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「アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、よし悪しがわからないとファンと言えないと批評する人もいる。 推し を恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが 推し にリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、団同士の交流の好きな人。
あたしのスタンスは作品も人も丸ごと解釈し続けることだった。 推しの見る世界を見たかった。 (P17~18)
推し を始めてから一年が経つ。それまでに 推し が二十年かけて発した膨大な情報をこの短い期間にできる限り集めた結果、ファンミーティングの質問コーナーでの返答は大方予測がつくほどになった。裸眼だと顔がまるで見えない遠い舞台の上でも、登場時の空気感だけで 推し だとわかる。 (P32) 世間の動向に疎い60代後半の老人にも 「推し」 という言葉の意味が 「名詞」 としては動詞として使われている 「推す」 の対象を指し、知っている言い方で言えば 「アイドル」 を指すことは理解しました。で、 「推す」 ことに熱中することを 「燃ゆ」 という古典的言い回しで表現したのが本書の題になっているようです。
もう私は、属目の風景や事物に、金閣の幻影を追わなくなった。金閣はだんだんに深く、堅固に、実在するようになった。その柱の一本一本、華頭窓、屋根、頂きの鳳凰なども、手に触れるようにはっきりと目の前に浮んだ。繊細な細部、複雑な全容はお互いに照応し、音楽の一小節を思い出すことから、その全貌を流れ出すように、どの一部分をとりだしてみても、金閣の全貌が鳴りひびいた。 (三島由紀夫「金閣寺」新潮文庫P30) どうです、あんまりな引用に、びっくりなさったでしょうか。 三島由紀夫 の 「金閣寺」 の第1章の末尾、主人公の青年が 「金閣寺」 に鳴り響く音楽を見出した瞬間の描写です。
私は膝を組んで永いことそれを眺めた。 有名(?)な結末です。実際に金閣に火をつけた小説のモデル、 林養賢 という人物は現場で自殺を図ったうえでとらえられたようですが、小説の主人公は 「推し」 を失いながら 「生きる」 ことを決意します。
気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。
ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て 来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。
別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。(「金閣寺」新潮文庫P257)
綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨をひろうみたいに丁寧に、自分が床に散らした綿棒をひろった。空のコーラのペットボトルをひろう必要があったけど、その先に長い長い道のりが見える。 この小説は 「推し」 に 「燃え」 た結果、高校を中退した18歳の 「あかり」ちゃん の語りなのですが、その語りの文章は、ある端正さで維持されており、 金閣寺 の主人公の語りが作家の文体そのままの文章であることと共通しています。
這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。 (P125)
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