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はっち6458 @ おはようございます 毎度お騒がせしています。 いつもお心使…

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かめちゃん☆

かめちゃん☆

2011.03.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
前回の日記に書かせて頂いた楽天を通して知り合った はっちさん
ブログの転載許可を頂きましたので
こちらにご紹介させていただきますね


「庭師さん」 からも宜しくお願いしますとの声をいただきました

物資は運搬方法や燃料の問題あるいは渋滞による救出および支援物資の運搬の遅延を引き起こすということで
個人の搬送は控え、義援金でお願いします
と各地でいわれています


通常はライフラインが寸断されても、3日間非常備品で自分でのりきれば

と言われていました

せまい日本ですから、道さえあれば、他市・他県から救援の手が差し伸べられるということが前提で自治防災をしているところはたくさんあります


ところが今回は、津波で家財・生活の生命線いっさいがっさいを持っていかれてしまった状態です

道路は流され崩れ落ち、他市・他県との交通網・連絡網が寸断されてしまい72時間以内に救出されれば助かるであろう命も
その後は残念なことに救命生存率は急激に下がっていきます


そして寒さと雪

原発の事故


通常自然災害後1週間経過するころには、立ち直る為のこころがまえを確認する時期だったり
初期のPTSDが顕著になる時期だったりします


けれども未だ救援物資が満足に届かない


助かった と喜びあえていない




まだ・・・まだ空腹と寒さと恐怖と不安と孤独と・・・様々な試練をつきつけられている方々に


私は何ができるでしょうか



楽天日記でも少なからずリンクしてくださっている方々に、セラピスト、カウンセラーに類するお仕事をされている方がいらっしゃるので

今夜は、被災地の方のブログをお読みいただいて

あるいはセラピーや福祉、カウンセリングの大前提である

『個人のニーズを確認すること』

等々、ご一緒に自問自答していただけましたら幸いです




~ ~ ~ 転載ここから ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


『地震・津波・体験してわかること』

先ほど、楽天ブログ仲間の「庭師さん」から電話があり

自分の日記に、救援物資の呼びかけを書いたので、知らせてほしいとお願いされました。

なので、全文、転載させていただきます。

ですがその前に、私の体験を少し書かせていただきます。

私は昨日まで塩釜の避難所にいました。

家族でいました。

避難所の風景は、テレビや新聞で報道されています。

私のいたところは公民館でしたので、会議室を利用させていただいていたのですが

恐怖の体験をし、怪我はしていて、お化けのような顔の自分でも

自分は命が助かったのですから、何かしなくちゃと思いました。

津波がひいた後?自宅にもどり、全部のストックしてあった食料を持ち出して

避難所に寄付しました。米があったし。

そして、私はカウンセラーです。同じ怖い体験をした人同士

その方の気持ちを察して、少しでも恐怖の記憶をやわらげるべく

お話しをきいていました。

地震・津波から一週間。徐々に顔の腫れやからだのあちこちのあざが薄くなっています。

車を運転中に津波にのまれ、車から投げ出され、家族とも会えずに

でも、助けられ、家族とも会えずにいた人。

職場まるごと津波にさらわれ、自分はおやすみだったから、難を逃れた人・・・

家族全員を失い、家も職場も失い、たった一人になった人。

様々な方のお話しを聞きながら、ともに泣き、ともに冥福を祈り

ともに頑張ろうね・・・と、寄り添う。

そんな時間を過ごしながらきました。

福島原発にも女川原発にも知り合いがいます。

私の親戚も亡くなりました。行方がわからない友人も親戚もいます。

母も父も高齢で、まして、母は全身打撲で動けません。

私は身体が痛いといったら、きっと自分もうごけなくなると思うから

痛いとは思わないようにしています。

でも命があります。今の自分に出来ることをしていきます。

しかし、先に書いたように、食料はほとんどありません。

ガスは来月まで来ない。水道も来てない。電気は来てます。

家の中はぐちゃぐちゃ。床下は水がはいりました。

でも少しずつ片付けて、カフェ森遊を開いて

相談、カウンセリングは再開しようと思います。

ヘルパーの仕事はなくなりました。

娘も夫も職を失いました。息子も自宅待機。聞こえはいいけど

仕事復帰は難しいでしょう。

食料品を買いたくても、店が開いていても、買い物をするお金が無かったら・・・

避難所では、何かしらの食べ物を食べることはできていました。

でも自宅で耐えている人たちは、何時間も給水車の列に並び

わずかの食料でしのいでいます。

被災にあわなかった友人が、家においでとよんでくれましたが

そこまでいくガソリンもありません。

わたしはこれまで、避難所でたくさんの方のお話しをきき

自分の無力さをかみしめていました。

そして、さまざまな理由で、ネットにつながる事がこわかった。

でも自分の生存を知らせるために、携帯から書き込みをしました。

いまは自宅でパソコンを開いています。

あの子もこの子、あのひとも、自宅に帰りたかっただろうな・・・と

いう思いをかみ締めながら、涙がとまらず、キーボードがよく見えません。

右目を怪我しているせいもあります。右目はほとんど見えませんから。

ながなが、かきましたが、庭師さんの日記、以下、転載です。

皆様よろしくお願いします。

庭師の風流日記「玉川造園・塩釜」

先ほど、ニュースで見たのですが、

 福島県のいわき市にはまったく物資が届いて

 いないとのこと。

 原発の風評被害で、物資の運送が敬遠されて

 いるとのことでした。

 このままでは食料も届かず悲惨な状態に

 なるというメッセージが多くよせられていました。

 いわき市には従姉がいます。

 夢をもって仕事をしている従姉に突然、地震が

 襲いました。

 母親が本人の無事を確認しましたが、

 今度は物資が届いていないと。

 なぜ従姉がこんなことにならないといけないのでしょか。

 塩竈からいわき市はこのガソリン不足の中

 親であっても行くのはあまりにも困難です。

 彼女だけではありません。

 多くのいわき市の方々のためにも物資をいわき市に

 届けてください。

 このブログを呼んだ方はいわき市に物資を届けて

 下さいと呼びかけてください。

 よろしくお願いします。

以上

ここからまた「はち」

運送会社が動きたくても、ガソリンがなかったり

運転手が津波にのみこまれていたり

道路が寸断されていたり

さまざまな事情があるとは思います。

私の甥っ子も運転手です。津波にトラックごと飲み込まれました。

でも命からがら逃げることができました。

塩釜市でも、クロネコのひとが、トラックごと十キロほど流されて

助かったそうです。その方たちも仕事がなくなっています。

でも身体は動くから・・・とボランティアをしています。


このブログを読んでくださっている方々へお願い


人は、頑張っているときに、頑張れ・・・といわれるのは辛いものです。

ともに「がんばろう」と、言って頂けたら

孤軍奮闘ではない・・・遠いところで心配してくれる人たちがいる・・・

そんな風に思えると私は思っています。よろしくお願いします。






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Last updated  2011.03.20 23:50:13
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