∋(。・"・)_†:*.;".*。彼方野まりあ、世界中で愛を叫ぶ!◆
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「生き残ったには理由があるんです」私はこの言葉がずっと嫌いだった。理由はこう。生き残ったのに理由があるというのなら裏返すと、死んだ人にも相応の理由があると言ってるようにも聞こえてしまうので両刃の剣的な言葉だなぁと感じてしまうから。生き残った理由ってのは、生き残った人が努力して生きるために見つけるものだし最初からあるもんではない。「生き残ったには理由があるんです」という言葉は神が生き残らせた理由があるとかそういう特別な意味を感じされるようなところも嫌いな理由のひとつ。私的には生き残った人も死んだ人も生き残った理由や死んだ理由が特にあるわけではなくてそれに意味を付けたい人がつけるだけ、冷静に考えるとそう思う。「生き残った意味があるはず」と生きていくパワーにするのは積極的で元気になれる絶望にいるときは一筋の未来への光のような言葉に聞こえるとかもある意味は否定はしない。それは実際は生き残った人に限らず生きていく意味を考えることなんだけど生き残った人には「生きていく意味」より「生き残った意味」という言葉が心に響くとかも実際あるのだろう。昨晩の「今夜もさだまさし」でさださんの話してる「生き残った理由がある」は素直に聞けた。こういう話を聞くときにひっかかりを感じるかどうかは言葉の使い方とか小手先の問題などではなく、言う人の深さや言い方次第なんだなと思った。言われてこれで元気をもらう人が確かにいるのは確か。相手がこの言葉を受け止められるならばそれはそれで生き残った理由を探すためにでもとりあえずを生きていこうと思うことから何かが始まることもある。「生き残ったには理由があるんです」この言葉は言う人によって浅かったり表面的に聞こえたり難しい言葉。浅い感じがしてしまうと「死んだ人には死んだ理由があったとでもというのか」とか思うこともある・・・。
2011/09/18
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