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はっち6458 @ おはようございます 毎度お騒がせしています。 いつもお心使…

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かめちゃん☆

かめちゃん☆

2007.01.15
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カテゴリ: 心理学関連
生涯発達は、人として母親の胎内に受胎したときから死に至るまでの長い一生の間の発達のことを指しています。アメリカの心理学者バルテスは、発達は全生涯を通じて常に獲得(成長)と喪失(衰退)とが結びつき起きる現象であると述べています。これは人の発達は成長し発達するばかりでなく、衰退していくものも含めて考えるべきであるという視点です。



認知の立場から発達を考えると、今までの数多くの心理学的理論が崩れます。たとえば、ピアジェの発達理論などはその代表例でしょう。
ピアジェは発達心理学にとっては「巨人」といわれるほど重要な役割を果たしましたが、死後すぐ、同じフィールドから批判が噴出し、今ではその理論を見ることすら難しくなっています(発達心理学の教科書にはいまだに載っていますし、児童心理学などでもよく引かれる理論ですが、実際にはすでに終わったといえます)。
これはピアジェの考え方そのものが根本的に間違っていた、というわけではなく、ピアジェの見方はよかったのだけれども、少し見方が甘かったというか、やり方が下手だったと考えたほうがよいでしょう。
たとえば、ピアジェによれば、赤ちゃんは極めて限られた認知的能力を持ち、それはたとえば動くものを追いかけて見たり、注視する程度とされています。そして成熟に伴って、いろいろな能力を獲得していく、と考えていました。
しかし、最近の研究では必ずしもそうではない、と考えられており、これらは「コンピテンス研究 competence reserach」で明らかにされています。
たとえば、ピアジェのいう「感覚運動期」つまり、新生児の頃は先ほども書いたようにほとんど反射的な反応しかできないと考えられていました。
しかし、実験してみると生後10ヶ月の段階ですでに外界の対象を1つの独立した存在として捉えることができることがわかっています。また数に対する初歩的な概念があることもわかっています。
たとえばこんな実験があります。

ここで、スクリーンをどけるんですが、そのとき、実験者がどちらか片方のおもちゃを除いてしまい、1つだけにして提示します。つまり、本来なら2つなければいけないところを1つにしてしまうわけです。
すると、おもちゃを除かないときに比べて、赤ちゃんの注視する時間が有意に長くなったのです!
これはつまり、1 + 1 = 2というある意味計算ができると考えられ、数の概念を持っていると判断できます。つまり、1 + 1 = 1?なんだそりゃ?ってことで、注意して見るようになった、と考えられるわけです。
また、こんな実験もあります。
生後2ヶ月の赤ちゃんに「ある特定の大きさの立方体があると母親が出てくる」という条件付けを施しました。このあと、大きさの異なる立方体を見せたんですが、このとき、そのものとの間の距離をいくら変えても赤ちゃんは条件付けられた立方体に反応したのです。これは知覚心理学でいうところの、大きさの恒常性が成立していることを意味しています。
ピアジェの説で重要な「保存の法則」もすでに4ヶ月の赤ちゃんで見られることがわかっています。物理的な法則についてもある程度は理解できていると指摘されています。ピアジェが6歳くらいにならないと成立しないと言ったのに比べると、えらい違いです。
メタ認知である他人の考えや感情をどのくらいから認知できるか?といったこともすでに研究されています。これによると、たとえば、
誰かがお菓子を引き出しにしまう
→外に遊びに行く
→お母さんがお菓子を見つける
→お菓子を台所の棚に移す

なんていうスクリプトを見せたあと、「遊びから帰ってきた人は今、どこにお菓子があると思っているでしょう?」と質問を投げかけます。すると3歳児では「台所の棚」と答えるのですが、4歳児では「引き出し」と答えたといいます。
つまり、4歳頃からこのような他人の視点に立った認知ができる、と考えられるわけです。
このように、古い発達心理学が考えてきた理論はここ20年くらいでかなり消え去ってきています。しかしこれらはいまだに教科書には残っていますから、注意するようにしましょう。
さて、この能力が生得的なものなのか、経験によるものなのかはまだなんともいえない部分があります。確実に生得的といえるものがあれば(たとえば、生まれる前、お母さんがお腹の上から落語を聞かせていた赤ちゃんは、生まれたあと、落語を聞くと泣きやむことが研究によって明らかにされている。落語、というところが日本でやった実験らしいですね)、どうにも微妙なものもあるのです。
ただ、赤ちゃんは予想以上に高い能力がある、という視点に立つことが、重要だと思います。




イメージは時間や場所に関係なく、心の中に思い浮かべることができます。どうとでも扱えます。
でも、何でそんなことができるのか?
これに突っ込む時のキーワード、それが「心的表象系」です。定義してしまえば「イメージ(観念や概念ではない、視覚的なもの)や映像を主体とした記号」といえるでしょう。
実は心理学の創始者ともいえるヴントの時代は「内観」という手法でこのあたりにアプローチしていました。つまり当時は意識化されたイメージを報告することが問題ではなかったのです。
しかし、ビュルツブルグ学派という一派から「思考過程は必ずしも意識化されるわけではない」という反論が起き、内観の妥当性に疑問を呈しました。さらに時代は突き進むと行動主義の時代になり、内観はおろか、イメージそのものがもうすでに科学的でない、という理由で(あってもフィクションだとされた)、学問として拒否されてしまい、イメージ研究は内観によらない研究法ができる1970年代まで、ほとんど扱われなくなってしまいました。
つまり、ある意味人間として当たり前な「イメージ」というものに心理学は100年以上の時間をかけているのです。そして、また、他の心理学分野と同様、まだちゃんとしたことをいえないのが、現状です。
なのでここでも、すらすらっと、今言えることを述べましょう。
問題の内観によらないイメージ研究を開発したのはペイビオという学者です。ペイビオは「ある対象が知覚され、記憶されるとき、心象化され、言語化される」として、研究ではまず伝統的な対連合学習を下に「具象性の高い(抽象性が低い)語同士は、具象性の低い(抽象性が高い)語同士よりは再生率が高い」という結果を見出しました。
しかしここでよくわからないものが1つありました。それは再生率の順が「具象性が高い同士→具象性の高い語と低い語のペア→具象性の低い語と高い語のペア」の順だったのです。ここでペイビオが考えたのが、イメージでした。
「ある単語が長期記憶の中にイメージとして保持される場合、それはより、よく記憶されるだろう」
ペイビオはそれを確かめようとして「自由再生法 method of free recall」という方法を使って研究を行いました。方法の説明は略すとして(重要ですけどね)結果を述べてしまうと、
「刺激としての絵は単語に比べてよく記憶される。また、具象性が高い語は低い語よりよく記憶される」
こういうことになりました。そこから「2重符号化仮説」という理論が生まれます。簡単に言ってしまえば、絵は覚える前にイメージ化されてしまい、具体的な言葉はイメージとともに言語的に記憶される、抽象的な言葉は言語的にのみ記憶される、という説です。イメージと言語の2重に符号化されるというところがポイントです。
知覚心理学の世界では、イメージがどのくらい知覚に干渉するか?ということをテーマの研究が行われています。「ブルックスの図形課題」とか「メンタルローテーション」とかがそういった例です。
ここで「マッカロー効果 McCollough effect」というものを例に挙げましょう。下のリンクをクリックして、実際に体験してみるがよし。ちょっと時間がかかりますが、不思議すぎて笑っちゃうかもしれませんよ!
1枚目の画像、これをまず1分、じっと見てください。そしたら、2枚目が出ます。これも1分見ましょう。最後に3枚目が出ます。そのとき、びっくりするような何かが起こるはず!
[マッカロー効果を体験する!]
……さて、ここから先はマッカロー効果を体験したものとして話を進めますね。実はこれが、イメージだけでも起こる、ということがわかって、イメージ研究の世界で大騒ぎになりました。
これを発表したのはコスリンという学者なのですが、彼によれば「イメージは一時的に視覚情報を貯蔵するところ」で、それが長期記憶からの情報を呼び出し、現実の知覚との間を調整するその機能も持っている、としています。
つまり、「イメージは一種のワーキングメモリーだ」というアイディアです。
コスリンはそれを「PET posititron emission tomography. 陽電子放射断層画像法」というものすごいでっかい、脳の活動状態を見る機械を使って確かめています(たまにテレビで見ますね)。もちろん、これに反対意見を持つ学者もいますが、かなりいい線いっているのではないか、と捉えている人が多いようです。
また、よく右半球はイメージをつかさどっている、なんていう話がありますが、それはあながちウソではないことがわかっています。1993年、菱谷氏が行った研究をちょっと引いてみましょう。
この研究ではまず被験者にある形を提示しました。そしてそのあと、被験者にそれを思い起こさせ、それと同時に右、あるいは左手でタッピング(指で叩く動作のこと)をさせました。つまり、タッピングが形を思い起こすのにどれだけ干渉するか、ということを見ようとしたわけです。
測定はさっきのPET。結果はこうなりました。
「高イメージ群では、左手をタッピングしたとき、イメージ生成に著しい干渉があった」
「低イメージ群では、右でも左でもあまりたいした効果はない(右のほうが干渉したときすらあった)」
知っている人も多いと思いますが、、動作系は右と左を反転して大脳半球に伝わります。
「もしイメージ生成が右半球の働きだとしたら、体の左側の動作が大きな干渉効果を持つと考えられる」
この実験はそれをある意味指示する結果を示しているといえるでしょう。
ということで、なんだか研究をずらずら並べただけになっておりますが、イメージ研究は最近のトピックであり、またいろんな機械(PETもそうだし、function MRIとかもそう)が登場している段階です。これからに要注目、といったところで、ここでは止めておきましょう。




アタッチメント

愛着の理論を提唱したのはボウルビィである。戦後すぐ1940年代後半頃。

施設の子どもたちの持つ精神不安定の原因を、養育者と子どもの間の情緒的な絆の欠如にあるとした。

その情緒的な絆を、「愛着(アタッチメント)」という用語を使って説明した。

乳幼児は、自分は無力でなにも出来ない代わりに笑ったり泣いたりする発信行動を示す。

その発信(シグナル)に対して、適切かつコンスタントに応えてくれる養育者がいれば、その相手との間に愛着が形成されると考えた。

この愛着とは、自立に深くかかわる。

というのは、子どもと養育者との間に、この愛着が形成され、子どもが安心感を持つときに限り、

その子どもは本当に自立をすることができるのである。

自立と孤立とは、似たようで、実は大きく違う。

自立とは、先に説明したように、安心感の中でこそ、愛着を機軸とした上に築かれるものである。

それに対して孤立とは、養育者に依存してしまっていた状態から脱却しただけであり、結局精神的な自立は出来ていない。

表面的には一人立ちしたように見えるが、実際には単に子どもが周りから孤立してしまい、一人ぼっちである。余計に危険である。






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Last updated  2007.01.15 23:07:56
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