老師の言葉 0
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かっぱのすりばち3菊池トヨさんの語りを聞いた片貝小学校の佐藤校長。すっかりその話に魅せられ、トヨさんの話を文章に起こして、それをもってトヨさんを訪ねた。トヨさんも、佐藤校長の訪問を大歓迎。おまけに、自分の話を文章にしてくれたものだから、大喜びだ。実は、自分はたくさんの話を知っている。今は元気だから、あちこちで話せるけど、自分が動けなくなったら、物語も消えてしまう。ぜひ、文章にして残しておきたかった。トヨさんは、そう言って、その仕事をやってくれないかと、佐藤校長に頼んだ。頼まれた嫌だと言えない佐藤校長。すぐに、トヨさんの話を録音して、それを文章にするという仕事に取り掛かる。しかし、方言とか、独特の言い回しとか、なかなか骨の折れる作業だった。それでも、律儀な性格の佐藤校長は、100話を文章にし、それを2冊の本にしたのだ。この本は、公民館や図書館を通して、地域の人や子どもたちに読まれた。自分たちのふるさとに、こうした民話があることに誇りを感じると、たくさんの人が喜んでくれた。あるとき、片貝川に遊歩道ができることになった。片貝川には、かっぱのすりばちという巨岩が鎮座していた。これをシンボルに、「かっぱのすりばち遊歩道」と名付けられた。この遊歩道ができるのを記念して、民話を作ってくれないかという依頼が、佐藤校長のもとにきた。佐藤校長は、民話作りなど素人だったが、2冊の本を作ったことで、専門家だと思われたのだ。頼まれたら嫌だと言えない佐藤校長。これを引き受け、3日で仕上げてしまった。それが、かっぱの母子の物語だったのだ。(前回の分と重複しましたが、ご容赦を)
2012年11月29日
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そもそも、「かっぱのすりばち」が生まれたきっかけは、平成16年、福島県の片貝小学校に地元の語り部・菊池トヨさんが招かれたことである。創立記念日の記念講演をしていただこうという趣旨だった。赴任したばかりの佐藤修校長は、トヨさんの語りに魅了される。講演を文章に起こして、トヨさんに届けた。トヨさんは、大喜びして、自分の語れる物語を文章にしたいのだと、佐藤校長に相談する。この校長先生、なかなかの方で、トヨさんの思いを実現させるべく、せっせとトヨさんの家へ通ったのだ。そして、100話を2冊の本にまとめて、地域の人々や公民館、子どもたちに配った。これが反響を呼び、すっかり、佐藤校長は、昔話を作る人だと思われてしまった。その佐藤校長に、お話を作ってほしいという話が舞い込んだ。「片貝川にかっぱのすり鉢遊歩道ができたときに、記念の創作民話を作ってほしい」と、頼まれたのだ。それを引き受けた佐藤校長は、3日で、話を作ってしまった。これほど早く進んでしまうというのは、何か、目に見えない力が働いのことだと、ぼくは、思う。そんなことで、「かっぱのすりばち」は世に出ることになった。
2012年11月25日
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【かっぱのすりばち】舞台は、福島県の片貝川。かっぱの母子が住んでいた。仲良し母子で、とてもしあわせな日々を送っていました。しかし、村人たちは、かっぱは悪さをするという偏見をもっており、なるべく人間には近寄らないようにしていました。ところが、子どもは子ども。偏見も垣根もありません。すぐに仲良くなって、かっぱの息子・カンキチは、村の子どもたちに泳ぎを教えてあげて、仲良く遊ぶようになりました。そんなある日、村の子どものひとりが川で溺れ死んでしまいます。村の大人たちは、かっぱの仕業に違いないと、山狩りを始めました。・・・・・ということで、悲劇が起こり、さらには、それは感動へと続いていくという物語です。「いのち」を大切にするって、どういうことだろうか?「ゆるす」ということの難しさと大切さ。「差別」は、悲劇を生み出すということ。いろんなことが、短い話の中に盛り込まれています。大人に読んでもらいたい、見てもらいたい。やられたら、やり返すというのは、本当に正しい選択なの?あいつが悪いと責めるだけでは、物事は解決しません。かっぱだからとか、鬼だからと、差別するのも、大人だけなんです。子どもは、外見が違っていても、すぐに仲良くなってしまう。この絵本が、ぼくにいろいろとささやくのです。「自分をうまく使って、世の中にメッセージを発信しておくれ」と。そのために、自分は生まれてきたのだと、絵本が言います。神様がいたとしたら、絵本は、さまざまな人の手によって、世に出て、さらにはアニメ映画にもなった。それを、広げる役割を、どうもぼくに託したようなことが、次々と起こってきています。絵本も、生き物だと思ってしまいます。どんなことが起こってきたか。それは、次回のお楽しみに。
2012年11月23日
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絵本とぼくのすてきな運命の物語(ほとんどがノンフィクション。少しだけ創作が入ることもあります)。はじまり、はじまり。「これはすごいですよ。こんな短い時間に、今の時代にとって大切なことがみんな詰まっている。ぼくは感動しましたね」 おもち屋の横井さんが、興奮してしゃべり続ける。おもち屋と言っても、そんじょそこらのもち屋じゃない。店頭には、臼と杵が置いてあって、朝の10時になると、ぺったんぺったんと、昔ながらのもちつきが始まる。横井さんのおもち屋へ行けば、つきたてのもちが食べられるのである。こんなおいしいおもちは、この店でしか食べることができないと、ぼくも思う。 横井さんは、日本で唯一とも言えるもちつきの職人。鍛えた体で、手際よく杵を操り、見事なもちをつきあげる。その横井さんが興奮しているのは、「かっぱのすりばち」という短編のアニメを見たから。「かっぱの母ちゃんは、息子を殺されたんだよ。殺した奴らを許すって、できると思いますか。あの母ちゃんは、それができちゃうんだよ。それも、自分の命まで差し出して、自分たちを苦しめた連中を助けるんだから」 集まった面々は、横井さんの演説にうなづきながら聞き入っている。 商店街で、このアニメの上映会をやった。 隣町にある小さなアニメ制作会社が作った作品だ。女社長の豊永さんは、地域の発展のために一生懸命に走り回っている熱血おばさん。その横には、いつもひょうひょうとした白ひげの本多さんがいる。ベテランアニメーターで、彼がかかわった作品を並べると、40代以上の人は、そのタイトルを聞くだけで懐かしくてたまらなくなる。試しにいくつかあげてみよう。「巨人の星」、わっ! 大リーグボール。見たぞ、見たぞ。「ガッチャマン」、それ行け行けガッチャマン。いつも通学のときには歌ってたぞ。「ど根性ガエル」、キョーコせんせー・・・。という具合だ。辻君という若者は、運転手兼雑用係。キャラクターのかぶりものをかぶったときには、子どもたちの人気者になる。キャラ丸にドク丸。西東京市に住んでいる人は見たり聞いたりしてことがあるはずだ。市民運動の集まりには、必ずと言っていいほど、この3人組の姿が見られるのだ。彼らは、「アニメで世の中を良くする」 そんな思いで、自主制作のアニメを、子どもたちに無料で上映してしている。昨今の不況は、アニメの業界も同じ。会社を運営していくだけでも大変なのに、ボランティアで活動している彼らの姿には、頭が下がる思いだ。この世の中というのは、矛盾だらけ。自分のことだけを考えて生きている人がいい思いをして、人のためにがんばっている人は冷や飯を食べさせられる。そんな構造じゃ、世の中が良くなるはずがない。豊永さんたちのような会社を応援して、いいアニメを世に出して、もっとみんなが幸せになれるよう、動かしていかないといけないのに。「かっぱのすりばち」には、原作本がある。それをたまたま読んだ豊永さんが、「これをアニメにしたい」と、またまた儲けを度外視したことを決断したのが、数年前のこと。本多さんも、気に入って、やろうやろうということになった。 豊永さんや本多さんをひきつけ、横井さんを興奮させた「かっぱのすりばち」。次回は、その内容を紹介しよう。
2012年11月20日
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