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少し俯き加減ですが今日、転勤の内示を受けました。辞令をもらうまではまだ日がありますが、いよいよか、という思いです。このブログをどうするかという問題にいつかは直面しなければならない、という覚悟はありました。内示を受けたときが決断の時だと考えてきました。そこで考えた結論は、ここで中断するということです。今までお越し頂いた方々、特にリンクを張って頂いた方々、毎日お出で頂いた方々、頻繁にコメントを残されてきた方々に、深く感謝申し上げます。また、毎日楽しみにされていた方々には、本当に申し訳なく思います。@@@@@@@@@@このブログでは、その日の出来事やその日自分のしたことも書いてきましたが、どちらかと言えば、ある事柄や出来事について知っていること、調べたこと、考えたことなどに重点を置いてきたつもりです。文字にしないとそのまま通り過ぎていく事柄や出来事が、自分の指でひとたび文章になると、やはり自分の考えがまとまり、自分の知識も確かなものになります。考えをまとめ、知識の裏付けをとる作業は、自分自身を伸ばすことにつながりますから、たった半年強ではありましたが、非常に有意義な日々だったと思います。最近は一人でデジカメにはまり、写真日記と文章日記に分け、これはまたこれで楽しい思いをしてきました。写真に付ける短い文章を考えるのもおもしろい作業でした。デジカメで沢山沢山写真を撮ったので、思い出も沢山沢山残りました。ブログに掲載したのはほんの一部です。@@@@@@@@@@国境を越える引っ越しですから、これからその準備が非常に大変ですし、引っ越した後も暫くは新天地での生活と仕事を立ち上げるのに時間がかかります。毎日忙しくて、ブログを更新していくのは難しくなります。これまでブログをほぼ毎日書き、頂いたコメントにお返事を書き、大勢の方々のブログを訪問し、自分のコメントを残すことができたのは、本当に楽しかったです。ブログを通して多くの方々と交流ができたのは、本当に貴重な体験でした。正直を言えば、一時期中断して一段落着いた段階でブログを再開したいという気持ちもあります。しかし、新天地では仕事が更に忙しくなり、ブログの継続は事実上無理かと思います。また、毎日この作業を続けることは、それなりの時間を要します。その分、家族と対話する時間が失われ、家族のことを考える時間も失われていることは確かです。これまでも毎日残業をして帰宅してきましたから、ただでさえ家族を犠牲にしているのにです。家族も仕事も持ちながらブログを書き続けていらっしゃる方々も多いのですが(私も今までそうでしたが)、以上のような事情で、ここでひとまず区切りをつけることにしました。新たな日記はもう書きませんが、このサイトは暫く残しておきます。自分が昔書いたことで自分自身に役立つ内容もありますから、そのバックアップをこれから取ろうかと思っています。@@@@@@@@@@これで楽天を去るという訳ではありませんから、楽天でブログを開かれている方々のところには「鐘誇猛」のアクセス記録が時々残るかと思います。折角お知り合いになれたので、時間が許せばコメントも時々残したいと思います。皆様、どうもありがとうございました。鐘誇猛
Aug 24, 2005
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赤いジェンドロン橋のたもとで そよ風も立たぬ日 蜂にとってものどかな日 あまりに日常的であることが のどかであること もしや嵐の前の静けさか
Aug 23, 2005
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カナダは建国の経緯やその後の歴史もあって、日本のような中央一極型社会ではない。東京が麻痺すれば日本全体に甚大な影響を及ぼすが、オタワが麻痺してもカナダが倒れることは考えにくい。中央が弱いということは、権威も弱いように思える。政府とか当局とかは存在するが、そこから抑圧的なものはあまり出てこないし、国民もそこにあまり権威を感じない。権威は不思議だとつくづく思う。多くの社会で政府の権威は失墜し、親の権威も失墜している。そして、カナダのマスコミも権威を喪失しつつあるように見える。カナダのように雑多な社会が集まる国では、指導者は国のアイデンティティーを確立し、保持することに腐心する。カナダにとっては、米国と違うことが重要だ。それでもカナダには怒濤のように米国文化が押し寄せてきた。カナダ人曰く「米国のニュース、TV番組、雑誌、音楽からカナダを守らないといけない。」ちょっと待て。気持ちは分かるが、できるのか。カナダには全国放送が2局、全国紙も2紙しかない。特派員は大幅に削られて、殆どいない。外国のニュースはもっぱらAPやロイターといった外国通信社などから得ている。米国から自立したマスコミであるためには、自前で取る情報がもう少しあって良いし、そういう努力も必要ではないか。不満だけで、行動は逆という感を免れない。カナダの国際ニュースに権威はない。地方紙が載せるニュースは、基本的にそのコミュニティーが関心を抱くものが中心になる。だから、国際面の比重は更に小さくなる。だが、地元のニュースは自前で取材できる。地方紙の方が健全かも知れない。ここまで打ってはたと気付いたが、全国紙だ、地方紙だの言うのは、東京に住んでいたからかも知れない。私の郷里、新潟県では新潟日報が圧倒的に読まれていて、全国紙の購読者は3分の1以下。こうなると、何が全国紙だ、ということになる。本当に全国をカバーしているのは、NHKなどの主要TV局なのだと改めて思った。なんだかとっても締まりがない。
Aug 22, 2005
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紫は高貴な色 だった 今は?この花は日本にもある筈ですが、どなたか名前をご存じですか。割合平凡な名前だったと思うのですが。
Aug 22, 2005
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外国の食料品コーナーが面白いのは、日本にないものが多いからだ。イタリアではスーパーより市場の方が、見応えも活気も新鮮さもあった。昔は首をひねってそのままの鶏が針金に吊り下げられ、家庭で羽をむしられるのを待っていた。豚の頭がボンとケースの上に乗っていれば、閉じられた目が開きはしないかと凝視したりもした。野菜は、畑から無造作に持ってきて並べてあるだけだった。形も大きさも不揃いだが、なぜか旨そうに見える。調理を要しない野菜は、土を良く洗って生でかじるのが一番だった。日本のピーマンより何倍も大きくカラフルな肉厚ピーマンを見て驚き、鎧に包まれたような朝鮮アザミをどうやって食べるのかと想像を巡らした。他にも名も知らぬ食べ物や調味料がわんさとあったが、外国生活で文化の違いを肌で感じるのは、まずこういう時だろう。イタリアは基本的にエスニック料理が流行らない。故に、市場で売られる食料品や調味料の範囲が限られる。カナダは移民国家だから、世界中の野菜や調味料が手に入りそうだ。つらつら書きたいが、深入りすると日記が終わらない。昨日家内とスーパーにいた時、食用油のコーナーで一つ気付いたことがある。日本ではサラダ油や天ぷら油という風に用途別の油がある。ここではコーン油、カノーラ油、ピーナッツ油など、飽くまで原料別で分けられている。カノーラは菜種の一種で、カナダの十八番(おはこ)だ。日本にも大量に輸出され、カノーラ油はサラダ油にブレンドされている。不飽和脂肪酸の割合が多いので、悪玉コレステロールを下げてくれるそうだ。また、分子構造が安定しているので酸化しにくく、天ぷらなどの揚げ物用にも向いている。ゴマ油のように重くないので、ヘルシー志向の現代人におあつらえ向きと言えよう。日本において、形と大きさを粒揃えにし、見た目も美しくし、何かとブレンドしてしまうのは、そうした方が売れるからなのだろう。だが、人間には不自然なものより自然なものを求める欲求があるのではなかろうか。もしそうでなくなったとしたら、人間は自然から不自然に大きく傾斜したことになる。
Aug 21, 2005
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すこし小さな ひまわり 中心が黒い だから Dark-Eye Sunlfower 和名は知らず庭にたくさん咲いている
Aug 21, 2005
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平々凡々の一日でも、何かしら発見はある。今日は家内とロブローズに食料の買い出しに出かけた。ロブローズはカナダで食品流通業の最大手なのだが、私たちにとっては毎週足を運ぶ単なるスーパーに過ぎない。身近な存在ほど何も知らなかったりする。そこで、少し調べてみた。店名は、創業者の一人の苗字から来ている。1919年にトロントでロブロー氏とその相棒が食料品店を開店したのが始まりだそうだ。さて、なぜこの店がその後大成長を遂げたのか。日本の八百屋さんを思い浮かべれば分かると思うが、小さな店では店員と客の距離が非常に近い。客が「トマト1篭、ニンジン10本」と言えば、店の主人が取って紙袋に入れてくれる。当時のカナダでもそうだった。ところが、ロブロー氏はセルフサービス方式を採った。多種大量の売り物を並べて、客は自分で買いたい物を好きなだけ取ってレジに運ぶ。店員はそこで初めて登場する。今なら普通の光景だが、当時は画期的だった。こういうのをコロンブスの卵と言うのだろう。瞬く間にチェーン店ができ、全国に展開した。コロンブスの卵は一つではない。1978年にNO NAME private labelという、日本で言えば無印良品そのものを導入して、これまた大成功を収める。日本で無印良品がデビューしたのは1980年。無印良品は西友のオリジナルとしても、コンセプトはロブローズに先を越されていた訳だ。へぇ~。「大きいことはいいことだ~」と山本直純さんが昔歌っていたが、ロブローズの広さも魅力。北米は一般にスーパーの広さが日本と違う。売り場が広いと、別の階に移動しなくても、大量の商品を一度に見て回れる。幾重にも連なる陳列棚をジグザグに進む間に、買い物かごは一杯になる。客がつい余計な買い物をするようにできている。今日もやられた。財布もスーパーのようになるといい。
Aug 20, 2005
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なぜだろう 同じ株から 複数の違う色の花 赤と黄色黄色はすべて赤に変わる このブログのトップページは 青と赤青から赤に出世する花びら 不思議なりポインセチアは 緑から赤に出世する葉 これまた不思議なり
Aug 20, 2005
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昔、「布団」は「蒲団」だった。そう。蒲=がま。蒲の葉は編み物に向いている。簾やゴザにもなる。丸い形に編んで詰め物をしたクッションが、本来の蒲団だ。中には蒲の穂綿も詰められていただろう。その後四角い蒲団ができて、時代が下ると、寝具も蒲団と呼ばれるようになる。そのうち蒲のイメージが薄れて、漢字が布団に変身してしまった。元祖「蒲団」は「座布団」に呼び名を変えた。まだ昔を辿れるから良いが、時の流れにルーツが埋もれる典型的な例の一つと言えよう。@@@@@@@@@@@@「蒲焼き」にも蒲がいる。これも蒲鉾と同じで、昔からウナギを開いて蒸してタレを付けて食べていたのではない。イタリアでは今でも、ウナギはぶつ切りにして料理する。その方が手間がかからず簡単だからだろう。日本も昔はそうだった。ぶつ切りにして串に刺したら、蒲の穂そっくりになる。それで蒲焼き。今は形が違っても、「蒲団」と違って、昔の呼び名がそのまま残った。余談だが、イタリアのウナギ料理は脂っこくて、決して美味しいとは言えない。日本の蒲焼きは絶品だ。@@@@@@@@@@@@蒲鉾はご存じの通り、魚のすり身を固めたものだが、昔から板の上に半円筒形に乗っていたのではない。すり身を適当に固めたら、串刺しにするか、管に巻き付けて火にかざすのが最も簡単であり、実際にそうだったようだ。その形は蒲の穂にそっくりだったので、当初は本当に「蒲の穂」と呼ばれていた由である。そして、がまの穂は鉾に似ているので、蒲(がま)と鉾(ほこ)がくっついて「がまほこ」、転じて「かまぼこ」となったそうだ。蒲鉾も昔の名前が残っているが、今の蒲鉾類は種類が多い。おでんの中は、蒲鉾のオンパレードだ。「竹輪(ちくわ)」に「つみれ」に「はんぺん」。「さつま揚げ」も入れることがある。「ごぼう天」だってある。おせち料理には普通の蒲鉾に、「伊達巻き」も欠かせない。ラーメンには「なると巻」。サラダには「カニかま」か。地方色が豊かなものには、宮城の「笹かまぼこ」、和歌山の「なんば焼」などなど。おっと、何の話をしていたんだっけ。
Aug 19, 2005
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がまの穂綿にどのような使い道があって、なぜ商売に結びつくのか質問があったので、ここでお答えしようと思う。がまの穂綿は、ソーセージのような形をした濃い茶色の部分が成熟すると出てくる。このソーセージは実は雌花。ただ、花びらはなく、めしべ(柱頭)と沢山の白い繊維のセットが無数にひしめき合って、全体としてソーセージの形になっている。最初は白い繊維より柱頭の方が長い。柱頭の先っぽが濃い茶色になる訳だ。ところが、白い繊維はどんどん伸びる。そのうちソーセージの外側まで出てくる。終いにはソーセージが白い繊維に隠れてしまう。穂綿の正体は、この白い繊維。1本1本は細い。集めるとふわふわする。細いということは、火がつき易い。だから昔は、火口(ほぐち)として使われた。火種が火口に落ちれば着火材になる。ふわふわするということは、詰め物になる。昔の人々は、がまの真綿を敷物に詰めたり、寒い季節用の服に詰めたりしたらしい。どの程度保温効果があるのかは、自分で試さないと分からない。さて、そういう「がまの穂綿」を今や日常的に使うことは考えられないが、サバイバル用の知識としては役立つだろう。研究すれば、別の需要が出ないとも限らない。これでは商売にならない?がまの黄色い花粉を日干しにすると、消化、利尿、鎮痛、止血、増血の効き目がある漢方薬になる。蒲黄(ほおう・ほこう)と呼ばれ、昔懐かしの「因幡の白兎」でワニザメに毛をむしり取られた白兎は、蒲黄のお陰で傷が治った。日本でも古くから傷薬として知られていたに違いない。それでも商売にならない?あとは皆さんの工夫次第ということで。
Aug 18, 2005
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きょうは どでん と大きな写真1枚 がまの穂 先週末 迷路を楽しんだ合間に撮影カナダ全体で いったい何百億本生えているだろう 穂綿を全部集めれば いい商売になるなんて今どき誰も考えまい
Aug 18, 2005
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日本語の起源は諸説紛々だが、様々なことばが混じり合ったことは間違いない。文法は抜きにして単語だけ見ると、「やまとことば」、漢語、漢語以外の外来語、それらが混ざった混種語の4つに分けられる。杏林大学に金田一秀穂さんという先生がいる。金田一という苗字からは金田一京助、金田一春彦がすぐに思い浮かぶが、それぞれ秀穂さんの祖父と父にあたる。その秀穂先生が「遠近(をちこち)」という雑誌の6月号に書いた文章を読んでいたら、国立国語研究所のおもしろい調査結果が目を惹いた。1951年に発行された90種類の雑誌1年分を表紙から裏表紙まで隈無く調べて、よく使われる単語を頻度順に並べてランキングを作ったものだ。全てが手作業の当時だから、忍耐力が限界まで試されるような作業だったろう。結果は、「やまとことば」の使用が圧倒的に多いと出た。 1位 する(和語) 2位 いる(和語) 3位 いう(和語) 4位 一(漢語) 5位 こと(和語) 6位 なる(和語) 7位 (ら)れる(和語) 8位 二(漢語) 9位 ある(和語)10位 その(和語)なるほど、と納得する。ちなみに、漢語以外の外来語で1位の「センチ」は総合101位、混種語で1位の「彼女」は総合97位とされている。50年以上も前の調査故に、特に外来語では大きく順序が入れ替わっていると思うが、金田一先生は「まあ、そんなに今と違っているとは思えない」と意に介していない。試しに自分のブログでも調査してみるか。中国から漢字が導入されるとともに、大量の漢語も日本に入ってきた。今なら、英語などの横文字単語が非常に多くなってきている。それでも、「やまとことば」が今も私たちのお気に入りであれば、多少安心しないでもない。役所言葉は早くから漢語に浸食されてきた。何やら「カクカク」して威圧的な漢語よりも、「さらさら」として柔らかい「やまとことば」の方が私は好きだ。今や日本語に根付いてしまった漢語なしでは、会話も通じない。「やまとことば」で言えるのなら、できるだけそうしたいものである。
Aug 17, 2005
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週末にフィリップ湖の畔を散策していたら 木の幹に大きな穴 キツツキではなさそうだから リスかいなと思案していると こんな木が 脳みそみたいな このきのこをこそげ取ったら 大きな穴が空くのだろうかますます分からん
Aug 17, 2005
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社会の風潮は、ある方向にぶれると、程度の違いはあれ、その後必ず揺り戻しがある。現在の風潮はどんなものかと思いを巡らしていたら、今年2月の「社会意識に関する世論調査」結果が内閣府から発表されていた。そして、意外なことに気付いた。日本全体が豊かになり個人の生活を楽しむゆとりにも恵まれれば、個人志向が社会志向を凌駕して不思議はない。実際、昭和47年、61年、62年には、「個人生活の充実をもっと重視すべきだ」という意見が、「国や社会のことにもっと目を向けるべきだ」という意見を上回っていた。ところが、昭和63年以降は社会志向派の方が断然多い。今年は社会志向派が45.7%、個人志向派が31.5%で、15%近くも開きがある。社会志向派は、小さな市町村より大都市や中都市で多いようだ。社会への貢献意識はどうだろう。「日頃、社会の一員として、何か社会のために役立ちたいと思っている」人は59.1%いるが、「あまり考えていない」人は36.7%とある。昭和60年を境にして社会貢献派は一貫して優勢で、平成3年以降、両派の乖離幅はほぼ安定している。他にも、「個人の利益」重視派と「国民全体の利益」重視派の比較、日本の明るいイメージと暗いイメージについでなど、おもしろい調査もある。コップに水が半分入っていたら、「半分もある」と見る人もいれば、「半分しかない」と見る人もいる。社会意識調査も同じことが言えるが、しかしなかなか日本も捨てたものではないではないか。@@@@@@@ところで、世の中にアンケート調査はたくさんあるが、国勢調査は別にして、私は95年にパソコンを買った際に売り場で聞かれた以外に、この種の調査を受けた経験がない。大体そんなものなのか、それとも自分は無作為に抽出されない人間なのか。などと思いを巡らせてみたものの、海外に住んでいたらアンケート調査を受ける訳もないことに気付いた。なんて間抜けな話。
Aug 16, 2005
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昨日の日記で書いたジェンドロン橋 「マディソン郡の橋」もどきの橋 良く見れば 両端に観音開きの扉がある扉を閉めないと 夜に誰かが住み着くのか 川の上のすきま風では 風邪を引くだろうに
Aug 16, 2005
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オタワ川を挟んでオタワの対岸にあるガティノーから、カナダでも珍しい蒸気機関車が走っている。専ら観光・娯楽向けなのだが、何やら懐かしい。片道64kmを1時間半揺られると、ガティノー川の畔にあるウェイクフィールドに着く。PKOの生みの親でノーベル平和賞を受賞したピアソン元外相(元首相)がここで生まれ、ここで眠っている。あたかも蒸気機関車に乗ったかのような書き出しだが、今日は車で移動した。巨大な(ガザ地区や伊豆市と同じ363平方キロ)ガティノー公園の中に、フィリップ湖という湖がある。そこでペダルボート1時間、カヌー1時間という静かながらハードな楽しみを味わった後で、帰宅途次にウェイクフィールドに立ち寄った。ウェイクフィールドは終着駅だ。だから、機関車の方向転換用ターンテーブルがある。実際にそれが使われるところを子供達に見せたかったが、蒸気機関車は8月には1日1往復しか運行しておらず、残念ながら時間が合わなかった。蒸気機関車というと、どうしてもノスタルジックな想いに駆られる。子供の頃何度も乗ったが、トンネルの中で窓を開け放して顔を真っ黒にしたものだ。思えば肺も真っ黒になっただろうが、当時は誰も気にしなかった。煙は毎日父が口から吐いていたし、隣にあったクリーニング屋の煙突からも黒煙が棚引いていた。のどかな時代だったことは間違いない。この町には、赤い橋がかかっている。ジェンドロン橋。クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが演じた「マディソン郡の橋」を彷彿とさせるので、初めて来たような気がしない。車で通れない木造の橋を歩いて渡り、下を蕩々と流れる川まで降りてみた。川面にきらめく陽光に目がくらんだその瞬間、ザボンという音。すわ、息子が橋から落ちたかと思いきや、地元の男の子が8mの飛び込みをしたのだった。そして、その子は30mほど泳いで、川辺にある古い一枚岩の上で甲羅干しになった。橋を戻る際、運動靴と洋服が橋のど真ん中に残されていた。これが本当に脱ぎ捨てられたという感じで、何とも滑稽なのだが、同時に羨ましくもあった。今も日本の田舎では同じ風景があるのだろうか。
Aug 15, 2005
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ファインダーを向けると 途端に逃げる 向けないと 近くにいても逃げない 唯一取れた写真がこれ そんなにカメラを意識するのは化粧をしていないからか? 肖像権なんて言わないでくれ
Aug 15, 2005
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カナダのように一見平和な国でも、建国以来、南アフリカで勃発したボーア戦争(1899-1902)に8千人超の義勇兵を派遣したのを手始めに、第一次、第二次大戦でも大量の兵士を国外派遣してきた。第一次大戦では死者・行方不明者6万人超、負傷者17万人超、第二次大戦は死者・行方不明者2万3千人、負傷者約5万4千人。第二次大戦ではドイツのUボートがカナダ東岸沖で商船を100隻ほど沈めたとは言え、両大戦ともカナダは本土に攻撃を受けていない。つまり、20世紀のカナダは常に大英帝国やフランスといった、大半の国民とその先祖にとっての祖国を助けるために参戦し、多くの犠牲を払ってきた。だからこそカナダ軍は専らヨーロッパ戦線に送られ、太平洋戦線に送られた兵士はカナダ国内でさえ忘れられがちである。1941年、大英帝国の要請を受け、訓練も行き届かない1975人の若者が香港に派兵された。単なる抑止力としての効果が期待されていたのだが、果たして日本軍の攻撃を受け、完敗を喫する。290人死亡、493人負傷。残りは全員捕虜になり、厳しい処遇を受けたとされる。実際、260人は虐待や病気などにより収容先で死亡したそうだ。生き残った元捕虜のフランケンさんは、2年前にドキュメンタリー映画を作ってもらった。Tea at the Embassyというタイトルで、既に何度か全国テレビで放映されている。今年も8月上旬に二度放映された。毎年12月7日(=真珠湾攻撃の日)になると、フランケンさんはオタワにある日本大使館前で支援者数人と平穏なデモを行う。日本政府から謝罪の言葉を得たくて、毎年大使宛の手紙をしたためる。数年前から、大使館の中に通され、お茶が出されるようになったらしい。フランケンさんは謝罪の言葉を聞くまでは毎年デモを続けるだろうが、お茶出しを日本政府の好意の証として善意に受け取っている。と、こんな内容だ。決して粗暴な言動を取ることなく、静かに抗議を続ける様には心を打たれる。フランケンさんは今や、自分のためもあるが、それよりも亡くなっていった同士のために毎年同じ営みを続けているに違いないと思うのだった。
Aug 14, 2005
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昨日の日記で照会した迷路のひとつ 蚊取り線香のようで 歩いている間に目が回る 一本道だから迷うことはない真っ直ぐ回れ~
Aug 14, 2005
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我が家から南西に車を40分ほど走らせたところに、マンスターという小さな町がある。そこでは北米最大という触れ込みの生け垣迷路群を擁するソーンダーズ農場が、多くの家族連れを引き寄せている。秋の収穫時には、子供達におどろおどろしい楽しみを与えるアトラクションが用意されるらしい。夏の今は、ちょっとした水浴び施設から、黄色い声が聞こえてくる。生け垣迷路は世界中にあり、日本でも珍しくないが、実は今日、人生で初めて楽しんだ。全部で10個ある迷路のスタンプラリーで、一番複雑なのは「15分~1時間かかる」と入口に書かれている。果たして、45分は費やした。迷路を意味する英語にはmazeとlabyrinthの2つがある。かつて英語の授業で習ったのは、より難しいlabyrinthだ。「迷宮」という訳が通っているが、迷路でもある。古代ギリシャの神話には、こうある。知っている方も多いであろう。クレタ島のミノス王は、ポセイドンとの約束を破り生け贄を捧げなかった罰を受け、半人半牛の子ミノタウロスが生まれた。ミノタウロスは成長すると凶暴になったので、ミノス王により迷宮クノッソス宮殿に閉じこめられる。一方、クレタはアテナイに戦勝し、アテナイから9年毎に7人の少年と7人の少女をミノタウロスへの生け贄として送らせた。アテナイの王子テセウスは自らミノタウロス退治をするため、クレタ島に渡る。ミノス王の娘アリアドネはテセウスに恋をし、彼が怪物を退治し、迷宮から脱出できるよう、魔法の剣と糸玉を与える。テセウスはミノタウロスを退治し、迷宮に閉じこめられていたアテナイの若者たちと一緒に無事脱出する。ところで、mazeとlabyrinthは通常ほぼ同義で使われているが、厳密には違うと農場のしおりに記されていた。途中で道が枝分かれしない、くねくね一本道なのがlabyrinthで、枝分かれや袋小路が用意されているのがmazeだ。クノッソス宮殿は道が複雑すぎて、一度入ったら誰も出られない。そうであれば、これはmazeであって、labyrinthではない。しかし、クノッソス宮殿はlabyrinthの代名詞のようなもの。間違いはどこから始まったのか。社会も人生もmazeだ。枝分かれもあれば、袋小路もあって逆戻りもする。ただ、人に作られた迷路を迷いながら進むより、自分で迷路を作った方が余程おもしろい。のではなかろうか。
Aug 13, 2005
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写真だけ見たら 何の木やらさっぱり分からぬ 木の皮が主人公の写真 なんて撮るのは奇人変人?種を明かせば、メープルの木の皮 我が家のは、なぜかやけに苔が生える 日本人が住んでいるからか そんなわけないか
Aug 13, 2005
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昼前は自動車小売店と銀行で時間もお金も無駄にしてしまったが、午後は小澤征良著「おわらない夏」、映画「マダガスカル」、同じく「ハウルの動く城」を収穫。午前と違って非常に得をした気分だ。「おわらない夏」は、若くみずみずしい感性で自らの子供時代を描いたエッセイだ。だから、著者の父・小澤征爾の裏話を期待したり、何か深い意味を探ろうとしたりする読者には向いていまい。Amazon.comでも賛否両論が入り乱れている。中には酷評もあるが、公の場であれほど平気で酷評するのは如何なものかと思う。まっさらな気持ちで読んだ私には、実に小気味いい文章だった。独善的な批評はしたくないので、単に「私の感性に合った作品だし、得るものもあった。」と言うに留めたい。留めたいのだが、止まらない。日本の社会で「どうかな」と訝しく思うものの一つに、外国に比べてやけに冷めた人間が多いことがある。日本国民の大半は礼儀正しく、思い遣りがあり、感受性もあると信じているが、氷のように冷たく、感情の起伏がなく、極度に自己中心的な人も残念ながら増えてきている。そういう人たちにとっては、「おわらない夏」こそ最も唾棄すべき作品に違いない。およそ感性のない人には理解できないエッセイであり、それを読むことは自分の人生にとっては時間の無駄であり、単なる苦痛でしかないと思うだろう。そしてそれを公言することもあろう。今までの自分にはなかったものがあれば、それを頑なに拒否するのではなく、進んで受け入れるくらいの柔軟性があれば良いのにと思うのだが、違うだろうか。人生で楽しいことはいくつもあるが、その一つに、自分にないものに出逢うということを挙げたい。違いを楽しむ。違うものに触れ、心を動かし、そして自分も人と違うことを考え、行動する。違いを楽しむ人生は、考えるだけでもおもしろく、わくわくするではないか。これは、毎日を同じように過ごすな、ということでは必ずしもない。同じことの繰り返しで、もっと深い何かを見出すこともできるから。繰り返しの中にも、いままでと違う何かと出逢えるから。「おわらない夏」を読んで、感性なり感受性は常に磨いておきたいものだ、と意を改たにした次第である。
Aug 12, 2005
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裏庭で目立たないところに咲く それはそれは小さな花 白いから見つかったなるほど。一つでも何か光るものがあればいいんだな。
Aug 12, 2005
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今日は、我が家から50kmほど南に下ったメリックヴィルという小さな町を訪れた。道すがら、気の早いメープルが紅葉を始めたのに気付き、秋はもうそこまで来ていることを窺わせる。この辺の町は、手工芸品がおもしろい。そういう店が実に多いのが特徴とも言える。まず、店の匂い。日本のデパートにも独特の臭いがあるが、ああいう人工的なものではない。フルーツやハーブといった自然の香りで、店内にいるだけでアロマセラピーを受けているようでもある。香りが強すぎて、息が苦しくなる店もあったが、慣れの問題だろう。香り付きの売り物は日本でもお馴染みの石鹸や蝋燭などが中心だが、そのデザインや色の素朴さがいやに新鮮に映る。量り売りになっていたミックスドライフルーツは、買った人が後で自由に用途を考える。それを想像するのも楽しい。驚いたのは、その香りが「仏壇の香り」或いは「仏教の臭い」だったことだ。お線香は椨(たぶ)の木の皮が主原料だが、フルーツも混じっているのだろうか。水彩画のアトリエは、父の実家の臭いと同じだった。新潟県長岡市のはずれにある農家だが、見た目にはアトリエと共通するものは何もない。木や埃なのか。匂いの源は分からずじまいだった。そこは小さな田舎町なので、売り物も自然を感じさせる。プラスチックは脇役となり、木や草が我が物顔だ。なぜか目立った甲冑を覗けば、金属にも暖かみがある。東洋的な趣味がしっくり馴染む、品の良いお店もあった。幸か不幸か、デジカメを取り出したら、バッテリー切れだった。9月にStudio Tour が予定されている。手工芸品の店を巡るツアーだが、この種のツアーはこの周辺の地域でいろいろと組まれているので、その時にまた来いということだろう。飛行機で一気に遠出するのもいいが、身近な町巡りで心を癒すのも乙なものだ。家内は興奮の連続だったが、子供達も楽しんだようで、いい一日だった。
Aug 11, 2005
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名前を忘れてしまったが きちんと名前のある花 白いベロのよう これで「画像倉庫」が100枚で満タンになった。暫くは「画像オプション」でしのげるが、いつかこれも満タンになる。折角登録した写真を古いものから消していくと、古い日記から順番に写真が消えてしまうので、将来どうしたものか思案中。
Aug 11, 2005
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伝家の宝刀を躊躇なく抜いた小泉さんは、郵政反対派に刺客を送り込んだ。反対派が何人斬られるか分からないが、下手な見方をすれば、ロシアにおける反対派粛正を彷彿とさせる。さすがは小泉さん。あなたしかできない、こんなこと。巷間投票日と囁かれているのが9月11日と聞いて、ぎょっとしたのは私だけではないと思う。別に日本でその日にテロが起きるとは心配していないが、9・11に染みついたテロ事件の記憶は、早々褪せるものではない。変な輩が変ないやがらせ事件を起こさないことを祈る。投票が行われるのは日本国内ではない。私もこれで何回目かの在外投票ができる。日本にいた時は、家の隣にある幼稚園が投票所だった。行けば必ず他に沢山の有権者がいて、短いながら列になっていた。出入り口は開放され、外気も外の音も投票所内に入ってくる。子供を連れてくる人も多いから、風船なんかも用意されている。何とものどかだった。日本人が大勢住んでいる海外の都市でも、これと同じ風景なのかも知れない。しかし、ここオタワでは違う。最近実施された参議院選挙の時、投票は大使館の講堂で行った。オタワ周辺に住んでいる日本人は千人もおらず、有権者は更に少ない。投票する人は本当に少ない。すると何が起きるか。投票所では、大使館の人が1人と立会人が1人、それに自分だけだった。投票用紙を受け取って、それを書き込むボックスに行く。狭くはないが閉ざされた空間で、耳に入るのは自分の衣擦れの音と鉛筆で書くときの音、電気の音、それに換気の音。要するに、自分の音と設備の音だけだ。自分が音を立てなければ、設備の音だけになる。そういう経験は滅多にない。滅多にないから、前の記憶を良く覚えている。今日は書かないが。そういう静かな環境にいると、実は投票のこと以外を考えたりもしてしまう。他に誰も投票者はいないから、少しぐらいゆっくりしていても構わないだろう。それにしても、1日に数人しか来ない投票所でひたすら有権者の来訪を待っている方達は、さぞかし大変だろうと思う。ずっと居座っておしゃべりの相手をしてもいいのだが、迷惑だろうから控えている。いや、正直言うと、私は無口だから、おしゃべりが続かないかも知れない。いや、やっぱり逆か。まあいいや。
Aug 10, 2005
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ついこの間まで 堅い緑の実だったのに ふと気がつけば もうオレンジ色 真っ赤になるのは 時間の問題だそろそろ落ちてくる葉っぱの数が増えてきた。
Aug 10, 2005
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(3日前の続き)いくらトヨタでも、世界中で遍く強い訳ではない。実際、ロシア、中国、メキシコでは出遅れ感がある。出遅れというのは、ホンダや日産に対しての場合もあれば、米国やドイツなどの自動車産業に比べての場合もある。トヨタは、ロシアと中国がWTO(世界貿易機関)と実質的な交渉を終えた後に、両国に本格的に投資を始めた。中国への本格的な進出は01年頃からだし、ロシアでの工場建設開始は今年に入ってからだ。リスクが大きいうちは、時を待った方がいいということだったのだろうが、今や特に中国で猛追しているようだ。メキシコは少し事情が違う。日本はメキシコにとって43番目の自由貿易協定(FTA)相手国だ。つまり、今年4月に日本=メキシコFTAが発効する前、日本企業は欧米諸国に比べてメキシコで圧倒的に不利な闘いを強いられていた。FTAが発効したからには、日本企業もどんどん進出してくることになる。トヨタも然りだ。カナダと米国とメキシコの三国は、NAFTA(ナフタ)と呼ばれる北米自由貿易協定を結んでいて、貿易に関する制度が次第に均質になりつつある。米国南部とメキシコの間で制度や労働者の質がそれほど変わらなくなってきているのであれば、労賃の安いメキシコの方が魅力的だ。トヨタにとっては、先にメキシコに進出した日産を抑撃する上でも、メキシコに投資する方が都合がよい。今回、カナダのオンタリオ州と争奪戦を繰り広げたのは、米国南部の各州だった。米国南部に投資するならメキシコの方が魅力的ということなら、オンタリオに軍配が挙がっても不思議はない。トヨタくらいになると、北米に投資するには経済的な要因に加え、政治的リスクまで検討しないといけない。米国政府は貿易赤字が巨額になれば、必ず叩きに来る。米国から制裁を受けないように、トヨタとしてはできるだけ現地生産を増やしたいという思惑もあろう。他にも、企業の総合ビジョンなども論じないと、本来はトヨタの選択を包括的に把握することにはならないのだが、ここは論文発表の場ではないので、この辺で。しかし、トヨタというのは本当にデカイ会社だ。
Aug 9, 2005
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窓から差し込む光には もしかしたら七色あるのかも知れない それ! 緑の光は目覚めの光
Aug 9, 2005
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今日は「ですます」モードです。Lois Lucca さんから調味料バトンを受け取りました。いろんなバトンが出回っていて、自分に回ってきたらお断りしようと思っていたのですが、自分から先に広げなければそれで終わりなので、シリーズ中断2日目となり恐縮ですが、今は夏休みですし。【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? (薬味は含みません)●目玉焼き・・・えっ、何かかけないといけないのですか?コンタクトレンズでもはめますか。●納豆・・・醤油かタレ。カラシもよし。時々ネギ。本当においしい水戸納豆なら、何もかけなくてもいいです。甘納豆には何もいりません。●冷奴・・・最近は鰹節、ネギ、生姜、醤油ですかね。でも、おいしい豆腐なら、何もかけないのが一番です。そのままつるっと。頭じゃないよ。●餃子・・・醤油2、酢2、ラー油1の辛い奴。水餃子より焼き餃子。焼き餃子より蒸し餃子がいいです。←聞かれていない。●カレ-ライス・・・ライスにカレーをかけているのに、何も屋上屋を重ねなくても。トンカツ。という答えは反則か。●ナポリタンとピザ・・・必要に応じて胡椒を少々。●生キャベツ・・・薄口醤油、カラシ付き。ケチャップはやめて欲しい。おっと、棒々鶏の方がおいしいです。← 意味不明。●トマト・・・イタリアのおいしいトマトなら絶対そのまま。日本のトマトは栄養不良が多くて残念。食指が動きません。←贅沢を言うな!●サラダ・・・ニンニクびたびたオリーブオイル。翌日体臭が変わるのが難点。●カキフライ・・・レモン汁とソ-ス。これ以外の選択肢なし。●メンチカツとコロッケ・・・何もいりません。十分味はついています。蟹クリームコロッケを食べたいのですが、これも聞かれていないようです。●てんぷら・・・天つゆ、その倍の大根おろし。大根おろしを食べているのか、てんぷらを食べているのか分からないくらいの大根おろし。古い大根なら、天つゆだけでいいです。●とんかつ・・・つまらないのですが、ソ-スとカラシだけです。トンカツソースはブルドッグ。とんかつの衣は、口の中を切らない程度の硬さで。学生時代、随分口から血を流しました。血のソースなんか嫌です。●ごはん・・・田麩(でんぶ)、えどむらさき、袋から出した生のたらこを酒に浸したもの(くうぅ~、いけるねぇ)、すじこ、のりたま、などなど。何もなくても構いませんが。【Q2】周囲に意外だと驚かれる好きな組み合わせはありますか?子供のころは、山崎パンの食パンにキューピー・マヨネーズを塗るのが定番でしたが、今はやっていません。梅納豆は意外ではないでしょうね。梅干しの果肉と納豆。【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?贅沢は敵! 人間はそもそも雑食ですぞ。【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか?最初に書いたとおり、私で終わりです。お家断絶。(あとがき)明日はシリーズ復活しますので。
Aug 8, 2005
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ひまわりなら 太陽が燦々と輝く青空の下で 明るく写真に撮るのがいい なんて誰が決めた?(お詫び)眠いので、皆様の日記には明日伺います。明日というのは今日ですが。
Aug 8, 2005
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シリーズ掲載中ではあるが、戦後60周年がこれだけ報道されていると、忘れないうちに記録に残した方がよさそうだ。ここ数日、カナダでも戦後60周年関連の報道が目立つ。8月6日には、広島平和記念式典の模様を始めとした、その日のニュースが終日テレビで放映されていた。7日には新聞が賑わっていた。BBCが(確か昨年だったかに)制作した「ヒロシマ:世界を揺るがした日々」(私の勝手な直訳)も何回か放映されたが、何も知らない外国人が見たら、少なくとも日本に敵意を抱くことはまず考えられない。ひとまず安心。目が痛くなるまで新聞を読んだが、原爆被害の悲惨さ、平和と核兵器廃絶への願いといったものが、ここ数日の報道で中心を成している。勿論、「戦争の早期終結に原爆は不可欠だった」というような、当時、米国が採った選択を正当化する声は消えない。また、「真珠湾攻撃さえなければ、原爆投下もなかった」という主張もなくならない。それはそうだと思う。8月3日、カナダの全国紙で見た投書欄には、「自業自得よ」という投稿もあったが、こういう心ない輩の言動は気にする必要もないだろう。それよりも気になるのは、記憶の風化だ。広島の生徒が「毎年この時期だけ平和を唱える」として、原爆記念日のあり方に疑問を呈する発言をしていたのも見た。しかし、年に1回の原爆記念日で思い出さなかったら、いつ思い出すのだ。何も知らないのは恐ろしい。日本人は忘れるのが比較的早いと言われる。それに対し中国では、対日戦勝60周年にタイミングを合わせ、その手の映画を何本か封切るそうだ。忘れやすいのは「日本の文化」などとは言わぬ方が良い。
Aug 7, 2005
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上から下まで淡い緑一色なのだが 果たして これから別の色が出てくるのか 楽しみなり。
Aug 7, 2005
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ありふれた鉢に ありふれた花 なんだろう おっと、クモの糸まで写ってしまった。 背景の赤は ゼラニウム。(翌日)家内から、これはマリーゴールドだと言われた。
Aug 6, 2005
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(昨日の続き)関税は、今でも国内産業を守るために力を発揮する。例えば、米国の自動車産業は、トヨタや日産に押されて苦しんでいる。そのうち、GM(ゼネラルモーターズ)とフォードは、トラックが主な収入になっている。米国としては、トラック部門は死守したい。実際、米国のトラックに対する関税は依然高い。しかし、待てよ。カナダと米国とメキシコは北米自由貿易協定を結んでいるから、カナダから米国に物を売っても無税になる筈だ。そうなら、トヨタもカナダでトラックを生産して、米国にじゃんじゃん売ってしまえば良い。が、そうは問屋が卸さない。無税になるのはカナダ産の物だけだ。カナダ産とは何か。カナダ工場で作ったトヨタ車はカナダ産か。実は、ある製品をカナダ産と認めるには、その部品の何%以上がカナダ製でないといけないという「原産地規則」がある。昨日書いた通り、カナダで生産されるトヨタ車の部品には、日本製のものが相当ある。中身の多くが日本製では、いくらカナダ工場で組み立てても、その車はカナダ産とは見なされない。しかしトヨタとしては、原産地規則を満たすために品質の優れた日本製部品を諦め、北米で部品を作るのには二の足を踏むだろう。日本車が品質の維持を軽視する訳にはいかない。と言って、多くの部品が日本製では、米国に高関税を支払わざるを得ない。そこまでして米国にトラックを売り込む旨味はない。ではどうするか。自動車と言っても、車種によって関税が違うので、関税が低い車種を売り込めば良い。こうしてトヨタは、トラック以外の低関税車種を生産することになった。実際、カナダ第2工場では、2008年からSUVの「RAV4」を年間10万台生産する予定だ。(続く)(あとがき)米国南部テキサスには、トヨタの第6北米工場が建設され、06年からピックアップトラックが生産されることになっている。また、第8北米工場を米国かメキシコに建設する方向で検討している。
Aug 6, 2005
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これは日本でもポピュラーなペチュニア だと思う もうちょっと創意工夫が必要だった。(翌日)家内から、これはゼラニウムだと言われた。
Aug 5, 2005
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7月29日の日記でトヨタが北米第7工場建設地をカナダに決めたことを紹介した。今日から何回かに分けて、もう少し突っ込んで背景を見てみたい。どんな会社でも、投資するなら自分に一番得になるところを選ぶ。労働者の質が高ければ、それだけ生産性が上がるから、労働者の質が高いところが良い。労使関係も良好なところが良い。ストライキが多発するところは敬遠される。とにかく安くあがるところが良い。賃金然り。税金然り。社会保障費然り。そりゃそうだ。言葉が通じやすいところが良い。できれば日本語。だめなら英語。それでもだめなら、日本人で使える人の多い言葉が良い。聞いたこともない言語しか通じなかったら、誰も投資しない。他にも何かと便宜を図ってくれるところが良い。とまあこんな具合に続くが、製造業なら原材料や部品が安く短時間に豊富に手に入るかどうかも重要な要素だろう。自動車は多種多様な部品を組み立ててできる。1車種につき2万点とも言われている。当然そうした部品を1社で作ることはできないから、自動車会社は部品製造を下請けに出す。一次下請工場でも作り切れないので、二次下請、三次下請と出していく。自動車製造業がピラミッド型であることが分かるという訳だ。カナダには、トヨタとホンダと日産の自動車組立工場があるが、いったいどこに下請を出しているか。基本的には一次下請工場はみな五大湖付近のミシガン州かオハイオ州に立地している。トヨタが新工場建設を決めたオンタリオ州は、国は違うがミシガン州やオハイオ州の隣だ。そして、これまた重要なことに、二次下請以下の鋳造・鍛造部品は日本から米国に輸出されている。例外はあるが、日本車の高い品質を支える技術は、実は二次下請企業以下が持っている。逆に見れば、部品下請工場がすぐ近くにあって、それも品質に信頼が置けるという事情(ついでに日系部品メーカーも儲かるという事情)も、トヨタがオンタリオ州を選んだ背景にあるのだろう。デトロイトがあるミシガン州とカナダの間の貿易額は、何と、「カナダとEU」+「カナダと中国」+「カナダと日本」の貿易総合計に匹敵している。こういう事情を考えると、自由に国境を行き来する牛ではないが、米加関係の緊密さに思いを致さずにはいられない。そういえば、各社ともできるだけ在庫を減らそうと努力しているためもあり、9・11テロ事件直後に物流が一時的に途絶えた結果、米国でもカナダでも部品の調達ができなくなって多くの工場がストップしたことは記憶に新しい。たかが部品と言うなかれ。(続く)
Aug 5, 2005
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普通の花なんだろうけれど 咲く前は、懐かしの「不二家パラソルチョコ」のようで 咲いた花は一杯に広がって「バンデル星人の手の先」のよう 分かる人 あんまりいないだろうな・・・ それにしても、パラソルチョコが徐々に開いていく様は 何とも不思議 うまいこと折りたたんであるものだと感心してしまう
Aug 4, 2005
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帝国ホテルの元料理長で、フランス料理の第一人者だった村上信夫さんが亡くなった。今日の新聞に出ていたが、亡くなったのは一昨日らしい。村上さんの下で働いていた洋食の料理人を知っているのだが、もう長いこと会っていない。村上さんの訃報で、ふと思い出した。「料理人に大事なことの一つは、自分の舌がきちんと塩加減を判断できるかどうかだ。」と良く言っていた。また、「塩味が適当かどうかは一品一品で測るのではなく、コース全体で判断しないといけない。そうでないと、全体として塩を摂りすぎることになる。」とも言っていた。事実、彼の料理は心持ち薄味なのだが、食事を終わってみると塩味が実に適量なのだ。反対に、適量を遙かに越した塩の消費をここカナダで見ることができる。料理のことではない。道路のことを言っている。カナダと言っても世界第二の広さだから、バンクーバー周辺のように寒くない地域もある。が、国土の大半は厳冬を毎年経験し、雪と氷に閉ざされる。ところが、その割に道路には雪も氷もない。大量に塩を撒くからだ。この広大な国土でいったい一冬にどれだけ塩をばらまいているのか見当も付かないが、幸いカナダは世界第5位の塩の大生産国で、国内で使い切れない。塩害は勿論ある。車にきちんとコーティングしたり、こまめに洗浄したりしないと、すぐに錆びてしまう。放っておくと穴すら空く。寒いのに穴なんか空いたら大変だ。しかし、「そんな現実的な話はどうも」という方には、インテリア照明にも塩が使われるというのはどうだろうか。カナダの塩は大部分が岩塩。いろいろなミネラルが混じっているので、色もいろいろだ。岩塩の固まりに窪みをつけて電球を入れてしまえば、即席ランプになる。マイナスイオンも出るので、健康にも良いらしい。買おうかな。
Aug 4, 2005
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真っ昼間から赤とんぼ 絶対ピンボケするという自信があった痛烈ショット なんとか掲載に堪えうる・・・か 赤いのやら 青いのやら いろいろ飛んでる 止まって何を考えているのやら ん? 保護色で隠れているつもり?「頭隠さず尻隠さず」
Aug 3, 2005
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(昨日の続き)くだんの日本画家の方は、二つ嘆いていた。海外で割と名の売れている芸術家は、得てして日本国内で無名だったり、評判が芳しくなかったりする。芸術家間の「嫉妬」という言葉で片づけるのは簡単だが、それだけでもなかろう。日本の伝統芸術はそのままでも外国で売れるのかも知れないが、より広範な支持を期待するのであれば、外国人の趣味に合わせた様式に変えないといけないのかも知れない。伝統を純粋な形で守りたい日本国内の芸術家にとって、外国人受けする作品は外国人に迎合する「紛い物」であり、日本の伝統文化を歪んだ形で外国に紹介するものと映るだろう。かたや、新しい要素を入れて外国で売れている芸術家に言わせれば、自分は日本文化と外国文化の融合を図って新しい芸術様式を創造しているのであって、日本文化に新風を吹き込み、これを高める真摯な試みを行っているということになるのではないか。この種の嘆きは、今まで何度も聞いたり読んだりしている。それも、分野は絵画に限らず、芸術・工芸一般に幅広く見られるし、学問の世界でも同様の現象が見られる。詰まるところ、新旧のせめぎ合いと相互の嫉妬ということだ。もう一つの嘆きは、日本の伝統芸術がこれだけ国外で高く評価されているのに、それを大学で教えていない、ということだった。後継者を養成する高等教育機関が少ない、という意味で言われたのだと思うが、日本画家などの需要と供給の関係を私は知らない。もし需要に比べて供給が著しく少ないのであれば、正当な嘆きだと思った。それにしても、こうして日記に書くと余計に興味が湧いてくる。書くことの意味を味わった5日間だった。
Aug 3, 2005
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名前も知らない花だからといって いぼいぼボールはないだろう ま、いいか 斜めから花びらに焦点を合わせたら こうなった↓ トップ自由欄に載せた花は記憶にあるだろうか。7月5日に紹介したのだが、どうも本当の花は花びらもどきの間からチョロチョロ出てきた小さな方らしい。おまけに何と、ピンクのと青いのと二種類ある。ところが、青い花は1日も経たないうちにピンクに変わる。不思議なり。(あとがき)いぼいぼボールは「コーンフラワー」であることが分かった。ふう~ん。
Aug 2, 2005
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(昨日の続き)円山応挙(1733~95)は北宋画の流れを汲む狩野派とは別の道を歩んだが、最初に本格的に絵を習ったのは狩野派の石田幽汀からであったし、大人になってからも狩野探幽(1602~74)の腕はすごいと認めている。割合、柔軟な考え方を貫いた人のようだ。さて、狩野探幽は、京都にある妙心寺の法堂(はっとう)に雲龍図を描いている。高さ13mの天井にある直径12mの円がキャンバスだ。1656年の作品というから、今から350年ほど前になる。円のほぼ中心に右目がある。どの角度から仰いでも見る人を睨んでいる「八方睨みの龍」だと言われている。何ともおどろおどろしいこの龍は、私のお気に入りである。禅寺の法堂の天井には、丸い雲龍図が描かれるのが常らしい。ヤンチャリカさんに教えて頂いた最近の例としては、「けんちん汁」発祥の禅寺、建長寺法堂の天井画がある。これは何とも現代的だ。まさに龍が宙にぷわぷわ浮いているように見える。構図からは非常に安定した調和が感じられるし、幸運を呼び込みそうな雰囲気すらある。龍は架空の生き物だから、写生する訳にはいかない。龍にするには暗黙のルールがある。鬼の目、牛の耳、らくだの顔、鹿の角、蛇の鱗、鷹の爪を持たせないといけない。また、龍は雲の間だから姿を見せる。だから雲龍図と言う。これは、古くから龍神が水の神様とされているのが理由であろう。水の神様であっても、西洋のポセイドンやトリトンなど海の神とは違う。龍は飽くまで、天と地の間で力を発揮する。上の2枚の雲龍図を良く見ると、決定的な違いがある。妙心寺のは爪が3本、建長寺のは5本ある。最も有力な説によれば、中国では昔、5本爪は皇帝しか用いることができず、高官は4本爪、一般民衆用には3本爪の利用しか許されていなかったそうだ。私がくだんの日本画家から伺った話は違っていたので、諸説があるのだろう。話が円山応挙から大きく脇に逸れてしまった。著作権の関係でリンクを張れないように思うので、Googleで「雲龍図」をイメージ検索して頂きたい。何枚か応挙の雲龍図が出てくる。応挙の雲龍図は今にも動き出しそうだ。というか、止まっている気がしない。「写生の祖」と呼ばれるだけある。
Aug 2, 2005
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(昨日の続き)では、なぜ古墨は筆跡と滲みに色の濃淡が出るのだろうか。実はこれ、年月が経つと墨が次第に乾燥し、膠が有機分解していくためだ。元々、煤と水は相性が悪い。煤は水に溶けにくい。膠があるからくっつくのだが、膠が減れば、水と結びつかない煤の量が増える。墨が紙に垂れても、煤の粒子はぽとんと落ちた場所に大方留まって、水と一緒に周りに広がる粒子は減っている訳である。もう一つ。新しい墨で書くと、次第に色が褪せていくそうだ。だから、一昨日の日本画家の方から、最低でも10年以上の墨を使うよう勧められた。作られて30年以上経って漸く、脂の乗った(というか、十分に膠が枯れた)古墨になるということだった。勿論、古ければ良いというものでもない。ワインだって、100年も経てば酢になってしまう。墨も製造後200年もすると、膠が分解し尽くして煤と同じになる。こうなると、黒点の周りには無色透明の水が広がるばかりで、これが乾けば滲みの跡は全く残らない。だが、骨董品として墨の価値は上がるだろう。日本画家の方によれば、中国の有名な古墨に「げんりゅう(源龍?)」というのがあるそうだ。墨の表面には絵模様があるものも少なくない。「げんりゅう」には龍の文様があるということだった。そこで明日は、前々からヤンチャリカさんに約束していることもあり、龍の話につなげたい。
Aug 1, 2005
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オタワ 白いアジサイは季節をほぼ終えた 青いのはまだ咲いている 今日街中をうろついたら 白いアジサイはあちこちで咲いていた 季節を終わったのは我が家だけか?
Aug 1, 2005
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円山四条派は墨を7つ以上使い分けるという話を昨日書いた。墨絵を描く上で最も大切な道具は、墨と紙であろう。そこで今日は墨の話にする。習字の時間を思いだしてみよう。墨汁だけでは薄いといって、硯で墨を摺って足し、色を濃くしていなかっただろうか。だが、これは邪道とされる。墨汁に含まれる合成樹脂と固形墨に含まれる膠が化学反応を起こして、本来の墨の良さが失せてしまうらしいのだ。そう。固形の墨は、主に煤(すす)と膠(にかわ)でできている。蝋燭の火の上にガラスをかざすと煤がついて、すぐに黒ずんでいく。墨作りでは、油に灯心を入れて燃やし、上に傘を被せて煤を取る。油には菜種油、胡麻油、椿油、桐油などいろいろあるが、特に菜種油の煤は粒子が非常に細かくて均一なので、伸び、つや、深みのある墨を作るのに最適とされている。こうした油煙とは別に、松煤と言って松ヤニの煤を原料とするのもある。粒子が不揃い故に素朴さが現れ、また、古くなるほど微妙な青味が出るという特色を活かせる。さて、新しい墨を和紙に垂らすと、黒点が滲んで次第に広がっていく。墨中にあった煤の粒子が膠を仲立ちにして水と均一に混じっている限り、水と一緒に煤の粒子もどんどん広がっていくから、最初の黒点と滲みの部分は同じ濃さになる。ところが、古い墨を垂らしてみると、黒点の周りに広がる滲みは色が薄い。煤の粒子が、滲み広がる水について行けないからだ。線や字に立体感が現れ、見た目に思わぬ効果を生む。古墨(こぼく)が珍重される理由はここにある。では、なぜ古墨は筆跡と滲みに色の濃淡が出るのだろうか。(続く)
Jul 31, 2005
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ユリ科の擬宝珠(ぎぼうし) 成長すると頭より大きな葉になる 2005年7月17日 我が家の庭で撮影
Jul 30, 2005
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博学で知られるアトムおじさんが昨日の日記で平賀源内に触れている。この平賀源内。1773年に秋田藩を訪れた際、若い藩士の小田野直武に絵描きの才能を見い出し、洋画の画法を教授した。そして翌年、小野田直武は杉田玄白らが著した「解体新書」の挿絵を描いている。人体解剖図を描くのだから、何よりも写実性が求められる。小野田直武が習ったのは洋画であったが、日本画に写実性を大胆に取り入れ、「写生の祖」と後に呼ばれたのは、江戸中期の絵師、円山応挙だ。この円山応挙。日本史の教科書にも出ていたが、私の記憶に鮮明なのは、教科書外のこと。足のない幽霊を初めて描いたのは応挙だったらしい。応挙を始点の一人とする流派に、円山四条派がある。その流派を継ぐのは今では極く少数しか残っていないようだが、今日はその一人とお会いできた。伺ったお話では、円山四条派は南宋系。大名や有名なお寺では狩野派といった北宋系が重宝されたという。写生のように描く円山四条派は技術的に難しいようで、基礎だけで3年、一人前になるには10年かかるらしい。特に難しい画法の一つに、白黒の墨絵なのに色彩を感じさせるというのがあった。俄にイメージが湧かないが、何でも墨を7つ以上使い分けるのだそうだ。話題は日本画の顔料から中国の古墨、日中の紙の質、絵の保存、モノクロ絵画の受け止め方にまで及び、聞いていて大変おもしろかった。そうした話を織り交ぜつつ、久々のシリーズで、今日から少しずつ書き残そう。実は今日は、私の敬愛するカミソリ男(床屋ではない)から昨日の日記についても非常に興味深い背景と有益なヒントが得られた。収穫の多い一日だったが、一気に2つのテーマは書けないので、こちらはもう少し頭を整理してから次のシリーズとして書いてみたい。では、お楽しみに。
Jul 30, 2005
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およそ全ての物事には「光と陰」がある。6月末、トヨタ自動車がカナダ第2工場を建設すると発表した。トロントから車で南西に1時間ほど行ったケンブリッジ市には、既に巨大な工場がある。そこから更に1時間南西のウッドストック市に新工場を造るという訳だ。追加投資額700億円強、追加雇用者数1300人というから、大きな案件である。普段はそんなことをしないカナダのマーチン首相が、自らトヨタに誘致を働き掛けたというのも頷ける。実はこれ、北米で7番目の工場なのだが、カナダ、米国、メキシコが誘致合戦を行ってきた。トヨタがウッドストックを建設地に決めた理由として第一に挙げたのは、労働力の質であった。確かに、カナダ人労働者の質が高いのは一般にも指摘されている。これだけなら「はあ、そうか」で終わるだろうが、26日のニューヨークタイムズ紙におもしろい論説記事が載った。米国南部の教育水準が驚くほど低い。米国では特権とされる健康保険はカナダでは当然の権利である。自動車産業の良い仕事は北(つまりカナダ)に流れて行っている。要約するとそういうことだ。勝ったカナダは勿論喜んでいるが、負けた米国は敗因を真剣に考えないといけないのではないか、と人ごとながら思った。同じことは日本にも当てはまる。勝負は、負けないように事前に最善を尽くすとしても、負けた時には必ず敗因を良く考え、是正するようにした方がよい。それも、他人に責任を転嫁するのではなく、自分自身の敗因を認めることが重要だ。日本が次に負ける勝負はなんであろう。えっ?日本は負けない運命にある?戦前じゃあるまいし・・・
Jul 29, 2005
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何事もそうだが、事業全体を見るマクロの目とともに、それに参加する人々のミクロの目もなければ、物事の真の姿は見えてこない。昨日取り上げたJETプログラムも、見知らぬ日本で英語などを教え、国際交流に携わる外国人青年にも触れる必要があろう。六千人以上が全国各地に散らばっているということは、六千以上の個別ドラマがあるということだ。日本で外国人が暮らすというのは大変なことだと思う。事前オリエンテーションがあるとは言え、彼らの大半は日本語に不自由であるし、日本の習慣・風習にも通じていない。友達もすぐにできるとは限らない。自分が母国で暮らした環境に似た場所であれば良いが、大都会育ちが小さな村に配属され、過疎村育ちが大都会の喧噪に投げ込まれたら、それだけで相当なストレスだろう。外国人に英語を教える専門教育を受けた者も少ない。自分で四苦八苦して授業を組み立て、修正できればまだ良いが、補助教員ということで自分の自由にならないことも多い。任期を終えて帰国しても、職場が決まっている訳ではない。暫くは日本で蓄えたお金を食いつぶしていくだけだ。そういう苦悩や不安、ストレスを抱え込み、途中でつぶれていく若者もいる。或いは、家庭の都合で帰国してしまう人もいるそうだ。それでも大半の青年は日本での経験を貴重な糧としてきた。日本大好き人間になって、帰国後も日本とのつながりを維持する人々も少なくない。元JET参加者は、日本での生活を家族や友人に伝える。JETプログラムの知名度が広がるのは勿論だが、日本の良さも悪さも彼らを通してじわりじわりと伝播する。外国人を日本に呼ぶのは、日本の国際化を助けるのもあるが、日本のことを外国に知らせる一番良い手段だ。日本を訪れたこともない人が空疎な議論を行うより、実際日本に住んだ人が日本について語る方が何百倍も訴える力がある。できるだけ多くのJET参加者が日本で良い思い出を作り、母国に帰ってからも日本についてどんどん紹介して、日本シンパの輪を広げて欲しいものだ。
Jul 28, 2005
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