全34件 (34件中 1-34件目)
1

釈迦は四苦八苦を人間が苦悶する大海であると説きました。四苦八苦とは生老病死の四苦(しく)と愛別離苦(あいべつりく/愛する人と別れなければならない苦)怨憎会苦(おんぞうえく/会いたくない人に会わなければならない苦)求不得苦(ぐふとっく/求めても得ることができない苦)五陰盛苦(ごおんじょうく/体の怪我や故障を背負う苦)を合わせて八苦ですね。私は生老病死の四苦を作品に顕した上でその行方を模索し、その先の光明とことわりを描くことで、人間と自然の偉大な心を詩にしてみたいと思いました。そして私たちはもっぱら「天地とひとつ!」であることを伝えたい気持ちで一杯です。少年のアインシュタインは自転車に乗り、時速20キロで走っている自分は猛スピードで自転する地球の上を走っている。そして、地球は太陽を回り、太陽系は銀河をさらに、銀河は宇宙を巡り、宇宙は今も高速に近い速度で膨張する。されば自分は宇宙空間の中でどんな動きをしているのか?そこから自分と他との関係を相対させる理論「相対性理論」が誕生しました。それは物理の最高の発見でした。私は生きている。生きているものには心があり、心は無数に表情を縁により変化させる。縁は時間に左右され、時間は命を司る。そして、命は大きな世界に繋がり、一体となり世界はできているのではないだろうか。私は精神とこの世界の相対性をいつも探しています。宇宙でくり返される営みと、私たちの心の営みが共通するのであるならば、そこにはきっと苦しみを和らげ、精神を飛躍させる発明が隠れているように思えてなりません。先人は宗教や哲学により、それを解明しようと努力してきましたが、私は現代にあって、たくさんの学術を超越して総合する人が現れるならば、その迷宮の鍵を開けることができるときがくると思うのです。学術のオーガナイザーが求められる時代が来たとおもうのです。苦しみを知り、その源を検索する勇気。それは本当に大変なことかもしれない。しかし、その努力自体が幸福を呼ぶと私は思うからです。積丹半島の先端、チャレンカの小道(神威岬自然遊歩道)を登りきると海の中央に浮んでいるかのような神威岬に立つ。 北へと逃れたとされる悲運の公達、源義経を強く慕うアイヌ人首長の娘チャレンカ。義経を追って、乙女がやっとたどりついた神威岬、しかし、義経は旅立った後であった。 日本海で最大の難所といわれた神威岬。その岬までの歩道がチャレンカの小道。野生のハマナスと百合の貴重な群生地でもあり、1日中激しく移ろう壮大さはその風景を見るものを圧倒して止みません。今日は私の「神の岬」でお別れです。ばいばい。***************神 の 岬 丘陵の小道を登る二人に岬の風は色合いを変えた影を連れては海は燃える難海の灯台を染めながら残り灯が漁り火に変わる星を招いて伝説を奏でる恋に破れ立ち続ける人よわたしは見守っていよう紅き百合は今年も咲いた遠い幻を信じ続けるからいま君よ振り向かないで詩作・松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.30
コメント(8)

私の「抱雪庵」(キャンピングトレーラー兼アウトドア書斎)には様々なものが積んであります。 庵(いおり)の命名は「あけみ様」感謝。長く秘湯に逗留しながら文章を書いたり遊んだりするためには食事も大切。そして遠く家を離れているので、非常用の準備もしています。とにかく、何があっても大丈夫ように準備万端にしておかなければ、いざというときに人様のお役にもたてませんね。そこで、今日は!「アウトドアグッツは防災グッツ」と、題して私の備えの一部をご紹介いたしましょう。抱雪庵は大容量のバッテリーを二基掲載していますので、テレビはもちろんのこと、オーディオやカラオケボックス、そして電話機の充電もこなします。水も100リッターぐらいは積んでいますので山中でも暫く暮らせますし、電気が切れてきたら、車を繋いで一時間もエンジンをかければ、チャージOKです。食べ物も冷蔵庫(LPガス)に冷凍の食材をふんだんに詰め込んであるほか、缶詰などたくさんの食材が携帯されています。トイレや暖房も装備していますので、災害時にはとても力を発揮してくれることでしょう。しかし、今日は最低限もっていたいアウトドアグッツを私なりに紹介して、アウトドアが好きな人も、そうでない人も、災害に備えた二重の楽しみを見ていただこうと思っています。●まず左から「救急箱」・かゆみ止め ・虫除け ・アンモニア・キズバンド ・脱脂綿 ・包帯・油紙 ・目薬 ・軟膏 ・冷却マットなどが入っています。何度も人のお役にたちました。特に夏場のキャンプは「ヤケド」が多く、軟膏と油紙。そして冷却マットは重宝します。今までにも、何人の怪我人を助けたことやら。●缶きりなどの簡単な工具。ワインや缶詰を開ける道具は必ず持っていましょう。また、紐やロープ。そしてガムテープやドライバー、ペンチなどは、予想もしなかった事態に対応できることが多くあります。決してかさばりませんので、準備しておくといいでしょう。●手動充電ライト発光ダイオードの進化によって、省エネルギーであり、とても高カロリーな電灯が開発されています。天井に向けて発光させるだけで、間接光で一部屋が明るくなるほどの威力です。もちろん!一分もハンドを回せば一時間以上の光を得ることができます。優れものなんですよ。時代は進化してますね。2000円くらい。これは用意しときましょうね。●手動充電ラジオこれは、使います!夏のキャンプの友。使いました!!とってもいいです。一分まわして一時間。FM聞いてました。災害時でも情報の収集は最高の防災!電池をあてにしていない私はこれですね!何週間でも大丈夫です。携帯電話も充電できますし、小型のライトやパルス信号もついています。●鍋焼きウドンこれは、いくつか絶対に用意していてください!まずは器になります。軽い。鍋にもなる。非難時やキャンプに一番必要なものは飲料水です。沸かして安全な水を確保するのに最適です。中身も大切ですが、器が便利です。そして何よりも「乾式」のものは長持ちします。●軍用携帯食私はNASAの宇宙食や米軍の携帯食。あるいは自衛隊の携帯缶詰なども装備しています。中でも非常の時は米軍の携帯食が便利だと思っています。水だけ。あとはデザートやビタミン剤までパケージされていて、なにせ軽い!自衛隊の使う非常食!これ大きなアウトドアショップには売っています。五目御飯やたくあんまで缶詰にパックされていますよ。そして、本当においしいのです!お湯で温めてどうぞ。●其の他小麦と油とマッシュポテト。これだけあれば何日も暮らしていけますよ。いたまず便利ですね。あとは、カッパとゴム手袋。雨や風や寒さは生命力を奪います。用意に越したことはありませんね。そして新聞紙とごみ袋。これがあれば私はマイナスの北海道でも凍傷にならない自信があります。阪神淡路大震災。これは人事ではありませんでした。世界にたくさんの教訓を残して、災害対策をあらゆる意味で進化させてくれました。そこで一番の問題になったのは、トイレ、水、そして食料と保温の確保でした。人の基本的な問題は、最低限、自分達で確保する努力を行い、来るべき時に備えるのも「保険」みたいなもの。紹介させていただいたものは、ごく一部ですが、ご自分なりの防災対策とアウトドアの楽しみをガッチさせるとまたまた楽しい夢が広がります。防災対策も楽しくやりましょうね!そして、最後に「人が弱っても、私が元気でなければ!家族や地域を守れないではないか!」って気概をもっていてください。日々これ鍛錬の気概で私はがんばっています!そのためにも、私は友達と共同の「マイジム」で、それなりに体を鍛えています。↓ちょおと暗い倉庫ですが、熱い仲間が集まりますよ。いかがでしたか?地球の温暖化の影響は恒常的なエルニーニョを呼び、台風を押し上げては日本を直撃するシステムが出来上がりました。また、地震はわが国にいつ起こってもおかしくないもの。自分を守り、隣人を守る知恵を持った上で、楽しくアウトドアも楽しんで見ませんか?今日から貴方もアウトドアの達人になれますよ!********************今日はここまで。いつも読んでいただいて本当にありがとうございます。感想や励ましを、読ませていただき、とっても幸せなんです。僕は、北海道の大平野で永く永く人々を守りそして育ててくれる「防風林」のようになりたいな。風を自ら受け、微動だにせずいつも立ち続け。季節をいち早く伝える先人達の心になりたい。今日は私の作品「防風林」でお別れします。BGMが素敵ですよ。聞いてくださいね。きっとね貴方にも幸せの虹が見えることでしょう。バイバイ。防 風 林 アスファルトに沸立つ雨が降る雨をすり抜ける風は温度を失い焼けつく胸を冷却しようと寄せる幾千万の夜を越えて秋を迎える大地の鼓動を聞いた飾られた全ては幻に消えていくそうだね僕は一人で生きてきた泣きながら何もわからないままでも今なら話すことができる信じて欲しいから本当は淋しいから貴方へ僕の鼓動を伝えたい僕に沸立つ雨が降る心をすり抜ける風は想いを君へ運ぶ僕が本当の僕を知ったから雨に光る遠い防風林は浮かんでるここにおいでと呼んでいる今までもこれからも何人も守るため悔しくて負けないでいた僕を呼ぶ僕を包んで守ってくれる場所がある遠くにいる貴方に伝えたい雨は降ることをやめて故郷へ急ぐ僕の車の跡には跳ねあがる水滴が虹になった詩作・松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.28
コメント(16)

私たちの祖先は「火」を発見して人類となった。そして、「酒」を発明することによって「人」となったのではないだろうか。太古の昔より人は事につけ酒を呑む。そうやって人として生きてきた。大酒をくらう輩(やから)がある。私は今までの人生で感じることがある。大酒呑みは最も人に近い。それは人間臭く、優しさに溢れているからなのだ。それならば、大酒呑みの理論で言わせてもらいたい。「酒は人を創っている」のだと。数年前に沖縄へ旅したことがある。酒飲みの目的など決まっている。旨い泡盛でそうきソバをいただくこと。私は全国を旅するときに決めていることがある。それは、その土地の風土と人柄を最速で見つける為に「地元の市場」へ一番に出かけることだ。旨いものを知り尽くした、地元の商売人が飯を喰らう場所がまずい訳がないし、気負い無くその土地のありのままを観察できるからである。ドサンコの私は、沖縄の街中など、何も知らない。だから那覇の「公設市場」へ真っ先に出かけたのである。「旨いそ-きソバ食べたいです。教えてください。」沖縄の人は、本当に優しかった。わざわざその場所まで案内していただいた。連れていただいた場所は、公設市場のはずれ。アーケードの中小路にある小さなソバ屋だった。嗚呼!私は心の中で叫んでいた。時間が止まっているのだ。確かに時間など無いようなお店。50がらみで酒焼けしたトナカイ鼻のオヤジが腕組をして私を睨みつける傍ら、きっと二十歳くらいであろう娘さんと十代に見える妹さんが、一生懸命に湯気で霞むカウンター越しに働いている。古めかしい店である。懐かしい風景が私を止まらせた。入店の瞬間に、私は帰趨を見つけた感覚に陥り、心を放ち無防備になってしまった。なんともいえない安堵があるのだ。ヨロヨロとカウンターに座った私に、オヤジが言った。「本土はもう、冷たい?」(寒いだろ?)(はっはぁ、はなから私を探っている。と、いうことはこのオヤジ。私にもノンベの匂いを感じたか?)そこからは国会喚問のような緊迫が二人を取り巻いた。「なんも、内地のことは知らないんだ。俺、北海道だから。」「北海道から?そりゃ遠いなぁ。」(オヤジ!貴方は、私のこと同じ匂いを感じてるな!)娘さんたちは、せっせと働いているのに、そのオヤジ私から離れない。(注文もとらないのかオヤジ!)そしてしばらく、カウンターの下に姿を隠したかと思うと、今度は焼酎グラスを二つカウンターに置いた。「泡盛。呑んでみて。どっちがおいしい?」(見抜かれた。)私は無料の歓待を歓迎しつつ右から呑んだ。普通の泡盛である。そして、左を呑んで驚いた。まろやかで嫌味がなく、古酒(クースー)のような旨みが広がった。「オヤジさん。左側。これ旨い。美味しいよ。」オヤジは刹那に「我得たり」のニンマリを決めたと思うと、今度は一升瓶の泡盛を「ドンッ!」と目の前にかざして語り始めた。「琉球の人は、皆知っていること、教えるよ。」「お兄さんが飲んだ泡盛。これ。同じものだ。」(ウソだ!オヤジ!絶対に違っている!絶対に味が違うし、左が遥かに高級のはずだ!)「この一升瓶の泡盛。瓶に3時間も入れるとね、この味になるの。」かっかっっかっ!!ビックリした私は話を聞いてみる。すると、泡盛は瓶に入れなければならないこと。瓶も窯元が変われば味も変わること。瓶は大きく厚いほうが泡盛が美味しくなること。神秘に満ちた話を聞きだすことに成功した。「おとうさん!注文を聞いてあげなさいよ!」「そうだ、何たべにきたの?」(捕まった。おこのオヤジ大好きだ!入店して1時間だ)「ソーキそばなど。。。」「はぁーい!北海道からきたお客さんだ!そば作って!」狭い店である。しかし、オヤジの安住の場所があるらしい。出来あがったそばをオヤジが一番奥の「ボックス」に運ぶ。(ボックスは一つしかない)「ここでたべて。」すでに、瓶が用意されているその「ボックス」へ、私は嬉々として向かった。それから三時間。日が暮れるまで私は、そのオヤジの話に夢中になっていた。琉球の歴史。戦争の悲惨。沖縄の素晴らしさ。初めて会った大酒呑み二人は「オイオイ」と泣きながら語り、「オイオイ」と泣きながら聞いていた。娘さんは二人とも、見てか知らずか、ほって置いてくれた。そして、どうしてもお金は取ってくれなかった。私は沖縄でも「人」に出会い。そしてまた、私自身が「人」に近づいた。いま、私の家には沖縄の瓶がある。オヤジが贈ってくれたものだ。そこに焼酎を蓄えてはチビチビやる。本当にオヤジが言っていたように旨くなるのだ。そして今夜もこうして「人」になるための修行を続けている。涙が止まらなかった沖縄の旅。オヤジさんの優しさに触れて、また泣いてしまった沖縄。オヤジさん。また、たくさん呑もうな。ありがと。今日はここまで。人の出会いは不思議なもの私の詩作でお別れします。今日も読んでくださりありがとうございます。転校。別れ。約束。そして慕情。「天までとどけ」です。BGMつき「天までとどけ」。お琴の音色でお楽しみください。天までとどけ 怖い人が来たら守ってあげるブランコの取り合いで泣いたあなたに慰めをいっていたね揺れた体は天まで届け青い空まで登っていけ胸を張ったら遠くが見えたもっと大きく揺らせるんださくらが咲いたらその下で一緒にお弁当を食べようね僕が転校するまでに咲くよ揺れた約束天まで届け空まで登って花よ咲け小指を出したら涙が見えた針を千本持ってないといった松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.25
コメント(15)

今日の札幌も寒かった。最高気温が4度くらい。雪が道端に積もっています。私は早速に、寒い日にピッタリの料理を作ろうと思ったんです。それは家庭で作れる「モノホン!石焼芋!」なんですね。(買い物をしたスーパーのトイレで私の厚着をパチリ)※苦情がありましたが、オシッコしているわけではないから。。。爆さてさて「芋蛸南京(イモタコナンキン)」って言葉があります。これは、江戸の昔から「女性が好きな食べ物」のこと。そう、イモとタコとカボチャのことだね。でもね、私は思います。それは古(いにしえ)の知恵が作った言葉ではないだろうかと。そんなこと思う。その理由は、イモとはビタミンCの宝庫であり、繊維質を多量に含んでいます。また海産物の蛸は血管を強くしてからだに張りをもたらすんだ。そしてカボチャのビタミンAとEは初冬から不足するもの。からだを調節して、粘膜を守ります。これは全て、若返りの食物!だったんだ。知恵をことわざにして伝える。このことはたくさんの人を健康に導いたことでしょうね。ってゆうことで!今日の私のアウトドア料理がはじまります!今日は「ものほん」をあなたへ!美味しいぞ!だって、「いしやぁーきイモ!いもっ!」って売りに来るのは美味しいでしょ。それを家庭で味あわせてあげるんだ。ここでウンチクを少々。【石焼芋がおいしい理由】それはね、遠赤外線で焼くからなのです。遠赤外線とは短波の仲間。それは電波だったんだ。でも短波ラジオの波長よりも短いものが遠赤外線。「極超短波」っていいます。これは物を振動させて芯から暖める力があるんです。電子レンジもこの仕組みで生まれたものですね。炭もそう。そして石を暖めるともっと強い遠赤外線が得られるのです。遠赤外線で「刺すように焼く!」これがグルタミンサン(旨み成分)と甘みを何倍にも増幅するから石焼芋は美味しいんだよ。---------------そこで多聞は考えたぁ!!「よっしゃ!誰でも作れる極上の石焼芋を家庭でもつくろうじゃないかい!」まがいなりにも理工系の大学にいた私。理論で考える。遠赤外線を出すもの。。。。最初は「陶器」です。「うまい!」でも、割れているので危ない!これは美味しいのですがお勧めできないかも・・・そして見つけました!ゼオライト!そう!ご存知!焼き魚のグリルに敷き魚を美味しく焼く粒粒。ゼオライトはね、何度でも使えるしろもの。そして、イモを焼いても劣化しないんだ。魚の油で黒くなるから何度か使ったら捨てなければならないけど、それを畑に撒けば肥料にもなる優れものだ!じゃ、「ものほん」をつくりましょうね。ゼオライトは何度でも使えて200円ぐらい。あとは「金時」を。鍋に一センチくらい「ゼオライト」を敷き詰めて芋を載せます。ゼオライトを使うと不思議!なんせ鍋を傷めないことに気がつく。ホーローの鍋はやめましょうね。蓋のある古い鍋でいいよ。(厚手)中火か弱火で30分!ハシか竹クシを刺してみましょうね。するする通ればできあがりだ!ほら!ゼオライトも鍋も大丈夫でしょ!これは私の大発見だった。だって陶器の破片でやるとおいしいけど、鍋が黒くなることが稀にあったの。出来上がり!「モンブラン」の美味しさだよ。(⌒▽⌒;) オッドロキーの味!お好みのトッピングで(生クリーム、バター、マーガリン等)僕はまんまがだいすき!お客様が来たらね、ミルクティーを準備してください。そして、このデザート!皆様、泣いて喜びますよ♪素材の美味しさを引き出すのは料理の基本。そして、健康を構築するのも料理の基本ではないかな?そのまま、ビタミンを生かした料理もいいですね。シンプル イズ ベスト!貴方も、もっと美人になってくださいね。【ここがコツ】イモは絶対に切らないでください。切り口から水気が発散してカラカラになります。鍋の大きさを考慮してイモを買ってきてくださいね。他のイモやカボチャでも試してくださいね。貴方の応用で健康が広がるはずです。---------------美味しかった!今日の晩御飯はこれでした。イモを主食にしている民族や部族は健康で美しいのですよ。思い返してみてはいかが?では、今日はここまで。私は海に憧れます。大好きです。そして海の詩をたくさん書いています。海には愛がありそして、大切な慕情が生きているから。。。「海 を 渡 る 風」でお別れします。今日も読んでくれてありがとう。皆様に必ず素敵な幸福が注ぎますますように。今日も念じています。(行を揃えた素敵な作品だよ)BGMつき「海を渡る風」でおやすなさい。潮騒が優しく貴方を包み込んでくれます。海 を 渡 る 風 数珠繋ぎのテトラポットを登りいつも地平線のありかを探したカモメは空で首をかしげながら背伸びする僕に不思議そうだね心は遠く海を渡ってゆくけれど身体は海を歩んでいけないんだ優しい家族がいた彼女の元へは波よテトラポットを濡らしてよ僕の絆を湿らせて強く滑らかに数珠繋ぎの想い出をいだくままもっと大きく背伸びをしてみた詩作/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.25
コメント(13)

「自由が無けりゃ意味がねーんだ!」「お前ら!本当に自由かぁ?」「腐った街で埋もれてくなよ!」「俺達がなんとかしなっくっちゃ、どうにもならないんだ。。。」「だからもっと早く!」「もっともっと輝くまで!」「俺達は走り続けなければ・・・」・・・尾崎豊のコンサート。そのエンディングで彼は叫びました。まるで血を吐くように彼は訴えました。そこで感動する青年がいました。私です。かっこいい!最高でした!何かから放たれるような感動!しかし、私は考えました。「自由ってなんだろう?」そのときは、まるでわかりませんでした。感覚的には理解できるものの。説明は無理だったと思います。そして長い間、考えている私がいます。そもそも「フリーダム(freedom)」とか「リバティ(liberty)」を日本語に翻訳するとしたなら貴方はどんな言葉を当てはめるでしょうか?「自由」と日本で初めて翻訳したのが、あの福沢諭吉先生でした。候補に挙がったもうひとつの言葉。それは「御免」だったそうな。ああ、やばかった!もし後者に軍配が上がっていたとするならば、今の世の中も変わっていたかも知れませんよ。・御免恋愛・御免席・御免交流・御免ソフト・御免シフト・御免表現尾崎豊も「御免が無けりゃ意味がねーんだ!」って言わなければならなかった。。。身震いが。。。福沢先生はその著作「学問のすすめ 第一章」で自由についてこのように語っていますね。「人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩(わがままほうとう)に陥ること多し。即ち其の分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨を為さずして我一身の自由を達する事なり。自由と我儘(わがまま)との界は、他人の妨を為すと為さざるとの間にあり。」ここで私は、尾崎豊のそれと同じように感動するのです。尾崎の自由とは、対比される社会が自由ではなく、私達は自由であるためには走り続けなければならないと。そして、自由を手にするためには、自ら輝くことであると。ここに記した福沢先生の自由とは、人は自ら自由でなければならない。その為には、分限(人間の意味)を知り、社会性を普遍的に知り、人に頼らず、自分で自由をつかみなさい!2人が渾身で訴えていることは、自由意志に基づき「行動」のみが「自由」を自分に与えることであると言っているように私には感じるのです。維新のカリスマ福沢先生。昭和のカリスマ尾崎の兄貴!おんなじなんですねぇ!************************仏教用語での自由は「自に由る」(おのずからに、よる)の意味から無我や自己責任の概念で使われるそうです。福沢先生もここから「自由」を翻訳したと言われていますね。意志により撰ばれる自分の崇高でひとつしかない人生。自己責任の「分限」はどこまでも広がり、どこまでも自分を輝かせることでしょう。兄貴と先生!その言葉を心からわかっていただけたら、この社会も素晴らしくなるはずだよね。多聞も叫びたいです!「お前ら!本当に自由か?本当に自分を探しているのかぁ?」って。御免なさい。自由なさいね♪今日の札幌は雪。明日はマイナス5度にもなりそうです。今日も書斎でこれを書いていました。もう、寂しい季節には哲学しないとね。自由。なんて素晴らしい言葉でしょうか。私はその言葉を作り、実践して来た「行動者」がとても好きです。人生とは知識ではなく、知識に裏づけされた行動のみに生きています。それはリアリティーと勇気。そんなことがね、言葉ではなく、当たり前の姿としてね、人が行える社会に。それが自然だと思える社会に。なればいいなぁ。って夢見ています。だからいま、ちょっぴり寂しいのです。僕には分限があります。それは「夢」を作ってくれた先人の苦労と夢かな。今日は「夢を傍らとして」でお別れしますね。いつも読んでくれてありがとう。BGMつきの詩作でおやすみなさい。ではバイバイ。********************夢を傍らとして 生活の傍らに夢を置いて嬉しそうに漬物つけてた大好きだった祖母がいた湯のみを両手で回しつつ睨み咳き込む祖父もいたおっかない爺さんだった優しい人になりなさい強くなって生きなさいいっつも願ってくれた二人が煙になったとき壷をいだいた僕がいたとても温かだったんだ優しい人になりたいな強くなって生きたいないつもいつも忘れないおじちゃんとおばあちゃん僕はそのとき決めましたこの土地に夢を傍らとして -----------------おじいちゃん。おばあちゃん。僕はもっと自由になります。 松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね( ドン!って。
2006.11.22
コメント(18)

こんばんは!今日はトレーラーハウスにストーブを点火して、チビチビやりながら物想いにふけっています。究極のスローフードとは?そして、最高の酒の飲み方は?そんなこと考えながら静かな夜を過ごしていますよ。考えてみると、とても暇な思慮ではありますが、本当は生きる原点に抵触する命題なのかもしれないと考えるようになりました。そして、皆様にどうしても伝えたい思い出があるのです。(写真はニシン漬)私が入学した小学校は、全校生徒16人の複合学級。とても田舎で、道が閉ざされる冬にはスクールバスならぬ「スクール馬橇(ばそり)」で通学していました。二キロメートルはなれた、隣のおうちには花子ちゃんがいて、みんなのアイドル!かわいらしい花子ちゃんは子豚でした。当時、流通の発達していない北海道の田舎では農家が豚を飼っていました。そして陸の孤島となる冬の貴重なタンパク源としていたのです。豚の世話は子供達の役目。一所懸命に可愛がり育てます。私も、家の残飯を持ってきては花子に与えていました。春に出会った花子はみるみる成長して、ついにそのときが来たのです。「花子とは、明日でお別れだよ。」その農家のおじさんがいいました。暮れも近くなった今頃のこと。その家の子供達と私は大声で泣いていたことを今でも思い出します。次の日。私たち家族は、その家にお呼ばれします。新鮮な豚肉の「肉鍋」が振舞われるのです。肉など、めったに見ることが出来ない孤立した村の最高のもてなしです。私は心臓が張り裂けそうになりました。「花子。。。」伺って見ると近所の人たちと、その家の子供達が笑顔で鍋をつついているではありませんか。「おいしい!おいしいよ!」一番泣いていたお姉ちゃんも、満面の笑顔です。そして私は無理やり食べさせられました。「おいしいよぉ!!」肉の甘さと経験したことのない美味。なんと、お代わりまでしてしまった私です。私のオヤジが足を一本、お土産にいただき、物置の天上に吊るしました。ネズミやイタチもこれでいたずらできません。貴重な動物タンパク。毎日少しづつ食べました。包丁を持って物置に行きガチガチにしばれた肉を削る役目は私の仕事でした。「花子ちゃん。ありがとう。ありがとうね。」いま、思うと最高の環境教育であり、食べ物を絶対に粗末に出来ない倫理を経験から学んでいた私です。自分達の食べ物を豚へ与え、自分達が育てた豚はとても安全で、しかも薬なんて飲ませていません。美味しいに決まっています。この忘れられない味を、私は後にまた経験することになります。学生となった私はノルディックスキーの選手でした。毎年、今頃になると合宿が始まります。場所は日本でも一番寒い町。上川の「朝日町」(現在は士別市と合併)当時、全国から学生が集まってきます。そして町をあげて支援してくれる素敵な町でした。現役の私たちは町に3件ほどしかない飲食店に立ち寄るのが楽しみでした。ある日、早稲田と法政の先輩に連れられ焼き鳥店に行ったのです。呑みました!店主も呑みました!呑みに行くと、とても喜んでいただけるのです。そして只に近い料金で飲ませていただきました。そして私は「花子」に再会しました。京都出身の早稲田が叫びました。「おお!この豚串!食べたことが無いくらい旨い!」法政も叫びます。「こんな甘くて味のある肉!食べたことがないよ!」私も叫びました。「花子だぁーー!」私は、懐かしさと酔いに任せて、もうなみだが流れていました。この味を私は憶えていました。とても忘れられない味。オヤジがいいました。「年末だから、近所で潰したブタな、お前らに食わせようと思ったんだわ。うまいべ!」はい、旨いです。感動しました。感動したからにはまた呑みます。つまみが出てきます。シャリシャリのニシン漬けです。北海道の冬。それはニシン漬けの冬。冒頭の写真のようにドンブリに盛られた漬物を私たちは馬の様に食べる。なくなるとオヤジが物置に行って取ってくる。繰り返す。シャリシャリのシャーベット漬物。生姜がマイナス30度の夜に身体を温めて、キャベツとニンジンが冬に不足するビタミンを補ってくれます。そして、ニシンのアミノ酸とカルシュウムは健康を約束してくれるのです。3人で樽に一つの漬物を食べ、お銚子75本。花子の豚串40本。お勘定7500円。人情はここにも生きていました。オヤジも私たちもへべれけ!!外はマイナス33度。火照った顔を覆いながら帰ってきました。花子とニシン漬け究極のスローフード。そして、北海道の最高のつまみ!北海道の大酒呑みはこんなご馳走を伝承して生きています。*************************今日はここまで。今日は自家製のニシン漬けを食べてはチビリチビリやっています。酒飲みは愛すべき人々。そして私はこんな慕情にくれる詩人でもあります。今日は大酒呑みの歌。私の「慕情」でお別れです。お酒を飲みながら読んでくださいね。さようなら。BGMつき「慕 情」でお楽しみください。慕 情 もう引き帰せない歌方は愛しき人の名前をうたうふるさとへ想いをかけて石畳の見知らぬ町行き止まりの小路月明かりが濡らすまるで彼をいざなうように窓を叩いて泣いたひと切ない肩で別れた夜を今日も舞台にしていよう船が行き交う波止場町酒場の喧騒に隠れて今日も詩を奏でいるまるで償いの作業のようにほんのつかのま夢を見てまばたきほどの夢を見て酒にまかせて奏でいる愛する者に幸いあれと旅立つ船へ願いをかけるもう引き帰せない歌方は愛しき人の名前をうたうなみだを酒にひたしつつランキングに参加しました。クリックしてね( ドン!って。
2006.11.21
コメント(16)

恋の街「札幌」夢の街「札幌」希望の都「札幌」優しい街「札幌」思い出が積もる街私のふるさと「札幌」。そして、なににも変えがたい私の大好きな「ふるさと」札幌すきですか?すきになってくださいね。!人は北へ向かいました。フロンティア精神に溢れて。今でも、、、関係ないかもしれませんが、、北海道は全国一の「O」型の産地!意味があるのでしょうね。札幌では一年中お祭りが繰り広げられています。●雪祭り●ライラック祭り●ヨサコイソーラン●ビール祭り●北海盆踊り●PMF芸術祭り●その他美しく感動的なたたずまい。それは都市計画にも意味があるのです。100メートル道路を築いてくれたのは明治の時代。いまは、そこが市民の憩いの場所となり、文化の発信地にもなりました。場所。拠点。これは、文化にはかかせないものです。恋をして文化を語れる札幌。花の都!札幌!一度遊びにきてくださいね。大通り公園 通りすぎる秋の風追いかけても届かないただ枯葉を踊らせて温度だけを残しゆく通りすがるリラの道白き微笑は春のことただ残り香を忍ばせて記憶だけを問いかける私はここに生きているまた美しく花開くため冬を越へ遠く夢をみるこの風に香りを広げゆく繰り返しに自分を見つけるそして静かに消えていこう伏目がちな秋の人貴方を追っても届かないただ視線を踊らせて刹那に出会いを予感する昨日もここで逢ったよね視線があったね一度だけいまこころを躍らせて明日を信じてここにくるいつも夢見ているようにいつも夢を見るようにいつか言葉を交わせたらそんな出会いもいいのかな■[リラ]ライラックの別名。〔「リラの花」は [季]春〕 札幌のよさこいソーラン祭りの前に「ライラック」の美しさと香りをたたえたイベントが古くから行なわれています。清楚で爪よりも小さな華。まるでブドウの房のように咲き誇り、その香りは三キロ先まで香ると言われています。ライラック(リラ)は札幌市の象徴でもありです。 ●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.20
コメント(16)

ほんの少しの過ちむかし山間の大きな温泉郷に、正直で明るい主人が経営する旅館がありました。お客さん達の評判もすこぶる良く、一年中賑わっていたといいます。地元での旅館主人の評判もたいそうなもので、皆に好かれる誠実で律儀な男だったと聞きます。そんな、ある日のこと最初の事件は起きました!今日も満室の旅館1階で、夜遅く大声があがりました。「たすけてくれー、ウギャァー」・・・驚いた主人は、すぐさま駆けつけつけたのですが、客は口から泡を吹き怯えて震えながらすぐさま帰って行きました。主人は理由も解らないまま部屋を調べたのですが、何の変哲もないのですそれからしばらくは、今までとおり大変繁盛していたのですが、あの日の夜と同じことが起きてしまったのです。「お客さん!いったいどうしたんですか!?大丈夫ですか!?」 「冗談じゃない!こんなところに泊れるわけがない!」お客さんは真っ青な顔で力なく怒っています。「出たんだよ!幽霊が。手招きをして、私を呼んでいたぁー!」 「お客さん冗談はやめてください!」主人は怒りましたが、客は料金も支払わずに憤慨したまま勢いよく一目散に帰っていったのは想像の通り。旅館の主人は、オカルトとか幽霊話が大嫌いな男で、見たこともなければ絶対に信じることなどない信念を持っていました。「変な客があったもんだ、困り者はどこにでもいるだろうが、最近はついていないなぁ」独り言で済ましてしまいましたしかし、それからが大変でした。そんなことが月に一度か二度起こるようになり逃げ出したお客は口裏を合わせるように「幽霊がでた!」というのです。主人は考えました。「とんでもない世の中だ!あの、一番みすぼらしく安い部屋に泊った客に限って、お金を払いたくないものだから幽霊のせいにして逃げ出すのだ!本当に困ったものだ・・・」 既に街では噂が矢のように広がっていたのです。。。時がたち、その旅館にはほとんどお客は訪れなくなりました。主人も困っていたのですが、街の噂は彼には聞こえていなかったのです。お金が乏しくなった時に屋根が破けたり、とがカシがったりもしましたが大工さんも呼べずに苦労して自分で、直しました。でも、いつものように誠実にガンバッテもお客は戻って来なかった。いよいよお金が底をついてしまったとき、主人は自分の旅館が「幽霊旅館」と噂されていることに気がつき、憤慨しましたが「万が一本当なら・・」という気持ちになって、例の部屋に一晩泊ってみることにしたのです。夜はふけていきました。。。「おぉー!」主人も声をあげてしまいました。驚いたのです。それは満月の夜、すぐ下の鏡のような静かな湖水に映った月光が揺らめき手入れの良い優美な松の姿を壁に映し出していたのです。そよ風が吹くと松の小枝がオイでおいでをするようにゆれているではありませんか!「これだったのか!」主人は大切にしていた松を切り倒しましたが、お客は戻ってきませんでした。いつか、その旅館には誰もいなくなってしまい。「幽霊旅館」と言う名前だけが残ったということです。いま、そのご主人のことはわかってはいないといいます。●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.20
コメント(2)

和歌・短歌・俳句・川柳。これは素晴らしい日本独自の文化であり、世界に誇る芸術です。僕は思います。怒ってもいます。言葉の文化の衰退に。それで自棄飲みしてます。それは人としての衰退だと感じるからです。自分の作品の前で、やけ飲みしてます。先人達が世界に冠たる芸術の形を形成してくださったのに、「言葉を並べる」ことが「詩」であると想ってはいけないね。「詩」とはリズムにより伝わり、書かずとも心の隠喩で想像を掻き立てさせるもの。上手い詩と駄作とは表現にそんなに差異がないのだけれど、心が伝わるチャンネルが違うんだよ。私は「冬の人」という詩を描きました。そしてそれを短歌でも顕しました。憧れに手を述べてみたボタン雪 にわかに消えた 想い出の人(NHK短歌大賞「優秀賞」)そして、私は「愛しい人へ」という詩作をしました。それは、いま恋に苦しむ女性達への再生のメッセージでした。そして短歌にも顕しました。君のこと愛したように あの人が 人を愛せば 君は救わる(札幌芸術祭参加作品)短歌や和歌。そして川柳や俳句は総じて素晴らしい「詩」です。ここで、もうひとひねり。川柳いってみましょうね。「お前100まで、わしゃ99まで、共に白髪の生えるまで」これが「共白髪」ですね。その川柳書きました。共白髪 約束したのに亭主はげ!凝縮してること。心が伝わること。その心を知らずして、「散文」などを書いて「詩」とする人がわからないよ。短く、ホットに「伝える」技が日本には生きています。だから私はそんな詩を描きます。言葉の文化を知れば哲学に歩み寄ることが出来るのです。それを知っていただきたいです。四季彩「俳句日記」俳句も好きなんです。詩ですね。人は、言葉でしか心が伝わらない。そんな生き物なんですよ。●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.19
コメント(12)

いにしえの昔から芸術家は作品に命を吹きこんできたものと感じています。絵であれ、陶芸であれ、彫塑であっても同じだと思うのです。現代でも、あの北大路櫓山人は「わたしは作品を作るとき、粘土と話す。 土の中から声が聞えてくるのです。ここから早くだしてくださいと。 私は土の声を形にしているだけ」自然に対する大いなる哲学がそこには生きています。北大路櫓山人 1883~1959・京都上賀茂. 陶芸・書・てん刻・絵画など幅広い分野において創作活動を行う。岡本太郎は「芸術は爆発!」といいました。そこには、堰切るような感受性を「想い」として作品にぶつける闘いがあったことでしょう。 僕は最近感じています。メッセージが込められていない芸術は芸術には遠いと。詩も芸術であるならば創作者のなかに哲学がなければ ならないものと感じます。(哲学=思い)そして、この社会がある意味での人間芸術の集大成であるとしたならば、ここにこそ「心」が生きていなければ、未来を構築することがとても難しくなります。自己利益に奔走している日本の社会形態。50兆円の税金にもかか わらず80兆円の予算を組む政治家、限りある資源を瞬時に使い果 たそうとする世界のエゴ。深刻さが増す地球の温暖化。逮捕者が続出する官製談合と、天下りを目的に血税を食らう公務員と外郭団体。先進国と比較すると、公務員の数は少ない国にもかかわらず、税金で支払われる給料受給者の割合が世界一の国。いま、人々が気付き始めています。時代は心の世紀に移り変わろうとしています。保守的な社会は、より優れている者、より新しいものを抹殺することで一部の利益者が得をし停滞を生んでいました。 まるで日本の幕末や中世の欧州の如くです。夢がそれを打ち破りました。 それが、維新であり、ルネッサンスなのかもしれません。 僕も、今まで作品にはメッセージを託して きました。 人はいま、乾ききった心に繋がりと潤いを求めています。その心が 広がって繋がって社会のシステムまでも変革しようとする潮流が生ま れることをただただ、願って僕も詠い続けていこうとおもっています。僕が知っている民間障害者施設の責任者はみんな身銭を切り、ギリギリの運営に喘いでいます。それでも頑張るのはそれは、いつか「人の心が繋がって、広がっ て、一人の人を大切に思える時代がやってくる。」と信じているから なのです。 人々の幸福を願い、シルクロードをガンダーラへと向かった「三蔵法師達」いにしえの旅人。彼らは国家の最高の頭脳であり、夢を人々に広げようと 命をかけて死の砂漠タクラマカンに散っていきました。夢に生き、夢を抱いて散っていきました。いま、苦難に生きる人達もいることでしょう。しかし、僕らの社会にも、僕らの心の中にも、思いつづけ広げていこうとする力が脈々と生きづいていることを忘れないで下さい。いつかみんなが思い出すよ。それでないと、タクラマカンに残された無数の骸が浮かばれないと感じます。上の写真をクリックすると音楽が流れます。伝 説 静かにとても静かに 時は移ろいでは流れる 歯を食いしばって歩く人 どうしてそんなにまでも 生きることを求めるの 砂塵吹きすさぶタクラマカン心の宝石を求めてやまぬ ガンダーラへの旅人達よ安らぎを胸に輝かせて 信じて信じているから 人は夢を捨てはしない僕らはいつも歩いていよう なにがあってもあるいて行く 歯を食いしばって あの日の約束を忘れない 繋がった心を求めている夢に溢れた少女の君よ 僕の足跡を見つけておくれ 僕らは捨てることがない僕らは心を広げていこう 僕らは信じ続けようタクラマカンに消えた旅人よ 愛することをつないで 愛することをあきらめない僕らはそういうふうでいるよ 松尾多聞_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.19
コメント(16)

僕がはじめて、人に見てもらうために書いた作品。あれは初めての詩作でした。 『 あの時、僕は君と海が見たかった 』I present to you of a first love who continue loving even now. 揺らめく焚き火の炎に もどかしく打ち寄せる白波を見ていた サウンドオブサイレンス 僕は大自然のささやきの中 もう一度 幻想を追いかけている 西に浮かぶ満月に追いやられて 真空に輝くカシオペア はっきりと舞い上がる僕がいる 見つめる刹那と見つめ返す刹那 確かに時は自由にさ迷っていた 今 もう一度・・・ もう一度君がいたら 僕は話続けることが出来る もう一度君がいたら 大切なことを教えられるのに もう一度君がいたら 僕は謝る事が出来るのに 今 もう一度 僕は君と海が見たかった 2001・05・06 tamon あれから、5年たちました。 たくさんの皆さんがきていただけて、僕は、本当に幸福でした。 ありがとう! 詩を書きたかった。心から書きたかった。でも、書けなかった。 そんな同じ人もいることでしょう。私は、本当にわかります。 詩をかくことは自分を書くこと。かけないでいてあたりまえかもしれない。 だから、あきらめないで、いつか書く気持ちでいてください。 あきらめないで。詩を書いて5年。わかったことは「あきらめない」 それだけでした。 もう5周年。 みなさん!書いてもいいよ。書かなくてもいいよ。 ただ、ここにね、たまにきてください。そして、いつもあきらめない自分を絶対に好きになってください。 ありがとう。ランキングに参加しました。クリックしてね( ドン!って。
2006.11.18
コメント(12)

↑温泉大好き多聞「北海道の温泉こそ醍醐味だって!」いやいや、この温泉はいいですなぁ!これこそ「人生の醍醐味ですなぁーーー!」『醍醐味』の意味は、(1)美味の最上のものとされる食物(2)物事の本当の面白さ。深い味わい。真髄。 ですが、“醍醐”古代の文献には「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出すが如し、醍醐最上なり」と記されています。1・乳(にゅう)2・酪(らく)3.生酥(せいそ)4.熟酥(じゅくそ)5.醍醐(だいご)となりますね。搾りだされる乳にさえ物語があるといいます。そして、その物語は「一品」で完結されるものです。爽やかに舌を潤した乳は、次には酸味を帯びて食欲をいざない、そのコクで飲む人を魅了した後、最高の脂肪分でデザートよろしく満腹を与えてくれるのです。乳はすごいのだ。 これは昔。なにかの乳製品を特別な方法で作っていたとする説があり、また、この説の方が正しいのではないかと想われていますが、東洋の思想では、「人の味わう心や感じる精神」を説明しているとされます。それでは、その説とはどのようなものでしょう?子牛になってみてくださいね!*************** 牛乳を搾ったことのある私にはたいそう理解しやすいのですが、牛乳には様様な味が生きています。最初に出てくる乳は薄くスッキリした味があって「これから牛乳飲むんだよ!」これが乳味(にゅうみ)、その次に薄く爽やかな酸味が混じってきます。これが酪味(らくみ)、次にはまろやかなコクが生まれて来て重い味がしてきます。これが生酥味(せいそみ・しゅうそみ)、さて今度はもっと満足が行く本当の牛乳のとろみとお腹を膨らます満足感を味あわせてあげよう!っと出てくるのが熟酥味(じゅくそみ)、最後にこれでもかと一番コクが深く味わいがあり説明にも困ってしまう醍醐味がでてきて「わぁーー!牛乳っていいな!お腹イッパイ満足満足!」と子牛の眠気を促すのです。おかあさん牛の最高の愛情なのかもしれません。*************** 牛乳ひとつとってもたくさんの感受や意味合いが生きていることに心から感動を覚える私です。そこには物語りが生きているような感覚を憶えるのです。 人知の及ばないことにも崇高で完成された物語があるのですね。石や土や草木にも、私達を取り巻くものすべてに意味合いと物語を感じずにはいられません。それは、私達が知らなくとも「完結」しているから。僕はそんな、大自然が完結してやまない物語をたくさん!知っています。そして、その姿をたくさん哲学して記録します。それはなんにでも当てはまるから。 似ている言葉が思い出されませんか?中国の思想から生まれた起承転結がそうです。物語や芸術作品にはたとえ絵であったとしても、そこには作者の心が生み出した物語が生きています。単調に最後までも凡凡として終わるものはひとつもありません。人生もそうですね。流れとリズムが生きている中に心の「起承転結」が宿っていなければならないものだと考えていました。そして自己完結する壮大な物語。 それをいつも想って考えていきましょう。僕たちは魂を綴る人間であるのですから。今日で100記事。やったぁ!いつも、読んでくれてありがとう!世界では不穏な動きがたくさん。戦争してる地域もたくさんあります。アフリカ、中東。みんな優しくなればいい!親を亡くした少女の願いは空に舞っています。何度も、何度も回る詩(うた)を今日は皆さんに!「春一番」です。おやすみなさい。ランキングに参加しました。クリックしてね( ドン!って。
2006.11.16
コメント(20)

今日は、いっちゃいます。僕の犯罪履歴を。。。。 僕は万引きをしたことがあります。中学生の頃です・・・・・とっても良くないこと。知っていてやってしまった。僕はその頃、とても悩んでいました。親は不仲でケンカばかり、省みられることがない自分。幸福とは言えない時間の積み重なりにあって、、、、「僕は・・・どうして生まれて来てしまったの?」「人はなんのために生きているの?」「なんでこんなにも苦しいの。」時すでに遅し。僕は親を信用していませんでした。すがるように、そして人生論を本屋さんに行っては立ち読みしました。でも、毎日やってくる、汚い学生服を着たみすぼらしい少年に店主も、いつか業を煮やしたのでしょう。「うちは商売なんだよ。本を買わないで立ち読みばかりはやめてくれ!」って叱られる始末です。 僕は武者小路実篤、トルストイ・ゲーテ・・・人生論と名のつくもであれば、、、、と、、、何冊も何度も万引きしていました。お金がない僕には精一杯の冒険でした。もちろん悪いと知っていて・・・ そして、答えがわからないまま時間が過ぎるのです。最後の結論は東洋の作家であれば「心」・西洋であれば「神」・これが結論です。そんなことわかるはずないです。僕の知りたいことが書いていないのです。罪悪感ばかりが残りました。14冊の本を抱えて、勇気を出して本屋へ謝りにに行きました。 店主は目を丸くして驚いていましたが、本の題名を全部見て言いました。「君は愛情に餓えているんだね。お金は大人になってから払いなさい。この本は、もう一度持ちかえって机にしまっておくんだよ。」 店主は、どろぼうの僕に真剣に教えてくれました。「貧乏で愛情が受けられない人がいる。たくさんいる。だから貧乏で愛情を受けられない人を助けることが出来るんだよ。人生ってそんなもんだ。君はそんな人になりなさいな。」僕は謝った。勇気が必要だった。それでも彼は応えてくれたのです「お前みたいなやつ、はじめてだ!だから教えるな!いいか、野球のルールブックを見ただけで野球が上手いと言われる人に成るだろうか?泥にまぎれて手にマメをつくって苦しまなければ野球は憶えられないんだ。」「人生や幸福がどこにあってどんなものなのか知りたければ、生きてゆくんだ。一生懸命に生きていくと必ず見つかるんだよ。」 外に送り出された僕はポカンとした後、何がなんだかわからないで涙ばかりが流れていたことを思い出します。多聞14才の春のことでした。それから10年後、年老いた店主に僕は温泉の招待券を初めてのボーナスで贈りました。 14冊の本は今はもう、手元にありません。一冊づつ、大切な友に贈りました。●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね( ドン!って。
2006.11.15
コメント(17)

生まれ変わることの不思議を東洋人は長く教育や経験として身につけています。「カルマ」、「輪廻」、それは縁によるものとされているようですね。 現在、世界では数十億の人たちが生きています。また、今までに有史以来生きてきた人の数は無数といっても過言ではありません。 なのに、長い歴史から見ると、ほんのつかの間の現在に、共に呼吸をしているだけでも不思議を感じます。また、それでも一生逢うことがない人々がほとんどのはずです。そんな中にあり共に語り、共に共通の時間を過ごすことが出来る関係とは、どんな深い縁(えにし)によるものでしょうか。 私が信じる「カルマ」の法則みたいなものがあるとしたならば、きっと、「寝て起きた」ことと類似している。と感じます。寝る=死 起きる=生 例えば、借金取りに追われて生き地獄の毎日を送っている人が、一晩寝て起きたからといって、状況が改善されるものとは思えません。やはりまた、苦しい日々を送らなければならない。ですから、私は起きている間に(今生きているうちに)状況を改善する努力こそが必要と考えています。 いま、この時代に共に生き、そして、係わり合いをもった人達は、親類家族を含めて過去に(寝ているときの前)に、少なくとも、喜びや幸福を分かち合っていたからこそ、今も共にあると私は断言していたいのです。それは、互いに使命をもち、共に苦難に打ち勝たなければ分かち合えない経験によるものだと信じます。 知っているのに、わからない、説明が難しい現実とは、きっと何よりも大切なことのような気がしてしかたがありません。「知らない」ことは「無い」ことではないのです。 ただ、そこに「つながり」を加味した場合、もっと大きな生命の不思議と理論が浮かび上がってきます。生きている個体よりも過去に生きていた個体のほうが多い。そして、それはどこにいてどんなものか。ユング、エジソン、ゲーテ、、、たくさんの偉人達はこの、同じ命題に取り組みながら一生を終えていきました。 私は、ただ、想うのです。ただ、戯れに想うのです。 生命体は大きく、計り知れない大きさで、他の生命体とつながる。星は星、人は人。犬は犬。蝶は蝶。特に昆虫や植物の進化を勉強すると、固体が経験しただけでははかり知ることのできない素晴らしい進化を遂げています。それぞれの種族には包み込む、そんな大きな生命体があり、繋がっています。そんなことを私が考えるのには理由があります。 大きな生命たちが進化するためには、たくさんの実験と経験が必要なのです。そのために生き物達は生命を姿として地上に現すのだと感じます。大きな生命体にはまた、それぞれに塊があって、その時代に必要な組み合わせで生命を具現化します。 私たちは、未来にも役割を多少変えながら、必ず共に生き、同じ時代を満喫することでしょう。本当の愛とは永遠を心から意識し、死を恐怖ではなく、誕生と知覚できる素晴らしい宝物ではないでしょうか。人は少なくとも、生命をまっとうしようとします。それが自然です。老いてなお、使命はあり、老いの苦しみさえも「経験」として生命体が受け止めるものです。ですから、人は死に臨んで苦しまず、一番美しい景色を見ることができる進化を遂げている気がします。 人生とは、いつか、そんな生命の不思議を問い詰め解明する力さえある芸術だと感じます。あくまでも私の戯れ事かもしれませんが、何度目かの死地を乗り越えたときに、確信として湧いてきました。_/_/_/_/_/_/_/ 永 遠 の 都 _/_/_/_/_/_/_/_/ 大きな世界に生きているよ 長く果てしない時間の中で 三千年も言葉にすれば3秒 想い出も振り返ると刹那 僕の命と君の命と それは一瞬の輝き それは今のはばたき 輝きを繋ぎ合わせていよう 間断のない眩き宝石を作ろう 君の翼と僕の翼と 光を求めて羽ばたこう それが生きていることだよ この命は説明できないけれど 想い返すと確かに眩しくある 君の瞳と僕の瞳と 光のネックレスを戴いて 大きな虹が見えるまで 三千年は言葉にすれば3秒 遠い未来は僕らの永遠の都 三千年は言葉にすれば3秒 遠い未来は訪れる永遠の都 多聞●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.14
コメント(14)

遠い昔のこと、面倒くさがりの神様がいました。(メールのリクエストありがとうね!)遠い昔のこと、とても面倒臭がりの神様がいました。「オウゥッ!うぶぶ!私はもう、飽き飽きしている。生きている者達の種類が多すぎて寿命を管理することが至難の技である」・・・神様は悩んでいましたが膝を叩いて喜びました。「そうじゃ!生きる者達の寿命をだいたいの30歳に統一してしまおう、、それで楽になるはずじゃ、。」、、、でも、この神様は少し気弱なところもあったようで、動物の代表を招いて意見を聞いてみることにしたのです。 最初に現われたのは、疲れ果てて目もしょぼしょぼの「ロバ君」でした。「ロバ君よ、汝の寿命を30歳にと考えておるが、どんなもんじゃな?」、ロバ君は腰を抜かした様にへたり込み口から泡を吹きながら訴えたのです。「神様・・・もう・・お許しください。私は毎日、自分の体重よりも重い荷物を運ばされて、馬車馬以上に人間に使われています。30年も苦しむことは地獄です。どうぞ20年で・・」ロバ君はヨタヨタと帰っていきました。「ウーン神様は困ってしまいました。」 続いてやってきたのは、背筋が真っ直ぐに伸びて礼儀正しい「犬君」です。「犬君よ、汝の寿命を30歳にと考えておるが、どんなもんじゃな?」、犬君は更に姿勢をただしきおつけをしながらハキハキと答えました。「神様!お言葉を返すようですが、私はこれ以上人間達の信頼や付託に答えていく事は不可能だと考えます。30年も生きるとうつ病になってしまうことでしょう。半分の15年にしてください!」犬君は180°回転するとさっさと帰っていきました。「ウーン神様は困ってしまいました。」次に現われたのは、おどおどして小心な「サル君」です。「サル君よ、汝の寿命を30歳にと考えておるが、どんなもんじゃな?」、「キィーッ!」彼は2メートルほど後に飛びのき堰切ったように話しました。「かかっ神様、私は頭痛に悩まされております。もう、これ以上知恵を絞っていくとノイローゼ、心身症、自律神経失調症・・とにかく、私も20年でお許しください。」一目散に逃げていくサル君です。「ウーム神様は困ってしまいました。」 4番目にふてぶてしく登場したのは人間君でした。「人間君よ、汝の寿命を30歳にと考えておるが、どんなもんじゃな?」、人間君は瞼を見開いたかと思うと怒鳴るように神様に噛みつきました。「冗談も休み休みにしてください。たったの30年でいったい何が出来るのですか!」、「では、汝はどれほどの寿命を必要とするか?」人間は両手を広げて答えました。「いくらでも!たくさんください!」人間君はブツブツいいながら帰って行きました。 神様は困ったまま考え込んでいましたが、しばらくして名案が浮かんだのです。「そうじゃ!ロバ君の体がもたないといって断った10年と、信頼や付託が辛い犬君の15年、更に知恵を絞ることに疲れたサル君の10年を人間に与えて、彼らの寿命を65年にすれば丸く収まるではないか!ムフフ」神様は安心してシナモンティーを飲みました。 それから、大変な人間の苦労が始まったのです。もともと神様からもらった30年は、人生がピカピカ輝いているのですが、31歳から40歳までの10年間は、あのロバ君に譲ってもらった10年なのです。人間はわき目も振らず馬車馬以上に働くことになってしまいました。 41歳から55歳までの人生は、あの犬君に譲ってもらった15年です。人間は周りからの信頼や付託に答えなければならない人生を余儀なくされました。 56歳から65歳までの10年間は、あのサル君から譲ってもらった10年です。一番の試練が待っていました。常に人々に知恵を分け与える仕事なのです。 65歳になった人間は疲れ果てていましたが。なにか心が丸くなるような充実感と少しの幸福を感じていました。「神様!大変な人生でした。しかし、本当にありがとうございました。さぁ私をお召しください。お願いします。」その時です、神様がもう一度現われて人間に言いました。「人間よ!数々の試練を良くぞリッパに果たしましたね。貴方の人生は本当に輝いていました。」「ご褒美に、貴方の肉体が消滅するまで、あと少しユックリ生きていてください。ご苦労様」人間はしばらくの間、泣いていました。(ヨーロッパの寓話からヒントを得て。) 松尾多聞●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.13
コメント(8)

こんばんは!突然ですが。。。最近、私はすごいことを知ってしまったのです!!それは、「四文字熟語」が持つ、極めて素晴らしい魔力なのです!---------------------------------【資料】四文字熟語(よじじゅくご)は、漢字4文字で作られた日本語の熟語のこと。中国語で成語とよぶ慣用語の内、最も比率の高い4文字から構成されるもの、故事や、漢文から作られる場合が多いようです。また、「物語」や「法門」までも包含した内容のものも多く、その情報量たるや、世界に類を見ない成語なのです。すごいぞ!東洋の文化!---------------------------------さて、ここで、今ここを読んでいる貴方へ問題です。極めて簡単な遊びなので付き合ってくださいね。1・出来るだけ短時間で思い出される四文字熟語を二つ口に出してください。2・思い出せましたか?しっかり「言葉」にして発音してください。3・いま口にした「熟語」を憶えておいてください。4・しっかり憶えてから下の文章を読むこと(重要)。熟語にはとっても深い意味が隠されています。そして貴方はいま、それを二つ口にしました。それは、なんと!貴方の人生や生き方、生活を如実に反映している熟語なのです!ほんとかなぁ?そこで私は時間をかけて取材を敢行したのです。最初に登場するのが20歳の女子学生「一石二鳥」、「焼肉定食」ちょっとぉーー!焼肉は名詞ではありませんかぁ!でも、わかります。勉強不足と楽をして人生を渡りたい願望と。そんな感じなのかな?次は会社に遅刻してきた青年「四面楚歌」、「自暴自棄」こりゃ、相当叱られたのでしょう。堪えてますわなぁ。次はトップ営業マンの友達。「弱肉強食」、「以心伝心」厳しい営業の世界に生きる彼と、彼の心意気そのままではないですか!最後は「ニート」君に聞きました。「馬耳東風」、「疑心暗鬼」聞かないし、聞いても疑ってかかるのか!?もっとしっかり社会性をつけなさいな!ちなみに私は「即座」に出ました!「天下泰平」、「一所懸命」ええ??ウソではありませんってば!さて?みなさんの結果はいかに!!家族で楽しむのもいいかもね!ワクワクです!---------------------------札幌は初雪!今日は私の朗読。「初雪の恋」でお別れだよ。じゃね。ばいばい。音量には注意してくださいね。↓「初雪の恋」朗読スタート初 雪 の 恋 いつか溶ける雪降り出した初雪紅い頬を弾ませたあの人のまたたきこの庭に苺ジャムを撒いて二人でずっと食べていたい冷える身体は温めあって甘く紅い想い出になるから何度も溶けては流れそんなはずなのに私の肩にまたたいて雪は今年も降り出した 松尾多聞●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.13
コメント(14)

札幌は初雪。例年より遅いようですね。先のシーズンは大雪!すごい冬だったなぁ。また雪かきシーズンの到来です。人は悲しいと下を向く。ご近所の人たちはうつむいたまま、黙々と除雪作業をするんです。私も悲しい。。。ちょっとまて!多聞!大好きな幕末の雄!高杉晋作氏なら、こんな状況の時はなんと言うだろう?29歳の若さで結核に倒れた彼は辞世(この世と別れるときの詩)をこう詠んだ。「面白きことも無き世を面白く」彼は松下村塾の天才だった。そして、当時では考えることのできない民兵集団をつくりあげて、最後には幕府を倒して新時代を構築したすごい男だ。私は考えてしまう。彼ならこんな時、落ち込むだろうかと。そこで私は幕末の志士よろしく、初雪を眺めながら俳句を考えるのである。しかも、この冬を笑い飛ばしてやる覚悟でだ。そこにあったピッケルを脇に差して考える。考える。。。高杉多聞となって考える。。。できた。「大雪の面白きかな別世界」「みごと!多聞殿。なかなかである!(爆笑)」高杉晋作の大笑いが聞こえてきて、私もすっかり明るい気分となり、脇差(ピッケル)をそっと元の場所に戻したのである。--------------------------------------「面白い」という言葉がある。面(顔)が白いと書く。これは顔に光が当たって顔が明るく見えるという意味から出来た言葉だ。考えるとその顔は上を向いていることになる。内向的で消極的な人を「暗い」と言う。それは、いつもうつむき下を向いているから顔に光が当たらず暗くなってしまうからだ。そうだ!私も面白く生きてやろうと思う。無理にでも胸を張り、上を向いていると自然と光は射してくるではないか!雪なんて解けるもの。そして景色を彩るもの。雪かきがんばるぞーー!高杉晋作さん!これでいいかい?「おお!なかなか天晴れな覚悟である!」笑顔の彼が私にはついている。よっしゃ!今年もボランティアやりますよぉーー!イケメン「札幌豪雪救援隊」がんばります!-----------------------------------------って言うことで面白く冬を迎えよう!でも、早く溶けてくれ。雪よ。そんな願いを込めて「雪解け」でお別れします。BGMつき「雪解け」でお楽しみくださいね。さようなら。↑画像をクリックすると音楽が流れます。「雪解け」雪が降るのはきっと降っていたいから天の川が溢れて帰り道を探してる私の涙が降るのは空を仰いでいたいから愛おしさに溢れてあの人を探してる星と雪が貼りついて涙に溶けて水になる心を溶かす雪解けは私の涙でできている雪を割っては花開く密かな夢を結ぶため●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.12
コメント(15)

北海道を代表する蔵元「北の誉」から冬期限定の純米吟醸原酒「雄冬」が届きました。かねてより注文し、心待ちにしていただけに嬉しくってたまりません。--------------------------------拙者、やはりドサンコに候らへば、吟醸はカニをもって上等と致す!!--------------------------------それで、馴染みの魚屋へ直行!とってもおいしいカニを買ってきました。銘酒「雄冬」を従えて、凛々しく端座ましますのは、オホーツクの雄!「花咲ガニ」でございます。見ている皆様。本当にごめんなさい・・・このカニ。私は毛がによりもタラバよりも、この花咲が世界で一番美味しいと思うのです。しかも、これはメス。一升瓶の大きさと比較するとデカサがわかりますね♪1380円也!安いしょ。値切ったから。甲羅の裏の「ふんどし」をはがすと、出てくるは出てくるは「カニの子」!これもまた、あーた。いけるんです!----------------------------------------------【かにの豆知識】本州の人は、北海道のタラバや毛がにや花咲の味を知っているようで知りません。ですから「ズワイ」の方が好き!って人も現れます。違うんです!!あなたが食べた北海道のカニは冷凍。そう、カニは冷凍すると、極端に味が落ちてしまい水っぽく、弾力さえも失われます。旨みが損なわれてしまい、別物になるのです。(って思う)よく、北海道に来て安価なお店で「食べ放題」を楽しまれる観光の方々がいますが、「ちがいます。そんなものではありません!」って、いいたくて涙が流れる私です。かには新鮮でずっしり重たいものをプロが手早く茹でて冷凍せずにすぐ!これが旨いのです!!-----------------------------------------------って、ことで、新鮮でずっしり重たいのをプロが手早く茹でて、冷凍せずにすぐ!食べました。ああ、旨い。花咲やタラバはカニではなく、ヤドカリの仲間なんです。ですから食べ方も、甲羅をはずしたら煎餅を二つに割るように開き解体します。足元や甲羅についた身が、、、こりゃまた。。。動くところが旨い。クラブ(はさみ)のとこも切ってと、「ああ、目もクラブ味・・・」そして、ほうばったカニを吟醸で流し込む!!!窓の外はもうすぐ氷点下。冴えたる月は十三夜。暖炉の前から夜空を伺い、カニで膨らむ喉を流すは大吟醸!ああ、北海道に生まれたわたし、、、ありがとう!すいませんでした。札幌は今夜が初雪になりそうです。今日はここまで、ほろ酔いの私の作品「寂 夜 白 雪」でお別れしますね。BGMので聞いてくださいね。あなたの心にも真っ白い雪が広がります。寂 夜 白 雪 雪が降ってきた音もたてずに降ってきた白く白く舞い降りる喧騒ゆがむ街中を君の中の悲しみを振り出しに戻すため雪が降ってきた夜の光りと降ってきた白く白くかえるため夕べの出来事を悲しいわかれを飾ってしまうように雪は舞い降りるあまたのことを染め上げる白く白く降り積もる愚かな愚かな僕を汚れてしまった人達をもう一度を知らしめて雪はやむことだろうかりそめの世界を作った後に白く白く残ることだろう歩き出す人達がいるから踏みしめられるためにいつかとけゆくまで松尾多聞●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.11
コメント(14)

自然が大好きで、いつも野山を駆け巡っています。写真は「然別峡公設野営場」での昨年の私のサイトです。重たい飲料水を運んでくれているのが名古屋から来たミツバチ族のn君。たくさんご馳走してあげたんですよ。ターフの下でくつろいでいるのが私。(見えるかしら。)自然の中に身を置くと、普段考えない事柄が浮かんでくるんです。。私が自然の中にいていつも思うこと。それは「無限の生命力」。しかし、この素晴らしい空間も元を正せば「ゼロであった。」ということ。そうだ。今日は人類の最高の発見!「ゼロ」について話そうと想います。【ゼロの起源】現在。私達が使っている「数字」はインドで発明されました。そしてアラビア人の旅商人がシルクロードを本脈として世界に広げたものです。インドの方々は可哀想。だって発明したのに、伝えた商人の名前がつけられたからです。「アラビア数字」と。しかし、現在でもインドの方々の「数式や数字」の才能は素晴らしく。欧米のIT産業の技術者比率は「インドの方々」が多いのですよ。その「アラビア数字」の素晴らしさは「ゼロ」に帰趨します。釈迦を生んだ国の「ゼロ」とは何でしょうか?その素晴らしさは「ゼロ」の概念と形態と可能性にあります。「ゼロ」は「無」ではないのです。「ゼロ」に「1」を添わせると「10」になることは本当にすごい意味があるからです。「ゼロ」は数字の空位。そして釈迦は「空」を説きました。仏法では「空」は無にあらず、すべてを覚知し動ぜず、また、なにものも拒まない「悟り」の境地であるといいます。人の知恵は物理的にも心情的にも哲学的にも「ゼロ」を発見したといって良いでしょう。【ゼロの無限性】本質があり(貴方がいて)縁がある(つながり)から人は幸福になる。それは仏法に限らずたくさんの哲学が証明していることです。私が冒頭で述べた「自然」そのものも、ましてや地球も宇宙も「無」でありました。いいえ、「ゼロ」だったのです。「ゼロ」だから繁栄をする。「無」ではダメなのです。そこで私が言いたいのは「ゼロ」とは世の中のことわりを包含していること。もっと詳しく説明させていただけるなら命があるのです。空位、空、縁、無限、、、、そして「ゼロ」その哲学は大きく飛躍します。ここで私達の生活を鏡に「ゼロ」を説明させてくださいね。【ゼロに見出される力量(本質】こんな話は例題には不向きですが、私は大好き!お金を「裏」で貸している友達がいます。(いろんな友達がいるのよ。)そして、彼に聞きました。「手ごわい客はどんな客?」って。かれはいいました。「払ってくれない客だわな。だって切り取り(集金)出来ないもの。」彼の話によれば、払えない客は可愛いのだけれど、本当に払わない輩は嬉しそうに、元気に語るという。「だって、無い袖振れないしょや!」ニコニコして機嫌が良く、生命力に溢れているという!笑「ゼロ」だ。知り合いで全身マヒの男がいる。動くのは首と口だけ。彼は私に言った。「体が不自由になった時にな、想ったぞ。なんてグウタラな生活だったか。文句や愚痴ばかりこぼしていた。でも、こんなからだになってすぐに想った。全てを無くして想ったことは、自分は幸せだったのに、気がついていなかったこと。残念でならないよ。それから俺はゼロになった自分を省みた。結構な、自分を知った時には幸福で、ワクワクしたんだ。自分を知ったさ。だからな何でも出来ると想ったさ。」彼は画家になった。口で描く画家に。成功しているよ。「ゼロ」になること。誰でもが経験するのかもしれない。一代で大きな会社を創立して成功させている人は、必ず「ゼロ」になった経験を持っている人。「ゼロ」になって「引きこもり」になる若者との違いはどこにあることだろうか。「チャンス」と捉える人は、自立の教育をなんらかの形で親から受けています。「終わり」と捉える若者は親が許してきました。親が子供に負けたのです。【ゼロの飛躍】人生は登って見なければ分からない。それも自分で。アメリカの一番の人気のある単語は「インディペンデンス」(独立)だけども、今は「自立」と訳していたい私です。心の「インディペンデンス」は「ゼロ」を「空」に変換するのです。それを知った貴方はいつか、限りない自然の美しさと、地球と宇宙の「ゼロ」に囲まれて「ひとつの繋がり」を知ることでしょう。難しい話です。ごめんね。でも、大切なことなのです。いかなる形態であれ、ゼロであることは、本当は素晴らしいこと。辛くとも、死にたくなっても最高の節目であるのです。あのホーキング博士は右手の指しか動かないそうです。しかし、彼はいいました。「ゼロになって良かった。」と。彼が素晴らしい学説を発表したのは体が不自由になってからです。【ゼロになれること】事故や怪我や病気。人にはついて離れないものです。でもね、その経験をしないでも、常に挑戦を続ける人は日々「ゼロ」になれるものです。それは「志」、「リアリティー」によるもの。信じた夢を一生忘れないで行動してください。いつも「ゼロ」になれる自分を好きになることが出来るはずですよ。-------------札幌は今日は温度が緩みました。みなさん!難しかった?ごめんね。読んでくれてありがとう。では、今日はみんなの疲れを癒してあげるね。「くべられた光」でお休みなさい。↑クリックしてね。さようなら。●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.10
コメント(14)

ここ札幌に「庶民の味方」の居酒屋さんがある。「第三もっきりセンター」だ!札幌市中央区南大通東1丁目中小路西向きのお店。番人の狸が男の慕情をかきたてる。ネクタイをしめて飲んでいるお客は,私を含めてほんのわずか。ネクタイを頭に巻いて「グダ」を撒く客の方がおおいかも。いいところです。午後3時には、もう!たいへん!酔っ払いがワンサカ。「いいかげんに帰りなさい!」って、割烹着のおばちゃん達に叱られて、肩を落として帰るヨッパがたくさん。私は学生時代からお世話になっているんです。大好きなお店。食べ物は最高に美味しいのよ。お勧めは「マグロの山かけ」250円だったけ。私は、どんなに飲んでも、3千円以上支払った記憶があまりありません。庶民の味方という意味がお分かりますよね。私はそこである出会いをしました。いつも話しかけてくるAさん。「優しい紳士」がいました。いつか2人はお互いに自己紹介を交わし、私は福祉ボランティアをライフワークにしていることを熱く語りました。Aさんは、札幌で事務所を構える立派な一級建築士でした。建物の話。夢の町。理想の仕事。熱きハートで語るのです。そのAさんが、ある日、大分年下の私に相談を持ちかけてきたのです。悩んでいました。「多聞ちゃん。俺、、、最近は老人施設や障がい者施設の設計を頑張っているんだ。でも、どんなにプレゼンしても採用されないのよ。最高の設計なのに悔しくって。。。なにがいけないのかなぁ。」時はまさに、障がい者、高齢者福祉に関する法令が猫の目のように改正を続ける時代。話を聞いて見ると、彼は施設の設計をするにあたり、職員や施設利用者の利便性に重きを置き、快適で美しい施設を目指していました。「それじゃーダメだよなぁーーっ先生。」私は笑顔で(自分の事ではないので)刹那に答えました。先生は憤慨もしないで、年下の私にすがるように聞きました。「したら、どんな設計をしたらいいか?頼む!教えてくれ!君にダメもとで聞いてやるよ。」 私は、びっくりしました。あまりにも真剣な先生の「少年の目」を拝見して姿勢を正さずにはおれなかった。そして、ネクタイを頭に巻きなおして自分の信ずるところを真剣に話しました。「先生!生きる事の哲学を考えてください。」「どうして人は生きていけるの?利用者も同じ。」「先生!人は自己実現のために生きているよ。先生。先生もそうでしょ。」「人は社会的な生き物です。だからいつも、どんな小さなことでも社会の中で自分の存在感を示したいよ。」「私達も同じですよね。だから先生も僕もがんばっているよ。」「ご老人と障がい者は別ですか?同じですね。」「僕は自己実現っていう人間の命題を付加された建物でなければいけないと思います。」「自己実現とは、人のために生きること。」「人のために生きる事は、自分に感謝できること。」「それは、まぎれもなく労働なのです。」「労働とは自分の力量を発揮して対価をいただくことです。」「どんな形でもいい。赤字になっても社会保障があるよ。」「人が人を動かして、そして慣れていただくこと。」「何でもいい。症状に合わせて何かをやっていただける施設。」「それが理想の建物であり、施設ではなく村なのです。」「先生も私も生きています。」「そして、必ず認めていただきたいよ。」「言葉でもお金でもいい。充実感でも、達成感でも、対価がほしいよ。」「みんな同じだよ!分け隔てなく、おんなじだよ。。」もう。。。そこまで言って、、、したたか酔った私は大粒の涙を流していました。そして先生も。。。「そか、そうだったんだ。利便性ではなく生きがいなんだな。」「昔のふるさとがそうだったなぁ。年寄り大事にしたもんなぁ。。。」一級建築士の先生は、障がい者のできる多様な仕事を考えてくれるようになりました。そして、老人には畑をつくり作業場を構築してくれました。「利用者の主体性」を促したのです。彼の施設は、最高の「生きがいの村」になりました。いま、売れっ子になったんですよ。------------------生きること。それは人生を、過ちを、昇華すること。そう、流れる時間とは、何よりも美しいものなんだ。昇華。それは自己の実現過程でもあるんだね。今日は私の「僕が歌う詩」でお別れです。バイバイ!BGMつき「僕が歌う詩」で楽しんでくださいね。←クリック------------------「僕が歌う詩」 僕の全ては夜を駆け巡っていた焼きつけられた映画のフィルム映像が一瞬で替わって行く想い心の内側で塊たちが叫んでいる力強く繊細な声で呼んでいる「ここから早く出してください」言葉をどうしても作れなかった虹に憧れて海を聞いて空に涙して炎に語って人に触れてそっと感動すべき時の中で大きな呼吸を吐き出した瞬間心は彩られた発露を投げ出す魂の詩を織り成していくんだめくり忘れた暦のよう僕の想い出は魂となって生きていた流れていく時間の中で無垢な純白に忘れない君のこと愛することは生きている証だから想い出は美しく輝くべきもの僕たちはまだ魂が繋がっているんだそして救われる時を望んでいたんだね悲しい時が昇華される僕たちの命なんて素敵なことだろう僕の全体は長い夜に駆け巡る深い夜に魂を吐き出すためにそして今日も詠いつづけている松尾多聞●写真で巡る北海道-1●写真で巡る北海道-2ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.09
コメント(14)

「100人の村」作者 K.Leipold ・訳 なかのひろみ------------------------------もし現在の人類統計比率をきっちり盛り込んで、全世界を人口「百人の村」に縮小するとしたらどうでしょう。その村には… 57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人 52人が女性 48人が男性 70人が有色人種 30人が白人 70人がキリスト教徒以外 30人がキリスト教徒 89人が異性愛者 11人が同性愛者6人が世界全体の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ合衆国国籍。80人が標準以下の居住環境に住み、70人が文字が読めず、50人は栄養失調。ひとりは死にかかり、ひとりはもうじき生まれ、 ひとり(そう、たったひとり)は大学での教育を受け、 ひとりがコンピューターを所有している。もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るならば、いかに相手を受け容れること、理解すること、そして教育が必要かは火を見るより明らかです。またもし、あなたが今朝、目が覚めたとき、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・・あなたは今日生き残ることのできないであろう百万人の人たちより恵まれていますもしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちよりめぐまれていますもしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問、または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるのなら・・・あなたは世界の30億人の人たちより恵まれていますもし冷蔵庫に食料があり着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれていますもし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりですもしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀有なことですもしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょうなぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです 昔のひとがこう言いましたわが身から出たものはいずれわが身に帰ってくると・・・ お金に執着することなく喜んで働きましょうかって一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょうだれも見ていないかのごとく自由に踊りましょうだれも聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょうあたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょうわかりやすく、とっても洞察にあふれた話ですね。私はキリスト教徒ではありませんが、みなさんも、たくさんの方々へ伝えてくれると幸いです。ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.08
コメント(6)

最近はテレビや雑誌で「スローフード」が花盛り。では、スローフードってなんでしょう??写真は私の作ったスローフードたち。クリックすると作り方がわかりますよ。スローフード運動はイタリアはピエモンテ州の小さな町ブラで始まりました。それは19年前。非営利のこの活動の柱は次のようなものです。******************1・消えつつある郷土料理や質の高い小生産の食品を守ること。2・質の高い素材を提供してくれる小生産者を守っていくこと。3・子供たちを含めた消費者全体に、味の教育を進めていくこと。 ******************これは、いうなれば食を通じた「ライフスタイル」の提案でありますが、現在の日本では一般的に大きな誤解があるようですね。食を中心に多様な生物体系を守ったり、安全で安心な地産の食料を生産しているシステムを保護し推進することで、私たちの健康維持の一助としたり、本当に美味しい自然なものの味を伝え教えていかなければ、食も文化も崩壊してしまいます。親から子へ食と食の安全を伝えることは「命の営み」なのです。この花は、私が撮影した「シベリアユキノシタ」この花は、雪に埋もれながらも成長し、美しく花を咲かせますがこの場所の養分しか吸収していません。生きている場所の、自然なものを安全に食べるための生き方は、それこそがスローフードであり、スローライフなのです。野に咲く花のように自然な営みなのです。遠くのものを食べること。それには輸送のコストと時間が必要です。それだけで地球に優しくはありません。その上で保存の方法が必要になります。薬剤や遺伝子組み換え、生産過程の不明瞭。判断材料が消滅していくではありませんか。手が届き、見渡せるものを口に出来る、そんな当たり前がいま、どんどん否定され遠くに押しやられています。たくさんの気持ちや心を将来の子供達に教えることが出来るように貴方も↓写真のようなスローライフの招待席に腰をおろしてみてはいかがでしょう。輸入オレンジの問題もそうです。米国国内で使用が禁止されている保存剤を使っている聞きました。冷蔵庫に何週間おいても腐らないものが。。。みあげ物屋に何週間も展示されている漬物が。。。乾いてしまっても腐敗しないカマボコが。。。安全なのでしょうか??日本のガン死亡率の上位を独占する県の特産品はことごとく「カマボコ」なのを知っていますか?訳のわからない添加物たち!厚生労働省では、基準値を設けていますが、その複合的作用については明らかにはしていません。コストパフォーマンスばかりの食生活を変えて、いま、たくさんの人たちが生活の中でスローフードを実践する時代になりました。地産、地消!生産者の顔が見える作物。大切であり安全な生活ですね。みんなで食を見直し、生産者にも心そそげる国にしていきましょうね。今日の札幌は星が美しく輝いた夜です。月が海原のようにざわめく野原を照らし秋に別れを告げています。「心月の夜」私の心の願いでお別れです。写真をクリックしてくださいね。月の旋律が聞こえます。ランキングに参加しました。クリックしてね(ベストテンはいりました!) ドン!って。
2006.11.08
コメント(12)

「おいっ!俺に3万円よこせ!」あれは1996年。このドキュメンタリーはこの「脅し」のようなセリフから始まる。歌を唄う私の横でベースギターを決めているのは、大先輩であり、団塊の世代であり博学と見識を持ち合わせた「N氏」である。身長は186センチ。大酒のみ!そして色白で優しく、学生運動にも汗を流した経験がある人だ。でも、何故か?一緒に街を歩いていて、パトカーが通ると、人知れず電柱の影に身を隠す「トラウマ」を持った不思議な紳士。「なんで3万円なの?ツケが溜まったの?」「いいから出せ!説明するから!」それからのN氏の説明は次のようなものだった。****************************君はまだ若いから気がつかないかもしれない。しかし、団塊の世代の悩みと苦悩は始まっている。それは親の介護の問題だ!社会を見てみろよ。寿命は延び、80歳だよな。その子供はな、もう50代だ!その子供達は、そのまた子供の教育費に追われながら、しかも社会的な責任を果たしながら、その上に介護の重圧に耐えなければいけない。これは拷問にも近いものがある!多聞よ!いいか!大家族の時代は終わっている。核家族の時代だ。人が将来的に幸福になるためには介護を社会化しなければならないと思わないか?子供がいない「二階建て介護。」老人が老人を介護する「老々介護」この苦しみを見逃す社会は先進国にはなれないぞ!****************************N氏がまじめに語るのでびっくりした私は。お金を即座に払ってから聞いた。何に使うの?って。かれは答えた。****************************ジャーナリストが一人で立ち上がったんだ!「日本を変えないといけない!」って。だから手伝おうと思ったのさ。僕たちはなにもできないかも知れないけれど、お金は出せる。3万円を出す人が1万人いれば3億円になる!3億円あればなんとかなるべ!****************************面白い!!!私は答えた!今思うといいことをしたんです。その寄付した団体は介護の社会化を進める1万人市民委員会っていいます。日本の介護を社会が引き受ける法律「介護保険法」の基礎を作った団体です。聞いて見なけりゃ分からない!私は、それからたくさんの学習会に参加するようになりました。特に介護の仕組みを考案する「樋口恵子」先生の講演に感銘した。当事者がどれほど苦しんでいるか。介護される方々のヒューマニズムが捨てられているか。縛られているご老人。薬漬けの苦しみ。人が人らしく生きて人生の晩年を迎えさせてあげたい!そして、私達の願いがかない「介護保険法」は2001年に施行されました。この機能は諸外国のシステムの良い所を出来るだけ反映させようとしたもの。世界的にも優れた制度になるはずです。しかし、内容はまだまだなのかもしれません。始めることが大切!内容はこれから皆さんでもっとよくしていこうね。****************************大型公共投資から分散型の内需社会へ!未来を拓く投資へ!これは、日本の将来にとってとても大切なことです。日本が本当の先進国となるための踏み絵でもありました。僕は、この夢に生きた。そして、何度も何度も勉強する中で素晴らしい仲間達に出会った。残念なことはいつも私が一番の年下だったこと。でも、今は違います。道をつけるとその先の荒野が見えるもの。たくさんの人々、若者達が立ち上がろうとしています。小さな町や村では「介護産業」がそのふるさとを支えるようになりました。そして介護や福祉に目を向け、将来の目標にする人々が増えています。私達の行動。そして、私の3万円は無駄にはなりませんでした。言葉ではなく、心でもなく。社会は行動により変革します。目標と思い入れ豊かな「行動」こそが、私達と私達の地域社会を潤してくれるのです。私の世界一好きな街「さっぽろ」優しい月が光っています。今は気がつかなくてもいい。でもね、人はいつの日にか、一人ではないことを知ります。みなさん。いつも読んでくれてありがとう。月に抱かれてお休みなさい。BGMつき「月光」で楽しんでね。ばいばい。月 光 月が光とあつまって走る私を追ってくるつまずいても息が切れてもついてくるよ私はそれを知りたくて月にむかい走ってみた手を伸ばして掴もうとして届きはしないいつか別れた優しい心遠い想い出に浮かぶ光いまでも私を見つめる忘れ得ない貴方だった詩作・画/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.08
コメント(8)

ちょっと、隣街の小樽まで買い物に出かけてきた。男性として雑貨や洋服などの買い物は嫌いな私でも、食べ物の材料を買いだしに行くのは大好き!中でも昔風の対面販売のお店が好き。ここ小樽の市場はそんな対面販売が主流!遠くから新鮮な食材を求めて、たくさんの買い物客が訪れる「食」の街でもあるんです。にぎわう店内、ふと八百屋の前を通ったとき素晴らしい香りが私の足を止めた!「舞茸(マイタケ」の香りだ。【ウンチクタイム】舞茸を「人が舞っている姿」とか、書いている人もいますがこれは嘘です。実際に山を歩いて見つけた人なら絶対に分かること。それは、こんなに貴重なもの(現在札幌市場では500グラム5000円はします)を見つけた喜びでオリジナルのダンスを自然に踊ってしまうから。舞茸はそれほど貴重で美味しいものです。天然物は貴重品で、買って食べることは難しいのです。この天然ものを「てんぷら」で、しかも「岩塩」でいただくと!腰の力が抜けて、這い回るほどの旨さだよ。この芳香に誘われて鼻をクンクンしていると、店のオバチャマが声をかけてきた。「いい香りでしょ!バター炒めしたら美味しいよ!」このオバチャン。とても明るく元気がいい!好感を持った私は少しだけ絡んでみることにした。「おばちゃん!この舞茸はうまそうだけど、半分しか食べられないぞ!」「ええ?どうしてだい??」そこで私は舞茸を取り上げて、手包丁を切るように一言。だって。。。前タケ。。。ちょっとあんたぁ!大変だ!「前タケ」だってぇ!ぎゃはははは!!今度は奥からご主人まで現われて大笑いをするではないか。カワセミのような爆笑!おばちゃん!声がでかい!恥ずかしい。。。あまりの羞恥心に駆られた私は、今度は隣にあった「椎茸」を持ち上げてお願いした。おばちゃん。声が大きすぎて恥ずかしいよ。そんなに僕を「しいたけ」ないでぇ。わぁっひゃひゃひゃひゃ!!もう、身をよじり、私の罠にハマリまくっているおばちゃん。ずっと笑っている。そこで私は留めを一撃!おばちゃん!そんなに笑われると照れるなぁ。ボリボリ(頭をかきながら)※ボリボリ-ナラタケの北海道方言ヒックヒック。。。今度は泣き出した。そして、涙を拭きながらおばちゃん曰く。「お兄さん。あんたグラサン外して顔見せてよ。」私は即座に斜に構え、サングラスを外しながらおばちゃんへ熱いウインク!おばちゃんは涙を拭きながら買ってもいない野菜たちを袋にたくさん詰めてくれた。「まいったわぁ。今度、新ネタが出来たらまた来てね!これもってきな!」※すでにこのとき、、、人だかりができていた。「ありがとう!おばちゃん!またくるね。」その約束を守らないと、僕自身、シメジがつきません!ぐわぁぎゃはははははっ!最後におばちゃんをのたうち回らせて、大成功!!ぐふふとほくそえみながらお店を離れた、とってもずるがしこい多聞の買い物でした。この物語は、事実を詳細に語ったドキュメンタリーです。----------------うーん。ちょっとおばちゃんを苦しめすぎたかな?笑っていただけました?私の買い物。ささいなことであっても「楽しく」生きていたいですね。今日はここまで。私の作品「夢想花」でお別れ。素敵なギターの音色でお楽しみくださいね。夢 想 花 愛しているの言葉ならもう何度でも聞いている行き違いの出来事なら心を濡らし忘れているさやか雲は知っている私はここに生きている愛しているの言葉だけいつもいつも聞いていよう貴方の涙が枯れ果てていつか立ちあがるまで遠い運命は知っている私は貴方と生きていこう渡る風に季節を感じて想いを結ぶ花でいよう 詩作/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.07
コメント(24)

人生とは「無常」といわれます。「常(つね)ならず」ということ。返せば「激動である」ということなのかな。一喜一憂する人間の業(ごう)がもたらす人生。それは「泡沫(うたかた)」生まれては散ってしまうしまう[泡」に似て一瞬の出来事。でも、僕は思うんだ。その一度しかない、そんな一瞬に「どんなに心を砕けるか」。そして、その一瞬の一生の中で、どんなに人ヲ愛することができて、そして、忘れることがないか。僕はそう思うんだ。人生にはほんとうは無駄がないんです。それを知り、実戦できることは、自分を知らずに大切にしていること。「行動とは知識にあらず、知恵」なのです。泡沫の人生は儚く、そして悲しいけれど、その人生を謳歌しようとする、「積み重ね」を知る人は、死も困難をも恐れない理性がついてきます。本当だよ。本当なのです。僕はね、嫌われたって、命を失うことがあったって、自分が信じた「愛」に生きてみたいです。その勇気を持っています。これがね、悲しく、辛い「愛」であっても。いつも愛した人を慕い、そして笑顔に戻ることを信じていたいです。それは、まぎれもなく、自分をそのように「生きさせる」方程式だと思うから。失恋も、別れも、喧嘩もにも、そんな方程式が生きていてさ、心をもった貴方を成長させてくれる「泡沫」なのです。たったひとつの泡に翻弄されることなく「泡沫の人生を」今だから謳歌してくださいね。今日は私の「泡沫(うたかた)の舞」でお別れ。心の形を自分で作れる人はね、人の記憶の形までもね、憶える力を内在しています。泣いてくださいね。それでも「愛」なのです。今日だけは、是非に!読んでくださいね。bgmつきピアノアンサンブルでね。←クリック泡沫(うたかた)の舞 暗く沈む雪の防波堤耳に刺さる風は鳴る塩辛き飛沫をおくる泡沫は舞い踊る光りに踊る走馬灯に似て幾度も寄せては離れるよシベリアへ向かう船霧笛を残すまま遠く輪郭の思い出となる暗く沈む吐息を吐いて悲しき自由をもてあそぶ心は海へ落ちていくようたかたの恋は消ゆ儚き人の世に輝いて流れいった願い星よ僕はどうして生きていこう貴方を想うまま焦がれ貴方の形をしまっておこう 詩作/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.06
コメント(10)

晩秋の夜。いかがお過ごしですか?いい夜ですか?折角だものきままな夜を楽しんでくださいね。絵は私が描いたもの。鉛筆のデッサンが大好きで、気が乗るとたまに描きます。そしてそれに詩をつける創作とかも好きなんですね。下手なんですが・・・インターネットと絵は同じではないかな?やらないから出来ない。やれば少しづつできるものですよ。私もそうでした。長髪のみすぼらしい青年は夜汽車に乗って旅立ちました。置き去りにする人と心がすれ違ったままに。。。「僕が僕であったのは」写真をクリックしてくださいね。次の私の鉛筆作品は、初めて女性を描いて見ました。こんな女性に口づけされる男性はいいですね。私のキスって?たくさん考えて描きました。写真をクリックすると音楽も流れます。つぎは、とっても辛かった失恋。その自分の顔を想像してね、描いたもの。純真で壊れそうだった。そんな思い出。描けるようになったから精神的にも大人になっていたのかな。おなじく!画像をクリックしてくださいね。旋律も聴けますよ。そして、自分のことばかりだった私は、他の人へも想像力を使うことが出来るように?なったのかな?女性の失恋。辛く悲しくとも、そこから起き上がる本当の強さを見たんです。それで描いたのが「夕涼み」でした。この絵は時間をかけました。同じく!画像をクリックして音楽も楽しんでくださいね。月が優しく微笑みます。僕は絵はうまくはないけど、かきたい時にかいて自分で建物を建てたように自己満足しています。今日も読んでくれてありがとう。気に入った絵があればいいけど。。。感想がいただければまたかきますね。------------今日は、私にはなにもない夜。ちょっとしたことも、わだかまりもない夜。ただ、静かな夜です。幸福でいて、そんな夜は何故か寂しくもあります。遊びにきてくださいね。いつもありがとうございます。今日は私の大好きな作品でお別れしますね。「たったのひとつ」←クリックきっと、大きな北海道の平野が観えてきます。た っ た の ひ と つ ただ寂しさに微笑む人よ傾げた首を戻してごらん顔を上げれば世界が見える刹那に君を迎えてくれるよ願いは夢に祈りは時に心の色を変えてくれるあの星も海もこの大地も両手広げて待っているよそれを信じるだけでいいその寂しさに微笑む人よ本当の笑顔が輝く場所へ両手広げて君をいだいて繋がる空へ連れてゆくよこの世界に微笑んだなら君も僕もたったのひとつ詩作/松尾多聞 ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.06
コメント(8)

私のふるさと。そう、ここは石狩の海。石狩に捧げた詩作↑クリック「おかえりなさい。」いつも私を見守り、迎えてくれる石狩灯台があります。もの悲しく、美しく懐かしい場所。ここは現在、原生植物保護区となっていまして、とても美しい丘が広がっています。是非!一度!おとずれてくださいね。写真をクリックすると、私のふるさと「石狩の海」へ捧げた作品を閲覧できます。貴方も広大な砂丘に登ってくださいね。そして、石狩の海といえば、「北海道の花」にも指定されている「ハマナス(浜茄子)」が有名です。ハマナスの詩「ルーラン海岸」↑クリック淡い花びら、美しき薄紅。ハマナスはバラ科バラ属の植物。花は芳香があり香水に、果実はジャムなどになりますね。花言葉は「美しき悲しみ」まさに北海道の日本海にはうってつけの花でもありますね。なんて詩心を掻きたてる花なのでしょうか。写真をクリックすると私が「ハマナス」にささげた作品を閲覧できます。北海道の源義経伝説と共にごらんください。「静よ静。会いたくて会いたくて。」静御前の物語。きっと静御前は素敵な女性であり、男を信頼してくれる人。そんな伝説がいいですね。そして私はハマナスになりたいのです。実をたくわえたハマナスの写真をご覧ください。茎に無数のやわらかい「トゲ」を確認できます。この「トゲ」こそがハマナスの心。美しき悲しみなのです。ハマナスはこの「トゲ」によって、他の個体と手を結び絡め合い、その群生を海の強風から守ります。そして、そこに生きる植物達、全てもハマナスに守られるんだ。ハマナスは「繋がり」という愛で自分達を包みこんでいたんですね。そして、その繋がる群生はそこに流れる砂までもくい止める堤防となります。そしてやがてはそこに砂丘を形成するのです。砂丘は伸び、海までも埋めていきます。そうです、ハマナスは自分達の子孫のため、その土地までも用意し、砂に埋もれていくのです。「美しき悲しみ」そこには繋がりと恋愛と慈悲の心が生きています。私はハマナスのように生きてゆきたいと思うのです。さて!今年の週末は何度も友人とトレーラーパーティーを開きました。調理大好きな私。火加減を見ながら「超簡単!詩人の即行チャーシュー」を作っています。これが柔らかく、美味しいと評判!とっても感動されましたよ。勢いにのって、「豪快!そのまんまポテトフライ」も着手!フライパンに盛り付けたオードブルの完成です!おお!評判がいいぞぉ!よーーーし!今度は「簡単10分♪いもピザ野郎」や「驚異!6分!簡単冷製パスタ!」や「簡単パスタ!キノコの森10分♪」パスタも!簡単に!美味しく!体にも優しく!私の料理はとっても好評なんですよ。そしてワインに合うのです。是非一度!ご馳走させてくださいませ。北海の自然をスクリーンに楽しんでいただけますよ。♪では、今日はここまで。ばいばい。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.05
コメント(6)

女性は生きることが大切です。自分の生きる場所を探して安定すること。それは、母性により造られた真実。子供を育てるからですね。女性は偉大なのです。男性は一生探して歩きます。自分がリーダーとなれる場所を。男は昆虫の世界では必要のない道具。犬も一生をかけてテレトリーのリダーを目指しているようです。油断はだめよ。飼い主さん。男も同じかな?でも、男性に得意なこともあります。それは、命を張って新しい夢を構築すること。父性はとは、体を張ること。私はそのように信じてやみません。男と女。交わることは厳しいのです。そこには溝が生まれます。溝があるから、いいことなのに。それが歴史に彩られた子育て運命だとは、わかりません。それは溝ではなく、責任の分散なのです。僕は思う。男と女は同じでも、違う歴史に生きてきました。それは、私達が理性や経験で覆すことが出来ない部分があります。今日は私の難しい詩作でお別れします。「おぼろ月」です←クリックタム様の素晴らしい音楽でお楽しみください。お ぼ ろ 月 霧笛を残し消ゆる影さらばの防波に月ひとつ君の求むる遠き島波に流るる浅き夢共に紡ぎし想い出にたがうも吾は己が空星を頼みて照らしなん君が求むるしあわせにたがうも吾は己が道北斗を影に月ひとつ祈りを繋ぎし旅の世にたがうも吾は己が道たがうも吾は己が空涙をかえすおぼろ月詩作/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.04
コメント(8)

さぁ!今日は獲れたての新鮮な魚を手に入れる旅に一緒に出かけましょう!北海道で新鮮な魚を食べるためには、簡単な順に次の方法があります。1、もらう。2、めっちゃ安く買う。3、様々な方法で釣る!今日はこの全ての方法について、アウトドアラーの私が説明いたしましょう!私が手にしているのは、釣り上げた真ガレイ!魚は鮮度が命!こんな魚を食べたら、もう別物なんです。貴方は感涙してしまうことでしょう。今日の場所は、私の大好きな積丹半島。風光明媚!その景色を見るだけでも最高の観光になります。写真は神威岬の近く「タコ岩」前置きはここまでにして、1、もらう。2、めっちゃ安く買う。についてご説明しましょうね。積丹周辺の漁港には年中、お魚を満載した漁船が行き来します。そして、荷おろしをしている漁師さんとこ行って笑顔でいいましょう!「いんやぁー活がいいねぇー。これ食ったらたまんないべなぁ!!」って、勇気を出して言ってみましょう!「ほら、もってけ!」だいたいいただけます。本当に何度もいただきました。!めっちゃ安く買うのはっと。大きな漁港には「セリ場所」があって、日に二度くらいセリが行われています。私達が買うことは絶対にできない!しかればぁ!人の良さそうなセリ人のおじさんに温かい缶コーヒーを差し出しながら・・・「あの鰊(ニシン)いいなぁ。買って来てくれないべか?」「いいぞ、いくらで買う?」「ニシンが20本はいっているから2000円でいいべか?」「よっしゃ、落としてきてやる!」ゲットですがな。本当に浜値段とはこのこと。素晴らしい買い物ができますが、ここもやっぱり勇気が必要ですね。さぁ、次は3の様々な方法で釣る!です。釣って見ましょうかぁ!!やはり、一番釣れるのは「船」ですね。積丹は魚種が豊富!魚群も厚く(熱く)最高の釣りが楽しめます。写真は友達のMさん。友人達の船に同乗させていただきました。この日!彼女はメーター級の「真ダラ」を8本水揚げして大喜び!泣いていました。海はいいよねぇ。。って。磯釣りでも積丹はケタが違います!ここはタコ岩近くの岩場。なにやらたくさんの人が忙しそうです。そう、海にオキアミを撒いてホッケの大群を呼び寄せたところです。あとは浮きを浮かべて釣堀状態!ホッケが休むことなく掛かってきます。群れが寄れば、数時間で200匹くらい釣れますよ。私も少しだけ参加してみました。今日の煮つけの分だけ海から拝借。目が蒼く光る最高のホッケ!煮つけが最高!後は開いて、塩を振ってそこらに小一時間放置しておけば、「ホッケの開き!海干し」が完成します。うまいぞぉ!ファミリーで楽しむのならここ!積丹は「古平漁港」ですね。安心安全。そして防波堤の先端まで車で行けます。カレイが良く釣れるのです。また、この漁港にはさっきの「セリ場所」もあるのがたまらない!車で休みながら竿を見ていればすぐに釣れるのが面白い場所ですね。私も少しだけ参加してみました。今日の唐揚げの分だけ海から拝借。はい!釣れました。とっても身が厚い「マガレイ」です!これは北海道でも、最近は高級魚の仲間入り!干してよし!揚げてよし!刺身で、煮つけで更によし!うまいぞーー!積丹半島の夕日が浮びます。左手には神威岬が見えます。この夕日に送られて私達は4000円の民宿で反省会を披きます。本当に楽しい一日。仲間達と自分で釣ってきた魚を料理して!ああ、うまい!お酒の進むこと。夕日のスクリーンに目を細めながらの宴会が始まります。私も気合を入れて飲んでいます。そして、腹がねじれるほど笑っての反省会。海を愛する仲間達!いいやつばかりです。--------------いかがでした?「北海道!爆釣の旅。【積丹編】」また、素晴らしいアウトドアの旅をアップしますね。楽しみにしてください。出会いと別れ。私達を取り巻く運命には、きっと、たくさんの意味が包含されているのでしょう。今日の札幌は気持ちのいい陽気でしたよ。私の「回帰線」でお別れします。BGMつきで読むと、儚い恋も遠くから歩み寄ってきます。回 帰 線 高い煙突をかすめるように燕たちが南の空へ帰ってゆく来年またくるときもきっと今年のままに翼に希望を抱いておいでいつかあなたが指差した空あれからいつも見上げている人は悲しいないつも別れが訪れて涙にくれてしまう霧雨にけむる道シアワセを探してる今度うまれてくるときもきっとあなたとすれちがう僕はあなたと出会うだろうかなわぬ想いが巡っても信じて生きていけるんだ今度うまれてくるときはきっとあなたとすれちがうそしてあなたを抱きしめる詩作/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.04
コメント(6)

私が高校生の頃、札幌から京都に修学旅行というのがまさに定番でした。 もちろん、私も行きました。開拓の地、北海道の学生が初めて見る京都は、感動と、驚きの連続でした。狭く行き止まりの路地、言葉の微妙な異なり、悠久の歴史に支えられた古都のたたずまい・・・静かな気持ちになっていたことを思い出します。中でも、禅寺で見学した、岩と白い小石だけで作られ石庭(いしにわ)には心を奪われてしまい、いつまでもそこにいたいような不思議な気持ちと、それほど広くはない中庭にもかかわらず宇宙にも広がっていくような広大さを感じたものです。 そこには静かに広がる空間がありました。人の心とは不思議なもので、感性によって広がりを持つことの出来る素晴らしいものです。また、茶道や書道を極めた達人の所作には隙がなく、そこには独自の「静」の空間が生まれてくると聞きました。私は、そこにも心の作用を感じるのです。 私の父は教員でした。私がまだ小さい時に転勤を命ぜられて、冬には除雪も入る事のない田舎に引っ越しました。入学した小学校は全校生徒16人、一年生は私と文子ちゃんの二人だけでした。今は、スクールバス等の登校手段もありますが、なにせ冬には深い雪で道路というものがありません。私達は吹雪の中、毛布を被ってスクール馬橇(ばそり)で登校したのです。 村を挙げて取り組む行事は山ほどありました。私達子供も作業にあたりました。春の田植えから始まって屋根葺き、家畜の世話、山菜獲り、ヘビ退治に便所汲み、霜が降りると警鐘が響き、夜中に飛び起きて皆で古タイヤを燃やして稲を恐ろしい霜から守りました。新聞も郵便で届きました。スキーを履いたおじさんが時々届けてくれるのですが、石狩平野に吹雪が訪れると一寸先も見えなくなり、おじさんは2~3日家に泊って酒を飲んで寝ていました。 貧しく、苦労の多い村でしたが、運動会やもちつきがあると、全員が集まって大騒ぎで楽しみました。少なくとも、歴史の中で自然に形成されたであろう私達の生活共同体は心が繋がっていました。うち合わせがなくともテレトリーの中で役割が決まり、無意識に、そして忠実に行動をしていたのです。そこには集団が経験により作り上げた空間があったのです。 時は移り、現代はマス(塊)からパーソナル(個々)の時代に変わってきました。お父さんには多忙な仕事や、人間関係の空間があります。お母さんにも、ご近所付き合いや親類、育児、仕事、、、たくさんの詰まった空間があることでしょう。そして子供たちには学校や友達、熟、、、彼らにも独立した空間が存在しています。社会の一番小さな塊は家族そのものです。いま、その家族がおのおの持つ空間の交わりが希薄になってきています。 久しぶりに近所の居酒屋にいってビックリしました。子供たちがたくさんいるのです。 お父さんが、お母さんに買い物に付き合うと、「家でユックリさせてくれよ・・」、お母さんが子供を連れて映画を見ると「どうして私がドラエモンを見ているの?」昔は楽しみだったことが、社会の速度が変化して生活基盤と心の変化から「がまん」が先行するようになったのです。居酒屋は誰も我慢しません。カリカリチーズやグラタン、ポテトフライ、子供達も大満足です。スーパー銭湯といわれる温泉を中心とした複合施設もしかり、誰も我慢せず家族が体験を共有できる妥協点なのかもしれません。 家族が心の空間を共有するには、どのようにしたらいいでしょうか。もう私達が昔の生活の中で共有した体験を実現できないとすれば、心の繋がりをどのように構築できることでしょう。居酒屋や銭湯は楽しいのですが感動を運ぶほどの物ではありません。 どうでしょう?子供たちに未来の投資として自分の好きなことを教えてみては。競馬やパチンコでは困りますが、貴方が昔に体験して感動したことは山ほどあるはずです。心の空間と空間の交わりは共感を生み出し、その上で交わされるコミュニケーションは感動として伝わることでしょう。感動は形となり、小さくとも文化として残ることでしょう。心の空間は、そこから限りなく広がっていくはずです。 古の文化が育んだ京都の町は、今でもたくさんのことを私に教えてくれます。 東洋の思想では「空」はなにも無い状態ではなく、因果によって起こる相(状態)であると説きます。インドで紀元前5~6世紀に発見され、アラビア人によってヨーロッパに伝わった「0」の概念も数字の「空位」だけにとどまらず、「1」の縁によって「10」に変化することが素晴らしい発見です。哲学でもカントは空間を「主観的存在」と訴え、物理学ではアインシュタインが相対性理論の中で、空間は時間も含めたかかわりと広がりを説明します。私はそこに、心がかかわって社会を歴史を左右しているように思います。 みなさん、家族と地域に素敵な心の空間を重ねてはいかがでしょう。冬の木立を抜けて 静かなときの中にだけ見つけることができる遥か未来のわたしの姿明日を待っている人は顔を上げ歩けはしない遠くを見つめていようあの森の木立を駈けて時間を切り裂いてゆくいつか恋人と夢をみた熱き空間を取りかえすあの少年が望んでいたそのままであるようにいつか再びたどりつく人の心に愛をつたえる詩作/松尾多聞">ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.04
コメント(4)

みなさん!なかなか口には出来ないけど、言ってしまった失敗はありませんか?「言いたい。でも、、」ってありますね。私はそれを言ってしまったぁ。今日はその地獄のような体験を。。。それは、私の悲しい物語なのです。*******************鼻筋が通り、色白の美男子がいました。いわゆるイケメンですわ。彼は近所の床屋さんの見習い。年の頃なら十代の終わりくらいで、遠くの町から修行に来ている青年。まじめで、純朴で、とても好感がもてる人でした。私はそのお店のお客さん。出会ったころの彼は店の掃除や雑用をこなしていましたが、半年もするとお客様の洗髪を担当するようになり、私の髪の毛も洗ってくれるようになりました。数ヶ月に一度の散髪ですが、やがて話もはずむようになりました。「お客様ぁ。痒いところはありませんかぁ?」(ウーン。さわやかである。)「いや、無いよ。」そんな会話もしていましたが、私はだんだんとこんな考えが湧いてきました。「せっかく彼が聞いているのに、痒いところを指定してあげないのは、彼の勉強にもならないし、第一に、彼の誠意に失礼ではないだろうか?」「ヨーシ!今度は絶対に応えてあげようではないか!」私は決心しました。そして二ヶ月・・・また、その床屋へやってきました。そして、ついにそのときが!彼の洗髪です。もう、決心の私はドキドキするやらワクワクするやら。「お客様。痒いところはありませんか?」(きたきた。あれ??ちょっとまてよ!!どこも痒くない!)「どこも痒くないのに指定するのも失礼!よし!ここは、ギャグで応えてあげよう。」私は刹那の時間で走馬灯のように様々なことを考えて、結果的にはギャグで彼との親交を深めるという結論をだしました。「お客様。痒いところはありませんか?」厳かな緊張の中。まじめに紳士的に仕事をしている彼に、私は答えました。「そうだなぁ。あっあっ足の裏!」「でへへ・・・」(しかも!私も緊張のあまり、思いっきり噛んでいました)「えっ?あぁ、、すいません、、、」(彼が恐縮してしまったぁ!ああ、こんなはづでは?)一瞬、お店の従業員や混雑していたお客様が氷つき、2秒でもとに戻って、自分の立場に帰って行くのがわかりました。それからの店内はまるで、誰もいない音楽室のような静寂が包みこみました。。。(うぉーーー!助けて!!いたたまれない!!私はなんてことしてしまったのだ!針の筵とはこのことか!)「えっと、、、今日はセットしなくていいですから」急ぎました。早く逃げ出すために顔剃りも辞退し私は逃げ帰ってきました。きっと、そこにいたお店の方やお客さんたちは、私がドアを開けて出た瞬間に、複雑なため息を漏らしていたことでしょう。帰り道の私のまぶたには、薄っすら涙が浮かんでいたことを付け加えておきます。。。ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.03
コメント(10)

(鹿追 然別公設野営場でのキャンプ)人間が生きてゆくには、たくさんの資源を使います。資源とは「自然界から得る原材料」のこと。鉄を作るには鉄鉱石という資源を熱を出す資源で溶解して形にします。さて、私たちの生活が豊かになった背景には、電力が欠かせないものです。その電力は、おもに火力発電で生産されてきました。では、火力発電では、何を燃やして電気に変えてきたのでしょうか。それは、石炭と石油が殆どですね。では、石炭は何からできたか?ジュラ紀(2億1000万年から1億4000万年ぐらい前)に栄えたシダ系の大木が化石となったもの。それでは石油は?ジュラ紀から白亜紀(1億4000万年からおおよそ6500万年ぐらい前)までに栄えた恐竜の油脂が体積したもの。産業に一番重要な「鉄」は?そう、何十億年もの間、堆積したプランクトンの化石が鉄鉱石になりました。これが鉄の原料です。人々はいま、地球の悠久なる歴史に育まれた資源を一瞬で使い果たそうとしています。地球の歴史から鑑みると、ほんの一瞬に。地球環境がガタガタになるに決まっていますね。人は楽を優先して、将来を食いつぶしているのです。楽な間は、楽にお金があつまり、苦労するエネルギーを排除していましたが、そうも行かなくなり、たくさんのエネルギーがやっと考えられるようになりました。風力であり、地熱であり、燃料電池であり、潮の満ち引きなどもそうですが、あまりにもリスクが高い原子力は、やめてほしいと感じています。エネルギーの多様化については、いつか書かせてくださいね。さて、家庭にも資源はあるんですよ。家族の資源とは、私が考えるには、「家庭にある、幸福になる原料。」かな?家庭は労働力の再生産のためだけにあるものではなく、子育てのためだけでもなく、「幸福を製造する工場」なのだと考えてみてください。貴方はそこを統括する責任者になってみましょう。まずは、貴方は資源を揃えなくてはいけません。それは、お金(給料)だったり、時間だったり、コミュニケーションとか、出かける手段の車。それに、人脈だったり、身近な自然だったり、暮らす家だったり、家庭にある道具だったりします。幸福を製造する工場が「テレビを見る」という資源に偏ったり、「お父さんがお酒を飲む」という作業に偏ったりすると、「時間」という、一番大切な資源を失うことにもなりかねません。偏った資源の使い方が、地球を破壊したように、家族や家庭だって破壊する恐れが出てきます。子供だって知識や志や、興味という素晴らしい資源を持っています。そして何よりも向上心というダイヤの原石を内包していますね。では、このたくさんの資源をどのように使いますか?工場長!?それぞれの資源をコーディネートするには、全員が持っている資源をうまく融合して、素晴らしい幸福や体験を共有する「行動」が目標とはならないでしょうか。工業生産を始めましょう!そのラインの名前は「行動」です。幸福が出来上がるラインなのです。責任者を含めて、みなの資源を持ち寄って出来上がった生産ラインには、家族が顔をそろえています。たくさんたくさん話し合って、生産性豊かで、低コストの製品が生まれてくるとは想いませんか?折角ある資源を無駄にしてはならない!そのためには、外にも出かけてみましょう。みんながそろった「行動」こそ生産性豊かなものです。そしてわたしは、そんな考えからアウトドアをみなさんにお勧めしています。低コストで、高品質の「幸福」が生産できるからです。そして何よりも使っていなかった自然という素晴らしい資源を活用できるからです。札幌の朝は霜が降りるようになりました。札幌の平野部でも「初雪」が観測されるのはもうじきですね。私は、寒い書斎の「包雪庵」で凍えています。さて今日は私の詩の朗読でお別れします。下の写真をクリックすると朗読スタート。「初雪の恋」をお楽しみください。↓クリックmp3で構成されています。音量には十分注意してください。初 雪 の 恋 いつか溶ける雪降り出した初雪紅い頬を弾ませたあの人のまたたきこの庭に苺ジャムを撒いて二人でずっと食べていたい冷える身体は温めあって甘く紅い想い出になるから何度も溶けては流れそんなはずなのに私の肩にまたたいて雪は今年も降り出した詩作・朗読/松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.03
コメント(4)

数あるスポーツの中で、最も過酷で苦しいものの一つに数えられる競技が、ノルディックスキー「距離競技50キロ走」だと確信しているわたしです。何故ならわたしも、学生時代は、この競技の選手だったのです。細長く頼りないスキーと、かかとの上がる靴を履いて、山間を登り谷を下り平均時速は30キロを優に超えて雪上の50キロメートルを駆け抜けます。極限の競技!選手達は自分への挑戦のため。会社の繁栄のため。母校の名誉のため。家族の生活のため。様々な立場で、責任と、思いを背負って遥かな道のりへと命がけで旅立ちます。私は、ジャンプもする複合の選手でしたが、代わる者のいない点取り合戦。私はこの競技に参加する事になりました。そして全日本選手権、わたしは45キロを過ぎたあたりから、徐々に体に力が入らなくなりました。バンフライ(追い抜きの合図)・・屈辱の追い抜きに遭遇してしまい。自分の入賞が消えたことを知らされるのです。幻と現実の判別が出来ない状態ながらゴールしていました。最後の3キロは記憶にないのです。悔しかった!責任を果たせない自分が本当に悔しかった。そして自分を責めました。宿泊所となっていたホテルに帰った時は、今までお世話になったメーカーの人達、先輩、、、、顔を見ることなどできません。熱くこみ上げてきて疲れた体を引きずりながら、トイに走り込みました。一つ空いていたドアーに逃げ込み、涙して、嗚咽こらえている、その時でした。静寂の中で押し殺したような嗚咽が幾つも聞こえてきました。膝を叩く音、頭を掻き毟る音。泣けずにうめく声。同じ気持ちの顔の見えない仲間がいたのです。「この1年、みんなも今日の為にがんばっていたんだ・・・」もう、滝のような涙を自分の意思では止めることなど出来ませんでした。それから何年経たったことでしょう。いま、私は思うのです。勝負とは数少ない勝者と大多数の敗者を生み出すことでロマンを演出します。しかし、そのプロセスは可能性を一にした挑戦者のものだと感じています。わたしは今になって思います。言い訳では決してありません。人生を大樹に例えることが出来るのならば、暗いトイレで「男泣き」した時間は、大樹の一葉にすぎません。葉を知らぬ者は大樹を語る資格がないからです。大樹は未だ成長を続けて枝葉を伸ばしていることでしょう。何故なら、その時の一葉が本当の涙を吸収して幹に養分として送っていたからです。勝った負けたと大切な自分に「組」を作る若者達。君達は、人生の誠をしりません。顔も知らない壁に隔てられた同志に今でも乾杯を贈っている多聞です。 仲間と飲んで、眩しい太陽のもと。ヘロヘロの多聞です。これから漁師さんにお酒を誘いにいくところ。人生なんてそんなに悪いものじゃないんです。一回ね、後悔して、泣いて、そして、自分にねもう一度戻ったら髪の毛を梳(と)かすようなものだと、感じることが出来る未来がね、必ず訪れます。もっと、心に勇気と希望を持ってくださいね。命までも取られませんよ。大丈夫なんですよ!今日は私のそんな作品「夕涼み」でお別れです。画像をクリックしてくださいね。月があなたに笑いかけてくれますよ。作画・詩作/松尾多聞「 夕 涼 み 」別れるのが辛いなら出逢いさえ悲しいよ月の縁側ぼんやりと濡れた髪を梳かせた生きたことを照らしては生きることもかんがえる別れがせまりからんでも今宵の月はいとゆかしつげの櫛はしなやかに梳かしながした夕涼み (みなさんの感想を待っています。多聞)ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.02
コメント(14)

昨日は、「走る」、「採る、釣る」、「集まる」、「温泉」のコンテンツで「写真で巡る北海道の旅(アウトドアスペシャル!)その1」 を書きましたよ。いかがでしたか?え?まだたりない?今日はその続き!いっちゃいますね!私の「抱雪庵」に今日もあなたをご招待しますよ。北海道!楽しんでくださいね!【食べる!】北海道は食材の宝庫。安い!でかい!うまい!そして新鮮!みてくださいね。まいった。容量がたりなくなりました。続きはまだまだありますよ!また明日!北海道に連れて行ってあげますね!今日の札幌はシベリア寒気団が入り込み寒い一日になりました。内陸部では雪が観測されていますよ。初雪ですね。とってもしばれる夜。雪が降ると窓が明るくなることがあります。とっても大切な時が訪れるのです。今日は「流星旅行」でお別れです。BGMのピアノがあなたを大切な人の元へ連れて行ってくれます。じゃね。ばいばい流 星 旅 行 窓に薄明かりが滲む夜にはかけがえのない時が訪れるこの凍てつく空に船を出し過ぎ去った人達を探しゆく雪よ貴方に心があるならば星の光りで照らし出してよ星よ貴方が命を司るならば遠き別離を返してください灯りが 消えてしまう前に窓に薄明かりが見えた夜は流星の船は高く舞い上がる見つけた人達をつれづれにただ逢わんが為に旅をする 詩作・松尾多聞ランキングに参加しました。クリックしてね ドン!って。
2006.11.01
コメント(16)
全34件 (34件中 1-34件目)
1