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3月に同僚になったXさんは、約一カ月先輩の看護師と同行訪問して一人ひとりの患者紹介と事務所から患者宅までの道筋、ポイントになるケアなど一応オリエンテーションを受け、先輩の説明に「ハイ」とか「分かりました」と返事をしているので、分かっているものと理解し、医療処置が多い患者についてはもう一度念を押す意味で本人が行うのもそばで見る同行訪問をする中で、実際指導した内容と違うことを平気でしていることが分かった。 卒業してから20年もたっているので、看護学生や新卒の看護師に対するようなくどくどした説明が必要とは考えず、指導をしてきたが、全く持ってして、それが職場指導の方針として誤っていたことが露呈した。 感染予防のための基本的手洗いなんて、15年以上も前から医療現場では普及して各都道府県の衛生局の実地指導でも私服の監査官が現場の手洗いの実際を見て、必要な手順で必要な時間をかけて手洗いをしているかを確認して一人でもその方法に誤りがあった場合は注意されるようになっている。看学生が現場実習に入る前も、新卒の医師や看護師、検査技師などが病院に就職して先ずの実習はこの手洗いなのだから、勤務経験がある看護師が基本的手洗いを身につけていないなんて考えられないし、出来ないことを前提にして指導するなんて思いもしなかった。 気管カニューレからの吸引とか、清潔不潔の区別、屈曲拘縮している方の筋緊張の解きほぐし方、体温計のさし方、脈拍のとり方、血圧計の巻き方などなど、細かくこの方の仕事ぶりを見て行くと危なっかしいことばかり。 その上、注意したその時点では「分かりました」と返事をするので分かったものと信じて、仕事の仕方を見てみると全く修正していない。 看護学生なら、本人も出来ていないことを自覚しているので、指摘したことは確実に身につけて行えるようになったり、教えられたことがうまく出来ないでいればどのようにすれば出来るようになるかという質問をしてくることが多い。 でも卒業して20年もたって、本人ができていると思っていれば、指摘されたことが重要かという認識にもならないし、見たことも教えられたことも記憶として残っていない。 出来ると思っている人が、自分の力量の現実に気づくようになるには何が必要なのだろうか。 さらに具合が悪いことは、今の私たちの職場の欠点だが、患者や患者家族から指摘されたり苦情を受けたことを率直にその当事者を交えてどうすればよいか話し合える土台がない。 看護という仕事がら、誉めるより問題点を指摘しがちだし、患者の安全をまず第一と考えて当然の仕事ゆえ、しかも免許を持ち給料を得ている看護師に対して同僚でも厳しくしがち。看護師になったからには、仕事をしていくうえで先輩や同僚の指摘は受ける心持で過ごしてきたつもりだが、私だって職場が違って仕事の内容が違ったときには、手を平手打ちにされたり患者の前で怒鳴られたこともある。口惜しく泣きたい気持ちにもなったけど、その分勉強し続けて、お金も沢山使って今まで過ごしてきたのだけれど。 価値観の違いなどといったり、私も仕事の覚えが悪いから指摘できないとも言う同僚。 でも、そうじゃないだろう!! 一回、約一時間の訪問看護で約一万円(患者負担は千円未満だけど)をもらっている仕事をする以上、それなりの責任を全うする仕事内容になっていないと詐欺同然と思う。 指摘されても、指摘されてもそれを素直に認めないこのXさん。 余りに呆れ果てて、仕事が残っていたのだけどいたたまれなくってさっさと帰ってきた。 アーァ、イヤーな場面で終わった五月最終の金曜日。
2015年05月29日
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先週末から、Wさんが週単位で状態が急変する可能性が強くなってきた。 Wさんは60代の男性。癌による骨転移や肺転移のために、呼吸抑制や痛みが強くなって酸素吸入や点滴が始まった。 昨日は朝から体調が思わしくなく、午前中の訪問診察があり点滴が開始されたが、発汗が多量で酸素吸入を7l/分をしても酸素飽和度が改善せず、寝返りをするためにも痛みが強く着替えをしたくても家族二人では困難で午後の訪問看護を訪問介護を待っていらした。 午後4時前に訪問したが、午前中に開始した点滴がまだ半分以上残っていて、汗で浴衣がびっしょりであったが着替えも出来ず横たわっていた。呼吸はやや早く、脈拍は130回/分、酸素飽和度は90~98%。本人も苦しい状態が続いていたのでぐったりしている。 血圧などのバイタルサインを測定しながら、状態が安定しつつあることを伝えて、呼吸がしやすい体位にしたりエアマットを垂直に押して圧抜きをしたりするうちに本人も家族も落ち着いてきて、訪問介護のヘルパーさんが見えられるころには、ケアを受けるための本人の気持ちも体調も整ってきた。 浣腸と摘便、おむつ交換、全身清拭と更衣をヘルパーさんとご家族二人の計4人で手早く行って何とかすっきりした感じになってきたけど、土曜日からの苦しさで眠れない時間が長すぎて、ケアが終わるころにはウトウトされはじめた。 体調がすこぶる悪い時には血圧測定も本人の負担になるので、指先で測る酸素飽和度の測定と呼吸回数だけで状態を確認することにした。酸素を7L使っていても、酸素飽和度は88~96%と変動がある。呼吸回数は15回くらいで規則的、肺全体の動きも良く、顔色もマァマァ良くなっている。 痰を吸引するための、吸引機も届いたので、家族に吸引の方法と物品管理について説明し、睡眠中は呼吸中枢の働きが弱くなるので酸素飽和度も低くなりがちなことも伝え、夜間痰が絡まって呼吸が苦しそうになったらいつでも携帯電話で呼んでほしい旨を伝えて事務所に帰ってきた。 夜間に呼ばれた時にご自宅に直行できるように、仕事用の鞄を持って帰ってきて、いつ呼ばれてもすぐ出かけられるように、パジャマに着替えずに仕事服に着替えて仮眠をとるつもりで就寝した。 流石に熟睡できず、午前1時、2時、3時と一時間おき位に目が覚めたが携帯電話は鳴らず。 4時半空も明るくなり、携帯電話も無言のまま。 Wさんもご家族も少し眠れたんだろうか。 とにかく、無事に一夜が明けたとしたら良かった、かも。 ご家族はとこと根頑張られるので、ご家族で何とかされたのかもしれないけど、看護師を呼ぶような事態にはならなかったかもしれない。 とりあえずは、少しは安心できてほっとした朝になった。
2015年05月26日
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歩いて3分のところにあるお花屋さん(切り花ではなく家庭菜園用の苗、種、園芸用品を扱うお店)。 鉢の花を育て始めて、困ったことがあるとこのお花屋さんに出かけて色々と解決策を相談している。 昨年買った黄色い菊の花を冬越しが出来たのに、先週の大雨の後鉢の下にたまった雨をそのままにしていたところドンドン元気が無くなり水を上げても元気が回復せずにとうとう葉っぱの先まで萎れてしまった。土を変えたほうが良いか、鉢を一回り大きくしたほうが良いか、挿し木にするしかないか迷っていた。 グリーンカーテンをゴーヤと朝顔、夕顔で仕立てるために土を買うついでに、菊の花はもうダメなのか尋ねてみた。 ご主人の解決策は「菊は丈夫なのでまず10センチほど思い切って切ると生き返るかもしれないし、切った枝を挿し木にすればまた秋には花が咲くかもしれない。」 私「水が多すぎてダメになったのに、水を与えていいんですか?」 ご主人「土が乾いていなかったら水を上げちゃぁダメですよ。まず試してみて。枝先を切っても生き返らなかったら根が腐ってしまったかもね。でも、菊は丈夫だからね、やってみて」って。 苗の植え付けは涼しくなってからの夕方が良いとのことを以前教えていただいていたので、グリーンカーテンの苗を植えた後、菊の枝を思い切ってバサバサときり、切った枝先は挿し木にして、鉢に水をたっぷり与えて様子を見ることにした。 朝になって菊を見たら少し元気になっていて、夕方あと言っても20時過ぎに帰ってベランダの鉢を見たら、枝を切った菊は生き返っていて、挿し木の菊もみんな元気。 ごちゃごちゃと訴える素人の話の要点をピタッと把握して、解決策をごく簡単にかいつまんで伝える。 そして、その通りにしたら見事的中。 プロって凄いよね。こうでなくっちゃね。 私の仕事は、このお花屋さんのご主人のように、「根拠をしっかり伝えながら解決策を提示して、そのようにしたら見事解決」って、具合になっているのだろうか。 癌の末期でほぼ寝たきりの方が、尾骨や坐骨に褥瘡ができてその予防のためにベッドのギャッチアップ操作やエアマットを垂直に押して圧抜きをすることを何度も説明したのに、今日その家族のベッド操作を見たらまるで反対のことをして圧抜きをしていなかった。 褥瘡だけでなく、誤嚥性肺炎にしても予防できる方法はあるのだが、その解決策を説明して実際患者や家族の前でやってみたりするのだけれど、なかなかやってくれない。 私はまだまだプロになっていないな。 菊の花の起死回生を体験して、自分の仕事がまだまだ未熟なことを思い知った今日一日であった。
2015年05月25日
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救急車有料化問題について、コメントをいただきありがとうございました。コメントの中で有料化に絶対反対という意見は非常に少なく、やむを得ない、有料化にすべきというコメントのほうが多かった。私としては非常に意外であった。「救急車を呼んで怒られた」というお話もあり、救急救命士がのる救急隊員が現実にそういうことを市民に直接言うことがあることに驚いた。利用する立場からの一つの提案として、消防署が行う救急法についての講習会を一年に一回は受講して、怪我や病気を発見した時の初期対応について学んでおくことが必要。医療を学ぶ医師や看護師などの医療従事者ではないので、正確な診断をすることは難しいかもしれないが、少なくとも怪我の程度を悪化させないとか、誤嚥や痛みの増強を避けるなどの対処をしていると、病状の悪化が少なくなったりすることが多い。呼吸状態、体温、脈拍、意識の状態、痛みの程度や変化、痛みの部位など、その場でわかることを観察して救急性の程度を判断できれば、救急車を要請すべきか、ひまわり相談などに相談したほうが良いのか判断できる。転倒した時などは、痛みで動かすことができるか出来ないか、痛みが複数か、どの部位が痛むかで、アイシングと安静で翌日まで待って整形外科に行っても大丈夫かの判断ができる。そして突然の病気やけがに備えて、体温計、保冷剤、アイスノン、弾性包帯、清潔なガーゼなどを用意してあると良い。訪問診察や訪問看護を受けているお家でも、突然の病状の変化に対して体温や脈拍を測る、呼吸回数や呼吸が苦しいかなど、観察していない方もいるので、突然の変化に驚いてしまい冷静な対応が難しいことは理解できるが、状態を適切に観察して報告することでどんな対応が適切なのか、医療従事者としても判断の目安になるので、普段から練習しておくことが大事なのだと思う。救急車を呼んで早期の対応が必要なのに、救急車を呼ぶということにためらいを持ち、命を落とすようなことにならないように、やはり状態の見極めをすることが大事だと思う。かかりつけの医療機関がある場合は、その医療機関が救急対応をしているかどうかを確認しておいて、救急指定病院なら夜間や日祭日なども、救急対応をする医師や看護師が控えているので、迷うことがあれば電話で相談することもできる。大きな病院は、名前を言うだけでは患者を特定することに時間がかかるので、診察券の患者番号、名前(フルネーム)、誕生日を伝えるとすぐコンピューターで患者情報が検索できる。診察券、お薬手帳、病院からもらった検査データなどはファイルにしておいておくと非常に便利。かかりつけでない病院に受診した場合も、上記の3点があると、救急担当医から主治医の病院に問い合わせができ患者の病歴や状態などを知らせてもらえるので、より早い診断に結び付く可能性が高い。何も分からない状態から、診断治療するより、情報がある方がやはり早期診断・治療に結びつくので、日頃からの準備が必要だ。私は診療所の外来で働いたことがあるが、心筋梗塞なのに歩いて診療所にきたり、捻挫や骨折をしていてもアイシングもしないで数日過ごしていた方などいらっしゃったので、やはり一人ひとりが救急時の対処を身につけておくことが重要だと思う。
2015年05月20日
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一週間遅れの私のゴールデンウィーク。お部屋の夏への模様替え、姪の結婚式、国際薔薇とガーデニングショー、深大寺植物公園のバラフェア、植村直己冒険館、姪の新居訪問。今年のゴールデンウィークは天候に恵まれ夏日が続いた。お仕事だったけど、その後の私のゴールデンウィークは充実して本当に楽しかった。北海道の姉が結婚式の後一週間ばかり滞在してくれたおかげで、休日はお部屋暮らしをしがちだった私が、姉の誘いでお出かけの日々。今年の国バラは、といっても2回目の参加だったけど、緑の中でバラが生き生きして、造園家のガーデニングの中には植物を大切にして自然保護と都市緑化を意識したものが多く、緑のあり方や自然保護のあり方を考えさせてくれた。もちろん新作のバラの美しさは目を見張るものが多く、バラの香りとそのあでやかな姿に夢中になってお腹がすくのも忘れてしまうほど夢中にさせてくれた。午後2時過ぎ、カメラを手にして歩きまわった疲れが出てきて焼きサバとビールで少しほろ酔いになって、またバラを見始めた。ミニバラのピンクと黄色の2鉢を姉にプレゼントしてもらって帰ってきた。翌日は姪の新居訪問。仲よく力を合わせてシンプルに暮らしている二人。餃子パーティをして夕方までゆったり姪たちとおしゃべり。そしてその翌日、深大寺植物公園にまたバラを見に出かける。この公園は、姉が調布に住んでいたころ何回か訪れていたのだが、そのころは全く気がつかなかった広大な広さに様々な樹木と花が配置され、公園の入り口の針葉樹の林でまず足止め。巨大な松ぼっくりが落ちていて、いけないのだけれどいくつか頂いてしまった。10時半から公園のボランティアによる解説に参加。70代というそのボランティアの女性は、バラも育てていて植物学や薔薇の文化史にも造詣が深く、一時間の予定が1時間40分と超過して園内を案内してくれた。薔薇の見方:花の形、とげのつき方、香り、葉の形や色、茎の太さや色、作出した国による特徴、薔薇の名前に込められた願いなど、解説の内容が深く広くバラをこのように多彩な側面から鑑賞することを教えていただいた。深大寺植物公園で育てている薔薇の多くは、新作でまだ名前がついていないものもあるけど、多くはどの国でも栽培に適した育てやすくしかも美しいものを選んでバラ園としてバラの配置にも工夫されていた、園のどこにいてもバラの美しさを鑑賞できるようになっていた。お昼は深大寺そばを食べる予定であったが、昼食に時間をかけるのが惜しく、バラのソフトクリームとバラのカクテルでエネルギー補給してまたまた薔薇園に戻って写真撮りまくり。大きなエゴノキには花が満開で、時々木陰で休憩しながら閉園まで過ごす。流石にソフトクリームだけではお腹が空いてきて深大寺そばと深大寺ビールで食事をして帰ってきた。ゴールデンウィークを仕事三昧で過ごすことに少し不満があったけど、その後の私のゴールデンウィークですっかりその気持ちもやわらいだ。家族と過ごすゴールデンウィークも良いもんだ。余りにものんびり楽しく休日を過ごしたので、昨日からの仕事はどうなるのか心配であったが、職場に戻るとやっぱり仕事も楽しくヤレヤレ。
2015年05月19日
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財務省の地方財政審議会の発表資料で、救急車の有料化が提案された。発表資料を見ると確かに地方財政問題と、外国の救急車を有料化している国や自治体の例。財務省の財政審議会の委員を見ると法学もしくは経済学、企業の経営者などであった。大学院や大学での研究資料ももっぱら消防庁関係のもの。救急車で搬送されて入院した割合が50%を切っているとか、救急医療の担当病院の半数以上が救急車の有料化に賛成とか。有料化を後押しする資料が多い。現在の消防庁で作成している資料ばかりで、救急搬送されて外来医療で初期治療を受けてその後一カ月等経過観察して入院治療に切り替わったとか、再度救急搬送されたとか、そういった資料は無い。また、入院して軽快した患者の年齢分布や病名等の関係も不詳。現在の救急医療の現場では、医療機関ごととか都道府県単位とか、診療圏での細かい分析は出来ているのだろうか。救急車をタクシー代わりに使うとか、日中の外来に診察できずに救急車を呼ぶとか、救急車を悪用する例が列挙されている。救急車の搬送依頼について、消防署は救急講習会等行っているけれどそれが救急車の利用の適正化に貢献しているかについて検証されているのだろうか。救急車を要請してから救急車が到着するまでの時間の資料があるが、救急隊員が到着してから出発するまでの時間についての資料は無い。訪問看護に従事している私の経験では、救急隊員が到着してから搬送開始するまで約1時間かかったことがあった。下肢の動脈の閉塞で膝から下の血流を確認出来無い方の搬送について理解出来ないようで、救急病院の意思との対応で非常に時間がかかってしまった。結局その方は、外来で緊急検査と処置を行ったうえ入院されて一カ月後に亡くなった。救急隊員が救急車を要請された方の状態を正確に見極められるかはやはり万全ではないだろうと思う。救急車の出動に関しては、単に軽症とか重症とかという問題だけではなく、日常診療のあり方から患者教育の問題、公衆衛生でカバーできる分野は無いのかとか、さまざまな問題が複雑に絡み合っていると思う。超高齢化が進む中で、高齢者の急変について確かな判断力が無いと、重症なのに軽症と誤診されたり治療のタイミングを失ってしまうことも多いのだと思う。救急車の有料化については、ERに従事している方、在宅診療を担っている方、さまざまな医療従事者のご意見を伺ってみたい。私個人としては、有料化には反対だが、救急外来の受診や救急車についてそれを利用する地域の方に、一つの公共財として有効に利用するためにどうしたらよいのか考えてもらいたい。様々な分野で真剣に検討しない限り、この問題は解決しないと思う。そして非常に恐れることは、有料化によって年金生活でぎりぎりの生活している方や一人暮らしの方などは、今でさえ受診抑制をしているのに、もっともっと医療にかかれなくなってしまうことだ。
2015年05月12日
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土曜日一日かけてパンプスを探したけれど、とうとう出てこなくって。しかも結婚式用のロングのスーツも行くえ不明。仕方なく、日曜日イトーヨーカドウの開店時間に間に合うように出かけてホォールウェア売り場でスーツと小物をそろえパンプスを買って結婚式場に何とか家族の顔合わせの時間に間に合う。 姪は白いウェディングドレスがとっても似合い、彼も白いスーツ。二人の両親は終始満面の笑みで何とも幸せそう。 姪は末っ子、彼も三人兄弟の末っ子。姪は中学一年生の入学式で彼に出会い、その時「このひとと結婚するときっと自分は幸せになると直感した」そう。姪からのアタックで高校生になってから付き合い始めかれこれ10年。長い春に終止符を打って晴れて夫婦に。 13歳の少女の直感が実を結んだというわけ。 人間的に正直で優しい。そういう人を直感で探し当てた姪の人間を観る目の確かさに驚いた。 披露宴で彼のことを紹介する中学生時代の恩師も彼の上司も、「嘘を一度もついたことが無い真正直な人間」と表現した。中学生時代は、どうも担任教師を困らせ、母親は数え切れないほど学校に呼ばれたという。言い訳や弁解もしないで、事あるごとに彼の責任と思われてどうも問題児として扱われていたよう。 弁解もしない代わりに廻りの大人に合わせていい子ぶりッ子もしなかいことで、誤解されてしまうことが多かったようだ。 チャペルでの結婚式で同級生の何人もが「涙が止まらなくて困った」と話をしていた。 多分二人の付き合い始めていたころからを知っている友達がその付き合いの経緯を思いだし、めでたく結婚に至ったことを喜んでいたのだと思う。 シンプルで美辞麗句が全くない、ただ二人を祝福し、その幸せを皆で感じあったパーティ。 披露宴の食事はフランス料理で、薄味で丁寧に調理されており、お酒はシャンパンから始まり、ビール、ワイン、日本酒とどのお酒も美味しく赤ちゃんのころから知っている姪の姿にすっかり気を良くしてドンドンお酒がすすみすっかり酔っぱらってしまった。 地下鉄で無事帰ってきたのだけれど、ベランダの野菜たちに水を上げてからなだれ込むように眠ってしまって、ふと深夜に目覚めた時テーブルの下に置いたお財布やらの荷物を持ち帰ってきたか心配になり朝になったら電話をしようと思ったのだけれども、荷物の中にはスマホもクレジットカードが入った財布も皆入れてあったことも思いだして、ホテルに行くお金もないかもしれないと心配になり、仕方ないので交番でお金を借りるしかないとまで思いつめてしまった。 朝目が覚めて、玄関に出てみるとバッグも引き出物を入れた紙袋も打ち捨ててあった。 お財布が手元に戻ってきたことがこんなにホットするものか・・・。 北海道の姉(姪の母親)は、友人や子供たちと過ごすためにしばらく我が家に御泊まりするので昨日の夕方やってきて、 結婚式で酔っぱらった私を「ご機嫌で気持ちよさそうに過ごしていた」と、姪たちが話していたときかされた。 ドタバタしたけど、無事にお式に参加でき皆の幸せに酔っぱらってしまった日曜日であった。 還暦を過ぎた兄弟姉妹も皆元気で、姪や甥たちもそれぞれが家庭を築いて着実に歩んでいることがおばの一人として何とも言えない幸せを感じる。二人から始まった家族がどんどん大きく成長していく。平凡でごくふつうの家族が色々な困難を乗り越えて、ともに集うことができることが幸せなことだと思う。 仕事で出会う患者さんの一人ひとりも、そういった歴史を紡いで生きていることを忘れないで接していきたいと思う。
2015年05月12日
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4年前、半年以上かけて断捨離して随分シンプルな生活にしてきたつもりだったが、物をみるとすぐ「すごい!」「べんりそう!」「色がすてき!」とかそのものが立派なものに見えてつい買ってしまう癖がある私。一方、飽きっぽさもあるので、いつの間にか忘れてしまって戸棚の中にしまったまま。 明日は姪の結婚式があって、スーツは見つかったのだけどパンプスが靴箱にもないし、押し入れにもないし。探しもののついでに冬ものを片付けよとしたところ同じようなものが何枚もある。去年の秋はなんだかせわしなくって最低限の衣替えで、面倒な時には夏物を重ね着していたところ、フリースなどは薄いものがあれば大丈夫だってことに気がついた。 吸湿速乾機能のある夏の下着を着ておけば、入浴介助で汗をかいてもすぐ下着が乾き、寒い戸外に出ても体が冷えない。上着、靴下、靴、ズボンの保温機能がしっかりしていれば、インナーに冬用の暑い肌着を着なくっても東京の冬は越せる。 東京みたいに冬の寒さがそれほどでもなければ、単独冬にしか着ないようなものはそうそう必要ではないのかもしれない。 そうと気がついた私は、冬ものをドンドン整理することにした。着る衣服の色を変えて気分転換するとかといった鬱のときの気分の盛り上げようとしたルールも昨日で失効させ、必要最小限の枚数にする。でもここで心配症の私は、もし首都直下型地震がきて洗濯できない日がやってきたら10日分化2週間分はあった方がいいかなどと、雑念が浮いてきてしまう。じゃぁ、1週間分。と、決めても不安が治まらないので、とりあえず1年たって全く使わなくなったら処分するという袋をつくってそこに一時保存することにした。 これで学生時代から使ってきた洋服ダンスと箪笥を処分することが出来るだろうか。 ずっと昔は、箪笥や洋服ダンスしかなかったし、ウールとか虫がつくということもあって箪笥が洋服ダンスも必要だったが、今は木製の箪笥などなくっても、フリースとか化繊のものが多くわざわざ思い箪笥など必要で無くなってしまった。 箪笥を処分できたら、オットー付きの木製リクライニング椅子か日本製のしっかりした作りのソファを買いたいなぁ。 近くの肉屋さんのアジフライとイカフライが200円。スタイルフリーのビールでちょっと昼食をして、あと半日片付けで頑張る。パンプスが出てこなかったら靴を会に行かなくっちゃ。
2015年05月09日
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今まで患者さんから苦情をきくことは色々あったけど、「時間内に仕事を終わらせたいのでおしゃべりはしないで!」って患者さんに言いきってしまう看護師がいるなんて、初めて。 大腸がんの末期で、10時間に及ぶ手術を受けて横行結腸にストーマがある患者さん。不整脈やら心不全やら、脳梗塞になり右半身不全麻痺の患者さん。 夫を10年来介護し見送った途端、、大腸がんが分かりなんとか手術後5年間を無事過ごせたその時期に脳梗塞になりさらに不自由になりながら、健気に生活をしている。お子さまたちも色々と病気があり、生きているだけで様々な不安や心配ごとで不眠になったり、時々心房細動を起こしている方。毎日が不安で不安で仕方なく、週3回の訪問看護で色々とご自分の心配ごとを話すことで多少は気持ちが楽になっている方に、「おしゃべりをしないで!」って・・・。 ビックリするやら、あきれるやら。 患者さんのお話を傾聴するなかで、どうケアをすることが必要か、それを考えながら必要な処置をするのが看護だと思っていたが、処置を時間内に終わらせないのが看護師個人の力量の問題と考えず、患者が話をすることが原因と短絡して考える看護師は何をすることが看護になると考えているのだろう。 この看護師、脊柱管狭窄症の患者さんから「左手がしびれているので右手の爪を切ってほしい」と言われたのに、時間が無いから切れないと断ったこともあった。片手の爪切りくらい、2~3分で終わるのに、どうして爪くらいきれなかったのだろう。 新人看護師や若い看護師なら、正面から患者からの苦情を伝えて、いろいろ話し合うのはそうそう難しくないのだけれど、40代半ばの看護師にどう話をすればよいのだろう。 どう話をすればよいか迷ってしまう私も情けない。 件のおしゃべりをしないでと言われた患者さんも流石で、この看護師がケアの方法が分からずに結局ご自宅にいた息子さんにケアの方法を教えていただいた時、訪問時間が7分間超過していたので、「今日は7分過ぎてしまいましたね」と声をかけたという。 訪問看護や高齢者の看護に不慣れな看護師に、時間のことしか注意しない上司も上司だけれど、そもそもどういうケアをすることがその方の生活を守れることになるのか、それを考えずにただ処置をすることに追われてしまう看護師のあり方ってなんだろう。 身を削って仕事をしなさい、とまでは言わないけれど、看護師の言動でその方の生活が暗いものになってしまうことをしっかり考えてほしい。 明日から五連休になるのだけれど、休みの前のこんな苦情をきかされて心穏やかでない。
2015年05月08日
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昨日は法人内の訪問看護ステーションに支援。 練馬区の光が丘の近くのステーションなので、緑、緑。新緑と若葉。 サングラスと手袋、日焼け止めクリーム。毎年ゴールデンウィークは早々と夏日。昨日も例外なく昼近くには気温がぐんぐんとあがる。都内でも畑が多い練馬区なのに、最高気温は都内でも一番になる日も多く、板橋と比較しても2度位高い。 住宅街の道は曲がりくねっていて行き止まりも多いけど、川越街道を中心に路地に入っていくと迷うことを防げる。この川越街道、歩道が広くってガンガン自転車を走らせても全然安全だし、お巡りさんに怒られてしまうけど時々信号無視も出来てしまう。 支援五日目にして、やっとどこの街がどこの隣だとか、線路を越えたらどの街になるとかやっと分かるようになって地図を片手に目的地に行けるようになった。 練馬区にはカワセミも棲息するという光が丘公園があって、桜並木も立派で、ちょうど今は新緑と若葉でめまいが起こるほどまぶしい。仕事は仕事だけど、自転車で移動中に巡り合える風景は神様からの贈り物のよう。 五月の勤務表がどうなっているか分からず、今日出勤したらなんと五日まで連続勤務で、四日朝まで携帯当番だって。確かに、ゴールデンウィークは働きますって宣言したけど、最初の三日が携帯当番で始まるとは。小さい子がいる職員は、家族が休む日に休めないと家族が一緒に出かける日が無くなる。小さい子がいない職員は、働いても仕方がないと思っているけど、のっけから六日連続勤務なんだとちょっとがっかり。 ゴールデンウィークはワーキングウィークなんだ。 今年の秋のシルバーウィークも長期の休みになるけど、きっとワァーキングウィークになってしまうんだろうな。 夫婦共働きで子供の成長に問題が発生するとは一概に言えないけど、夜勤があったり祭日の勤務があったりする看護師の子供の不登校やら引きこもりは多い印象がある。職業柄、患者が急変したら終業時刻になっても仕事は終わらないし、定時に変えることがままならないこともある。 看護師の圧倒的多数は女性なので、結婚、出産、子育てといった時期に仕事を辞めてしまう同僚も多かった。小さい時には親の立場に沿っていい子であったのに、高校卒業前後に引きこもりになって悩んでいる同僚の話も聞く。 子供のいない私は、協力を惜しまないつもりであるけど、いつもいつもでは、ちょっと不公平のような気もしてしまう。 自分の気持ちながら、心が狭いような気もするのだけれど、なんだかね。
2015年05月01日
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