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2017年11月29日(水) 曇り後雨窓から外を眺めると傘をさしてる方がいる・・お天気・イマイチだなぁ・・お部屋の目の前は猿沢の池この階段を上がると興福寺朝食はお食事処へ・・目の前のお食事処を通り越してどんどん奥へ・・渡り廊下を渡ろうとした時おくどさんが・・昔・従業員がつかっていた所を食事処に改装したそうです昔の梁や柱をそのまま活かして和の素敵な空間・・おくどさんで炊いた新米・・香りが良くて美味しいご飯・・お味噌汁はしじみ汁優しい味付け・・とっても美味しかった・・クマさん・・ご飯のおかわりしてました・・食後はロビーでコーヒーサービスゆったりした雰囲気のロビーでコーヒーを味わう・・どこまでも・・和の美しさを追求した旅館・・創業明治元年・・140年の歴史を持つ旅館綺麗に改装されて居心地のいい空間に・・続くFC2・・はこちらから
2017/12/24
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午後5時半・・よしだや・・に到着車は近くのPに24時間無料で止められます目の前は猿沢の池夕食は付けなかったので荷物をおいて・・散策に・・ランチが遅かったから付けなくて正解でした・・目の前の階段を登ると興福寺・・南円堂ならまちの方に・・ぶらぶらと・・お腹は空いてなかったのですがカレーの香りに誘われて・・左が店員さんおすすめの私の「わかくさカレー」小盛り・・それでも半分残った・ちょっとしょっぱかった・・右がクマさんの4種類の味が楽しめる「あいがけカレー」これにも「わかくさカレー」もはいってたからこっちのほうがよかったかな・・お部屋はこんな感じです・・窓から猿沢の池がみえています・・1階には大浴場・・私達の泊まった4階には家族風呂が二つあります空いてれば・・いつ利用してもOK!行くと二つとも利用中部屋で時間をつぶして・もう一度見に行ったけどまだ使用中しばらく前においてる椅子に腰掛けて待っていましたでてきたのはシニア男性一人隣のもう一つの家族風呂に向かって○○子・・って大きな声で呼びかけていますご夫婦で一つずつ使っていた・・Σ(o゚ε゚´oノ)ノ マジッスヵ…ってちょっと思った・・お風呂は結構広い檜風呂ゆったり手足を伸ばしてリラックス・・檜の香りで癒やされましたぁ・・続くFC2・・はこちらから
2017/12/22
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中宮寺法隆寺の東院(夢殿)に隣接している寺院で聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために西の法隆寺と対象的な位置に建立された日本最古の尼寺で太子創建七か寺の一つです瓦には菊の御紋・・ここでちょっとお勉強中宮寺には創建以来から守られ続けている「仕来り(しきたり)」がありその仕来りと言うのが「門跡尼寺」と呼称するもの・・門跡尼寺の「門跡」とは皇族や身分の高い貴族などが僧侶へ転身することで「尼寺」とは女性が管理する寺のことを指します「門跡尼寺」とは皇族の一族の女性が住職として運営する寺のことです中宮寺の表御殿は「宮家(みやけ)」と呼称される皇族の一族をお迎えするために造営された御殿(住居)ですということで菊の御紋が使われています・・表御殿(おもてごもん)(画像・右上)江戸時代後期建立の書院造そこで疑問がでてきますね・・現在の中宮寺の住職は天皇の一族・・なの?1871年(明治4年)5月明治政府の「太政官布告第二百七十」と言う発令によって門跡制度は廃止現在では皇族が下向して僧侶になると言ったことはありません中宮寺の最後の皇族の住職は1865年に死去した「成淳女王(せいじゅん)様」「伏見宮家(ふしみのみやけ)」から下向されたご息女です現在の住職は「日野西光尊さん」と言う女性の住職です中宮寺本堂(画像左下)昭和43年(1968年)に建立された鉄筋コンクリート製菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)菩薩半跏像は日本が世界に誇るお宝右手の指先を頬に向けた思惟(考える)像の姿勢で優美な微笑みをたたえる世界三大微笑像のひとつでアルカイックスマイルの仏像の代表格です 世界三大微笑像 スフィンクス(エジプト) ジョコンダ夫人像(モナ・リザ/レオナルド・ダヴィンチ」 菩薩半跏像法隆寺の観光はこれで終わりです時計を見ると16時半近くになってなんと5時間半も案内していただいたことに・・お昼も食べていませんでしたので世古さんにランチのできるお店を紹介していただきご一緒していただくことに法隆寺の周りはこういう雰囲気の路地がたくさん・・このあたりは4時になるとお店もほとんどしまってしまうそうです2年ほど前にオープンしたというこのお店・・cafeこもとまだランチができますか?と世古さんが確認してくださってオーナーさん・・竜田揚げならできますよと・・店内には可愛い雑貨が所狭しと並んでいますすべて手作りの作品だそうです竜田揚げランチ・・凄いボリューム・・観光している間・・夢中になって聞いていたのでお腹が空いたと思わなかったけど目の前に出てくるとどんどんお腹の中に消えていって・・あっという間に平らげた・・右下のお団子はサービスで出していただきました真ん中がオーナーさん右が奥様・・左が従業員の方並んでいる雑貨は皆さんが手作りしたもの・・cafeは副業だと笑ってました・・(´∀`*)ウフフ食事のあとここで世古さんとお別れ・・世古さん・・明日は太子の斑鳩寺にお仲間と行かれるそうです・・太子・・我が家のテリトリー・・車で10分ほどのところ・・なんかご縁を感じます・・さてさて・・クマさんと法隆寺の外塀にそってPまで向かいますか・・続く FC2・・はこちらから
2017/12/20
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法隆寺東院 四脚門四脚門をはいるとすぐに回廊があります回廊を抜けると夢殿聖徳太子が住んだとされる斑鳩宮跡にその遺徳を偲んで建てられた伽藍の中心で奈良時代に建立されました軒の深い八角円堂の姿は優美で神秘的です中央の厨子には聖徳太子等身と伝わる秘仏救世観音菩薩立像(飛鳥時代作)を安置しています法隆寺で買い求めた本より救世観音菩薩立像聖徳太子の在世中に作られた聖徳太子の等身大の秘仏・・クスノキの一木彫刻で仏師は白土の下地に漆を塗り・金箔が押されています像高は178.8cm太子は当時としてはかなりの長身だったということになります救世菩薩立像は739年(天平11年/奈良時代)に夢殿に納められて以降完全なる秘仏であり続けました理由は不明ですが当時・都で伝染病が蔓延し政治の中心にいた人物も相次いで病に倒れこれを聖徳太子の怨霊によるものと考えた人々が供養のため夢殿を建てたとも云われています救世観音菩薩立像は呪いを防ぐための封印?!その「封印」を解くきっかけになったのは明治時代調査のためにフェノロサと岡倉天心によって法隆寺を訪れ御開帳を迫ったこと解くと聖徳太子の怒りに触れ天罰があると信じられ法隆寺の僧侶すら拝めなかった秘仏僧侶たちは聖徳太子の怒りを恐れて封印を解くことをかたくなに拒んでいたのですフェノロサたちは法隆寺の僧侶たちへ説得に説得を重ねやっとのことで「秘仏公開」となりました像が布(長さ450メートル)や和紙でグルグル巻きに包まれていたおかげで救世観音の保存状況は極めて良好だということで製作時の金箔も多く残っているそうですちょっとお勉強廃仏毀釈薩長新政権がひき起こした「廃仏毀釈」歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動です俗にいう明治維新の動乱の中で明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって引き起こされました直接的には仏教施設への無差別なまた無分別(むふんべつ)な攻撃・破壊活動のことですこれによって日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像・仏具・寺院が破壊され僧侶は激しい弾圧を受け還俗(げんぞく)を強制されたりしましたひと言でいえば薩摩・長州という新しい権力者による千年以上の永きに亘って創り上げられた我が国固有の伝統文化の破壊活動のことです明治維新後の廃仏毀釈の際に法隆寺は寺宝300点余りを皇室に献納しました現在ではそのほとんどが東京国立博物館の所蔵となり東京国立博物館内法隆寺宝物館で見ることができます礼堂上の画像(左側に建つ)が絵殿下の画像(右側に建つ)が舎利殿舎利殿は聖徳太子が2歳の春に東に向かって合掌されたとき掌中から出現した舎利(釈迦の遺骨)を安置している建物です現在礼堂のある場所は元々東院の中門にあたり「東院資財帳」に記された「檜皮葺門弐間」のうち長七丈・広二丈一尺とする建物の後身にあたります「東院縁起」に「七間礼堂一宇」とあり門と礼堂とを兼ねていたことがうかがえます現在の建物は鎌倉時代に再建されたもので寛喜3年(1231年)に棟上げされたそうです四方の蔀戸(しとみど)を吊り上げると東西の舞良戸(まいらど)以外は吹きさらしとなり広々とした空間になりますかつてはここから夢殿を拝めたようです東院鐘楼下階の部分が袴を穿いたようになった鐘楼を袴腰付(はかまごしつき)鐘楼といい中世以降に流行しました東院鐘楼は応保3年(1163年)に建立されたと考えられ袴腰付鐘楼の最古例とされています現在の建物は鎌倉時代初期に再建に近い大修理がされています上階に吊るされた梵鐘は天平時代のものでかつては中宮寺の鐘であったとされています伝法堂(でんぽうどう)聖武天皇の夫人である橘古那可智の住宅を仏堂に改造したもので東院の仏堂であるとともに天平時代の住宅建築を伝える唯一の遺例です切妻の白壁にくっきりと現れた二重虹梁蟇股の架構は天平建築の典型とされます堂内は当時のお堂としては珍しい板敷きとなっていて中央に来迎壁が設けられています続くFC2・・はこちらから
2017/12/17
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大宝蔵院を出て拝観道を南に行くと東西に通る広い道に出ますここを左(東)に向けば築地塀に開かれた大きな八脚門が目に入ります東大門(とうだいもん)もとは現食堂の前方に南向きに建っていましたが平安時代に現在の位置に移され東西に通り抜ける門になったと推測されています門の形式は桁行を三間に分かち棟通り中央間に扉を吊り前後に八本の控柱を並べる一般的な八脚門です東大門は「三棟造り(みつむねづくり)」という奈良時代の建築技法で建立されています「三棟造り」とは門の前後に屋根がありその上にさらに大屋根を被せる形の建築構造のことで屋根の頭頂部分となる横材の「棟(むね)」が3つあり屋根が3つあることから「三棟造り」と呼ばれていますそのほか柱の上方に細まりのあること肘木には上面の笹繰や木口の張り出しのあること二重虹梁蟇股式の架構がのびやかでかつ古式であることなどどれをとっても奈良時代の特色をよくみせており同じ八脚門である室町時代の南大門と比べるとその差を明瞭にとらえることができます東門を入ってすぐのところに南北の細い道が走っています伽藍は真北ではなく約4度西に傾いているそうです世古さんの持ってらした地図でみるとよくわかりますね・・なぜなのかはっきりしたことはわかっていないそうです法隆寺作業所築地塀(ついじべい)・国の重要文化財築地塀が傷みつっかい棒をしています築地塀(ついじべい)とは泥土をつき固めて作った塀のことで石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟みそこに練り土を入れて棒でつき固める「版築(はんちく)」という方法「版築」の回数が塀に境界線として残っており近寄って見れば確認できるそうです。(そういわれれば確かにありますね)塀の上には簡便な小屋組を設け瓦や板などで葺いたものが多く見られますコンクリートよりも強度がある築地塀昔の方の技術の凄さに驚かされます続くFC2・・はこちらから
2017/12/15
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法隆寺境内鏡池の傍にある正岡子規の俳句の句碑柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺季語は柿(秋)「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがあります法隆寺に立ち寄った後茶店で一服して柿を食べていると途端に法隆寺の鐘が鳴りその響きに秋を感じたということです茶店?ないですよね世古さんの説明によれば後に茶店は法隆寺の景観を損ねるということで撤去されたそうです・・さらに進むと綱封蔵(こうふうどう)聖霊院の東大宝蔵院に向かう順路の右手に建つ高床式の建物二つの蔵が一つの屋根で覆われ中央部が吹き放しになった「双蔵(ならびくら)」という様式です外回りには窓はなく・白壁で包まれていて出入り口は吹き放しの部分に面して向かい合って設けられています双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だけで正倉院宝庫は中央部も囲って三倉となっていますが綱封蔵のように中央を吹抜けとして吹抜け部分に向かって扉を開く形式こそ本来の双倉の姿でありその唯一の資料だそうです雨が降ったとき雨にあたらずに作業ができる・・あの時代にこの発想・・凄いとしかいいようがありません・・食堂(じきどう)と細殿(ほそどの)綱封蔵と大宝蔵院の間に東西に細長い二棟の建物が軒を接するように建っています北が食堂・南が細殿奈良時代の双堂の形式を伝える貴重な建物です食堂は衆僧が食事をする施設です「法隆寺伽藍縁起幷 流記資材帳」によるとそこに記された食堂の大きさは西院伽藍の大講堂に匹敵しいま食堂と呼んでいる建物は寺務を行ったとされる「二口政屋(まんどころや)」の大きさに相当するそうです細殿は「二口政屋」の片方にあたり現在の建物は創建時の建物を踏襲下鎌倉時代の再建で当時は二棟の屋根がつながれて使用されていたそうですさらに進むと大宝蔵院平成10年(1998年)10月22日多くの人々の結縁によって大宝蔵院・百済観音堂が落慶7世紀後半の伽藍様式を伝える建物には安住を得た百済観音をはじめ玉虫厨子などの寺宝が多数おさめられています内部は撮影禁止・・画像をお借りしてきました百済観音さま・・正面からだけでなく側面・背面からも美しいお姿がみえます飛鳥時代の観音様で細長いお顔が特徴です・・機会があれば・・ぜひご自身の目で見ていただきたいと思います床・・わかりますか・・ここに模様が描かれています・・池に睡蓮が咲いているところを表してると・・こんなところにまで気を配ってつくられた・・クマさんと二人の観光ならきっと見逃してしまう・・続くFC2・・はこちらから
2017/12/12
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金堂金堂は西伽藍最古の建築で軒の出の深い安定した姿が美しい入母屋造り二重の瓦屋根と下層の裳階の板葺きの対比これに軒下の垂木や雲斗・雲肘木が調和しています右上の裳階の板葺き・・板に切り込みが入ってがっちりとかましているのがわかりますか左下の裳階の板葺き・・切り込みが入ってませんね・・これは・・あとから修復した時に大工さんの工夫で切り込みをいれているのです切り込みのない方が古いものです上層と下層をつなぐ支柱に巻き付けられた龍の彫り物は江戸期の大修理の際に付けられたもので龍の彫り物には意味がなく江戸時代の大工さんの粋な遊び心・・だったようです・・607年(推古15年)の創建当時の建物は670年(天智9年)に火災で焼失ただし大講堂などとは違い法隆寺の中心となる建物だけに再建は早かったと言われています建築物として目を引くのがエンタシスの柱ですエンタシスとは円柱の下部から上部にかけて徐々に細くする若しくは中部から上部にかけて細くした形状で真ん中が太く見える形でもあり古代ギリシャ発祥の建築方法です法隆寺の柱にも用いられていてエンタシスを施した柱を下から見上げると真っ直ぐに安定して見える錯覚が生まれますギリシャのパルテノン神殿もこの技法を取り入れていますここで・・疑問・・ギリシャと日本が当時それほどまでに国交があったのかということ遠く離れギリシャからこの技法が入ってきたとするならその途中の国でも見られてもよいはずしかしこの柱の技法を用いた建築物が途中の国ではみられないことから日本独自のものとも考えられています 仮に日本独自のものだったとして昔の人の技法には驚かされます法隆寺西院伽藍の中心に建つ金堂と五重塔この2つの建物の間を北へ進むとそこにあるのが僧侶たちの研鑽の場大講堂です法隆寺では珍しい平安建築大講堂前の大灯籠元禄七年の五代綱吉生母桂昌院の刻印が・・法隆寺の伽藍は桂昌院によって修造されました・・数ある法隆寺の建物の中でも最も大きくひときわ美しさが際立つ大講堂ですが実際には再建されたものでかつては金堂と五重塔により近い位置にあったものが925年(延長3年)に落雷で焼失それから65年後の990年(正暦元年)に新築されたのが現在の大講堂です現在両脇に回廊が取りついていますがもとは北回廊は金堂・五重の塔を囲んで南方で閉じられ創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていたそうです聖霊院(しょうりょういん)法隆寺の西院伽藍・金堂・五重塔をぐるりと囲む大回廊の東西には僧侶の住居であった南北に細長い僧房(東室、西室)がありますが聖徳太子像(平安時代のもので国宝)を安置するために東室の南端部分を改造したものが聖霊院(しょうりょういん)平安時代末から鎌倉時代にかけて聖徳太子信仰が高まり1284(弘安7)年に造られた寝殿造りの建物で国宝です回廊の柱には僅かな膨らみがあります金堂や中門と同じく下から3分の1の部分が最も膨らむエンタシスエンタシスの柱の回廊は日本ではここでしか見られません法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は金堂・五重塔を囲みながら北上ののちいったん東西に屈折しさらに北転して経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂に達していますこのうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点まででもとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていました現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられていますここでの特徴は横長の金堂とそれより小さな正方形の五重塔とを左右に並列しかつ堂塔と廻廊との間隔を均等に扱おうという意図から南辺廻廊を中門から東は十一間西は十間と長短をつけていること視覚的な均衡を考えた心にくい配慮です梁間は三・七メートルの単廊で外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし内側は開放されています連子窓こしの風景・・角度が工夫されていて・・風景が綺麗に見えますね・・続くFC2・・はこちらから
2017/12/10
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2017年11月28日(火) 晴れ8時13分自宅を出発山陽道を使って奈良へ・・10時20分法隆寺到着仏教美術が数多く残る聖徳太子ゆかりの寺で7世紀頃に建てられました現在五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿が中心の東院伽藍とに大きく別れていて広さ約18万7000平米メートルの境内には飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建造物が軒を連ねています大宝蔵院を中心に収蔵されている宝物は国宝・重要文化財指定だけで約190件・総計2300点に及びますチケットを買って中に中門が修復中・・職員さん(?)と話をしていると時間があるならボランティアガイドさんを呼んだらいいよと教えてくださった電話番号が書いてあるからあいてる方がいたら来てくれますと・・電話をするとあいてる方がいらしって7分ほどそこで待っててくださいということでした法隆寺の五重塔はすべて「ひのき」を利用して作られています内部構造は「心柱」と呼ばれる一本の柱によって土台から一番上の屋根まで貫かれていますそして同じように見える五重塔の屋根は実は上に行くにつれて少しずつ小さくなっています画像をみていただければわかりますね法隆寺の五重塔の構造は一番下が3間(5.5m)となっていて階を上がるごとに約50から60㎝ずつ小さくなり最上階ともなると約半分の大きさになっていますこの屋根が小さくなる「狭まる率」のことを「逓減率」と言い減少する割合を示したものとなります法隆寺の五重塔はこの逓減率が0.5となっていて他の寺の塔などより大きくなっていますこれが大きいほど古い時代に作られたものという証だそうです来てくださったのはクマさんと同い年の世古さん上の画像が修復中の中門・・下右の画像・・根本に注目・・柱の根本などは・もちろん雨で腐ったりします我が国の伝統木造建築ではその腐った部分のみを切り取って新しい材で入れ替える「根継ぎ」という技法で部分補修してもとの材は可能な限り残すのが通例です現在法隆寺は中門の大修理が始まりましたがこの中門の柱はほとんどが根継ぎされていますがその上部は古代の材料のままです上左・・雷を避けるおまじないともいわれる五重塔相輪の大鎌エキゾチックな雲形組物は飛鳥時代の特徴で法隆寺・法起寺・法輪寺の法隆寺関係でしかお目に掛かれません下右画像雲の形をした肘木屋根を支える部材を雲の形にした雲肘木は後の時代にはあまりみられなくなった珍しい様式です上右画像五重塔を支える4体の邪気最下層の屋根と裳階(もこし)の間に置かれている邪気歯を食いしばって懸命に建物を支えているような表情がユニークです法隆寺には、鎌に残された伝承があります鎌といっても手に持って草などを刈り取る鎌ではなく法隆寺の西院伽藍の五重塔の上に鎌があるのです見えますか・・五重塔の頂の上に立つ相輪に添え付けられており一説にはこれは避雷針の役割りをしているとも云われております法隆寺という歴史的な寺院ともなればそれなりの名の知れた名工と契約をしていてもおかしくはありません法隆寺には取引きをしていた鉱物の鍛錬所があってその鍛錬所の名前を「水野鍛錬所」といったそうです堺にある鍛錬所で当時の法隆寺の座主(管長)であった法隆寺123世管長「佐伯定胤(じょういん)管長」と懇意の仲であったそうですその水野鍛錬所に佐伯定胤管長が自筆で書いたとされる古文書が残っているとのことですその古文書の中には法隆寺の相輪の鎌についての重要な手がかりとなるような以下↓のような一文が見つかったとのことです法隆寺の相輪の鎌の由来・意味とは雷に対して鎌で威嚇して雷を落とさないようにとの一種の呪い(まじない)が込められているようですちなみにこの時・鎌は8本作られたそうです古の鍛錬の方法で繰り返し繰り返し鍛錬を重ねてようやく完成・・現在8本の内・・1本は水野鍛錬所の家宝として大切に保管されているようですおさらい法隆寺五重塔は雷で焼けたという記録は山ほどあるそうで雷対策には歴史がありました(1)鎌(刃) (2)避雷符(3)避雷針 (1)鎌・・・古代鎌(刃)を上に向けて置いておくと雷さんが恐れ近づかない相輪の下の部分に鎌がありましたね・・(2)避雷符・・・中世軒下に何枚も「避雷符」を貼って鎌倉時代から雷除けの祈祷を行いました右の○で囲った部分・・(3)避雷針・・・現代避雷針は相輪の先端でしょうか?法隆寺の五重塔は実は「六重塔」だった?!法隆寺の五重塔を見て初層(1階)から屋根を数えていくと屋根が6つあることが分かりますしかし法隆寺の五重塔は「五重塔」として知られていますこれはいったいどう言うことなのか?についてですが初層部についている屋根は裳階屋根(もこしやね)でありつまりは「見せかけの屋根」になります裳階屋根は別名で「雨打ち」などとも呼ばれることから「雨除け」とも考えられていますが法隆寺における裳階は少し解釈が異なります法隆寺の屋根は平行垂木で組まれておりこの平行垂木を支える隅木が屋根の重量を支えきれずに下がってきたそうですそこで初層の四隅の隅木の下に「四角に加工した木の棒」をあてがいましたしかしこれだと見た目がカッコ悪いので四隅の木の棒を隠すために「連子窓と中央に間口が付いた壁」を四辺へ張り巡らせて木の棒を隠しました創建当初は法隆寺の金堂や五重塔には裳階が存在しなかったことになり後に据えられたことになりますそしてもうひとつ塔がまっすぐなのがわかりますね・・飛鳥時代のお堂が焼失せず残っているのは法隆寺だけ・・それが今もなおまっすぐに建っている・・凄いですね・・続くFC2・・はこちらから(1)
2017/12/09
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2017年9月12日(火) 晴れ今日は帰国する日ですバンクーバー11時55分発のエアカナダ1951便に乗るためホテル8時20分にチェックアウトタクシーで空港へ空港で残ったお金を使い果たすため・・クッキーとチョコを購入飛行機に乗り込むと結構後ろの席が空いていて席を移動して頭から毛布を被って寝ていました飛行時間11時間9月13日(水)30分遅れで関空15時30分着荷物を受け取ったらOちゃんと別れPに連絡して車を回してもらって自宅まで私が運転です・・ちょっと混んだけど18時過ぎには自宅近くまで帰ってきました病院へ行きたくてよって見ると19時までの看板がすぐに病院のPに車を止めて飛び込みました以外にも空いていてすぐに診ていただき喉風邪と診断され抗生物質と咳止めを処方され外に出ると空が真っ赤にもえてました・・Oちゃんとの三人旅・・本当に楽しかった・・色々アクシデントもあったけどそれも今はとってもいい思い出です・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2017/12/05
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マーケットを楽しんだあとはバスでウォーターフロント駅まで移動シーバスに乗りノース・バンクーバーへ・・冬季オリンピックの舞台にもなった3つの山・街・カナダらしい大自然・を体験に・・ ここからバスで移動・・せっかくだからグラウス マウンテン - Grouse Mountainへ山のふもとから山頂までは 「スカイライド(Skyride)」というゴンドラ(約 12分)で行くことができるとパンフレットに書いてありました・・チケット売り場に行くと登るだけは駄目だと断られて・・でもね・・何度見てもシーバス乗り場のところで貰ったパンフレットには書いてあった・・のに・・仕方ないから乗ってきたバスに乗って少し下り・・キャピラノの吊り橋・公園へ・・(Capilano Suspension Bridge Park)入り口を入るとトーテンポールがお出迎え・・o('∇'*o) o(*'∇'*)o (o*'∇')o キャアキャア♪という声が聞こえると思ったら突然ながぁ~~~~~~~~~~~~~~~い・・吊橋が作りはしっかりしてるんだろうけどこれが揺れる・・(||゚Д゚)怖ァ...渡りきったところから森林浴を楽しめるようになっています木と木の間を吊橋で繋いでて・・まるで空中散歩途中の橋の上にリス発見って・・ぶれてるし・・人( ̄ω ̄;) スマヌこれが結構な上り下り・・深呼吸をしてくださいって書いてあったので深呼吸をしたら咳き込んだ・・(^^;;お土産物屋さんの前に熊発見!!クマさんと熊のツーショット・・熊・・でかい!カナダだねぇ・・メープルシロップが並んでいますこの奥にアイスクリームが売り場が・・(*゜・゜)ンッ?お掃除してる・・終わちゃったみたい・・食べたかったのに・・残念・・Oちゃんは・・ビールゲット・・私とクマさんは冷たいジュースで一休み再び・・バスとシーバスで移動・・戻ってきました・・ぶらぶら街を歩きながら気になるお店を覗いたりして目的のレストランに・・凄い混んでる・・予約は9時になるとその時間までは待てないので諦めて斜め前にあったテラス席のあるレストランへまずはビールでォツカレサマ.....φ(*^д^*)ノ私はお水で我慢・・お料理の写真・・暗くて美味しそうに撮れてないやん・・(; ̄ー ̄川 アセアセサーモンの香草焼き・・くさみがなくて( ̄▽ ̄)b グッ!牛肉のパスタ・・パスタは平麺・・お味は日本のウスターソースの味がした・・ホテルまで歩いて移動・・途中・・バンッ!!突然・・大きな音がして思わず・音のしたほうを見ると大きな体のおじさん浮浪者がゴミ箱を・・目があってしまった・・すると突然・・私に向かって何やら大声で怒鳴りながら拳を握って殴りかかりそうに・・(lil゚ω。ノ)ノヒィィィィ(((怖)))脅されただけだったけど怖かった・・バンクーバー最後の夜・・浮浪者に脅される・・しばらく胸が…o(;-_-;)oドキドキ♪21時30分・・ホテルにもどる・・続くFC2・・はこちらから
2017/12/04
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2017年9月11日(月) 快晴薬を飲んで首にホカロンを巻いて早めに寝たからか朝・目覚めると少し楽になっていてテラスからの朝の風景・・昨日スーパーで買ってきてくれたもので軽く朝食をとり・・10時ころホテル出発今日も一日中観光となりますOちゃんがどんどん歩く背中を見ながらついていく大きな橋が目の前に結構な登り・・クマさん気遣って時々振り返ってくれる]橋の一番上まで来たときの風景グランビルアイランドが見えてます今日の最初の目的地グランビルアイランドにあるパブリックマーケット・・この橋の先で左に折れグルっと回って行かないといけませんバンクーバーはアメリカとカナダの国境に面していてわずか3時間で陸路で国境を越えシアトルへ行くことができます・・橋の下に寝ている方がこのあたりには使用済みの注射器がたくさん落ちていて・・薬やってるのか・・バンクーバーに来て思ったこと・・浮浪者が非常に多い・・若い女の子が普通に道路に寝ているのを度々目にしましたダンボールにアメリカの家まで帰る費用がありませんお恵みをと書いて・・道路にへたり込んでいる青年もいた・・パブリック・マーケットグランビル橋の下にある「グランビル・アイランド」はバンクーバーを代表する人気スポットだそうで観光客や地元の人達で年中賑わっていますその中でも一番の見所パブリックマーケットカナダの旬を感じられる屋内のマーケットOちゃんがお気に入りのスモークサーモンが売っているところ・・これがOちゃんの大のお気に入りメープルキャンディーサーモン味見に9個買って・・外のベンチに座って試食・・ちょっと甘めで今まで食べたことのないサーモンヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ これを肴にビールが飲みたかったOちゃんだけどいくら探してもビールが売ってなかったと・・とってもいいお天気で暑いくらいだったから冷えたビールがあったら最高だったのに残念・・・・ちょっと休憩して店内をo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)o見て回るだけですっごく楽しい・・そろそろお昼・・店内で物色して・・クマさんの好きな野菜の入ってない酢豚と焼きそばを買って・・外のベンチでゆっくり食事私も体調がよくなって美味しく頂きました・・メープルキャンディーサーモンここでしか買えないお品・・お土産に買ってきました・・これで日本円にして2000円位高いかなと思ったけど帰国して開けてみると結構な量が入っていて大満足・・バラの水やりをお願いしていた友人にも買って・・Uちゃん・・お口の肥えた娘のカコちゃんも美味しいと食べたと喜んでくれました・・皆さんメープルキャンディサーモンがどんな味なのか気になるみたいだから・私の感想を日本でいう“鮭とば”みたいなものでそれにメイプルシロップをつけたようなそんな感じです・・口に入れるとメイプルシロップの甘さが広がるけどかむと燻製の香りとサーモンのしょっぱさが広がってお酒のつまみに・サラダのトッピングに最高です続くFC2・・はこちらから
2017/12/02
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Oちゃんが毎日いっぱい飲んでたおしゃべりギャッシーの前のお店で軽くランチ懐かしい香りのする素敵なお店でした・・私は食欲がまったくなくてクマさんのを少しもらっただけ・・Oちゃんはビールにつまみ・・ここからは必死について歩いただけ目についた風景を撮ってましたここ・・いい感じの絵が描いてあります・・センスあるよねオオーw(*゜o゜*)w倒れそうになってる建物を木で支えてるぅ・・Oちゃんの後ろを必死で歩いて中華街・・凄く静かだと思ったら今日は日曜日でおやすみ・・まだまだ歩きます海に出てきましたスタンレーパーク・・スタンレーパークはダウンタウンに隣接する広大な敷地の公園でバンクーバー市民の憩いの場となっています当時カナダの総督だったダービー・スタンレー16世の名前にちなんでつけられたんだそうですもうねどこをどう歩いたのか全く方向もわかんない・・16時チェックイン約20000歩・・歩いてた・・(~_~;)お部屋は9階Oちゃん・・バンクーバはどうですか?ざっと見てもらいたかったから感じはわかってくれた?市中引き回しの刑にあわせてしまったね・・窓を開けてテラスに出るとふらぁ~~~~とする・・身体がずっと揺れてる感じ落ちそうで(lil゚ω。ノ)ノヒィィィィ(((怖)))私の咳はどんどん酷くなって・・体調最悪・・夜はOちゃんとクマさんに食料を仕入れてきてもらうことに私はベッドに倒れ込んでた・・買ってきてくれたものを少しつまんでクマさんをお風呂にいれ薬を飲んで首にマフラー巻いて早めに寝ました・・続くFC2・・はこちらから
2017/11/30
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2017年9月10日(日) 晴れアンカレッジ発・・2時15分シアトル着・・6時35分乗り継ぎシアトル発・・8時07分バンクーバー着・・9時08分この飛行機の中で体調を崩して・・どんどん咳が酷くなる・・シアトルからバンクーバは小さなプロペラ機・・HORIZON AIR Q400・・ボンバルディア400・・タクシーにてホテルまでホテル10時30分着スーツケースを預けて街歩き・・近くにあったスタバに入り軽い朝食・・私は食欲がない・・クマさんのを少しだけもらって済ませるいろんなお店を覗きながらOちゃんの後ろをついて歩くOちゃん・・10年前にバンクーバーで短期語学留学をしていたのでどんどん歩く・・Oちゃんは説明してくれるけど私・・体調が悪くてほとんど耳に入ってない・・とにかく迷惑だけはかけたくないと必死で・・どこをどう通ったかわからないまま海にでた(*'▽'*)わぁ♪ウォーターフロント駅の裏側・・可愛い建物・・ウォーターフロント駅(Skytrain始発駅)を出て左手に進んでいくと石畳の通りが・・ギャスタウンですバンクーバー発祥の地として有名で歴史ある建物が並ぶおすすめ人気観光スポット・・レストランやブティックもあるお洒落な通りは初めての観光がてらの散歩にはうってつけ・・素敵な色使いの絵・・気になったけど今回は見るだけでパス・・観光名所でもあるのですが語学学校や専門学校も結構あるOちゃんが通った語学学校もこの地域にありました古い建物が多い街並でお洒落なカフェも数分歩けば街のシンボルである1977年製の「世界初の蒸気で動く時計」が・・時計の上からは何本かの煙突から蒸気と汽笛が15分ごとに時を知らせます学校のチャイムなどでおなじみの『キーン コーン カーン コーン』というメロディが10秒程流れますOちゃん・・時間を見ながら案内してくれたので数分待っただけで蒸気が・・ガスタウンのCarrall St.とPowell St.の角に立っているもの・・それは・・ギャシー・ジャック・・メイプルツリー広場にはガスタウンの名の由来となったギャシー・ジャックの銅像がたっています彼がここで近くの製材所で働く労働者を相手に酒場をひらきバンクーバーの歴史がひらかれたそうですギャッシーというのは「おしゃべり」という意味で彼のあだ名だったそう・・Oちゃん・・ここで学校帰りに仲間といっぱい飲んでからファミリーのお家に帰ってたと・・私達もちょっと休憩続くFC2・・はこちらから
2017/11/25
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ディナーの時間まで街をぶらぶらしているとヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!まっピンクの下着・・・しかも毛皮・・目が点・・店内に入って後ろを見るとTバック・・お尻寒いやろ・・って思ったぁ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆しばらく店内をo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oコヨーテの頭・・9.99ドル=約1100円Nose Warme???????鼻につけるのか!?試着は駄目ってかいてある1.99ドル=約220円買わなかったけど話のネタに買えばよかったぁ・・(*・・)ヾ^☆しまった・・・・・ どんどん海の方に向かって歩いていると何やらテントがたくさん・・近くまで行ってみると明日からの催し物の準備をしているところでしたこのお店には大きな白熊の剥製とコヨーテまんまの皮・・アラスカ・・だ・・色使いがとっても綺麗な熊さん発見・・(ノ≧▽≦)ノ~~~~『゜+.かわいいっ!!゜+.』すぐ横には草がはえてる屋根・・ノルウェーでみたのと同じ・・前へ回ってみるとインフォメーションセンターでした・・丸太小屋でアラスカンムードいっぱい・・あちこちのお店を覗きながら・・お買い物もして・・Oちゃんも安いTシャツいっぱい買い込んでたよクマさんは畑用にキャップ3つ一つ高いのが混じってたけど3つ9.99ドルでした・・約1100円めっちゃ安い・・そろそろレストランへ向かいます地図で見ると・・確かにここって場所まできてお店が見当たらない・・ビルからでてきた方に聞くとこの中にあるとどこにも看板がないからウロウロしちゃった・・サイモン&シーフォーツ(Simon & Seafort's &Grill)海の近くにあり大きな窓からの入江の眺めが素晴らしいまずは地ビールでヽ(*^∇゜)oC□☆□Do(゜∇^*)ノ カンパーイ♪左上からホタテ・・甘くて最高生牡蠣・・新鮮でめっちゃ美味しかったぁ・・あと一個食べたかったけど一皿6個入ってるので我慢した・・エビのパスタ・・モッチモチの生パスタのクリームパスタこれまたヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ パン・・焼き立てでふわふわ・・店内はアラスカンムードでサービスも最高・・人気なのがわかるお店アラスカ最後の夜にふさわしいお料理を堪能しましたウェイターがイケメンだったのも高得点・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆写真?めちゃめちゃ忙しそうで頼めなかったよ・・行ったものだけの楽しみ・・・(= ̄∇ ̄=) ニィ外に出ると雨が降ったようで道路が濡れていた・・食べてるときに降ったみたいゆっくり歩きながらホテルに向かう途中馬車が・・今度はポリスとすれ違う少し先にパトカーが止まってた・・さっきのポリスかな・・22時10分ホテル着預けていたスーツケースに買い物を詰め込んでコーヒーをいただきながらしばしまったり・・ホテル出発11時シャトルバスで空港まで送っていただく空港でスーツケースをおろしてもらっているとアラスカ鉄道で出会った一人キャンプの学生さんが声をかけてきて今日の飛行機に乗ると話をしていたので待っててくれたんだって・・私たちはアンカレジAM2時15分発シアトル経由バンクーバー・・彼は・アンカレジAM5時くらいの飛行機でバンクーバー経由成田・・早めに来て待っててくれたんです・・しばらく立ち話をして別れました・・本当に爽やかな青年で日本もまだ捨てたものじゃないなと・・感じたのであります・・続くFC2・・はこちらから
2017/11/21
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2017年9月(土) 晴れアンカレッジ発翌日2時過ぎの飛行機でシアトル経由バンクーバーへ時間がたっぷりあるのでスーツケースをホテルに預けアンカレッジ市内をo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oカラフルな落書き・・もっと近くで撮りたかったけど・・変な人(浮浪者?)がたむろしていてOちゃんを背景に(-p■)q☆パシャッパシャ☆映画でよく見る消火栓・・消防車が・・目の前を・・デカさにびっくりしていると入っちゃった・・慌てて・・パチ /■\_・) カメラ スーパーへ行きたくて探してみたけど1軒しかない・・しかもここから徒歩1時間バスに乗っていこうと言うことに・・右端に写っているのがバス乗り場ここまで徒歩30分・・(≧▽≦;)アチャー窓口がしまっています考えてみると土曜日休みなんだねで・・一日乗車券をゲット・・その間もなんか変な人が声をかけてくる・・見るからにヤバそう・・だし・・さ・・さっさとバス停まで行って待っていたけど時間がきても全く来ない・・もう一度戻って確認すると乗り場を間違えていたみたいで次のバスまで40分・・仕方ないから歩くことに地図を見ながら歩いていると( ゜д゜)ンマッこんなところにトナカイが・・トナカイの角はベルベット状のやわらかい皮でおおわれていますが交尾期の9月の初めには皮がはがれ堅い角だけになり尖端は鋭くとがるそうですまさに真っ最中・・血だらけ・・痛そう・・徒歩30分やっと目的のスーパーへここでチョコや・コーヒーなどちょっとしたお土産を買いお昼はお店の中のデリカで量り売りしていた焼きそばや・カリフォルニアロールなどを買いフードコートで食べて済ませました大きな公園・・家族連れが遊んでましたお花・・よく見ると紫蘇やパセリ・・こんな風に使うのねぇ・・(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!!帰りのバスもいい時間がありませんまたまた歩いてバス乗り場まで戻ってきたせっかく1日乗車券買ったんだからバスでホテルまで戻ろうと言うことにバス乗り場には相変わらず穴が空いて汚れたトレーナーを着た人や・・人相の悪い人がたむろしている離れたところでバスを待っていると私達と同じバスに乗り込んできたお風呂に入っていないのか(; ̄y ̄)c●~~クサイ、、、すぐに降りるからと思っていたがアレレレ!?(・_・;?どんどん市内を離れて郊外へ・・(*・・)ヾ^☆しまった・・・・・ (しっかり路線図をチェックしたのに間違ったみたい・・途中で降りても迷子になるだけと覚悟を決めて終点まで行くことに・・郊外は貧しい方が多く特にネイティブアメリカンが目立ちましたネイテイブアメリカンのための病院や施設もたくさん目にしましたバスでは皆さんドライバーさんに挨拶をされる乗るときは勿論降りるときもサンキューと大きな声で・・なんかいいなって思ったよ・・いきなり窓の外に・・熊!!!!!!!大きなワンちゃんでした・・びっくりしたぁ・・・終点でドライバーさんにミステイクと伝え・・行きたいところを伝えると・・一旦降ろされて・・すぐに乗せていただいた・・近くのバス停まで来ると声をかけてくださってトータル2時間の郊外ドライブ・・なんか…o(;-_-;)oドキドキ♪したけど面白かったぁ・・地元の方の生活をちょっとだけど見る事もできた・・ツアーでは絶対に経験できないこと・・これも個人旅行の楽しみのひとつ・・いい思い出になりましたホテルに戻ったのは16時30分買い物してきたものをスーツケースに詰め替えてコーヒーを頂いてちょっと一息・・今夜のレストランを地球の歩き方でチェックしてフロントで予約をとっていただいた・・7時の希望をしたんだけど人気店なのか8時の予約となりました・・続くFC2・・はこちらから
2017/11/19
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デナリ駅12時32分発時間通り出発私たちの目的はツンドラの紅葉オーロラは最初から入ってなかったのでこれからアンカレッジまで戻ります行きはお天気が悪くて雨になって写真らしい写真が一枚もなかったので帰りの風景をお楽しみください私達の車両にも展望車があり自由に行き来することができます展望車から撮ったデナリ鉄道2枚目は車両の間の窓ガラスがないところから覗いて撮った画像です湿原地が広がっています遅いランチを食堂車でパスタをオーダーしたけど売り切れててハンバーガーとクラムチャウダーをクマさんとシェア・・一人旅の学生さんと出会い・・色んな話で盛り上がって・・アラスカ・・一緒に行ってくれる人がいなかったようですで・・ご両親に内緒で一人でキャンプ・・野生動物にも色々出会ったようですテントはる場所は他の人のテントが見えないところと決まってると・・自然を楽しみに来たんだろう・・それなら・・誰もいないところでね・・川から30メートル離れないと駄目だよ・・トイレもテントの近くでしたら駄目・・等々いろいろな制限があると・・勿論お風呂なし・トイレなし・・川で身体を洗ってる方もいらしたみたいだけど流石に寒くてできなかったと・・自分でも臭かったと言ってました最後の日のホテルのフカフカのベッドはかえって寝にくかったと・・慣れって凄いねぇ・・たった一人でテント生活を4~5日も・・クマも狼もいる自然の中に一人・・正直・怖かったです・・ご飯食べてるときもずっと周りを見回しながら食べてました・・日本で買って持っていったガスコンロ・・ボンベを現地で買おうと思っていたらサイズの合うのがなくて冷たい缶詰ばかり食べてましたでも楽しかった・・と逞しい笑顔をみせてくれました若いって素晴らしい・・こういう感じここから乗り出して写真が撮れます2枚下の写真がそれです・・カーブのところまで我慢強く待って(-p■)q☆パシャッパシャ☆西日に照らされて黄金色に輝くデナリ鉄道・・20時アンカレッジ駅到着クマさんと一緒に写っている男性氷河クルーズで一緒の席になった方・・行きのデナリ鉄道では偶然真ん前の席に座って・・彼もびっくり!で・・今回の帰りの鉄道も一緒だったんです・・偶然が重なってのご縁一枚記念に・・スーツケースを受け取ってタクシーでホテルまで最初の泊まったのと同じホテル同じお部屋でした夕食は遅くなったし疲れていたのでホテル裏のメキシカン料理・・La Cabanaで・・セットになった料理の違うものをオーダーしたんだけどほとんど同じ内容でお皿の中にあるものすべてが同じ味これには| 壁 |/_*)ハゥ・・・マ、マイッタ!ほとんど食べずに残してしまってお店の人がボックスにいれましょうって言ってくれたけどいらないと・・なんで??????ってびっくりされちゃった・・でも・・あの味・・もうムリッス(。+・`ω・´)続くFC2・・はこちらから
2017/11/15
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2017年9月8日(金)晴れいつものように朝目覚めるとお天気チェックとってもいいお天気Oちゃん・・昨夜のこと全く覚えてなかったぁ・・すっきりした顔で起きてきました・・ホテルにはボートがたくさん並んでいますこのホテルからラフティングツアーがでているようですフロントのある建物の前にもダイバースーツ(ゴムのスーツ)でいいのかなそれもたくさん干してありましたボートを運ぶ大きなトラック目の前にはネナナ・リバーラフティングのイメージ画像です11時チェックアウト・・来るときに乗ったタクシードライバーから名刺をもらっていたのでそこからタクシーを呼んでもらって・・今回のタクシードライバーは大きな若い美人女性・・20数キロのトランクも軽々と車に載せて・・スゴィッ(*゚д゚ノノ私・・持ち上げることができなかったぁ・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラーこの風景ともお別れです10分ほどでデナリ駅に到着駅の方へガラガラとスーツケースを転がしながら・・ここでチケットを交換・・待合所で日本人夫婦に出会うツアーできてちょっとツアーを離れてデナリ散策ここで待ち合わせだそうですフェアバンクス泊で3日待ってやっとオーロラを見れたと・・ほとんど寝てないので眠たいと言ってました・・しばらくすると列車がはいってきてごっつい・・後ろにはこんな可愛い熊が描いてある列車が連結されていました旗が風になびいてるでしょ・・この旗にA・・B・・C・・D・・E・・とアルファベットが書かれていますチケットの番号を見てそこから乗車です・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/11/12
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ホテルの中を探索・・ロッジがたくさんありますこのホテル・・満室で取れなかったんだって・・レストランもホテル内や敷地内に数件・・お土産物屋さんも充実していましたレストランのメニューをみただけどいまひとつ食べたいものがない昨日のスーパーで買い出しすることにもっと寒いのかと思っていたけどババシャツ・カットソー・チェックシャツ・・羽織モノで十分車のナンバーに何気なく目が・・熊さんだぁ・・しかも999・・こんな風景を見ながら約20分・・ひとっこ一人いないところを歩くホテル前の道路を渡ったところで大きなコンボイが凄いスピードで通り過ぎていった・・でかい!ホテル到着ホテルの敷地内にはリスがたくさんいます写真を撮ろうとしてもすばしこくて全く撮れませんでしたが・・ビール・ピザ・ホットドッグこれ・カリブーのホットドッグです・・お味は・・特にこれと言って特徴なし美味しかったけどね・・今夜はOちゃんまだ飲みたいからと私達が先にお風呂に入ってクマさんはお風呂から上がると疲れてるのねさっさと2階の寝室へ・・Oちゃん・・テーブルに突っ伏して寝ちゃってるちょっと外にでて空を見てみるが雲がでててオーロラは無理っぽい・・Oちゃんの身体を揺すって起こしお風呂に入ってもらったら風呂場からドタンバタンと音がする気になったけど中にはいるわけにもいかず耳を傾けていたしばらくするとOちゃん・・倒れ込むようにでてきて着替えを持って壁にぶつかりながら2階へ片付けをしながらしばらく待っていたが降りてくる様子がないので上がってみると寝室のドア開けっ放し・電気つけっぱなしでお腹を出して子供のようにあどけない顔してベッドに大の字になって寝ていたあんなOちゃん・・今まで見たことない・・疲れてたのね・・~(=^‥^)ノ☆ おやすみニャ。続くFC2・・はこちらから
2017/11/10
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13時 アイルソン・ビジターセンター出発画像をお楽しみくださいオオーw(*゜o゜*)w窓からしたを見ると崖・・ガードレールがないから滑ると崖下に・・行きは逆だったから全く気づかなかった・・(lil゚ω。ノ)ノヒィィィィ(((怖)))14時35分山頂近くのがれ場にマウンテンシープ5~6頭発見探してみると遠くに白い点がみえた・・反対側だったから写真は撮れなかったこれはドライバーさんがズームしてテレビ画面に写してくれたものパンフレットから画像を拝借これがマウンテンシープ反対側でなかったら50倍ズームで撮れるだけでも撮りたかった・・ 一気に降りていきます風景がどんどん変わってツンドラの紅葉が綺麗です・・一般車両も入れるところまで降りるとつがいのカリブー発見この奥につがいのカリブーがいるようです目を凝らして探したけど木の影に入ってて全くすがたが見えませんドライバーさんも一瞬・お尻を捉えただけ・・公園の入り口まで降りてくると日本人にもなじみのある黄葉が・・ドライバーさん皆さんのホテルをチェックして主なホテルに寄っておろしていきます私達のホテルこの真下だけど小さいホテルだから通過・・18時30分デナリ・プリンセスホテル着・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/11/08
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ストーニー・ヒルほこりにまみれお尻も痛くなってきたころここでマッキンリー山が見える・・はず・・マッキンリー山が姿を現す日は決して多くなく大半が曇り空で山が見えるはずの方向には真っ白の雲があるだけということも多いと・・雲で覆われているぅ・・・・今回の最終目的地であるアイルソン・ビジターセンター12時20分着マッキンリー山を正面に望む丘の上に建てられているビジターセンターです到着して驚いたのはビジターセンターが見当たらないこと・・2008年にビジターセンターが再建されたとき最も重視されたのが環境への配慮建物が見えないのはその為で周囲の景観を妨げないように半地下のようになっています入り口は駐車場から階段を降りた南側にあり中にはレインジャーが常駐するカウンターやデナリの自然についての展示がありますこのビジターセンターの環境への配慮は目に見えない部分に多いのです例えば電気ここでは近くの小川を利用した水力発電ソーラーパネルによる太陽光発電そしてプロパンガスを燃料とする発電を利用半地下にすることにより断熱効果を高め自然光をとり入れることで電気の消費を抑えていますそのほかトイレの汚水技術など全てにおいて環境保全のための最先端の技術を取り入れていますその結果全米グリーンビルディング協議会が測定する環境格付けにおいて最高ランクの「プラチナ」の評価を受けています(デナリビジターセンターは「シルバー」を受賞)ここにも大きな角が無造作に置かれています・・デナリ山=マッキンリー山・・6194メートル日本人には冒険家植村直己氏をのみ込んだ山としての記憶があることでしょう・・北米大陸最高峰というだけでなく山裾から山頂までの標高差が約5500メートルもありひとつの山としてはエレベストをはるかにしのぐ世界一大きな山ですクマさんに地図の前にたってもらいました雲に覆われてるぅ・・ちょっと頭が見えています・・何度も戻ってトライしたけど雲が・・・・周辺にはたくさんのトレッキングトレイルが整備されています真ん中のトレッキングトレイルに人が歩いているのが見えますか・・結構な坂になっていますかなり足腰が強くないと・・じっとしていても95以上の心拍数のある私には無理かなぁ・ツンドラの紅葉日本の紅葉をイメージすると全く違いますこれがツンドラの紅葉・・地を這うように赤く染まっている紅葉・・さすがクマさん自然の中にとけ込んでいます・・山男の血が騒いていたかも・・o(*^▽^*)o~♪続くFC2・・はこちらから
2017/11/07
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トイレ休憩をしてすぐ・・シャトルバスが坂を上り始めると左側の眺めが急に開けて一気に高度をかせぐと広々とした大地が待ち受けています二枚目画像の右に見える大きな山がセーブル山(1830メートル)ここはグリズリーの楽園数多くのグリズリーが自由に駆け回りブルーベリーの実を食べリスを追いかけている地域ですこの地域ではバスを降りることを禁止されているので車内からグリズリーを観察することになります運がいいとかなり間近で見られることもありますが大抵は黒い点にしか見えなかったり陽光を浴びて金色に光る背中が見えるだけのことが多いそうです熊発見・・ドライバーさんがガイドも兼ねています・・この山道を運転しながらしっかり動物を見つけます見つかるとTVモニターにズームアップして画像を見せてくれます私達の座っている右側の山の中・・遠くで中々見つからない・・やっと黒い点を見つけてキャノンの50倍ズームで撮ったのがこれお尻しか撮れないずっと構えて待っていたけどこっち向いてくれなかったぁ・・少し走るとすぐにバスが止まって・・前から熊の親子が歩いてやってくるではありませんか・・・左側だったけどお隣の一人で座っていたシニア男性・・とっても気持ちよく写真を撮らせてくれました彼の前に乗り出して・・(-p■)q☆パシャッパシャ☆ヘ(≧▽≦ヘ) きゃーーん♪目の前を通り過ぎてるぅ・・・一番最後からついていく子熊がお尻をふりふりしながらお母さん熊を追いかけて・・(ノ≧▽≦)ノ~~~~『゜+.かわいいっ!!゜+.』今年は大好きなベリーが豊富に実っていて道路近くに寄ってこないそうです私達・・本当に・・♪xxx☆xxx ラ ッ キ ー (☆ゝÅ・★) ラ ッ キ ー xxx☆xxx♪バスの中からの風景どんどん変わっていくので目が離せません・・峠の上から鮮やかなツンドラの紅葉が・・思わずため息が漏れて・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/11/04
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テクラニカ・リバー・キャンプ場を過ぎるとバスはパーク・ロードをそれて停車テクラニカ・リバー・キャンプ場は車で行ける最も奥地にあります入れるのはキャンプの許可を得た車両のみ11時17分テクラニカ休憩所でトイレ休憩・・広場にはトイレがズラッと並んでいますトイレの裏側には数本のトレイル(遊歩道)がありテクラニカ・リバーを見渡せる展望台がありますこのトイレも簡易トイレ(ポットン)私にはポットントイレは無理のコメントがありましたが清潔で綺麗なトイレだから大丈夫ですよ・・全く匂いもしませんでした・・昔の田舎のあの臭いトイレと全く違います環境保護がここまで徹底しているということなんです・・トイレも・・とってもお洒落でしょ・・山小屋かと思ったもの・・o(*^▽^*)oあはっ♪大きなテントの中にお土産物屋さんも設置されていましたちょっと中に入ってチェック・・絵葉書やパンフレット・カレンダーOちゃんカレンダー買っていました・・ヘラジカとトナカイの角・・クマさんちょっと持ってみてぇ・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪テクラニカとは地元のアラバスカ族の言葉でたくさんの砂利と少しの水という意味だそうです実際に見ると・なるほど・・テクラニカ・リバーは無数の細かい流れによってできていてまるでレースの編み目みたいになっています一番最初の看板の画像を見ていただくとよくわかりますね・・続くFC2・・はこちらから
2017/11/02
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10時45分バスがナイスビューでストップここからは画像をお楽しみくださいね・・・・(゜O゜;アッ!自転車発見急いで(-p■)q☆パシャッパシャ☆右側に小さく写っています何人かいらっしゃったのですが走り去ってしまって撮れたのはこの女性だけ・・自転車でデナリ公園を・・これはスゴィ☆m9(゚∀゚≡゚∀゚)9mスゴィ☆時間がたっぷりあったら絶対に体験してみたい・・ってこの山道走る体力ないなぁ・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...いい旅してるなぁ・・せっかくだから上まで上がることに・・RESTORATION AREA = 復元エリア立入禁止・・ってことは理解できるね・・私達のバスの屋根が右に少し見えています・・デナリ公園・・最高!!!続くFC2・・はこちらから
2017/10/31
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地球の歩き方にバスの座席は左側がいいと書いてあったのですが残念ながら右側しか残ってなくて山肌ばかり・・それでも時々車窓から見える美しい山々を(-p■)q☆パシャッパシャ☆10時・・トイレ休憩トイレは男女共用の簡易トイレポットンです・・閂みたいな頑丈な鍵・・For Animal's Safety & YoursPleasa close the door behind you・・動物がやってくるんだね・・なんか・・…o(;-_-;)oドキドキ♪トイレットペーパーも完備されていましたただし・・手を洗う水がない・・消毒用のジェルが出てくるポンプ式の容器がセットしてありました日本で便座拭きの用のが設置されてるでしょああいう感じのもの私はウエットティッシュを持っていくといいと書いてあったのでしっかり持っていってました・・そこからの風景このバスが私達のバス・・私の席の前の席に母親と娘さんが座っているのですが二人共かなりでかくて・・(太ってる・・)座席からお尻が半分以上はみでてる!!!思わず後ろから(;一一) ジィー長時間座っているのに疲れないのかなぁなんて周りを見渡すと・・皆さん・・でかい・・一番前に座っている方なんて大きな箱に入った甘そうなクッキー持ち込んでたし・・あんなん食べてたらそら太るわ・・私たちが子供みたいに見えたんちゃうかなぁ・・ついてたスナックボックスピスタッチオ・クッキー・チョコ・ジャーキーかぼちゃの種・チーズののったライス煎餅?・・これで夜まで我慢・・・・皆さんできるのか!?というかなんでランチボックスじゃないの???????(*゜・゜)ンッ?ツンドラの紅葉がちょっと遅かった・・のか・・もっと真っ赤な紅葉を期待してたからちょっとがっかり・・本当はこんな真っ赤な紅葉が一面に広がった風景を期待してた・・気候の関係もあるし一番いい時期にいくというのは本当に難しいね・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/10/28
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2017年9月7日 (木) 晴れ5時起床すぐにお天気チェックコーヒーと昨日の残りで軽い朝食6時35分ホテル出発まだ薄暗い冷っとしている・・一番上の画像の左に写っているのが私達の泊まったホテルです坂を上りきると右に昨日買い物をしたスーパーが見えます徒歩20分・・7時ちょっと前に到着・・ちょっと息がきれる・・バスはデナリ・プリンセスホテル・7時45分出発デナリプリンセスロッジのフロントデスクでアイルソンエクスカーションツアーのバウチャーを渡して出発時間とバス番号を確認してくださいバスはデナリプリンセスロッジ正面玄関外のバス乗り場が発着場所になっていますので出発時刻の15分前頃までに乗り場に行きバスを探して乗車ください所要時間6~8時間・・スナックボックス付き・・フロントデスクでVoucherを見せバスの番号を確認したのですがわからない・・ここから出るのは間違いないようですロビーや玄関前には団体さんがたくさん集まって・・ごった返しています・・日本人いません・・中国人・韓国人もいない・・次々とバスがやってきて・・皆さんどんどん乗り込んでいく・・時間だけが・どんどん過ぎて・・バスが来るたびに前に回ってチェック私達の乗るアイルソンエクスカーションツアーのバスは見つからない7時45分になっているのにバスが来ない・・係の方に聞くと暫くして来たよ・・こっち・・こっち・・バスの中にはすでに数人乗り込んでいて・・無事乗ることができて(´▽`) ホッバスは公園の入り口で止まり・・ドライバーが降りろと言ってます皆さんバスを降りて移動をはじめました前に座っていたご夫婦に聞くとバスを乗り換えるということでしたその方のあとをついて行くことに・・アイルソンエクスカーションの乗り場がありました雷鳥が・・・普通にそこにいますリスやうさぎも見かけましたがすばしこくて写真撮れなかった・・デナリ・パークロードはパークス・ハイウェイから始まりデナリ国立公園・自然保護区の中を約146kmにわたって曲がりくねりながら続いています国立公園のゲートウェイからジョージ・パークス・ハイウェイに沿って延びる形の町がデナリパークです公園内には22km地点まで車で入れますがサベージ川の向こうにある道路には公園のシャトル・バスと134km地点にあるワンダー湖キャンプ場へと向かうツアー・バスしか入ることができません今回私達が行くのは緑でマークしたアイルソンビジターセンターまで・・デナリ山=マッキンリーが正面に見える場所ですマッキンリーといえば皆さんよくご存知でしょう・・植村直己さんが眠っている山・・走り出して30分9時にドライバーさんがデナリ山が見えると・・私たちは空いていた右側の座席だったので左側に見える風景は撮れない・・テレビの電源を入れての指示で画像を通して見ることができましたすごく遠いから超望遠でズームしてくれています・・雲ひとつないデナリ山=マッキンリー期待で♪゚+.o((*´≧∀艸)【ヮクヮク】o.+゚♪サベージ・リバーが見えてくると間もなく橋を渡ったところにチェックステーションがありますレインジャーが特別許可をとった車かどうかチェック ここから先はシャトルバスとツアーバスしか入れません舗装道路はここまでこの先はずっと砂利道となりますレインジャーが乗り込んできて説明を・・アメリカンジョークで皆さん爆笑していますがわからん・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー続くFC2・・はこちらから
2017/10/26
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明日のデナリ山観光ツアー集合場所のDenari Princess Hotelまで下見兼食事に・・四角で囲んだところに私たちの泊まったホテルがありますホテルのすぐ上に遊覧飛行の乗り場がありましたからホテルの名前は乗ってなかったけどすぐにわかりました・・目的のホテルは赤い点のついたところ・・ホテルを出るとすぐ目の前にGeorge Parks Hwyがとおっています車は凄いスピードでビュンビュン・・轟々と走っています140~150キロはでてるかと・・ここは恐ろしくて歩けない・・よく見ると向こう側に歩道があったので急いで渡って・・この歩道をどんどん進みます・・ネナナリバーにそって10分以上モクモクと歩いたけど山と道路と川しかないよぉ・・・・(~_~;)画像は後ろ側を撮ったところ・・ここ歩いてきました本当にこの先にホテルがあるのか不安になってくると・・・坂を上り切ったところで突然目の前にオォオオォヽ(*^Д^*)ノオォォオオ!!!街らしきものが見えたぁ・・・・・更に10分以上歩いて(注)この画像から4枚はお借りした画像です雰囲気をわかっていただきたくて旅行社からお借りしてきました・・確かに写真撮ったはずなのにないの・・どこを探してもない・・(w_-; ウゥ・・Denari Princess Hotelを確認大きなホテルです・・奥にはロッジもたくさんありました・・Denari Princess Hotelの真ん前にお土産物屋さんが・・お店はこの一箇所に固まったここだけです・・お土産物屋さんを覗いて見ると目があった・・右のがイヌイットが石を削って作ったものです・・色んな表情の子がいて中には大阪のビリケンさんみたいな顔の子もいましたよ私はこの子と目があって・・ムースの焼き物も可愛かったので連れて帰りましたさて・・夕食・・レストランを探したのですがナイ!! ◇ミ\(°ロ°\)三三(/°ロ°)/ミ◇ ナイ!!Denari Princess Hotelの中にはレストランもありますが暗くなってから帰るのは怖いし疲れたしで・・何か買ってホテルで食べることに・・お土産物屋さんの通りにサブウェイがあったのでそれぞれの好みをゲット・・あとは来るときに見かけたスーパーに寄ってチキンの丸焼きとサラダをゲット・・Oちゃんはウィスキー仕込んでました夜・・オーロラ見えるかなぁ・・と外にでたのですが曇ってて見えませんでした・・オーロラが目的ではないので見えればラッキーくらいに思っていたのですがやっぱり・・ちょっと残念感が・・明日見えるかなぁ・・・・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/10/21
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デナリ駅で私達だけが取り残された?!人はどんどんいなくなってくるし・・私達のホテル方面のバスはでていないし・・観光案内所は探してもないし(´-ω-`) 困ッたなぁ【悩】その時!(・。・)b 「そうだ!」確か・・タクシーが一台止まってたよね・・すぐにタクシーの止まっていたところまで小走りで戻るといた!!!!窓を軽く叩いてドライバーさんに交渉・・13ドルでどう・・もちろんこっちに異論はない・・すぐに交渉成立・・Oちゃん・・あとからポットちゃんの顔色変わってたで・・( * ^)oo(^ *) クスクスそら顔色も変わるわ・・今回のホテルの送迎バスはないし・・人は見当たらないし・・時間ばかりすぎるし・・Cabin at Denali入り口がわからなくて(・_・ )))))((((( ・_・) きょろきょろしてたらタクシーのドライバーさんが入り口まで連れて行ってくれました階段上がったところでしたロビーもこじんまりとしていますここにもレストランがありませんだから食事は買ってくるか食べてくるかしないとだめです舗装されていない敷地をスーツケースを抱えて移動この建物の階段上がった正面のお部屋です階段ばっかりで壁|〃´△`)-3ハゥー運がよければこの椅子に座ってオーロラ見れるかもねぇ・・入り口を入るとすぐにリビングとキッチンとなっていますコーヒーメーカーも冷蔵庫もあります左の階段を上がると大きな窓から・・ベランダにでれるようになっていますキングベッドがひとつ・・その奥にダブルベッドがひとつ・・今回は私とクマさんがキングベッドでOちゃんはダブルベッドで寝てもらいました1階キッチの階段奥に二人用の洗面所とトイレ・シャワー・・ここもすごく広いです・・荷物をおいて明日のデナリ山のツアーの集合場所のホテルを確認に出かけました地図では徒歩20分くらい・・でも・・ホテルをでても・・山と広い道路しかみえない・・10分以上歩いてみたが・・それらしきものが全くない・・ほんまにあるんかいな・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー続く・・FC2・・はこちらから
2017/10/18
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2017年9月6日(水) 晴れアラスカ鉄道でアンカレッジへホテルのシャトルバス利用ホテル発6時45分 アンカレッジ駅着7時・・まだ薄暗い・・アンカレッジ駅に着くとすぐに目についたのが可愛い汽車・・テントのところでスーツケースを預けます駅構内はまだ人が少ないここでTravel Voucher とチケットを交換・・全席指定となっていますアラスカ鉄道 Alaska Railroad 夏季の旅行シーズンにはアラスカ鉄道は1日に一本アンカレッジから北と南にそれぞれ運行されています北はデナリ国立公園を通りフェアバンクスへ南はポーテージを通りスワードまで展望車や食堂車もありアラスカの大自然をゆったりと楽しむことができます私たちはデナリまでの7時間25分の旅となります7時50分入り口を塞いでいたロープが外されて一番上真ん中の青いところが入り口です号車がわかりやすいように目印に旗を立てています席を確認してアラスカ鉄道の先頭の画像を撮りたくて行こうとしたら・注意されました・・クマさんと私のチケット・・Oちゃんは私達の真後ろの席・・かなり空いていました朝食を食べてなかったので駅構内でパンを買って・・柔らかくて白いパンにチーズがサンドしてて美味しかったぁ・・レンジで温めてくれたしね・・チケットは二種類ありますアドベンチャークラスとゴールドスター・サービスゴールド・スターサービスには食事がついていて座席で食べることができますコーヒーも飲み放題しかも2階建ての2階部分で車両がドーム型の窓になってて最高の眺め飛行機で言うとファーストクラスとエコノミークラスって感じだね・・料金も倍・・私達アドベンチャークラスはゴールド・スターの方には入れませんアドベンチャークラスでも食堂車はあるし・・展望車両もあると聞いていたので私たちはアドベンチャークラスでそれでも往復・・約30000円これがベストシーズンなら + 4000円となりますゴールド・スターサービスの片道くらい・・デッキから (-p■)q☆パシャッパシャ☆展望車に行ってみましたお客さんが少ないからか満席ではなかった・・向こうから列車がやってきました・・1時過ぎに・・食堂車へ・・軽くハンバーガーとコーヒーで済ませるゆったりした4人席・・窓も広いし空いていたのでゆっくりできましたヨーロッパと全く違う風景が広がります・・広い・・圧倒されるくらい広いです湿原地があちこちで広がっていますアドベンチャークラスの席はこういう感じです私達の車両はもっと空いてました途中から雨が降ってきて写真撮れませんでした・・デナリに近くなってきて雨は上がってくれて・・(´▽`) ホッそれでもどんよりしたお天気ですデナリ・15時15分着荷物をもらうために一番後ろまで移動荷物がなかなか出てこなくて・・その間にバスがないか見てみたけどそれらしきものが一切ない・・とにかく荷物が出てくるのを待って・・30分以上待ってやっと荷物が出てきてその間にグループの方たちは専用バスですでにいなくなってて・・バスを確認に行くと・・デナリ公園入り口方面のバスしかない・・私達のホテルは反対側・・観光案内所も見当たらない・・スーツーケースと荷物を持ってあっちへ行ったり・・こっちへ行ったり・・タクシー乗り場も見当たらない・・((´д`υ))ドウシヨウ続くFC2・・はこちらから
2017/10/15
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集合場所のキャプテン・クックホテル19時15分到着・・お腹が空いてきたホテルに戻る途中にステーキハウスがあったのを思い出して近くまで行くとお肉の焼けるいい匂いが漂ってきて・・Sullivan's Steakhouse - Anchorage中に入るととっても広いレストランでしたまだお客様もまばらで私たちは左端のテーブル席へ案内されてまずはビールでヽ(*^∇゜)oC□☆□Do(゜∇^*)ノ カンパーイ♪焼きたてのパン・・とってもふわふわでヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ リブステーキ・・メニューはポンドで書いてあったので大きさがイメージできない・・中くらいのをとりあえずオーダーこれが結構なボリューム炭火焼きの香ばしい香りにノックアウトですぅ・・・お隣の席のおじさま・おばさまたち一人で平らげてましたぁ・・ヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!身体が大きいだけあって食べる量が半端やない・・ホタテのベーコン巻きホタテの甘さが引き立ったお味で( ̄▽ ̄)b グッ!何度も・何度も・・ウェートレスさんがやってきて追加注文を聞きに来るこれだけでいいの???????みたいな感じでした店内が暗かったので美味しそうに撮れてないこれだとお店の方に申し訳ないよね画像探してみましたこれこれ・・この感じ・・美味しそうでしょう・・ほんまに美味しかったホテルに戻ったのは8時50分・・明日はいよいよOちゃんのお楽しみアラスカ鉄道に乗っちゃうぞ・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/10/12
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11時47分・不凍港ウィティア着今回私たちが参加するのはPhillips Cruises & Toursの26Glacier Cruise 12時30分発の・・プリンス・ウィリアム湾の26の氷河を巡る約5時間のクルーズです・・バスが駐車場に到着するとドライバーさんがオフィスまで行ってバスの乗客全員分の乗船チケットを受け取って配ってくれます全席指定・・本降りの雨で大慌てで船に乗り込んだので画像はお借りしたものですクロンダイクエクスプレス号3階建てで座席は1・2階3階は操縦室船の前後と3階に屋外展望デッキがありますアラスカ最大・最速の双胴船で船が揺れにくいので「No Seasickness Guaranteed」(船酔いなし保証)とホームページで謳っているだけあって確かに揺れなかった・・赤い線が今回の氷河クルーズのコース・・本降りです・・私たちは2階の窓側の席でした4人席で・・欧米人の男性一人と同席・・この男性・・一言も口を聞かないし・・目を合わせない・・終盤に入って一度だけ撮ってきた写真をどうだ・・いいだろ・・という感じで見せてくれた・・悪い人ではない・・座るとすぐにランチが運ばれてきて・・サーモンチャウダー・パン・サラダ・・雨に濡れて寒かったのでサーモンチャウダーが温かくて美味しいε-(´∀`*)ホッ船内はコーヒーは飲み放題・・皆さんのコメントに寒かったでしょうとあったのでその時の服装を・・私は・ババシャツにTシャツ・チェックシャツ・ユニクロの薄いダウンベスト・薄手のパーカー外に出るときはその上からカッパを着こんで・・想像していたより寒くはなかったです・・船内は暖房も効いているので快適・・外と中の温度差があり窓がすぐに曇ってしまうのが難点・・出発してしばらくするとトドのコロニーに接近のアナウンスが・・3階の展望デッキに出て見たけど凄い人・・しかも雨風が酷いから皆さん少しでも雨のかからないところに固まっています私もなんとかと思ったけれどどうにもならないので外階段から2階に降りてみた・・するとうまい具合にデッキが空いていてここ・・穴場・・このあともこの場所で写真撮りました一応屋根の下だけど雨風でビショビショになる・・お天気が良ければ屋外展望デッキから見たかったなぁ・・一番上の画像・・これで3倍・・なんとなくいるなって感じですね・・50倍のキャノンのコンデジと交換雨風が凄いからカッパで隠しながらの撮影メガネは濡れるは・・船が揺れると上からドサーーーーーーーーーー!!と溜まった雨が落ちてくる・・一瞬のことだったけどなんとか避けられてカメラ・・もう少しで水没になるとこでした・・一緒に撮影していた欧米人の男性щ(´□`)щ オーマイガーッ!!お互いに無事で・・よかったね・・と・・(^_-)-☆一度撮っては・・タオルで拭きながら・かばいながらの撮影これで精一杯・・このあと・・白頭鷲がいるとのアナウンスがあったけど遠すぎて・・カメラで捉えきれませんでした・・どれもモノクロ写真にしか見えないよねぇ・・クマさんもやってきたので(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪これ屋根の下なんですよ・・凄い雨ってわかるでしょ・・クマさんモンベルのカッパ着てます私も色違いのを持って行ってて・・本当に良かった・・今回のツアーではタイド氷河・ピードモント氷河・アルパイン氷河のアラスカにある3つの氷河すべてを見ることができますこれがどの氷河なのか英語のアナウンスだし・・雨風の中で聞いているしで・・さっぱりわかりません・・人( ̄ω ̄;) スマヌラッキーならこのあたりで氷河が崩れる場面がみれるそうですOちゃんもやってきたのでクマさんと(-p■)q☆パシャッパシャ☆船内では知識豊富なUSフォレストサービスのレンジャーが乗船していて質問に答えたり主な見どころを案内してくれますが・・難しい英語は(○≧Å≦)bムリ!英語圏の人って得やなぁ・・っていつも思う瞬間・・勉強すればいいやん・・って突っ込まないでね・・クマさん氷河の崩れるところが見たくて雨風の中しばらく見てたけど崩れなかったぁ・・崩れそうなのにねぇ・・残念!ここは雨の降る日が多くて殆どがこんなお天気だって・・いいお天気に恵まれるのはラッキー!みたいですトドくらいしか見ることができなかったけど目の前に広がる氷河は素晴らしくいい思い出になりました17時35分・・ウィティア港・・帰港すぐにバスに乗り込む帰りのバス・・同じコースを戻るのですが寄り道もトイレ休憩もなくキャプテン・クックホテルに戻ったのは19時15分・・ここも雨が降ってたみたいで道路が濡れていました・・続くFC2・・はこちらから
2017/10/10
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バスは不凍港ウィティアへ・・アンカレッジの南96キロパッセージカナルの先端にありますアラスカ西部の不凍港のウィティアへ行くにはアントン・アンダーソン・メモリアルトンネルという全長4kmのトンネルを通らないと行けませんこれがなかなかの鉄道名所で世界最長の鉄道道路併用トンネルですこのトンネルは零下40度・風速70m/秒になる冬場の気候に耐えられるように設計されているとのことですが鉄道と道路の共用で車道は一車線分しかありません当然車は一方通行で1時間に1回・・15分間だけ通れるそうですトンネルの手前に大きな駐車場があり通れるようになるまで駐車場で待ちます夏場のシーズンなどは2時間待ちぐらいになったりするそうです私達が行ったときも凄い車の行列ができていましたマジックバスは並んでいる車を横目に空いている一番右の専用レーンに入り先頭へ・・手前に信号があり・・待ち時間が表示されています15分ほど待って信号が青に・・・日本の上高地に通じる釜トンネルと同じだと思った・・中はこんな感じですトンネルを抜けるのに10分ほどかかりました雨は本降り・・私達が乗るのはクロンダイクエクスプレス号アラスカ最大・最速の双胴船です・・ちょっとお勉強ウィティアには西洋人が来るずっと前からチュガッチ・エスキモーがいました彼らは魚をもとめてウィリアム湾とクック湾のターナゲン入り江を分ける峠を越えていましたその後金鉱掘師達がその道を通ってターナゲン入り江の金鉱脈に達しました現在アリューティクと呼ばれるチュガッチ・エスキモーは氷河が後退し始めた7千年前頃にプリンスウィリアム湾に移動してきましたアリューティクは水上の人々で狩猟と漁猟を主にしていました彼らと湾をシェアしていたイーヤク族はアラスカ内陸部からやってきて海岸沿いに居住しましたこれら最初の人々は木の家に住み小さな集落を形成していました彼らは衣服をラッコやアザラシから作り草やトウヒの根でバスケットを編み石・骨・木や貝を使って道具を作っていました今日湾内には約1000人のネイティブたちが住んでいて伝統的な自給自足の生活をしている人やネイティブ組織が所有する会社に勤めている人もいるようです最終氷期(およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期)では海面は後退しベーリング海峡にはベーリンジアという平原が広がっていましたユーラシア大陸を東進してきた人類はまずインディアンが次いでエスキモーが回廊を通りアラスカに到達しました歴史時代以前はアラスカはエスキモーとインディアンの土地でしたエスキモーは北極海沿岸を中心に海洋動物の狩猟が中心の生活インディアンは内陸部にてヘラジカ(ムース)やカリブーなどの狩猟が中心の生活をそれぞれ一万年以上続けてきたとみられています近代に入ると北部ユーラシア大陸を東進してきたロシア帝国がアラスカに到達1648年・ロシアの探検家セミョン・デジニョフがベーリング海峡上の島・・ダイオミード諸島に到着した最初のヨーロッパ人となります1799年に露米会社が勅許を受けたことによりロシア領アメリカが成立1804年・・シトカの戦い19世紀前半にロシアは植民を行い露米会社がアザラシなど海洋動物の毛皮を採集していましたが運送費がかさむことや・・乱獲による海洋動物の激減により毛皮事業がなりたたなくなっていきましたアラスカはかつてロシア領だったために正教徒の割合が他州に比べて高く現地語のうちの幾つかがロシア人宣教師によってはじめて文字化されましたクリミア戦争後の財政難などの理由による資金調達のため1867年にクリミア戦争の中立国であったアメリカ合衆国に720万ドル(1km2あたり5ドル)で売却されました(アラスカ購入)この交渉をまとめたのは国務長官であったウィリアム・H・スワードこのことは当時のアメリカ国民から「スワードの愚行」「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されましたがその後豊富な資源が見つかったりアラスカが(主に旧ソ連に対する)国防上重要な役割を果たすことが分かり現在では高く評価されています1896年カナダのユーコン準州で金が発見・・その後、アラスカのノームやジュノー、フェアバンクスでも金鉱が発見されアラスカのゴールドラッシュが始まります何万人もの金探鉱者がアラスカとカナダのユーコン準州に集まりフェアバンクス等はこの時代に町としての形をなしましたフランク安田の生涯を描いた『アラスカ物語』はこの時代を舞台としています続くFC2・・はこちらから
2017/10/08
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2017年9月5日(火) 晴れ目覚めてすぐにお天気のチェック晴れてるぅ・・(o^ー')b よっしゃ!!8時25分ホテル出発徒歩にてホテル・キャプテン・クックへ・・集合時間8時45分・・しばらくしてマジックバスがやってきた先客が乗っていますドライバーと日本人男性が話し込んでいますあとで聞いたのですが帰りに空港まで送ってほしかったようです話がついてからスーツケースを持ってきて出発したのは9時30分その後も2箇所で止まりお客さんをピックアップ・・どんどん雲行きが怪しくなってきて今まで見てきたヨーロッパとは全く違う風景が広がっています10時17分唯一のドライブインWood Station Millへ雨が降ってきた・・"く(""0"")>なんてこった!!"出発してすぐ撮影スポットでとまってくれてサーモンが溯上してきてる場所いますねぇ・・たくさん溯上してきています死んでるサーモンもいますねこの奥まで散策できるようですマジックバスこのバスに乗ってきました奥に氷河がみえています雨止みそうにないo┤*´Д`*├o アァー続くFC2・・はこちらから
2017/10/04
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ホテルに荷物を置いて明日の氷河クルーズの集合場所であるキャプテン・クックホテルに私達の泊まっているホテルからまっすぐ西に向かって徒歩20分のところにありました大きなホテルです・・ホッとしたらお腹が空いてきてどこか美味しそうなレストランがないかと近くをo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)o凄くいい匂いが漂ってくるお店発見BREW HOUSE私達の前に10数名の団体さんが入っていった・・席が空いているか聞いてみると40分待ちの7時になるそうで・・待つことに・・待っている間も次々とお客さんがやってくる人気のお店みたい・・ブザーがなって席に案内してもらうすっごく賑わっています・・奥の方は飲むのがメインかな・・( ̄0 ̄;アッこの奥にビールの醸造所がありますよ・・ここで作ったビールをだしてるのねぇ・・鮮度抜群やん・・クマさん疲れた顔してるねぇ・・左腕を固定されているからバランスが悪くて私が想像する以上に疲れるみたいですまずはいろいろな地ビールで無事ここまで来れたことに(*  ̄▽)o□☆□o(▽ ̄ *) カンパァーイッ♪流石・・できたて・・めちゃめちゃ美味しい・・Oちゃんも大感激・・私もクマさんも半分はOちゃんに飲んでもらったぁ・・Oちゃん・・ビール好きだから喜んで飲んでくれるしね・・野生きのこのピザ・・モッチモチの生地に野生のきのこがめっちゃ美味しい・・オヒョウのフライ・・新鮮だからくさみが一切なくてウミュゥゥ!! o(≧~≦)oエビも新鮮でプリップリ・・下にご飯がはいっています・・どれも素材を生かした味付けで☆⌒d(*^ー゜)b グッ!! 量が結構あるのでいつも何種類かオーダーして3人でシェアします・・お隣の席のおばさま巨大なハンバーグの真ん中にナイフが刺さっています・・見てたら目があって・・スゴィッ(*゚д゚ノノって顔してたら笑って撮らせてくれたよ皆さん身体が大きいから凄い量がお腹の中に私達・・デザートを勧められたけどお腹一杯で(○≧Å≦)bムリ!ホテルまで帰ってお風呂からあがったら・・Oちゃん・・部屋の前にある製氷機から氷をもってきて日本から持ってきたウィスキーだしてきて飲み始めた・・私達が旅行をするときはいつも3人部屋・・夜は・・Oちゃんが飲んでる横で私とクマさんはコーヒー飲みながらお喋りするのが日課・・しばらく話をしたらクマさん・・疲れたからって・先に寝ちゃった・・続くFC2・・はこちらから
2017/10/01
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バンクーバーで乗り換え飛行機から降りると肌寒い・・バンクーバーはいいお天気で23度・・リュックに入れていた上着を羽織るトランジットのため・・バンクーバーの出国手続き念の為に持っていったクマさんの肩のOPのレントゲン写真を見せて左腕は上がらないと話すとヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!でねわざと肩中心に念入りに金属探知機を当てて・・d(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ楽しいジョークが飛び出した・・次にアメリカの入国審査・・またまたクマさんのOPのレントゲン写真をみせて腕が上がらないと・・男性職員何故かクマさんの手のひらを綿棒の先に何かついてるものでこすって女性スタッフを呼んでます・・(「・・)ン?そういえば・・ブルガリア・ルーマニアに行ったときもされてた・・気になって調べてみると硝煙反応検査みたいですピストルやライフルなどの銃器を発砲すると火薬が炸裂して周辺に火薬の爆発によって発生した二酸化窒素が飛び散り衣服や手などに付着・・そのため検査する部分にジフェニルアミンという試薬を吹き付けたり湿らした紙で擦りつけたりして化学反応を確認する・・この検査はセキュリティに並んだ全員ではなくアトランダムに抽出した人だけが受けるようですクマさん二度も続けてあたっちゃったのね・・クマさん別のところに連れて行かれた・・やってきた女性スタッフクマさんの手をみるなりtoo small・・と言って自分の手と合わせて・・(〃^∇^)o_彡☆あははははっでね・・いきなり・・OPした方の左肩をぽんと叩いた・・びっくりして・・飛んでいって写真見せたら彼女オォォーーー!! w(゜ロ゜;w(゜ロ゜)w;゜ロ゜)w オォォーーー!!すぐに謝ってくれましたクマさん笑っていたからたいしたことなかったみたいだったけどOちゃんもびっくりして・・バン!っていったよなぁ・・うんうん・・バン!って音した・・クマさんに聞くと・・首の方だったから大丈夫・・軽くタッチした程度だったし・・ヾ( ´( ェ )`)ノ フッ( ´o`)п< <(ホ) アンカレッジ行きのゲートまで行きほっとしたOちゃん・・ちょっとガソリン入れてくるわ・・しばらくして戻ってくるとビール探したけどワインしかないねん・・しかもめっちゃ高くてさ15ドルした・・(カナダドル1ドル約100円)お昼も食べ損なったしい良いかと思って飲んできた・・ここで有名な美味しいワインやったしさ・・Oちゃんワインやビール・ウィスキーがめっちゃ好きで毎回・スーツケースにウィスキーが入ってる・・夜・・部屋でグビグビ飲むのが日課なんだよ・・搭乗ゲートには子供の遊び場も設置されていた・・バンクーバー発12時25分日本との時差・・-16時間何やかやありながらも飛行機に乗り込み定刻通り出発14時20分アンカレッジ着時差・・-17時間関空で両替するつもりがドタバタで時間がなくて・・アンカレッジの空港で両替所を探すも見当たらない・・係の方に聞くと・・ダウンタウンまで・でないとないということでした・・Oちゃん・ドルを少し持っていたしクマさんも少しドルを持っていたのでなんとかなるだろうとホテルまでは空港内の直通電話で迎えをお願いできるシステムになってて直通電話がすぐに見つかって電話をするとでたところで待っててくれとお迎えの自家用車がたくさん止まっていますどの車もでかい!!移動して待つこと40分・・他に待っていた方はお迎えがきていなくなっちゃった・・あまりに遅いのでもう一度電話をするとドライバーに伝わっていなかったようですぐに行くから20分ほど待ってくれと・・結局1時間待って迎えの車がやってきた・・道路が広い・・ゆったりしてるねぇ・・20分ほどでダウンタウンにあるホテルに到着ゲストハウス イン & スイーツ アンカレッジ・・2.5 つ星リビングとキッチンのついた部屋・・ソファーがベッドになります・・奥のドアの中にセミダブルのベッドが2つ・・Oちゃんと旅に出るといつもOちゃんソファーベッドで寝てくれるの・・私・ここでいいからベッドルーム使って・・いつものようにソファーベッドを引き出してベッドにして・・ロビーには暖炉が・・その奥に自由に飲めるコーヒーが用意されていますホテルにはレストランがありません・・朝食・買ってこなきゃね・・荷物を部屋に置くと・・明日の氷河クルーズの集合場所になるホテルキャプテン・クックの場所を確認しに・・追・・アメリカのビザが必要なのはわかっていたOちゃん私たちにもネットで取る方法を丁寧に説明してくれてた・・あとでカナダの地球の歩き方の本をじっくり呼んでいたOちゃん( ̄0 ̄;アッ必要やって・・書いてあるわ・・(*・・)ヾ^☆しまった・・・・・ いらないと思い込んでいたOちゃんいつも入念に下調べするOちゃんなのに10年前に一ヶ月ほど留学してたことがあっていらないと思い込んでいたんだね・・去年の11月から必要になってたみたい・・すべてOちゃん任せしてた私達アラスカの本しか持ってなかったから気が付かなかった・・ヾ(_ _。)ハンセイ…それでもこんなこと初めてのことで絶対に忘れない笑える思い出になってよかった・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/09/29
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時計とにらめっこしながらメールが来るのを待つ・・時間は過ぎていくのにこない・・その時ポットさん・・返事が来ました・・メールが来てなくてもカウンターにコピーを持って行けばすぐにわかります・・とコピーを渡されましたまだOちゃんとクマさんのは来ませんとりあえず・コピーを持ってカウンターへ・・カウンターで私のは許可がでたのが確認でき後の方が取れなくてもお一人でいかれますか?( ゚ Д ゚!)・・・・マヂカッァァァ(○≧Å≦)bムリ!何時まで待ってくれますか?!ギリギリ3時35分までお待ちします・・その時・・3時20分・・すぐに戻ってその話をしているとクマさんのができてきて・・すぐにOちゃんのもできてきてコピーを持ってカウンターへ走った・・残り5分でギリギリセーフ荷物は係の方が直接運んできました例のカップル・・女性の許可が降りなくて飛行機に乗れなかったようです・・その後の若者三人・・一人だけ持ってなかったようですが私達の直後にカウンターへ駆け込んできてました乗れたみたいです・・搭乗ゲートまでたどり着くと・・Oちゃん・・ポットちゃんと一緒にお昼食べたらいいと思ってたから朝から何も食べてないし・・もうエネルギーきれたわ・・・・・・と・・缶ビールをぐいっと一気に飲み干してエネルギー補給・・”(*>ω
2017/09/27
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クマさんが怪我をして運転ができないからあの日以来すべて私が運転しています午前中のリハビリをすませ関空には余裕を持って出かけましたOちゃんには2時間前でいいねと話をしていたので大きな荷物を持って関空でお昼を食べるのは・・と思い・・手前のSAでゆっくりお昼を食べて関空に着いたのが13時45分飛行機の時間が16時25分だからいい感じ待ち合わせの場所に行くとOちゃんがいない・・しばらく待ってみたけど来る気配がない気になってスマホをみるとOちゃんから何度も着信がはいっていた病院へ行ったからマナーモードにしていたのを忘れていたのです・・いつもならバッグを手にもってるからマナーモードでも気がつくんだけどクマさんに預けていたからクマさん全く気づかなくて・・やっと連絡が取れたらOちゃん・・クマさんのことがあったから心配して3時間前にきてたそう・・電話しても出ないから心配して下のPまで見に行ってくれていたらしいOちゃんと無事出会い・・チェックインカウンターへ・・カウンターの手前でかかりの女性に機械で受付してくださいと言われ間違わないように確認しながら記入後少しのところで○○でできません・・チェックインカウンターにお越しください・・の文字が・・Σ(=゜ω゜=;) マジ!?ここでロスタイム・・チェックインカウンターに行き手続きを待っているとなんだか時間がかかっている・・すると・・カナダのビザを持っていますか?ときかれたOちゃん・・アメリカのビザはわかっていたけどカナダもいるって知らなかったし・・トランジットだけでも駄目なんですか?って聞くとトランジットだけでも必要だそう・・去年の11月から必要になったのでないと搭乗できません・・ビジネスセンターで手続きしてきてください・・щ(゜ロ゜щ) オーマイガーッ!!Oちゃんの顔色変わってました大急ぎでビジネスセンターに行くと先客のカップルが一組手続き中私達と同じ飛行機でラスベガスに行くそうですこのカップルもカナダビザがいることを知らなかったんだね・自分でするなら1時間500円でパソコンを貸出しますとただし・・英語でしかできないとのこと・・慣れているセンターの方にお願いしたほうが早いとふんですぐに書類を書きました・・パソコンは2台しかなく・・まだカップルの方のを打ち込んでいる最中私たちはその後になります・・申込みをしても遅い人なら74時間かかると言われ工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェ Σ(゚Д゚ノ)ノェェェェその後も若い三人組の方が駆け込んできて・・私達の後なら時間がないとスマホでやってました時間は刻々と過ぎ・・私たちはただ待つだけ・・時間との戦いとなったのです・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/09/24
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7月にOちゃんと電話で話をしていたときアラスカ行きたいけど行く相手がいいへんねんという話に・・アラスカ????何があるん???自然が綺麗ねん・・・・短い秋の一瞬の紅葉がみたいねん・・クマさん・・Oちゃん・アラスカに行きたいんだって・・行く相手がいないからいけないって言ってるけど・・行きたくない?行ってもいいな・・ヾ( ´( ェ )`)ノ フッということでアラスカ行きが決まった・・飛行機の手配・ホテルの手配等々・・・すべてOちゃん任せ・・Oちゃんは団体旅行が苦手ですべて自分でプランをたててゴルフ目的の旅行も含めて個人旅行を年に4回は行く強者・・Oちゃんにとって・たった一度だけ参加した・・11年前のチュニジアのツアーで知り合った友人縁あって・・オランダ・ベルギー・ルクセンブルグをレンタカーで回ったりポーランドを回ったりした仲プランを立てるのが好きで一時はそんな仕事もしていたくらい・・自分たちでしたのはアメリカのビザをとったことくらい氷河クルーズのことやデナリの観光・アラスカ鉄道のことなど電話で確認しあって用意万端整って後は荷物の準備だけになったそんな時・・クマさんが自転車で転倒・左肩骨折・・アラスカ旅行・・無理か?!って思っていたらカレンダーを見ながら先生が行けるよって・・(´▽`) ホッOちゃんには心配をかけるから事故のことは話していなかった・・ギリギリになって保険に入ってもらったことを思い出しOちゃんに事故のことを話した・・出発当日までリハビリをうけ三角巾で腕をつっての旅に・・私は初めてのリュックを背負い・・パスポートや現金の入ったバッグを斜めがけしていままでは殆どの荷物をクマさんが持ってくれてたから今回は私が頑張らないと・・気合を入れて車のハンドルを握り関空へ・・思えば・・今回のアラスカ旅行・・クマさんの骨折から始まって難問が続出・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/09/23
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2017年5月2日(火) 晴れお部屋の窓からの風景今回の旅のホテルのお部屋どのホテルも窓からの風景がとっても素晴らしく大満足でした5時半モーニングコール朝食はBOX・・6時30分ホテル出発・・ブタペストは帰国の飛行機に乗るためだけの通過点国際線の飛行機はブルガリアまで戻るかブタペストまで来るかの選択・・便の多いブタペストとなったようですブタペスト9時20分発フランクフルトまで約1時間45分の飛行です11時05分フランクフルト着フランクフルトは本降りの雨・・フランクフルト13時20分発関空まで約11時間20分の飛行マダムたちは乗り継ぎの時間にブランド物のバッグなどをたくさん買い込んでました・・私・・ブランド物に全く興味なし・・クマさんとお茶して時間つぶしてました帰りの飛行機はすっごく空いてて・・私も三人がけの席を独占ここで例のスーパーの問題のご夫婦・・海外で商売もなさっていて英語堪能の男性一人旅の男気のある親分と呼ばせていただいていた方に上から目線で何か言ったみたいいきなり・・ええかげんにせいよ!お前にそんなこと言われる筋はない!クマさん・そうでっしゃろ・・真ん前の席に座っていたくまさん一部始終を聞いていてそらそうや・・Nさんの言うとおりや・・と・・そのご夫婦・・そそくさと前の席に移動しましたでね・・あのお喋り二人の女性・・力いっぱい喋ったから疲れたわ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆だってさ・・それで少しはおとなしくなるかと思ったら食べてるとき以外は喋りっぱなししかも私・映画みてて音量を大きくしていたのにその喋り声が漏れ聞こえてくる・・もうね呆れてしまって・・6本映画見ちゃったわ・・添乗員のSさんが様子を見に来るとお喋りをやめる・・わかっててやめないってことだね・・日付が変わって5月3日(水)7時40分関空着関空で大きな声でその話を仲良くしていたマダムたちと話しているとすぐ後ろにその二人組がいた・・(/||| ̄▽)/ゲッ!!!って思ったらそんなこと気にしなくていいわよもう会うこともないんだから・・(〃^∇^)o彡☆あははははっ今回の旅は10日間のツアーでしたが皆さんに見ていただきたい写真がたくさんあってかなり長くなってしまいましたいろんなことがあったけど・・とっても楽しい旅で・・最後の最後に添乗員のSさんからポットさんご夫婦のお陰でとっても明るくて楽しい旅になりましたありがとうございますお洋服にビールがかかって汚してしまって申し訳ありませんでした・・とバラの香水をプレゼントしていただいて・・ツアー旅の良し悪しは添乗員さんにかかっています本当に素晴らしい旅をさせていただいてSさんに感謝です・・終わり・・
2017/08/25
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陽気な墓を後にしブタペストまで約430キロ・約7時間45分のバス移動ここはウクライナの国境近くの町車で1時間も走ればウクライナです13時・・ランチのレストラン到着ここで印象に強く残っているのが右真ん中のキャベツ薄塩でまるで日本の浅漬けみたいな味で美味しかったぁ・・豚肉のスープに豚肉のソテー野菜添え・・デザートのアイスも嬉しかったな・・ルーマニアの国境に着いたのが15時05分・・凄く混んでて全く進みません色々問題があるのか凄く厳しいようですやっと通過できたのは16時14分ハンガリーの入国も同時にすんだようです皆さんトイレに行きたくてやっと見つけたトイレ休憩ここのトイレ入り口にコイン入れが設置してあって100フォリント・・約40円・・入れないと使えません一人の方が持ってて・・コインを入れてドアを開け閉まらないように外から持って順番に使ってました私達・・飛行機に乗るためだけの移動ですからフォリントなんて両替してません・・添乗員のSさんが交渉してくださったら一人・・1ユーロだと・・( ゚ Д ゚!)・・・・マヂカッァァァ何度交渉しても譲らない女性店員・・仕方ないから私達Sさんに1ユーロ支払って・・でね・・例のキンキン声で自慢ばかりする女性一人旅のかた払わないでトイレ使って知らん顔そういうことってみんな見てるんだよねぇ・・で・・払ったってしらを切りとおしたよ・・やだねぇ・・バスの中でSさんが粘り強く交渉して20ユーロ取り返したので・・皆さんにお返しする方法考えますと・・思わず拍手キャーゞ(^o^ゝ)≡(/^ー^)/"""パチパチ皆さん1ユーロが惜しくて言ってるんじゃないんです40円がなんで約3倍の1ユーロになるんだと怒っていたんです・・私も同感!納得いかんよね・・男性は外で用を足している方もいたけど流石に女性はねぇ・・お尻だしてやりますか?!なんてみんなで大笑いしてばんばんっ!┃☆ヾ(≧▽≦)oひゃっはっはっ!!トイレが一つしかなくて時間がかかり出発したのは16時46分もう一度トイレ休憩したところは無料でしたどうしてこうも違うんだろうねぇ・・ブタペスト市内に入ったのは20時23分すっかり日が暮れて・・車窓からなんとか撮った写真なんとか見れそうなものをアップしておきますブタペスト都会よねぇ・・今ままで素朴な国を回っていたから凄い!って正直思いましたブタペストは以前も来たことがあったので鎖橋を見たときは懐かしく思い出していました今夜のホテルはメルキュール・ブダ★★★★観光のロケーション抜群のホテル・・ここでもう一泊できるともっと最高!!なのになぁ・・・夕食はホテルのレストラン・・Sさん例の取り戻したユーロでお水をみんなに用意してくださいましたブタペストはお水も有料ですから気の利いた使い方をしてくださって感謝・・まずはビールで乾杯・・トマトのスープ・・マスのムニエル・・デザートどれも美味しく頂きました明日は早朝出発・・早々に部屋に引き上げて荷物の整理・・続くFC2・・はこちらから
2017/08/24
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2017年5月1日(月)晴れお部屋から見た朝の風景・・今日もいいお天気・・8時・・ホテル出発サブンツァへ約88キロ・・約1時間45分のバス移動ここでルーマニア人のドライバーさんのデニさんが運転・・車窓から木造教会が・・それぞれに少しずつ違いがあって素晴らしいです・・車窓の風景を見ていて日本の門みたいなのがあるのに気づいてクリスティーナさんに聞いてみるとマラムレシュ地方の特徴だそうですこういう門があるのははじめてみました・・10時38分ルーマニアの北部サプンツァ村の陽気な墓到着チケット売り場・・目に飛び込んで来たのはカラフルなお墓・・村の誰もが知っている一番その人らしい姿をユーモアあふれる絵と詩で彫り上げた墓標が並んでいます墓を明るいものにしたいと最初にこの墓標を作ったのが木彫り職人のスタン・イオン・パトラシュという青年でした確かに明るくて美しい色彩お料理の好きだった女性はお料理をしている絵・・農業の方は畑仕事をしている絵が描かれていましたお参りに来てらした方がいらしたのでお声をかけて一枚撮らせていただきました皆さんお墓のアップを撮ったり一緒に記念撮影をしていましたが私・・どんなに派手なお墓でもそこで眠っている方がいると思うと何故かそれができなくて・・教会の正面に回ると意外と地味でした・・扉が開いていたので中に入らせていただいて・・村の方が普段使っているって感じがよくわかりますね・・クマさんの後ろの建物トイレです・・観光客のためにつくられたようです・・入り口に向かって撮った写真です・・お墓より私が惹きつけられたのは教会に描かれた素晴らしい装飾凄いでしょ・・美しいの言葉しかでてきません・・ここが入り口・・結構広いです・・たくさんの観光客がやってくるからお土産物屋さんもたくさん並んでいました・・欲しいものがあったけど残念ながらほとんど使い切って・・お金が足らなかったぁ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆続く・・FC2・・はこちらから
2017/08/20
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ランチ後世界遺産のマラムレシュ地方の木造教会へ公園や教会が美しい古いアパートメントが立ち並んでいます賃貸は高いので皆さん借金をしてアパートメントを買うそうですクリスティーナさんはご両親と同居だから結構広いアパートメントに住んでるようですディアナさんは一人住まいで狭いといってましたマラムレシュはウクライナと国境を接するルーマニア北部の奥地という印象が強いエリアですが民族的にも注目される昔ながらの生活と伝統が息づいていますチャウシェスク政権時代に進められた近代化政策もこの地方まではほとんど届かなかったようです・・冬は深い雪に閉ざされます世界中のどの地域とも同じくここにも近代化は迫ってきていますがマラムレシュ奥深くの小さな村の人々は民族衣装をまとい農林業と羊を主体とした牧畜による地域に根付いた生活を今でも続けていますマラムレシュの村には伝統的な建築の木造教会が多く残りそのうち8つが世界遺産に登録されています8つの村の木造教会はルーマニア・ゴシックといわれるモミの木の教会でそれぞれが村の名前を冠しています教会にはいずれも天を突刺すように伸びた高い塔と一重または二重のひさしにこけら葺きの屋根がありますマラムレシュ地方の教会が木造りなのはかつて石造りの教会を建てることが禁止されたことからでその代表作といわれているのがスルデシュティ教会ですこの道バスが通れるの????ってくらい細い・・・・・道路から入るのに四苦八苦何度も切り替えして・・・それでも駄目で前進してUターンして再度挑戦窓から下を覗いていて・・あ~~~~!はまる!はまる!とギリギリで冷や冷やもんでした・・庭木も道路からはみ出ててるからバスにバサバサ当たるし・・ドライバーさんの素晴らしいドライブテクニックで無事到着・・車内で拍手がわきました・・パチパチパチ o(^ー^)o☆o(^ー^)oパチパ トイレ・・男女それぞれ一つずつ・・何しろ人数が多いから障害者用も開けてくれるようにお願いしてくれましたが頑として却下!スルデシュティ※ギリシャ・カトリック教会でヨーロッパの木の教会の中で最も高い標高にある教会です大聖堂ではありませんがそのような感じがする傑作だといわれています1721~1724年に完成名前は「大天使」建物の高さは54mです素朴で印象的な教会・・周りの風景に溶け込んで素晴らしい・・それにしてもあの道・なんとかせなあかんで・・・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...中側から撮った入り口一枚上の画像の左にみえていますね・・ここが教会の入り口内部は撮影禁止となっています教会で購入したパンフレットから画像を拝借しました・・右・・イコノスタス・・バロック様式の強い影響を受けています・・左・・織物を敷いた椅子が並んでいますね前列に男性が座り女性は後ろの方に座ったそうです・・入れなかった場合は女性は外で・・左画像・・内部には先に布地に描かれた絵が木の壁面に貼り付けられていますすっかりなじんでそのまま描かれたように見えます・・薄い木の板を敷き詰めたこけら葺きの屋根がとっても美しい・・美しい十字架の中には三日月もありますこれはオスマントルコの来襲に備え敵対心がないことを示すためだったそうですといってもオスマントルコの攻撃も逃れて生き延びた木造教会というのは発見されにくいところに建っていたものばかりのようですが・・高く高く見上げるように伸びた塔4つの小塔はかつてこの教会に司法権があったことの象徴です伝統的な生活が残るルーマニアのマラムレシュ地方馬車が走り民族衣装の人々が行き交う光景は現実離れしたおとぎ話のようですが今なお続いているものです女性の民族衣装は何と言ってもこの短いスカートと白いハイソックスが特徴的です年配の方は黒っぽい色が多いのですが、若い女の子は赤青緑と色とりどりこの色は村ごとに決められているのだとか。フリルのついた真っ白なブラウスが華やかなスカートを引き立てています。お婆さんも日本人にはちょっとびっくりするような膝丈のミニスカートでびしっと決めている姿はとっても素敵普段から民族衣装で生活しているのですミニスカートの可愛いおばあちゃんと出会ったのですが残念ながら写真を撮ることができなくてこの画像はお借りしたものですここでちょっとお勉強※ギリシャ・カトリック教会ハプスブルグ皇帝カール4世(マリア・テレジアの父)時代にハンガリー領に組み込まれたマラムレシュ地方では正規の宗教はカトリック教会となりましたそのためマラムレシュ地方のルーマニア正教会の多くは生き残る術として正教会の儀礼を守りつつカトリック教会の教皇を最高位と認める正教会とカトリックが合体したような宗派ギリシャ・カトリック教となりましたもっともカトリック教会と正教会の争いは13世紀以来から根強くあったものでしたこの地方の正教会は石造りの教会を造ることを禁じられたため小さな木造教会が拠点となりましたそれも後に正教会が認められるようになり時代と共に村の人口が増えると小さな木造教会では不足となりカトリック教会をモデルとした石造りの教会が新しく建てられ多くの木造教会は閉鎖されました多くの木造教会がどんどん現役を退いていくことに外の人間は残念がりますが小さな教会ではミサのときに信者がみな中に入れませんでしたそのため中に入れたのは男性のみで女性はたいてい外でミサに参加していましたスルデシュティの教会は今も村の方が使う現役の教会です・続くFC2・・はこちらから
2017/08/16
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17時45分スルデシュティ教会出発バイア・マーレまで約157キロ・・約3時間15分のバス移動18時20分予定より50分遅れでHotel Mara ★★★ 着バイア・マーレの商業中心部に位置するホテルお部屋に荷物を置いてホテルのレストランで食事ですゆったリとしたテーブル・・ここもパンはとっても美味しかったモツのトマト煮?くさみがなくてトマトの酸味が美味しかったじゃがいもの揚げ物豚肉と野菜の串焼き?ヨーグルトソースがかかってましたここのはしょっぱくなくて美味しく頂きましたご飯・・普通にこうして食べるのね・・久しぶりのお米のご飯・・クレープベリージャムが中に入っています・・生クリームは残したけど後は完食!食後腹ごなしにホテルから徒歩10分位のところにある10時まで営業しているという地元のスーパーへ途中・・同じツアーのずっと大声で喋りっぱなしの女性二人組何度も注意されたけど最後まで治らなかった・・この方達と出会って中に入ったら追い出されて文句言われた・・って怒ってました・・行ってみると・スーパーの手前にある窓口から注文をして品物を受け取るお店があってそこと間違えて怒ってたみたいですここが目的のスーパー私たちは何がほしいというわけでもなくルーマニアのお金が明日のお昼までで使えなくなるので明日の分を残して使い切るために来ましたレジで精算待ちをしていたら同じツアーの私達と同じくらいかちょっと年上のご夫婦がレジの方に文句を言ってます添乗員のSさんからはカードは使えると思いますがお金とカードと一緒に精算はしてくれないと思いますと注意を受けていたのに・・買った品物とレシートを見せて小銭をなんでとらないんだ!!全部カード処理してるやないか・・し直せ・・みたいなことを下手な英語で話していますレジの若い女性は一生懸命・・これであってると言ってるのに耳をかさずに・・ノー!の一点張りそばにいたお客様も・・レシートを見て・間違ってないよって手助けしてるのに要するに品物と一緒に持ってる小銭とカードを出したみたいです私・・思わず怒鳴ってる旦那様に添乗員さん・カードと現金は一緒に精算できないって話してましたよ・・空港ならこれでしてくれる!って大きな声で・またまた喚く・・空港と地元のスーパーは違いますよ・・と話しても聞く耳持たず・・そばに突っ立ってレジの女性を睨んでる奥様に私も同じツアーの他の方も品物と小銭をだして一旦精算していただき残りの品をカードで精算してましたよ・・少し頭使ったらいいのに・・って言ってやった・・レジには凄い行列ができて・・ルーマニアのレジの若い女性英語が話せないようでと言うか英語圏で無いところで下手な英語が通じると思ってるのがそもそも間違ってますよね・・最初からなんとなく・いい感じのしないご夫婦ではあったのね特に旦那様ブラン城でも出口を間違って(私達がでた出口)ガイドさんや添乗員さんに文句言ってたし・・出口が2つあるなら両方で待っとかなわからんやろ!何のために二人のガイドと添乗員がいるんだ!ってねそんなん見たらわかるやん!って話だし・・実際・私達間違うことなくもとの入り口に戻ったし・・バスに乗り込んでから添乗員さん・・マイクで誤ってました・・いつも自分はなんでも知ってるんやと言わんばかりの態度で気分の悪い人だったから自然と避けてたのよね・・でも・・これだけは黙ってられなかったわ・・レジのかた間違ってないのにお気の毒で・・後々・・奥様に睨まれて避けられたけど・・別にどおってことないし・・はっきり言ってやってスッキリしたし・・o(*^▽^*)oあはっ♪帰り道ゆっくりと夕暮れを楽しみながらホテルへマクド・・どこにでもありますねぇ・・旅も後2日といっても・・観光は明日で終わりです明後日は帰国・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/08/13
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2017年4月30日(日) 雨のち曇り昨夜から凄い雨・・雨音で目が覚めた・・今回のツアーで初めての雨・・朝・・・すぐに窓を開けてお天気チェックあんなに降っていた雨があがっていた・・ホテル出発8時26分マラムレシュ地方へ約158キロ・約3時間15分の移動バスが動き始めてすぐ雨が降ってきた・・途中トイレ休憩のときに小雨・・ランチのレストランに予定より早く到着・・ここで雨が上がりました・・時間待ちに裏にある教会を見学にミサの最中だったのでそっと・・写真だけ撮らせていただいて・・レストラン民家みたいな感じだね・・中もお洒落になっています調味料入れ・・パンの上には可愛い織物の布がかぶせてありますパン・・ハズレなし・・文句なく美味しい・・たっぷりのスープ見た目・・(「・・)ン?一口食べてみるウミュゥゥ!! o(≧~≦)oすごく多かったけど完食しちゃったよ・・トキトゥラ・マラムレシャーナ(豚肉のトマト煮)マッシュポテト添えやっぱり塩辛い・・慣れたものでマッシュポテトと一緒にいただくいける・・デザート・・チョコケーキ甘いです・・味見だけ・・ここでちょいとぼやき・・今回初めて一緒の席になった一人旅の女性私の隣に座った・・1番端っこの席・・なんで?!なんでここに座るの?!って正直思った・・Sさんからバスの中で匂いがこもるお煎餅は食べないでくださいその匂いで酔う方もいますからと注意されていたにも関わらずお煎餅食べた人・・そのせいで一人の方が酔っちゃいました・・また・私が写真を撮っている真ん前で写真撮った人・・一人でキンキン・キンキン・・大声で喋りっぱなし・・しかも自慢話ばかり・・隣に座っていた私の耳に容赦なく金切り声が鳴り響き頭が痛くなってきた・・反対側に向いてみたけどとにかく大声でまくし立てる・・バスに戻ってもしばらく耳がキンキンしておかしかった・・頭も痛い・・その話を仲のいい人に話したらそうなのよみんな避けてるわよ・・あの人と・・あの人と・・あの人・・みんなに嫌われてるわよ・・あなた・気が付かなかったの?!そう言われると思い当たるけど私はあまり関わっていなかったから気にもしてなかった・・(*´ο`*)=3 はふぅんFC2・・はこちらから
2017/08/11
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集合時間まで5分大急ぎで今夜のレストランまで時計塔の前のドラキュラ伯爵の生まれた家が今はレストランに・・ここがドラキュラ伯爵のレストラン入口看板・・・目立ってますねぇ・・お洒落な雰囲気の店内です左が豚肉・手前が鶏肉血で作られたソーセージ・・チーズ・なぜかゆで卵が1個でんと・・やはり塩気が強い・・ここは血のような赤ワインで・・白身さかなのソテー・サラダ・・白身さかなのソテーとっても美味しい味付けでした・・肉はしょっぱいのに・・なんでやろ・・デザート・・ピントがあってないぃ・・・人( ̄ω ̄;) スマヌ甘い!!!!レストランは二階三階にはドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの生まれた部屋があります入場料5レウ・・約150円中に入ると真っ暗で・・お化け屋敷みたい棺が置いてあって・・いきなり起き出して驚かすという趣向・・クマさん・・先に棺の横に行って・・めっちゃいいタイミングで逆脅かししてました・・o(*^▽^*)oあはっ♪普通に生まれたときのままのお部屋が見たかったな・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...夕暮れの町をゆっくり歩きながらホテルに・・ここで雨がパラリと降って・・大した降りではなくて一安心・・クマさん・・クリスティーナさんに気になること質問しています・・明日・・お天気・大丈夫かな・・予報では雨・・続くFC2・・はこちらから
2017/08/07
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大急ぎで山上教会へシギショアラの旧市街全体が丘の上にあるのですがそのなかでも山上教会は旧市街最南端の山の上にありそこへ行くには屋根付きの木造階段を登ります屋根は冬場に礼拝や通学のために丘に登る人々のことを考慮して付けられたもので・・現在は175段ありますが1642年に出来た当初は300段あり1849年に現在の段数になったそうです階段のステップは6つのステップの後7つ目が踊り場となってて比較的・楽に登れました・・(「・・)ン?・・オーブ?しかもでかい!よく見るといっぱいでてる・・ 階段を登りきると目の前にドイツ語学校が・・山上教会山上教会は正式には聖ニコラウス教会というのですが普通・・山上教会と呼ばれるそうです1345年には記録にあるようですが完成したのは1525年およそ200年後のこと・・ゴシック様式の建物でトランシルヴァニア地方のゴシック建築の中で代表的なものと評価されているそうです建設当初はカトリックの聖堂でしたが1547年にルーテル派の教会堂になったそうです山上教会の前に地元の名士たちが眠る共同墓地がありましたなんとなく写真を撮りたくなかったから画像はないです・・日本のお墓に似たものがあった・・教会内に入ると地下墓地があったようですある方のブログで地下でうめき声が聞こえたので慌てて外にでたと・・時間がなくて入らなかったの正解!墓地も撮らなくて正解!山上教会近くにある綱職人(縄職人)の塔13世紀に建設されたものでシギショアラで最古の部類に属する塔だそうです現在は教会の共同墓地の管理人の住居としても使われているとか・・集合時間まで残り10分を切ってます・・大慌てで下に・・ここにもたくさんのオーブが・・続くFC2・・はこちらから
2017/08/06
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世界遺産となったシギショアラ歴史地区へ徒歩にて・・ルーマニアの人々が観光に必ずすすめる町シギショアラはブカレストから北西約300キロブラショフから北西約120キロに位置しトランシルヴァニアの中心にあります現在も中世の面影を色濃く残した町並みには周辺の町とは違う素朴な魅力が残りますシギショアラのあるトランシルヴァニア地方はかつてドイツ系のザクセン人が多く住んだ地域でシギショアラも12世紀にハンガリー王がこの地にザクセン人を入植させたことからその歴史が始まっていて最も繁栄した15~16世紀には15のギルド(職人組合)を持つ城塞都市でした時計塔は旧市街を取り囲む城壁に組み込まれ幾つかある城門の一つにもなっています写真は城壁の外から眺めた時計塔です旧市街の中にはいっていきます時計塔14世紀にシギショアラが商工ギルドによる自治都市になったのを記念して建てられた町のシンボルですドイツ語ではシュトゥントゥルムその後1670年に大火で消失したのですが再建され現在も機械仕掛けで時を刻んでいます時計塔の手前に見える黄色の家がヴラド・ドラクルが1431年~35年の4年間ハンガリー王によって幽閉されていた家ですドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの生家でもあります・・時計塔には17世紀に作られたからくり時計があり毎正時に人形が動きます時計塔の内部は歴史博物館になっています街の小さな広場には屋外カフェが何軒もあり街歩きをしてちょっと休憩するにはぴったり・・旧市街の素敵な街並を眺めながらゆっくりティータイム・・したかったなぁ・・街中に建つヴラド・ドラクル(ドラキュラの父)の像観光がスムーズにいき夕食までに時間がすこしあったのでここで40分の自由時間をいただけて・・せっかくだから山上教会まで足を伸ばすことに・・続く・・FC2・・はこちらから
2017/08/04
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ピエルタンから約31キロ・・45分のシギショアラへ17時05分シギショアラ着今夜のホテルはビンダーブビ★★★★★可愛い緑色のお洒落なホテル・・今回のツアーで1番・雰囲気がいいと思ったホテルですバスタブ無しのシャワーだけでしたがリノベーションされててとっても使い勝手が良かったですお部屋に荷物を置いて世界遺産である歴史地区へ外にでるとクマさんが幼い子供を抱っこしてる・・お父さんと一緒にいた子供がいきなりクマさんに向かって走り寄って来たんだってでね・・手をだしたら自然に抱っこされた・・かわいいっ♪((●>ω
2017/08/04
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ブラン城でランチの後12時17分・・ピエルタンへ・・約135キロ・・3時間のバス移動・・左・真ん中の写真何だと思います?これね・・ホップ畑なんです8月~9月が収穫時期だそうですこの地方は一面がホップ畑でした・・これ1番に気づいたのがクマさん・・すぐにクリスティーナさんに確認してました・・馬車が普通に道路を走っています・・14時35分・予定より早く世界遺産のピエルタンの要塞教会到着ヨーロッパ有数の堅固な構造の三重の砦に囲まれた城塞教会ですこの教会のあるピエルタンは12世紀にドイツ系のザクセン人が形成した村です中心に三重の砦に囲まれた教会を設けオスマントルコ軍が来襲した際にはこの教会に村民を入れて籠城する仕組みになっていました幸いにもここはトルコ軍の侵攻を受けなかったことから教会と防護壁がそのまま残されていますビエルタンはルーマニアのトランシルヴァニア地方シビウ県に属するコミューンのこと右上の写真をみると砦というのがよくわかりますね・・右下・・木製の屋根のある階段を登っていきます階段を抜けると教会が見えてきます左真ん中の写真天井の模様が変わっていますね・・真ん中の説教台は1つの石から掘り出されているそう・・中央祭壇この教会の祭壇画はトランシルヴァニア最大のものだそうです・・聖具室の扉の鍵に釘付け・・凄い鍵がついてます・・・中に入ってみると扉の裏(内側)に組み込まれた精巧な鍵が1つ動かすと一斉に19の鍵が掛かるしくみになっています1515年に造られたもので500年経った現在でも現役で使われているとのこと・・たくさんヨーロッパを回ってきましたがこんな鍵を見たのは初めてです500年前にこれほどの技術があったとは驚きです!一見の価値ありですね・・当時のままの旗・・祭壇の反対側にあるパイプオルガン・・教会の重厚なドアここなんだと思いますか?左上の写真をよく見てください格子状の柵がみえますか・・ここ夫婦喧嘩を仲直りさせるためのお仕置き小屋部屋にはベッド・テーブル・椅子・食器などが一つしか置いてなくて共用するようになっています仲直りするまでここから出さないようにしていたとかほとんどの夫婦が仲直りし実際に離婚したのは1組だけ・・また離婚するには子供がいないという条件があったそうです見張り台ここから町が一望できます教会の周囲は要塞そのもの堅固な構造の砦に囲まれた城塞教会凄いですね・・教会の前のお花・・バス移動のとき偶然見かけた風景結婚式があるようで皆さんに飲み物やお菓子を配っていましたおばさん素敵な笑顔で私達のバスにもよってきて勧めてくださいましたよ幸せのおすそ分けをいただきたかったけどバスが発車してしまった・・ここでちょっとお勉強12世紀・トランシルヴァニア地方に「サシ」というドイツ系の人びとが入って来ましたこの結果ドイツの文化がトランシルヴァニアまで伝わりこれらの教会はドイツ系ルーマニア人によって建てられました彼らの由来はドイツのライン河やモーゼル川の近辺現在のザクセン地方の人たちです遠く離れたトランシルヴァニアまで来たサシ人の目的は商業を興すことトランシルヴァニアが豊かな国だったので隣のオーストリア・ハンガリー帝国がサシ人のトランシルヴァニアへの移住を積極的に促したのですしかし中世のこの時代は周辺の遊牧民族たちの攻撃があまりにも多く激しいためサシ人が集落の教会の防衛を強化するたびにどんどん要塞化していく事になったのです1394~1690年の3世紀にわたりトランシルヴァニア地方はオスマントルコに14回も侵略されましたこのため村民を守れる強固な城壁の厚い要塞を建てる必要に迫られたのです仮に外敵に包囲された場合でもしばらくは暮らせるように要塞の中に水・食糧などの生活物資を備蓄していました南トランシルヴァニア地方には彼らの文化・・建築様式を色濃く残した小さな村が点在しています村の中心部にある教会の聖堂は見張り台の役目を果たしていましたビエルタンはこの地域の要塞教会のなかで最も堅固に造られている教会です1600年頃このような要塞教会は600ヶ所もありましたが現在ではその半分しか残っていません。これら要塞教会の建築様式はバロック調ですが・その中は質素です現在も昔と同じように教会の鐘が鳴り村の人々はその教会に集います中世の過酷な時代と直面したのが現在まで残っているトランシヴァニアの要塞教会なのです1993年・ユネスコはビエルタン要塞教会を始めプレジュメル要塞教会・ヴィスクリ要塞教会カルニク要塞教会・サスキズ要塞教会・ダルジュ要塞教会ヴァレア・ヴィイロル要塞教会の7ヶ所を世界遺産として登録しました・・続くFC2・・はこちらから
2017/08/03
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ブラン城の内部見学のあと一騒動が・・ツアーの数人が見当たりませんクリスティーナさんディアナさん・・添乗員のSさん・・手分けして探しています皆さん旅慣れた方ばかりで個人行動が目立ちますさっさと城外にでてしまってて・・・無事皆さんと合流でき自由行動・・・外からのブラン城世界の名城25にも選ばれた独特の雰囲気を持った美しいお城でした・・城の敷地内にはルカール=ブラン地方の伝統的な農村の建物が展示されてて小さな野外博物館がありますドラキュラの城ということに因んで毎年イベントで10月31日はハロウィンパーティーが行われるそうですクマさん目についた1番近い出口からでちゃった・・ォィォィ(;・・)ツ☆写真撮れへんがな・・柵に沿ってちょっと歩くと集合場所の入り口へ・・観光客でいっぱいになっています・・ここでクリスティーナさんおすすめのチーズをゲット味見をさせていただいて私が買ったのはポプラの皮でくるんだ羊と牛のチーズ・・(右上の写真の右の黒っぽいの)通りからいい匂いが・・大鍋で何やら煮ていますモツ鍋・・・美味しそうだぁ・・・( ̄~; ̄)11時前早めのランチ・・お洒落な店内ですまずは冷えたビール・・”(*>ω
2017/07/30
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なんとも色彩豊かな可愛らしいドア・・王様の寝室・・この部屋の見どころは・・王冠・・・中庭に面した回廊・・武具・・右下には紋章の入った盾・・下真ん中イレアナ王女のウェディングドレス・・化粧室上真ん中当時使っていたお化粧ブラシ・・下の写真がダイニングです・・大きくてお洒落な暖炉が・・更に下に降りると・・そこにあったのが拷問部屋・・左上・・箱の中にはギザギザの太い針が・・生々しくてヾ(li゜ω`)ノ怖過ぎぃ!!!!3階〜4階は王様と王女様の居住スペースで1階〜2階は兵士達の居住スペースだったそうです・・どんどん下へ降りていきます井戸のあった中庭に到着・・補足ドラキュラのモデルがヴラドとされていることに地元では観光に利用できると喜ぶ反面郷土の英雄を怪物扱いしていると複雑な気持ちを抱いています「吸血鬼ドラキュラ」は彼の行状を年代記で読んだアイルランドの作家ブラム・ストーカーのフィクションです・・続くFC2・・はこちらから
2017/07/27
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