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昨日の無理がたたったのか。久々に風邪でダウンした。夫が数日前風邪だったから、それがうつったのだろうか。夫もまだ全快とは言えず。私はひきはじめで具合が悪く。あぁ、そんな日に限って授業参観なのである。せっかく、問題が起きるのを見守っていく、というやり取りを小学校としたばかり。ここで娘が授業参観中にヤッちまっては、あんな子と一緒のクラスでは心配…と保護者からクレームがきてしまうかもしれない…。ありのままの娘を…だの、障害児流…だのと言いながら、本当のありのままの娘を親の眼力で封じ込めようとする……あぁ、なんと無力な親なのだろう、私は…。とりあえず話し合いの末、朝は私が。なにかと世間話をしなくても済む夫が授業参観に行くことになった。夫がいない間。体は横にしているが気持ちは休めない。あぁ、娘はどんなことをしているのだろう。国語…とかいっていたが、普通の授業ならいいのだが、図書室とかに行ってしまうと、そんな臨機応変は娘がもっとも苦手なこと。本棚とかに登っていなければいいのだが…それでも、いつの間にか眠っていたらしい。気がついたら夫が傍に立っていた。開口一番。「どうだった?何かしでかしてなかった??」すると、「まぁ、指はいっぱいしゃぶってたけど、ちゃんとやってたよ。手を挙げて、あさがお、って答えてた。カッコよかったよ。」帰りのお迎えの時。同じ住宅街に住んでいるクラスメートのママと一緒になった。娘の障碍などもうっすら知っている人だ。「△△ちゃん、がんばってるじゃない。あさがお、ってちゃんと答えてたし。」「そうなの?」「気付かなかったの?」「ちょっと風邪ひいちゃって、夫に行ってもらったから。」私なりの精一杯の見栄。きっと、気づかれていないと思うし、誰も気づかないと思うけど。今日は、そんな見栄も言ってみたい気分になった。
2009.04.30
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祝日。娘の卒園した保育園でバーベキューがあった。夫が休みではないし、私1人で障碍児2人を連れていくのはなんとも気が乗らなかったが、一緒に卒園した子どもも半分は来る、と聞いてたし、まぁ、たとえ子ども同士でからめなかったとしても、久々に馴染みの保育士たちに、いっぱい甘えたり話がしたいかな、と思って、参加することにした。自家用車に乗り合わせていくと、普通は子ども同士遊びながら、で、親同士は話しながら、で、楽しく行けるのだろうけど、うちの場合はまず間違いなく娘は皆と遊べないし、息子も2歳だけど中度の知的障害児手帳を持つので1歳程度。私が2人を面倒をみるのは間違いない。しかも、なんとなく一緒に行く子どもから、「あ~あ、△△ちゃんじゃなくて、他の子が乗ってくれたら遊べたのに…」と、思われているようで、肩身が狭い。で、保育士や他の足がないメンバーが乗り合わせるバスに乗っていくことにした。行きは目論見通りで大成功。が、着いてからが大誤算。私が息子の世話をしている間に、山菜とりや川遊びに行くグループに、娘は見事に置いていかれてしまったようなのだ。残ったのは、子どもがいなくなって楽しく喋りながら食事の支度をする母親たちと、懸命に働く保育士たちと、火の番をする呑みながらの父親数人。子どもは2歳児より小さい子と娘だけである。卒園してから1ヵ月。今まで、少しは娘を気にしてくれてた他の子の保護者も、すっかりカンが鈍って娘は忘れてしまったようで、でも、もと担任の保育士まで娘に声をかけるのを忘れなくてもいいではないか。残された娘は呆然としているようで、でも、「△△はべつにどこにもいきたくないから。ここでたのしいから。」と、言っていた。普段ならもう少し気をつけるのだが、息子が火に興味をもってあぶなくて、なんとなく、そんなことを言っている娘を鵜呑みにしてそのままにしてしまった。すると、事件は起きた。娘が山小屋の中のカーペットを破っている、というのだ。早速、とんでいって怒った。が、息子を置いてきたので、ままならず。そのまま戻った。しばらくして気になって山小屋に戻ると、息子の同級生の父親が困った声をあげていて、息子の同級生が一人、山小屋の中を歩いている。見たら、娘が登ってはいけない、と約束になっていた山小屋の2階にハシゴで登ってしまい、娘を下ろそうとオロオロしているではないか。自分の息子を放っておかざるをえなくて。私はそこでブチっとキレてしまった。娘の頬をぶったたき、それでも気が晴れず蹴飛ばしてしまった。しかも、人前で。娘は大声で泣き、ごめんなさい、と繰り返す。そこへ、ちょうど、お散歩から帰ってきた娘を置いていったグループも続々と戻り、とてつもなく大騒ぎになってしまった。すぐに昼ごはんになって、とりあえず、その場はなし崩しにはなった。が、私は娘と離れて座り、息子も息子の担任が食事を作る仕事を終えて来てくれて、ご飯を食べさせてくれた。私は一人ビールを飲みながら、妙に冷静になってしまった。あの騒動があって、周囲は娘を見落としていたことに気づいたのか、誰もかれも娘に声をかけ、娘もとても楽しそうな顔になっていた。息子も担任の先生と楽しそう。そう。うちはそんな母子だったのだ。声をあげなければ、存在さえ忘れさられているような。助けてもらえなければ『普通』に遊べないような。そんな母子だったのだ。それを忘れて、よくもまぁ、こんなツアーに申し込んだものだな、と。卑下しているわけではない。むしろ逆だ。障害児流の普通学級と障碍児流の休みの過ごし方。これをうちの『フツー』とすれば良かったのに、どうして、今まで、こんなにも、いわゆる『普通』にこだわっていたのだろう。例えば、こんな行事に参加するのはいい。でも、やっぱり夫がいて、余裕をもって参加できるときに限ればいいのだ。私は娘の元へ行き、皆の前で堂々とあやまった。「さっきは△△の気持ちも考えずに怒りすぎちゃってごめんね。」娘はうなずき、声をあげて、また泣いた。帰りのバスで娘がつぶやいた。「みんなさ。△△がほいくえんで、かみのけひっぱったり、みんなのつくったものをこわしたり、わるいこといっぱいしてたから、あそんでくれないんだよね。」私は二の句を告げなかった。何かを答えた、とは思うのだけれど思いだせない。隣でそれを聞いた保育士が、ひたすら「そんなことないよ~みんな△△ちゃんのこと大好きだよ~」と、何度もとなえていたのは覚えているのだが…。それが分かっただけでも保育園生活は良かったんだろうな、とは思うけど。私が間違えた『普通』をしてしまって、良かれと思ってむしろ娘を辛い休日にぶちこんでしまったことを今でも反省している。次は、障害児流の普通?の過ごし方っていうのかな、を、彼女にたっぷりプレゼントしてあげよう。
2009.04.29
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昨日の今日。朝は車で。私は約束通りニコニコ。まぁ、車で来ているし私もストレスがないので、娘に言われなくても自然と笑顔になるのだが。それが功を奏したのかどうだか。娘はとても落ち着いて小学校生活を過ごせたようだった。そうなると、今度は見えなかったことも見えてくる。見えなくていいことが見えてしまってイライラする、ということもあるが、今回は、今まで見えていたけど理解できていなかったことが、ちょっとすっきりした、といった感じの発見があった。それは、娘の行動が衝動的である、ということだ。今までも、何か欲しいものがあると、人の物でもパっと手がでた。その度に、「かして」と口で言うんだよ、などとフォローしてきた。これは、まだ幼いしるしかな、などと思ってきたのだが、もしかしたら違うのかもしれない、と思えてきた。どう考えても、娘が人のものと自分のものの区別がついていない、とか、人のものを借りるときに一声かける、ということを知らないようには思えないのだ。娘は、やりたいことがやれた、という経験が少ないのではないだろうか。ほしいものがもらえた、という経験も。私との関係が悪いときは、私にダメと言われることを恐れて、はじめから主張を飲み込んでいたようだったし。食べ物も無理やり経管栄養。週に何度も押さえつけられて診察を受けたり、チューブをかえられたり。だから、欲求が出てくるようになった、ここ2年あまり。自分がやりたい、欲しい、ということを、誰かに何かに妨げられないうちに、とってしまおう、やってしまおう、という衝動にかられるのではないか。抑圧された生活になればなるほど、その傾向が強くなるのでは、と。事実、先日も、衝動的に見たいと思う友だちの家へ向かって走ってしまったり、チャイムがなっても帰らずに遊具で遊んでいたりした。何かが、例えば朝の支度が終わらないうちにフラフラと興味があることへ行ってしまったり、ということには、むろん、彼女の自制心が備わっていないこともあるだろうし、経験不足、能力の低さもあるとは思う。が、あの突然の衝動的な行動には何か意味があるのでは、と思わずにいられないのだ。ためしに、今日。「△△がこれをやりたい気持ちは分かったから、ランドセルを片づけてからやろうね。終わってからやれば誰も怒らないし、好きなだけやっていいんだからね。」と、言ってみた。「ふうん…」と、そんなに反応もなかったが。この話を、心療科を受診するときに聞いてみようかな、と思う。
2009.04.28
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昨日ですっかり吹っ切れた私は今日、娘を車で送って行った。朝一番の教室は、とってもすっきりしていて、娘も新鮮そうな顔をしていた。いつも、ここに着いた段階で娘は肉体的にも疲れ、精神的にも私にこづかれ、しかも、ほとんどの人が朝の支度が終わった状態から支度を開始し、ちょっとボーとしたり、寄り道をしただけで更に遅くなって先生に一声かけられ、友だちにも「やらきゃいけないんだよ」と言われて過ごしていたわけだ。朝一番に来れば、こんなにも人はいなくて。余裕をもって、皆に挨拶ができて。しかも、どんなにボーとしても次から次へと人がやってきて支度をはじめるから、それが目に入る度に思い出すのか、また、自分から始められる。そんな様子を眺めていたら、教務主任がやってきた。話し合いをしたいから時間が欲しい、という。お互いの都合で、急きょ、今日の夕方、話合うことになった。教務主任、担任、私の3人。どんな話になるのかな、と思っていると、付添いは今週いっぱいであとは学校がみます、という話だった。どんな問題が出るか、娘さんの生態も大体わかったので、あとは学校での様子をみて、そのあと、力を借りたいことがあれば頼む、と。この前、チャイムがなっても帰ってこなかった、とか、その程度の問題は、娘さんだけでなく、どの子にも起こることで、そういうことも想定しているので大丈夫です、と。だから、娘さんが小学校や教室に迷惑をかけないように、と、必要以上に、というか、お母さまが無理にやらせなくてもいいですし、そのせいで娘さんがプレッシャーに感じているように見えるし、お母様も疲れているようですし…。とりあえず、そのまま話は聞いてきた。学校がよく分かってくださって助かりました、と持ち上げてもきた。でも、だ。障碍のある子どもを普通学級にすすませて、で、小学校側から付添いを頼まれて。我が子が皆よりも明らかに遅れているときに、手を貸さない付添いなんていあるのだろうか。迷惑をかけないように、って思わない親がいるのだろうか。そのために呼ばれた、って思わない親がいるのだろうか。本当に私は、ただ見ていれば良かったのか。ただ見て笑っていたら、なんのための付添いだ、って周囲から思われなかったのだろうか。私が担任と娘の関係を持ち出したから、むしろ娘と母親の問題、として返してきたのか。それは分からない。なにか煮え切らない想いを、ぐっと飲み込んできたのは確かだ。でも、結論は良いから我慢もできる。付添いは終わり。娘がやりたいようにやって出てくる問題を待ってくれる、というのだから、我慢なんて安いものだろう。あと、相談して朝も車で送っていくことにした。足のことを持ち出し、無理させないで体が出来てくるのを待ちたい、と。夏が過ぎて、涼しくなってから、小学校にも慣れてから少しづつ、ということになった。本音は違う。たまたま、学校から娘の足で40分も離れているところに住んでいるだけで、別に、小学校の目の前に住んでいれば、こんな問題は何もなかった、わけで。こんなことで朝からもめるのがバカバカしくなったのだ。朝一に車で送ってくれば娘もゆっくり自分のペースで支度ができるし、気持ち的に皆に引かないでノることができる。私だって楽ができるし、息子への負担だって少なくなる。こんなにイイことはないではないか。一生懸命やったって、ママのせいだ、と言われる始末。「うちは雨でも甘えさせないで家を放りだすのよ」と、近所の人に武勇伝のように語られたけど。頑張っても、無理をしても、越えられないから『障碍』。こういった世界を知らない人の意見に揺さぶられて、自分の道を踏み外さないように、私は私をしっかり見据えていこう。
2009.04.27
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一日中寝まくって、ようやく一息ついた今日。娘と話をした。娘も寝て、ぼーっとして、息を吹き返したようで落ち着いているようだった。「ねぇ。△△(娘の名前)はさ。チャイムがなったら教室へ帰ってこないといけない、って知ってるよね。」「しってるよ。」「トイレで遊んでもいいけどさ。チャイムがなったら戻らないと。」「しってるから、いわないで。」「先生だって心配して来てくれたでしょ?ほら。朝だって、△△がゆっくり歩けるように、って、出発時間、早くしてくれたじゃん。みんな、△△のことが好きだから、考えてくれてるんだよ。」「わかってるよ。」娘はそう言った後、ちょっと考えた様子を見せた。こちらが黙っていると、ふいに言葉を継いだ。「△△があんなことしたのはさ~ママのせいだよ!」「…え!」「だって、ママ…ずっとにらんでたじゃん。△△のこと、ずっとにらんでたじゃん!」…確かにそうだ。私は、この1ヵ月弱。ずっと、娘を睨んできた。朝は早く歩くように。授業中は遊ばないように。着替えは皆と同じタイミングで。移動は遅れないように。ずっと、ずっと睨んで、うながしていた。「△△はね。ママに笑っていてほしいの。そしたら、△△がんばれるから。」あの日。「だれも△△のきもちをわかってくれない」と泣いた、あの日。あの言葉は先生やクラスメートに向けた言葉ではなかったんだ。私にも、いや、むしろ、私に主に向けられた言葉だったんだ。なぜ、それに気付かなかったんだろう。ふと、息子の担任の言葉を思いだした。「▲▲(息子の名前)くん、爪がのびてて。今は△△ちゃんのことで頭がいっぱいでしょうけど、切ってあげてくださいね。」このセリフ、何回聞いただろう。そして、私はどのように答えていたのだろう。全く、思いだせない。それほど、私は娘に必死になってきた。で、これが結末だった、なんて。バカバカしくて笑うこともできない。私は娘と約束をした。もう、小学校では絶対に笑っている、と。娘も、朝は階段で帰って教室に入らないでほしい、ということと、給食の時間はまだ来てほしい、と言ったあと、「だってさ~△△、まだ、マスクできないから」と、恥ずかしそうに笑った。娘は耳の形自体が奇形だから、マスクが耳にかからない。確かに、みんなは自分でマスクをしている。そんなことが恥ずかしいだなんて…成長してるんだなぁ。よし。月曜日はマスク探しだ。あらゆるマスクを買って試してみよう。娘の耳に合うマスクがあればラッキー。なければ、かぶれるように改造するなり何か方法を考えよう。先生に事情を話し、娘にマスクをつけてもらったり、免除してもらうのは簡単だ。でも、それではきっと娘の自信にはつながらないから。とりあえず、今、私ができることは息子の爪を切ってあげること。まだまだ道のりは険しいけど、娘を信じてみよう。
2009.04.26
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ひたすら寝て、寝て、寝まくった。私も疲れていたし、娘も疲れていたし、息子は体調をくずし咳がひどくなってきた。寝て、起きて、食べて、寝て、起きて、食べて。薬のせいか、子どもたちも寝まくっていた。夜8時に2回目の昼寝から目覚めた息子が、夕飯を食べて、また9時すぎに寝てしまったぐらいだ。寝て、寝て、寝て。とりあえず、小学校のことは忘れて、ひたすら寝まくった。
2009.04.25
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大分、ストレスがたまっていた。月曜日は夜、小学校へ行きたくない、とキレてたし。水曜日は、何か理由があったとしても、自分を抑えきれずに逆走していた。昨日は、学校で「ヤだ」を繰り返していた。そして、今日。朝、登校したら、机の並びが変わっていた。今日の1、2時間目に2年生の案内で学校探検をする、そのときのペア順に並べかえた、という。娘のIQは低く、おまけに難聴。新しいことを覚えたり、臨機応変なことは苦手である。ただでさえ、新しい生活でいっぱいいっぱいな上に、探検などという新しいことだらけのイベント。おまけに、もう慣れていた座る場所さえ変えられてしまって、ちょっと心残りで家に帰ってきた。で、気になって早めに給食の付添に来てみたら、なんと、校庭で一人、娘が遊んでいた。そこへ、ちょうど担任がやってくる場面に出くわしてしまった。2人とも私の存在に気づいていない。私がそっとなりゆきを見守っていたら、いきなり担任は一言。「△△さん、チャイムがなったら教室へもどります。△△さんは給食当番なんですよ。みんながまっています。」…おいおい。今まで出来てたんだから、それは分かってるに決まってるでしょう。それより、どうして今まで出来ていたのに出来なくなったのか、ってとこの方が問題でしょう。娘はしばらくして不承不承立ち上がり、玄関に消えた。私がのぞくと、もう先生はいなくて。娘は誰もいなくなった玄関で寝そべりながら、先生が消えていった方を睨んで、「ばーか、ばーか」と、小声で言っていた。あぁ。人のフリ見てわがフリ直せ、とは昔の人はいいことを言ったもので。先生のあのやり方では、娘は絶対に心は開かないよなぁ。娘に、「今日、そんなにしんどかったの?」と、声をかけたら、泣き顔になって抱きついてきた。で、「だれも△△のきもち、わかってくれない…」と、一言。その後も、トイレに行く、と言っては逃げだし、チャイムがなっても帰ってこず、誰か友だちが注意しても、「ヤだ」とつっぱね、最後まで荒れていたらしい。私は先生に手紙を書いた。A4で2枚。娘は新しいことが苦手で、と、今日の私なりの推測と。問題行動には理由がある、ということ。それから、今までは私が付き添っていたけど、これからは先生と娘が「しんどいけど、せんせいが△△のきもちをわかってくれてるから、がっこうでがんばる」と思えるような関係に少しづつなれていくといい、ということ。拙文でお気を悪くしたらすみません、ということ。そして、私が付き添って普通学級へ行ったとしても自立や社会生活を学べないと思うので、特別支援学級かろう学校への転校を考えます、と。かえって悪い方向へいくかもしれない。でも、鉄は熱いうちに打て、とも昔の人は言っていた。何もしないで見守って悪い方向へ行くよりは、いい。と、信じたい。
2009.04.24
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給食の時間、いつも通り教室に入ったら子どもたちが寄ってきた。いつも、私が行くと寄ってくる傾向にはあった。「ねー、せんせー、ここいたい」「ねーねー、きょうはいつもとちがうくつしたなんだよ~」「としょしつはあさはつかえるの?」などなど。まだ、20代半ばか後半程度の若い女性担任がいっぱいいっぱいになってクラスを運営している分、私が彼らから「せんせー」と呼ばれ、話し相手やガス抜きになっている。感謝してほしいくらいだ、全く。が、この日はいつもと違っていた。「△△ちゃん、もうチャイムなったよ、っていったのにイヤっていった」「わたしがいっしょにかえろ、っていったのにヤだっていった」そろそろ限界なのだろうか。でも、私がいてやれることはもう終わった、と確信している。大体の流れは確認したし、本人も自分でできる、と言っている。私がいれば確かに暴走はしないだろう。が、私がいて小学校生活を送れたとして、それが何になるというのだろう。私がいれば友だちだって手をだしてこない。私が睨んでいれば、授業にも集中せざるをえない。だから、何だっていうのだ。いつまでも私がいてあげられるわけではない。あの子ほどの障碍では福祉も守ってはくれない。自分で自分を制して席につき、自分の足で立ち上がらなければ。自分の力で人と接し、空気を感じ、言葉を選び、葛藤して社会生活を学ばなければ。小学校でそれを学ばなければ、いつそれが学べるというのだ。大人になってからでは許されないことも、まだ許してもらえる、この時期でなければ。そのためには、特別支援学級でもいい、聾学校に転校したっていいだろう。もし、学校が再び授業の付添いを要求してきたとしたら、私は別の手を提案しよう。相手が出来ないと言っているのに、無理にねじこんでもきちんとケアができると思えないし、そんな元気も私にはない。
2009.04.23
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昨日で授業の付添はいったん終わり。と、言っても楽になるわけではない。朝と、今日からはじまる給食の付添に行き、帰りのお迎え、と、3往復…。しかも、授業の付添は終わるので、経費節減のためサポートさんも一時終了。つまり、朝。息子を保育園へ送っていく作業も、いつもの朝に加わることになる。息子の世話も加わったはじめての今日。なんだか要領を得なくてバタバタとし、娘の小集団の待ち合わせ時間に遅れてしまった。せっかく、昨日、5年生が会議を開いてくれたのに遅れるわけにはいかない。娘を言い聞かせて、待ち合わせ場所に先に行かせた。用事を終えて、息子を夫に託し、さぁ…と思って家を出たら、なぜか、そこにメンバーの男の子が…。小学校と別の方向を見て何かを言っている。?と近づいていくと、なんと、そこには、小学校と反対方向へ爆走する娘とそれを追いかける班長、副班長の姿が…!!とっさに子どもたちには先に行ってもらうよう声をかけ娘を追いかけた。すると、班長の女の子の家の前までくると足を止め、門の前に腰をかけてしまった。私の姿を見ると、すっと立ち上がった娘。その顔は真白で…あれはストレスフルな顔で…。なんだか怒る気力を失ってしまった。面白いもので、授業中、下敷きをなめた、とか、朝の支度のとき途中でボーとした、とか、小さなことにはカチンとくるのに、ここまでデカいことをしでかしてくれると、なんだかヘンに冷静になってしまう。「どうしたの。」と、声をかけると、「みゆ(仮名)ちゃんのうちがみたかったの。」すると、後ろに班長の女の子が立っていた。エラいなぁ。先に行っていいよ、と言ったけど、班長の仕事をまっとうしなければ、と、自分で判断したわけで。私が事情を話すと、ニコ。「こんど、どこかに行きたくなったら、班長のみゆちゃんに相談するんだよ。で、行っていいよ、といえば、行けばいいし。今はダメだよ、と言われれば、どうして、と、理由を聞けばいいんだよ。」と、私が娘に言うと娘も分かったようで、班長に謝った。早足で歩いて…こんな時もなんで速く歩くの?とか聞く娘にはムカついたけど…、他のメンバーに出会えて、で、事情を話した。すると。「なんだ。そうだったんだ。だったら、一緒について行ってあげたらよかったなぁ。」…と、隣の家の男の子が…。あぁ、私が30歳若かったら、あなたに惚れてたと思うわ。いや、きっと、娘の初恋の男の子は、この隣の家の男の子だろうなぁ。またまた5年生メンバーに頭が下がった一日だった…。
2009.04.22
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娘と一緒の小学校生活。何が辛いって、そりゃいっぱいあるんだけど、一番にあげてもいいのが集団登校。とにかく、歩くのが遅い娘は、どんどん後ろから集団にぬかされて、次第に前へと小さくなっていくにも関わらず、まったく気にもせず、といった感じで、追いかけていくことがない。これが娘の限界スピードなら、私も文句はない。が、私と一緒に歩くときなど、もっと早く歩いているのだ。ランドセルの分を差し引いたって、もっともっと早く歩けるハズだ。私が人前ゆえにイライラを抑えながら娘をうながすのだが、娘も分かっているかのように、わざと歩をはやめない。その「わざと」の部分は私にしか分からない。何が気にいらないのか。自分だけ私がついてくるのが気にいらないのか。自分のペースで歩けないのがイヤなのか。小学校生活自体がストレスなのか。分からない。が、私がこの集団でキレることがない、ことだけは娘は分かっているようで、そこがまた憎らしくて仕方がない。そのオーラを感じて、娘はまたふてくされて…この静かな攻防に疲れていた。が、今日。今までの疲れもあって、ちょっとキレてしまった。娘はむくれたまま更にゆっくり歩くし、一緒の集団の5年生たちは静かになってしまうし、これが分かっているから今まで我慢してきたのに…と反省につぐ反省をしていたら、大きな交差点の待ち時間、5年生たちが集まって何かを話しはじめた。あぁ、私の悪口だろうか…娘に我慢ならなくなったのだろうか…と気をもむこと数分。班長の女の子が近づいてきて、言った。「明日から待ち合わせを7時35分にしようと思います。そしたら、もっと△△(娘の名前)ちゃんのペースに合わせてあげられるから。」私は驚いた。私がずっと娘の歩くのが遅い、と思っていたのに、この子たちは、どうやったら遅い娘と余裕を持って歩けるか、を考えていたわけで。つまり、5年生たちの方がよっぽど、歩くことが遅い娘をそのまま受け入れていた、わけで。ホント。子どもってすごいわ。しんどいしんどい毎日だけど。こういう一瞬に出会えると、悪くないな、とも、少しは思う。
2009.04.21
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今日も朝から小学校へ。夜、保育園時代の友だちが遊びにきた。子ども4人、2階で遊び、結構、楽しかったらしく。友だちが帰ってから突然、「もうしょうがっこうへはいかないよ」と、キレた。絶対、行かない。もう小学校なんてイヤ。と、散々怒り、突然、終息して、「やっぱ、いくわ」娘も疲れてるのかなぁ。私も疲れてるけど。
2009.04.20
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娘が就学して、こども会に入った。近所のちょっとつながりのある人が直接家に来てくれたので断りづらかった、ということもあるが、これからのことも考えて、娘のことを知ってもらう機会になれば、という下心もいなめない。今日は、はじめてのこども会の公園清掃の日。娘に目を配りながらな清掃できるように、と武装(笑)して夫に休みをとってもらった。が…やめた。サボることに決めた。息子を夫に預けて、娘と一緒に、なるべく自然にカッコよく清掃するってことと、娘のことを知ってもらう、ってのは、なんか、イコールじゃない。そんなことで疲れて、イライラして、また次の日、私だけは娘と一緒に登校して…って、全てが何か歪んでるし、ヘンだわな。そりゃ疲れるよ、私。自ら、疲れをつくってるんだなぁ。ということで、今日は午前中爆睡。午後は、夫の提案で障害者福祉センターへ泳ぎにいった。まだトライアスロン、やる気なのね。通勤もロードバイクで行っているし。まぁ、そんな人生もいいよね。障害者福祉センターのプールは今日も泳いでいる人はほとんど人はおらず。のんびり…息抜き…また、明日からがんばろう。
2009.04.19
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今日は夫に休みをとってもらって自分のための時間。大学院での指導を志望している教授の研究室で、院試の打ち合わせをした。どのような研究をしたいか、という話からはじまったのだが、最後はマルクス経済にまで話は及び、あっという間に1時間が過ぎてしまった。今回は特に、考え方、アプローチ面で特に学ぶことが多かった。私はずっと、大学院へ行こうと決めてからも、自分が障碍児2人を育てながら社会福祉に手を出すことにためらいを感じていた。何か、気恥ずかしいような…居心地の悪さのような…。それは、子ども2人に障碍があることが恥ずかしい、とか、そんなことでは決してない。例えて言えば…ジェンダーを研究している一部の人が、政治学会などで、何か質問の度に、女性差別だ、ジェンダーの観点がない、と、いちいち発言するのを、目にしたときの場の悪さを感じる…というか。それが悪い、と言っているのではない。私自身はそれを場違いのように感じているのに、自分がその主体になってしまうのでは…という居心地の悪さ…とでもいうのか。そういう言葉にならないモヤモヤを教授は見通してくれていて、それを一言で表してくれた。『客観性』物事にどこまで客観的に科学的にアプローチできるか。その思考方法を学ぶために大学院の修士課程がある。だから、今、思っていることは間違っていないし、それを胸に学べばいい、と。そうか。社会福祉の偉い誰かが言っていた、冷たい脳と熱い心。他の人と違って熱い心は持っているのだから、あとは冷たい脳。できるのだろうか。こんなに対象と近くに接していて。それにしても娘の授業を見ている1時間は、あんなにも長いのに、自分のための1時間はなぜにもこんなに充実していて、飛ぶようにすぎていく。こんな時間が自分にもまだ残っていた、なんて。それが嬉しい。
2009.04.18
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今日も朝から小学校で付き添い。12時半に帰ってきて、給食はまだなので、娘に昼食。次の日の準備を一緒にして、そんなこんなでもう2時半。3時半が耳鼻科の予約なので、あっという間にまた出発。この後、息子を迎えに行けば、あとはいつもの怒涛の夕方~夜コースで、またたくまに一日が経ってしまう。娘の耳鼻科が終わり、疲れを感じながら駐車場への道を歩いていたら娘がいない。もしかしたら…と思って聖堂へ入ったら、娘はそこでもう席についていた。このキリスト教系総合病院には聖堂がある。私たち母娘は信者ではないのだが、なんとなく、この聖堂が好きでよく足を止める。足元にある台を手前にたおすと膝がつけるようになっていて、そこにひざをつくと、自然と神様に祈るような体勢になる。青と赤のステンドグラスを通してふりそそぐ自然な光と、コンクリート打ちっぱなしの無駄なものがはぶかれた空間。そこで、私たちはよく会話をする。2人だと上手く話せない話も、不思議と神様をはさんで3人だと解決することがある。たとえば、こんな話もあった。娘がピアノの練習をしたがらず、だったらピアノをやめろ、やめない、とお互い感情的になっていた時に、ここに入った。私がわざと娘に聞こえるようにピアノの話を神様にすると、娘は心配そうに、「…かみさま、なんていってた?」と、聞いた。「神様も、今日練習しないと明日はもっと弾きたくなくなるし、明日も弾かないと明後日はもっともっと弾きたくなくなると、って言ってたよ。」ここまでは、2人の会話でもしていたことだった。でも、聖堂だと、何か不思議な力があって、私は自然とこう続けた。「…でもね。神様はね。『△△(娘の名前)は、そんなことは分かっているから大丈夫。△△を信じて、いつか弾くときまで見守ってあげてね』って言ってたよ。」娘は、じっと考えて。聖堂を出て。車に乗るときに、「△△…うちにかえったらピアノひくわ。」と、言って、家に帰ったら自分から弾いたのだった。今日も学校での、着替えが遅い、だの、靴はすぐに履きかえないと、だの、下敷きで遊ばない、だの、小言だけど、ずっと見ているとイライラする小ネタを、ぶつぶつ言っていたら、声をかけられて驚いた。娘にすぐに目がいったので、真横の列に人がいたことに気付かなかったのか。それとも、後から入ってきたことに気付かなかったのか。点滴棒に、病棟衣。初老の女性だが髪にツヤがなく、痩せた様子から、なんとなくホスピスの人かな、と思った。この病院にはホスピスがあって、ホスピスの中に聖堂もあるのだが…。「これ…あげますね。」その手には4つ葉のクローバーが3本、のせられていた。聖堂の横にはクローバーがいっぱいはえている。「ありがとうございます。以前、私も探してみたのですが、1本も探せなかったんですよ。」と、それを受け取った。彼女は何も言わず、微笑んで会釈をすると、点滴棒に体重をまかせて、ゆっくりと聖堂を出ていった。3本あるなら、1本は娘、1本は私、で、1本は彼女でわけあえばよかったのでは…と、ふと思い、聖堂を出て彼女を探したのだが、もう彼女はいなかった。「これなに?」「これはね。4つ葉のクローバーといってね。クローバーは3つしか葉がついてないんだけど、4つあるクローバーもあって、見つけた人は幸せになれるんだよ。」「△△、みつけてくる!」「もう見つけなくて大丈夫だよ。あの人が見つけた幸せを△△とママにくれたから。」「ふうん、そうなんだ。よかったね。」「そうだね。よかったね。」うちに帰って障子紙の残りをひっぱりだし、そっと4つ葉のクローバーをはさむと、本の間にはさんでみた。押し花なんてやったことなし、これでできるのか分からないけど、いつまでも、その4つ葉のクローバーが残っていてほしいと思った。
2009.04.17
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PTA役員選出と学級懇談会の日。私は…やっぱりPTA役員の辞退を申し入れることにした。辞退は基本的には認められていない。辞退をするなら挙手し、起立して、皆の前で事情を説明し、その承認を得なければならない。娘だけならばPTA役員をやってもいい、どうせ学校にいるのだ。いろいろな先輩と仲良くなっておく手もある。が、体の弱い息子が一たび体調を崩せば、役員はおろか、日常生活だって狂ってしまう。おまけに、娘の耳の手術だって突然、予定が入る。そこで迷惑をかけるくらいなら、はじめから事情を話しておいてもいいだろう。そう。うちは他とは違うのだ。ずっと子どもに付き添っている家など、同じ1年生家庭ではいないではないか。『違うことを無理に隠したり、合わせたりしない手でいこう』この考えは、夫婦で散々話し合って決めたことだった。入学前。普通学級と決まってからも私の気分は晴れなかった。おそらく、特別支援学級と決まっても晴れなかったとは思うが。大袈裟な表現をすれば、どのスタンスでいくか、という感じだろうか。うちの子は皆と一緒です、的でいくか。障碍のある子も皆、一人の命、平等でしょう、的でいくか。うちの子は違います、こんなに違うから配慮してください、的でいくか。そして、結論をだした。どんなに理想を語っても、子どもがいじめられたら意味がない。同じだ、同じだ、といえばいうほど、違う部分が攻撃されるかもしれない。悔しいけど、ここは子どもを守っていこう。うちの子は皆と違います、違うから配慮もしてほしいし、違うことで排除したければ、どうか我が子をはじめ我が家には近づかないでください、的でいこう、と。実は、入学式の後。全員が教室にそろった状態で、うちだけ時間をもらい皆の前で夫が挨拶をした。「5回も手術をして、がんばってきました。耳の聞こえも悪いし、足もみなと違う靴をはいていたり、みなと同じようにできないこともあると思うけど、みんなと一緒に勉強したり遊んだりすることを楽しみにしています。保護者の皆様も、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、よろしくお願いいたします。」卒園式のスピーチも、息子の入園式の保護者代表あいさつも、全て私に押しつけてきた人なのに、この時だけは、オレが言う、と自ら言い出した。見たこともない堂々とした姿に、思ったものだった。『あぁ、この人も戦闘態勢なんだ』と。決めてからも入学式直前まで、まだ悩んできた。皆と違う、と言ってしまったら色メガネで見られるのではないだろうか。悩んで悩んで悩んで悩んで。でも、彼の堂々とした姿で悩みの全てが吹っ飛んだ。彼も私と同じ気持ちで小学校生活に対してくれようとしている。だったら、もう何も恐いものなどないではないか。私は挙手をし、事情を話した。夫ほどカッコよくは言えなかったけど、卑屈にだけはなるまい、と、前だけは向いていた、と思う。学級懇談会の後、昨日、話した女の子のママが来てくれた。自分の親友の子どもが難聴で人工内耳をつけている。だから、△△(娘の名前)ちゃんのことも身近に感じていたら、「ラボに資料を請求されたでしょ?実は、あそこのラボにお兄ちゃんたち2人が入っていて、冬子(仮名)も入りたいって最近言い出したんだけど、△△ちゃんが入るなら一緒に入る、って言ってるんですよ。」そんな話をしていたら、また一人、母親が近づいてきた。「どこで手術されてるの?大変でしょう?うちの上の子、心臓が悪くて。ペースメーカー入れてるから送り迎えしてるんですよ。」全員に理解をしてもらうのは、所詮、無理。少しづつでも。一人づつでも。そのためにも、私は辛いけど、あえて前を向いていこう。
2009.04.16
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相も変わらず今日も廊下にパイプ椅子を広げて授業を見ていたら、同じ保護者プレートを首からぶら下げた女性がやってきた。その名前には見覚えがあって、クラスの女の子と同じ姓であった。目が合ったので会釈をすると、話しかけてきた。「あの…もう授業、始まっちゃってますよね…」授業は、ちょうど始まったばかりだった。手には名札。どうやら、届けに来たらしい。「私はここにずっといるので、よかったらつけておきましょうか?」と、申し出ると喜んでくれたようだった。しばらく、じっと彼女は自分の子どもを眺め、「あの子、ちゃんとやっているのかしら…」と、独り言を言った。私が、「席も立たないし手を挙げて発言もしていました。前の席の女の子たちと話したり、ちゃんとやってますよ」と、とっさに答えてしまった。実は、彼女の子どもはちょっと、他の子と違う感じを受けたので、つい気にして見てしまっていたのだ。話しも辻褄が合わないことがあるし、やることも遅い。知的にも少し低い感じが見受けられるし、顔つきも…なんとなくだが、何かにおう…。とはいっても、健常の範囲ってやつなのだろうが…。ちょっとあやしがられるかな…と焦ったが、向こうはとっても喜んだようで、あれやこれや色々、聞いてきた。「ハンカチはいらない…てあの子言ってるんですけど、本当ですか?」「もう勉強ははじまっているのでしょうか?あの子、教科書はいらないって怒るんです…」などなど。そりゃ、そうだよな。私は当たり前に知っていることでも、他の子は連絡帳と手紙、あとは本人の話だけが頼り。まぁ、そういう意味では、娘の話に振り回されていない今は、いいこともある、ってことか。それに、もしかしたら、娘を心配している彼女の役にも少しはたったのかな。「ありがとうございました!勝手を言って申し訳ありませんが、また教えてください。」と、何度も頭を下げ、彼女は後ろ髪を引かれるように帰っていった。
2009.04.15
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娘の普通学級生活。いろいろ問題はあるのだが、特に気になるのは帰路だ。我が家は山の上にあって、小学校はふもとの川沿いにある。行きは下りだけだが帰りは上りのみ。しかも、1.5キロはある。行きでさえも35分かかって歩いていく娘。帰りは上りのみで、メンバーも同じ小1だけ。今は教師が引率しているのだが、バテバテでついていくのもやっと、という様子。最初は後ろから見守っていたが、手をつなぐ男の子に引っ張ってもらっていて、その男の子が娘と手をつなぐのを嫌がってきた。そりゃ、そうだ。行きは5年生だから我慢もしてくれるが、帰りは相手だって、はじめての小学校生活で緊張して頑張っている同じ小1なのだ。同じ地域に住む先輩母に聞けば、小学校1年生のときは並んでいるのは門のところまでで、あとはバラバラ。一人で一時間もかかって帰ってきたこともあったらしい。…ということは、娘なら2時間はかかるな(苦笑)これは…手を打たなければ。週に3回も病院があるのに、予約時間までに帰ってくるかどうか待っているのもイライラするだろう。確かに、甘やかさず歩かせるのは必要だろう。が、開き直ってしまえば、我が子は障害児。鍛えれば、学べば、人と同じになれるわけではない。そのためには時間もかかるし、工夫も必要なのだ。娘の小学校には市が行っている放課後事業がある。元校長や教師などを再雇用して、年間500円というわずかな金額で学校の敷地で子どもたちを預かる。まぁ、預かる…といったって、50人ほどの子どもが来たって2人しかおらず、子どもが勝手に家に帰ったって分からないようなお粗末なものだし、学童などからは天下り先を作っただけだ、と、非難されてはいるが。学童では確かにがっちりみてもらえる。が、娘のように常に15時くらいまでしかいられず、通院があるような子どもは、学童がはじまったばかりのときに常に帰らなければならなくなる。特に、娘の小学校には学童がなく、隣の学区の学童まで移動しなければならない。ただでさえ、人間関係が築きづらい娘。学童でも新しい子どもと付き合っていくのはしんどかろう、と、それも短時間しか滞在できず、で、学童は止めたのだが。放課後事業も30分や1時間くらいなら娘でも行けるのではないか。で、車で迎えにいき、そのまま通院し、息子を保育園まで迎えに行く。これが可能なら、一番良さそうなのだが…
2009.04.14
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いやぁ~しかし、イライラする。授業を見ていると、見なくていいことまでいろいろ見えてくる。娘は10番。2人づつ並べば前から5番目なのだが、これが、見事なくらいに並べない。「△△(娘の名前)はどこ?△△はどこ?」と、うわごとのように繰り返し、近くの人に引っ張られる始末。あぁ、こういうのって難しいんだよね。これが障碍でできないのであれば、無理をしたってできるものでもない。何か工夫が必要だったり、時間が必要だったりする。ただ、娘は保育園時代、生まれ順で1番前だった。しかも、加配の先生がいて、常に、彼女の横にいてくれた。だから、自分から自分の場所を探す、といった習性がない、のかもしれない。だからといって、そういうことを仕込まなかった保育園を責めるような話、なのか。娘の保育園は、何より、子どもの自主性、自覚を大切にする保育園だった。だからこそ、やりたくないからやらない、という娘の存在がるのかもしれない。でも、無理してでもやりなさい、という園風ならどうなのだろうか。確かに、無理してでもやるかもしれない。でも、成人したらどうなのだろう。いつまでも、無理してでもやる、ではいかないかもしれない。頭がいい子は、誰か、弱い者をいじめたり、妹弟をいじめて、それで乗り切れるかもしれない。でも、娘みたいな弱者はどうなのだろう。もしかしたら、完膚なきまでに精神が痛んでしまうのではないか。…答えはない。あの人が成人するまで分からない。ただ信じるだけだ。あの保育園、私が惚れた保育園が娘に接した方法が正しかった、と、いうことだけを。
2009.04.13
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昨日の続きで、今日も珍しく夫は休日に休日…?いうのだろうか、暦通りの休日。そうだ、プールに行こう、ということになった。最近、夫はロードバイクを買った。もちろん、こづかいで。それが楽しいらしく、仕事もこのロードバイクで行っている。トライアスロンをするんだ、とかなんだとか言っていて、それで泳ぎたくもなったらしい。夫はもともとスポーツ好きだった。それが不定期の仕事にストレス性アトピーや喘息やらでドコドコ肥り、私と変わらない身長なのに、体重は90キロになっていた。私は昔と変わらず太っているのに、夫は筋肉質の体から大学時代と比べてどんどん太っていった。「結婚サギ」とののしってはいたが、なんだろう、あんまり本気では言ってなかった。ヘンな感覚なのだが、なんとなく、夫がこのまま中年太りのままで晩年を迎えるわけはないな、という確信があったのだ。だから、ロードバイクを買いたい、と言われても、驚きもなかった。今、30代後半。きっと、あと10年も経てば、自分の体力や体型よりも違う価値観を得ることになるだろう。仕事にも慣れて、つまり、今がラストチャンス…になりやすい時だろうな、と、彼が思ったとしても、別に不思議はない。そんな彼はロードバイクで、私は子どもたちを車に乗せて、近くの障害者スポーツセンターへ向かった。日曜日だというのに、プールに入る人はまばら。しかも、無料。私も体型を気にせず水着になり、プールに飛び込んだ。難聴姉弟は耳栓が必須だったが、そんなことも、ここでは当たり前。まして、夫が太った身体をくねらせて張り切って泳いでいる姿など、取るに足らない姿。あぁ、これだよね。福祉政策、自立支援法、共同作業所の問題。いろいろいろいろあるんだろうけど、でも、やっぱり、こういう所にくると、あぁ、ありがたいな、と、純粋に思う。
2009.04.12
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娘のピアノの発表会の日。娘は私と連弾をするため、夫にも休みをとってもらった。もっと、緊張するのかな、と思っていたが、もうそんなことどうでもいい、といった感じで。全然、全く、緊張しなかった。健常の子どもたちとその親の中でやっていく苦労に比べたら、障碍のある子どもがほとんどのピアノの発表会なんて、もう癒しといったっていいぐらいだ。何度も手術やら大きな検査やらをしたせいか、娘の度胸は半端ではない。保育園でも、どんな場面でも、いざとなったら腹をくくったように堂々とこなしていた。今回も、「△△(娘の名前)がでていったらね~だれかがはくしゅしてくれたから、だれかな~とおもってみてみたら、▲▲(息子の名前)くんだったんだよ~」などと、のたまわっていた。確かに、娘は舞台に出た直後、客席を一通り眺めていたような気もしたが、さすがに私の方はそこまでの余裕はなかった。が、何か、娘の気持ちの一端に触れられたような気がした。娘と連弾するようになって、私は、いかに自分が娘に合わせていなかったのか、ということに愕然とした。連弾は呼吸が合わないと弾くことができない。特に、伴奏をひく私の方が、時に間違える娘に合わさなければ、とても演奏と呼べる形ではなくなってしまう。娘が間違えたときには自分の音をつなげるように待ち、娘が速くなったときは、ぺースを落とせるようにいざなってゆっくり弾き、弾きはじめには、そっと呼吸を合わせる。時には顔を見て目を合わせて、声も出さないのに導かれるように弾きはじめることができるときもある。そんなときは、大して難しい曲でもないのに、優雅で壮大な演奏に聞こえることもある。子どものとき、ピアノは好きではなかったけど…。今は、結構、好きだ。
2009.04.11
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娘は相当、緊張しているらしく。入学式でのパイプ椅子ベロンベロン事件以来もやはり、いろんなものをなめてしまう。指はもちろん、下敷き、机、ランドセルのベルト部分。長そでシャツの袖部分はかみかみ。入学式で危惧したように、隣の席の子のランドセルまではなめなかったが、それでも相当、異常なほどである。ふと、ひらめいてハンカチを提案してみた。ハンカチなら口にしていてもおかしくはないし、手に持っていても叱られることもない。すると、全部口に入れてみたり、端をかみちぎってみたり、やっぱり尋常ではない玩びようで…。まぁ、それでも、ハンカチの方がマシかなぁ…。難しい。
2009.04.09
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朝。娘は緊張しているのか、楽しみなのか、案外すんなりと支度をした。サポートさんの手助けもあって、余裕の朝だった。小集団は小5の男の子2人と、小5の女の子1人と、娘の合計4人。私は少し離れた後ろから見守る。この子たちは小学校でもしっかりしていると有名な子どもたちで、緊張している娘に話しかけたり、手を引いてくれたりして、良い雰囲気。ゆっくりではあるが、なんとか歩いて行くことができた。教室に入って支度。一つ一つ確認しながら教えて、席につかせて、先生に挨拶をし。さぁ、帰ろうと思ったら、教務主任がやってきた。「お母さん、ご苦労様です。どうぞどうぞ、これスリッパです。」「あ、ありがとうございます。すみません。」「これ、イス。ここに置いておきますね。」「…は?」「…あ、こちらからの方が見えやすいですね。こちらへどうぞ。」ガチャ、とイスを設置。うっかり座ると、「本当にご苦労様です。どうぞ、中にも自由に入ってくださいね。」…あの…聞いてないんですけど…。反論する暇もなく、教務主任は帰っていってしまった。なんとなく帰りがたく、結局、授業も見学して最後まで。小1だけの集団を先生が引率する帰路も見守り、娘と一緒に家に帰宅した。家に入り、娘と一緒にカバンを投げだし、リビングにへたりこんでしまった。これはいかん…。このままではずっと授業も付き添わされる気がする…。なんとかしなければ…。
2009.04.08
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娘の小集団登校の待ち合わせ時間が7時40分。息子の保育園開園時間が7時15分。車で10分という距離を考えれば間に合わないことはない。が、7時15分に連れていくことから逆算して、だったら息子を何時に起こせばいいのか?息子を保育園に送っている間、娘をどうするのか。ただでさえ朝は動かないのに新しい生活で更に気が乗らない娘の尻を叩きながら、息子の世話をすることは可能なのだろうか。就学前、3月。そんなことを考えていたら、息子が風邪をひき、あっという間に気管支炎にまで進んでしまって入院してしまった。そこで私は自分の思慮の浅さに反省しきりだった。問題はそこではなかった。そんな過酷な生活で息子の体がもつのだろうか。これが1番の問題であろう。息子の入院に付き添いながら私は方々に電話をし、明日から、市がやっている子育て支援を利用し、朝7時30分に来てもらうことになった。障碍児関係ではなく通常の子育て支援の制度にも関わらず、障碍児でもオッケー、朝7時30分からでもオッケー。一体どんな人なのだろう。子育てが終わって、ヘンに自信満々の勘違いおばちゃんだったらどうしよう…。と、自分から頼んでおいて失礼にも不安に思っていた。今日、顔合わせがあったのだが、なんと驚きで40代後半くらい。中学生の娘さんがいて、ラボをやっているらしく、エネルギッシュで素敵な人。うちの子どもたちは2人とも一瞬で彼女にすり寄っていってしまった。あの人たちは発達は遅いけど、人をかぎわける能力だけは半端じゃない。3人できゃらきゃらと遊んでいる姿を眺めていたら、ほっとしてしまった。息子にご飯をあげたり世話をしてから車で保育園へ、あのサポートさんが連れていってくれる。私は後顧の憂いなく、娘の世話だけに専念できる。明日から、少しだけ楽しみも出てきた。
2009.04.07
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結局、娘は普通学級へ行くことになった。普通学級の普通の入学式。もちろん、親から離されて一人教室へ行って、先生に引率されてぶっつけ本番で行う。そんなこと可能なのだろうか、と思いきや、案外、『フツー』にこなしていた。大丈夫だね……案外やれるもんだね……お…おおぉ、やれたやれた…ふう…緊張するね…と、隣に座っていた夫と目で会話。知らない人が見たら、どれだけ仲良し家族か、と失笑されているかもしれない。他の人には晴れやかな特別な春でも、私たち家族にとっては試練の入り口の春。そうだ。こんな春は2度目だ。念願の保育園に入れた入園式があった春。あの日も今日のように晴れていて、そして桜が満開だった。ビデオカメラを回しながら、私は思ったものだった。今日が保育園生活で一番幸せな日になるのかもしれない、と。入園してから楽しくなかったわけではない。素敵な人たちと出会い、助けてもらい、私自身も人間として成長させてもらえた。が、娘はやっぱり『フツー』の子どもではなかった。保育園生活の一日一日、すべてが、『フツー』の子どもではないことの、私たちの人生が『フツー』の人生ではなくなったことの、確認のためにあった。きっと、これからもそうなのだろう。待ち受けている試練。問題の数々。それらを、たまに味わうことができる幸せで乗り切っていけるのだろうか。などと考えていたら、やはり『フツー』では終わらなかった。式の終盤あたり、子どもたちが集中力が切れてそわそわしてきたころ、娘も後ろを向いたり飽きだしてきた。それだけですまないのが『フツー』ではない娘。なんと、パイプ椅子の背もたれのパイプの部分をなめだした。また丁寧にもベロンベロンと端から端まで何往復も。異物を口に入れるのはストレスの表われ。入学式の前、指をしゃぶるな、と、散々言ったことが裏目に出てしまった…。眼力を飛ばし続け、なんとか娘に気づかせて止めさせることができたが、早速、なんとかしなければ…隣の子のランドセルでもなめかねない人だからなぁ(苦笑)明日は始業式のため新1年生は休みで、明後日からは小集団登校。私はそれを後ろから見守っていく。私もはじめて小学生になったような、そんな緊張を感じている。
2009.04.06
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