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この日記を始めてちょうど今日で10年。もうそんな月日が経ってしまったか、と自分の成長のなさにがっかりしてしまいます。何とか人が住みよい社会を作る役に立てないか?ほんの1ミリでも社会をそういう方向に進める手助けができないか?なんてずうずうしく考えたのでしたが。自分の気持ちを吐露する場くらいにしかなりえていません。いや、それもかなり不十分で・・自己満足。にも到達していないなあ・・願いをつらつら書き込む場、ということにはなっていると思います。今、切に願うことは人の命が何より大切にされる社会であって欲しい、ということ。命が軽く扱われることは誰かが誰かの命を軽く扱うということ。差別が存在するということ。世界中から貧困と差別をなくすことができたら・・・そのためには最低限、国家という枠をとっぱらって考えることが大事なのでは?人として命の重さは同じという前提のもとでは国家の枠を超えて人びとが連帯する必要があると思います。なぜなら、人びとの連帯のない中では、戦争は国家のメンツのためにあり、もっと言えば財界の儲けのため?人の命はそれ以下の価値しかない、からです。戦争は憎んでもいない人を殺すことを強制されること。どこの国の人も。国家を守ることが大事という言葉で、人の命が奪われることがあってはならない!と切に願います。
2014年12月19日
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今日の朝日新聞オピニオン欄でジャーナリストの石川結貴さん。「親も子も見守る仕組みを」と題して、周囲から支援のない孤立した子育てにどうしたら支援が行き届くかを提案しておられます。抜粋です「・・・虐待や育児放棄が後を絶たないのは従来の対応が対症療法にとどまり、根本的な対策が講じられていないからではないか。・・・・・支援に結びつかない親子にどう手を差し伸べるのか。私が提案したいのは、生まれてくるすべての子に、介護保険のケアマネジャーに相当するような「子育てマネジャー」をつけ、継続的に見守ることです。 乳幼児健診を受診しているか、児童手当の申請や就学・進学の手続きを進めているかなどを確認し、その手伝いをしたり、子育ての相談に乗ったりする。ふだんから関係をつくっておけば、虐待などの兆候も察知しやすいはずです。」それ、いい!とすぐ思いました。「子育てマネジャー」気がつきませんでした。子育ては孤立しては絶対ダメで、社会的にバックアップしなければ親も子も追い詰められてしまう、と思っていても、どうすれば門戸を閉ざした家庭の中に立ち入ることが出来るのか?孤立して声を出せないで居る親御さんがいたとしても、どうやってそれを見つけることができるのか?とそれが大いに疑問でした。でも、この提案だと、親は無理なく支援を要請することが出来るし、地域社会の方でも、問題があった場合、早く見つけ出すことができる、親子双方にとってとてもいいシステムになるのではないか?と思った次第です。子育ては社会で!のほんのささやかな次なる第一歩となれば・・ついでに♪もう少し進んで子育て、教育、医療・介護は社会で!を目指したいものです。
2014年12月13日
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今日初めてNHKの朝の番組でその言葉を知りました。地域が支援する農業地域の消費者が前もって一年分の会費?をお支払いするので、小規模の農家が安定して農業を続けられる、とてもいい方法だと思いました。CSAといってもいろんな形があるようですが、放送されていたのは、地域の方々が草取りや収穫やいろんな作業をお手伝いし、共に生産に加わるという、私がやりたいことに近い形のものでした。それに参加されていた方の言葉で印象的だったのは、買いたくても生産してくれる人がいなければいくらお金があっても買うことは出来ない、といういわば当たり前の話、でした。お金があれば何でも買える、ということばが嫌いなので、こういうことを指摘してくれるととても嬉しかったりします。ただし、年間の会費?が私にとっては少々高めなのが(3~4人分くらいで14万円)困るところです・・お金を媒介しないやりとりを願う身には、(将来的にはお金を必要としない場面を大幅に広めたいという野望が♪)もう少し門戸を広げてほしいような気がしました。近くにないので今は直接関係はないのですが、そのうち、身近におこるかもしれません。歩いていける範囲で、は畑はありそうもないですが・・何かを見つけなくては!
2014年12月12日
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「お風呂であわててはいけない」まさか自分がお風呂ですっころぶとは・・・団地一斉の大掃除であわてていたことはあわてていました。お風呂の残り湯を団地共有部分の掃除に使おうとしただけなのに。まさかまさか、思い切りすべるなんて・・前につんのめって手も出るひまがなく、前歯を湯船のへりにもろにぶつけてしまい、憐れ前歯は粉々に・・いや一部ですが。一秒、いや一瞬でいいから過去に遡れたら・・・どんなに悔やんでも仕方ありません。これはもっと大きなダメージを受ける前の、「気をつけろよ」という忠告なのだと思うことにしました。やってはいけない、その1は「電車に飛び乗らないこと」でした。東日本大震災の後、ガソリン不足で、車での通勤ができなかったため、電車に乗ったわけですが、その電車が計画停電のため、いつ来るかわからず、この電車を逃したら大変、といつもなら絶対間に合わない距離から走ってしまった・・・その時の心臓が壊れたかのようなグワシャというような音、が今も耳か心か、に残っています。あの時も、5分前、いや2分前でいいから過去に戻れたら・・とどんなに願ったことか。一生の不覚でした。心臓は今も時々バクバクするし、寝るときも苦しかったり。しかし、一病息災、体を大事にするように、との忠告と受け止め、その教えを大事に守って来たつもり、だったのに・・油断があったのですね。まだ若いつもり、だったのかな・・62歳の“若い”私がまさかお風呂で転ぶなんてありえない、という慢心がどこかにあったようです。今思えばお風呂で転ぶ十分な資格がありました。自分は絶対大丈夫、というわけのわからない自信は自覚していないだけで、まだまだ他にもありそうです。またまた自分に警告するためにこれを書いています。今度は忘れないようにしなくちゃ!
2014年12月07日
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菅原文太さんが亡くなってこの存在を知ることになったのですが、できたのがちょうど2年前の12月5日とか。政党の党ではないそうで。でも、政治に物申すこと、いや、政治に大いに関わることがその設立の大きな主眼であることには間違いないようで。 沖縄の県知事選での応援演説で、何よりも命を大事にすることが政治の仕事だ、と話され、その原点に立ち返ることがいつも必要なことなんだ、と励まされた思いがしました。今日、新聞の見出しに与党がひょっとしたら改選議席を上回る勢い?なんてのがあり・・・やっぱりダメか~と落ち込んでいたのですが。選挙で与党がたとえ大勝したとしても、落ち込まなくてもいい。いのちの大切さを訴えていくことはどんな社会になろうと、やっていかなくてはいけないことなのだという、強い決意のようなものが生まれたような気がしています。あくまで気がしたよう、なだけですが・・いのちの大切さそれは、どこの国の人であれ、肌の色が違っていようとも、地球に生まれた人である限り、誰もが同じ重さを持っているものだと考えます。そこに重さの違いが表れるのは市場至上主義のなせる技にすぎない、と。同じ地球に生まれた仲間という真実を見えなくしているものがもうけ至上主義の社会と思うのです。共に生きる道は遠くない、と思えます。だからどんな結果になろうと、失望はしないことにしました。もちろん、まだ選挙は始まったばかりなので、望みを捨ててはいけませんですが。もうすぐ、「いのちの党」発足丸2年!ですね。
2014年12月04日
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