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かんこ、と呼ぶ声がする。台所から居間へ出てきた母が二階に向かってさけぶ声が聞こえてくる。かんこ、おひる、かんこ、お夕飯。しないはずの声だった。夢と現実のあいだを縫うように聞こえてきた。むかしは「にい。かんこ。ぽん」だったと思う。にい、かんこ、ぽん、ご飯。兄が家を出て「にい、かんこ、ぽん」は「かんこ、ぽん」になった。今年の春、弟のぽんが祖父母の家に住みはじめて「かんこ」になった。母が階下から呼ぶ。いつまでも聞こえてくる。にい、かんこ、ぽん。にい、かんこ、ぽん。かんこ、ぽん、かんこ、ぽん。かんこ。かんこ。・・・・。(P3) 階下から聞こえてくる 母の声 が響きます。外側から聞こえてくる音としての声と、それに連動して、頭の中に響く、自分だけに聞こえている音としての声が、ことばとしての意味の姿をまとわせて立ち上がらせながら、 語り手 である、高校生の 「かんこ」 の内面の物語が始まります。
これが宇佐見りんだ! ボクは、チョット、ドキドキします。
かんこはこの車に乗っていたかった。この車に乗って、どこまでも駆け抜けていきたかった。(P124) 「くるまの娘」 という、この作品の けったいな題名 の所以ですが、ようやくのことで帰り着いたに かんこ は 「くるま」 から降りることができなくなって 「くるまの娘」 になってしまうところが、 宇佐見りん ですね(笑)。
あの時、 日がのぼるのが苦しかった。日が沈むのも苦しかった。苦しみをなにかのせいにしないまま生きていくことすらできなかった。人が与え、与えられる苦しみをたどっていくと、どうしようもなかったことばかりだと気づく瞬間がある。すべての暴力は人からわきおこるものではなかった。天からの日が地に注ぎあらゆるものの源となるように、天から降ってきた暴力は血をめぐり受け継がれるのだ。苦しみは天から降る光のせいだった。あの旅から帰ってきて、自分が車から降りることができなくなってしまったと知ったとき、かんこはそう思うことにした。そしてかんこは、車に住んだ。毎朝母の運転で学校へ行った。(P140) はまってしまうと、一気に 暴君化する父 、今日の記憶を次々と失っていく 母 、通っていた学校に耐えきれなくて 祖父母と暮らす弟 、父親の世界から 逃げ出した兄 、そして、 くるまから出られなくなったかんこ 。
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