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小説書き初心者である。さっきまで明日の講座提出分を書いていた。相変わらず遅々として進まず。何でだ、筆記試験もレポートも、勢いを旨としてる私であったはずなのに。とりあえず取り組んでいるのは夢ものだ。回想も多用されている。現在という時制から回想に入り、回想からさらに回想に入り、現在に戻ってきたところでこんどは夢に入る。書きながら非常にややこしい。というのは、ええっと、戻るべき時制はどこだったっけ?と見失ってしまいそうになるのだ。多分に初心者ならではの迷いかもしれない。もうほとんどどこまで行ってるんですかあ~?そろそろ戻ってきておくれやす~って回想の奥深くまで入り込んでしまっている自分を呼び戻す気分である。まずは時系列順に物語が進むようなそんなのを書いてみた方がよかったのかもしれない、と心細くなっている今。
2007.01.29
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先日会った友達は中学の時の友達で私はその中学のある街に高校卒業までの6年間だけいた。高校卒業と同時に親も引っ越したので、以来数えるほどしかその街に行っていない。友達と当時の話をいろいろしたけど中学の時なのか高校の時なのか記憶が定かでなくてよく思い出せないことがたくさんあった。高校のときの話だと思っていたら実は中学の時の話だったことがわかったり。地理的な記憶も曖昧だ。家から学校までの道ももはや完全には思い出せない。同様に駅から家までの道も。家と学校と駅、他に友達の家や行ったことのあるお店など、断片的な記憶はあるが全くつながらない。たぶん、ひとつところでもっと長く過ごせば、行動範囲が広がるにつれ場所と場所の位置関係も把握できるはずで友達とも時々会っていれば、思い出話を繰り返すうちに記憶が定着するんだろうなと思う。特に不都合はないけど頭の中をのぞいてみたらたぶん、ひとつひとつの記憶がてんでばらばらに浮遊しているようなイメージ。時間的にも空間的にも関連がない。でも、毎日同じところで暮らして、だいたい同じような人と過ごしていても別にいっこいっこの記憶が連続しているわけではないんじゃない?と思ってみる。似たような状況が時期を同じくして何回も繰り返されているだけで。頭の中のいっこいっこの記憶同士はたぶん同じようにばらばらなはずだ。たまたま取り出しやすいところに密集しているだけで。…よくわからないけど。いずれにせよ覚えていることは単に覚えているだけだし好きな人や好きなものを好きと思うことにかわりはない、のではとか思うのでそんなことを小説に書こうとしている。けど、どう書いたものやら、である。小説に仕立てるためにそろえた材料が適切なのかどうかもよくわからない。遅々として進まず。でもほんとは記憶が連続していると思えるくらいに同じ日常を繰り返すことができることと断片的な記憶しかもてないこととは違うんだろうなと思う。そのへんが揺れていて結末がどうでてくるかは書いてみないとわからない。書きたい結論が書けるかどうかわからない。とか日記に書いてみて整理しようとしています。
2007.01.27
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中学のころの友達に十数年ぶりに会った。そのころにいた街を、私はとうの昔に出ていて、以来ほとんど全く訪れていない。同窓会もあるのかないのか知らず、当時の友達も彼女の他にはいない。同級生の名簿を見せてもらって、あれこれ当時の話をする。ひとりでには決して思い出せないのに名前を見るといるんなことが思い出されるのが不思議だ。現在の彼女が住む下関近郊の角島(つのしま)に、彼女のダンナどのの運転にて連れてもらう。普段、瀬戸内地方の比較的大きな街なかに住む私は海の色が濁っていることに常々違和感を感じていてそんな海には決して体を浸したくないと思っているのだが水は本来透明で、大量の水は青い、ということまして天気のいい日には水はほんとに水色なんだということを久しぶりに思い出した。とてもきれいな海だった。そこでさざえのつぼ焼きをいただきその近くの名物、瓦蕎麦をいただく。瓦蕎麦。熱く焼いた瓦の上に茶蕎麦を乗せ、豚肉のそぼろと錦糸玉子とともにレモンの輪切りを浸した蕎麦つゆで食す。だんだんと焦げてパリパリになってゆく蕎麦が香ばしい。5,6歳年上の優しいダンナどのは、終始運転手とカメラマンに徹してくださり(ついでにお財布係も)私は友達といろんないろんな話をした。中学のころって、興味はいつも自分自身にあって、実は全然人を見てなかったんだ、とつくづく思った。十何年も離れていたのに友達とは好むものが似ていた。好きな作家、好きな歌うたい。意外と人とは合わないそんな分野が不思議に一致していて驚いた。が、彼女のお勧めの本は読んだことのないものだった。『モンテ・クリスト伯』。文庫本にしてゆうに7巻あるその世界の名作のタイトルを生身の人間の声で耳にしたのは全く初めてだった。次に目にしたら必ず読みましょう、と約束する。昨年からひき続き珍しい人に会う機会に恵まれている。
2007.01.20
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日頃から準備を万端にしない方だ。あしたは少し遠くへ研修に行くのでさすがにそろそろ細かい日程を確認しておこうと思って改めて案内を見てみたら事前に目を通すようにと、ある資料が指定されていてショッキングであった。職場では手に入れることができたはずなのに、明朝発なのでもはや遅し。でもよく見るとインターネットに公開されていた。よし!と思ってpdfデータを印刷しようとしたらうちのパソコンのAcrobatがエラーを起こした。仕方ないのでWebの画面のまま印刷することにしたがこんどは突然プリンタが壊れた。そこで、研修の空き時間は報告書に邁進しようと目論んで持って帰っていたノートパソコンにて読むことに切り替えてとりあえずフロッピーディスクに保存すればいいかな、と思ったらモバイルのノートにはフロッピーディスクドライブがなかった。CDROMドライブもなし。それではと、データをUSBメモリに保管しようとしたのだがうちのパソコンは古すぎてそれを認識しなかった。そこでドライバをダウンロードして老いたパソコンに「近頃はこういうものがあるのよ」って教えてやりいよいよpdfで保管して、さあノートの方で開こうと思ったらノートにはpdfのリーダーがなかった。リーダーをネットから落とそうにも、ノートはうちではネットにつなげない。そこでwebページのままに大量にデータを保管して少々複雑なページ構成をかき分けかき分けようやくノートで見られるようになった。機械とあんまり相性のよくない私としてはここまでですっかりやりとげた感が。いやいや、これからまだ読まなあかんのやって。ま、あしたの新幹線で読もう。でもあのノートパソコンのバッテリーってどのくらいもつんだろう。とにかく準備がよくない。というか準備をしない。でもなんとかぎりぎりには間に合う、という習性(?)がある。
2007.01.17
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ようやくハムコの名前を決めました。昼に出かけるまではピノにしよう。今日からいよいよピノちゃんだ、と思っていたけど歩いていたら突然マリーというのが浮かんでマリーなんていう思いもしなかった名前が妙にしっくりはまったような気がしたのでマリー、になりました。あれ?ピ、という音をつけようと思っていたのに、、、全然違いましたね。ともかくマリー。呼んでみても本人はさっぱりだけど名前なんて全然興味なし、というこのよそよそしい感じ。私の中でマリーという名のイメージとぴったり。マリーさんは毎日たくさんの水をお飲みになります。水の入ったプラスチックのボトルを口元に差し出すとものすごい勢いで飲みます。まだまだマリーちゃんなんて呼べない。断然、マリーさん、です。
2007.01.15
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今週末は久しぶりに休日が2日取れたので念願のバーゲンに行く。といっても百貨店などをのぞく勢いはないのでいつも行くお店の会員用プレセールである。そこはお客の好みなどをほんとによく覚えていてくれてだから元気のないときにはかえって行きたくないのだけど他を考えるのも面倒で、そこだけに行く、と決めて行く。しばらくよく働いた上に遊ぶ時間がなかったので予算はいつもよりある。財布の紐はけっこうゆるゆるである。白いニットと以前見ていたスカートと、あと、好みでしょう?と勧められるままに小花柄のジャケットをいただく。確かに好みで、完璧に読まれているのであった。このごろの色の好みはオフホワイトと茶系に偏りつつある。今日買ったスカートは茶色、ジャケットはボルドーであった。白とボルドーとは、昔から自分自身の基本色と思っていたくらいに好きな色だ。しかも花柄ってまさに二十歳そこそこのころの好みに回帰していて年を取るといつしか自分の一番よかったころの好みに帰ってしまう傾向があるってずっと前に読んだ雑誌のコラムを思い出す。自分の好むものは当然好きだけど全然別の傾向を持った人に買い物を託してみたい気がしているのであった。
2007.01.13
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ハムコ(仮称)が家にきて3日。いまだに名前をつけかねている。姿を見て決めたいと思ってもあんまりのびのびと見せてくれなくてよそよそしい。おまけにとてもこわがりな感じだ。それでも砂場にいるときや車に乗っているときをそっと観察したところなんとなく「ぴ」という音をつけたくなってきた。ぴーちゃんぴっちぴこちゃんぴのちゃんぴなちゃんでもどれもしっくりしない。名前が決まらないので呼べない。帰ったらまず呼びかけたいところだけど呼べないために「××ちゃ~ん」と言葉にならない音で呼びかけることになる。(××のところは鼻歌風の「フ~ン」という音をあてて想像して下さい)さっきは仮に、ぴなちゃんと呼びかけてみたけど「な」の音が合わない気がする。「な」のつく名前は語感として親しみやすそうな印象なので、キャラが違う気が。だめだこのままでは買う前からつけていた「ハムコ」になっちゃう、と思いあとでどうとでも変化できるようにピコリーノとつけようと思った。いや、でも女の子だからピコリーノよりはピコリーナだな、う、また「ナ」だ。まあ、そんな感じでピ、コ、リ、ノ、ナ、みたいな音感の名前になることと思われます。どうせ愛称でぴこりんとか、ぴのっち、とか、ぴなごろう、とか呼ぶんだろうし。本名、ピノコリ-ナピナコリーノナリノピコナノピコリコナノリピノリナピコ…どうしたらいいでしょう。。。
2007.01.10
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とうとううちに“ハムコ”がやって来た。白いジャンガリアンの女の子。生後ひと月とちょっと。連れ帰ってそっとケージに放すと、しばらく落ち着かずに動き回った後、巣にこもってしまった。ご飯もまだ全然食べない。さっきちょこっとのぞくと、ちょうど回し車の下に出てきていて目が合ってお互いびっくりした。それ以上距離を縮められず十数秒見合っていたが緊張感がかわいそうになって私の方から離れた。これまで飼ったハムはどれも、うちで過ごす初めての夜中はひとりで大騒ぎして大運動会を繰り広げた。がさがさっという音をさせながら猛ダッシュを繰りかえす。そして回し車に乗って車をぶんぶん鳴らす。このハムも今晩はそうやってくれるかな、と心配しながらも楽しみにしている。名前はまだない。とにかく健康で長生きしてほしいので七草の名前とか七福神の名前とか思い浮かべてみたけど思いつかない。白くてまだふわっとしている。不釣合いに耳が大きくて、きっともっともっと大きくなるんだろうなという予感がする。先代のはなごろうへの愛着もまだまだあってうっかりはなごろうちゃーんと呼びかけた先にはなごろうじゃない子がいることに予想以上の違和感があって我ながらびっくりした。びっくりしてまたさみしくなった。でもこれからはここはこのヒトのおうちである。なかよくなれたらいいなあと思う。今日は早く暗くしてあげよう。
2007.01.08
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昨日、祖母宅から帰ったらパソコンのディスプレイがだめになっていた。何の前触れもなく突然、電源が入らない。8年ほど使っていたからまあ仕方がないが、なぜこの忙しい時にアナタまで。。。幸い首尾よく次のディスプレイを手に入れることができたけど繋いでみたところ関係ないところをさわってしまったらしくこんどはインターネット接続ができなくなる。関係ないにもほどがあるところだけど何で??よくわからなくて、う~ん?と言いつつ調べる気力もないままにかなり適当にごそごそやったらさっきつながりました。???。何だったのか、全然わからない。仕事の上で、このところわりとパソコンをごそごそする機会がある。実は相当苦手なのだけれども今はたまたま触り慣れていてラッキーだったとも言える。だから、“ああ、アナタもね、調子悪かったのね。換えたげよ、換えたげよ…”という軽い気持ちで取り組めたとも言える。でももうヤダ。今日は他に何かあっても対処したくないのでこわくてパソコンを切れないのであった…。
2007.01.02
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大晦日の午後、おばあちゃん宅に着く。お昼をとうに過ぎていたがおばあちゃんは2人前のにぎり寿司といなり寿司と巻寿司を用意していてくれた。おばあちゃんはどのくらい食べる?と尋ねるともう押し寿司を食べたのでいらない、とのこと。エ?にぎりだけでも2人前あるんですけど?と思いながらとりあえず1.2人前ほどいただく。2人で過ごすお正月用におばあちゃんが用意してくれたのは3段の小さなお重のお節(お寿司屋さんで注文したもの)、錦市場で買った丸餅、お漬け物各種、ビール各種(缶だけど)と日本酒、洋菓子に和菓子、果物。しゃぶしゃぶ用のお肉。このお肉、うちの母は「500グラムもあれば十分」とおばあちゃんに言ったらしい。この500グラムが、おばあちゃんと2人では既に多いのだけどおばあちゃんは何を思ったか、「肉は800買うといたから」と言い「豚しゃぶもしようと思って500買うといた」と言う。エ?なぜに1.6倍?さらに豚まで?諸事情により、1泊2日の滞在予定。しゃぶしゃぶは大晦日にしか食べられない。お肉の包みを開けると薄切りの肉が自身の重みではがれないくらいに重なり合っている。これはとても食べきれない、と思い近所に住む叔父に登場いただく。この叔父は、ここ10年で1度くらいしか会っていなかったので人となりがもひとつわかっていなかったのだが今回会ってみてよくわかった。非常にぽや~っとした人だ。しゃぶしゃぶと言えば、さっと肉に火を通してさらっといただく、べきなのだがこの叔父はこちらから勧めないと鍋に肉を入れない上に肉が煮えきるまでまたぼけーっとしていて全然食が進まない。ちょっと、キヨちゃん!、と姪と叔父とは思えない、昔からのタメ語的愛称で叱咤したいところをぐっとこらえて「お肉煮えたんちゃう?」と半ば無理やり器によそう。清ちゃん役に立たず。それでも叔母ちゃんへのおみやげもかねていなりと巻寿司、さらに楽しみに飲もうと思って買ってきたワインも持たせて送り出す(だってビールもお酒もあるんだもん)。食材をどっさりのこしたまま元旦。お節をいただき、お餅の食べる数が少ない(2つ)、と残念がられながらお雑煮をいただき続けてお菓子をいただき、私用にこれまた用意されたラフランスをいただく。夜にはもう自宅に帰らなければならないところ昨晩の各種お肉を佃煮やらお惣菜やらにしたものと私好みに用意されたアボガドのサラダやらお漬け物やらをおかずに夕食を食べる。おばあちゃんもすでに食が細くなっている。食べ残してはおばあちゃんが困ると思って一生懸命食べる。そして残ったものも荷物に詰めて持って帰る。た、食べた~。本日2日の夕食を終えてなお冷蔵庫にはあした食べられそうなおかず。いつ食べたらいいのかわからないくらいのお菓子と放っておいたら間違いなくいたんでしまう果物。私は実はおばあちゃんの好きなケーキを手土産に買っていこうとしていたのだ。が、お店がしまっていて買えず。もし持って行っていたら、おばあちゃんの好物と言えども、大半は私が食べていたに違いない。買えなくって幸いかと思われる。またの機会に改めて。ああ、食べた。写真はおばあちゃんとお母さんの用意してくれた和菓子。私の幼いころからの定番中の定番京都・鼓月のお饅頭“華”。
2007.01.01
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