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2025年04月28日
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カテゴリ: クラシック



 3階正面

 尾高惇忠:「音の旅」(オーケストラ版) 〜 第1曲 小さなコラール / 第5曲 シチリアのお姫様 /
      第15曲 フィナーレ -青い鳥の住む国へ-
 ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
 <独奏アンコール>
 山田耕筰(梶谷修編) :赤とんぼ

 エルガー:交響曲第3番 ハ短調 op.88 (A.ペイン補筆完成版)

 ピアノ:舘野泉

 指揮:尾高忠明

 ゴールデンウィークシリーズ2本目、ってこれで打ち止め予定ですが、は、東フィルの定期。
 結構空いていたのは、昨日の日フィルの公演があるのと、藤原の公演もあるからですかね。他もやってそうだし。まぁ、ちょっと勿体無いと思うけど。

 舘野泉はクラシック界のレジェンド、なんだそうです。御歳88歳だとか。........そうなのね。その伝説聞いたことないけど......なんかさ、そういうの、連発するの、失礼だと思いますよ。そういう感覚ってもう分かってもらえないのかも知れないけれど、やたら伝説だの巨匠だのって言い方するの、失礼なんですよ。箔付けたがるのも、箔付きを有難がるのも、それ、聞いてないじゃん、ってね。分かりやすいから自分も使うことはあるけれど。プログラムで謳うのってさ、まぁ、営業的にそうなるんでしょうけれど、頭の隅のどっかで、それって失礼なんだよ、というのは思っとけ、とは思うかな。

 最初は、尾高忠明の兄・尾高惇忠の作品。今世紀の作品だけれど、元は子供向けに書いたピアノ曲、ということになるのかな?いわゆる現代音楽という感じではない曲。勿論現代的な響きはあるけれど、面白い曲です。.......これは悪口のつもりではないんだけれども、なるほど、こういうのもうちょっと聞いてみたい、と思う時、ネットで探すのかな、自分の場合は、という程度には興味のある曲。CD探して買うほどにはね、そもそも録音もあるのかと思うし。でも興味はあるよね、という。そもそも私はこの尾高惇忠という人の作品を聞いたことがあったかなと。私はそんなに日本の現代音楽を聞く人ではないので、多分聞いたことないんじゃないかなと。まぁ、だからって、一所懸命聞くようにしよう、とまでは思いはしないのだけれども。

 で、舘野泉独奏のラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲。
 舘野泉が半身付随からカムバックしたのはもう随分前、2002年の話で、正直言うとそれまではそこまで凄いピアニスト、というわけではなかったんですよね。北欧もの、グリーグとかシベリウスの作品を多く録音していて、そういう人、としては知られていたけれども。なので、カムバックして「左手のピアニスト」として知られるようになったのはこの20年くらいの話で、ただ、それは受け止める側がそう受け取っちゃうからであって、ご本人は「左手しか使えないんだから左手で出来ることやるしかないだろ」というだけのこと、というと失礼かも知れないけれど、そういうことだと思うんですよね。誰とは言わないけれど、そういう境遇とか、なんというか音楽の外の何かを売り物にしてやってるような人とは違うんじゃないのと。自分としては求めて聞くことはしてなくて、だからひょっとすると聞くのは初めてかも知れない。
 そもそも20分くらいの曲で、かなり派手なので、良くも悪くもあまりピアノが目立たないんですけれどもね。ただ、流石にラヴェル、よく書けている。最近は「両手」の方を聞く機会が多いので、あちらの印象が強いのだけれど、ラヴェルにしては洒脱さみたいなものよりも異形さのようなものが前に出ている曲。類例を挙げるなら、「夜のガスパール」に通ずるのかな。ピアノが一番軽い感じではあるのだけれど、そういう毒気を十分孕んだ演奏になっていたと思います。面白かった。
 舘野泉はこの日は車椅子で出て来ていて、体調が思わしくないのかな、とも思いましたが、演奏は万全。とはいえ車椅子に乗って引っ込んで、また戻ってきて.....と思ったら、アンコール。冒頭なんだか分かりませんでしたが、「赤とんぼ」でした。ただ、編曲が面白く、3番までの繰り返しにちゃんと変奏にして、しかも左手だけの演奏の編曲。そして思いの外の技巧的なもので、しっかり弾いていました。お見事。

 後半はエルガー。但し、一筋縄では行きません。エルガーが晩年に着手しながらピアノ譜の手稿のみ残して終わった未完作を後年研究者が補筆完成させたもの。ただ、実際には、残されたものも関係がはっきりしない、ということは、全体構想がはっきりしたわけではなく、オーケストレーションも殆ど施されていないので、むしろ補筆というより補筆者の二次創作、という声もあるそうで。
 まぁ、英国音楽の第一人者みたいになっている尾高忠明が取り上げているのだから、それなりに何某かやる意味はあるだろう、ということなのでしょう。

 演奏は悪くないんだと思います。いや、いい演奏っていうのかどうか、曲がよく分からないのでね。基本的なことはちゃんとやってるんでしょう。その辺は尾高忠明はちゃんとやろうとする人だし。ただ、如何にもよく分からない。難解な曲ではないんだと思いますが、どう受け止めればいいのかな、とちょっと考えちゃうみたいな。
 難しく考えずに音と響きを楽しめばいい、という意味では、良かったと思います。そこそこ鳴ってたし。
 曲として、作品としては、どうなんでしょうね。なにしろ誰のどういう意図で書かれた作品なのか、というのは、もうわかんない話ですからね。そういうものとして聞くのがいいのかな。

 いろいろありますが、演奏会としては、楽しめました。なんか、こういう比較するのもなんですが、土曜の日フィルの仮面舞踏会と比べると、ある意味向こうの方が楽しめる要素は多いんでしょう。けれども、総合として考えると、詰めの甘さが露呈している、「これ誰のためにやってんだよ...」という気になってしまうあれよりは、この東フィルの方が楽しめるな、とは思いました。気分よくホールを出てこれたのは、間違いなく、こちら。

 気が付いたら、尾高忠明は日本の指揮者の重鎮みたいになっちゃいましたね。いや前からそうだろ、という話は無くもないけれど、思えば、最近で考えても、秋山和慶が亡くなり、井上道義は引退し、その前からで言えば飯守泰次郎も若杉弘も岩城宏之も亡くなってしまった。小林研一郎くらいでしょうかね、重鎮と言えるのは。他の日本人はと言えば、大野和士や大友直人の世代でしょうか。ちょっとね。まだ弱いよね。まぁ、いいんだけどさ。





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最終更新日  2025年04月28日 16時39分33秒
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