全303件 (303件中 151-200件目)
もとはと言えば野辺山に行くつもりで、高速に乗ったの だけどお天気も芳しくないし、雨が降っても楽しめそうな 観光地に行く気になって、長野市や甲府市も飽きたし じゃ軽井沢に行くか~と、いい加減な気持ちで出かけた ものだから 車には清里のガイドブックしかなく。大体が旦那がね 日曜の朝は「大沢親分と張本氏のコーナーを見てから じゃないと出かけない」ってどうゆう事よ~。しかも娘を 選挙の投票所に連れて行ってからの軽井沢行きとは あらっ、呑気だね~ 行楽を舐めてるとしか言いようがない。旦那はGWの 白馬の超低価格ペンションで、貧相な部屋と料理に懲り 再び団体用の大型施設に回帰したみたいだ。宿泊施設の 外観の見た目勝負なくせに、予算は1泊2食1万円以下 だと~。部屋も小ぎれい、料理もそこそこで、温泉も かけ流し。これで休前日だなんて・・・・終わってる 娘は「ロビーがゴージャス」な宿が好きだそうだ・・・ そんな訳で、経営が厳しい旅館の出血サービス的なプラン だったりするから、泊まって2年もすれば営業をやめて いる(北陸、京都2軒、諏訪湖他)か、もしくは全面改装で 手の届かないような高級旅館に大変身(箱根、京都他)を しているのか・・・ はたまた最近はやりの、365日同一料金の格安旅館化? あれって利用をしたことが無いけど、他業種からの参入 らしいが益々、増殖してるね 古い旅館も清潔ならええじゃないの。老舗で2万弱のが 13500円って超お得なのに・・・・と、抵抗をしながら あぁ~次の予約も、またまた旦那の希望で何の特徴も無い 団体宿になってしまって寂しい・・・・ま、外湯満載だから それに期待をしてるけど。 早めチェックインで車を置いて 湯町にGO!なのだ。そんな訳で週末は暑いけど熱湯温泉! 余談だが、選挙は県外に外出予定ありという訳で、前日の 土曜日に舅や姑を連れて、車で期日前投票を済ませてきた 合併をした事で、小集落ごとにあった投票所が統一され 交通の便も悪くて坂道ばかりで、車を持たない高齢の お年寄りなどは、投票をしたくても躊躇する方なども 話を戻すと渋滞にも巻き込まれ、軽井沢に着いたのは 昼過ぎで、ガイドブックも無く何がどうだかサッパリで とにかく街歩きを楽しむしかない、いわゆるいつもの ぶらり旅。それでも見慣れぬ専門店なども多くて、見て いるだけでも来たかいがあったかも これはトルコの魔除けのナザールボンジュウで、トルコに 行かれたばかりのひなのさんが、ブログで紹介をしていたが 悪意を持った視線によって、災いが降りかかると言われる トルコでは、その視線を跳ね返す目玉をお守りにしている そうだとか 娘はあっちにふらふら~、こっちにふらふら~と「だって どの店も見たいもん」と言いながら、両側の店にジグザグ 歩くのを旦那は連れてきてよかったなと、目を細る親バカ ぶり発揮で・・・ あ、写真撮ってるうちに見失ってしまった 前方から来る団体の奥様たちみんなが手に持つのは、名物の ミカド珈琲店のモカソフト! これは食べねば!! 既に 旦那、娘の姿も無く、ま、どこかにいるだろうと腹をくくり 並んで購入。甘みも抑えて大人のソフトだ 娘、こんなところで旦那といたか。沢屋ジャムのSAWAYA CAFEで何かうまそうなのを頼んでいるし~。旦那がお金を 出して、娘が食べるらしいそうだ。うまそうじゃないかぁ~と 取り上げて一口。さっきの食べかけソフトは旦那に押しつける さまざまな軽井沢の土産も扱うと言う、浅草高原農場で娘は ジャムの試食中。それにしてもジャムの店って多いかも それにハムに、パンに、喫茶店あたりが目立つような気も ここは初代の中山丈平が、外国人宣教師からジャムの 製法を学んで、明治38(1905)年に創業をしたと いう老舗の「中山のジャム」で、ジャム以外のものも 取り扱っているようだ お~~~!! 東信州でよく見かけるハチヒゲおじさんの 看板だけど、やっぱほんまのおじさん(荻原養蜂園二代目 園主)!? 濃厚な蜂蜜の試食をさせていただきましたよ 郵便局も記念切手などを売る出張販売。こんな車もあるんだ 軽井沢ウエディング用のドレスなども。娘の小学生の頃の 女教師も軽井沢で式を上げて、披露宴は地元でやったとか そんな披露宴に小さなクラスなので、みんなで歌をうたいに いったのもつい昨日のようだ。もう10年も前の話だが ペットショップなどもあれば、実際にわんこを連れた人も 多い。ゴールデンレトリーバーを初めてみたがでかい!と 喜ぶ娘・・・見た事ないのかなぁ~。そんな事ないよな~ 軽井沢駅の脇の大型駐車場に置いたので、旧軽井沢地区には おしゃれなお店ばかりだろうと、お腹も空いていた事もあり先に 駅前の「福万寿」で食べる。直前に手に入れたクーポン券で 其々に野沢菜の小鉢をサービスして貰った これは娘が食べた信州アルプス牛ランチ(1550円)で 2切れほど貰ったが、すんごくやわらか~ 私はとろろとお蕎麦の軽井沢そばセット(880円)だけど 肉の代わりに半熟卵を没収された お店にはカーリングのストーンと、ブラシが展示をして あった。国際大会で使用をされるストーンは、高密度で 強度と滑りやすさに優れているとの事で、スコットランド アルサクレッグ島特産の花崗岩でなければいけないとか これは以前にもこのブログで紹介をした、小諸の帰り道で 買食いをした「ちゃたまや」ではないか~。娘、いそいそと 立ち寄り、またもスイーツお買い上げ う~む。あいかわらずのボリュームだ。価格もめちゃくちゃ 安いはずだが、珍しく娘が自前で購入したので価格は? 軽井沢駅前でも食べれるんだぁ。あの大混雑の旧軽じゃ ないので、地元民は来店しやすいかも 長野新幹線の開業に伴って駅舎を全面改築し、白樺をイメージ してデザインされた「軽井沢駅」は、標高が940メートルと 日本の新幹線の駅の中で最も高い所に位置している 長野新幹線の開業の際、信越本線の軽井沢駅から篠ノ井駅 間がJR東日本から、しなの鉄道に経営移管をされている こちらは群馬県の草津温泉と、軽井沢を結んだ「草軽電鉄」 (1962年廃線)で活躍をした電気機関車「デキ12形 13号機」の木製の実物大模型で、全長は約6メートル 旧軽井沢駅舎記念館は、新幹線関連事業で取り壊された 旧軽井沢駅舎を再構築し、明治末期の往時の姿を忠実に 再現をしたもので、1階には草軽鉄道を含んだ信越本線 当時の鉄道関連の展示、2階は貴賓室が再現されている 平成22年7月11日に信州軽井沢で撮影
2010年07月22日
コメント(78)
とにかく今週は忙しかった。というのも金曜日に ブック&レンタルショップに出かけたらケースが 壊れたり、傷ついたり、歌詞カード無しレンタル 落ち中古CDの販売で、ベスト盤3枚とか4枚組 なのに300円ってラッキーかもと、複数買いを したってのは忙しいのには全く関係が無いのだが その時に そこの店で映画DVDのレンタル料金が、新作は 半額で、準新作&旧作&はわずかに90円なので ついつい今まで気になっていた映画を、金曜日に 10本も借りて、さぁ映画を見るぞと意気込んだら 土曜の朝の新聞欄にあった広告は、土曜日から3日間 スカパー!e2の無料デー(時間帯、チャンネルにより 全部ではない)だというのだから、こりゃ、こっちも 見たいが、でもでも週末の夜はセント・アンドリュース 男子ゴルフ中継も あぁテレビっ子大忙しな週末、3本続けた映画は偶然 なのだろうか。イーストウッド演ずる白人の老人は お隣のアジアの姉弟が、親せきのアジア系のギャングに 絡まれれているのをほっておけずに拳銃を向けられて 2本目は、好きな子を追って中国から日本へやってくると やくざの奥さんになっていて、不法滞在の仲間と悪の道に 入り込んでいってしまったジャッキーも銃を向けられて 更にごくせん。かわいい生徒の為にのりこんだヤンクミも やっぱ銃を向けられて・・・・さすがに疲れたし ラストはWOWOWので、実話に基づき太平洋戦争を 描いた「ザ・パシフィック」の第一回のみ無料放送での ガダルカナル島で、トドメを刺される BSじゃスターウォーズ全作放映もしてたし、夏ドラマ 第一回、二回あたりの放送もあって、うぬぼれ刑事と ジョーカー、美丘、GM~踊れドクターを見てる そんな時に限って、山井復活。4試合連続無失点勝利の プロ野球タイ記録を中日が達成し、今まで表舞台に立て なかった投手が次々に好投し、昨日の岩田慎司投手は 甲子園常連校の東邦高校から、明治大学を経た若手で 岐阜県岐阜市出身だ 無論そのテレビ中継も見なきゃならなかったし、テレビ かじりつきの三連休だった さて文章とは関係の無い、そして梅雨明けの猛暑をも感じ させない避暑地は信州というか、東京の飛び地?みたいな 軽井沢。ず~~~っと前に、家族旅行で草津帰りに真夏の トップシーズンに鬼押し出し方面から旧軽井沢に入ったら 歩行者の方が早いくらいの大大大渋滞で、駐車場も無くて 車窓から眺めるだけだった、そのリベンジだ 軽井沢の語源は、古語や方言で、荷物を背負って運ぶ事を 「かるう」というからとか、峠に続く谷間の事を呼んだとか 枯井沢(水の枯れた沢)という諸説があるそうだ 江戸時代、中山道の難所であった碓氷峠の西の宿場町と して栄えた「軽井沢宿(旧軽井沢)」は、江戸から数えて 18番目の宿場で、浅間山を望む景勝地であった 本陣と脇本陣は合わせて5軒、旅籠は最盛期には百軒近く あったそうで、数百人もの飯盛女が働いて賑わっていたが 明治時代になると、宿場町としての機能は失われて、次第に 衰退しつつあった 明治19(1886)年に、カナダ人宣教師のショーが知人の 居宅を借り夏の間を滞在し、故郷のトロントと似ていると 気にいったそうである ショーは「つるや」の主人の佐藤忠右衛門のあっせんで 民家を移転し改造した別荘に住み、信越本線の長野方面が 開通をして、軽井沢駅が設けられ東京と直結した事もあり 軽井沢は、避暑地として新たなスタートを切ったのだ 更に、ショーと一緒に軽井沢を訪れた帝国大学の教師の ディクソン夫妻が「亀屋旅館」の佐藤万平に洋食を教えて 明治27(1894)年、軽井沢に最初の洋式ホテルである 「亀屋ホテル(万平ホテル)」が開業をしたのを皮切りに 「軽井沢ホテル」、「三笠ホテル」も開業して、宣教師や 文化人を中心に、日本三大外国人避暑地の1つとなった 「山の軽井沢、湖の野尻湖(信州)、海の高山(宮城県松島)」 単に避暑を楽しむだけではなく、通信や交通が今よりも不便 だった時代に、本国から離れた異国日本で各地に散らばって 生活をしている外国人には、年1回集まって情報交換をする 貴重な機会でもあった それまでは「かるいさわ」であったのも、英語などで発音が しやすい「かるいざわ」と読むようになったのもその頃だ 大正になると堤康次郎による西武グループが、沓掛区などを 買収して開発を始め、戦後は信州出身の五島慶太が創設を した東急グループも参入し、本格的なリゾートとなった 家庭教師のヴァイニング夫人の別荘があり、当時の皇太子 殿下(天皇陛下)も、おいでになるようになり、昭和33年 「軽井沢会テニスコート」で、正田美智子さん(皇后陛下)と 出会ったのは有名だ。ビートルズのジョン・レノンが解散後 毎年のように家族連れで長期間滞在していた事も 嘉永年間(1624年)に創業をした、前述の「つるや旅館」は 多くの政財界人や著名人が滞在をした事も知られ、島崎藤村 芥川龍之介、志賀直哉、谷崎潤一郎、室生犀星、堀辰雄など 多くの文人の名が連なる 軽井沢の文人と言えば、ミステリードラマで有名な浅見光彦 シリーズの「軽井沢のセンセイ(著者の内田康夫)」なども 軽井沢在住である まだ梅雨明け前の涼しさもあって、娘がぐんぐん先に進み 旦那、途中で座り込み。私もこんな喫茶店でコーヒーでも 飲んでもみたいのに、あれやこれやと食べたいものもあり コーヒーはまた次回にお預けか 喫茶店(歌劇風?) それにしても外国人避暑地だけあっただけに、というか 日本の高度成長期って、JALパックとかで、強い海外への あこがれがあってか、どこの国やねん!という位に観光地も テーマパークも洋風化して、バブルがはじけると・・・・ ま、それでも本格的な夏を控えての週末、軽井沢には 沢山の観光客がバスからぞろぞろと・・・ 店舗上階(スイス風?) ここって、万座や草津方面の温泉利用客の立ち寄り観光地と しては鬼押し出しと共に便利だし、最近は全国的に流行する アウトレットがあるし、それと観光のセットで訪れる人も 電話ボックス(どこの国?) その日も車中で「なんで夏でもないのに大渋滞~~?」って つぶやくと、「だってアウトレットでバーゲンだってテレビで やってたし」と今になって言うなよ~、娘! バーゲン渋滞か 浅間山の溶岩? そうゆうブランドバーゲンにはまったく無縁な、スーパーの 定価半額、さらに2割引き、も一つカード5%引きでやっと 買うような人間だから気がつかなかった 最近も定価四千円ちょっとの七分丈ブラウスが千円均一になり 更にその日は二割引き。おまけに合計で三千円以上で五百円 割引券も利用をしたので、七百円程で購入する事が出来たし 地元の農家やクラフト作家などが参加をしての「朝市」も 開かれていたのだが、渋滞で到着が昼過ぎになって 片付けの最中だった 「旧軽井沢森ノ美術館」の3次元トリックアートとかも興味が あるけど、ケチな娘と美術館大嫌いな旦那の前では素通りを するしかない。そんな訳で次回は「グルメで楽しい軽井沢編」 平成22年7月11日に信州軽井沢で撮影
2010年07月20日
コメント(60)
浜ちゃんと殆ど誕生日が変らず親近感のあるダウンタウンの 昨夜の「今聴きたい!名曲HEY!HEY!HEY!」は 山口百恵引退30周年記念特集で、懐かしすぎ芳村真理 「夜のヒットスタジオ」での百恵さん16歳から21歳の映像と 引退の為の最後の出演のシーンは、つられ泣きしそうだった そして共演する新・御三家の若い事! あ、カックラキン 大放送見てたのを思い出した♪ TVジョッキーとか白い ギターしか覚えてないが、大阪系のヤングおー!おー!とか 面白かった。子どもの時に最初に買ったレコードはたしか アルバムはロシア民謡で、シングルは沢田研二だったっけ? カサブランカ・ダンディ 当時は女子プロレスがブームで、ビューティ・ペアが学校で かなり流行していた。中学ではピンクレディ。まだね~ フォーク・ソングも生き残っており、教師がギター片手に キャンプ・ファイアーを取り囲んでの、君のゆく道は~♪ ベイシティ・ローラーズやアバ、キッスあたりも流行中 私はクィーンにデヴィッド・ボウイ、ロッド・スチュアート 当時は地上波でも洋画を幾つもやっていて、一日に4つ位 見る事も出来て、私も小学校の頃からマリリンモンローや ダスティン・ホフマン、ヴィスコンティ映画とか・・・その当時は エクソシストとか、オーメン、ジョーズなど(?)の、恐怖もの 大ブームに、エマニエル夫人の座ってた籐の椅子も気になった そしてスターウォーズに、未知との遭遇といえば、やはり 矢追純一を忘れてはならないし、川口浩探検隊には必ず 襲いかかる大蛇! 夏場になると新倉イワオさん大活躍での 恐怖の再現ドラマ やっぱ昭和って…楽しすぎ。夢もあった 大学生の兄(が友達から)貰った、愛国駅から幸福駅ゆきの 切符はどこにいっていってしまったのだろう。日本国有鉄道 によるキャンペーンで「いい日旅立ち」。こうして百恵さんの 歌を聴きながら、昭和の時代が妙に懐かしく思えて・・・ 昨夜の経済番組ではお年寄りに大人気の百貨店。そこには もう見かけられなくなったような、昭和の商品が並べられて 70年前から愛用しているというポマードや、洗濯板などと そんなレトロなものでも、それが良いと言うお年寄りもいる そんな訳でこの春の、南信州は伊那市周辺の写真を集めてみた 伊那市の図書館にある、絵本作家のスズキコージ氏の作品 イメージのオブジェをみんなで作ったらしい。腹の仮面は 作家本人が作ったものだそうだ。この方は平凡パンチの 編集者だった叔父のつてで平凡パンチ女性版(後のanan) にて、イラストレーターとしてデビューをされたとか 美味しそうな、このキラキラな果物のケーキは・・・ 伊那の市街地にある、果物屋さんの「おおさわや」で おなじみの信州の食べ物の本で、今年も当たった食事券で 出かけた「ごはんや」で私はオムライスと 娘は大きなトマトが乗ったハンバーグは、ド迫力だ こちらは割引券を使って「チーズ」というお店のピザのランチ 伊那の大型スーパーにいたのは、クー? でっか~ 先日出かけた白洲のサントリー&シャトレーゼの日記の 続きは・・・お昼を食べに諏訪に戻って、ご飯の後には 酒蔵で娘と軽く試飲をしてから、一升瓶をお買い上げ~ 諏訪に戻って食べたのは、やっぱ娘も旦那も山梨名物の 「かぼちゃほうとう」 まさか諏訪に支店があるとは思わず 前には清里までいった「甲州ほうとう小作」のだ 私は冷やしほうとう(細めできしめんみたい)と、とろろ ご飯のセット(ドリンク付) 付け汁が旨く娘に食べられ 私はでっかいかぼちゃをかじる 諏訪には両岸に一方通行の堤防道路があって、信号もないので 地元民に愛用をされているので、走ってみたがなかなかなダート コースだ いよいよ今夜は日本戦。頑張れニッポン! そして松ちゃんも頑張れ! 平成22年春に信州伊那&諏訪で撮影
2010年06月29日
コメント(52)
昨年の12月の北信州の旅日記もいよいよラスト アマテラス(天照大神)が、弟のスサノオの乱暴を怒り 天の岩屋へ閉じこもると、世界はたちまちに真っ暗となり 悪しき神々が這い出てきて、恐怖や悲しみに満ち溢れた 神々は岩屋の前に集まり、どうしたものか相談をすると 知恵の神のオモイカネ(思金神)が「岩戸の前で歌ったり 踊ったりと楽しそうにすれば、天照大神様は何事だろうと 顔をのぞかせるだろう」と提案をされたそうだ 鶏を沢山集めて鳴かせ、踊りの上手なアメノウズメが 桶を伏せて踏み鳴らし、その踊りが大変に面白くって 神々も笑ったり、つられて踊りだしたりの大騒ぎで 岩屋の中のアマテラスも何が起きたかと、のぞき見を しようとそっと岩戸を開けた途端に、岩戸のかげで 待ち構えていたアメノタヂカラオ(天手力雄命)が 一気に岩戸を開けて、世の中は再び光を取り戻した アメノタヂカラオは、再びアマテラスが岩戸に隠れない ように、岩戸を持ち上げ下界へ投げ捨てたのが、信州の 戸隠山となって、オモイカネ(思金神)は戸隠神社中社 アメノタヂカラオ(天手力雄命)は戸隠神社奥社に奉られる 戸隠三社のうちの戸隠宝光社のご祭神は、オモイカネの 子であり天孫降臨の際に、警護の為に天から降臨をされた 三十二神の一神のアメノウワハルノミコト(天表春命)で 諏訪神社を中心とする諏訪族と、穂高神社を中心とする 安曇族と並ぶ信濃古族であり、平安時代に戸隠山を開いた という阿智祝(あちほうり)の祖である そんな戸隠神社の奥社の創建は、孝元天皇五(紀元前210)年 とも言われるが、日本書紀の天武紀には685年に朝臣3人が 派遣され仮の宮を造ったとか、持統天皇が691年に使者を 遣わして、信濃国の須波や水内などの神を祭らせ、犀角牙笏を 奉納したとされ、この水内の神が戸隠神社とする説なども 平安時代の後期ともなると、天台密教や真言密教と神道が 習合をした神仏混淆の「戸隠山勧修院顕光寺」として全国に 知られ、比叡山や高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれ 多くの修験者や参詣者を集め、山麓にある善光寺と共に 参詣する事が多かったそうだ 信濃源氏の大将であった朝日将軍、木曽義仲の家臣の 仁科大助(戸隠大助)は、戸隠山で修験道の修行をつんで 義仲が討ち死にした後に、伊賀の百地砦に逃れ伊賀忍法を 取り入れた戸隠流忍法を完成させたそうだ 昭和63(1988)年のメタルヒーローシリーズである 「世界忍者戦ジライヤ」では、世紀の秘宝「パコ」を代々 守り通してきた戸隠流忍者の宗家、山地哲山の養子の 山地闘破が「戸隠流正統・磁雷矢(ジライヤ)」となって 妖魔一族や、様々な世界忍者と戦いを繰り広げるという ドラマだったそうで 宗家の山地哲山を演じた初見良昭氏は、実際に戸隠流の 第三十四代宗家で本物の忍者であったそうだ かっちょい~戸隠神社の社紋は、忍者系?かと思ったら 四本の鎌を卍型に配置をした「鎌卍(かままんじ)」は 荒れ草を刈り払って、豊かな農地を作り出すという「鎌」を 用いて、水の神・豊作の神として崇められる戸隠神社の 神の恩恵を表している 戦国時代になると、北信濃は信濃侵攻をすすめる甲斐の 武田晴信(信玄)と、北信豪族の後ろ盾となった越後の 上杉謙信との諍いが激しくなっていった 修験者らは全国各地の情報に通じ、薬草の知識を持っており 従軍医師としも期待され、また多くの信仰者集団を抱える 戸隠は両軍双方にとって味方につけたい存在であり、絶えず 危機に晒され、衆徒らは水内郡小川の筏が峰に移り住んで 苦境に耐え忍んだ程だ 江戸時代に入ると徳川家康から厚遇を受け、東叡山寛永寺の 末寺として、次第に農業や水の神としての性格が強まって 修験道場から門前町へと変貌していった ところが明治政府の神仏分離令や、修験宗廃止令によって 廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺を分離して神社と なって、宗僧は還俗して神官となった 今回は戸隠三山のうち、戸隠中社を参拝をさせていただくが とにかく寒すぎ~! お猿みたいに温泉に入りたい 三本杉には、こんな話が伝わっている。若狭国(今の福井県)の 海辺の村に、妻を失して三人の子供らを、魚や貝を採って 男手ひとつで育てる漁師の男がいた。ある日の事、漁師は海で 大きなひれのある美しい人魚が泳いでいるのを見つけ、珍しい ので捕える事にした 漁師に捕まってしまった人魚は、目に涙を浮かべて「私には かわいい子供がいるので、私がここで殺されたら残された 子供がかわいそうです。どうか見逃してください」と必死で 頼むが、漁師の男は人魚を殺し、その肉を家に持ち帰って 何も言わずに戸棚にしまいこんで、次の日も漁に出掛けた その留守中に腹が空いた三人の子供らは、父親が戸棚に しまった人魚の肉を何の肉か知らず食べてしまったそうだ 仕事を終えて帰ってきた漁師は、それを知り震え上がった 漁師は「人魚の肉を食べた者は、人魚になる」という言伝えを 今になって思い出したからだ。それから三日もたたないうちに 三人の子供たちにひれが生え出してきたのを見て、取り返しの つかない事をしたと仕事も手につかず、悲しんでばかりしていた ある夜「お前はやたらに生き物を殺す事を好んだから、こんな 事になってしまったのだ。お前が殺してきた生き物と人魚の魂を 弔う為に、信濃国の戸隠大権現へ行き、三人の子の魂を救う為に 三本の杉を植えて、戸隠三社の御庭草を八百日踏んで祈れば お前のこの世の罪も消えるだろう」とのお告げで、はっと目がさめた 漁師の横で、三人の子供の人魚が息が絶えて冷たくなっていた 漁師は妻と三人の子供の位牌を手に、髪を剃り「八百比丘」と なって、信濃国戸隠大権現の元でお告げの通りに、杉の木を 三本植え、三社の御庭草を八百日踏んでは懺悔に努めたそうだ 平安時代に修行僧のそば粉を水で溶く程度の携帯食としての 蕎麦が戸隠に伝わり、やがて湯でそば粉をこねた「そばがき」や こねたそば粉を焼く「そば焼き餅」が作られるようになった 一口ぐらいの量ごとに束ねて、数束を一つのざるに並べる独特の 盛り方を「ぼっち盛り」といい、戸隠蕎麦は神様へのお供えや 高貴な方へのおもてなし料理として地域に定着してきた為だとか 今回は「蕎麦処そばの実」で、旦那はぼっち盛りの二八蕎麦で 私は十割蕎麦。そしてサブメニューの蕎麦団子がまた旨い! 明治42(1909)年に着工し、大正2(1913)年に完成をした 旧長野県庁は、現存する戦前築の県庁の中で唯一の木造 建築で標高1140メートルの飯綱高原に移築をされ一時期 ホテルとして営業した時期もあったが、現在では長野県の 研修所となっている 長野市街地から、飯綱高原や戸隠高原方面へのメインルートと して利用されているのが「浅川ループライン」で、平成10年の 長野オリンピックのエアリアルと、モーグルの競技会場となった 飯綱高原スキー場へのルートとして作られた こちらは善光寺の裏手の高台にある安楽山往生寺(刈萱堂)で 以前にこのブログでも紹介をした、刈萱(かるかや)上人が 庵を結んで亡くなった寺である。後に後を慕って来た石堂丸は 上人の残された地蔵菩薩像を真似て、もう一体の像を刻んで 寺に残る二体の「親子地蔵尊」は、厄難を払って、臨終には 必ず同行となって極楽へ導いて下さるそうだ 興味のある方は、↓の日記でご覧下さい 「かるかや。花の世は仏の身さへおや子哉」 童謡・唱歌などの作詞家や作曲家は、信州の出身者が多くあり 「夕焼け小焼け」を作曲した草川信は、長野市内の出身な事から 山のお寺の鐘が鳴る~♪と、市内を見渡すところに寺の鐘 平成21年12月13日に信州戸隠&長野で撮影 侍ジャパンおめでとう♪
2010年06月25日
コメント(53)
今日もまた・・・昨年12月の北信州の旅日記 文章記事よりも写真を中心にして、報道や言論を構成を するのをフォトエッセイと称し、米国の「LIFE(ライフ)」誌は 一時代を築きあげた(2000年に休刊)。そんな有名雑誌の 表紙にも取り上げられたのが、Snow Monkey(スノーモンキー)だ サルは世界的には、熱帯を中心にして分布をしているので サルが雪景色の中に生息しているのは珍しい光景である為に ニホンザルの事を英語で、Snow Monkey(スノーモンキー)と 呼ぶこともあるそうである 長野県山ノ内町の「地獄谷野猿公苑」には、約二百匹の 野生のニホンザルが生息し、雪を頭にかぶって露天風呂に 入るサルの姿は、長野五輪の取材で訪れた海外メディアが こぞって母国に紹介し、世界に広まるきっかけとなった 今ではこのスノーモンキー見たさに、世界各国の方々が 冬場の北信州に訪れるようになり、「地獄谷野猿公苑」の 来訪者の約半数が海外からのお客様であるそうで、周囲の 温泉やスキー場にも少なからず恩恵を与えているそうだ その日も海外のお客様も、日本のお客様も、老いも若きも 車いすのお年寄りまでもが、冬場は上林温泉の駐車場から 30分近く歩かなければいけないのに、それでもお猿見たさに 山道を急ぐ。さすがに秘湯の一軒宿である地獄谷温泉の 旅館の業務用にはこんなモノを利用をしているらしい その露天風呂にもお猿もくるらしい、人間用の後楽館は 神経痛、リウマチ性疾患、胃腸病、痔などに効くらしく 勢いよく国の天然記念物にも指定されている、間欠泉の 渋の地獄谷噴泉がふきあがっていた そして入苑料を払って、いよいよお猿ワールドに。おっ! 入ってる、入ってる。見下ろすのは、やはり外国の方たち 欧米人のイメージでは、もともと密林にでもいそうな猿が 人里近くで見られる事すらも驚きのようで、さらに温泉に なんかに入っているのだから。さすが風呂好きキレイ好きな 日本に住んでいる猿だけあるし ま、うちのあたりでも木曽の国道沿いも結構、野生猿の 群れを見る事も多い。うちの娘も中学の頃に、体育館で バレーなどをしていると、窓の外から木の枝に座って じ~~~っと猿がのぞいて見物していた事もあったそうで 里山の境界も無くなり、野生猿も人里に姿を見せる事は 多くなった。それどころか今年になって近くでクマ出没! 家の前に狐いたし、旦那はイノシシが道の真中に居座って なかなか車で通る事が出来なかったし、野生のはずだけど 人間慣れしすぎてるし! あ、タヌキも2度見た さてニホンザルは、哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属に 属するサルの一種で日本列島の固有種であるそうで、北は 下北半島(北限のサル)から、南は屋久島まで、本州や四国 九州の各地に分布をしている上、アメリカのテキサス州は 逃げ出した個体群が野生化をしているそうだ 体長は数十センチで、130センチにも達する大きなものも いるそうで、尾が短くて顔と尻が赤いのが、ニホンザルの 特徴であるそうだ。なんて能書きは無用で、あぁ~~気持ち 良さそうだ といっても、ここのサルの全てが温泉に入るものではなく 一部のサルだけであるらしい。また暖かな時には温泉に 入らないので、撮影の為などに餌を投げ込むが、すぐに 出てきてしまうらしい 親子猿の向こうには、スノーモンキーを以前から見たがって いた娘と、親ばか旦那のツーショット。運よく嫁にでも行く 日には果たしてどうなるか(笑) 平成21年12月13日に信州地獄谷温泉で撮影
2010年06月23日
コメント(44)
渋温泉の醍醐味と言えば、やっぱ温泉まんじゅう~ じゃなくって、「外湯(そとゆ)巡り」だったりする 原則として渋温泉の旅館の宿泊者のみが、大きな 木札の外湯の鍵を無料で貸して貰って、鍵の かかった温泉街の、小さな外湯を巡る事が出来る 1300年前、奈良時代の高僧行基が発見をしたという 渋温泉は、次々と新しい温泉がが発見をされ、村人の 手によって共同浴場(外湯)として大切に守られてきた そうである。というか日本の湯治(とうじ)文化は温泉の 無い宿に泊まって、外湯を使うのが普通であったとか 娘は旅館内の2つの温泉で十分だというので、食事前に さっそく旦那と外湯めぐりに出かける。まずは一番湯の 「初湯」で、名のごとく行基が最初に発見をした温泉で 胃によく効くそうで、別名を胃腸の湯ともいい薄く白濁 しているのが特徴 続けて二番湯の「笹の湯」にいってみよう! 笹やぶの 中に温泉が湧出していたそうで、病気の快復時に効果が あるので仕上げの湯ともよばれ湿疹にもいいらしい 九つの湯を巡り九(苦)労を流す事から、九つの外湯を まわって手拭いに授印をして、最後に高薬師にて祈願を すると良いという ところで今までに信州のA温泉の外湯で、コミコミだし 湯船の真横で、シャンプーをしているのが嫌だと愚痴り B温泉では人はいないが熱過ぎて、湯もみも水も効果なく あっちっちと足も入れられず、外湯が大嫌いな旦那だが この渋の外湯は気にいったそうだ。利用者が地元民と 宿泊客だけなので、他の人と一緒に入る事も殆どなく 大湯とか規模も大きく、何よりも一つの温泉地の外湯 なのに、濁り湯とか源泉がどこも違うのも面白いみたい そんな殊勝な旦那だが・・・・2つ目でサヨナラかよ! そんな訳でここから私一人で、続けての三番湯「綿の湯」 切り傷やおできの「わたわた」が取れるので「綿の湯」と 言われ、切傷や皮膚病などによく効くそうで、透明な湯に 白い湯花が漂って、綿を連想させられる 四番湯の「竹の湯」は、かつては地獄谷から木の管での 引湯に成功をしたのを祝って、松竹梅のうちの一文字から 「竹の湯」と命名をされたそうで、ゆっくりと入浴をして患部を 温めると慢性痛風に効くそうである さすがに4つも入ると私もへろへろで、宿に戻って夕食を 食べてから後に再びのトライをする事にした。五番湯の 「松の湯」も竹の湯と同じ、松竹梅からの命名のようだし 昔は集会所の役割も果たし、「貴方を待つの湯」と呼ば れていたらしい。神経痛や病気の快復期に良く効く 私の他には誰もいない時には、内湯も撮影をさせて貰うが ほんと、バラエティに富んだ外湯で、しかもご利益なども あるというのだから、こりゃ一石二鳥というものだ 六番湯の「目洗いの湯」はその名からも判るが、目に効く 温泉な上に、肌が綺麗になるともいわれ、美人の湯とも 呼ばれている 七番湯の「七操の湯」は外傷性の障害や病気の快復期に効く そうだが、七つの病気に効くとか、七回入れば全快するから 「七操の湯」だそうだ この急な七十八の石段階段の上に高薬師があり、外湯の 全部をまわってお詣りをすれば、満願成就となる訳だ いよいよラストスパートの八番湯の「神明滝の湯」で、その 源泉は裏山の神明山からで、昔は滝のような打たせ湯にして いたからの命名のようだ。婦人病に効き、子宝にも恵まれる 温泉らしい さすがにへろへろ。最後の九番湯である「渋大湯」は明日の 早朝に持ち越しだ。早朝に旦那も復活しての、渋温泉を代表を する名湯を楽しむ事にした。子宝、リュウマチ、神経痛など 万病に効くといわれる大湯は、九湯めぐりの総仕上げだ 大湯の男湯には「幕末の三舟」の勝海舟の書「心我洗」が 女湯は同じく山岡鉄舟の書の「楽作快」が掲げられている 残る三舟は高橋泥舟で、山岡鉄舟の義兄にあたる この大湯だけは、日帰りの温泉客も有料で入浴ができるらしいが それでも15名以上の団体は利用出来ないそうだ。それも良い! 姉と出かけた湯布院の極楽露天風呂も、どやどや~とバス一台分の 奥様方がやってきて、風情も吹っ飛び銭湯気分でがっかりだった 外湯の中で一番大きな施設の木製の大きな湯船は、湯の注ぐ 熱湯(あつゆ)と、手前の温湯(ぬるゆ)の二つに仕切られ 手前の方などは、大体の方なら普通に入る事も出来る 浴室とは別に、檜の蒸し風呂(サウナ)もあった こうして1泊2日滞在時間16時間ほどながら、全ての外湯と 旅館の2つの11つの温泉に無事入り、九州の名湯黒川温泉の 1泊2日で確か8つは入った記録は、打ち破られたのだった (体力に自信のない方、良い子はマネをしないでね) 最後に渋温泉は、武田信玄の隠し湯のひとつとも言われており 川中島の戦いで負傷した兵を、温泉で療養をさせたそうである 平成21年12月12&13日に信州渋温泉で撮影
2010年06月23日
コメント(46)
有名温泉目白押しの信州・・・いや全国でも名の知られた 渋(しぶ)温泉は、志賀高原を源流とした横湯川の北岸の 温泉街で、38箇所の源泉から合計で毎分3100リットル 以上、温度46度~98度の豊富な温泉を楽しめれるのだ 前々から来たいと思っていた、そんな渋温泉に出かけたのは 昨年12月の事で、娘の就活のイベントが週末に長野市内で あると聞き、その送迎がてらに旦那の車で私と娘のいつもの メンバーで泊まりに出かけたのだ 就活が目的であったのか、温泉が目的だったのか今となっては 判らない。ま、娘の大学の推薦試験ですら日帰りも出来るのを 旦那の車で三人で前日から入って、旅館で泊まって温泉は無論 名物料理食べたり、コタツでごろんと横になってテレビ見てと ま~~~~ったりとしての家族旅行。それが良くて緊張感なく 合格出来たとも娘にも言われているのだが・・・ 温泉街の楽しみはなんといっても、旅館に着いてから、また夜も カラコロと旅館の下駄での街歩き。渋温泉を代表する大湯の 屋上に大湯と同じ源泉で、茶色の足湯「のふとまる」があって これは「あたたまる」という意味であるとか 温泉と言えば宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」で、湯婆婆が 経営をしている湯屋は色々な温泉が入っているので、特定の モデルはないとされている。しかし宮崎監督の親戚筋である 鶴巻温泉(神奈川県)の陣屋の他、道後温泉本館や湯原温泉 油屋、江戸東京たてもの園子宝湯が参考にされているそうで この渋温泉の歴史の宿金具屋もまた、モデルの一つだとか 昭和初期に建てられた歴史の宿金具屋の斉月楼は、4階建て 鉄板葺き、入母屋造りで、外観も凝った数寄屋建築であり 国の登録有形文化財に指定をされている 緑の提灯を見た事がありますか? 日本の食料自給率を少し でも向上させ地産地消を応援する為にと始められ、日本産の 食材の使用量がカロリーベースで50%を超える、全国の 飲食店で「緑提灯」を店頭にぶら下げているのだ カロリーベースでの日本産食材の提供量が50%を超えれば 星一つ ★ 、60&を超えれば星二つ ★ ★、70%を超え れば星三つ ★ ★ ★、80%を超えれば星四つ ★ ★ ★ ★ 90%を超えれば星五つ ★ ★ ★ ★ ★。という具合だ そんな地産地消を応援しようと提灯は関係ないが、土産物屋で 旅館の食事前というのに、やっぱ、こんなものが温泉に浸かって いるとね~ こりゃ、食べるしかない!! 願掛手桶から出てきた目の外湯へ、夢ぐり願い札を持ってゆき 外湯の印を押し(入浴すれば更に効果大)、札に願い事を書き そのお札を格子に結び付けると良いらしい この願い処の台の下より湧き出ている温泉は、銭洗い温泉で このお湯でお金を洗うと、お金が増えるそうなので早速・・・ 風情ある木造の温泉旅館(歴史の宿金具屋ではない)に戻って ロービーで無料サービスのコーヒーなども飲んで、空いている 時には、無料で何度も利用ができる貸切温泉を娘と二人でGO いやぁ~。なかなか良いですよ。この貸切露天♪ 続けて、後から旦那も一人でのんびりと利用をさせて貰う 広間での食事は、他のグループと食事内容が違っているのも 気になるし、バイキングは食べ過ぎるし、部屋で仲居さんが 食事を並べたり片づける間も苦手なので、こうやって個室に 用意してもらって、その間に布団を敷いてもらうタイプは 気兼ねなく、客室利用なのかテレビも見れて有難い こんな、かわいい下駄のキーもセンスある~♪ こちらは渋温泉の近くにある道の駅「北信州やまのうち」 また渋温泉の近くに、楽天ブログでお世話になっている 蔵元があるので立ち寄ってみた 仕込みの最中か明りがついた蔵から、良い香りが・・・なんて しているうちに、旦那と娘のケチコンビは一升瓶でも買って くればいいのに、ちっちゃ! せめてハーフで吟醸買おうよ~ おかげで、おちょこ1杯くらいしか私の口に入らなかった 平成21年12月12日に信州渋温泉で撮影
2010年06月22日
コメント(47)
春の白い山(安曇野、大町、白馬)シリーズも 今回が最終回。信州の山が好きな舅にまだ白い 北アルプスを見せようと、息子に留守番を頼み 家族みんなで、日帰りドライブ旅行に出かけた のは、ゴールデンウィーク明けの週末だった う~む。思えば娘と、そして旦那と、更には家族で 三週連続で、安曇野&大町に出没をしていたのかも それだけ今年は、北アルプスの残雪を楽しませて 貰えてラッキーであった 旦那も、安曇野の穂高神社に出かけた事が無いという ので、昨年の春の式年遷宮で新しくなってピカピカの 社殿も見せたかった事もあり立ち寄ることにした 昭和45年5月には川端康成、井上靖、東山魁夷が揃い 参拝をされた際には、若葉繁る欅の木を仰ぎ絶賛をし 後に「けやきの木」という題で井上靖が小説にもした 社殿の前の樹齢五百年を過ぎる杉の樹は、大正の頃に 母親の病気の平癒祈願の為に、丑三つ時に白装束で お参りをするお嬢さんがいたそうで、その事がいつしか 氏子の人たちに噂となって「孝養杉」と呼ばれるように なったそうだ そして、松本の桜で紹介をした母親の犀龍(サイリュウ)に 乗って空を駆ける小太郎の像・・・・。坊や~良いこだ ねんねしな♪というのには勇ましい姿は、青年になって 再会後に松本平の水を抜く為に、親子で果敢に闘う姿で あろうが。しかし犀龍のサイって・・・動物のあのサイ? いつもは大王わさび農場にばかり行くので、今回はまだ 行った事が無かった、環境庁(現・環境省)の「名水百選」の 1つで、国土交通省からは「水の郷」にも認定をされている 「安曇野わさび田湧水群」に出かけてみた 北アルプスからの雪解け水が、伏流水となって長い年月を 経て、安曇野の地のあちらこちらから湧き出している 日量70万トンもの湧水量を誇っており、真夏でも水温が 15度を超えることはないそうで、わさび栽培に用いられ 更ににわさび田からの排水を利用した、ニジマス養殖も ハーブの栽培で有名な北安曇郡池田町の「道の駅池田」には 池田町ハーブガーデンが併設をされているそうだ。たぶん その近くの道端に、こんなものがあったのだけど 更に北安曇郡松川町の北アルプスパノラマロード沿いに ある「安曇野松川」は、通称が「寄って停まつかわ」といい 村のシンボルがすずむしであるそうだ いよいよ、またまた大町。真っ白な山も今週も健在だ そして、こちらの橋の欄干にはまさしくイメージ通りの かわいい小太郎と犀龍のモニュメントがあった。やっぱ こうじゃなきゃ 東京電力の「水と電気の高瀬川テプコ館」では、無料で いろいろな模型や、映画上映で「揚水発電」の仕組みを 分かりやすくご案内し親子連れには面白いかも 新高瀬川発電所で実際に使われていた、日本一大きな ポンプ水車ランナは、水車として発電運転に使うだけ でなく、ポンプとして揚水運転にも使うことができる 大正11(1922)年の運転開始から、平成2(1990)年 までの68年間、高瀬川第一発電所で運転をした水車 富山県の黒部ダムに次いで、日本第二位の高さにあり 日本最大級の石を積み上げて造ったロックフェルダムの 高瀬ダムや、揚水発電所の見学も出来るようだ 長野県酒造協同組合に加入をしている、県内の約百社の 蔵元の共同出資で運営がされているアルプス搗精工場は 近代的な設備によって、高品質高純度の酒造米を精米を する、日本最大規模の搗精工場で、無料でガラス越しに 工場内を見学が出来、県内約百社の蔵元の地酒が展示を されており、販売コーナーも 帰りの寄り道は「安曇野フラワーパーク」にある安曇野産の 牛乳を使った本格ジェラートの「アルピーノ ジェラーティ」 いつもの信州のタウン雑誌「こまち」に、期間限定の特典 チケットがついていたので、それを利用して新発売の焼いた アイスに、おまけのコーヒーとクッキーで300円で一休み 平成22年5月9日に信州で撮影 小太郎と犀龍のお話をまだ知らない方は 「龍の背に乗って空駆ける小太郎のしだれ桜」 http://plaza.rakuten.co.jp/siroihana/diary/201004260000/
2010年06月19日
コメント(47)
無論、突然に白馬につく訳もなくって 塩尻からは、左に北アルプスの絶景を 見物してのドライブ紀行は助手席側の 窓も全開し、信州の澄み切った空気と 風を受けながら 田植えの準備万端の田んぼには水がはられ 真っ白な北アルプスの山々が、鏡のように 映し出されていて、やっぱ春の山は美しい 主人の車のカーナビには、地図上に文化財 マークも乗るので、それで見つけた国の 重要文化財に指定をされている穂高にある 曾根原家住宅に寄ってみた 曾根原家は江戸時代に新屋村の庄屋を務めた 家柄で、江戸中期に建てられた長野県下でも 屈指の古い住宅で、中信地方から南信地方に かけて分布をする「本棟造」の初期の例だとか そして大町。道の真正面に北アルプスが 見える、この風景が大好きだったりする JR東日本E127系電車100番台 大町から白馬に向かう途中、仁科三湖のうち最も 南の木崎湖(きざきこ)は、男はつらいよ、白線流し 犬神家の一族(殊世が溺れかけるシーン)などの 映画のロケなども行われたそうが、並行する電車で 湖が見えないし~。あ、右奥にちょろっと湖面!? 仁科三湖の中間に位置し、最小の湖である 中綱湖(なかつなこ)は、コイやフナ、ワカサギ 中でもヘラブナ釣りが有名だそうである 最も北に位置する青木湖は、最大の面積を持ち 水深58メートルと県内で最も深く、透明度も高い 流入河川が無く、水位が維持されている事からも 湖底にかなりの量の湧水があるようで、犬神家の 一族の有名な、つきだした足のシーンのロケが これらの仁科三湖は、糸魚川静岡構造線による 地溝上に出来た構造湖で、伊勢神宮の分社である 仁科神明宮の近辺を指す地名であった「仁科」は 伊勢神宮領仁科御厨の御厨司(荘官)である豪族の 仁科氏が勢力を増した事から、この地方全般が 仁科と呼ばれるようになった 蕎麦で有名な戸隠高原にも近い、大町市美麻の 標高千メートルの「新行(しんぎょう)高原」は 昭和30年頃から、大町スキー場のスキー客の 宿泊を中心に観光地として栄えていたが、スキー 人口の減少に伴い宿泊業も減少傾向にあった 何とかして村おこしをと考え、昭和50年頃から 「蕎麦」の産地として再生を図り、今では稲作を 上回る県内有数の蕎麦どころとなった かつてはスキーヤーで賑わった、高原の村落には お蕎麦が食べられる民宿や、蕎麦屋が幾軒もあり 週末ともなると、駐車場には遠くから駆け付けた 車、車、車。店の前には順番待ちの人、人、人 人気店の「山品」で30分位待って、中に通されると 沢山のサイン色紙と、懐かしい長野オリンピックの コーナーも設けてあった 今回も蕎麦の他のメニューをと、味噌が薄く塗られた 蕎麦うすやきを 注文したが、と~っても美味しかった 以前に姉と出かけた、白馬の入口にある姫川源流 湧水は、このブログでも紹介をした事があるけど 名水百選に選定をされ、福寿草と水芭蕉が有名だ その水源は青木湖であったのが、佐野坂の地滑りで 堰き止められての、青木湖からの漏水との説も 姫川(ひめかわ)は、この白馬から新潟県糸魚川市の 日本海に注ぎ、平成12年と13年の一級河川における 水質調査では、清流日本一となった。この姫川沿いは 昔は千国街道(塩の道)として利用をされ、今でも 国道148号や、JR大糸線が並行している その流路は北アメリカプレートと、ユーラシアプレートの 境界となる糸魚川静岡構造線に沿っており、飛騨外縁帯の 脆弱な蛇紋岩が広く分布する為に、豪雨による土砂 災害が絶えず、道路や鉄道が不通となる事も多い 1995年7月11日の梅雨前線による、上越と北信地方の 集中豪雨では姫川が氾濫し、支流や付近の山腹斜面で 土石流や地すべりが多数発生をしてしまい、交通が 各地で寸断され、国道148号、大糸線が長期不通と なり、翌年には災害復旧工事中に土石流が発生をして 作業員14名が亡くなられたそうである 古事記には、糸魚川市付近を治めていた豪族の娘の 奴奈川姫に、大国主命が出雲から求婚しに来たと いう神話があり、奴奈川姫が姫川の名の由来だとか 白馬の天然木を組み合わせた落ち着いた外観を 持つペンション併設のレストラン「HOME'S IN」は カフェテラスにもなっているので、わんこを連れた お客さんも、気軽にご飯を食べていた ビーフデミグラスオムライスとホワイトオムライス そのご近所の「ジェラードショップ花彩(はないろ)」で 安曇野産の低温殺菌牛乳と厳選された素材を使った 大人気の手作りジェラートを食べてみる♪ 平成22年5月1日、2日に信州で撮影
2010年06月15日
コメント(49)
どうやら延長が決まったのだが、その当時には 世間では週末の千円ETC最後の大型連休とも 言われていた、今年のゴールデンウィークから かなりたちましたが、その時の行楽を紹介したい 皆さんはどう過ごされましたか? 渋滞は大嫌いなので、あえて高速は利用をせず 快適なドライブ先に選んだ先は、我が家からは 国道19号で塩尻まで出て後に、北上するという 長野オリンピックのノルディック複合のジャンプ 競技を観戦して以来の「信州白馬」だった 大町あたりまでは気軽に出かけるけど、その先とも なると日帰りは厳しく、前々から行きたいなぁ~と 考えていたのだ。 息子は友達との連日の遊びで 娘の方も学校があり、珍しくの夫婦旅となった なにより、この時期には白馬の山々が雪をいただき (無論、桜も咲いていなかった) それを眺めるだけ でも楽しそう♪ お天気も気になっていたので前日 までは宿泊予約を待って、天気を確信してからの ネット宿泊サイトからの予約だった そして安さには勝てず、生まれて初めてのペンション 宿泊~。他のお客さんもみんなが中高年夫婦って 若い時にアンアン&ノンノ見ながら津和野とか京都 いってた世代っていうのは、偶然なのだろうか ペンションには、かっこいいバイク2台での50代の ご夫婦も黒皮ジャンで(写真のバイクは違う方のです) JRの青春18切符にしても、中高年の利用者が多く それだけアクティブなのか、行楽上手な気もする そんな事で長野五輪の名残を楽しみに、白馬八方尾根の 白馬ジャンプ競技場を見学をする事にしたのだが、お~ リフトで上まであがれる事が出来るんだ。高いところが 好きな私はうきうき、わくわく 飛び終えても、こんな急斜面に着地をしているのは驚きだ それにしてもジャンプ台の迫力のある事。約12万平方 メートルの敷地内にラージヒルを長野県、ノーマルヒルを 白馬村か建設し、総事業費は約76億円であったそうだ リフトで4階建てのスタートタワーへ入り、そこからは エレベーターで展望室へ上がって、更に長い長い シースルーの階段を使って、へとへとで到着だ ノーマルヒルは全長が318メートル、 標高差107メートル 最大斜度36.5度である ラージヒルの方は全長が385メートル、 標高差138メートル 最大斜度37.5度である まだ春スキーが楽しめるらしく、真っ白なゲレンデを 滑る人たちが豆粒のように見えた その後は、数ある白馬の温泉の中で白馬塩の道温泉の 「倉下の湯」へ。2500万年もの間フォッサマグナに 封じ込められた温泉は、空気にふれて褐色になるという 「ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩温泉」で疲労回復や 神経痛、筋肉痛、冷え性に効果があるそうだ お隣の北安曇郡小谷村の栂池(つがいけ)高原は、冬は スキー場、夏は自然園などで有名なのだけど、前にも ここで紹介をした「塩の道(千国街道)」でも有名であり 戦国時代に上杉謙信が、武田信玄に塩を送った事から 「敵に塩を送る」という故事も生まれた 日本海に面した糸魚川から、信州の松本城下を結ぶ 千国街道の谷あいの山道を、「牛方」や、背中に荷を 背負って人徒歩で運ぶ「歩荷(ボッカ)」が、海産物や 塩を松本へ運び、帰りは麻や煙草などを運んだ 馬では山坂はひずめが割れているので、踏ん張りの 利く牛のほうが有利な上、狼や山犬に襲われると 馬は逃げ出ても、牛は力強く立ち向かったそうで 雪のない季節などに、牛方は牛を使って荷物を運び 沿道の百姓らの農繁期の合間の「作間稼ぎ」だった そんな午方が泊まった、十九世紀初期の建築という 間口六間、奥行き十間の寄棟造りの茅葺きの千国 街道に唯一残る「牛方宿」が残されており、村が 買い受けて整備復元をし、資料館として公開され 長野県の県宝の指定を受けている 牛方が1人で、6頭の牛をまとめて移動をする時には 宿料は1人分と牛6頭分を払っていたそうだ。車で ちょこちょこっとポイントを回るのではなく、時間が あれば、塩の道を何キロか歩いてみたいのになぁ 平成22年5月1、2日に信州白馬、栂池で撮影
2010年06月14日
コメント(43)
昨年の秋に娘が友達と車で出かけた陣馬形山からの 伊那谷の絶景が素晴らしかったというので、春近し 雪も解けただろうからと、2月下旬に旦那の運転で 二人で麓の中川村から、矢印通りに細い細い山道へ あれ? 山の上の方へ登るはずが、なんだか道が下り 湖なんかもあったりして・・・・ 訝しがっているうちに 集落に到着をした。そこは「日本で最も美しい村」の 一つ、南信州の秘境「大鹿村(おおしかむら)」だった おかしいなぁ。どこで道を間違えたんだろう。まぁ ここも前から来たかったからいいけど・・・ しかし 山の山の山の奥だな。この村も・・・・ 前に出かけた 遠山郷を思い出すような光景だ 目の前には真っ白に輝く赤石山脈(南アルプス)の 赤石岳であるが、その標高は3120メートルもあり 日本百名山にも選ばれている、日本有数の山だ そんな山々に抱かれての山里 フランスの最も美しい村協会に触発をされ、日本でも 特定非営利活動法人の「日本で最も美しい村」連合が 平成17(2005)年秋に設立をされて、加盟地域が 年々増えており、その参加条件は下記のようである 直近の国勢調査の人口が、概ね1万人以下である 人口密度が1km?につき50人以下である 景観、環境、文化に分類される地域資源が2つ以上あること 1. 地域資源が存在する 2. 地域資源の持続的な活用への努力が払われている 3. 条例などの公的手段により地域資源が保護されている 連合が評価する地域資源を活かす活動があること 1. 美しい景観に配慮したまちづくりを行っている 2. 住民による工夫した地域活動を行っている 3. 地域特有の工芸品や生活様式を頑なに守っている フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より転載 大鹿村に伝承をされている大鹿歌舞伎は、文書上の 記録としては、明和4(1767)年に狂言が上演された のが最初だ。地芝居は江戸時代は一般的には禁止で あったのだが、奉納芝居の名目など様々な手段を使い 庶民の娯楽として、地方の山村で受け継がれている 大磧神社舞台 その中でも大鹿歌舞伎は、選択無形民俗文化財の 指定を受け、2000年には地芝居としては初めて 国立文楽劇場での上演を果たした 村内には13の舞台があったうち、現在でも使用が できるのは、大磧神社と市場神社のほか、御柱祭が 行われる寅申年にのみ、上演をされる葦原神社のと 野々宮神社(ほとんど使われていない)の四か所だ 市場神社舞台 春の公演は5月3日に、大河原地区の大磧神社で 秋の公演は10月第3日曜日、鹿塩地区の市場神社が 上演場所となっており、伊那市出身の後藤俊夫監督の 地芝居を描いた、映画「Beauty-美しきもの-」では この大鹿村を中心に伊那谷各地でロケが行われた 諏訪大社のご祭神である建御名方神が、建御雷神との 力くらべに負けて出雲から洲羽(諏訪)に逃げる途中に 大鹿村の葦原神社に、一時的に滞在していたと言われ 建御名方神が狩りの最中に、鹿が湧き水を舐めるのを 見て塩泉を見つけて、「鹿塩」となったそうだ 嘉暦4(1329)年に、北条高時から信濃国の地頭や 御家人に対しての下知状により行われた諏訪大社の 五月会・御射山御頭に勤仕をした郷村中に大河原と 鹿塩の名があった。(明治時代になって合併により 二つの名から大鹿村になる) 福徳寺本堂は、平安時代末期の平治2(1160)年の創始で 鎌倉時代に完成をした、長野県最古の木造建築物で 国の重要文化財に指定をされている。堂内には中央に 阿弥陀如来と薬師如来。毘沙門天・聖観世音菩薩が 脇に配され、四体とも慈覚大師作と伝えられている 南北朝時代、南朝方の後醍醐天皇の皇子の宗良親王が この地の豪族である香坂高宗に庇護され、30年もの間 信濃宮方(南朝)の本拠地となっており、宗良親王の 天台仏教修法の道場であったそうだ 松下家のご先祖は、戦国時代までさかのぼれ、江戸 時代に入ってからは、代々名主組頭の村役を勤める 豪農だった。文政3(1820)年に建築をされた主屋は 本棟造りの構造で、赤松などの構造材はとても大きく 14.6メートル。八間通しの大梁は手斧削りの痕が 残っており、母屋と土蔵が共に国の重要文化財に 指定をされている さて、以前に南信州の遠山郷の時にも取り上げたのだが 中央構造線は、茨城県から中部、近畿、四国、九州は 熊本県までと、 千キロ以上にわたって日本列島を縦断 する日本最大の大断層である この大鹿村周辺では、国道152号線に沿って杖突峠 ゼロ磁場で有名な分杭峠、地蔵峠、青崩峠を結ぶ線で V字の断層谷をつくっており、江戸時代は秋葉神社への 参拝の道である「秋葉街道」として、沢山の人に利用を されていたそうだ 中央構造線は地面がずれてしまっただけの断層ではなく 白亜紀後期の古アジア大陸プレートと、古太平洋プレート (いさなぎプレート)の衝突により生じたものであるので 中央構造線を境にして、まったく別の地層が隣り合って いるそうで、大鹿村は中央構造線の真上にある 村営の中央構造線博物館は、中央構造線のほぼ真上に 建てられた、日本で唯一の中央構造線の専門博物館である 昭和36年6月29日の集中豪雨の為に、大西山の 中央構造線に沿った急斜面が高さ451メートル 幅280メートルに渡って崩壊をし、対岸の集落を 呑み込み、39戸の住宅を破壊、42人が亡くなる 大惨事が起きた 大西山の崩落跡地は犠牲者の慰霊と、村の復興を 願い、村人によって植えられた130種類三千本の 桜の咲く公園となった 行きの山深い湖は、ダム湖だったんだ。この遥か 山の山の山の向こうに大鹿村がある。今度は伊那の 長谷地区から、分杭峠を越えてと思ったが、昨今の パワースポットブームで、ゼロ磁場の分杭峠には 全国から人が押し掛け、付近は駐車禁止でシャトル バスで現地入りのだとか(通り抜けるだけならOK) ダム湖の下流には、ラリー車などの、ダートコースが 作ってあって、砂ぼこりをあげて車が走りまわっていた 行きの迷い道と違って、帰りには違うまともな道を利用 したのでトンネルなど通って比較的楽に、下界に戻れた このトンネルの無かった頃は、さぞかし村の方は大変で あったのだろう 平成22年2月21日に信州大鹿村で撮影
2010年06月10日
コメント(53)
信玄餅詰め放題だとか、ワイナリー試飲だとか、娘の 大好物のほうとうを食べるだの、盛り沢山の甲府盆地で 私が前から行きたかった寺にも、何とか時間を割いて 向かう事が出来た 京都や鎌倉など都にも負けない雅びな寺は、臨済宗 妙心寺派の乾徳山恵林寺(けんとくさんえりんじ)で 甲斐武田氏の菩提寺で、夢窓国師の築庭による国 指定の名勝の池泉回遊式庭園でも有名だ 鎌倉時代の御家人で、甲斐国の守護職であった二階堂 貞藤が、笛吹川上流の所領である牧荘を寄進をして 夢窓疎石を招いて元徳2(1330)年に開山をした寺も 応仁の乱で荒廃をするが、甲斐武田氏の菩提寺に定め られた事で復興を果たした 永禄7(1564)年には、武田晴信(信玄)が寺領を 寄進をして、美濃崇福寺から高僧の快川紹喜(かいせん じょうき)を招いた 更に天正4(1576)年春には、快川紹喜を大導師に 嫡男の武田勝頼を喪主に、武田信玄の葬儀が行われ その墓所のある寺だ 織田信長の甲州攻めで、武田氏が滅亡した直後の天正 10(1582)年の春に、甲斐に向かった途中の台ヶ原 (北杜市)で、信長は生涯初めての富士山を見たそうで 4月3日には躑躅ヶ崎館の焼け跡に到着し、嫡男である 織田信忠らは武田氏残党の追討を始めた 織田信長の南近江侵攻によって、武田信玄の元に身を 寄せていた、戦国大名であり名門の六角氏の当主である 六角義治を、恵林寺の快川紹喜は当時の寺院は聖域で あるとする社会的観念から匿まって、織田信忠からの 引き渡しの要求も断固として拒否をした 織田信忠はついに恵林寺を焼き討ちをし、快川紹喜は 燃え盛る三門の上で、中国の詩人杜荀鶴(とじゅんかく)が 悟空上人を訪ねた時に作った詩の中にある句を用いて 一山の僧とともに焼死をしたそうである 安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 安禅必ずしも山水を須いず 心頭を滅却すれば火も自ら涼し 更に織田氏は農民を使っての武田氏の残党狩りを行い その首が献上されると黄金を下したという 快川紹喜は明智光秀と同じ美濃国の土岐氏出身である 為に、光秀が織田信長父子を打ち取った本能寺の変に 快川紹喜の死が影響を与えたのではないかとの説もある その逆に徳川家康は武田氏の遺臣を密かに匿っており 若い頃に武田氏にも遊仕した、徳川氏家臣の成瀬正一が 遠江国の桐山に匿った武川衆をはじめ、徳川四奉行と いった多くの人材が旧武田家臣で、大いに徳川に貢献を したそうである 五代将軍徳川綱吉の寵愛を受け、元禄期には大老格として 徳川の幕政を主導をした柳沢吉保。彼の祖父の柳沢信俊も 甲斐武川衆の一人であり、長篠の戦いでは敗戦の中で 本陣を守って、何度も敵兵を押し返し武田勝頼の命を 救うなど活躍し、武田家滅亡後には徳川の家臣となり 数々の軍功を挙げたそうだ 人を殺すのも戦いであれば、人を生かすのも戦いの かたちなのだろう 織田勢の焼き討ちを逃れて、那須の雲巌寺に隠れ 潜んでいた末宗瑞曷を招き、徳川家康によって寺は 再建をされ、四脚門は国の重要化財に指定されている 武田勝頼が躑躅ヶ崎から信玄公の遺骨を納骨をしたという 武田信玄の墓があった。信玄の墓所はこの恵林寺の他にも 大泉寺、長岳寺、竜雲寺、愛知県福田寺、京都妙心寺や 高野山、信州諏訪湖など全国にあるが、信玄の遺言により 喪を3年の間秘めていた事や、万一の外敵を恐れ埋葬地を 秘密にしていた為だそうだ 明王殿には武田不動尊が安置されているが、武田信玄が 比叡山より大僧正の位を受けた記念に、仏師の齊藤康清が 31歳当時の信玄と対面で模刻をさせたという、等身大の 不動明王で、信玄生不動とも呼ばれている 信玄の墓所の後陣には、信玄を慕う武田氏の家臣団の 供養塔や墓が約七十基もあった 戦国の世を経て・・・三代将軍の徳川家光の三男である 徳川綱重(甲府宰相)は、甲斐国甲府藩25万石に与え られたが、嫡子の松平綱豊(徳川家宣)が、五代将軍の 徳川綱吉の養子として、徳川将軍家に迎えられると 徳川綱吉の側用人である、柳沢吉保が15万石で入って その隠居後は子の柳沢吉里が家督を継ぐが、享保期に 八代将軍徳川吉宗によって、柳沢吉里は大和国郡山藩に 移封された 寺には柳沢吉保夫妻の墓が残されていた(大和郡山にも あるそうだ) 平成21年10月25日に山梨県甲州市で撮影
2010年06月04日
コメント(44)
吉田のうどんといえば、山梨県富士吉田市の 名物のB級グルメのうどんなのだけど、え? 富士に行ってきたの? って・・・いえいえ 「昨年10月」に、旦那の運転で娘と三人で 富士山に出かけた旅日記の残りだ 我が家から車で富士山に出かける時は、中央 高速道路で甲府あたりに出かけて、そこからは 一般道を使って、富士五湖に入るルートな訳で 前日にはいつものように、富士山をぐる~っと 一周をしたので、見るべきものも見たしなっと 旅の後半は甲府見物をしようと考えた 何より甲府の近くの勝沼は、葡萄畑が一杯、 ワイナリーも一杯な訳で、美味しいワインに ありつきたい そんな訳で、マンズワイン勝沼ワイナリーに 立ち寄ってみた。キッコーマンのグループ企業と して、1962年設立されたワインとブランデーの メーカーで、以前に紹介をした信州小諸にも ワイナリーを所有をしている ちょうど団体さんも到着をして、試飲会場は大賑わい あぁ、なんだか楽しそうだ 山梨県最大の生産量を誇り、数々の賞を受賞している ワイナリーだけあって、30種類ものワインの試飲が 出来るとあって、娘も目を輝かしながら いかん。楽しくて長居をしてしまったが今日の目的は 午前中に在庫も無くなってしまうという、山梨名物の 「桔梗屋信玄餅」の本社工場にあるアウトレットだった 店の入口には、賞味期限の近い商品の詰め放題の行列が 出来ており、それ以外にも店内にはお得な価格でお菓子が いっぱいだ 洋風のお菓子もあったので、車の中で食べようと購入 さぁ、いよいよ私たち(娘と私)の番だ・・・って、もう お目当ての信玄餅がほとんど残っていない。手を伸ばして なんとかゲット~~!! しまったワイナリーで時間を取り 過ぎてしまった まぁ、それでも信玄餅6個も含めて、12個で210円と いうのは、かなりな激安価格だ。娘の方はサイズのでかい 饅頭があり、信玄餅5個も含めて11個だけど大満足だ♪ お昼は以前も食べた事がある店で、娘の大好きな山梨名物 かぼちゃほうとうをいただく。相変わらずのボリュームだ 食事の後に、観光(次回の日記で紹介します)をした後 ちょうど通りがかった、笛吹市石和町にあるワイナリーに 立ち寄ってみた こちらは、壁に埋め込まれた樽から試飲をするタイプの 本坊酒造の山梨マルスワインであり、マルスウィスキー 信州ファクトリー(駒ヶ根)でも馴染みだ 茅ケ岳山麓の韮崎市に自社農園「穂坂日之城農場」を 造設し、日本有数の日照時間を誇る冷涼な高地において 高品質ワインの醸造に取り組んでいる 第三回国産ワインコンクールでは、甲州種及び欧州系 品種赤において、また山梨県産葡萄では初めての金賞を 受賞する事が出来たそうだ あぁ、やっぱ信州と山梨はワインに、日本酒、ウィスキー 養命酒(?)と、酒街道。車の運転手の旦那はつまらな そうに林檎ジュースを飲むのだった。そんな旦那の為に 1本を晩酌用にお買い上げ~! 平成21年10月25日に山梨県内で撮影
2010年06月03日
コメント(42)
4月も終わりだというのに、春まだ浅き山里は ここは信州大町。黒部ダムへの入口にあたり 大町温泉にもほど近い ガイドブックに或る訳でもなく、大町温泉にあった 大きなマップで見つけたのは、「江戸時代末期の 農家」も残るという魅惑的な誘い文句で、早速 車を走らせた といっても、大町温泉からほんの数分といった 間近な農村は、昔も今も変わらぬ風景・・・・ 白き山も間近に(大町の北側の山) 日陰には残雪。いつのものだろうか 田植えを控えて、水が田に満たされ 何やら城のような一般のご家庭も 行き当たりばったりというのが、旅の醍醐味かもと 見知らぬ農村で思う 間近に白き山を望み(こちらは大町の西側) 大町温泉で足湯なども楽しむのもよし されど、薬師の湯で日帰り温泉を楽しみもする ここの露天風呂につかりながら、白き山の絶景も 検索が面倒で、白き山とごまかすが大町の西側の 山などは、地図などでお確かめください お腹もすいた娘と二人で、大町駅前の豚のさんぽ ラーメンチェーンの凌駕のコラボだけに、娘はラーメンって もやしと豚肉てんこ盛りでラーメンが見えんし! 私は念願の大町のご当地グルメ「黒部ダムカレー」 ご飯で ダムを作って湖面がカレーとった定義があり、お店それぞれ いろんなダムカレーが楽しめる 平成22年4月下旬に信州大町で撮影
2010年05月21日
コメント(42)
さて2010年の信州の花紀行も、いよいよ今回が 最終回。4月半ばの松本市民のお花見スポットである 「弘法山古墳」で、国の指定史跡にあたる 松本市街地の南にある弘法山にある古墳は、墳丘が 数十メートルあり、3~4世紀と東日本では最も古い 古墳の一つだ 前方後方墳やS字甕など、濃尾地方(美濃、尾張など)の 特徴を持ち、濃尾地方の土器も出土をされていることから その地方との結びつきの強い権力者の墓であるらしい ソメイヨシノ、ヤエザクラなど二千本が植えられ桜の山と 化しており、そこからの松本市街地や北アルプスも絶景だ 今までにも紹介をした信州のタウン情報誌「こまち」が10周年 記念だそうで、県内各地のグルメ店などの特定のメニューが ペアで半額や30%オフになるクーポン券があるので、早速 利用をしてみた 松本の女の子たちに人気だという「はなぐるま」さんの 好きなパスタに、サラダ、ドリンク、シフォンケーキが ついたセットが半額に近い(パスタによる)1050円で 食べることが出来た お腹一杯になった大満足で、お店の写真を撮り忘れ~ 引き続き、春に食べた信州各地のグルメ特集に突入 以前も紹介をしたけど、塩尻側から木曽への入口にあたる 本山宿にある、地元の奥さんたちがやっている蕎麦屋さん ここでも「そばがき」 お店によってこれもいろいろだ 娘は蕎麦ばかりの定食で、あれもこれもが蕎麦ばかり 伊那谷でチェーン展開をしているラーメン「じゃげな」 南箕輪店。個性的な店構えに敬遠していたが、店内は いたって普通で、ファミリーでも楽しめそうだ ぶっ・・・ぶれてしまったけど、美味しいラーメンで しかも、次回からは、ラーメンの具1品を無料で トッピングが出来るカードをいただけたのは嬉しい 早速、そのトッピングカードを使おうと、「じゃげな」 フルーツライン高森店に出かけたらオヤジに大人気~ しかし、私が頼んだのは具が全部トッピングされている 「リトルじゃげな」で、トッピングの無料カードを忘れた 娘に、その権利を譲った。おまえ~、肝心な時に! こちらは駒ヶ根の和食屋・・・と思われるような店舗だが ネパール料理が食べられる「ポカラダイニング」 「ポカラ」とは、駒ヶ根市と姉妹都市であるネパールの 都市だそうで、ネパールの山岳地方の料理や文化を 信州の人に伝えたいと開いたそうだ ラストは、1コイン(500円)ランチで有名なお店で、娘は 日替わり定食の和風ハンバーグ。私はお腹が空いて なかったのでアイスコーヒー100円と、カツサンド200円也 何せ混まない11時30分からが狙い目だという、ここは 伊那市役所の食堂で、一般人も利用ができる。12時を 過ぎると職員で混むのだ。曜日限定で、ソースかつ丼と ローメンの伊那セットが500円だとか、レディースセット 400円もあるので、また出直したい 道路の中央分離帯上にあるのは、松本神社の御神木の大欅 平成22年4月に信州松本周辺で撮影
2010年05月06日
コメント(43)
世間ではゴールデンウィークも最終日。皆さんは如何 お過ごしでしたか? 渋滞嫌いな私は高速は使わずに 国道、県道、市道を使って「海~!山~!祭~!」に 出かけてきたのだが、それらの旅の日記は後日として まずは、4月上旬の「信州花紀行」の続き 以前の千曲の杏(あんず)の花を、桜と勘違いをされた 方も多かったが、このピンクのかわいいのは「桃の花」 南信州は果樹園も多いので、山里の4月はどこも花盛り 飯田市周辺で、お花見を楽しんだ おやおや、桃の花畑の向こうの白い花は・・・ 「梨の花」。これはこれでゴージャスな感じだ 梨や桃を毎年のように食べる人は多くても、花の時期は 短いもの。その花を見た事がある人は少ないのかも この花はどう見ても桜に似ているような気もするが、樹の 感じが違うような気もするし、何の花だろうか? のちの道祖神にもつながるような、諏訪神社ゆかりの 神様ともいわれるのが、社御司(シャゴジ)であり 農業神として自然や木や石を祀ったものであるそうだ そんな自然いっぱい、花盛りの山里から飯田市街地へ JR飯田線の飯田駅は、何やら牧場のようでカワイイ 飯田のシンボルが市街地の中心地にある大通りに 植えられた「りんご並木通り」で、日本の道百選や かおり風景百選にも選ばれている 飯田に疎開をしていた岸田國士や、出身の日夏耿之介など 飯田にゆかりの文化人の碑や、彫刻家の作品があって のんびりと散歩をするのも良い 市街地の大半を焼き尽した1947年の「飯田の大火」の 復興の際に、飯田市立飯田東中学校の生徒たちの提案により 林檎が植えられて、今も生徒らの手で育てられている 50年もの古い樹もあり、収穫をされた林檎は、生徒らが 食べたり、施設・官庁・報道関係などに無償で配布をして いるそうだ そんな大火でも焼け残ったのが、並木の脇にある三連蔵で 飯田市が取得をして修復をして、市民や観光客向けの施設 として親しまれている 樹齢260年以上の紅梅の古木は、飯田城主から拝領をされ 藩士邸にあったものが、後にここに移植されたもの 飯田を代表するお菓子は、松に巣づくる鶴のめでたさを 唄った「鶴の巣ごもり」から名付けられた「巣ごもり」で 卵黄で練り上げたあんを、ホワイトチョコレートで包んだ ものだが、最近は色んな味があるみたいだ そして飯田市民に古くから親しまれているのが、こちらの 「一二三屋」の素朴な味わいの黒糖まんじゅうだ。飯田は 菓子の街としても有名で、あちらこちらにお菓子屋が 平成22年4月上旬に信州飯田で撮影
2010年05月05日
コメント(45)
5年ぶりに免許証の更新に出かけたら、何やら今度は 普通免許ではなくって、中型免許(限定つき)という 免許になっていた。乗れる車の条件は今までと何ら 変わらないけど、なんだか得した気分かも しかも5年は使う免許証の写真が、なかなか良い出来 ではないか。体重減と美容院に出かけた成果は一目了然 いや~、こうなると10年は使うパスポートの写真用の 仕上がりも期待ができるというものだ なんて気分良く帰宅途中に、給油でガソリンスタンドに 寄ったら136円。また上がってるし!! ゴールデン ウィークには、行楽好きの旦那の車でドライブでもと 企んでいるが、高速の渋滞も苦手なので近場観光か それにしても旦那の車に、1年前に取り付けたETCの 週末の千円均一料金で遠出をしたのは、昨夏の新潟旅行と 秋の富士方面(甲府まで高速利用)だけで、その殆どが 名古屋とか三河とか、長野などいわゆる二千円以下の 近距離区間なので、このままでは夏には料金が高くなる しかし地球にエコだとかで、私の軽自動車がETC無いけど 高速千円になるらしいので、近距離では私の車でトロトロと 高速を走るしかなさそうだ。燃費も旦那の車より良いし ある意味、一石二鳥? しかし意味なかったわ~、あのETC! 一応は元とれたけど ここまでの写真は信州松本のアルプス公園。あまりの天気の 良さに出かけてみたら、偶然に一日何便もない松本空港への JAL機が。松本空港もだし、県営名古屋空港(小牧) など 大幅な地方空港からの撤退が表明されており、観光業など 地方経済への影響が懸念をされている 何度も出かけたことのあるアルプス公園なのに、初めて気が ついた。巨人であるダイダラボッチが松本平を横切った時の 足跡で出来たくぼ地があった。更にダイダラボッチが腰を かけたのが、塩尻の高ボッチ高原であるらしい。ここからの 北アルプスの景色も良いそうなので、一度出かけたい アルプス公園から見渡せる、安曇野から松本平にかけては 湖であったそうで、湖の主である「犀龍」と、山向こうの 須坂市高梨あたりの池の「白龍王」との間に生まれたのが 泉小太郎だ 放光寺 放光寺山(松本市城山)で、小太郎が大きくなるにつれて 母の犀龍は自分の姿を恥ずかしく思いようになり、湖の底に 隠れてしまったのを、小太郎は行方を訪ね歩いて、やっと めぐり会うことが出来たそうだ 諏訪大明神の化身(けしん)であるという犀龍は、小太郎を 背に乗せて、体当たりで山清路の巨岩や下流の水内の橋の 下の岩山をうち砕いて、千曲川から越後の海に水を落として 豊かな平野を作りあげ、犀龍が進んで出来た川を「犀川」という そんな泉小太郎が植えたという、しだれ桜(何代目か) 以前にやっていたアニメ「まんが日本昔ばなし」の冒頭で 「坊や~良い子だ♪」と、子供が龍にまたがっているのは 犀龍と小太郎らしいです 中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」も頭に浮かぶけど そんな訳で松本市民のお花見場所は、この城山公園が有名で 平日でも近隣の方が集って、のんびりとされていた この土地の豪族である犬甘氏の城があり、 中世山城の 主郭や空堀も残っており往時を偲ぶ事が出来る。松本 藩主の戸田氏が、このあたりに桜や楓などを植えて 民衆に開放をしたそうだとか 松本御城下も見下ろせて、松本城も桜の中で これは、それより以前の松本。雪降ってるし・・・ やっぱり、その日もお蕎麦を食べる。よほどの蕎麦好きか 今日の免許更新でも、偶然にお隣でおしゃべりした奥さんも お蕎麦屋さん!? 今度、食べに行こう 平成22年4月14日に信州松本で撮影
2010年04月26日
コメント(54)
天下に名高い信州「高遠城址」の桜も、知らぬ間に満開の 時期を迎えており、いかにして渋滞をすり抜け駐車場に 行きつくかで頭を悩ますばかりだ ましてや寒暖の差が激しいのに桜が刺激をされ、数年ぶりに 桜の色が濃いという当たり年だというのだから、これは実際に 見に行かねばなるまい! 一昨年は娘と平日の夕暮れ時に出かけ、昨年は姉と日が昇る 午前6時から花見を楽しんだのだが、今年の場合は「寒いから 行きたくない」と娘にふられて、夜のライトアップの終わる 1時間前、午後9時からの花見となった ははは~。駐車場ガラガラ。城内もガラガラ。バイトのお掃除 お兄ちゃんらが箒で清掃中~ それにしてもさっ寒い・・・・。カメラを持つ手がかじかんで 夜間撮影なのに、三脚もないからぶれちゃうよ もとはと言えば戦国の城。攻め込まれて討ち死にした武田軍の 兵士らの血がしみ込んで、赤くなったと伝わる高遠桜だけに 人の少ない夜の城跡は、かなり不気味かも・・・・ 寒さもあってか、ゾクッ!と悪寒に襲われる。やっぱ花見は 賑やかに限るかも。せめても同行者を見つけましょうね 再び紹介をするならば、信州の名族である諏訪氏一門の 高遠氏が居城としていたのを、武田晴信(信玄)が攻略し 無血開城。かの山本勘助や秋山信友に命じて大規模な 改築を行ったそうだ 武田晴信と、諏訪氏の娘君であった由布姫の間に生まれた 武田勝頼が諏訪氏を継承をすることによって、高遠城主で あった時期も 時は下り、高遠城は織田や徳川勢力への重要な軍事的な要と なり、武田勝頼は異母弟である仁科盛信を高遠城主としたが 天下を狙う織田信長は、本格的な武田攻めを始めた 信長の長男である織田信忠が5万の大軍で高遠城に攻め込み 高遠城に籠もる城兵わずかに3千! 仁科盛信は降伏勧告を退け 激しく抵抗をしたが遂に落城し、織田勢は甲斐国へと侵攻し 名門武田氏は滅亡をしてしまった 落城した武田の兵らの血が、桜の花を淡紅色に染めあげて いるとも、まことしやかに伝わっている「高遠コヒガンザクラ」は マメザクラまたは、キンキマメザクラとエドヒガンの交配種の 一系の種類で、高遠の固有の種類であり、ぱっと咲き、ぱっと 散るのが特徴だが、今春は寒く、かなり長い期間を楽しめた 長野県の天然記念物に指定もされており、桜憲章が制定され 苗木は門外不出で、他の地方で見かけることは殆ど出来ない それがかえって貴重さを増しているのかも 明治新政府の廃藩置県で、高遠城の建物などは民間に払い 下げられて、旧藩士が桜の馬場から桜の樹を移植したのが 始まりとされ、今では1500本以上の「桜の城」だ 娘のいるうちに高遠桜を!と毎年楽しむ私と違って、週末 にしか休みのない旦那は今年も見物できず、来年の春には たぶん娘も伊那には居ないのに(あぁ、私の別荘も消滅) まっ、20年以上前に大渋滞の高遠城に旦那と一度出かけた 事あるんですが、当時はカラオケやかましく風情など全く 無しで、城のうんちく、桜の有難みもまったく判らず この次の日の夜の雪で桜の花に雪が降り積もって、枝が沢山 折れてしまったのだが、桜守の方は新聞のインタビューの中で 折れた所から、新しく芽吹くのが良いのかもとの事。鎌倉の 大銀杏と同様に、人が思うよりも植物はしたたかであるのかも 間もなくライトアップも終わり、闇夜に静かに溶け込んでゆく 信州の山里の桜の城を後にした 帰路には「ナイスロード」という三峰川に沿った道を通ると 三峰川の堤防「霞(かすみ)堤」に、大正時代に植えられた 樹齢100年に近い染井吉野の桜が、暗闇にぽっかりと浮かぶ その幻想的な美しさに見とれるばかり。アルプスを背景にして 昼間の桜も艶やかだが、闇夜の桜の暗がりに由布姫と侍女らが 桜を愛でていそうでもある 一昨年の夕暮れの高遠桜、昨年の早朝の高遠桜の様子は下記の トラックバックからご来訪ください。また久しぶりに連日での 日記更新をしました。信州の春の雪と桜とお蕎麦グルメに興味が ある方は、前日の日記もご覧くださいね 平成22年4月15日に信州伊那市内で撮影
2010年04月23日
コメント(48)
さすがに今朝は雨だけど、今年の春4月はいつになく 寒暖の差が激しく、上着が要らない上天気だと思えば 次の朝は雪で真白だったりで、体調管理も難しくって 家族全員がノド風邪をひいた(先週末の恵那山は真っ白) そんな訳で例年ならば、桜満開のブログのはずが雪景色 4月上旬の写真なんですけど・・・・山も真っ白に雪の華 中島美嘉か、はたまたイルカのなごり雪。こちらの二枚は 木曽から、伊那に抜ける権兵衛トンネル近くの4月の様子 昨日は塩尻の桜が満開でした。春まだ遠き木曽路では 木曽福島以北の桜はまだまだこれから 蕾です そんな木曽路で、今まで入ったことがなかった寿命ソバ この年になってくると、寿命とかご長寿とかも気にもなる 蕎麦も食べ飽きて、最近はサイドメニューが気になるので 蕎麦のお寿司を頼んでみた。手がこんでる~ それに、そばがき。暖かで素朴な味だ 木曽路を貫く国道19号の道沿いにある立派なしだれの一本桜 木曽福島より南なので、この樹は花を咲かせていた。旦那運転の 助手席から撮影 春なのに寒いし、こんな日には温泉で暖まるのが一番。木曽福島 市街地からわずか車で数分。開田高原に向かう道路沿いに出来た 日帰り温泉は、御嶽山周辺特有の茶色の濁り湯で、平日5時以降 入湯は500円ポッキリなのが嬉しい(期間限定・この秋までらしい) そんな冬のような木曽から、権兵衛トンネルを抜けた先の 伊那は春。といっても天下に名高い「高遠桜」も先週末の 春の雪では、桜の咲いた枝に雪が積もって、古木がぼきぼきと 折れてしまったそうである 高遠桜も満開近しと聞いていたが、日曜のお昼時に近寄るのは 渋滞嫌いには苦痛なので、アルプスの白山が見たいという舅を 連れて(姑は用事で不在)、旦那の運転で家族で出かけたのは 伊那市民の花見スポットの「春日城跡」で 朝も、夕刻(上記の木曽の温泉、しだれ桜の頃)も曇っていたが このお花見の時だけ、青空が顔を出しての上天気で、遠くには 南アルプス。舅も「やはり信州の山は違うなぁ」と、ご満悦 その日の昼食は、娘が「安いところでメニューが豊富だから」と 地元のグルメガイドブックで見つけた、駒ケ根市内のお店だが 着いてびっくり。順番待ちで人が並んで、ナンバーは関東やら 関西やらの観光客に有名な店だった 駒ケ根名物のミニのソースかつ丼と、茶そばの定食を食べてみた 蕎麦つながりで、こちらは違う日に私が食べた諏訪の更科蕎麦と うどんの定食。信州蕎麦は有名だけど、ところ変われば、お店が 変われば色んなお蕎麦もいただける 洋館と桜は上諏訪温泉の片倉館。今年も諏訪湖パスポートで 諏訪湖周辺の高級温泉旅館も、500円ポッキリで入湯できるので 早速、利用をしてみた ちなみに昨日も蕎麦だった。お花見写真とともにまたここで 紹介をしたい。もう、たぶん雪の写真は載らないと思うが・・・ 最後に、このブログを続けて5年、来訪者のアクセス数が 「555555」を達成した。一見さんも、常連さんも感謝、感謝 一番近かった常連さんの「2匹の猫0927」さん、いつも ご来訪有難うございます 平成22年4月に信州木曽、伊那、諏訪で撮影
2010年04月22日
コメント(42)
せっかくの新デジカメのデビューなのに、小雨も 降ったりで、あいにくの天気となってしまって これでは新デジカメの性能が判らないし、第一 高倍率の必要もまったくない 最近も、私の旅日記はお天気が良い日ばかりだと コメントをいただいたのだが、白川郷の日がかなり 特殊であり、今回のような微妙な降りそうな日も 結構、多かったりもする。どしゃぶりの日には 潔く日帰り温泉にしけこむが そんな訳で所用のついでに出かけたのは、千曲市の 森地区という、日本一の杏(あんず)の里。以前に 紹介を千曲市の「森将軍塚」のすぐ近くになる 伊予宇和島藩主の伊達宗利の娘である豊姫が、わずか 15歳で、第3代松代藩主である真田幸道(17歳)に お輿入れをする際に、故郷の風情を偲ぶようにと、杏の 種子を持参したのが始まりだとか 中国北部原産のバラ科サクラ属のアンズ(杏、杏子)は 英名ではアプリコット。古代には既に中国から伝えられ 万葉集には「杏人」の原文表記があるそうで、後世の 古今和歌集では「唐桃(カラモモ)」の名が残されている 杏の種子の中にある杏仁(きょうにん、あんにん)が 咳止めや風邪の予防の生薬として、珍重をされており 松代藩が栽培を奨励をし、善光寺平、川中島平は見渡す 限りが杏の樹ばかりであったそうである ちなみに中華の定番デザートの杏仁豆腐の独特の味を 出すために使われている。また、柿食えば・・・という 奈良の句が有名だが、こちらでも 善光寺鐘きく里のあんずかな そんな訳で、歴史あふれる杏の里だけに、樹齢250年 と伝わる在来種の杏の古木なども、幾本も残されている 杏の里の小さなお寺、神龍山禅透院も杏の花に囲まれて 六地蔵さん(反対側にも三体おられます)も杏の花の中 杏の一大生産地だけに、杏の食べ物もあれこれあって 地元限定の「杏ビール」って、お味が気になる~~~ 美味しい杏のお土産を購入し、これでしめて500円 子供にあっという間に食べられた。もっと買えばよかった 平成22年4月7日に信州千曲市森地区で撮影
2010年04月16日
コメント(53)
季節は過ぎて、桜舞うような季節になりながら ここの日記では紅葉?? 前のはクリスマス前の 大阪だったのに紅葉って・・・逆行してるし 昨年の旅行日記を写真登録したままホッタラカシ どころか2年、3年前とPCの中で熟成をしつつ その時を待っているのだが・・・ そんな訳で、まだ新蕎麦の食べれた秋に出かけたのは お得意の信州松本。城の街。浅間温泉でまったりして 道祖神巡りをしてみたり、足湯を楽しんだりと気ままな お散歩・・・・の写真を紹介しながら お~~っと。このアヒルの背景のデスクトップは数年間に 渡り遅い電話のISDN回線で、苦楽を共にしてくれた 当時20万円以上もしたXPパソコンだ では、ノートは3年前に大学入学の為に娘に買い与えた 当時17万円位のビスタ?。いやいや、光ファイバーも 開通したので、ついつい買っちゃいました~♪♪ ウィンドウズ7搭載PC! 春の最新タイプで定価では 149000円のが「3月決算」で、119000円に10%の ポイントが付くのを、ちょうど会員カードの切り替え時期 だったので、ケータイの会員になったりとか、ついてくれた 旅一座風イケメン★ベテラン店員さんの裁量もあってか20%も ポイントをくれたので、10万円以下での購入はありがたい このタイプが簡単に設定できますよと、イケメン★ベテラン 店員さんに勧められた無線ランはそのポイントでゲットしたし さぁ~家で設定するぞ~!と、カウンターに向かったところが 引き継いだ若い兄ちゃん店員さんが、買っていただいた皆さんに 一応、お話を聞いて貰ってますって、パソコンの設定をお店で やって後日に引き渡しってサービスを売り込んでくるのだけど 確かに数年前にネット初心者だった時は、親戚の勤めている店で 買ったので、お休みにうちまで来て無償で設定をしてくれたけど 娘のノートもネット接続は、ケーブルテレビのお兄さんがして くれたけど、さ~ 娘が引越して光ファイバーに変更になってのネット設定とかも 雷で自宅の無線ランが壊れて、もうISDN回線用のは販売を してないというので、ケーブルをつないだりとか、プリンター デジカメ設定などなど・・・別に自分で一応はやってきた訳で それをさ、いくら外見がオバさんだからといって、PC設定は 11時間もかかるし、付属のセキュリティソフトを削除するにも 今までみたいにはいかないし、バックアップも自分で設定が 必要だから2日はかかると熱弁されてましたが、あの~2時間も かからず、オバさんでも簡単に設定が出来ました あぁ、それにしても無線ランもなんて簡単な! こんだけ~って 拍子抜け。さすがにイケメン★ベテラン店員さんのおススメだけ あるわ~。まだまだポイントがあるので、これで型落ちをした お得なデジカメでも購入しようかな。というかカードを使った スロットマシーン利用は4月30日までって、店舗開店で50回 貰ったので、まだ30回分もあるし! ISDN回線&XPと比べて、格段に速いと感じた娘のところの 光ファイバーとビスタ。それが今じゃ逆に遅いと感じてしまう やはりウィンドウズ7は立ち上がりといい、とっても早い~~ もうサクサクという感じで・・・まだ使い始めたばかりで全貌は わからないので、色々とひとつひとつ。あせらずじっくり ネットで見かけた記事で、ウィンドウズ7のアイコンがでかいと いうので、小さいサイズに変更をしてみました(笑)今のところ 膨大な写真がそのまま、前のデスクトップに入ったままなので それを整理して・・・。当分は保存用にするにしても、データ などを考えると処分ってどうするんだろう~。ま、流出しても 城の写真、食べ物の写真くらいのものだけど そんな訳で、以前から食べてみたかったのが浅間温泉にある 手打ちそば「あるぷす」だ。明治時代に創業され、今では 4代目になっているそうだ この一口そばぜんざいが、もう、うまいです~。最近は蕎麦 ばかりで家族も飽きてしまったので、違うものも頼んでみる ことにしている 腹ごなしに浅間温泉を歩いてみると、一般のお宅のお庭にも ご自由にと、このような椅子があったり お店の軒先にも・・・温泉ばかりでなく心温まる街だ 温泉街の高台に位置する御殿山には、松本藩初代小笠原家の 城主貞慶と秀政、忠脩父子を祀った廟所がひっそりとある 小笠原秀政と忠脩父子は、大坂夏の陣で戦死をして、京都で 荼毘にふされ、秀政は埋橋の宗玄寺に葬られ、忠脩は七人の 家臣とともに浅間温泉の法性寺墓地に葬られたそうで、ここには その忠脩の遺骨だけが埋葬されているそうだ さて歴史ファンなら、ピン!ときたのが小笠原秀政という名 徳川家康は大坂夏の陣で死亡したという俗説があるそうだが その後に家康の代役として小笠原秀政が選ばれ、老いて家康が 死んだという時期まで、影武者として家康を名乗っていたと いうのだ。他にも桶狭間の後だとか、関ヶ原の時にとか幾つもの 家康の影武者をテーマにした小説が描かれている 松本の南側に位置する塩尻市にあるのが、自家焙煎珈琲豆の 販売もしている三澤珈琲塩尻店。ここに併設をされている カフェ「EarlyBird Cafe」に寄ってみた デザインカプチーノは、ハート型だったり、リーフだったりで 近況。ナゴヤドームのオープン戦は外野席はワンコインの 500円ぽっきりなので、うさぎの旦那と二人で観戦に 出かけたのだけど、ぬぉ~~!! デジカメ忘れたぁ~ なわけで写真の紹介が出来ず悔しい・・・。お土産はドアラ 平成21年秋に信州松本&塩尻で撮影
2010年03月23日
コメント(44)
新(あらた)しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重(し)け吉事 新春は私の好きなこの歌のごとく、真白き スタートであり、その写真もあるが、やっぱ 日本人の心の拠り所である、富士山の日記で 2010年の最初を飾りたい 昨年の10月下旬に、富士山近くにある ホテルのペア一泊二食が当選をしたので 娘と出かける事になったが、土曜宿泊だし 旦那も誘って、運転をして貰う事にした 箱根や伊豆に出かける時は、甲府方面から 富士を抜けてのルートが多いので、何度と なく出かける富士山だが、行く度についつい ぐるっと一周をしてしまう。まず最初に出会う 風景は、河口湖対岸からの「逆さ富士」 今回の旅行も富士山の東側の宿泊であるのに なぜだか車は西側に向かう。こうなったら 富士五湖から見た富士山を、全部見よう!が 旅のテーマとしてみた。まっ、いつもだけど・・・ この溶岩流が固まった、ワイルドな眺めは 西湖から臨む富士山である さて冒頭の歌であるが、三十六歌仙の一人で 「万葉集」の編纂をした大伴家持(おおともの やかもち)が、万葉集全巻の最後にもあたる 4516首目に据えた己の歌で、当時42歳で あったそうだ ここからは精進湖からの富士山 天皇の外戚として、藤原氏が台頭をしてきた 朝廷において、反主流であった橘氏や大伴氏は 時の流れに逆らうように、藤原氏に謀反を企ても して次第に勢力を失いつつあった 大伴家持も因幡守に左遷をされ、都から遠い 因幡国庁(鳥取県東部)において、宝字3年 (759)の元旦に詠んだのがこの歌である 新年を迎えためでたい朝に、降りしきる雪が 積もるがごとく、良い事もまた重なって欲しい そんな願いを込めた歌を最後にして、歌を詠む事も 無くなり、家持は薩摩国守や伊勢国守となり地方を 渡り歩き、最後に陸奥按察使持節征東将軍として 延暦4年(785)に陸奥国(東北地方)で没した ここからは本栖湖からの富士山 その直後に、時の権力者であった藤原種継が造営 中であった長岡京で暗殺をされ、暗殺犯として 大伴竹良が逮捕され、共謀者として大伴継人や 佐伯高成など十数名が処刑をされた 更に直前に亡くなっていた、家持は首謀者とされ 埋葬も許されず、官籍からも除名(後に復位)され 子の大伴永主も隠岐国に流され、皮肉にも万葉集の 草稿も、この事件で私財を没収をされた為に、後に 世に出て、後世に残る事になったとも言われている その中には歴史のはざまに埋もれし、名も無き防人 (さきもり)の歌、庶民の歌も数多く 家持は春宮大夫であったそうで、高成や他の逮捕者の 中にも皇太子の家政機関である「春宮坊」の官人が 何人もいた為に、桓武天皇の弟で皇太子であり藤原 種継と不仲であった早良親王の名も浮上してきた ここからは朝霧高原からの富士山 種継が中心になり、長岡京を造営をしていた目的の 1つは、東大寺や大安寺などの南都寺院の影響力の 排除があった為に、立太子の以前は東大寺の開山で ある良弁の教えを受け、親王禅師と呼ばれ南都寺院と 深い結びつきのある早良親王が疑われたのだ 早良親王は廃嫡をされ、淡路国に配流の途中である 河内国付近(大阪)で、無実を訴えての絶食によって ついに憤死をしたという 道の駅富士吉田で富士の伏流水を飲む 桓武天皇の皇子である安殿親王(後の平城天皇)の 発病や、皇妃の藤原乙牟漏の病死などが相次いで 早良親王の祟りではないかと恐れられ、鎮魂の儀が 執り行われ親王は崇道天皇と追称をされ、長岡京も 廃されて、平安京へと 道の駅富士吉田には長らく気象を支え てきた、かつての富士山レーダーが 桓武天皇は都を守護する為に、京都を見下ろす地に 鎧と弓矢で武装した巨大な土人形を埋め、将軍塚と 呼ばれているが、国に異変がある時には、塚が鳴動し 俄かに空が曇り兵馬が駆ける音がするといい、保元の乱 直前にも、激しく地鳴りを起こしたと伝わっている 映画「陰陽師」の中で、真田広之が扮する道尊が 封じられた早良親王を、蘇らせた場所でもあった なんて富士山をバックにして、富士山にはまったく 関係無いやんごとなき方々の勢力争いの話をして いるうちに、富士五湖も最後の山中湖。でもでも・・・ ここの逆さ富士か見事なんだけど、午後遅くには 天候不順。次の朝も厚い雲に遮られて富士山は 見れず! 仕方が無いから、道の駅での富士山型のお菓子でも 最後の写真は、前日の午前中に甲府から峠を越え 御坂から眺める最初の富士山。甲斐の富士見三景 にも数えられている(他に花水坂、西行坂) 薄曇で あった為、かえって幻想的で墨絵のような富士だった 平成21年10月24日&25日、富士山周辺で撮影
2010年01月05日
コメント(52)
そんな訳で、前回の秋の諏訪湖の後半戦に突入だ もう冬の装いの諏訪湖ではあるが、11月上旬の 頃には、秋の真っ盛りだった 諏訪に転封された豊臣秀吉の部将である、日根野 織部正高吉によって設計をされ、かつては諏訪湖畔の 浮き城であった高島城も、今は街中だ(復元天守) 間欠泉を見た後は、やっぱり寄らなきゃすまない タケヤ味噌みそ会館での、100円の豚汁を賞味~ このテーブルや椅子などは、味噌桶を再利用したもの だそうだ その後はやっぱり寄らなきゃすまない諏訪大社下社 秋宮で・・・・温泉が滔々と溢れる温泉の御手洗 あっちっち! 下社の御祭神である八坂刀売命は、2月から7月まで 春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭りで秋宮に遷座して 翌年の2月2日に春宮に帰座されるので今は秋宮だ 修復中なのか二次元化した社殿の前では、天皇陛下の 御在位20周年をお祝いをする御記帳もしていたので こういった記帳をするのは初めてだと言って、旦那喜ぶ 秋宮のすぐ脇には、木曽義仲に最後まで従った武将の 手塚太郎光盛の霞ヶ城(手塚城)があり、ちなみに 漫画家の手塚治虫は子孫だとか。加賀篠原の戦いで 謡曲「実盛」でも名高い斉藤実盛と一騎打ちを行った 武将である 源義賢が、実兄の源義朝の子である源義平に討ち取ら れてしまうと、その遺児である駒王丸(後の木曽義仲)を 畠山重能から預かり、木曽の豪族である中原兼遠の 元に無事に送り届けたのが斉藤実盛だった 時を経て敵味方となり、木曽義仲追討の加賀篠原の戦い では、斉藤実盛は「最後こそは若々しく戦いたい」という 思いから、白髪の頭を黒く染めて出陣をしたので、討ち 取られても本人であるとは判らなかった しかし木曽義仲が、その首を付近の池にて洗わせると 俄かに黒髪が白髪に変わったので、幼き日の恩人を 討ってしまったという事実に、義仲は号泣したという 奥の細道の松尾芭蕉も、実盛の甲を見て句を詠んだ むざんやな甲の下のきりぎりす また実盛が討たれたのは、稲の切り株に馬が躓いた為 だとも言われ、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)に なったので、稲虫は実盛虫と呼ばれもしたそうだ 朝日将軍、木曽義仲を大河ドラマの主人公にしよう という運動が、中部地方あちこちで始まっているが もし決まったら木曽の武将の一人には、木曽出身の しぶい田中要次さんを使って欲しいなぁ。ぴったりだもん 岐阜県中津川市も、木曽義仲の重臣の落合五郎兼行の 館があったそうだし、木曽義仲の異母妹の菊姫は その晩年を馬籠で暮らしたと伝わる 上諏訪の酒蔵訪問の第3弾は、舞姫酒造株式会社 明治28年に初代蔵主が、味噌&醤油醸造元の 「亀源」より分家をして、亀泉酒造店を創業し 大正天皇の御即位の大典を記念して「舞姫」に 改名をしたそうである 20年程前には、売上高4億数千万円を計上していた のが、消費者の日本酒離れの影響もあり、売り上げが 半減をしてしまった。今年の春に民事再生法の適用を 申請し、全国の酒造会社などの事業再生を手がける 企業が支援をしているそうで事業は継続中だ。頑張れ~ ワインや焼酎、ビールにウィスキー・・・さまざまな お酒がある中で、私は日本酒が一番おいしいと思うし 日本料理には、やっぱり日本酒が一番しっくりくる 先日、所要で名古屋に出かけた時にデパートで「新潟 物産展」をしており、名だたる酒造メーカーが大吟醸 (さすがデパート開催)などの試飲をしており、頂戴を する機会があったのだが、やっぱり美味しすぎる 土地の美味しい水や空気などで育まれた日本酒を、今夜 あたりに飲んでみませんか その日のお土産はタケヤ味噌の田楽味噌と、舞姫酒造の 「舞姫からくち静」を購入した。寒くなってくると旦那の 晩酌は、熱燗、お銚子一本! ここからは、それより少し前に娘と二人で出かけた時の 諏訪湖を紹介。夏の諏訪湖の花火大会のテレビ中継での 視聴者プレゼントで、上諏訪温泉の日帰り温泉施設の ペア招待券を貰ったので利用をする事にした 高級温泉旅館ホテル紅やの「稀石の癒」で、初岩盤浴に 挑戦をした。その上、館内には乗馬フィットネス機器の ジョーバがあったので、初ジョーバで娘が喜ぶ お昼には以前から食べたいと思っていた、諏訪湖名物の 代表B級グルメ「塩天丼」を、その名も「塩天丼」で食す 塩と言うより、海苔のふりかけみたいなのがかかっている 結構、年配のお客さんも多く、こんなにボリュームが あるのに価格も手頃なのも良い。次は隣のラーメンも 食べにいってみようかと思う 帰りには、娘の好きな「諏訪ガラスの里」でまったりと クリスマスコーナーには、かわいいニャンコのサンタさん 平成21年11月上旬に信州諏訪湖で撮影
2009年12月11日
コメント(53)
まだまだ京都の旅日記もあるけど、いかんせん 写真登録をしてないので、前後をしてしまうが 11月上旬に旦那の車の運転で、娘とのいつもの メンバーで出かけた信州諏訪湖の秋を、今更では あるが紹介をしたい ひと月も前になるけど、もう諏訪湖は秋の盛り 赤だ、黄色だと青空に色鮮やかに紅葉も映える このクラシカルな洋館を覚えてらっしゃるだろうか ブログでも以前、紹介をしていただいた日本最古の 温泉保養施設である片倉館の「千人風呂」に入浴を してみようかと思う 片倉館について、もう一度軽く紹介をさせていただくと 泉質は単純温泉で、リューマチ、神経痛、糖尿病、胃腸病 などに良いそうで、源泉の温度は約70度あるそうである 繊維業で財を築いた片倉財閥の2代目社長、片倉兼太郎が 欧米の視察旅行で、保養施設が充実しているのに感化し 諏訪にも従業員や地域の人のための保養施設を作りたいと 片倉一族からの支援も受けて創ったものだ とても温泉施設とは思えないよなクラシカルな佇まいに 古いものが大好きな私はウキウキで食堂や、バルコニー なんぞにもいそいそと出没 パスポートが期限切れになって一年になるが、贅沢も 出来ないので更新もせず、海外旅行は御無沙汰だけど 気分だけはヨーロッパの秋満喫という事で・・・あぁ 諏訪の秋も悪くないかも すぐ横のクラシカルな館は、昭和18年に建設された 片倉館の付属施設「懐古館」で、今では諏訪市美術館 として利用をされている。無料入館券が手に入ったので 地域の芸術作品を鑑賞だ 昭和初期に流行をした「帝冠(ていかん)様式」という 独特な様式で、西洋の近代的な構造でありながら日本的な 意匠を取り入れた和様折衷のもので、東京国立博物館や 京都市美術館、愛知県庁などもその様式だそうだ 私は以前にも見たが、旦那と娘は上諏訪温泉の間欠泉 初鑑賞。青空に湯のしぶきと湯けむりが映える お昼には地元雑誌の期間限定の4名まで半額クーポンを 利用し、「たからじゃ」で九条ねぎが山盛りのラーメンを 食べておなかもいっぱい やっぱ手軽な観光には諏訪湖っていいなっ! 平成21年11月上旬に信州上諏訪で撮影
2009年12月07日
コメント(58)
山のお天気とは気まぐれなものだ。家を出た時には 国道19号を北上中、木曽から眺める中央アルプスも このように雲一つ無い晴天であったから、上高地に 出かけようと思いたった訳で 上高地の手前にあたる、奈川渡ダムによる湖でもまた 絶好の行楽日和だったのに、上高地に入って大正池を ウロウロしていたら雲が広がり・・・山々も雲の中 ところが上高地を後にして、車のある駐車場に戻る頃は とっても良い天気。さすがに上高地は別天地という事か 大正池に取水口があり調整池としている霞沢発電所では 400m超の落差のある水圧鉄管が印象的だ 新しくかけられた橋からは、旧道らしき道に土砂崩れの 跡が生々しく残されている 自家用車を大型駐車場に止めて、環境にやさしいバスに 乗り換える沢渡温泉の足湯で、上高地の疲れを取るのに 最適かも 上高地の帰りには、長野県のタウン誌でラーメンの特集が あって、中信(他に北信、東信、南信とある)地方で読者 アンケートで人気ナンバーワンという松本のラーメン屋の 「寸八」によってみた 娘が松本に住んでいた時に、いつも利用していた道なのに 見覚えがないと思ったら、2年前の冬に他の場所で営業を していたのを現在地に引っ越してきたそうだが、さすがに 行列などが店外まで伸びていた それにしても蕎麦並みに、長野県各地でラーメンが人気で 最近、全国放送をされた峰竜太もゲストに出ていた番組の 長野県特集のトップ10でもラーメンを紹介をしていた程だ 寸八も含め、おおぼし、ゆいが、麺匠文蔵という信州での 新世代ラーメンの四天王も売り出し中のようだ つ~か。駒ヶ根のソースカツ丼にはカツをどけると ご飯の上に生の刻んだキャベツが敷かれているけど 松本のラーメンは生のキャベツがトッピングされて いるのか! ちと驚く(笑) 娘は最近はまっている、つけ麺を賞味 それでも蕎麦好きの私は、やっぱり新そばの言葉に 誘われて、権兵衛トンネルの近くにある伊那市街地の 「こやぶ」の支店に出かけてみた こちらも席待ちの名簿に名前を書いて、30分以上は 入店待ちをしたが、のんびりと山の空気を吸いながら なので、あまり気にはならない 本店は伊那市の駅の近くにあるそうで、こちらは古民家を 利用をして観光客が相手だけに、駐車場に止められている ナンバーも関東、名古屋などまちまちだったりする 帰りにはタウンペーパーで当たった1名分の入浴券も利用し 旦那と木曽駒天神温泉の国民宿舎清雲荘という、ひなびた 温泉宿に出かけたが、 内湯のお風呂の木製の蓋がボタンを 押すと、ぐい~~んと電動で引き上げられるし、露天風呂の 蓋は電動スライド式と物珍しくって、泉質もなかなか良かった 平成21年10月10日&11日に信州、松本市&伊那市で撮影
2009年11月17日
コメント(66)
先週末は、久しぶりに公共交通機関を使って 東の大都会に出かけ、地下鉄の座席の右の方から ゲホゲホゲホとマスクをする人が咳き込めば 今度は左の方でビャクション!とマスクする 人がでかいくしゃみをして、ドキドキだったけど 今のところ新型インフルエンザの気配も無く ま、うちのあたり自体でも前から子供を中心に 流行っているみたいで、病院にも近寄れない 残すところは、春からの楽しみだった西の大都会の メインイベントで、それまでは、ひたすらに田舎に 引きこもって大人しくしていようかと思っていたら 親戚のお通夜と葬儀の予定が入ってしまって、今日の 午後からは、泊まりで出かけなければならない 数年前から認知症状も出て、辛い時の事がトラウマに なっているのか戦争に出征し、兵舎で干していた褌を 誰かに盗まれた!と大慌てする夜もあったとかいう 今は亡き近所のお爺さんも、満州からの帰国の様子を 鮮明に話してくれたが、戦争などするものではないな それでも、ブログ更新をする時間が取れたので その東の大都会の時の日記の前に、10月半ばの 「上高地」の日記の続きを紹介したいと思う 1915年に焼岳が噴火によって梓川が堰き止め られて形成をされた、上高地を代表する景観地の 「大正池」も出かけてみた 上流から流入をする土砂が、池の底に堆積をしており 年々に浅くなっているので、大正池自体が観光資源で あるのと、下流にある水力発電所の調整池として利用を されているので、土砂を取り除く工事もしているのだが 近くにある小さな田代池も、焼岳の噴火により千丈沢が 堰き止められて出来た浅い池で、その奥のぎざぎざの 山は六百山というらしい 六百山や霞沢岳などから砂礫層を通って、ふんだんに 湧き出ずる伏流水が 滾々と流れ出して、このあたりに湿地帯を作っている 人の手のはいっていない樹木も、くっついたり、また 離れたりと面白いし かみこうちの語源は、「神垣内」であり、穂高神社の 祭神である穂高見命(ほたかみのみこと)が、穂高岳に 降臨をして、上高地の穂高神社奥宮、明神池に 祀られているからだそうだ その後も樹木伐採の為に、徳本(とくごう)に松本藩の 役人小屋が作られたり、宗教的な意味合いの登山など 人の出入りが無かったわけでもないのだが、日本内外に その名を知られるようになったきっかけは、ウォルター・ ウェストンによる功績が大きいのかもしれない イギリス人のウェストンは、ケンブリッジ大で学んだ後に 日本に宣教師として来日し、飛騨山脈、木曽山脈、赤石 山脈を巡り、数々の日本の山岳を英国などで紹介をした そうで日本アルプスの父とも呼ばれ、この上高地でも ウェストン祭が開かれている 日本アルプスという名称は、ウェストンの著作で有名に なるが、その最初は日本における古墳研究の先駆者と して名高く、日本考古学の父とも呼ばれる大阪の造幣寮 (現造幣局)の化学兼冶金技師であったウィリアム・ ゴーランド(英国人)によるものであるらしい ちなみに1874年に、アトキンソンやサトウとのパーティで ピッケルやナーゲルを用いた、日本で初めての近代 登山を神戸の六甲山で行ったメンバーの一人だ 1877年に外国人として初めて槍ヶ岳に登った記録を 雑誌で紹介して、その中で飛騨山脈を「Japan alps」と 表現したそうだ 更に「日本アルプス」のうち、飛騨山脈を北アルプス 木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスという ように言い分けたのは、ウェストンとも交遊がある日本 山岳会創立時の初代会長の「小島烏水」だそうだ 古代中国の正史「旧唐書」の日本についての記述には 「日本の北と東の境には、大山がある」とあるそうで この大山とは日本アルプスであるといわれている 父親よりもかなり年上だった、伯父の古きアルバムには 大正末期に、日本アルプスに集団登頂した時の古写真が あった。たぶん学生時代であったのだろうか。とにかく 神童のごとく賢く優しい伯父であったそうだ 輝かしき未来を信じた伯父は、ここで何を見て、何を 感じたのだろうか? その伯父も昭和の戦乱をくぐり 抜けながらも、戦後日本を闊歩する事も無く若くして 「結核」でこの世を去ってしまった 今日もまたたくさんの人々が、清涼な山の空気を 吸いに都会からやってきた 平成21年10月11日に信州上高地で撮影
2009年11月12日
コメント(60)
なんでも東京の都心でも、森ガールが出没をして いるそうだ。彼女たちはかつての小泉チルドレンや 小沢シスターズといった永田町に生息をする女性 議員の事ではない。芸能人でいうと蒼井優さんの ような女の子だそうだ ある一般女性が、友達から森にいそうな格好だね!と 言われた事からミクシイで、森ガールコミュニティを 始めたら大人気になったそうで、ゆるい感じのする ワンピースを着たり、ニットやファーでもこもこした 帽子をかぶったりして・・・・ レトロなものに魅力を感じて、カメラを片手に街をお散歩を したり、カフェでくつろいだり、部屋でのんびりとするのも 好きな、まったりとした「森の妖精」のような女の子 いつか北欧に住みたいなんてユメを持つ子も。ムーミン谷? そんな森ガールは、岐阜や信州の森ではあまり見かけない ような気もする。カタチだけにとどまらず、この機会に 街から飛び出して田舎へ旅行でもして、本物の森で千年の 大樹の存在感や、野生のリスやシカに遭遇。山に沈みゆく 夕日のあでやかさに息をのんだり、自然だけが持つ本物の 美しさを感じてほしいなぁ 森ガールに是非おススメしたいのが、特急あずさで松本に 直行して、そこからは鉄道やバスでのアクセスが手軽な 上高地はいかがだろうか? 10月半ばの週末には自然 好きな、本格的なハイキング姿の老若男女でにぎわって いたけど、ここで森ガールの恰好は・・・逆に浮くかも! その朝はあまりの上天気に、思いつきで久しぶりに上高地に いっちゃおうか~などと出かけたものの、お昼過ぎ頃には 曇ってきてしまって、ちと残念だったけど、それでも時折は 日がさして川面にも青空の色が反射し、太陽の光を浴びて 紅葉が始まった山々は錦色になり、鳥の声が絶えず、川の 音までが心地よい 上高地の自然を次代へ継承をするた為に、マイカー規制により 自家用車は釜トンネルより先は通行禁止をされており、手前の 駐車場において、そこからは環境に配慮したバスを利用をして 入山をするなど環境保全に配慮をしており、人間におびえない 渡りをしないマガモや、ニホンザルもうろうろしている 上高地のシンボルである、木の吊り橋の「河童橋」からは 晴れていたら、西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳と いった山々が眺められるが、その頂は今日は厚い雲の中 河童がすみそうな深い淵があったからだとか、まだ橋の なかった頃、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に 似ていたから河童橋と呼ばれているそうで、以前の橋が 上高地ビジターセンターにあった。ここでは上高地の 自然への理解と、親しむ為に必要な情報を得られる 上高地に住む鳥や魚や小動物にちなんだお土産も、販売を している中で「河童の涙」は、心ない観光客によって捨て られたガラス瓶を砕いたものだそうで、帰りに荷物になる からと捨てるというのはキャンプや、河原バーベキューでも 問題にされており、その残飯欲しさに熊などもやってくる 今ならば交通至便であるが、山深い上高地に行くにはかなり 苦労をしていた時代もあるし、ここから北アルプスに向かう 登山者の為の宿泊施設が幾つもあり、こんなところに一度は 泊ってみたいものだ。上高地の早朝の散歩なんか楽しそう 北アルプス唯一の活火山の焼岳あたりで温泉もわいているのか 足湯もあれば、梓川のほとりを歩いていたらぷんぷんと硫黄の 香りなどもした。旦那、大興奮(温泉好きの血が騒ぐ) 平成21年10月中旬に信州上高地で撮影
2009年11月04日
コメント(65)
秋も深まったこの時期の週末には、全国各地で 様々なイベントが行われており、私も行くところ 行くところで、楽しい(美味しい)思いをしている ま、それにつられて出かけているのだから当然だけど 10月半ばに娘と出かけたのは、信州蕎麦発祥の地 とも言われている、標高は千メートルに近い山深さの 伊那市内の萱(うちのかや)地区の行者(ぎょうじゃ) そば祭りにで、当日は良い天気! 修験道の開祖とも言われる、役小角(えんのおづぬ) 通称・役行者(えんのぎょうじゃ)が、木曽駒ヶ岳で 修行をされていた際に、黒川林道の途中に位置する 「内の萱」の里人にもてなされたお礼にと、渡した そばの種が守り伝えられているという「行者そば」 行者の修行には、代表的な人間の主食である五穀を 食べない五穀断ちがあるそうで、五穀にはあたらない 蕎麦を常備食として持ち歩いていたそうである そんな由来の行者そばの特徴は、焼き味噌をつゆに 入れた辛つゆに、辛子大根のおろしとネギを薬味に 添えて食べるものである。これで二人前1200円だ 徳川秀忠の隠し子であった、伊那の高遠藩初代藩主の 保科正之は行者そばが大好物で、会津藩への転封でも そば職人や辛子大根を連れてゆき、「高遠そば」として 今も会津地方で名高い蕎麦のルーツにもあたる 伊那谷で一番古い、明治44年から大正2年にかけ 作られたという中部電力の小黒水力発電所も、この 行者そば祭りにあわせて、一般公開をしていたので 見学をしてきた 以前に紹介をした、大正2年に子供たちが駒ヶ根で 遭難をした実話を描いた、新田次郎の「聖職の碑 (いしぶみ)」にある内の萱発電所のモデルだそうだ ここの道をたどって、子供たちも山に向かったのか ここの発電で作ったというお菓子や、アンケートに答え 沢山のお土産もいただいた(二人分) 水面には、何やら生首? 釣堀りのお魚をとられない為の、案山子みたいな マネキン首? こちらも行者そば祭りに協賛で、普段は必要な竿の レンタル代やエサ代無料で、釣れた魚は1匹150円 その場で捌いて焼いて貰うと、プラス50円というので 娘も参戦だ。幼稚園の頃に鮎の友釣りで釣れたのを 居合わせた大人らに驚かれた娘だが、たぶん10年ぶりの しかも釣堀り・・・・ あかん。釣り糸をたれた途端に入れ食いだ~。ものの 数分で3匹を釣上げてしまい、予算の関係でここで終了 こんなんじゃ釣りをした気分にもなれないという、少し 不満顔の娘。他の方はそんなに簡単には釣れてはおらず 娘なりに魚の動きを見ながら、竿を動かしているそうだ 手前の3匹が娘の釣ったもので、以前に釣った人の食べ 頃のものを待たずにいただくシステムで、釣りも楽しめて 焼きたてのマス3匹で600円はお得だ~ 中央アルプスから湧き出したミネラルいっぱいの湧き水は 行者が修行したと言い伝えられており「行者の泉・延命水」 お蕎麦に、釣りに、発電にとなんだか盛りだくさんの 楽しい秋の一日だった 来月も忙しいので、数日に一度程の日記更新になりますが もうひとつの世俗的なブログ「塞翁が馬。なすがまま」が 更新になっている場合もありますので、お暇なときには そちらもご覧ください 夢 穂 「 塞翁が馬。なすがまま 」 平成21年10月18日に南信州・伊那市で撮影
2009年10月29日
コメント(65)
かなりお久しぶりでございます。年々、早くなる ばかりの新卒の就職戦線も、いよいよ10月より 本格的にスタートをしたところだが、今や就活は インターネットの就活サイトを通じての情報収集や 企業へのエントリーが行われるのが当たり前で 更には企業のホームページを通じて、情報の通知や 参加申し込みが行われる 幾つもある就活サイトの中で、Aサイトでしか掲載を していない企業とか、Bサイトのみであったりでとか 数千社にも及ぶ企業情報の中から、大学三年の娘も 自分が希望する業種や勤務地、採用条件をチェックを してはいるけど、なかなか講義とか研究室も忙しくて 手が回らないようである 更に、都市部の大学生は就活は有利だなぁと感じて いるようで、既に企業によっては学生さんを交えた イベントなども開催しており、積極的にアプローチも 出来たりするが、おいそれと上京のままならない 田舎の学生は、指をくわえているしかなくって 大学側も、そんな学生の為にと就活系企業と協力して 就職ガイダンスを開いたり、企業の合同セミナーなどを 行ってくれるが、近隣の学生もやってくる出陣式には 一昨年には180社位はあった出展企業数が、昨年は 120社位。さらに今年は80社弱しかなく、世間の 厳しさをまざまざと感じるし、それを学生も察してか ある企業では、昨年はひと月かかった学生のエントリー 登録数が、たった一日で達したそうである 来年春に卒業予定の学生さんの為の緊急ガイダンスも 行われるそうだし、就職が決まらず大学院に進んだ 生徒さんもおいでになったり(就職活動が早いので まだ大学院の試験に間に合う)これからの数カ月は 胃がキリキリしそうで・・・・。娘より1つ年下の高卒の 息子の時は好景気だったし、学校でセッティングして くれるから、本当に楽ちんだったんだけどなぁ 「レジェンダ・コーポレーション」による数千人 規模のアンケート調査によると、費用の金銭的な 援助や、自己分析を手伝って貰ったり、エントリー シート添削や面接練習につきあって貰ったりなど 就活を親に協力をして貰っていると答えた学生は 合計63.3%だったそうで、もはや親子で就活は 当たり前の時代になりつつある 保護者用の就活サイトもあれば、就活マニュアル ブックも販売しており、某大学の就活ガイダンスでは 就職希者の約3分の1の保護者が平日にも関わらず 参加をしたそうである 合同企業説明会でも、熱心に子供の代わりに説明を 受ける親の姿も見受けられるとか・・・ なんでも就活というのも、縁とか、運というものが ものをいうらしく、結婚にも例えられるそうだそうで 娘も良い企業と縁が結べるようと、当分の間は娘の 就活に、こちらも縁の下の力持ちに徹しなければと 思っている ひと月の間に宿泊を伴う所用(旅行)もあるので ブログ更新は当面は週に一度程度になり、皆さんの ブログへの訪問も、ままならならいと思います ますますブログ用の写真はたまるばかりで、今回は 娘と出かけた、伊那谷の飯島町のコスモス見物の日に 出かけたのは、駒ヶ根シルクミュージアム 最初の華やかな花も、インドのレイも、着物だって こんなガさんたちが頑張った、繭玉から出来ている ガによって、繭玉の色も形もいろいろだ 巨大な2メートルを超えるお蚕様の模型は、よく体の 構造が分かるため? にしてもデカイ・・・ 娘がじ~~っと凝視していたのは、ちっちゃいお蚕様で フラッシュをたかずに撮影したのでぶれているが、こんな ちっちゃくても、ばりばりと元気に桑の葉を食べる音が 響いてました いや~、生のお蚕様とふれあう事が出来るなんて、生涯 二度目。他の展示物など目もくれず、娘は観察中・・・ 蚕の葉を食い破って、穴の下からのぞいたお蚕様の顔が かわいいそうだ。おまえも頑張れよ~ 就活を通して殻を やぶって人間がでかくなれよ~ そんな訳で、さまざまなシルクに関わるお勉強も出来る 駒ヶ根シルクミュージアムでは、まゆクラフト講習会とか 染色講習会などの体験もできるようだ お土産にはシルク入りの飴とか、蚕玉っこも購入ができる 帰りに通った伊那への「火山(ひやま)峠」越えの途中 樹齢約300年の立派な松を発見! 何も、ここが火山 だったのではなくて、昔よく烽火が上げられたことから 名付けられたものらしい 芭蕉を尊敬する伊那の村々を放浪をした幕末の俳人である 井上井月の門人が、この付近が松茸の産地であった事から 芭蕉の句の中から松茸にちなんだ句を選んで句碑を建てた 為に「芭蕉松」と呼ばれている 平成21年10月4日に南信州、駒ヶ根市で撮影 お ま け 中津川駅の駅前の観光案内所には、市内の名産品の販売も されており、幾店舗もある市内の和菓子屋の栗きんとんの うちの6種類のセットが販売をされていて、プチ食べ比べ
2009年10月19日
コメント(72)
秋も深まると日も短くなり、今では午後5時を 過ぎると途端に暗くなりますね。夏の頃であれば まだまだお出かけも楽しい時間であるのに・・・ そんな楽しみも少ない田舎の長い夜を、みんなで 楽しもうと今年も始まりました。南箕輪村にある 大芝高原でアットホームな「信州大芝高原イルミ ネーションフェスティバル」 無論、入場無料! 企業など村民有志グループや、学校の子供たちが 手作りをした数々のイルミネーションが、あちら こちらにと光り輝いて・・・ 富士山?の左上の満月に近い月ですらも、その輝きの 前には地味なものです。。そうそう、なぜ秋開催なのか 夏は虫が寄ってくるし、冬は寒いからだそうだ 子供たちは乗り物が大好き。かぼちゃの馬車に 飛行機、銀河鉄道999は、まるで夜空を飛んでいるよう ねこバスは乗車し、窓から顔を出しての記念撮影も 出来たりもする 子供たちがかけまわり、親はイルミネーションより 自分の子供がどこにいくかしか、目に入らないかも このギンギンのは、アルミホイルが貼られている 午後5時から10時まで ~10月24日(土)開催 そんな訳で伊那市内のグルメシリーズ。前々から店名が 気になっていた駅前近くのパン屋さんで、ケーキなども 売っている「月日夜(つきひや)ベーカリー」だ なんて気の利いた店名なんだろうと思っていたら 紙袋もまたレトロな感じで、欧風洋菓子ってのが また良いですね そして、やっぱり例のスイーツを食べなきゃすまない 娘の為に、前には道がわからなくって断念をした 「ドルチェ・カリーナ」にたどり着いたど~ 和菓子屋ばかりの中津川と違って、伊那には素敵な 洋菓子屋がいたるところにある。娘は目当てだった ジェラードで何を頼むか迷った末 ネーミングに惹かれた美女と野獣をベースにして トリプルで300円中ばと、安かったのも魅力だし リピート決定~ 平成21年10月上旬に、南信州・南箕輪村&伊那市で撮影
2009年10月13日
コメント(73)
何かのパンフレットに、伊那谷の飯島町では 200万本ものコスモスが綺麗だとあったので お天気の良い日に、娘と二人で出かけてみた 週末だけあって、中高年のお客さんも高原に吹く 爽やかな風に揺れる花を、楽しそうに眺めていた 空気も澄んで、仙涯嶺、南駒ヶ岳、赤梛岳といった 中央アルプス(木曽山脈)も、コスモス畑の彼方に くっきりと見えていた お美しそうな奥様をパチリ、パチリとカメラで写す ご主人もほほえましい こちらは、山の向こうに南アルプス(赤石山脈) 臨時の展望台も設置されていたので、高いところ からもコスモス畑のパノラマが楽しめる趣向だ エンジ色や、オレンジ色やコスモスの色もいろいろで 今週末には「コスモスまつり」も開催されるそうだ 関係ないけど馬籠宿では、今年10周年を迎える野外 ロックフェスの「エナロック」がある。有料なので行った 事はないけど、その音は家まで漏れてくる 近くの「道の駅・花の里いいじま」に立ち寄ると・・・ 仙涯嶺、南駒ヶ岳、赤梛岳、田切岳、空木岳の 山並みが 間近に見れる山々などに、ケータイやカメラを 向ける人が幾人もいた。私もズームでといっても 光学3倍は寂しい。息子のは5倍だし最近では コンパクトでも7倍のが出てきてるし、新しいのが 欲しいなぁ~~ お隣に菓子屋さんが出来ており、なんと実家近くの 岐阜県恵那市の川上屋(中津川の老舗の川上屋とは 別)じゃないか。また支店を出したんだ。恵那栗では なくって、信州栗を使って地元色を出しているのは なかなか商売上手。名物の栗きんとんも売っていた 道の駅でチラシを配っている人がいて、春には満開の 桜の花見も楽しんだ飯島町の与田切公園で、何やら イベントをしているらしい。こりゃ行くしかないゾ アースデイ信州2009「収穫祭」では、クラフトなど 生活を自分流に楽しむ人たちが、秋の日を楽しんでいた が~、昼時でお腹のすいた娘はフードコーナーに一直線 息子が初任給で奢ってくれた、駒ヶ根のソースかつ丼屋 さんも、車で出張販売だ お~! 前から気になってた伊那のローメン屋さんも!! 炒肉麺(チャーローメン)とも呼ばれており、マトンなど 肉と野菜を炒めて、蒸した太めの中華麺を加えたもので ラーメン用のスープを加えるのと、加えないものなど 店でいろいろ。これはスープのようで、旨いです♪ 公園には、飯田線七久保駅本線から日本石油の工場 引込み線内に、積荷タンク車を引き込む作業をして いたというディーゼル機関車もあった 平成21年10月4日に信州、飯島町で撮影
2009年10月09日
コメント(57)
なんだか台風が日本列島に向かっているらしい 娘のところからの帰り道に、大急ぎでたわわに なった林檎を収穫する農家の方を見かけた。家に 帰ると、完全に台風仕様に武装されており、やる気 満々。昼間から雨戸も閉めて電灯の下に舅と姑 そんな訳で、日記のほうは9月に旦那の運転で 娘と三人で出かけた諏訪湖のお話を。この橋は 中央高速と、長野自動車道の分岐である岡谷の ジャンクション それをくぐると・・・、今日もやってきました諏訪湖 松本にいる頃には、お出かけは安曇野だったけど 伊那に来てから娘も旦那も私も、諏訪湖がお気に入り 諏訪湖から、天竜川が流れ出ている岡谷市の釜口水門に 愛らしい橋。さすがに童画の街(武井武雄出身)だけある ぐゎ~~。3年前に諏訪湖に家族でお泊りした温泉 旅館がつぶれてるし。そりゃ1泊二食で7千円前半と 格安でびっくりしたけど、泊まってみれば特に悪い 宿でもなかったが。こんなご時勢は大変なんだろうな・・・ 戦後に上諏訪機関区は、全国唯一の試験機関区となり 機関車の改造、改良工事のため全国から様々な機関車が やってたそうだ 湖畔に佇むD51349も、昭和15年に製作され 敦賀を経て、昭和32年に上諏訪機関区に配属された 数年後、燃焼効率アップなどの為、オーストリアから 導入をされた、横長の煙突のギースル・エジェクター 装備がされた初号機となった その後は小樽を経て、昭和50年12月。全国のSLが 廃止になるまでを、北海道の追分機関区に配属をされて 室蘭本線や夕張線で活躍をしていたそうだ。ネット検索を したら、颯爽と夕張を走っている時の写真を見つけた 岡谷市は、馴染み深いD51349が廃車をされると 聞いて、市民の科学的遺産として貸与の形で湖畔に 展示をしているという 温泉に文化にそしてグルメ~~。な訳で、雑誌に あった天然酵母パンの「こころ屋」にGO 人気NO1は食パンであるらしい。ランチもある ようなので、結構賑わっていた事もあるし、次には 食べてもみたい 諏訪湖あたりも蕎麦屋が多く、今回は住宅街の中に 埋もれるような、隠れ家的な「籠屋」だが、週末の お昼だけあって、こちらも賑わっていた 私は以前から食べてみたかった「鴨せいろ」 そして諏訪湖の花火の日には、時間が遅くて閉まって いた、横笛や深水の銘柄で有名な「伊東酒造」にも リベンジだ 旦那、ごめん~~~。だって飲みたいし。。。。 女性従業員の方を相手にして、娘と私。いくつかの お酒をおただく 旦那。いつのまにか「だってつまらんもん」とお店の 外に姿を消していた。晩酌で飲んで貰おうと旦那用に お土産のお酒を1本購入した 酒は飲めぬが豚汁は飲めると言う訳で、旦那と娘は いつもの「タケヤ味噌」で、豚汁に舌鼓 私は「ごま味噌ソフトクリーム」を、娘とぺろり またまた時間が合わず(お酒を飲んでいて)間欠泉を 旦那は見る事が出来なかったが、「七ツ釜」の源泉は 湯煙が。5度の熱湯・・・・ってことは無いでしょう 上諏訪あたりの諏訪湖畔に面する道の街路樹は、カリンが たわわ。和名をマルメロといい、寛政11年頃に江戸城に 入って、その後に諏訪の高島城に植えられ、 諏訪湖周辺に 広まったそうである。戦後に飯田市のリンゴ並木に触発を されて、カリン並木を作ったそうだ 平成21年9月23日に信州諏訪湖で撮影
2009年10月07日
コメント(48)
そんな訳で、元・筑摩県の県庁所在地のあった 松本に、久しぶりに娘と二人で遊びにやってきた 元・松本藩の御城下は、交番だってレトロ調だ 今回の目的は、週末は休業だったり、お腹が一杯で 一度は食べたいと思いながら適わなかったお店の 「うらしま」で、今度こそ(4回目)お昼を食べよう~! 自慢のお魚定食は色々と種類もあって、お~~~お魚も お味噌汁も、どれもが美味しいし、何より健康的だ 何でも松本はパンの街とも言われるくらいで、周辺には 名物のパン屋さんも幾つもあるそうで、ここは大正11年 創業の老舗の「パンセ小松」だ 常時100種類を越えるパンが、店頭に並んでいるそうで 色んなパンがあって、どれを買うか目移りしてしまう~ 娘はこれとあれ、私も決めたぞ そして、昭和8年創業の甘味喫茶「塩川」にもリベンジだ 意気揚々と中に入ろうと引き戸を開けようとしたら、中で テレビロケをしてて、そろそろと戸を閉め退散して早一年 レトロな店内で、北海道産の小豆をかまどでじっくり煮た 自家製あんが自慢だというので、あんみつを賞味! 見慣れた水玉模様の巨大チューリップのある美術館にも でかけてみた 自販機も、長いすも、マネキンも水玉だ。これはお馴染みの 松本出身の世界的なアーティストの草間彌生の作品だ お~。常設展の入場券でも、草間彌生「魂のおきどころ」展も 見学が出来るというので、草間ワールドにどっぷりと浸った 美術館のトイレも、やはり水玉模様! 前々から気になっていた、辰野町の羽場地区にある 北の沢川にかかるめがね橋は、深い谷を埋め立てて 明治中頃に作られたという煉瓦アーチ橋だ 明治42年に開通をした、初期の伊那電鉄が渡河して いた橋でもあり、現存する道路橋としては貴重な形式の 近代遺産で、地元でも保存会が出来たそうだ 平成21年9月1日に信州松本&辰野で撮影 お ま け ミスタードラゴンズ立浪和義が今年限りでユニホームを 脱ぐという。娘が生まれた年にPL学園から高卒ルーキー ながらスタメンデビューを果たしての新人王。22年の 現役生活での初安打も、最後の打席も「二塁打」だなんて かっこよすぎる。これにより自身が持つ通算最多二塁打の プロ野球記録を487と伸ばしたのだから セ・リーグ優勝パレード 2004年10月30日 そして節目節目は巨人戦らしく、2000本安打の時にも 清原から花束もらってたし、引退試合でも坂本選手に 声をかけたり、試合終了時に原監督と抱擁。セレモニーで PL学園の元監督や、KKコンビの桑田&清原先輩からも 花束贈呈。BSのTBS放送は清原の登場時で放映終了 これからという時なのに~~! なんかな~~、なんかな~~~。すんごく私は物足りない スポーツニュースを見ても本人の言葉は勿論だし、中日の 選手による胴上げの映像もあるにはあるが、原監督との 抱擁や、KKコンビの花束贈呈シーンばっか紹介しなくても 日本一の優勝パレード 2007年11月17日 落合監督とは抱擁しなかったのか? ドアラとの2ショット とかは? こ~なったらパレードで名古屋を練り歩いて貰い 立浪選手や井上選手と直にお別れしたい。と、なると・・・・
2009年10月02日
コメント(61)
葡萄に、林檎、梨、プルーン、桃、ブルーベリー などなど果物王国の信州だけに、直売所には 都会などの販売価格の半額以下で売られており よく利用はしているけど、果物狩りともなると 他県でイチゴくらいなものだ さて、どこの果樹園に行こうかと考えていたら、これだ! 9月23日に信州大学農学部附属アルプス圏フィールド 科学教育研究センターの附属農場で、何やらイベントが あるというではないか その人気のぶどう狩りは入場料無料で、食べ放題! 持ち帰りの葡萄にしても1キロ400円の格安価格で 10キロ以上お持ち帰りのツワモノも多く、朝から 沢山の近隣住民が押しかけていた きゃ~、葡萄だ! ぱくっ! ぱくっ! 部屋に残る 娘にも1キロ(4房程)を土産にした 動物などのふれあいコーナーもあり、子供たちなどが 興味深そうに取り巻いていた ここの農場で栽培をされた山葡萄は、前回に紹介をした 林農園(五一わいん)に、製造委託をされてワインとなり 大学ブランド商品となっている。他にはジャムなども 蜂蜜の試食などもさせていただいた 姉妹は熊に興味津々のようだ 余談であるが、前に紹介をしたアニメの宮崎駿監督の 息子さん(ゲド戦記の監督)は、ここの森林科を卒業 されたという さらに、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは 名古屋出身で、中日ドラゴンズのファンであるそうで 宮崎駿監督が、落合監督と竜をモデルにした球団の ファンクラブのキャラクター「ガブリ」をデザインを したそうだ ここからは馬籠周辺の夕焼け風景。平成大合併で馬籠は 長野県から岐阜県になったので、木曽路といえども一応は 岐阜県の写真になる 元N県知事も、テレビで意気揚々とコメントされていたのが 注目のダム中止。信長いわく人間五十年(人の寿命はせいぜい 50年)をダム建設で賛成だ、反対だと揉めに揉め、やっとと いうところで、最後の最後になっての大どんでん返しの中止 表明は、平成の馬籠の越県合併のてんやわんやを思い出す 昭和33(1958)年、長野県の「神坂村」は県境を越えて 岐阜県中津川市への合併で、大部分が中津川市に編入 されながらも、長野県の横槍が入って島崎藤村の生まれた 馬籠地区のみが、長野県に残され山口村と合併させられ 以来40年以上 きっついですよ~。うちは賛成、隣は反対。学校も違えば 本来ならば友達になった同じ年の子ともは、目をそらせ 口も利かないくらい。農協とかの出入り業者も違うし 婦人会も違う。嫁に来たときには、スゴイところに来た もんだと・・・・それが住民投票による多数決でやっと まとまっての岐阜県への合併が決まったと思ったら 馬籠出身の島崎藤村は長野県人のアイデンティティだとか 当時のN県知事が言い出して、地元民がどんな嫌な思いで 日々を暮らしているかもまったく知らないような、軽井沢に お住まいの著名な文化人の皆さんが名を連ねての、越県 合併反対の長野県の新聞広告を、ネットで見た(中日新聞 岐阜版だから読めない)時の悔しさは、今も忘れられない ブログを見てもわかるように、信州の自然も文化もグルメも 好きな私だが軽井沢は登場しない。東京の飛び地であるように 思えるし、セレブな住民に対して、この時のトラウマもあるの かもしれない(ちなみに白馬は遠く、上高地は交通費が高い ので、なかなか行けなくて紹介が出来ないだけで好きだ) だいたいが木曽は、古代に美濃国と信濃国で領有が争われ 貞観年中(859~876年)に、朝廷が国境を鳥居峠として 室町中頃までは、美濃国木曾荘という記述もあったぐらいで 戦国時代に武田信玄が領有した事で、信濃国の筑摩郡に 編入をされたそうである 徳川幕府時代には、木曽は尾張藩の領地だったし、明治に なっても、松本を県庁にして、松本、伊那、飯田、高島、高遠 尾張藩領であった木曽地域、高山などの飛騨国との合併で 筑摩(ちくま)県が誕生したが、明治9(1876)年に松本の 筑摩県庁が焼失したのを、きっかけに筑摩県は分割をされ 飛騨国は岐阜県に、残りは長野県に合併されて消滅をした そんな訳で、何が長野県だと思う元筑摩県民もいただろうし 馬籠は尾張藩の領民であるという誇りを、「水戸黄門」でも 扱ってたし、うちの舅でも、昔、尾張藩主がうちに休憩で たち寄ったそうだと自慢しているくいらいだ 国立大学だって長野ではなくて、信州大学で本部も松本だしね 島崎藤村は明治5(1872)年の馬籠生まれだから、じゃ 筑摩県出身という事になる。前にブログでも筑摩書房の 創立者が小野宿出身だと紹介したが、「筑摩」という名は 特別なものかもしれない そう思うと松本が舞台だったドラマ「白線流し」で、飛騨から 移り住んだ老人から聞いた白線流しや、ドラマ後半で飛騨に 移り住んだ渉(長瀬)や、NHKの朝ドラでさくらが松本から バスで高山に入ったり、あぁ野麦峠・・・・女工哀史にしても なんでアルプス越えて飛騨から出稼ぎ?と、思った謎も解ける 飛騨と松本は、筑摩を通じ思いのほか近い存在であったかも ダムは貴重な国民の税金を使う大事業であるだけに、慎重に 調査、議論をした上で判断し、住民のケアもお願いしたい 党のマニフェストにあるから、国民の支持を得たなどと いうような乱暴な結論付けはどうかと思う。というか首長や 大臣などのトップの個人的な主張だけで、事業の根幹を 変えてしまうような大転換って、どんなもんだろう 伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ とも言われていたが、1945年5月14日の名古屋大空襲で 本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが 焼夷弾の直撃を受けて、大火災を起こし焼失してしまった 関ヶ原の合戦で天下を制覇した徳川家康は、1610年に 清洲から名古屋への遷都に着手して、来年で四百年になる 開府四百年を記念して、伝統的な建築手法にのっとった 名古屋城本丸御殿が復元される事になり、元尾張藩の縁から 市からの発注で、木曽の上松や、裏木曽の上矢作などから 伊勢神宮の遷宮にも使われるような、最高級の木曽ヒノキが たくさん切り出され、工事も本格化していた ところが「住民税の10%減税」を公約にする河村たかし 名古屋市長が就任をして、大きな公共工事は見直したいと 名古屋城本丸御殿復元も、事業の凍結を姿勢を示したのだ 市長は賛成派、反対派を招いての市民討論会を開いて 事業継続を求める声が多数を占めた事から、一転して 「千年先を考え、未来の子どもたちに自慢できるものを 残す」と、継続が決まったとか それどころか、戦後にコンクリートで復元をされている 名古屋城天守閣を、木造によって忠実に建て直したいと 表明しているそうで・・・独りよがりに成らずに、広く様々な 人の意見に耳を傾けようとする柔軟性こそが、このような 変化の早い混沌とした時代には必要なのかもしれない ちなみに田中美絵子&佐藤夕子両議員は、河村たかし 市長の国会議員時代の元秘書だそうで、河村シスターズと いわれていたとか ( ↑ 上3枚の写真は以前のものです ) テレビ旅番組のラストシーンにも使われる馬籠の新茶屋は 信州のサンセットポイント百選だったそうだけど、岐阜県に なったしどうなったんだろう。時代の為政者の都合でよって くっついたり離されたりと、国の境は変わろうと馬籠の人は 常に、美濃国に沈む夕日を見下ろしていた 俳人の正岡子規が、木曽路を訪ねた事を「かけはしの記」に 書いており、ここを訪れての言葉は・・・ 今ここに至りては世界を別にするの感あり。 平成21年9月下旬に、元・筑摩県で撮影
2009年09月30日
コメント(51)
シルバーウィークも残すところ2日となって、家に 帰っていた娘を、旦那が運転しながら信州をドライブ がてら送って1泊という、いつもの手軽な行楽だけど 伊那路も木曽路も少し飽きたし、今回は塩尻(しおじり) 辺りまで足を伸ばしてみようか 木曽は上松(あげまつ)の寝覚ノ床(ねざめのとこ)は 有料なので、25年近く前に一度だけ行ったことがある だけで、今回も遠くから眺めた。木曽川の急流によって 花崗岩が侵食をされて出来たもので、国の名勝に指定を されている 竜宮城から帰ってきた浦島太郎は、知人も既におらず 寂しく思い旅に出たところ、木曽川の美しい風景から 竜宮城を思い出して、乙姫に貰った玉手箱を開けたら 中から白煙が出て、白髪の翁さまになってしまった 今までの出来事が、夢であったかのようにも思われ やっと目が覚めたかのように感じた事から、寝覚の 床(岩が床のよう)と、呼ばれるようになったとさ その先の木曽の薮原(やぶはら)に、蒸気機関車 D51238が保存されており、主に会津若松や 高崎機関区などで活躍をしていたらしく、中津川 機関区にやってきて、わずか1年程で中津川と 塩尻間の電化によって廃車になったようだ 中央線の権現トンネルと、第2奈良井川鉄橋老朽化の 為に1986年に別線による権現トンネルが掘られて 1.4kmの区間が廃線となり、贄川宿の近くには かつてのトンネルが残されていた なんて寄り道もしながら、塩尻市に到着。今回の 目的はずばりワイナリー♪ 安曇野、松本、駒ヶ根 松川、小諸と数々の信州のワイナリーを訪問しながら 名だたるワインメーカーの多い塩尻のワイナリーに 出かけていなかったのは、うかつであった 国道19号を北上して、標高700メートル程の塩尻 桔梗ヶ原に入ると、途端に右も左もブドウ畑が続いて 車の窓を開けていたら、甘~~い葡萄の香りまでも! 雨が少なく日当たりの良い気候で、昼夜の寒暖の差等 葡萄の栽培には最適な土地柄であるそうだ。幾つも ある中で、今回は「井筒ワイン」に出かけてみた 昭和8年に、この地に醸造メーカーとして創業をして 以来、桔梗ヶ原一帯で葡萄の栽培をして収穫、醸造 瓶詰めまでを一貫して行う、土地に根付いたワイナリーだ 生食用としてもここの特産であるコンコード種ブドウや ナイヤガラ種ブドウより醸造したワインは、果実味を 生かした自然で親しみやすい味だそうである≪ ご予約受付中!≫井筒ワイン 無添加 新酒[2009] 飲み比べセットコンコード(赤・甘口)、コンコード(赤・中口)ナイヤガラ(白・甘口)、ナイヤガラ(白・辛口)コンコード(ロゼ・甘口)、ケルナー(白・辛口) ≪ 2009予約醸造品 ≫ (無添加) 720ml×各1本(合計: シルバーウィークで沢山のお客さんもいて、試飲も にぎやかな雰囲気だったので、私と娘は、がはははは~~ またも旦那にはお子ちゃまと、美味しい葡萄ジュースを 飲み比べて貰おうか!無添加天然果汁100%の詰め合わせ★イヅツストレートジュース果汁100% 3本セット ★井筒ワイン ここでは、貯蔵庫も見学が出来た♪ これで終わるわけが無い。今度はすぐ向かい側にある 林農園だ。「五一わいん」というブランドの方が有名 かもしれない。ちょうど葡萄の取り入れの作業中で 沢山のナイアガラが山のように運び込まれていた 明治44年、林農園の創業者である林五一が桔梗ヶ原に 入植をして、葡萄や梨、林檎などの果樹の栽培を始め 大正8年には、ワイン専用品種の葡萄の栽培も手がけて 実験と研究、試行錯誤を繰り返しながらも本格的に ワイン製造を行うようになったそうである 世界のワイン産地からの名品が一堂に集うスロベニア・ リュブリアナ国際ワインコンクールで金賞を受賞をした 事もあるという貴腐ワイン「貴腐郷」(1997年産)って どんな味だろう ちなみに貴腐ワインとは、葡萄に貴腐菌(ボトリティス・ シネレア菌)が付いて表皮を溶かして、水分を蒸発させ 干し葡萄のような状態となった時点で収穫し、良果のみ ピンセットで一粒づつ厳選して搾汁して、醗酵させた後 樽で貯蔵熟成させ、濃密な甘さと独特の香りが特徴とか そんな高価なものは飲めないが、ワイングラスで普通の ワインは試飲させて貰えるし、ナイアガラなども食べる 事が出来た 【予約開始】無添加自然な味をお楽しみ下さい!飲み比べ! 2009年五一無添加新酒ワイン 720ml 5本セット 五一わいん 林農園 伊那の箕輪町の赤蕎麦「高嶺ルビー」の花も見頃となった 1987年にヒマヤラの標高3800メートルの高地から赤い 花の咲く蕎麦を日本に持ち帰った、信州大学の氏原暉男 名誉教授が、タカノ株式会社と共同で品種改良を行なった 「高嶺ルビー」のお蕎麦って、まだ食べた事が無い どんな味なんだろうな 平成21年9月22日に信州で撮影
2009年09月28日
コメント(52)
「秋葉街道」とは、三州(中馬)街道の飯田八幡宿 (長野県飯田市)を起点として、山深い遠山郷を経て 遠州の秋葉山(静岡県浜松市天竜)の参拝に使った 信仰の道であるが、秋葉信仰が広まるずっと前から 遠州灘の相良から、信州に塩を運んだ道でもあった 街道沿いの和田宿を見下ろすようにして、盛平山の 中腹に戦国時代にこの地を治めていた、遠山氏の 和田城を再した遠山郷の郷土館があった。岐阜県 東部を治めていた、美濃遠山氏と同じ祖先のようだ 徳川方として大阪の陣でも活躍をした、遠山景直が 岡崎で家康に初めて謁見をした時、食事をするのに 左手で茶碗を隠すようにして食べ、食事が終わると 二本の箸を茶碗のへりに渡して置いたのを、家康が 不思議に思ったそうだ すると「遠山郷は山と谷ばかりで、田が少なく米が 出来ず、上下を問わず領主の私も、麦や粟を食べて います。貴い方の前で食事をする時に、恥ずかしく 思い隠してしまう習慣がある為に、つい無作法な 所作をしてしまいました」との景直の言葉に 家康は気の毒だと思って(たぶんお米の採れる) 上穂領(上伊那)千石を与え、茶碗に二本の箸を わたしたのを型どり、遠山氏の家紋とさせた そんな遠山氏も、後に同族の間で相続争いが起こり 百姓一揆などもあって、一家不取締の理由をもって お家断絶、領地は没収され徳川直轄の地となった 遠山氏の菩提寺のあるのが、城の脇にある龍淵寺 (りゅうえんじ)で、遠山氏の墓所の後方に、根元の 部分が一体化した4本の「観音大杉」がある 樹齢約500年で、幹回りは太いもので7メートル 高さは40メートルほどあるそうだ 昨年、環境省による「平成の名水百選」に選ばれた 「龍淵寺観音霊水」は、南アルプス池口岳の水脈から 1億年前の石灰岩層(海の栄養)を何十年もかけて 溶かしだし、盛平山へたどりついたそうで、日本一の 鉱物物質含有量を誇り、硬水とは思えないクセのない 美味しいお水として注目をされているそうだ 遠山郷の名を全国に広めているのが、毎年12月に 里の複数の神社で、神々に捧げる舞や祈祷が夜通し 催される「霜月祭り」で、国の重要無形文化財にも 指定をされている 温泉施設の「かぐらの湯」前には、その湯立の様子を かたどった人形があり温泉を飲む事も。しょっぱい! 日本を南北に分断する中央構造線。 そして遠山郷で 遠山川断層と赤石断層が交差して、この地域独特の 断層の上からは、 天然の「気」が発生をしていると いわれているそうだ 全国でも珍しい43度の高濃度塩化物温泉は、今回は 足湯で楽しむ事になり、足湯は初めてという姑も ぬくぬくと大喜び~ はじめは八幡神社の境内の回り舞台で、授業が行なわれた という木沢地区の小学校も、生徒数が昭和20年に310名 昭和34年に264名を数えたが、その後は減少の一途を たどり、平成3年の26名を最後に木沢小学校は休校した 当時の木造校舎は昭和7年に建てられたもので、今は 研修施設や、コンサート会場として臨時に利用されて いる。常設で無料の展示もされており、南アルプスの 写真やゆかりの品、木沢地区の霜月祭の展示。他にも 遠山森林鉄道、かつての子供達の様子など 霜月(旧暦の11月)は、神や自然が衰弱をする時期で 魂振の儀式などを行って、魂の再生・更新をして新年に 備える為に「神楽」が舞われた。また熊野信仰での再生 儀式とされる、湯の清まりと忌籠の呪法などが「湯立」で あるらしい 霜月神楽、湯立神楽と呼ばれるが、伊勢神宮の神楽を 祖型としているので伊勢流神楽とも言い、全国各地に 広がっていった。遠山郷のものは伊勢方面から伝来を した神楽に、この地で滅んだ遠山氏の霊を鎮める為の 鎮魂の儀式が、後から加えられているとか 湯を浴びて穢れを祓って、清らかな魂を得て生まれ 変わるのが「霜月祭り」なのだ。って・・・これ聞き覚えが 無いですか? そう・・・名前を取られた女の子。名前を 忘れた龍神様 宮崎監督は「霜月祭り」の様子をテレビで見て、世界に 名高いアニメ「千と千尋の神隠し」のヒントを得たそうだ 和田地区の霜月祭りの神楽では、舞手が炉の隅に白紙を ちぎって置いて、「何尋(何拾う?)」、「千尋(チリ拾う)」と 観客と掛け合いながら、紙を拾う所作があるそうで そこから千尋なのかも? また千尋がトンネルを抜けて、不思議な神々の世界へ 入り込んでしまうが、山深い遠山郷も南から入るにも 北から入るにも、トンネルを通らなきゃいけなくて 廃線になった遠山森林鉄道の隧道がモデルではないか とも言われている さらに言うなら龍神ハクは、天竜川からとか?なんて いう声もあるらしい。ともかく遠山郷や天龍村などの 南信州の秘境・・・確かに、神もいそうだ そんな陸の孤島のような南信州も、生まれ変わろうと している。長野県飯田市を起点として、愛知県を経由し 静岡県浜松市に至る「三遠南信自動車道」が徐々に 工事が進められ、天竜峡まではこんな快適な道で行ける といっても、自動車専用道路と一般国道を併用をした もので、国道とは名ばかりで狭くて急カーブが続き 落石も多く通行止めになり住民が難渋をされている 区間などをトンネルや、バイパスで快適に改良を するものである 平成21年9月20日に信州遠山郷等撮影 前回の日本のチロルとも呼ばれた遠山郷「下栗の里」の 日記をまだご覧になってない方は、こちらもどうぞ↓ 天空の里。日本のチロル、遠山郷「下栗の里」
2009年09月26日
コメント(50)
これ程、馬籠が人で賑わう事はそうそう無い。姑の 乗った路線バスも、我が家に用事のある業者さんも 馬籠へ来られた観光客の車の渋滞に巻き込まれて しまって、今年のシルバーウィークのすごさを実感 息子は友達と高速千円に釣られて、京都に向かうが 普通ならば3時間でいけるところを、名神高速の 断続的な渋滞によって、午前8時前に出かけながら 着いたのは午後2時をまわっていたそうだ。京都を なめるなよ~。早くに行けよとあんなに忠告したのに そんな京都帰りのお疲れの息子に、留守番を頼んで 旦那の運転で、娘と私、そして舅や姑と共に出かけた ドライブ先に選んだのは、こ~んな車の避け合いも 難しい山道をくねくねと・・・。といっても息子を山奥の 友達の家に送っていった道の方が、もっとハードだ 前々からポスターなどを見て、行きたかったけど 道がすごそうなので行く勇気が無かったのが、遠山郷の 「下栗の里」(飯田市上村)で、別名を日本のチロル 天空の里とも呼ばれている 「太陽が足下から昇る」とも、表現をされているそうで 標高800~1100メートルの山間地に、最大斜度が 38度の急傾斜の山腹を切り開いた里には、いも類 雑穀、豆類、椎茸など農産物が栽培をされている 三千メートル級の聖岳など、南アルプス(赤石山脈)の 主峰を間近に眺められるロケーションは日本のチロルの 名前に偽りなし 知らなかったのだが、当日はマラニック(マラソンと ピクニックの造語?)があって、別のルートから下栗の 里まで走ってきたランナーの姿があり、その邪魔を してはいけないと思い、もっと上まで行きたかったが 集落の下の方で引き返した そんな秘境へは、伊那谷を南下して出かけたわけだが 途中で、下條村の道の駅「そばの城」に立ち寄った この村は・・・・アッコにおまかせ!のレギュラーであり 中日ドラゴンズの大ファンで、球団外広報と肩書きまでも 持っている、峰竜太さんの故郷ではないか! 伊那谷周辺は、中馬街道で愛知県三河地方との縁が深く 中日新聞を購読しているご家庭も多い ちなみに竜太氏以外、ご家族は全員が巨人のファンらしい 我が家の場合は中日ファンに、巨人ファン、阪神ファンが 同居をしているので、クライマックス最終戦まで気が 抜けない。というか3位・・・・どこのチームになるんだろ 見切りで値下げされた牛乳を購入し、ぐびっと飲む 山深い天竜川沿いの道をくねくね、ぐんぐんと進むが 戦後になって平岡ダムが出来る前には、急流が岸壁と ぶつかり合って、その流れをいったんは押し戻すように 周囲を削り取って、大きく蛇行をした地形を作り出した そうである 昔々、天竜川を利用しての通船が盛んだった頃、この蛇行 部分に舟が差し掛かると、まるで信濃が恋しいと訴える ように舟の先が逆方向を向いてしまうので、「信濃恋し」と 呼ばれるようになった さて、今回の行楽の本来の目的は飯田市で午後遅くに チャップリンの無声映画を、オーケストラの生演奏で 楽しむという企画の招待券が、別のフリーペーパーで それぞれに当選をしたので、家族みんなで楽しむ事に したのだ 飯田市の「菓子工房POLKA」でジェラードを賞味~ 夏場のみらしく、9月で販売が終わるみたいだけど 近くの高森町のいちだ牛乳と、地元産のフルーツを 使ってあるそうで、濃厚な味で美味しいです♪ あと お菓子の試食が幾つも出来るので、もごもご・・・・ 開演まで時間があったので、お菓子の里「飯田城」にも 立ち寄って、赤飯饅頭をお土産にしたが、りんご大福も 美味しそうだ 飯田からの帰り道は清内路の峠越えではなく、高速に 乗って恵那山トンネルを利用したが、料金が何らかの 割引で中津川まで750円で済んだのは想定外でラッキー 中津川よりも先、名古屋方面はお決まりの渋滞のようで 皆さん、ご苦労様です 平成21年9月20日に南信州で撮影 オマケ 巨人のセリーグ優勝が決まって、旦那大喜び。関東地区では 優勝セールなども今日からやっているようだけど、日頃から 中日ドラゴンズを応援している、東海地方の大手スーパー・ チェーンでは、大創業祭と一緒に何やらドラゴンズのセールも 始まって、今日は先着で今年引退する立浪選手のファイルを 貰っちゃいました なんだか若い!と思ったら1996年の1000本安打の時の 打席のものなのか。デビューは1988年、娘の生まれた年だ
2009年09月24日
コメント(53)
10年程前に、まだ子供が小さな時に無料招待券を 貰った事もあって、家族で一度だけ出かけた事が あったのが信州伊那谷の古き良き時代を体感出来る 飯田市の「伊那谷道中」である その当時は子連れでもあり、あまり意識をする 事がなかった「中馬」や、木地師が住んでいた 「大平宿」などの資料も展示されている その伊那谷道中の経営が昨年、ケフィア事業振興会に 移った事で、南信州ケフィアランド伊那谷道中となり リニューアルオープンをしたそうで、その記念で週末 9月19日までは入場券を払うと、それと同額の館内で 利用の出来る商品券を貰える(実質、入場無料)という ので娘と二人で出かけてきた まるで普段の自分の生活を見ているような、でも たぶん他の人には、今は懐かしい昭和を感じる展示 尾張徳川家の支藩である高須松平家(岐阜県海津町 高須)の領地であった飯田市内の「竹佐」の庄屋を 長く勤めた太田家の薬医門。高須藩主が領地見廻りの 際の宿泊所として使われたので、格式上、薬医門が 作らたそうだ 戦時統制下の昭和19年に、飯田や下伊那に点在を していた37の酒造家が企業統合して設立をされた 「喜久水酒造」の展示や試飲スペースもあった 娘は出口の近くにあった「酒ソフトクリーム」に直行 アルコール分は無いので、ドライバー&お子様もOK 私は健康食材っぽい「ケール」のアイスクリームで 一休み スタンプラリーもやっており、無料でおみくじがひけ 私は吉で、娘は生まれてからトータルで3度目になるが 全てが大吉だ 色んな玩具なども自由に遊べて、久しぶりにオセロも やったが、娘のたった一手のミスで、私は大勝~♪ 完全制覇とは成らなかったのは残念だ 飯田もまたシルクが有名で、お蚕の資料の展示もあり このリアルなお蚕様は~~~無論、偽モノだ。息子が 学校の先生からお蚕様を2匹貰ってきて、せっせと 桑の葉を食べさせ、白い成虫にした事を今も思い出す うふふふふ・・・・ 手頃な水晶などのほかにも、アンモナイトもお土産に することが出来る ケンミンショーで取り上げられた飯田の「ねぎだれ」や 伊那のワイナリーのジュース、善光寺の門前の唐辛子屋の 激辛お菓子に、なぜか銚子のさば缶詰などを購入した こういったものに入場時に貰った商品券が利用できた 今回は利用をしなかったが、別料金を払えば天然温泉の 「満願成就の湯」も楽しむ事が出来る 誰でも利用できる天竜の川下りの舟をイメージをした 「足湯」なんぞで、まったりと・・・・ 9月20日からの入場料金は大人600円で、有料施設や 温泉施設とセットになったお得なチケットもあるようだ (商品券はつきません) 平成21年9月10日に信州伊那谷で撮影
2009年09月18日
コメント(57)
秋らしい爽やかな晴天も続き、ひところの暑さも なくなり、長袖の人の割合も増えてきた。娘の住む 信州伊那市周辺は、どこもかしこも蕎麦の白い花が 咲き乱れている いよいよ新蕎麦のシーズンも間近となり、花を見ては 今からワクワクしている。空気も澄んできたので遠くの 南アルプスの山々もよく見える 昨年は花の盛りを過ぎていた、箕輪町の青いアサガオの 「ヘブンリーブルー(天空の青)」は今がちょうど見頃と なった。この花が終わる頃には、赤蕎麦の花が満開に なっている事だろう 濃い紫色の朝顔も咲いていた 日が短くなってきたので、夕焼けでピンクに染まった 南アルプスもまた美しい。収穫の秋はグルメの秋 そんな訳で、前から気になっていた伊那周辺のお店を 食べ歩き。こちらは幅広い年齢層に人気のラーメン屋 「ひより」で娘とランチ。娘は味噌、私は9月限定の 醤油ベースのものを頼んだ 農産物直売所にはスーパーより格安で、ブドウなどが 並んでおり、こんなサービスもしていた 14日は語呂あわせで「石の日」だから、石焼ビビンバが 全品500円になると知っていながら、ずっと食べる機会が なかったアピタ伊那店の「アジアン亭」の石焼きビビンバも 14日に念願かなって・・・・ 前々から行きたいと思っていた、伊那のケーキ屋さんの「菓匠 Shimizu」も、土地勘が出来てきたのでスンナリと店舗を 見つける事が出来た。品数が多いのでどれを買うか迷う 桃でありながら、果肉はマンゴーのような黄金色をしており なめらかな食感と深いコクのある「黄金桃(おうごんとう)」は 生産量が少なく収穫時期も限られていて、市場にはなかなか 出回らないらしい オ マ ケ 最後に、伊那谷の飯田市周辺で昭和を感じるような木造校舎を 見かけた 天高く馬肥ゆる秋 平成21年9月上旬に信州伊那谷で撮影 PS/一日で食べたわけではないです。数日のものをまとめて 掲載をしました
2009年09月16日
コメント(51)
その名前を覚えたのは10年程前に、巨人の桑田真澄と 同じだぁ~と。家族で車で旅行に出かけた時には、その 土地の地酒などを土産に買うのが、我が家の流儀であり 信州の諏訪では「真澄」を買った 諏訪は、諏訪大社と温泉や花火だけが有名ではなかった 昨夏の諏訪湖の花火大会が始まるまで、娘と夕焼けを 思い存分あきるほど楽しんでいたら、開始の直前に席に 戻られたご夫婦は「いゃ~、諏訪の酒はおいしかった」と どうやら酒蔵で試飲を楽しまれてきたようだ そんな近くに酒蔵があったなんて! その話を聞いていた 旦那は花火大会というよりは、酒蔵で試飲をするぞ!と 意気込んでいたが、でも昨年の桟橋は到着すぐに、自分の 席が割り当てられ開始まで自由行動だったのに、今年は 他団体との関係で・・・・1時間くらいは座席割り当て待ちで その場から離れられず あぁ~、これで試飲は間に合うのか? しかも花火会場の 反対側となり、数軒あるという酒蔵への距離も遠くなって しまったし、慌てて招待主催者に貰ったおぎのやの弁当を 食べて出かけ、諏訪の街中を急ぐ。周囲の交通渋滞もあり 既に午後3時で既に閉めた酒蔵もあるし まずは目的であった「真澄」の宮坂醸造に出かけてみる ここでの試飲はおしゃれなグラスを、500円で購入 (お持帰り)をして、それで試飲をさせていただく 酒蔵や、お酒によって個性があるから、自分の好みかどうか 確かめる事が出来るのはありがたいし、吟醸だ~、純米だ~ 生酒だ~と、味比べに徹するのが面白かったりする 花火の同じ招待の人も先に来ていて、かなりの飲みっぷりで おかわりなども頼んでいたので、こちらもそれに釣られて グラスを出して、旦那も堪能し午後5時の閉店時間となった 外に出ると他の酒蔵も営業を終えて、花火客のドライバーに 「駐車場有ります」とパネルを手に呼び込みを始めていた 一足遅かったか! そして日本酒が旨いと有名なのが、米どころの新潟県だ 娘の新潟市のたれかつ丼が食べたいという一声で行き先が 決まった夏のドライブ旅行で、泊まる温泉をネットで物色を していると、新潟市近郊に石油を探して温泉を掘り当てたと いう「月岡温泉」って面白そう。緑色をした温泉らしいし そして旦那も娘も目を輝かせて、月岡温泉に宿泊を決めた 決定打!となった企画が、月岡温泉・越後の銘酒まつり 酒天湯子で、新潟の全96蔵元のお酒を飲み歩く事が 出来るというものだ 実際には温泉内の旅館は午後6時までだし、お菓子屋さん 土産物屋さん、飲み屋さんなどなど、各店舗の営業時間や 休業日もあるし、好評で切れた酒もあったりで、全部が 飲めるわけでもなく、私の場合もお目当ての「八海山」と 「鶴の友」が飲めなかったのは心残りだ 500円で、かわいらしいお猪口と5回(杯)分の試飲の チケットを購入して温泉街をぶらり歩きをすると、大きな 赤い暖簾と小さな杉玉が実施店(2~4種の種類が置いて ある)の目印で、お酒のほかに独自のおつまみも出される こんなお楽しみがあったから、清水園の見学も門前で省略し 温泉街に急いだわけだ。ガイドブックなどを読み込んだ娘は ここのお酒(といっても大吟醸だから飲めない)は、エール フランスのファースト・クラスで使っているんだってなどと 飲みたいお酒をチョイス 今回の事でわかったこと。旦那と娘の酒の好みは正反対!(笑) ここの温泉に限らず、新潟の温泉地では様々な企画をして おり「宿カフェ」なる、宿の女将さんお勧めのオリジナル スイーツが食べられるのも、女性客には好評のようだ 泊まった宿のプランには、ズワイガニ付とかもあったけど ずばり「越乃寒梅」が付いたプランを予約していたので 夕食の席のテーブルの真ん中には、うやうやしく冷えた 「越乃寒梅」が鎮座していた。私の半分、旦那に飲まれる その新潟旅行の帰り道に、信州は姥捨サービスエリアで 夜景を楽しむ。いつもは夕方なのでこのような夜景を見物 したのは初めてだ 渋滞のおかげで思わぬ夜景が楽しめた オマケ 信州は木曽にある、いつもの駒ケ岳を眺められる道の駅の 「日義木曽駒高原」では、8月半ばの時期は木曽駒高原名物 ジャンボとうもろこし「優作」が販売されており、昼過ぎには 売切れてしまう たしかに、でかい 優作は粒皮が極めて柔らかく、甘味が強い黄粒のスーパー スイートとうもろこしだそうで人気が高い品種だそうだ たしかに、うまい 平成21年8月に、信州諏訪湖&越後月岡温泉で撮影
2009年09月01日
コメント(61)
昨夏。2年連続でUCCコーヒーと地元スーパーの タイアップ懸賞で、全国でも名高い「諏訪湖祭湖上 花火大会」のペア招待で、遮るものもない諏訪湖に せり出した桟橋席の最前列で、過去最高の打上げ数と 花火を堪能した娘は「これ以上のロケーションはもう 望めないから今回を最後としたいし、もしも来年も 当たったら今度はお父さんと行ってくれば?」との事 娘の部屋で、テレビ中継で花火見物しただけの旦那も その気になって、1年前から花火大会を楽しみにするが 懸賞に「当選」をしないといけない訳で、普通にお金を 払って有料席券を購入をするにも、10倍を軽く超える 人気花火大会だけに、果たして3年連続で当選をする ものだろうか 協賛するスーパー(6つ)でUCC商品1500円以上を 購入すると応募が出来て、合計50ペア当選の難関だけど 無理をせずに自宅で飲めるだけ、缶コーヒーや、1人分の 紙パックコーヒーなど愛用のUCC商品を、3つのスーパー それぞれで1口ずつを応募をして、見事に3年連続で当選 お盆の帰省ラッシュに加えて、今年はETC割引千円と 地震による東名高速通行止めで、一昨年のような大渋滞も 心配をされたが、昨年のようにスイスイと進めて、車中で ビンゴやジャンケン大会をしているうちに諏訪湖に到着し 暗くなる前に自由時間も出来たし、諏訪湖の街中を旦那と そぞろ歩きを楽しんだりもした(日記での紹介は後日に) 花火会場の南側の桟橋席ではなく、今年は反対側の帰路に 使う白鳥や亀の遊覧船の桟橋のイス席だそうだけど、普段は 屋根にしてる幌をはずした骨組みが、目障りになりそうだし 前後のかなり狭いイス席は、腰痛持ちの旦那が足を伸ばせず 長時間を座るのには苦痛かもしれない。ちなみに検索をすると 8千円もする席であるらしい 幸いにもイス席の後方の敷地内なら、自由に見てもよいそうで 湖面は屋根の鉄骨や建物で見えないけど、空を遮るものが何も 無く、なによりのんびり出来そうだからと、そちらで観覧をする 事にした。時間が経つにつれて昨年は夕焼けに染まった諏訪湖は 何やら雲行きが怪しいゾ 薄暗がりの空にオープニング花火のはずが、すでに真っ暗! どころか小雨が降り始める。イス席では傘をさした人が続出 あれじゃあ満足に花火も見れないだろう。私は折りたたみを 持っていたし、後ろには誰もいないので堂々と傘をさすが 傘のない旦那は、相合傘を拒否をして、横の木の下で雨を しのいで、スニーカーがしめった程度で済んだようだ 花火大会の最中も断続的に小雨が降り続けて、地面もぬれて しまったので立ったまま、片手に傘を持って、デジカメが ぬれないように気をつけながら、片手での撮影で、かなり ブレ気味だったものもあるが、まぁ満足のいくものもあった 無論、娘が予想したように昨年がパーフェクトであったのは 確かなのだけど、もしも昨年のような桟橋席だったならば 旦那はずぶぬれ~必至。災い転じて福となすというところかも 過去最高の打上げ数であった昨年に比べると、若干は数は 減ったけど、尺玉50連発など見所いっぱい。どっかーん!と おなかまで振動をするような大音響に、小さな子供は泣き続け あぁ、日本の夏! 信州の夏! 目玉の一つであるクライマックスの、湖上の半円の花火は 建物と例の屋根の鉄骨で思うように見れず、今年は撮影も パスをした。まっ、いいっか 最後のナイアガラが始まる頃には、本降りになってしまい それを見る前に、ぞろぞろと帰るびしょぬれの人たち。花火が 終わるのを待ちかねたように、土砂降りになってしまったが 直前に建物の軒先に退避していた旦那は、水難を逃れた びしょぬれになって、ケラケラと笑い続ける若い女の子とか スニーカーがびちょびちょで、裸足になった奥さんだとか 大変なことになっている。ケータイ電話とか大丈夫なのかなぁ うちは、ビニール袋できっちりと「防水」を施してあるので その点は大丈夫だ その後の報道やブログなどによると、深夜1時をまわっても 駐車場を出れずに、10メートルを進むのにも30分を要した 大渋滞だったそうだが、桟橋から白鳥の遊覧船で対岸に移動 お土産を沢山抱え、午後11時半には娘の住まいに戻る事が 出来た。UCC&協賛スーパー各社の皆さんに感謝です! 平成21年8月15日に信州諏訪湖畔で撮影 昨年&一昨年の花火の日記は、トラックバックをしておきましたので 興味のある方は、そちらからご覧ください。やっぱ昨年は最高でした
2009年08月18日
コメント(59)
7月は二日に一度のペースで、今月は久々に12件 日記をアップすることが出来て、たぶん今日の日記が 7月最後になるかな? それにしても梅雨も明けず 雨、雨、雨の7月であった 先週末も芳しくない天気で、市内の日帰り温泉に 旦那と出かけたが、車窓からの風景も目新しくも ないので、撮影をする気も起きず、ブログに紹介 しきれずお蔵入りをしていた旅の写真を、代わりに 引っ張り出してみた 最近は権兵衛トンネルで身近になった伊那谷や 諏訪ばかりを紹介をしているが、信州を語る上で やっぱり忘れていけないのは、旅情溢れる木曽谷 中山道木曽路の、昨年と一昨年の初夏の写真を 紹介してみたい 木曽郡大桑(おおくわ)村須原の山の斜面にへばり つくようにあるのが「白山神社」で、覆われていて 判らないが、間口1メートル程の熊野、伊豆、白山 蔵王の4つの社殿が並んでいるそうだ 一間社流造檜皮葺きの屋根を持ち、建武元(1334)年 建立で県内最古の鎌倉建築は、国の重要文化財にも 指定をされている、こう見えても歴史ある神社だ 美濃国と信濃国を結ぶ木曽路は、木曽川沿いに急峻な 地形が続く難所として知られているが、「続日本紀」に 大宝2(702)年に、岐蘇(きそ)山道の建設が始まり 和銅6(713)年に開通の記述があるという 江戸時代には五街道の中山道となり、39番目の宿場 須原(すはら)宿なども、木曽川の氾濫で流失をして しまって、享保2(1717)年に高台に移転されたそうで 正岡子規のうたでも木曽谷の地形の険しさがうかがわれる 寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし そんな急峻な木曽の山々に抱かれ、豊富な湧水を 溜めて住民に重宝をされる「水舟(みずぶね)」が 宿場のあちらこちらにあり、別名を「水舟の里」と 呼ばれている 島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台にもなった 清水医院には、藤村の姉の園も入院した事がある そうで、その建物は愛知県の明治村に移築保存を されている また幸田露伴も、須原宿に泊まった事があり 出世作の「風流仏」に須原宿が登場をしている 観光化をされた馬籠や、妻籠、奈良井を見物済みの 皆さんは、この文豪にも愛された須原宿を訪ねて みるのも面白い。普段着の木曽が垣間見えるかも 以前、このブログでも安曇野の穂高周辺の「道祖神」の 紹介をしたが、木曽福島から開田高原方面に少し入った ところに、ひっそりと道祖神の里「黒川郷」があった 黒川郷には18箇所19体の道祖神があり、そのうち 双体道祖神は11体、馬頭観音などの石仏も加えると 数百体もの石仏があるという 一番古い道祖神は、享和2(1802)年のもので 1846年から約40年間に、集中をして作られて いるという 道祖神は集落の境界や、道の辻などに祀られる神で 古い時代のものは、男女一対を象徴する双体道祖神が 多く、子孫繁栄、五穀豊穣、疫病や悪人の侵入を塞ぎ 止める、村の守り神として身近な神様である 最後に、信号も無く飛ばしやすい木曽の国道19号は スピード違反の取り締まりは、日常茶飯事で、何度も キップを切られているドライバーを見かけている ちょっと寄り道をしながら、ゆっくり木曽路を楽しんで みたらいかがだろう 白山神社、須原宿は平成20年8月1日に大桑村で 道祖神は平成19年6月5日に木曽町黒川で撮影
2009年07月29日
コメント(54)
こう見えてアニメ黄金期に生まれ育った私は、ロボットアニメが お気に入り少女で、コンバトラーV、ボルテス5、ダンガードA そして。。。。生誕30周年を迎えた「機動戦士ガンダム」も タイムリーに見ており、ヤマト共々、友達と映画館に駆けつけた 当時、宇宙戦艦ヤマトの真田さん、ドカベン(野球だけど)は 土井垣さんという、しぶいキャラがお気に入りで、ガンダムでも シャアでもなくアムロは論外、ブライトさんがお気に入りだった 朝日系列の名古屋テレビ(メーテレ)で、そのガンダムは制作 放映を始めたのだが、その局でやっている人気の旅番組が 土曜の午前にキャイーンのウド鈴木が、中部地方などを紹介を する「ウドちゃんの旅してゴメン」で、今朝は中津川坂下だった その番組で、ここでもよく登場をする信州の辰野町を紹介すると いうので見たら、前々から行きたかった横川渓谷~。くっそ~! ウドちゃんに、先を越されてしまったのか。なんだか悔しい という訳で、早速、旦那や娘と辰野町の横川渓谷へGO!! 天然記念物にも指定されている「横川の蛇石(じゃいし)」は 粘板岩に貫入した閃緑岩の岩脈だそうで、その岩脈に直交して 等間隔に石英脈が入っており、蛇腹のようにも見えるので蛇石 というそうだ 昔、2匹の兄弟竜が喧嘩をした為に、横川川が氾濫してしまい 下流の集落が鉄砲水に襲われそうになったのを、母子の2匹の 蛇が、自分の身を犠牲にして救ったそうである その心に打たれた熊野権現様が母子の蛇を蛇石にかえ、2匹の 竜は喧嘩が出来ないように、上流にある大滝に閉じ込められた 木地師(きじし)とは、全国の山々をブナ、ナラ、ケヤキなどの 良材を求めて移動しながら、素材を切り出して、ロクロを使い お椀やお盆、コケシなど木工製品を制作をして暮らす山の民だ 木地師の発祥は、滋賀県愛知郡小椋村(現・東近江市)だそうで 権力争いに敗れて、小椋の山里に移り住んだ小野宮惟嵩親王 (文徳天皇の皇子)は、法華経の巻物のひもを引くと巻物が 回転するのを見て、ろくろ技術を発明したそうで木地師の 始祖と言われている 木地師は親王の流れをくむものとして、朝廷の保護のもとに あるとの由来書と、全国どこの山であっても七合目以上は 自由に伐採が出来るという許可書を、持ち歩いていたという 様々な特権を持ちながらも、厳しい山深い里を転々としながら 漂泊の民として、土地も故郷も持たない彼らの心の支えは 皇室にも繋がる、随臣の末裔であると信じる誇りであって この横川の大樹の根元にある木地師の墓石にも、皇室と 同じ十六弁菊紋が刻まれている 蛇石は紹介をしても、そんなマニアックな木地師の歴史や このかわいらしい滝も、ウドちゃんの旅番組では、紹介は されなかったけど・・・・ 第三セクター経営のふるさと農村公園「グリーンビレッジ横川 かやぶきの館」は、高さ13メートル、横幅43メートルを誇る 日本一のかやぶき屋根を持つ施設で、宿泊や日帰り温泉も 楽しむ事が出来る 天然温泉ではないが、薬草風呂とハーブ湯も楽しめる大浴場も 開放感たっぷりで、なにより価格が400円と安いのが魅力で その日も沢山の人でにぎわっていた。桃の湯だった そして、二八の手打ち蕎麦!! 信州ではお蕎麦を食べなくちゃ お試しで、大好きなとうがらし梅茶も楽しむ事が出来てラッキー 伊那谷から松本平に抜ける、今も車の交通量も多い道はかつては 古代の東山道、のちには中馬街道であった。その道脇にあるのが 「今村の徳本水(とくほんすい)」で、旅人が休息をする水場だ 当時は岩間より水がこんこんと湧いており、味噌のしこみに 使うと味噌がかびず、飲むと歯痛が治ると評判だったそうだ 小屋場と呼ばれる崖上の平は、徳本が草庵を結んだ所と伝え 戦国時代に、この山に築かれた龍ヶ崎城の水の手であったと 思われる 徳本とは、甲斐の武田信虎と信玄父子二代の侍医で、武田家 滅亡後は東海から関東諸国を巡り、貧しい人には無料で薬を 与えたり、報酬は16文以上の金を受け取る事はなかった為 「十六文先生」と称された、永田徳本である 徳川将軍秀忠の病いを治癒して、報酬を受けずに立ち去ったと いわれており、晩年は長野県岡谷で過ごしたそうで、余談だが 製薬会社「トクホン」の社名は、永田徳本にちなんで命名された ものだが、直接の関係は無いようだ また江戸近郊の農村を中心に、関東、北陸、近畿まで念仏講を 行い、諸大名や大奥女中までもから支持をされ、「流行神」とも 称された江戸末期の名僧、徳本上人こそが草庵を結んだ徳本では ないかとも言われている 無論、ウドちゃんからは、マニアックな徳本水は紹介はされず 手打ち蕎麦は食べていた 平成21年7月12日に信州辰野町で撮影
2009年07月25日
コメント(47)
日本百名山にも選ばれた霧ケ峰高原は、前の日記でも 紹介をしたように、標高約1600メートルに位置をしており 国の天然記念物に指定をされた八島ヶ原湿原、車山湿原 踊場湿原があり、湿原の素晴らしさを簡単に体感をする 事が出来る しかし、その安易さが災いし車でペット連れの観光客も いるようで、霧ケ峰の自然環境や生態系への影響が懸念を される為、湿原の遊歩道などでペットを自粛してもらう 区域を看板で知らせるなど、対策に乗り出したそうだ ロープウェイで安易に行ける、中央アルプスの木曽駒ケ岳の 千畳敷カールからの急峻な瓦礫の登山道を、数センチはある ハイヒールのサンダルでひらひらスカートの女性が、彼に 手をひかれて登っているのには「ここは軽井沢か!」と あきれてしまった事もある そんな私も、普段からロープウェイや車で簡単にいけるような 山ばかりに行っているけど、山国の岐阜県や長野県の子供らは 比較的、山には馴染んでいる。幼稚園の頃から既に付近の山に 登るのが身近な遠足だったし、中学ともなればキャンプ場から 日の出前には出発をして午後1時頃になって、やっとの登頂で 日本有数の三千メートル級の木曽の御岳山を登った事もあった 高校の遠足も御岳だったが、ガスって何も見えなかった 息子の高校では木曽上松から木曽駒ケ岳に登山をして、山小屋に 一泊をする行事があって、グループや係りを決めて、荷物とか 食べ物もそれぞれが用意して、新調した大きなリュックサックに 詰め込んだのだが、当日朝は雨天で中止になってしまい、楽し そうなイラストの行程表が寂しげだったが、こればかりは仕方が ないと諦めた事もあった 長野県諏訪市で生まれて、中央気象台(気象庁)に入庁し 富士山観測所に配属をした経験もある、新田次郎原作による 「劒岳点の記」が映画公開をされているが、20歳の頃に この作家の山岳をテーマにした小説を、幾冊も読んだ事が あって、急の悪天候によって美しかった山が、豹変をして 主人公らの命を奪うのを、山は怖いものだとつくづく思った 悪天候で息子が登る事のなかった木曽駒が岳は、夏休み前の この時期になると、上伊那地区の中学生が登山をするそうだが それは慰霊の意味も込めてのものだそうだ。前述の新田次郎の 「聖職の碑」で取り上げて映画化もされたので、知っている方も おいでになるかもしれない 大正2(1913)年8月26日。長野県中箕輪高等小学校 (上伊那郡箕輪町立箕輪中学校)の生徒25名、地元の青年 会員9名、引率教師2名、校長総勢37名が、前年までの経験を 踏まえた詳細な計画や、飯田測候所にも気象状況を照会をした 上で、すぐれない天候の中を木曽駒ケ岳の登頂に挑んだ。が 予算の都合で、昨年度は頼んだ山岳ガイドの同行はなかった 登山中にも風雨は次第に強まり、その当時の観測技術では 判明をしなかったのだが、折りしも小笠原海上で発達をした 台風が、猛烈なスピードで東日本を通過をしていたのだ ところが、そこで一泊をするはずだった山小屋は半壊状態で 石垣のみの無残な姿に変わっており、周辺のハイマツなどを 集めて、皆の雨合羽も利用して仮小屋を設営して、ビバークを 試みたのだが、雨漏りとぬれた木では暖をとる火すら焚けず 疲労困憊で体力を失った生徒が、凍死をしてしまったのだ 慌てた青年会員の若者らは、引率教師の指示に従わずに、散り 散りになって下山を始め、彼らの雨合羽を失って、仮小屋は その機能を果たせず、もはや生徒らも下山をする術しかなく 樹林帯までたどり着けた者は生存をしたが、稜線上で力尽きた 校長と生徒らの11名の尊い命が奪われてしまった 上伊那郡教育会は、遭難現場に遭難記念碑を建立し、決して 先輩方の遭難の事を忘れ無いようにと、生徒に伝えてもきた あれから百年年近い年月が経ち、より明確な気象情報も手に 入ると言う平成の世の中なのに・・・・ 昨年度の山岳遭難は、死者、行方不明者が281人(前年比 22人増)と、警察庁が統計をとりはじめた1961年以降では 過去最多になったそうで、遭難事故件数は1631件、遭難者 数は1933人と、いずれも過去最多になってしまっている メタボ対策など健康ブームも背景にあるのか、特に中高年者の 遭難が増えているそうで、全体の8割以上が40代以上の年齢で 事故の9割近くが登山や山菜採りによるものだそうだ。発生地は 長野県(182件)、富山県(133件)、北海道(128件)他 楽しい霧ヶ峰の高原ドライブの話の続きをするつもりだったが 北海道での大規模な遭難事故のニュースを聞き、伊那の子供らの 尊い命が失われた遭難の教訓が、まったく生かされていないのに 憤って、このような内容になった せっかくの休暇や計画なのに。高いお金を払ってわざわざ遠方 まで出かけてきたのに。そこで中止をしてしまったら勿体無い 申し訳ない(ツアーの主催者側)といった気持ちが、どこかに あっての強行が、事故を招いているような気もする。北海道の 場合は、帰りの飛行機の便も足かせになっているようだ 山は怖い。女の神山とも呼ばれた蓼科山には「ビジンサマ」と いう山の神が住んでいるそうだ。その姿は球状で、黒い雲に 包まれおり、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが 下がっていて、空を飛ぶそうである ビジンサマが山を通る日は、人は山仕事をやめたという。山を知って 恐れ、尊ぶ心が確かに日本人にはあった。それがアウトドアだとか トレッキングだとかいって安易に山に入るべきものでもない。伊那の 子供らの命を奪った「疲労凍死」などという言葉はもう聞きたくない 平成21年7月11日に信州で撮影
2009年07月18日
コメント(55)
禅庭花(ゼンテイカ)という花をお知りだろうか ユリ科の多年草だが、後からつけられた日光黄菅 (ニッコウキスゲ)という名称の方が、世に広く 知られているかもしれない 日光の霧降高原、尾瀬ヶ原、この写真の車山などの群落が 有名で、花が黄色で、葉がカサスゲ(笠萓)に似ている 為に、日光の地名とあわせて日光黄菅とつけられたが これからの時期、全国の高原などを代表するお馴染みの 花である 高さは50~80センチで、花茎の先端に数個のラッパ 状の10センチ程の花をつける。花びらは6枚で朝方に 開花をすると、夕方にはしぼんでしまう一日花である 国の天然記念物に指定をされている、信州の霧ケ峰三湿原 (車山湿原、踊場湿原、八島ヶ原湿原)でも、この花の 群落があり、週末に高原は黄色に染まっていた(車山で撮影) 今回は茅野からビーナスラインを利用して登ってきたが それにしても女の神展望台から見た、蓼科高原から彼方の 八ヶ岳連峰の風景は圧巻だった。蓼科山はかつて女神山 とも呼ばれていたそうだ 道沿いに、女の神氷水という湧水もあったが生水のままで 飲む事は出来ないようだ 信濃には八十(やそ)の高山ありといへど 女(め)の神山の蓼科われは (伊藤左千夫) 次の写真にある、白樺湖の右奥にあるのが蓼科山である 先週末の旦那の運転で、娘と私が同乗の高原ドライブ目的は 娘が行きたがって昨年秋に応募をした「世界の影絵・きり絵・ ガラス・オルゴール美術館」のペア招待券を利用をして かねてから白樺湖に出かけるつもりでいたのだが、だったら ニッコウキスゲの花の時期にと、待ちかねていたものだ あまり興味が無いという旦那は、余分にお金を使うことも 無いので入り口に送って貰って、高原の風にあたり湖畔で のんびりと、茅野で買ったばかりの娘の漫画を読んで 時間つぶしをしていたようだ 撮影不可なので紹介は出来ないが、日本を代表する影絵作家 藤城清治の世界を存分に楽しむ事が出来て、娘も大満足で 下のショップもわくわく。影絵イラストのファイルを買った 霧が峰高原ビーナスラインの道の駅「霧の駅」にも立ち寄って ハイジの気分で山羊の乳を飲んでみるが、娘一口、私一口で あとは旦那にぐびぐびと飲んで貰った。じゃがバターも賞味 平成21年7月11日に信州霧ケ峰で撮影
2009年07月16日
コメント(49)
千曲川は、川上犬の故郷。長野県、山梨県、埼玉県の 県境に位置をした「甲武信ヶ岳」の長野県側にあたる 川上村を源流として、八ヶ岳や関東山地などが源流の 諸河川と合流をして、佐久平、上田平を流れて北へと 向かっている 善光寺平の川中島で、飛騨山脈を源流として松本平から やってきた犀川と合流して更に進んで、新潟県に入ると 名を信濃川と改めて、流れは日本海へと注ぐのだ その千曲川や、小諸を語る上で忘れられないのが明治の 文豪である島崎藤村(しまざきとうそん)だ 中山道の馬籠(まごめ)宿の本陣や庄屋、問屋をつとめる 島崎家に生まれた春樹(藤村)は、幼くして故郷を離れて 帝都東京で学び、卒業後は教師をしながら、同人として 劇詩や随筆を発表していた キリスト教の牧師であった木村熊治が主宰をする私塾 小諸義塾に国語と英語の教師として赴任し、数年間を この地で暮らし、小諸の風土や小諸義塾生活を題材に 「千曲川のスケッチ」を執筆をしている 詩集「落梅集」の冒頭にある「小諸なる古城のほとり」と 後半の「千曲川旅情の詩」を二つ合わせて、藤村自らが 「千曲川旅情の歌一、二」としたものの歌碑もあった ちなみに「椰子の実」も、落梅集に収められている 「小諸なる古城のほとり」 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす(はこべ)は萌えず 若草も藉(し)くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る あたゝかき光はあれど 野に満つる香(かをり)も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し 旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む 「千曲川旅情の詩」 昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ いくたびか栄枯の夢の 消え残る谷に下りて 河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き帰る 嗚呼(あゝ)古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ 過(いに)し世を静かに思へ 百年(もゝとせ)もきのふのごとし 千曲川柳霞みて 春浅く水流れたり たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ まさに見るべきものの多き懐古園、城に関するものや 島崎藤村や小諸義塾などに関する小さな博物館が園内に 幾つもあり、それらを見学できる共通券もあったのだが 旦那と娘の強い希望で却下。動物園と城跡を見学が出来る だけの安い散策券となってしまった 二の丸の城石には若山牧水の短歌が刻まれ、山頭火も この歌碑に触れたそうであるとか かたわらに秋草の花語るらく ほろびしものはなつかしきかな 懐古園の名前、そのままのような短歌のような気もする 園内には、目を見張るような大きなケヤキの樹があって 人の存在などは、自然の強さや、素晴らしさに比べたら なんとちっぽけなものだと 誰もが立ち止まって、その樹を見上げていた さて写真の方は信州小諸の懐古園が続くが、ここからは お相撲の話を一つ。いよいよ暑い暑い「名古屋場所」が 今週末より始まる。その名古屋場所前夜祭が名古屋の 放送局CBC(TBS系列)で収録されて、その模様は 土曜日の午後4時にCBCで放送をされるそうだ その収録の観覧をしてきたのだが、目の前で見る両横綱の 土俵入りには圧倒された。シーンとしたスタジオに独特の 「シィー!」と横綱が大きく息を吸い込む音までもが響き このような緊張感溢れる瞬間を、かぶりつきで見る事が 出来て幸せだ しかも、しょっきりやちびっ子たちと関取の取り組みなど 地方巡業などで、お馴染みの取り組みも見ることが出来て お茶漬けの「高見盛」と、海苔の「山本山」の二人はホント 面白いなぁ。やっぱり人気があるだけある。日本大学の 先輩と後輩らしいけど凹凸コンビって感じで・・・ 進行役のアナウンサーと、ゲストの佐賀県のはなわと CBC人気深夜バラエティ番組「ノブナガ」で、ごはん リレーをしている小泉エリが、関取らを交えてトークを するのだが、両横綱の場所前の緊迫感が溢れたトークに お子さんが生まれたばかりの地元愛知県出身の琴光喜と 綱取りのかかった練習好きの日馬富士のトークなどなど そして、長らく相撲界に君臨する外国勢に渡り合って くれるのではと大きな期待を寄せられている、名前も すごい!豪栄道豪太郎と、常総の赤鬼の稀勢の里と 子供の時に鍋を食べていて、生きた大きなエビが顔に 飛んできた為にエビが食べられない栃煌山という 目が離せない同学年トリオ ダーツが得意、ダーツが苦手、ダーツは初めてだという 三人がご当地のグルメを目指して勝負するのも見ものだ 名古屋場所の展望などを、錣山親方(元・関脇寺尾)と 栃東親方(元・大関栃東)が語っていたが、日本人力士の 優勝って、栃東親方が現役時代の2006年1月以来 まったく無いのだとか。頑張れ~若手三力士! また愛知県立美術館で開催中の「アーツ&クラフト展」も 見学をしてきたのだが、産業革命によって画一的な工業 製品が大量生産される中で、職人が一つ一つ手作りをした 工芸品に光を見出した流れを紹介し、日本における民芸も 紹介され、棟方志功、富本憲吉の作品などもあった (この写真のみ、今朝撮影) 平成21年6月27日に信州小諸城址で撮影
2009年07月10日
コメント(47)
学生時代に、江戸幕府によって作られた五街道の 名前を覚えた方もおいでになると思うが、それに 準ずる主要な街道が、脇往還(わきおうかん)で 脇街道とか、脇道とも呼ばれていた 北国脇往還は中山道から軽井沢の追分で分岐をして 善光寺を経て、直江津で北陸道に合流し、善光寺参拝や 佐渡の金を江戸に運んだ道であるそうで、別名を北国街道 (ほっこくかいどう)もしくは、善光寺街道ともいう 小諸宿の本陣と、問屋を兼ねていた旧上田家住宅は 二階建、切妻造、桟瓦葺の大規模な建築で、現存する 問屋場建築は数少なく、その希少価値から主屋と表門が 国の重要文化財に指定をされている 本陣とは、参勤交代の大名が宿泊をしたものであるが 問屋場(といやば)は、街道の宿場での人馬の継立や 助郷賦課などの業務を行い、駅亭、伝馬所、馬締とも いったそうだ また本陣の建物の左後方と廊下によって接続をしていた 座敷と伝えられる建物は、明治時代に佐久市の桃源院に 移築をされて、本堂や庫裡として使われていた 最近になって小諸市に寄贈されたので、再移築後には 一般公開をしていたのが、今は休館中のようである 旧脇本陣であった粂屋は、小諸宿一の人気旅籠だった そうで、二階の手摺り、掛け看板など往時の様子が 垣間みれる。赤ポストもなかなか良いなぁ~ 小諸城の正門にあたる大手門は、慶長17(1612)年 仙石秀久が小諸城を改築をしたときのものであり、大工は 江戸から招いたと言われ、当時は瓦葺の門はとても珍しく 瓦門と呼ばれたそうだ 実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は 東日本を代表する大手門建築の一つで、国の重要文化財に 指定をされている。何やら撮影中だったので門に近づけず 残念だった 懐古園に隣する小諸グランドキャッスルホテル内にある 手打ち蕎麦「水車」で食事をしたら、150円の温泉税を 支払うだけで、ホテル内の天然温泉に入浴をする事が 出来るので、年配のお客さんにも大人気だった さて小諸宿も堪能したし、どこに行こうかと観光マップを 娘が眺めていたら・・・・近くにワイナリーを発見♪♪ これは行かねばなるまい! 旦那には犠牲になって貰おう こんなところからの運転は、私には無理だもん♪(って 過去には自分の運転で上田も、松代も行ったくせに) 甲州葡萄の産地である山梨県勝沼に、1962年に設立を されたキッコーマンのグループ企業であるマンズワインが 1973年には、この信州小諸にもワイナリーを設立した 太陽の恵みをいただき、大地の恵みを受けた葡萄こそが ワイン造りの始まりと考え、専用品種の契約栽培によって 日本古来の「甲州」葡萄や、欧州種の千曲川産「メルロー」 上田市東山産の「カベルネ・ソーヴィニヨン」などが用い られているそうだ ちょうど団体のお客さんが到着したので、一緒になって ワインについての映像を見たり、ワイナリー内の簡単な 見学をさせてもらったが、あの大きなタンクの中にお酒が なみなみと・・ ステンレス製のタンクは、ワインへの影響がない為に 品質管理がしやすい利点があり、かたや木製の樽を 利用すると、木の香りなどがワインに影響して良い 効果をもたらすそうだ いよいよワインの試飲だが、人気ワインや甘口、果実酒 限定、食前などなどと別れていたので、とても試しやすい 娘は花に惑わせる蝶のように、あっちにふわふわ、こっちに ひらひら・・・・ 旦那は、おじいちゃんに連れられた幼稚園児程のお子様と 葡萄ジュースをご堪能。すいませんねぇ~。だって、あれも これも・・しかも団体さんと一緒だから、気兼ねなく試飲が 出来るチャンスはそうそうないもの 次は勝沼に行くぞ~! 運転手に息子を連れて(旦那・談) 平成21年6月27日に信州小諸で撮影
2009年07月08日
コメント(48)
生まれてこのかた、孔雀が羽を広げたのを この目で見たのは、物心がついた幼い頃以来 ン十年ぶり、生涯でも2度目かもしれない 戦国の城は、今では小さな動物園も併設が されているので、子供達の楽しそうな声が 園内(城内)に響き渡っている 牡丹の花が花の王様であるのならば、さしずめ 鳥の王は孔雀かもしれない。もちろん視点の 違いによっては、鷹こそが王者の風格があると いう人もいれば、いやいや鶴の優美さこそがと 思う人もいるだろう しかしキラキラと輝く、ゴージャスな羽を広げ ザザザザザ・・・と音を立てながら地味なメスの 孔雀に、己の素晴らしさを誇らしげに見せつける 姿には圧倒をされてしまう。しかも二羽が同時で キジ科の鳥類である孔雀は、中国、東南アジア 南アジアに分布をしており、特にこの羽を 広げたインドクジャクが有名だ。アフリカにも コンゴクジャクという種類がいるが、さして 美しくは無いようだ 孔雀の雄の美しい羽は、上尾筒(じょうびとう)と いい、雌にアピールをする為のものである サソリなどの毒虫や、毒蛇を好んで食べるので 古くから益鳥とされており、邪気を払う象徴と して「孔雀明王」として、仏教でも尊ばれている 元はインドの女神のマハーマーユーリーだそうで 「偉大な孔雀」という意味があり、摩訶摩瑜利 (まかまゆり)、孔雀仏母、孔雀王母菩薩、金色 孔雀王ともいう インドのクルド人の信仰をするヤズィード派の 主神マラク・ターウースも、孔雀の姿をした 天使であるそうで、インドの国鳥でもある あくびをしているのは、かわかみけんしん (川上憲伸)にも似た名前を持つ川上犬の さくらで、今年4月、生後3カ月子犬の頃に 川上犬保存会から寄贈をされ、公募で名前が 決まったばかり 今、売り出し中の小諸市動物園のアイドル いや看板犬であって、お散歩タイムには 来園者らと触れあったりもするらしい 千曲川の流れる川上村に伝わった川上犬は 信州川上犬、川上狼犬ともいい、柴犬の一種で 長野県の天然記念物に指定されており、村内で 数十頭、全国でも三百頭程しかいないという 秩父山塊のヤマイヌが、猟師によって飼い慣ら されたと言い伝わり、猟犬としての勇敢さを保つ 為に雌犬を山中に留め、ニホンオオカミと交配 させたという伝承もあるそうだ ひっかかりそうな狭いところから、長い首を のばしてお食事中 翼が退化して退化して飛べず、たくましい脚で 速く走るキーウィ(キーウィー、キウィ、キウイ)は 「キーウィー」と鳴くので、ニュージーランドの 先住民のマオリ族によって名づけられ、お馴染みの 果物のキウイフルーツは、果実がこのキーウィに 似ているからだそうだ クマ。昼寝中 ここからは、お天気の良い日には富士山が遠くに 見えるらしい 最近も煙を吐いた浅間山の溶岩が、石垣に使われて いたりする 城だけではなく、なかなか楽しい懐古園でのんびり こんな一日も悪くない 平成21年6月27日に信州小諸で撮影
2009年07月06日
コメント(47)
昨年の7月中旬に訪れた、長野県伊那市の 神妙寺の紫陽花は、盛りを過ぎていたので 今年こそはと、来週には娘も用事があるし 少し早いとは思ったけど、先週末に旦那と 出かけたら、やっぱり少し早かったようだ なかなか花の盛りに出かける事は難しい 昨年は高値をつけて、悲鳴を上げていた ガソリンも、一時は100円前後にまで 安くなったので、気軽に娘の所に出かける 事も出来るようになったのだが、ここに きて、ジワジワと価格が上がり続けており 今では120円前後になってしまった 週末のETC限定の割引分も、本体購入費に まだ満たないというのに、ETC本体を 取り付けた旦那の車では、燃費が悪いので ガソリン代のかからない私の軽自動車で 出かけるという。ETC意味無ぇ・・・・ やっぱり、いくら高速料金が千円でもね 数千円もガソリン代を使って、おいそれと ドライブを出来るような人は限られているが 大型連休は帰省もあるので、話は別だろう 夏の大型連休では、週前半の月、火、水は 大型車の方が半額料金になり、帰省ラッシュと 分散をさせるみたいだ そんな訳で、私の車でいつもの国道。あぁ ETC効果・・・早くも我が家には無縁の 長物となったのか・・・ 水禽窟の爽やかな 音色でも聞いて、気を落ち着けて・・・・ 旦那は出かけたことが無かったので、またまた 養命酒健康の森に出かけてしまった。工場見学は 週末なのでラインは止まっていたが、団体など 大賑わいのようだ 敷地内を、徐行で車で走行しても良いと案内の方が おっしゃっていたので、歩いてはどうかなぁ~と 見学を躊躇していた創業者の銅像も、車窓から見物だ 敷地内には、弥生時代や平安時代の住居の遺跡もあった みたいで、住居が復元をされていた 都から遠い山深い信濃国であるが、やっぱ大昔から 人が住んでいたようだ。アルプスの麓でも・・・ ショップの近くの樹には、なにやら大きな巣が用意 されており、コードなども引き込まれていた 昼間はグースカ寝ているムササビの様子をモニターで 見る事が出来き、時たま思いついたように毛づくろい 先日はスイーツセットだったが、今回は700円の スパゲティのランチを頼んでみた。娘は前に売り切れ だった黒蜜のワラビ餅のスイーツセットだったのだが 私のスパゲティもかなり食べられた < ここからは6月上旬のときの写真 > 善光寺御開帳記念で信州の観光施設が割引になる 観光パンフレット(もう終了)を使って、以前から 出かけたいと思っていたのが、駒ヶ根高原美術館だ 何せ1000円が700円になるのだから、これは 出かけるしかない 石楠花の花を見物した日に、娘と共に観覧をしたけど 美術館の建物や内装もまた、とっても凝っていて楽しい 世界的なアーティストである松本市出身の草間彌生や 今は亡き長野市出身の池田満寿夫の他に、写真家の 藤原新也や、ロダン、ルオーの作品の常設展示がある 庭には、よくブログでも登場をしているので名前を 覚えられたと思うが、福澤桃介によって昭和2年に 天竜川に最初に作られた発電所の水車と、発電機が 置かれていた 駒ヶ根ファームスに立ち寄ると、挙式の事前の写真 撮影なのか、高原に花嫁さん また直売所には、鹿の角・・・これ、どうするの? < オマケの伊那グルメ情報 > よく利用をする南箕輪村の大芝高原で、人気の 大芝バーガーをぱくり。毎月15日に出かけると 250円のジェラードが2500円で11個の回数券に 更にジェラードを1個おまけをして貰え、娘もご満悦! 平成21年6月に、駒ヶ根市、伊那市、南箕輪村で撮影
2009年06月30日
コメント(55)
6月上旬、娘のところで信州の地方ニュースを 見ていたら、駒ヶ根にある「養命酒健康の森」で 芍薬(シャクヤク)の花が見頃を迎えていると 伝えていた。これは行かねばなるまい! 次の日に、午後からの授業のない娘を連れて 駒ヶ根にお花見ドライブだ。色とりどりの花は 薬の材料ではなく、観光客や地域の方の為の 観賞用に育てていると、係りの方が話されていた 牡丹が「花王」と呼ばれるのに対して、芍薬は 「花相(花の宰相)」と呼ばれるそうだ。更に 牡丹は樹木であるのに対し、芍薬は草だそうだ その根は、消炎、鎮痛、抗菌、止血、抗けいれん 作用があるそうで、漢方では馴染みの生薬であり 無論、養命酒にも配合をされている 前に工場内の見学はしたので、敷地内の散策路を 歩いてみると・・・これは! 時期は少し遅かった かもしれないけど、幼い頃から植物図鑑を見ていて 憧れていた銀竜草(ギンリョウソウ)ではないか! 初めて見る事が出来た。別名をユウレイタケという 養命酒健康の森には、ショップとオープンカフェが あって、少し一休みをすることにした。養命酒にも 使われている桂皮、烏樟、丁子といった生薬の入った スイーツをぱくり 健康に良いスイーツには、やはり健康茶で。なんだか お腹の中からホカホカしてくるような感じだ そんな、かわいらしい養命酒のスイーツにも そっくりな花が見られるのが、伊那市郊外の 伊那食品工業の「かんてんぱぱガーデン」だ 養命酒健康の森ほどは広大ではないが、ここも 美しい草花や、樹花などを楽しむ事が出来る それにしても、この時期は純白の花ばかりが 目につくような気がする。まっ白い樹花って 結構好きだ。季節は違えど、ヒトツバタゴ (なんじゃもんじゃ)や、木蓮とか この山法師(ヤマボウシ)の花もまた可憐な感じが なかなか良い これは、マムシの鎌首にも似ているからと 蝮草(マムシグサ)~! お~!! 迫力だ (白くないけど・・・ 話の種に) こちらにもオープンカフェがあり、緑を見ながら そよ風を感じながら、木漏れ日を楽しみ、寒天を 使った健康にも良いお料理などもいただける 平成21年6月上旬に長野県駒ヶ根市、伊那市で撮影
2009年06月24日
コメント(60)
全303件 (303件中 151-200件目)