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前回の続きです…。歴史人口学の本を読んで、現在の少子化問題について感じたこと。ということで、過去の人口増加時期の条件と比べると、■現在は、「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」が圧倒的に足りない■現在は、子供を産む・育てる ということに対する、家族・コミュニティーの役割分担が、確立していない(もしくは、現在の生産システムに合致していない)ということで、前回は「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」が圧倒的に足りないということについて書きました。今回は、■子供を産む・育てる ということに対する、家族・コミュニティーの役割分担が現在の生産システムに合致していないということについて。江戸時代の家族・コミュニティーの役割分担と比べた現代の変化で、一番すばらしいことは、「女性(特に母親)」に「出産・育児以外のことに、時間を使うという選択肢が出来た」ということだと思います。しかし、一方で「出産・育児」を社会の中で誰が引き受けるのか、ということが不明確なまま、女性の選択肢が増えたので、「女性の社会進出」が「社会全体で見て、出産・育児の役割を引き受ける人の不足」を起こし、それが少子化の原因の一つとなっていると思います。つまり、選択肢が増えたといっても、現実的には「生産システム(=社会)において、貢献する」ということと「たくさんの子供を出産し、育てる」ということを両立することが相変わらず極めて難しい、ということがあります。なので、「仕事をしながら、子供を3人・4人産む」ということが「女性にとっての選択肢の一つ」ではなく、「周囲に迷惑をかけて自分が好きなことをするわがまま」である、という意識が、周囲にとっても本人にとっても強く残ってしまいます。で、これも前回と同様「解決策」というよりも「こうならなければ解決しない」という要素を挙げると、●企業側で、女性の出産・育児を支援するシステムの充実(これは重要ですが、いろいろなところで議論されていることなので、詳細は割愛します)●親以外の、「子供を育てる」役割・機能の充実(「自分が時間を使えない場合の代替案(例えば、保育園やベビーシッターなど)」の整備、ということで、これも前回書いた内容の繰り返しになりますので割愛します)●「社会で一人前になる年齢」を早める現在の社会で「最前線で価値を生み出す(=仕事をする)」ために、一人の人が一人前になるまでの時間が長すぎるのではないか?と感じます。 例えば、大学を出て、就職して、仕事を覚えるのに5年かかれば、それだけで「社会で一人前」になるには、27歳とか28歳になります。ここから家庭を持ち、子供を産み…となると、ここから3人、4人と子供を産むことは、現実的なオプションとはなりづらいでしょう。(医学的にも、28歳から3人・4人の子供を授かるというのはまだまだ難しいようです)膨大な教育投資を受けて20代後半に「一人前」になる、という以外の「幸せ」のロールモデルが必要だし、今後出てくるのではないかと思います。 (例えば、インターンなどの形で、社会に触れる年齢を早めるとか、 社会人教育の選択肢を増やし「教育を受ける」ことと「社会で生産する」ことの行き来の自由度が増すとか、ということが今後進むでしょうし、進まなければならないと思います)…書き出すと随分と、書きたい内容が増えて、その割には中途半端なまとめになってしまいました。最後に一つ、感じたことを。人口が増加している時代には、『勝ち組・負け組』という概念はなかったんだろうな、と思いました。『勝ち組・負け組』という言葉は、そもそも「限られたパイを、人間同士が取り合う」という発想が根底にある気がします。当然「パイを取りっぱぐれた人」は、幸せになれないし、自分の子供がパイを取れるかどうかわからない、となったら「子供を産もう・増やそう」という発想にならないのは当然です。「勝ち組・負け組」と言っているうちは、少子化問題は解決しないでしょう。アルビン・トフラーの「第4の波」とか、前の総理の「IT革命」でもないですが、「工業化」の次の生産システムが、「あ、こんな形で社会と関わっていければ、自分もちゃんと社会に価値を提供できるし、自分の子供にも幸せを引き継げるな(子供も間違えなく幸せになれるな)」というところまで来ないと、人口増加を期待するのは難しいのだな、と感じました。そういう「自分の子供に引き継ぐことが可能な生産システム」が出来れば、「それに合致した教育システム(膨大にお金と時間をかけずに社会に出られるような)」もできるでしょうし、「それに応じた子育ての考え方(限られた子供に膨大な時間・お金をかけて育てなくても子供が幸せになれるような、社会的機能が整備されるとか)」となっていくでしょうし、そうなると、家族・コミュニティーの中で「子供を産む・育てる」ことの新しい役割分担も固まってるのかな、と感じました。でも今の「第4の波」「IT革命」にそのような力があるのか、というと残念ながらそうは感じません。もう一ひねり、生産革命があるんでしょうね。それがどんなものか、想像もつきませんが。。。
2007/05/16
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前回までの続きです。書いているうちに、「あれも・これも」となって、当初思っていたよりも随分と大掛かりになりましたが、ようやく本題に入れる感じです。歴史人口学の本を読んで、現在の少子化問題について感じたこと。前回・前々回に書いた内容の繰り返しになるのですが、過去の人口増加時期の条件と比べると、■現在は、「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」が圧倒的に足りない■現在は、子供を産む・育てる ということに対する、家族・コミュニティーの役割分担が、確立していない(もしくは、現在の生産システムに合致していない)ということで、これでは人口が増やせと言う方がムリがある、という気がします。だからといって、江戸時代のシステム・役割分担(母親は子供を産んで育てるのが役割。子供はどんどん分家していく…)を踏襲すべき、という話ではもちろんなくて、現在の世の中で最適なシステム・バランス・役割分担は何か、ということを考える必要がありそうです。■「次世代(子供・孫の世代)に幸福を引き継ぐ力」の不足について:人口が増加していた時期に比べ、現在は「生まれてくる子供は、自分と同じくらい・もしくはそれ以上幸せになれるか?」という質問に対して、「はい」と答える余地が圧倒的に少ないように思います。ましてや、「子供が3人でも5人でも、その質問には『はい』と答えられる」と言える人は、極めて少数派ではないかと。しかし「じゃぁ、仮に子供が5人出来たら、子供は餓死してしまうか?」という質問には、殆どの人が「そうはならない」と答えると思います。つまり、「食べさせることのできる子供の数」よりも「自信を持って幸せに出来る子供の数」が圧倒的に少ない。なぜか?一つの理由として、やはり経済的な要因は無視できないでしょう。「子供を一人幸せにするために必要なお金」と「子供のために使えるお金」との間のバランスが、「子供がたくさんいても、彼らを幸せにできる」という思いにブレーキをかけているのではないかと。例えば、-「子供に幸せを引き継ぐ(=子供に自分と同じ・それ以上の幸せを体験させる)」には、「子供に食べさせる」以外、教育・娯楽等に莫大なお金がかかります。「自分が教育にお金をかけてもらった、という自覚の強い人ほど、自分の子供の教育にお金をかける」という調査結果があったように思います(うろ覚えですが)が、それが正しいとすれば「子供の頃おかねをかけてもらって幸せを実感する人」ほど「子供に幸せを引き継ぐために、お金が必要」ということになります。つまり「親世代に幸せにしてもらった」人ほど「子供の幸せのために必要なお金が増える」ともいえそうで、これでは、「3人でも5人でも子供が産まれても、彼(女)らは幸せになるだろう」と言う具合に、幸福を引き継ぐことはできません。-社会全体で見ると子供以外にも「扶養」コストが大きい江戸時代には「夫婦は、子育て完了とほぼ同時に、人生を全うした」ので、社会全体で見ると「お年寄り」を扶養するコストが殆どかかりませんでした。ところが、今は日本人の平均寿命で言えば、子育てが終わってから30年近く(乱暴に言えば、子供が生まれてから、成人するまでの時間よりも長い期間)生きることができます。その期間、、社会全体で見ると彼らを「扶養」する必要があります。(「働けるうちに、老後に備えて貯金する」というのも、今の自分が将来の自分を扶養する、ということで話としては同じです)その分、社会全体で考えると「子供にかけられるお金」は減ってしまいますので、「親が幸せに出来る子供の数」も必然的に減ってしまいます。(※言うまでもないことですが、お年寄りは尊敬すべきですし、尊敬していますし、お年寄りを社会が「扶養」することが悪いことだ、というつもりは全くありません。むしろここで言いたいのは、そういう環境(少子化問題に対しては「逆風」です)に対応しなければ、問題は解決しないのではないか?ということです。)もう一つの理由としては、経済的な成功は、子供を幸せにするたけの十分条件ではない、ということ、つまり、「社会的に多くのものを生産しても(=お金をたくさん稼いでも)、子供に幸福を引き継ぐことができない」ということがあると思います。お金持ちほど幸せを引き継げるなら、収入の多い人ほどこだくさんということになりますが、(たぶん)統計的にはそういう事実は無いと思いますので、「お金を稼いでも、それは子供を幸せにする能力とは関係が無い(弱い)」ということを、多くの人が実感として持っているということだと思います。では、子供に幸せを引き継ぐために必要なものは何か?というと、例えば愛情をかけるとか、子供と過ごす時間を作るとか、「お金以外のもの(特に時間)」が必要です。これは、親が社会でものを生産する能力(=お金を稼ぐ能力)とは、無関係ですから(むしろ逆相関かもしれません)、おのずと「親が子供のために使える時間」によって、「親が幸せに出来る子供の数」にも制限がかかってしまいます。つまり、親の「時間」が「幸せを子供に引き継ぐ」ためのボトルネックになってしまう、ということになります。上記の「解決策」というと難しいですが、「こうならなければ解決しない」ということをいくつか挙げるとすれば、●「親が莫大な教育投資をしなければ、子供は幸せになれない」という状況(もしくは、そういう社会の共通認識)は、徐々に解消されていかなければなりません。働きながら教育を受ける(自分で自分に教育投資ができる)ことの自由度が増したり、 子供の頃に良い学校に行く⇒社会人になる際に良い会社に就職する⇒幸せ、という「親による就業前の莫大な教育投資」が割りに合わなくなってくる、という環境変化が進めば、 代わりの「幸せロールモデル」が出てくるのではないかと思います。そうなると「お金をかけなければ子供を幸せにできないかもしれない」という状況は多少は緩和するのではないかと、思います。●お年寄りが「扶養される」立場から「扶養する」立場にならなければなりません定年退職・育児完了後、数十年生きられる、ということは「まだまだ現役でがんばることが出来る」ということを意味します。社会で生産する(=働いて金を稼ぐ)ことをしてきた人が60歳で定年を迎える、扶養される立場になるのは、あまりにも早すぎます。専業主婦など「お金を稼ぐ」以外の方法で社会に貢献してきた人(主婦など)は、子育て(孫育て)によって、社会に対して価値を与えることができるでしょう。まだまだ元気な彼らが「扶養される」立場というのは、明らかに不自然で、この状況も緩和されるのではないでしょうか。(現に、多くの元気なお年寄りは、「社会に貢献したい」と考えているように思います。●子供を幸せにするための役割分担が進み「お金以外のボトルネック」が解消されなければなりません確かに「親の愛情は重要」ですし「親の時間は有限」です。しかし、子供が幸せになるために「親が時間をかけることが望ましい」ものと「親が時間をかけなければならない」の区分は、今後相当自由になってくると思います。(「赤ちゃんには直接授乳しなければならない」のか「赤ちゃんには直接授乳する事がのぞましい」のか、という違いです)本当に親にしか出来ないもの(例:出産とか>これすらも、医学的には母親限定ではなくなりつつありますが…)以外は、役割分担が進み、「自分が時間を使えない場合の代替案(例えば、保育園やベビーシッターなど)」の整備が進むと思います。また、これらの代替案の活用しても子供の幸せが犠牲にならない、という理解・意識が進めば、「代替案」を活用することに対する、両親の罪悪感が軽減されるため、「親が子供にかけられる時間」にレバレッジがかけられるようになり、親の時間の不足が、子供を増やすことのブレーキにならなくなっていくのではないでしょうか。…続きます。
2007/05/15
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引き続き。前回は、「次の世代に現世代の幸福をより多く引き継げるような社会では、人口が増加する」ということ。それから、「人類にとって生産のシステムが変わるごとに、人間社会全体の生産性が飛躍的に向上し、『社会が支えられる人間の数』が増えて、人口増加につながる」ということを書きました。今回は、もう一つの発見(ぼく自身にとっての)について。一言でまとめると、「生産のシステムとともに、その生産システムに合致した家族・コミュニティーのスタイル」が非常に重要である」ということです。歴史人口学の資料では、江戸時代の家族・コミュニティーの構成について、かなり詳しいことがわかっています。ちょっとした推定をすることで、かなり詳しい統計データをとることができます。それを見て感じるのは、「当時の家族・コミュニティーのスタイルは、当時の医療・経済の状況に非常によくマッチしていた」ということです。基本的には、父親・母親・子供・老人の『役割』が当時の生産システムとマッチし、人口増加に寄与していたということです。現代の家族・コミュニティーのスタイルと随分違うなぁ、というのが以下の統計を見てわかります。 江戸時代 大正時代 現代 18世紀 1920年 1990年(1)出産期間 19.7 14.5 4.0(2)子供扶養期間 31.6 27.0 22.3(3)脱扶養期間 1.5 10.5 32.7(4)全期間 36.2 40.0 56.7ちなみに、(1):結婚から、末子出生までの期間(2):長子出生から、末子成人までの期間(3):末子成人から、夫(または妻)死亡までの期間(4):結婚から、夫(または妻)死亡までの期間です。上記統計から見て、■女性は、結婚してから20年間にわたり、子供を産み続けていた。(1.出産期間が20年と長い)■子供の年齢差が非常に大きく、早くに生まれたこどもは、「子育て」を相当程度手伝ったのではないか。■江戸時代の夫婦に「老人」の時代が殆どなく、子供を育て終えたところで人生の終焉を迎えていた(3.脱扶養期間がわずか1.5年)子供を産んでから次の子供を産むまでの期間を仮に3年とすれば、女性一人当り6~7名の子供を産む計算になります。当時の医療状況・死亡率を考えると、5歳まで生きられるのが10人中7人以下、15歳まで生きられるのが10人中5人ですので、6名子供が生まれても、そのうち成人するのが約3名。結婚しない人や「間引き」される子供の数も計算にいれると、こでも人口増加にはギリギリのラインだったようです。ということもあり、人口増加を支える様々な風習があったようで、例えば地方では結婚率が非常に高く「生涯独身」の人は非常に少なかったようです。(奴隷や丁稚など、「経済的・社会的に家庭を持つことの出来ない人」は殆どいなかったようです)また、離婚・再婚も日常的にあったようで、三行半というのも、形としては夫がつきつけるわけだが、妻側が、次の結婚をするために夫に三行半を要求するということも多かったとのこと。前の夫・妻との間に子供がいても、新しい夫・妻との間に再婚後こだわりなく(見える)子供を産むということが当たり前だったようです。おそらく、これも、社会全体の出産数を維持するためには重要な風習であったように思います。(少なくとも当時の世の中では、「キリスト教的道徳観」よりも、このような風習の方が自然であったのだと思います)また、経済的には扶養を終えた「老人」を扶養するケースが稀であったこと、地方では分家によって、家族が独立しても「食い扶持」がちゃんとあった家族が多かったこと、などから、経済的な要因が人口増加の制約条件にならなかったことも、大きな理由かと思います。これが、いかに微妙なバランスの上で人口維持に寄与していたかということを示すのが、江戸時代の都市部の人口の推移です。地方から都市(江戸・大阪)に出た人は、晩婚化が進み(といっても地方と比べて数年違いですが)、独身率も上がり(これもわずかな差です)、疫病などによる死亡率も高い結果、都市は、常に人口が維持できていなかったようです。地方から都市への継続的な人口の流入がなければ、都市の人口は減っていたそうです。まとめると、■女性は、とにかく子供を産み続けることが求められたということ(また、それを促進するように離婚・再婚が柔軟であったり、「結婚できない」身分の人が殆どいないこと)■それでも当時の医療状況では、子供の半数は成人を迎えられなかったということ■しかし、成人男性・女性の婚姻・出産をとめる(主に経済的な)制約条件は、限定的であったこと (分家も可能であったこと、老人を扶養するケースが稀であったこと)がうまくバランスをとって、人口を増やしていたのだということがわかります。というわけで、歴史人口学の本からの発見のまとめは、以上です。次回、「現在の少子化に対する示唆」を自分なりにまとめてみようと思います。(某大臣の発言のようになりそうですが…、言葉を選んで書いてみます)
2007/05/14
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前回の続きです。日本の人口増加期に見られる特徴を書いていこうと思います。結論を一言で言うと、「次の世代に現世代の幸福をより多く引き継げるような社会では、人口が増加する」ということではないか、と考えました。以下、その根拠です。日本は歴史上4度、人口増加期を経験しているようです。4度とは、1.縄文時代前期~中期、(人口:26万人)2.弥生時代~平安時代、 (人口:700万人)3.室町後期~江戸時代前期、 (人口:3250万人)4.明治~現在 (人口:12000万人)で、今は明治時代以降の人口増加が鈍化して、ついには止まって人口が減少し始めた時期です。それぞれの時代を見ると、基本的には「人類にとって生産のシステムが変わるごとに、人間社会全体の生産性が飛躍的に向上し、『社会が支えられる人間の数』が増えて、人口増加につながる」ということがわかります。○縄文時代は、狩猟による食料確保の方法が進化し、高度化して人口が増えますが、気候の影響を大きく受けたため、気候の寒冷化とともに人口が停滞し、やがて減少したようです。○弥生時代以降は、水稲農耕により、食料が比較的安定的に確保できるようになりました。しかし、開墾があるていど一巡し可耕地が減少するとともに、気候変動が起こり、人口が停滞したようです。○室町時代以降、経済社会が確立し、再び人口を支える力が上がっていきます。経済社会の発展とともに、食糧確保の生産性も上がったということががありました。また経済社会が発展することで「自分が食べられる分以上作っても仕方ない」状態が「作れば作っただけ恩恵を受ける」ことになった、という要素もあったのではないかと思います(これはぼくの推測です)。しかし、「生物の力」をエネルギー源とした経済社会だったので、やがて「人間・生物の生産性」がボトルネックとなり、人口が停滞する。○最後に、工業化が起こり、「生物のエネルギー」だけでなく「鉱物・地下資源エネルギー」を使えるようになることで、人類の生産性が飛躍的に高まります。そのことで、さらに「社会がさえられる人口」が増えて人口増加につながります。しかし、そのシステムも行き詰まりを見せつつあるのが今現在の世の中、ということになります。上記に共通するのは、「人口を支える力」を得ることによってはじめて、人口が増えるということですね。しかし、一方で「人口を支える力」というのは「メシを食える人数」ということを必ずしも意味しないということです。(現在にあてはめればわかりますが「食うだけ」を考えれば、多くの家庭は4~5人の子供は支えられるでしょう。でも、子供を増やそうというインセンティブが働かない)江戸時代でも、人口が停滞していた時期でも「家庭の生活水準は、落ちるどころかむしろ高まっていたようです。ということは、むしろ、重要なのは「メシが食えるか」ではなく、「今の幸福レベルを、次の世代に引き継げるか?」ということだと思います。例えば、開墾する土地が周りにたくさんあれば、子供をたくさん産んで、彼・彼女らが分家して開墾することで次世代に「幸せを引き継ぐ」ことができます。しかし、開墾が一巡してしまうと、「たくさん子供を産めば産むほど、一人当たりの食い分が減ってしまい、次の世代は今の世代に比べて相対的に不幸になってしまう」ということになり、人口が増えない、ということではないかと思います。現代でみると、(これは、ぼくが歴史人口学の本を読むきっかけとなったセミナーでも言っていたことですが)「IT革命」(って死語ですが)は、本当の意味での人類にとっての革命的な出来事なのか?というと、少なくとも「人口を支える力」を増やすと言う意味でそうなっているわけではないですね。世の中の多くの人が「この仕組みを次の世代に引き継ぐことで、子供が4人も5人もいても、彼・彼女たちに自分と同じ/それ以上の幸福を引き継ぐことができる」という具合には感じないと思いますので。そういう意味で、人類にとって本当に革命的な出来事なのか?というと、そこまでは行かないのではないか、と思います。ということで、人間の社会全体で「次の世代に引き継げる幸福の総量」を拡大しているか?していないか、ということが人口増加に大きな要因になっている、というのが本を読んだ感想です。で、次は「幸福を引き継げるか」とともに重要な「人口を維持・拡大するためのライフスタイルがあるか」ということについて書いてみようと思います。
2007/05/13
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前回の続き。歴史人口学を読んで、意外な「へぇ」がいくつかありました。トリビア・雑学みたいな話ですが、ぼくの持っていた直感と違う発見も多かったです。特に面白かった発見は、以下。○貧乏人の子だくさんは、統計的には誤り。むしろ、貧乏人のほうが(主に経済的な理由から)人口調整が働く。現在、発展途上国が人口爆発に悩む姿を見ると、むしろ「貧乏人の子だくさん」は正しいようにも感じますが、少なくとも同じ時代の同じ場所の中で見ると(例:江戸時代の日本だけを取り出すと)統計的には、貧乏人の子だくさんではないようです。むしろ現在の途上国の人口爆発の方が「特殊」なようです。途上国の人口爆発の大きな要因は、「多産多死」を前提とした途上国の家族・仕事の持ち方・ライフスタイルが維持されたまま、突然医療・社会インフラが整備されたため、「多産」が改善されず「少死」になったため。そのため「亡くなる」ことが前提の人が生きられるようになって、今は人口が爆発していますが、早晩それでは生活がもたなくなる。で、歴史人口学的に言えば、数世代をまたぐ間に調整が働き、自然に「少死」を前提とした家族・仕事・ライフスタイルに改善することを余儀なくされ「多産」も改善されるはず(少なくとも過去の人類の歴史はその繰り返しであった)とのことです。事実、国連が発表する「2100年の世界人口予想」は、予想をするたびに下方修正されているようです。(もちろん、今の人口爆発のペースは、「数世代をまたぐ」なんて悠長なことを言っていられないほど緊急性の高い問題ですから、「人口爆発」が大きな問題ではない、と言うつもりは全くありませんが)○人口増加の抑止になるのは、「食えなくなるから」ではない。むしろ「今の生活水準を維持できなくなるから」江戸時代後期には、実は人口は増えていませんでした。ではその頃、人びとの生活水準が下がったか?というとNoでむしろ個別個別の家庭で見た、生活水準は維持・向上していたようです。つまり「本当に飢え死にしてしまう」から、人口増加が抑制されるのではなく、「このまま子供を産み続けると、家族・コミュニティー全体で、一人当たり『取り分』が減ってしまう」ということが実感されるから、人口が抑制される、というのが実態に近いようです。現在の少子化の原因に通じるものがあるように感じました。○江戸時代までの日本で子供を「間引いた」のは、「殺人」ではなく現在の「避妊」の感覚に近い江戸時代までは、生まれた子供のうち7歳まで生きられるのは、わずか50%とのことです。つまり「基本的に子供は死ぬかもしれないもの」という前提があります。(そう考えると七五三の意味もわかる気がします)ですので、「7歳までは神様」という考え方をとり、子供を「人間ではなく、人間になる一歩手前の状態」と考えていたようです。で、現実的に避妊・堕胎の方法が殆ど存在しなかったこともあり、7歳までの子供を「調整」することは、「人を殺す」こととは、全く別のものと考えられていたようです。現在であれば、どうしても子供を持つ事が許されないカップルが子供を堕ろすように、(もっと極端に言えば、子供を持てない・持ちたくない人が性欲を抑えるのではなく、避妊するように)子供を間引くということが行われていたようです。このように、その時々の医療状況・人の寿命・結婚年齢・平均出産人数の変化に応じて、実に柔軟に「風習」や「命に対する考え方」が変化し、それが結果として人口をバランスさせていた、ということがわかります。人の知恵は偉大だなぁと思いますし、今の生活スタイル・医療水準を前提とした「道徳」でもって、昔の習慣を「野蛮」とか「人権を無視した」と言うことの無意味さを感じます。次回は、過去の人口増加期と、人口停滞期の特徴などについて書いてみようと思います。
2007/05/10
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最近、あるセミナーに参加したことがきっかけで、歴史人口学に興味を持ち、2冊ほど本を読みました。歴史人口学とは、Googleで出てきた定義を引用すると、”前近代と近代の公式データを使用して、ある文化圏に生きた人々の人口学的行動を、権力をふくむ文化規範を考慮にいれて、解明する科学の一分野”…要するに、過去の歴史的な人口の推移を追うことで、人びとの行動(主に家族形成・出産に関する行動)を解明していく、という学問です。歴史人口学の本を読んで初めて知ったことですが、人類の人口って、一貫して増え続けているわけではなく、爆発的に増える時期と、長期的に停滞(もしくは減少)する時期を繰り返している、ということです。なので、過去の「人口が増えた時期」について考察すると「人口が増えるにはどういう要素が必要なのか」がわかるし、「人口が停滞している時期」について考察すると「人口が増えないのはどういう状況で起こることか」ということがわかります。人類の人口は、実に様々な要因で増えたり減ったりしてるんだなぁ、ということがわかって興味深いです。「天敵がいないと増える」とか「疫病が流行ると減る」という単純なものでなく、家族形態・子供に対する考え方・食料確保の方法等、いろいろな要素がからみあって、人口を増やしたり、減らしたりしてます。これも、本を読んで初めて知ったことですが、日本はいろいろな点で、歴史人口学に合致した条件が揃っていて、研究対象として優れているようです。具体的には、○過去数千年にわたり、移民による人口の流入・流出が無視できるくらい小さい。これは、非常に特異な例だそうで、人口の流入・流出が無いということは、「出生率・生存率」の変化と、人口の変化が直結するということです。人びとが子供を産まなくなったら人口が減る。人びとが死ななくなったら人口が増える。ということです。○江戸時代には、世帯レベルでの人の出産・死亡などを追跡できる記録がかなり多く残っている。江戸時代には、幕府はキリスト教を禁止しており、全国民が仏教徒であることを村・町ごとに証明させた文書が作成されていました。これを宗門改帳といい、この資料から各村・町の、各家族の名前・家族構成・年齢などを個人個人のレベルで定期的に記載していた記録があります。乱暴に言えば、現在の戸籍とほぼ近い記録が、江戸時代に存在するということです。それに基づいて、その地域での人口が増えたのか・減ったのかということや、家族構成の変化や、結婚する年齢・志望する年齢など、かなり詳細な分析が出来るようです。これは、欧米でもなかなか無いとのこと。というわけで、「移民という外部からの流入・流出が少ない」「データとして細かく分析できる材料が豊富である」という恵まれた環境にある、と。面白い発見はいろいろあったので、それと現在の少子化問題をからめた考察や、トリビア的に面白かった発見を次回以降記載します。
2007/05/09
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