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郡山市の秋祭りも昨日で終わった。祭りと云えばワッショイ、ワッショイと神輿を担ぎ、お祭り騒ぎという言葉もある位だ。昔は年に一度の1番盛りあがる年中行事であったわけです。現代社会では娯楽も多様に亘り、フェスティバル、催事等々が1年中行われている時代です。また大谷翔平選手の活躍など地球の裏側でも逐次追跡できるわけですから、年に一度の地域の祭りも霞むのもやむなしかも知れません。祭りは自分が参加するから面白くなる、盛り上がるわけです。そこに加わるという事です。趣味の詩吟の世界でも自分が参加して吟じる事ができる場であるからこそ。言わばこれもお祭りみたいなものです。そういう意味に於いてはみんなで楽しめる場をつくりあげてきた伝統とも言えます。学校では、年に一度の運動会と学芸会&文化祭がお祭り騒ぎであった。修学旅行もあった。日常の中に非日常という場をつくりメリハリをつける。3学期ある中に3つの大きなイベントがあったわけです。加えてリレー選手に選ばれるとよその学校にまで招待されて走ってくる。晴れの舞台が用意されていたわけです。学校行事という仕組みづくり。これらは自分の生活の中でも意図して置き換えて楽しみの場づくりを企画したらいいわけです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▪️WordからPDFに無料でコンバーターできるサイト▪️WordをPDFに無料で変換(制限なし)▪️WordをPDFに変換できるサイトです▪️ WordをPDFに変換食用菊が直売所に並ぶ季節到来です。菊独特の香りが良いですね。秋になると一度は食べたくなる食用菊の酢の物。お湯で湯がいてから水分を絞り、シンプルに酢醤油でいただく。子どものころ食べた食べ方で食べたくなる郷愁の味が蘇るわけです。菊のへたのほろ苦味がいいね!
2024/09/30
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昭和46年4月、群馬県邑楽町から埼玉県浦和市に移り住んだ。高校を卒業して読売新聞の奨学生として入学金、授業料免除で港区田町の東京理工専門学校に通う事になったのです。浦和市岸町、調宮神社と旧中仙道の交差点近く。読売新聞浦和第一専売所に配属となり店の2階に下宿した。あのころ何が美味いかといえば駅の立ち喰い蕎麦が美味しいと感じたものです。よく立ち寄ったのが京浜東北線で田町駅を下車して約5分の専門学校に通っていたので途中の秋葉原駅の立ち喰い蕎麦をよく食べたものです。いわゆるかけ蕎麦です。たまに給料が入った日に天ぷら蕎麦だったような記憶です。若いからよく腹が減ったのか、美味いと感じたから食べたくなったのか、今では定かでなくなったが多分両方の理由でよく食べたのだろう。読売新聞奨学生を選んだのは、我が家が読売新聞をとっていたので、記事下の広告を見たのです。入学金、授業料免除。働きながら学べる。寝泊まりする場所が確保されて、2食の賄い付き、多少の給与もある。身一つで生活できる。他に、すぐに自立して都会で暮らせる方法を思いつかなかったのです。世の中の仕組みも知らず人生経験もない田舎の若造の選択でした。昼食は学校のランチ定食が多かったのだろうがあまり記憶がない。記憶が有るのが田町駅から3駅先の有楽町の駅を降りて日劇ホールの脇に小さなカレーショップに良く通った。ラッキョウと福神漬けのトッピングが自由に摂れるのが嬉しかった。あと学校の周辺の定食屋などだった。学校の授業が終わると銀座三越2fの一角でラジオの実況生放送が行われていた。幾つも歳の離れていない早口で喋る男性アナウンサーの名前、思い出した夏木ゆたか、思い出すのに1時間ほどかかってしまった。 有楽町駅南の宝くじ売り場前、銀座数寄屋橋には日本愛国党、赤尾敏総裁(74歳の頃)が街宣車の上での街頭演説、いわゆる辻説法を間近でよく聞いたものです。下手な落語よりもよっぽど面白く聞けた。それにしても91歳の生涯で3万回以上の辻説法を行ったとは凄いね。
2024/08/13
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