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「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。 ジュスティーヌ・トリエ という フランス の 女性監督 の 「落下の解剖学」 でした。
「はい、アカデミー賞ですから。」
大怪我をして 「落下」 したのか、 「落下」 しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。
という映画でした。
で、怪我を解剖しても、怪我をしたのがいつだったのかわからないので、
「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。
まあ、そんな感じの 裁判 だったと思いますが、 裁判 という制度が、事実の 「解剖」 では出来事の 真相 にたどり着けない場合、ようするに物証がない この映画のような事件 の 裁判 の場合、
「結論」を物語化する
ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。
でも、多分、殺人事件の裁判の立証でそういうことはあり得ませんね。そこのところを隠しているのが、この映画の大きな欠点だったという印象が、まあ、ボクには、強く残りました。
大怪我の結果、死んだのは 夫
で、怪我をさせた、あるいは、殺したと疑われているのは 妻
、第一発見者は、 息子と犬
でした。この映画の裁判で検事が、芝居気たっぷりに 「解剖」
しようとしているかに見えるのは 「家族」、「夫婦」
、そして 「夫」、「妻」、「子ども」の内側
ですね。
ああ、これでは真相はわかりっこないな!
そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが 物置の屋根の角 であれ、ひょっとしたら 妻 が振り上げた トンカチ であれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、
「結論」は主観的に選ばれる
まあ、そういうことを考えながら見ていて、 この映画というか、映画の製作者は
「裁判という制度」について最初から観客をだましているな
とういう感じで見続けていました。
どういうことかというと、裁判という制度は、たとえば、殺意が認定できても殺人を認定できない場合、 「疑わしきは罰せず」
の原則にのっとって無罪放免以外に方法はないということを伝えずに、裁判をある男の死の真相の謎をサスペンス化して、それが見つけられるはずの場として、あたかも法廷劇であるかのように、 「裁判」
を描いていたことですね。何が表現したいのかよくわからない展開でした。
というわけで、事件の真相がサスペンスとして語られていると思いながら見ているわけですが、謎が吊るされているロープがぴんと張っていないという気分は募るばかりでしたが、検察側の状況証拠に、 夫が録音した夫婦喧嘩の実況中継
が出てきて、関心を持ち直しました(笑)。
妻の職業が小説家
で、 夫
は 書けない小説家志望
、二人の小説作法に共通するのが、 現実の小説化
ということです。
これは面白いやん!
島尾敏雄 ですね。数年前、 梯久美子 の 「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫) という評論が話題になりましたが、その中で、
「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」
とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、
新たなるサスペンス!
の始まりでした。
まあ、映画では、 夫
によって文章化された夫婦喧嘩の描写が小説のプロットとしてつまらないという編集者の判断があり、 夫の作家的無能
の、だから 自殺を思い立つ状況証拠化
されてしまって、一気にロープが緩むのですが、どうせなら、 妻
がこの場面を書いた原稿まで、見つけてほしかったですね。そこに、 妻の殺意
が描かれていたとしても、現実の殺意とは、実は、ほとんど関係ないというあたりまで、どう描くか、まあ、そんな期待だったのですが、
トンボ切れでした(笑)。
要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、 アカデミー賞
では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。
付け加えていえば、この作品で、境遇に耐えながら、なんとか、生きているのは 少年と犬
だけでしたね。
少年
は、裁判であげつらわれている 母と父の虚構の生活の中
で、自らの存在も、また、虚構されているのですが、残された母の命を救うことで、自らが 「生きる」
ことを選び取ったといえるのかもしれません。
上にあげた 「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)
を書いた 梯久美子
が、評伝執筆にあたって協力を依頼した島尾夫婦の、長男、 島尾伸三
から 「きれいごとにはしないでくださいね」
といわれたという話は有名ですが、この映画で、帰宅した 母
に 少年
がいう
「ママが帰ってくるのが怖かった」
というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる 「狂うひと」
との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。
監督 ジュスティーヌ・トリエ
脚本 ジュスティーヌ・トリエ アルチュール・アラリ
撮影 シモン・ボーフィス
美術 エマニュエル・デュプレ
衣装 イザベル・パネッティエ
編集 ロラン・セネシャル
キャスト
サンドラ・ヒュラー(サンドラ被疑者・作家)
スワン・アルロー(ヴィンセント弁護士)
ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル息子)
アントワーヌ・レナルツ(検事)
サミュエル・セイス
ジェニー・ベス
サーディア・ベンタイブ
カミーユ・ラザフォード
アン・ロトジェ
ソフィ・フィリエール
2023年・152分・G・フランス
原題「Anatomie d'une chute」
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