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犀川越えを控えた宿場「丹波島宿」善光寺を目前に犀川超えの渡しを控えた宿場。宿場は慶長16年(1611)に開設、本陣や問屋あとの碑があり整然とした街並みが往時を偲ばせる。丹波島宿の遺産マップ丹波島宿の西端には、旧丹波島村の村社の於佐加神社がある。問屋跡。民家の屋根で見つけた瓦鍾馗。京都を中心に関西方面では多いらしいが、長野では見たことがなかった。正面は犀川に掛かる国道117号の丹波島橋。橋を左に犀川を渡るといよいよ善光寺といった感じだ。長野市から丹波島宿、篠ノ井宿へと向かう丹波島橋の東側の歩道にはこれと言った表示はないが、善光寺へと向かう丹波島橋の西側の歩道には橋脚の一区切りごとに丹波島の渡しから鉄橋への移りかわりの由来が描かれている。今回の稲荷山からの行程でこの説明が一番読み応えがあったので、ご紹介を。渡し舟の時代慶長16年(1611)、北国街道に善光寺宿、丹波島宿、屋代宿が開かれるとともに「犀川の渡し」が置かれた。この渡しは、千曲川に置かれた「屋代の渡し」とともに重要な役目を担い、これにより街道を往来する人びとの流れは松代廻りから善光寺廻りへと変わっていった。舟橋の時代明治6年(1873)3月、民間の「丹波島舟橋会社」が設立され、渡し舟は舟橋へ代を譲ることとなった。木橋の時代明治23年(1890)9月、丹波島地区の人びとによって民間経営の丹波島橋(初代木橋)が架けられた。 鋼橋の時代昭和7年(1932)12月、全長541m、全幅12.2mで両側歩道付のゲルバー型トラス構造の橋が総工費88万円で架けられた。 そして善光寺常夜灯。旅人はこの常夜灯をみていよいよ善光寺にたどりついた喜びを噛みしめていたことだろう。かつて鉄道が無かった頃はこのまままっすぐ善光寺へと行けたのだろうが、今は新幹線と在来線の線路が道をふさぐ。跨線橋を渡れば長かった北国西街道の旅は終わり。善光寺へとたどりつく。
2008.10.26
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篠ノ井追分宿~丹波島宿国道18号線は千曲市から千曲川を越えて長野市にはいると見六橋(みろくばし)で分岐。旧国道18号線は県道77号線と名前を変えてここから丹波島橋、そして長野市市街地を結ぶ。これと並行にその西側を長野新幹線、信越本線が走っており、北国街道はその間を縫うように続いている。篠ノ井追分宿を出て鉄道の下をくぐり、岡田川を渡って見六橋信号を北上。街道筋には香福寺、宝昌寺とお寺がつづく。これは宝昌寺。宝昌寺の壁の板にカニの彫り物。本堂の幕にはカニの紋のようなものが入っていたし、どんな縁があるのだろうととても気になった。御幣川五差路信号角で歯痛の神様を祀る歯瘡医殿。五差路の北側は二股の道に分かれる。篠ノ井駅からの道に交差すると驥山館の案内。ここで展示してある書家・川村驥山(1882~1969)さんの話を先日、ラジオで聞いていたのでどんな字を書いた人なのかと見たくなって驥山館を訪ねた。開館しているはずの時間なのに入口の鍵が閉まっており見ることは出来なかった。高田公会堂石造地蔵菩薩坐像・石造薬師如来坐像の案内に中をのぞけば地元の人が宴会中。活気にみちあふれていた。「明治天皇原御膳水」の碑が建つ屋敷。案内板には、「明治23年8月、更級郡唯一の長野区裁判所中津出張所として現地に開所された」とある。10月1日(水) ~10月19日まで「まほろば美術展」が開催された“ひとミュージアム上野誠版画館 ”。以前、縁あってまほろばという機関誌に絵を発表する機会があった。その関係で作品を出品した。※この日記は10月26日の日記として書き込んでいますが、本当は19日の誤りでした。右一番奥にあるのがワタシの作品。見えないでしょう(笑)。普段は2L(ハガキの倍くらいの大きさ)のスケッチブックに絵を描いているのに、このときの大きさが6号以上(A3くらい)という規定。ストックを使うわけにもいかないので締切日前日になんとか仕上げた。昔から締め切りにならないとできない悪い癖がある。でもいい経験ができました。ちかくで「08川中島フェステバル21」をやっていて、拡声器から音楽やざわめきが流れていた。新田共同井戸明治10年代に新田組23戸の共同井戸として掘削されたつるべ井戸である。(中略)現在も新田公民館と附近の住民が使用している。今でも井戸端会議があるんだね。丹波島宿に到着。旅はいよいよ丹波島宿から善光寺宿を残すのみ。
2008.10.26
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善光寺街道との追分「篠ノ井追分宿」幕府が制定した宿場ではないが、塩尻方面から善光寺へ到る北国西脇往還(善光寺街道)と北国街道との分岐点にあたる間(あい)の宿で、茶屋が繁盛した記録が残る。石碑、石塔に面影を残す。稲荷山宿~善光寺宿 29003歩稲荷山駅入口から前回歩いた長谷観音交差点までもどって、ここから善光寺道をたどった。右折した西の山の麓には大和、鎌倉と並ぶ日本三大長谷寺のひとつ、峯山長谷寺がある。松代の殿様、真田幸隆、幸隆夫人、真田昌幸の墓がある。昔の人は善光寺詣での帰りに必ず立ち寄ったといわれているが、私たちは左折し先を急いだ。ごめんなさい。交差点から東に歩いて少ししたところにお地蔵さん。なんだか悪いことをしてとらえられているようにも見える。思わず屈んで写真を撮ったが、じっくり見ても特にこれといった違いはない。なんでこんなに厳重に囲いをしてあるんだろう?長谷寺の門柱が随分離れたところにあった。かつては権勢を振るった証なのか。大木に囲まれた天用寺の角を左折。塩崎小学校から現在は県道77号線となった善光寺道を北上する。途中川が流れ、長野自動車道の高架をくぐる。するとあたりは一面のリンゴ畑。真っ赤に色づいたりんご。思わず写真を撮ろうと近づくと背後から「そこで何してる!」。道路向こうにいたばあさんが一喝した。そんなに怒らんでもええやん。おどろいたおかあが「リンゴがあまりにきれいなので写真を撮っています」と答えると静かになったばあさん。りんご泥棒とでも思われたか。昔、学校で習った。李下に冠を正さずを思い出した。ばあさんはばあさんで過去にリンゴを盗られことがあったのかも知れないね。でも、ワタシは無実だ。街道を歩いていると右手に民家の軒先でたい焼きを売っていた(山田たい焼き店)。おいしそうだったので2つ買って軻良根古(からねこ)神社で食べた。あんこがシッポの先まで入っていたよ。1個110円でした。塩崎郵便局を少し越えて右に「篠ノ井追分宿跡」の石碑が建っている。このあたり一帯にかつての宿場があったようだけど今は石碑を残すのみ。右手の通りに入り、しばらく歩くと土手の手前に軻良根古神社。土手に上がると千曲川とその向こうに千曲市の市街地が見える。北国街道からの旅人は川のどのあたりを越えてきたのだろう。行きは見過ごしたのだけど、篠ノ井追分宿跡の石碑の裏には宿の歴史が記されていた。写真は3枚に分かれているのでちょっと読みにくいけど感心のある人はどうぞ。上中下軻良根古神社への途中にある郡役所跡、警察署跡の碑が、宿のいにしえの栄華を語っていた。篠ノ井宿の近くで見つけた落ち着いたお店「花水木」。あとで調べると天丼のおいしいお店とか。次回、北国街道を歩くときに食べに来ることにしよう。
2008.10.26
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猿ヶ馬場峠から念仏石、茶屋跡、一里塚と善光寺道を通り長野自動車道をくぐり、JR篠ノ井線の踏切を越えると中原の集落。突如現れた長い白壁に目を惹かれた。屋敷の入り口には「和田家の歴史」とある。 江戸期には松代藩屈指の豪農、酒造業として繁栄し苗字帯刀を許されていた。ここ長野銘醸の銘柄は「オバステ正宗」。名前は聞いたことはあるけど、日本酒通ではないワタシはあいにく口にしたことがない。前庭の老松「七曲の松」は天保14年の「善光寺道名所図会」にも紹介されているので思わずパチリ!天満宮をすぎると佐野川温泉竹林の湯、今年に入って何度かこの道を通り、入ってみたいと思っていた温泉。調べてみると昨年のクリスマスにオープンしたばかり。石けんシャンプーの備え付けはないが入浴料は250円と安い。お風呂を出てすぐ隣が伴月楼記念館。入館料は300円。開館期間は4月1日から11月30日までの午前10時から午後4時まで(火曜日は休み)。そのうち7月、8月は休みになっている。この家を1856年に建て替えた松代藩士関新右衛門長昭の子孫が今もこの家に住み、たてものの説明をしてくれる。関氏は佐久間象山と親しく縁の書が多く残る。説明が長引き、4時半過ぎに伴月楼記念館を出発。ついこの間まであんなに日が長かったのに5時前ともなるとあたりは暮れかけてきた。2人は急いで稲荷山宿を目指す。伴月楼記念館のご主人の話によると宿場として定められた桑原宿だったが、近在の農家の人びとがにわかに旅籠を始めたためにやがて衰退。かわって商業地をひかえた稲荷山に宿が移ったとのことだった。稲荷山宿は当時、商業の中心地をして繁栄を極めた。稲荷山宿には往時を偲ばせる土蔵づくりにの建物が残る。鉄道が開通してからというもの、駅から離れたところにある稲荷山宿も次第に寂れていく。稲荷山駅家を出るとき、稲荷山駅から長野駅へと向かう列車時刻をチェックしていた。16:23、17:28、18:22と夕方はおよそ1時間に1本の割合ででている。17:28の列車も長野に向かって今しがた出て行ったところだった。駅周辺に食堂でもあれば時間をつぶすことが出来るのだけど、駅のまわりは何もない。駅の主のミケネコが、駅前にデーンと身を横たえていた。次回、善光寺道最終回。稲荷山から善光寺へ。
2008.10.11
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市野川宿~桑原宿栗拾いを終えて旅路にもどる。お仙の茶屋から403号線を少し登れば北国西街道の案内板。峠まではあとわずか。お仙の茶屋跡その昔、この茶屋にお仙という美しい娘が住んでいて、村の若者たちのあこがれの的であった。しかし、お仙は人知れず旅の武士を慕い悲恋の一生を終わった。北国西街道のHPには将来を誓い合った若武者が峠越えの途中で山賊に殺されたことを夢で知ったお仙は哀しみのあまり峠で自害し、彼の跡を追ったとある。街道沿いには平成になって建てられた句碑が建ち並ぶ。聖湖に到着。釣り糸を垂れる釣り人たちが多い。番場峠の五月の花は 枝は東え根は西へどういう意味なんだろうか?大正時代に活躍した画家、竹久夢二の句碑。聖湖の端が猿ヶ馬場峠。ここから善光寺平が見通せ旅人たちは安堵の涙を流したというが、現在は杉が林立していて善光寺平を見通すことは出来ない。かたわらにある念仏石。千曲市に入るとともに旧跡には説明の看板が立っているので読むのが楽しい。八幡村(現千曲市八幡)の人びとが自分たちの領地であるあかしとして麻績村内に一夜にして築いたという馬塚。火打石の一里塚麻績村、市野川の一里塚とこの先の稲荷山、一里山の間の一里塚、前後の一里塚はいずれも姿を消して地名のみとなっている。火打石周辺にはかつて9軒の茶屋が建ち並んでいた。くつ打ち場馬に草履を履き替えさせた場所。くつ打ち場を過ぎれば里も近い。高速道路の高架を下ればJR篠ノ井線、桑原宿の集落が見えてくる。
2008.10.11
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麻績宿~稲荷山宿聖高原駅~猿ヶ馬場峠(5.5km)、猿ヶ馬場峠~桑原宿本陣跡(5.0km)、桑原宿本陣跡~稲荷山駅(4.7km)→延べ距離15.2km 25,380歩9時3分長野駅発の各駅停車に乗り込んで9時45分に聖高原駅に到着した。降りたのは私たちの他に3人。いつものように駅前のトイレで用をすませて、ストックを使ってストレッチをしていると、村のバスが到着した。かまわずにストレッチを続けていると、少し背は高いがよぼよぼしたおじいさんから「リハビリをしてるの?」と声をかけられた。おいおい。(`へ´)長野県を含めた中部北陸8県で制定した「中部北陸自然歩道」というコースがあり、長野県には34コースがある。善光寺道のうちの聖湖から旧四賀村役場に至る23.3kmを「筑北の里をめぐる峠みち」とさだめて県ではパンフレットを発行している。そのパンフレットにおいても麻績宿から聖湖までの行程の前半は国道403号線を歩くコースが紹介されているが、自動車の通行が多いので危険だ。一方、麻績村、生坂村、坂北村の3村が発行するガイドマップ「歴史と伝説を訪ねる旅 信州曼陀羅の里」では403号と並行し時には交差する善光寺道を紹介している。前回の旅の途中、私たちは坂北駅でこのパンフレットを入手し、コースを確認しておいた。コスモスの花に彩られた田園地帯を歩いていたが、集落に行きあたり、バス停を見つけた「市野川宿」。麻績宿と猿ヶ馬場峠の中間に位置する間の宿。シーンと静まりかえり、ときおり怪しい人影(私たち)に気づいた犬がワンワンと吠える。地図とガイドブックを見ながら歩いているが、田んぼの間に張り巡らされた細い道は判然としない、ときおり道を間違える。野焼きをしていたおじさんに声をかけると行きすぎているとのこと。善光寺道を歩くなら403号を少し戻らないといけない。教えてもらった藪の道に入り少しすると403号線。猿ヶ馬場峠にはお仙の茶屋という看板娘のいる茶屋があった。その名前をとったお茶屋が403号線沿いにある。営業は終末の土日、時間は11時から2時まで。店頭に並べられた野菜を見ていると中からおばさんが「いらっしゃい」と出てきて説明してくれる。大きなブロッコリー、初めて見たマコモダケ。店内に入ると厨房で立ち働く人たちからもいらっしゃいませと声がかかる居心地のいい店。ここで昼食にざるそば、きのこそば、天ぷら、そばおにぎり、ビールを注文。先ほどのマコモダケを塩こしょうで味付けした油炒めがつき出しに出てきた。マコモダケの天ぷらもある。私たちが最初の客だったが、次々に客が入ってくる。まわりから関西弁が聞こえてくる。帰りに駐車場をみると和泉ナンバー、奈良ナンバーの車が。お店から見える城山。ノコンギク店の前の大峠ゆめ公園。「クリ、クルミを自由にお持ち帰り下さい」と書いてあったのでいただいた。栗の実がとても大きくてびっくり!\(◎o◎)/
2008.10.11
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山歩き仲間の河野さんから「4日にウォーキングのイベントがありますが行きませんか?」との誘いを受けていたので参加することにした。行ってみると某病院看護師の幹部クラスの研修会。森林セラピーの体験講座だった。最初は1時間、「森林療法概論」の講義。一昨年の夏、森林セラピーの体験イベントで2泊3日、飯山のペンションにとまったことがあったが、森林療法もあの頃よりもバリエーションにとんでいる。講義を終えて一行はなべくら高原に移動。なべくら高原森の家で自律神経測定やストレス度の測定をしていよいよ森林セラピーへ。その前にストレッチ体操。森の中を歩き出す。ヤマウルシがちょっぴり紅葉。わらぶき屋根の廃屋。鍋倉山はブナの密度が高い山。雪の多い北信地方の中でも飯山地域はもっとも多い。4~5mも降る年があるという。雪の重みで樹木は倒れまた起きあがる。樹木でもこの生への執着。人は樹木に負けていないか。自然からいのちの尊さを学ぶ。モミジも徐々に紅葉。やがて山も紅葉していく。新潟との県境にある関田峠から黒倉山へ。あと600m歩けば鍋倉山の頂上だったが、雲行きが怪しくなってきたのであきらめて来た道をもどる。残念ながら、天気が良ければ見えるという日本海や佐渡島は見えなかった。この日、面白かったのはひとりの時間。案内人の高野さんが「私が手をたたいて合図するまで好きな場所に行って、声をたてずに森を感じて下さい」と参加者に指示。参加者は思い思いの場所に散る。ワタシは来た道を戻り集落が少し見える場所に腰をおろした。まわりは一面のブナ林。キョッキョッとアカゲラがないて木から木へと飛んでいく。ジージーとセミが鳴くような声。まだいるのだろうか。ときおりバーンと破裂音が聞こえる。猟師?車が走って近づいてきては遠ざかっていく。カサコソっと枯葉を踏んだような音。虫?とかげ?チチチっと小鳥が鳴いて…ケロケロっとカエルの合唱。いろんな音が聞こえる。どれだけ時間が過ぎたんだろう。まだ集合の合図はかからない。思えば森に来たらいつも歩いてばかり、座ってひとり静かな時間を過ごしたことなんて無かった。カアァ、カアァとカラスが鳴いて…、また破裂音。近くを散策に来た人の歩く声。けっこう色んな音が聞こえる。ワタシは耳を澄ましてまわりの音を聞いていた。静かに時間は過ぎていく。パンパンと手をたたく音。みんなはもと来た場所に集合。「どうでした。いろんなものを感じることが出来たでしょう。」と高野さん。軸を中心にしてくるくる回りながら静かにブナの枯葉が舞い降りてくる。「あ、あっちにも」見るとそこにも枯葉が舞っている。みんなは枯葉の軌道を追う。「どれくらいの時間だったんですか?」と河野さん。「どれくらいだと思いますか?では手を上げて下さい」と高野さん。10分、15分、20分以上と質問すると10分が多く、ワタシと河野さんは15分、20分以上が1人。答えは15分。15分って何もしないでいるとあんなに長いんだ。昔の人たちはなんと豊かな時間を過ごしていたんだろうか。「私は木にもたれて、流れる雲や落ちてくるブナの葉っぱを見ていたらいつの間にかウトウトと眠ってしまいました」と河野さん。河野さんも豊かな時間を過ごしていたようだ。
2008.10.04
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