2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全10件 (10件中 1-10件目)
1
最近のできごと 卒制仕上がり(開放感) 卒制提出(さらに開放感) + 漫才を見倒す(大爆笑)――――――――――――= 高熱で臥せる∴残りレポが手付かずまさに緩みすぎ。このままうかうかと臥せっていてはさすがにまずいので「ばか!」と自分を叱る。
2009.01.31
コメント(7)
卒業制作を製本してもらってなんとなく見た目は立派になった。するとそれなりにかわいくなってくるから不思議である。出来はともかくとして。。。ここしばらく、お部屋が汚部屋になりかかっていたので帰ってすぐ、放置していたボツ紙をざっくり捨てて掃除機だけかけた。しかしまだまだ散らかっている。年末に買ったプリンタの箱とか、帰省した時の旅行かばんとか、参考にした辞典類とか。。。卒制が終わったら、レポートを3本ほど書こうと思っていたが卒業要件単位にはあと1本で足りるので今の気分としては「ハハハハ、そんなの余計に書くわけないじゃ~ん」である。単位の計算間違いをしていたらビックリだけど。。。残ったレポートは漫才について。そこで、お正月に録画していたお笑い番組のビデオをさっきまで見ていた。ちょっとだけおかしいところでもワハハと声を出して笑い、ひとしきりアホになっていた。楽しく書けそうなので、6年間の最後としてはこれでいいんじゃないかな、と思う。明日は大学まで提出に行く。朝一に速達で出しても間に合うのか、わからないけど、粋狂で。写真は製本してもらったものの端っこ。Aさんに大感謝。
2009.01.27
コメント(6)
卒業制作をさっき印刷し終えた。通信制の大学。1年生のときにスクーリングで一緒になったOさんというかわいい人が卒業制作で小説を書いて、それを自分のスタートにしたいと言っていた。残念なことに、彼女とはそのとき以来会っていないが時々その言葉を思い出しては肩の力を抜くことで、なんとか仕上がった。しかし仕上がった後が実は問題で2人ほど読んでもらっておかしなところは直したがそれが終わった後もなかなか印刷に踏み切れなかった。「てにをは」レベルの細かいことがどんどん気になってきて直しても直しても直してもきりがないのだった。これを切り上げるのが何より一番難しかったような気さえする。まあ、時間切れサヨナラで打ち切ったのだけど。いくつかの欠点が気になるけどもういいや。今読み返したとしても、もはや客観的に読むことができない。万一誤字脱字があってももう知らな~い。自分ではなんかようわからへんのやけどこのくらいにしとかはったらええのんとちがいますかと、なんでか上方ことばでしめくくる。年末からずっと、頭の中の大半を、このことが占めていた。なんとなく、やっと新年が来た気さえする。あした、人の手を借りて製本してもらう。もう後戻りはできない。のでヤッター!終わったー!!!(レポート最低1本まだありますが)
2009.01.26
コメント(12)
卒業制作の締め切り4日前。2週間ほど前に提出した途中経過についてたぶん先生はもう何も言ってこられないだろうなあ~と思っていたら何と今日封書が届いた。速達で。慌てて開けると、さらに書くべきこととして何点かあげて下さっていた。書かねばなるまい。。。実質あと2日しか時間がない。しかし、今ものすっごく眠くてエネルギー切れな感じなのでこれから一時間ばかり寝て今日原稿を読んでくれている友達に電話をして意見を聞いてそのあとちょっと頭を整理して気持ちを落ち着けてとりかかろう。くれぐれも平常心で。ではおやすみなさい。やはり卒業制作はしんどい。(2009.01.24 20:52:34)--と、先ほど書いたが予定を変更してこれから先生に電話をすることにした。指摘された内容でしっくりしない点があるのだった。いただいた手紙の最後に「迷うことがあれば電話を下さい」とあったので、お言葉に甘えて。電話でマンツーマンで、って緊張だけれども仕方ない。
2009.01.24
コメント(4)
卒業制作は、締め切り4日前のあした、信頼できる職場の友達に読んでもらおうと思う。知人に読ませるのが非常に恥ずかしいのは言うまでもないがそういうのはさておいて、「読んでね」な気持ちなのである。その人ならきっと、時期を考慮した上での的確な指摘をしてくれると思うので。仕事柄、ものを読みなれている人が多いのはありがたい。誰に読んでもらっても適切な指摘をもらえそうなくらいだから。卒制に取り組む傍ら2週間ほどかけて『右岸』を読んだ。先日一気に読んだ江國さんの『左岸』の対となっている小説。時間がかかってしまったのは、決して大切に読んだからではなく忙しい中で多くの時間を割くのが単純に惜しかったから。『左岸』も、江國さんのにしてはあんまり好きになれなかったけどそれにしても。こちらは、ごく控えめに言っても、個人的な好みからは全く外れている。あまりに外れているので、真面目な話なのにところどころで失笑してしまった。『左岸』の対でなければ、決して読み通すことはできなかっただろうと思われる。『左岸』の場合は、文章のあまりの上手さに影響のされようもないと思ったけどこちらは、絶対影響を受けたくない!と積極的に思った。もちろん、ごく個人的な感想ですが。さよなら~。
2009.01.23
コメント(0)
卒業制作。週明け火曜からは仕事が遅番なのでたぶん実質何もできまいと思い今週末がヤマと思って書いて何となく最後までは書けた。ただし、だから何なん?という仕上がりではある。うう。95枚くらい。1週間かけてちょこちょこ見直してちか様にいただく予定にしている紙に印刷して27日に製本して(もらって)最終締め切りの28日は幸い休みに当たっているので学校に直接出しに行きます。と、着々と予定してみたが実は大変気になっていることがある。年末のスクーリングで先生が「ラストシーンができたら一度出してもらってもいいですよ」とおっしゃったので先週末に荒っぽいものを速達で送った。きっと何かしら指摘がいただけるだろうもう時間的にどうしようもないのでこれで行っとくしかないんじゃな~い、とでも何でもいいけど何かしら返ってくると思っているのだけど今日現在何も戻ってきていない。もしかして荒っぽすぎて、繊細な先生を困らせてしまったんだろうか。何かアドバイスをいただいても、もはや対処できるかどうかわからないけど何かいただけた方がもちろんいいので一応、今でも待っている。先生もしかしてまさかのスルーですか?!こうなったらもう、スルーなら「これはスルーです」と返して~~~~~~~~~~という気分でもある。
2009.01.18
コメント(6)
お休みの日。近所からバスに乗って10分あまり。山の手にある変電所を眺めに出かける。夜間は電灯が灯るらしいので、ぜひそれを見たいと思ったのだった。変電所を見下ろす喫茶店にて、午後5時過ぎから夕暮れを待つ。座ったテーブルよりも窓側に2人連れがいるのがちょっと残念だけど。眼下の街並みには程なくして灯りがつき初め目的の変電所はまだかまだかと少し早めの夕食、ハンバーグ定食を食べながら待ちわびる。しかし、待てど暮らせど灯りは灯らず結局日が暮れても真っ暗なままだった。店の人に聞くと、「え?電気ついてましたよ。ついてないんですか?それは知らなかった」とのこと。いつからつかなくなったんだろう。とても残念。書こうとしている小説で、その夜景の風情を描写しようと思っているのにうまくできないのでわざわざ眺めに出かけたのに。もうネット学習で書くしかない、、、と思ってネット検索しても画像見つからず。この前はすぐに見つかったのに。なんで?店の人によると、オレンジ色の光だったとのこと。ほら、あそこの六甲アイランドに点いてる光みたいな感じでしたよ、と。六甲アイランド南端には確かにオレンジ色の光が灯っていた。ああいう感じなんですね~と返したが、悲しいことに非常に遠かった。こうなったらもう、工場萌えをイメージして書いてみようっと。きっと、似てるんじゃないかな。それはともかくとして単に夜景を見る目的であれば、その喫茶店は非常に好ましい感じだった。住宅街の外れにあるのでたぶんあまり混まない。平日7時までなので時間的に苦しいけど何はなくともまた今度行ってみようと思った。
2009.01.15
コメント(2)
マリーさんはとてもきれいな顔をして死んでいた。いよいよ死んでしまうなと思った時、病院でもらっていたぶどう糖を一滴口に入れると大半はこぼれ落ちたものの、いくらかは飲み込んだらしく一時的に血糖値が上がって激しく暴れた。見ていられないので、もう延命はあきらめようと思いつつもそれでも何とかならないかと思って、抗がん抗炎症の飲み薬を口に入れようとしたら嫌がって手で押し戻してきた。そしてそのまま手の上にうずくまって死んでしまったので手の形が「いえ、もう結構です」という姿で固まってしまった。薬がこぼれたために、毛も濡れてところどころしわしわになっていた。見るたびに心が痛んだ。でも少し時間が経つと毛並みがつやつやとして顔の表情も穏やかになっていた。全体にふっくらして、まるでお人形のようだった。ただ、「もう結構です」という手の形だけは変わらなかったけど。プラスチックのケース越しに見ると、少しだけ幸せそうにも見える。間近で見ても、眠っているようで、今にも動き出しそうだった。あんまりかわいらしいので埋めるのが非常にためらわれた。このまま手元に残したいくらいだったがきりがないので先ほどとうとう埋めた。埋める前に、大好きだった男前豆腐を供え残りをいただく。2年あまり前にはなちゃんをそのさらに前に‘ぐう’といういずれもジャンガリアンハムスターを埋めた植木鉢に埋めた。掘り返す時、もしかしたら彼らの骨を見るかもしれないと思ったが掘ったところには何もなかった。マリーさんは大きいまま死んだのでこれまでの時より鉢が浅く感じられた。これまでの2匹のように、お弁当を持たせて土をかける。とても悲しい。上に、まつばぼたんの種をまいた。さよならマリーさん、というかそこにいるのね、マリーさん、と思うと少し安心する。相当、大好きだった。
2009.01.06
コメント(11)
20時15分。1時間ほど前に、ハムスターのマリーさんが亡くなった。1ヵ月前に大きく体調を崩した後、少し持ち直して闘病生活を送っていた。きのう帰省先から一緒に戻ってきて疲れたねえ、寒いねえ、って言いながら1日。しばらく前から体全体で大きな呼吸をするのが気になっていたがさっき突然うろうろし始めて最期はこれまでのハムたちがみんなそうだったようにお腹から大きく息を吸おうとして首をもたげそれを何回か繰り返した後に動かなくなった。暴れる少し前は、私の手の上に乗ってうとうとしていたのに。その前は、試しに渡したひまわりの種を割っていたのに。食べられなかったみたいだけど。朝から何を食べただろうと考えてみる。お豆腐と、半分乾燥させたかぼちゃと、みかん。ふやかしたハムフードをほんの少し。お薬と目薬。目を開いたままがかわいそうなので、閉じさせてあげようと思ったがだめだった。触ってみるともう、少し硬くなってきている。1ヵ月前から覚悟はできている。あしたの夜、埋めてやろうと思う。絶対に人を噛まない、穏やかでかわいいハムだった。少し太って、元気になってきていたのに。日記を確認したら、家に来てまる2年に3日足りなかった。写真は亡くなる半時間ほど前のマリーさん。このときは寝てたのに。
2009.01.05
コメント(10)
江國香織『左岸』年末に図書館で借りたものの、まあ読めんやろう、読んでる暇もないし、と思っていた。が、昨日電車に乗る時間がいつもよりあったのでついつい読み始めてしまった。といっても分厚めでしかも2段組なのでそう簡単に読破できようはずもないからいつでも途中でやめればいいやん、と初めは気楽に考えていた。ところが昨晩から読み始めてついさっきまであらゆる事をそっちのけにして没頭し、とうとう読み終えてしまった。字を読みすぎて目が痛く、車に酔ったみたいにむかむかしている。ほんとはほんとに読んでる暇なんかなくてそんな時間があれば私の方が卒業制作の小説を書くべきだったのに。一体何をしよるとね? という気分である。※物語の中に度々博多弁が出てくるので、うそっこ博多言葉を使いたくなっております。半年ほど前、卒業制作を担当する先生が作品が仕上がるまで他の人のは読まない方がいい、とおっしゃっているのを聞いた。この本で扱われているテーマみたいのものは、今私の書こうとしているものと共通するところがあって江國さんのあまりのうまさに、途中で何度もこの先生の言葉を思い出したけど同時にあまりのうまさに影響のされようもないっちゃね、と思った。まあ、書こうとしているものの量(枚数)からして違うけん。盛り込める濃度もおのずと、、、、違いますえ~(断念。よその言葉はわからない)。そういうことを書きたいならばあんなこともこんなことも盛り込むべきなんだなあ、といろいろ考えながら読んだけれども私自身の書く内容はもうあんまり変えられない。ただ、ずうっと決めかねていた結論をどうするかについてはちょっと自信を持って決められる気がしてきた。その結論は江國さんの書かれたものとはもちろん違うけれどもそういう感覚があるなら、こういう感覚もありだなとちょっとだけ自信を持って書けそうな気がしてきた。あんなこんなそんなな話でちっともわからないけどとりあえず明日は書きます。でも感覚的なことを、人に伝えられるように書くのってすごく難しい。。。たとえ正しい日本語を書けたとしてもそんなこととは全然訳が違う、とつくづく思う。
2009.01.04
コメント(6)
全10件 (10件中 1-10件目)
1