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こんにちは。前回は、実家の祖母が長生きし家族が自宅で看取れた理由をお話ししました。長年精神科で処方されていた安定剤を辞めたのが良かったのではないかと推測しています。今回紹介する本はこちらこちらの本に関心がある方に読む前に内海先生の断薬セミナーの講演等がyoutubeを検索するといくつか出てきますのでそちらを先に視聴することをオススメします。私がこちらの本の内容に辿り着くまでの経緯として・・先の流行病以前に投資に興味を持ち、調べるうちに相場を動かせる機関投資家、大口投資家の存在を知る ↓流行病禍で陰謀論・都市伝説に片足を突っ込むが世界史が全くわからないため歴史、経済・政治などを書籍などで勉強する ↓世界を支配する人達の存在を知り、自分なりに「裏」が取れる ↓元看護師として、内海先生の断薬セミナーの動画を視聴、全て繋がっていると確認が取れるという流れでした。内海聡先生は今年の7月の東京都知事選に立候補されて、先生に興味関心を持つ方も増えていると思います。もし、上記のような流れがなかったらこの本を読んだとしても「精神科は今日もやりたい放題」は私には俄かに信じ難い内容でした。精神科に通院しながら日常生活を送っている人はたくさんいるでしょうし、診察に当たっている先生ほとんどの方は患者さんのためと仕事をされている。精神科の病棟で勤務した経験はありませんが、私自身も何の疑問も感じず処方される内服薬を日々患者さんに渡していましたし、その薬の中には内科から処方されていた睡眠薬や安定剤もありました。しかし、医療業界にどんな歴史があったのか、精神科で使われている薬がどんな経緯で普及して行ったのか過剰投与によって更に症状が悪化したり、普通に生活できなくなるといった精神科の実態を知ったら本当に受診する人はいるのでしょうか?詳しくは、先生の断薬セミナーの動画や今回紹介の「精神科は今日もやりたい放題」などをご覧いただき、私達一般市民が賢くなるしかありません。「周りの人が精神科に行っているから辛い時は自分も」と安易に考えてはいけません。精神科以外でも病院やクリニックには出来るだけ行かない薬は必要な時だけ内服するこの2点をいつも考えて医療機関を使うことが重要です。もし、私がこの本を今すぐにでもオススメする方がいるとしたら、現在精神科に通院している、または入院中で、医療機関に強い疑問を持っていおり、今すぐにでも断薬、退院を希望される方になります。
2024.08.25
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こんにちは。前回は「断薬のススメ」を紹介しました。次回に紹介する本も断薬に関係する本になりますが、その前に、私の実家の祖母の話をしようと思います。実家の祖母は90代前半に自宅で老衰の為亡くなりました。最後は風邪で熱が出て呼吸困難になり実家の母が救急車を呼んだようですが間に合わなかったようです。介護が必要で寝たきりの状態が長かったわけではなく長年、庭の草取りや部屋のお掃除などが日課で平家の敷地内をきれいにしていました。病弱で痩せていましたが、若い頃の農作業で鍛えていたせいでしょうか?骨太でがっちりしていました。亡くなる少し前までトイレも自分で出来てお風呂も両親の見守りで済み、ご飯は食が細くなったものの、口から流動食をとれていました。こうやって書くと、祖母は健康的に生活して食事も美味しく食べて晩年も生き生きと活動していたという絵を思い浮かべると思いますがそうではありませんでした。私が物心ついた頃、祖母は60代前半いつも、どこか具合が悪そうにしていました。病弱といえばわかりやすいでしょうか?ご飯もお茶碗に半分、おかずもたまに手をつけるくらいで少食でした。祖母の持病は何であるのか・・私が思春期の頃に聞いたのが「自律神経失調症」という病名でした。その為、精神科で安定剤を処方してもらって内服していました。精神科に受診した経緯などは今となっては不明です。今振り返ると心当たりは孫として推測出来ます。祖母には子供が3人、私の父と下に2人の娘がいました。私にとっては叔母にあたります。嫁ぎ先で叔母達はいろいろな問題を抱えていました。義理母との関係、旦那さんの問題、そして子供の病気などです。ここで詳細は書けませんが、子供ながらに「結婚したら幸せになるのではなく不幸になるのか」と思うほどでした。もし、私が祖母だったら・・・と想像したら相当辛かったに違いありません。物心ついた頃から祖母の笑顔を見たことはほとんどありませんでした。時は流れて、コロナ禍で内海先生の断薬セミナーの動画に辿り着いた時に、祖母が精神科に通院していたことをを思い出し、実家の母に祖母の事をいろいろ聞いてみました。祖母は80代に入ってから顔がいつもピクピク動くようになり動作が鈍くなってきた様子を見て、両親は「精神科で処方されていた薬が原因かもしれない、もうやめてもいいのではないか」と祖母の精神科の受診と内服を辞めたそうです。特に禁断症状はなかったと言っていましたが本当のところはわかりません。また、祖母も軽くボケが始まっていたようでしたが、特に薬をやめることに抵抗はなかったようです。その後、顔のピク付きや動作の鈍さは改善して90前半まで長生きして自宅で両親が看取りました。あくまで推測ですが、精神科から処方された薬をやめたことで寝たきりになり介護が必要となる状態を回避出来、長生き出来たのではないかと思います。私も出来るなら自宅で最後を迎えたいので、母からのこの話はとても参考になりました。次回は「精神科は今日もやりたい放題」の本の紹介になります。
2024.08.23
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こんにちは。今回紹介する「断薬のススメ」はこちらになります。前回までの4回の投稿で更年期が終わるまでに石油が原料である家庭内にある化学薬品をほぼやめた話をお伝えしました。私達の生活に日常的に使われている雑貨を消費することで体内に「毒」が蓄積されていくのですが、これだけでも、人によっては症状が出て治療が必要になるかもしれません。沢山ありすぎて原因がわからなくなっていると思われます。私の場合は、特に歯磨き粉により長期間思考面や直感などに影響があったと推測しています。あとは例えば、最近は「香害」と言われ洗剤や柔軟剤、香水など全ての香りや配合されている化学薬品により喘息症状やアレルギー症状など何らかの症状が出てしまう「化学物質過敏症」が問題になっています。それだけではありません。もし、定期的に通院して治療薬を服用している場合はさらに薬の「毒」が蓄積されることになり新たな「病気」を生むことになるのです。もちろん、ドラックストアで購入可能な市販薬も同様です。ですから、今、飲んでいる薬が「本当に必要であるのか」「食事や生活全般の見直しで辞められるのか」よく考えて内服する必要があります。ここで、今回紹介する「断薬のススメ」本文から抜粋して本当に治療が必要な疾患や症状をあげます。1・心筋梗塞、脳梗塞などの梗塞性疾患の急性期2・くも膜下出血、潰瘍出血、ガンからの出血など、出血の急性期3・肺炎、胆管炎、髄膜炎などの重症感染症4・交通事故、外傷、熱傷、骨折などに伴う救急医学的処置5・誤嚥による窒息、溺水、低体温などの救急医学的処置6・腸閉塞、無尿などの排泄の生命に関わるものへの救急医学的処置7・胎盤剥離、臍帯捻転、分娩時臍帯巻絡など、婦人科の救急医学的処置8・失明、聴覚喪失などに関する救急医学的な処置9・薬物中毒症や毒物中毒の曝露に対する処置10 染色体や遺伝などの異常が100%わかっている疾患への対応11 未熟児の管理12 サイトカインストームなど免疫の重症な異常状態への処置(以上本文抜粋はここまで)簡単に言うと「死にそうな時しか薬を使って対処療法してはいけない」ということになります。対処療法とは、ある症状を抑えるために施す治療であり原因を究明して対処する「根本治療」ではありません。内海先生はこちらの本で医師の言っていることを鵜呑みにせず、本当かどうか自分で調べて確かめること。医療業界や社会の裏側を理解すること。依存することを辞め、自分自身の意識を変革すること。が重要であると書いています。上記を解説すると、医者も誤診をします。そしてボランティアで働いているのではなく生活があり利益を上げなければ病院やクリニックの経営が成り立ちません。医療は製薬会社ともつながっており、薬の原料は最初にも触れましたが(化学薬品は)ほぼ全て石油です。ですから石油業界とも密接につながっています。その石油業界は、大資本家や財閥ともつながっています。大資本家や財閥はその資本を使い、政府やメディアを操れます。実際、薬に何らかの重篤な副作用があったとしてもお金を使って一般市民を洗脳、そして隠蔽出来ます。確かに医師は高学歴で頭脳明晰かもしれません。良心的な治療をしてくれる医者も中にはいますし、一緒に働いていたドクター達は皆一生懸命患者さんの治療にあたっていました。開発された治療薬の中には本当に必要とする患者さんがいて命が救われています。しかし、病気を治すのは自分自身だという意識がなければ結果的に医師に依存し医療・製薬業界、石油業界に自分のお金と時間とその身を差し出すことになってしまいます。構造的には少し前に投稿した映画「インサイドジョブ」のリーマンショックと同じ事が医療業界でも起こっています。こちらの本では断薬や減薬に成功した患者さんの手記が沢山掲載されています。断薬、治療経過は様々です。東洋医学、ホメオパシー、量子医学、食事療法などを組み合わせていてその多彩ぶりに驚かされます。精神科で向精神薬などを大量投与されていた方の手記は自分や周りの人に同じような事があった時は参考にしようと思いました。現在内服している薬を辞めたいけれどどうしたらいいのか考えたい方身内が定期で内服している薬がたくさんあり、本人と相談して減らすか辞めたい方。病院には通院していないけれどドラックストアで市販薬を定期で購入するなど不調に悩まれている方。の参考になると思います。あとは、病院にはできるだけ行かない。薬は本当に必要な時だけにして症状がおさまったらすぐ辞める。自分の食生活や消費した物を振り返って現在の不調の原因を探す。この3点がとても大事だと思います。今回投稿の参考文献はこちら
2024.08.21
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前回投稿からの続きです。前回までは更年期中でやめた物とそのきっかけや理由などを投稿しました。更年期の症状を軽減するためや、又健康のためにではなく使えなくなって、仕方なく止めた、又は興味関心が薄くなってしまったというのが大きな理由です。同じ事を考えても涙が出ず悲しくならなくなったのが49歳くらいの頃、その翌年、2020年1月に例の流行病第一波がやってきました。2020年から2022年冬までの間に陰謀論や都市伝説に最初関心を持ち、歴史や政治経済や金融関係を同時に書籍やインターネットで独学して全て裏で繋がっていることを理解しました。ここで、「何故、私はこんなふうにいろいろ調べてここまでたどり着いたのだろうか?」という疑問が湧きました。更年期で引きこもってしまい人と接するのが億劫になり一人で唯一出来るのが読書や勉強だったから続いたかもしれません。都市伝説や歴史、神話や星占いが好きな子供でしたが趣味としてずっとやってきたわけではないので何故なのか腑におちず、ずっと考えていました。ある日、先日ご紹介した医療本「医者に頼らなくてもガンは消える」の内海先生のyoutubeチャンネルを眺めていたら、まだ試聴していないいくつかの動画がありました。その投稿は、浴槽のアジが界面活性剤の液体を入れたところ全部死んでしまうのに対して石鹸液を入れた浴槽のアジは元気に泳いでいるという内容でした。「界面活性剤?」そのまま他に動画投稿している人がいないか検索しました。そして、歯磨き粉でメダカを使って同じように実験している一般の方の動画に行きつきました。一つはよくある大手の歯磨き粉もう一つは石鹸素材の歯磨き粉です。結果は同じでした。その動画を観た時に、「これか!」とその時ようやく気がつきました。当時は確信はありませんでした。直感でした。世の中の裏や真実が見えるようになるまで独学でも調べられたのは歯磨き粉を止めた事が始まりだったことに気がついたのです。違う表現をすれば「歯磨き粉を止めて体内の化学薬品が抜けて思考や直感が 歯磨き粉を使っていた頃より改善した」歯磨き粉で?たかが歯磨き粉、されど歯磨き粉前回までの投稿でも少し触れましたが、私はそれを依存的に大量に使っていました。界面活性剤とフッ素という化学薬品が含まれる身近にある危険な雑貨の一つとして認識した瞬間でした。当時は界面活性剤が私にとっての毒物だと思っていました。書籍で裏が取れるのはもう少し先のことになります。気がつけば歯磨き粉を止めてから10年以上が経過していました。そして、先日投稿した内海先生の弾薬セミナーの動画に辿り着き医療の真実を知ることになるのでした。そこからは、生活全般を見直して食品添加物も出来るだけ取り込まないように変えていきました。台所・洗濯用洗剤は昔からある固形石鹸に変えて掃除には重曹やクエン酸にセスキ炭酸ソーダを組み合わせて使用しています。更年期により化学薬品の多くを止めることが出来ました。長く辛い期間ではありましたが、同時に体内の「毒」を出すために私にとって必要だったと思っています。何かに「依存」することは人間の「さが」でありその人の性格や置かれた環境で依存する物や事は違います。私が歯磨き粉に依存していたように誰かにとってはそれが「お菓子・砂糖」や「頭痛薬」であるかもしれません。化学薬品は「社会毒」として一般市民に病気をもたらす物質として現代社会に影を落としています。更年期で難を逃れた話は今回で終わりです。
2024.08.20
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こんにちは。前回からの続きです。何故、更年期で薬以外で難を逃れたのかは話の最後にお話ししたいので投稿何回かもうしばらくお付き合い下さい。40歳で歯磨き粉をやめてから一年ほどして下の子を妊娠、高齢妊娠だったため心配しましたが、経過は順調で無事出産出来ました。しかし、妊娠中に頭皮から足まで全身に強い痒みを伴う湿疹が出て痒み止めの飲み薬は妊娠中のため内服出来ず、軟膏を数種類皮膚科で処方してもらっていましたが夜の痒みは辛く、軟膏もステロイドが入っていて大量に塗るわけにもいかないので大変でした。皮膚科の先生からは「妊娠中毒症よね、これは。」と言われていました。洗髪は湯シャン、体は簡単にシャワーだけ香料がキツくなければ顔には化粧品がかろうじて使えました。顔の大人ニキビくらいしか皮膚に関しては悩みがなく生まれて初めて湿疹がこれほど辛い物だと知りました。出産後は少しずつ湿疹は減りましたが、出産後は様子を見ながら子供と兼用が出来るシャンプーリンスとボディーソープにしてようやく使えるようになりました。それも一回使用量はごく少量にしたり洗う間隔を空けたりしながらです。また、若白髪を長年ヘアカラーしていて、出産後に久しぶりに使ったところ目の周りがかぶれてヘアマニキュアか刺激のある成分が配合されていない白髪染めに変更化粧品は低刺激の商品を引き続き使用でも、香料のきつい雑貨は皮膚が痒くなるため断念しました。当時は「肌が弱くなってしまった。」という認識でした。45歳頃に更年期が本格化して更年期が一番ひどい時期に化粧品雑貨やサプリメントへの興味関心がなくなり自分としてはコレだけは外せないという物だけ残して止めました。現在、普段はサプリメントや化粧品は使っていません。ホットケーキミックスは添加物がかなり配合されていた商品を一定期間消費していたところ腹痛が頻繁に起こるようになり成分表示をしっかり見て購入するようにしたところ軽減したため食品に関しては更年期が終わって気が付くまで特に変えていませんでした。更年期が終わる48から49歳頃までに止めたり減らした物は・・・歯磨き粉シャンプーリンスボディーソープ化粧品雑貨全般などです。ちなみにこれらの商品に含まれている成分の主な原料は・・・・石油です。ここまで私は何も知らずに必要に迫られて使うのを止めました。続きは次回の投稿で。
2024.08.19
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こんにちは。今回も更年期ネタを投稿します。更年期の症状が重かったが治療薬を飲まずに難を逃れたお話は前回の通りですが今振り返ると口から摂取していた食品や生活雑貨が「悪さ」をしていたと推測します。更年期から例の流行病をきっかけに生活雑貨でやめた物をここであげてみます。シャンプー・リンス洗濯用洗剤台所洗用剤お掃除用雑貨(一部現在も使用)化粧品歯磨き粉サプリメント食品添加物・アミノ酸配合の出汁の素(和洋中)ホットケーキミックス使用する量や食卓に出す回数を減らした食品としてはうどんなどの麺類カレールウや炊き込みご飯の素など砂糖と砂糖を含む調味料やお菓子植物油脂コレら全てを意識的に同時期に止めたり量を減らしたわけではありません。一番最初にやめたのは歯磨き粉でした。40歳の時です。当時は本格的な更年期ではありませんでしたが娘を39歳で出産後育児ノイローゼのようになった時期がありました。この頃から症状は既に出ていたのですが自覚はありません。きっかけは歯磨き粉は歯科クリニックに歯石を取りに行った際に歯科衛生士さんから「歯の磨きすぎで歯も歯肉も削れてしまっています。水磨きにした方がいいと思います。」と言われ、歯科医師の先生からは「気になるようなら詰めますよ〜♪」と軽く治療を勧められましたが絶対通院は避けたかったのでその日から速攻で歯磨き粉を止めました。歯医者に行きたくがないために長期間に渡って毎日朝晩歯磨き粉をたっぷりつけて磨いていました。磨いているのに、歯肉があれたり血が出たりするので磨き方が足りないと思ってさらに長時間磨く・・という今思うと歯磨き粉にものすごい「依存」していたのです。でも、歯科医院に通院したくないという強い思いが歯磨き粉に勝り😅止めてみて数年たち「歯磨き粉を使わないほうが汚れがたまらないし、歯肉炎にもならない。 コレって・・?」歯磨き粉に含まれている研磨剤が歯の表面を削り傷をつけ、そこに汚れが溜まりやすくなっていたと理解したのはその頃でした。歯磨き粉をやめた事・・当時はそれほど大きな出来事ではなかったのですがこの事が後になり大きな意味を持つとは当時は思いもしませんでした。ちなみに歯磨き粉にはご存知のように界面活性剤フッ素などが含まれています。今日はここまでで、続きは次回の投稿にて
2024.08.18
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こんにちは。今回は自分自身の更年期中の医療の体験談をお話ししようと思います。こちらの投稿は、後日また医療関連の本を紹介する時の伏線になります。病院から処方される薬について何かしら思うところがある方が見ていただくといいかもしれません。私自身は、もともと看護師のくせに病院や薬は嫌いです😅何故なのか・・物心ついた時から薬は大嫌いでした。風邪をひいた時に飲むイチゴ味の粉薬・・好きな人は少ないですよね?熱が下がったら薬が残っていても速攻でやめてました。特に大きな病気もせず大人になりいつの頃からか頭痛持ちとなりました。頭痛薬は常備していましたがそれも本当に痛くて何も出来ない時だけ。それが、「もう薬でなんとか楽になりたい」と生まれて初めて感じたのが更年期中に悲しくて毎日涙が出るようになった時でした。今から約10年前です。当時子供は長女が小学校1年生、下の息子が2歳くらいで小さい子供を育てながらの更年期は辛く特に主人は私のイライラなど負の感情を全て被ってしまい思い返すと家庭は崩壊寸前でした。周りの知人・友人で仕事や家庭のことで病んでいる人の中には精神科に通院している人もいて私もと子供のかかりつけの病院の精神科を受診しました。先生に話を聞いていただき、精神薬を処方、確か毎日眠前1回の内服でしたが「副作用が人によっては出ます」と言われ、その晩寝る前に内服しました。具体的な副作用は先生に質問しなかったのですが私の場合は吐くまではいかないものの、吐き気がひどく、一晩ずっと続きました。翌日、下の息子といつものように公園に行き遊ばせている最中にふと思ったのです。「あれ、同じこと考えても涙が出ない・・・」精神科で処方された薬を内服したのですから当たり前です。でも・・・・「良かった。これで辛くない、この薬をまた精神科で処方してもらおう」とは思えませんでした。理由は吐き気が強く出たのと、もう一つありました。「この薬を続けたらやめられなくなるし、精神科と縁が切れなくなる」と直感で思ったのです。結局、精神科の通院はやめて別の方法を取りました。当時は義理両親と同居していたのですが関係が悪化していたので精神的に少しでも楽になるようにと主人にお願いして家族4人で引っ越しました。あとは、これは個人的にはおすすめ出来ませんが、毎晩のお酒に頼りました。精神薬とアルコールとを比較したらどの程度依存性が高いのか調べてからお酒を選んだわけではありません。単純に病院に行きたくなかったのが一番の理由です。それで、更年期が楽になったりすぐに終わったりするものではありません。夜に一番悲しくなり灯りを消すと出てくる涙を少しでも和らげるための気休めでしかありませんでした。また別の治療法・・ホルモン補充療法も婦人科の定期受診が必要になるからと選択肢から消えました。結局、更年期の一番辛い底は約4年続きました。お酒は依存手前までいっていたかもしれないですが更年期が落ち着いたらお酒を飲む体力がなくなり、自然と飲まなくなりました。そして、更年期がようやく終わった頃、例の流行病に突入していろいろ調べていくうちに政治・経済及び医療の闇も知ることになり、先日紹介した内海聡先生にたどり着いて私が精神科の薬を内服しなかった直感が正しかったと答え合わせが出来ました。過去の自分の判断に感謝します。今回は、更年期中に難を逃れたお話しでした。
2024.08.16
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「医者に頼らなくてもガンは消える」内海聡著 前編からの続きです。私は、看護師として内科病棟に勤務していました。内科全般・・一般的な感染症に先天性の疾患や整形外科、形成外科などの一部外科そして割合的に一番多かったのは固形腫瘍と血液のガンである白血病等です。検査も含めて抗がん剤治療は辛く険しい道のりです。私には言葉では表現し尽せません。新人だった頃、先輩看護師に言われた言葉を今も覚えています。「化学治療は自分自身を無くすんだよ」その言葉通り、白血病の抗がん剤治療により体中の血液からがん細胞を無くすために自らの骨髄も犠牲にするのです。前回の投稿でも書きましたが、病院で患者さんにしていた治療は一体何だったのか・・・・。本来なら必要のない薬を体内に入れて苦しめていたことにショックを受けました。もしがんにかかったら・・・病院での検査・診断をそのまま受け入れて医師の進めるままに治療を受けるのかそれともセカンドオピニオンなども含め自分で情報を集めた上で治療方法を選択するか私の見てきた患者さんやご家族は前者が圧倒的に多かったと思います。内海先生のこの本では、単なる「こうすればガンが消える」というハウツー的な内容ではなく誰かに依存することを辞めて罹った病気になった意味を考え、病気に関して自分自身でとことん調べ上げて納得した上で治療を選び受けることを強くすすめています。人生の中で最大の危機というくらい絶体絶命のピンチに陥ったことは仕事でもプライベートでも人間誰にでもあると思います。その中でも命に関わる重篤な病気になった場合、ピンチがチャンスとなる人は割合としては少ないでしょう。こちらの本を読んで深刻な病気になった時に医療機関や家族も含めて誰かに依存するということは、ピンチにしかならないと思いました。何故ならば、医者が手は尽くしたと言って何もすることがなくなったらその時点で患者さんは死を待つしかなくなるからです。悲しいですが、私が見てきた現場はそういう場所でした。同時に、日常的に身の回りにある「安心・安全」だと利用している食品雑貨が「社会毒」として人々が知らないうちに依存的に使い続け体内に病気の原因物質又は発癌性物質として溜まり続ける現実を私を含めてほとんどの人が知らないことにも今危機感を感じます。ガンが消える又は遠ざける為にするべきことは内海先生のこちらの本の中に書かれています。現在、私の身内にガンに罹っている人はいませんが、日頃からの生活習慣や精神的なあり方、内海先生の「人は必ず何かに依存する生き物」だという考え方を念頭に日々、いい意味での自己責任の一つとして「健康」を考えたいですね。こちらの本は現代医療に疑問を持っている方実際ガンだけではなく難治性の疾患にかかっている方これから病気が気になる年齢に差し掛かっている方一度大病を患ったことがある方など一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。でも、くれぐれも「依存的」にこの本に頼るのは辞めましょう。
2024.08.14
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こんにちは。今回は医療・健康分野の本レビューです。書籍はこちら今年7月の東京都知事選挙にも立候補した内海聡さん著「医者に頼らなくてもがんは消える」です。内海先生を知ったのは流行り病1年目の2020年秋頃でした。陰謀論的な内容をyoutubeで配信していたのを見かけたのがきっかけです。内海先生は医師としてクリニックを開業する一方で「医学不要論」、「精神科は今日もやりたい放題」等医療に関する著作が多数あり、流行り病以前から、ワクチンに関してもその危険性を訴えていました。私はその頃、医療系の情報は後回しにして経済や政治、歴史などの書籍を読み漁っていました。ワクチンは、「全世界で治験をする」という感覚で特例承認のニュースを見ていたのでしばらくは見送ろうというのが個人的な見解でした。当時はがんや病気の原因等に対して疑問はあったものの大きな興味・関心であった陰謀論都・都市伝説を理解するために世界史を知らないと全然面白くないので、政治経済ニュースと同時進行でいわゆる通史と言われる程度の世界史を独学で勉強していました。歴史もそうですが全ての業界は裏で繋がっていると理解したのは2021年秋頃、確証というか「うら」が自分なりに取れたのが2022年の冬、そして、そろそろと思い恐る恐るyoutubeで一般の方が投稿されていた内海先生の断薬セミナーの講演会を視聴しました。先生の治療法は独自で東洋医学、量子医学、精神分析、食事療法などを駆使してクリニックで患者さんの治療にあたっています。講演会では・・近現代に発明された化学物質が病気を作り出し、病気の治療だと言って医師が薬を処方してその薬を内服することで更なる病気を産み出し、一般市民を苦しめているという内容に元看護師として、「私は、悪魔に魂を売った人達の手先として働いていたのか・・・」という衝撃が走りました。同時に、「医学は日々進歩していると言われているのに、何故ガンの患者さんは増え続けているのか?」という若い頃から感じていた疑問も解消されました。前置きが長くなりました。本の紹介は次回の投稿になります。文中の内海先生の著作はこちら医学不要論精神科は今日もやりたい放題
2024.08.14
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こんにちは。お盆に入りました。8月に入ってから家族で名古屋に行ってきました。名古屋水族館と東山動植物園、東山スカイタワーなど観光してきました。高速バスで移動、アクセスの関係で繁華街の栄のビジネスホテルに宿泊しました。歩道などのゴミが気になりましたが、大都市は仕方ないですかね💧名古屋水族館は上の子供が小学生低学年の頃に一度行きました。上の船の中も行きたかったのですが、また次回ですね。イルカショーとシャチショー両方見ましたが、シャチは大きく迫力がありました。東山動植物園は画像がないのですが、動物も猛暑のためか活発に動いていたのは、象くらいであとの動物達はお疲れでしたね😅動植物園横の東山スカイタワーに登り名古屋市内を一望、夜に来ると夜景がすごく素敵みたいですね。ただ、降りるためにエレベーターにいる時が一番怖かったです。地震や災害起こったらどうしようって。あとは、市街地の「水の宇宙船」と言われている建物が幻想的で面白かったです。滞在した二日間の名古屋の最高気温は37度!うちの地域も暑いと思っていましたが、帰宅してから涼しくて驚きました。ゆっくり出来る場所はやはり我が家ですかね😀
2024.08.13
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こんにちは。今日は午前中、また神社へ参拝してきました。ここの神社はさすがに歩いてはいけないので車で行きました。松本駅から歩いて20分くらい、松本城から徒歩圏内にある四柱神社。龍神様を祀る神社です。城下町松本の賑やかな場所にあって観光客で賑わっていました。週明けの子供の地域の行事が無事開催されるようにと今年は本当に年明け早々から災害や天災が多くこれ以上起きないように祈りました。神社内の様子です。神社横には縄手通りという通りがあります。お土産屋さんや飲食などのお店が並びます。縄手通りは普段はほとんど買い物で使わないのでこうしてたまに来ると少しずつお店も入れ替わっていて時の流れを感じます。松本城もまたの機会に載せますね。
2024.08.10
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前回投稿の映画「インサイド・ジョブ」に辿り着くまでからの続きです。2008年当時はちょうど長女を妊娠中でリーマンショックは「サブプライムローンの焦げ付が原因で・・」と何回もそのフレーズをテレビで聞いて知っていました。地元に勤めていた友人はその時にお給料が下がったり数年後、長女の幼稚園で一緒になったお母さんの中にはFXで相場に保有していたお金が10分の1になったという人もいました。ただ、個人的にその影響はほとんど感じることなく翌年出産。全然わからないけれど、だから気になる知りたいとずっと長年思っていました。ここで、海の向こうのアメリカで起こった金融危機なので日本で起こったとイメージして読んでいただければと思います。あくまで仮定です。ここから以下はわかりやすい表現にしています。時の内閣総理大臣、あなたが好きな議員さんでも誰でもいいです。想像してみて下さい。支持率が高かった小泉さんとか昔だと中曽根さんを思い浮かべてみましょう。政府トップが「国民皆が家を持てるようにして皆さんを幸せにします」と発言したとします。通常だと国が主導で進めると聞いて理由なく安心しますよね?表面上は国民のことを第一に考えている発言に聞こえます。関係閣僚には経済・金融に詳しい元銀行の頭取や大学教授などにしてテレビにはこの政策に賛同する学者などが出演する。そして、お金がない人達に不動産屋さんやローン会社はこう囁きます。「今、土地の価格が上がっているからその差益で住み替え出来るし、ローンも最初の数年間は利子が低いから大丈夫。国も勧めてている政策だし借金も出来るしお金も返せますよ」このローンはアメリカでは「サブプライムローン」と呼ばれていました。しかし、国は同時進行で規制緩和をすすめ金融業界にとって都合がいい法律を国民が知らないうちに国会で通します。例えば証券会社や銀行でハイリスクハイリターンの金融投資商品の取扱が可能となり、銀行が破綻しても税金を使って再生していいというような法律。具体的には・・通常はお金がない人達にはローン会社の審査が降りないためお金を借りることは出来ません。また、お金を借りたら、ローン会社と借り手との間で借金を返済するだけですがお金がない人にお金を貸して、その借金を債券化、金融商品として銀行などで販売出来るようにしたのです。もちろん、一部の良心的な専門家や国会議員はそれらに断固として反対しますが政界と経済界金融業界とが癒着しているため反対票が伸びることはありません。銀行や証券会社で金融商品として販売する際に、借り手には高額な利子をつけ商品を販売する営業マンへは高報酬がつきそこに投資商品を購入する投資家が絡んできます。また、金融業界は信用格付け会社と言われる機関とも癒着してハイリスクな金融商品を「安心・安全」だというお墨付きを与えたため、企業年金の運用先としても使用されます。土地の価格が上がっているうちはいいかもしれない。毎月の返済が滞りなく行われていれば問題ないかもしれません。不動産の価格は上がりすぎたらバブルが弾けて暴落します。土地の価格が下がったら住み替えなどできるはずもありません。高い利子でローンの支払いが不可能になれば家を手放し住むところを失います。一方で、ハイリスクハイリターンの商品を販売すれば高報酬が見込める営業マンはこぞってサブプライムローンが含まれる金融商品を売りまくりました。この金融商品は総称して「デリバティブ」と呼ばれていました。金融業界の給料は上がり続けました。デリバティブは何でも商品になります。例えば何ヶ月後の天気は何度以上になるとか何度以下になるとか・・そういういう感じです。一方でサブプライムローンが含まれていた金融商品の価格が下がったら補填してくれる保険のような別の商品も存在していました。その保険のような金融商品は単体で一般の投資家も購入可能で一部の投資家が上記のサブプライムの価格が暴落すると予測して大量に購入します。そしてサブプライムローンの返済が焦げ付き始めローンを払えない人が急増、大勢の人々が住む家を失いました。当然ですが保険会社や銀行に経営破綻の危機が襲います。そして、一部の会社は倒産しますがある企業は大きすぎて潰せないとして政府が多額の税金を投入して倒産の危機を救いました。責任の追求は国会で証人喚問が行われますが、真の犯人はわからないまま、経営破綻した投資会社の社長にも退職金が支払われ逮捕される者もいませんでした。当初は国の政策であったにもかかわらず政府トップの責任も問われないまま一握りのエリート達が一般国民の資産を奪い不幸にして、金融危機は幕を閉じました。このような出来事は、ここ数年間は金融ではなく業界が変わっただけで同じようなことが日本でも起こっています。この映画を観て、国が勧める政策は鵜呑みにしてはいけないし信じてはいけない投資は自己責任。私個人は投資には手を出さない。と強く肝に銘じました。そして映画の中では本当の犯人は誰なのか述べていません。製作者は知っていると思います。いったら映画が公開出来ない、又は消されてしまう。「胴元」は誰なのか・・私もとある書籍に登場する人物とこちらの映画の登場人物の中で名前が一致したため見当が付きました。今、世界で起こっている事件などもその人達が起こしていると思われます。自分と自分の家族や大事な人を守るために全一般市民にこちらの映画をお勧めします。
2024.08.09
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こんにちは。今回から映画の紹介を始めます。映画の内容に関するレビューは次回になります。2008年に起きたリーマンショック。世界中に経済的な大打撃を与えたこの金融危機は何故起こってしまったのかを克明に描いたノンフィクション映画「インサイド・ジョブ」インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実 [ マット・デイモン ]時を遡ること40年前、アメリカの時の大統領ドナルド・レーガン政権時に既に「仕込み」は始まっていました。当時のアメリカは金融政策は堅く、銀行や投資家は大きな儲けが出ない代わりに出来るだけリスクを負わないような仕組みになっていました。それを金融緩和してハイリターンハイリスクな金融商品が作れるように法律を変え、いくつかの金融バブルや金融詐欺事件を起こした後、リーマンショックは起こりました。・・・とあらすじ等を説明しすぎるとネタバレになるので今回は、私がこの映画に辿り着くまでのお話しになります。普通なら私はこの映画に縁はなかったでしょうし今でも、何も知らずにテレビやメディアを信じて生活していたと思います。リーマン・ショックの全貌を知り、金融機関はお堅いところという常識から金融機関は詐欺紛いのことも平気でする怖い場所だと意識を改めました。この映画の名前を聞いたのは確か2021年秋頃、例の流行病が起きて2年目の事。当時よく見ていたある投資家の方がyoutubeチャンネルでおすすめしていた中の一つでした。確か金融を題材にしていた10作品のうちの一つだったと記憶しています。個人的にノンフィクションが好きだったのでツタヤでレンタル、2022年の2月鑑賞後に頭を金槌で殴られたような衝撃が走ったのを今でも鮮明に覚えています。投資はその数年前からFX関連の本や商材を買い漁ってはデモトレードで練習する日々を送っていましたが、原資がほとんどなかったのと損をしたくない気持ちが強く結局一銭も相場に落とす事なく終わりました。その頃に、「投資をするなら経済や政治も知らないとダメなんじゃないか」とふと思い浅く広く書籍を読みました。いろいろ調べていくうちに相場を大きく動かしている機関投資家と呼ばれる人達が存在することを知りました。ブログやyoutubeで情報発信している専業トレーダーさん達の中には彼らを「胴元」又は「奴ら」と呼んでいる方もいました。本業でトレードされている方の多くは専業になるまでに多額の原資を相場で溶かしています。何故溶けてしまうのか?いろいろ理由はあるのですがその一つに機関投資家の影響が大きいのです。簡単に説明すると、彼ら機関投資家は一般投資家の損切りライン以上の価格まで自分の持っている原資で上下することが可能なのです。わざと下げたり上げたりが自由なんですね💧だから「胴元」、「奴ら」という表現になるのだと思います。もちろん、闇雲に何も考えずにトレードしてもお金はなくなるのですが。この「胴元」という言葉が後に重要なキーワードとなりました。流行病の初年度2020年3月、映画「fukushima50」を映画館で鑑賞するために同原作の「死の淵を見た男」を読み、関連するアメリカドラマ「チェルノブイリ」をレンタルしました。調べれば調べるほど「何故こんなにも危険な原発が世界中にたくさんあるのか?一度事故が起これば被害は甚大なのに」と原発の存在意義が見出せませんでした。特にチェルノブイリの事故や東海村の臨界事故は起こるべくして起きてしまったとしか言いようがありません。原発でエネルギーや電力を確保するにはあまりにも代償が大きい。考えても考えても答えが出るはずがありません。でも、ある日自分が災害現場にいる夢を見て夜目が覚めてから「胴元がいる!」と閃きました。その後、自分の中では胴元=日本ではなく海の向こうにいて原発に対して莫大な投資をしており、事故があったとしても痛くも痒くもなくその利益を得ている人達が原発を作り続けているという結論に辿り着きました。確証はもちろんありませんし、その人達が具体的にどういう人達なのかは不明でしたが、とにかく機関投資家以上にお金を持っているイメージでした。そして世界史、陰謀論などいろいろ調べていくうちにどうやら世界を支配する権力者が実在することを知りました。普通に周りに話すと「頭がおかしい」と言われてしまいますよね?状況証拠的にそういう人達がいないとおかしいのです。ただ、一般市民として裏が取れない、そして点と線が繋がらないもどかしさを感じながら映画「インサイド・ジョブ」を鑑賞しました。続きは次回の投稿で文中に出てきた作品はこちら。
2024.08.02
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こんにちは。暑い日が続いていますが、昼間はもちろん暑く冷房入れてますが、夜間は扇風機だけで済んでおり、比較的まだ過ごしやすいです。さて、神社巡りの続きですがこちらは小高い場所にある神社になります。徒歩で行ける範囲にある神社ですが坂のためいい運動になります。鳥居をくぐって階段を登ったらお社です。早朝は境内はひんやりとしてここだけ気温が明らかに違いました。ここは秋にお祭りがあって夜は結構賑わいます。気持ちが引き締まるというかちゃんとしなくてはという気持ちになれる。やはり神社巡りは定番にしたいと思いました。
2024.08.02
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今日から8月に入りました。今年は下の息子が小学生最後の年で地区PTAの役員をしています。上の娘が小5の流行病前迄は毎年夏祭りの行事がありましたが、約3年間の開催中止後、昨年から再開しました。何でもそうですが、一回辞めてしまうと完全に元に戻すのは難しい。内容よりもまず一番大事な「毎年継続すること」が先決です。役員としていろいろ調整して他の地区の役員の保護者の方と協力して準備を進めています。無事にこの夏、行事が出来るよう先月後半から自宅周辺や近郊の神社へお参りに行くようになりました。昨日投稿したのは先の戦争で戦死した県内の英霊を祀った護国神社ですが、こちらは塩釜神社の分社として地域内にある神社です。上の娘の出産前に安産祈願でお参りしてから久しぶりに行ってきました。街中にあって賑やかな場所柄だったせいか、参拝後は元気が出たような?やっぱり気のせいですかね😅でも、この「気持ち」が大事だったら現金ですが毎日でも参拝したいですね。神社に通い出したら毎日自宅で拝めるように神棚が欲しいと思うようになりました。我が家は狭いので大きい物は置けません💧
2024.08.01
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