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夫じゃなくて父でしたが…25のこと、だいたいできていました。まずは葬儀コンサルタントという職業にも驚き。父が亡くなったのは、午前4時5分その日、夫と二人、バッと起き上がった。二人で顔を見合わせて、お互いに「なに?どしたん」って言ったら家の電話が鳴った。慌てて受話器をとる。やはり、病院からだった。…なにかに起こされたんだ。「すぐに来てください」頭の中が真っ白になった。さすがに夜中だったから、子供たちは連れて行けず…夫に頼み、私は適当に着替え、車のエンジンをかけた。運転しながら母に電話する。落ち着かなきゃ…だいじょうぶ、まだ大丈夫。そう自分に言い聞かせて、車を走らせる。信じられないくらい早く実家に着き、母を乗せる。母は父の着物を持っていた。病院の駐車場に車を止め、走った。エレベーターに乗り、8階へ。ナースステーションに先生がいた。「病室で話しましょう」まだ生きてくれてたの?大丈夫なの?父の顔を見る…部屋を見渡す。血だらけの天井、壁。床には血を拭いたあと。「がん細胞の中で感染症を起こしていた部分が大動脈に達し、動脈壁を破り出血を起こしました。ご家族がみえましたので、これから死亡確認をいたします。」11月1日午前4時5分先生に促されて、父のそばに歩み出る手を握り、顔を触った。まだ温かかった。痛みに苦しんだような表情ではなく、すっきりした顔に見えた。やっと痛みと苦しみから解放された…そんな顔だった。私は涙が流れ、息が苦しかった。それから、看護師さんたちが父の支度を整えてくれた。葬儀屋への連絡。病院の電話ボックスから、葬儀屋へ電話した。まさか私が父の葬儀を依頼するとは思わなかった。悲しんでいる暇なんてなかった。打ち合わせをし、迎えに来てくれるという。父の兄弟にも電話した。そして、弟にも。母の兄弟にも。弟には、やはり連絡がつかなかった。支度を待っている間も、決めなければならないことがあった。手を組むかどうか。硬直しないうちに決めなければならない。よくわからないけれど、組んでもらった。それから、父を看取ってくれた看護師さんたちが、父の最期をそれぞれ話しに来てくれた。父らしい最期だった。病院には遺体搬出用のエレベーターがある。先生と看護師さん一人が父のベッドを運んでくれた。一階のエレベーター前には葬儀屋の人が待っていた。そこで父を葬儀屋の車に乗せ、母が一緒に乗り、私は自分の車で実家に向かった。もうすぐ夜明けで、空気が張り裂けるほど冷たくて、澄んでいて、西の空に星がひとつ輝いていた。また涙がこぼれた。駐車場で、その星の写真を撮っている人がいた。父の兄だった。実家に向かったことを伝え、私は近くのコンビニに寄った。ミルクティーを買って、ジャンプを立ち読みした。空っぽになった自分を埋めたかった。つづきはまた。
January 18, 2010
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ちょっと前に読んだ本の話。女はいろんなしがらみ?で自分で自分を生きにくくしてるという。男の行動を学ぶとそれが何なのか見えてくるらしい。たとえば…男はやたらに物を持たない男は歩ける靴しか履かない男は試着室でダイエットを考えない男は占い師に仕事の相談はしない男は食べたいときに食べたいものを食べる男はダイエットを仕事にしない男はいちいち物に謝らない男はトイレを我慢しないもっとね、がんばるべきところ、投資すべきところがあるはずなのに、ちょっと視点がズレているのか自分に自信がないからか、女って男から見れば「また無駄なことを始めたな」って思われるようなことに一生懸命になりすぎているんじゃないのって書いてあった。なるほど…確かに自分で自分の時間を削って余計なことしてるって部分があるかも。バッグなんてその良い例で、男の人はポケットに財布を突っ込んで買い物に出かけるけれど、女はバッグの中に化粧ポーチを入れて財布を入れて、いつ使うかわからないような雑貨を入れて、常に準備万端「ちょっとハサミ持って来とけばよかった」なんて場面で「はい」ってハサミ出してくれるような女友達っているもん。大抵は、「気の利く女の子」って男から思われたいからいろいろ持ってるんだよね。それってアホらしいなと思うわけです。結局は財布しか持たない男のために、バッグを持って歩いてるようなものって気がしてくる。もっと身軽に歩けばいい。もっと自分のために生きていい。そんなエールが詰まっている本でした。
January 15, 2010
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新潟では、新潟日報という新聞がよく読まれています。普段我が家は日経しかとっていないのですが、年末年始には必ず新潟日報の販売員がきて、お願いですからと懇願されて日報もとります。さて、その新潟日報では「古町 揺れる灯」という題名で、元旦から連載が始まっています。新潟の古町といえば、とても賑やかだった商店街です。ここ数年で郊外に大型のショッピングモールが相次いでオープンし、老舗の商店街は少しずつシャッターを下ろしていました。そこにこの不況が相まって、古町の衰退が加速しているわけです。老舗の百貨店、大和デパートも今年撤退が決まり、古町の中心地にあった老舗の書店、北光社も店を閉じることになりました。まぁ、そういうことを、新潟日報で特集しているんですね。私は古町の隣町に生まれ育ち、やっぱりこの衰退は悲しくて、この記事を読んで涙したわけですが…。ただ、会う人会う人、「あの北光社でさえ店を閉じる不況なんだから」「大和だって撤退するんだから」って言うんです。もう、完全に諦めモードこの「だから」に続くと思われる言葉が厄介で、「だからウチも利益が上がらなくて当然です」って言ってるのも同じですよね。新潟日報のこの記事が、新潟のたくさんの家庭に配られたことを思うと、やるせなくなります。一昨年お会いした千房の社長さんが、不況のときこそタクシーに乗って「ウチは大繁盛しとります」って言いましょうって話していたことを思い出しました。新潟でこの不況下に利益を上げ続けている事業所特集みたいなのをやってほしいですね。
January 7, 2010
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自業自得なのですが…検索エンジンでしっかりトップに来ていたネクステージのHPは、この半年間で、全然ヒットしなくなっていました(T-T)もともと未完成だし更新もされないので、当たり前のことなのですが、かなり凹みました。イメージコンサルティングでひっかかる名前は、以前より増えて、AICIではない人もいます。なんというか…かなり遅れをとってしまった情けないし、悔しい!というわけで、コツコツとHPの更新作業をしています。開業資金はすべて両親に使い果たしてしまったので、HP作成業者にお願いするわけにも行かず…とにかく、地道にやるしかないか
January 6, 2010
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みなさま、おひさしぶりです(^-^旧年はプライベートでさまざまなことが重なり、パソコンを開くことすらできない精神状態でした。一年を振り返ってみて、本当にあっという間に過ぎ、当時考えていたことすら夢でも見ていたのではないかというようなカンジですね。久しぶりに開いて書くこのブログも、なにやら変わっていてイマイチしっくりきませんが…(^-^;;何度かここに書かせていただいた父は、11月1日の朝4時5分に息を引き取りました。ガンによる「死」というものは、ドラマや小説よりも壮絶でした。新年早々、しめっぽい話ですみませんだけど折を見て、私のココロと向き合うためにここに書いていきたいと思います。母の躁うつ病は落ち着き、今はようやく普段の状態に戻りました。本当にこれでよかったのかと悩み、生前の父を思い出しては涙がこぼれることもありますが、止まってはいられないので、再スタートを切りたいと思います。イメージコンサルティングの仕事も長くお休みしていましたが、がんばっていきますのでどうぞよろしくお願いいたします今年は寅年♪ 私は年女です(^-^いつも以上にパワフルに動いてがんばるぞ!!ステキな一年になりますように
January 5, 2010
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