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2018年06月07日
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カテゴリ: 絵画・拓本・収集



これは↑ 2017年に訪問した西安碑林の入り口。



これまで私はその乏しい知識の中で、墓誌銘の中でも西安碑林という中国最大の石碑博物館に所蔵されている墓誌銘こそが素晴らしい文字が刻された墓誌碑群なのだ、と考えていた。西安碑林に収蔵されている墓誌銘は、最初は、1964年に台湾で死去した于右任が所有していた300基余りが先ずは西安碑林に収まったらしい。

清末に西安北部で生まれた于右任(う ゆうじん)は、国民政府に参加し国共内戦で劣勢となって台湾に逃れ、蒋介石らと台湾=中華民国を築いた政治家である。

政治家として活動する一方、書・漢詩などで優れた作品を残しただけではなく、趣味では西安洛陽周辺で出土した膨大な数の墓誌銘を収集した。しかし集めた墓誌碑はごたごたの中で台湾に持って行かれず、彼の死後西安碑林に収蔵されることとなったらしい。(「西安碑林全集」より)

こんな訳で西安碑林にある墓誌銘は于右任が力を持ち始めた1920年ごろから1940年代ごろまでに発掘されたり発見されたりした石碑が多く残っているのだろう。つまり優れた文字であるから選別されて西安碑林に収蔵されたとことさらそういう訳ではないらしい。ただし、書家でもある于右任は、自分の鑑識眼にかかった墓誌銘のみを集めただろうから、それだけで選別された石碑であるとも言えるだろう。

では1964年以降発見された墓誌銘は西安碑林に収蔵されてはいないのかというと、例えば李寿墓誌銘は1973年に発掘されているように、その後に発見された墓誌銘も相当な数が収まっているみたいである。

しかし各省各県にもその土地の威信を懸けた博物館がどんどん出来ているから、基本的には墓碑は発掘された場所の近くにある博物館に収まるのではないだろうか?と思う。

いや、普通は、発見された墓誌の所有者はまずは土地の所有者になるのかもしれないが、中国では土地の所有権は国のみで市民は所有権は無いと聞いた事があるから、見つけた人、つまりパワーショベルなどを操作していた工事人が所有者になるのかもしれない。すると墓誌碑石の奪い合いになるのかもしれない。

工事人は墓誌に興味は無いから金になるなら闇市場に流す。すると墓誌を探している人が争って買う。争っている人とは、正確には人だけでは無く、企業や大学や古物商や博物館も個人と争って買うのである。


そんな隠れた逸品の墓誌銘やら碑から採られた拓本を何とかして手に入れたいと思う今日この頃である。

ま、そんなわけで、西安や洛陽近郊の土中に以前としてまだ埋没している墓誌銘も1000や2000はあるだろうし、とすると顔真卿・欧陽詢・虞世南らが書丹した墓誌銘やら石碑が今後発見されてもおかしくはない。





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最終更新日  2022年05月31日 11時37分03秒
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