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弾丸で行ってきたタイ、バンコク。 東南アジア特有の熱気はエネルギッシュで、どこか懐かしさも感じます。 そんなバンコクでお会いした方々は皆、魅力的でとても素晴らしい方々でした。 最終日、一緒に食事させていただいたのはファクトリーギアの社長。 道具としての工具を、機能性はもちろんのことスタイルやデザインにスポットを当て 圧倒的な提案力で国内はもちろんのこと、タイへの出店を果たさされた エピソードはとても魅力的でした。 7月、今度はタイから来客があります。 新しい取り組みがスタートするかもしれません。 動くことで見えてくるモノ。 つかむか掴まないかは、自分たち次第です。 リスクかチャンスか、その環境すら楽しみたいと思います。
Jun 26, 2013
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「歩歩是道場」禅の言葉で日常の一挙手一投足、そのすべてが自己を鍛える道場、という意味なんだそうです。「歩歩とはいま、ここのこと」いま、自分が置かれている立場、状況は、そのまま自己を磨く道場である。いつであれ、どんな所であれ、心がけ次第で自分を高める修行の場になる。また、そういう生き方をしなければならない。なんかとても深い言葉に感銘を受けます。
Jun 19, 2013
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新しくピッツェリアをオープンし、飲食と物販の複合店舗がスタートしました。改めて飲食の現場感の大切さを感じます。社会人になってから通った大学院では事業計画、事業戦略の重要さを学びました。大学まで野球しかやったことのない自分にとってはマーケティングやブランディング、マネジメントといった横文字を学ばないと駄目だと思っていたからです。マイケル・ポーターの「競争の戦略」や「競争優位の戦略」イノベーションの重要性を解いたシュンペーター、マーケティング近視眼を唱えたセオドア・レビット、理論を体系的に学んだことのなかった自分にとって理論、ロジックはとても新鮮でとても勇気づけられるものでした。しかし、事業を進めていく中で小さな疑問が生まれてきました。それは現場、体感温度、実践といった現場感覚です。戦略とは予め設定された「目標」と把握されている「現状」とのギャップを埋めるための具体的な打ち手です。予測される未来と、把握している現状がブレないとき、戦略はとてつもない成果を発揮しますが、予測される未来と、把握している現状が著しく変化したとき戦略はその意味を持たなくなってしまします。いわゆる想定外の場合です。この問題をヘンリーミンツバーグは著書「MBAが会社を滅ぼす」の中で語っています。「経営層にいるトップの人間が戦略を策定し、 下部の組織が日々の行動に反映していく戦略策定のプロセスは あまりにも硬直すぎるのではないか」「戦略とは計画的に策定されると同時に創発的に形成されなければならない」これを野球に言いかえると、スコアラーが分析した配球データとマウンドで投手が感じる感覚とで相手打者を抑えるになります。経営の現場には戦略を書き記した文書やファイルがあるわけでなく、戦略をじっくり変更できる時間の余裕があるわけでもありません。戦略の実態とは、予測もつかないあらゆる事象に対する長い期間にわたるその時どきの判断の積み重ねなんだと思います。難しい経営学者の著書を読みながらも、飲食の現場には、一瞬でニーズが変化する環境があります。知らないことを知る、座学ではなく、現場で知る。新しいコトをスタートすると、今まで使っていなかった脳が活発に動き出します。
Jun 14, 2013
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店舗移転、リニューアルから約2週間。 怒涛のような毎日が繰り広げられています。 店舗の方は、店頭の掃除から、補充、 オープンしてからは予約や問い合わせ対応、 インターネットでは受注処理、商品発注、在庫管理、ラッピング、出荷、補充、翌日準備、 ピッツェリアはランチ準備、営業、片付け、ディナー営業、仕込み、翌日の修正、 圧倒的なボリュームに飲み込まれそうになりながらも、 その中でも優先順位を決めて確実に対応していく。 準備と判断を間違えると、一瞬にパニックになる緊張感を楽しみながら カラダと脳をフル回転しております。 100%のシュミレーションをしながらも 日々起こるイレギュラーをどこまで対応していけるか、 まるでスポーツと同じです。 基本に裏付けられた応用を求められる場面こそ 私達が成長する最も恵まれた環境だと思います。
Jun 13, 2013
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まだ都島区に路面電車が走っていた昭和43年、 まわりには鐘紡や十条製紙、雪印などの工場がたくさんあり、 まさに三丁目の夕日のような風景が都島にありました。 そんな時代に生まれた名もない建物。 築40年を超えるレトロなビルは以前、材木倉庫として使われていた建物です。 1903年(明治36年)、奈良県吉野で材木屋の六男として生まれた初代上田徳太郎。 根っからの酒好きが高じて大正13年、船場の酒問屋へ丁稚奉公。 使い走りや雑務、礼儀作法などを仕込んでもらい、 昭和10年ついに自らの夢である上田酒店を創業するも翌年、 関西を襲った大型台風により店舗が流されるという困難。 すぐに再建するも、昭和20年大阪大空襲によりまたもや店舗焼失。 様々な苦難を経験しながらも、大阪商人の意地、 そして何より「美味しいお酒をお客様に飲んでいただきたい」 という気持ちから自らの手で店舗を再生。 昭和38年に二代目、忠夫が入店して以後も 「美味しいお酒をお客様に飲んでいただきたい」という、 「徳太郎スピリッツ」は脈々と流れ続け、小さいながらも街の酒屋として 上田酒店を守り続けました。 平成12年、地元高倉町にちなんで「酒 高蔵」と屋号を変えたあとは、 日本全国にある小さな蔵元の美味しいお酒だけを取扱う「酒専門店」として、 自分たちが納得したお酒だけを取扱いしてきました。 冬場2mを超える積雪の中、早朝5時から仕込みをはじめる東北の蔵、 創業330年を超える歴史がありながら、たった300回の酒造りと話す京都の蔵、 背丈ほどある雑草を刈り取り自ら芋畑を開墾した鹿児島の蔵 完熟した極上の梅を使うために自らの手で梅を栽培する和歌山の蔵 「酒は自分たちの娘です。 酒屋さんに送る時は娘を嫁がせるような気持ちになるんです」 お百姓さんが田んぼや畑で作物を育て、蔵人が心血を注いだお酒は旨い酒ではなく、 心が喜ぶお酒になります。 私たちは、そんな心のこもったお酒を扱わせて頂くことに感謝し、 高級なお酒ではなく、心が喜ぶお酒で素敵な時間を過ごして頂きたいと思います。 クラシックを知り、モダンであれ。 私たちは街の小さな酒屋です。
Jun 4, 2013
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