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割田さんの24ダニエル・バロー2本セット。プイイフュッセ・アンビュラン&マコン・ヴィラージュ・アーモニー一本あたり1300円。ヴェリタスさん熟成ブルゴーニュ 白6本セット同じくヴェリタスさんの1級畑・有名地区 熟成を重ねた逸品ブルゴーニュ 白6本セット。1本あたり1513円です同じくフランス産極上辛口スパークリングワイン9本セット 送料無料ヴェリタスさんはシャブリ地区に強そうですね。神わざシャブリ白5本セットギガルにしては安いです。コート・ロティ ラ・トゥルク [2014]ウメムラさんより同じくウメムラさんのシャトー・オー・ブリオン [2006]マル源さんオススメのバルベラ。バルベーラ ダスティ スペリオーレジョヴァンニ ペヴェラーティ[2021]/ラッセッラ(カンティーナ ペヴェラーティ)”スクリューキャップのリシュブール”はいくらなんでもと思いますが‥タカムラさんよりマーティンボロー ヴィンヤードのテ テラ ピノノ ワール こちらはシブいアイテムです。同じくタカムラさんよりピエール ブレのシャブリ プルミエ クリュ フルショーム [ 2020 ]あまり値上がりしていないのがいいですね。タカムラさんのシャトー ローザン セグラ [ 2021 ] 割田さんよりエマニュエル・ルジェのヴォーヌ・ロマネ [2021] 同じく割田さんのモレ・サン・ドニ 1erCru『クロ・ド・ラ・ブシエール』 [2022] ジョルジュ・ルーミエこちらは23VTの村名シャンボール・ミュジニー [2023] ジョルジュ・ルーミエ
2026年09月06日
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最近見つけて、もっと早しく知っていればと思っているのが、Z会の各書籍である。速読速聴・英単語 Advanced1100 ver.5 [ 松本 茂 ]価格:2,530円(税込、送料無料) (2026/8/14時点)速読速聴・英単語 Business 1200 ver.2 [ 松本 茂 ]価格:2,530円(税込、送料無料) (2026/8/14時点)速読速聴・英単語 Core 1900 ver.6 [ 松本 茂 ]価格:2,200円(税込、送料無料) (2026/8/14時点)いずれも古本で購入(笑)。音声をダウンロードして聴けるので、リスニングの練習になるし、リーディングの教材としてもよいと思う。「Advanced」は単語も含めてかなり高度。これから英検1級を受ける人にとってもちょうどよい教材になるかと思う。リスニングの話者のスピードも容赦ない。「Business」はマーケティングや会計などの広範な入門的な内容が含まれていて、それ自体勉強になる。「Core」は上記に比べるとかなり平易な内容だが、1テーマごとの長さが長すぎず短すぎず、TOEICなどのリスニングの練習用によいかもしれない。音声はいずれもかなり丁寧でPoliteなものだ。ただ、総じてネタが少し古いので、そろそろ改訂版を出してほしいタイミングではある。改訂版 英語で話す力。 141のサンプル・スピーチで鍛える! [ 長尾和夫 ]ディスカッションなどの教材によいとどこかで読んで買ってみた。しかし、これは個人的にイマイチだった。広範なテーマについて、Pros,Consに加えて中立的な立場のそれぞれの例文が載っているのはよいのだが、論調が一部かなり独善的に感じられるのと、「絶対に~」とか「~に限る」とか、妙に断定的な表現が多いのも気になる。安楽死とか死刑の是非とか年功序列といった、英検1級の面接で出されるようなテーマについては回答が浅すぎてこのままでは模範解答にはならない。この手のプレゼンやディスカッションのネタ本としては、英検1級受験時に勉強した植田イッチー氏の↓この書籍が良いと思う。英検®1級 面接大特訓 音声DL版 [ 植田 一三 ]こちらは洋書だが、ディスカッションのネタ本としてはこれが大変気に入っていた。かれこれ15年も前のが、改訂版はもう出版されないのだろうか。 【中古】Pros and Cons (Pros and Cons: A Debaters Handbook)英語で説明する日本の観光名所100選【新装版】 (日本紹介) [ 植田 一三 ]植田一三氏で思い出したが、日本事象の紹介本について何か新しいものはないかと探している。この本は通訳案内士受験時に活用したものだが、私が受験した6年前の時点ですでにかなり情報が古かった。そろそろ全面改訂版を出してほしいところだが、近年通訳案内士の受験者が減少の一途をたどっていることを思うと難しいだろうか。ちなみにCD音声はネイティブがナチュラルスピードで読んでいるので、リスニングのよい勉強になる。【中古】 カラー版 英語で紹介する日本事典/堀口佐知子【監修】通訳案内士二次試験のネタ本として知る人ぞ知る名著。この本の特徴は、表現や語彙が他の書籍に比べてかなり高度(難解ともいう)なことだ。ただ、この書籍、発行が2010年とさすがに古い。絶版になって久しいので、新しいものはもはや期待できないが、個人的にはこの手の書籍で情報が新しいものがあれば購入したいと思う。
2026年09月04日
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6月に飲んで激賞した銘柄。2000円でピノノワールを堪能できる!シュペートブルグンダー2021(ロバート・ヴァイル・ジュニア)今回開けたものもまあ悪くはなかったのだが、前回のボトルほどではなかった。グラスに注ぐと、前回以上に熟成を感じるオレンジがかったルビーの色調。赤系果実やアセロラ、ハーブ、それにスーボワっぽいニュアンスの混ざった香りは魅力的だが、芳香力そのものはあまり強くない。味わいは比較的軽めで、チャーミングな果実味をしっかりした酸と穏やかなタンニンが支えるものだが、今回のボトルはやや酸が強めに出てしまっているのが残念だ。もともと2021年ということで結構年数が経っており、飲む時期の違いによって表情が変わってくるかもしれないし、ボトル差も無視できないだろう。そもそも2Kそこそこのプライスレンジなので、期待しすぎるのも酷というものである。そんなわけで、前回ほど感動しなかったのは事実だが、といって、失望させられたわけでもないので、価格を思えばまあ十分かなとも思う。楽天で検索してみると、今は同銘柄の2017年と2023年が主に流通しているようだ。私は次回リピート時には23年を買うが、17年も当たれば素晴らしいかもしれない。うきうきさんは23VTになっている。【エントリーでポイント10倍】ロバート ヴァイル ジュニア シュペートブルグンダー 2023 ドイツ 辛口 赤ワインWeingut Robert Weil Junier Spatburgunder 2023【DEU】セラー専科さんでは2017年が売られている。ややリスキーかもしれないが、当たればすばらしい香味を期待できそうだ。【10%OFF】ロバート ヴァイル ジュニア シュペートブルグンダー 750ml 赤ワイン 辛口 ミディアムボディ ドイツ 長S 手土産 お祝い ギフト ワイン
2026年09月05日
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このブログも英会話関連の記事が増えてきたなぁと思う。もともと外人観光客向けのガイドやインバウンドビジネスをやるために始めた英会話だったが、今やそれ自体がすっかり趣味になっている。【英会話】英会話スクールの継続に悩む 前のエントリーで書いたように、NOVAが4月から2000円近い値上げという知らせが舞い込んできた。もとよりCP的にどうなのよと思っていたところだったので、結局これが決め手となって、しばらくNOVAを休会することに決めた。実のところ、バッサリと辞めようかとも思ったのだが、NOVAは最長5年まで休会が可能で、その間の会費の類はかからないとのこと(ワンコインは休会しても毎月基本料がかかる)、心変わりがあった場合に備えてとりあえず2年間(!)の休学にとどめておいた。休会期間を2年にしたのは、短い休会期間にすると休会延長の手続きがその都度面倒というだけのことである。ちなみに、早めに復学する分には問題はないらしい。ずいぶんと先の話になるが、復学1ヶ月前だかのタイミングで、NOVAから連絡があるとのこと。黙っているとそこから毎月の授業料がかかるようになるらしいので、それまでにはどうするか決めたいとは思う(そのときにはまた1〜2年休会期間を延長するかもしれないが)。なお、休会に際して、事務スタッフの対応は実にドライで手慣れたもので、休会理由を聞かれることすらなかったのは少しばかり寂しかった。まあ、今回の値上げのタイミングで退会・休会する人は結構いるのかもしれない。さて、NOVA休会後、アウトプットの機会をどう確保するかについては、4月からワンコイングリッシュのレッスンを週2回に増やすことにした。ワインコイングリッシュのグループレッスンの会費は週1回で5500円/月、これが週2回に増えても7700円/と、2000円程度のアップで済む。さすがワンコイングリッシュと名乗るだけのことはある。クオリティもそれなりではあるが。問題は、新たに取ったレッスンが毎週土曜日だということだ。私の場合、休日出勤や週末出張が結構あるので、皆勤はまず無理。しかし、月2回休んだとしても、1レッスンあたりの単価は7700円÷6=1283円、仮に月3回休んだとしても7700円÷5=1540円と、週1回ペースのレッスンを月に1回休んだ時(5500÷3≒1833円)と比べて圧倒的にCPが良いのだ。今までも月に1回程度休むことは少なくなかったので、月3回休んでもOKと割り切れば気持ちは楽だ。NOVAからワンコイン週2回に変えることで、毎月の出費が約10000円の節約になる。この分を勉強会の参加回数増(概ね1回あたり2500〜3300円程度)に充ててもよいし、先日行った英会話喫茶「ノートンプレイス」を定期的に利用するのでもいい。そんな形で、当面「週3回のアウトプット」を続けてみようと思う。As I wrote in a previous post, I received news that NOVA would be raising its fees by nearly 2,000 yen starting in April. I had already been questioning its cost-performance, so this price hike ultimately became the deciding factor for me to take a break from NOVA for a while.To be honest, I considered quitting entirely, but NOVA allows students to take a leave of absence for up to five years without any fees during that period (unlike One Coin English, which charges a monthly base fee even while on leave). So, just in case I change my mind, I opted for a two-year leave of absence—for now.The reason I chose a two-year period is simply because shorter breaks require renewal procedures each time, which is a hassle. Apparently, there's no issue with returning earlier than planned.Although it's quite a while down the line, NOVA will reportedly contact me about a month before the scheduled return date. If I don't respond, the monthly tuition fees will resume automatically, so I’ll need to decide by then (though I might just extend the leave by another year or two).By the way, the staff handling the leave process were extremely efficient—and rather cold. They didn’t even ask why I was leaving, which felt a little impersonal. Then again, perhaps many students are suspending or canceling their enrollment due to this price hike.So, after pausing NOVA, I needed to figure out how to maintain regular English output. I decided to increase my One Coin English lessons to twice a week starting in April. The group lesson fee at One Coin is 5,500 yen per month for once-a-week lessons, and only 7,700 yen per month for twice-a-week—a modest increase of about 2,000 yen. As the name "One Coin English" suggests, it's quite affordable. The quality is, well, what you'd expect.The only issue is that the new lesson I added is on Saturdays. Since I often work weekends or go on business trips, perfect attendance is out of the question. However, even if I miss two lessons a month, the cost per lesson comes to 7,700 ÷ 6 = 1,283 yen. Even if I miss three, it’s 7,700 ÷ 5 = 1,540 yen—still far cheaper than attending once a week and missing one lesson (5,500 ÷ 3 ≈ 1,833 yen). I’ve already been missing about one lesson a month, so if I accept that I might miss three, it takes the pressure off.Switching from NOVA to One Coin twice a week will save me around 10,000 yen a month. I could use the extra savings to attend more study sessions (which typically cost around 2,500–3,300 yen per session), or I might go regularly to the English conversation café “Norton Place,” which I visited recently.For now, I’ll aim to keep up this “three times a week output” approach.
2025年02月27日
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カミサンが12月27日(土)に新大阪へ行く用事ができ、ネットのEX予約で空き状況を確認したところ、今日(12月16日)の時点で、7時台以降の新幹線は13時近くまで普通席・グリーン席ともすべて「×」だった。唯一、空いていたのは、12時51分発のこだまのグリーン車のみだったが、これだと現地着が17時近くになってしまう。私が「どうせ無理だからやめておけ」と言うのも聞かず、カミサンは直接問い合わせてみると言って渋谷のみどりの窓口まで出かけていった。その結果、なんと窓口で12時30分発ののぞみを取れたというのだ!出発時間はこだまと大差ないが、こちらなら新大阪に15時に到着できる。これは大きな違いだ。カミサンがみどりの窓口に並んでいる間、私はEX予約の画面をずっと更新してチェックしていたが、「○」になったことは一度もなかった。それでも現実にみどりの窓口で予約ができた。これは一体どういうことなのだろうか。ChatGPTに聞いてみたが、結論から言うと、EX予約(スマートEX/エクスプレス予約)で「満席」で予約できない場合でも、みどりの窓口で席を確保できる可能性は基本的にありません。これはインターネット予約サービス(EX予約など)と、駅窓口・指定席券売機の予約在庫が、同じJRの座席在庫情報(MARS)を参照しているためで、空席状況もリアルタイムで共有されています。という回答で、参照しているDBは同じらしい。考えられる可能性その1:キャンセル分の更新や反映が、みどりの窓口のほうがよりきめ細かく行われる。そのため1〜2席といった単位のキャンセルは、EX予約に反映される前に、みどりの窓口で優先的に処理される。可能性その2:「たまたま」カミサンが問い合わせたそのタイミングでキャンセルが出て、私がEX予約の情報を更新するまもなく、すぐ売り切れてしまった。まあ、どちらにしても、「ダメ元」でみどりの窓口に並んでみる、というのも「あり」なのだなぁ、と思った次第である。My wife suddenly had plans to go to Shin-Osaka on Saturday, December 27, so we checked seat availability on EX Reservation online. As of today (December 16), every Shinkansen departing after 7:00 a.m. was marked with an “X” for both ordinary and Green Car seats.The only option showing any availability was the Green Car on a Kodama departing at 12:51.Ignoring my advice to forget about it, my wife decided to go to the JR Ticket Office (Midori no Madoguchi) in Shibuya and ask in person. To my surprise, she managed to secure a seat on a Nozomi departing at 12:30.While she was standing in line at the ticket office, I kept refreshing the EX Reservation screen, but not once did it show a “○” indicating availability. And yet, in reality, she was able to make a reservation at the counter. How could this be?So I asked ChatGPT. The answer was as follows:In conclusion, if a train is shown as fully booked on EX Reservation (Smart EX / Express Reservation), it is generally not possible to secure a seat at a JR ticket office either. This is because online reservation services such as EX Reservation and station ticket offices all reference the same JR seat inventory database (MARS), and seat availability is shared in real time.Apparently, both systems refer to the same database.One possible explanation is that cancellations are reflected more finely at the ticket office. Small-scale cancellations—one or two seats at a time—may be processed at the counter before they appear on EX Reservation.Another possibility is sheer timing: a cancellation may have occurred at the exact moment my wife made her inquiry, and the seat was sold again before I had a chance to refresh the EX Reservation screen.Either way, this experience made me think that lining up at the ticket office “just in case” is not such a bad idea after all.
2025年12月16日
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「ガラン沢」というおどろおどろしい名の地名を聞いてことがありますか?志賀高原の横手山エリアに隣接しており、遭難の名所?としても知られているので、スキーヤーの方なら結構名前を聞いたことのある方もいらっしゃるかと思います。(もっとも、近年はスキー場の整備が進んだこともあり、ゲレンデスキーヤーが迷いこんで遭難するケースは、ほとんどないとか。)このガラン沢に温泉があることを知ったのは、たまたま下記のサイトを見つけてからです。http://www.k4.dion.ne.jp/~yukemuri/gunma/garan.html(リンク切れ)ご覧になってわかるとおり、現地までは往復6時間以上かかるという、秘湯といえば秘湯なのですが、たどりついた目的地には一般家庭用のポリ浴槽があるだけ。もう少し詳細なルートはこちらに記載されています。http://www2.aquatree.net/jinenn/gara.htm#s(リンク切れ)こんな記事もあります。http://www2.aquatree.net/jinenn/koe00.htm#garan(リンク切れ)片道3~4時間、しかもその大半は沢歩きで、熊と出くわすリスクもあるという難行苦行のようなルートを踏破しても、そこにあるのは、野ざらしになった家庭用ポリ浴槽。とくだん温泉マニアでも登山マニアでもない私が、この温泉にひどく興味を抱いたのは、そこにある種のカタルシスを感じたからとでもいいましょうか。(笑)ところが、最近(といっても半年前ですが)行った人のレポートをたまたま見つけて読んでみたら、なんとこのポリ浴槽はすでに破壊されており、源泉の湯量もごく少なくなっているとのこと。http://outdoor.geocities.jp/cycle_oyaji/hitou/garandani/activity_page.htmその後どうなっているのか、知るよしもありませんが、そもそも公式な施設でもなく、どなたか酔狂な方が、(それも脱法行為すれすれで)ポリ浴槽を持ち込んだだけですから、嘆いてもしかたないわけで‥。実は一度行ってみたいと思っていたんですよね~。登山や沢歩きの経験も知識もない私ですから、現実味のあまりない、たんなる願望だったんですけどね。はは。。
2008年03月21日
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■ご先祖探し~その1■ご先祖探し~その2■ご先祖探し~その3■ご先祖探し~その4 ■ご先祖探し〜その5(完結篇1)■ご先祖探し~その6(完結編2)■ご先祖探し〜その7(完結篇3)さて、これまでの調査で~我が家の先祖は、彦根藩の下級藩士だった。~といっても、最初から彦根藩に仕えていたわけではなく、享保年間までは「森」という姓で、京都町奉行所勤めだった。それが何らかの理由で職を辞し、4年の浪人の後、彦根藩召抱えになり、苗字も変えたらしい。なぜ苗字を変えたかは不明。~彦根藩では、「十右衛門」または「重右エ門」という通名を代々世襲していた。仕事は藩主の家族の身の回りの世話や、藩校の先生などをしていたらしい。ということが判りました。親戚の家に行った際、そんな話を披露したら、面白がって聞いてくれて、後日、本家筋の従兄弟の有志が編纂したという、曽祖父やその前後の代の記録を記したメモのコピーを送ってくれました。読んでみると、「代々嵯峨源氏の嫡流」(→もともとは森姓だったということが今回判明)とか「彦根藩では代々勘定奉行をつとめた」(→そんな偉い身分ではありませんでした)とか、明らかに「それは違うだろ~」と突っ込みたくなる記述もあるのですが、まあご先祖の歴史というものは誰しも美化したくなるものなのでしょう。興味深いのは、そのメモには、私が訪れた際には、時間の関係で見せてもらえなかった寺の「過去帳」の記録からの情報多くが含まれていたことです。ということで、新たに入手したメモと、私がそれまで調べた記録とをもとにざっと、近世のご先祖の足取りをまとめてみました。まるで映画「北の零年」の世界です。■曽祖父の父(高祖父と呼ぶようです)名は重右エ門。メモには勘定奉行を世襲していたと書かれていますが、これはおそらく誇張で、勘定方にでも勤めていたのでしょう。自宅は現在市役所前の大通りになっている所にあったそうで、石高は90石。この当時の彦根藩の藩主はといえば、桜田門外の変で殺害されたかの井伊大老。まあ、私のご先祖が実際に井伊大老に会ったことがあるかどうかはわかりませんが、歴史上の人物と身近なところにいたと思うと不思議な感じがします。桜田門外の変が起こったのが、重右エ門41歳のとき。当人は明治5年に53歳の若さで亡くなっていますが、晩年は歴史の大きなうねりの中でさぞ苦労したであろうと想像できます。■曾祖父の兄上記重右エ門の長男で名は機平。嘉永元年(1848年)出生。16歳の時、初陣で蛤御門の変に参加したものの、幕軍に利なく、槍一本を担いで逃げ帰ってきたというエピソードがメモに書かれています。しかし彦根藩はこの時官軍に組したはずなので、史実と異なっていますね。まあ初陣で散々な思いをしたことは事実なんでしょう。明治4年、廃藩置県が実施され、禄を離れた彦根藩士たちは集団に北海道(釧路)に移住しました。機平も、父の死後(明治5年)、屋敷を担保にお寺(私が前回訪れた円常寺のこと)に50円の借金をして、嫁と弟=私の曽祖父を連れて北海道に渡ったそうです。当時、機平は25才、弟の篤三郎10才。「漢学に秀れ、小学校で教鞭をとっていた」そうですが、妻が子供を残すことなく32歳の若さで亡くなると、家禄を弟である私の曽祖父に譲って、大正2年62歳でなくなったそうです。■曽祖父名を篤三郎といいます。重右エ門の末子三男として出生(次男は3歳で死亡)。姉たちの中には器量良しが多かったそうで、そのうちの一人が家老の下に嫁ぎ(幕末から明治にかけてですと、もはや身分の差などはあまり問題にならなかったのでしょうか?)、その血筋からは後のどこそこの社長を輩出している、なんていう自慢話がメモに書かれていました。曽祖父自身の生い立ちは明らかでありませんが、成人して炭鉱技師としての技術を習得し、網走刑務所(本当ですかねぇ?)で囚人を引率して炭鉱の開発にあたっていたと書かれています。道内では「常盤炭鉱」の開発にあたったり、北九州の「筑豊炭田」の開発に出向いたこともあったようですが、九州での仕事は結局うまくいかず、また北海道に戻ってきたのだとか。この時代に北海道と九州を往復するというのも大変だったんでしょうね。夫人(というか、私の曾祖母のわけですが‥)の名は「さだ」。慶応3年、岐阜藩の足軽金森家の長女として出生。金森家は維新後、夕張で呉服店を営んでいたとのことですので、あちらで見合いでもしたのでしょうか。16歳で曽祖父のもとに嫁ぎ、私の祖父を含む12人の子供を設けました。曽祖父は、炭鉱技師としてはそれなりに成功したらしく生前はわりと良い暮らしをしていたようですが、大正3年に58歳の若さで亡くなった後、曾祖母は幼子を抱えて困窮したそうです。■祖父のことどうも我が家の家系は短命の血筋らしく、私の祖父も私が4歳の時に亡くなったので、祖父に関する記憶はほとんどありません。生まれは北海道の留萌郡。祖母も同じ北海道の札幌「南37条西」の生まれだそうですが、出自はわかりません。前述のとおり、曾祖父が早くに亡くなったため、若いころは、家庭が困窮して苦学だったようです。戦前は建築士として「浅野炭鉱」ゆかりの「浅野建設」という会社で働いていたとのことで、私の父親も「雨竜町」というところにあった会社の社宅で生まれたそうです。(もっとも、父からも祖母からも、生前、北海道時代の話を一度も聞いたことはありませんが‥。)戦後、都内(永福町)に移住。浅草の「雷門」の再建や新宿のミラノ座だかスカラ座だか(忘れました)の設計に携わったとかで、私が幼い頃はサンプルでもらったと思しき映画館のイスがベランダに置いてあって、よくそのイスで遊んだものでした。所属していた建設会社では重役まで昇進したようですが、どこぞと合併でもしたのか、あるいは倒産したのか、今となってはネットで探してもその会社の名前すら見つけることはできません。享保の時代の先祖のことまで調べたことを思えば、祖父や祖母のことをもっと詳しく調べるのはたやすいことですが、この時代の話になるとさすがに生々しすぎるというか、触れてはいけない部分もあるようで、気が引けてしまいます。(たとえば祖母は、自分の子どもの頃ことについては全く私たちに話しませんでした。)まあ、それらは私の子供の代にでも任せることにします。ちなみに、本家の方々とは現在は全くつきあいはありませんが、東京で建築関係の仕事をしている人もいるのだとか。ワイン好きで、このブログを読んでくれたりしてないですかねぇ?さすがにそれはないか‥。そんなわけで、祖父や父が生まれた場所まで特定できたことは収穫でした。(というか、この年になるまでそれすら知らなかった。)北海道出身の友人などは、「留萌って何もないところですよ~」と言いますが、次は、留萌をぜひ訪れてみたいと思い始めている私です。**********************ここまでが5年前に書いた内容です。このタイミングで改めて掲載したのは、正月らしいネタということに加えて、そろそろまた彦根に墓参りに行こうかなと思い始めているからです。その後、「ひこにゃん」がブレークしたrして、以前私が訪れたときとはだいぶ変わっているんでしょうね。新しいネタがあれば、パート5としてアップしようと思っています。文中に書いたとおり、北海道にも機会があれば行ってみたいですね。So far, from my research, I have learned that:My ancestors were lower-ranking samurai retainers of the Hikone Domain.However, they were not originally serving Hikone Domain; until the Kyōhō era (early 18th century), they bore the surname “Mori” and worked for the Kyoto Machibugyō (Kyoto City Magistrate’s Office). For some reason, they resigned from that post, wandered as ronin (masterless samurai) for four years, then were taken in by Hikone Domain and changed their surname. Why they changed their surname remains unknown.In Hikone Domain, they inherited the common names “Jūemon” or “Shigeemon” through generations. Their duties apparently included serving the domain lord’s family and working as teachers at the domain school.When I shared these findings with relatives, they found it interesting and later sent me a copy of a memo compiled by some cousins from the main family line. The memo included records about my great-grandfather and his surrounding generations.Reading through it, there were some clearly exaggerated or inaccurate claims, like “descendants of the main line of the Saga Genji clan” (which now fits with the earlier Mori surname revelation), or “served as senior accountants of the Hikone Domain” (which was not true in our case). But I suppose everyone tends to romanticize their ancestors’ history.What interested me most was that this memo contained a lot of information from the temple’s “Kakichō” (family death register), which I couldn’t see when I visited due to time constraints.Using this newly obtained memo along with my previous research, I roughly summarized my ancestors’ footprints in the early modern period. It feels like a scene from the movie Kita no Zeronen.My great-grandfather’s father (called great-great-grandfather)His name was Shigeemon. Although the memo says he inherited the post of domain accountant, this is likely an exaggeration; he probably just worked in accounting. Their home was where the main street in front of the city hall now runs. Their stipend was 90 koku.At that time, the lord of Hikone was Ii Naosuke, famously assassinated in the Sakuradamon Incident. Whether my ancestor ever met Ii Naosuke or not is unknown, but it feels strange to think they lived close to such a historical figure. The Sakuradamon Incident occurred when Shigeemon was 41. He died young at age 53 in Meiji 5 (1872), and I imagine he endured much hardship during those turbulent times.My great-grandfather’s elder brotherHis name was Kihei, born in Kaei 1 (1848). At 16, he participated in his first battle during the Hamaguri Gate Incident, carrying only a spear and retreating due to defeat. The memo states Hikone sided with the shogunate then, which contradicts historical fact (Hikone was on the imperial side), but presumably his rough first battle experience was real.In Meiji 4 (1871), after the abolition of domains, many Hikone samurai moved to Hokkaido (Kushiro area) as a group. Kihei also moved there after their father’s death (Meiji 5), borrowing 50 yen from the temple (Enjōji—the temple I visited) by mortgaging their residence, bringing along his wife and younger brother, my great-grandfather. Kihei was 25 and my great-grandfather Atsuzaburō was 10 then.Kihei was talented in Chinese classics and taught elementary school but tragically, his wife died at 32 without leaving children. He handed over the family stipend to my great-grandfather and died at 62 in Taishō 2 (1913).My great-grandfatherNamed Atsuzaburō, he was the youngest son of Shigeemon (the third son). One of his sisters married a high-ranking retainer, and her descendants include company presidents, according to the memo. Details of Atsuzaburō’s childhood are unclear.As an adult, he trained as a coal mining engineer and worked leading prisoners at Abashiri Prison to develop coal mines. He contributed to the development of the Tokiwa coal mine in Hokkaido and was also dispatched to work on the Chikuho coalfields in northern Kyushu. However, his work in Kyushu was unsuccessful and he returned to Hokkaido. Traveling between Hokkaido and Kyushu in those days must have been very difficult.His wife (my great-grandmother) was named Sada, born in Keiō 3 (1867), eldest daughter of the Kanamori family, foot soldiers from Gifu Domain. The Kanamori family ran a kimono shop in Yūbari after the Meiji Restoration, so perhaps they met through an arranged marriage there. She married Atsuzaburō at 16 and had 12 children including my grandfather. Atsuzaburō was fairly successful as a mining engineer and lived comfortably before dying young at 58 in Taishō 3 (1914). His widow struggled to raise their young children.About my grandfatherApparently, short lifespans run in the family. My grandfather died when I was four, so I have little memory of him. He was born in Rumoi District, Hokkaido. My grandmother was also from southern Sapporo, but I don’t know her origins.Because my great-grandfather died early, the family was poor in my grandfather’s youth. Before the war, he worked as an architect for a construction company connected to Asano Coal Mines, called Asano Kensetsu. My father was born in company housing in Uryū Town, Hokkaido. Neither my father nor grandmother ever told me stories about their Hokkaido days.After the war, the family moved to Eifukucho, Tokyo. My grandfather helped design projects such as the reconstruction of Asakusa’s Kaminarimon gate and theaters like the Milanoza or Scala Theater in Shinjuku (I forget which). As a child, I often played on movie theater chairs that he had brought home to our balcony as samples.He apparently rose to an executive position at his construction firm, but whether the company merged or went bankrupt, I cannot find any trace of it now.While tracing ancestors back to the Kyōhō era was challenging but possible, investigating my grandparents’ generation feels more sensitive and difficult, perhaps because the memories are still raw. For example, my grandmother never spoke about her childhood.For now, I will leave those stories for future generations.Currently, we have no contact with the main family line, but I heard some relatives in Tokyo work in architecture. I wonder if they read this blog and share my wine interests. Probably not.In any case, I’m glad to have identified where my grandfather and father were born, something I didn’t even know until recently. Friends from Hokkaido often say “Rumoi is a place with nothing much to do,” but I’m starting to want to visit Rumoi myself someday.End of Part 4This was originally written five years ago, but I’m sharing it now partly as a New Year’s story, and partly because I’m thinking of visiting my ancestors’ graves in Hikone again soon. Since the rise of “Hikonyan,” the town has probably changed a lot since my last visit. If I find new material, I plan to post a Part 5. And as mentioned, I’d also like to visit Hokkaido someday.
2012年01月12日
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少し掲載のタイミングが遅くなってしまいましたが、Sugar7さんとの例会、今回はSugar7さんに選んでいただいて、うなぎの「伊勢定」に行ってみました。時節柄、予約は不可とのことだったので、17時半前とかなり早めに集合したところ、さすがに店内は空いていましたが、一品料理をあてに飲み始めている方もチラホラいらっしゃいました。生ビールで乾杯のあと、「お造り膳」の竹コースを注文。お造りがついてくるので、ビールの肴にもなり、ちょうど良い感じでした。うなぎはすべて国産とのこと。身が締まっていて、それでいて痩せた感じはなく、実に美味しい鰻でした。上のコースを見ればきりがありませんが、わたし的にはこのくらいで十分すぎると思いました。18時半を過ぎたあたりから、待ちの行列が出来てきたようなので、早めに切り上げて2軒目に移動しました。この日はワイン抜きでしたが、アルコールにも弱くなってきたし、こういう食事が主役の会もよいなぁと改めて思いました。
2023年07月16日
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先だってのエントリーでお伝えしたとおり、ヴェローチェの渋谷駅南口店が8月29日をもって閉店と相成った。多くの読者にはあまり関係ないかもしれないが、私にとっては、「ワンコイングリッシュ」レッスン前の時間調整のため、およそ2年半にわたって通い続けた馴染の店舗だった。レッスン前にはいつも階段から上がったこのあたりの席に陣取っていた。数年前の「蔵味」に続いて、行きつけのカフェが閉店になるのは実に寂しいものだ。営業最終日の土曜日にもレッスンがあったので、朝レッスンの前に立ち寄ってみた。午前中とあって店内はガラガラだった。この見慣れた景色ともお別れと思うと寂しい限りである。もっともヴェローチェ自体は池尻大橋店にしょっちゅうお邪魔しているのだけれども。来週から、英会話のレッスン前にどこで時間をつぶそうかと思案しているところだ。となりのドトールか、明治通り沿いのカフェドクリエか…。
2026年08月31日
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■ご先祖探し~その1■ご先祖探し~その2■ご先祖探し~その3■ご先祖探し~その4 ■ご先祖探し〜その5(完結篇1)■ご先祖探し~その6(完結編2)■ご先祖探し〜その7(完結篇3)享保年間に徒として彦根藩に召し抱えられ、藩主の家族の世話や賄いなどをしながら、5世代かけて70石とはいえ知行取りとなり、幕末の頃は田舎村の代官を勤めた私の先祖ですが、明治4年に廃藩置県の実施によって生活基盤を失い、他の彦根藩士たちとともに北海道にわたりました。維新軍の功労者たちは、国や自治体の役職につけたのかもしれませんが、(最終的に維新側についたとはいえ)譜代である彦根藩の、まして下級藩士となれば、実態はこのような厳しいものでした。このあたりのくだりは「ご先祖探し〜その4」に詳しく書きましたが、それまでひとつひとつ積み上げてきた実績や信用、人脈などの多くが何の意味もなさなくなってしまうというのは、さぞ辛い経験だったことでしょう。5代目の重右衛門さんがなくなったのは明治5年、53歳の若さだったそうですさて、このように日本史の表舞台には決して出てない我がご先祖ですが、日本史の重要な局面にはいくつか立ち会っていたようです。ひとつはこれ。左上の注釈をみると、「ペリー来航の節、出精に勤め、褒美 庭奉行に役替」とあります。なぜペリーがここに出てくるのかというと、彦根藩は弘化4年2月相模国の海岸護衛を命じられ、嘉永6年11月までその任にあったとのことなのです。ペリーが来航したのは、同年6月3日。警備の一員としてとはいえ、ペリーの来航を目の当たりにしていたというのはちょっと驚きです。というか、本人たちもさぞ大騒ぎだったことでしょうねぇ。もうひとつあります。注釈真ん中あたりに、「倅要次、禁門の変の節出張、幕府下賜割合金拝領」とあります。禁門の変(蛤御門の変)に参加したというのは、「ご先祖探し〜その4」にも書きましたが、それと符合します。>上記重右エ門の長男で名は機平。>嘉永元年(1848年)出生。16歳の時、初陣で蛤御門の変に参加したものの、幕軍に利なく、槍一>本を担いで逃げ帰ってきたというエピソードがメモに書かれています。槍一本で逃げ帰ってきたとはいえ、褒美はいただけたようです。名前が記録と異なるのは、後年、要次から機平に改名したのでしょう。なお、この「倅要次」は別の注釈で、「御舎弟様方御伽頭に雇」という表記も見られます。若い頃、藩主の弟の「御学友」のようなことをしていたのでしょうか?ちなみにこの方は、私の曽祖父の兄にあたります。前述のとおり、明治5年に父親が亡くなったのを機に、家族とともに北海道の釧路に移住、小学校の教師などを勤め、大正2年に62歳で亡くなったとのことです。こんな記録もあります。四代目重右衛門はお城の「中藪口門番頭」を勤めていましたが、配下の筧某への仕置き筋吟味方に不届あり、御叱、差控となった記録が残されています。隠蔽しようとしたのか、部下を庇ったのか知りませんが、いずれにしても配下の不始末の監督不行届ということで、懲戒を食らったようです。こういうところは、なんだか親近感を覚えます。私も会社で同じような痛い思いをしたので…。さて、そんなこんなで、私の先祖が決してサラブレッドな家柄でないことは、これまでの調査でわかっていましたが、今回、「侍中由緒帳」を読んでみると、あらためて藩士と言っても、末端に近い身分からのスタートだったことが判明しました。若い頃なら、それを知ってがっかりしていたかもしれません。しかし、齢60に近づいた今、こうして読むと、全く異なった感慨が湧いてきます。彼らの日常の断片からは、宮仕えのさまざまな困難や苦労、そして自分たちの持分の中で精一杯頑張って生きていたであろう姿が偲ばれます。歴史上語りつがれるような偉業はなにひとつなし得なかったにしても、そうした幾星霜の苦楽の積み重ねの先に、こうして今の私たちが生きている、その重みを改めて感じずにはいられません。私自身、大した実績も残せず現役生活を終えようとしていることに、無力感や寂寥感を感じていましたが、くよくよしている場合かという気にもなりますし、まだまだこれからやるべきことやれることはあると自らを鼓舞する気にもなります。また、どんな形にせよ、文章にして残しておくことで、ご先祖の話などにはとんと興味を示さないウチの子供たちの目にいつか留まることもあるのではないかとも思います。ご先祖の姿は決して武勇伝に飾られたカッコイイものでありませんが、彼らがその時代時代を一生懸命生きてきた、その重みをわかってもらえるといいなと思います。まあそれは、子供たちがある程度の年齢になってからでないと難しいかもしれませんが。最後はなんだか感傷的になってしまいました。これでいったん「ご先祖探し」は終わりにしたいと思いますが、また新しいネタなどあれば、何かの拍子に再開するかもしれません。***********************************My ancestor was recruited by the Hikone Domain as a foot soldier (to) during the Kyōhō era, serving the domain lord’s family and managing household affairs. Over five generations, though only reaching the status of a stipended retainer with 70 koku, he eventually served as a rural magistrate around the end of the Edo period. However, in 1871 with the abolition of the han system, he lost his livelihood and, along with other Hikone samurai, migrated to Hokkaido. While those who had distinguished themselves with the imperial loyalists may have secured government or local official posts, for a hereditary vassal of Hikone Domain—especially a lower-ranking samurai like my ancestor—the reality was much harsher.I wrote in detail about this part in "Tracing My Ancestors — Part 4", but it must have been a painful experience to see all the achievements, trust, and connections they had built up over generations suddenly rendered meaningless. The fifth generation Jūemon passed away young at age 53 in 1872 (Meiji 5).Although my ancestors never appeared on the grand stage of Japanese history, it seems they witnessed several important historical moments firsthand.Here is one example:The annotation at the top left reads, "During Commodore Perry’s arrival, diligently served and was rewarded with the post of Garden Magistrate." Hikone Domain was tasked with guarding the Sagami Province coastline from February 1847 until November 1853. Perry arrived on June 3, 1853, so it is remarkable to think my ancestor actually witnessed Perry’s arrival as part of the coastal defense. I imagine it was quite a commotion at the time.Another example:In the middle annotation, it says, "Son Yōji dispatched during the Kinmon Incident, awarded a monetary gift by the shogunate." I also wrote about my ancestor’s participation in the Kinmon Incident (the Hamaguri Gate Rebellion) in "Tracing My Ancestors — Part 4".“The eldest son of Jūemon, named Kihira, was born in 1848. At 16, he fought in the Kinmon Incident but retreated carrying only a spear.”Although he fled with just a spear, he seems to have been rewarded. The name differs in records because he later changed it from Yōji to Kihira. Another annotation mentions “son Yōji was employed as a playmate to the lord’s younger brothers,” suggesting that in his youth, he might have been a companion or playmate to the domain lord’s siblings. This person was my great-grandfather’s elder brother. After their father died in 1872, he moved with his family to Kushiro, Hokkaido, worked as an elementary school teacher, and died in 1923 at age 62.Here is another record:The fourth generation Jūemon served as the gatekeeper at Nakayabu Gate of the castle. However, there is a record of reprimand regarding his supervision of a subordinate named Kakei, who committed some misconduct. Whether he tried to cover it up or protect his subordinate is unclear, but he was disciplined for neglecting proper oversight. I feel a certain closeness to this, having experienced similar troubles at work myself.So, through my research I had already known my ancestors were far from a blue-blooded family, but reading the “Samurai Retainers’ Genealogical Register” anew confirmed they started from the very bottom ranks of the domain’s retainers. When I was younger, this might have disappointed me. But now, approaching 60, a very different feeling arises.From the fragments of their daily lives, I sense the various hardships and challenges of serving a feudal lord, and their sincere efforts to live honorably within their limited means. They never achieved heroic deeds recorded in history, but through their centuries of struggle and endurance, here we are today. This weight of legacy moves me deeply.I myself have felt powerless and lonely nearing the end of my own career without great accomplishments, but dwelling on that won’t help. I am motivated to keep moving forward, knowing there is still much to do and achieve.Moreover, by putting these stories into writing, perhaps someday my children—who show little interest in our family history—might come across them. My ancestors’ lives were not adorned with tales of valor, but I hope my children will understand the weight of their sincere lives lived through difficult times. Though, that may be something only possible when they are older.I have grown sentimental here at the end. For now, I will conclude my “Tracing My Ancestors” series, but should new stories arise, I might resume someday.
2022年02月27日
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ぺんてるのノック式蛍光ペン「ハンディラインS」を今まで一体何本買ったかもはや数えきれない。おそらく100本ぐらいにはなると思う。50代半ばからの「学び直し」や資格取得の勉強で、この蛍光ペンがどれほど活躍したことか。I’ve lost count of how many Pentel retractable highlighters “Handy Line S” I’ve gone through over the years—probably around a hundred by now. Ever since I began “relearning” in my mid-fifties and studying for various qualifications, this highlighter has been an indispensable companion.この蛍光ペンのよいところは、ノック式で蓋がいらないことに加えて、リフィルを交換できることだ。実のところ、インク自体はすぐになくなってしまう(根を詰めて試験の勉強をしていたときなど、一日でなくなってしまうことも珍しくなかった)ので、私にとってリフィルは必携である。What I really like about this highlighter is not only that it’s retractable—so there’s no need for a cap—but also that the refill can be replaced. The thing is, the ink itself runs out pretty quickly (back when I was cramming for exams, it wasn’t unusual for the ink to be gone in a single day), so having refills on hand is absolutely essential for me.ただし。ここが重要なのだが、リフィルを交換できるからといって、本体が決していつまでも使えるものだと考えてはいけない。概ね2~3回ぐらい交換しているうちに、本体のノック機構が壊れてしまうことが多い(この仕組みが実に貧弱だったりする)。それと私の場合、うっかり芯(ペン先)を出しっぱなしにして放置し、芯が乾ききって使えなくなってしまうケースが極めて多い。That said—and this is important—just because the refill is replaceable doesn’t mean the body itself will last forever. In my experience, after two or three refills, the knock mechanism often breaks down (the build is rather flimsy, to be honest). On top of that, I have a bad habit of leaving the tip out by accident, only to come back and find the nib completely dried up and useless.#ペン先が乾いたときには、マニキュアの除光液を使うとよいといったTIPSがネット上で見つかるが、私はその手の方法で回復に成功した試しがない。# By the way, I’ve seen tips online suggesting you can revive a dried nib with nail polish remover, but I’ve never once succeeded with that trick.同様の商品が無印良品で売られている。OEMではないようで、ぺんてる製品と比べてみると、長さがかなり違う。ところが、ネット上で「ぺんてるのリフィルが無印のペンでも使える」というコメントを見つけて、使ったみたら確かに使えるのだ。地元に無印良品のショップがあることから、以来もっぱら無印のマーカーを使っていたのだが…。最近は、ぺんてるのハンディラインSを使うようにしている。というのも、どうも無印のマーカーの方がペン先が乾きやすいように思えて仕方ないのだ。それどころか、店舗の在庫管理の問題かもしれないが、購入した時点で半分乾いてしまっているようなものすらあった。上の写真でわかるように、長さがかなり異なることから、ペン先部分の作りが異なるのかもしれない。MUJI sells a similar product. It doesn’t seem to be an OEM version of Pentel’s, and when you compare them side by side, the length is quite different. Still, I came across a comment online saying that Pentel refills actually work with MUJI’s marker—and when I tried it, sure enough, it did. Since there’s a MUJI store nearby, I ended up using their markers almost exclusively for a while…Lately, though, I’ve gone back to Pentel’s Handy Line S. The reason is simple: MUJI’s version seems to dry out much faster. In fact, maybe due to stock management issues, I’ve even had the frustrating experience of buying one that already felt half-dried the moment I opened it. As you can see in the photo above, the two differ quite a bit in length, which might explain the differences in the nib construction.なお、アマゾンで交換用リフィルのレビューを読み返すと、「乾いていて使えない」というレビューが極めて多いが、これは交換インクが乾いているのではなくて、本体の芯が乾ききってしまっていることが原因だと思われる。Also, when I went back and checked the reviews for the refills on Amazon, I noticed a ton of people complaining that they were “already dry” and unusable. But I’m pretty sure the problem isn’t the refill ink itself—rather, it’s that the nib in the pen body has completely dried out.私自身の不可解な経験をもうひとつ。ピンクのリフィルをひと箱買って、長いこと使わずにいたら(数年単位)、なぜか一部のリフィルのインクがオレンジ色に変わってしまっていた。不思議なこともあるものだと思うと同時に、交換可能だからといって、あまり大量に備蓄しておかないほうがよいのかも、とも思った次第。Here’s another puzzling experience of mine. I once bought a box of pink refills and left them unused for years, only to discover that some of them had mysteriously turned orange. Strange, isn’t it? It made me realize that, just because the refills are replaceable, it might not be such a good idea to stock up on too many of them.
2025年03月27日
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正月休み最終日のこの日、昼過ぎまでダラダラと自堕落に過ごし、夕刻英会話カフェ(Norton Place)へと向かう際にカメラを持ち出してみた。少女の裸婦像の彫刻は烏山川緑道を通るたびに撮影しているので、ブログの読者にはおなじみかもしれない。ところが今回、撮ろうと近づいてみたら、なんと頭の部分に黒いシミがついていて、まるで銃弾を浴びたかのようだ。酷いことをする輩がいるものだなぁといささか憤りを感じた。※写真はすべてf1.2の絞り開放で撮影。On the last day of the New Year holidays, I decided to take my camera with me when I went to an English conversation café, Norton Place, in the early evening. When I tried to photograph a familiar statue of a young girl along the greenway, which I often take pictures of, I noticed that someone had left a black stain on her head. I couldn’t help feeling a bit angry that there are people who would do something so disrespectful.
2026年01月04日
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ランチョンといえば、神保町でもよく知られた老舗洋食&ビヤホール。一時「深刻な人手不足」とでランチ営業を休止していたが、いつのまにか再開していた。伝統を感じる店内。ランチタイムを多少外しても結構混んでいるが、オペレーションがよく、それほど待たずに座ることができた。明るくカジュアルな感じの店内。ランチビールを飲んでいる人が結構いて羨ましい限りだ。ランチは魚料理と肉料理の盛り合わせで1350円。安くはないが、王道の洋食という味わい。この日の魚はアジフライだったが、驚くほど風味豊かな味で、やはり居酒屋のランチとは違うと感心した。オムライスも1300円とやや高価だが、チーズの風味が効いていて、かなり美味しい。フワフワでデミグラスソースのモダンなオムライスより、私はこのようなトラディショナルなものの方が好きだ。総じて値段は決して安くないが、「さぼうる」などと同様、単に料理を楽しむというより、神保町の歴史を共有しているような充足感がある。毎週とはいかないが月に1回ぐらいは訪れたいと思う店だ。
2026年09月03日
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■ご先祖探し~その1■ご先祖探し~その2■ご先祖探し~その3■ご先祖探し~その4 ■ご先祖探し〜その5(完結篇1)■ご先祖探し~その6(完結編2)■ご先祖探し〜その7(完結篇3)2015年時点で15巻まで発刊されていた「彦根藩侍中由緒帳」。元本の47巻まで掲載ということで、前に学芸員の方から聞いていた、私のご先祖が掲載されている48巻までもう1巻というところだったのですが、それ以降、新刊が何年も刊行されていませんでした。侍中由緒帳彦根藩士の履歴を記した基本台帳。元禄4年(1691)、4代井伊直興(なおおき)が家老らに命じて作成が開始され、藩士各家で家の来歴をまとめて目付役に提出、編纂されました。履歴は廃藩まで書き継がれ、石高等の変化に応じて綴じ直されました。知行取(ちぎょうとり)藩士(侍中)が石高順に編冊されるほか、歩行(かち)・能役者・医者の冊もあります。https://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2015/01/771b8267721c905dd7efac32d6c96dc8.pdfもはや世に出ることはないのかなと思っていたら、忘れた頃に16巻が刊行されていました。私が最初に彦根藩の学芸員に問い合わせて、はっきりと「続刊の予定はない」と言われたのが、2007年のこと。再び刊行されるようになったのも奇跡的ですし、こうして15年の時を経て入手できたことに、少なからず感激しました。「ひこにゃん」や彦根城の世界遺産登録の動きなどもあるのかもしれませんが、私が何度か問い合わせたことも、「読者からの要望」ということで、少しは貢献したのかもしれません。こんなニッチな本なのに、価格が3千円というのは、実に良心的と思いました。******************As of 2015, volumes up to the 15th of the Hikone-han Samurajū Yuisho-chō (Records of Hikone Domain Samurai) had been published. The original work consists of 47 volumes, so it was just one volume short of volume 48, which includes my ancestor's record as I had been told by a curator before. However, no new volumes had been published for several years since then.Samurajū Yuisho-chōThis is the basic ledger recording the careers of Hikone domain samurai. Compilation began in Genroku 4 (1691) under the orders of the 4th lord Ii Naooki, who instructed his chief retainers to gather the histories of each samurai family and submit them to the overseers for compilation. The records continued to be updated until the abolition of the domain system, being reorganized as changes occurred in rice stipends and other matters. Besides the samurai records (compiled by rice stipend), there are also volumes for foot soldiers, performers, and doctors.https://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2015/01/771b8267721c905dd7efac32d6c96dc8.pdfI had thought that no further volumes would be released, but then, out of the blue, volume 16 was published. The first time I contacted the Hikone domain museum curator and was told plainly that "there are no plans for further volumes" was back in 2007. That the publication has resumed is almost miraculous, and I was quite moved to be able to obtain this volume after 15 years.It might be partly thanks to the popularity of "Hikonyan" and efforts toward registering Hikone Castle as a World Heritage Site, but perhaps my inquiries over time—representing "requests from readers"—also helped contribute a little.
2022年02月19日
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■ご先祖探し~その1■ご先祖探し~その2■ご先祖探し~その3■ご先祖探し~その4 ■ご先祖探し〜その5(完結篇1)■ご先祖探し~その6(完結編2)■ご先祖探し〜その7(完結篇3)ということで、さっそく届いた「侍中由緒帳」を読んでみようと思ったのですが…なんと、現代語訳ではなくて、原文がそのまま載っているので、書いてあることの半分も判りません。まあ上の欄に注釈はあるのですが。と思ったら、後ろの方のページで、それぞれの家についての解説が載っていました。家系図も載っていました。といっても我が家の場合、大した家柄でもないので、至ってシンプルなものです。昔、遠い親戚有志が編纂したという先祖の記録には、「代々嵯峨源氏の嫡流」(→もともとは森姓だったということが前回の私の調査で判明)とか「彦根藩では代々勘定奉行をつとめた」(→そんな偉い身分ではなかった)とか、かなり美化された先祖の記録が記載されていたものですが、今回あらためてこうして先祖の足取りを紐解いてみると、そもそも最初は「徒」という藩士よりもさらに下の身分だった(という言い方をすると先祖をディスるみたいでとても気が引けますが)ことがわかりました。解説の部分を要約すると…・当家は江戸時代中期に「徒」として召し出され、騎馬徒から中小姓にとりたてられ、江戸時代後期に知行取藩士となった家だそうです。・もともと「森作右衛門」と名乗り、京都町奉行組に属していたが、1722年に暇を取って京都で浪人となった。・4年後に井伊家に「徒」として召しだされて、京都で賄いの御用を務めた。・その後「渡部重左衛門」と名を改め、京都で仕事がなくなったので、彦根に引っ越すように言われて転居。・二代目も「徒」として二十六俵三人扶持を拝領。以降、藩主の娘たちの賄役などを勤め、四十三俵三人扶持に加増されて「騎馬徒」に取り立てられた。(どこかのタイミングで渡部→渡邉になったようです。)・三代目は、歩行として、藩主の参勤交代のお供などをした。五十五俵六人扶持に加増され、「中小姓」となった。さらに1837年になって70石を与えられて知行取りとなり、庭奉行を命じられた。・四代目は、稽古館素読方(藩校の先生?)などを勤めた後、家督を相続し、鉄砲玉薬奉行を勤めた。・五代目は、庭奉行や内目付役、北筋、南筋地区の代官や会計方など、いろいろ歴任したようです。五代目のみやたらと詳しく経歴が記載されているあたり、単に幕末の頃だったというだけでなく、有能な方だったのかもしれません。※当時、県東北部天野川以北を「北筋」、犬上川以南を「南筋」、その間を「中筋」と称していたようです。・拝領屋敷は1757年に小道具町に屋敷を拝領しており、1787年に川端へ転居。明治4年には、「鷹匠町」(現在の元町)に居住していたとの記録があるそうです。※徒士(徒)とは(引用)騎乗を許されない徒歩の軽格の武士をさしていう。戦国時代にみられる侍・足軽・中間(ちゅうげん)のうち、足軽の上層のものが江戸時代に入って徒士という士分の地位を得たものと思われる。諸家中の身分は、一般に士分である侍・徒士、軽輩である足軽・中間に区別された。ところで、同じ士分といっても徒士と騎乗を許された侍との間には、諸方面で格式上に大きな隔たりが認められた。たとえば、大略、侍身分のものは御目見(おめみえ)以上・知行取(ちぎょうとり)の格、徒士身分のものは御目見以下・蔵米(くらまい)取の格であった。徒士はいずれも小禄であったので、経済的には当初からきわめて窮乏し、そのために傘張り、楊子(ようじ)削り、竹細工あるいは俳諧(はいかい)、いけ花の指南(しなん)など各種の内職を営み、かろうじて生活を維持する状態であった。御家人の間では、募る窮乏に堪えきれず、その身分を株として売買することが行われた。武家の職名としての徒士は、また徒士侍とも称し、もとは走衆(はしりしゅう)ともいった。将軍・大名そのほか大身の武家の家中にあって徒歩の軽格の武士の勤めた役職であり、戦時には主君の旗本に備え、平時には行列供方(ともがた)の先導や主君の身辺警固にあたった。※「侍中由緒帳」ネタ、もう1回つづきます。***********************************So, I was eager to start reading the newly arrived "Samurai Register" (侍中由緒帳), but...To my surprise, it’s not a modern Japanese translation but the original text as is, so I understood less than half of what was written. Well, there are some annotations in the margins though.But then, toward the back pages, I found explanations about each family.There was even a family tree included. In our case, since we’re not from a very distinguished lineage, it’s quite a simple one.In the past, some distant relatives compiled an ancestor record that included somewhat embellished statements like “Direct descendants of the Saga Genji clan” (→ which I confirmed previously to be related to the original “Mori” surname) or “Served as accountants (kanjō bugyō) for generations in the Hikone domain” (→ which was not true for our branch).Reading the lineage details in the "Samurai Register" anew, I realized that originally our family was actually of a lower status than even regular samurai—called “kato” (徒), which is even below samurai status. (I hesitate to put it this way as it sounds like I’m disparaging my ancestors, but that’s what the record shows.)To summarize the commentary section:Our family was summoned as "kato" during the mid-Edo period, promoted from horseback footmen (kiba-to) to junior page (chūshō), and finally became a stipend-holding samurai family in the late Edo period.Originally named “Morisakuemon” (森作右衛門), they belonged to the Kyoto Magistrate's office but resigned in 1722 and became ronin (masterless samurai) in Kyoto.Four years later, they were called by the Ii family as “kato” and served the domain with household duties in Kyoto.Later, the name changed to “Watanabe Jūzaemon” (渡部重左衛門). Due to lack of work in Kyoto, they were instructed to relocate to Hikone.The second generation also served as “kato,” receiving a stipend of 26 koku and three attendants. They served as caretakers for the domain lord’s daughters, were promoted to horseback footmen with a stipend increase to 43 koku and three attendants. (At some point the name changed from Watanabe to Watanabe.)The third generation served as foot soldiers who accompanied the lord during sankin-kōtai (alternate attendance). Their stipend increased to 55 koku and six attendants; they became junior pages. In 1837, they were granted 70 koku and became full stipend-holding samurai, appointed as garden magistrates.The fourth generation served as reading instructors at the domain school (keikokan sodo kata) and later succeeded the family headship, serving as firearms and ammunition magistrates.The fifth generation held various positions such as garden magistrate, inner inspector, and district magistrate of the northern and southern parts of the domain. Their record is particularly detailed, suggesting they were competent and active during the turbulent Bakumatsu period.At the time, the northeastern part of the domain north of the Amanogawa River was called “Kitasuji,” the southern part south of the Inukami River was “Minamisuji,” and the area in between was “Chūsuji.”The family residence was granted in 1757 at Kodōgomachi, relocated to Kawabata in 1787, and by Meiji 4 (1871), they lived in Takajōmachi (today’s Motomachi area).Definition of “Kato” (徒士) (quoted):Refers to lower-ranking foot soldiers not permitted to ride horses. Among samurai, ashigaru, and intermediaries (chūgen) in the Sengoku period, those of higher rank ashigaru became “kato” in the Edo period. The ranks among samurai families were generally samurai/kato and lower ranks of ashigaru/chūgen. However, there was a significant difference in status between kato and riding samurai. For example, samurai with the rank of omemie and stipend holders (chigyōtori) ranked higher, whereas kato ranked lower with rice stipends (kuramai).Kato were all low stipend holders and lived in poverty, often supplementing income through side jobs such as umbrella making, toothpick carving, bamboo crafts, haikai poetry, or flower arrangement instruction. Due to growing poverty, some samurai sold their status as shares. Kato were also called “hashirishu” and served as foot soldiers in the households of shoguns and daimyo. In wartime, they supported their lord’s hatamoto; in peacetime, they led processions and guarded the lord’s person.The "Samurai Register" story will continue in one more post.
2022年02月25日
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ブルゴーニュの高騰により、今や村名1万円が普通の時代、ACブルも下手すれば5K以上、安価で知られていたような作り手のもの(たとえばルイ・ラトゥールとかフェブレとかアンブロワーズとか…)でも3.5K程度は出さないと買えなくなってしまった。一方で、定年を迎えながらいまだ大学生の子どもを持つ私の家計は大変ひっ迫しており、もはや高額なワインを買い続けることなど許されたものではない。そんなこともあって、ここ数年、ブルゴーニュのワインを購入することはなくなった。代わりに世界中の安価な銘柄を福袋やセットで購入して飲みつづけてきたが、正直、心の琴線に触れるような出会いは滅多になく、そうまでしてワインを飲みつづけることもないよなぁと自問自答している昨今である。そんな中、ひとつやってみようと思ったことがある。それは、他の品種を志向するのではなく、他のエリアのピノをあらためて探してみようということだ。地球温暖化が喧伝される昨今、かつてあまり良質なピノノワールの産地とはみなされていなかった地域がむしろピノの栽培にちょうどよい気候になっていたりしないだろうか。例えば、ドイツ、アルザス、ロワールといった地域だ。そんなことをつらつら思いながら購入してみたのが2Kのこのドイツのピノ(シュペートブルグンダー)だ。「ロバート ヴァイル ジュニアシリーズ」は、ドイツワインの知識に乏しい私ですら名前を知っているかのロバート・ヴァイル”がつくるデイリーライン。ブルーのラベルもなにげにオシャレだし、スクリューキャップというのもいい。そして、これがまさに「当たり」だったのだ!グラスに注ぐと、中程度から淡めのルビーでエッジはかなり緩んでオレンジのニュアンスが見える。香りは赤系果実のコンポートやアセロラ、ハーブなどのスッとする要素にスパイス類や熟成から来るスーボワっぽいニュアンスがわずかにまざって、実によい感じになっている。口に含むとチャーミングでクリーンな果実味の第一印象。冷涼感のある酸が液体を支えて、タンニンは滑らか。アルコール度は12.5度と低めで酒躯も総じて軽めなのだが、それでいてしっかりとエキス分があり、それにほどよい熟成感も加わって、口の中で大変よい表情を見せてくれる。2021年産といえば、5年経過していわけで、酒質にスケール感がない分、逆に小さな熟成のカーブのちょうどよいピークのころ合いにさしかかっているのだと思われる。値段も2Kそこそこと安価で、晩酌用のワインとしては、まさにストライクゾーンど真ん中といえるものだった。たまたまこのボトルがあたりだったのか、このような味わいを継続的に期待できるのか、同じ銘柄をもう何本か飲んでみないとわからないが、いずれにしても、ピノノワールに別れを告げるのにはまだ早いと思わせてくれたし、新たな銘柄を開拓してみようというモチベーションを与えてくれるような一本だった。ロバート ヴァイル ジュニア シュペートブルグンダー 2021年 ドイツ 辛口 赤ワインWeingut Robert Weil Junier Spatburgunder 2021 eu_ff】【DEU】価格:2,060円(税込、送料別) (2026/6/11時点)
2026年06月09日
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靖国通り沿いにあるパスタの店。店内に入ると自動販売機があり、チケットを買って注文。番号を呼ばれたら厨房のカウンタに取りに行くという、立ち食い蕎麦屋のパスタ版のようなスタイル。一蘭のようにカウンターに一人ずつ仕切りがあるのも斬新だ。ワンオペで大変そうだが、狭い店内を有効に活用しているなぁと感心する。私が注文したのはエビのトマトクリームの中サイズ。麺は自家製らしくもちもちとしていて悪くないが、成人男性だと、中サイズではやや物足りないかもしれない。次回は大を注文しようと思う。
2026年09月01日
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うきうきさんで購入した激安チリワイン。購入価格はなんと797円。グラスに注ぐと色調は濃厚なルビーで、エッジはくっきりとした赤紫。香りは火を通したブラックベリーに加えて、乾物屋っぽいスパイス。口に含むとジャミーな果実のアタック。酸はじりじりとして豊かでタンニンは豊富なながら比較的角が取れている。フィニッシュにはコーヒー的なフレーバー。構成要素が豊富でマスキュラーなワインだが、味わい全般にエグ味と苦味が強く、あまり杯が進まない、典型的な居酒屋ワインである。チリの安ワインを久しぶりに自宅で飲んだが、やっぱりこういう方向になってしまうのねという感じだった。これなら同じチリでもコノスルの「オーガニック」などの方が晩酌にはよいのかなと思う。【エントリーでポイント10倍】バルコ ヴィエホ カベルネ ソーヴィニヨン 2023年 D.O.コルチャグア ヴァレー(ビニャードス エラスリス オバリェ社)(コルクキャップ) ロット ナンバー入り【よりどり12本送料無料】 コノスル オーガニック カベルネ ソーヴィニヨン&カルメネール&シラー 2024 750ml 赤ワイン チリ
2026年09月02日
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だんだんと春めいてくるにつれて気になり始めていることがあります。それは購入して15年になる我が家のサイレントカーブ(100本収納)の調子です。過去2回故障して修理をしてもらいましたが、昨年の春先にも庫内の温度があまり下がらなくなって、ヒヤッとさせられたことがありました。以前のアンモニア漏れで冷却能力自体が衰えているのかもしれません。まあ年式も年式だし、さすがに次回故障したら買い替えかな、と思っていますが、調べてみると、サイレントカーブの100本、140本タイプはすでにドメティックさんのリストから消えているではありませんか!でもって、ドメティックさん、いつのまにか「マ・カーブ」なる新しいブランドを扱い始めているんですね。知りませんでした。2温度設定可能ワインセラーワインセラー【本州・四国への送料・設置料無料】 ドメティック マ...価格:169,800円(税込、送料込)100本収納できて16万円程度というプライスは魅力ですが、中国製というのがなぁ、というのが正直なところ。大丈夫なんでしょうか。使っている方っていらっしゃいますか?★楽天でドメテックのセラーを検索★セラーでもうひとつ気になるのは、ファニエルという日本のブランドです。最強レベルの冷却力が作る「カーヴ」【期間限定特価】ファニエル プレミアムクラス『SAF-280G ...価格:174,992円(税込、送料込)メーカー5年保証というのは一定の安心感がありますが、そもそも会社が潰れないことが前提です。製作元はさくら製作所という新興企業のようで、ヨドバシやビックカメラ、Joshin、セラー専科などが扱っているところをみると、それなりのバックボーンがあるんでしょうね。今のところ、サイズによってはメーカー欠品中とのことで、なかなか人気を博しているようです。あと、ここのセラー、ボルドータイプ89本収納とありますが、ブルゴーニュやシャンパーニュなどの太目の瓶は入れるのに苦労しそうです。設置面積や電気代が少なく済むというのは魅力なので、気にかけておこうと思いますが。★ファニエルのセラーを楽天で探す★なんといっても無難なのは、定番のフォルスターの70本収容タイプですかね。ただ、(中国製でとはいえ)10万台半ばで100本程度収納できるセラーが増えてきた今となっては、価格的にかなり割高感はありますね。ガラス扉だと30万を超えますからねぇ。#ちなみにロングフレッシュシリーズは「信頼の日本製」を大々的に謳っています。大人気ブランド!フォルスター♪ワインセラーフォルスター ロングフレッシュ ST-NV270(B)左...価格:249,900円(税込、送料込)★フォルスターのセラーを楽天で探す★フォルスター製品でもロングフレッシュでなくデュアルという新しいラインはお値段安めです。こちらは案の定というか、中国産なんですね。2つの温度帯で多彩な収納ができる【送料・設置料無料】フォルスター DUAL デュアル FJN-360G(...価格:282,273円(税込、送料込)ワインセラーもいろいろと安価な選択肢が広がったのはよいことだと思います。私のように100本前後のセラーが必要な愛好家はともかく、10~20本程度のセラーであれば本当に安く入手できるし、ずいぶんとハードルが下がりましたね。あとは、はたして耐久性信頼性がどうなのか。。メイドインチャイナには何度も痛い思いをさせられているので、そこだけが心配です。私としては、ヒーター機能も加湿機能もいらないので、とにかく10年間無事故で稼動してくれる、温度設定10~15度固定の大型冷蔵庫が欲しいです。部品はすべて白物冷蔵庫の流用で結構。上部10~15度、下部5度ぐらいの二段階にしてくれれば、チーズの熟成にも使えるのでなお可です。
2015年03月13日
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マッサージ棒とかグイグイ棒とか言われているこのタイプの指圧器、職場などで愛用している人も少なくないと思う。シンプルな構造だが、物によってはやたらと硬かったり、しならなかったりで、イマイチなものもある。その点、この品はとてもよい。もともと家内が愛用していたのだが、私もつられてネットで購入して、以来ずっと職場に置いている。ドイツ生まれのとのことで、柄の部分にドイツ国旗があしらわれているが、製品自体は台湾製らしい。製造元は、株式会社国際サービスセンターというところで、一体なにがドイツなのかよくわからない。そういった怪しさはあるが、前述の通り、使い勝手は確かなのである。家内曰く、「他の指圧器と比べると、しなり具合がちょうどよいし、寝ながらツボを押せるのもよい」のだそうだ。さて、そんなところに、上の子が1日中PCに向かう仕事をしてて、最近肩こりが酷く、腱鞘炎にもなってしまったという。それで、肩こり対策としてこれを買ってやろうかと思ったのだが、楽天やアマゾンを探しても、今はもう売られていない様子。さらにネットで検索して、以下のようなサイトを見つけた。アイムアイ化粧品 商品紹介http://www.isc-jpn.com/goods/pointkiku.htmlここが販売元らしい。「ドイツ生まれ」の謎もここに書かれていた!販売名 TSUBO・KEYCK(ツボきーく)この商品のちょっとした歴史数年前、私の友人がドイツの古道具屋で、この”ツボきーく”のオリジナルを見つけました。愛用した彼は「さすがドイツの合理主義!」と感嘆し、また、知人からもねだられたため、手を尽くしてみたものの求めることは出来なかったそうです。そこで私に同じものを何本か作ってほしいと持ち込まれました。以前にも同じような原理の品物を見たり、試したりしたことはありましたが、それぞれ一長一短で、このすばらしさはありませんでした。簡単に引き受けたものの、次々の難問にぶつかり苦心惨胆でした。フランクフルトの露店で名も無く売られていた、この絶品に”ツボきーく”と命名し、広く皆様の健康に役立てていただければと商品化いたしましたので、ご愛用いただければ幸いです。その他 意匠出願登録 5-6547製造販売元 株式会社 国際サービスセンター アイムアイ化粧品単にドイツの露店で売られていたものにヒントを得て作ったというのが真相のようだ(笑)。まあそれはともかく、この商品、もう販売されていないのか、直接この会社にメールで問い合わせてみた。「ツボきーく」を夫婦そろって愛用している者です。家内も他の指圧器とはしなり具合が違って、寝ながらツボを押せるのがよいと絶賛しています。それで、家族用にもう1本買い足そうと思ったのですが、楽天やアマゾンを検索しても今は売られていない様子。この商品はもう販売されていないのでしょうか?もし販売を継続されているとしたら、どちらで購入することができるでしょうか?また、直販でしか購入できない場合、商品代金、決済方法、送料等併せてお知らせいただければ幸いです。おそれいりますが、よろしくお願いいたします。数日経過したが、今のところ返信はない。返信があれば、また続報をアップしたいと思う。
2026年02月18日
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日々の学習で英会話とともにコツコツでやっている(というかやらざるをえない)のが「単語の復習」だ。私が英検や通訳案内士の勉強をしたのは50台半ば以降だった。学生時代や若い頃と比べると、この時に覚えた単語たちは、脳内での定着率がどうにもよろしくない。少し遠ざかっていると、あっという間に忘れてしまうのだ。#その点、大学時代に覚えた「でる単」の単語がいまだに記憶に残っているのとは大いに異なる。特に英検1級関連の単語は、英会話であまり出てこないこともあり、定期的な復習が必須となっている。現在、もっぱら復習に利用しているのがジャパンタイムズのこのテキストだ。出る順で最短合格!英検®1級単熟語EX 第2版 [ ジャパンタイムズ出版 英語出版編集部 ]価格:2,090円(税込、送料無料) (2026/7/17時点)英検1級の受験時は↓の「パス単」を中心に学習していた。パス単に掲載されている語の和訳語は大体1~2語に絞られていて、それが学習のしやすさでもあったのだが、実際に雑誌や新聞などの英文アーティクルを読もうとすると「パス単で覚えた語なのにそれとは意味が異なる」ものに結構出くわすことに気づいた。それで今は掲載語数や訳語の多い前述のジャパンタイムズの方を主に使っている。英検1級 でる順パス単 [ 旺文社 ]価格:2,090円(税込、送料無料) (2026/8/7時点)※と、ここで気づいたのだが、「パス単」が改訂されて6改訂版になっているではないか!どうやらこの7月に発売されたばかりらしい。私の合格後に改訂された5訂版が「平易になりすぎ」と評判が悪かったのは聞いていたが、まさか5年で6改訂版が出るとは思わなかった!何がどう変わったのか、近々購入して確認してみたい。ところで、これらの単語群は雑誌や新聞のリーディングでは頻出なのだが、会話の場面ではあまり(というかほとんど)使われない語も少なくない。英検1級の単語帳ばかり復習していると、日常の英会話の場で、こうした語は思い浮かぶのだけれども、よりシンプルな語が瞬間的に出てこないというやっかいな現象が起こってしまう(実のところ、この症状にかなり悩まされている。)そこで最近は、会話でより使う機会の多い、英検準1級や2級の単語の参考書をあらたに買い足して、併行して復習するようにしている。(こうした単語テキストは古本を丹念に探すと、時に驚くほど安く購入できる。先日ジャパンタイムスの2級用の旧版を送料込み320円で購入できた。)せっかく英検1級/2級のテキストを買い直したので、そこに収録されている「熟語」もこの際、総ざらいしようと思っているところだ(受験時には熟語をあまり熱心に勉強しなかった…)。TOEICや英検の受験時にスマホアプリ「Weblio」を活用していたことは以前の受験記にも書いた。57歳留学駐在経験なしオヤジの英検1級受験記〜その7(なんといってもボキャブラリ)今も有料プランには登録していて、気づけば受験時16個だったフォルダの数は52個に増え、登録語数はのべ4800語になった(重複語が多数含まれるが)。これらの機能はとても便利な一方で、Weblio自体、誤ったスペルで検索すると(ほんの小さなミスでも)エラーになってしまうとか、例文がときにやたら専門的技術的な怪文が表示されるとか、イマイチな場面も少なくない。そんなこともあって、最近は辞書代わりにもChatGPTを使う場面の方が多くなっている。ChatGPTで便利なのは、「この語は日常会話でもよく使われるのか?」とか「類義語同士の微妙なニュアンスの違い」とか「綴りが似ていて紛らわしい単語の覚え方」といったアバウトな注文にもよく答えてくれることだ。語学学習におけるAIの活用については、また項を改めて報告したいと思う。
2026年08月07日
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英会話帰りにクラスメートと、いつもの定食屋でなくどこか他の店に入ってみましょうかということになり、ぶらりと入ったのがこのイタリアン。というのもストリーム3階でここだけがやたらと混んでいたのだ。お店のおすすめ「濃厚卵と生ハムのトリュフビスマルク」を2人でシェア。2750円といいお値段だが、味の方はすばらしかった!ただ、この店、ワンドリンク注文MUSTでしかもお通し(スープ)までついてくる。ランチ時間で「ワンドリンク+お通し」というのは聞いたことがなかったので、少々面食らった。というわけで、ピザ自体はとても美味しかったのだが、結局ピザ1枚と飲み物で2人で5000円と、なかなか豪勢なランチになってしまった。帰宅してから、食べログで調べてみると、普通にランチメニューが載っているので、不審に思った。しかし、よくよく見ると「土日祝はディナーメニューにて1日通して営業致します。」という文字が‥。なんだか、やられたなぁという感じだった。とはいえ、ピザは美味しかったので、次回は夜訪問してみたい(夜にこの値段であれば十分リーズナブルだと思う)。渋谷駅直結の大人の隠れ家イタリアンPizza&Italian Leo
2026年08月26日
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金魚すくい出身、我が家に来て2年半の中和金。白点病をもらってきた当初はこんな感じでした。↓↑これが白点病療養時。かなり白点まみれになってしまいました。しばらくの隔離の後、水槽に戻してみると‥。まるで別人、いや別魚です。。。まあ、他の魚たちとも元どおり馴染みましたので、いいか‥。
2009年06月02日
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NOVAに通い始めて8ヶ月、このところ公私とも忙しくサボりがちだったが、所属元の三軒茶屋校のスタッフからしきりに「レベルチェックテストを受験せよ」との催促の電話があり、本日オンラインで受験してきた。普段習っている講師からレベルアップの推薦が出ていたのだが、その推薦状の有効期間が8月いっぱいだったのだそうだ。で、このレベルチェックテスト、私は正直、舐めていた。推薦状が出ているのだから、テストは形式的なものなのだろうととタカを括っていたいたのだが、ネットの情報などによれば、特に最上位のレベル9へは、水準に達していないとみなされれば容赦無く落とされるのだとか。#そもそもネットで検索しても、レベル9のレベルチェックテストのネタは非常に少なく、事前の十分な情報収集がかなわなかった。果たして、実際のリスニングの問題などは想像していた以上に難しく、自分の実力のほどを思い知らされた。今後、同様のテストを受けられる方の参考になると思うので、以下、私が受けた面接の内容を備忘録的にざっと書いておく。所用時間は20分程度。ZOOMによるオンライン面接形式。といっても自宅からではなく、スクール内にあるオンラインブースで行われる。今回の試験官は四国在住のイギリス人講師だった。遠方の教師が担当するのは、よく知っている講師だと手心が加えられるとかそういう配慮があるのかもしれない。最初に自己紹介を兼ねて、住んでいるエリアの話とか、どんな仕事をしているとか、趣味はなんだとか、そういった一般的なやりとりが数分間行われる。結構長いこと話した感覚があったので、すでに試験が始まっているのかと思ったら、じゃあ、これから試験を始めるからと言われて、え、ここまでは試験ではなかったの?と拍子抜けした。*リスニング1問目:友人間のゴルフの誘い。誘われた女性はほとんど経験がないからと躊躇するのだが、道具はレンタルできるとか、ウエアはカジュアルでいいとか、そんな感じで一緒に行くことになるやり取り。質問は、どのような会話がされたいたかというもので、比較的容易に答えられた。*リスニング2問目:これが難しかった。スポーツニュースだったのだろうか?あるスポーツ選手が急にチームを去ることになり、それが驚きをもって伝えられている様子。すでに数チームから誘いがあるらしい。というような内容だが、細部が全く聞き取れなかった。自分のリスニング能力はまだまだだと常々自覚しているが、それでも最近、ここまで全く聞き取れないということはなかったので、ある意味衝撃だった。*次に写真を見ながらの会話:スキューバダイビングと弓道の写真を見せられる。仮に試験官と私が親しい友人だとして、スキューバを始めたいと言っている試験官の人を、私がなんとか引き止めたいとすると、どのように説得(dissuade)するかという、よくわからない設問。おそらく「dissuade」の意味を知っているかどうかが肝だったのだろう。→スキューバダイビングは大変楽しそうだし私も興味はあるが、万一トラブルにあったときに、水中の事故ということでとりかえしのない事態に陥る可能性もあるので、やめたおいたほうがよいのではないか?代わりにアーチェリーなどはどうだろうか?というようなことを婉曲に伝えた。〜普段会社にはどのように行っているか?(How do you get to work?)→この質問を、私はHow do you get works?と取り違えて、まるであさってのやりとりをしてしまった。おそらくget to workの語彙を知っているかを問う質問だったと思われるが、このやりとりで試験官に「やれやれ」というような表情をされて、ああこれは落ちたなぁと心が折れかけた。〜日本の公共交通機関が発展しているのはなぜだと思うか?→ひとつには、時間を厳守する日本人の国民性があると思う。その厳しい要求に応えるため、公共交通機関もシビアな運行が求められる。‥というようなことを答えたところ、うん、まあそれもひとつの理由だねと言われて、次に〜日本の公共交通機関はどのような要改善点があるか?という質問が続いた。→咄嗟に答えが思い浮かばなかった。やや的外れだなぁと思いつつ、「たとえば観光地で最近外国人観光客が増えて、地元の住民が公共交通機関を利用するのに難儀するという話をよく聞く。自治体が主導で観光用の循環バスを導入するなどするとよいのではないか。」というようなことを答えた。講師は少し怪訝な顔をして、興味深い意見だね、などと言っていた。〜自分の趣味で、何か追加したいものはあるか?→質問の意図がわからず、最近運動不足なので、なにか運動を‥と言いかけたら、そうではなくて、今の趣味をさらに広げるためになにか追加したいものはあるのか?ということのようだった。「もっとよい写真をとるために交換レンズを購入したい」と答えた。〜自分の住んでいるところについて→最初の雑談の内容が被っていて、ひょっとしてもはや消化試合的な質問なのだろうかと訝りつつ回答。「自分が住んでいるのは東京の23区の西部にある世田谷区というエリアで、23区の中では人口が最も多い。住宅地で比較的富裕な層が住んでいると言われるが、自分は決してそうではない。私が住んでいるのはその中では商業地として栄えている三軒茶屋という街だ。」というような回答。特に追加質問もなく、そのまま面接はそっけなく終了。試験が終わって、ブースを出ると、結果が送られてくるまでしばらく待ってくれと言われて、フロントで待機した。結果もなにも、この体たらくではランクアップどころか前回よりもポイントが下がっていてもおかしくないかも、とかなり打ちひしがれていたのが、10分ほどして担当の女性が、「おめでとうございます。」と言ってペーパーを持ってきた。NOVAスコアは8.5、前回は8だったので、スコアはワンランク上昇した。クラス編成のもとになるレベル分けでは、レベル9=8.5〜9レベル8=7.5〜8なので、ギリギリながら、レベル8からレベル9へのランクアップを果たせた。これで推薦してくれた講師にもなんとか顔が立つというものだ。ちなみにこのNOVAスコアというのは、IELTSのスコアに準拠しているとのことだが、私自身、自分の会話力がIELTS8.5のレベルにあるなどとは到底思っていないので、実際はIELTSのそれよりかなり甘めなのだろう。こちらが項目別のチェックリスト。前回(体験レッスン時)は100項目中クリアできていたのが85項目だったが、今回のテストで92項目まで上がった。あれほどリスニングができなかったのに?と、正直やや狐につままれたような気分だった。多分にオマケの面もあるのかもしれない。Fluencyの評価がコンプリートになったが、他の項目はそれぞれ満点にはあと2項目だった。とまあ、テストが散々な出来だったわりには、かろうじてレベルアップを果たせて、結果オーライと言えなくもないが、私自身、英会話についてはまだまだだという現実をあらためて突きつけられた。今回の20分のテストの中でも、振り返ると、もっとこう話しておけばよかったとか、あの言い方はなかったなぁと思う部分が多々ある。その意味では、嬉しさよりもむしろ悔しさが募る結果だった。なお、NOVAでは、レベルが8から9に上がると、新たにレベル9のレッスンを受けられるようになるのに加えて、レベル8以下のレッスンを割引で受講できるようになる。ただし、レベル9のレッスン受講に必要なポイント数は1.5ポイントと、それまでの1.1ポイントよりも多くなるため、差し引きであまりお得感はないような気もする。レベル9のレッスンはグループレッスンでも3名までに限定されるが、レベル8までのグループレッスンにおいても、人気講師や週末午前中などの時間帯でない限り、参加人数はおおむね1〜3名程度だった。そんなわけで、しばらくの間はこれまで通りレベル8のレッスンを中心に受講しながら、徐々にレベル9のレッスンを受けてみようかと思っている。追記:今も引き続きレベル8のグループレッスンを受け続けているが、受講生が2人だけのとき、講師が「君たちはどちらもレベル9だから云々」と言うのを何度か聞き、レベル8にまざってグループレッスンを受けているレベル9の人って結構いるんだなぁと思った(しかも、私がこういうのもなんだが、もうひとりの受講生のレベルはそれほど高いとは感じられなかった)。おそらく長く通っている年配の受講生の場合、レベル8になってから何年か経つと、推薦をもらえてそれなりに自己表現をできればレベル9に上げてもらえるのではないかと思う。ということで、NOVAのレベル9って、ネットの一部記事に書かれているほど、レアのものでもエクスクルーシブなものでないということに今更ながら気がついた次第。It’s been eight months since I started taking lessons at NOVA. Lately, I’ve been busy with both work and personal matters, and I’d been slacking off a bit. Then the staff at my home branch in Sangenjaya kept calling me, urging me to take the level check test. So today, I finally took it online.Apparently, one of the instructors I regularly study with had already recommended me for a level-up, but I didn’t realize that the recommendation letter would expire at the end of August.To be honest, I underestimated the test. Since I had a recommendation, I assumed it was just a formality. But according to what I’d read online, especially for the highest level—Level 9—if you don’t meet the standard, you’ll be rejected without mercy. In fact, there wasn’t much info online at all about the Level 9 test, so I couldn’t really prepare myself.As it turned out, the listening section was much harder than I expected, and I quickly realized just how limited my ability still is.For anyone who may take the same test in the future, I’ll jot down a quick record of what I experienced.Test FormatAbout 20 minutesOnline interview via Zoom, conducted in a booth inside the school (not from home)Examiner: a British instructor living in Shikoku (probably to avoid bias from local teachers)The session started with small talk—where I live, what I do for work, my hobbies, etc. It went on for a while, so I thought the test had already begun. But then the examiner said, “Okay, let’s start the test now,” and I was a bit thrown off.Listening SectionQuestion 1: A casual conversation between friends about going golfing.One woman hesitates because she’s inexperienced, but is reassured that rentals are available and casual clothes are fine. The question was basically about what the conversation was about—fairly easy.Question 2: Much tougher. It seemed like a sports news segment. A player suddenly leaving a team, surprising everyone, with several offers already on the table. I couldn’t catch the details at all. Honestly, it was shocking—I usually catch something, but this time I drew a complete blank.Picture DiscussionTwo pictures: scuba diving and archery.The setup: if the examiner (as my “friend”) wanted to start scuba diving, how would I dissuade them? Clearly this was testing whether I knew the word dissuade.I said something like: “Scuba diving looks fun and I’d love to try it too, but accidents underwater can be life-threatening. Maybe you should reconsider. How about archery instead?”Other QuestionsHow do you get to work?I misheard it as How do you get works? and gave a completely off-base answer. The examiner gave me a look like, “Oh dear.” That really deflated me.Why do you think Japan’s public transportation is so well-developed?I answered: because Japanese people are punctual, and the system needs to meet those high expectations. He said, “Well, that’s one reason.”What needs improvement in Japan’s public transportation?Caught off guard, I said something about how foreign tourists crowd local transport in popular destinations, and maybe municipalities should introduce shuttle buses for sightseeing. The examiner looked puzzled, then politely said it was “an interesting idea.”Would you like to add anything to your hobbies?At first I misunderstood and said I should exercise more. But what he really meant was something to enhance my current hobbies. I then said I’d like to buy an extra lens to take better photos.Tell me about where you live.I explained that I live in Setagaya Ward, the most populous of Tokyo’s 23 wards. It’s considered an upscale residential area, but that doesn’t apply to me—I live in Sangenjaya, which is more of a bustling commercial hub.And that was it—the interview ended rather abruptly.ResultsAfter the test, I waited at the front desk, fully convinced I had failed. But ten minutes later, a staff member came back with, “Congratulations!” and handed me the results.NOVA Score: 8.5 (previously 8.0)That just clears the threshold for Level 9 (8.5–9.0), up from Level 8 (7.5–8.0).I was stunned. My listening had felt disastrous, but my checklist results improved from 85/100 items (last time) to 92/100 this time. Fluency was marked as “complete,” though I’m still two short in the other areas.So despite fumbling through the test, I managed to level up. Still, rather than joy, I mostly feel frustrated, because I can see so many spots where I could have answered better.Thoughts on Level 9At NOVA, moving from Level 8 to Level 9 unlocks:Access to Level 9 lessonsDiscounts on Level 8 (and lower) lessonsBut Level 9 lessons cost 1.5 points instead of 1.1, so it doesn’t actually feel like a bargain. Group lessons are limited to 3 students, though in Level 8 I usually had only 1–3 classmates anyway. So I’ll probably keep taking mostly Level 8 lessons, while gradually trying out Level 9.Update: I’ve noticed that some Level 9 students still join Level 8 group lessons. A few times, the instructor even said, “Both of you are Level 9, so…” Honestly, their level didn’t seem that much higher than mine. It seems that for long-time students, once they’ve been at Level 8 for years, a recommendation plus decent self-expression can get them bumped up. So I’ve realized Level 9 at NOVA may not be as exclusive as some online articles make it out to be.
2024年08月24日
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週に2~3回のペースで英会話スクールや英会話カフェ、勉強会に通っていることは前のエントリーで書いた。アウトプットの機会が増えたことで、以前より多少なりともスピーキング能力は向上していそうなものだが、実際はまだまだである。なにぶん私の英語は「受験英語」なので、シリアスなディスカッションや日本文化事象の紹介などには比較的対応できる一方で、なんということのない日常会話がどうにも拙い。ボキャブラリのところで書いたように、中高生で習うようなごく平易な単語が瞬発的に出てこなかったりするのだ。英会話でいえば、レッスン中よりもむしろレッスンの始まる前などのとりとめのない会話がなかなか思うように喋れない。NHKラジオ ラジオビジネス英語 2026年8月号[雑誌] 【電子書籍】価格:670円 (2026/8/14時点)ここ数年、リスニングとアウトプットの練習の両面でNHKの「ラジオビジネス英語」のテキストを毎月購入してきたが、最近はあまり熱心に聴かなくなってしまった。というのも、私の環境では、もはやビジネス英語を話す機会はないからだ。NHK ラジオ ラジオ英会話 2026年 9月号 [雑誌]それで最近はアウトプットの教材として、むしろこちらの「ラジオ英会話」を聴いている。内容的にはワンランク平易だが、日常の場面での崩した英語のやりとりが多く、今の私にはこちらの方が実践的に感じられる。ちなみに番組は毎回、大西泰斗先生の脱力的なネタやダジャレで始まるが、大西先生は名著「一億人の英文法」の著者でもある。さて、スピーキング以上に遅々として進歩しないのが、リスニング能力である。というのも、英会話スクールや英会話カフェはどこまでいっても、講師やホストが「英語学習者に向けて」「手心を加えて」話すからだ。私が相変わらず聞き取れないのは、ネイティブ同士がくだけた英語でキャッキャと話しているような場面で、そういう会話はおそらく半分も聞き取れていないと思う。なんとなく何を話しているかぐらいはわかってもディテールがまるでわかっていないという状態だ。もうひとつ、私の弱点は、「ボーッと聞いている状態」では細部がまるで聞き取れないということだ。たとえば、(日本語で)考え事をしながらBBCを流していても、英語が単に音としてしか入ってこない。聴き取ろうとしない限り聴き取れないのは、老化の進む私の脳の限界なのだろう。音声DL BOOK 杉田敏の 現代ビジネス英語 2026年 夏号 (語学シリーズ) [ 杉田 敏 ]価格:1,540円(税込、送料無料) (2026/8/14時点)NHKのラジオ英会話以外では、前にも紹介した杉田 敏先生のこのムック本を今も毎回(3か月に1度)購入している。ただ、ここに出てくる英文は(色々な語法やイディオムを盛り込んでいるためと思われるが)読んでいてあまりリズムがよくない。会話は比較的Politeでわかりやすいが、上記のような私の弱点補強向きではない。なので、そろそろ毎回購入しなくてもよいかなと思い始めているところだったりする。NHKといえば、「ニュースで学ぶ現代英語」もらじるらじるでよく聴いている。MCのトラウデン直美さんの負けず嫌いな感じが微笑ましいし、トム・ケインさんの解説英語はすごくわかりやすい。再放送比率をもう少し下げてくれれば言うことないのだが。ラジオといえば、BBCワールドはあいかわらず通勤途上などで聴いている。ただ、BBCワールドの場合、ひたすらブリティッシュイングリッシュのシャワーを浴びられるかといえばそうでもなくて、全体のかなりの部分を癖のあるアフリカ人やアジア人の話す英語(インタビューなど)が占めている。まあそうした英語に接するのも英語学習のうちなのかなぁと思って聴いている。#ちなみにBBCワールドは、ラジオのストリーミングアプリで聴くより、YOUTUBEで聴く方が音がよいことに遅ればせながら気づいた。YOUTUBEはある意味ネイティブ英語の宝庫で、字幕表示をオンにすれば「答え合わせ」にもなってよいのだが、さて学習用に何を使おうかとなるとこれが悩んでしまう。前に紹介した「フレンズ英会話」は今もよく聴いている。そしてそのたびに肝心な部分を聴き取れずに落ち込んでいる。よくある「ネイティブ英語を聞き取れない原因はこれだ!」的なコンテンツは、収録例が極端なケースが多くて、あまりピンとこないケースが多い。「ながら視聴」で可能な、リスニングやスピーキングの向上に資するよいコンテンツがあれば、ぜひ紹介してほしい。
2026年08月25日
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割田さんのシルヴァン・パタイユ2023年ちょっと珍しいですね。みちのくさんの[NV] スパークリング グリューナー・ヴェルトリーナー ザックス古臭い、もといトラディショナルな作り手です。みちのくさんよりアルベール・モロの18&19ボーヌ 1級 サン・ヴィーニュ。6k台同じくみちのくさんの19ニュイ・サン・ジョルジュ 1級 レ・ヴォークラン ドメーヌ・ロベール・シュヴィヨン。送料無料ウメムラさんよりロベール・グロフィエのシャンボール・ミュジニー 1er レ・センティエ [2021]この銘柄も1万超えですね‥ロベール・グロフィエ ブルゴーニュ コート・ドール ルージュ レ・ジャルダン・ド・マリ・エ・レア [2024]ギュファンエナンが作るバルザック。シャトー・クロジオ バルサック・ブラン クロジオ・ボノー [2019]7ウメムラさんのNEW 世界のスパークリングワイン 6本セット (スペイン・南ア・イタリア・ドイツ・フランス・チリ)ウメムラさんよりメゾン・ルロワのコトー・ブルギニョン ブラン [2023]エスカルゴさんよりポティネ アンポーのモンテリー ルージュ[2017]同じくエスカルゴさんよりジャック・カシューおエシェゾー グランクリュ2022エスカルゴさんのグリオット シャンベルタン グランクリュ[2023]ドメーヌ デ シェゾー(アラン ユドロ ノエラ)※アラン・ユドロ・ノエラの当主シャルル・ヴァン・カネットが2021年にドメーヌ・デ・シェゾーを買収して手掛けた初ヴィンテージが2023年。デ・シェゾーはグリオット・シャンベルタンの半分強1.264haを所有する最大の所有者であり、かつてポンソとルネ・ルクレールにそれぞれメタヤージュ契約していた。ワインはユドロ・ノエラで醸造され、熟成はジュヴレ・シャンベルタン村にあるデ・シェゾーのカーヴにて行われた。😭
2026年08月30日
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過去に何度か書いたテル子女神像。三軒茶屋の新名所?「テル子女神像」 | https://plaza.rakuten.co.jp/szwine/diary/201011210000/こちらのエントリーでも少し触れています。https://plaza.rakuten.co.jp/szwine/diary/201702080000/?scid=wi_blg_amp_pagehead_pre検索すると結構な数の記事がヒットします。それらを総合すると、どうやら隣に住む老婆が建てた自分の胸像だというのが真実のようです。テル子女神像の真実 - NAVER まとめhttps://matome.naver.jp/odai/2142822004393375401東京DEEP案内 三軒茶屋・太子堂商店街脇「テル子女神像」の謎https://tokyodeep.info/taishido-teruko-megamizou/「テル子女神像」をご存知ですか?http://yamadano100.jugem.jp/?eid=25久しぶりに前を通ったところ、草がボウボウですが。かろうじて手入れはされている様子。スマホで撮影している私の横を老人が訝しげに通り過ぎて行きました。この像を怪しいと思ったのか、それを撮影している私を怪しいと思ったのか・・。それにしてもこの界隈、虫や蚊なども多そうだし、こんな状態で放置されては近隣の家はたまらないですねぇ。
2018年06月07日
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5月4日は、カミさんや子供とともに迎賓館のライトアップを見に行ったのですが…。なと迎賓館は入場のための手荷物検査で、2時間半待ち。60分ぐらいなら待つ覚悟はありましたが、さすがに2時間半はないわー、ということで、断念しました。結局迎賓館で撮影した写真はこの1枚でした。受付待ちの殺伐とした列も写真に収めておけばよかったですね。近場になにかないかとググって、歩いて10分ほどの「須賀神社」に行ってみることにしました。アップダウンがあって、地図上の表示よりも遠く感じました。さて、この神社、名前を聞いてピンときた人もいるかと思います。映画「君の名は。」の最後のシーンで主人公がすれ違う階段のシーンのモデルになったのが、この神社の入り口の階段なのだそうです。この日はすでに夕刻でしたが、外国人のグループが3〜4組きていて、代わる代わる撮影していました。帰路は四谷三丁目の駅前で蕎麦を食べて帰りました。なんだかんだで1万2000歩歩きました。
2023年05月09日
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私のブログの中でもアクセスの多いネタのひとつである「テル子女神像」。最近はその存在すら忘れていたが、どうやら2020年に「ナニコレ珍百景」で紹介されたらしい。ネット上を検索して、いくつか新しい投稿を見つけた。テル子女神像(太子堂)2021年のこちらのブログの記事によれば、2020年3月15日のテレ朝の「ナニコレ珍百景」に登場していますし、地元ではそこそこ知られた存在のようです。「君は僕の女神だ」と口癖のように言っていたご主人が亡くなり、夫婦で暮らしていた家の跡地にテル子さん自身が2010年ごろに立てたそうです。テル子さんはご存命らしいです。やはりこの像はご本人が建てたという説が本命のようなのだが…空き地の女神像「テル子女神像」場所は?歴史は?こちらのブログの中では、以下の解説が引用の形で載っている。老婆は何十年もの間、この周辺で事故等で亡くなった猫をこの敷地に埋めて弔ってきたそうです。その数37体。数年前にご主人の勧めで、この女神像を建てることにしたそうです。「猫にも心があるんですから」と、毎日像を磨き手入れを欠かさないそうです。「この像の表情は変わるんですよ」という老婆は、過去の色々なエピソードを語ってくれました。この像の説明書きの看板は作らないのですか、という問いには「要は心ですから、わざわざ説明するつもりはありません」とのこと。像に手を合わせ、その場を後にました。ネコの墓というのは初耳であるが、ご本人が語ったというのなら、そういうことなのだろう。しかし私は25年以上太子堂に住んでいるが、猫の死骸を見たことなど一度もなく、37体もの猫を埋めて弔ったというのがどうにも実感がわかない。(まあ1960~70年ごろまで遡ればあり得ない話でないのかもしれないが…。)それに、猫を弔うのに、はたして自分の胸像を立てるだろうかというシンプルな疑問も湧いてくる。像の隣に建てられている「太子堂山下公園」なる標プレートも意味不明だし、ちょっと私たちの常識の尺度では測れない感性だ。*****************…とここまで下書きを書いて長らく放置していたところ、「X」上で、「テルコ女神像は撤去されて、今はない」という投稿を目にした。え?マジ? ということで、さっそく見に行ってみたら…。なんと、像は撤去され、その隣の古い家屋もなくなっていた。通りはすっかり整備されて、建売住宅と思しき綺麗な戸建ての家々が立ち並んでいる。「X」の関連投稿をさかのぼってみると、どうやら2023年の9~10月ごろに撤去されたらしい。なにがあったのかは、おおむね想像できるし、まあそういうことなのだろう。かつて像のあったあたりの写真も撮ったが、そのような写真をアップするのは、現在の住人たちにとっては迷惑なことでしかないだろう。なので、掲載するのはやめておくことにする。ということで、このネタもこれにて終了である。
2025年04月21日
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かなり古そうなビルに不釣り合いなほどカラフルなネオンサイン。一見怪しげな雰囲気があるが、至極全うなタイ&南インド料理の店である。定番ノカオマンガイ。ランチにはサラダとトムヤムクンがついてくる。こちらも定番のガパオ。この日はカオソーイ(ココナッツ風味のカレーラーメン)を注文。なかなか美味でした。ランチは税込み1210円とやや高価だが、トムヤムクンがついてくることを思えば、まあそんなところかなという気も。単品で1000円ぐらいで食べられれば、もっと頻繁に訪問するのだが…。
2026年08月27日
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飯田橋で会議の予定があったので、早めに行ってどこかでランチを食べようと、ぶらついていて見つけたのがこの店。ランチメニューはこんな感じ。手ごねハンバーグが目玉らしいので、注文してみた。珍しいのはゆでたまごの食べ放題サービス。各テーブルに無造作にゆで卵が置かれている。食べ放題といっても注文したハンバーグにも目玉焼きが乗っているし、そうそう個数を食べられるものでもない。試しに一個だけ食べてみたが、普通のゆでたまごだった。手ごねハンバーグはサラダやスープもついていて、これで1000円なら今のご時世十分リーズナブルといえる。味の方はまあ普通。次回は他のメニューを注文してみようと思う。なお、この店、ランチタイム電子たばこ可で、夜は紙たばこも含めて全席喫煙可になるとのこと。愛煙家には嬉しい店かもしれない。私は絶対に夜は行かないけど。帰路、平安大神宮を参拝。女性参拝者が9割ぐらいを占めていた。飯田橋 居酒屋 生ハム 単品飲み放題肉&生ハム 隠れ家バル ボノボ
2026年08月29日
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浜松遠征した際、新幹線が遅れて、中途半端に待ち時間ができてしまったので、駅のそばでおいしそうなうなぎの店はないかな、と食べログで検索してみました。http://r.tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22000096/駅から5分かからないぐらいでしょうか。アイフォンの地図を頼りに行って見ましたが、特に迷うこともなく到着。うな丼が2Kぐらいから、うな重が3K前後。結構いいお値段ですが、せっかくなのでうな重を注文してみました。肉厚でありながら、安手のウナギのようなブヨブヨした感じやゴムのような食感はなく、身に締りがあります。やや焦げた感じとでもいうのしょうか、コーヒーで言うところのダークロースト的なフレーバーのタレは、個人的にややスイートスポットからはずれますが、客観的にみてレベルはとても高いと思いました。私はたまたま12時ちょうどに入ったので、すんなり入れましたが、12時を回って入ってきた客はかなり待たされていたようでした。次回は白焼重を食べてみたいです。
2011年08月28日
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#なんと、YOLのコラムでこんな記事も書いていたのでした。2012年の12月のことでした。昨年末、Googleのアカウントが乗っ取られ、気づかぬうちにスパムメールの送り主になってしまうという事件が相次ぎました。Yahooニュースのトピックスにもなったので、ご記憶の方も多いと思います。実は私もこの「乗っ取り」の被害にあった一人です。それは暮れも押し迫った昨年12月27日のことでした。実質この日が職場で過ごす年内最後の日ということで、挨拶回りと書類や机周りの整理をしてのんびりすごそうかと思っていました。それが思いがけず、朝の9時半前に届いた一通のメールがきっかけで、「てんやわんや」の一日を過ごすことになりました。ワイン仲間のM氏から届いたそのメールには、「渡辺さんのGmailのアドレスからスパムメールが届きました。流行ってる乗っ取りだと思います。グーグルで対処策出してるみたいなので、対応された方が良いかと思いメールしました。」と書かれていました。いや、全くもって寝耳に水です。慌ててGmailを調べてみると、朝の9時11分に、私のアドレスから同報で2回に分けてメールを送信した履歴がありました。私が送ったメールにタイトルはなく、本文に怪しげなURLだけが貼られていました。アクセス記録をみると、まさに同時刻の9時11分にUSAからのアクセスが記録されていました。おそらくこのときにアカウントを乗っ取られたのに間違いありません。第三者が見たら、このときの私はまさに「パニック」状態だったと思います。例えてみれば、帰宅すると家に空き巣に入られた跡があって、被害の全貌がまるでつかめていないというような状況でしたから。私自身、自分の顔からサーッと血の気が引いていく音が聞こえるかのようでした。まずは被害の拡大を防ぐべく、ノートパソコン(会社のものではなく私物)をネットから切断して、パスワードを変更、さらにGoogleが推奨する「二段階認証」を設定しました。さらに、Gmailと同じパスワードをそこかしこで使っていたことに思い当たり、それらもすべて変更しました。SNSやネットバンキングや楽天、アマゾン、ヤフオクなどについても、万一漏洩していた場合に備えてすべて変更しました。念のため、クラウド系のサービスに保存していたファイルもすべて手元のPCのローカルフォルダに移動後、削除しました。結局、この日は昼飯抜きでした。ところで、なぜ当ワインコラムでこんな話を書いているのかと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。私のGmailアドレスは仕事には一切使用しておらず、プライベート用途でのみ使っています。(パソコンも私用のものを使っています。)プライベート用途ということはすなわち、その大半がワイン関連なのです。今回改めてチェックしてみたところ、Gmailのメールボックスの中身の8割以上はショップからメルマガやワイン仲間とのやりとり、ワイン関連の原稿のやりとりなどで占められていました。 スパムメールを送ってしまった先は30件弱と当初心配したよりは少なめでしたが、それらのアドレスについても、ほとんどがワイン関係、某誌編集部とか、ワイン会でご一緒している人たちとか、海外のブローカーだったりとか、はたまた当YOLご担当の山本さんとか…。これらの方々にはすぐにメールを送り、お詫びとともに、メールを削除してもらうことと、本文に載っているURLには決してアクセスしないようお願いしました。すでにURLをクリックしてしまったという方(ウチのカミサンを含む)には、ウイルス定義ファイルとOSを最新にアップデートしてもらって、ウイルススキャンをかけてもらうようにお願いしました。私のパスワードは英文11文字で、他人には意味不明な文字列でした。適当に入れて破れるものではなかったはずです。どこでどう漏れたのか全く見当がつきません。思い当たるフシがあるとすれば、比較的最近アンドロイドのスマホを使い始めたことしょうか…。それにしても、ワイン仲間との連絡やワインの購入、ワイン関連情報の収集、原稿のやりとり、他の方のブログ閲覧、Facebookやツイッターなど、今や自分のワイン関連の活動はネットが頼りです。ワインを飲み始めたころと比べると隔世の感がありますが、一方で、便利なことには落とし穴もあるということを身をもって知らされた次第です。ネットのセキュリティに関して、もっと日頃から注意を払わなければと肝に銘じました。ご迷惑をおかけしたみなさま、本当にゴメンナサイ。
2018年02月07日
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山本昭彦さんがブログでリオハのワインを礼賛していますが、私もまさに同感です。先だって飲んだこの銘柄が目から鱗の美味しさだったので、近所の信濃屋でリピートしてしまいました。赤と黒の中間ぐらいの果実、ミント、バニラ、シナモン、タバコなどのかぐわしい香り。味わいは力強くはないものの、果実味は充実しており、酸はしなやかで豊か、タンニンはなめらかに溶け込んでいます。若いころは樽でコテコテだったと思われますが、リリース後6年を経て、ちょうど良い具合にたそがれはじめています。木村硝子CAVAの22オンスのグラスだとちょうど良い感じに香味が開いて美味しく飲めます。なにはともあれ、2kでこの香味はすばらしい。ネットで探してリオハのワインを数本仕入れてみました。少しずつスペインワインの比率も増やしていこうと思う今日この頃。★★★★★楽天でマルケス・デ・リスカルを探す★
2014年11月15日
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掲載タイミングを逃してしまいましたが、1週間ぐらい前の水槽の様子です。姿勢を保てなくなってしまったブラックエンジェル。我が家の最後の生き残りで、さすがにもう寿命なのだろと思われますが、横になったり逆さになったりしながら、なんとか餌を食べています。一方、ブラックモーリーの二度目の産卵で生まれた稚魚たちは、水草に隠れてなかなか姿を現しませんが、数えてみるとどうやら6匹いるようです。こちらは初回の産卵で生まれた稚魚。気づけばずいぶん大きくなりました。めずらしく親子兄弟そろい踏みになりました。親魚と初回産卵の稚魚、そして今回の稚魚。大きさがこんなに違います。稚魚たちは日々成長していて、最初の2匹の稚魚は現在ほぼネオネトラ並みの大きさに、末っ子たちもさらにひとまわりぐらい大きくなっています。そうこうしているうちに、また親魚の腹が大きくなってきました。遠からず3度目の出産があるかも…。
2022年04月11日
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久しぶりに新橋駅前の「そば田」に行こうと思ったら、遅い時間だったためか、クローズ中。それでとなりにあるこちらの店に入ってみました。カウンタースタイルのチェーン店です。月見ねぎとろ丼、750円。そこそこ本格的なねぎとろ丼が牛丼屋のような感覚で食べられるのは悪くないですが、目計算より少し値段が高めかな、という感じです。ねぎとろの色合いがイマイチですが、毒々しいような色合いよりは自然でよろしいのかと思います。積極的に再訪しようとは思いませんが、たまにはよいですね。
2022年08月10日
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最近、川沿いを歩くことと、古民家を巡るのが、自分の中でちょっとしたブームになっています。「次太夫堀公園」「岡本民家園」「日本民家園(川崎)」と訪れて、他に近隣に古民家はないかと探したところ、目黒区にも碑文谷にもあることを知り、さっそくバスで出掛けてみました。我が家からバスと徒歩で30分ぐらい。古民家は目黒区碑文谷の「すずめのお宿緑地公園」の中にあります。昔は竹林に囲まれた邸宅だったようですが、持ち主が自治体に遺贈して公園になったのだとか。竹林にすずめが数多く集まったことから、このような名称になったようです。こちらが目当ての「民家園」。屋根はもともと藁葺だったところ、移設の際、消防法の関係でこのようになったそうです。この古民家は江戸時代中期に創建されたと推測され、安政4(1857)年に大きな改築が行われた記録があるそうです。持ち主だった栗山家は旧衾ふすま村の旧家で、江戸時代には代々「年寄」という名主や庄屋を補佐する役職を務めた家柄だったそうです。旧年寄宅とのことで、豪勢というほどでないにせよ、なかなか立派な造りですね。家の中にこのようなチラシが置いてありました。勉強になります。フォト蔵で回転をかけると縦横バランスがおかしくなってしまうので、このまま掲載しておきます。
2023年01月20日
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「蔵味珈琲」を出たあとは、大通りや時計台のあたりを軽く散歩しながら、息子(北海道在住)と待ち合わせの店へ向かった。この日の札幌は都内よりは寒かったものの、コートはなくてもよいぐらいの心地よい気候だった。息子が選んだ店は道内に多くの店舗を展開する「夜空のジンギスカン」、通称「よぞじん」。薦められるがままに、3種のジンギスカンの食べ飲み放題メニュー、(値段失念、概ね4000円強)にしたが、60近い私にはややToo Much感は否めず。美味しかったですけどね。翌日の会合を心配して、にんにくの効いたたれは控えめにした。衣服ににおいが残らないか、少し心配だったが、ホテルでたっぷりファブリーズを散布したおかげか、誰からも指摘されることはなかった。https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1045248/夜空のジンギスカン札幌すすきの交差点前
2023年11月03日
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毎日「東京アスリート食堂」に行っていると、たまにコッテリしたものや不健康なランチ?を食べたくなる。この週も3日続けてアスリート食堂が3日続いたので、気分を変えてスズラン通りのカツ丼屋に入ってみた。13時近くとあって入店待ちの行列はなく、すぐ入ることができた。ちなみに数軒となりの天ぷら屋には長い行列ができていたが、有名店なのだろうか。カツ丼だけでなく、カレーや野菜カツ丼などメニューはいろいろある。ただ、全般に少し高めからもしれない。今まで食したことのない、面白いカツ丼だ。卵でとじておらず、といってソースを使っているわけでもない。薄めの豚肉に衣をつけて揚げ、醤油で味付けをしたもののようだ。このタレが、固めのご飯になかなか会う。肉は薄めなので、見た目ほどのボリュームはなく、柔らかく食べやすい。予想(というか写真の見た目)よりかなりおいしい。ランチ時は、写真のセットで920円。安くはないが、この値段なら納得できる。毎週通おうとまでは思わないが、月に1~2度ぐらいのペースでランチのレパートリーに加えたい。
2023年11月17日
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なんだかんだで、怪我をしてから10日が経過した。当初、医師からは2週間程度かかるだろうと言われたが、まだ腫れも痛みもかなり酷く、2週間では完治する気がしない。4/12(土)朝方自宅で転倒し、臀部を強打。午後、救急外来でCT検査。骨に異常はないが、 巨大な血腫ができているので、悪化するようなら大病院に行くようにとの指示。4/13(日) 自宅でゴロゴロして過ごす。夕刻、ドトールに行くが、座っていると患部が 痛むので、早々に帰宅。(痛みは当日のMAXを10とすると8/10ぐらい。以下同様)4/14(月) 寝ていて患部が敷布団に当たっていたのか、起床するとかなりの痛み。 軽くフラつきもあり、心配になって神保町の整形外科を受診。 あらためて骨に異常はないが、臀部の筋肉からの出血が収まるまで当面安静に するようにとの指示。(9/10)4/15(火) 比較的調子良好。このまま良くなるかと期待したが・・(7/10)4/16(水) 朝起きると再び痛みがぶり返していた。職場でもシンドくて仕方なかったので、 一旦やめていたロキソニンの服用を再会。(8/10)4/17(木) 朝方、痛み止めを服用。前日よりマシになったが、まだ患部の痛みと腫れは ひどく、階段の昇降が困難。夜は痛みに耐えつつ、英会話のレッスン。(7/10)4/18(金) 代休取得日。もともと、都内のどこかに出かけるつもりだったが、とても歩き 回れる状態ではないので、主に自宅周辺で過ごす。(6/10)4/19(土) 午前中渋谷で英会話。午後、渋谷でウインドウショッピング。痛みは相変わらず だが、8000歩超とかなり長距離歩くことができた。(5.5/10)4/20(日) カミさんと子供付き添いで、夕刻1.5Hほどドライブ。帰宅後、ケガ後初めて 飲酒を再開。(5.5/10)臀部の血腫はまだかなり大きく、尻の下半分は相変わらず内出血で黒々と変色していて、椅子やベッドに当たるとかなり痛む。しかし、前週のように階段の昇降が困難だったり、痛くて眠れないということはなくなってきた。当初の痛みを10とすれば、5程度にはなってきているが、まだ4以下とは言いずらく、当然全快から程遠い。長時間同じ姿勢で座り続けるのは相変わらずシンドくて、これがGW中の電車や車の長時間の旅行を難しくしている。まあ都内近郊を散策する分には問題なさそうなぐらいには回復してきたのが不幸中の幸いだ。**************************************************::It’s been about 10 days since I got injured. At first, the doctor said it would take around two weeks to heal, but the swelling and pain are still quite severe, and I don’t feel it will fully recover within that time.Sat 4/12: Fell at home early morning and hit my buttocks hard. Went to the ER in the afternoon for a CT scan. No bone abnormalities found, but a large hematoma was detected. I was advised to visit a major hospital if it worsened.Sun 4/13: Rested at home all day. Went to Doutor café in the evening but returned early because sitting caused pain. (Pain level about 8/10, with 10 being the worst pain that day.)Mon 4/14: Woke up with significant pain, possibly because the affected area pressed against the futon while sleeping. Felt slightly dizzy, so I visited an orthopedic clinic in Jinbocho. Again, no bone damage, but told to rest until bleeding in the gluteal muscle stops. (Pain 9/10)Tue 4/15: Felt relatively better and hoped for recovery. (7/10)Wed 4/16: Pain flared up again upon waking. Work was tough, so I resumed taking Loxonin (painkiller). (8/10)Thu 4/17: Took painkillers in the morning. Pain was somewhat better than the day before but still severe with swelling; stair climbing was difficult. Took English lessons at night despite pain. (7/10)Fri 4/18: Took a substitute holiday. Originally planned to go somewhere in Tokyo, but wasn’t up to walking around, so stayed mostly near home. (6/10)Sat 4/19: English conversation class in Shibuya in the morning. Window shopping in Shibuya in the afternoon. Pain still persistent but managed to walk over 8,000 steps. (5.5/10)Sun 4/20: Went for a 1.5-hour drive in the evening with my wife and child. Resumed drinking alcohol for the first time since the injury. (5.5/10)The hematoma on my buttocks is still quite large, and the lower half of my buttocks remains darkly bruised. It’s still very painful to sit on a chair or bed. However, I no longer struggle with stair climbing or experience pain that prevents me from sleeping like before. If the initial pain was a 10, it’s now about a 5, but it’s still hard to say it’s below 4 and I’m obviously far from fully recovered. Sitting for long periods remains difficult and makes traveling long distances on trains or by car during Golden Week quite challenging. On the bright side, I’m at least well enough to take walks around the Tokyo metropolitan area.
2025年04月22日
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うきうきさん福袋の定番銘柄。今年購入した2種類の福袋のどちらにも入っていた。それ以前(前年福袋など)に仕入れたものをここまで2本飲んだが、残念ながら味わいはまったく感心しないものだった。造りはモダンなボルドー路線なのだが、いかんせんアルコール度が高すぎて(15度超)、舌に焼き付くような印象が残る。加えて粘土質(と思われる)土壌の特性なのか、フィニッシュがジュワジュワ、イガイガとした感じになる。こんな残念なボトルがあと2本もセラーに残っているのかと暗澹たる気分になったものだが、「開けてみないとわからない」とはまさにこのことである。この日抜栓したこのボトルは(なぜか)当たりだった。まず、コルクの状態からして素晴らしかった。弾力があってピカピカとしているし、上に全く染みておらず、きちんと温度管理されていたのだろうなと思わせるものであった。飲んでみると相変わらずアルコール度が高くガツンとくる味わいには違いないが、上に挙げたようなノイジーな印象はあまりなく、フィニッシュもスルスルとのど元を通り過ぎる。この銘柄、(高アルコール度のせいで)すぐに酔いが回るので、いつも小瓶に分けてチマチマと飲むのだが、今回は数日後までそこそこ楽しませてくれた。前の2本もこのレベルだったら、ここまで酷評することもなかったのにと切に思う。飲んだ時期の問題なのかボトル差なのか、それともコンディションの違いなのか…。セラーに残されたボトルはあと1本。さて、いつ開けたものか悩ましい。今回飲んだ印象通りならば、まだまだ保ちそうなので、もう5年ぐらい寝かせても面白いのかなとも思う。しかし、そのときまで私はワインを愉しめる健康体でいられるかの方が微妙かもしれない‥。A staple in Ukiki’s lucky bags—this bottle was included in both of the sets I bought this year. I’d previously had two bottles from earlier purchases (including last year’s bags), and unfortunately, neither left a good impression.The style aims for a modern Bordeaux profile, but the alcohol is simply too high (over 15%), leaving a burning sensation on the palate. On top of that, perhaps due to clay-rich soils, the finish comes across as prickly and somewhat coarse.So I wasn’t exactly thrilled knowing I still had two more bottles sitting in the cellar. But as the saying goes, you never know until you open it—and this one turned out (for some reason) to be a winner.To begin with, the cork was in excellent condition: elastic, glossy, with no seepage at all—suggesting proper storage. On the palate, it still delivered that high-alcohol punch, but without the noisy, rough edges I’d noticed before. The finish was smooth and easy, slipping down without resistance. Because of the high alcohol, I usually decant this wine into a smaller bottle and sip it slowly over time; this time, it actually held up quite well over several days.If the previous two bottles had been like this, I wouldn’t have judged it so harshly. Was it a matter of timing, bottle variation, or simply storage conditions? Hard to say.There’s now just one bottle left in the cellar. When to open it—that’s the question. If this latest showing is anything to go by, it could still benefit from another five years of aging. Then again, whether I’ll still be in good enough shape to enjoy it by then—that might be the bigger uncertainty.
2026年04月22日
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昨日街を歩いていて突然しゃべりだした私のスマホだが、帰宅してChatGPTを確認したら、このようなログが残っていた。どういうことかとChatGPTに問い合わせても、他人事感がスゴイ。ちなみに、バックグラウンドでのマイク使用はOFFになっている。なので、他のアプリに反応してChatGPTが勝手に起動するということは考えずらい。そのあともChatGPTを問い詰めて、結局、以下のようなクレーム報告のメールをOpen AIに送ったところだ。Subject: Unexpected ChatGPT voice activity while my phone was lockedHello,I would like to report what appears to be an unexpected voice activity or possible bug in the ChatGPT Android app.I was using a Sony Xperia 1 VI (Android). On August 9, 2026, while I was walking outside, my phone suddenly started playing a loud voice even though:I had not opened or launched the ChatGPT app.My phone screen was locked.I was not using ChatGPT at the time.I had not been having a conversation about the topic being played.At first, I assumed that a YouTube advertisement or another app had started playing audio accidentally.However, I later investigated and found the following:Android's Privacy Dashboard shows that ChatGPT accessed the microphone starting at approximately 13:01 and that the access lasted for 39 minutes.There is a ChatGPT conversation recorded at approximately 13:19 that contains an audio recording/playback component.When I played the recorded audio, it initially contained a female voice explaining the difference between "bring" and "bring in." This was a topic I had actually discussed with ChatGPT the previous evening.However, partway through the same audio, the content suddenly changed to a conversation about having lunch and finding a café near Chitose-Karasuyama Station.I had not had any such conversation with ChatGPT that day. I had not been planning to go to Chitose-Karasuyama, nor had I been looking for a lunch restaurant there.Chitose-Karasuyama happens to be the area where my parents' home is located, but I had no plans to visit the area that day.The conversation about Chitose-Karasuyama does not appear as a normal conversation in my ChatGPT history. The only relevant record I can find is the audio/transcript associated with this incident.I also checked ChatGPT's voice settings and />The combination of these facts makes me concerned that a ChatGPT voice session may have started or resumed unexpectedly while my phone was locked, or that audio/content from different conversations may have been incorrectly combined.I have preserved the relevant conversation and have not deleted the audio recording. I can also provide screenshots showing the Android microphone access history and the ChatGPT settings.Could you please investigate whether there was any unexpected voice session, background activity, or other technical issue associated with my account or device around 13:01–13:40 on August 9, 2026?Thank you.ちなみにこのメールの文章はChatGPTが作成したもの。なんだかマッチポンプ感があるが、なにかレスポンスがあればまた報告したい。
2026年08月10日
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週末近所のガソリンスタンドで車のタイヤを交換(なんと12年乗っていて初めて!)してもらった際の待ち時間に入ったのがこちらの喫茶店。1965年創業の老舗喫茶店。実はこの店、「信濃屋」に行った際などに前を通ることはあったが、なんとなく敷居が高い気がして、これまでは行ったことがなかったのだ。店内はアンティークな品がぎっしり。神保町の老舗喫茶店にも通じる超レトロな雰囲気がすばらしい。戦時中のこの地域の写真のパネルなどもあり、下北沢や三軒茶屋の史跡や文化人居住跡などについて店主のお話を聞くこともできる。レトロ喫茶の常で、テーブルや椅子は狭いが、食器は凝っている。私が注文したのはモカベースのオリジナルブレンド。酸味のしっかりした味わいだった。娘が注文したのは「森茉莉ティー」とレアチーズケーキのセット。聞けば森鴎外の娘で作家の森茉莉氏がこの店の常連だったのだそうだ。最寄り駅は世田谷代田になるのだろうか。三軒茶屋からも下北沢からも徒歩で15分ぐらいかかるが、レトロ喫茶好きなら一度は訪問してみる価値のある店だ。
2026年08月28日
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