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いよいよ、前代未聞のゴールデンウィークが始まりますね。2月にはまだ危機感がなかった事もあり、娘と高速バスを使い金沢に行こうとホテルの予約をしたのですが、3月半ばにはキャンセルをしました沖縄県知事が、大型連休中に本土からの飛行機の予約が6万人もあるので、来ないで欲しいと訴えているそうだ。とは言っても減便をした飛行機の予約が、キャンセルをされていない分の数も入っているらしいがパチンコ店も自粛をお願いしているのに営業して、そこに沢山の人が押しかけているそうだし。ニュースでパチンコ店にきたおっさんにマイクを向けると、家にいると暇だし。やってなければ来ないよって答えてた田舎の河川敷では、都会の若者が自主規制でしょ。禁止じゃないしと悪びれず答えていた。そういった若者らが彼らが帰った後には、河川敷に使用した炭がそのまま放置そんなんだから千葉県とかでは、見頃だったチューリップの花を、切り取らなきゃいけなかったんだし九州では自粛要請にもかかわらず、営業を続けていた夜の社交場で、クラスター発生その人たちが新型コロナで苦しむだけならまだしも、医療崩壊が起きたりで他の患者さんが満足な医療を受けられなくなる危険だってある首都圏では、幾人もの人が満足な治療を受ける事もなく新型コロナによって命を失っている。海外では簡単にできる検査も日本ではままならず。医療崩壊を招かない為だという話もあるけどもやはり検査を受け、たい人はすぐに検査ができるようにした方が良いのではないかと重症化が懸念される患者は早くから治療を受けれるし。軽症な人も感染をしていると知れば、周囲の人にうつしてしまうような行動はしなくなるだろうし今朝のニュースでは単身赴任で、世田谷区に住んでいた男性が、体調が悪くて相談電話に何度もかけてもつながらず、医者からやっと依頼し検査できたが、判明するまで数日かかるそうで、それを待たずして自宅待機中に亡くなっていたそうだ。お気の毒でならない・・・写真の方ですが、1月下旬に娘と出かけた首都圏への旅での、横浜最終日の続きです戦前に外国人が住んでいた洋館を横浜市が無料で公開をしているので、見学をさせて貰いました。ここは「外交官の家」ですニューヨーク総領事や、トルコ特命全権大使などを歴任をした、明治政府の外交官である内田定槌(うちださだつち)の邸宅として明治43(1910)年に、東京渋谷の南平台に建てられたんだそうですよ彼は豊前国小倉(福岡県北九州市)の出身で東京帝国大学法科大学を卒業をしたそうで大河ドラマ「いだてん」で、駐スウェーデン公使として登場した人物なんだとか。建物の設計は、聖公会伝道局から築地立教学校へと派遣され来日をしたJ.M.ガーディナーです彼は立教大学校長を退任後に本格的に建築家としての人生を歩み始めたそうで、この建物同様に、明治村に移設されている京都聖ヨハネ教会教会堂や、函館遺愛学院本館などが国の重要文化財に指定をされている建物は木造2階建てで塔屋がついており、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁がされ華やかな装飾が特徴であるアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残している。外交官の家は「山手イタリア山庭園」にあるが、ここは明治期にイタリア領事館が置かれたことからイタリア山と呼ばれていた地域に、幾何学的に水路や花壇を配したイタリア式庭園で、花壇にはバラの季節には姉妹都市であるリヨン市から贈られたプレステージ・ドゥ・リヨンが咲いているそうですよ「山手イタリア山庭園」には、洋館がもう一軒「ブラフ18番館」も移築復元をされたておりこちらは関東大震災後に、山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデンの住宅でした戦後になり天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となって、カトリック山手教会の司祭館として使用された後に、横浜市が部材の寄贈を受けて、山手イタリア山庭園内に移築復元したものです建物の設計や施工者といった詳しい事はわかっていませんが震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、部材として利用されている事が解体時の調査でわかりました木造2階建て、1・2階とも中廊下型の平面構成で白い壁にフランス瓦の屋根、4つの暖炉を1つにまとめた合理的な煙突がたっています。その他ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、バルコニーサンルームといった洋風住宅の意匠がされてます↑内装は、こちらをご覧ください人が実際に住んでいないからこそ、こういった隙のない、スッキリとした家になるんだと思うやっぱり見回してみると、モノが多すぎるんだよね。京都のお寺や、こじゃれたホテルとか断捨離に努めるか・・・収納も大容量で用意したのに、新築4年目にして無駄なものばかりを既にため込んでしまってるし捨てられなかったものも、4年間もそのままではもはやゴミだし。ゴールデンウィークはお出かけ出来ない人がステイホーム家でいかに快適にいることが出来るかと思いDIYに目覚め、ホームセンターも大賑わいしているそうだ。そこまでしなくても冬物の衣類を片付ける季節なので、思い切って服も処分をしようかと思っているのにゴールデンウィークを待つ事もなく、旦那が今日からテレワーク。2階寝室の窓際に作り付けの机は、物置きと化していましたけど4年目にして、初めて使われる事となるとは夢にも思いませんでした。だから天気も良いけど衣替えは出来ません今まで紹介をした横浜市の所有で一般に公開をしている洋館の他にも、山の手に戦前に建てられた洋館が、幾つも残っている。山手89-6番館(えの木てい)は1927(昭和2)年に朝香吉蔵の設計で建てられた横浜開港し、海岸沿いに建てられた外国の商館は「一番館」「二番館」・・と呼ばれていたそうで、この山手十番館は母体である勝烈庵の十番目の店として昭和42(1967)年明治100年を記念して建てられたものらしい禁教令の緩和直後に、横浜居留地(山下町)にパリ外国宣教会が創建をした、横浜天主堂が1906年現在地に移転。関東大震災で倒壊した為に、ヤン・ヨセフ・スワガーの設計により1933年に再建されたカトリック山手教会現在、放映中の「はね駒」(再放送)とか花子とアンなどでも、キリスト教の女学校で主人公が学ぶ姿が描かれていたが、山手はそういったミッションスクールの発祥の地であるらしい。名こそ変わったりもしたが山手で誕生した女子ミッションスクールはフェリス女学院(1870年創立)、横浜共立学園(1871年創立)、横浜英和学院(1880年創立)、捜真学院(1886年創立)、横浜雙葉学園(1900年開校)などなど横浜が開港し波止場が建設され、居留地の整備をはじめとした街づくりがはじめられ当時の最先端とも言える都市の基盤を担う技術が導入され、日本で初めて横浜に導入されたものも多い居留地の外国人たちは自国の状況を踏まえ都市の基盤整備の重要性を痛感しており当時はコレラが流行していた為、居留地の排水と下水道の整備は欠かせなかった。その近代下水道の記念碑もあった今、朝ドラでエール!をやっているけど西洋音楽が日本にやってきたのは、信長時代の教会音楽を別にすると、幕末期のペリー来航で音楽隊が演奏をしたのが初だったようだ4隻の黒船で来航したペリー提督は、米国大統領からの親書を携え、横須賀の久里浜に1853年7月14日に上陸し、この時に海兵隊が演奏したのが米国独立戦争時の曲である「ヤンキードゥードゥル」で、日本語の詩がつけられ「アルプス一万尺」となったまたアメリカ南北戦争の「リパブリック賛歌」は「ごんべさんの赤ちゃん」として日本人に親しまれた。明治となり鹿児島湾に停泊をしていたイギリスの軍艦から聞こえる軍楽隊の音楽に島津久光が感銘を受けて、薩摩藩にも軍楽隊を作る事になったその指導をイギリス軍に要請し、横浜に駐留をしていた、英国第十連隊のフェントン軍楽長に依頼。薩摩藩士32名が薩摩藩洋楽伝習生として横浜に派遣され、イギリス軍の駐留地にも近い本牧山妙香寺が、洋楽伝習生たちの寝泊りと練習の場所となった為、日本吹奏楽の発祥の地となったフェントンは日本の国歌で指導をはじめようとしたが、その時点で日本には国歌がなかった為伝習生が砲兵隊長であった大山巌(西郷隆盛の従兄弟)に伝えると、 古今和歌集に記載されおめでたい歌として小唄、長唄から浄瑠璃でも愛唱されている「君が代」が選ばれた君が代は薩摩琵琶歌にもあり、大山巌の愛唱歌だったんだとか。明治3年にフェントン作曲で演奏をされたが、西洋音楽の要素が強くて歌いにくかった為に、エッケルトが吹奏楽用に編曲したのが現在の「君が代」の曲らしいさてさて1862(文久2)年にリチャードソンら4人のイギリス人らが、多摩川へピクニックに行こうとして、横浜の生麦村で薩摩藩の島津公↑の行列とちょうど出くわし、行列の前を乗馬して横切ろうとしたので、薩摩藩士に無礼だと切りつけられリチャードソンは絶命をしてしまった横浜居留地に住む外国人らは、ピクニックや馬の遠乗りを安心して楽しめる場所が欲しいと、山手に遊歩道と、公園を設置するように幕府に要求して「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」が交わされ出来たのが日本初の洋式公園である「山手公園」だ2007(平成19)年には、元町公園、港の見える丘公園、山手イタリア山庭園とともに日本の歴史公園100選に指定されたんだとか。また経済産業省の近代化産業遺産に認定されており、開園した年には↑薩摩藩軍楽隊(薩摩バンド)が演奏を行った現代のテニスに近いルールができたのは、1874年にイギリスであったそうだが、それから2年後の1876年6月、日本で初めてのテニスが山手公園で行われたと「ジャパン・ウィークリー・メール」という新聞に記事が載っており、日本庭球の発祥の地なんだとか明治11(1878)年には、居留外国人女性で組織された「横浜レディズ・ローン・テニス・アンド・クロッケー・クラブ(横浜婦女弄鞠社)」が山下公演の管理をする事なり、クラブハウスとコートがここに設けられたこの女性向けのクラブは注目を集め、フェリス女学校をはじめとして、近隣の学校がテニスを取り入れた事から日本国内でもテニスが広まっていったそうだ。1982年に「横浜インターナショナル・テニス・コミュニティー(YITC)」と改名し今も活動されている公園敷地内にあるテニス発祥記念館は、1898年に開館し館長の鳴海正泰氏のコレクションや、YITCが寄贈した品が展示されている。当時のテニスは婦人らが馬車に乗り紅茶やお菓子を持参でクラブへ集まって、長いスカートに長手袋という姿でゆったりとするスポーツだったとか現在のクラブハウスは、関東大震災後に代官坂上に建設された外国人向けの賃貸住宅「旧山手68番館」を移築再建したものです。まだまだ横浜の旅は続く! 2020年1月19日に横浜で撮影 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の為、多くの施設が 臨時休館中だと思われます。自粛の解除後に横浜にいらして下さいにほんブログ村
2020年04月28日
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ちょっぴり横道にそれましたが、今年1月に娘と出かけた東京ディズニーと東京、横浜2泊3日の旅行の続きでして第5回になります。旅は最終日3日目朝ですこの写真にも新型コロナ関連の近況じみた文章を載せてましたが、アップしないうちに内容があわなくなってボツにしました。で、苗木城の写真を使った日記にしちゃいましたこの1月の旅行のおさらいをしますと東京ディズニーランドの企業貸し切りナイトのペア招待が当たったので、娘と出かけた訳でして。初日は高速バスで新宿へ出て、渋谷で新しい高層ビルを見物して、舞浜の宿泊ホテルで休憩後東京ディズニーランドの貸し切りナイトを夜遅くまで楽しみ、次の日は雪降る中を上野の東京国立博物館で高御座と、出雲と大和の古代の宝物を見学。昼過ぎに到着した横浜では中華を食べて、雨の横浜を夜まで満喫をして、最終日を迎えました代官坂の途中にあるカフェでモーニングを食べ、港を見える公園や外人墓地の見学で明治期に海を渡って来日をし、文明開化の担い手となった異国の人たちに思いを馳せ次にやってきたのは 彼らが住まいとした異人館です。ここと同じように明治期に沢山の異国の人がいた神戸の異人館はどこも有料ですけど、横浜の場合は市の所有となっている7つの異人館が無料で公開をしているので、時間の許す限り訪問をさせて貰っている横浜の山手地区にある7つの異人館を紹介をすると、山手111番館、横浜市イギリス館、山手234番館、 エリスマン邸、外交官の家、ベーリック・ホール、ブラフ18番館であるその詳しい紹介などは、↓リンクに写真付きであるので興味のある方はご覧下さい。注意・今はたぶん臨時休館中だと思われます」「山手西洋館公式サイト」公益財団法人横浜市緑の協会最初に紹介をするのは、現存をしている戦前の山手の異人館のでは、最大規模の建物であって意匠が凝っていて見応えもある「ベーリック・ホール」で、私の一番好きな異人館だべーリック・ホールですが、イギリス人貿易商のバートラム・ロバート・ベリックのの邸宅として昭和5(1930)年に建てられたもので、設計者のアメリカ人建築家J.H.モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残しているニューヨーク生まれのJ.H.モーガンは、若い頃から建築を志して活躍をしていたが、フラー社の一員として、近代化を進める大正期の日本へ招聘されたのは51才の時であった。最初は2年のつもりで家族を残して来日をし、丸ビルや、日本郵船ビルなどの建築にも携わったそうだフラー社は関東大震災後に日本から撤退するがJ.H.モーガンは日本に残り、個人事務所を開き様々な建物を残し、1937(昭和12)年に横浜で逝去をしたそうだが、そんな彼を支えたのが、後添いとなった日本女性の存在だ来日後ほどなくして、東京ステーションホテルでモーガンは、英語の本を読む一人の女性と出会い公私ともに良きパートナーとなったそうで、彼女の存在も、日本に骨を埋める事となった要因の一つであろうさてさて、実際にこの邸宅に住んでいたというB.R.ベリックであるが、ロンドン出身で1898年25歳で来日し、事業を順調に拡大した事から東京の駐日フィンランド大使館が、彼の経歴に注目し、フィンランド領事に就任この邸宅で執務を行っていたそうだ。しかし第二次世界大戦が近付いた事から、カナダのバンクーバーに家族で移住をして、1952年にカナダで永眠したそうである彼の没後は、カトリック・マリア会に寄贈され同会の運営するインターナショナル・スクールの寄宿舎として使用され、2000年に同校が閉校となったのちには横浜市が敷地を取得し、建物も市に寄贈をされた。横浜市認定歴史的建造物に選定されている約600坪の敷地に建つべーリック・ホールはスパニッシュスタイルを基調としており、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されていて、とても素敵ですよ運よく出かけた次の日から、改修工事の為に休館になるようでした。今もまた新型コロナ感染拡大防止で、休館をされているようですしかし運悪く、お隣の「エリスマン邸」は改修工事でお休みになっていました。生糸貿易商社の横浜支配人格として活躍をしたスイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅で大正末期に来日し、近代建築の父といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドの設計で建てられました。フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日し、その後日本に留まって、モダニズム建築の作品を多く残し、。日本人建築家に大きな影響を与えたそうです次に、見学をしたのは「山手234番館」で関東大震災前に横浜に7650人いた外国人は震災の翌年には2156人まで減少した為に関東大震災の復興事業の一として、横浜を離れた外国人に戻ってもらう為に、昭和2(1927)年頃に建設された外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)だ設計者は朝香吉蔵で、4つの同一形式の住戸が中央の玄関ポーチを挟んで、左右対称に向かい合い、上下に重なっていたそうで、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型的な建物であった第2次世界大戦後に米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていたが、平成元(1989)年横浜市が、歴史的景観の保全を目的に取得保全改修工事後に、平成11(1999)年から一般公開がされている。現在は、1階は再現をされた居間を中心にして、山手地区の洋館などのパネルが展示されており、2階は貸し出しスペースとなっている建物だけでなく、このような当時の暮らしを思わせる文物が、展示されているのも嬉しいすぐお隣には、同じく朝香吉蔵の設計した「えの木てい(旧 山手89-6番館)」があるが写真を撮り忘れてしまった1909年に建てられた「山手資料館」は、横浜に現存をする木造西洋館としては、最古のもので牧場主として財を成した中澤兼吉氏の和洋併設住宅のうち洋館部分が移設されたもので、館内では横浜開港当時の資料が展示されているこちら昭和42年(1967年)年に、明治100年を記念して建てられた「山手十番館」で、1階はカフェ、1階はランチ、ディナーを楽しめるフレンチレストランとなっているそうだべーリック・ホールの設計をしたJ・H・モーガンが手がけたのが横浜山手聖公会で、 関東大震災で崩壊した聖堂を建て直す形で、1931年に現在の礼拝堂が竣工したが、第二次世界大戦中の横浜大空襲により内部を焼失した1947年に聖堂が再建されて、1990年には横浜市認定歴史的建造物に認定をされたが今度は2005年1月に放火と思われる火災により内部を全焼し、11月に修復がされたものだそうだ山の手からの港の風景も、長い年月が過ぎるうちに随分と変わった事だろう10年、100年・・・随分と長いようで実は、あっという間なのかもしれない朝のテレビで(ここ数年に放映された)高齢者のすごい人生が特集していた太宰治が人間失格を書きあげたお宅の娘さんとか、忠犬ハチ公にエサをやった事のある渋谷の娘さんたちが、つい昨日の事のように若き日の思い出を語っていた。人と同じように、横浜の街も様々な人の営みを見ていた事だろう次に紹介をするのは「横浜市イギリス館」で昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計により、英国総領事公邸として建てられました。広い敷地と大きな建物は東アジアにおける領事公邸の中でも、上位に格付けられていたそうですよ主屋の1階の南側は西からサンポーチ、客間食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながってます。2階には寝室や化粧室があり広い窓からは庭や港の眺望が楽しめ、地下にはワインセラーもあったそうですよ玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板が、旧英国総領事公邸であった由緒を示していますが、写真を撮っていなかったようだし 昭和44(1969)年に横浜市が取得をし、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用をされています。更に平成14(2002)年より2階の展示室と、復元をされた寝室を一般公開してます当時の上海の大英工部総署の設計者が、船窓の特徴である丸窓を、モチーフに取り入れたと思われ、南側(庭園側)の外観は、左右対称の丸窓が特徴的だそうだそれにしても、どんより空の初日と雪や雨に見舞われた寒い前日に比べ最終日は、とてもよく晴れた一日となり、雲一つない青い空のお陰で写真も映えるというものだそして横浜市イギリス館の南側にあるのが「山手111番館」で、ベーリック・ホールと同じJ.H.モーガンによる設計で、彼の代表作の一つとなっている。地上2階、地下1階建てで地上部分は木造、地下は鉄筋コンクリートという構造スタッコ仕上げの外壁と赤い瓦で、スパニッシュスタイルでまとめられている。現在は港の見える丘公園の施設として一般公開がされているが、建物保護の為、2階の回廊の公開は月1回程度に限られており、地下1階はカフェが営業している建物を注文したのは、米国人の両替商T・Mラフィンであるが、彼が乗船していた船に修理の必要が生じて、予定に無かった横浜に立ち寄る事になった。修理を待つ間に箱根へ出かけたラフィンは、そこで出会ったミヨと大恋愛の末に結婚し、横浜に住む事にしたラフィン夫妻は8人もの子供に恵まれ、この家は結婚する長男の為、1926(大正15)年に建てられたものだ。T・Mラフィンは1931(昭和6)年に横浜で亡くなり、山手の外国人墓地に埋葬されたそうであるここに実際に住んでいた息子のJ.Eラフティンは大正12(1923)年頃にシベリア生まれの女性と結婚するが、太平洋戦争が始まる昭和16(1941)年頃に妻のマリアを日本に置いたままアメリカへ向けて出国したようである。妻の方は昭和28年に離日したことが記録されているそうだその後のJ.Eラフティン夫妻は、カリフォルニア州グラナダヒルズで亡くなって、地区の墓地に埋葬されているそうだ。ラフィン家から離れたた後に所有者は数度も変わったものの、良い保存状態のままで、1996年に横浜市の所有となった改修後の1999年より、一般公開をされており1999年11月には、横浜市の指定有形文化財となった。蝶々夫人のように悲劇的な女性もいたかもしれないが、日本女性を愛した事で日本でとどまり人生を全うした異国男性もいたんだな最近見たなんでも鑑定団では、クーデンホーフ光子の直筆の書。駐日代理大使として東京に赴任した若き青年貴族に見初められ、伯爵夫人として海を渡った女性だ。東京府(当時)に届出された初の正式な国際結婚と言われている。ちょい話が逸れました1885(明治18)年に建てられた「ゲーテ座」は「陽気な(Gaiety)」という英語が由来し、外国人居留地で娯楽を望む外国人のために、演劇からオペラ、音楽、手品、バレエまで演じられていたそうだ。かつての劇場跡地には岩崎学園が当時の面影を残した「岩崎博物館」を建てたそうだ桜木町駅を起点にして、横浜の観光地を周遊する「あかいくつ」号のCコースは、明治期以降の近代建築や港などに代表される古き良きヨコハマを巡ることが出来る。ではでは。まだまだ横浜の旅は続く 2020年1月19日に横浜で撮影 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の為、多くの施設が 臨時休館中だと思われます。自粛の解除後に横浜にいらして下さいにほんブログ村
2020年04月22日
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もはや言葉も出ない。朝から2時間かけて書いた文章を、ボタン一つの操作ミスから全部吹っ飛ばしてしまって、写真だけが残された状態となってしまって、脱力・・・それでなくても、この数日で新型コロナがらみで2回書きかけた文章も、状況が変わったからとボツにしているので、3度の削除となるだけになんだか、ど~~でもよくなってしまって行き当たりばったりな、適当な文章を垂れ流してしまいそうな予感も・・・写真であるが、前回も紹介をしたばかりの地元岐阜県中津川市の苗木城の城山で、我が家的にいつものお散歩コースの一つである。娘と二人出かけたのは4月11日土曜日の事だ。また消しちゃといけないので、このあたりで一度下書き保存をしておくか・・・テレビのワイドショーでは渋谷などの都心の繁華街から人は減ったけど、周辺部の商店街はかえって人が増えているんだとか。週末にしか買い物に行けないとか、子供を残して行けないとか事情のある人もいるのだろうけど、そうでない人たちも多いようだ自粛してない周辺地区のパチンコや、行楽地に出かけたりなんて人もいるそうだし。週末には数はかなり減ったが尾張小牧や、三河、名古屋などのナンバーも見かけた。松本は近隣の木曽あたりの普通の買い物だと思われるが・・・4月17日に緊急事態宣言が全国に発令して岐阜県は夜の社交場と、高級焼肉屋と合唱&ジムと大きなクラスターが3つ発生した事もあって感染者数も3桁となり、重点的に感染防止を防ぐ「特定警戒都道府県」となったクラスターが起きた岐阜市周辺や、可児市なども遠くて、まだ感染者もいない田舎の中津川だけど、愛知県からの観光客も多い事もあって対岸の火事とは思わず、コロナ対策から地元有志による桜祭りも中止いつもなら桜の下での宴会や、カラオケ大会出店などで賑わう春だけど、殆ど人がおらず誰もいないベンチの向こうには、満開の桜花緊急事態宣言を受け、普段から人通りのないような中津川市街の商店街も営業を自粛するそうでシャッター街となっている商店街や公園などに行かなきゃいけないような都市部と違って、家を一歩出たらザ・田舎だし、一人に1台の車所有だし家も敷地も広いので、ストレスも少ないので、都会の方のご苦労はいかばかりであろう海外では家から一歩も出なかった女性がボランティアで食材を配達してた人からコロナに感染をしたそうだし、基礎疾患などのない若い人も命を落としていうというし、新型コロナは厄介で危険な存在だ医療崩壊を防ぐなのか、海外に比べて日本ではPCR検査数が限られており検査を受けたくても、受けれない人も数多くあるそうだ。それでも院内感染は広がり、既に医療崩壊を起こしつつあるインフルエンザのように、熱でふ~ふ~していれば出歩かないが、症状の出ない陽性患者が、自分が感染者だとは知らず余計に、感染を広げてしまってしまっているのではないだろうかそうそう前回の日記で近日に免許の更新があるので、美容院をどうしようという話をしましたが、地元で感染者のない今のうちに出かけた方が良いのでは?と、思いまして半年ぶりに、ベリー・ショートにしました肝心の免許更新の方だが、申請をしたら3ケ月の延長も出来るけど、その頃にはおさまっていると限らないし、忘れて免許が無効にされたら困りますし、本来の更新時期の人と延期した人で混むのも嫌なので今のうちの方が良いと思いまして狭い受付で並ぶのが嫌で、早めに会場に出かけると、人が密にならないよう申告開始10分前まで入場できず、車の中で待つように言われ、時間に入ると長椅子なども端と端に順番に座って講義会場も人数をしぼり2つに分け、机を一つずつ空けて、ドアも開け放って換気も考慮してました。それでも17日の全国の緊急事態宣言を受け、岐阜県は免許更新を中止したので、ギリッギリ滑り込み更新となりました昨日は二十四節気の一つである「穀雨」であったそうだ。田畑の準備が整う頃に降る穀物の生育に必要な、雨が降る時期であるそうだ。例年なら半袖でもいいような暑い日もそろそろ出てきそうだが、今年はまだ居間のコタツに潜り込んでますあぁ・・・なんか、消してしまった今朝の内容とは全く違ってしまっている。本来は苗木藩、遠山家から、麒麟がくるに話がうつしているのに、もはや語る気持ちすら起きもしないし・・・・。また下書き保存このあたりでしますねそうそう自己申告をした、困窮する家庭に30万円の給付金から、住基台帳に記載者を対象に一律10万円となったそうで、最初は政治家が電子マネーやマイナンバーカードをなんて報道で言ってたので、え~そんなのは無理、無理~と悩んでいたけどどうやら家族の名前も記載した書類が代表者に届き、希望をする口座に振り込んで貰うようだ(20日のニュース)娘は経済をまわすものだからと、前から欲しかったけど買えなかったマットレスとか、ヨガマットを購入したいそうだが私と旦那の20万円は、家の固定資産税と車2台の自動車税で、ちょうどぴったりになるし。だいたいが旦那が定年になって丸2年、定年後の再雇用で給与は半減をしてるし、無駄金は使えないよく娘とお出かけするが、ランチとかでは割り勘をしている。で、大学時代から車を利用していた関係で、社会人になってもガソリンは、旦那の家族カードで支払っており、携帯電話の支払いもそのカードからと言うのも幾ら使ったか把握しやすいし、無駄使いをしたくないので娘は現金主義者で、今どき本人名義のクレジットカードを持ってない月の初めに3万円を下ろして、それでコツコツおこづかいにしているので。今も正月に10万円を下ろして、まだ残金があるようだ先ほどの娘のガソリンや携帯代、食費光熱費や、私と出かける旅行代として年に1度、秋に40万円を家に入れてくれて、これで一切チャラという事になっている今年は、娘とゴールデンウィークや東京五輪大阪行き2回の旅行が今のところ無くなっているので、行楽費用についてはかなり浮いている。そしてなにより原油安からガソリンが安価なのが嬉しい! 特売日には125円と1リットルあたりで10円位安くなっている桜の花咲く城山から、ちょっとばかし山道を歩き、いつもの苗木城址にやってきた。この池は、馬の水飲み場であったそうである。さてさて苗木藩であるがこのブログにも何度も登場をしているが明治維新で平田派国学の影響を受けた藩の重臣である青山親子によって徹底された廃仏毀釈が行われ、領民は神葬改宗となり、今でも木曽川から北側は神道の人ばかりだ苗木藩をおさめた遠山家は、岐阜県東部をおさめた遠山七家の一つで、本家は岩村であった。遠山氏の祖先は藤原利仁の子孫で源頼朝の重臣として、功績を残した鎌倉武士の加藤景廉であるそうだ加藤景廉は遠山荘(岐阜県恵那市、中津川市、瑞浪市の一部)を与えられたそうだが、本人は頼朝とともに鎌倉に住み、実際には遠山荘に赴任はしなかった。景廉が亡くなり遠山荘の地頭職は長男の景朝が受け継いで、遠山荘にちなんで、景朝は遠山に改姓したそうである承久の乱によって美濃国の守護であったの大内惟信が没落をすると、美濃国は北条氏の直轄領となって、恵那郡の遠山氏、土岐郡の土岐氏らは北条氏の傘下となった。更に建武の親政により土岐氏が大きく勢力を伸ばし、美濃守護となり遠山氏はその傘下となったそうだ遠山氏は、本拠地である岩村城の岩村遠山氏の他に、明知、安木、飯間、櫛原、馬籠、神野を有して、岩村遠山氏を含めて七遠山または遠山七頭と呼ばれ、居城ごとに分かれて統治を行っていたそうである戦国の世になると駿府の今川氏、甲斐の武田氏尾張の織田氏に挟まれた、戦力的に重要な位置であったので、岩村遠山家には信長の伯母であるおつやの方が嫁いでおり、苗木遠山家にも信長の妹が嫁いでいるんだとか苗木勘太郎(遠山友忠?)は、桶狭間の戦いに兵500余騎を率い織田氏に加勢して勇名をはせ木曽川以北の恵那郡と加茂郡の一部の2万石を安堵されたとされ、苗木勘太郎の娘は信長の養女として武田家に嫁いでおり、織田信長と武田信玄の同盟成立にも貢献しているそうで女城主直虎も、真田丸も、今回の人質暮らしの徳川家康(少年)も、天下取りを目指すような戦国武将らの国盗り合戦に巻き込まれて、日々戦々恐々で生き残りの戦いにさらされていたのだろう。織田のある西側を見て木曽川の右側が苗木領武田が攻め込んできた信濃国木曽へと続く東側。木曽川の左側が苗木領。木曽川の南側で中山道の宿場のあった方は尾張藩だったそうですよ。中津川宿は信濃の豪族の木曽氏の一つ山村氏の領地だったんだとかNHK大河ドラマのタイトルの麒麟がくるとは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっているそうで、主人公の明智光秀の他にも、様々な名のある戦国武将が登場してくる。でも武田信玄とか出てこないんだよね、今のところ光秀目線の麒麟がくるでは、あんまり絡んではこないのかな。せっかくの大河ドラマの舞台になった岐阜なのに、コロナの為に駄目になってしまっているし、早く終息をして欲しいですが私はまだ自粛の始まる以前に岐阜城も、可児の明智長山城にも出かけているので、ここでも紹介をしたいと思います。ですから麒麟がくるのお話などもその時に詳しくと・・・と思うんですがいつになるやら。ついでに犬山城も登城苗木城址のてっぺんにある天守展望台↑は17日の緊急事態宣言を受けて、今は登る事が出来ないようです。こういった所で手すりとか触っちゃいますからね。私もエスカレーターの手すりとか持たないよう気を付けてますといった訳で4度目の正直。今度こそは最後まで無事に文章が書けました。無事アップも出来そうです。電話で5月上旬の歯科検診をキャンセルし、コロナが落ち着いたら、予約をするという事になったいつも出かけるスーパーのフードコートにあるはなまるうどんは、買い物のついでに利用するのに便利で、ピーク時間とズレた午前11時半とか、午後1位時過ぎの空いている時間での利用を心掛けている290円(本体価格)以上のうどんを購入すると1杯毎に、好きな天ぷらがオマケに付く天ぷら定期券を300円で購入し、既に6回利用したけど、コロナの関係で5月末まで期限が延びた来月も引き続き、はなまるうどん! 2020年4月11日に苗木城で撮影 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の為、多くの施設が 臨時休館中だと思われます。自粛の解除後に岐阜にいらして下さいにほんブログ村
2020年04月20日
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どうもご無沙汰をしております。お陰様で元気にしておりますが、なんだかんだでブログの日記更新の間隔があいてしまって申し訳なく思っています。写真の方はこのブログに登録済みなんですが旅行記の文章を書き込むような気持ちにはならなくって、写真だけの日記の下書きが増えていくばかりです。今回の写真ですが今年1月24日に娘と出かた、お馴染みの苗木城址(岐阜県中津川市)ですここにきて岐阜県内も岐阜市や、可児市などでクラスターが発生して、感染者も三桁となったが、まだまだ遠いところといった気持でいたが、生活圏でもある隣町の恵那市でも陽性者が出て、にわかに緊張感が外食の好きな娘ですら、週末の連休はモーニングもランチも食べず、家での食事。まだ、こちらは桜も咲いており散歩がてら、近場の田舎の桜をお花見してたりしていました全国的には首都圏と関西+福岡の7つの自治体に、国の緊急事態宣言が出されて不要不急の外出が自粛されていますけど都心から人が減っただけで、周囲の近場商店街などでは、かえって賑わっているなんて報道もありますが東海三県も独自に、愛知県は緊急事態宣言岐阜県では新型コロナウイルス感染症非常事態宣言、三重県の新型コロナウイルス感染拡大阻止緊急宣言。不要不急の外出や移動の自粛と、外出時は密閉、密集、密接を避けるように要請旦那の会社は、愛知県内から電車で通勤している人も多いので、テレワークになった人も多くって、旦那みたいに地元の自家用車通勤組も、毎朝体温を測っているけど、35度台ばっかだし。私は美容院に行くのも躊躇をしているうちに、ぼさぼさ頭が進化中しかし免許の書き換えが近し。免許証の写真を誰に見せるという訳でもないが、ぼさぼさ頭なのは嫌だし、困った~。これもお店自体や地域的な問題もあるので、一概には言えないが今日のテレビでは、安全に留意しているから来て欲しいという、お客が半減した都市部の美容院を特集していたというか免許の書き換え自体が、狭い待合のようなところで書類を書いて、並んで検査とか写真を撮ったりで、結構な密集度なんだけどそこに行くこと自体が不安だし。並ぶの嫌でいつもは早く行くが、逆に受付時間の遅くの方が空いてるんだろうか?よりにもよって、このタイミングで・・とアタマを悩ましている、今日この頃ですが世間では都市部の外食や、パーティなどが自粛をしている事もあって、高級食材の消費が減ってしまい、在庫を抱え値崩れをしているとか地元のいつものスーパーで、じゃじゃん!熊本のアールスメロン(マスクメロン)が998円で売ってました! 更に本マグロ498円だし。普段こんな価格でどちらも売られてませんよ。私でも買える価格です本マグロは、表示では赤身とありましたけどどう見ても脂ののった、大好きな中トロだしお口に入れると溶ける~美味しさでした。と娘の好きなハイネケンも少しお得だったのでねだられましたお買い物と言えば、花粉症の旦那がいるので普段からマスクは買い置きしてあるんですが少し心配になって2月上旬、消毒液と一緒に一箱購入したのが最後で、うちのあたりではマスクを見る事はなくなりました週末の朝の番組で、デヴィ夫人がダイソーでお買い物をする番組をしていて、そこで紹介されていた100円の甘栗と、ジャガイモの皮むきゴム手袋が欲しくて、買い物のついでにダイソーに立ち寄ったらマスクを久々に見ました。とは言ってもマスクケース100円に、マスク2枚がオマケに付いているという形態ですけど箱買いして、カバーされてないマスクを持ち歩くのにケースが欲しかったので購入しましたよさてさて私の場合は、このようなブログをしている位なので、出歩くのが好きなので行楽面で、新型コロナの影響も多少なりともありまして、どうなったかという報告ですまず一番大きかったのが、東京オリンピック1年延期ですね。運が良いのか、こうなると悪いのかわかりませんが、合計5競技10枚当選しているんですが、チケットはそのまま来夏も有効らしいですけど開会式と閉会式は、既に日程が決まったそうですが各競技の日程がどうなるのか私は娘が行きやすいように日曜の競技と当たりやすいように次の月曜(1日なら休めるらしい)で、2週取れたんですが5つの競技のもしも曜日や、並びとかがむちゃくちゃにされたら2つくらいしか行けなくなります。競技開催時の曜日と並びはそのままにしておいて欲しいなぁそして今夏のオリンピックように取ったホテルですよ。早朝開始や深夜終了での競技は、千葉県佐倉市在住の兄の家では面倒なので、競技場の近くのホテル宿泊予約を幾つかしてまして昨夏にチケット当選直後に取れた2つのホテルは、通常通りに宿泊1日前からのキャンセル時にはキャンセル料が必要になるというので、簡単にネットサイトでキャンセル出来ましたけど問題は昨冬に、運が良いのか悪かったのか都内のホテル予約が取れたんですが、この頃になると、首都圏のオリンピック期間中の予約はどこもカード前払いで、キャンセルをすると返金がされないというものばかりで既に、オリンピックチケットも取れてるし運悪く、台風とかきたならわからないけどまず泊まらないはずもないからと、2週にわたって1泊ずつ×2名を、同じホテルで予約をしてカード支払いをしちゃいました新型コロナ拡大により、オリンピック延期が決まった3月半ばより、今夏のホテル予約のキャンセルの書き込みが幾つもされるようになって、中には返金されなかったという人もいたけど、殆どの人がホテルに直接、電話で交渉した事で返金して貰えたとあったので民泊とか小さなところはわからないが、私も大手チェーンのホテルだから大丈夫だろうと電話をしたところ、返金してくれるそうです予約をしているネットサイトでキャンセルのボタンを自分から押したらダメで、ホテル側から、キャンセルの手続きをする必要があるそうでホテルに電話をしてから10日程で、ネットサイトからキャンセルされたというメールが届きました。この「宿の都合」にしなきゃいけないから、ホテル側で手続きをしたんだなぁ~と感謝。無事に宿泊料合計5万円返金されそうです縁があれば来年のオリンピック開催時にもこのホテルに泊まれたらいいけど、コロナその頃には、世界規模で終息をしているんだろうか? さてさて今回のキャンセル料を予約時から100%というのもぼったくりという訳でもなくってとりあえず、このホテルとか、あそことか予約をしておこう。後でキャンセルすればいいしという、安易な予約とかをされないように設定されてたみたいなので、延期といった事態では返金をするのが当たり前といった対応のようだ3月末期限だった名古屋の映画館のチケットだけど、購入をした団体を通じて12月末期限のものに交換をして貰えた3月下旬に宝塚大劇場にペア招待だったのも公演中止で、後日、代替え公演でと電話を貰いましたしこの3月中旬の無料バス旅行招待も、後日改めてバス旅行をという話ですが、いつになるやら・・・そして今も閉園中のユニバーサルスタジオジャパンのペアパスポートも、3月末期限ですが、期限を延期して貰えるそうでして再開後に延期日程もわかるようです他に3月上旬のバス旅行無料招待は、1つ完全に中止になってしまいました。そして今日は、毎年恒例の日本香堂の観劇招待の懸賞が中止になるとハガキ連絡が来た。申し込めば大抵当たるので楽しみにしていたが時期が時期だけに開催は無理だった。残念そしてナゴヤドームで5月下旬に開催をされる野球のペアチケットを年明けには購入をしているんですよ。これもたぶん返金になるだろうなぁ・・・このように、新型コロナが日本中に蔓延した今年3月は、本来であれば行楽三昧の予定で上旬に娘とユニバーサルスタジオで、下旬に宝塚観劇と、2度にわたって関西に行く予定だったので、交通費もばかにならないと思い東京ディズニーも宝塚観劇も普通にやっていたまだ新型コロナに対しての危機感が薄かった2月後半に、金券ショップで偶然に見かけた未使用の少し安めの青春18切符を購入してしまったのだこのブログでたまに登場する青春18切符は春休み、夏休み、冬休みの時期を中心にして5回(同じ日程なら複数人数で利用可能)分JRの普通電車を一日中乗り放題が出来るというもので12050円也春休みのは3月1日から4月10日まで利用出来るので、夏休み同様よく利用をしている今回も大阪に片道利用をするだけで、5千円近くかかるので、二人分(2回分)1万円弱時間はかかっても関西に出かける時は、行きだけでも利用したい切符だところが、うちが旅行に出かける直前にユニバーサルスタジオジャパン大阪が臨時休業決定。ホテルも無事にキャンセル出来たけど、大阪行きがなくなってしまい三密を避けた郊外などで、4回分を利用しなんとか購入した金額以上は、ぎりぎりで利用出来たけど、あと1回分はついに使用出来ずに4月10日の期限が過ぎてしまいました。ネットでも使いきれなかった人がかなりいるようでしたこの切符があれば名古屋にも簡単に行けるとは思っても、とても都会に行く気持ちにならなかったです。普段がこんなひとけのないような所ばかりを、ウロウロしているので、都会は大好きですがしばしの我慢田舎の地元にもあるマクドナルドやミスタードーナツのハッピーバックは購入したけど、タリーズコーヒーのは買わなくてよかった。もし買ってたらドリンク券を、期間内に利用が出来なかったかもしれません最寄り店のある土岐アウトレットも臨時休館となりましたし、名古屋や、息子のいる三河地方も当分は行く気持ちもないので。それなのに息子に農作業を手伝うようにGWに来いという旦那ゴールデンウィークに娘と、高速バスで行こうと春先に予約をしていた金沢のホテルもキャンセルしたので、ゴールデンウィークは農作業のお手伝いを大人しくして、終わったら近場のひとけのない風光明媚な所にでも、ドライブに行こうかな午後の郵便で、春の(恐怖の)風物詩の固定資産税の納税請求書が届きまして新築後3年の減免処置も終わってしまい今年はほぼ倍額となって、涙。この次は自動車税だ。あぁ、春はツライ 2020年1月24日に苗木城で撮影 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の為、多くの施設が 臨時休館中だと思われます。自粛の解除後に岐阜にいらして下さいにほんブログ村
2020年04月13日
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