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ブータンが亡くなったのは11/29、午前1:48だった。病院からの電話に子どもを起こし、桜は残るというので病院に。7分で病院に着いた、Pに入れる為子供達を先に下ろし‥出がけにMのお母さんを見たと諒平が言うので夜中に電話‥家に行ってくれると‥本家の電話が解らず、嫁に電話。本家の叔父さん、葬儀屋共に1時間位で来て‥3時過ぎには霊安室に行くことなく自宅に。葬儀屋はブータンの従姉妹?かその子ども。Mママ、葬儀屋、連絡が入った数名が家に。2ヶ月毎日、閉店後病院に通って掃除もしていない部屋が見る見る片づいていく。自宅葬儀をしたい。葬儀屋さんは無理?‥本家の叔父さんが故人の希望と言って自宅葬が決まる。確か‥葬儀屋さん少し寝るようにと6時前に帰ったと思うが‥テーブルに座る人が‥寝る来はないが‥なんで居るねん?人が途切れることなく、勝手に葬儀&片づけが決まっていく‥庭の鉢植えも、部屋の家具も‥お手伝いもパッパッと‥っていうか、勝手に来た人&頼んだ人‥面白い話し山盛りなんだけどね。11/30、午前1:30過ぎ‥風呂に入ったと思ったら諒平がMのお父さんが来たよ‥ん?もうちょっと暖まってからなら‥入った途端、速攻風呂から出る。諒平はじゃまぽが死んだ人は家族が一晩中線香を絶やさずに供養すると言っていたので起きていた。ちょっと酔ってる?何か飲む?とじゃまぽ。焼酎を出し‥爺さんの供養に来たと‥最初に3杯と言ったのでそれ以上は出さない‥いや~面白いんだって、じゃまぽは寝ろって言うから横になって(寝てないよ)聞いてると面白いから‥笑うと寝ているんじゃねぇって言うし‥何で親が死んだ翌日‥こんなに笑って良いのか?「小父さんが線香見ててやるから諒平、お前は寝ろ!」「いや、頑張る」「お前、偉い!じゃぁ小父さんも付き合う」何十回この会話聞いたかなぁ‥Mパパの声は聞こえるけど、横になっているじゃまぽに諒平の声は聞こえない。「諒平寝ろ」「偉い」「じゃぁ付き合う」最初は30分位?段々間隔が短くなって10分?「お前、お爺ちゃんに怒られたことあるか?俺はあるぞ」で、また「寝ろ」‥5:20頃、諒平の声は聞こえなかったが、帰る気配が‥起き上がると、諒平が待ての合図。おじちゃんが木戸を出るまで確認して鍵を閉めた。キャハハ‥諒平の方が上手だったのねぇ。寝ると言ったら帰って行ったと‥翌日、行方不明だった旦那が我が家に居たと‥もう噂が‥誰だぁ?おしゃべりは‥。こんな夜が毎日毎日続くとは思わなかった‥死んだ日は夜中だから‥で、納棺の晩、通夜の晩は朝6時まで‥夜中の12:30に訪問者も‥アドレナリン全開?じゃまぽ5日間殆ど寝ませんでした。
2006.12.01
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自宅で葬儀を行った為、納棺、通夜、告別式と亡くなった日を入れ4日かかった。納棺と通夜は普通同日に行うのだが、自宅居間に祭壇を作る為場所がなかった。納棺に人が集まり、一席用意。通夜は祭壇の大きさゆえ、住職が座るのがやっと。自分の親の通夜まさか、笑いを堪えるのが辛い‥なんて‥↓写真鐘の真前に長男諒平が座った、じゃまぽはその隣‥読経が始まって10分も経たない頃から長男が‥文句?「ブータンは死んだけど、僕の足は今日死んだ!」しびれは計算になかった‥「諄は出ていって良いのか?」(トイレに立った時)「なぜ?俺が前に‥」「手を付いても良いか?」と床に手を付いた諒平‥またまたピンチ?焼香客に頭を下げ下を向いたすきに笑う‥喪主のじゃまぽ住職が鐘を叩く‥鐘は諒平の顔の前‥顔を真っ赤にして「ううぅぅぅ‥」と呻くブータン人気があったのか?保育園の送り迎えも3人、約10年やっていたし‥小学生、中学生‥ご近所、その他諸々‥約300人の人人人‥読経が終わっても、弔問客が途切れない‥後30名程と聞き「後10組位で終わるから‥」「10組終わっても、まだ居るじゃないか、この嘘つき野郎!」焼香客が終わった後、住職から戒名の説明。終わった時、四つ這いになった諒平に住職が足をこうして‥諒平の返事は「無理」だった‥そして、住職は彼は本当によく頑張ったと‥玄関開け放し、居間もサッシを取り払い風の通り道に座り‥笑いと寒さと闘った通夜‥珍事は多々‥順次アップ予定‥です。
2006.12.01
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11/29.am1:48 †11/30.pm5:00 納棺12/01.pm6 :30 通夜12/02.am11:00 告別式 すべて自宅にて・・執り行われました。通夜、約300名の弔問客がありました。
2006.12.01
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