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私も、しっかり春休みを満喫p(^^)q 子供たちも、楽しかった様子!(^^)! 明日から、また!!! ぼちぼちします(#^.^#)
2007年03月31日
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今朝は、うどんのなかにしに夫と二人で行って、私は、写真のしっぽくうどん夫は、かけうどんを食べたしっぽくうどん、私は大好きで、いろいろなうどん屋さんのを食べ比べたけど、私のお気に入りは、ここ季節限定なので、春が来るとそろそろおしまいになる私は、夏でも食べたいのに・・・
2007年03月31日
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エコバッグと携帯入れ携帯入れは、リバーシブル。くるみボタンつけました。上の写真のを 裏返すと こんな感じ今度、引越しする友だちへのプレゼント本当に色々、お世話になったんです。何度、助けてもらったことか会えなくなるのは寂しいけれど、年に何回かは、会えそうなので よかった”今まで、ありがとう。これからも、よろしくね”の気持ちを込めて渡してきますちなみに・・・エコバッグは、かなり大きくなりました 先日、キャミソール型のリバーシブルバッグを作りましたが、 それと同じキャンパス地です 紐を、ひっくり返すのが大変でしたお昼ごはんは、久しぶりに 上田うどんのかけうどん(大)230円私は、トッピングに”ねぎ・天かす・しょうが”を入れます。(しょうがを入れる場合は、七味は入れません)しょうがをあったかいうどんに入れることをあまりしないみたいですが、ぜひ、一度お試しくださいもうやみつきです
2007年03月30日
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昨日、乗って行ったフェリーでとんぼ返りした私が、フェリーを降りてすぐ向かったところは、三越 約4ヶ月ぶり目的は、妹から子供達へもらったバレンタインのお返し(まだしてないの)と、迎えに行くときに持っていく手土産そして晩ご飯の買い物まず、GAP子供の服と、(妹の子)姪っ子へのプレゼントが目的。結局、愛娘のTシャツ&スカート、息子のTシャツ、姪っ子のパーカーを、ゲット次は、紀伊国屋書店へ。欲しかった2冊の本ゲットこの三越周辺も、再開発でずいぶん変わった(詳しくはココ)おのぼりさん状態の私は、普段着で、挙動不振だったかもなんか、ちょっと街にやってきた感じさてさて、久々のデパ地下 お土産、お土産…「とらやの羊羹は・・・やっぱり高いなぁ。」で、愛媛県は松山の薄墨羊羹にした(ここは高松だけど…)そして、晩ご飯「何にしようか~。。。魚でも、焼くかなぁ」魚屋さんの前に人だかり 「えっ 何々」近づくが何もしてない。ただ、物色している 「何しよーるんじゃろう(何してるのかしら)」からーんからーん 「6時よりお刺身、お寿司、半額になりまーす」なるほど これか~~~ 「みんな、よう知っとるなぁ」・・・で、私も参戦半額でデパ地下の、お刺身をゲット夜、食べるときに…「なぁ(ねぇ)…やっぱり、デパ地下のお刺身は、違う」「んーん…やっぱり、スーパーとは違うんやない」「ふーん」あーなんて、庶民的 いやそれ以下なのか この会話でも、そこやらのスーパーとはやっぱり違う気がした…で、9時過ぎに子供達から息子から父へ「晩ご飯、何食べた」父「・・・うん野菜、野菜大根と水菜とにんじんのサラダ後 お味噌汁」で、息子は納得してTELを娘に代わる。娘も夫に”おやすみ”を言って「ママに代わって」夫、「○ちゃんから・・・」私「はーい。もう寝るん」娘から母へ「ママー、晩ご飯 何食べた」母「(きたかー)”ハイテンションで”えっとね、魚とサラダとお味噌汁。それと、ネーブル」娘「ふーん、ネーブル食べたん(最近ネーブルに目覚めた娘)」母「うん、また、買っとくよ」娘「うん、おやすみ~」やばいやばい口が裂けても言えない二人(子供達)が大好物のお刺身を食べたなんてでもね~、半額だったんだよ~、最初からそうするつもりはなかったんだよ~
2007年03月30日
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お昼ご飯を済ませ、フェリーに乗り1時間宇野港へ我が子達を、とりあえず妹夫婦に預け、私は乗って来たフェリーでとんぼ返りぼーっと、乗っていますいやいやブログ書いてるじゃん私の好きな、相田みつをさんの言葉にひとりになりたいひとりはさびしいが、あります 今までも、「あーもうイヤだ」と思って、夫に「3時間子守をして(#^.^#)」と頼み、気晴らしにデパートへ行ってみたものの…私の足が、まず向かうのが"子供服売り場"まわりを見渡せば、家族連ればかり(夫が家にいるくらいですから…(?_?) )私って(┬┬_┬┬)って、何度思ったことでしょう!?たまにいないと、子供のありがたみがわかるってもんですかね何がありがたいか賑やかなのがありがたいのです。居てくれるだけでいいのですやっぱり一人は寂しいですおっと大きな子供(おっと)の事、忘れてました(+_+)晩ご飯、何にしようかな~
2007年03月29日
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今日から、2泊3日の予定で、私の実家に子供達だけでお泊りです。短い春休み。宿題もある。なかなか、ゆっくり行けないのがいつもの事お正月・GW・お盆は、夫の方に・・・それを、はずして私の方に行きます。(行ける時は…)一応、長男の嫁ですが、離れてすんでいるのでお気楽です夫の方の両親も、愛娘のことは心配してくれていますが、義母はとっても大人なので(義父も 義母の影響で)不登校に関しては、特にヤイヤイ言われたこともありません。一度も、攻められたこともありません。本当に、よく出来た大人のお義母さんです私の方は、娘なので遠慮なく色々言われます。愛娘は初孫だったため、そりゃあそりゃあ・・・風邪ひとつ ひかそうものなら 親(私)が悪い と、その昔はよく言われました。(子供は、風邪をひいて、身体も強くなるんだって、言い返してきたけど)今では、うちの母親。生きてるだけで丸儲け主義です初孫が心配なため、自分の知り合いにも色々聞いたりしたみたい(たまにおせっかいだなぁと思ったりします)うるさいなぁ と 思うこともしばしばですが、愛情があっての事子供達は、そんなばあちゃん(じいちゃんも)が大好きですうるさい時もあるけれど、やっぱり大好きです私の父親は、あんまり言いません。小さい頃は、それこそ鶴の一声こわーいこわーい父親でした。今では、私に掛けてくれるふとした一言で ”何か大きなもの”に包まれている気分になります。がんばれがんばれがんばれとは言わない「お前も、風邪ひかない様に 気をつけろよ」 「あー、がんばらなきゃ」と思います。親って、ありがたいですね愛娘が不登校になったことで、まわりが変わったのかも知れません親ってありがたいなんて言っておきながら私は、送って行って、迎えに行くまで、2泊3日のんびりさせていただきまーす
2007年03月29日
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完成 一人で作ったお弁当結局、キュウリは塩もみして入れる前に食べちゃったらしい変わりに、冷凍の枝豆をレンジでチン(1度目・2度目で)したものを、食べやすいように実だけウインナーは焼いたものジャガイモは皮をむき(当たり前じゃい)切り、茹でてマヨネーズ・・・で、先ほどの玉子焼きと大好きな日の丸弁当全部一人で仕上げました1つずつ自分で出来ることが増えやれば出来ると思えることが自信になって彼女の生きる力になってくれればと思います公園では、自分の為に作ったお弁当あっという間にたいらげ、あっという間に走っていきましたぽかぽかいい天気大好きな仲間とお別れはつらいけど、楽しい1日でした。その後、子供達は硬筆へ・・・小学生はハードです母もこうしちゃいられない夫が飲み会で夕飯が要らないので簡単な夕飯、作らなくっちゃ
2007年03月28日
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娘が自分のお弁当の為に焼いた 玉子焼き今日は、愛娘が幼稚園の時から、親子共々、仲良くしてもらった友だちとのお別れ公園遊びの日”お弁当買って、それ持って行こう”と、母達は考えていた。息子は、それで良いとしても娘は、スーパーやコンビニのお弁当や冷凍食品が嫌い家に居ても、毎日(特にお昼)食べることに文句を言う(讃岐にいながら、うどんはもう食べ飽きた様子)私も、毎日のことなので、勘弁してよ~と思うのだが・・・よって、今日は持っていくお弁当「自分で作ってもいい」と言って来たどうぞどうぞ 大歓迎よついでに母と弟の分も と言いたいところだが・・・「あと、何入れようかウインナー焼いて、きゅうり切って・・・プチトマトデザートにみかんは」ご飯はもちろん、大好きな日の丸弁当よさぁてと、12時出発できるように母も用意しなければ
2007年03月28日
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昨日、公○に、子供達を送る途中、なにやら2人で話していた。私は、他の事を考えていたので、内容はよくわからなかったが、娘が「○くん、誓いの言葉は?」息子「ん」しばらくして母「僕は、一生、母さんを大好きでいます」困った顔をして、「う~ん それは約束できん。だって、お嫁さんになった人を 一番大好きでおらんといけんやろ」7歳なのに、よく、仕組みがわかっているんだ と、感心したもっと、もっと、小さい頃は、「ママ~、大きくなったら、お嫁さんになって」「ぼく、ママとずっと一緒におる」などなど、くっ付きまわったりしたもんだが。最近では、「大きくなったら、ママと結婚してくれるんやろ?」と、聞くと冷静に「母さんは、父さんと結婚しとるけん、オレとはできん」など、言うようになった。さてさて、会話の続き「じゃぁ、母さんは誰が一番好き?岡山のおじいちゃんと、パパと…」「そんなん、パパにきまっとるが」「じゃぁ、高知のおじいちゃんと、岡山のおじいちゃんと、パパは?」「おじいちゃん言うて、どうするん??? パパ」「やっぱり…じゃあ、そうなんやん」男の子は、やがて、母の元を完全に出て行ってしまう。それまで、いっぱいイチャイチャしておこうと思う。昨日の、冷静な返答で、半分安心したような、さみしいような・・・でも、きっと、母より嫁(自分の家族)を大事にしてくれる人(父親)の背中を見ているからに違いない
2007年03月28日
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学校から、開放された春休み私も実は、その一人世の中の、母達は、きっと早く、春休み終わって欲しい学校早く、始まらないかしらが、大半なのでは? ・・・ と言う私も、その一人だった かつてずっと、ずっと 学校休みだったらいいのに・・・早起きしなくたって夜遅くまで 起きてたって少々のことならば、目をつぶってもらえるしこれって、まさしく、子供の心境 私も一緒でも、やっぱり、メリハリがあるから、楽しいのだろうずっと、休みは、やっぱりつまらないそう思える様になったら、きっと、歩き出せるのかもしれないなぁ。
2007年03月27日
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今日の箱庭の世界レゴのブロックをたくさん使って上の方の黄緑色の三角の物は キャンプのテント右下にあるのは、仕事の服を着た人たちが、温泉に入浴中滝に打たれている人あり車の変わりに バイク細部にまでこだわって、それぞれに意味がある様子カウンセラーの先生とそれはそれは楽しそうに作業をしていた様子私は隣の部屋で・・・うたた寝前回同様 真ん中に 川(水面)が、ある。ちなみに前回の箱庭
2007年03月26日
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ブラックウオッチのキャンバス地×リネン の 袋 お揃い♪のリボンの色違いやっと、出来たなぜ、”やっと”かと、いうと・・・頼まれてから取り掛かるまで、ずいぶんと日にちが経ってしまったこれは、今度 引越しする友人2人への プレゼント息子同士が幼稚園時代の同級生。私と彼女達とは、幼稚園では、あんまりお付き合いはなかった。(不登校で、家にこもっていたりしたし・・・)お2人とも、保護者会の方で、役員として活躍されていた。その節は、大変お世話になりましたm(_ _)m卒園後は、母同士、ソフトバレーが一緒で、とっもて楽しかったもっともっと、仲良くさせてもらいたかったなぁ・・・残念今日は、近所の公園で 子供達を交えた お別れ会がある。今日に、間に合うように 昨夜から 作り始めたなんて、ドタバタな私・・・気に入ってもらえるとうれしいなぁ
2007年03月26日
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今日の、北陸地方の地震。関係者の方々へ、お見舞い申し上げます。。。さて、季節はもう春。雨上がりのお昼過ぎ。通りかかった結婚式場。すぐ近くに、ちょっと遊ぶスペースがあったので、ママ友だち達とその子供達で、少し、時間をつぶしていた。今日の結婚式場は大忙しの様子。帰ってカレンダーを見てみたら、今日は友引。なるほどちょうど、目の前にチャペルがあった。音楽が、流れてきたどうやら、結婚式が終わった様子。何歳になっても、なんだかワクワクしてしまう。そのうち、来賓の方々が出てきた。花道が出来る。手には、きれいなたくさんの花びら。フラワーシャワーだほんの11年前の秋。私達、夫婦もチャペルで結婚式をした。やっぱり、フラワーシャワーで祝福を受けた。そんな様子を、息子と見た。息子に、「父さんも母さんも、あーやって結婚式をしたんだよ」と、報告なんだか、うれしかった毎日の生活に追われると、忘れてしまう大事な事。今日は、あの頃に少し戻って、4人家族になれた幸せを感じた
2007年03月25日
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「おかあさん・・・○○(娘)、(担任の)先生が行く小学校に変わりたい」「そうか、そうか・・・」 昨夜、出張帰りの夫を、空港へ迎えに行く車内での一言だったやっぱりそうだったんだね。先生うざいだ、先生嫌いだ、なんだかんだと聞かされてきたけど先生の気持ちは娘に通じていたんだ心は通じていたんだと、感じた一言だったでも、だから、それに答えられないむなしさも娘にはあっただろう担任の先生は、1年前に初めて会ったとき「受け持った不登校の子と、同じようなタイプなので、わかります。彼(男の子だった)は、自分の担任だったときに、来るようになって、今もすごく元気に中学校に行っているそうですから、大丈夫です」ある意味、頼もしさを感じたっけわが子も出だしは好調だった途中から、行けなくなった・・・悩ませてしまっただろうなぁ・・・先生を月曜日に1年間のお礼と、この一言を電話で伝えようと思う。
2007年03月24日
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学校からは、普通に帰ってきた・・・というか、とってもふてぶてしい感じだったので、「どうしたん ご機嫌ななめなん」 「違う」「疲れとん」 「別に」今朝、先生たちの異動を新聞で見て、知っている先生が変わることに少なからずショックだった様子それならさぁ・・・ちゃんと 学校行っとけば よかったのに後悔したって 遅いわい と、この言葉が口から出そうだったが・・・私がして欲しい、悔しい思いとは、こういう事も含まれているので何も、言わなかった。離任式の様子を、教えてくれた。 ○先生泣いとった △先生も泣いとった ◇先生は花束もらった時に その男の子に抱きついたそうか、そうか…その様子を見て、さみしくなったか…よしよしお昼は、お疲れ様をこめて、マックへ行った(なぜ、マックかというと・・・普段、夫が「マックは嫌い」と言って、連れて行くのに躊躇する。。。子供たちは、オマケ目当てに行きたいのだが…)車を運転しながら、なぜか、とっても、懐かしい歌がグルグル頭の中をまわった。 おにゃんこクラブ じゃぁね 春はお別れの季節です♪ みんな旅立って行くんです♪ この後はメロディだけが(歌詞がわからない)なんで、いまさら おにゃんこクラブなの 私 そりゃ、高校生のときにいつも”夕やけにゃんにゃん”見てたけど。 ずっと、もう20年くらい忘れていたのに 自分でも、ビックリだわ昨日、ユーミンの 春休みのロッカー室に♪ 忘れたものをとりに行った♪ 長いローカを歩いていたら・・・♪ (歌詞があやふやです。すみません) ラジオで流れてたの、聞いたばかりだったのにあぁ、明日から、春休み転勤で、引っ越していくお友達も、見送らなくちゃでも、やっぱり、別れは つらいよなぁ
2007年03月23日
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昨日、今日と、愛娘は一人で学校に行きました。昨日は、本当は行く気ではなかったけれど、暇なら放課後遊ぼうと、友達から誘ってもらって、その遊びたい気持ちに背中を押され学校にも行きました今日は、4年生最後の日。最初から行くと決めていたようです。朝、姿が見えなくなるまで、見送った後、いつもしばらくドキドキします。引き返してくるかも と、思ってしまうからです。 1年生のときに、「行ってきます」と、出かけては 「お母さん」と、途中で引き返してきたことが6月に何度かありました。(当時は、一緒に行く友達と、何かあったのでは?と、娘と同級生のママさんに言われましたが…。)その時は、「行った行った」と安心して、玄関の鍵を閉める。息子を幼稚園に連れて行く準備もしなければならない。すると、がちゃがちゃと、玄関から音がする当時は、「遅刻するよ早く行きなさい」と、突き放すばかりでした。ピカピカの1年生。学校までの道のりは20分から30分。担任の先生以外の大人は”知らない人”。学校の上級生たちも知らない人たち。今更ながら、娘は心細かったと思います。どうして、その時にわが子の気持ちに寄り添ってやれなかったのでしょうそうした子育てをしていたら、今は違っていたのかもそんな事があったので、本来なら玄関の鍵をすぐ閉めるんですが、閉められずしばらくドキドキしています。たぶん、今は、学校に行くと決めたら、おそらく帰ってこないでしょう。(行こうかどうしようか迷っていたらきっと行かないから・・・)でも、万が一、帰ってきたら、すぐ玄関のドアが開くようにしているんです。そこまで、がんばった娘を褒めてやります。。。いつになったら、私のこのドキドキが納まるのかはわかりません。今日は、終業日。先生たちの異動も、新聞で発表されていました。娘の担任も異動。さぁて、来年度はどうなるんだろうな…
2007年03月23日
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例えば…「何 飲む」 と 相手に聞いた場合に… 「コーヒーがいい」 「コーヒーでいい」 が、で、 の違いって 大違いだと思いませんか?生活する中で、この言い回し、案外多いんですよね。。。がを使うと、それを与えてあげる方も、はりきってしてあげたくなる。でを使うと、なんとなくそれで妥協した雰囲気が見受けられる。それに気がついてからは、なるべく~がを使うように気をつけています。まぁ、一概には言えませんけれど…
2007年03月22日
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お気に入りのカフェから眺める景色 モーニング (コーヒーお替り1杯までサービス)高松市川島東町にある、自然の森ロッヂ昨年の秋、タウン情報でオムライスの紹介があって、オムライスはあまり好きではないが(私は和食党)、景色を一度見てみたいと思い、場所もあいまいなままで友だちを横に乗せて、ハンドルを握って行ってみた。オープンしたばかり。新しい店内は、ダークブラウンで、まとめられて落ち着いた雰囲気。いつも陣取るのは、窓際のカウンター席。正面が池や、田んぼ。水鳥が行き来する。おいしいコーヒーを片手にぼんやりする時間が、なんとも贅沢。「ここがいいよ」「あそこがいいよ」と聞けば、ランチに行ったりしたが、同伴登校をしていた時は、そんなことは皆無お昼は、学校で子供たちが、給食を食べているのを横目に、持参したお弁当を食べていた。。。半年前に、また不登校になってからは、毎日毎日一緒にいるよりも、私の時間も大事にしようと、出かけることに決めた。後ろ髪をひかれることなく、出かけられるようになった。そして、見つけたのがココ私のお気に入りの場所。。。
2007年03月22日
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うちの、子供たち…”口癖”の様に、何かにつけ連発する。「もう、お母さんのせいやけん(お母さんのせいだから!)」何かうまくいかない時。何かに失敗した時。やりたくないのに、やらねばならず、とってもめんどくさい時。いちゃもん なのだ。たいていは「はい、はい…(いつもの事ね)」と、聞き流す。時には、「知らん」と言って、その場を離れる。 その後、フォローする。今日は、その”いちゃもん”を、父親に向けた息子「オレ、スイカ(バレンタインのお返しに祖父からもらったもの)食べたかったけど、父さんが、”歯磨きしろ”って言ったから食べれんかったけん。オレ、食べたかったのに・・・」(強迫症状のある)娘「誰が、辞書(私の机に)置いたんなんで、置く前に言わんかったんもう、汚いのに(強迫症状ゆえ汚いと思ってしまう)」もちろん、父親には父親の言い分がある。息子は、ぐずぐず朝ごはんを食べていた。娘の辞書は、テレビの上に私が置いたもの(すまん)。ちゃんと、やることやってから好きな事すればいいやんぐずぐず(ご飯食べたり)するのも、きちんと出来てないのも、僕は嫌いなんだ彼は、もともと超きれい好きで、ホテルのような(生活感のない)部屋に住みたいと、これまた”口癖”。自分に厳しく、人に厳しい。待つことが嫌い。。。いや、でも、だいぶんまあるくなりましたよで、彼は、ダイニングのテーブルで仕事していましたけど、おこって、出て行きましたたぶん、会社お休みの日に、せっかく、家族と過ごしたいと思っても、仕事が残っている。穏やかな休日を過ごしたいのに、いちゃもんをつけられる。姉弟喧嘩がこれまたすごい(先日の日記にも書きましたが…)。家に、居たくなくなるのも当然と言えば当然。でもね。。。経過は違うにしても、私だって、子供だって、「もう」って腹がたって、出て行きたくなる時があるわけです。しかし、そんなに長時間いられるところはないわけで…職場という逃げ場があっていいなぁと思うわけです。(本人は、ただただ、腹が立ってそんな風に思わないでしょうが…)
2007年03月21日
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年に3回ある個人懇談。なんだか、肩にすごーく力が入って苦手だ。子供の成績のこと、学校生活でのこと、色々教えていただける。なんか、しでかしていないかとドキドキするが、割といいところを見つけてくれる先生たちなので、その点ではありがたい。でもなぁ…。子供の事なのだが、自分の事言われてるような、親としていかがなものか…評価されているような気分なんだよね。。。で、うちのお姉さまの事、お願いしたかったんだけど…5年生になったら行く気らしい、今の所。。。「配慮はしますけど、約束は出来ません。」(そりゃそうだ)「で、4月になったら、新しい先生とお話というか…出来ないんでしょうか?」先生「出来ません。4月、始業式の日に全部発表という形なんで…それまでは伏せられているから。」(それって、お互いにドキドキだよなぁ。。。)あーこの後味の悪さはどこから来るのか たぶん、私の気持ちをうまくかわされたことかな・・・1年間、過ぎてみれば早かったなぁ。ま、明日は祝日。一日、ゆっくりいたしましょう
2007年03月20日
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とても、有名なこの曲に私が最初に出会ったのは、愛娘が幼稚園の年長さんの時の、最後の音楽会。この曲は、確か、草薙君主演のテレビドラマの主題歌だったと思うが、ドラマを知らなかったので、娘から教わったようなものだ。音楽会は、毎年2月にあり、1年間の締めくくりの行事のようなもの。カトリック系の幼稚園。発表するのは、 合奏曲 1曲 賛美歌 合唱 1曲 (普通の!?)歌 1曲 という構成になっている。この曲の演奏は、当時の担任の先生のエレクトーンからだった。元気いっぱいに歌う子供たち曲の歌詞を、聴きながら「いい歌だなぁ…」と同時に、こんなステキな歌を、幼稚園最後にプレゼントしてもらったようで、感謝・感激・雨・霰 状態この先生は、この年を最後に (出産)退職されることになったいた。(現在2児の母。)8年間の教員生活の締めくくり。娘が大好きだった先生。年少・年中と2年間受け持っていただいた。今でも、暑中見舞いと年賀状とお誕生日カードを送ってきてくださる。我が家の、電話の着信音は、いまだに”これ”♪この歌詞の意味、その時の先生の気持ち。きっと、わかるまでは、まだしばらくかかるだろう。でも、わかるその時、それは、娘の背中をそっと押してくれるに違いないと思う。。。
2007年03月20日
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娘には、軽度ですが”強迫症状”があります。どんなことかというと…よく手を洗う(これ基本!?)ため、手の甲がガサガサ、ひび割れ。ある物を”汚い”と、認識すると狂った様にこだわります あるものとは。弟の物(おもちゃ、服、etc…)であったり。 たとえば、学校に行って、授業を受けている えんぴつや消しゴムが 床に落ちる 休み時間に洗う 弟の使っていた場所に自分のものが落ちると、すぐ消毒する。 (キッチン用除菌スプレーなどで) 汚いと泣き出す口癖は…大丈夫(汚いかどうかの確認) 消毒して 洗濯して 汚い 姉弟げんかをしたときなどは、「なんで、○○(弟)を産んだん」 「ぶっ叩いてやる」 「あいつなんかいなくなればいいんだ」など、聞くに堪えません。。。 なんで、こうなってしまったか…理由は、たぶん父親。4年生になった4月から、学校(母子で)に行き始めました。 担任の勧めで、ほぼ毎日。フルタイム。 わりと、いい感じで行ってました。すべてがいい調子に、行っていた矢先。9月。担任に放課後、居残りで話があったようです。 「もう、そろそろ5年生になるし、週に2日か3日、一人で学校に来れるようにがんばってみないか」 それは、愛娘が”今日はがんばって一人で行ってみる”と言って、きっと心細いながらも、一人でやり過ごした日でした。”ちょーむかついた”と言って、帰ってきました。同じ日の夕方…ピアノ。 発表会を約2ヵ月後に控えてのレッスン日。いつもの様に、練習もせずに行った。帰ってきたら、すごい落ち込んだ顔。どうやら、ピアノの先生に”きつーく”しかられた様。約1時間ほどは、部屋の隅っこに行って泣いていたっけそんなこんなで、急に、学校へまた行けなくなった。それまでも、時々休んでいたりしたので、私も特にあせるようなことはなかったと思うんだけど…父親は、受け入れるのが難しかったようだ。学校を休み始めて、数日たった後、仕事の都合で2週間の出張。このときに「○ちゃんが、学校に行っていないんだったら、お父さん、もう(家に)帰らんわ…」など、言ったらしい。それを言われて泣いていたっけ… うちの子、パパ大好きなの…その後も、学校に行こうとしない娘に、”言葉の暴力”「もう○ちゃんの、お父さんやめる」「施設へでも、どこでも行かせて、育ててもらったらいいんや」私は…「そんなこと言わないで」など、夫に対して発言をやめさせる事は、主張してきたが、娘の気持ちのフォローまでは、出来ていなかったと反省(今は、夫も重々反省しています)そんなこんなで、気がつけば、強迫行為言葉遣いは悪い(どこかの不良娘のよう)し、何かにつけ、一番弱い(小さい)弟に当たる。叩く・つねる・ける。でもね。よく見ていたら…あらあら父親に言われたこと、されたことを、そっくりそのまま弟に対してやっています。。。(夫は、叩いたり、つねったり、けったりは、していませんよ。ほっぺたを何度かひっぱたいたのは私)本人に自覚はないでしょうが、面白いくらい似たようなことを…親として、見ていると本当につらいんですよ。弟を言葉と態度で傷つけるのも、見るに耐えません。一番つらいのは、本人です。わかっています。何でこうなってしまったのかなぁと、思うけど、たぶん、自分たち(親)が、まいた種なんでしょう。時間をかけてゆっくりと、この状態から抜け出せるように、背中を押してやるしかないでしょう。あーぁ・・・でも、つらい
2007年03月19日
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ご報告。先日(ここ参照)”行くから”と、言っていた月曜日でしたが、結局行きませんでした。ちょっと、期待していたので、残念ですが、まぁ、それも良しとして。。。私は、今年度最終のソフトバレーに行ってきました。最後は、またまた、うどんで締めくくり春休みに、お引越しする友人も何人かいて、さみしいなぁと思う今日この頃でした
2007年03月19日
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日曜日、公園に遊びに行った帰り、大型スーパーへ晩御飯の買い物に寄った。相変わらず、お客さんが多い所。買い物カゴをカートに乗せて、食料品売り場を、ぐるっと一周。会計をしにレジへ。どこへならぼうかなぁ… 10箇所くらいのレジ稼動中。ここ、ここ前には、買い物カートと幼稚園(今度年長さんくらいかな…)の男の子この子のお母さんは、買い忘れそうになった物でも、取りに行ったのかな…その子の前には、60台半ば位のおじいちゃん「もう」声のする方を見ると、どうもその子のママ 怒りながら戻って来た「カートに触るなって言っとったやろ 他所の人にあたっとるやんか」バシッ と一発、頭をはたく「もう」・・・で、カートが当たったおじいちゃんには、知らん顔もちろん、バツが悪いだろう。。。それは、わかる。私にだって、そんな経験 数限りないでもね。相手に誤るのが先じゃない?子ども自身、親から怒られて、反省することも大事だよ。でも、親が、自分(子ども)のした事で、他所の人に謝る姿をみて、学ことだってあるはず。まず、そのおじいちゃんに「すみません」と、一言謝って、「触るなと言ってたよね」と、言っても遅くないし。それに、親の都合で、順番取りに並ばさせておいて・・・カート押してしまう事くらい想像できなかったのかね…このママさんは。後ろに居た私は、何か後味の悪い思いをしたよ。
2007年03月18日
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3月17日の直島 心配したお天気も、どこへやら…行ってみてかった直島へ、やっと行くことが出来た。女6人、子どもが幼稚園の頃からの友だち、知り合ってからは、もうかれこれ丸7年になる。子どもたちは、それぞれパパとお留守番。10時14分 高松港発のフェリーに乗って、いざ出発島内は、町営バスと、徒歩で移動。ついて最初に、バスに乗り、移動。第一の目的は、ランチと家プロジェクト 私は、家プロジェクト(南寺)と、町並みが、特に気に入った第二の目的は、地中美術館 これまた、最高 訪れた人にしか わからないであろう・・・一緒に行く仲間・天気・場所・空気・食事…何もかも、揃っていて、最高の一日だった。。。ひとつ残念なのは、日帰り旅行だったので、時間が足りなかったことだけ。これは、日ごろがんばっている私たちに、神様がくださったご褒美かもしれないと思った。いやいや、日ごろがんばっている私たちに、夫と子どもがくれたご褒美だ。。。
2007年03月17日
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昨夜、担任の先生から電話が、あった。「今日、帰ってからどうでしたか」(かなり、神妙な様子…)「えっと、”疲れたぁ~”とは言いましたが、”遊ぶ約束しとるけん”って言ってお昼ごはん食べて、とっとと出て行きました」「ぶははははっ、そうですか~」33歳、もうすぐ3人目が生まれる予定のパパ電話の向こうでは、にぎやかな子どもの声と、おもちゃの音がしていた。「明日なんですけどね。最後のテストがあるんでね…」「あっ、”明日は行かんけん。月曜日から行く”って、言ってましたよ」「そうなんですね・・・。」ニュアンス的には、ちょっと残念なようなちょっと安心したような「ほしたら(”そうでしたら”の意味)、月曜日から来れたら、5年生にスムーズにつながっていくような気がするんですけど」「はい」「月曜日からは、短縮授業やし、帰るんも早いし…お楽しみ会もあるし…、あ・と・は…、図工とか’ちょこちょこっと’仕上げをせんといけん子(仕上げをする必要のある子)が、何人か おったりするけど、○○さん自身が”自分は何もやっていなくて何も手元にない”ということを、乗り越えられるかなぁ~~~、それだけですかねぇ」(先生は、娘が完璧主義でプライドも高いのをよく知っている…)「はい。」(母としては、そんなん”乗り越えられて当然”というか…”それは、わが子が自分でとる責任”だと思っているのですが…、先生。。。)「後、4日。来れたらええですねぇ」(なんだか、先生うれしそう)「まぁ、全部来れたとしても、何日かしか来れなかったにしても、悔いが残っても、それは彼女の力になると思うんですよね…」「はい」(先生!私の気持ちと一緒じゃん。なんで)「悔しかったら、次、がんばったらいいんですよ。そりゃあね…クラスの仲間で楽しいことや、課題を乗り越えることを(”達成感”というやつ)、一緒に味あわせてやりたいですよ、僕も。でもね、こっちがいくらお膳立てしてもね…それは、結局、今の彼女の為にならんと思うんですよね僕。」「はい」(そうそうその通りよ先生)まぁ、後、雑談やら色々。15分くらいお話したかな…。私が、今、彼女に対して思っていること。先生が、彼女に対して考えてくれていること。立場も違うし、正解なんてないけど。明日につながっていますように… その先に笑顔がありますように…と、いうことだと思う。1年前、先生と初めてお話したときはすごく強引で自信たっぷりな印象をうけた。思わず、退いてしまいそうだったけど、”まぁ、そんな考え方もあるし…。とりあえず、そのやり方に合わせてみよう”と決めた。うまくいった時もあったし、へこみまくった時もあった。でも、先生と話をしていると、”休みの日も、仕事が終わって家に帰っても、仲間と飲みに行っても、ひょっとしてこの先生は、娘の為に色々考えてくれているんだろうなぁ”と、思うようになった。来年は、先生自身、転勤のつもりらしいので、また、受け持ってもらうというのは無理だと思うけど、この1年間があったから、また次、がんばれそうな気がする。そう思ってしまうようないい先生だった
2007年03月16日
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2年前、1月から不登園&不登校をしていました。愛娘の担任からは「明けない夜はない」と、教えてもらったものの、ずーっと、真っ黒な出口のない長いトンネルの中に居るようでした。その間、”私と同じような状況の人は居ないものか”と、パソコンの前に座り、色々と検索したりしましたが、いまいちよくわからず。でも、その時に出合った本心を抱きしめると子育てが変わる 著者 萩原 光(はぎはら・こう)から、この方のHPがあるのがわかり、そこの掲示板によく行きました。八方塞のような、一番苦しい時期でした。新年度となり、わが子達はそれぞれ小3と年長。共に、新しい先生・新しいクラス・新しいお友達。学校の方は、週一回は、放課後先生に会いに行ったりしてたかな。先生も、不登校の子を受け持つのが始めてだったらしく、そうとう気をつかったんじゃないかな、と思う。息子の方は、男の子だしエネルギー有り余ってるし半年不登園した後の6月、元気に幼稚園に復帰し、その後は、彼なりに楽しんでいました。よかった、よかった。 この時期、学校ではそろそろプール開きの時期…担任の先生から、学校の前の歩道橋からプールが見えるから見に来たらと、言われ、”隠れてこそこそ”見に行きました。最後の最後、プールから教室へ戻るときに、娘の存在に気づいていた先生は、大きく手を振ってくれました。クラスのお友だちも、みんな手を振ってくれて「○ちゃ~ん」って、名前まで呼んでくれて、娘はとっても、うれしそうにしていました。そして、体育(水泳)だけでも来たらと言われ、再び母子同伴登校(体育だけだけど…)がはじまりました。
2007年03月15日
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今日は、卒業式。何日も前から、練習して、予行演習もあって、そしてこの日を迎える。もう遠い昔のことになるが、自分の式のときの記憶も少々ある。家の子達は、まだ、送る方…息子は、大好きな6年生のお兄ちゃんが卒業するので、寂しいみたいだ。。。…で、うちのお姉さま。昨日、「明日、学校行きたいから、電話して」と、突然言い出した。まあ、電話くらいは時間を見計らって、いつでもしてやれる。なぜ、そんなことを言うのか。理由は簡単。下校が早い(お昼で終わり)から。4年生になってから、同伴登校をしていても、学校が終わるのが早い日は、一人で行けたりしていた。で、電話をして先生に「明日行くつもりらしいので…」と、話した。「えっ」、先生は電話の向こうで、明らかに当惑していた。だって、ぶっつけ本番で式に出ることになるのだ。私だって、「マジで」って、感じだったもの。でも、行きたい時に取りあえず行けて、やっぱり、学校は友だちが居るから、行きたい と思えるようになればいいかな。と、思う。この経緯を全然知らなかった夫は、朝起きて、お姉さまが制服に着替えているのを見て、うれしそうに、ゆめ と言った。彼女も、うれしそうに照れくさそうに笑った。約、1ヶ月ぶりの学校。春休みまで、後、数日。今日がいい一日でありますように
2007年03月15日
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初めての出産の時に、”母親学級”で知り合った友人。初めて会ったのだが、同い年という事もあり、意気投合。共通の友人までいたので、余計、親近感が沸いたのだ。お互いに、実家の住所(彼女も私も里帰り出産。自宅は沖縄。)を教えあって別れた。私のほうが予定日が早かった(と、思う)。実際も、私が先だったが、私が娘を出産した次の日、彼女は軽い陣痛(彼女は二人目の出産だった。)が来ているということで、ちょうど入院の用意をしてきていた。もちろん、私は自分の報告がてら、陣中見舞いに行った。結局、彼女は、その時、未遂に終わり、2週間後に出産した。彼女の赤ちゃんも女の子だった。そんなこんなで、徳島と沖縄と、年賀状・暑中見舞い・その他に手紙のやり取りをしたりしていた。出産から8年後の一昨年の4月、久しぶりに高松で再開出来た。ちょうど、お祭りをしていたので、それを見に来てくれたのだ。その時の彼女のわが子に対するまなざしで、すごく深いものを感じた。この人すごいと、素直に思った。彼女は、乳がんを患っていた。手術は乳房の除去手術だったそうだ。抗がん剤治療も、進んでいたようだった。私もあれこれ聞けないので、彼女が話してくれることに耳を傾けた。彼女のまなざしは”死”と向き合ったからか、優しく強かった。「バスや電車も、一人で乗ってくれるようにならなきゃね」彼女は笑って言った。「あ~しなさい。こ~しなさい。」ではなく、何か課題があったら、取りあえずどうしたらいいかを考えさせて、答えが出るまで待つ。大事なことだけど、なかなか出来ないよなぁ…私。いつも一緒に、いつまでも一緒に入れるのが当然。でも、それは、錯覚に過ぎないのかもしれない。もし、何かで、今、親が逝ってしまった場合、子は路頭に迷ってしまう。生きていく術を、あまりにも知らなさ過ぎたら、立ち直るにも、それ相当の時間も掛かるだろう。おじいちゃん・おばあちゃんが元気ならまだいい。でも、”ぜったい”は在りえないのだ。久しぶりのうれしい再会から、私は、すごく大きなものを得た。
2007年03月14日
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息子が「もう、幼稚園行きたくない」から、母は覚悟を決め”不登園&不登校”生活が、スタートした。(息子が家にいる=私もいる=一人で学校に行けない娘は…やっぱり行けないので家にいることとなる)娘の方は、担任も、ほぼ納得。学年末までの約2ヶ月。登校刺激と、言われるものはというと、毎日のお手紙。「早く元気になって、学校へ来てね。」というもの。これは、今もだが、彼女は案外 楽しみにしている。(たぶん、ないと、”見放された”様に感じるのではないだろうか。でも、クラスのみんなからのお手紙は、正直言って負担だったようだ。)担任が一度、”紙版画”(図工)のことを、指導しに来て下さった。(彼女は、図工が好きなのだ。ひょっとして、出てくるかな?という、期待があったと、思われる。)複数担任の先生が一度、夕方、遊びに来てくれた。折り紙で作った”お相撲さん”で、遊んで帰ってくれました。学校の方は、どちらかというと、そっとしておいてくれた、かな?息子の幼稚園の方は、なんとか、登園するように働きかけてきた。こじんまりとした、全園児にある程度は目が行き届く、カトリック系の幼稚園。園長先生も、とっても気さくな方で、娘のことも相談したりして、よくお話していたので、わかってくれていると思っていた。けど、それは、お姉ちゃんのこと。そりゃ、「どうぞゆっくりお休みしてね」などと、いう答えは期待していないが、「お家の中は、あったかいでしょ」と、言われた。こう言われた事については、正直がっかりだった。。。でも、私もう同伴登校にも疲れてたし。”なにくそ”の気持ちはなかった。同伴登校の間、今時の小学校のいいところ・悪いところを、見てきた。よくわかったのは、自分が子どものときとは違うという事。小学校によって違うと思うが、ここの小学校は、とても勉強には熱心。宿題も多い。低学年から塾などのにも、結構みんな通っている。学校は”がんばるところ”みんなに負けないように…。クラスメートも、ある意味ライバル。小2でよ!個性なんて、言ってられない。先生だって忙しいのだ。クラスをギュッってまとめて、進めて行かなければならない。数人、零れ落ちる子がいて、当然だと思う。放課後も、まっすぐ家に帰れなければならない。(この世の中、仕方ないかとも思うが…)帰っても、学校の運動場にも遊びにも行けない。(なんて、窮屈な世の中だろう。。。)学校が、戦場だなんて思っていなかった。やっと、戦場から逃れ、家にたどり着いても、今度は鬼の形相の母(私)がいる。(出来れば、そうでなかったと思いたいが…。)娘は、何も言わなくてもまず宿題をするタイプ。生真面目で、優しくって、要領が悪くって、甘え下手。親が未熟なために、色々気遣ってやれなかった。今までを振り返ると、たぶん、私が子どもに甘えていたと思う。悔やんでも悔やんでも、時間は取り戻せないけど。もし、時間が巻き戻し出来るなら、今の私なら、きっと、上手に甘えさせてあげられたと思う。。。(でも、この経験がなければ、やっぱり今の私はなかったんだけど)家の中はというと、それなりに楽しかった。(強がり 忘れただけ…本当は一番苦しかったに決まってるじゃか)娘は、1輪車にも、上手に乗れるようになった。行けないのは、学校だけだったので、後は、時々、友だちの家に遊びに行ったりしていたかな。勉強は、あんまりしなかった。(今よりは、させていた。今は、ほとんどしない)
2007年03月14日
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幼稚園に朝8時までに、息子を放り込んで、小学校へもうダッシュそんなことを約半年続けた。娘の小学校が、まず、第一。だって、学校は行かなきゃ行けない所だし、ズル休みなんてしちゃいけないし。。。その間の、息子のことは、私の友だちや、息子の友だち関係、ご近所さん、幼稚園に、本当にお世話になった。このことは、私はいくら”ありがとう”と、頭を下げたところで足りない。感謝しても し切れないとは、こういうことをいうのだと思う。 私なりに 息子のことをフォローしてきたつもりだった。年が明け、1月半ば…”もう行きたくない”と、最初に言ったのは この息子だった。彼は、幼稚園が通常の時は、ほぼ毎日、お母さんと手をつないで帰って行く、他の園児や友だちの背中を見続けてきた。11月も、半ばを過ぎると寒くなる。この頃からか、彼は、風が吹きさらす廊下に出て座り、私が迎えに来る正門をよく眺めていたのだ。私を見つけると、急いで教室に入り荷物を持って出て来ていた。そんな息子が、「僕、もう幼稚園行きたくない」と、言った。半年、同伴登校続けたし…もういいか、休んじゃえこれで、娘も、学校行きたくないと、改めて母親に訴えることが出来た。そうして、母と娘と息子…いったん、立ち止まってみることにしたのだ。
2007年03月13日
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さて、母子分離不安と同時に、母子同伴登校がはじまったわけだが・・・母子分離不安、愛娘の場合赤ちゃん返りのひどい状態。母はトイレも、一人で入れない。何かにつけ、お母さん、お母さんと、後ろを付いてくる。表情だって、たぶん、精神状態がそんなだし、いいはずが無い。学校で休み時間に、彼女に何も言わずにトイレに行くと「なんで、トイレに行くって言ってから行かんの」と、怒られるスーパーへ、晩御飯の買い物さえも一人で行けない。休みの日も、”パパとお留守番”なんてことさえ、無理。母子分離不安なんて言葉さえ知らなかったので、私は娘の頭がおかしくなったか、ひょっとして、目には見えていなかった”障害”が、表に出てきたのか…と、思ってしまっていた。学校の先生はなんて思っているんだろうな、”学校に一人で来れないこの母”か…あぁ、情けないなんで、私が一緒に行かなきゃ行けないの?よその子は、一人で学校に行けるのに、何でうちの子は行けないの?なんで?なんで?なんで?私に対する嫌がらせ? そんなことさえ、考えている私がいた。とりあえず、息子の幼稚園(毎日・お弁当、送り迎え)のことも気になる。当時、彼は、まだ年中5歳になったばかり。夫は、仕事が忙しい。気にはなるだろうが”即戦力”なんて無理。幼稚園に事情を話し、彼は、他の園児よりも早く登園し、他の園児よりも遅く降園することとなる。同伴登校は、7月から翌年1月まで続いた。その間、朝8時までに、息子を幼稚園に送り届け、その足で、自転車の後ろに娘を乗せ全速力で、学校を目指した。幼稚園から小学校までの道のりには、電車の線路がある。1時間のうち8本電車が通る。何度も、踏切にも引っ掛かる。最初の頃、このまま電車に轢かれたら、一緒に学校行かなくても、済むのになぁ。何度、こう思ったかわからない。結局、母は、自分自身がかわいそうで、娘のつらい気持ちに寄り添うことがなかなか出来なかった。未熟な母だった。24時間、彼女と一緒にいても、それは事実としてだけであって、心は、そっぽを向いていたのだ。秋には、遠足もあった。何日も前から、楽しみで楽しみで…という人も、多いはず。”お母さんは、遠足には行かないよ”(娘を試すつもりだった。”遠足には行けるだろう、そして、自信をとり戻して”という、願いからだった)と、伝えていた。彼女は、その遠足にさえ、行けなかった。この頃になると、私も、考え方が変わっていた。心を、寄り添えるようになってきていたと思う。
2007年03月13日
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2年前の、6月。愛娘は小学2年生。運動会が終わり、代休明けのある日。”学校に行きたくない”始めて彼女が訴えた。(運動会前に、夜中に、寝言のような”頭がいたい”が、3回くらいあったので気になって、頭を見てもらいに小児科へも行った。)それまでも、幼稚園行きたくないなど、何度か乗り越えてきたのだが、いつも、どちらかというと、突き放して来た。今度ばかりは、ちょっと付き合おうと思い、しばらくの間、通学路の途中まで、一緒に歩いていった。それから、約1ヶ月。今度は、”学校辞める”と言い出した。。。無理やり連れて行き、担任の先生が「○ちゃん、取りあえずランドセル自分の席に置いておいで」と、彼女に言った。その隙に、私は先生に促され、逃げるように彼女を残して帰ってしまった。。。(後で、気がついた。これが、母子分離不安の始まりだった。)翌日”学校辞める”そんな言葉、私の辞書にはない。行かなきゃ行けないところ。また、無理やり連れて行く。今度は、私の後ろにへばりついて離れない。「先生なんか嫌い。先生なんか嫌い。」呪文のように、小声で言う。置いて帰ることも出来ない。離れないし。(そりゃ、母子分離不安だもの。)”学校ズル休みする”これも、私の辞書にはない。ここから、母子同伴登校の始まり。
2007年03月13日
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芸能人や、ドラマ等にも、うとかった愛娘。ただ今、小4。最近、WaTやKAT-TUN、嵐、NEWSなどに興味深々。毎週金曜日は、花より男子も、起きて見ている。母の私は…というと、息子とお布団の中。息子も、姉が見るなら、自分も見たいらしいが、”眠たい”が、見え見えなので、「寝よう」と、誘うのだ。当然、私も寝てしまうことが多くなる。さてさて・・・「お母さん、SMAPの中で誰が好き?」(SMAPは、さすがに昔から知っている。)「え~っ・・・ 選べない」(母、SMAPは、みんな好き…)「私は、吾郎ちゃん」「ねぇ、お母さん、嵐で誰が好き?」「ふふふっ、二宮クン」「へぇ~・・・私は、松潤。。。じゃあWaTは?私、小池クン」「う~ん」(だから、選べないどっちかって言ったら…ウエンツ君)「KAT-TUNは?」「誰が、誰かわからん(亀梨クンはわかるけど…)」「NEWSは?」「あっ あの人 ”1リットルの涙”に出てた人」「あ~、あれね…」(名前は、やっぱりわからないらしい)「じゃ、○○(あなた)は?」「ん?」(わからないんじゃんか)5歳違えば、世代が違うというけれど…母娘では、えらいこっちゃ出来るだけ、娘のご要望にお答えしたいのだが・・・「じゃぁさ(顔で)誰が好き?」「ふふっ パパ」「だからぁ、テレビに出てる人」「ミスチルの櫻井クンでしょ、福山(雅治)クンでしょ」「???はぁ」娘よ…コンサートに行きたければ、一緒にお供するぞそれくらいは、出来るぞ
2007年03月13日
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昨日、サンメッセ香川でフリマがあり、前回の12月と同様、”オーラ診断が出来る人がブースを出す”というので、仲良し5人で行ってきた。すごく広い会場で、そのブースを探し当てるのに時間が掛かったが、運良く、待ち時間なしで見てもらった。私の番になり、正面に座った。(私は3番目。)「今日は、私じゃなくて、娘を見てもらいたいんです。(と、携帯の写真を見せていたら)」急に「わかった、さっきから”急に寒い”と思っていたら…」「えっ 何」「あなただったんだ。 除けてもいいですか?」(息も、苦しいらしい)「えっ私についてきてるのはい、お願いします」「寒くなかったですか?」「うん・・・別に。えっどこで、付いてきたんだろう」「人ごみとか、疲れませんか?」「今日は、多いなぁ。って思っていた位だけど」「波長が合うと付いてくるんですよ。」「あっ、はい。(それは、江原さんので知ってるぞ)」「イライラしたりしませんか?」「特に…(子どもが言うこと聞かないとイライラする・・・。けど、いつもと同じ度合い)」本題は…というと、愛娘はオーラも大きいし、心配いらないと。学校だけがすべてじゃないし…(それは、わかってるけど。人に言われると、ちょっとつらいかな)私のオーラは…緑 らしい。(前回はオレンジよりの黄色)ちなみに、愛娘と一緒だが、緑のオーラの人はどっしりとした安定感のあるタイプ。やさしくて調和のとれた性格で、多くの友人に恵まれる。知的で勤勉だが、好奇心に乏しく無欲な面も。時には、冒険も必要。だとか。人ごみに行くときとか、行きたくない場所へ行かなければならないときには、お腹とお尻に力を入れて、”気合”を入れてとアドバイスされた。 お守りのお塩も下さった。まさか、ついて来てるとはよかった、除けてもらえて昨日は、ラッキーだったということにしよう・・・注:写真と本文は、一切関係ありませぬ。家のベランダのチューリップ
2007年03月12日
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16cm角の額の中に、12センチ×12センチのミニチュアのケーキ屋さん。キットで1200円くらい。いつも、暇をもてあましている愛娘にプレゼント学校では、ドールハウスくらぶ細かい作業が、大好き。紙粘土でも、時々、パンやケーキを自分で作っている。最初は、とっても喜んだ。彼女は、初めてのことをする時は、失敗したくないからか、必ず人をあてにする。説明書さえ、読まずに わからん と 怒る今回も、同様。私も、出かける用事があったので、簡単に説明し、取りあえず、出来る所だけすればいい。わかる所だけでいい。少々、間違えてもかまわない。・・・と言い残し、出かけた。帰ってくると、とても、ご機嫌。自分一人でも出来ると、思ったか、自分なりの、応用も利いたか・・・結局、彼女一人で、2日足らずで完成。「どうだ、すごいだろ」 と彼女「ほほぅ、やればできるじゃん」 と母いつも家で遊んでいる姉にプレゼントしたと、息子はふくれっ面、今度また、埋め合わせするからね
2007年03月11日
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夜、ご飯を食べに はなまるうどん(セルフのお店)へ行ったo(^-^)o子供たちは、それぞれ温玉うどん。私は、釜上げ。お茶を汲みに行ったところ…私の番で お茶の葉が新しくなったのだ。たいした事では、ないけれど…ちょっと、うれしかった(∪o∪)。。。
2007年03月09日
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目をつけられたいやいや、わからない。 ・・・たぶん善意。月曜日は愛娘がカウンセリング行った(私は別室で待機)火曜日、今度は私の番。前の日に娘がした箱庭や、最近の様子などから、今後どうするのがよいでしょうねと、カウンセラーの先生とお話する日。出かける前に、呼び出しチャイムがなった。同じ団地の奥さんかなと直接、玄関を開けて「はい」と出ると…そこには、見知らぬ女性。(あっ、またやっちゃった セールスや宗教の勧誘…よく、いらっしゃる)そのおばちゃんは、おもむろに”倫○(社団法人○践○理○○会)”とやらの、雑誌を出しいかに家庭教育が大切かと語りだし自分の手にする本にどれだけ大切なことが書かれているかを話した。「ぜひ、読んで下さいね。。。」「はぁ・・・」「300円です。お願いします(と、深々と頭を下げる)」 (あっ・・・ お金がいるんだ)お金(たかが300円)がいることと、買ってしまったがために、後々いらして頂いても…勇気を振り絞って、断った(頼まれると嫌と言えない性格・嫌われたくないのよね、たぶん・争いごとも嫌いなのよねO型だし)でも、その時に言わなくてもいい事を言ってしまった。(いつもしないこと”断る”をしたからか・・・出かける(カウンセリング)用意をしないといけなくて、急いでいたしなぁ。)「うちの子、不登校なんです。今日も、カウンセリングに行くし。いろんな話も聴きに行ったりしているので、これはいりません。すみません。」言った後で気がついた 言うんじゃなかった。おばちゃんは、また かばんの中から、2~3ヶ月前の号を出して私に手渡した。この受け取りは、拒否できなかった。で、その時のおばちゃんが、今、呼び出しチャイムと共に鍵のかかっていなかった玄関の中に入って来ていた 「あぁぁぁぁぁ、あのときのおばちゃん・・・」(私の心の声)どうやら、あの後、自宅に帰ってから、色々考えてくれたらしい。私に合う本(不登校関係?)を、「読んでね」と3冊持ってきてくれたのだ。生きる力 という文庫本も手渡された。「感想、今度聞かせてね。。。」「あっ、はい」あーどうしよう 受け取ってしまったし困ったなぁ強制されて読みたくないし 宗教ではない、と言っていたけど・・・なんて、バカ
2007年03月09日
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三木町にある、お花屋さん兼雑貨屋さん。アントステラなどを取り扱っていて、すごく感じのいい大好きなお店。遠くてなかなか行けないけど(遠いって言っても、車で30分もかからないけれど…) これなんでしょう 正解は パセリ同じく…三木町にある レストラン&ガーデン(苗やガーデングッズ販売あり)レストランは、有名店で修行をした若いシェフがいるそうだ。お店は、そんなに大きくないが、暖炉があった(癒される~)。お庭ではガーデンウエディングやパーティができるそうだ。お庭を散策中に つくしの群生を 友だちが見つけたここ数年、つくしにはお目にかかっていなかったので、うれしかった今日は、愛娘が幼稚園に入園してから、お友達になったママたちとの久しぶりの 楽しい時間だった。5人集まれば、シーンとなる時間は皆無に等しい。「あーでもない、こーでもない」と、たわいもない おしゃべりが 楽しいのだ。ステキな雑貨や可憐に咲くお花たち、おいしいお食事、お庭の木々。いろいろなエネルギーをもらって、また、私もがんばろうお留守番してくれた愛娘に感謝 (ママが作った お弁当の野菜も食べてね )
2007年03月08日
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練習風景(試合)今日も、ソフトバレーでした。週に1度の、”動く!”日ですみんな真剣今日も、また別のチームとの初合同練習だったが、相手はまたまた、強かった!何が違うのか…分析するに、”相手はとにかく取って、取って取り捲る”取りあえず、取って返すみたいな…。我がチーム、なかなか点が取れないでも、勝ちたい (ごめんネ、足をひっぱているのは私かも・・・。)がんばろう練習後の、ランチはまたまた、うどん今日は、まるいち(詳しくはココ)、私は釜揚げ(大)&こんにゃく(おでん)&かき揚げ(てんぷら) 〆て470円也お腹も、心も大満足心地よい疲れまた、今度も楽しもう
2007年03月07日
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私のお勧めです認知度が高いのは リラックマ だけど、 私は、次の日ケロリが好きです。(詳しくはここ、キャラ劇場必見)なぜか、落ち込んだときにきみどり色のかえる 元気になると 真っ白のかえるに変身する友達は、「トチュウ」という名の おたまじゃくし ケロリが落ち込むと出てくる「にじ虫」本も出ています。次の日ケロリ いつだって明日はいい日 タケウチユミコ (主婦と生活社 840円)そのなかの、特に私のお気に入りは 大きいものを 見た後は 自分が小さく 見えるケロ 悩みも小さく 見えるケロ 夕日が 話しかけてきた 「ま、いいケロ」 夕日に向かって…ケロリとトチュウ口ぐせは。。。ま、いいケロ
2007年03月06日
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本の中に気になる一文がありました。 やってもらえたことはやれる。 やられたことはやってしまう。あ~そうか…そうなんだ。そうなんだよなぁ。すごくヒステリックに怒鳴る母親を見て、”私はこんな親にならない”と、何度となく思ったけれど、結局は、同じことしてる自分がいる。「世代間連鎖」のことを、わかりやすく表現している項です。 あなたが「わが子を甘えさせられない親」だとしても、それは「あなたのせい」ではない。あなたは、「親にされたまま」をしているのであり「親にやられたこと」をしているだけ。 う~ん…伝えたいことは山ほどあるのに…思考回路が~。本を、読んでいただければよくわかりますけど。私の場合、愛娘を甘えさせてやりたいけど、どうしても、受け入れられない(ことが、多々ある。)。寄ってこられると”逃げたい”衝動に駆られることだってある。頭では、よくわかっているんです。「今、求めてきている時に、十分答えてやることが、この子にとって、一番いい」と。「抱っこして~」と来る10歳。「え~っ(T_T)」と、拒否反応の母。自分のときはどうだったか…。甘えた記憶…、あるかな・ないかな。覚えていないだけかな。でも、孫を見ていてばぁばの一言。(今から7・8年前のころのこと) 「あんたは、もうちょっと、しっかりしとったよ」 「そう?これが普通じゃろう…。」 「いーや…あんたが、甘やかしすぎとんよ」 「そうかなぁ・・・。」 はい、いまよくよく考えたら、わかりました。 たぶん、甘えることをさせてもらえてなかったのかな。 抱き癖が抱つくから、抱っこしないほうがいいという時代にうまれ ちゃったもんなぁ。 1歳4ヶ月違いの弟もいました。 母はそれどころで、なかったんです。たぶん。この項にはこう書いてあります。 想像してみてください。あなたの子どもが親になったとき、あなたの孫を「感情のゴミ箱」にしているのを目の当たりにしたら、あなたはどれほど心を痛めるでしょう。孫も子どももかわいそうでならず、自分のしてきた子育てを悔いても悔いても足りないほどに後悔するに違いありません。 親というのは「子どもの思いを包む者」「子どもの処理しきれぬ感情を吸い取ってやる者」のことです。それが「甘えさせる」ということの本質です。子どもを甘えさせてやりましょう。必ず甘えさせ上手な親になります。甘えさせ上手な親になるばかりでなく、世間との折り合いも良く、社会や人々の力を上手に適切にいただきながら幸せな人生を築き続ける人になります。子どもに、「人生っていいもんだよ。生きるのは楽しいよ」と、伝えられる親になります。 「甘え上手」は「生き方上手」でもあるのですよ。あたしも、これから、「甘えさせ上手な親」になれるかな。なりたいな。後悔だけはしたくないもんな・・・
2007年03月06日
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相田みつを いのちのことば 育てたように 子は育つ 相田みつを書 佐々木正美著この本は、もうたぶん、6~7年前から手元にある本だ。最近は、ずっと本棚にしまいこまれたまんまだった。最近、”本気”という本(詳しくは、2月22日の日記を見てね。)購入して、改めてページをめくってみた。それは、本当になんとなく・・・だったのだけれど、あるページで、私は涙を止められなくなってしまった。 欠点まるがか えで信ずる2年前から、学校に行けたり行けなかったり、繰り返す愛娘。家にいても、勉強はしない・だらだらする・朝起きてこない・etc・・・勉強がわからない→たとえ学校に行ってもついていけない→ますます学校行っても楽しくない 悪循環にならないか?中卒で なんか仕事あるの?世の中、何もかもお金、お金…仕事しても、長続きするの?ひょっとして、このままニート!?「親が信じてやらなきゃ、誰が信じてやれる?」「でも、この状態を見て、何を信じればいいんだ?」「何がどうなったって、最後まで責任を持つのは”親”でしょう!」 さてさて、何度このようなやり取りを夫としてきたか…。 しかし、私だって”何をどう信じれば”いいのか、わからない。 だって、必ず行かなきゃならないはずの、学校に行ってないもの。でも、この 欠点まるがかえで信ずる という言葉のおかげで 目からうろこが落ちたのだ。なんて、大きな言葉なの…。 なんて、小さい私。 まだまだ、親としても発展途上。未熟な母でごめんね。。。母も、もっともっと懐のでっかい人間になるからね。
2007年03月05日
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最近、読んだお気に入りの本子どもって、どこまで甘えさせればいいの? 山崎雅保・心理カウンセラー 本屋さんで見つけて、おもわず手に取りパラパラっとめくって購入したもの。中身は、イラストまじりで とてもわかりやすい PART 1 子どもって、どこまで甘えさせればいいの? 「甘えさせ」と「甘やかし」の違いがわかる30のQ&A PART 2 なぜ、子どもの甘えを受け止められないの? 「甘えさせ下手な親」が抱えやすい15の思い込み PART 3 どうすれば、もっとハッピーな子育てができるの? 「甘えさせ上手な親」になる7つのステップ 私が特に印象に残ったところは 「人生という山」を登り始めた子どもに、何を伝えたいですか? と、いう所。 ここに山があります。高い山です。でも、誰もが登る「人生という山」です。 その山を登り始めたばかりの子どもに、あなたはどんなアドバイスをしま すか? もしも、「この山は大変な山だ」と教えたらどうなるでしょう。 ・・・・・・略・・・・・ 私なら、こう教えます。 そりゃ山登りだもん、大変なところもあるさ。・・・略・・・ 確かに高い山だけど、誰一人登れなかった人はいない「人生という山」 だもの、心配いらないよ。頂上で食べるお弁当は、すごーく美味しいよ。 気楽にゆったり、自分のペースで登ればいいんだよ。そうアドバイスします。 なんだか、涙があふれて止まりませんでした。 私は、子どもに何を伝えたかったんだろう? 私は、私は・・・・・・ 「学校辞める」と言い、不登校になった愛娘に伝えたことは、 正論ばかり。一番よくわかっているのは、一番苦しいのは、 本人なのにね。追い詰めて、追い詰めて・・・。 一番、味方をしてほしい親(私たち)に、追い詰められて・・・ そんなんじゃ、愛情なんて、伝わらないのにね。 子どもを上手に甘えさせてあげましょう。と、書かれてあるのに あなたも上手に甘えていいよ。と、言われている気持ちになりました。 子育てに悩むママたちに、お勧めの1冊でした。 また、お伝えしたいと思います。
2007年03月02日
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北風と太陽 (イソップ物語) ご存知ですか? あらすじは (詳しくはココ) あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上 着を脱がせることができるか、という勝負をする。まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとするが、旅人は寒くなったので かえって上着をしっかり押さえてしまい、脱がせることができなかった。次に、太陽が燦燦と照りつけると、旅人は暑くなって今度は自分から上着を脱いでしまう。これで太陽の勝ちとなった。子育ても、そうかなぁと思う早く自立させようと厳しく接すると かえってうまくいかない「大丈夫 大丈夫」って、ニコニコ笑って見守っていれば そのうち自立していくのでは ないだろうかこう思いはじめて 早2年…そのうち、そのうち う~ん…まぁ、作戦実行出来てないからかな気持ちは あるんですけどね
2007年03月02日
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「がんばれ」っていうより 「だいじょうぶ」って伝えたい 信じる勇気あれば GO GO GO 結構(って言ったら失礼かな…)いいこと 言っているんだよね。案外、映画は ストーリーも いい。涙もろい私は、一昨年前の夏 ”ルカリオ”の時は 泣いたもん 年長さんだった息子も 「母さん…オレ 涙でそうだった」って、言った昨年の、”マナフィー”のは、めんどくさくて夫に行ってもらったけど
2007年03月01日
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卒業式も、そろそろでしょうか私も、高校の卒業式は3月1日だったな・・・高校の3年間は、特に楽しかった今でも、交流のあるのは、そのときの友達大事にしたいな、なかなか会えないけど。私ねー 本気で先生が好きだったんですよ~~~きゃー年は9歳も上だったけど当時 流行のホンダのプレリュード(紺)に乗ってた女子バレー部の顧問してたなぁ先生は好きだったけど、バレー部に入る勇気はなかったバレンタインデーには、手作りクッキー作って持って行ったな全然、本気にしてもらえず儚く散った 乙女心結局、3年間ずっと本気で追い続けたので(友達もそうだったので一緒に…この辺が怪しいか~~~夢見る夢子ちゃんだったのよ)高校生の時に 自転車で2列に並んで 登下校とか学校帰りに 制服でアイスクリーム屋さんとか出来なかったんです そんなん見かけると めっちゃうらやましいぃぃぃぃ夫とは その後 出会ったので 自転車で とか 制服で とか してないの したかったよ~ (先生と どうこう なったとしても それは 無理だけど… なーんだ、 結局 無理じゃんか)
2007年03月01日
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今シーズン作った作品です幼稚園のバザーに出しました。 せっかく作ったのに(^^; タンスの肥やし 友達のところにお嫁に行きました。 頼まれて編みました。 カフェオレ色の携帯ケース コバルトブルーのマフラーお気に入りでいつも一緒。軽くて、いっぱい入るので 中はグチャグチャ
2007年03月01日
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