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PTAの掃除当番だったため予定を入れていなかった日曜日。夫は出張中なので2人連れで行く覚悟を決めていたのだが、神様はそんな真面目な私を見離さなかったようで、万歳、朝から大雨。上手に遊べるようになってきた子ども2人を2階へ追いやり、YouTubeで最近気に入ってるsuperflyの曲をいくつか集めて、聞きながら細々と家事をこなしてた。そんなときも頭の中は娘の小学校生活のことでいっぱいで、音楽をボリュームアップして、焼酎の水割りをぐいっと1杯やったのだが、全然リラックスできない。なんだか頭にきてしまった。大体…なんで、こんなに考えなきゃいかんのだ。特別支援学級へ行けば、こんな苦労もないだろうに…いや…あるかなぁ。でも、少なくても遠足に関しては付き添いがいらなかったわけで。あ~バカバカしい。。早く娘が音をあげて、特別支援学級へ行くって言わないかなぁ。。…そんなことを考えている間も、気がつけばいろいろな方策を考えているわけで。しかも、一つ思いついてしまった。朝の支度、帰りの支度。やることが臨機応返かつタイムリミットがあって、全員がわらわらと動いて集中力が欠けてしまう…もしかしたら最悪な作業なのかも。落ち着かせるためにも、作業に自信を持ってやるためにも、スモールステップが必要かもしれない。とりあえず、ランドセルってのはどうだろう。朝の支度は、ランドセルを机におろしてイスに座る、だけ。帰りの支度は、ランドセルをロッカーから持ってきてイスに座る、だけ。残りは思いだしたらやればいいし、思いだせなかったら大人に助けてもらう。朝は私がいるから母親に。帰りは先生に助けてもらえなかったら、空のランドセルを持って帰ってくればオッケーと。「お茶や給食袋は予備があるけど、ランドセルは1つしかないから持って帰ってきてね。」と言ったら、結構乗り気のように見えたが…ま、やってみなければ分からないが。出来そうもなかったら即行止める。娘も疲れるし私もストレス。また何か他の手を考えようか。…あ~いつまで続くんだろう…
2009.05.31
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洗濯しようと娘のランドセルを開けたら、給食当番の白い上着と帽子、それらを入れてある白い袋が出てきた。そういえば…娘が給食当番では着替えられず誰かにお当番の格好をさせてもらっている、と、昨日、担任が言っていたことを思いだした。娘を呼んで着替えさせてみたら、あらビックリ、着替えられるではないか。それも、結構早く。もちろん1番早くはないだろうけど、ダントツでビリ…ってことはなさそうだ。「ねぇ。△△(娘の名前)はさぁ…こんなに上手に着替えられるのに、どうしてみんなに手伝ってもらうの?」「みんなじゃないよ。こと(仮名)ちゃんがてつだってくれるの。」「△△は手伝ってもらいたくて着替えないの?」「ちがうよ。じぶんできがえたいにきまってるじゃん。」「…じゃあ、なんで…。」娘が黙っている間、私は給食の風景を想像してみた。4時間目が終わって、給食になって。おそらく、娘は疲れているわ、ぼんやりしているわ、チャイムが人より聞こえづらいわ、で、すぐには動かないだろう。きっと、担任が声をかけるだろうなぁ。「△△さん。給食当番ですよ。△△さんがお当番をしないとみんなが困ります。」とか、なんとか言うかな。…そうか、担任の声で動かないのか。そうこうしている間に皆が着替えてしまって、で、1番に着替え終わることちゃんが、娘の手伝いをしにくるのだろう。「みんなさぁ…。△△が『てつだわないで』っていったら、きらいになるでしょ?」娘がポツンと言った。「それはさ。言い方次第でしょう。『さわらないで!』とか言ったら、相手は△△のためにしてくれているんだし気分を害するかもしれないけど、『じぶんでやるから』って言ったらいいんじゃないかな。」正直、驚いた。ここまで考えているとは思わなかった。確かに保育園時代、みんなと上手く関われなかった。娘は一緒に遊びたくても、どうせダメだと言われる、と、思って、「入れて」と言う前に、いきなりみんなが遊んでいるものを壊し、みんなは娘が来ると壊されることを恐れ、娘が何か言う前に「△△はダメ。」と、言われてしまう、悪循環にはまっていた。保育士が見ている前でも何回かあったのだ。見ていないところでは、もっとあっただろう。それでも、所詮、就学前の子供のこと、と、たかをくくっていた。まさか、ここまで心に傷を負い、こんなに気を使っていたとは…。なんとなく…核心が見えてきた。娘が友だちと遊んだり、良いことも悪いことも自分の気持ちを伝えることができたり、きちんとしたケンカをすることができたり、するのは、一朝一夕には無理だろう。例えば、今回。ことちゃんに「自分でやるから」と伝えていったり。こういう機会に少しづつ経験を積んで、ということになる。耳のことがある以上、娘が自分で誰よりも早く動きだす、ということも不可能。能力が高くない娘には、人より遅く着替えはじめて早く着替え終わる、ということも不可能。だとしたら…そう、担任。娘はなぜ、担任の声で動こうとしないのだろう。ぼんやりしていても担任の声でやり始めればいいのだし、帰りの支度だって、担任の指示通りにやれば、そこそこ出来るはずだ。そもそも、家ではタイマーを使って3分で着替えて脱いだものを洗濯機に入れることさえ出来るのだ。やり始めさえ遅くなければ、そんなに遅くなるハズはないのだ。とりあえず私は娘に、数日前した同じことをまた話した。△△は子どもだから、大人に助けてもらうのは当たり前。出来なくて当たり前。特に△△は今まで着替えや給食当番をやってこなかったし、病院ばかりで保育園さえあんまり行けなかったのだから、みんなより出来なくて当たり前。それでも、子どもに言われたり手伝ってもらうのが悔しくてイヤなら、大人に助けてもらえばいい。そうやって少しづつ、素敵な△△になっていこうね。娘は、うんうん、と何度もうなずき、「せんせいにきがえさせてもらおう~っと。」「それじゃあ、いつまでたっても自分で着替えられるようにならないでしょ…」と、突っ込んだら、あっそっか~と笑った。…それにしても、どうして、娘は担任に逆らうんだろう。昨日、担任と娘と3人で少しの時間、立ち話したときの様子が思いだされた。月曜日から先生と1ページづつやろうね、と、担任が膝を折り、娘と視線を合わせて言った途端、娘はプイっと後ろに走りだした。とっさに私が捕まえると振り払おうとし、私が名前を強く呼ぶと泣きだしそうになっていた。先生が何度も視線を合わせようとしていたが、娘は居心地悪そうに、身をよじっていた。あの姿も、今、思えば、あまり見たことがない…。何を思っていたのか…何を考えていたのか…。確かに、今までも20代くらいの女の人…は、娘を制することが出来ないなぁ。年中までの担任、言語療法士…。30代40代の女性だと結構、従うかなぁ。障碍児によくあるパターンで、娘も人をみるのが上手く…。どこまで甘えることができるのか距離をはかってるのかなぁ。それとも、ただ単に甘えてるのかなぁ。被虐待児の特徴で、荒れることで人を試しているのかなぁ。。担任に逆らいさえしなければ、結構、大部分のことは乗り越えられそうな気がするのだが、それをどうやって、あの若くて一生懸命な担任に伝えたらいいのか…。そっちも難題になりそうだなぁ。
2009.05.30
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今日も席には座っていたらしい。担任が言うのだから間違いはなさそうだ。席に座っている…なんて我ながら随分と低いハードルだ、と思う。が、それはあくまでも私にとっての高さ。娘は低いとは思っていないみたいで、笑ってしまうほど鼻高々で、「つぎはきゅうしょくのあとくちをふく、にしよっかな~」と、嬉しそうに言ってくる。こちらも自分の気持ちが娘に届いたことが嬉しくて、彼女が何をできるようになったのか、ということは2の次になる気がする。そして、また彼女と喜べそうな次のハードルを、一緒に考えてみたくもなる。まだまだ、いくつも飛ばなければいけないハードルであるが、ほんの少し楽しみになってきた…かな。
2009.05.29
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娘には内緒なのだが、実は、からくりがあった。いかにも今日。どんなに小学校に遅れても娘に手を貸さない、的な書き方を昨日したのだが、今日は耳鼻科の予約を朝一にしていて、それが終わってから遅刻して行くことになっていて、小学校へは連絡済だったのだ。いつもの朝よりは1時間ほど余裕がある。自分一人では何も出来ないことを、娘に感じて欲しいのだ。朝。目ざましがなったら娘は起きて下りてきた。昨日のことは覚えているようだった。息子を起こして、着替えさせて、ご飯を食べさせている間、何かを感じてはいるようだが娘はソファに座って動かない。それでも声もかけずにいたら、娘は心配そうに、「きょうから、あるいていくの?」「小学校と、△△は秋になるまで車で送っていく、ってお約束になっているからね。△△が行こうって言ったら、車で送っていくよ。」「そっか。」と、安心そうに、ダイニングテーブルについて朝食を食べはじめた。息子の支度ができたので保育園へ行こうとすると、「△△は?」「だって…」と、時計を目の前に置いて、「もう、いつも小学校へ着いてる時間でしょう。」「でも、8じ15ふんまでにいけばいいんだよ。」「だとしたら10分には家をでないと。あと5分で支度できる?まだ着替えもしていないでしょう。時間割は合わせたの?昨日、宿題したの?」「…あっ…」娘はテーブルの下にもぐりこんでしまうほど体を小さくして一言。「…きょうはがっこういかない…あしたからいく。」「それ、ズルじゃん。体もどこも悪くないのに。ズル休みじゃん。」「…」「ねぇ。ピアノだって一日弾かないと次の日、もっと弾きたくなくなるでしょう。次の日も弾かないと、その次の日、もっともっと弾きたくなくなってるでしょう。それと同じで、ズル休みしたら、明日はもっとズル休みしたくなるんだよ。明日もズル休みしたら、どんどんどんどんズル休みしたくなるんだよ。」「……」私は椅子から娘を下ろして、自分と視線を合わさせた。「△△はね。まだ子どもだから一人で出来なくて当たり前なんだよ。△△が悪い子だったりダメだから出来ないんじゃなくて、子どもはみんな出来ないの。だから、大人に教えてもらったり助けてもらったりして、ちょっとづつ素敵な△△ちゃんに成長していくんだよ。いつか、本当に『言わないで』『分かってる』△△になれる日が来るから、大丈夫だから。」「だいじょうぶ?すてきな△△になれる?」「うん。なれるよ。でも…今のままではダメ。」分かるかどうか分からなかったけど、私は必死に娘に話した。子どもは大人に助けてもらったり教えてもらったりして、少しづつ大人になっていく、こと。小学校では、その大人は、学校の先生だってこと。子どもはいっぱい間違えて、怒られて、それが当たり前だ、ってこと。そういうときは、ごめんなさい、をして、大人に助けてもらったり教えてもらって、そうやって素敵になっていくんだ、ということ。△△は昔は▲▲(息子の名前)みたいだったけど、少しづつ練習して、自分で靴をはけるようになったし、着替えもできるようになったんだから、少しづつ練習していけば、なんでもできるようになれる、ということ…などなどなど。「△△はさ。教室の後ろに行って寝ころんじゃって、本当は困っていたんでしょう。戻りたくてもどうやって戻っていいか分からなくて、一人で寂しかったんでしょう?」と、最後に言うと、「ママ…△△がさみしかったのがわかるの??」と、抱きついてきた。「分かるよ。だって、ママは大人だから。大人はね。子どものことを考えたり、助けたり、教えたりしてあげられるんだよ。大人と子どもは違うの。だから、大人に『分かってるよ』とか『言わないで』とか言ってはダメ。子どもは分からなくて当たり前なんだからね。『教えて~』って言えばいいんだよ。」ママにも、学校の先生にもね、と、付け加えた。あと、先日の心療科の医師のアドバイス、『問題行動であればあるほど、思いっきりハードルを下げて、出来たら褒めてあげる』を、思いだし、「一旦、教室の後ろに行っちゃったら戻ってこれなくなっちゃうから、戻ってこれないと、また寂しくなっちゃうから、席を離れることだけはしないでね。それだけママと約束できる?」と聞くと、大きくうなずいた。「じゃあ、ママが手伝ってあげるから学校へ行こう。子どもなんだから、大人に言われてやればいいんだよ。。宿題忘れたっていいの。遅刻したっていいの。子どもなんだから出来なくて当たり前。いっぱい先生に叱られておいで。で、ごめんなさい、しておいで。明日から気をつければいいんだからね。」…とかなんとか言いながら、耳鼻科が終わって2時間目までに時間があったので、宿題やる?と聞いてしまった、世間体を気にする小心者の母であるが…。一応…今日は席を離れないで過ごせたようだった。「せきにすわっていたほうがたのしかった~」と、いい笑顔だったので、これはウソではないかな?分からないけど…(苦笑)連絡帳は先生の筆跡だったから、そんなにお利口に過ごしたわけではなさそうだ。それでも、とりあえず、第一歩。なんだか分からない変わった生き物に育った娘とどこまで分かりあえるか。楽しみでは全くないけど…とりあえずやるしかない…と覚悟はできてきた。
2009.05.28
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とうとう本性を現してきた…というべきなのだろうか。娘は小学校でやりたい放題やりはじめてきた。日記の更新が止まった頃からやりはじめたのが、椅子に座っていない、ということ。教室の後ろで寝転がって過ごしているらしい。怒っても、すかしても、話してみても、家では、「あしたは、ちゃんとべんきょうする」でも、小学校へ行けば…であって、ほとほと疲れてきた。家で聞いたって仕方がない。怒ったってエネルギーの浪費。分かってはいるのだが、本人が帰ってきて、顔を見て、そのひょうひょうとした姿を見ると、どうにもこうにも腹にすえかねて、どうしても怒ってしまう。当然、そうなれば、家でのストレスを学校へ持ち込むわけで…悪循環。寝ころぶ授業はだんだん増えてきて、とうとう1時間目から寝ころんで過ごすようになってしまった。勉強が分からないのか、といえば、全然そんなそぶりもなく。寝ころびながら耳をそばだてていたらしい、国語の発声なんかも家でしていたりして。そんなところが、また、不思議なことに、本当に腹がたってくるわけで…。こうやって振り返ってみれば、本当は興味ある授業なのに、授業が受けられなくて、しんどかっただろうな、なんて思いやってあげられるのだが…。火曜日。夫が休みで、娘は早退して、こども病院の診察を受けてきた。片道1時間弱。車の中で散々夫に愚痴ったり、夫も娘と話したりしたのだが、どんな話も声を荒げることもなく、「まぁ、学校楽しいって言ってるんだからいいじゃないの。」「こんな育児の方が手ごたえあって楽しいじゃないの。」「△△(娘の名前)ちゃ~ん。お父さんは、どんな△△ちゃんでもずっと大好きだよ~。」と、まぁ、こんな感じで。なんか、私もいちいち真剣になっているのがバカらしくなってしまった。すると、なんか、娘に対しても寛大な気持ちになれて、父母娘3人。本当に幸せな時間を過ごしたのだ。それなのに、だ。明けて水曜日の今日。やはり病院があったので、教室まで迎えに行く途中、娘の怒鳴り声。階段の踊り場で、担任とつかみ合いの大喧嘩…ってくらいのケンカをしている。話を聞けば、どうも帰りの支度をする、だの、しない、だのって話で。今日も1時間目からずっと寝ころんでいたらしく。でも、人間って不思議なもので。こうやって、誰かがブチ切れてると妙に冷静になってしまう…というか。人のフリ見て我がフリ直せ…というか。教室の他の子どもを放っておいて、こんなところでやりあったところで、どうにもならんくらい事態が悪化しているな~と悟ってしまった。つまり、娘が教室の後ろで寝ているのは、こんな人間関係に対する売り言葉に買い言葉的な行動であって、一旦やっちまった娘も、もうどうにも引っ込みがつかない状態になっているんじゃないか、と、思ったのだ。そこで、ある考えが浮かんだ。小学校行ってから、何を言っても「わかってるよ」「いわないで」とキレる娘に、今日。「そんなに分かっていて言わないで欲しいなら、全部、自分でやりなさい。」と、一切、口を出すのを止めてみることにした。無視はしない。でも、手は一切貸さない。お風呂では私と息子があがっても好きなだけ入っていた。でも、しばらくしたら出てきて、「あたまかゆい~あたまあらって~」「全部、自分でやれるんでしょう。自分でやりなさい。」食事は彼女の分も作って置いておいて、息子と一緒に先に食べはじめた。彼女が何を残しても何も言わないつもりだったが、そこは彼女も意地があるのか、全部ほとんど食べきっていた。はぶらしも準備して、薬も準備して。「おやすみなさい」と私と息子が2階に上がっても、彼女はビデオを見ているようだったが、夜中に目覚めたら、2階にあがって自分のベッドで寝ていた。下に降りたら、電気も消して、歯磨きもしたようだった。薬は、ちょっと残していたが、飲んだ形跡はあった。でも、次の日の準備もしていないし、宿題もやっていなかった。明日の朝は起こすつもりはない。いつもは自分で目ざましをかけて自分で起きるのだが、大体は起きられないので、私が声をかけていた。自分で起きて、着替えをして朝食を食べ、自分で支度をしていないことに気がついて、宿題もやって…そんなこと出来るわけがない。さぁ、娘はどうするんだろう。
2009.05.27
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いつもにもましてボーっと動かない朝。咳と鼻水もひどくなったようだし、首筋に手をあててみたら…あら、熱い。熱をはかってみたら、37度0分…。昨日、転校するだの、もう勉強しない、だの、さんざん言った次の日の欠席。ちょっと無理してでも行かせた方がいいのかな…と悩みつつ、息子を起こしてみたのだが、これまた見事に起きない。いつもなら声をかけたらクルリと目覚める男が、眠り続けている…。リビングに引きずり下ろして熱をはかるが、こちらは平熱…。でも、かなり乱暴に扱ったにも関わらず起きる気配がない。ああー!もう、止めた止めた!休みじゃ、休みじゃ~連絡帳に、昨日、心療科で聞いた話やら、今日の様子やらを2ページに渡って書いて、隣の子に託し…そしたら、なんだか、ほっとしてしまった。学校に行かなければ問題は起きないわけだし、教室へ入って、やきもきしなくてもすむし、いろいろな子にもみくちゃにされることもない。はぁ~極楽極楽。娘も疲れたよなぁ。私は家に帰れるけど、娘はずっと学校でがんばっているわけだから。夕方、担任から電話がかかってきた。「昨日はお母さんを心配させてしまってすみませんでした。△△(娘の名前)さん、今まで授業だけはとっても楽しそうにうけてくれていたんです。それで、つい私も驚いてしまって…。」それから20分。たっぷり先生と話した。私が「貴重な時間をすみません」とお礼を言うと、「私の方こそ、私が解決しなければいけないことを電話してしまっていいのだろうか、と、悩んだのですが、電話して良かったです。」担任と親。どこまで手をとってやっていけるか、なんて、本当は関係ないのだろうか。小学校って、本当はどんな場所なんだろう。夜。連絡ノートが帰ってきて、そこには宿題と、今日の授業内容やらの手紙が入っていた。みんなからのメッセージとして、『おくすりのんではやくよくなってね。いっしょにべんきょうしようね。』と、書いてあった。娘は嬉しそうに何度も読んで、「…みんな、△△のことだいすきなんだね。」「そうだよ。だいすきだから△△のこと心配なんだよ。だから、△△もみんながだいすきだったら、みんなのきもちもかんがえようね。」みんなを待たせたら迷惑がかかるから給食も早く食べようね、と、最後に説教くさい一言も付け加えてしまった…。娘は大して聞いてもいないらしく、「みんなにあいたいなぁ。」「がっこういけばよかったなぁ。」と、大切そうに何度も何度も何度も、そのメッセージを読んでいた。たまには、休むのもいいものだね。休んだことで学べることもあるわけで。私も少し骨休めができて、ちょっとだけ明日から頑張ろうという気持ちが復活した。
2009.05.21
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4月の入学式以降から5月の中旬まで、急ぎではない病院は予約を外してきた。そんなモラトリアムが終わり、いよいよ病院の予定が増えはじめた。昨日は口腔外科のある大学病院の歯学部病院。今日は、車で1時間弱かかる、こども病院の心療科である。給食終了後のお迎えだったので、給食が終わる姿を見てみようと少し早めに行ったら、娘よりも先に、担任が私に走り寄った。「△△(娘の名前)さん…今日は、授業に身が入らなかったようで…。国語のときも練習帳を全くやらないで…。算数のときは補助の先生が入るのですが、その先生にかなりなことを言ったようで…」教室に入ると、いろいろな子がわらわらと私の周りに集まってきた。「あのね、△△ちゃん、べんきょうしないっていってた。」「てんこうするっていってたよ。」「もう、がっこうこないっていってた。」なんか、どうしていいか分からなくて、とりあえず私は車の中で娘に聞いてみた。でも、なんでなんで、と聞いたところで説明できるわけもなく…。聞けばイライラするだけのお約束パターンで、最後、私は泣きながら怒鳴ってしまった。幸い、今日は心療科の受診だった。この病院は、心療科だけで独立した病棟を持つほど心療科に力を、特に、虐待による心療も得意としている。前の主治医…といっても半年弱の付き合いしかなかったが…が、転勤したため、今日から新しく赴任した主治医であったのだが、今日の学校のこともあって、こんこんと話し込んでしまった。すると…、まず、最初に一言。「えらいねぇ。そんなにやる気がなかったのに、ちゃんと席には座っていたんだね。」言われて、目からうろこだった。そうだ。確かに、教室にはいたのだ。先生との約束、トイレで遊ばない、は、実は、「せんせい、といれにいっていいですか」と、教室を抜け出して遊んで帰ってこない、という、実に頭脳プレイで恐縮な話も入っていた。が、それはきちんと守っていたのだ。「最近、何か変わったことありませんでしたか。」あった。病院が増えた…。それと…あさがお!生活の時間で植えたあさがお。自分で水をあげなければいけないのに、水をあげに行かなかった。水をあげなければ育たないことを知らないのか、と、「あさがお、かわいそうに…のどがかわいたんじゃない?」とか、いつも促すことをしていた。…が、よく考えたら、あの人はうちでハーブを育てている。「あっ!わすれてた!」と、自分からあげる日もあるのに…水をあげたら育つことを知らないわけがない…。水をあげるジョロは人数分ないようだったし…もしかして、あげ方を聞きそびれてしまったのではないだろうか…。だとしたら、次第に枯れていってしまうだろうあさがおを思いながら、どれだけ辛い思いをしていたのだろう。それなのに、それを追い込むようなことをしてしまって…。「お母さんの子ども像はどんな子どもですか?」私があれやこれや思いをはせていると、新しい主治医はそんなことを聞いてきた。私の中の子ども像…。すぐに思い浮かんだのは、小学校のとき同じ学年だった男の子だった。笑顔がまぶしくて、活発で、ノビノビしていて、でも、言葉使いとか丁寧で利発、そんな子ども…。「その子ども像と同じ様な子どもがクラスに何人いますか?お母さんにとっては、1対21に感じているかもしれませんが、きっと、そんなことないと思いますよ。いろいろな子どもがいますから。」確かに…そうだ。娘も一人しかいないけど、そんな理想の子どもも数人しかクラスにはおらず。しかも、それは傍から見てそう思っているだけであって、内情を知ったら、もっと数は限られてくるだろう。なんとつまらないフィルターにかけてきたのだろう。私の中には理想の子どもがいて…それは娘ではないのだ。そして、いくら理想の子ども像をつきつけても、そんな理想の子ども像を演じることもできない…それが娘なのだ。いや、むしろ、演じることができない娘で良かったのだ。虐待の連鎖を止めることができず、私もまた理想の子ども像を自分の子どもに押し付けてしまうところだったのだから。…いや、他の虐待をしてしまってきてはいるのだが…。最後に、「△△ちゃんは、この年齢なら大抵言われたことを機械的にやる子どもが多い中で、自分の気持ちを大切にしたり、理由を求めたりできる、賢い子どもさんです。怒ってもどうせ変わりませんし、エネルギーも使います。怒りそうなことは事前にハードルを思いっきり下げて、むしろいっぱい褒めてあげてください。そうしたら、きっと変わってきますよ。」と。褒める…のは、きっと、この主治医の十八番で、私はのせられているのだと思うが、確かに、褒められれば嬉しい…事実、今、娘を褒められて私が嬉しいのだから。「大して長い期間じゃないと思いますよ。子どもは褒められたら、すぐに変わってきますから。」のせ上手な先生だなぁ。この先生のもとで、のせられてみるのもいいかな、と思ってきた。
2009.05.20
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今日は娘の大学病院の定期検診の日。長い待ち時間の間、ちょっと…娘と『娘の障碍』について話をしてみた。…と言っても、私は今まで何でも正直に話してきた。今日の通院はもちろん、どの病院に行くときも、その理由をきちんと説明し。就学についても、難聴のことなども話し、どの学校へ行くか一緒に考えてきた。が、ひとつだけ。娘に話してこなかったことがあった。彼女がミルクを飲まず、経管栄養の後もずっと食事を上手く摂れなかったこと。息子が産まれ、おっぱいを飲む姿を見て、「△△(娘の名前)もこうやってオッパイのんでたの?」と聞かれたときも、「そうだよ」と意識的にウソの返答をしてきた。自分でも不思議だ…。どうして話そうと思わなかったのだろう。『授乳、食事…といえば、家庭で解決できる問題と思われがちだが、大きな障碍がない子どもでも栄養失調はおろか、命にかかわるほど授乳や食事が摂れない子どもがいる。その場合、それは病院が介入して解決していくしかない問題であるのに、未だ、そういう子どもたちに手が差し伸べられていない』と、さんざん訴えてきたにも関わらず、私自身が食事を『娘の障碍の一つ』とカウントしてこなかったとは…呆れてしまう。むしろ、一番、私の負担…おそらく娘の負担になっているのは、今でも、この『食事』だというのに…。病院の待合で小さい赤ちゃんを見つけて、「▲▲(息子の名前)くんみたいなあかちゃんだね~」と、娘が言ったので、それをきっかけに話してみた。「ねぇ。▲▲が赤ちゃんだった頃のこと、覚えてる?」「おぼえてるよー!かわいかったよねー!!」「何を飲んでたか…覚えてる?」「おぼえてるよ。ママのおっぱい。」その後、離乳食を食べて、今は家族と同じご飯が食べられるようになった話をし、「△△は…赤ちゃんのとき、何を飲んでたか…分かる?」「ママのおっぱいでしょ?」「△△はね…お口に傷があったから、ママのおっぱい飲めなかったの。だから、お口に傷がある子ども用の哺乳瓶でミルクを飲んでいたんだけどね…」その哺乳瓶で飲むことも3ヵ月のとき、娘が止めてしまったこと。病院に2ヵ月入院したけど原因が分からず、経管栄養になったこと。1歳で口唇の手術をしてから離乳食をはじめたこと。1歳4ヵ月で体重増加不良で1ヵ月入院したこと。その後も病院へ通って栄養剤をもらいながら、少しづつ大きくなっていったこと。娘は話が分かるようだった。「だから△△、いちばんまえなんだね。」小学校で背の順で並ぶと1番前なことを気にしていたので理解がしやすかったようだった。「ママは…△△がお空に帰っちゃったらどうしよう…って。毎日、泣きながらご飯を作ってたの…。だから…今でも心配で…」昔が思い出されて言葉がつげず、人前にも関わらず涙してしまったら、娘もみるみる顔を歪めて泣き出してしまった。「ご飯の時…▲▲より、△△のことをいつもいっぱい怒ってしまって、ごめんね。でも、小さい時のことがあるから、今でも△△のご飯が心配なの。イヤな想いをさせてしまって、ごめんね…。」涙しながらも、ようやく、このことだけ伝えると、娘は大泣きに泣きながら、「ママは、△△がおそらにかえっちゃうのはイヤなんだね…」と言い、また泣いていた。彼女が口にした言葉。あれは、一番彼女の心を動かしたのが、『自分はママに死なないでほしいと思われている、必要な子どもなんだ』と実感できた、という意味だったのであろうか。だとしたら、私が自分の母親にしてきた『必要な子どもと思われるための努力』を、娘にも強いてきたことになるのだろう。私は母親の望む『出来の良い子ども』になることで、必要とされようと努力をしてきた。娘は…どんな努力をしてきたのだろう。『諦める』…努力かな。本当に本当のことは伝わっていないかもしれない。でも、私が彼女の命を守りたくて必死になってきたことと、今でも必死さで怒ってしまっている、ということ、それから、必要とされている大切な子どもなのだ、ということが伝わったのだとしたら、具体的に食事の時の何かが変わらなかったとしても、十二分に意味があった、と思っている。
2009.05.19
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で、迎えた家庭訪問。たった10分、しかも最近の主流は玄関で立ち話だというではないか。私の頃はケーキなんか出した記憶があるのだが…。それに、うちの場合は毎朝、担任と顔を合わせ話をする約束になっているし、個人面談もたっぷり1時間すでにしている。きっと、大した話もないだろうな、と思っていた。が、かなりの隠し玉を持って教師5年目くらいのうら若き彼女はやってきた。彼女がカバンから出して広げたのはパソコン打ちされた平仮名ばかりの表であった。そのタイトルに『△△(娘の名前)ちゃん、がんばったねひょう』か何か書いてある。その下に、月から金までの曜日が横ならびに。縦ならびには、『ちゃいむがなったらきょうしつにもどりましょう』『といれであそびません』『おきがえはじぶんでやります』と、3項目。その月曜日の欄に◎が縦に3つ。表の上に但し書きみたいなものがあって、『よくがんばったね◎ がんばったね○ もうすこしがんばろうね△』彼女の説明を待たずして、分かった。これは…行動療法。私が、娘と家でやっていたものだ。義理だてて一応、彼女の説明を聞いた後、私は聞かずにはいられなかった。「この3項目が、先生が一番、娘に望むものなのですね。」家で私が彼女と約束していたものは、『給食は1時までに片付ける』だの、『帰りの支度は5分で』であった。が、それはあくまでも私が彼女に望むものでしかなかった。皆と一緒に、皆と同じように…それは、ただ自分が普通の子ども像を望んでいたに過ぎなかったのかもしれない。本当に担任が彼女に望んでいるのは、それではない。給食も帰りの支度も、自分の目が届くところにいる限りは娘は娘でいて良い、と、担任は言ってくれているのだ。…それは言い過ぎか…そういうのは2番手3番手で良いと言ってくれていて。ただただ担任の願いは1つ。自分の目の前から消えないでほしい、ということだけ。学校の願いは学校でしか分からない。だから、そうか、担任が行動療法をやってくれる、というのが、理想だったのだ。あぁ、気づかなくて良かった…気づいていたら、学校がやってくれればいいのにぃ…って、イライラしていたに違いない(笑)娘にそれとなく聞いてみたら、「そうだよ。せんせいとねーやくそくしたの。えーっと…」と、3項目、サラリとそらんじてみせた。そうか。学校での娘を動かせるのも…私の願いではないのかもしれないな。学校での娘を動かせるのは、担任の心からの願いと想い。それが彼女に通じたとき、だけなのかもしれない。寂しいなぁ。あんな…頼りなくて、入院ばっかりしていて、私が教えてあげなかったら何も動けない子が。私ではない人から何かをつかみ、一緒に学んでいこうとしていて…。こうやって、どんどん離れていくのかなぁ。障碍児なクセに…ほんと生意気なヤツだ。
2009.05.18
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娘は泳げない。ただ、泳げないってだけではない。浮き輪をしても前に進まないのだ。浮き輪をして適当にバタバタしていれば、勝手に自然に動くだろう、と思うのだが、そういう、『勝手に』『自然に』普通なら身につくようなことにまで、思いもかけず躓くのが、娘のような子どもなわけで。もがいてももがいても、そりゃ、見事なほどバランスは悪く、体全体がブレ、一生無理だな…ってくらい、前に進めなかった。障碍のせいか?と思っていたのが、我が家の2番手障碍児クンは、これまた見事に『勝手に』『自然に』習得してしまったので、まぁ、得手不得手の障害児版ってとこなのだろうか。息子はそういえば、なかなか歩かなかったなぁ(苦笑)バタバタモガモガしている娘の横を、息子はモーターボートのように性能良く、もくもくと前に進んでいく。「▲▲(息子の名前)のようにバタバタと」と、あまりにも言いすぎたのもあるし、本人も弟より出来ないのが悔しいらしく、娘は次第にヘリを手で持って動くようになってしまい、「つかれたからあがる」と、何度も逃げてしまうようになってしまった。これはまずい、と思った私が教えてみたが、ダメ。夫なら良いだろう、と思ったが、全然ダメ。スモールステップを作らなければ…と、プールにもぐり、娘と息子の体の使い方を徹底的に比べて、何が違うのかを考えた。で、はっとひらめいた。息子はチョコチョコと小刻みに足をバタつかせているのに比べて、娘は宇宙遊泳のようにのんびり大きく足を動かし、結果、体中がうねっている。一方、息子の方は、浮き輪の上に出ている上半身は一切、動かないで安定している。これだ!!と思い、娘に、「小っちゃくチョコチョコと動かすんだよ。バタバタバタバタ…と。」と、手を使ったジェスチャーで小さく動かしてみた。「…こう?」と、娘がやってみた瞬間、一瞬、ふわーーっと前に進んだ。「やったやった!すごいじゃん!!」「できたぁー!!」コツさえつかんでしまえば、そこは小学校1年生と2歳の差で、プールをあがる頃には、娘は息子と競争しても負けないようになっていた。問題点を見つけ、スモールステップをつくり、簡潔に的確に伝えて、で、成功する。これが醍醐味だな、と思う。が、そこからスムーズに伸びたのは、スモールステップやらのこて先ではないだろう。一瞬、ふわーっと前に進んだとき、娘が喜び、私も本当に感動した、この感動の共有が、娘の自信になったのではないだろうか。演技やとりあえず褒めとけ、で褒めたのではなく、心から褒めたことを、娘は敏感に察したのだろう。まぁ、このあたりは障碍とか関係なく、人間と人間の付き合いの基本ではあるのだろうが、娘と私の場合、本当はこのあたりが一番、難しいのかもしれない。
2009.05.17
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行動療法…で、あったようななかったような…そんなあやふやな知識をかきあつめ、娘との小学校でのお約束を表に書いて、出来たらシールを貼り、全部貼れたらイイコトしようね、と、約束してみた。最初、あれもこれも、と10項目くらい書いて筆箱の中に忍ばせたのだが、授業中も休み時間も眺めてシールで遊んでいたそうで禁止されて帰ってきた。家に置いておくことになったのだが、だとすると10項目も覚えていられない様子。紆余曲折を経て、今は毎日、2項目に絞って朝、話しあい、やりたいことも決めて小学校へ行く。で、帰ってきて成果を聞く、ということになっていた。体育のある日は、『体育が終わった後のお着替えは疲れていても頑張って3分で着替えようね』あとは、『帰りの会が終わったら、帰りの支度をまずやってから遊ぼう』とか、『給食は1時までに片づけよう』など。ここ数日は、とっても良い報告ばかりで、家で好きなことをさせていた。…で、あんまり順調なので、何気なく、項目にないことを聞いてみた。すると…口ごもる娘。「でもなぁ…ほんとうのこというと、すきなことできなくなっちゃうし…。」「これは、お約束じゃないから出来なくてもいいんだよ。」と、言うと…「できなかった…テヘ」…ん??待てよ???「…もしかしてさぁ。お約束のことも、好きなことがしたいから、ってウソついちゃった?」すると、あっさり、「うん。ほんとうはね~できなかったの。」えええーーーーーー!!!!!!!「…ずっと??」「うーん…わかんない。どうだったかなぁ~」悪気なく。。全然気付かなかった。帰りの支度など、「みんなはね~できなくておそいこもいたけど、△△(娘の名前)は、スーっとやっちゃって、あそんでまってたんだよ~」って…ここまでウソをつかれるとは…。そうか。ウソではないのだろうな。こんな自分になりたい、って夢を語っていたのかもしれない。あんまり見事にだまされたので、怒る気も失せ…。今日は、本当のことを言ったから好きなことしていいよ、ということにした。で、一言。「ウソをついても、先生に聞けば分かるし。誰も見ていないと思っても神様が見てるんだよ。」…いやぁ。いつのまにやら、そんな高度な技を…。本当のことを話してくれる間に、本当のことを話した方がいいことがある、ということも教えていかなければ…。そうなると、行動療法の方は手薄になるわけで…。難しいなぁ、あの人を育てるのは。。
2009.05.15
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実は…ってほどではないのだが、子ども2人、染色体検査をしていた。ただの染色体検査ではない。それはもう、以前、それぞれ別の病院ではあるが行っていた。結果は…異常なし。でも。娘だけのときは何も言わなかったドクター陣が、息子を産んだ途端、賑わってきた。つまり、娘だけのときは突然変異だったのが、息子も加わって、何かしらの『○○○症候群』の可能性が出てきたからだ。あんまり、あちらこちらで言われるので、私も重い腰を上げた。今更、何かを言われるのは面倒だし、しんどい。まぁまぁ幸せに暮らせるようになったのに、ほっといてくれ、的な感情もある。それを打ち破ってくれたのが、息子を出産した際の主治医だった。診断名が見つかることで、予防できる何かが見つかるかもしれない。ずっと私も一緒に見守るから。息子の主治医は、今やワイン好き仲間であり、大切な友人だ。来月も一緒に遊びに行く予定だ。その友人が、自分の職業的には裁判にだって使えてしまうような重い言葉を、子どもたちにかけてくれて、で、遺伝子検査を薦めてくる。私はそこで迷いがなくなった。遺伝子といえばここの病院のこのドクターの診察を受けるために5ヵ月待ちの予約を入れ、待ち時間1時間の後、3時間もの診察を受け、その後、大量の採血に血管が細い2人は疲れもあって出るわけもなく、たっぷり1時間…。あの日の結果を聞きに行ってきた、というわけだ。この病院では、この地方ではここしか出来ないっていうほど細かな染色体検査ができる。異常なしと言われた染色体でも、染色体の端がちょっとだけねじれていた、少しだけ欠けていた、そんなレベルのことも分かるらしい。まず、染色体。その後、染色体の端っこを細かく。それでも見つからないと、染色体を構成している遺伝子を細かく見ていく遺伝子検査をしていくことになる。姉弟で同じような特徴を持っている場合、染色体を細かくレベルで見つかることが多いらしいのだが、結果、異常なしだった。今後、遺伝子検査をしていくのだが、保険適用外らしく。実費をはたかない場合、どこかの大学でうちの姉弟のような遺伝子を研究している研究者に打診して、研究に協力していく形になるという。と、同時に、血液検査以外の方法、身体的精神的特徴を診て2000もの症候群からしぼっていく方法を併用していく予定…らしい。ずいぶんとアナログな…。軽度の伝音性難聴、心房中隔欠損、足首などのやわらかさ、左の内斜視、喉頭異常、口腔異常…などなど。見事にかぶっているうちの姉弟に診断名がつく日はいつになることやら…。…まぁ、いいさ。病名がつこうが、つくまいが、あの人たちには変わりはないし、私の日常が忙しい現実も変わるわけではないのだから。
2009.05.13
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遠足に付き添った。1年生は6年生とペアになり動物園に行き、事前に話し合ったコースを6年生主導で回り、時間になったら集合して全員でお弁当を食べ、また小学校へ戻ってくる。最初。小学校から付添を要請されたとき断った。私の頭の中では、娘と手をつなぎながら、6年生と話をし、他の1年生の面倒をみる、そんな自分の図が思い浮かんだからだ。そのようなお客さん状態で遠足に参加することに意味があるのだろうか。そう疑いながら半日歩き続け、気を使い続ける気力がわかない。娘は遠足に参加しません、と申し出た。すると小学校から、「いえ、そういう風に参加されるとむしろ困るんです。」6年生は自分たちの主導で1年生を導くことを楽しみにしているし、それが良い経験になる。お母さんは離れたところから娘を見守り、いざというときだけ出ていってほしい、という。「どういうときが、いざ、なんでしょうか。」と、聞けば、「突然、走りだして、6年生が見失ってしまうようなときです。」まず、ないとは思いますが、と付け加えた。確かに。いざというとき、6年生に責任をおしつけるわけにはいかない。そして、こちらも娘が突然走りださない…という自信はない。やみくもに走り逃げる…ってことはないが、何か見たいものがあって、6年生の許可をとらず、勝手に行ってしまう、という可能性は0ではない。「泣いたり、ゴネたり、わめいたりしても、出て行く必要はありません。それも6年生や本人も良い経験なので。」という教務主任の言葉にも後押しされて、付添をオッケーした。たまたま夫が休みの日。2人で娘の遠足を見て回った。娘は…思っていた以上に皆と一緒に歩けなかった。事前の情報があったのか娘には6年生2人体制で。背中に手を置いてうながしているようなのだが、自分のペースでしか歩かないよう。全部で8人ほどのグループなのだが、すぐに娘ペアだけ遅れていってしまう。何を思ったのか、見かけたトイレには全て入り。20分ほどしたら花壇に腰かけ動かない様子。どう説得したのか、なんとか立ち上がって歩いたり。かといえば、突然、息を吹き返して次の動物に走ってかけよって6年生が追いかけたり。もう、見ていてイライラするなんてものじゃない。いっそ、私の眼力に気づきやがれ!!と、思いっきり睨みつけるのだが、鼻からいることを知らない上に、その日は団体客が他にもいっぱいの大にぎわいで、娘はノビノビと遠足しちゃっている。「もう…▲▲(息子の名前)なら、歩けないながらもついていこうとするのに。」「あぁートイレチェックして安心してるんだ…トイレ苦手だから…。」「ああー!!▲▲なら空気読んで移動できるのに…。」と、夫に言うでもなくブツブツ呟きながら日傘に隠れていた。すると、ふいに夫が口を開いた。「ちょっと。いちいち▲▲と比べるの止めなよ。自分で気づいてないでしょう。思春期になったら、比べられてイヤだった、って逆襲されると思うよ。」私は口を閉ざした。「△△(娘の名前)頑張ってるじゃん。ちゃんと6年生と一緒に歩いてるし。オレたちだって疲れてるんだから、△△はもっと疲れてると思うよ。」見守っている娘は、顔もよく見えないほど遠くを歩いていた。でも、自分が今、感じている足の疲れと同じ疲れを娘も感じているのだ、と思ったら、すべてふきとび、ただただ娘の労をねぎらってあげたい、という気持ちになっていた。遠足が終わり、娘が担任に連れられて私たちの元へ戻ってきた。「遠足、楽しかった?」「たのしかったよー。」「よくがんばったね!」「うん!つかれたー!!」きっと、これが今の娘の限界なのだろう。どう行動するのかは分かっている。逃げだしたり突飛な行動をするわけではない。でも、始終みなとペースを合わせたりするのは難しい…と。小学校側も、それを親に見せつけておきたかったのかもしれないな。夫がいて良かった。私一人ではさんざんイライラした揚句、娘と合流したらダメ出しの嵐になっていただろう。でも、それは無意味なのだろう。娘は娘で精一杯限界までがんばった、その結果が今日で。手を抜いたりしていたわけではない。それを褒めてあげないで、逆に責めてしまっては、それこそ遠足に参加した意味を私が壊してしまうことになっただろう。娘は娘で、息子は息子で、他の子は他の子…。それを思い出せたことが、私が遠足に参加した成果なのかもしれない。
2009.05.12
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…で、むかえた母の日。朝、昼、夜、と順調に過ごし、夕食は行きつけの回転寿司に行って。このまま…と思ったら、やっぱり怒ってしまった。…ハッ。として、すぐに、おだやかに言いはしたが、…悔しい。今、どんなことで怒ったか思いだせないような些細なことななのに…。息子に対して、私は怒ったことは数少ない。数えるくらい、自分がいっぱいいっぱいだったとき、つい余計に怒ってしまったり、ちょっと軽くオデコをペンとしてまったり、腕を強く引っ張ってしまったり、したことはある。すると、息子は見たことないほど我慢の顔になり、泣くのもこらえて、悲しそうにする。私が我に返り、ごめんね、ママ怒りすぎたね、と声をかけると、あふれだしたように、ウワーと泣きだし、私に顔をすりつけてくる。そんな息子には何か伝えたいときには、怒らないで、叱る。「…あぁあ~」と眉をひそめるだけで息子は自分の手を止め、行為を振り返る。ちょっと恐い声で注意するだけで、じーっと考えて手を止める。だから、キレたりする必要がない。私はいつから娘に怒っていたのだろう。あぁ、そうか。ミルクの哺乳瓶を叩き落としたときも、もう怒っていたなぁ。注入していた1歳半までの間などは怒りっぱなしだった。注入している30分の間、彼女がじっとしていられなかったからだ。カテーテルが抜けたらあぶない、と、怒鳴り、ケリを入れていた。…あの頃の私は、本当に、あぶない、と思って怒っていたのだろうか。本当は、汚れるのが嫌で恫喝していただけじゃなかったのだろうか。1歳の子どもが動いてしまうのは当たり前なのに…。本を読んであげたり、遊んであげたりして、動かないように気を紛らわせてあげることもできたのに。せめて、ビデオを見せてあげたり、おもちゃを与えてあげることさえしなかった。そんな私に、娘を怒る資格があるのだろうか。娘は私がキレて怒らないと動かない。学校の先生をはじめ療育の先生が叱っただけでは動けない。私が叱ったら動く、が、それは、その時点で動かないとキレ怒られると分かっているから。そう育ててしまったのは私だ。それでも彼女は私を母として、母の日のお祝いのために自分のごほうびを譲ってくれた。怒る、という関係で縛られてしまった娘の人生を、その原因をつくった母である私が治してあげられる日は来るのだろうか。
2009.05.10
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今日は娘の耳鼻科診察のために、こども病院へ。夫に休みをとってもらって息子も連れていき、ついでに買い物やら公園やら外食やら、休日気分もまぜたスケジュールにしてみた。が、こんな我が家的に万全な日に限って、なぜか待ち時間も少なく、診察もあっさり…終了。前回、私が一人で連れていったとき、13時予約で終わったの17時でしたよね…??ほんとに大きい病院って読めない…。終わったら子どもたちと父が公園で遊んでいる間に、私一人お買い物。で、18時すぎに回転すしを食べにいこう、という計画だったのに…まだ14時前…。いきなり、家の用事がいくつか思いだされ、なんだか家に戻りたくなってきた。いったん戻ったら外食なんて面倒だし…お寿司、明日にしよう、と提案してみた。夫はオッケー。息子は…まぁ、なんでもオッケー。でも、娘は即答、「ヤだ。」いろいろ説明したのだが、「ヤだ。だって、きょう、じびかがんばったら、おすしだっていったじゃん。」…そうだよねぇ。。でも…と言ってみたのだが、だめ。明日、お寿司食べれるよ、とポジティブに言ってみたが、ダメ。夫が、おうちでご飯たべたらいっぱい公園で遊べるじゃん、と、ワケわからん理屈を言ってすかしてみたが、ダメ。まぁ、しょうがないわなぁ~と車に乗り、とりあえず、買い物へ。そそくさと買って、いったん、家に戻って冷蔵庫へ入れよう、と、家まで1時間弱の道のりに入っていった。半分ほど来たぐらいだろうか。息子と一緒に寝ていたのか、と思っていた娘が、ポツリと声をあげた。「おすし、あしたでいいよ。」「…え?!」「あした、ははのひだから…おすしやさんで、ははのひのおいわいするから。」成長したなぁ。自分のごほうびのお寿司を母の日のプレゼントにかえる、って、結構、複雑に利益がからんで難しいのではないだろうか。それを、こんなにカッコよく言えるようになったなんて。「ありがとう…ママ、今まで生きてきた中で一番、嬉しいプレゼントかも…」と、つぶやくように言ってしまった。私が本気で本当に嬉しいのが伝わったのか、「ママ、うれしい?」と、何度も嬉しそうに聞いていた。明日は怒らないでいよう。つまらないことで怒らないで、にこにこした母でいよう。本当に嬉しい、母の日のプレゼントだった。
2009.05.09
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朝。車で送っていき、いつものように教室までついて行き、あれこれ口出したくなるのをグっとこらえて、担任に一声かけて帰ろうとすると、廊下に出たところで担任に呼び止められた。「昨日の様子をお話しようと思いまして…」ドキッ!!!!もう、こんなにドキドキしたのは久しぶりってほど、ドキってしまった。息子が、難聴と告げられたとき以来かな。。「…な、何かしでかしましたか…あの人…。」書き文字そのまま、本当にどもってしまった…。すると、笑って、「そんな特別な話ではないです。ただ、これからこの時間に、こういう話も出来たらなぁ、と思って。」優しく先生は言ってくれたが、聞いた話は十分に驚きに値するものだった。1つ目は、授業も5時間目になると、疲れるのかダラっとした格好になってしまう、という、ごめん先生、それくらいなら言わなくていいよ、てな話と。2つ目は、並んで歩けない、という話。長い距離の移動になると、どんどん娘と前の間が開いていってしまうそう。左右にもぶれるそうで、周囲の人が娘をひっつかんで、こっち~、はやく~、と、うながしていて。で、先生。こんなに言われたらイヤかな~と思って、耳のこともあるし、娘に、「先生の横に来る?」と、聞いたそう。すると、「いい。ここであるく。」と、きっぱりと拒否した、という。保育園では、いつも先生と一緒に歩いていた。一番前か、一番後ろ。誰かと手をつないでいても、途中から自らせがんで先生の横に行きたがった。そんな娘が…ねぇ。。先生もそれを責めているわけでは無さそうだった。保育園時代の話をすると、一緒に成長を喜んでくれた。3つ目はちょっとした事件。昨日はGW明けで結構、どの子も疲れていたらしいのだが、娘は帰りの支度が、みんなで教室を出る時間に間に合わなかった、というのだ。で、先生が、「先生、みんなを校庭に連れていって下校させたら戻ってくるので、それまで教室で待っていてください。一緒に帰りの支度をしましょうね。」と、言い残し出ていったそうな。ところが、下校を指導して教室に帰ってきたら娘がいない。学校中探し、もしかして…と思って放課後事業の場所に行ってみたら、娘はもうカバンをロッカーにつめて遊んでいた、と。ちゃんとボランティアの民生委員さんに、「あとからせんせいが紙をもってきます」と、言ったらしい。さすがに、それは謝った。先生もかなり胆を冷やしたそうで、先生の労もねぎらった。話は報告だけで、だから娘をどうする、といった件ではなかったのだが。聞いても、私にはどうにもならない話でちょっと愕然とした。怒ったからといって、どうにかなるわけでもない。その場は「うん」と言っても、学校へ行けばどうしようもない。あぁ、こうやって子どもはどんどん自分の力の及ばないところへ行ってしまうのだなぁ。障碍児だ、ずっと一緒に暮らすのだから、と、気を抜いていた。もっと娘に授けなければいけないことがいっぱいあったのに。今からでも間に合うのだろうか。帰ってきて、娘に昨日の件を聞いてみた。すると、「だって、まってるのはじかんのむだじゃん。そうでしょ?」だそうで…。あぁ…この時間の無駄ってのは私の口癖…。これからは気を引き締めて、きちんと話し合っていこう。怒って一方的にならないように。
2009.05.08
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今日から授業の付き添いだけでなく、給食の付き添いもなくなる。朝、車で送っていき、担任の先生と言葉を交わして終わり。帰りは放課後事業に行くので、そこへ車で迎えに行く。私にしてみたら保育園に行っていたときと同じような生活になる。でも、やっぱり落ち着かない。授業に付き添っていた時期はしんどかった。見なくてもいい娘の姿まで見させられ、胃が痛い時間を過ごしていた。でも、こうやって付き添わなくなったら、授業に付き添っていた方がマシだったのでは、と思うほど不安になる。トイレにはちゃんと行ったかな。チャイムがなったら戻れたかな。おともだちと遊べたかな。先生の言うことを聞けたかな。ついでに、授業もなるべくなら集中して受けられたかな。…ちょっと、それは贅沢な望みかな。娘に夕方、出会ったとき、「どうだった?」と、聞くと、「△△(名前)ちゃんとできるからだいじょうぶだよ。がっこうたのしい!」と、疲れたイイ顔をしていた。…とりあえず、これでいいのかな。小学校が楽しい、と言っている間は。
2009.05.07
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GW最終日。特に用事もなし。で、雨。さぁ~どうやって過ごそう…と思ったら、GW前に近所の人と話をしたことを思いだした。「もう疲れちゃって、うちGWは寝て過ごすの~遊んでね~」1回、誘うのが礼儀なのだろうか…。しかし、彼女のところには先日、「ごめんね、うちの子(小3)、『△△(娘の名前)ちゃんとどうやって遊んでいいか分からない』って言っていて…」と、やんわり母子での交流をことわられたばかり…。彼女とは真ん中の子が障碍児だったり、近所だったりするので、よく母親同士は交流していたし…小学校のことで聞きたいこともあるのだが…。と、しばし悩んだ。以前なら、ここで無理をしていてでも電話していた、と思う。近所で、こんな話もしていて、障害児仲間で、やることもない休日で、一緒に遊ぶのが『普通』と思うから。でも、もう『普通』は止めた。子ども同士ケンカするから、とかではない。どうやって遊んでいいか分からない、って、フラれ文句としては結構、決定的ではないか。それに対して、『あぁ、こんな娘でごめんなさい…』と思うのは、もう止めよう。『あぁ…ちゃんと遊べるのだろうか』とドキドキするようなことは、もう止めよう。朝。娘は目を覚ましたら、息子を起こした。「ねぇーいっしょにおうちごっこしよー。」息子はクルリと起き上がって「うん!」2人で何が楽しいのか、キャアキャア遊んでいる。別に、誰とも遊べないわけではない。こうやって、娘と遊びたい、と思い、じっくり付き合ってくれる人(弟)とは遊べるのだ。そんな人と心ゆくまで遊び、ケンカする一日も娘にとって大切だろう。今日は、とことん姉弟と遊ぶ日。これが、障害児2人と祝日を3人で過ごす、私の普通だ。
2009.05.06
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昨晩…といっても日付はかわっていただろう、夫が帰宅して、いつものように寝ている私をたたき起こして、聞いた。「明日は何?」夫の休みは不定期で、前月の末にスケジュールが出る。その前、前月の中旬くらいから『どうしても休みたい日』なるものを上司に言える。で、それをふまえた上でスケジュールが決まる。夫は転職組だが、子どもたちのことを話した上での転職だった、ということもあり、要望は結構、ガンガン言う。小さくは町内会の掃除だったり、大きくは子ども2人とも大きな病院への通院だったり。あれやこれやで彼の休みは『どうしても休みたい日』だらけになる。だから、彼の頭の中では、休み=用事、になっているようで、転職してからだんだん、休みの前日の夜になると、「明日は何?」「明日は何時まで寝られる?」と、確認するようになってしまった。…まぁ、母的にはとってもありがたいんだけど、妻的には…これでいいのだろうかね、と、そう聞いてくる夫の顔色をのぞきこむように答えるのだが、ポーカーフェイスな人で、それをどう考えてるやら……まぁ、ウェルカム~とは思っていないだろうが。どうにもこうにもつかめなくて、案外、なんとも思っていないのでは??と、思うほど、淡々としていた。「明日は祝日で病院は休みだし、こどもの日だから上司が気をきかせて休みにしてくれたんじゃない?」と、半分、眠りながら答えると、「えっ!じゃあ、明日、ずっと朝寝ていいの?」と、それはそれは嬉しそうに小躍りした…ように見えたほど聞いたことない弾んだ声だった。そっか。やっぱり休みの日くらい、ゆっくり寝たいよねぇ。「いいよ。たまにはゆっくり寝てね。」と、答えた。彼は、ふんふんと嬉しそうに階段を下りていった。…もちろん、朝になれば、休日をもてあました子どもたちに乗りかかられて、結局は起こされてしまうのだろうけど…。それでも、今から寝るまでの間に過ごす時間こそ、何よりのストレス解消だよね~それでは起きて、ダンナ様と一緒にワインでもあけますか。次の日に予定が何もない夫との休日が、一番の酒の肴になりそうだ。
2009.05.05
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今日は娘の友だちと、そのママがやってきて夕方まで過ごした。娘は唯一、その友だちとは対等に遊べるようで、発達の感じも同じの女の子である。その子も娘とは違う小学校だけれど普通学級へ通っていて、同じようにママが入学式の後から、子どもと一緒に学校へ行き、授業も見て、一緒に帰る生活を続けている。子ども同士、なんの配慮もなく一緒に遊べて、たまにケンカして。母親同士、当たり前のようにしている話題がお互い共通で。きっと、こういうのを『ママ友』っていうんだろうな、と思う。そういう見方からいくと、先日の保育園の行事に『ママ友』は一人もいなかった。娘と遊ぶ年下の子ども、とか、息子のクラスメート、とか、私と個人的に話す人、とかはいたけど、私と子どもたちすべてが何かしらの共通点や楽しさや気楽さをもって過ごせる空間、は存在しなかった。それなのに、よくも参加したものだなぁ、と思う。ひとえに娘が楽しかったら、という気持ちだけだったんだけど、それなら無理しないで参加できるための土壌、たとえば父親も参加、とか、息子がいない、とか、そういう条件は必要だっただろうに。思えば、こだわってきた気がする。休日を普通に楽しむ、ということに。家族同士でバーベキューとか、母子何組かで飲みにいく、とか。そのたびに、娘一人、私から離れずに傍にいて心配したり、話題に合わせて疲れたり。平日、朝と帰りだけではなくて授業まで付き添って。週に3回の通院。息子は少し体調を崩しただけですぐに入院。夫は月の3分の1は出張で、休みも出勤先も不定期な職業で同業者も周囲にほとんどおらず。娘はなんだか友だちと上手に遊べず。これでは休日、ひきこもりたくなって当たり前だよなぁ。それでも、こうやって気持ちや境遇を同じにしている仲間がいて。普通の社会にも参加しようと思えば参加できる場もあって。私はめぐまれているのかもしれないな。
2009.05.04
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昼間から白ワインを1本あけてしまった。ドイツのワインだから甘いかな…と思って、ちょっと一口味見…と思って、で、全部いってしまった…。飲んでいる最中。例の保育園のママ友だちから、今日の夜中に話しに行ってもいい?とメールがきた。彼女は看護師で、夜勤のフリをして夫に子どもを預けて看護師のなりで我が家にやってきて、私と散々喋っていく…という、なんといえばいいのだろう、私としゃべりたいマニア…とでもいうのだろうか。全然、その気になれなかったので、ことわった…という記憶はあるのだが、はて、どうやってことわったのだろう、と、送信済の自分のメールをチェックした。そしたら、『暇だけど、今はあなたと話す気になれないから。どうして、私とそんなに話したいのか不思議。』と、なんともストレートなメールを返信していて自分が恐ろしくなった。あぁ、酒で人生を失敗する人っていっぱいいるけど、きっと私もその鉄だ…気をつけよう…。彼女からの返信は、『どうして相手がこんなに喋りたがっている、と、分かっていながら断ることができるんだろう。相手が自分の手助けを必要としている、と気づいても無視できるのがうらやましい。』と、褒めてるんだか、けなしているんだか、分からない返信が入っていた。世の中にはいろいろな人がいろいろなことで悩んでいるんだなぁ。昼間からワイン1本あけて脳みそを空っぽにしたいほど限界な私と。誰からも羨ましがられ尊敬され友だちに囲まれている彼女と。周囲からみたら全く接点がなさそうな2人が、お互い、自分を保とうとニアミスをしている。こういうこと。他にもいっぱい転がっているのだろうか。私が気づいていないだけで。
2009.05.03
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風邪から立ち直った今日。書いて、書いて、書いて、書きまくった。なんで、こんなに書きたいのだろう。書いて、何になるのだろう。例えば、ある日。楽天さんが、こんな無料のブログ、止めっちまおうと思ったとする~皆さん、自分の書いたもの残したかったら、あと一週間のうちに保存しておいてね~みたいな通知があったとする。でも、そのとき、息子が入院付き添ってて、全然知らなかったとする。退院して、見てみたら、あら…白紙…。…そんな程度なことなのではないのだろうか。それでも書きたいと思うのはなぜなのだろ。私が書いたものを読んでくれる人がいる。でも、それは私が書いたから読むのであって、私が書かなければ読まないわけで…。一体、何が言いたいのだろう…。ある人から、こんなことを言われた。「うちの娘が△△ちゃんとどうやって遊んでいいか分からないっていうの…。」と。でも、彼女は私と話がしたい。だから電話がかかってくる。子ども連れでうちに来たら子ども同士が遊べない、自分の子どもにストレスが残る、でも、電話だったら私と話ができる。なるほど。逆もあるのだろうか。子ども同士が仲がいい。一緒にいたら子ども同士勝手に遊んでくれて、子どもも満足そう。自分もママ友だちとして適当な話がいっぱいあるからそれらをして、さようなら。どちらがいい、とか、そういうわけではないけれど。結論。私は今。子どもがいる。彼らは2人とも障碍児で、上の子は上手に友だちと遊べない。私一人をどんなに欲してくれていても、どうしたって、この人たちがついてくる。私、一人でいるときの価値と。子どもたち付きでの私の価値と。一緒ではないことの違和感は、感じる方がおかしいのだろうか。それとも障害をもった子どもをもった人は誰かかれかは感じるのだろうか。そのあたりがドライに割り切れたらいいのだろうけど、例えば、この人とは子ども付きでは止めとこう、みたいな。そうか。本当は、もっともっと割り切れた方が楽なのか。私はこの子たちと一心同体なので、子どもを受け入れられない人とはお付き合いできません、的な感じとか。逆に、子どもは無視。やりたいことをやりまくります、でいくか。何が言いたいのか分からなくなってきたなぁ。つまり。私の価値って何だろう。私がやっていることに、どんな意味があるのだろう。…と、基本にたちかえりたくなった。そう。ちょっと余裕を取り戻してきたのかな。
2009.05.02
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行きは学校公認で駐車場付きの車登校。帰りは放課後事業に行って、私が車で迎えに行っている。放課後事業は、名前はいろいろあるみたいだが、各自治体にもあるようで。大体、指導員が1人とアシスタントのボランティアが1、2人でやっていて、子どもは無制限にやってくる。下手をすれば、100人近くがいても大人は2,3人なわけで。娘を特別扱いどころか、どこに誰がいるかも分からない状態である。学童とは比較にならないお粗末さで、そのかわり安いのだが。ただ、同じ自治体でも小学校によって差があるようで、娘の小学校は働いている人も少ないし、小規模なわりに校庭が広く、また、校庭も開放しているので、結構ノビノビとやれるようである。ただ、そんなに広くては一人ぼっちでいても、いじめられていても、全然気にもしてもらえないわけで…娘にできるのだろうか、と心配をしていた。が、なんとなく上手くいっているようで、数日前も、同じ名前の5年生の子と遊んだようで、また出会うのを楽しみにしているようだった。今日は、迎えに行くと、子ども5人ぐらいで泥遊びをしていた。場の話によると、最初、娘は突然、その泥水を皆にかけようとしたそうである。保育園の時にもよくあった。遊びたい、けど、どうせダメって言われる、だからヤっちまえ…的な暴走。本音はどうか分からないが、結果として皆を怒らせて、遊んでもらえないパターンである。が、今回は別のクラスなのだが1年生のさつき(仮名)ちゃんが、「これはかけるんじゃなくて、こうやってみちをつくってみずをとおすんだよ。」と、言ったら止まったそうなのだ。で、一緒に大作を作っている、と。途中、娘は「ねー、さつきちゃん。このみちはこうでいいの?」と聞くと、その子が、「ちがうよー。これはこうやってこうやって。こういくといいよ。」などと、やり取りをして一緒に作っている様子。耳鼻科の予約時間が迫っていたのだが、なんとなく立ち去りがたく、見入ってしまった。あぁ、こんな風にも娘は遊べるのね。また、こんな風に遊べるとも限らない。いつか、保育園のように暴走…と本人が気づいているか分からないが、をするかもしれない。でも、少しづつ。人間関係を学べているのかな。本当は学童のように大人が導いてくれるのが一番なのだけれど…。
2009.05.01
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