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今現在は、眠剤を服用しなくても眠れるし、朝の目覚めもよい。テレビをつけっぱなしにしなくても不安にならないし、映像を見なくても過ごせる時間が増えてきた。
抗うつ剤の中止で、どんな風に自分の体が変わってくるのかと焦らずに様子を見てきた。薬の刺激で脳が動いていたためか、中止して数か月は何とも言えず調子が上がらない。仕事をしないと暮らしていけないので出勤日にはある種の社会的強制力が働いて、朝に起きてコーヒー牛乳を飲んでいるうちに少しずつ目が覚めていって、顔を洗い着替えをして出勤。職場に行けば仕事は普通に(自分では普通にできていると思っているが客観的には?)して、ご飯を作ったりするのは面倒なので夕食を外で済ませて、帰宅するなり横になりグダグタと過ごし、なんとな眠りにつく。
仕事があるから、洗面や更衣をするがもし仕事がなければ、本当に引きこもりになりそうな。
抗うつ剤を服用していたころもそうだったが、とにもかくにも家事が面倒で面倒で、目の前にごみが落ちていても、ごみで死ぬことはない、とか言い訳をして、まぁいうなれば昨今問題にされている「ゴミ屋敷」に少しずつ近づいていく。水道、トイレ、浴室が使えて、眠るスペースがあれば生きていけるものだと実感。息をするだけだったら、そうそう広いスペースはいらない。音と映像があると(つまりテレビとパソコン)、人間である雰囲気があって落ち着いていられる。
酷いうつの時と違って、鉛のような体の重みや頭痛、倦怠感はない。横になっていても非常に心地よい。何にもしないでただぼーっとしている心地よさみたいなもの。その心地よさの中にずっといたいという感じが強くって、しょうがないので仕事には出るけれども、玄関を開ける気持ちになれない。のどが渇く水を飲み、腹がすけばラーメンでで空腹を満たせばそれでよしという感じ。職場でなら活字を読めるのに(仕事のためだから)、家では活字を読みたくならない。パソコンで検索をしたりするのはできるので、新聞や雑誌を読まないがネットはOK。本のページをめくるよりクリックして画面が変わるほうが楽なのだろうか。
ごみを捨てるのも窓を開けるのもしようとも思わず、家事をしないことに罪の意識もなく、2年続けた緑のカーテンを今年せず。先日、スマホに登録されていた写真を見ていると昨年までの夏の朝顔やゴーヤやトマトとの花などがきれいでびっくりしてしまった。「こんな暮らしを続けていてどうなってしまうんだろうか」とふと心配になることがあったが、いずれは元気が戻るので焦るのはやめよう、と言い聞かせて元気が戻るのを待つことにした。
五月の中旬まではあんなに休日に外出していたのに、夏も秋も電車に乗ることもなくお家暮らし。体の芯から何かをしたくなるまで待つことにした。小さい子供がいたり、お世話をしなければならない家族がいればこんな風に暮らせない。うつ病は再発しやすい病気だけれど、食べていかなければならないとしたらお薬を中止することよりも、服薬し続けて暮らしていくという選択をせざるを得ない。自分のために自分の時間をぜいたくに使うということも治療に必要なのだと思う。
したくなってくることからいろいろなことを再開しようと心に決めてしまうと焦りに気持ちは少なくなってきた。還暦を過ぎて、早々焦る必要もないということもある。
仕事の日でなくても、シャワーができるようになり、ごみ出し、トイレの掃除、洗濯もののたたみ、部屋の掃除と少しずつできるように。そしてたまに買い物をして夕食作り。今週は国産レモンが安く手に入ったので、レモン酒つくりも。今日はやっとベッド周りの「積んどく本」の整理。使わないものと使うものを分類。音声付き画像(テレビやユーチューブ)は受け身で済むが片づけは考えて手を動かす、こういう社業にはエネルギーが必要だったんだと。
いわゆる不精な暮らしを半年もしていると、訪問したお家にごみがたまっていても床に汚れが見えても、「いやいや、私の部屋だって相当なものだぞ。掃除や片づけをしない何かの事情があるのか」と思ったりエネルギーを他の何かに注いでいるのだろうかと考えたり。またきれいに整理しているお家を見ると、相当生きる元気があるのかとその人に可能性を感じたり。情けない自分がいることがわかると、他者に「べき論」の眼で見ないようになる余地が出てくる。
今回の休薬は、計画的に行ったのではなく、中断の結果のたまものだけれども、いずれは何とかなるという気持ちでやり過ごすことができた。
どうしてそういうことができたかというと、時々貧乏でもあきらめずに五人の子供を育ててくれた両親や祖父母の姿を思い出し、あの父母の子供なのだから、きっと何とかなるはずと信じた、信じようとした。
とりあえずそんなわけで、何とか新しい年を新しい気持ちで迎えられそうだ。