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全く同じことをしてしまいました。一昨日雨が降ったのに、今日また里芋ほりをば・・そしたらやはり泥がてんこ盛りの芋ばかり。この泥を落とすのがなかなか大変で、やはり少し乾いてからでないと粘り強く?くっついていて離れないみたいです。わかってたはずじゃなかったのかい?と自分に文句を言いたい程です。が、今日掘ったのは前とは違う畑なので、少しはましかも、と半分は期待し、半分はこれをどかさないと、葉物野菜を育てる場所がない、ということもあり、選択の余地はなかったと、これはもう一人の自分の言い訳です。今年は何でもやることが遅くなっていて、行けるタイミングで雨が降ったりとかが例年より多く、気持ちばかり焦っているようです。今更焦ってみても事態はいい方に変わらないというのに。冬野菜の栽培はもうかなり遅れていて、来年こそはと思うことにしました。いや、ほとんど毎年そんな感じでございまして♪それでも、リビングにかなりのスペースをとって並んでいる里芋を眺めて悦に入っているのだからいい気なもんです。今年のお芋さんは追肥も水やりも何にもしていないのに、私の背丈程かそれ以上に勝手に大きくなってくれて、有難い限りでした。サツマイモと違って葉っぱが大きいとお芋さんも大きいというのは本当のことのようです。知らなかったことをまた一つ教えられました。それもまた楽しみの一つですね(^^♪
2024年11月04日
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白菜の芽がやっとちゃんと出たのは10月11日に蒔いたミニ白菜の種でした。出たばかりなので巻くところまでいかないかもしれません。でも芽が出ただけですごく嬉しかったです。キャー素敵!と言いそうでした。これも来年の何らかの参考になるかわからないところですが、経験を積むしかないのかな?ミニ白菜だから芽が出たのかもしれないし。サツマイモは全体的に、大きいのは去年よりずっと少なく中くらいのが多かったので、心配したほど不作ではなくほっとしました。去年がとれすぎたのであってそれまでと比べるといい方ではないかと思います。あまり大きいと扱いにくいと言う話もありますよね♪そして里芋ですが、雨が今年は多かったので、さすがに去年より大きくて数も多い感じです。ところが、雨が多いのが最近まで続いて、掘った日の前々日まで雨降り。水分の多い芋は掘ってすぐ土を落とさないとカビがはえてしまうと最近聞いて、焦りまくりました。それまで知らなかったのは、ここまで湿っぽい芋はなかったというか、芋ほり時期に雨がこんなに降ったことはなかったからではないかという気がします。なのでこれまではとりあえず干せばいいや、としか考えず、畑で干し、家で広げて干し、で間に合っていました。それが今年は畑でも土が落ちない、家でも土がついたまま、で2日もたってからそのことに気づき慌てて土を落としたところです。その日のうちにやればいいものを、明日やればいいや、と気楽に考えていたら用事ができて2日たち・・こんなことばかりやってます。少しかび臭くなったかしらと煮てみたら気にならなかったので多分大丈夫でしょう。いや、日ごろ笑って免疫力を高めているから大丈夫と信じることにします。ということで、白菜は今年も巻いてくれるのは少しで、後は菜の花になるのを期待することになりそうです。もう一つ、大根はまだ蒔ける種があるということなので、こちらもこれからが頑張り時、と思うことにします。
2024年11月03日
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全くと言っていいほど出ていない・・11日、18日、23日と3回蒔いて3回目のがやっと2~3か所といったところかな?やはり暑すぎたのですね。23日の時一緒になった方は「もう少し涼しくなってからにするよ」とのことでした。100円ショップのダイソーでもう白菜の種を売っていなかったので、今日はついホームセンターで苗をちょこっと買ってしまい、後悔。ホームセンターなら種はあるはずだし、大枚はたくなら苗より種に使うべきでした。でもそれでまた芽がでなかったらということもあるしね、と言い聞かせてます。去年が去年だったのであまりがっかりはしていないのが救いですが、今年がっかりなのはなんと、サツマイモです。試し掘りを何株かしてみたところ、片手でつかめるくらいの大きさがあればいい方という・・トホホ。でもこれは去年が良すぎたということで、期待するのは図々しいことでした。過去には一列何にもないということもありましたので。本当にどこでどう間違えたのか、いつもと同じことをしているつもりが、と言いかけて、それが違うのだと気が付きました。今までの、いつまでにこれを蒔かねば、とかいう思い込みはもう当てはまらないのかもしれません。夏野菜の出来具合でいえば、まるで理由がわからないのにミニトマトは全然ダメでナスは今までで一番良かったり。何が違ったのかがよくわからず、不思議です。でもまた、いつもと同じことをするしか考えられないかも。サツマイモなんて去年と今年の何が違うのかさっぱり?です。白菜の蒔く時期位は改善できるかも、ですが。。
2024年09月26日
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つい去年のことを思い出し、いつ蒔いたらいいのか考えてしまいます。去年は3回蒔いて、ちゃんと育ったと言えるのは前の年までの4分の1くらいだったかな?やっと今日、今年初めての種を暑い中蒔いてしまい、すでにちょっと後悔気味です。種が暑い!と悲鳴をあげているような気がしてしまって、もうちょっと遅く蒔いた方がよかったかも、とか、いや、もっと早起きすべきだったのに、とか。5時に起きる予定が寝坊してしまい、種を蒔けたのは.7時過ぎ。それなら今日はやめて別の日にすればいいようなものですが、例年9月の第一週には蒔いていたので焦っていたのです。もう今までの経験は当てにならないと思って、今年は今年、と思えば焦ることはなかったな~と反省もしたり、落ち着きません。大根は毎年3回以上は蒔いているのでいつでもいいや、と心配はしていないのですが、それなのに今日蒔いてしまってこちらもごめんなさいかも。去年は大根も不作でどなたにも差し上げられなかったのでした。白菜なら蒔き時が限られているので不作でも仕方ない面はあるのですが、大根は何度も蒔けるはずなのに大きくならなくて、今年もあまり期待できないかもしれませんね。今年葉っぱが大きくてびっくりなのは里芋です。去年はどこの畑も小さい葉っぱが目立っていたのに、今年はどこの畑も里芋が立派で。私の背丈ほどもあるのも珍しくありません。雨が今年はそれだけ降ったということのようです。芋の大きさに比例するかどうかはわかりません。うちの里芋は葉っぱは小さかったけどその割にはお芋さんは大き目でした。白菜の芽、また出なかったら何回も蒔きなおそうと思います。猛暑がここまで続いていると、お野菜の方もびっくりで、まごまごしているかもしれません。こちらも蒔き時を学習しなくちゃね。
2024年09月11日
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お隣の方にアリさんのことを相談しても、放っておいたら?と軽く一蹴されてしまい、途方に暮れておりました。でもこのままでは畑いっぱいに広がってしまいかねない、と一大決心。私にとって一番抵抗感の少ない、石灰を撒くという方法でやってみました。抵抗感が少ないというのは、毒性が強いものではなさそうだし、お菓子についてくる乾燥剤が沢山余っていたのでちょうどいいという程度のものなのですが。そうでなくても今までこの石灰は関係なくちょくちょく撒いていましたので、これがアリに効くならば、と。気のせいか、少~し減ってきたように感じるのは欲目?でしょうか。まだ一回しか撒いてないのでもう少し様子をみないと、ですが。それにしても石灰がそんな力を持ってるなんて知らなかったです。今までは袋を開けるのが面倒で少しずつしか撒けなかったところ、今回はそんなことを気にしている場合じゃなくバンバン開けて、バンバン撒いて。”ごめんねアリさん”、とは思うんですけどね・・ところでサツマイモの苗ですが、一度目は7本とってすでに植え、二度目は5本とって来て今芽出し中、三度目はまだ伸びてなく、畝に植えた苗の伸びたところから10本とって来て明日か明後日植える予定にしています。手間がかかりますが、芽出しはこれやはり、楽しみですね。
2024年06月27日
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前から大きなアリの巣があるのは知っていましたが・・今年孫や孫の友達やらが来てジャガイモ掘りのお手伝いをしてくれた時、初めて、多分みんなしてアリに刺され、その巣の広がり具合にびっくりしたのです。二畝位に広がっていました!私がさされるだけならまだしも、折角珍しく来てくれた子供たちまで刺されてしまったのは悲しかったし、しかも結構痛かった!のです。放っておこうと思っていたのですが、これは何とかしなくては、と調べてみたらいろいろ手段はあり、どうしたものか、迷っています。殺生はしたくないですものね。でも単なる忌避剤ではお隣の方に迷惑をかけそうだし・・と、そのお隣の方たちに相談するのが一番ですね。はい、そうでした。それはそうとサツマイモの芽出しのための芋が一つはダメでしたが、もう一つは実は生きていまして、芽が出るのが遅かっただけでした。今ようやく何本か20ンチ近くの長さになり、そろそろ植えられるかな、と思っています。昨年は7月はじめまで植えていたのがちゃんと収穫できたので、今年ももう少しあと何回が植え続けられるかなと、”ほのかな”希望が湧いてきました。ほのかというのは、天候によっては昨年のようなわけにはいかないことは大いにありえますので。今年の夏はどうなってしまうのか、今からこの暑さでは先が心配だという声が沢山聞かれます。
2024年06月19日
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よく行くホームセンターで、サツマイモの苗あります?と聞きましたら、けんもほろろに「あら、とっくに完売しましたよ」って鼻先で笑われました。焦りまくって夜も眠れず、というほどではなかったですが、何しろ昨年は今までにない位、唯一豊作だったサツマイモ。花と野菜の苗を扱っている店には昨年この時期サツマイモがなかったので、この店になければ諦めるか、と最後の望み!の別のホームセンターに行ったところ、何とまだ沢山ありました。ほっとしました。焦ってしまったのは、自分で苗を作ろうと収穫した芋を大事にとっておいて、畑に寒くないように埋めておいたのが大失敗で。失敗の原因はどうも深く埋めすぎたからのようでした。今までは二回ほど成功していたのですが、でも植えられるまで伸びる時間が結構かかり、それはそれで大変。今年はいくらか楽をさせてもらえそうです。そして、相変わらず草の方が元気な畑・・今年こそは、とコスモスとヨモギの大群と格闘しています。行くたびにまだこんなに!と心を鬼にして引っこ抜くのはもう段々慣れてきてしまいました。シソはなぜかそんなに多くなく、不思議なところです。ひょっとしたら、こんなところにはいられない、と逃げ出し始めたかしら?実はミントを放っておくと大変なことになると聞いて、親の仇のように見つけ次第抜いていたら、なんと絶えてしまった実績が・・
2024年05月26日
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今年はいつもの年と格別に違った、と野菜さんたちの多くは感じているのではないか?という気が今更ですがしています。夏までは何も考えていませんでした。ただ異常に暑かったという位のことで、それと雨があまり降らず水不足気味だったということくらいで、野菜にとってそれがどれだけ大変なことなのか、気にもしていなかったわけでして。サツマイモは私にとって大豊作だったと前回書きましたが、それ以外は実は夏野菜ほとんどが例年の半分くらい?のものでした。でもまあ、それでもそこまでの違いがあるとも気づかなかった。これは変だと思ったのは九月の種まきからで、白菜、大根に始まって芽が出ない、出ても育たない、というのが十月になっても続き、この暑さでは種が順調に育つ状況ではないのか、と種まきもお天道様と相談。したつもりで、わざと例年より遅く蒔いたり。こんなことは初めてでした。特に大根は軒並み小さく、これは種を蒔く時期を逃してしまったせいかな?と。何度も蒔きなおしたのでいつだったら良かったのか全く見当がつきません。これから大きくなってくれるといいなと期待はしています。そうそう、ヤーコンについては全く何もしないで今まで何年も豊作だったのが、今年はどれもみんな細いものばかり。これも不思議です。何を言いたいかというと、この異常な天候がこれからもずっと続くのかどうか?ということ。今年だけではないような。もはや地球温暖化ではなく、地球沸騰化といわれましたが、その一環なのかもと実感しつつ、何もできていないことに、何かしなければという思いだけがつのっています。今日でブログ始めて丸19年になり、思いを新たになんて考えましたが、考えはまとまりません。ここに何か記すことですら碌にできていないなあと反省ばかりです。
2023年12月19日
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申し訳ない、侮っていました。植物は強いんですね。大きくなりそうもないと思っていた白菜の芽の中にはちゃんと育っていたものもあり、風前の灯火かと思っていたものでも枯れずに残っているものもあり♪ちゃんと巻いてくれるかは別としてとりあえず白菜っぽい外観になってくれて(人''▽`)ありがとう、という気持ちになりました。大根もやはり育ちそうもないと思っていたのが結構大きくなり始めていて。もう大満足です。もちろん、暑さが戻ってきて勘違いした可能性があり、これから急速に冬がやってくると育つ間もないということもありそうですが、もう今の時点で充分満足して、後は少しでも育てば全部儲けものという感じがして喜んでいます。多分全部育っても例年の半分くらいにしがならないと思いますが(^^♪何しろ、苗が売り切れていて買えなかった時の落胆が大きかったのです。そして、勘違いといえばベランダの山椒の木が、一旦は葉っぱを全部落としていたのに、今は勢いよく新しい葉っぱを青々と?させていて、心配になります。罪な天気というか、若々しい木の芽がかわいそうです。
2023年11月07日
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今年の夏は本当に暑くて雨が降らなくて。9月の初めに蒔いた種は白菜も大根も半分以上は芽が出ず、中旬は畑に来られず、下旬に蒔いた種はちょっと遅い位?か、少しは芽がでてもあまり育っていないようです。でもでも、サツマイモだけは、なんといつもの三倍くらいと言ったら言い過ぎかもですが、植えた苗は例年の6~7割くらいなのにも拘わらず、収穫できました。多分今年の天候はサツマイモには優しかったのでしょう。しかし、実は大きいサイズより中くらいなサイズの方が使いやすいのだそうで、その点では中くらいなのが少なくて、大きいのと小さいのばかりで。なんて文句言ったら罰が当たりますね。とにかく、大きいサイズのが採れたのは初めてで感激しました。なので、この冬の野菜は白菜や大根が期待できなくてもルンルンでいられそうです。そして里芋です。今年の暑さや水不足でかなりつらい夏を過ごしたのではないかと。葉っぱがいつもの半分以下の大きさで、とてもいつも通りの収穫は望めません。でも一つ、枯れた葉っぱの株を掘ってみたところ、何にもないかと思いきや、小さい子芋ちゃんがついてて逆に期待してしまいました。これなら生きてる葉っぱの株はもう少しマシかも♪なんて。来年の夏もこんなに暑くて雨が降らないようでは、里芋ちゃんに悪いかな、と思っています。
2023年10月26日
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いや、大根も怪しい・・というのも種をまいたのに芽が出ていないか、出ていても頼りない、というのが多すぎて。あのやる気あるのって聞かれて以来10i日もたってから行ってたのではそれも仕方ないか、とコロナのせいにして慰めてたりします。というのも、コロナ陽性になったら10日間は家にいるように、と言われて家にいましたので。ほんとは次の日に熱を出したので厳密にいうと9日しかたってないのに外出していることになりますが、そこはまあおいといて"(-""-)"ところが、別の方ですが、今年の白菜は種まいたのはどうもだめになりそうで、苗を買うしかないか、と仰る方がいて、あの私も実は、とすご~く安心しました。うれしい☆お仲間がいてくれて♪でも大根の方は苗を買ってくるというわけには行かない。これから種をまいても大きくならないかもしれません。それもこの暑さのせいでということにして、たとえ種が大きな実を結ばなくても、心安らかにこの秋を迎えたいと思っています。少し大げさ。まだまだこれから蒔ける野菜がいっぱいあるから、と自分で自分を励まして。小松菜や水菜やチンゲン菜に春菊、ホウレン草などわんさか。そうそう小かぶもそれに玉ねぎやニンニクも忘れないようにしないと、いや、忘れそうです。でも、あ忘れちゃったと笑って済ませる準備ができちゃっているのも困ったものものですな。
2023年09月25日
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今日久しぶりにあった畑友に言われちゃいました。もう草しか見当たらないような私の畑を見ればそう言いたくなるのもわかります。しかし、それにしても、この暑さ。なぜか今年は身に沁みます。シソについて言えば、いつもの年より確かに抜き方が甘かったとはいえ、こんなに大きくなるとは。これも10年目にして初めて知ったことかしら?シソを抜くだけでエネルギーがなくなりました。でもお隣の方も今年は暑くて来るのも大変、と嘆いておられたそうで、そこは少し安心しました。私だけじゃないぞ。。とか言ってる場合じゃないですよね。来年も同じような暑さが続くのか?ひょっとしたらもう猛暑の夏しか来ないなんてことになるのではないか?と恐れます。今年のやる気のなさは暑すぎて出られない、というのもありますが、こんなに暑くては蒔いた種がお日様にじりじり焼かれてしまうのではないかとおそれたのもあります。そうかといって遅くに蒔いたのではすぐ寒くなって育たない、ということにもなりそうだし。かくなる上は苗を買うしかない、と今年は覚悟しているところです(実はあきらめきれず白菜の種蒔きはしてはきました)。苗なら今からでも間に合うでしょう。と安心しています。出費は増えますが。これが痛い・・やる気のある方なら日光を遮る算段をしてもっと早くに蒔くことができたのでしょうが、と自分のやる気のなさを反省・・してないな~。もうしょうがないなということで納得しています。
2023年09月14日
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よく言われる、雨が降らない日が何日か続いた後に収穫しましょう、ということの意味ですが、今まで運よくそんな状況ばかりだったのかな?と認識することになりました。この日は畑に行けるぞ、という日に雨が降ったり他の用事があったりして、やっと行けたのが雨の続いた翌日。よく乾かさないと、と肝に銘じたつもりでも畑そのものがジメジメしていたり天気もカラッとしてなかったり、もちろんその後家に持ち帰ってちゃんと乾かそうと何日か広げてはみましたが、乾いたような色にはなかなかなりません。ようやく、あ、そういうことだったのか、と気がついた次第です。もう掘るには遅いかなと焦って掘ったのがいけなかったかもしれません。その後はよく晴れて、二日後に掘った芋はよく乾いて、畑にいるうちにきれいな乾いた色になっていました。掘るタイミングとしてはいつもとそんなに変わらないと思ったのですが、昨年はまだ葉が枯れていないうちに掘ることができ、焦らずにすんでいたのでした。今年はもうほとんど枯れていない葉がないほどで、早く収穫期が来てしまったということでしょうか。3回に分けて7から10日位ずつ間をあけて植えたのにもかかわらず!今年は雨の降り方が私と気が合わなかったのね・・・ということでまた来年、今回学んだことを生かしていきたいと思いました。それと、もう一つ。これは関係ないのかもしれないのですが、マルチをすると、中にアリさんが巣を作り安いのか?と思ったこと。マルチをしていないところもアリさんはいるのですが、マルチの下はもうそれはすごい数で、卵の塊の多さには辟易しました。そして多分初めて?アリに刺されました。噛まれたというべきかな。マルチの方は確かに土寄せとかはしなくていいくらいだし大きさもあるかもしれないけど、このアリの多さが関係あるのであれば、次はどうしようと考えてしまいます。
2023年06月19日
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今年初めて芽出しなるものに挑戦しました。3週間きっちり。行きたいときに畑に行けず、ちょっと芽が出過ぎたかとヤキモキしました。というのも毎日といっていいほど風が強くて、これ以上伸びたら自転車でガタガタ揺られていく間に芽がぽきっと折れてしまうのではないかと。大げさに心配したことです。今日は風は穏やかです、という天気予報を信じて、いざマルチを張ろうとしたらとんでもない風。疲れました。この頃、風の穏やかな日は本当に数えるほどになってしまったなーと嘆いています。でも去年の同じころの日記を読み返してみたら全く同じことが書かれていて、今日も風が強くて畑はさぼりとか。ここ何年かの傾向なのか、あるいはもうこれからはずっとこんな風なのか、観念したほうがよいのかもしれません。今年初めてといえば、マルチ栽培というのも初めてかも。その方法だと芋自体には土をかけずにマルチをして芽が出たときにマルチに穴をあけて後はほったらかしでよい、というのですが、どうなることやら。姉が、いつもより多めに作って、と珍しく要望を寄せてくれたのでいつもより頑張らないといけないのですが、どうも私のやることはいつも何か抜けていて、マルチだけでは不安で他の方法で次回はやろうと思います。マルチが風のおかげでちゃんと張れなかったという言い訳も用意して。あ、実は芋に土をかけないのはちょっと勇気が必要で、薄くかけてしまいましたが。そして大先輩のお隣の方がいつも会うたびといっていいほど野菜を下さるのですが、これが素晴しい。なんと丁寧に作っておられるんだろうと今頃気が付いているのほほんな私です。昨日も、頂いたホウレン草がほとんど洗わないでいい位、すぐ茹でられる位に揃えられているのに後で気が付いて、泣きそうになりました。ただ頂いてありがたがっているだけで、その優しさ、きめ細やかさに気が付いていなかった・・到底追い付きませんが、せめてちゃんと野菜と向き合わなくては、と大いに反省しています。
2023年02月28日
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というのがあるのをつい、4,5日前に知りました。安倍さんの実績?といったらまちがいかー悪い方のーがこれでもかと歌われてます。曰く「内政外交成果なし、税金二回も引き上げて、どアホのミクスでは、金持ち豊かになっただけ。庶民にいいことなにもなし。数字や文書は書き換えて、モリカケ桜は全部黒、ただの詐欺師に国葬ありえない」等々そんなふうな言葉が・・うまくまとまってるな〜と感心しました。言われていることはどれももっともで、そうそう、と強く頷けることばかり。が肝心のことがそこにないようにも思った次第です。国葬の何がいけないかといって、人の命を差別しているから、というのがあります。誰を国葬にして誰をそうしないのか、の区別がどうやったら判断できるのか?誰も明確には示せないと思います。そこには区別でなく、どうしても差別が入り込む隙間が生まれてしまうと思うのです。誰か客観的に判断できる人がいようとは思えません。国葬なんて絶対民主主義とは相容れない、民主主義国家である限り、国葬は「ありえない」と思います。{本当は天皇も差別されないほうがいいのですが、この方は憲法が差別を認めているというか定めていますので}55年前の中学の先生が「国葬」で話をしたい、と仰ったのはこのことを言いたかったのかもしれないな、と思ったりしました。
2022年09月13日
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と思うことは今何を思うのか?理想の「美しい国」はどんな国だったのか?国としてはー私は国家だから(?)ー韓国に対して少しも謝っていないのだから、日本の国の信者の女性たちがどんなにお金を巻き上げられようと知ったこっちゃない、国として税金を使って韓国に貢いでいるわけじゃない。国さえ厚顔に振る舞っていれば、少し位自国の国民が踏みにじられても仕方ない、大事なのは「国民」ではなく、「国」だ。私が権力を握っている間は統一教会に日本の国を乗っ取られるはずはない。そんなことより、私が権力を握り続けることの方が日本の国にとって大事なことであり、それが美しい国作りのために必要なことなのだ。そのためにはどんな手を使っても私の子飼いの議員を増やさなくちゃ。統一教会に利用されているんじゃない、利用しているのだ。尊敬するお祖父さんが開いてくれた道だと信じて。って?違うなら違うと言ってくれ。どうして韓国に日本からの献金が求められているのか、それが統一教会の原理になっているのか知らないはずはない、と思って、そんな安倍さんがなんで統一教会なんかにエールを送っているのか不思議だったのですが、いや、それだからこそ、”国としては断固謝るものか”と、硬い決意をしておられたのかしら?とふと思ったことでした。
2022年08月19日
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国会議員あるいは地方議員の方々の中でも反共的な方には近づいていた、なんてことを旧統一教会のお方がさも正しいことのように仰る(それはいかにも誰からも反論が来ないだろうという見通しの元での言葉かにきこえます。共産党員とか他の一部の方たち以外には)。のを聞いて、なんで共産党とか共産主義とかは日本でこうも良くないものとして扱われるのか?叩いてもいいもののように扱われるのか?不思議に思いました。戦争中、戦争反対などと言おうものならアカとか非国民とか言われて忌み嫌われていた、ことの名残であるはずもなく?・・共産主義といえば、「人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という言葉を思い出すのですが、これこそが人類のあるべき姿、理想だと思えます。実際にはそんな話は夢物語という捉え方が一般的で、相手にされてない、というのが現状でしょう。そこでそこに少しでも近づくために何ができるか?ということを模索するわけですが。答えは見つかりません。資本主義では強い立場に立つ人、弱い立場に置かれてしまう人、はそれぞれ新たに作られ続ける、ようになってしまっている、と思います。その体制をみんなが助けあう体制に変えていくにはどうしたらいいのか?共に生きる、共に助け合う、共に分かち合う、というように、共に、という言葉が人類には必要であると考える私にはその言葉が入っている共産、共産主義等を忌み嫌うのはなんでなのか、残念に思ったりします。もちろん、昔のソ連や今の中国の共産党を拒否したいという気持ちは私も同感です。日本の共産党については昔の子供の頃は貧乏人の味方と思って期待していましたが、今は少し疑問に思うところもあります。今も貧乏人の味方であるとは思いますが。ただ、日本社会の中で、自民党の人は大きな顔で会社の中で選挙運動しても誰も文句言わないのに、共産党の人はそれはできない、ことになっているのはどうなのか?別に今すぐ体制が変わることを求めていないのに?そんなに怖がることなのかしら。
2022年08月12日
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それは中3の時でした。その日の5時間目は英語の授業。私達は事前に英語の先生から話があるので帰らないで残っていてくれ、と頼まれていたのでしたが。みんなは、密かに黙って帰ろうぜ、のような暗黙の了解のようなものがあり、いつしかそんな思いが形成されていたのですね、残って先生の話を聞こうという声は一つも聞かれませんでした。そして給食の後、すぐ帰れる準備を誰彼と言わず始めたので、帰るつもりがなかったかもしれない人まですっかりその気になっていたと思います。掃除が終わった途端、一斉に、しかしひっそりと、足早に下校。それこそ忍者にでもなったみたいで、気分爽快、やったぜ、とその日はなんだか愉快でした。が、次の英語の授業の時、もう先生は国葬の話は全くしませんでした。ただ、一部の生徒がみつかり、先生がなにか質問しても答えもなく帰られてしまったと、残念そうにお話された以外は。話を聞きたくなかったかといえば、それほどの拒否感があったわけではなく、ただ単に、折角のサボれる機会を無駄にしたくなかったというか、早く帰りたかっただけのようなことでした。今にして思えば、その時先生が何をお話したかったのか、聞いておけば良かったな〜とその時の自分が残念です。積極的に、誰がなんと言おうと私は帰るぞ、と思っていたのは間違いない、のです。が、雰囲気を壊したくない、という思いもどこかにあって、誰かが強く、話を聞こうよ、といってくれていたら、などと他力本願なことを考えてみたり・・もう他界されてしまい、お話を伺う機会は失われてしまいました。あのときの先生に、ごめんなさい、という思いはずっと残ると思います。
2022年07月16日
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姉;嫌な奴心肺停止状態これで自民党に応援票入らないといいけど私;同感、やな予感。これまでも同じようなとき圧勝したことがあったね、今度もそうだと情けない姉;助からなそうだよ私;助からなかったら英雄になってしまいそう。自分のしたことの歴史的な意味を知ってから、なんて期待できないか姉;悪いことをしてきたことは自分にかえるので仕方ないよ。私;悪いことをしたという自覚がないままで終わっては。このまま持ち上げられて行くと、悪いことを考えている人たちに利用されそう姉;だめだったね私;なんだかこういう亡くなり方って人物が大物だったかのようだねメールのやり取りをしている間に亡くなってしまった。残念でならない。生きていてほしかった。こんな暴力を憎みます。確かに大物ではあったのでしょう。大物政治家ではあった、ことは間違いないでしょうが、どんなに立派な政治を行ってくれたか?自分の取り巻きには厚遇を弱者には目もくれず、ではなかったかしら?一言では言えませんが。ご冥福を祈ります。
2022年07月08日
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選挙の宣伝文句なのでしょうか。子どもに投資を、という言葉がいろんな候補者から聞かれます。その言葉が出てくるたびにわが連れ合いは、なんだか変、と必ずといっていいほどつぶやいています。資本主義だから投資という言葉になるのも自然なのかも、ですが子どもを投資の対象といったら、やはり変だし。子どもを国家のために生み育ててくれ、という言葉も次に出てきそうです。無論、心からそう思っている候補者もいるでしょうし、そうでなく、子ども自身のためにその未来を、可能性を最大限追求できるよう、支える力を国家が発揮できるよう、力を注ぎたいと思っている候補者もいることと思いますが。人間が人間らしく生きるということはどういうことか、なんて難しく考えるとわかりにくいですが、少なくとも、国家のために生きるということとはだいぶ隔たりがあると思います。何が悲しくてそんな狭い考えに閉じ込められなくてはいけないのか?国のためでなく、その子ども個人のために、その成長を社会が支える、という意味でなら、投資でなく、別の言葉を使ってほしいな、と思ったりします。
2022年07月07日
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『無言館』という本を連れ合いが借りてきて、読んだらと渡され、いつもあまり本を読まない私ですが、つい引き込まれていました。立場は違いますが、今のウクライナに派遣されているロシア兵と重なるものを感じて。。。兵隊といえど、本当に戦いたい人はいないんじゃないか、なぜ兵隊さんになってしまったのか?いや、兵隊さんになるのはいいとして、なぜ、この戦争が自分にとって正しいのか、考える自由はないのか?命令されたら拒否する権利がないのが兵隊さんなんだけど。。でもロシア兵の中には自傷行為をしてまでも戦闘に加わることを拒否する勇気ある方たちもおられるとか。士気が全く違うという話をベトナム戦争のときに聞いたことがありました。ベトコンの方たちと、遠いアメリカからやってきて、なんのために戦っているのかわからなくなっている兵隊さんたちと。その話と今回のウクライナ兵とロシア兵の士気の違いがやはり重なります。士気の上がらない戦いを無理してやらなくてもいいように、”戦場から逃げることをバックアップするようなシステム”ができないものだろうか?と夢みたいなことを考えてしまいます。本来、人は戦いたくないものだと思うから。士気が上がらないということはそれだけで人間らしいことだと思うから。家に帰れば皆よき家庭人であり、そして皆よきその後の人生の展望がある普通の人間である、という共通項をもつ人々。誰もその死を望んでいない。
2022年03月23日
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この世界に、たった一人の人を止められないなんてことがあるのかしら。不思議。ま、一人だけの問題じゃないのでしょう。確かに両国の過去には複雑な歴史はあるのでしょうが、とにかく今行われている殺戮を今すぐ止めて!と思うのが普通の感覚だと思います。止めたあと、なんぼでも話し合えばいいのに。素人のたわごとでしかなくてもつい、なにか言いたくなっています。民族なんかどうでもいい、宗教の違いなんかどうでもいい、とすぐ思ってしまうのはものを知らないから、かもしれません。偉大な国を取り戻したいのだという理屈がそもそも理解不能です。ついこの間まで米国でも前大統領が偉大なアメリカをと何度も繰り返し叫んでいたような気がします。日本でいえば、万世一系の天皇が続いている神の国で、こんな民族は地球上どこにもない、と有難がっている人たちも同類に思えます。自分たちの帰属する国の立派さ?を自らのアイデンティティと勘違いしているのか、わけがわかりません。国というよりも、そこに住んでいる人たちはどうでもよくて、ただただ、そこの領土が手に入ればいい、みたいなことではないでしょうか。人が大事なら、人の命が粗末に扱われざるをえない戦争などという手段は使えないはず。戦争犯罪人を裁く法廷があれば。。多くの人の命が失われる前に国際社会にそんな機能があれば、誰も戦争を起こそうというダイソレタことは考えられないというようにならないかな。頭がおかしくなって、支離滅裂になってきたかも。軍隊は国を守るためにあるのでしょうが、自分の頭で考えて今回は戦わないという判断をしてもいいというようになるとしたら、きっと自己否定になるのでしょうね。
2022年03月07日
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以前、すべての赤ちゃんが幸せに生まれてほしいと書きましたが、その時は’中絶反対の叫び’に対して一言言いたいという気持ちが強く、そこに重点が置かれてしまった、となんだか反省したくなりました。50年先、100年先に生まれて来る赤ちゃんがみんな幸せに育ってほしい、と思うとしたらそこに無理はない、という気がします。その頃の世代にまで争いの火種を残さないようにできれば不可能ではない♪♫と。少し前までそんな考えでいました。でも、100年先にできるとするなら、何も100年待たないでも、今から、この先に生まれて来る子どもたちのためにできることは何かないものか?考えることの方が大事ですよね。いや、何もしないでいたら何年たってもそこに近づくことすら覚束ないわけでして。それにしても、そのために何をしたらいいのか、さっぱり考えが及びません。何かできることはあるはずだ、ともがいているだけの現状が情けない限りです。関係は直接はありませんが。今度こども庁ができるかと思ったら、できるのはこども家庭庁だそうで。はじめはなんでわざわざ名前を変えるのか、位にしか思わず、認識が甘かったようです。どうも子育ては家庭の責任ということを強調したい方々が、社会の責任を軽くするために画策したものとしか思えません。子育ては’社会全体’で、’親も子も社会で守ろう’、という社会を目指さなければ、こどもを守ることはできないし、そのためにも誰もが喜んで子育てできるような社会環境、なかんずく労働環境がなければいけないと思います。教育費の負担も親にばかり求めるのでなく、社会が大部分を負担するとか。そうそう、これから生まれるこどもたちばかりでなく、今まさに育っているこどもたちだって、みんな幸せに育ってほしいと思います。し、こどもたちにはその権利があるはずだし、そのために大人は踏ん張らなくてはいけない、と思うのです。
2021年12月25日
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またブログを始めた記念日が来てこの日(12月19日)には何か書こうと思ったりするのですが、その元気が出てこない、しかし書かねばならぬ、と変な気負いがあったりもして。それでも無理やりこうしてパソコンに向かっているのは、やはり楽しいからなのですね。誰かとお話して楽しいと思う、趣味の卓球や太極拳でもお話できるから楽しいということがあります。里山のボランティアやファミサポでの楽しさはまた別の要素が加わって、ひょっとしたら余計に楽しい部分があるかもしれません。団地での古紙集めの作業も身体的には辛いけどこれが結構楽しい。そうそう、畑作業を忘れてました。このところ寒かったり風が強かったり、雨が降ったり、であまりきちんと畑と向き合っていないなーと反省しています。行き帰りがなければ♪楽しいことだけなのでして。そんな贅沢なことを言ってられることが、今の社会の中で許されるのかしら?と心配になります。もちろんいつまでもできるわけではないですし。年をとったら好きなものを食べて楽しいと思うことをして生きて行くのがいい、みたいなことを最近耳にしますが、すべての人がそうできれば、とつい思ったのでした。問題が一つ一つなくなっていくような、そういう楽しいことができればどんなにいいかと思います。
2021年12月20日
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人の名を呼ぶとき、「様」とか「さん」、「君」あるいはもっと色々ありますが、中でも「さん」が一番尊敬を込めた呼称だと聞いたことがあります。小学校6年間担任だった恩師の言葉、それも多分たった一度だけ仰ったような記憶です。その時は意味がよくわかりませんでした。今一人の女性が「様」から「さん」づけで呼ばれるように変化した現実があってー本人は何も変わっていないのにーやっと腑に落ちた気がしています。呼称が変わることに違和感がある、という言葉も耳にしました。私も「佳子さまが眞子さんをハグ」という表現の仕方がどうにも不自然に思えてなりません。人と人を別け隔てる壁の存在をわざわざそういう形で表現しなくてはいけない、のですね。そこに理不尽な壁があるから仕方ないと言ってしまえばそれまでのことですが。やはり人と人との壁はいらない、というのが一番!人を人として尊敬するということなんだ、と改めて思ったことでした。「様」の呼称をやめることが天皇制をゆるやかにやめていく第一歩になったりしないかな?なんて。人として生まれたのに人との間に壁を置かれた人生を生きろ、なんて他の誰かに強いる権利は誰にもないと思います。
2021年10月27日
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天皇制への議論はまだ進んでいないようですが、始まると天皇は男系男子に限る、ということで、遥か昔のその血筋を引っ張り出して来よう、という動きが活発になるのではないかという話があります。私思いますに、男系とか血筋とか、どうもあまり科学的でない言葉のような気がして、すっきりしません。一人の人には二人の親があり、その親は倍の四人になり、ということを何回も繰り返し遡っていけば、何代も遡らないうちに何億人となって人口の何倍にもなるわけで、つまり殆どの人が親戚同士と言ってもいいくらいのものだと思われます。何代も遡れば、のはなしですが、それほど血筋といったものはどうでもいいもののように思うのです。そんなものをなんのためにありがたがるのか?わけがわかりません。ずうっと男系で続いてきたというのは虚構だという話もあります。よしんば虚構でないとしても、だからどうだというのか?人に焦点をあててみればみ〜んな親から子へと代々血は繋がっているわけで、万世一系でない人はいないのでは?家に焦点をあてるからおかしなことになる。のだと思います。そこで天皇家です。もともと矛盾を抱えています。天皇家といえども、人権は守られなければならない、という意見と天皇家にはそもそも人権はない、という意見があります。天皇制を守りたいという方はそれを担ってくれる方々の人権を守らなければならない、のではないでしょうか?犠牲をただ一方的に押し付けるわけには行きません。担い手がもし現れてもおいそれと引き受けられないことが考えられます。そうなるとジレンマに陥ります。天皇制を守るためには人権を制限しなければならない、守ることは不可能だということになりそうな。。来年の参院選の後本格的に議論がなされるのではという報道を見て、つい。
2021年10月02日
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秋篠宮家の教育方針が間違っていたとかいう指摘をどこかで聞いたことがあるように思うのですが、その間違い方は、あまりにも自由に育て過ぎたのではないか?というところにあったとか。公人のくせに私人であるかのような、’公よりも私を優先するような子どもに育ててしまった’との指摘のようです。でも人間であれば、自由に生きたいと思うのは当然のこと。普通の人になりたい、と思うのも無理はありません。その当然のことが許されないのが天皇制である、ということもできます。やはり最近、天皇制そのものを問題にすべきではないか?という議論が大っぴら?に出てきたのはいいことではないか?と思います。昔からあったとは思うのですが、あまり大っぴらではなかったような。でもそこまで大っぴらとも言えないかもしれませんね。男系男子とか女系ではどうのとか、聞くのも疎ましい言葉がはびこるのは嫌なものですが、議論しなければどうにもなりません。そうこう言ってるうちにどんどん継承者がいなくなって自然に眠っていってくれればなあ、とバカなことを考えています。大昔の血筋を引っ張り出して来ることだけは御免被りたい。
2021年09月28日
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どうして先進国の為政者たちは嫌がる人々にワクチンを強制的に打たせたがるのかしら。デモをしてまでもワクチンを拒否したいという方たちもいて、それは相当な固い意志の現れであって、無理やり打たれたくない、という気持ちを踏みにじるのはよくない、と思ってしまいます。打たない自由があるという言葉もわからないではありません。それよりも臨時医療施設を機動的に作るなどして、医療が受けられなくて亡くなる、というような事例を無くしていく体制を整える方に力を尽くして欲しいものです。その方が早く感染拡大を防げる、かもしれません。検査、隔離体制がちゃんと整っていない日本ではそんなことも言えそうな気がしています。ウイルスはどんどん変化していますし、ブレークスルー感染もあり、ワクチン絶対ではないと思うから。無理やりワクチンを打ちまくって先進国だけたとえ収まったとしても、このウイルスの猛威は途上国で収まらない限りまた世界中を席巻するだろうと言われています。いやな人に無理やり打つのでなく、どんどん途上国にその分を回しましょう!と思います。
2021年09月19日
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この言葉を最近知って、親でもある我が身を振り返って、子どもにこう言われたらなんにも言えないなあとしみじみ。せめて教育にお金がかからなかったら、教育だけでなく、医療も儲けの対象にならないような社会であれば、どこそこに生まれていればなあ、などと考えなくてすむのに、と思います。”子どもは社会で育てよう”、とかけ声だけは度々聞かれますが、自民党でさえ選挙のときのスローガンに掲げていたこともあるように記憶してますが、教育や医療を儲けの対象にしている限り子どもを社会で育てることにならないように思います。無論、育児の社会化ということではそれだけでは全然足りないですが、せめてそういう政治を目指してほしいものです。「親ガチャ」という言葉は死語になるでしょう。自分の責任を棚上げしています。
2021年09月16日
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人と人との接触を減らすのに、「もう緊急事態宣言では言うことを聞いてくれないからもう少しキツめの対策を」、という声を聞きます。その前にやることがあるのではないか?とずっと疑問が。なぜ、野戦病院的なものをという話がチラチラ聞かれながら、大きな声にならないのか?と思うのです。菅首相が2日に重症化の恐れのない新規陽性者は原則自宅療養と言い出した時、何で宿泊療養をすっ飛ばしていきなり自宅療養になってしまうのか、と憤りを感じました。今、自宅療養の方にも医療が行き届くようにと、出来そうにないことを普通に仰ってますが、そんな効率の悪い医療提供体制ってありますか?一軒一軒歩いて回るより、体育館のような広いところにお集まりいただけるのであれば、その方が余程双方にとって効率もよく、点滴なども行うことができ、安心安全につながるではないかしら。しかも、自宅療養では家庭内感染がとても心配です。気をつけても気をつけても今のデルタ株は防ぎ切れません。一人暮らしの方は突然の重症化に素早く対応できないおそれがあります。野戦病院どうしてあちこちにできないのでしょうか?素人ながら不思議でなりません。素人だからか?
2021年08月14日
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コロナの重症患者かその恐れのある患者しか入院の対象にしないという「新たな方策」?というのが出され、唖然呆然・・冗談でしょう。新規感染者は入院か宿泊療養か自宅療養かと形だけでも、これまではたとえ有名無実でも三択の道があったのに、なぜ急に入院か自宅療養かの二択になってしまうのか?さっぱりわかりません。入院が無理なら宿泊療養を充実させればまだしも、とおもうのですが。今だって自宅待機させられている方々への手当は充分だと言えないと思います。これからさらに感染者が増えればますます手が回らなくなるのは火を見るより明らかでは?宿泊療養のための施設を大急ぎで作るのが一番医療に繫げる近道のように思えてなりません。そこでなら点滴の治療も可能と思います。重傷者を増やさない手立てをろくに考えもしないで、人の命をなんだと思っているのか。許しがたい施策しか思いつかないならさっさとやめていただきたい。
2021年08月04日
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天皇の言葉としてはいかにも「五輪開催に懸念がある」とは「言い過ぎではないか」?という意見があるとかないとか。その懸念は公的には宮内庁長官の個人的な意見とされています。その意見を言うならもっと前に言わなくちゃ、という話もあります。しかしもっと前に言っていたらそれこそ開催そのものに影響を与えてしまうかもしれない、それはまずいので、それでもう開催が後戻りできなくなってから、頃を見計らって、満を持して?やっと「口にできた」。しかも本人が言えないので長官の「拝察」という形で。どこの国の大統領でも首相でもこんなに国民に寄り添おうとしている方は他におられない、といっていいくらいの方が、どうしたら多くの国民の声を代弁できるか苦悩に苦悩を重ねられてその上で最上の方法を考えられた結果がこうなったのでは?というようなお話をどこかのテレビの番組で聞いて、その話にえらく共感してしまいました。なんだか天皇がお気の毒なようで、つい目頭が熱くなった次第です。これも上から目線で失礼な話でした。他人事ではなく自分の問題でしたね。そういえば今の為政者は五輪に何があろうと他人事のように感じているとしか思えません。
2021年06月27日
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私はいつも反応が遅くて「何を今更」なことを毎度言ってる感じですが、聖火ランナーの辞退の理由が「この世界の状況を見たときに開催を手放しで喜べない」とのことで、素晴らしい!と思いました。なんでといって、この世界の、と仰ってるところが、素敵ではありませんか。日本政府の’命と健康を守る’体制が行き届いていないというところではなく。いや、それも入っているかもしれませんが、問題はそこにだけあるのではない、と私には聞こえました。色々あげればきりがないほど、「この世界の状況」は五輪の開催を喜べない理由がたくさんあるように思います。日本の選手が圧倒的に有利だということだけとってみても、フェアじゃないですし。結果よければすべてよし、ということなのか、それが狙いなのか?とも思えます。日本選手が活躍すればそれが良い結果であり、たとえ素晴らしい他の国の方たちが本来の力を発揮できなくても知ったことではない、のでしょうか。それで立派な五輪?
2021年06月13日
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また古い話になりまして。菅さんが小池さんより先に緊急事態宣言解除の2週間延長を言い出したら、小池さんの顔を潰して、出鼻をくじいて、機先を制したかに伝えられました。この場合小池氏が言おうが言うまいが、まず2週間延長は避けられないだろうというのが大方の見方だったように思っていました。どちらが先だろうが関係ないでしょうと。別に先に言った方の手柄というわけでもあるまいに。ところが、このことが大きく取り上げられて、なんだか菅氏がいいことをしたような報道がされたように思います。小池氏が変な小細工?をして4都県をまとめようとしたのは非難されるべきことですが、だからといって、そこがまとまらないうちに政府の方で先手を打とうとしたことがそんなに褒められたことでもないような。何が言いたいかと言って、ちっとも先手じゃない!遅い!遅すぎる!てなもんです。現に飲食店の皆さんの中には、判断が遅すぎると困っている方もお見受け致しました。ギリギリにならないと判断ができない、しかも小池さんに先手を取られないように、と慌てて決めたことがなんで褒められた話になるのかさっぱりわかりません。変異株がこれだけ出始めて、感染者数の下げ止まりも言われてて、これで解除できるわけないじゃん、と素人でも思うのでは?首相だけが7日で解除したくないと強く思っていただけのことではないかしら。しかし大方のメディアがそんな、よくやったみたいな報道の仕方なので、なんだか菅さんたまにはやるじゃん、となったように感じました。今週、なんで菅さんの支持率が上がったのか不思議だったのですが、メディアの報道の仕方にも問題があるのではないか?とふと思ったのでした。いつものように今頃ですが。もっと早く判断できなかったのか、という疑問がかき消されてしまったと感じ、残念に思います。本質が吹っ飛んで些末なことに目を奪われる?なんて。
2021年03月10日
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ドキドキものですね。お子さんを預かるには結構覚悟がいりました。お役に立ちたいけど感染してもさせてもまずい。その方は半年もの間ずうっと土曜日お休みされていたので、今度は他の方にそのお休みの順番が回って行ったのではないか?とのことでした。迷いはあったのですが、迷っていても仕方ない、とりあえず最善を尽くすしかない、と決めたはいいのですが、実はやはり少々不安、、他の方に相談したところ、とにかく感染予防を徹底的に行う、それしかない、とのことでした。なるほど、、ですね。エッセンシャルワーカーではないですが、わずかでもそうした方たちのためになにかできれば、と思ったことでした。こんなときは畑の作業はありがたいです。畑の真ん中で思い切り深呼吸すると、ものすごくスカッとします。今日など珍しく、大根なぞを友達から所望されて?ますます幸せ気分を味わわせて頂きました。
2020年12月19日
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何年か前、「産む・産まないは女性の権利」という言葉が叫ばれて、その時もそれはそうなんだけど・・という思いがありました。それでいいのか?と。それが問題になる事態であれば、どっちを選んだにしても、それは進んで選んでいるのか、それとも選ばされてるいるのか本当にはわからない・・というのも、中絶を選ぶ前に、「妊娠すること」それ自体を選べているのかどうか、が問題だと思うから。今回の米大統領選挙でも、女性の中絶の権利は守られなければならない、という言葉が聞かれています。確かにその権利がなくてはならないとは思いますが、それはうれしい権利なのか?何度も言いたいですが、そもそも、心も身体も傷つくことが分かりきっている中絶なんて、進んでやりたいものではなく、追い詰められて、仕方なしに選ばざるを得ないもの、なのでは?女性にとって、「中絶の権利」より「妊娠しない権利」の方が余程意味があると私は思います。単に「犯罪に巻き込まれない権利」=法律にわざわざ書き込まれない=というような消極的なものでなく、新しい法律がほしいくらいに思います。
2020年10月13日
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12年前の大統領選挙でもつい書いていました。「中絶反対」という言葉に、どうしても反発を感じてしまいます。誰も好きで中絶したい人はいないこれが私の信念というか、心からの叫びでありまして。赤ちゃんが幸せに生まれてくるためには、最低限その母親が幸せに出産できる環境がなければなりません。むろん、父親も、かな?しかし、父親は?中絶反対という言葉に父親に対する非難は感じられません。誰からも責められず、自分のしたことの重大さもわからぬまま、その後の人生を何事もなかったかに生きていく?かもしれない―これも大きな問題ですが―そして、人の命が大事だ、中絶は人殺しだと言ってる同じ人が、黒人が理不尽な形で殺されても「黒人の命も大事だ」と言ってるようにはお見受けできません。すべての生まれる前の命には優しいのに、すべての生まれた後の命は大事ではないのでしょうか。矛盾していると思います。中絶反対を言う前に「望まない妊娠をしない、させない」ということを、是非ともそれ以上の声で声高に叫んでほしいものです。それは男性に対しても、女性に対しても、お互いを大切にするように、お互いの人生を大切にするように、という言葉に他ならないと思います。それが現実のものとなれば、だれも傷つけることなく、傷つくことなく、中絶反対を叫ぶ必要もなくなるのではありませんか?
2020年10月09日
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お盆明けの卓球仲間の会話。お盆どうした?今年は帰れなかった、帰って来るなと言われた、という声がほとんど。これだけみんなが我慢しているのにもかかわらず、収束の気配も見えないというのは一体どうしたことなんだろう?とどうしても思ってしまいます。今こんな状態で、つまり人との距離を遠ざける日常をこれだけ強いられているのに、感染者が減る要素がない、なんて言葉を聞くと、この秋以降がますます心配になります。新しい日常を、などと為政者は言いますが、あなたたちが我慢をしろと言われているだけとしか思えません。PCR検査の数を増やすという声は聞こえますが、医療崩壊につながるから増やすべきでない、という主張も根強くあり、未だに壁は高いままという気がします。検査を増やせ、いや増やすな、という論争は決着がつかないものなのでしょうか?今回のウイルスはわからないことばかり、というのは仕方ないと思いますが、現実を知るためには検査数は多い方がいいにこしたことはないのではないかとど素人の私は考えてしまいます。無症状の人から感染することがわかっているなら、その無症状の人を見つけ出すことが求められると思われ、そのためには無症状の人たちにも検査を受けていただくしかないように思われます。精度が7割しかないではないか、と言われますが、もし無症状の人に検査が全く行われなければ一人も見いだせないことになります。検査が行われれば、感染者が10人いれば7人の人は見つけられることになると思われ、それだけ感染リスクは下がると思うのです。そのためには宿泊施設が整えられている必要があるし、医療体制はもちろんのこと。その体制を整える義務を為政者が怠っていたために今のような感染状況になっているのでは?というのは例えば家庭内感染が増えてきてしまったのはどうしても施設が不足しているからという理由がもっとも大きいから。と思ってしまうので。ますます『新しい日常』などという言葉にえー?と・・
2020年08月17日
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税金をどう使ったら一番社会のためになるのか?ちょっと大袈裟ですが。明日から始まる予定のGoToキャンペーンでは特に賛成、反対の立場からの意見の対立が、双方ともどうも感情的になってしまっているな~と感じられて、なんでこうなるの?と、つい考えてしまいました。賛成の立場の方。観光業の方たちはもう我慢の限界に来ていてこの事業に光明を見出しておられる。行きたくない人に無理に行けと言ってるわけではない、等々。そして、東京外しについては仕方がない、という意見も少なくないようです。これにまずびっくりしました。やはり、お国のやる事業にこんなあからさまな差別を持ち込んでいいものだろうか?と疑問に思います。そこに税金を注ぎ込むなら、何より公平性がなくては。東京だけ仲間外れにしてもそこは感染者が多いところだから、大多数の人たちは賛成してくれるだろう、とでも考えたのでしょうか。しかし、観光業界の方たちが困ると言いますが、このキャンペーンがなければ誰も旅行にいかない?なんてことがあるでしょうか。この話が初めからないとしたら、県をまたぐ規制がなくなった時からもう少し全国的な旅行ができていたかもしれない、と思えて仕方ないのです。無論、感染症対策は万全に、とどちらの業界の方も、旅行者本人も気を付けることは前提として。そしたら、こんなに旅行業界の方たちが苦しむこともなかったかもしれません。近場で楽しみましょうとそれぞれの地方に補助金を出すという手もあり、それを手厚くするということもできたはず。まったく、お国は差別や不公平を助長するような政策ばかりに精を出すのではなく、もっと公平なやり方を真剣に考えてほしいものです。行ける人は何度でも利用でき、つまりそんな余裕のある方は沢山還元してもらえ、行けない人には全く還元されない税金の使い方って、根本的に間違っているように思います。私個人的には、行きたくない人に無理に行けと言ってるわけではない、という言い方、何度か耳にして非常にいや~な感じがしました。
2020年07月21日
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シソがたくさんできて、というより、自然に畑がシソに占領されてしまいまして。捨てるよりはジュースだ、と一念発起。最後の仕上げにリンゴ酢を入れたつもりが・・あらら・・色が変わらない!??変だと思ってラベルをみたらなんと、お酢でなく、みりんを入れていたのでした!生協の調味料の入れ物は同じものが多く、直前に確かめたつもりが逆の方をぶっこんでしまったという、最近よくある失敗の一つにて。一人で大笑いです。300CC入れるところ、200入れてしまったので、恐る恐る味見しながらお酢を追加していって100まで入れ・・でもまあ、何とか飲めなくはない、と自分を慰めている次第です。さっぱり感はあまりなく、甘くてまったりした味という感じかな。毒でなければいいや、と。トホホ・・シソもおいしいですが、毎年このくらいは残しておこう、と抜かずにいるといつの間にか畑いっぱいに広がってしまい、今頃になるとどの作物よりも旺盛にぐんぐん伸びて、たとえばじゃがいもなどどこに植えたがわからなくなるほど。だから小さく育っているのか、と納得しててはいかんですが。畑で一番元気なのが毎年シソ、コスモス、朝顔そしてヨモギ。いつもこの子たちは抜くのに抵抗のある困った存在です。畑のどこにも顔を出し、一部は草と一緒に間違って抜かれ、多くは移動して頂いているものも。赤じそは一度にたくさん使えてまだしもですが、青じそは?・・ということで、今年は青じその方も頑張って使い方を調べてみようと思います。そして来年はもっと早い時期に退散していただいた方がいいかな、と。今年も同じ反省をしています。
2020年07月16日
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新型コロナウイルスを犯人に置き換えてみました。この犯人は目に見えません。医師が、どうもこの人の中には犯人がいるように見える、怪しい、と診断しているにもかかわらず、警察はいや、この人は怪しむに足りない、調べる必要はない、と見逃してあげる、というようなことが事の初めから起きていた、ような。そこで見逃された犯人のうちある者は、いや5割から8割の者は、悪いこともしなければ分身もしないかもしれない、しかし残りの5割から2割の者は突然悪さをしかけるし、分身も大っぴらに誰にも邪魔されずしたい放題、ということになっているのではないか?と思えてきました。誰かに邪魔をされなければ。その邪魔をするのが、PCR検査ではないかしら、って。邪魔をするためには、犯人をできるだけ表にひっぱり出す必要があります。表に引っ張り出すことをなんで躊躇することがありましょう?ここでいうところの警察とはお国、行政といったところでしょうか。途中からここに力を入れようと言い出しましたが、まだまだ本気ではないように見受けられます。これからどうやら期待がもてそうですが・・人の権利を抑えたいために犯人を野放しにしていたのではないか?と邪推されないためにも、ここは猛スピードでお願いいたします。
2020年05月03日
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新型コロナウイルスに感染しても8割の方には症状が出ないかあるいは軽くて済む、という話と検査がなかなか受けられないという話を一つにまとめると検査が受けられず感染しても無症状の方がそして症状の軽い方も、街中にうじゃうじゃ!いらっしゃる、いや、自分もそのひとりかも?という疑いがとても強くなるわけですが。そんな中でびっくりしたのが、感染者の中で無症状あるいは軽症の方たちを受け入れていただける宿泊施設の確保がまるでできていなかったということ。(確か、話だけだったにせよ、3月の初めに厚生労働省の方からそんな話が出ていたような?)埼玉県の大野知事によると、感染者は全員病院に入院していただく予定で、150名分は確保できていた、はずだったとのことです。予定が狂って47名分しか実際には手配できていなかったということで、なんと新たに感染が判明した100名ほどの方々がが自宅待機を余儀なくされているとか。自宅待機では、新たに感染者を増やすリスクが大きいと思います。まったく入院に代わる宿泊施設のことを考えていなかったというのは信じられません。医療崩壊を防ぐにはそれしか考えられないくらいにおもっているのですが、違うことを考えておられるのでしょうか。いくら家を出るなと言われても、どうしても仕事にいかなければいけない人、通勤電車に乗らなければいけない人等々を、どう守ることができるのか?祈るような気持ちです。
2020年04月10日
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この国は法治国家だとおもったのですが、ひょっとするとアベ法というものがあって、それが憲法よりもどの法律よりも幅をきかせているのではないか?と思えてきました。公文書改ざんやら税金の私物化やら国会軽視、憲法軽視、あったことがなかったことになるし、都合の悪いものはどんどん廃棄するし、そして今回、あろうことか、山口某氏の逮捕状の執行停止!まで。アベ法に従うものはいくらでも法律を犯しても!罪に問われることはなく、守られる。日本の法律で裁いてほしいと願う人の当然の権利は奪われたままです。伊藤詩織さんのことだけではなく、他にも犯罪が正当な理由なく裁かれずに済んでいる、例えば公文書改ざん一つとっても誰も責任をとらない等、アベ法の下では多くのおかしなことが当然のように行われてきました。こんなことでは、“アベ法”を唯々諾々と受け入れていたなら、長いものにまかれることが普通のことになり、戦争反対の声も最後まで上げ続けることができるのかしら?と心配になります。自分のことです。ポストアベになったとき、またその次の『○○法治国家』にならないとも限りません。今日BSテレビで後藤田正晴氏の推進した小選挙区制が失敗だったと、きっと天国で考えておられる、みたいな話を聞きました。もっと民度が高いだろうとお考えだったとのことです。そのままではありませんが、保坂正康さんの言葉です。民度が高ければ○○法治国家にはならないだろうと勝手に思いました。
2019年12月23日
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伊藤詩織さんの件に関して、また何か言いたくなりまして。事実関係を無視して、ただ単に映像だけを見て、記者会見の映像のみですが、背景に見えるものがあります。それは人間性というべきものかわかりませんが、何かそんなようなものです。必死に何か訴えているというようでもなく、ただ淡々と事実を述べているというだけでもなく、何か一生懸命さがあるのに、必要以上に言いたいことを強調しているわけでもない、何かしらの強さを感じます。その背景にあるのが、自分のためだけでなく、大げさに言えばすべての女性の、いやそれどころかすべての人間の尊厳のために!闘っているのだという自負があるからではないか?と私は勝手に推測しております。無論、彼女自身がそう思っているということではなく、私が彼女の自負?を拡大解釈しているだけなので、そんなこと勝手に思っては迷惑なことかもしれません。しかし、なぜ今回立ち上がることになったかと言えば、性暴力の被害にあった方々が泣き寝入りしなくて済むよう、そして性暴力そのものが社会からなくなってほしい、との願いがあるからにほかならず、そこは否定しがたいところです。それは男女間の相互理解を促すことであり、ひいては全女性のため、全人類のためでもある、と私はすぐ大上段に構えてしまうわけでありまして。あの凛とした記者会見の様子は、どんないやな現実にも立ち向かおうという気概にあふれていて、感動しました。
2019年12月21日
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16年目になるブログですが、最近はほとんど書く元気もない状態。今日だけは何か書こうかなと思ったら、伊藤詩織さんの裁判の話を置いてほかにないのではないか?という声が。あまり書きたくないのに無理に書いているので、変な表現しかできないかも・・いや、言いたいことだけを言えばいいのですね。一言。“自分は何一つ法に触れることはしていない”という言葉を、どの面下げて(ヤツは)のたまっているのか!という怒り。自分が逆の立場だったら同じように言えるのか?防犯カメラの映像からも、目撃者の証言からも、ホテルの自分の部屋に(ヤツが)無理矢理連れ込んだのは明らかで、その時点ですでに!当該の行為に合意があったとは言えない、と考えます。―私の考えでは、その時点ですでに犯罪で、それを目撃したら直ちに110番通報してほしいくらいのものです―法律がそうなってくれていたら、大勢の性犯罪被害者が生まれずにすむのにな~なんて考えは甘いでしょうが、法律がなんとかならないものでしょうかね。以前、性を大切にすることと生きる生を大切にすることは同じだと書いたような気もしますが、まだまだ人間そのものを大切にすることが軽んじられている社会だなと感じています。
2019年12月19日
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はやりの言葉で言えばコスパがいい!のですが。今年は雨が多くて?からか、サツマイモはあまり大きくならなかった、とお隣の方がこぼしていました。私はと言えば大きさをうんぬんする以前に、ボロボロ・・今日一株掘ってみたところ、まあまあの大きさのものが一本だけ!?唖然茫然・・こんなことは初めて。いくらなんでも一株一本だけとは・・・でも、ちゃんとさつまいもです、と言えるだけでもう、ありがたいくらいのものです。それを思えば同じ一株で里芋は大きめのものが30個近く。特に里芋をひいきしたわけではなく、不思議です。逆さ植えがいい、と本に書いてあったのでその通りにしていることはありますが、もう3年くらい豊作続きといっていいでしょう。逆さ植えおすすめですそれが原因かわかりませんが♪参議員埼玉補選の投票率を忘れないように記しておかないと。20.81%とということで、5人のうち、4人も棄権していました。やっぱりなとしか言いようがありません。今回に限って言えば棄権したくなるのも無理ないと思います。無効票を初めて入れにいきました。
2019年11月14日
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あまり書きたくないと思いつつつい八つ当たり気味に書いてしまいます。候補者2人。どちらも庶民、少なくとも労働者の代表とは程遠いおかたたちで一人は前埼玉県知事。改憲に前向きで、自民党さんから今回は「不戦敗」でなく「不戦勝」と言われるようなお人。もう一人は説明するまでもないような、戦争で領土問題を解決などという言葉をすらっといえるような議員を自党に引き入れることをしらっとやってしまうようなお人。笑ってしまいますね。選択肢がない場合、棄権するか、無効票を投じに行くか、より悪くなさそうな方を渋々選ぶかしかしより悪くない方なんて・・?いくら考えても、なんで労働者が選びたくない人しか出てこないのかという疑問をどうしようもなく。野党共闘に差し障るからという理由なのか知らないけど、共産党さん、れいわさん、ほかの党でも、もう少しましな候補者はいなかったのでしょうか?埼玉県の投票率が低いことを嘆いたこともありましたが、今回の選挙なんてほんと、行きたくない。でも棄権はくやしいので、無効票でも投じに行きますか。
2019年10月20日
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このところ、畑に行くと雨に降られたり、行かないと降らなくて、しまった、と思ったり、どっちにしても暑くて行けなかったり、行ってもすぐ暑さに負けて帰ってきたり、という怠け者の私にはぴったりの畑に行けない、行っても作業が続かない口実がてんこもり!な日々が・・というわけで、畑は見事に草の天国。分け入っても分け入っても・・草・・畑の状態を大まかにいえば、草の中に(育てているわけではない)シソやコスモス、朝顔そしてかぼちゃのつるが縦横無尽に走っていて?たまに作物たる里芋やサツマイモ、オクラ、ピーナッツ、モロヘイヤ。ピーマンやナスやミニトマトなどは隅っこの方にチラッと。そして畑の真ん中あたりに、この間失敗して埋めなおした里芋の芽が、いつの間にか大きな葉っぱの集団になっていて・・主役のようです。次に白菜や大根を作る場所がない・・いや、少しはありますが。今日は涼しいかな?と思ってがんばらなくちゃ、と勇んで出かけたものの、やはり暑さに負けてほんの2時間ほどで逃げ帰ってきてしまい、草がちっとも減らせません。こんなことではいけない、朝早くいくことでもう少し頑張れるのに、とこれから頑張る予定の、いや、それも危なっかしい怠け者の私です。
2019年08月31日
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お母さんは大変だと常々感じています。お子さんを預けるのに綱渡り・・先日の朝、お子さんを連れてきたのはお母さんの妹さんでお昼過ぎにお迎えに来られたのはその方たちのお母さんで、つまりおばあちゃんに当たる方で。お子さんというのは4歳になったばかりの男の子。わがまま言いたいだろうな、我慢しているんだろうな、というのがいろんな態度とかしぐさとかからわかるようでした。お昼ご飯をなかなか食べなかったり。お子さんを社会で育てよう、と言いたい中にはお母さんにお子さんとすごせる時間を確保してあげたいものだ、というのもあります。やはりお子さんの健全な成長ということを考えたとき、実の親でなくては、とは言いませんが、できれば親子の時間を社会で保障するということになってほしいと思ってしまいます。それで万々歳ではもちろんないですが。話は全くかわりますが、今日朝日新聞の夕刊を見ていたら『ナチス占領期損害の賠償金』という小見出しの記事があり、ギリシャの新首相がドイツの首相に巨額の賠償金を求めている、とありました。ドイツは解決済みとしていて、こちらもどこやらと同じような。「歴史問題」というのは解決が難しいとありましたが、それを蒸し返すには訳があり、その訳は事情がそれぞれ違うのでしょうが、根底には経済問題があるように思います。その意味では昔の問題でなく、今の問題ではないかと。ドイツに対する不満が高まったのはギリシャ危機の際、「最も厳しく緊縮財政を求めたのがドイツだった」というのがあり、かたや、こちらでは、先の戦争に対する反省の弁を口にしたがらない首相がいたり。いやそれは経済の問題ではない、と言われそうですね。私にはついそう思えてしまうのです。日本の国が「国家として反省の上に立っていない」から「お金を要求してくる」ように思えます。8月ももう終わってしまうので、あわててこんなことを書いています、
2019年08月30日
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ジャガイモの列の中にちょっとはずれて里芋の芽が・・おかしいと思っていたけど・・まさかまさか、土の中に埋めていた去年収穫した大量の里芋の一部だったとは。今日掘っていて初めて気が付いたというばかな話でした。確かに埋めていたはずの里芋が見つからないなあ~と3月から4月ころまでは必死に探してみたのですが、しまいには気のせいだったかな?ついにぼけたかと諦めていたことをすっかり忘れていました。日に当たれなくて、白い茎を長く太くのばしています。白い茎の部分はおいて、かたい実の部分だけ掘ってきました。これ、食べられそうなので、明日どうにかして食べてみようと思います。だめだったらもう一度畑に戻します。あ~やっぱりどこか疲れているのね~と一人慰めています。
2019年07月10日
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