2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
歌を歌うとき、言葉の大切さは常に感じている。歌に乗せた詩は聴いている人たちに届き、聴き手の目の色が変わる。詩を歌うことで対話が出来る。これは互いに共有する言葉が有って初めて成り立つ。日本の中で英語の歌を歌っても、ドイツ語の歌を歌っても、お客さんの中にその言語で暮らす人が一人いるだけで、伝わっている事が感じられ、そこで初めてより語ろうとする事が生き生きとしてくる。言葉の力。歌を通して手を繋いでいる様な、そんな感覚になる。笑顔、涙、真剣な眼差し、、日本語で普通に歌いたい。ただ、素直にそう思う。人間の生活に欠かせない言葉。言葉は、言葉そのものがもう既に歌の始まりだ。そう僕は思っている。日本の中で日本語の歌を歌えば、多くの人に言葉の力が伝わっている事が感じられ、そこで初めてより語ろうとする事が生き生きとしてくる。歌を通して手を繋いでいる。言葉の力。あるときは鳴き声や、叫び、喜びの声、笑い声といった純粋な声だけのときもあるだろう、、楽音のみの音楽の力ももちろんある。その事を軽視するつもりも無い。でも、言葉が歌を生む。これは自然な成り行きである。盛期バロックの音楽の語法。この成立にはドイツ語が大きくかかわっている。ラテン系の言語だけでは決して成立しなかった。しかし、ラテン系やその他のヨーロッパ言語、それらの存在も決して抜きには存在し得ない。盛期バロックの音楽の語法。ましてや日本語とは遥かに隔たったのもの、、全くの別物そういっても過言ではない。日本語はその声、語法、、いろんな意味でバロック音楽表現の障害にこそなれ、力にはなり得ない。ただ、表現を細くする説明や理解の場所では大いに役立つ。日本語に専念し、バロックやルネサンスを捨てる。バロックやルネサンスに専念し、日本語を捨てる。どちらもする気は一切無い。これまでもそうだが、今後もこの矛盾の中に身を置く積もりだ。この矛盾が自分の生きている時代に解消されないものである。それほどの事である事も重々承知している。しかし、狭間と矛盾、これを回避して通るつもりは全く無い。日本語の声で話し。日本語を歌い。ヨーロッパ語の音楽を愛し、歌い続ける。
October 31, 2007
コメント(3)
今年はレコーディングに始まり、そこから色々な事を実験している。本当はそんな余裕などあろうはずも無いのだが、見過ごす訳にはいかない事がどうしても出てくる。さて、そんな中、先日、三木山森林公園でテスト録音をした。ディレクターは末岡志麻さん、エンジニアは善沢正博さん。アドバイザー兼ディレクターとして小栗稔弘さんにわざわざ奈良からお越しいただいた。そして、産業革命以降、先進国社会の世の中で最も機動力を発揮する楽器といえば、、ピアノである。(確かに功罪両面ありますが、、)そこで、金子浩三さん、薮田磨美さんにピアノをお願いし、録音を三木山森林公園の音楽ホールで決行。「決行」と書いたが、あくまでもテストレコーディングなので、比較的リラックスした雰囲気の中行われた。で、そんな合間に久しぶりの手合わせでもあるし、互いの勘を取り戻すために薮田磨美さんと本番用の曲以外のアイルランド民謡を二曲歌っていたら、送られて来たCDに入っていた。何度も練習した訳ではなく、たった一回ポッキリ。打ち合わせもせずに歌い始めたので、、探り合いやらもあるけれど、今、プレイバックを聴いてみて長年アイリッシュのユニットを組んでいただけの事はあるなぁ~そう思った、、。でも、歌詞二番を二回歌ってたりするし、、、、(汗)いろいろあるんですけど、、(汗)プロモーション音源という事で、気軽に聴いてやって下さい.ミキシングも何もまだやってない、本当に「録れ録れ」の「生」状態です。それに、クラシックやバロックの発声はしてません。"I'll tell me ma""The Star of the County Down"また、こちら方面の録音企画もいつの日か進むと思います、、CDが出た折には是非よろしくお願いいたします。おまけVan Morrisonの"The Star of the County Down"3番の歌詞を先に歌っちゃって、2番を後から引っ付けてるし、、でも、"Bravo"じゃなくて、"Lovely!"これも何だか良い。Orthodox Celtsの"The Star Of The County Down"歌詞の内容に沿った演出がユーモアもあってとっても良い!3番の時、Firesideの隣は本当に席が空いてるし、、Van MorrisonとThe Chieftainsの影響がすごくある様に思う、かくいう僕も彼らのアルバム"Irish heartbeat"で凄く大きな影響を受けました。"The King's Singers"などがこの曲を取り上げ始めたのも"Irish heartbeat"以降だし、この曲が今ほど有名になったのもVan MorrisonとThe Chieftainsのお陰でしょうね、、。これも良いかな、、
October 27, 2007
コメント(6)
今日はテノールのO.Y.さんのお友達Oさんからの紹介で知り合った沖縄の方、K.K.さんの歌を聴きました。K.K.さんは、、、大城美佐子さんのお弟子さん、、にあたる方、、また、そのお友達のhizukiさんの歌も聴きました。あ~、ボリビアでお世話になった伊芸さん、比嘉さんが懐かしい~急に『ナビィの恋』や『涙そうそう』が身近になった感じです。で、そのお仲間のI.M.さんは三宮で『海風屋』という沖縄(料理と音楽)のお店をされています。JR灘駅からあるいて少しの所の『スターライト』というライブハウスでした。とにかく良かったです。マスターのI.さんの歌と三線、、、!最高でした!!!『土の歌』!!ほんとうに最高ですね!!実は、、、生中二杯と泡盛五杯、、、で、ちと、出来上がっております。また、改めて、、ご報告申し上げます。今日お出会いしたみなさん、、、<にふぇーでーびる~!>
October 16, 2007
コメント(0)

生まれて初めて、、高野山に行った。言わずと知れた、お大師様の総本山。右も左も「南無大師遍照金剛」である、、。が、思っていたよりも街である。思い描いていたイメージと目の前の現実の景色との差に馴れるわずかな戸惑いの時、落語の「地獄八景亡者戯」が微かに頭を過る、、。(聖地で「地獄」とは不謹慎極まりない、、、)しかし、やはり高野山は高野山だ、、。明治以降の新しい街「神戸」には無い「時」を感じさせる空気がある。と、気を取り直し、金剛峰寺の前にある常喜院へ向かう。塩高和之さんの琵琶の演奏会を聴きに行った。畳に座り、あぐらを掻く。琵琶の音色を聴きながら、、、が、結構、常喜院の周辺の雑音が耳に入る、、しかし、それよりも自分の頭の中で雑音が聴こえる。まさに、ザワザワと音を立てている。現実の雑音は何故か気にならず、自分の中からの雑音の方がはるかに気になってしまう。沈殿させたい。心からそう欲した。そしてまた、子供の頃から親しんだ畳の古い部屋の佇まい。祖母の語る浄瑠璃、、人の暮らし、、語らい、、やはり、自我が目覚める前の自分の体の中に染込んでいたものを認識する。こんな僅かな時間で自分の中の多くのものを客観視出来る事に驚く。これまでのコンサート体験では無かったものだ。南米や欧米で見た得た数々の貴重な感動とも異種のもの、、。聴くもの、見るもの、肌に触れるもの、感ずる全て、、自分にとって外である筈のもののあらゆる場所に、「わたし」が確かに居る、、。初めて足を踏み入れたその場で、確かに私は異邦人では無かった、、。が、これは決してナショナリズムなどでは無い。そんな自分の体の中に琵琶の音に重なり、音色と声が織り込まれる様に手の様に届いてくる。「ああ、人の声は素晴らしい。」自分も歌い手である事をその瞬間、悦べた。逢坂山の平経正をおもえば、何をか言わんや、、である。帰って来てこの文章を書いている、今。周囲の雑音と自分の中の雑音が同調している。そのことに気がついた事だけでも、実に大きい、、、そう感じる。そう感じているところに雑音は無い。"Recreation"日本語で「レクリエーション」と認識されているこの言葉、その意が「再創造」である。ということは、、高野山と観光は矛盾しないのかもしれない、、
October 13, 2007
コメント(6)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

