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「バイト、出来る?」@千葉 伊東の森の露天市で知り合った露天商のおじさんから 電話がかかってきたのは、成田についてすぐのことだ った。 「17日なんだけど、大丈夫?」 16日のくさっぱらまつりで、おそらく、タコスと タマレスは完売してしまうので、翌日は体はあく。 「いいですよー。」 バイトの条件も何も聞かずにOKした。 もちろん、くさっぱら二日目に、またタコスを作って 売る方がずっと儲けにはなる。でも、このおじさん、 関東で長く露天商をしている人とのネットワークも もってるし、何よりも、正月の明治神宮での露天商 体験もさせてくれるというので、今回は、その予行 練習として、お手伝いすることにした。 朝6時に、青物横丁で待ち合わせということで、 品川近くで宿を取るか、ネットカフェに行くこと にした。 時差ぼけで、タコスを完売してから、しばらく 手の教室で寝てたので、目が冴えている。 目白の友達が、「うちに来てもいいよぉー」 と言ってくれてたのだけど、朝が早いのと、そこ に行くと、話に花が咲き過ぎて、眠れなくなるに 違いないので、今回はパス。 品川で下りて、うろうろした後、結局、交番で ネットの使える場所を聞いたら、プリンスホテル の別館の7階?にあるYAHOO!カフェを教え てくれた。 行ってみると、ネットカフェというよりも、 ホテルのビジネスセンター&バーという感じの とこで、ドリンクさえ頼めば、ネットは使い放題。 窓側に並んだバイオに向かって、注文したキャラ メルカフェを飲みながら、東京の夜景を眺める。 ちょっと贅沢な気分。 ネットカフェは、確かに仮眠を取るにはいいけど 個室でも快適空間とは言いがたい。 眠る必要がない時は、こういう場所の方がずっと 気持ちいい。 入り口付近では、外国人男性と、その秘書のような 日本人女性(奥さんかも知れないけど)が何やら二 人で画面を眺めながら、真剣に仕事をしている。 その光景は、昔、ユダヤ人の友達フィリップと一緒 に翻訳の仕事をした時のことを思い出させた。 彼の日本にいる友達が、カリフォルニアに家を買う 時に、日本での収入や財産を証明する書類を送って きて、それを英訳したのだけど、二人で頭を突き合 わせて、あーだこーだと進めていく作業は楽しかっ たなあ。 横では、おそらく時差ぼけで眠れないのだろう、 ラテン系の男性がメールを打ってる。 ほかの人達も、ホテルの客かな? 終電もなくなって、 「とりあえず明日の朝風呂の場所を探すか」 とネット検索していた時だった。 カタカタカタと、小刻みに、ビルが揺れた。 「あ、地震」 隣りのラテン系の男性の方を向いたけど、気づいて ないみたい。 と、しばらくして、また揺れる。 私の視線に気づいて顔を向けた彼に、 「Did you feel that?」 「感じた?」って直訳すると色っぽいけど、真夜中 でも、ぜんぜん色っぽい状況ではなかった(笑)。 大きな体の彼は、ぜんぜん感じてないみたい。 キョトンとしてる。 何か場が持たなくて、思わず、ありきたりの会話を はじめてしまった。夜中の2時。 ブラジルから来たという彼は、日本はもう5回目く らいで、やっぱり時差ぼけで眠れないのだという。 しばらく、ブラジルの話や、ブラジル出身のテニス プレイヤーの話をして、お互いの画面に戻る。 始発の横須賀線の下りが、4時半に品川を出ることを 確認した後、東京の夜景の広がる窓辺と、ブラジル人の グスタボに別れを告げる。 6時の約束の前に、ちょっと横浜のスカイスパで 朝風呂に入ることにする。 そこのサウナからは、横浜の港が見渡せて、この 時間だと朝焼けも見える。 スピード入浴(一時間1300円)で、すっきり した後、京急線の急行に飛び乗る。 荷物がなければ、平和島のクワハウスという手も あったんだけど、あそこは次回に取っておこう。 移動生活のためのデータ、だんだん増えてくる。
2004年10月17日
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朝はネットカフェで目覚める@蒲田 結局、シートで3時間くらい寝た後、ついつい 読んでしまった、「夜叉」by吉田秋生 ま、ほとんど用意は出来てるし、何でも出店が 開店する時間が11時らしいので、まだ看板を 作る時間とかも十分ある。 工作塾「手の教室」はこういう時、とっても便利。 看板つくりに必要な道具が全部揃ってる。 時々、ここの参考作品を作ったりする。5年以上も 前に粘土で作ったちびまるこちゃんシリーズのマグ ネットが、色褪せながら、冷蔵庫に張り付いている。 やっぱり手仕事し始めると集中できて気持ちがいい。 「かっぱや」の看板は、果物の箱の中にあった緑の仕 切り紙で作ったかっぱの頭を目印にした。 ちょっとした工夫をちゃんと見つけて、受けてくれる のは、いつも手の教室主宰者の「ののさん」である。 何だか誰よりも彼に受けると嬉しい。 そうやって、生徒もその気になるんだろうなあ。 (あたしゃ、子供レベルかい?) タマレスとタコスは、3時前にすべて売り切れてしま った。今日は他の食べ物屋さんが少ないこともあって、 ホントに早かった。 早々に片付けて、高田バーに行く。 柄の悪そうな町内の男どもが集まる中に混じるのは 少々決意を要した。 「えー、いしまる、もう終わりなの?」 「完売、完売」 「ちくしょー、儲けやがって!酒、飲め!」 まるでデ・ジャ・ブ。 ここだけ時間が止まってるみたいだ。 らん楽舎のソーセージも売り切れて、明日の仕込みの ために、子供たちも先生も帰り支度を始めている。 2年前、ここでタコスを日本に来ていた娘たちと一緒 に売った時は、はおろんが横で水餃子を売っていた。 はおろんは中国服を着ていて、へらへらといつもの愛想 のいい調子で、売ってたので、うちの娘たちは、はおろ んも、らん楽舎の、精薄の子供達のひとりだと思ってい たらしい。 私は個人的に、結構、そういう人たちと縁があって、 あの無垢なオーラというか、心の波動みたいなのが 好きなので、そういう人達と一緒だと思われるくらい 純粋な印象を与えたはおろんは、実はすごいかもしれ ない、とひそかに思ったものであった。 今回は、ちょっとメキシコの駄菓子なんかも試しに 仕入れてみた。 怪しいお菓子も、100円のおこづかいをだしに、 売り子になってくれた子供達によって、売りさばかれ、 なかなかよいビジネスとなった。 くさっぱら祭り、もう10年以上経つのかな? 早いなあ。 あの頃、保育園だった子供達が、今は、大学生だもの。 変わらないようで、子供達だけはどんどん成長して いってる。 くさっぱらの風景。 この日、ロクさんが自転車で、ゆきりん家族が車で わざわざ来てくれた。 マリアちゃんは、ゆうこさんとこうちゃんのスタンプ ワークショップにはまってた。 そんな日、でした。
2004年10月16日
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成田に着いた@JAL61便 「いっぱいよ~、ひろみさん」 いつもお世話になってる旅行社のえりこちゃんは、 今回も私が関空に飛ぶと思っていたらしい。 「違うよ、えりちゃん!成田だよぉ!」 それでもJALならまだ可能性はある。 エコノミークラスはほぼ満席状態。 「でも大丈夫よ。ビジネス空いてるから」 JGC(JALグローバルクラブ)のメンバーで ある私は、こういう場合、ビジネスクラスにアップ グレードされる確率がとても高い。 エコノミーのチケットがギリギリ取れて、空港で チェックインした時には、ビジネスクラスのボーデ ィングパスが渡された。ラッキー♪ 今回乗った機種のビジネスクラスには、新しいシェ ル型のシート。 「おー、これが噂の・・・」 デザインもかっこいい。使い心地は? グィ~~~ン・・・・ ほぼフラットに倒れるシート、ベッドのマークの ボタンを押すと、スペースシップのごとく、連続 アクションでもって、シートが倒れていく。 「かっこいいじゃん!」 フラットになるのはファーストクラスだけだと思って いたので、何だかお得な気分。 というわけで、この快適シェル空間で熟睡したおかげ で、しっかり時差ぼけ。 明日の屋台の荷物を置きにいった友人宅の近くで、 ネットカフェにいくことにした。 「でも、お風呂くらいはせっかくだから入りたいなあ」 蒲田駅の裏にある電気風呂(ファンなので、ほぼ都内 の電気風呂のある銭湯はチェック!)のある銭湯に足 を運ぶ。 中二階にある入り口への階段を上りきったところで、 強烈な臭い! 「な、なんだ、こりゃ!えらく臭い靴の人がいるんだ なあ・・・ぐえー」 目の前の下駄箱を眺めながら、臭いの源を探す。 チケットを自販機で買うために、番台のところへ進む と、何やらお風呂屋さんの従業員とおばあちゃんが難 しい顔。 「困るんですよねー。ほかのお客さんから苦情が出て」 臭いの源は、そのおばあちゃんだった。 ・・・・おばあちゃんは、言葉もなく、その場に佇んで いる。 「お金返しますから」 と番台の男が、小銭をおばあちゃんの前に置く。 何だか切ない気持ちになる。 ホームレスなのかなあ?せっかくお金を持って、きれい にしようと思ってきてるのに。 何か解決方法はないんだろうか? その話を友人にしたら、 「いしまるは大丈夫だったの?」 と逆に心配されてしまった。 普段着で太平洋を横断するようなやつには、そのうち ビジネスクラスアップグレードもなくなるかも知れな いけど、とりあえず、銭湯に入れるくらいの身なりは 保っておこう。 それにしても、何とかならないのかなあ。 ホームレスのおばあちゃんの入浴。 きれいにしてあげようと、行政が手を差し伸べても、 シャワーにも入ろうとしないホームレスは、ロスの ダウンタウンにはゴロゴロいる。 久が原のコインシャワーのこと、教えてあげれば よかったかなあ。 後からいろいろ考えて、何もしなかったことをちょっと 後悔した、日本第一日目でありました。
2004年10月15日
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もしかしたら、ネオ屋台デビューするかも。
2004年09月06日
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一日、家の中@岩国 目が覚めたのが4時半。 雨のおかげで、今日一日涼しく過ごす。 メールをチェックした後、これからの一週間足らずの予定 を立てるために各方面に電話。 時間がないと思うと、優先順位が重要になってくる。 今日は今から企画書作り。
2004年06月24日
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ローマ字でメールが来た@LA 2回目のメールだった。 昔、よく行ってたサウスベイ日本町の飲み屋のカウンターの風景を 思い浮かべる。 「メールアドレスなんて渡した人、いたっけ?」 誰だか思い出せなくて、返事をしなかった。 そして、昨日再び来たメール。 「あ、あの人だ!」 件名に「tekiya」とあった。 私がメキシコに焼鳥屋をしに行く前に、焼鳥屋にいたという、その 飲み屋のバーテンダーを訪ねていった時に、カウンターに座ってい たお兄さんだ。 メキシコの話をすると、目をキラキラさせて、 「いいなー、いいなー、仕事がなかったら、一緒に行くのになー」 と言ってた。 「覚えててくれたんだなー」 ちょっと嬉しくなる。 その時のことを考えながら、昨日出会った同じ目を思い出した。 ビバリーヒルズでハンバーガー屋を20年以上もやっていて、今は セミリタイヤしているご夫婦。 ネオ屋台の話をすると、ご主人の目がキラッと光った。 話をしていて、面白いのはこういう人達だ。 いろんなネタの引き出しを持ってる。 職業で自分を語るより、やってること自体を面白がってる人達。 それをやることで、プロになろうとか、格をあげようとか、そういう ことよりも、やること自体を楽しんでいる。 もちろん、商売であれば、経済的に成り立つことは目標ではある けれど、それが究極の目的ではない。 そんな生き方をしているから、肩書きとも無縁だったりする。 失敗することもある。 その危険も十分承知しているから、失敗した人達を責めたりもし ない。 英語がわからなくてバカにされたり、人種差別に会ったりしながらも、 そのこと自体に憤慨したり、戦ったりもしない。 世の中で一番大事なことは、自分を生きることだというのを、この手 の人達は体で理解している。 実際は波瀾も多いのだろうけど、自分の過去を語っている本人達は 至って穏やか。 気負いのない、自然体で、好きなことをして生きていく。 ソウイウテキヤニ、ワタシモナリタイ。 _________________________________________________________________メッセンジャーで総額1億円プレゼント! http://im.msn.co.jp/home.htm
2004年06月08日
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「日本で生まれた初めての職業って知ってる?」@岩国 そんな質問をされたことを思い出した。 何でも、職業第一号は、「娼婦」だったらしい。 とってもわかりやすい(^^)。起業としては、一番 手っ取り早い起業かな。 今日、名古屋から帰ってくる新幹線の中で、読んだ本。 「娼年」(ショウネン)。広島のキオスク?で、いつも 売れ筋の文庫本が揃えてあるところで買った。 ヨーロッパの中世でも、日本でも、昔は、男の同性愛 以外は恋愛と認められなかった時代があったという。 男性上位は、こういう世界でも徹底していたわけで、 同性愛がアブノーマルなものだという認識に変わって いった過程を知りたいもんだ。 それほど、当たり前に同性愛が語られていた時代がある。 読んだ本は、同性愛の本ではなかったけど、まるで、 高校生の頃、女友達と読みまわした竹宮恵子とか萩尾 望都の漫画のようなタッチで書かれていた。 なかなか文学的な作品が多かった。 漫画といえば、このところ、ヤオイ系の世界進出がすごい。 ロスのアニメ系のイベントでお世話になってるMちゃんが いうように、今や、日本の同人誌のポルノ化は、世界を ターゲットにその勢いを止めることが出来なくなっている。 「小学生までがお小遣い稼ぎのために、ヤオイ系の漫画を 売る時代なんっすよ~」 とMちゃんは嘆く。 ある人から送られてきたサイトには、表向きはフツウの 漫画として売れ線の作品のほとんどが、パロディで、ヤオイ 系に変換されていて、それをアマチュアがコミックや ネットコミックとして売ってる情報が載っていた。 そういうマーケットが増長する一方で、冬のソナタのような 純愛ドラマが大ヒットする。 人は何を異性、もしくは恋愛に求めているんだろうね? 癒しブームの中で、その癒しの延長というか、そのひとつ の方法の中に、人間の本能をキープするための性というの はあるのかもしれないのに、単に風紀の問題というだけで 性についてはマジメに語られることがない。 「娼年」の主人公は、女性を相手にするボーイズクラブの 仕事を通して、様々な性癖を持ったお客と接する。 そのお客に対する主人公の接し方が、この物語のキーに なっていて、癒しの本質を考えさせる。 「やっぱりH系サイトしかないかなあ」 ロスの某青年実業家が、壁にぶつかる度に半分本気で つぶやいていたセリフ。 そいつから送られてきたウエッブ情報で見たHサイトを 眺めながら、 「これで癒されるのかな?逆に病んでいくんじゃないか?」 と日本の将来を密かに心配した。 そういう意味で、「娼年」のような小説とか、人間の深層 真理と性について読ませる本はもっと出てきて欲しいなあ。 ビョーキになりそうなサイトより、そういうマジメに性を 語るサイトというのはないのだろうか? そういう話をしながら、テキヤについても語りたいと 思う今日この頃。(^^)
2004年05月30日
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郵便物を待ちながら@岩国 今日は夕方からの名古屋でのミーティングに参加する予定。 なのに、届くはずの書類が届かない・・・。 さっき、あんまり天気がいいので、裏山を散歩してきた。 家の中でイライラして待つよりいい。 子供達が遊ばなくなった小川は、河川工事が施されてから もう20年くらい経つだろうか? それでも、草は育つ。 以前からあった数珠の株や、ウォータークレソンは、囲ま れているのがコンクリであろうが、土であろうがお構いな しというふうに、強くなった五月の日差しを気持ち良さげ に浴びている。 もうひとつ北側にある小川には、ホタルが戻ってきた。 川沿いを登っていくと、田植えの準備にかかった田んぼに 水がひかれ始めている。その低い水音が、林から聞こえ てくる鳥の声と一緒にトクトクとリズムを打つ。 もう20年近く通ってないあぜ道を登る。 草が茂り方が、交通量の少なくなったことを物語る。 急な短い坂を登った先には、小学生の頃、よくポートボ ールの練習に来た広場がある。 「あ、ない」 なくなっていたのは、その広場の所有者であった大和屋 繊維という工場の建物だった。 錆びてしまったゲートに体を預けて、そこから空を眺めた。 ひとりだった。 「これも『きみだけのそら』だな」 竹ドームプロジェクトの名前は、「きみだけのそら」。 ドームの中から見る「きみだけのそら」を見つけて欲しいと いう気持ちを込めて。 でも、こうして、ひとりでみる空も、そこにひとりで過ごす 時間がなければないわけで。 その空の記憶の引き出しは、こうして、故郷に帰ってくると 音もなく、目の前に現れて、その中の記憶を頼みもしないの に展開してくれる。 いつもひとりで山歩きをして、空を眺めていた。 反対側の坂の下には、中学がある。 その校舎の向こうには、おだやかな瀬戸の海が広がる風景 も見える。 授業を抜け出して、みんながその中で座っているであろう 授業中の静かな校舎を眺める時の気持ちを思い出した。 散歩していると、いつもひとりで畑仕事をしている、おば あちゃん達を見かける。 彼女らも、時折、曲がった腰を伸ばして、空を見上げる。 その先には、同じ空が広がっているというのに、そこには 見上げる人の数だけの無数の空の記憶が生まれていく。 空。 今日のこの岩国の空は、ロサンゼルスに続いているような 気がする。
2004年05月24日
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映画祭での話題作りは赤い絨毯の上だけではない@カンヌ ・・・さすが、フランス。 イラク戦争の軋轢をこんなところでガス抜きするとは! といっても、映画を見るまでは、映画としての完成度が どこまでのものかわからないので、これがそれだけの目 的のために選ばれたと決めつけるわけにはいかないけど ね。 でも、エンターテイメントという観点では、誰でも見た くなるドキュメンタリーということで、すでに今の時点 で得点は高いかも。 イラク戦争に最後まで反対していたフランス。 アメリカでは国民レベルでも、フランスのその強固な反対 と反米批判に反発する風潮がしばらく続いてた。 フランスが地の利を活かして?世界へそのメッセージを 送ったこともある。 テニスのフレンチオープンの決勝だ。 ベルギーのエナンと戦ったアメリカのセレナ・ウイリア ムスが被った被害は、個人的なものではなく、政治的な ものだったと思う。エナンがいくらヨーロッパの選手だ からって、フツウのテニスファンが、あそこまであから さまなことはしないだろう。 観衆は完全にエナンの味方だった。 スポーツの場でも、国家感情が浮き彫りになることはある けれど、あれは、ちょっと見ていてセレナがカワイソウに なったなあ。 そして、今度は映画の祭典。 マイケル・ムーアの授賞が発表された瞬間の驚きがまた 自然でよかったね。 それにしても、いつ、一般公開されるんだろう? これ、見た人、いる? あ、そう言えば、カンヌ映画祭に行った人、知り合いにいた なあ。 とりあえず、その人に聞くか。。。かっぱ@テレビでは今、「火の鳥」やってる。
2004年05月23日
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住民が100人という村がある@高暮村 「でも、僕が来ちゃったから101人になったんですよ」 と最初にコンタクトした電話で楽しそうに話してくれた のは、バックミンスター・フラーの研究でよく知られて いる梶川泰司さん。 何でも三次の奥の方だそうで、車がないと行けそうにない。 今、兄ちゃんに車を取られて、実家に車のない私は、何気 に周囲のアッシー候補に打診する。 「ねえ、土曜日、何してる?」 「ドライブ行かん?」 だいたい私の誘いには「何か面白いことがある」 と思って乗ってくれる人というのは物好きな人が多い。 そういう人達のためにも、お誘いイベントの企画には なるべく非日常性のあるエレメントを盛り込むのだが、 今回の企画は、フラーを知ってる人でないと面白くな いかもしれない。 だいたい、そのために、3時間近くかけて、高速+山道を ひた走るという労働つきだ。 で、どうにかアッシー、ムーヤンを確保。 中学の先生をしていて、クラブ活動にも熱心な彼女は 「部活が終わってからならええよ」と引きうけてくれた。 高暮村は、確かに遠かった。 三次のインターを降りて、一時間は山道を登ったなあ。 私は、連日の激しい移動のせいと、前日のネットカフェ徹夜 のおかげで、運転してくれてるムーヤンの横でグーグー。 やっぱ、徹夜はもうダメ。 徹夜明けで、名古屋駅から新幹線に乗って岩国に向かう途中、 「今から出ます」と小倉組の竹川氏よりメールが入る。 前日まで「忙しくて行けそうにない」と言ってたのだけど、 何とか車所持のT氏をまるめこんだらしい。 梶川さんのことは、かなり前から知っていたのだけど、どこ の時点で会いにいけばいいのか、今一つ、自分の中で、GOサ インが出ないままでいた。 やっと読み始めた「クリティカル・パス」の訳者の紹介に サンタバーバラ在住とあったので、ロスに帰ってから会える な、と思って、念のため、出版社に連絡をすると 「広島に住んでらっしゃいますよ」とのこと。 それで早速連絡した。 私が彼との会話の中から、フラーのことで、ここに書けるよ うになるには時間が必要だけど「ガチガチのフラー信望者」 というイメージと、難しい文章から受けた先入観は見事に 裏切られた。 実は、ちょっと会うのが怖かったのだけど(^^;、本 人は、とても優しい感じの人だった。 「何故か、みんなすごい年配だと思ってるらしくて(笑)」 梶川さんは、廃校を改造したコミュニティセンターのような ところに住んでいる。 「今度はゆっくり、お酒持って、泊りがけで来ますね。」 「是非是非!」 「ドームもつくりたいですね」 「あの山の上とかね、村の人が手伝ってくれるよ、きっと」 梶川さんの指差した先には、小高い山頂があった。 切り取られた植林の後がまるでドームを待ってるようだった。 高暮村。 ハイライフ。 フラーによると、海で生まれた文明は、海の上で自由に操ら れる航海技術によって、水を求め、河口へ辿りつき、川を遡 って、山の高いところへと登っていったという。 その究極の地がチベット、ダライ・ラマが居を構えた地。 先週、降り続いた雨で、高暮村を流れる川には、澄んだ水が たゆたゆと流れていた。 「今度来る時は、どうやってこよう?どこを歩こう?」 この村にまた来ることを確信している自分がいた。道の駅には温泉あったし(^^)@温泉好き
2004年05月22日
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夕方のラジオを聴きながら@伊東 何故か伊東の洋服屋さんの仕事場の片隅で、 日記を書いている今日のぢぶん。 職人のご主人の踏むミシンの音が、気持ちいい。 下手なBGMより心が和む。 その作業する音に重なるように、後ろから流れ るトークラジオ。 今日のテーマは「あなたの居場所はありますか?」。 さっきまで、時差ぼけもあり、横になっていた。 起きた時、「あれ?どこだろう?」と自分のいる 場所がわからなかった。移動生活をしていると、 時々こういう感覚を味わう。 特に、行く先々で、いろんな人のお世話になる ことが多いこの頃。 そういう人との接触に神経を使うことがわずらわ しいと思うこともあるのだけど、何故か伊東では この人の縁に身を任せようという気持ちになった。 伊東には、金持ち父さんのキャッシュフローゲーム のメーリングリストを開設した3年前からお世話に なってる椎原さんがいる。 椎原さんとパートナーの澄さんがこの地に移って 来て、初めて訪れたのが去年の7月。 この人達は、いつも私に居場所を作ってくれる。 私だけじゃなくて、いろんな人に居場所を作って くれる人達だ。 つづく
2004年04月28日
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子供達のイースターバケーションが始まった@ロス 朝から下の娘がミシンをガタガタと鳴らしている。 凝り出したら、勝手にいろんなことを集中して始めところは 私の小さい頃とソックリ! 何故か手袋を縫ってる(--? あんた、今から夏だよ、ここは。 昨日は昨日で、上の娘にくっついて、メキシコの孤児院に行 ってきた。 お互い、干渉しない親子関係としては、異例のシチュエーシ ョン(^^) 当日まで行くつもりは全然なかったのに、行き掛かり上、 出発間際に行くことに決めてしまった。 「火曜日にティファナに行ってくる」と言われたのが週末。 「何で今ティファナなんかに・・・」 私もダンナも同じ反応をした。 事情を聞くと、ロータリークラブの人達と一緒に例年訪問して いる孤児院に、10人くらいのグループで行くという。 「ニッキも行くんだよ。」 学年トップの優等生ニッキの名前が出てきた。 「正しい優等生の名前の使い方だ・・・」 普段は、ライバル視して、名前さえ口に出さないのに(^^; ちゃんとその効果はわかっているらしい。 私達の頭によぎったのは、イラクの日本人の人質事件。 「日本人が、そういう商売の人達に一番おいしく見えるこんな 時に、よりによってティファナに、慈善事業・・・」 これが遊びで行くのであれば、もしかしたら、簡単にNOが言え たか、もしくは「勝手に自分で行きなさい」で終わったかも しれない。 でも、今回の日本人誘拐の事件もそうだけど、慈善事業の一環 としてやってることが、事件を起こすきっかけを与えてしまい、 そこに国を巻き込んでしまった場合、それに対して送り出した 親はどうするのか? そういうことを考えながら、娘の持ってきた承諾書にサインを する代わりに、当日、大人の責任者に会うことにした。 我が家ではすんごく珍しい出来事だ。 「信じられない・・!」という顔をしてる娘。 後で聞くと、行けないかもしれないと思って、その夜はあまり 眠れなかったらしい。 でも、何でだろう?感覚的に、娘を行かせることに釈然としな い自分がいた。 当日の朝、集合場所である高校の駐車場に娘を連れていく。 「スペイン語を話せる人は何人いるの?」 「大人は何人いくの?」 集合場所に集まってきている子供達を見ながら、私は娘に 質問する。 スペイン語を完璧に話せるのが、同級生のおじいちゃんだけ と知って、引率責任者であるというロータリークラブの女性 に 「もうひとり乗るスペースはありますか?」 と聞いている。心の中で、「おいおい、本気かよー?」と 言ってる自分もいたんだけどね(^^; 私の頭の中には、20年前、メキシコでパスポート不携帯と いうだけで、留置所に3日も入れられた時のことが蘇ってい た。 何かがあった時、的確な判断が出きる人間がいるということ は、例え戦時でなくても、メキシコのような国ではかなり 重要だ。特に国境の街では、イラクで人質ビジネスを企んで いるような輩はゴロゴロしている。 傍からみると、過剰反応であることは重々わかっていたけど、 ひとつには、娘にそういう選択をする自分というのも知って おいて欲しかったので、行くことにした。 「ママ、こっちだよ」 と言われて、示された車は、娘のボーイフレンドのお母さん が運転する車だった。 (オー、マイガーッ!) 「Hi,nice to meet you!」 フレンドリーなお母さん・・ なんか複雑な気持ちで、半分行くことを決めたことをすでに 後悔しながら、メキシコへ向かうことになった。 つづく・・・・
2004年04月14日
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さすがに映像が生々しい@ABC捕虜問題特集番組 イラクで日本人3人が誘拐されたというニュースが流れて から、ネット上でもいろんな議論がされていると思う。 今回は、気にはなっていたものの、時間もなく、あまり 情報収集できなくて、議論に加わることも出来なかった のだけど、いつもこういう事件が起きている時に、当事 者でない身として、何が出来るのか、どんなことをここ から学ぶかということに思いが及ぶ。 その中で、9・11以来、決まってチェックするように なったのが、各国のメディアの報道内容・姿勢の違いで ある。 今回、流れてきたメールの中に、ドイツのニュースサイト で動画が公開されていた誘拐された日本人がナイフで脅か されている様子は、日本では全く公開されなかったらしい。 ちょうど今、アメリカのABCで、その映像も含めて、カナダ の民間人など、他の国の人達の様子もまとめたドキュメンタ リーが流れている。 番組では、過去のハイジャックや誘拐事件などの映像も編集 されていて興味深い。 その一連の事件を見ていると 「立派な商売だよなあ」 と思えるものも少なくない。 こうした国家間の戦争の裏には、死の商人と呼ばれる武器商人 の存在があることはよく言われることではあるが、このイラク 復興と謳われている今のイラクへのアメリカの介入は、この 地での裏起業の土壌も作った可能性がある。 IT起業ブームの頃、やはりIT関係の仕事をしている人に聞いた ことがある。 「こうやって、今、ITで起業する人が増えたでしょう。 お金の匂いがすると、そこを狙ってやってくる人達がいる んですよ。」 ITバブルで儲けて、ヤクザの餌食になった起業家もいるのだ という。 この誘拐事件は、起業とは全く次元の違う話だと思っている 多いらしいが、中南米に住んだ経験のある人達の間では、そ の地で、起業したり、日本の駐在員としてサバイバルしてい くためには、政治のツボを押さえておくことは必須であり、 政治に敏感であることは当然の話である。 だから、日本のネットコミュニティの中で、相変わらず、 こういう問題が別次元扱いされるのを読むと、日本の国際 社会における次元の違いを感じざるを得ない。 ちょっと悪い奴の立場になって、今、この地球上でどんな ビジネスが立ち上げられるのか考えてみるのも、予防策と して効果はあるかもしれない。 明日は、日本のニュース、ちゃんと見ようっと。
2004年04月13日
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「今年の夏、もう一度ここに来たい!」@踊る巫女 日本にいた時、ロスに遊びにきた友達が私の実家の ある岩国にもやってきた。 「せっかくだから・・」と、父の実家のある瀬戸の 島、祝島に案内する。3月28日のことだった。 日帰りの駆け足の旅であったが、この島で4年に一度 の海を渡る神舞というお祭りが今年あると聞いて、彼 女はもう一度ここにやってくることを決意する。 そんなこともあって、今日、何気なく、「祝島」で検 索してみると、あらあら、結構、あるんだわ、サイト が! Uターンして島に帰った人が作ったサイトもなかなか充 実している。 小さい頃から不思議なところだと思っていたが、大人に なっても、この島の不思議さは変わらない。 むしろ、外の世界を知れば知るほど、この島の生活の普 遍さは純度を増す。 朝便で島に渡り、お墓参りをする2時間だけの滞在時間。 墓参りの準備をして、海を臨む斜面にある墓地へ、石段 を踏みしめながら登っていく。 ひとつだけ目立つ緑の墓石が我が家の墓だ。 その墓の立つ場所から祝島の集落は一望できる。 「また来たよ。」と決まったようにその風景に挨拶する。 帰り道は、迷路のような狭くて入り組んだ道を下っていく。 瀬戸内には珍しいその石垣の風景、朝便で一緒になった中年 女性のグループは、それだけを見に来たようだった。 夏以降だと、父の実家である寺の庭に立つイチョウの樹が 帰り道の目印になるが、梢だけだとなかなかわからない。 迷うのもまた楽しい。 公道なのか私道なのか、区別がつかないくらい狭い道を ちょっとドキドキしながら歩く。 「この島には地図があるんだろうか?」とふと思う。 昼便が出る前に、叔母に昼ご飯をよばれ、そそくさと船 に乗る。 踊る巫女の友達は、歩きながら、何かを思い出している ような様子だった。やはり神の住む島として知られてい るある島と波動がよく似ているという。 祝島のサイトの写真を見ながら、何故か涙がこぼれて きた。 父が生まれ育った島は、いつも帰ってくる者に暖かかった。 12時半出発の定期船に友達と乗りこむ。 叔母が寺の入り口に姿を現す。 そう、昔もこうしていつも見送ってくれてた。 今は少なくなったけど、お盆やお正月、波止場は鈴なり の人だかりで、去り行く人達を、その姿が見えなくなるま で送るのだ。 船のデッキに出て、叔母に向かって手を振る。 大きく宙をかき回すような叔母の手が見える。 波止場がだんだん遠くなる。 まだ見える。小さな体、こちらにその姿を見失わないよう に、大きくゆっくり手を振っている。 そうだ。こうして、人は別れていったんだ、この島では。 普段、それほど話をしない叔母であるが、いつもこうして 手は振ってくれてた。 島の人達が手を振っている姿は、小さい私の目を通して 何か特別なことのように記憶された。 振られる手から発せられるいくつもの思い。 何年も、何十年も、ほぼ毎日のように、手が振られている その場所を、こうして海のこっちから思い出している。 万葉集に歌われた祝島の歌 家人は帰り早来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く吾を 草まくら旅行く人をいはひ島幾代経るまで斎ひ来にけむ ここを通る旅人達と同様、祝島から送り出された人は 祝福されるのだと、勝手に解釈してしまおう。
2004年04月11日
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ガソリンが異様に高い今日この頃@ロサンゼルス パサデナでの神輿が終わってから、いつも実演販売の仕事 をしている会社の担当者に連絡した。 「あ、帰ってきたんだ~。どうだった、日本?」 忙しい彼は、最近、ほとんどアメリカ各地への出張で、LA に落ち着いている時間がない。 今週もその商売道具を、時間のない彼のために、家まで取 りに行き、ついでに、空港まで送っていくことを承諾した。 そう、今でもアメリカに進出する多くの日本企業は、最 初はこうして、一人の営業マンが全米を飛び回ることから 販路を広げていく。 実演販売を手伝っていると、そういう昔のソニーとか松下 の先鋭隊を思い起こさせるような会社から声がかかること が多い。いろいろと勉強になる。 さて、そういうことで、今週もマルカイでのデモだ。 約一ヶ月ぶりかな? マーケットの裏のキッチンで準備していると、このマルカイ で、始めてスペイン語で話したマリオがやってきた。 彼の二人目の子供の何かの御祝いの話をしていると、日系人 でアメリカもマルカイも長い山中さんが、ポケットからスッ と20ドル札を出した。 「ボーイに何か買ってやりなさい。沢山じゃないけどね、 ちゃんと買ってやるんだよ。」 (彼らの会話は、英語と日本語とスペイン語がちゃんぽん である) 「オー、グラッシアス!アリガト、アリガト!」 嬉しそうに山中さんに礼を言うマリオ。 その後、側にいた新入りのメキシコの女の子に、 「彼はうちの最初の子が生まれた時にも御祝いをくれたん だ。僕はそれをまだそのまま使わずに取ってるんだよ。 他にも、誰かがサイフをプレゼントしてくれて、その中 にもお札が入ってたんだけど、それもそのままなんだ。」 とスペイン語で話していた。 今では、ロスで、いやもしかしたら全米でも日系マーケット としては一番のこのマルカイだが、こうして裏舞台を覗くと そこで働く人達の素顔や、この会社の文化みたいなのが見え る。 朝早くから、ひたすら野菜を切る人達。 それをパッキングする人達。 こういった仕事を来る日も来る日も続けている人達がいる。 山中さんは、その中でも、マルカイ勤続19年という長老 なのである。 その山中さん、今日は中国から輸入したという干し柿を ひたすらパッキングしている。 私はその横でワカメを洗う。 ________________________ 初めてマルカイで仕事をしたのは、ほぼ10年前、ここが 今の新しい店としてオープンした時に入っていた花屋の アシスタントマネージャーとしてだった。 その時には、このキッチンに漬物部隊のおばちゃん達がいた。 一日中、漬物のパッキングをしていた。 私達の花屋という仕事も、見かけほどキレイなものではない けれど、日の当たらない屋内で、朝早くから漬物を切り、 パッキングをしているおばちゃん達の働く姿と、その明るさ には、何度助けられたことかわからない。 あの頃からいる人と言えば、駐車場のアゴストさんだ。 お客さんが駐車場に置いていったショッピングカートを集め る仕事を、ずっと変わらずにしている。 今でも思い出すのは、そのアゴストさんが、オープンした 花屋に入ってきて言った最初の言葉だ。 「この花屋は、僕の国のバラの花一本の香りもしない。」 そういって店内を見まわした彼に悪意はなかった。 ホントのことを言ったまでだという顔をしていた。 「で、あなたの国はどこなんですか?」 と聞くと、「ペルーだよ。知ってる?」と答えが返ってきた。 アゴストさんは、日系ペルー人だったのだ。 _________________________ 「そうそう、彼も長いねー」と山中さん。 お互い、手仕事を続けながら、会話は続く。 来週から日本だという山中さんに、私はちょっと立ち入った ことを聞いてみたくなる。 「日本ってどこに行くの?温泉巡りなんかするの、山中さん」 「温泉巡りなんかせんよ。時間がもったいない。」 「じゃあ、どこに行くの?」 「秋葉原」 意外だった。山中さんは、もう日本へは25回も行ってる らしく、「日本の人より日本のことは詳しい」と言ってい たが、その山中さんの行く場所が秋葉原。意外な気がした。 「面白いよ、秋葉原。いろんなものがあるからね。」 この日、私は、いつもより沢山のマルカイの人達と話をした ような気がする。 私の韓国語の先生のオー・ユーさんは、この日、ずっと私が デモをしている側で、さつまいもやかぼちゃのコーナーの ストックをしていた。手を動かしながら、韓国語を教えてくれ るのだ。 そこにやってきた日系人らしき60代くらいの男性に、メキシ コ人のワーカーがスペイン語で声をかける。 それにスペイン語で答えていたので、 「スペイン語、出きるんですね」 と話し掛けた後、オー・ユーさんと面識があるようなので、 「私の韓国語の先生です。」 というと、今度は流暢な韓国語が返ってきた。 後でオーさんに聞いてみると、彼が前のマーケットにいた頃 からのお客さんで、いつもマーケットに来ると、韓国語や スペイン語の出きる従業員をつかまえては話し掛けていたと いう。 「もう、ずっとずっと昔からよ。十年以上も前から、ああや って言葉を学んでるんだよ、あの人は。日本人に韓国語も 教えてたよ。」 こういう人達に会う度に、自分の中のバカの壁に穴があくよ うな思いになる。気持ちいい、風穴。 仕事が終わってから、メガネ屋の平田さんと話をしたり、 衣類担当のさっちゃんの話を聞いたり、他愛もないおしゃべり が嬉しかった一日。 「平凡であることは難しいんぞ。」という亡くなった父の 言葉を思い出した。 平凡であることは、確かに難しいのかもしれないけど、ある 意味、すごく幸せなことなのかもしれない。 マーケットは、その豊かさを感じることが出来る心を忘れ ずにいる限り、日常的な風景を楽しめる場所。 人間が好きな自分に会える場所でもある。 マーケットに来る人のほとんどは、楽しそうにしている。 どんな職業についていようと、どんな肩書きを持っていよう と関係ない。 食べ物の前では、みんな同じただの人間になる。 そして、一日、そこで働いていると、屋外でもないのに、 沢山の人のお日様のような笑顔をもらって、いつもポカポカ した気持ちで仕事を終えることが出来る。 今日も皆様、ありがとうございました。
2004年04月10日
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神輿を担いできた@パサデナ 担ぐ度に、日本に向かって叫びたくなる。 「神輿まともに担げる男はおらんのかぁ!」 今日はもっとすごかった。 「寺と神社って一緒ですよね?」(20歳くらいの学生) 「神社はよー、ビジネスなんだよ。金、金もらってるから」 (同じく日本からの学生) 君達、寺と神社の違いもわからんのか? こういう日本人も多い中、このパサデナのお祭りは、 日本の伝統を伝えていこうとする日系アメリカ人が中心 になって運営している。 なんかなあ、こういう祭りで、日本の若者のこういう発 言を聞くと「あー、日本で伝統は守られてるんだろうか?」 なんて、いらぬ心配をしてしまう。 私の所属する羅府睦会(らふむつみかい、と読む)という ヤクザな団体は、このお祭りに去年から参加していて、今 年はちょうど日本から帰ってきたばかりで、週末の予定も 入っていなかったので、参加することにした。 いつもアニメパレードで一緒しているMちゃんも誘う。 着いてうろうろしていると、 「イシマルー!」 とドスの聞いた聞き覚えのある声。 「あっちだよ、あっち!」 Nさんだ。髪が赤い・・・また染めたんだわ。 「そうだよ、今日の服に合わせてんだよっ!」 確かに・・・・。 この人には誰も逆らえない。 この神輿の会では、私より目上の姉御がズラーといるため 図体のデカイ私でもパシリ扱いである。 結構、そういう立場も気が楽でいい。 強い女の人の下にいる気分っていうのも、こういう場では 悪くない。むしろ、好きかも。 神輿を組み立てるのは男衆の役目。 駐車場でいつものメンバーが早速取りかかっている。 「ほらほら、これサインして。」 と、Yちゃんがみんなに紙を渡していく。 「死んでも怪我しても構いませんっていうお約束ね」 アメリカのイベントでは、このライアビリティー、イベント 主催者のための免責のための書類は必須で、この間のサム ライパレードの時にも、参加者全員に書いてもらった。 パレード開始まで、駐車場でたむろって、みんなでじゃれ ていると、イバラギが差し入れを持ってやってきた。 この会に入ってきた時のはじめの一言で、茨城出身だとバレ てから「イバラギ」と呼ばれている彼は、会の特注半被にも 「茨城」と名前を入れている。彼の本名を知る者はない。 半被に入れる名前は、それぞれが決める。 博多出身のイケメンすしマンのお兄ちゃんは「走らんか」。 もちろん、本名よりこの名前で呼ばれることの方が多い。 会員の多くは、神輿は酒を飲んで出来あがってから担ぐも んだと思っている。イバラギの差し入れに、ビールが忍ば せてあったのは言うまでもない。 しかし、ここはアメリカ。こういう公共の場でのお酒は、 原則的には違法なんだよね。ま、こういう祭りということ もあり、おまわりさんも最後のあたりまで黙認してくれて いた。 こういうイベントがあると、会員にメールなどでお知らせ が来る。 今、主に担いでいる神輿は、だいたい大人20人くらいいれ ば担げるのだが、これが素人ばかりだと逆に危ない。 今回も、イベント主催者の方から10人あまりのボランティ アと、会員が個別に誘った友達なども合わせて20人以上は 確保できた。 その友達ってのが、今回は、なかなか変な奴が多かった。 東京でラッパーをしてたという、バブルガムブラザーズばり のお兄ちゃん。 免責の書類渡すYちゃん、迷わず英語で話し掛けてた(笑) 「Yちゃん、日本人だよ、その人」 「あ、そうなんっす!ボリボリ」 ボランティアのお土産として、会のオリジナル手拭いと 木札を渡す。 「あ、俺、そっちのうん○色の奴がいいっす。○んこ、 好きなんスよー。」 キタナイ奴だ。 その連れのお兄さんも、ファンキーなノリで、やっぱりう○ こ色の服で上下決めていた。 あとからまた何人かの参加者があり、聞くと、みんなダン サーだという。 Mちゃんの目が光る。 「この人達、使えますね!」 アニメパレードのパフォーマー、ゲットである。 携帯電話の番号を交換して、後日ミーティングをすること にした。 お酒を飲んでたのが、とうとうおまわりさんの目に止まり、 解散したのが午後3時。 それから、パサデナのモールにMちゃんと行き、なんか 流行ってそうなアイスクリーム屋で、4ドル10セントも するどデカいアイスクリームと格闘しながら、ミーティング。 夏の二世ウイークは、かなりノリノリになる予感・・・ やっぱり、十分、遊んでるよな>ぢぶん
2004年04月04日
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チューハイを飲みながらノートに走り書き@新幹線 伊東に行ってきた。 昨日の朝、ほとんど布団から出たままの格好で、電車に 飛び乗り、新大阪の知人の旅行社でチケットを買った後、 伊東の「ままごはん」に向かう。 温泉とおいしいごはんで、すっかり元気にしてもらった。 その帰りの新幹線で書いた。 __________________________________________ ナニモノデモナイ ナニモノデモナイ この自由に心をふるわせている自分がいる。 ナニモノでもないけれど、 今日は伊豆の山道を、きのう知り合ったおじさんの車で ゴトゴトと走っていることに、身に余るほどの恩を感じ、 母国の日本の2004年の春のきざしを 晴れ渡る伊豆の海を臨む赤いヤネのキッサ店で感じ、 名の知らぬ旅人に 屈託のない笑顔を向ける地元の人々とふれあい、 そうした後に贈ってもらった駅から、 特急踊り子号に飛び乗り 指定券を取り損ねたことで、車掌さんと口論し、 それでもともかく目的地につき、 新しく出来た路線に乗って、ジュニアテニスの会場へ足を運び、 同じ駅で開催されてた、 アニメのコンベンションの来場者達を観察した。 帰りの長い道中のために、 チューハイと新製品だという手巻き寿司を二本、 駅の売店で買い求め、 赤く染まる空を眺めながら、新幹線で西へ向かう。 ナニモノデモナイ私の一日は、あまりある感謝と共に 一日の命の営みの終わりに向かって あと4分の1。 ________________________________________________ そうして辿りついた実家で、 母と父の遺影の前にパソコンを置いて、 こうして文章を書いている。 明日は、佐渡島から来る友達を迎えるために、家の空気を 入れ替えて、天気がよかったら、裏山でも散歩に行こう。 岩国にいる間にアメリカにも電話しよう。
2004年03月27日
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まるで時差ぼけみたいに目が冴えてる@午前2時 新潟→東京→名古屋→大阪→岩国の移動の間に寝ちゃった おかげで、全然眠くならない。困ったもんだ。 移動中の記憶はないが、今日は、なかなか有意義な一日で あった。 新潟を朝9時に出て、東京駅で美術系のワークショップ をしているIさんに会い、「中年になってしまったぁ!」 と相変わらず地球人離れした風貌の彼と抹茶ソルベを食べ ながら、フラーの話などをする。 ワールドゲームの話に入ったところで、 「あれはモノポリーだね。でも、やってるうちに、コンセ プトがアンチ・モノポリーだってことに気づくゲームな んだよ」 とおっしゃる。さすがだ。なんて話が早い! 「フラーの研究者はフラー教みたいなのもいるからね。 そういうモノポリーなんてものと繋がるってことすら 否定するかも」 太田区に住んでた頃、我が家の一部に彼のワークショップ のツールや材料を置かせてあげてたことがある。 そのずっと前から地道に活動を続けていて、企業や科学者 向けのクローズドなワークショップなどもやってるらしい。 ロスに引っ越してから、もうかれこれ13年も会ってない 人であったが、こんなところで接点が出きるとは思っても なかった。 いろいろと助言をいただいた。感謝、感謝。 その後、名古屋に向かい、市民プロジェクトの事務局で 担当のSさんとTさんとミーティング。 ちょうど今日は万博開催1年前で、名古屋駅前では、地球 博のブースが設けられていた。お役所色は拭い切れず、今 一つ盛り上がりに欠けるのは否めない。 こういうプロジェクトに関わることを選択しない限り、私 のようなテキヤ気質の人間が、超カタギのSさんやTさんな どと接点を持つことはなかったに違いない。 コミュニケーションは、時々もどかしく、テーブルを挟んで プロジェクトの説明をしたり、協会の状況などを聞く間にも 私と彼らの間に、万里の長城のごとき「バカの壁」が立ちは だかっているように感じる瞬間が何度かあった。 特に、フラーの研究に精通したIさんに会った後で、その落差 に愕然としながらも、相手の変わったことを認識する頭に切り 替えつつ話をつなぐ。 「まだ日本語だ。解決方法はある。」 どうにか、最後の方で、何となく気持ちが通じてきたような 感触。この感覚が欲しかった。 こういうのは、話の内容というよりも、相手と一緒にいる時間 に、お互いがどれだけ相手を理解しようとするか、その姿勢に 掛かってくる。 こちらがリラックスしたのを察したのか、Tさんがいろいろと 私個人について質問してきた。 フツウの肩書きも経歴も持たないというのは、肩書きや会社 に属しているのがフツウの世界の人には、理解しがたいらし く、私はいつも自分のことを説明するのに困る。 それで、「テキヤです」と言い始めたのが数年前。 相手をくもにまくような答えではあるけれど、あながちウソ ではない。 ただ、明日(もう今日だ)、私に質問を浴びせてくる予定の この人にはそんな手は通じそうにない。 椎原さんを知ったのは、私の管理するメーリングリストを通 じてだ。もう3年になる。 ジャーナリストで、ベトナム戦争にも行ったという彼の経歴 もまた怪しくも興味深いものだが、その彼が以前いた鎌倉の 庵を引き払い、伊東に移ったと聞き、訪ねていった。 連れ合いの澄さんが始めた料理屋で、おいしいご飯をよばれ ながら、再会を喜ぶ。 その椎原さんがガンの宣告を受けてから、「生きる力の記録」 というメルマガを出し始めた。 椎原さんは、自分のジャーナリストとしての最後の仕事とし て、このメルマガを多い時には一日に3通、4通と発行する。 その手法は、そのメルマガの読者との対話という形であったり 彼が面白いと思った情報のシェアとそれへのコメントという 形であったり、そこに彼自身のフィルターと、人との関係が わかりやすく描かれている。 そのメルマガの中で、インタビューゲームというのが話題に なり、「一度、かっぱさんにもインタビューしたいなあ」と いうリクエストが来た。 そして、「もう最後になるかもしれないから」という言葉の 後に、いつもバタバタとしている私のスケジュールの立て方 にくぎをさすように、「十分時間を取ってきて欲しい」とい う条件もついた。 ガンの宣告を受けた後も、椎原さんの今の社会への関心は 失われていない。闘病というと、自分の病気との闘いや、 いかに生き延びるかということに、心が向いてしまうだろう に、彼が今、もっとも興味を持っているテーマのひとつが 「13歳のハローワーク」なのだ。 椎原さんのリクエストを受けてから、これが最後の対話に なるかもしれないという認識と共に、私は、その対話に よって、どう彼の想いに応えられるかを考え始めた。 私という人間がどう形成されてきたか、何故、こんなことを しているのか、などなど、椎原さんの中にはいろんな質問が 詰まっているらしい。 それをアウトプットする場として、また、その言葉を受ける 場として、明日がある。 手法として、私は、自分を13歳に戻すことにした。 私という人間が、今の自分になり始めたと仮定した、出発 点としての13歳。 13歳の私は、そこで何を見たのか。何を感じたのか。 そして、私がもし今のこの時代の13歳だったら、何を感じ るのか。 呼吸器の障害があるということで、今までのような公開討論 などは無理だという椎原さん。 その彼の貴重な時間の中で、13歳の私の言葉がどう導き出 されるのか。 考え始めると、ますます眠れなくなるので、今日はこれまで。
2004年03月26日
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ちょっと野暮用で新潟まで来ている@かっぱ この二日間、通訳の仕事をした。 海外からアニメフェアのために来日している会社との 商談ということで、元オタク系の私としては、「面白 そうじゃん!」と即引きうけた。 ロスで、そこの会社のスタッフにお世話になっている ので、別に謝礼などは期待していなかったのだけど、 さすがにその分野では日本で二番目の会社、きっちり 謝礼を払ってくれた。 その謝礼の一部を自分へのご褒美にと、昨日の真夜中、 新潟駅前に宿を決めた後、夜の町へ。 新潟駅前の歓楽街には、呼びこみのお兄ちゃんが、コ ンピュータゲームの障害物のように、ウヨウヨいる。 日本に来る前、散髪屋で男の子のように髪を切って、 黒いダウンジャケットを着たちょっと背の高い私、夜 道で男に見える確率は99パーセント。 たった100メートルを歩く間に、5人以上のお兄さん に声をかけられる。(・・・・・) その障害を乗り越えて、辿りついたのが、歓楽街にあり ながら、落ち着いたたたずまいを見せる「グリル悠香亭」。 茶干しホッケや、おまかせヤキメシの逸脱した味に、思わ ずカウンターの中のママに「おいしいです」と声をかけて しまう。 さ、今日は東京、名古屋、大阪、広島。 移動距離もだけど、アポの内容も結構、濃いんだなあ。 体力保つためにもおいしいものは大事だね。
2004年03月25日
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というタイトルの旅行ガイドがあった@東京 おそどまさこさんという人が出してたんだけど、 その昔、この人に会うためにわざわざ岩国から 東京に出てきたことがある。 その時、二十歳そこそこだったと記憶する。 東京は遠かったか、近かったか。 その時にはすでに自転車で日本中を旅した後で、 移動ことが自分に必要であれば、手段はある、と 思っていた。 移動することで、いろんな人やモノに出会うこと の面白さを知ってしまうと、知らないことの方が むしろ恐ろしいと思うようにもなる。 昨日は、テニスサイトを通じて知り合ったジュニア プレイヤーの親御さん達何人かと会った。 ある人を介して、声をかけてもらったもので、ほと んどの人は、私の楽天日記「あめぷり」について 知らず、ちょっと対応に困ってしまった。 そして、この時代になっても、未だに日本から外に 出るということの前に、どんなに大きな壁が立ちは だかっているかを実感した。 ある意味で、それはその壁を乗り越えようとしてい る人達にとってはとても好都合なことかも知れない。 私のようなテニスの素人が、日本のトップジュニア を育てようとしている人達とテニスを通じた交流の プロジェクトに関われるかも知れないというチャンス も、この壁の高さのおかげだ。 インターネットが発達して、地球はますます狭くなっ てきている。 このスピードと、この意味を知らないまま、日本の中 だけで、日本語で、それもこれまでの旧体制の中で、 その実績を積み上げてきた人達のフィルターを通して 流される情報だけで、世界レベルのアスリートを育てる というのは、すでに非現実的であるにも関わらず、そこ に気づく人は少ない。 そして、それに気づいて行動した人達だけがつかめる 多様なチャンス。 もしくは、そのチャンスに気づかない人達が知らず知らず の内に直面しているリスク。 競技テニスをしているという事実をジュニアのうちに武器 にできるのは18歳までだということを考えると、それまで にどんなオプションがあるのか、その後どうなるのかとい う展望を、日本のジュニアを育てている人達は考えていく 義務があるのではないか。 数年前、おそどまさこさんが企画する新しいツアーの ドキュメンタリーがテレビで紹介されていた。 障害を持つ人達のツアーだ。 おそどさんは、彼らにも「地球はせまいのよ!」と感じ て欲しかったに違いない。 日本のジュニア達の障害は、もしかしたら、大人達なの かもね。
2004年03月22日
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久々に本を買った@JRキオスク 甲野義紀の「表の体育 裏の体育」という本だ。 思ったような内容だったが、面白かったのは、この本の 解説を書いている神田昌典の言葉だ。 キャッシュフローゲームを日本中で広め、各地を旅して きた私は、ちょうど1年前あたりから、起業ブーム、成功 物語に、言い知れない抵抗感を感じ始めた。 楽天日記や、メールマガジンでもおなじみのカリスマ的な セミナー主催者、日本の業界の中でうまく立ち回っている 人達、繰り返されるオフ会、広がる人脈・・・・ こういう人達と接することで、日本のメインストリームを 感じた気になり、その中で、自分の方向性を探していたこ こ数年。すべては、学習プロセスであり、自分なりに勉強 しながら、それはそれで楽しい充実した日々を送っていた。 ところが、2年前に母が病気になり、亡くなるまでの介護 などをしているうちに、自分の中で何かが変わり始めた。 そして、1年前。 自分の中の「小さな声」がとうとう叫びになり、それまでの 行動パターンを根本的に変えてしまった。 神田昌典は、その起業ブームの中でも、成功物語を書き続け た典型的な成り上がり系であるが、私は何故かこの人の本は ほとんど読みたいと思ったことがない。 何だか薄っぺらい感じがしたのだ。 今日買った本にも、神田昌典の名前が帯にあっただけで、 720円という文庫本の価値が落ちてしまったような気が したのだが、どうしても読んでみたい本だったので、手に 取った。 そして、意外にも、その中で神田昌典氏が書いている言葉 は、正に私が1年前から感じていたことだった。 起業や、個人の成功の先に何があるのか? この部分を曖昧にしたままで、私は進むことが出来なかった。 そして、何より私が起業ブーマー達との関わりの中で、決定 的に失っていたのは、鳥肌が立つような経験だった。 私は、成功することをどんなにイメージしても鳥肌が立たない し、興奮もしないし、ワクワクもしない。 昔、久しぶりに話した友達に聞かれた。 「鳥肌の立つようなこと、してる?」 その時、私はロサンゼルスでケーキ屋のマネージャー兼 デコレイターをしていたのだが、その仕事は確かに楽しくは あったが、鳥肌が立つ仕事ではない。 それを確信したのは、その話の後に行った日系の書店で、 ある写真家の出した写真集。 立ち読みをしながら、私は自分の腕に鳥肌を感じたのだった。 さっき、テレビで、日本人によるフラメンコの曽根崎心中の 舞台が放映されていた。 鳥肌が立った。涙が出た。そして、それを感じている自分の 心に感謝した。 こういう種類の鳥肌をもっと残りの人生で経験したい。 フラメンコのダンサー達は、みんなとっても色っぽかった。 ダンスという媒体による表現だからというだけでなく、何か 生きる上での色気、野心、感情の肯定、今という瞬間に生き る切迫感、そんなものすべての器としての人間をそこに感じ ることが出来るからだと思う。 それに比べて、自分だけの成功に心を砕いている男達の色気 のなさはどうだろう。 本当の豊かさは何か。 神田昌典を薄っぺらいと思ったのは、間違いではなかった。 彼の解説の中にその答えがある。
2004年03月21日
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心が震えた@西中学校校舎裏 「・・・うん、これは美しい」 出来上がった青竹のドームをしばし見つめて、同級生の Mくん(もう立派なお父さんだけど)がつぶやいた。 この日、友人の教える岩国西中学校で、念願のスタード ームを初めて作る機会が出来た。 小倉で開かれたイベントで、このスタードームの発案者 竹川さんと学生達が作ったドームを見に行ったのが去年 の10月。 「面白いもんがあるけー、行こうや」 といういつもの訳のわからない誘いに、その教師の友達 はホイホイとついてきた。 東京から帰ってきたその足で、岩国を通り過ぎ、小倉で 彼女と待ち合わせ。終電までは2時間余り。このドーム を見るためだけに、岩国から新幹線でやってくる彼女は すごい。(誰が誘ったんだよ!) キャッシュフローゲームから始まった3年前の私の旅は フラーを知ってから、ずいぶん変わった。 直感といえば直感だけど、フラーを知れば知るほど、こ れは確信に変わっていった。 この日、中学生や寄せ集めの地元の人達、高校時代の同 級生達と作ったドームを作りながら、その思いは、もう ひとつのプラットフォームを築き上げる。 心が子供のように震えていた。 故郷の空気、竹林と岩国弁、そばを走る単線の電車、青 い竹の感触、その匂い、軍手につく竹の色、麻縄を巻い ていく子供達の背中。 そのすべての工程が美しかった。
2004年03月20日
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新幹線の電光掲示板に思わず笑った@日本2日目 入院中の長嶋監督の言葉らしい。 追って続いた言葉に、何かの記事で読んだミスターの 「長嶋茂雄であることは大変なことなんだよ」という 言葉を実感する。 ・・・亜希子夫人のオムレツに「おいしい」・・・・ 君たち、他に書くことはないのかね? この新幹線のニュース、ちょっと前からかなり日本語 が怪しくなった。誤字脱字もしょっちゅうだが、その まとめ方にインテリジェンスが感じられない。 などと、海外生活で日本語と英語がちゃんぽんになって きてる私なんかに言われたくないだろうけど(^^; やっぱり日本に帰った時には、美しい日本語とか、おい しいごはんとか、「正しい日本」を感じたい。これこそ 「正しい在外日本人」のあり方というものである。 だから、気になるんだよなー。新幹線のニュース・・・ 日本に戻ってきてしばらくは、ちょっとしたお上りさん 気分。 新しく出来た店、店頭に並ぶ商品、広告の傾向や、新聞 記事、雑誌の見出し・・・ めまぐるしく変わる日本のマーケット、おそらくここに 住んでいると、「もう沢山!」って気持ちになるだろう けど、旅行者の目で見る分には、ジャパニーズカルチャー は遊園地のように楽しい。 昨日は、新大阪で乗り継ぎの間に入った居酒屋風うどん 屋で、うどんと豚バラ黒胡椒を注文する。 となりのカウンターに後から座ったお兄ちゃん。 ・・・客じゃないなあ。 目がマーケッターだ。 観察していると、店員にいろいろと質問している。 思わず、「関係者の方ですか?」と声をかけた。 社長さんだった。
2004年03月19日
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何故か、そこに散髪屋があった@ヴィレッジ 二世週祭のミーティングに出席するために、リトル東京に 行く。6時からのミーティングまでの1時間、髪を切ろう と思い立ち、美容院を探すことにした。 ドリンクを買いに入ったコンビニで、店のお姉ちゃんに 「この辺で安くヘヤーカットしてくれるとこない?」 と聞くと、 「ここじゃないわよ。コリアンタウンなら知ってるけど」 と言われた。どうやら韓国系の人らしい。 信号を渡って、ジャパニーズビレッジと呼ばれる通りに 入っていくと、目の前に、あの散髪屋のサインがグルグ ルと回っているのが見えた。 「あれー?こんなとこに散髪屋さんなんてあったっけ?」 いつも行く向かいのレストランは、お神輿の会で知り合った Kの店で、サムライパレードの打ち上げにも寄ったとこだ。 「今日の当たりだな」 散髪屋に行く気は全くなかったけど、この瞬間、「今日の ツボ」みたいなのにはまった自分を感じて、わくわくしな がら、小さな店内へ足を向ける。 「あのー、やってもらえますか?」 待合の椅子に座って新聞を広げていたおじさんが、メガネ 越しにこちらを見る。 「あー、どんなにしましょうかね?」 よかった。女でもやってくれそうだ。 散髪屋の椅子に座るのは、岩国の実家の斜め向かいにある アキラくんの店で顔をそってもらった5年前以来だ。 「今日は二世週のミーティングで」と話し始めると、 「じゃあ、Kさん、知ってるでしょ?」 「あ、さっき、そこのコンビニで会いました」 「うちにも来て、散髪してくれ、って言うんだけど、まだ 3週間くらい前にしたばかりなんで、追い返しちゃった よ(笑)」 話してみると、このおじさんも、私と同じ山口の出身で、 もう40年以上もここで店をやってるという。 「もうそりゃ、昔はいろんな人が来ましたよ。 総領事、商社の人達、芸能人、江川も来たなあ・・・」 考えてみると、リトル東京界隈にも、美容院は増えたけど、 散髪屋はほとんどない。いや、リトル東京だけじゃなくて ロス全体を見渡しても、こういう日本のスタイルの散髪屋 さん自体がない。 「そう言えば、ないですよね」 「うん、コリアンタウンにはあるみたいだけどね」 「でも、日本の散髪屋さんは、ここが最後の店なんだ・・」 さっぱりした頭で、店を出る。 シルエットだけみると男の子だな、やっぱ。 二世週のミーティング会場に向かう途中、Kさんに会う。 「Mさんのとこで切ってもらってきました」 「あー、そう(^^)」 「Kさんの話もしてたんですよ。ホントに82歳なんですか?」 「そうなんだよ、もうやめよう、やめようって思いながら ね(ニコニコ)」 ・・・・南カリフォルニアは、シニアの人にとっては、す ごく住み易い場所らしく、ロサンゼルスには、とんでもな く若くて元気な「ご老人」が未だにコミュニティ活動を続 けている。 この間のサムライパレードも、メインのボランティアはみ んな年配の方々だった。 「これで、パレードのエキスパートになったね、みんな」 「エキスパートになっても、また次がないとどうしようも ないじゃないの」 「これが(日米友好)150周年記念だから、今度は200 年かね(笑)」 イベント的には、結構、時間がなくて、集客もイマイチだ ったにも関わらず、みんな気にしている様子がない。 「生きそうだよなあ、あと50年(^^;」 ロスの老人パワー、バンザイ、である。 さて、ボードメンバーのミーティングが長引き、少し遅れ て始まった一般ミーティング。 このお祭りの運営は、ほとんど日系アメリカ人のボランティ アでされていて、当然、使われる言語は英語である。 日本からの日本人は、Kさんと私だけ。これは3年前、この 二世祭に関わり始めてから変わらない。 キャリアを持った、教養のありそうな人達も多いこの委員 会では、すべての話し合いは、極めて、合理的に行われる。 始めのうちは、その簡潔さに感心していたのだが、一昨年 あたりから、「なんで、このお祭りは年々寂れていってる のだろう?」と疑問に思い始めた。 アジェンダが配られ、話し合いが進められていく。 祭りを締めくくる最後の踊りの項目になって、 「毎回、片付けるのが遅くなるから、今回はもっと早く 踊りを始めては?」という意見が出された。 踊りの担当はKさんである。 さっき、前のミーティングが終わるまで、外で話をして いた時に 「昔は一世の人も沢山いて、日本人もこのお祭りに参加 してたんだけどねえ。今は、二世の人達がやってるけ ど、日本を知らない人達でしょう?何だか違うんだよ」 Kさんの言う二世には、三世、四世も含まれる。 「何度か、意見したんだけど、僕も英語が達者じゃない でしょ。なかなか通らなくてね。いつもダメって言わ れる。」 通りの清掃の時間が早いことや、片付けの大変なことを 理由に、盆踊りの時間がまだ日差しの強い4時に移され ようとしていた。 盆踊りだよ、これ。 参加する人の多くは着物を着ている。 「暑いよねー、大丈夫?」とKさんに目で合図する。 「(踊りのお師匠さん達に)反対されるとは思うけど」 と言いつつ、Kさんは、「OK,話してみましょう」と 応える。 ・・・これって、祭りじゃないよ。 確かにボランティアの大変さはわかる。 ここ3年、関わってきて、彼らの伝統行事を守ろうとする 努力には頭の下がる思いがする。 でもね。 このお祭りに、だんだん人がやってこなくなったのは、 実は、こんなところが原因じゃないのかなあ。 祭りって、やっぱりワクワクするものだ。 日常では味わえない感覚を祭りという伝統は与えてくれる。 「It's not MATSURI any more!」 Kさんに代わって、声をあげている自分がいた。 形だけの祭りをやっても伝統は受け継がれない。 散髪屋さん。 ミーティングに来る前に、あそこに行かなかったら こんな発言しなかっただろうなあ。 私はやっぱりここに住んでる日本人や、日系人のコミュ ニティが大好き。 だから、もう形だけのお祭りで、毎回、寄付金が集まら ないとか、人が来ないとか、そういう心配をするお祭り じゃなくて、小さくてもいいから、みんなが作れるお祭 り、ワクワクするお祭りを伝えていきたい。 英語しか話さないうちのキキのような日系の子達が、 日本の心を少しでも感じられるような、そんなお祭りを リトル東京に蘇らせたい。 と書いたところで、日本に帰った踊る巫女から、無事到着 のメールが届く。 「人生は上等な暇つぶし」と彼女は言った。 その話を今日ランチに誘ってくれたGちゃんにしたら、 彼女も言った。 「時間がない、時間がない、ってみんな言うじゃない? 私、そんなこと、言ったことがないのよ。だって、 時間をどう使うか選ぶのは自分でしょ?人生、こんな に自由なんだから!」 そう、祭りもね、「上等な暇つぶし」だと思うと、 もっと楽しい気持ちで出来ると思うな。 と、書きつつ、「これを英語で言うと?」と考える今日の 終わりでした。
2004年03月16日
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こういうセリフが言えるようになったか!>ダンナ@テニス 「もし、学校の仕事がなくなったら、キキ(下の娘)を 今の学校システムから出して、ホームスクールでフル タイムでテニスを教える。」 今日、いつものように、月曜日のラウンドロビンのある テニスクラブに行った帰りのことである。 今は、近くの高校で、コンピューター室のエンジニアをし ながら、その学校のテニス部のコーチをしているダンナ。 何がきっかけだったのかわからないが、こんなことを 突然、子供に向かって言ったのだった。 私は以前から、「あー、早く子供が学校行かないとか言い 出してくれないかなあ」と密かに祈っていたのだが、何故 か、うちの娘達は学校が大好きで、そんな気配は微塵も見 せない。 「これが日本の学校だったら、一発で登校拒否なのになあ」 と、アメリカの教育のおおらかさを残念に思うことすら あった。 まあ、私も学校は嫌いではなかったけど、その弊害を身の 危険として感じてからは、学校の中でも、どの先生がウソ つきで、どの先生が本物かというのには、かなり敏感に なったものだった。 学校に行くのが当たり前と思っている人達には、考えられ ないことだろうが、そもそも今、学校で勉強したことの どのくらいを覚えているか、またいい大学へ行った同級生 達が、どんな職業について、どんな生活を送っているかを 見渡した時、やっぱりその結果と学歴というのは、それほ ど関係ないというのがよくわかる。 特に、うちの上の娘などは優等生タイプなので、学校なん てとこに行くと、かなりつまんない奴に成り下がりそうで 家族として一生付き合っていくためには、もう少し、キャ パの広い、少しは融通の効く奴に育てておかないと、退屈 するのは私である。 親の責任は、子供を付き合いがいのある人間にするかどう かであると言っても過言ではない。(そうかぁ??) 実は、シュワちゃんが州知事になってから、少しずつ、ダンナ の潜在意識に、「公務員は危ない」「テニスで一日過ごせたら 楽しい!」「あなたなら出来る!」メッセージを送り続ける実 験をしている。 表面上は、メンツもあるので、すんなり人の言うことなどは 聞かない奴だが、こちとら15年も一緒に生活しているので だいたい性格はつかめている。 別にテニスにかけてるわけでも、子供にプロになって欲しい と思っているわけでもないが、少なくとも、このまんま、学 校教育を受けて、ありきたりのつまんない奴になるよりは マシである。 何よりも、ホームスクールだと一緒に過ごす時間も増える。 そして、テニスだけではなく、学校に毎日行くより、もっと 広い世界のことを一緒に経験できる。 踊る巫女と一緒に行ったゲッティセンターで開催していた 写真展で、エドワード・ウエストンの息子の写真を見た。 彼は、父親がメキシコに移った時、13歳で学校教育を放棄 し、メキシコで、父親の周りにいた芸術家達に囲まれて過ごし たという。 私もそういう環境を娘達に与えたいと思っていたのだが、 学校という親にとっては子守りをしてもらうには大変ありが たいシステムが、テレビのように存在していることに、つい つい甘えてしまっていた。 そのおかげで得たものも大きいけれど、失ったものもまた 大きいような気がする。 さて、これで、ホントにレイオフされたら、ホームスクール。 収入の道も考えておかなきゃなあ。 ま、まずは、子供に世界を見せるために旅をするか? そういや、踊る巫女の出会ったテキヤも、子供は学校に 行かせてなかったって言ってた。 条件は違うけど、そうして旅するのも面白いね。 世界を巡るテキヤになれるのは、いつの日か? 5年以内には実現したいなあ。
2004年03月15日
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踊る巫女はさすがに土着文化に詳しい@ロス 昨日、はるばる日本の果てからやってきた友人は、 3年前に故郷に帰って巫女になった。 私のテキヤの話も、この人と話していると、異形 の民として、昔から存在したサンカや香具師など 古来から移動生活をしていた人達の話にまで発展 する。 彼女が、15年以上前に、友人のカメラマンの取 材に付き合って大宮で会った最後のテキヤの話を してくれた。 そのテキヤは、いわゆる見世物小屋で生計を立てて いた。 蛇女のおばあちゃんなど、見世物として生きてきた 人達も年齢を重ねていて、彼らがいなくなったら、 見世物という商売自体がなくなるという話であった。 「テキヤってね、傘、持たないんだよ」 雨が降れば、テキヤの興行もなくなってしまう。 傘を持つということは、雨が降るということを肯定 することになる。 だから、彼らは傘を持たない。雨というもの自体を 彼らの世界から消してしまう。 「へー、かっこいい!」と思わず、反応した私。 「そうなんだよ、そのセリフがかっこよくてさ、そこ だけ覚えてるんだ」と巫女。 「あんたがテキヤ、テキヤっていうからさ、その最後 のテキヤの人達のこと、思い出したんだよ」 最後のテキヤ、会ってみたいもんだ。 「もう十何年も前の話だからね。 ま、テキヤするんなら、『傘は持たねー』くらいの 気持ちで本格的にやんないとね!」 「あ、うち、傘ないよ」 ロサンゼルスに住んで13年。 まともに傘を使ったことも、持ったこともない。 傘を持たないっていうテキヤの条件は、とりあえず 満たすってか(^^)かっぱ@お皿はあるけど。
2004年03月12日
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マラソンの筋肉痛を引きずりながら@リトル東京 名古屋のどまんなか祭りのキャラバン隊がやってきた。 昨日は、その踊りの練習で、何人か誘っていたので、 見学しようと出かけていった。 しかし・・・ ダメだね~。音楽がかかって、鳴子を渡されると、 何時の間にか一緒に踊っている。 「筋肉痛じゃなかったんですか?」と美保ちゃん。 「・・・踊ってるし」と名古屋事務所のりさちゃん。 こういう奴です。さて、次はメキシコだ!@名古屋をどまんなかに!2005年
2004年03月10日
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LAマラソン第2弾。 昨日は、走りながら、何度泣いたり、笑ったりしたことか。 いえいえ、走るのが辛くて泣いたわけじゃないです。 そりゃもう覚悟してましたから。 まず、最初に泣いたのは、スタート地点。 この大会、HONDAがメインスポンサーだが、そのHONDAの ロゴ入りの「GO!」と書かれた黄色の大きなサインボード が、参加者のサポーターに配られる。 「GO!MIKE」 「GO!KART!」 「GO!西大和(学校)」 とGOの後に、自分の応援する人の名前を書く。 黄色のサインが沿道に並ぶ。 スタート地点は、そうした応援団のサインと You can do it! You look great! といった声援で溢れている。 愛という言葉を余り使うことはないんだけど、こういう 空間には、間違い無く愛が溢れている。 それも思いっきりポジティブで、エネルギッシュな愛だ。 その愛のシャワーを沢山浴びて、スタートする。 スタートしてから、コンベンションセンターの横を過ぎた あたりで、オレンジのTシャツを着た応援団の姿が目に 飛び込んでくる。 ABILITY FIRST と書かれたTシャツの団体の前を、車椅子を押す人達が 手を振りながら通り過ぎる。 車椅子には、小児麻痺と思われる小さな女性が嬉しそう に乗っている。 ABILITY FIRST 障害を持つ人のことを、DISABILITY と表現することに 対して、まず障害よりも、その可能性、出来ることにフォ ーカスしようとする姿勢が、このマラソンへの参加だ。 すごいなあ。(感激の涙) 私が自分のウサギ役として決めたトレーニングチームは みんな同じTシャツを着ている。 IN TRAINING (トレーニング中) と書かれたTシャツの「IN」の文字を消して DONE TRAINING (トレーニング終了) 同じく TRAINING の文字にバッテンをつけて IN ACTION (アクション開始!というニュアンスかな) と書いている背中。その上にその彼女の名前と見られる KELLYという文字がマーカーで書かれていた。 「よし!KELLYを見失わないように走ろう」 このKELLYもそうだが、一緒に走っている人達の中には 町で会っても、絶対、この人はマラソンなんかに挑戦し ないだろうと思われる人が沢山いる。 途中まで一緒に走っていた女性は、70歳をとっくに 超えたと見られたが、キチンとお化粧をして、綺麗に 髪まで美容院に行った様子だった。 ひっきりなく鳴る携帯に怒鳴っている女性がいる。 「I won't quit! Don't worry!Just wait for me!」 私はやめないから!心配しないで、とにかく待ってて! 今週、風邪を引いて、それをおして参加したら、ダンナが 心配して、「まだ大丈夫か?どこに迎えに行こうか?」と 電話してくるのだという。 足のマメにバンドエイドを張るために止まったメディカル ステーションでは、やはり60代半ばくらいの女性がいて、 「今年こそ道路がオープンしている間にゴールしたいの」 ウオーカーとして参加していると、最後は、閉鎖されている 道が車にオープンになり、歩道を歩かなければならなくなる のだそうだ。 そして、この人達を応援する沿道の人達。 ゼッケンには本人の希望があれば、名前が書きこまれる。 沿道の学生ボランティア達は、その名前を呼びながら、 水を渡す。 「Go!ミッシェル、いいわよ、その調子! YOU LOOK GOOD! KEEP THIS PACE!」 見知らぬ同士の、こんな励まし合いを、至るところで 見る。 走っている人達も同じだ。 途中から足を引きずっていた私に、後ろから鼻歌まじり の男性が声をかけながら、追いぬいていく。 「HEY! ARE YOU ENJOYING?」 「・・・OH,YAA! It's only 20 mile more!」 1マイル毎に張られた横断幕を見上げて、声を振り絞る。 みんな笑っている。 辛そうにしている人もいるけど、それでも、どこか、その 辛さも楽しんでいるような雰囲気がある。 こんな光景は初めてだった。 はて、日本のマラソンもこんな雰囲気があるんだろうか? いつか日本のマラソン大会にも出てみたいと思う。 ひとつ確かなのは、日本のマラソンは、走れる人しか出ない ということ。 参加する時点でクリアしなければならないことが、日本の 場合は多いんじゃなかな? さて、次のマラソンはどこにしようかな。。。
2004年03月08日
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思わず選んでしまったテーマ「今日の健康状態は?」 「ボロボロです・・・」 そりゃそうだわー。トレーニングもそこそこに マラソンなんかに出るんだもん。 マラソン登録を機に始めたトレーニング、3週間 そこらで、外反母趾の痛みが出た後は、ほとんど 陸を走るということをせずに過ごしてきた。 「せっかくだから、歩くだけでも出よう」と心に 決めて参加した。 日曜日、天気は超快晴! ダウンタウンは、色とりどりのスポーツウエアを着た 陽気なランナー達で溢れていた。 「WE LOVE LA」の歌の流れる中、スタートの合図が なってから、実際のスタート地点を過ぎるまで約10分。 二万人全部が通過するにはこの倍くらいはかかるんだろう なあ。 「歩こう」と決めていたのに、私よりはるかにアスリート らしくない人達(これは体型もそうだけど、障害を持つ人 とか、コスプレで参加してる人とかも含めてのこと)を 見ていると、「少しは走ろう」という気になって、走り始 めてしまった。 ちょうど目の前に、赤い帽子をかぶって走る集団がいた。 LAマラソンのオフィシャルトレーニングの人達だ。 8月頃から、このマラソンに出るために行われているトレ ーニングがあった。いくつものレベルに分かれているよう で、私の前にいたのは、そのうちのビギナークラスと見ら れる、ダイエットを目的にしてるような体格の人達も多い グループだった。 「とりあえず、このグループについて行こう」 星マークのついたスティックを時々上にあげて、チームの 統制をとるペースリーダーと書いたTシャツを着たおじさん を目印に、トレーニンググループの後ろにつく。 しかし、このグループ、さすがにトレーニングしてきただ けのことはある。付いていくどころか、5マイルくらいで、 私の足はロボットと化す。重い。 結局、頑張って、走ったり歩いたりしながら、14マイルま で行ったが、足に靴擦れが出来て、歩くのさえ辛くなった。 携帯で、連れ合いを呼び出し、14マイル過ぎの地点で、 リタイア。 頭が真っ白。 夜、とにかく汗を流そうとお風呂に入り、体重計に乗ると 4キロも落ちていた。 「汗の塩分濃度が違ってたもんなあ」 水の補給ステーションで、何度水をかぶったことか。 あれだけ飲んだのに、こんだけ体重が減るなんて。 しかし、苦痛に顔をゆがめながら走りながらも、このLA マラソンでも、テキヤマーケティングの目はしっかり開 いていた。 いやー、沿道のパフォーマンスの面白かったこと! コースは、ダウンタウンLAから、マーチン・ルーサー・ キング通りを曲がって、USC(大学)近郊から、クレン シャー地区(昔、日系人も多く住んでいた、黒人の多い 地域)を通り、サンタモニカ方面へ向う。 その沿道で、チアリーダーあり、クリスチャンのコーラス あり、黒人キッズバンド「BAD」のステージあり、日本の 和太鼓の演奏あり、なかなか楽しかった。 さすがアメリカだ。こんなとこでもしっかりエンジョイし ている。 「来年は、絶対余裕でこの沿道の観察をしながら、走るぞ!」 と心に誓うのであった。 トレーニングなしで、マラソンするなんて、無謀なことは これでおしまいにしましょう。 それにしても、半分で4キロなら、全部走ったら、どうな るんだ?
2004年03月07日
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求められるものは直感でわかる@かっぱ 8日前にオープンした娘達のためのテニス楽天日記が 好調である。 なんせ、日本中のトップジュニアの関係者が集まって くる。 日本語教育を怠っている母なので、少しでも日本語に 馴染ませようと思って始めたサイトだが、テニスネタ には事欠かないので、とりあえず、最初のうちは、 私が書いて、少し宣伝しようと思っていたら、あっと いう間に、スポーツ部門第5位である。 自分の持ってる情報が「きっとこんな話が聞きたいに 違いない」という直感をもとに、その情報をシェアす るというパターンは、金持ち父さんのキャッシュフロ ーゲームを、アメリカで日本の人より早く知った時と 同じだ。 とりあえず、子供達が乗ってくるまで、ホームページ の作り方を学びながら、続けようと思う。 これも、実はずっと暖め続けていたアイデアだけに、 こうしていきなりヒットするのはとても嬉しい。 テニス英語のコーナーも始める予定。
2004年03月04日
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「負け犬の遠吠え」という本が売れてるらしい@ロス 「未婚」「子供なし」の30もとっくに過ぎたあたりの 女性をこう呼ぶらしい。 自らを「負け犬」と開き直るところは、まるで啖呵を切っ てる勢いとでもいうか、なかなか潔い(^^) うちの娘が「結婚しない!」宣言をしたのは数年前。 環境のせいである。何故か私達の周りには、「未婚」 「子供なし」の30をとっくに過ぎた「負け犬」女性 が多い。考えてみると、同じ屋根の下に住んだことの ある他人はすべてこの条件に当てはまる。 最初にアメリカで居候したメリー・ベスは学校の先生で うちのダンナの幼馴染。彼女の住んでいた大きな家の半分 を間借りしていたことがあった。 ユーモアのある楽しい人で、子供達は大好きだった。 一時、何になりたいと聞くと「メリー・べスみたいになる」 と答えていた。 考えてみれば、私自身も、子供の頃、一番長い時間を過 ごした人達は、この「負け犬」カテゴリーである。 状況は違うが、住みこみのお手伝いのKちゃん、母の代 からの乳母であるおばあちゃん、隣りの筋無力症のキク 坊、みんな結婚してなくて、子供のいない人達だった。 こういう人達に囲まれていると、何故か自分もそういう 人生を選ぶのもありだというのが描きやすくなるらしい。 私も、自分は結婚しないもんだと思っていた。 村上龍の「13歳のハローワーク」には、「お嫁さん」と いう職業は載ってないのだろうか? これもこれで、家柄のある家とか、大家族ならありえるラ イフデザインのひとつである。 ちなみに、私が19歳の時にお見合いした相手は香港人で 大家族だったので、「あなたにはまだ無理です」と言って 断られた。(ま、義理でお見合いしたんですけどね) 結婚してしまって、最近感じるのは、だんだん家族のいる 環境にスポイルされて、少しの逆境にも耐えられなくなって いるんじゃないかという不安である。 ロサンゼルスの気候にすっかりスポイルされて、日本の寒さ にも耐えられないほど軟弱になっているというのに、これ 以上、自分をスポイルする環境があっていいもんだろうか? 考えると、私の人生というのは、これが原点になっている。 幸せ過ぎて、「マズイ!」という危機感が原動力なのだ。 なんせ、これを小学生の頃から感じていたのだから、原点で あることは間違いない。 だから、結婚とか、子供とか、何だか幸せの匂いするものを 自分から求めていくということが想像できず、ずっとひとり で過ごすものだと思っていた。 最近、アメリカでは、同性愛者の結婚を認める、認めないの 議論が盛んである。 今は、ホントに同性愛の人達だけが対象になっているが、 これが一端法律で認められると、同性愛者でなくても、パー トナーとして、同性同士で、家族を作るということも可能に なる。養子縁組もしやすくなるに違いない。 結婚という制度自体が見直されてもいい時代。 今までの家族の考え方自体も変わってくるんじゃないかな?
2004年03月03日
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週末はサンディエゴの予定が急遽キャンセル@ロス いつものマルカイでの仕事になった。 今週末は、すでに韓国マーケットでの仕事が決まっている らしいので、いくらノンビリ屋の私でも、そろそろ韓国語 を使わなければと焦ってくる。 「おじさん、もしかして韓国人?」 マルカイの作業場で話し掛けてきたアジア系のおじさんは 最近、パシフィックマーケットからやってきたのだという。 「ね、ね、おいしいって韓国語でなんていうの?」 「これ、食べてっていうのは?」 「いらっしゃいませって韓国語にはないの?」 と、無料韓国語講座が始まる。 (というか、あんた、人の仕事の邪魔してないか?>自分) マッポセヨー、イガチョアヨ~。 とりあえず、耳から覚えることにしよう。 文字から覚えると、失敗するのが怖くなる。 耳の失敗も今のうちにしておくことだ。 こうして、言葉が出来始めると、どこに行っても怖くなく なる。必要な言葉というのはだいたい限られていて、経験 から、3ヶ月で習得できると思っている。 しかし、普段英語で話をしている中で、仕事先だけで韓国語 を使うという条件の中で、どのくらいのスピードで体得でき るかは、これが初めての実験だ。 幸い、朝の韓国語の子供番組のおかげで、言葉のイントネー ションだけはつかめているので、一端、使い出したら早いに 違いない(と、たかをくくっている) メキシコで焼鳥屋をした時、同じテキヤ仲間からいろんな情報 を仕入れた。 食べ物だと仕込みをしなければならないけど、絵を描いたり、 ヘヤーメイクをしたり、ゲームをしたりなら、それほど、道具 はいらない。 となりで綿菓子を売ってたおっちゃんは、ショバ代を払わない ために、後からこそこそとやってきて、綿菓子の機械を組み立 て、一日売った後、とっとと去っていった。 「これ、いくらするの?」とレトロな綿菓子の機械を指差す。 「5000ペソ、欲しいの?売ってもいいよ」 この綿菓子は、すごい音を出しながら、つくっている間、 ピンクの綿があたり一体に舞うというメルヘンチックな風景 を作るという貴重な欠陥品であった。 マッサージ師というのもいい。 「足裏マッサージ師とかいないの?」とエルリンダに聞く。 「ウーッフ!今じゃそんなの一杯いるわよ!」 といった割には、カーニバルではそういう類の出店はなかった。 昔、一緒に住んでいたクニコちゃんは、 「旅しながら稼げるから」という理由で鍼灸師の免許を取った が、今は、子供が出来て、ミャンマーに行ってるらしい。 旅をしながら出きる仕事。 それも気ままに出きる仕事。 そう思って、雑誌のコーディネイターなどをしたこともあるが、 いろいろと拘束があるビジネスライクな旅は、それなりに面白 くはあるが、自分のスタイルではないと思った。 特に、通訳を兼ねた仕事は、結局、旅のうち、90%が、その 土地と一緒に仕事をしているカメラマンとライターのための 状況説明作業になるので、自分が感じたり、楽しむ時間という のはほとんどないといっていい。 テキヤといっても、旅芸人的なイメージばかりではない。 旅をしている間に、いろんなビジネスのチャンスも巡ってくる。 それで稼いだという人も中にはいる。 いろんな土地を旅している人達といっても、ピンキリで、 実は自分の生まれた土地で、すでに広い土地を持ち、 もう仕事をする必要はないのだけど、趣味で、フリーマーケット やお祭りに店を出してるというおじいちゃんに取材したことも あった。 その時、こういう人生もいいなあと思ったもんである。 一昨日テレビでやってた映画「フォレスト・ガンプ」も 見方によってはテキヤ的人生だ。 あの無欲さは、見ててとても気持ちがいい。 そして、チャレンジする時には、全身全霊で向かっていく。 目の前にあるチャンスを自分が楽しめて、やろうという気に なるかどうか。 自分に与えられているものが何なのか。 ないものよりも、あるものから始めてみる。 そんなことを考える3月始めの日。
2004年03月01日
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ロサンゼルスの経営者で私が昔から注目している二人がいる。 ひとりは、今日も、お仕事したマルカイの松社長。 もうひとりは、小僧寿しのアメリカ版スシボーイの社長、 横田さんだ。 今日、いつものように、マルカイでめかぶ売りをしていた ところ、横田さんがひょっこり現れた。 「あ、横田さん!」と声をかける。 ホントに久々だったので、めかぶ売りをしながら、ちょっと 立ち話をした。 「いやぁー、またテキヤに戻っちゃいました(^^;」 という話から、メキシコで焼鳥屋をした話、二世ウイーク での屋台コンテストの話などした。 この人は、人の話を聞くのがとてもうまい。 そして、その中からちゃんと自分に必要な情報を吸収しな がら、自分の持っている情報もシェアするという姿勢が、 しっかり伝わってくる。 それから、商売熱心な経営者の特徴でもあるが、いつもいろ んなところに出没する。日々のマーケティングを怠らない。 私がテキヤをやる理由はいくつかあるが、やっぱりいろんな レベルでの海外進出、文化交流、国際人としての日本人のこ れからの生き方を考える時、その国に住んでいる人の目線に 立つということはすごく重要だと思うのだ。 スーパーマーケットという場所は、生活の基盤であり、ここ にいると、やってくる人、ひとりひとりの生活感が見える。 松社長は、私がロスに来た10年前の小さなゴチャゴチャし た個人商店のような店舗を、今では、他の日系スーパーの 追従を許さないくらい、大きなビジネスに発展させ、今では 98セントストア、ブックオフなど、日本の大手とも提携し てのチェーン展開も図っている。 ここまで大きくなっても、未だに、忙しい時などには、キャ ッシャーの横で、お客さんの買い物袋に品物を入れる松社長 の姿を見ることが出きる。 社長だとは知らずに、「おじさん、おじさん」とお客さんに 呼びとめられても、嫌な顔ひとつせず、対応している。 そして、何よりも、この二人の特徴は、いつでも前向きで 夢を語ることを忘れないとこだろうか。 そんなにじっくり話す機会はないのだが、ちょっとした 今日の立ち話のような時にでも、会話の中に、次に何が したいのか、どこかへ向かっているという空気を感じる。 それから、もうひとつ。 私がこの人達がとても好きな理由がある。 マルカイで仕事をしたり、前の私の仕事のクライアント としてスシボーイの従業員さん達と接した時、従業員が 「この人のためなら」という気持ちを言葉にする場面に 何度も出くわしている。 それも、日本人だけでなく、メキシコ人や他の人種の人 からそういう言葉を聞くと、何だかこっちまでが嬉しく なったりする。 今日は、マルカイで仕事をしている時、新しい従業員の 韓国人のおじさんに韓国語を少し習った。 このおじさんは、最近、マルカイがリースを受け継いだ パシフィックマーケットという、やはり日系のマーケット で働いていて、マルカイに経営が移った時にそのまま、 マルカイに移ったという。 多くの日本の企業がロサンゼルスにやってきて、ここで ビジネスを始めようとする。でも、勝敗から行くと、サー ビス業の戦績は必ずしもよいとは言えない。 これからも日本企業が進出していける余地はかなりある。 その成功のセオリーは、まだまだ研究されつくしてはいない。 ホントに簡単なことなのに、知らないばかりに、無駄なこと をしている企業も沢山ある。 だからこそ、今、海外在住組の日本人が、そのノウハウや ネットワークを生かして、日本の知恵や文化を伝えるため にも、もっともっとコミュニケーションが必要になってく るような気がする。 で、とりあえず、自分の出きるテキヤから(笑)出きることからコツコツと(どっかで聞いた?)
2004年02月29日
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やっと来た~!「エースをねらえ!」第5話と6話。@ロス 日本ではすでに宗方さんが倒れているらしい。 ロスではまだよ~♪延命2週間。 宗方さんがひろみにヒンギスのビデオ見せてましたねー。 この原作が書かれた時期の世界のテニス界って どんなだったんだろう? 私の記憶の中には、最後の方で、 キング夫人が手を広げて、 「世界へいらっしゃ~い!」 みたいな絵があるんだけど、まだそういう時代だったのか? ま、ちょっと前に引退したヒンギスのビデオを出すあたり、 今じゃないって感じで、時代設定をあいまいにしていますね。 それにしても・・・・ 美咲優子ちゃんって、プロの公式戦に出たって? あんた、そんなのが、 あそこまで審判に文句言うわけないじゃん! それもたかが選考会。 第一、プロの公式戦に出たんなら、選考会なんて 受けなくても、自分で世界へ飛び出せるって。 あ、もしかして、そうじゃないのかな、日本って。 日本のスポーツ界ってね、そういうとこ、協会とか 他との強調とか、実力があっても、すごくうるさい らしいのよね。 野球だって、それで松井もなかなかメジャーリーグに 行くことが出来なかったらしいし。 ・・・・と話をエースに戻します。 美咲優子ちゃん。 お母様の「うちの優子ちゃん」というお育ちのよさを 強調するような口ぶりと比較すると、 優子ちゃんのコートでのクレームのつけ方、 とってもお下品!!(ーmー)/~ それから、前髪。三角の真中とんがったの。 マンガでもあんなだったんだっけ? 思わずチェックしたくなる。 髪型とかファッションとか、ひろみを覗いて、そのまんま 70年代って感じなんですけど、この違和感が、またいい のでしょうか? そして、70年代といえば、 その顔つき、ファッション、行動など、 とってもわかりやすいキャラなのが、 ベッキーの宝力冴子でしょー。 ポイントを決めた時、ラケットをギターみたいに持って、 「バァーン!」 帰国子女・・・ですかぁ? 「いないって、あんなの!(笑)」 と現役ジュニアプレイヤーのうちの娘。 「あんなの、アメリカでもいたら、恥ずかしいよぉー」 こぶしを握って「YES!」「COME ON!」とかはありでしょう。 あのベッキー、ヨーロッパとかオーストラリアにいたようで すが、かなり天然キャラな日本人ですね。 本人、ハーフですか? この回と、日本からの情報を合わせてみると シーン(1) 突然、ひろみの家に押しかけて、 横浜案内しろと強要するずうずうしさ シーン(2) 横浜の中華街を歩きながら 海外生活でいじめられたり、 言葉や文化の違いをぼやく。 と、意外に苦労しているらしい。 もしかしたら繊細なところもあるのかも知れない。 シーン(3) すぐに「コーチ」「コーチ」というひろみに、 選手はコーチの操り人形じゃないと説く。 さすが、帰国子女!独立精神旺盛(に見える) このあたりの、強さと弱さを持ったベッキーと いうキャラの設定が、 次回・・・・ 実は、情緒不安定な女の子で、 恋人に捨てられて試合に負ける(推測) という伏線となっていくわけですね。 それにしても、音羽さん。 子供にテニス教えるって、 河原で「イチニッ、イチニッ」って あれじゃ、卓球だってば!! でも音羽さんはいい人だわ。 もっと出て欲しい。 今回で一番耳に残ったセリフ。 「うちの優子ちゃん」・・・・・です。 何故か、あそこだけ、異次元のように浮き上がっている のは、お母さん役の女優さんの気合の入れ方の問題でしょう。 もっといいセリフを心に残して欲しかった。 でも、いるらしいですよ、実際に。 日本のジュニアテニス会には、ああいう親。 竜崎コーポレーションの気品が際立ちます。 次回は来週日曜日までおあずけ@ロス
2004年02月28日
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♪探し物は何ですか?見つけにくいものですか?♪ ずっと探しているものがある。 場所はわかっている。自分の中だ。 でも、ない。本物がない。 探しているのは、「誠意」という名前のついてる気持ちである。 フツウに社会生活をしていると、この「誠意」というのが、 どんな形をしているのかわかるらしい。 確かに、何度もその形を作った覚えはある。 もしくは、作ったつもりはなくても、相手がそれを勝手に 「誠意」だと受け取ったこともある。 ちょうど去年の今頃だった。 それまで作ってきた「形」を私は作れなくなってしまった。 人間関係を繕うためにやってきた作業が、実は、形だけで あったということに気づいてしまったからだ。 それ以来、ずっと自分の中に、本物の誠意というのを探し 続けているんだけど、未だに見つからない。 うーむ、やっぱり元々持ってないのか? 例えば、自分の子供を愛せない親がいる。 世間にしてみれば、それは何だか不自然に見えることかも しれないけど、その親にとっては、世間の目を気にして 子供にやさしくすることの方が不自然かもしれない。 子供への愛情や、人に対する誠意というのは、当たり前と 思われているようなところがあるが、本当にそうなんだろ うか? 愛情って、どうやって作るのだろうか? 成功するにも、情熱だとか、強い想いが必要だという。 でも、それは自分で作れるものなんだろうか? 名前はつけられないけれど、その一年前から、ずっと 自分の中にあった気持ちがあった。 今回メキシコに行って、ちょっとだけ、その正体に触れ た気がした。 今日からサンディエゴで、フラーの思想を元にしたセミ ナー、MONEY&YOUが開かれる。 4日間にわたるゲームを中心としたセミナーだ。 3年前のこのセミナーで、私はこのバックミンスター・フ ラーという人を知ったのだけど、彼が娘を失った後、2年 間、ほとんど人と接触をしなかった時期があるという。 フラーは、病気の娘を放って、遊びに行った上、娘の誕生日 も忘れていた自分をきっと沢山責めたに違いない。 ワールドゲームで、世界が変わると仮定したフラーのことを 楽天的だという人も多い。でも、フラーはそれを否定して、 むしろ自分はとても悲観的なのだと言っている。 人間の中にあるエゴや、愛情の欠落や、不完全さや、残酷さ。 そんなものを自分自身を通して知ってしまったら、誰だって 悲観的になる。 それでも、だからこそ、希望を見つけようとしたフラーの 未来への強い意思が、その後の彼の発明に反映されていて、 私はその中に彼の想いを感じる度に、彼の絶望の影も見る。 ネタばらしを少しだけしてしまうと、MONEY&YOUの最後の シミュレーションゲームは、正に、誠意を感じるための ゲームといえるかもしれない。 言葉でもなく、行為でもなく、そこにあるもの。 そこにある、あなたの本当の姿。 この世に生まれてきた、あなたの本当の目的。 そして、みんなが繋がる時、初めて、ワールドゲームの 意味もわかってくる。 探し物は誠意。 どこかに落としたかもしれない。
2004年02月27日
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コメディじゃないというのを思い出した@エースネタ再び 笑えるドラマでのセリフも、こうして原作と一緒に見ると 当時の感動が蘇ってきますねー。 エースをねらえ!公式サイト(集英社版です)名セリフ集 http://www.shueisha.co.jp/home-sha/ace/set.html 今夜は、ハリウッドのコメディアンのショーを見に行く予 定が、雨で予定が狂い、中止。2週間遅れの「エース!」 を借りにビデオ屋に行こうかと思ったけど、あんまり雨が 激しく降ってるのでそれもあきらめ、ネットサーフ。 誰かがこんなセリフ集をそのうちまとめてくれるんじゃない かと期待してましたが、やっぱり原作のシーンが再現されて いるこのサイトが一番だね。 それにしても、お蝶夫人って、すごい大物だ。 この漫画の中では何歳くらいの設定なんだ?ん? 高校生とか、大学生くらいでしょ? 育ちの違いが顕著です。 ここには10の名場面が紹介されてるが、ヤオイ系には おそらく死ぬ前の宗方コーチと桂のシーンなんて受ける んだろうなあ。 桂の胸に倒れる?宗方コーチ、妙にオネイ風だぞ! そう言えば、この間、韓国ドラマを探しに行ったビデオ屋 で、昔のスポコンテレビドラマのビデオの中に、ボーリン グのドラマ(題名忘れた)があった。 あの主役の新藤恵美だっけ? 誰かに似てる、と思ったら、「エース!」テレビドラマ版 のお蝶夫人、松本莉緒ちゃんだった。 似てない? 中山律子さんって本物のプロボーラーも出てたような気が する。年代がバレる(笑) あー、早く見たいなあ、5話と6話! 明日は日本では7話? 「あいのり」には、去年、大田区のくさっぱらまつりで 一緒にテキヤをしたハオロンも出てるらしいが、これも、 ロスで放映されてるけど、たぶん2週くらい遅れてるはず。 まあ、こっちに住んでる日本人同士で、そういう会話をす る機会もないんで、そんなに焦る必要もないんだけど(笑) 今、我が家でブームなのは、「アメリカンアイドル」と 「BIG!FAT!Obnoxious Fiance!」という番組で、 どっちもリアリティショー系と言えるかな。 そういや、アメリカって、スポコン物のドラマってない。 昔はあったのかな? あったら見たい。 日本のスポコンマンガが入ってきたら、もしかしたら出来る かもね。 日本文化、まだまだ入る余地あり。 とりあえず、3月14日は、リトル東京で、サムライパレード に便乗して、アニメパレードする予定。 ロスの人、見に来てね!日本文化増殖計画@ロサンゼルス
2004年02月26日
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今日はKIKIのフィールドトリップだ@リッチモンド小学校 朝から自分でサンドウィッチを作ったり、いつもより 少し早く起きて準備している。すごく楽しみにしてい たようで、昨日も自分の楽天日記にそのことを書いて いた。 下の娘の楽天日記を立ち上げるのを手伝ったのは、私 がメキシコに行く前。 日本語は全く読めないので、よく使うアイコンや文字だ けを教えて、昨日初めて日記を書いた。 ちょっと教えると 「Oh---,so I can put my drawing on my site,too. Right?」「How about change the design to get more attention?」 とか、いろいろ聞いてくる。 残念ながら、まだ私のサイト作成技術がないので、彼女 の要望に即答えることが出来ないが、そこも一緒にやっ ていくことで、共同作業の時間も持てる。 お父さんが日系アメリカ人で、家の中ではほとんど英語 の我が家では、日本で保育園時代を過ごした上の娘以外 は日本語を話さない。 単にお母さんの教育不熱心なせいだが(--;自分が大き くなってから、英語もスペイン語も独学で何とか話せるよ うになったということで、つい「そんなのその気になりゃ 身につくわよ」と思っていたが、結構、語学というのは、 習得には根気もいるし、確固たる動機も必要だ。 その意味では、この楽天日記というのは、アクセス数の記録 が出たり、他の人の日記にも簡単にアクセス出来たり、日本 語に馴染むには、なかなかいいツールだ。 こうしたブログのシステムは、元々アメリカから始まったも のだと思うが、やっぱり使う側に立ったシステムとして発展 させていくのは日本人の方がずっと優れている。 日本語が読めなくても、可愛いデザインや、アニメーション に惹かれて、子供はどんどんいろんなページを発掘していく。 インターネットという窓から見える世界は、時に言葉を超え、 国境も年齢も超える。 子供達の想像力は、そこで目一杯広がっていく。 今日のフィールドトリップには、買ったばかりのデジカメも 持っていったので、今週末までには、画像がアップ出来るよ う、ちょっとお母さんも頑張ってみよう♪
2004年02月25日
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ロサンゼルスの普通の日。 今日は、上の娘のテニスのナショナルトーナメントの 3日目に付き合う。学校があるので、同じ高校で仕事 をしているダンナが行けない。メキシコから昨日帰って きて正解だったね。 対戦相手のお父さんは、イギリス人のビジネスマン。 といっても、聞くと、最近、自分の会社を売ったばかり で、次は何しようかと考えてるところだという。 最近、こういう人によく出会う。 この間、コメディアンのKちゃんと行った喫茶店の次の オーナー候補という30代の男性も「もうリタイヤでき るんだけど、何しようか考えてるとこで、とりあえず、 この店を買ってからゆっくり考えようと思ってるんだ」 と言ってた。 メキシコで焼鳥屋の最終日、その村では高級レストラン であるLUNAというレストランに寄った。 「今日はどうだった?」 オーナーのFが聞いてきた。 「まあまあ、昨日よりはいいね」 「ま、一杯おごるよ。何がいい?」 「せっかくだからテキーラの入ったものを・・」 「じゃ、マルガリータでも」 18年前、この店がもう少し小さい場所にあった時、 その店で食事をしていたところ、私服の警官の尋問に 会い、パスポートを携帯していないという理由だけで 3日間留置所に入れられたことがある。 その時、スイス人のパートナーとその店を経営してい たFは、何故そこに私服の警官が来たのかがわかって いた。 外国人の多いこの村では、時には、彼らの一見裕福な 生活は、現地の人達の羨望の的になり、ある時にはそ れがフラストレーションの格好のターゲットになる。 私を含む20人以上の外国人が突然、留置所にぶち込 まれるという事件の裏にも、このレストランのオーナー と地元の有力者との軋轢という爆弾があった。 その爆弾がたまたま爆発した時に居合わせたわけだが、 責任を感じたFは、スイス人のパートナーと共に、私達 を留置所から出すために、メキシコシティ中を駆け回っ たらしい。 そんな昔話をしながら、 「で、今はどうしてるの?」と聞いてくるので 「焼鳥屋(笑)」と言うと、「うちの裏にもあるんだよ、 焼鳥屋が出来るスペース」と広い屋敷を改装したレス トランの中庭の奥に向かって視線を投げた。 「もし、焼鳥バーでも始める気があるんならいつでも 声かけてよ。場所はあるし、興味あるから」 やっぱ、焼鳥屋に修行に行くかなあ。メキシコの日本人向けハローワークでも作ろうかな@ロス
2004年02月24日
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この逞しさにいつも驚かされるんだよなあ@かっぱ メキシコに行くと、なんか元気が出る。 今年に入って第一弾の海外でのテキヤ修行、カーニバ ルでの焼鳥屋を終えて、今、ロスの自宅に戻ったとこ。 今回、念願の地下鉄での物売りも体験。 やっぱりやってみないとわかんないことが沢山あった。 おそらく数回乗ったバスや地下鉄で、30人以上の 物売りを見聞きしたけど、今回のワタクシ的大ヒットは 自動演奏プログラムつきのキーボードを、アコーディオ ンのように縦に抱えて、それをいかにも自分が引いてい るように地下鉄の中を歩いていたお兄さん。 一見して、何らかの脳障害がありそうな雰囲気で、その 自動プログラムの選曲といい、歩くペースといい、何も 言わなくてもすべてを語ってしまうそのいでたちは、饒 舌な物売り達より、ずっとインパクトがあった。 思わず、お財布から5ペソを出してしまった。 隣りのお姉ちゃんも、前のおじちゃんも、私に続いて、 お財布をあけた。 この場合、おそらく3人とも動機が違っていて、 おじちゃんは「かわいそう、助けてあげよう」 (私が出す前から、すでに彼はあげる決意が感じられた) 隣りのお姉ちゃんは「ま、こんな外国人があげてるのに 私もあげないわけにはいかないわ」(結構、こういう連鎖 反応は多い) 私は、その彼の姿が目に入った時から、心の中でキャー キャー叫んでいた。すごいエンターテイメントだ! 日本だと障害を持っている人達は、まるで特別扱いで、 授産施設だとか、その障害が障害にならない仕事だとか 就職口はとても限られている。 前にも書いたアメリカのコメディアンもそうだが、メキ シコのような国では、障害をこうして武器にしている物 乞いは多い。 中には、目が見えるのに、盲目のフリをして稼いでいる 奴もいるし、お年よりを連れて歩いている物乞いもいる。 それ自体は、確かに道徳的にはよくないことには違いない。 でもね。 これ、現場で見ると、なんか元気が出てくるんだよね。 私なんかは、普通に物売りしても、全然相手にされなかった けど、「空港で荷物を取られた!」と一言付け加えると、 ものすごい勢いで、お金を出す手があちこちから出てきた。 外国人であるというハンデは、こういう状況を作り上げると いうことで、世間に受けいられる。 あー、でも、さすがに良心の呵責を感じて、儲けられると わかっていても、次からは出来なかった(--; 日本人だなあ・・・ ま、これで、ホントに泥棒に荷物とられたりしたら、この手 が使えるというのは確信したね。 今度、メキシコに落ち着いたら、障害者だけのメロリコシン ジケートを作るっていうのも面白いかもしれない。
2004年02月23日
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養老さんの「バカの壁」のおかげで、「壁」という言葉が市民権を得ている。 海外で生活していると、 この壁にぶち当たることは日常茶飯事にある。 それでもロサンゼルスという街は、 いろんな人種が混在している分、 最大公約数的な常識がまだ通用するところで、 それほど文化的な軋轢を感じることはそんなにはない。 それに比べると、行ってきたばかりのメキシコは、 20年前に行った時とほとんど変わらず、 未だに、東洋人と見ると、じぃーと見つめられたり ( *~0~*) 全く違う文化の中にいることを嫌でも感じてしまう。 私がメキシコによく行くもので、 「かっぱさんはメキシコが肌に合ってるのね」 なんて、言われることもあるが、それは大きな間違いである。 どちらかというと、私はロサンゼルスにいる時より、 メキシコにいる時の方がずっと面倒な思いをすることが多い。 村に滞在していると、水がなかったり、インターネットが 使えなかったり、生活面での不便さもさることながら、 人々の生活のテンポの違い、考え方の違いに、こちらが適応 していかなければならないことが多々ある。 ホントに面倒である。 でも、この面倒さを受け入れるのが、この国に来た自分に とって、一番正しい方法だというのを、今では経験的に 知っている。 面倒なことを受け入れているうちに、この国の時間の感覚や 人々のコミュニケーションのニュアンスがわかってくる。 日本人の特徴なのかどうかはわからないが、 日本という国にいると、 みんな一緒でないと気が済まないというか、 人が集まると、 どこかで同系色になろうとする化学反応が起こる。 それを「和」という人もいるかも知れない。 最近、こんなふうに考える。 ・・・・・・・ 壁というのは、必ずしも否定的なものではない。 壁があるというのが見えるだけでもラッキーだ。 壁は身を守る。 相手と自分の間にある壁を眺めることも楽しい。 壁は見えてるが、触ってみるとどうなるんだろうか? 壁は「違い」だ。違っていることはいいことかもしれない。 むしろ、どこかでこの壁を見ないフリをして過ごしている 方が、時間が経つ内に、より大きな壁を作ってしまう可能性 だってある。 いや、もしかしたら、より大きな壁つくりこそ、 偉大な業績になるかもしれない。 来週末から、韓国マーケットでの仕事が入る。 どんな壁にぶつかるか、今から楽しみだ。やっぱ、マゾってか(笑)@かっぱ
2004年02月22日
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ロス・デ・アバホ、どれほど日本で知られているんだろうか? と思って、GOOGLEの日本語で検索してみると、思ったより 沢山出てきた。 音楽は聴いても、なかなかアーティストの名前や、種類を 覚えないもので、このバンドがどんなものなのかを語るほ ど知識はない。 メキシコに着いた日に、エルリンダの家でこのバンドのテ ープを聞いた。 「ほら、パスの娘、覚えてるでしょ?彼女なのよ、この声」 「へー、あの子が?」 「このトロンボーンもそう。今はプロとしてツアーをして、 確か日本にも行ったらしいわよ」 「ロス デ アバホ、って名前なんだ。それってアメリカの 南って意味なのかな?」 「ま、そう取る人もいるかもね。下層階級ってことだと思う けど」 エルリンダが持っていた土地を分け、そこに家を建ててい るパスは、彼女の古くからの友人だ。 イタリア人のカメラマンのダンナを持ち、子供達が大きく なった今は、映画の仕事をしたくて、クエルナバカの大学 に通っている。 「そうそう、日本にも行ったのよ。東京の西の、港のある ところだって言ってたわ」 村へ降りていく途中にあるパスの家に寄って、コーヒーを ご馳走になりながら、パスに彼女の娘の話を聞いた。 「もしかして、横浜かな?」 「何でも日本の女性ラテンバンドと共演したらしいよ」 あとで調べてみてわかったのだけど、彼らは、ワールド カップの記念イベントとして、神奈川県に招かれて、横 浜で、日本のラテンバンドCHICA BOONと一緒にコンサ ートを開いているのだった。 Chica Boonと言えば、なんと私は彼女らのクロコダイル でのデビューライブにも行っている。 その彼女らを始め、オルケスタ デル ルスなど、その 後、有名になったラテンバンドが演奏していた恵比寿の ボデギータというキューバレストランで、今のダンナと 知り合ったのも、その頃だった。 ラテンの音楽には、抑圧された人間達の反骨精神と、社会 の不条理にも屈せず、陽気に踊り、歌い、命を謳歌する人 間の原始的なエネルギーが込められている。 ロス デ アバホは、メキシコの不条理に溢れる社会の中 で育った学生達によって構成されたグループだが、実際、 私の友人の娘も含めて、実際には恵まれない環境で育った メンバーというのはあまりいないような気がする。 これは、かなりメキシコという国の特徴なのかもしれない けれど、アートにしろ、音楽にしろ、ある程度、教育が受 けられる階級にある人達は、自分達がそれほど不幸ではな いにも関わらず、妙に下層階級や、貧困、社会問題につい て関心を持ち、それをテーマに作品を作る。 偽善までとは言わないけれど、そうすることは、ひとつの スタイルなんだろうか。 今、日本で開催されているらしい、ブラジルの写真家、 サルガドの写真も、多くの労働者を被写体としている。 彼の労働者達を見る目は、すごく暖かい。私の大好きな 写真家のひとりだ。 どんなに裕福にその国で育っても、そうした下層階級の 生活から目が離せない距離にいるのが、ラテンアメリカ のインテリ層だ。 仏陀ではないが、どの門から出ても、外の世界には貧困 や病気が溢れている。 世界の現実がそこにある。きれいな町並みや、先進国並 のオフィスビル、仕事環境があっても、そうした貧困は 毎日の生活の中で、ビジュアルに存在を訴えてくる。 地下鉄のモノ売りも、路上の乞食も、みんな自分の所属 する社会の一部なんだという事実。 どんなにそれらから目をそらそうとしても、それは自分 の国の一部であり、排除するべきものではない。 ロス デ アバホ。 貧しくも、社会の底辺にいるわけでもない若者達が作った バンドが、この名前のもとに、ヘビーな内容の歌を歌う。 彼らをそうさせる何かが、このメキシコの社会の中には あるのは確かである。それは、今の世界の現実であり、 その現実を見せ付けられる毎日を送ることで、彼らの中の 何かが化学反応を起こして、音楽を産む熱を発していると も言える。 私が地下鉄のモノ売りに感じた思い。 彼らの中に蓄積された思い。 ラテンアメリカの人達の心にある、ひとつの共通の思い。 久々にじっくり聞いたラテンロックの音色に、なんだか その思いを見た気がした。 私も彼らとバックグラウンドは違っても、恵まれている ひとりには違いないという意味では、彼らのどこか熱く 成りきれないサウンドには、自分との共通点すら感じる。 一度、生で聞いてみたいもんだ。 今、どこだろ?
2004年02月21日
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奇跡だ!日本語が打てる!@メキシコシティ なーんとこんなに早くアクセスできるとは思わなかった! 昨日、空港から直接クエルナバカ行きのバスに乗って、 そこからテポストラン入りして、エルリンダの家に着いた のがおそらく9時くらい。 しばらく彼女の寝酒のオアハカ産のメスカルを飲みながら、 焼鳥の準備の話や、近い将来の私の移住計画について話を する。 地下鉄のテキヤの話をすると 「あ、それ、メロリコっていうんだよ」 と息子のククイが教えてくれた。 今日は、メスカルのまだ残る体にムチ打って、何とかシティま で出てきている。 バスターミナルからの地下鉄の中、何人かのメロリコに会う。 なかなかいいスペイン語の勉強になる。 いつものペンション・アミーゴで、この日本語の打てるネット カフェ情報や日本食情報を仕入れて、今、メールチェックを してるとこ。 日曜日までに企画書出さなきゃいけなかったり、チラシ作りの 指示など、見なければ知らずにヤバイことになってたメールが いくつか。 ま、とりあえず、この場所も見つかったことだし、頑張って やろうっと!
2004年02月20日
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仕入れもしたし、向こうとも連絡ついたし!@ロス あと3時間後には雲の上。空港の近くに住んでいると、こう いう時、便利だよね。 昨日は、昼間に焼鳥の串をマルカイ98セントストアで仕入れ、 他にもいろいろとテキヤ道具を物色した。 とは言っても、基本は現地調達で、今回の仕入れのポイントは メキシコシティでの鶏肉となる。昔、住んでた時に、日本食の 食材を仕入れに行ってたサンファン市場にまず明日の早朝行っ てみよう。 ちょうど妊娠していた時、予定日に合わせて当時日本に住んで いたダンナがメキシコに来て、この市場を訪れたことがある。 豚や牛、魚はもちろん、うさぎやアルマジロなど、見たことの ないようなのもいっぱい並んでた。 カーニバルの出店の場所は、どうやらエルリンダが、知り合い に頼んで、一店舗分をシェアできるように手配してくれたらし い。すごいアバウトで、「おいおい、大丈夫かよー」と思うこ とも多々あるが、肝心な時にはちゃんと魔力を発揮するエルリ ンダ。 昨日の夜は、3月のリトル東京でのイベントのミーティングに 行った後、そのエルリンダの娘、ジュディスのところに、彼女 らに渡すお土産を受け取りに行く。 「げ!こんなにあるの?」 あーー、思い出した。そう言えば、何年か前に、やっぱりメキ シコに行く時にもこのくらい持っていったんだわ。すっかり忘 れていた。 私自身は、あんまり人からプレゼントをもらうのが好きでない というか、モノ自体を所有するというライフスタイルでないの で、よほど親しい人との間でないと、食べ物のように消耗する もの以外は贈り物はしない。 でも、このメキシコから出稼ぎにきて、毎月のように、少ない 給料からお金を送っている彼女が、こうして私のように、メキ シコに行く友人に託すためにためた家族へのプレゼントには、 会えない家族への思いがせつないほど込められている。 「全部は持っていけないかもしれないよ、いい?」 「いいよ、次の時まで持っててくれる?」 車までボーイフレンドのファンが荷物を運んでくれる。 「もうだいたい準備は出来てるの?」 「そう、今日だいたい仕入れた。ほら・・」 と、マルカイで仕入れた子供の駄菓子を見せる。 「前から一度やってみたかったことがあるんだ。これ、 地下鉄の中で売るの」と私。 「いるでしょ、モノ売り。あれ、すごいスペイン語の練習に なると思うんだよね」 「えー、そういうのって恥ずかしくない?」とファン。 「(笑)大丈夫だよ、彼女はチャレンジするのが好きだから」 とジュディスがフォローする。 「焼鳥も、しっかり売ったんだもん。(15年前の話) 今度もいけるよ、がんばって!」 そう、お金がなくて、生後3ヶ月の娘を抱えて路頭に迷ってい た私をサポートしてくれたのは、彼女の家族だった。 その後、いろんな仕事でメキシコを訪れている私であるが、 一番やっぱりその中で楽しく、また稼がせてもらったのは 焼鳥屋である。そこにはビジネスのすべてがコンパクトに 詰まっていた。 ある時、何かの話題で、「一番、クラスの低い職業は何か?」 という話になった時に、確かまだティーンエイジャーだった ジュディスが「VENDEDOR DE LA CALLE」と答えたことが ある。 職業に貴賎はないというが、実際の世界では、職業で差別され ることはよくある。 うちの親の教育のせいかどうかわからないが、私の中には、 そういう差別意識というのがほとんどない。それがいいこと なのかどうかも定かでないが、テキヤを経験した後、メキシコ の地下鉄で、モノ売りを見て、「あれが出来たらどこでも 生きていけるなあ」と思った時から、地下鉄のモノ売りには あこがれていた。 今回は、マルカイでとあるものをそれ用に仕入れてみた。 出来るかどうかは、メキシコについた時の私の根性次第であ る。 「そんなことして捕まらないんですか?」 と心配してくれたのは、アニメパレードでお世話になってる Mちゃんだ。 「いや、一度メキシコでは留置所に入ったことがあるから 出方はわかってる」というと 「あー、そのくらい覚悟がないと出来ないんですねー」 と妙な感心の仕方をしていた。 24日になっても、このサイトに書き込みがなかったら 心配してください(笑) さて、そろそろパッキングするか!出発2時間前@LAXまで10分
2004年02月19日
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「えー!ないんですかぁ?ほんとに?」@ロサンゼルス 最近、韓国ドラマを探して、ロスの日系ビデオ屋を渡り歩いて いる。 この間、「エースをねらえ!」の2週間遅れのビデオで喜んで いた私であったが、こんなに日本でブレイクしている韓国ドラ マを入れていないビデオ屋のマーケティング能力を疑ってしま ったね。 ミツワでの仕事が終わって、近くのビデオ屋によって探してい て、どうしても見つからないので、店員さんに聞いた。すると 側から「私も探してるんですぅ」と日本人女性の声。 結局、唯一ある「冬のソナタ」は貸し出し中らしく、不発。 「韓国ドラマいいですよねー」 「やっぱり韓国の男性が、なんか日本人男性の失ったものを まだ持ってるみたいで、ぐぐっとくるんですよ」 彼女の後ろには、ついてきたふうの彼氏が苦笑している(^^; 「あ、でも、映画なら、これ、いいですよ」 と私は、JALの飛行機の中で見た韓国映画「IL MARE」 (海)を紹介した。それも貸し出し中だったが、なかなか 静かなセンスのよい作品だ。 それにしても、アニメ系なら、英語のサブタイトルつきの DVDなどはかなりの品揃えの店なのに、なんで韓国ドラマが ないのだ? 日本より韓国人のお客さんも多いだろうに。 我が家のニーズからいくと、日本ドラマで英語のサブタイト ルつきのビデオなどあると、すごくありがたいと思うし、家 のような家庭、日系人の家庭のニーズには応えず、「エース をねらえ!」はしっかり入れてる視点って、何なんだろう? そうだ、そう言えば、来月から韓国マーケットが決まりにな ったんだった。 やるぞ、韓国語! (と言いつつ、メキシコ行き準備)
2004年02月18日
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去年から再びアニメ系に関わっている@かっぱ この3月14日に、リトル東京で、日本から来るサムライ をメインにした日米友好150周年記念のイベントとして パレードが行われることになった。 昨日は、その主催者の若尾さんに呼ばれて、私が提案して いたアニメパレードの承認を得るためにその会合に出席。 一昨年から関わっている二世ウイーク委員会もそうだが、 ここも会議は全部英語。昨日は、日米博物館の一名を除い てはみんな顔は日本人なのに、話しているのは、かなり流 暢な英語で、日系人はともかく、日本からの日本人の人達 の在米の歴史を感じさせる。 会議の雰囲気というのも、後から加わる予定だったD社のM ちゃんが「真面目すぎて入れない」というくらい、かしこ まったもので、その中でアニメの話をする私は浮きまくり であった。 でもねー、やっぱ、こういうところに出ていって、少々浮 いても、やることやらないと、日系コミュニティなんて、 今、頑張ってる日系人と、高度経済成長時代に、アメリカに 来て今の地位を築いた日本人のおじさん、おばさん達がいな くなると、二世ウイークだって危うくなる。 と、固い話が終わったところで、ずっと外で待っててくれた Mちゃんと、ジャパニーズビレッジのJOY MARTで食事。 「いやー、なんかすごいメンバーそうでしたねー」 「うん、イベントのスポンサーの方はどうにかなりそうだけ ど、集客がまだ大変そうみたいだよ」 JOY MARTは、お神輿の会でお世話になっているTOTという レストランのオーナー、けんたろう氏が出している2軒目の お店だが、結構、このあたりにしては遅くまで空いてるアジ アンテイストのしゃれた店で、内装が「千と千尋」に出てく る湯屋(だっけ?)みたいだ。 「ここにコスプレの人、連れてくるといいっすねー」 「ネコバスとか置けないかなあ」 「パレードの終わった後は、ジャパニーズビレッジでコスプレ パーティとか」 「各店のテーマ決めて、ウエイトレスに衣装着させる?」 去年の二世ウイークで、急な企画にも関わらず、百人以上の コスプレキッズを集めたアニメパレードとコンテストで、 すっかり味をしめたMちゃんと私は、今年の二世ウイークは リトル東京をコスプレイヤーで埋め尽くそうと企んでいる。 やっと注目され始めた日本のアニメであるが、漫画全盛世代 を過ごした私達にしてみれば、まだまだアニメもコミックも アメリカに紹介されているのは一部で、もっと多様な展開の 可能性も十分あると思っている。 すでに、主催者側には、この企画を通すにあたり、B社とか P社にはスポンサーとしての打診をしてもらっていて、おそ らく、コスプレ参加者にも参加賞くらいは出してもらえる 予定だ。 あー、カタい会議の延長で、アニメの話すると、やっぱり カタくなるなあ(笑) ヤオイ系になるのもやばいけど、カタすぎちゃ、温度が上が らない。 祭りは体温だからね。熱くなってこそ、ハレ効果があるとい うもの。今の日系コミュニティにかけているのは、それだね。 だから、何にもしなくても、妙に盛り上がってしまうメキシコ のお祭りが楽しいってわけ。 昨日から運転中のラジオステーションはメキシカン♪ 楽しみだなあ、メキシコ! メキシコでしっかり熱を吸収して、ロスのアニメパレードでも 燃えるぞ!(これで浮きまくり現象はますます激しくなるなあ)
2004年02月17日
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「いやー、ごめんごめん!」 バレンタインデーの予定は、一本の電話でひっくり返ってしまった。 今週末もマルカイでのデモの予定だったのが、担当者が在庫の注文を 忘れたために前日にキャンセル。花屋の手伝いも断って準備してたの に、頼むよー、と少々くさりながら、「さて、どうしよう・・」 「じゃ、一緒にASIMO見に行く?」とダンナ。 下の娘も、エントリーミスで、テニスのトーナメントがなくなって、 二人でホンダの開発したロボット「ASIMO」をダウンタウンに見に行く のを楽しみにしていた。 起こることには、すべて意味がある。 思い返すと、今日はそんな1日であった。 数年前に、旅行情報誌の通信員をしていたことがある。 ASIMOがやってくるCalifornia Science Center は、その頃、大改装さ れた体験型のミュージアムで、ローカルニュースとして紹介したことが あるが、記事を書いていた当の私は、1度も行ったことがなかった。 取材費も出ないこういう仕事は、想像力と文章力、情報収集力でカバー。 毎日、ロサンゼルスタイムスとローカル紙、ラジオ、テレビからニュー スを寄せ集めていたものだった。 ちなみに、日本人旅行者のためのユニバーサルスタジオやディズニーラ ンド情報も、隔週で書いていたが、ユニバーサルスタジオなどは、13 年も住んでいるのに1度も行ったことがない。 (威張ってどうする!!) ASIMO に何でそんなにダンナは興奮してるんだろう、と思いながらも、 そこに突っ込むと機嫌を損ねそうだったので、とりあえず、記事にも書い たサイエンスセンターの様子を見るのを目的に行くことにした。 結果から言うと、 「Oさん、仕事キャンセルしてくれてありがとう!」 11時前に着いたのに、すでに整理券は3時半の最終デモンストレーシ ョンのものしか残っていなかった。 4時間の待ち時間、サイエンスセンターの展示やゲームを楽しんだ後、 USCのキャンパスを歩く。 3時10分前、整理券を持った人達が入り口の前に列を作り始めた。 「ロボットなんて・・」と思っていたのに、列に並んだ頃からワクワク し始めた。 開場。ASIMOとロゴの入ったブルーのポロシャツを着たスタッフに誘導 され、行列が入り口から、会場の暗闇に飲み込まれていく。 ほとんどは家族連れだ。ひとりひとりの顔に、期待と興奮、こっちまで 伝染してくる。 後でダンナに、その会場に来ていた家族の特徴を表現するとしたら? と振ると「ミュージアムファミリー、かな?ほら、大学の関係者とか IT関係とか、そんな感じの家族、多かっただろ?」 そんな大人達が、子供と一緒に期待に胸を膨らませてASIMOを待ってい た。 そして、ASIMO の登場。 ・・・言い知れない興奮が会場を包む。 このサイエンスセンターの中には、この、ASIMOが登場した時の興奮と 同質の興奮を生み出す仕組みが沢山ある。 それは、私達自身の体や、この地球上の仕組みについて知ることにより 私達が知ることの出来る様々な力、可能性を思い起こさせる。 例えば、インターネットの仕組みを簡単に体験させるコーナーには 「WE HAVE THE POWER TO SHARE THE INFORMATION・・・・」 知るということがそのままパワーになる。科学の力を率直に表現して いる。 RISKのコーナーには、RISK CINEMA という15分のドキュメンタリー が上映されていた。命の危険のある仕事についている人達へのインタビ ューを通して、リスクというものがどういうものであるかを表現する。 登山家、F1レーサー、消防士、闘牛士、アラスカの漁師などなど。 失敗することの大切さ、リスクとは、失敗と成功のバランスなのだ、 可能性の計算なのだ、という事実も、このコーナーにある数々のゲーム やシミュレーションで体験しながら実感できる。 その失敗を繰り返して誕生したASIMO。ホンダはこの開発に18年の歳月 を費やしている。 ASIMOは、すごくフレンドリーなロボットだ。 まだまだアトムには程遠いけど、ASIMOを見つめる「ミュージアム ファミリー」の目には、広がる未来が写っていた。 なんかね、ASIMOそのものより、それを見にきた人達の気持ちに 感動しちゃったよ、今日は。
2004年02月15日
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欲望の正体を見極めたい@リバウンド中 年末から始めたダイエットの反動で、最近、突然、すごい食欲に襲われる。 昨日から、バレンタインデーがその衝動にますます拍車をかけている(--; 幸い、まだその衝動食いは体重計には表れていない。 しかし、このリバウンド現象は、明らかに日々の心理状態に変化を与えてい る。 そもそも、ダイエットや運動を始めたのは、自分の中に「健康になりたい」「昔のように走りたい」 という欲望があったからだ。でも、その方法が少しズレてた(笑)もう少し別のモチベーションの 上げ方を考えようっと。 描いていた理想の生活は置いといて、この反動の衝動は、私に久々のフィジカルな「欲望」を思い 出させてくれた。 故・宮本美智子さんが、その著書「世にも美しいダイエット」の中で、このダイエットを続けている うちに、「性欲以外に感じた肉体的な欲望」と称した「正しい食欲」ではなく、正しくない食欲のそ の強さに、なんかワクワクしている自分を発見。 ダイエットを始めた頃は、パン作りをしたり、いつもは買わない食材を試したり、食べること自体に 随分凝ったおかげで、逆に食欲が出てきてしまうという、ダイエット的には逆効果だと思いながら、 創作意欲に負けて、とりあえず、家族に毎日、健康グルメフードを作っていた。 最近のは違う。 なんかわかんないけど、健康的でもなく、どちらかというと禁欲的の反対の食欲なのよね。 これってね、まるで自分の中に悪魔がいて、今までのダイエット、健康ライフスタイルを送って いた自分をあざ笑っているようで、すごいパワーがある。 悪魔でも何でも、とにかく、その欲望の強さに、しばし身をゆだね、私は自分を観察することに した。欲望は、言いかえれば、生命力でもある。肉体の神秘を観察するのは、健康オタクでなく ても楽しいものである。 若いうちは、食欲ではなく、もう少し実のある性欲で、こういう欲望のパワーに身を委ねるとい う経験も必要だと思うが、それさえ通過しない小心者の日本人、特に男性は多いに違いない。 そう言えば、昔、言われたことがあるなあ。 「君のは性欲っていうより、食欲だね(笑)」 本当に生きてることを感じるには、自分の中の欲望をしっかり感じることが、まず先決かもしれ ない。何がしたいのかわからない人達の多い日本では、その欲望すらも、偏差値テストにかけら れて、どう転んでも結局、自分が何者かという答えよりも、他と比べてどうかという受験戦争の パターンにはまってしまう。 成功者大学という、一種のクラブに入るためのテストを受けて、それに受かったからって、男に なれるとは限らない。金持ち父さんも、ウラナリ金持ち父さんじゃ、つまんない。 そうか、パイレーツ オブ カリビアンのジョニ-・ディップの海賊がカッコイイのは、彼が 欲望に忠実に生きてるからなんだな、きっと。 娘の作ったブラウニーを頬張りながら、ピュアな欲望をしばし楽しみつつ@かっぱ
2004年02月14日
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チケット買っておかなくてよかった・・・@メキシコ行き 「ノー、ノー、ヒロミ!Es 21 de este mes,no de 25!」 やっとメキシコの友達と連絡がつき(電話が止められてい たらしい)カーニバルの日程を確認したら、思っていた日 と全然違っていた。 「危ねー、もう少しで、23日でチケット取るとこだった!」 ということで、出発日を昨日決めた。18日、来週だ。 この3年間、2ヶ月以上、ロサンゼルスから出なかったと いうことがない。特に、家族とこんなにずっと一緒にいる というのも、私的にはとても珍しい。 年末にはアリゾナに家族で行きはしたけど、車で日帰りで る距離というのは、サンデードライブの域である。 メキシコも、ロスにいると、かなり近くに感じる。 でも、文化の違いということで比較すると、ロスと日本より メキシコの、それも私の住んでいた村とロスの方が、格段の 差がある。その違いを知ってるということだけで、時々、す ごく救われることがある。 時間やタスクに追われている時、あの村のテンポを思い出す。 「地球には、あんな場所もあるんだ」 ストレス解消するのに、一番効果のある方法だ。 とは言え、今回はテキヤをしに行くわけなので、行くまでの 間は、ちょっとラットレースよろしく、しっかりリサーチや 仕込みをしなくちゃいけない。 とりあえず、ヤキトリヤで修行だ!と、知人の焼鳥屋経験者 をあたってみることにした。 以前よく行ってた居酒屋Dのバーテンダーが昔、焼鳥屋で働 いていたという情報をゲットし、そこへ行ったのが、一昨日。 あいにく、その日は彼のオフの日で、空振り。 「久しぶりに、ママが来るまで一杯飲んで行こ!」といつも のパトロン、テキーラを頼む。 カウンターにバイクのヘルメットが置かれている。 ヘルメットの向こうに、日本人らしき男性。 話しているうちに、「いや、実は、来週からメキシコに焼鳥 屋をしに行くんですよー」というと、彼は目を輝かせた。 「え!それ、いいなあ。僕も行きたい!」 このお兄さんもなかなか変わった人で、あとで、私と誕生日が 一緒だということが、ブリットニー・スピアーズの話題から判 明した。(ブリットニーも同じ誕生日、12月2日) このDという飲み屋は、何故か、私にとって運命の出会いの場 である。この人もそうなのかなあ。 昨日も、昼間、ミツワあたりをうろうろしていると、何人かの 知人にあった。 焼鳥屋の話をすると、みんな嬉しそうな顔をする。 「いいなあ、いいなあ、仕事なかったら一緒に行くのになあ」 「次、いつ行くんですか?誘ってください」 「(笑)何やってんのよー。おもしろいわねー!」 ロスあたりに来ている人達の中には、今でこそ、定住している けれど、実は本質的には移動民族という人も多い。 だから、テキヤというと、きっと旅の気ままさを思うのであろ う。いつもより、立ち話でもテンションが高くなる。 昔、メキシコで知り合った友達が、突然、「鍼灸師になる」と いって、学校に行きはじめた。 理由は、「世界中、どこでも旅をしながら稼げるから」。 その友達は、今は、ミャンマーにいるはず。 元気にしてるかなあ・・・・
2004年02月13日
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日記をリンクさせてもらった新川てるえさんの日記に、妊娠中絶 の話が出てきた。 来週からテキヤをしに行く村は、私がわざわざ上の子を産みに日 本から飛んでいった場所でもあるが、ここはシングルマザーだら けである。 カトリックの多いメキシコでは、今でも、中絶はタブー視されて いて、どんな状況でも妊娠したら産むというのがフツウ。 私が妊婦として、この村に落ち着くことを決めた時にも、回りに 一杯妊婦がいた。外国人の居住者も多いこの村では、妊婦友達も バラエティに富んでいた。 ハイチ、フランス、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、コロンビ ア、そして、そのほとんどが国籍の異なるカップルであったが、 彼等が結婚していたかどうか、そういうことを話題にした覚えが ない。 中には、カナダ人で、メキシコ人の呪術師が連れ合いという女性 もいた。 ちょうど同じ頃に彼女も出産、初めて赤ちゃんを見に訪れると、 昼間でもカーテンを引いた部屋で、ろうそくだけで生活していた。 ろうそくの灯は、何日間か忘れたが、絶やしてはいけないそうだ。 とにかく、みんなそれぞれ違った逞しさを持っていた。 メキシコはマッチョの国だと思われているが、実は女の方が強い ということは、みんなどこかで認識している国でもある。マザコン が多いのもこの国のひとつの特徴。結構、そういう国、多いんじゃ ないかな? そのメキシコの私の延長家族、エルリンダもまたシングルマザーだ。 それも、父親の違う5人の子供の母親で、今は、そのうちのひとり の子供、彼女にとっての孫の面倒まで見ている。 彼女の場合、たまたま5人目の子供の父親が、英国のロイヤルファ ミリーの遠縁にあたるという由緒ある家柄の出で、その父親から多 少の養育費をもらっているようだが、数年前から建て始めた家の土 地は、彼女自身が、30年以上前にこの村に来た時に手に入れたも のである。 孤児院で育ち、13歳でそこを追い出され、数奇な人生を送ってき た彼女、初めて彼女の家族と出会った時、家族のひとりひとりが、 シンプルに家族であることを楽しんでいた。 その後、ほとんど毎年のように訪れる私と上の娘に対しても、エル リンダはまるで母親のように、子供の面倒を見てくれたり、私達の 世話をしてくれた。 「どうしてかわかる?」 ある日、障害児を養子にしたいというアメリカ人の夫妻の依頼を受 けて、近くの孤児院に行った時に、どうしてそんなに人の面倒を見 るのかと聞いた。 「私はね、母親になるために生まれてきたの。母親であることが 私のこの世での仕事なの。だから、自分の子供でなくても、私 は母親になるチャンスがあれば、喜んで引きうけるのよ。」 メキシコくんだりまで来て、子供を産むことを私に決意させたの は、東京という街だった。東京では、フリーターのシングルマザ ーはアパートを借りるのも大変なのだ。 またメキシコシティではなく、この村を選んだのは、この村には、 エルリンダのような母性を持った人や、コミュニティの中に母性 が溢れていたからだと今になって実感する。 毎日の生活の中に、命を育む人々の暖かい日々のコミュニケーシ ョンがあった。 15年前に通った市場のジューススタンドのおばちゃんは、私の 名前もなかなか覚えられないのに、子供の出生届に、立会人が必 要だというと、店を閉めて、役所に来ようとしてくれた。 タクシードライバーは、お腹の大きな私を見ると、すぐに荷物を 運ぶためにかけよってきた。 その村も、以前よりかなり開けてきたが、今でも、この村に行くと また子供が産みたくなる(笑) ある日、妊婦が集合した時に、友達のマルタに聞いた。 「なんで、こんなに妊婦がいるの?」 「この村の水を飲んだからよ」
2004年02月12日
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と言っても1月10日の話なんだけどね@MB 時々行くマンハッタンビーチの公園、砂の斜面のあるSAND DUNE PARKに、テニスの練習の終わった娘達と、練習 相手のシルビア、ニコルを連れて行ったのは、1月10日の 午後。 この公園は、住宅地の中にあるユニークなトレーニング場所と して、地域のスポーツ選手や、ジムのトレーナー達によるプラ イベートレッスン場としても穴場。 1月とは言え、そこはロサンゼルス、半袖でも暑いくらいの 日曜日、公園に車をつけると、いつもよりにぎやかな声のす る砂場に、警察官のユニフォームも見える。 「へー、日曜日はお巡りさんが警備してくれるんだぁ」と 思っていたら、これが違ったんですねー。 砂の斜面は、かなりの急斜面で、ちょっと運動不足の人だと、 一気に歩いてあがるのもつらいくらいのきつさ。 娘達が4回目を上がりきろうとした時、私はやっと3回目の 下り、息を整えながら降りようとした時、坂の上に座ってい た女の子が、登ってくる女性に向かって、ノートのようなも のを差し出す。 ん?何?誰?????どうしたの? すでにその女性を通り越して下りにかかっていた娘達が、そ の女性を振り返り、表情を変えたのが見える。 「オー、マイガーッ!」声は聞こえなくても、興奮がこっち まで伝わってくる。(笑) シルビアと娘が、一度坂を駆け下りてから、再び、坂を登る。 しかし、お忍びトレーニングは、たった一度のアップヒルで おしまい。 「え?あのハンマーが降ろした女性?あれ、ブリットニーだ ったの?」 坂の下にいたダンナは全然気づかなかったらしい。 そうかぁ、警官はそのためにいたんだ。 「でもさぁ、彼女、すごくお尻大きくなかった?」 「うん、前を登っている時、後ろにお尻ついたよね」 「そうそう、なんかあんまりアスリートって感じじゃなくて 『あ、こけてる』って見てたんだ」 「でも、すごいね。アメリカで今一番有名なシンガーにこん なとこで会えるなんて!」 この後、レイクウッドで行われていたシルビアの弟のテニス トーナメントを観に行って、そこで、彼女らは 「ブリットニー・スピアーズとトレーニングしてきた」 とうそぶいていた。まんざら嘘でもない。 ちなみに、公園のあるマンハッタンビーチ、昔、元ドジャー ズのマイク・ピアザも住んでいた。有名人は結構他にもいる 可能性のある高級住宅街。 こういう事件があると、行くのが楽しみになるね。
2004年02月11日
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