」などと,全滅しかけた分際にもかかわらず思ったりする人間とは誠に愚かなものである(愚かなのは僕に他ならない)。 兎にも角にも,かくして世界に平和は訪れた。RPGをクリアしたのは大学生以来ってことを考えると大学以来の快挙を成し遂げたことになる。 しかし,その後,肝心の自分の部屋に平和をもたらす大掃除は完遂されることはなかった。 まあ,いいか。 世界平和の方が大事だしね。
2006/01/10
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