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「始めるのは努力。 辞めるのは勇気。」新しい何かを始めることは、簡単なことだと思うのです。 (その新しい何かにもよりますが、 新しいことに着手することそのものに 勇気が必要なこともあると思うのです。)新しい何かを始めることは簡単でも、それを軌道に乗せたり、上手く運ぶようにする為には、努力が必要だと思うのです。その努力もただ闇雲にすれば良い、という訳ではないと思うのです。努力の仕方や心構えのあり方が大切だと思うのです。「自分は努力をしている!」「自分は頑張っている!」という満足感を得る為にする努力は、努力に非ず、自己満足だと思うのです。また、努力する為の努力をしていることもあると思うのです。それは努力する対象を見誤っていると思うのです。「新しい何かを軌道に乗せる為に必要なこと」「新しい何かが上手く運ぶために必要なこと」をさせて頂くことこそ、努力させて頂くべきことであり、本来の努力の目的だと思うのです。新しく始めた何かに集中したり、没頭しているときは、 「自分は努力をしている!」 「自分は頑張っている!」などと思うことはないと思うのです。努力を努力とも思わずしているその姿勢こそ、真の努力なのだと思うのです。努力の蕾さんを実らせ、その蕾さんが開花するまで真の努力を継続させて頂くと、それまでの努力が報われ、感動的な達成感を味わわせて頂けるのだと思うのです。それまで続けてきた何かを辞める。。。とても勇気のいることだと思うのです。続けてきたことを辞める。。。ということについて、 それまでの努力が全て無駄になる。。。 それまでの時間が全て無駄になる。。。 やってきたことは意味がなかったのか。。。 自分は間違ったことをしてきたのか。。。 自分の存在を否定されているような。。。などと悲観的になることもあれば、 あともう少し頑張れば。。。 もっとやれることがあるはず。。。 今までの経験を無駄にしたくない。。。 もう少し時間をかければ上手くいく気がする。。。 自分は正しいことをしているはず。。。などと、未練を感じて、しがみついてしまうこともあると思うのです。しかしながら、少し見方を変えさせて頂くと、 「辞めた方が良いのかもしれない。。。」と自分が心のどこかで感じたときや、 「潮時じゃないかな。。。潔く辞めて、 新しいことをした方が良いんじゃないかな?」などのような言い難いことを人様からアドバイスを頂いた時に、勇気をもって、辞めるべきを辞めないと、 より努力を無駄にすることに。。。 より時間を無駄にすることに。。。 より続けてきたことに固執、執着することに。。。なってしまい、次第に「辞めたくても辞められない自分」を築き上げてしまうことになりかねないと思うのです。それまで続けてきた何かは、本当にすべき何かをさせて頂く為に必要な下積み経験ということもあると思うのです。それまで続けてきた何か(下積み経験)を辞めるべき時期の到来は、同時に、努力の積み重ねの下積み経験で培ってきた様々な知識や豊富な経験を、本当にすべき何かに活かすべき時期の到来でもあると思うのです。ただ、それまで続けてきた何かを辞めるときに、 本当にすべき何かが分からない。。。 本当に歩むべき道が見つかっていない。。。が故に、それに未練を感じ執着したり、悲観的になったり、不安を感じたりしてしまうのだと思うのです。その未練や執着、悲観、不安を振り払うのが「勇気」だと思うのです。その「勇気」が無ければ 「本当にすべき何かを遂行できない」 「本当に歩むべき道を進めない」裏を変えさせて頂くと、それまで続けてきた何かに未練を残さず、執着せず、悲観したり、不安を抱くことなく辞めることができる大きな大きな「勇気」があるからこそ、 「本当にすべき何かをすべき準備が整った」 「本当に歩むべき道を進む準備が整った」ということでもあると思うのです。だからこそ、それまで続けてきた豊富な経験や培ってきた知識を、まだ見ぬ未来に活かす 「本当にすべき何かがある!」 「本当に歩むべき道がある!」という夢や希望を実現させて頂く為にも、勇気をもって辞めるべきを辞めさせて頂くことが大切なのだと思うのです。努力あるところに道は拓かれる。。。勇気あるところに導きがある。。。そういうものなのだと思うのです。源光「いかなる創造活動も、破壊活動から始まるのです。 本気で、生まれ変わりたいのなら、 自分の中の何かを破壊しなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406180000/「人間は、建設するものと、破壊するものが必要です。 片方だけだと不満が募り、両方共無いと非常に不幸を感じて、 生きている喜びを味わうことが出来ないのです。 あなたは、何かを建設していますか?何かを破壊していますか? 何かを建設しようと頑張る人は多いのですが、 何かを破壊しようと頑張る人は少ないのです。 日々、善きものを建設し、悪しきものを破壊しようと 努力していますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402130000/「自分の中にどうしても譲れないものがあるはずです。 それを守ろうとするから苦しいのです。 壊してしまいませんか。。 新たな世界に進むために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406060000/「長年、慣れ親しんだものを変える事は難しいのですが、 変えていかなければ、より良いものを 手に入れることはできないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303090000/「何かを勝ち取るには 何かを犠牲にしなければならない このことだけは覚えておいてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602160000/ 「何か一つを手放してください。 それよりずっといいものがやってきますよ。 言い換えれば、何かを手放さない限り、 夢は手に入らないということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506230000/「自分が、大切にしている価値観や社会での立ち位置を手放したら、 それよりずっといいものがやってくることがあります。 だから人生は面白いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230000/「汝が何かを手に入れるには、 相応の代償を払う必要がある。 代償を払うことを惜しんではならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109100000/「汝が大切なものを手放すならば、 もっと美しいものが手に入るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110160000/「この道を行けば、どうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 迷わず行けよ、行けば、分かる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202040000/「運の悪い人は、障害があると簡単に諦めるのが得意。 運の良い人は、諦めるべきものは、サッサと諦め、 諦めてはならないものは、不退転の決意で徹底的に粘るのが得意。 そんなことを、まだやっているのか!? 道を極めた人は、若い時から、 この様に評価され続けた人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280001/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/ 「大切な人生の局面で、勇気を失うと全てを失います。 勇気があれば、道は開けます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402210000/「少しでも可能性のある事に果敢に挑戦せよ。 何も動かず、知恵も、汗も出さぬ者に手を貸す者はいない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109190000/ 「人は、心の底から湧き上がる叫びを感じるとき、 もはや、消極的になっては居られないのです。 それが動く時の合図です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204180000/「あれこれと心配して、心労で疲れてしまうより、 覚悟を決めてしまった方が楽になり、 災いを転じて福とする事が可能になります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401160000/「汝は、できる事でもできぬと思えばできぬ。 できぬと見えてもできると信ずるがためにできる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112200000/「信念は人を強くするが、疑いは活力を麻痺させる。 信念は力である。正しく信念を貫くならば岩をも通すであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110090000/「汝は自分自身を信じなければならない。 自分自身に不信感のある者に天は手助けができない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201090000/「今いる場所から始めるのです。 自分の持っているものを全て使って、 できることをするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407050001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.29
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「愚かな人は、自分が賢いと考えるのです。 賢こい人は、自分が愚かなことを知っています。 この考え方の違いが、人生全てに、影響するわけです。 愚かな人は、後悔の多い人生に。。 賢い人は、豊かな実り多い人生に。。」私たちが地上で修業をさせて頂いているのは、魂の修正や成長をさせて頂く必要があるからだと思うのです。なぜ、魂の修正や成長をさせて頂く必要があるのか。。。それは、過去生において、人としてあるべき正しい心の道から外れた心のあり方で、人の道から外れた言動をするという過ちを犯し、業を積んできたからだと思うのです。地上という修業の場で修業をさせて頂いているにもかかわらず。。。良心という心の羅針盤を授かっているにもかかわらず。。。正しい心の道、人の道から外れたことをしてしまう位に、私たちは不完全で至らない点が多い、ということだと思うのです。そのような私たちが「私は賢い!」と考えるということは、自分が不完全で至らない点が多いからこそ、地上で修業をさせて頂いていることを分かっていない、ということだと思うのです。地上で修業をさせて頂いている理由が分からずに、「私は賢い!」と考えてしまうところが、愚かなのだと思うのです。地上的には「私は賢い!」で通用し、成功することもあると思うのですが、それはあくまで地上という修業の場だけで通用するものだと思うのです。私たちの本質は「心」「魂」であり、その心の故郷、魂の故郷は、地上ではない他の場所にあると思うのです。ということは、地上的価値観により地上で通用するものは、永久不変の天法と無償の愛が広がる心の故郷や魂の故郷では通用しない、というのは極自然なことだと思うのです。同じ地上で修業をさせて頂いていても、 「自分という存在は、 地上で修行をさせて頂く必要があるほど、 不完全で至らない点があるんだ。。。」ということを、知っているか否か。。。理解しているか否か。。。で、地上での修行度合いが大きく変わると思うのです。それを知っている。。。理解している。。。そういう方は、自分が不完全で至らない点のある愚かな存在だからこそ、地上での修行を通じて、魂の修正や成長をさせて頂いている、ということを知っている、理解しているが故に、その生き様は自ずと謙虚になると思うのです。それを知らない。。。理解していない。。。知っていても、理解していても、それを認められない。。。そういう方は、「自分は賢い!」と考えるほどに身の程を知らないが故に、傲慢な、横柄な、不遜な、自惚れた心のあり方や言動を恥ずかしげもなくしていらっしゃると思うのです。一方は、自分の愚かさを知って、謙虚な姿勢で修業を。。。一方は、自分の愚かさを知らず、愚かさを認めず、傲慢な姿勢で、好き放題、やりたい放題、自分勝手、我儘。。。前者は、魂の修正や成長を促す修行をさせて頂いていると思うのです。例え、地上でこそ試練や苦難が多かったとしても、私たちの本質である心、魂の居場所である天に帰還させて頂く時は、その地上での実り多い修行によって、幸多き、喜び大きい場所に帰還させて頂くことができると思うのです。後者は、魂の修正や成長を促す修行どころか、修正すべき点、不完全な点、至らない点を増やし続けてしまう生き方だと思うのです。例え、地上でこそ「自分は賢い!」というスタンスで、地位や権力、名誉、肩書き、財産などを得たとしても、私たちの本質である心、魂の居場所である天には、その全てを持ちかえることができないことや、死して初めて、天が地上の私たちを観る視線で、自らの人生を振り返えらせて頂いた時に、修行の場であるにもかかわらず、修行をするどころか、修行を増やすような愚かな振る舞いをしてきた自分を観て、「せっかくの修行の機会を無駄にしてしまった。。。」と後悔すると思うのです。同じ地上という修行の場で生かさせて頂いていても、 修行をさせて頂いている理由を知っているか否か。。。 心のあり方や言動、生き様の違い。。。(謙虚か、傲慢か)によって、今生の人生のみならず、帰還する場所、来生にまで大きな影響を及ぼすことをしっかりと心に刻ませて頂き、今生という貴重で希少な修行の機会を無駄にすることのないように、良心に従って、謙虚な心のあり方、言動で生かさせて頂きたいものですね。源光「自分の姿をありのままに直視して、 「あゝなんて自分はアホなんだろう。。。」と、 気づくこと。それが悟りです。 そこから本当の人生がスタートするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050000/「自分の姿をありのままに直視する。。 それが本物の強さです。。 本物になれば、人生は思うままに拓けるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406110000/「自惚れが消えた時から、 人生の幸福な時期が始まるのです。 それまでは不運といつも隣り合わせの生活です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602180000/ 「世の中で知られているようなことを、 自分だけが知っていると思い込んで得意がる人もいます。 人は、どこまでも謙虚に。。。上には上がいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501290000/ 「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「今が幸せで、うまくいっていればいるほど謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「賢者は複雑なことをシンプルに考えるのですが、 愚者は簡単なことを複雑に考えるのです。 人生においてこの差は天と地ほどの開きを生むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409110002/「物事は、できるだけ単純に考えましょう。 良心に従って単純に考えれば、 人生の難問も難なく解読できます。 身の回りの現象に重要な事はほんのわずかで、 どうでもいい不必要な部分の方が、圧倒的に多いのです。 底無し沼に入り込んで苦しんでいる人は、 単純な事を敢えて難しくしているか、 阿呆の素晴らしさに全く気付いていない、 利口の真似をしている愚かな人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170002/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.28
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「人の精神の高貴さは、すぐわかります。 言葉の中に、話し手の心の状態と人格と気質が見えるからです。」発する言葉は、その言葉を発した人様のお心が表れると思うのです。そして、発した言葉は、鏡に映る自分に話しかけているかのように、そのまま発したご本人様に跳ね返るものだと思うのです。 (自分が発した言葉を最初に聞いているのは相手ではなく、 自分に他ならないが故に自分に跳ね返ってくると思うのです。)それを分かった上で、相手を思い遣る心を持って、丁寧で綺麗な言葉や愛ある優しく温かい言葉をもって、分かり易く話すことが自然にできる。。。そういう姿勢で過ごすことができるのは、 何があっても心がぶれないからこそ。。。 感情に左右されないからこそ。。。 感情に左右されても直ぐに平常心を取り戻せるからこそ。。。 何ごとにも動揺しないからこそ。。。だと思うのです。その誠実で、堂々と、凛とした様や言葉遣い、話し方に、その人様の精神の高貴さが現れるのだと思うのです。どんなにか、誠実さや堂々と凛とした様を装おうと、丁寧で綺麗な言葉遣いや話し方をしようと、それが本物であるかどうか、そして、そこに優しさや温かさなどの愛があるか否かは、何かがあった時の態度の変化で良く分かると思うのです。平常心を失い、慌てている表情と言動になる。。。心がぶれ、態度が豹変する。。。「我先に」という自分勝手な言動になる。。。感情的になって当たり散らす。。。動揺を隠せず、自分のことで精一杯。。。化けの皮が剥がれれば、人様からの信頼を失うと思うのです。何かがあった時のその人様の心の動揺の現れ、言動の変化こそ、その人様の本当のお姿があるのだと思うのです。何かがあってもなくても、いつも態度が変わらない。。。いつも言動が変わらない。。。そういう方こそ信頼できる高貴なお方だと思うのです。--------「言葉」。。。私たち人間や動物さんたちが意思疎通を図る為に使わせて頂いている「言葉」は、各々が思い、考えたことを口から発するもの故に、「言葉」そのものが生きものだと思うのです。それが言葉に宿る「生きもの」としてのエネルギー(魂)であり、「言霊」という言葉の所以なのだと思うのです。生きものである言葉は、同じ言葉でも、その言葉を使う人や動物さんのその時の心の状態や感情によって、その放つエネルギーは大きく変わるものだと思うのです。角のない丸みのある優しく温かい美しい「言葉」を用いていれば、その「言葉」やその「言葉」を通じて生まれるご縁は、コロコロと転がって、円を描いて自分の発した「言葉」が現実になって戻ってくるのだと思うのです。 (その逆も然りで、棘のある言葉を発すれば、 それが現実になって戻ってくるのだと思うのです。)感情に左右されることなく、相手を思い遣る純粋な心から愛ある優しい言葉や愛ある温かく美しい言葉を遣わせて頂いていれば、相手の心には愛や優しさや温かさが伝わるのだと思うのです。「愛してるよ。」「生まれてきてくれてありがとう。」「元気に育つんだよ~。」「幸せだなぁ~。」「ずっと大好き。」「気をつけてね。」「大丈夫?」などの相手を想う「言葉」や相手を思い遣る「言葉」を発していると、お互いがお互い様の気持ちで気持ち良く生かさせて頂けると思うのです。逆に、感情に左右され、相手を思い遣る気持ちよりも、自分の主義や主張を押し通そうとしてしまうと、言葉が過ぎたり、言葉が尖ったりしてしまい、人様を傷つけたり、不快にさせたりしてしまうと思うのです。恨み、辛み、嫉み、怒りなどの棘のある「言葉」を口にすれば、その「言葉」は一番初めに、自分に突き刺さってしまうと思うのです。自分が口にした言葉を一番初めに聞いているのは、何を隠そう自分に他ならないと思うのです。そして、それは棘のある「言葉」故に、そこに悪気があろうとなかろうと、自分の意思に関係なく、その言葉を発し、その言葉を最初に聞いた自分だけでなく、その言葉を耳にした人様をも傷つけてしまうと思うのです。自分で発した言葉によって自分や人様を不幸や悲しみに貶めてしまうということのないように、言葉遣いを気を付けさせて頂きたいものですね。そして、自分が発した言葉によって自分や人様が気持ち良くなったり、明るく元気な笑顔になれるような、愛ある優しく温かい美しい言葉遣いをさせて頂きたいものですね♪--------「言霊の幸ふ国」。。。日本。。。言葉の霊力「言霊」が幸福をもたらす、という意だそうです。言葉は、その時の感情に左右され、その状況や環境に惑わされながら発される浮き足立った言葉や落ち着きのない言葉、責めるような言葉、不安や恐怖を煽るような言葉や、心無い言葉や着飾る言葉など、色々な言葉があります。対照的に、相手のことを思い遣り、相手のお話に聞く耳を持ち、愛の心から生まれる諭すような言葉や何でも受け入れ包み込んでくれるような言葉、揺らぐ心に安心感を与え、穏やかな心にするような言葉、心から応援したり、励ましたり、称えたり、勇気づける言葉、明るさや元気、笑みを生み出す言葉などもあります。同じ言葉を発するのでも、そこに「良心」や「愛の心」があるかないかでは、言葉から発せられるエネルギーや相手への伝わり方や相手の受け留め方などが全く異なってくると思うのです。言霊がその言葉の意味する正しい形で作用するように、その言葉遣いに気をつけさせて頂きながら、「良心」や「愛の心」を言葉に添えて発していきたいものですね♪--------時に、その使っている言葉や表現や語気が強くても、その根本に相手を思う気持ち、愛の心があり、その愛の心から生まれた言葉や表現や語気であれば、心ある人間同士、その愛の心は、相手に伝わるものだと思うのです。 (相手を思う愛の心から生まれた愛ある言葉は、 その時すぐに伝わることはなくても、 時間の経過とともに自然と理解して頂けると思うのです) また、その使っている言葉や表現や語気が優しくても、その根本に相手を思う気持ちや愛の心がないばかりか、自分を良く思って頂こう、自分のマイナス面を隠そう、自分を正当化しよう、という表面的で、自分の体裁ばかりを気にした心無き言葉や表現や語気であれば、心ある人間同士、その心の無さもやはり、相手に伝わるものだと思うのです。 (心無き言葉を信じ込み、騙されてしまうことがあるものですが、 それはその方が心無き言葉を発する方と対極の位置にあり、 騙す側と騙される側という同じような心の段階にあるからだと思うのです。)意味のある言語を、音に出していう言葉は、 その発した言葉通りの結果を現す「言霊」だと思うのです。愛の心が溢れる優しく美しい響きの言葉であれ、心無く刺々しい言葉や過ぎた言葉であれ、それを聞きたい、聞きたくないを問わず、その言霊を一番初めに耳にしているのは、その発している自分自身だと思うのです。自分ではそう思っていなくても、知らず知らずのうちに自分の発している言葉が人様を傷つけ、苦しめたりしてしまっていることもあると思うのです。自分で蒔いた種は自分で刈り取る、のと同じように、自分の発した言葉は自分に現れる、ことになると思うのです。人様を傷つけ、苦しめるような言葉を発すれば、自分が傷つき、苦しむことになるような現象が生まれてしまうと思うのです。その時、自分が傷つき、苦しむような現象が生まれた原因を自分以外の人様や何かのせいにすることがありますが、元を辿れば、人様を傷つけ、苦しめるような言葉を発した自分に原因があり、その結果が、自分が傷つき、苦しむ、ということになったということだと思うのです。そのようにならないように気をつけたいものですが、その為には、自分の発する言葉通りの結果を現す「言霊」のエネルギーのことをしっかりと心に刻み、思い立ったことを直ぐに口にさせて頂くのではなく、言葉を発する前に、余計なことを発することのないように、何かを話そうとする相手の立場になって考えたり、周囲の状況や人様の様子を見ながら、言葉を選び、どのような表現や口調でお話しをさせて頂くのが適切か、などを考えるしばしの沈黙の時間を大切にさせて頂きたいものですね。--------清く、正しく、美しい言葉の意味は、愛の心や優しい心、温かい心の下、清く、正しく、美しい言葉の使い方や話し方をさせて頂いている時に、清く、正しく、美しい言霊となって、相手の心に清く、正しく、美しい姿かたちで、以心伝心するのだと思うのです。自分が話している言葉は、相手の方よりも、誰よりも早く自分が真っ先に聞いているもの故に、清く、正しく、美しい言葉を自分が話させて頂けば、話させて頂くほど、それを一番に聞いている自分自身も、清く、正しく、美しい存在になることができるのだと思うのです。そして、それを聞いて下さっている相手の方のお心にも、愛の心、優しい心、温かい心などから生まれた清く、正しく、美しい言葉の意味が言霊となって、心に染み入っていくのだと思うのです。相手が平和や幸せを感じるようにする為に、清く、正しく、美しい言葉を遣わせて頂くことが、実は自分の為にもなっている。。。そういう素敵な一石二鳥は、どんどん生み出して生きたいものですね。源光「良いことも悪いことも 口に出して言っていれば、 いつか形になるのです。 ですから良いことを常に言葉にして 生きていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505270000/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることもできますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/「言葉が堕落するので、精神が混沌とするのです。 まず、妬み、嫉み、恨み、ツラミ、足ることを知らない欲望、 怒りから発する、汚い罵り言葉を改め、 綺麗な思いやり言葉を話すことから始めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407090001/「言葉には魂が宿っています。心して話しましょう。 愛も勇気も希望も夢も、全て言葉の中に宿っているのですから、 美しい言葉を話すことですよ。。 邪悪な言葉を慎むことです。邪悪な言葉は不幸を呼ぶのです。 鳥や虫たちの歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、 無頓着な人間の粗雑な耳だけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140001/「他人を傷つけてはならない。 思いや行いで危害を加えてはならない。 他人を苦しめる言葉を吐いてはならない。 怒りを捨てたものは神の世界に招かれる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107210000/「他人の役に立つ人生を心がけましょう。 今は、自分のことで精一杯で他人の役に立てなくても 絶対に他人を傷つけてはいけません。 他人を傷つけている限り、心の平安は決して訪れないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100002/ 「人間の発する言葉は、そのまま心が表れます。。 相手が平和と幸せのうちに聞けるよう言葉を選び、 話さなければならないのです。 人の心を掴む人は、美しい言葉を話すものなのです。 しかし、人を騙すための、口当たりの良い言葉は、劇薬です。 善を装った悪の砲門は断固、粉砕しなければなりません。 間違った思想家、政治家ほど演説が上手なものなのです。 良心に恥じない「百発百中の砲一門」になりましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201301160000/ 「為政者は、弱い思想に強い言葉の上衣を着せることが好きなものです。 惑わされてはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209200000/ 「愛のある言葉は、みんなを幸せにしますから、 ユーモア溢れる慈しみのある言葉を話して、 どんなに悩んで苦しんでいる人でも、 思わず、笑顔にさせてしまうことから始めましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210210000/ 「人が発する言葉にはそのまま心が表れます。 相手が、平和と幸せのうちに聞けるよう言葉を選び、 話さなければなりません。 重大なことを話す時は、相手と自分を、第三者の目で観て 十分に言葉を選び、何度も練習してから話すようにしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402180000/ 「魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。 愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけることです。 美女の心得です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403280000/「小さな親切、小さな愛の言葉があれば、 今日という一日、天と通じることができるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208100000/「自分の発した言葉は全て自分に跳ね返るのです。 バカヤローは自分にバカヤローと言っているのと同じ。。 だから日を追うごとに運勢が堕ちていきます。 ツイテル。。ツイテルと呟いていれば、 確かにツイテくるのです。 他人に語りかける言葉は、自分に語りかける言葉です。 他人を元気づける言葉は自分が元気になります。 他人を認める言葉は、自分も認めることになります。 他人を肯定する言葉は、自分を肯定することになります。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312250001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312250002/「誰かを傷つけるようなことを言うたびに、 あなたは同じような傷を、 他人だけではなく自分にも残しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412100000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.27
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「迷った時は 「人間としてどちらが正しいか」 ということで判断して行動すれば、 たとえ失敗しても後悔することはありません。」 地上という魂の修行の場で生かさせて頂いていると、どうして良いか分からないことに遭遇し、その判断に迷いが生じることが少なくないと思うのです。迷いが生じるような経験をさせて頂くこともまた、魂の修行なのだと思うのです。天が地上の私たちを見て下さっているのは、私たちの心のあり方だと思うのです。それ故に、同じ修行をさせて頂くのでも、人としてあるべき正しい心のあり方で、物事を判断することができるよう、正しい修業をさせて頂くことが大切だと思うのです。同じ修行の場でも、正しい修業をさせて頂けば、正しき道を歩ませて頂くことに。。。正しい修行に外れたことをすれば、正しくない道を進み、より修行が必要な点を増やしてしまうことに。。。修行をさせて頂く為に、修行ができる地上に生まれる機会を与えて頂いているにもかかわらず、修行すべき点を増やしてしまうようなことのないように、天は私たちに、「何が正しいかその全てを知っている良心」を授けて下さっているのだと思うのです。天法の写しである良心は、 魂を磨かせて頂く為に必要な心のあり方の道標。。。 人としてあるべき正しい心の道へお導き下さる心の羅針盤。。。だと思うのです。迷いが生じた時に、迷いに動揺することなく、「人間としてどちらが正しいか。。。」を判断させて頂くときこそ、良心の声に耳を傾け、良心に従わせて頂くべきだと思うのです。例え、良心に従った判断が、 自分が不利になるようなことでも。。。 自分が損するようなことでも。。。 自分が負けるようなことでも。。。 自分が失敗するようなことでも。。。 自分が責められるようなことでも。。。 自分がバカにされるようなことでも。。。 自分が孤独になってしまうようなことでも。。。それが「人間として正しい」と良心が指し示し、導いて下さっているのであれば、良心に従うべきだと思うのです。良心に従ったその時こそ、上記のように見えたり、感じてしまうものですが、それは地上的ものごとの見方や判断、習慣等が、そのように見せたり、感じさせたりしているだけに過ぎず、魂の修行の為の人生という長期的視野や、天の視点から見れば、 良心に背くという不利に勝る不利は無し。。。 良心に背くという損に勝る損は無し。。。 良心に背くという負けに勝る負けなし。。。 良心に背くという失敗に勝る失敗なし。。。 良心に従うに勝るものはなし。。。ということだと思うのです。良心に従って生かさせて頂くことを常とすることこそ、本来あるべき心のあり方だと思うのですが、 「どうすれば良いか分からない」という状況や、 「頭では分かっているけど良心に背きたくなる」 「本当は〇〇をすべきなんだろうけど、 気持ちは△△の方に傾いている。。。 どうすれば良いのだろう。。。」という状況に追い込まれた時こそ、良心に従うべきだと思うのです。そういう状況に追い込まれるという経験は、 「いかなる時も良心に従うことができるかどうか。。。」 「いかなる時も人間として正しいことを選択、判断できるかどうか。。。」という大きなお試しでもあると思うのです。目には見えずとも、いつも私たちを見て下さっている天。。。その天が与えて下さった良心に従って生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の最短距離だと思うのです。その道は、地上的に不利、損、負け、失敗に見えたり、辛く苦しい道だったりすることもあると思うのですが、だからこそ、魂を磨くという修行になるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、地上的な有利、得、勝ち、成功ばかりの道では、修行が必要な私たちの魂は、直ぐに増長し、傲慢になる。。。底なしの欲を一時的に満たす快楽に溺れ、翻弄され、自分を失う。。。それでは、修行にならないばかりか、修行すべき点を増やす一方だと思うのです。地上という修業の場に身を置かせて頂きながらも、私たちの本質である心は、地上の現象や境遇を相手にするのではなく、天や天から授かった良心を相手に生かさせて頂く。。。地上的価値観によるどのような境遇に遭遇しようと、そういう生き方をさせて頂いていれば、後悔することなどないと思うのです。地上という修業の場で、良心に従って生きる、という自分に嘘偽りのない生き方をさせて頂くからこそ、地上でも、天に帰還しても後悔しないのだと思うのです。天に帰還して、後悔してもしきれない後悔に苛まれるのは、 自分の魂の修正や成長の為に、良心という心のあり方の道標や 心の羅針盤を与えて頂いていたにもかかわらず、 その良心に従うこと無く生きてしまった。。。 修行の場に生まれたにもかかわらず修行をしなかった。。。そういう自分を振り返えさせられるからだと思うのです。天に帰還してから大後悔するよりも、地上という修業の場で生かさせて頂いている間に、後悔した方が良いと思うのです。それまでの自分の生き方を省みて後悔を感じ、 「良心に従って生きることこそ大切!」と気づいたその時から良心に従って生かさせて頂けば、地上においても、天に帰還してからも、後悔は少なくなると思うのです。迷いが生じた時も、迷いがない時も、冷静に、客観的に、自分の心のあり方や言動が、良心に従っているかどうかを自分で注視しながら、生かさせて頂きたいものですね。源光「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/ 「幸せへの近道は、でこぼこ道。 されど一本道。太陽の道。 汝、安易な道を歩むなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108270000/「その道が正しい道なのか、天は教えてくれないのです。 そのために天は、良心という羅針盤を人に与えました。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.26
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「原因なしに起きる結果は 絶対にないのです。 蒔かぬ種は絶対に生えないが、 蒔いた種は必ず生えるのです。 種の種類によるのです。 善の種を蒔くことですよ。 悪の種など絶対に撒いてはいけません。 芥子の花が咲きますから。。」 因果応報。。。それが善行であろうと、悪行であろうと、自分がした行いの報いは、巡り巡って自分に還って来る。。。自分が蒔いた種さんは、本人の意思に関係なく、自分で刈り取ることになる。。。過去の自分の行いの報いは、現在や未来の自分に還ってくる。。。現在の自分の行いの報いは、未来の自分に還ってくる。。。同じように、過去生の自分の行いの報いは、今生や来世の自分に還ってくる。。。今生の自分の行いの報いは、今生や来世の自分に還ってくる。。。のだと思うのです。過去の善行は、徳となって、現在や未来の良いことに♪過去の悪行は、業となって、現在や未来の試練や苦難に。。。現在の善行は、徳となって、未来の良いことに♪現在の悪行は、業となって、未来の試練や苦難に。。。因果応報は、単純にこういうことなのだと思うです。良心に常に従って天に続く道を歩ませて頂こうと、良心に背き、邪念や悪に心を支配されようと、どちらを選択するのも私たちの自由。。。自由であるが故に、自ら選択したことに対する責任は、自分でとらせて頂くことが筋。。。例え、責任逃れをしようとしても、この世的に責任逃れが出来たとしても、私たちの本質である魂が負うべき責任は、本人の意思に関係なく背負わせて頂くことに。。。天は私たちの表面的な言動ではなく、その言動の元になっている私たちの内面である心のあり方こそご覧になられており、その全てを見透かしていらっしゃられると思うのです。だからこそ、日頃から良心に従って、自分に恥じない生き方、良心に恥じない生き方、天に恥じない生き方をさせて頂くことを常とし、自分の心のあり方や言動に気を配りながら過ごさせて頂きたいものですね。--------【善因善果】「良いこと」という善果は、善行という徳を積ませて頂くことから生まれるものだと思うのです。善行は積むもの。「積む」は、繰り返し行うこと、蓄えること、貯めること。。。繰り返し行うことも、蓄えることも、貯めることも、コツコツとした地味で地道な努力が必要な行いだと思うのです。地味で地道な努力が必要な行いをコツコツと積み重ねさせて頂くことによって、何ごとがあっても揺らがない心、ぶれない心が育まれ、更にゆっくりと磨かれ、美しい心が築かれていくのだと思うのです。同じ「善行」でも、色々あると思うのです。純粋な心から生まれる善意による善行もあれば、何らかの見返りを求める下心から生まれる「表面的」「見せ掛けだけ」の善行もあると思うのです。当初は、純粋な心から生まれる善意で善行をさせて頂いていても、時間の経過とともに、何らかの見返りを求めるようになってしまうことも、無きにしも非ずだと思うのです。人の心はそれくらいに移ろい易いものだと思うのです。それ故に、天の立場になって観させて頂くと、人の善行の真意をゆっくりと見極めさせて頂く時間が必要ということでもあると思うのです。それほどまでに天にお見守り頂いている私たちは、天に心から感謝させて頂きながら、天(天法)にも、自分にも恥じることのないよう、良心に従って、コツコツと、地道に善行を積ませて頂きながら、生かさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。いつの日か、自分の行いの積み重ねを真の「善」として、天がお認め下さったときに「良いこと」が降ってくるのだと思うのですが、それは私たちが天に要求するようなものではないが故に、それを期待することなく、ただただ善行を積み重ねさせて頂いていればそれで良いのだと思うのです。--------【悪因悪果】「悪いこと」という悪果は、悪行という業を積むことから生まれるものだと思うのです。悪行は耽るもの。「耽る」は、一つのものごとに熱中すること。。。見方を変えさせて頂くと、周りが見えなくなる。。。見えなくさせられている。。。ということでもあると思うのです。自ら抱いた邪念や、その邪念によって引き寄せられた悪魔に心を支配され、悪行に耽ってしまう。。。悪行をさせているのが、自ら抱いた邪念や、その邪念によって自ら引き寄せた悪魔であったとしても、 その邪念を生み出しているのは自分自身。。。 悪魔を引き寄せるような邪念を生み出したのも自分自身。。。であることを考えると、悪行の責任の所在は、やはり自分にあると思うのです。例え、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、どんなにか「これは悪行ではない!」と主張しても、「これは悪行ではない!」とする言動を生み出した時の心のあり方が良心に背いていたり、天法に外れた言動であったことさえも見透かされていれば、もはや弁解の余地はないと思うのです。自分の悪行に対して、悪果という報いを受けるのは、過去に自分が人様にしてしまった言動により、人様を苦しめ、悩ませ、悲しませるなど、人様がどのような思いをされたのか。。。それを自ら体験させて頂くことを通じて、過去の自分が如何に酷いことをしてきたかを自ら知り、心から反省し、心のあり方を正させて頂くことに、その目的があるのだと思うのです。とはいえ、心から反省させて頂くことができ、心のあり方が美しく正しくなっただけでは、それは自分だけのことで、自分の言動により人様を苦しめ、悩ませ、悲しませた、という悪行から生じた業は償われていないと思うのです。その業を償わさせて(清算させて)頂く為には、その逆のことをさせて頂けば良いと思うのです。それが、 【人様のお役に立つことをさせて頂くこと】 【人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと】なのだと思うのです。【人様のお役に立つことをさせて頂くこと】や【人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと】は、人様の喜びを自分の喜びとさせて頂く、という利他心であり、奉仕の心そのものだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち故に、人様を思い遣る心を持たせて頂き、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂く、という自らの善行によって、不完全な私たちが自ら積んでしまった業を、解消・清算させて頂くことができるのだと思うのです。だからこそ、天から授かった【何が正しいかその全てを知っている良心】に従って、人様にお喜び頂き、笑顔になって頂けるように、【人様のお役に立つこと】や【人様にお喜び頂けること】を積極的にさせて頂くことが大切なのだと思うのです。業を積んでしまうのは、良心に背き、「自分さえ良ければそれで良い。」という利己心で、自分がされて嬉しくない悪行を人様にしてしまうから。。。徳を積ませて頂くことができるのは、良心に従って、「人様に喜んで頂けたら自分も嬉しいなぁ♪」という利他心で、自分がされて嬉しいと感じるような善行を人様にさせて頂くから。。。積んでしまった業を解消・清算できるのは、改心と善行。。。そのことを忘れずに、日々の自分の心のあり方や言動に気を付けながら過ごさせて頂きたいものですね。 --------因果応報。。。善の種さんをまかせて頂く時、自分が出し惜しみをすれば、巡り巡って返って来るものも、自分が出し惜しみをしたその姿勢に相応しいものになるのだと思うのです。善の種さんをまかせて頂く時、出し惜しみすることなく、その時の自分に出来る全てを捧げれば、巡り巡って返ってくるものも、その時の自分に出来る全てを捧げたその姿勢に相応しいものになるのだと思うのです。とはいえ、出し惜しみすることなく、全ての種さんを蒔くときも、その見返り(豊かな実り)の大きさを期待するなどの下心は抱かない方が良いと思うのです。自分の下心を添えた種さんを蒔くということは、巡り巡って返ってくるものも、見返りを期待している相手の下心が添えられたものになる、ということになると思うのです。種さんを蒔かせて頂くときは、 「元気に育ちますように♪」 「人様のお役に立たせて頂くことができ、 人様にお喜び頂くことができ、 人様に笑顔になって頂けたら、 自分も嬉しいなぁ~♪」という純粋な心で、種さんの段階から愛情込めて蒔かせて頂くことが大切なのだと思うのです。愛情を添えられた種さんからは、愛情を栄養にした実りが育まれると思うのです。その逆も然りであることを考えると、それが些細なことであろうと、大きなことであろうと、真心、愛情を込めてさせて頂きたいものですね。源光 「身の回りで起こる、どんな良い事も悪い事も、 自分に無縁なものはありません。 全てに原因があるのですから、 今から善因の種を撒いて生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200000/「原因のない結果はありません。 原因を探求し続ける力が、 人を発見者にも偉人にも 成功者にも覚者にもするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405040000/「もしあなたが、不運な状態にあるのなら、 それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。 あなたが幸運に恵まれているのなら、 それもあなたがそうなるように仕向けた結果です。 天は、全てを知っていますから、自らを律して、 良心に恥じない自分であり続けましょう。 開運の鍵はあなたの目の前にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305020000/「良いことも、悪いことも、現在、 あなたがその状態を保持する努力をしない限り、 永久に続くことはなく、たえず変化していきます。 良いことが続くとき。。あるいは悪いことが続くとき。。 自分で、その状態を保持しようと、 知らず知らず自分自身が、努力しているわけです。 日々、明るく生きることですよ。。 冗談を言って笑いあうことですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310270000/「人はある運命に出会う以前に 自分がその運命の種を蒔いているのです。 良運の種も、悪運の種も。。。。 過去の自分が蒔いたのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509100000/ 「あなたの現在の人生は、 過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「社会の未来予知はできなくても 自分の未来予知は簡単に出来るのです。 実は誰でも未来を思考の力で 無意識に作り出しているのです。。。 いつも思っている自分が未来の自分です。 不幸になりたければ不幸な自分を想像し、 幸せになりたければ未来を具体的に 明るく想像すればよいのです。 ただそれだけのことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501110000/ 「何事も行き着く所に落ち着くものです。 今の自分の延長が未来の自分に相違ありません。 今の自分が気に入らないのであれば 今すぐに、より良い方向に軌道修正することです。 簡単なことですよ。 笑顔で自分の良心と対話するだけのことです。 答えはすぐ返ってきます。 それは安易な道ではないはず。。 だからこそ人生は楽しいのです。 良心と共に歩んで行くのならば 大いなる雲に乗って 光の世界へ導かれるでしょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505160000/「人は過去の自分の総決算をしなければなりません。。。 決算が終了すれば、新しい世界が拓けていきます。。。 あなたの思い通り。。。自由自在に。。 次に業を持ち越してもいいのですが、 今世、さらに業を増やすことだけはしないことですよ。」(ラクシュミーさん)「地上の生活は、個人も国家も 紛れもなく因果応報の法則で動いていますが、 原因は、常に結果の間近にあるわけではありません。 今世の業は、数年後に表面化するのが普通、 前世の業は数百年後に表面化するのです。 平常心で業を受け止め、 「なぜ自分ばかりこんな目に合うのか!!」と 嘆かず怒らず、責任転嫁せず、良心に従って、 笑い飛ばして生きていけば、すべての業は消滅します。 それどころか、驚くほどの御褒美が天から降ってくるのです。」(ラクシュミーさん)「人は皆、心の中の不正義と闘わなければなりません。 不正義は、常に甘美な誘惑であなたを誘うのです。 不正義に魂を売れば、元に戻るのは至難の技。。。 業を修正するのも至難の技となっていきます。」(ラクシュミーさん)「地上は、自由にしていられる場として創られたのです。 ですから善行をするも悪行をするも自由です。 ただ因果応報の法則が働く。。。 前世の善行や習得した技術は今世の才能として持ち越しています。 今世、修正出来なかった業は次に持ち越される。 ただそれだけのこと。。。全て自分の責任です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508090000/「愛の種を撒けば愛のお花畑になり、 芥子の種を撒けば、芥子の花が咲く。 当然のことですね。 良心の美しい花を咲かせましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.25
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「完璧な妻とは、 完璧な夫を期待しない女性です。 完璧な夫とは 完璧な妻を期待しない男性です。」自分では気づいていなくても、知らず知らずの内に、自分のことは棚に上げて、相手にばかり完璧なことを期待したり、要求してしまう。。。そういうことがあると思うのです。相手に完璧を期待したり、要求したい時や既にして期待・要求してしまっているときは、相手に完璧を期待したり、要求できるほど、自分が完璧であるかを、冷静に考えてみるべきだと思うのです。そもそも私たちは、不完全で至らない点があるからこそ、地上という修業の場で魂の修正や成長をさせて頂く機会を与えて頂いているのだと思うのです。そんな不完全で至らない点のある自分が、さも自分は完璧であるかのように振る舞い、思い込み、勘違いをし、自分のことは棚に上げて、相手にばかり完璧を期待し、要求してしまう。。。そのような心のあり方や言動をとってしまう姿勢こそ、「不完全で至らない点」であると思うのですが、それに気づくことができないこともまた、「不完全で至らない点」であり、それを自ら露呈していることに気付けないことも、「不完全で至らない点」だと思うのです。そんな「不完全で至らない点」ばかりの自分から、完璧を期待されたり、要求されても、期待され、要求された側からすれば、 「あなたはどうなの? 私に言えるほど、私の期待や要求に、 完璧に応えているの?」という不平不満や怒りを募らせてしまうだけだと思うのです。つまらないことで不仲になってしまうことのないように、相手に完璧を期待したり、要求するのではなく、 自分にはなく相手が持っているものを尊重させて頂く。。。 自分にはあり相手が持っていないものを 相手の為に活かさせて頂く。。。など、各々の特技や能力はお互いの為に活かし、各々の不完全で至らない部分は、各々の特技や能力で補い合い、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合って過ごさせて頂くことが大切だと思うのです。相手に完璧を期待し、要求することは、相手にストレスをかけ、不平不満や怒りを募らせるばかりか、相手が本来持っている特技や能力を、かえって活かせないようにさせてしまうこともあると思うのです。反面、相手に完璧を期待されたり、要求されることなく、自分自身や自分の特技や能力を尊重され、それが相手の役に立ち、喜んで頂ければ、ますます特技や能力は向上するだけでなく、違った側面の技術や能力が開花することもあると思うのです。だからこそ、相手に完璧を期待したり、要求することなく、相手を尊重し、相手の特技や能力を見つけ、より活かせるようにして差し上げたいものですね。お互いがお互いに対してそのようにさせて頂くことは、お互いがお互いを育み合っていることになり、お互いがお互いにとって、より大切な存在になっていくのだと思うのです。--------自分が持っていないものを相手が持っていたり。。。相手が持っていないものを自分がもっていたり。。。自分は相手にとってどんな存在なのか。。。相手は自分にとってどんな存在なのか。。。相手に惹かれるものの中に自分の至らない点や、自分の心が求めているものを見出したり。。。自分一人では、いつまでも気付けないことが、相手の存在によって気付かさせて頂いたり。。。心を許せる相手と一緒にいることによって、それまで経験したことのないような安堵を感じたり。。。相手の存在によって、自分が本来の自分になったり。。。自分の存在によって、相手が本来の相手になったり。。。結婚すると、相手という存在のお陰様で、色々なことを感じたり、知ったり、気付いたり、本当の自分の姿を垣間見たりすることがあると思うのです。時には、相手の存在によって、時を超えた古い記憶に触れ、何かを思い出すことさえあると思うのです。そのような自分と相手も、至らないもの同士、であることには変わらないと思うのです。至らないもの同士でも、否、至らないもの同士だからこそ、「我を張らなければ」、各々の至らない点を、お互いの良い点で補い合うことができる、ということでもあると思うのです。個々に観れば、50点同士であったとしても、自分が獲得できなかった50点を相手に補って頂き、相手が獲得できなかった50点を自分が補わせて頂けば、二人で100点だったものが、二人で200点になると思うのです。自分だけでは得たり、見い出すことができなかったものが、お互い様の心で補い合うだけで、得たり、見い出すことができるようになるのであれば、二人がお互いに助け合い、支え合い、協力し合えば、その相乗効果により、得たり、見い出せることは、何倍、何十倍、何百倍にも膨れ上がっていくのだと思うのです。反対に、いがみ合ったり、罵り合ったり、自分のことは棚に上げて、相手の至らない点についてああだこうだと不平、不満、愚痴を言い合っていては、自分や相手が本来持っているであろう特技や能力さえ有意義に活かさせて頂くことができないどころか、自分も相手も、自ら自分で自分を貶めてしまうことになってしまうと思うのです。-------- 結婚は、その字の如く、結ばれて、一つになること。。。 (婚は男女が交わること=一つになること)二人で一つ。。。自分と相手という夫婦だからこそできる何か。。。自分と相手という夫婦にしかできない何か。。。があると思うのです。それは夫婦の数だけあるのだと思うのです。それを夫婦で助け合い、支え合い、補い合い、協力し合って見つけ出させて頂き、それを夫婦や家族の為だけではなく、人様のお役に立つよう、人様にお喜び頂けるようなことに活かさせて頂きたいものですね。その為には、日頃から、お互いに相手を思い遣る心をもって、助け合い、支え合い、協力し合い、時には、励まし合いながら、明るく、元気に、仲良く、笑顔で過ごさせて頂くことが大切なのだと思うのです。源光「男と女は支えあって生きるのです。 こう断言できる、真実のパートナーを持ちえた人は、 人生の勝者です。 一人でいた時の十倍ものパワーがありますから 何にでも二人で挑戦してください。 必ず思い通りの人生になっていきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601220000/ 「夫婦円満のために 干渉しない時間を持ちましょう。 そっと相手をひとりにしてあげましょう。 夫婦で同じ屋根の下で暮らしているからこそ プライベートの時間が必要なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602060000/ 「男と女は、互いに相手の長所と欠点を併せて愛せなければ、 いずれ別れることになるでしょう。 相手の全てを愛し、そして許してこそ 真実の夫婦になれるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401110000/「二人三脚で走る。。歩く。。散歩する。。語り合う。。 夫婦で力を合わせると素晴らしい世界が開けます。。 いつも二人三脚ではなく個人の時間も大切にしている夫婦は、 年齢を重ねるごとに幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160000/「互いを束縛しないことです。 互いを結ぶ紐は解けやすくしておいて、自由なのがよいのです。 豊かな心は、思いやりと愛を育みます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402220000/「互いを監視するのはやめましょう。 あなたが自由になれば、相手も自由になれます。 人は、相手を拘束した分だけ、自分も拘束されるのです。 愛とは、互いを信頼すること。。拘束することではありません。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402160000/ 「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「永遠の夫婦とは愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402060000/「完璧な自分を創ろうとしても時を無駄にしているだけです。 完璧な恋人を探そうとしても時を無駄にしているだけです。 完璧な妻(夫)になろうとしても時を無駄にしているだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407220000/ 「他人にも自分にも完全を求めてはいけないのです。 不完全の中に美しさ清らかさを見つけてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203020000/ 「完全を求めることは、人間の心を悩ませる最悪の病です。 そもそも、地上に完全など存在しないのです。 思い悩む必要はありません。 理想の半分出来れば100点満点です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405230000/ 「有史以来、地上に完璧な人が生まれたことはありません。 みんな、みんな不完全。 だからこそ助け合って生きるのは当然ですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210150000/「地上に完璧なものはありません。 しかし無償の愛はあります。 無償の愛のみが天に通じるのです。(一部抜粋)」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206030000/ 「他人に対して、多くを求めないことですよ。 自らの努力と愛に期待しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306240000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.24
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「自分に正直に自由に生きるべきです。 しかし自由は無制限ではありません。 他の人に迷惑をかけてはならないのです。 と言っても人に迷惑をかけずに生きること自体不可能。。 それが人間社会です。 ですから良心に恥じることをしてはいけないのです。」 「 自由と責任 」「自由」という言葉は、「自分の好き放題、やりたい放題」などと解釈されることが多いですが、それは「自分勝手」「自己本位」「我が儘」であり、「自由」という言葉を、自分に都合良く解釈して、自分の解釈する「自由」を正当化しようとしている弁解に過ぎないと思うのです。「自由」は、何かに強制されたり、拘束されることなく、仮に何かに強制されたり、拘束されても、それらから解放され、自分らしく、自分に正直に、自分の信念に従って生かさせて頂くことであると同時に、自分の言動に「責任」をもって生かさせて頂くことでもあると思うのです。自分らしく、自分に正直に、自分の信念に従って、「自由」に生かさせて頂くからには、それなりの「責任」が伴うのは、極自然なことだと思うのです。「自由」だけを望んでも、それは単なる自分勝手、自己本位、我儘で、「無責任」だと思うのです。「責任」だけ与えられても、「責任」だけ負わされても、それは「不自由」だと思うのです。「自由」と「責任」は、背中合わせだと思うのです。自分勝手、自己本位、我儘は、人様にご迷惑をお掛けすると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない世の中(人間社会)は、各々が魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上で修業をさせて頂いている不完全で至らない点のある人間同士が共存している場だと思うのです。ただでさえ不完全で至らない点がある人間同士故に、自分ではそのつもりは無くても、知らず知らずの内に、人様にご迷惑をお掛けしてしまっているものだと思うのです。そんな不完全で至らない点のある私たちだからこそ、 「自分さえ良ければそれで良い」という「自分の好き放題、やりたい放題」の自由観や利己的で無責任な心のあり方や言動をするのではなく、 (無責任な生き方をするのもまた自由だと思うのですが、 魂の修正や成長をさせて頂く為に 修行をさせて頂いている私たちにもかかわらず、 無責任な生き方をするということは、 自ら修正すべき点を増やし、自分を貶めている 生き方だと思うのです。)可能な限り人様にご迷惑をお掛けすることのないよう、お互いがお互いを思い遣る利他の心をもって、自由と同時に責任のある言動をさせて頂くことを心がけ、実践させて頂くことこそ、魂の修正や成長を促す心のあり方であり、生き方だと思うのです。そのような心のあり方や生き方は、 自分に恥じない自由な生き方。。。 自分に恥じない責任ある生き方。。。 良心に恥じない生き方。。。だと思うのです。自分が「自由にしたい。。。」と思っていることが、 人様にご迷惑をお掛けすることではないか。。。 家族に迷惑をかけることではないか。。。 人様を蔑にした自分勝手なことではないか。。。 家族を蔑にした我儘なことではないか。。。 人様にご迷惑をお掛けしても責任が取れることか。。。 家族に迷惑をかけても責任が取れることか。。。 「自由にしたい」が為にあれこれ弁解を生み出していないか。。。を良く考えさせて頂くことが大切だと思うのです。良く考えることから逃げている時、「自由にしたい」という欲に翻弄されているのだと思うのです。「自由にしたい」という思いについて、冷静に、客観的に自分を見つめて、良く考えさせて頂いている時、良心に従っていると思うのです。善因善果。。。悪因悪果。。。何をさせて頂くにも自由だと思うのですが、その自由な言動から生じた結果は受け入れない、受け留めない、という「無責任」はこの世で通じても、私たちの本質である魂の世界では通用しないと思うのです。だからこそ「自由」を自分勝手に好きなようにして良いこと、などと捉えることなく、自由と責任はコインの裏表の関係にあることを良くわきまえさせて頂き、良心の声に従って、自分に恥じることのないように生かさせて頂きたいものですね。源光「地上は、自由にしていられる場として創られたのです。 ですから善行をするも悪行をするも自由です。 ただ因果応報の法則が働く。。。 前世の善行や習得した技術は今世の才能として持ち越しています。 今世、修正出来なかった業は次に持ち越される。 ただそれだけのこと。。。全て自分の責任です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508090000/「人と同じことをしなければならない。。 というのは単なる思い込みです。 良心に恥じず人様に迷惑を掛けないのであれば 何でもやってみることです。 そしてダメなら即、中止する勇気が必要です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402020000/「長所も短所も両方あるのが人間ですよね。 短所もあるところでは長所として働きますが、 普通は人様に迷惑をかけます。 反省心という宝物で修正して 生きて行かねばなりませんね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210130000/「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「人は行動すれば必ず後悔はつきまとうのです。 しかし、行動しなければこれまた後悔となります。 良心に照らして正しいのならば躊躇なく行動することです。 その結果は全て自分の責任です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505130000/「汝、良心に恥じず堂々と背筋を伸ばして生きよ。 天は汝と共に生きるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111230000/「他人の目を気にせず、おおらかに 自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「良心に従って生きてください。 他人の批判を恐れ、人生を台無しにしてはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206220000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.23
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「人の精神は目に現れるのです。 ですから、人を見る時には、目を見ればよいのです。」「目は心の鏡」。。。「目は口ほどにものを言う」。。。「目は心の窓」。。。私たちの目は、心の中を映し出す鏡であるが故に、その時の自分の心の状況がそのまま目に表れる、ということが良くあると思うのです。目だけでなく、身体の動きにも、それが表れてくることも多々あると思うのです。 (どんなにかポーカーフェイスを装っても、 ちょっとした心の動きが目に表れてしまうのだと思うのです。 自分では隠し通しているつもりでも、観る人が観れば、 分かってしまうものなのだと思うのです。)心が動揺しているとき。。。目がキョロキョロしていると思うのです。 (身体は目のキョロキョロと同じように、 落ち着きがない動きをすると思うのです。)心が本当に楽しんでいたり、喜びを感じていると、目も身体も一緒になって笑いを表現すると思うのです。 (身体はその楽しさや喜びを両手を上げたりするなど、 様々な形でそれを表現すると思うのです。)自分の意志を強くアピールしているとき。。。その強い意志が目力や語気に表れ、目を見開いたりすると思うのです。 (身体も目力や語気に合った力強い動きをすると思うのです。) 怒りを感じるなど、感情的になっている時。。。目に角を立てて目つきが鋭くなると思うのです。 (感情を抑えている時は身体がわなわな震えたり、 感情を出している時は漲る力を開放するかのように、 力強く大きな動きをすると思うのです。)心ここにあらずで、心が上の空のとき。。。うつろな目つきになっていると思うのです。一瞬一瞬の心の状態が、目の輝きや目の生気、目の動き、目つきなど、様々な形で表れてしまうものだと思うのです。それ故に、相手の本心を知りたいときは、相手の顔をじっと見つめれば、相手の方の心の動きが目に現れるが故に、相手が何を考えているのか、相手が何を感じているのか、などが良く分かるのだと思うのです。普段、「見つめられる」ということに慣れていなければいないほど、思いもよらない「見つめられる」という行いに、見つめられる側は、 「?」と思ったり、 「!?」と思ったり、 「!!」と思ったり、はたまた、照れたり、笑ってしまったりするなど、色々な目の動きや表情が現れやすいと思うのです。時として、自分が相手を見つめることで、相手が動揺することがあると思うのです。目がキョロキョロするだけでなく、その心の動揺を隠そうとして言葉がどもってしまったり。。。落ち着きのない態度になったり。。。何も言われていないのに自分勝手に弁解を始めたり。。。一人で勝手に開き直ったり。。。逆切れしたり。。。などということもあると思うのです。目の動きや表情だけでなく、その不自然な言動や態度こそ、見つめている側からすれば、より分かり易いものになると思うのです。--------「目は心の鏡」。。。 「目は口ほどにものを言う」。。。「瞳」が綺麗な方は、その人の心が美しいのだと思うのです。 (「瞳=人美(ひとみ)」)「瞳」が綺麗な方は、その人の身も綺麗なのだと思うのです。 (「瞳=人身(ひとみ)」)「瞳」が綺麗な方は、心の瞳「心眼」で真実を見据えていると思うのです。 (「瞳=一実(ひとみ)」) 心の鏡である自分の目だけでなく、自分自身そのものが心の美しさで光り輝けるように、そして、もともと自分がもっていた心の美しさを思い出し、それを取り戻させて頂き、目も心も美しくなるよう、自分磨きをさせて頂きたいものですね。源光「目はその人の心を映し出す鏡のようなものです。 目を見ればその人の心のさまが読み取れるもの。。。 心が清く正しい人は、瞳も澄んでいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501250000/ 「外見、物腰、言葉使い、経歴、肩書きなどに頼らず、 その人の瞳を観て 正義の人であるかどうかを観てください。 瞳だけは、決して嘘がつけないものなのです。 自分自身の良心を秤にすれば、欲得を隠した偽善は、 必ず見抜けるのです。」(ラクシュミーさん)「心は瞳に宿っていますよ。 相手の目をしっかりと観てくださいね。 その方が、真実を語っているかどうかが分かりますから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201301170000/「相手の本心を知りたければ、 相手の顔をじっと見つめることですよ。 表情を見ていると、あなたをどう思っているのかは、 すぐわかります。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407300000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/ (心でどう思ったか。。。 瞳にはそれが正直に表れるのだと思うのです。 それを隠そうとして、様々な言動をすればするほど、 瞳には焦りが映し出されるものなのだと思うのです。)【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.22
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「人の幸福は人の幸福、 人の価値観は人の価値観です。 幸福になる方法は、 自分で実験してみなければ分からないのです。」自分は自分。。。人様は人様。。。自分の人生という魂のキャンバスを、自分色に染め上げる。。。自分の人生という魂のキャンバスに、自分の人生を描いていく。。。それが、自分らしさであり、ありのままの自分であり、自然体の自分であり、魂が喜ぶ生き方であり、今生を最も充実させ、最も幸せに過ごさせて頂くことができる究極の生き方なのだと思うのです。--------自分は自分。。。人様は人様。。。自分の人生は、「自分」という意識のある私たちが、「自分」の魂の修正や成長をさせて頂くことを通じて、幸せになる為に自ら設計してきたものだと思うのです。人様の人生は、「自分」という意識のある人様が、人様の魂の修正や成長をさせて頂くことを通じて、幸せになる為に人様が設計してきたものだと思うのです。ということは、自分の人生は、自分だけしか経験できない自分で作った世界でたった一つの貴重なもの。。。人様の人生は、人様だけしか経験できない人様が作った世界でたった一つの貴重なもの。。。時に、人様の人生と自分の人生を比較して、人様の人生の方が良く見えてしまうことがあるものですが、人様の人生は、人様が幸せになる為に人様が自ら設計してきた「人様の人生」故に、その人様の人生が良く見えて、それを真似してみても、それは自分が幸せになる為のものではないが故に、自分が幸せになれることはないのだと思うのです。「自分」という意識を持って生かさせて頂いている私たち。。。自分の魂の修正や成長をさせて頂く為に、自ら設計してきた「自分の人生」を歩ませて頂くことこそ、幸福を感じる生き方なのだと思うのです。その自ら設計してきた「自分の人生」を見つける為、思い出させて頂く為には、様々なことを経験したり、実践させて頂くという「実験」が必要だと思うのです。色々なことを経験、実践するという「実験」を試みると、 「思い描いていたよりも、 実際にやってみたらすごく面白かった♬ もっとやってみよう♬」 「思い描いていたよりも、 実際にやってみたら面白くなかった。。。 もっと心から楽しめるものを探そう♬」 「これだ! 本当に自分がやりたいことは! やっと見つけたぞ! 誰に何と言われようと関係ない! これが自分のやりたいことだ!」 「興味もなかった。。。 やりたいとも思わなかった。。。 でも、やって見たら興味が湧いてきた♬ というよりも、 昔から知っていたような。。。 昔からやってきたような。。。 懐かしい感じがする♬」 「〇〇さんのやっていることが良さそうに見えたけど、 実際にやってみたら自分には合っていなかった。。。 〇〇さんだからこそ、合っていたんだなぁ。。。」 「〇〇さんのやっていること。。。 自分にも出来そうだなぁ、 出来たら面白いだろうなぁ、 と思ってやってみた。。。 出来るには出来るんだけど、 心に響く面白さがなかった。。。 もっと、こう心がワクワクするようなことを やりたいなぁ~♬」 「〇〇さんのやっていること。。。 簡単そうに見えたからやってみたけれど、 とても自分には出来ないや。。。 簡単にできそうに見えるほどに、 人知れず努力をされてきたんだなぁ。。。 努力を努力と思わないような 自分が本当にしたいことをやろう♬」などなど、実験をさせて頂いたからこそ 分かること 感じること 思い出せることがあると思うのです。だからこそ、良心に恥じず、人様にご迷惑をお掛けしないことであれば、実験を試みることが大切だと思うのです。例え、 隣の芝生は青い。。。 隣の花は赤い。。。と見えてしまうことがあっても、それは、 自分の芝生は誰にも真似できない自分色♬ 自分の花は誰にも真似できない自分色♬という世界でたった一つの自分や自分色であることがどれほどに貴重で素晴らしいことかの裏返しでもあると思うのです。色鉛筆や絵の具、クレヨン、色紙などに様々な色があり、その使用頻度にこそ差はあれど、ここぞという時に必要とされる色があるのと同じように、自分色という個性、特技、能力も、どなた様かにとって必要とされるもの故に、「自分」が存在させて頂いている。。。そういうものだと思うのです。人様の芝や花の色に目を向けるのではなく、自分の芝や花の色にこそ目を向け、自分が想い描く色、自分がなりたい色になれるよう自分を育ませて頂く。。。それこそ、自分の人生を歩む、ということだと思うのです。私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、過去生における経験、様々な点において、十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。それならば、 自分は自分! 人様は人様!で、自分は自分らしく、自分の魂が喜ぶことして、生かさせて頂くべきだと思うのです。そのように生かさせて頂くことによって、自分に対する自信が育まれると思うのです。自信が育まれることによって、人様を羨むことがなくなると同時に、人様の個性を尊重することができるようになり、各々の個性や能力、特技を各々の為に活かすことができる、という美しい心と心の繋がりを育まれていくのだと思うのです。源光「究極の幸せとは、自分しか歩けない道を、 自分で探し出して自分の足で歩いて行くことです。 歩いていますか?人の道ではない自分の道を。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507100000/ 「隣の花は赤いのです。 他人のものは何でもよく見えて、うらやましく思えるもの。 他人の持つ珍しいものはすぐに欲しがるもの。 これって実にくだらないことです。 あなたの方がずっとすごいものを持っているのです。 気付いていますか?自分の宝物に。。。 遥か昔から、何度も何度も 生を繰り返して体得してきたものを。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502020000/ 「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。 コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが 世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/ 「自分の生きる人生を愛してください。 人の愛する人生ではなく 自分の愛する人生を生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050002/ 「前進しているつもりかも知れませんが、 他人の後ろから行く人は、前進しているのではなく、 追従しているだけですから他人の道を行くだけで、 自分の進みたい道は拓かないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404190000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「自分が望んだように生き、そして、それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.21
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「大事な時間を雑事で浪費しないことです。 もっとやるべきことがあるはずです。」自分の人生全体から見たり、自分の魂から見れば、それが雑事であるにもかかわらず、その時の自分が、 「これが今の自分には大事!」 「これが今の自分には大切!」と思い込んだり、信じ込んだりしているが故に、それが雑事であることに気付くことができず、時間を浪費してしまうことがあると思うのです。はたまた、今すべき本当に大事なことは何か。。。今できる本当に大切なことは何か。。。を頭では分かっていながらも、 「目を背けたい。。。」 「逃げたい。。。」 「面倒くさいから後回しにしたい。。。」という気持ちから、他の何かをして自己満足を覚えようとして、容易にできることや、好きなこと、楽なことなどに目を向け、それが雑事であると分かっているにもかかわらず、 「これが今の自分には大事!」 「これが今の自分には大切!」と自分に言い聞かせて、他者には弁解して、意図的に時間を浪費してしまうことがあると思うのです。今すべきことを今せずに後悔するのは自分だと思うのです。。。今できることを今せずに後悔するのは自分だと思うのです。。。大事なことから目を背け、雑事で時間を浪費して、後悔するのは自分だと思うのです。。。「今」の自分がすべきことや、「今」の自分ができることを、「今」の自分がしなければ、「未来」の自分がすべきであろうことや、「未来」の自分ができるであろうことは、「未来」の自分もしないであろう、と思うのです。「未来」の自分がすべきであろうことや「未来」の自分ができるであろうことを「未来」の自分がするであろう自分を築くためには、「今」の自分がすべきことや、「今」の自分ができることを、「今」の自分がする。。。という、「今」大事なこと、「今」すべきこと、「今」できること、から目を背けることのない「今を生きる」姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。そういう姿勢で生かさせて頂いていれば、やるべきことをしっかりと遂行させて頂くことができると思うのです。何ごとも、物事には順番というものがあると思うのです。やるべきこと。。。それは裏を返させて頂くと、やらなければならないこと故に、 割愛できるものではない。。。 それをしなければ先に進まない。。。進めない。。。ということでもあると思うのです。やるべきことをやらない。。。ということは、自分勝手に割愛したり、自ら先に進まないようにしたり、自ら先に進めないようにして、自分で自分を貶めているようなものだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いている私たちが、 やるべきことに時間を投じない。。。 やらなくても良いことに時間を投じる。。。では、折角の修行の機会を無駄にしていると思うのです。自分の人生が刻一刻と終わりに向かっているにもかかわらず。。。例え、雑事に時間を投じて無駄に過ごしてしまっても、 「今やるべきことをやろう!」 「今すべきことをしなければ!」 「今できることを今しなくてどうする!」と気づかせて頂くことができたのであれば、雑事に投じた時間は無駄にはならないと思うのです。人生という魂の修行の機会を無駄にすることのないように、 「今やるべき今すべきこと」 「今やるべき今できること」は何かを真剣に模索させて頂き、それに意識と目を向けて行動を起こさせて頂く、という姿勢で生かさせて頂きたいものですね。--------「今」できること。。。「今」すべきこと。。。それは、その時の自分が出来ること故に、その時の自分がすべきこと故に、その時の自分がすることが最善故に、人知の及ばない天のお取り計らいによって、「今」与えて頂いているのだと思うのです。いわば、「チャンス」を与えて頂いている、ということだと思うのです。それにもかかわらず、自分勝手な自分基準によるものごとの判断や自分の感情や欲を優先してしまい、 「今」できること 「今」すべきことから目を背けてしまう。。。「今は他のことがやりたい。。。」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」「今はやる気がないからやりたくない。。。」「どうして自分がやらなければならないの。。。」などのような理由で、 「今」できること 「今」すべきことから目を背けたり。。。楽な方へ逃げたり。。。気付かない振りをしたり。。。しかしながら、天からすれば、「今は他のことがやりたい。。。」 →『その「他のこと」よりも、 すべきことがあるからこそ、 そのすべきことをするチャンスを 与えているのです♪」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」 →「すべきことは面倒くさいかもしれませんが、 それをやるからこそ修行になるのです♪ そして、先へ進めるのです♪」「今はやる気がないからやりたくない。。。」 →「やる気の有無に関係なく、 すべきことはすべき時に。。。 出来ることはできる時に。。。 ということがあるのです♪ やる気がないのはあなたの心のあり方の問題です♪」「どうして自分がやらなければならないの。。。」 →「あなたがすべきことに意味があるのです♪ あなたがすべきことであるにもかかわらず、 あなたがそれをしなければ先に進まないのです。 それは、あなただけでなく、 あなたと繋がっている方々も同じです。 自分の為だけではなく、自分と繋がっている人様の為にも、 すべきこと、できることを今しなければならないことがあるのです。」ということでもあると思うのです。そのような天の深遠で人知の及ばないご配慮、お取り計らいによる貴重なチャンス。。。そのチャンスに素直に従わせて頂き、 「今」すべきことを「今」させて頂く。。。 「今」できることを「今」させて頂く。。。という姿勢で生かさせて頂いていれば、 新たなすべきこと 新たな出来ることが増えてくると思うのです。そうやって、前進させて頂くことができることこそ、運が拓けていく、ということに他ならないと思うのです。「今」すべきことを「今」しない。。。「今」できることを「今」しない。。。楽をしよう。。。さぼろう。。。後回しにしよう。。。という姿勢では、「すべきこと」や「できること」をしていないが故に、先に進むことができず、停滞、はたまた、後退してしまうことにもなりかねないと思うのです。その結果、 新たなすべきこと 新たな出来ることを与えて頂くこともなく、前進もできなくなる。。。故に、運が拓けないのだと思うのです。楽をする。。。さぼる。。。後回しにする。。。本人としては、「楽な方」へ逃げているつもりでも、天から見れば、「落な方」へ落ちている。。。つまり、チャンスを自ら捨てている、ということだと思うのです。楽をしたいと思って楽をする。。。さぼりたいと思ってさぼる。。。後回しにしたいと思って後回しにする。。。自分の心に正直に動いているようで、その実態は、自分に与えて頂いている貴重なチャンスの中に、それがチャンスであることを見出すことができない自分や、「本当はやった方が良いのだろうけど。。。」と、それがチャンスや大切なことであると分かっている自分が、自分勝手な自分基準のものごとの見方で、そのチャンスを面倒臭いもの。。。やりたくないもの。。。として、そのチャンスから目を背けたり、逃げているだけだと思うのです。その時の自分がすべきことであろうと、その時の自分ができることであろうと、面倒臭いからやらない。。。やりたくないからやらない。。。という、現実から目を背けたい。。。逃げたい。。。という欲に心が支配されてしまっている。。。裏を変えさせて頂くと、自分で自分をコントロールできていない。。。ということだと思うのです。自分で自分をコントロールできない、というのは、見方を変えさせて頂くと、「良心」に従って生きていない。。。「良心」に恥じる生き方をしている。。。。ということでもあると思うのです。それでは、楽な方へ逃げて、チャンスを失うだけでなく、現状維持どころか、むしろ、自分で自分を貶め続け、後退させてしまうだけだと思うのです。そのようなことにならないようにする為には、その逆のことをさせて頂けば良いのだと思うのです。その時の自分に与えて頂いている 「今すべきこと」 「今できること」に意識を集中させて、 「今すべきことを今するからこそ意味があるんだ♪」 「今できることを今するからこそ先に進めるんだ♪」という心持ちで、前向き、積極的、肯定的、楽観的な姿勢で、すべきことやできることに取り組ませて頂けば良いと思うのです。時に、今すべきことや、今できることをしても、何らかの結果がすぐには出ないことも多々あるものですが、 「今の自分がすべきことを頑張ってやった。。。」 「今の自分にできることは精一杯やった。。。」と素直に思うことができれば、心は満たされると思うのです。「今すべき」と分かっていることを、「今できる」とわかっていることを、今するか。。。しないか。。。「する」という行動は、それが上手く行こうと行くまいと、成功しようと失敗しようと、魂の修行を前進させていると思うのです。「しない」は、何も生み出さないが故に、魂の修行を停滞させたり、時には、後退させることにもなると思うのです。「する」。。。「しない」。。。の「行動」の有無が、直ぐにではなくても、何れ大きな差を生むと思うのです。面倒くさいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。逃げたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。嫌だなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。素通りしたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。恐いなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。のだと思うのです。ということは、私たちが、面倒くさく感じること、楽な方に逃げたくなるようなこと、嫌だなぁ~と思うようなこと、素通りしたくなること、恐いなぁ~と思うようなことは、その見方を変えさせて頂くと、私たちの修行の為に与えて頂いているものであったり、私たちの魂の修正度、成長度を確かめる為のテストだったりするのだと思うのです。修行やテストの機会を、面倒くさい、逃げたい、嫌だ、素通りしたり、恐いとして、修行を受け入れなければ、修正すべきを修正できないばかりか、成長をさせて頂くこともできないと思うのです。テストに至っては、それを受け入れないということは、テストを受けないということ故に、受け入れなかったその時点で、その時のテストは落第となり、チャンスを逃したということになると思うのです。反対に、それが面倒くさく感じることであろうと、逃げたくなることであろうと、嫌だなぁ~と思うようなことであろうと、素通りしたくなるようなことであろうと、恐いなぁ~と思うようなことであろうと、それを良心に素直に従い、勇気を持って受け入れさせて頂いて、何かをさせて頂く、ということは、その何かが上手く行こうと行くまいと成功しようと失敗しようと、 「修行をさせて頂いた」 「テストを受けさせて頂いた」ということに変わりないと思うのです。良心に従い、誠実に、真面目に生かさせて頂くその姿勢こそ、自分で自分をコントロールしている。。。自分に打ち克っている。。。ということに他ならないと思うのです。そういう自分で自分に嘘を付かない、自分で自分を騙さない、心で思っていることと、言動を一致させることができる良心言行一致の自分を育ませて頂くからこそ、やるべきことを遂行させて頂くことができ、新たな道を拓かせて頂くことができるのだと思うのです。源光「小さな事も大切である。 しかし小さな事に身を入れすぎれば、 大切な天命が果たせなくなるのである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110110000/「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/ 「今日出来る事を明日に延ばさない。 これの繰り返しで未来が拓けるのです。 先送りにしているからいつまでたっても 現状維持が精いっぱいどころか むしろ退歩していることがほとんどです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507180000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 「天命を果たす人とは、自分のできることをする人である。 汝は、自分のできることをせず、 出来もしないことをしようとしてはならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201110000/「苦しいこと辛いことから逃げてはいけないのです。。。 楽はいつだって出来るのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503050000/「人が、逃げてしまいたいこと。。。 嫌なこと。。素通りしたいこと。。恐れること。。を 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/「なんとかなる。。。。なりませんね。。。 なるわけがないのです。 やるべきことをやっていないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403090000/「あなたがすること、それは、 今、しなければならないことに集中することです。 それが、たとえ断崖の道であろうとも進まなければなりません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407210000/「今いる場所から始めるのです。 自分の持っているものを全て使って、 できることをするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407050001/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/「物事には順番というものがありますから 割愛しないでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510020000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.20
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「相手に話が伝わらないというのは、 相手のレベルが低いのではなく、 自分の話すレベルが低いのです。」お話しをさせて頂く立場にあるとき、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という気持ちが多かれ少なかれ見え隠れすることが多々あるものですが、そのような上から目線でお話をさせて頂いていると、せっかく良いお話をさせて頂いていても、お話しをさせて頂くことから学ばせて頂くことが何も無くなってしまうと思うのです。お話しをさせて頂くことができるのは、相手(聞き手)の存在(があってこそだと思うのです。それならば、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という上から目線の驕った姿勢ではなく、 「どのように説明させて頂けば、 ご理解頂けるだろう。。。」 「もし、自分が教えて頂く立場だったら、 どういう説明や解説を望むだろう。。。」 「相手にお楽しみ頂けるような説明の方が、 興味を持って頂くことができて、 聞くことに集中して頂けるだろうなぁ~♪」 「お話させて頂くことを通じて、逆にこちらが 多くのことを学ばせて頂いているんだなぁ~。。。 お話させて頂けることに感謝感謝だなぁ~。。。 しっかりとお伝えできるように、分かり易い言葉や 絵解き、例え話などをあれこれ考えてみよう♪」という、相手(聞き手)の立場になってお話しさせて頂いた方が、自分自身も多くのことを学ばせて頂くことができると思うのです。そればかりか、何度も何度も同じお話をさせて頂くことを通じて、自分自身がそのお話させて頂いている内容について、より理解を深めさせて頂くことができると思うのです。自分自身がより理解を深めさせて頂くことができるということは、人様にお話しをさせて頂けば頂くほど、より咀嚼してお話させて頂くことができる、ということに繋がり、相手(聞き手)の為にもなると思うのです。自分のお話を理解して頂けない。。。そういうことがあると、その責任や問題の所在を相手のせいにしてしまうことがあるものですが、実際のところは、相手の立場になって、相手にご理解頂けるような話し方ができない、自分にこそ責任や問題があるのだと思うのです。だからこそ、お話しさせて頂く立場にあるときは、否、お話しさせて頂く立場にある時こそ、相手(聞き手)の立場になることが大切だと思うのです。--------例えば、小学1年生と6年生がいたとき、6年生は1~5年生までに学んできたことは良くわかり、 良く理解していると思うのですが、1年生は全く未知なることでさっぱり分からないと思うのです。6年生が1年生に指導するとなれば、1年生にも良く分かるような言葉遣いや、1年生でも理解できるような咀嚼した説明や解説をしながら、相手の理解の深さを確認しつつ、様子を見ることが大切になると思うのです。そうしなければ、分からないまま話が進んで行ってしまうだけだと思うのです。それは、1年生にとっては、 「何を言っているか分からない。。。」 「親切にして頂いていても、何が何だかわからない」ということになってしまうと思うのです。1年生がそういう状態であるにもかかわらず、それを無視して、はたまた、それに気付くことなく、6年生が説明や解説を一方的に進めてしまうのであれば、その6年生の姿勢は、1年生の為という思い遣りではなく、 「説明(解説)してやっている」 「教えてやっている」という自己満足でしかないと思うのです。同じお話をお伝えさせて頂くのでも、聞き手の数だけその受け留め方や理解の深さが異なると思うのです。1つのお話を聞いて10を知る方もいれば、1つのお話を理解するのに時間がかかる方もいると思うのです。だからこそ、同じお話をさせて頂くのでも、相手の立場になって、その時のその方のお心の状態を把握させて頂き、その時のその方に必要なことを、その時のその方にご理解頂けるような分かり易い言葉遣いや表現を通じてお伝えさせて頂く心遣いも持たせて頂くことが、とても大切だと思うのです。 (適材適所ならぬ、「適言適所」という感じだと思うのです。)--------人それぞれ、魂のレベル(階層)が異なるとはいえ、不完全で至らない点がある者同士であることに、違いはないと思うのです。ということは、どんなにか魂のレベル(階層)が異なっていたとしても、お互いがお互いのお役に立たせて頂くことができる、ということでもあると思うのです。例えば、魂のレベルが8段階あるとします。Aさんは魂レベル3、Bさんは魂レベル5とします。普通に考えると、AさんがBさんを教導させて頂く、ということになると思うのです。実際のところもそうだと思うのですが、全ての点において、そうとは限らないと思うのです。Aさんの至らない点を、Bさんは既にお持ちでいらっしゃることもあると思うのです。その場合は、AさんがBさんに教導して頂く、ということになると思うのです。このようなケースがあることを考えると、魂のレベル(階層)の高低に関係なく、お互いがお互いの魂の修行の為に存在し、お互いがお互いの役に立たせて頂くことができる、ということだと思うのです。レベルの高い者が低い者を教導するという、一方通行的な関係ではなく、低い者と接し、低い者に何かをお話しさせて頂くことによって、自分の至らない点に気づかせて頂き、それを学ばせ頂くという機会もあることを考えると、レベルの高い者は低い者に対して、偉そうな態度と上から目線で教導することはしてはならないと思うのです。むしろ、純粋に感謝の心を持たせて頂くことが大切だと思うのです。そして、低い者を低い者としてみることなく、どなた様に対しても同じ目線を持たせて頂くことこそ大切なのだと思うのです。様々な魂のレベルの方同士が、同じ地球さんの上で生かさせて頂いているのが今の世の中だと思うのです。魂のレベルが高い方から低い方まで、十人十色、千差万別だからこそ、修行の場として適している、ということでもあると思うのです。魂のレベルが高い方は、その方がその高いレベルに至る為に修正したことやその修正の仕方、学び、気付きなどから培った心のあり方やものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方、そして、与えて頂いた知恵や智慧などを、魂のレベルが低い方の為に、上から目線ではなく、同じ目線に立たせて頂きながら、愛の心で、見返りを求めることなく、出し渋ったり、ケチケチすることなく、惜しみなく差し出させて頂くなどの、ご奉仕をさせて頂くことがお役目なのだと思うのです。今でこそ魂のレベルが高い方も、その方が高いレベルになる前は、自分よりも高いレベルの方に、沢山のことをご指導頂いたり、与えて頂いたりしていたからこそ、今の高いレベルに到達している、ということだと思うのです。だからこそ、自分が自分よりも高いレベルの方に辛抱強くして頂いたことと同じようなことを、自分よりも低いレベルの方に辛抱強くさせて頂くことこそ、自分を導き、育てて下さった自分よりも高いレベルの方々が喜んで下さるであろう報恩になるのだと思うのです。異なる魂のレベルの方同士が同じ世の中や社会の中で生かさせて頂いていることにより、トラブルが生じてしまうことも多いと思うのですが、そういうときこそ、魂のレベルの高い方が、魂のレベルの低い方にその波長を合わせ、魂のレベルの低い方の視線でものごとを見て差し上げ、魂のレベルの低い方に通じるような表現や言葉遣い、例え話などをもって、辛抱強く説かせて頂いたり、理解を得たりしながら、トラブルなどの解決に努めさせて頂きたいものですね。自分の上には常に上がいる。。。自分の魂レベルを引き上げようとして下さっている方が常にいる、ということだと思うのです。私たちの魂の繋がりもこれと同じだと思うのです。自分が自分より高い魂レベルの方に様々なことをして頂いて、とても有り難く、嬉しく、感謝の気持ちで一杯になったことを、自分だけのものとして温存したり、出し惜しみをすることなく、自分より低い魂レベルの方にも同じようにさせて頂くことが、大切なことであり、それこそが一人一人のお役目なのだと思うのです。源光「地上は、あらゆる魂の階層の人が、 地球同窓生として修行している場所ですから、 同じ話でも、聞く相手の心の状態に応じて、 段階を追って話す必要があります。 相手の心の進歩に合わせて徐々に深い話に。。。 これを対機説法といいます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404220000/「難解なことはやさしく。 やさしいことは深く。 深いことは笑顔で冗談にしてしまう。 これが汝の道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110190000/「人はそれぞれ。。 理解できないと投げ出すことは簡単ですが、 理解しようと相手と同じレベルに立って 感じることを心がけましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406250001/ 「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「相談者の心を傷付けるような、酷いことを言わない。 心のケアとアドバイスを天命と知っている人には、 正しい後の方が指導していますから、 大丈夫なのですが、ほとんどいません。 お祓いよりお笑い、が正解だと思いますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211040000/「人は、力と光を、到達した高位のレベルから、 有限の低位のレベルに、降ろす役目を担っています。 木切れから菩薩を掘り出す仏師のように。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205230000/「本当に優れた人は、笑顔を絶やさない、 一見、どこのおじさん?おばさん? どこのお兄ちゃん?お嬢ちゃん?という感じで 違和感も威圧感も、存在感も全く無いものです。 でも観る人が観ればわかります。 これが人の世というものですね。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210310000/「普段は、 存在さえも感じさせないほどの人になってくださいね。 これこそが最上の人の境地なのですから。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310190000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310200000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「汝、道を解きながら学べ。 言い聞かせとは自分自身への問いかけと勉強である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111150000/「曖昧な言葉は避けて、わかりやすく話しましょう。 出来る限り紙に書いて渡すことですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209270000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.19
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「自惚れが消えた時から、 人生の幸福な時期が始まるのです。 それまでは不運といつも隣り合わせの生活です。」自惚れ。。。その字が表す通り、自分自身に惚れることの意ですが、自分を大好きでいることや、自分を愛することとは、大きく異なるものだと思うのです。自惚れは、 「本当の自分は今ある自分以上に凄いんだ!」 「本当の自分は凄く優秀なんだ!」などと強く、勝手に思い込んだり、勘違いして、 傲慢になったり。。。 過信したり。。。 調子に乗ったり。。。 得意げになったり。。。 思い上がったり。。。 図に乗ったり。。。 人様を見下したり。。。 上から目線でものごとを見たり。。。 何でも知っている、分かっているつもりになったり。。。などのように、謙虚さを失い、自分で自分を冷静に、かつ客観的に観ることができないとても残念な心の状態と言動をしている状態だと思うのです。その自惚れが自己満足で収まっているのであれば、まだ程度が良いと思うのですが、ものごとを見たり捉えたりする視点が、常に自分中心で、 「自分は優れている」 「自分は凄い」という立ち位置からしか見えなくなるようになると、 「自分がやってやっている!」 「自分は何でも知っている!」 「自分は何でも分かっている!」 「自分一人の力で何でもできる!」 「自分の言うことを黙って聞いていればいいんだ!」 「(優れている)自分がやっているのに、 上手くことが運ばないのは、周りのせいだ!」などのように、自惚れが幾重にも高じて、 恩着せがましくなったり。。。 押し付けがましくなったり。。。 受け入れさせようとしたり。。。 被害妄想を生み出したり。。。と、人様にご迷惑をお掛けする心のあり方や言動が増えてしまうと思うのです。自惚れているときは、自分の自惚れた心のあり方や自惚れた言動をしていることに、 自分では気付かない。。。 自分では気付けない。。。ばかりではなく、自分を見る人様の目には、 「〇〇さんは自惚れている。。。」 「〇〇さんの傲慢さは迷惑になっている。。。」 「〇〇さんは調子に乗り過ぎている。。。」などのように映っていることさえ、気付かず、気付けないと思うのです。それ故に、 凄いはずの自分を認めて頂けない。。。 優れているはずの自分を受け入れて頂けない。。。 凄いはずの自分の言葉に耳を傾けて頂けない。。。 優れている筈の自分を誰も相手にして頂けない。。。 思いも寄らない何らかの問題が生じる。。。などのようなことがあると、 「どうして自分の凄さ、優秀さを分かってもらえないんだ!」 「みんなが自分よりも劣っているから理解できないんだ!」などのような受け留め方をしてしまうと思うのですが、その受け留め方そのものが、自惚れているのだと思うのです。人様からそのような扱われ方をしてしまう問題点の在りかを、自分以外の誰かや自分以外のところに探してしまう。。。問題点の在りかは、何を隠そう、自惚れている自分自身にあるにもかかわらず。。。「自惚れた心のあり方で、自惚れた言動をする。。。」それが根本的な問題点であること。。。その問題点の在りかが自分にあること。。。に気付かず、気付けなくさせてしまう「自惚れ」が、苦しみや不運を生み出しているのだと思うのです。「自惚れ」とはそういう悪循環を生み出すトラップのようなものだと思うのです。それ故に 「自惚れ」を自ら生み出している限り。。。 「自惚れ」というトラップに嵌っている限り。。。 「謙虚さ」の大切さを知り「自惚れ」を消さない限り。。。その悪循環はいつまでも繰り返されるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、「謙虚さ」が育まれることによって「自惚れ」が消え、「自惚れ」によるトラップから解放されると、幸福になる好循環が始まる、ということでもあると思うのです。「謙虚さ」は心のあり方が大切だと思うのです。自分を直視して、自分の不完全さや至らない点を、素直に認め、受け入れさせて頂くと、自ずと、自惚れていた自分や、傲慢になっていた自分を、客観的に見ることができるようになり、 「自分はどうしてこんなにアホなんだろう。。。」ということに気付かせて頂くことができると思うのです。その結果、自分に与えて頂いている特技や能力を、誠実に、真面目に、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、正しい心で生かさせて頂くことができるようになるのだと思うのです。そのような利他心のある地道でコツコツとした努力が、自分で自分の心を磨くことになり、自分の心を輝かせるのだと思うのです。そして、 人様のお役に立たせて頂くことをする。。。 人様にお喜び頂けることをする。。。というその姿勢が、美しい心から生まれている正しい言動であれば、例えそれが目には見えなくても、魂の修正や成長のみならず、徳を積むという形を通じて、天が評価して下さるのだと思うのです。それこそ、魂の修正や成長をさせて頂くことを目的として、地上という修業の場で生かさせて頂いている私たちの幸福な人生そのものだと思うのです。だからこそ、自らを律することで「自惚れ」を生み出さないように努めながら、「謙虚さ」を育ませて頂きたいものですね。源光「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、 人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、 天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき、 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も、肩書も 地上の小さな世界でしか通用しない 煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「今が幸せで、うまくいっていればいるほど謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「世の中で知られているようなことを、 自分だけが知っていると思い込んで得意がる人もいます。 人は、どこまでも謙虚に。。。上には上がいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501290000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.18
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「生きていれば 義のために責められることがあるのです。 これが最高の試練。。 見事に乗り越えてください。 最高の幸運と裏表の世界です。」「義」 人として守るべき正しい道。道義。という意だそうです。義の為。。。義に厚い。。。義に生きる。。。「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、心ある人としてあるべき正しい心の道を、人様を思い遣る心(利他心)をもって、生かさせて頂くことそのものだと思うのです。良心に素直に従い、義の為に、義に厚く、義に生かさせて頂いているにもかかわらず、責めたてられたり。。。否定されたり。。。誹謗中傷されたり。。。裏切られたり。。。と様々なことが生じることがあると思うのです。それは、世の中には良心に従って、「義」に生きている人様ばかりではなく、良心に恥じる心のあり方や言動をもって、「偽」に生きる人様もいらっしゃるからだと思うのです。 (むしろ、そういう方々の方が少なくないのかもしれません。)「義の為。。。義に厚く。。。義に生きる。。。 とはどういうことか。。。」の理解を深めさせて頂こうと努めない。。。そういうことを考えることすらない。。。という方々もいらっしゃれば、「自分は義の為、義に厚く、義に生きている!」と自己満足的に自負される方もいると思うのです。そういう千差万別で十人十色な人々が、同じ世の中で生かさせて頂いているが故に、「良心に従って、義の為、義に厚く、 義に生きている」方々にとっては、その世の中は過ごし難い環境であったり、世の中に受け入れて頂くことが出来なかったり、世の中で辛く、苦しい思いをすることが多々あると思うのです。しかしながら、裏を変えさせて頂くと、千差万別で十人十色な人々を冷静に、客観的に捉えさせて頂く良い機会であり、どのようにすれば、 「良心に従って生きることの大切さ」 「義の為に、義に厚く、義に生きることの大切さ」を相手に伝わるように出来るのかを考えたり、その大切さを正しくお伝えすることが自分に与えて頂いた天からの使命(天命)と受け留めさせて頂くことができると思うのです。良心に従い、義の為に、義に厚く、義に生かさせて頂いているにもかかわらず、責めたてられる。。。否定される。。。誹謗中傷される。。。裏切られる。。。という様々な試練、苦難があるのは、どのような状況下でも、良心に従い、義の為に、義に厚く、義に生きることができるか否かの自分の真の姿を知る為のお試しであるだけでなく、そのような状況下でも、良心に背き、「偽」に生きている人様の本質を見極め、その人様のお役に立たせて頂く為には、何をどのようにさせて頂けば良いのか。。。自分にはどんなことができるのか。。。などを考えることができるほどの大きな心、豊かな心、温かい心、美しい心を育ませて頂く為でもあると思うのです。不完全な人間が集まっている世の中から責められたり、否定されたり、誹謗中傷されたり、裏切られたり、受け入れて頂けなかったとしても、永久不変の真理を良心を通じて与え続けて下さっている「天」が、いつも私たちを理解し、いつも私たちをお見守り下さり、いつも私たちを受け留めて下さっている、ということを思い起こさせて頂けば、気を取り直すことができ、心を奮い立たせることが出来るのと思うのです。 (「天」や「天」が私たちに与えて下さった「良心」という羅針盤が 理解者であるのであれば、それに勝る理解者はないと思うのです。)見方を変えさせて頂くと、「偽」に生きている人様は、「義」に生きている人様によって、「偽」に生きている自分たちを救って頂く為に、「義」に生きている人を責め、否定し、誹謗中傷し、裏切る等を通じて、「義」に生きている人を鍛えて下さっている、ということでもあると思うのです。そのように捉えさせて頂くと、どのような状況下であろうと、「義」に生きることができるように自分を鍛えて下さった「偽」に生きている人様が、「義」に生きることができるよう救い、導いて差し上げることが恩返しになるのだと思うのです。だからこそ、良心に従い、義の為に、義に厚く、義に生かさせて頂いているにもかかわらず、責めたてられる。。。否定される。。。誹謗中傷される。。。裏切られる。。。という様々な試練や苦難に遭遇しても、その境遇は自分の魂の修正や成長の為だけではなく、「義に生きたい」と魂が思っているにもかかわらず、地上では「偽」に生きて迷ってしまっている方々を救い、導かせて頂くことを通じて恩返しをさせて頂く為。。。と思って、何としても乗り越えさせて頂きたいものですね。源光「義に厚く、正しい思考をする人は、 なかなか世に受け入れられないものです。 しかし天からの使者は、迫害に耐えねばなりません。 それが天命だからです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206100000/ 「天命を持って生まれてきた人は、 苦難を自ら背負って生まれ出るものです。 苦難から光り輝くものを見つけ出さなければなりません。 そしてその経験を世に伝え、 苦しむ人々を救わなければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209280000/「世の中に理不尽なことは尽きません。 なぜならば、地上は、あらゆる魂の階層の人が、 一同に介して修行をしている場所だからです。 腹を立てるだけ損だと思って、怒りをおさめましょう。 勉強代だと思って相手を許し、 不甲斐ない自分も許してあげましょう。 必ず勉強代が活きるのです。 逆境や苦難の多い人は光の天使。 どうぞ苦い経験を活かして世の中を明るくして下さいね。 そのために生まれてきたのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311240000/「大いなる天命を持つ者は孤独である。 ゆえに心身に変調をきたす者もいる。 約束の人は、父であり母であり妻であり、夫であり子供である。 時には家族に甘える事も大切である。 汝は良き家族を持つ幸せ者である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110210000/「波長の乱れた修行の場である地上で 身を保って行くには、 あまり潔癖すぎてはならないのです。 一切の汚れや穢れも、 すべて飲み込むようでありたいものです。 人と交わるには、あまり几帳面すぎてはいけません。 一切の善人悪人、賢者愚者をも、 すべて包容することができるような 大きな度量を養ってください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505070000/ 「耐える心に、新たな力が湧くもの。。。 全ては、それからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405180000/ 「試練から忍耐が生じ、 忍耐は練達を生じ、 練達から希望が生じます。 そして希望から奇跡が生じるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205110000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.17
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「何かを勝ち取るには 何かを犠牲にしなければならない このことだけは覚えておいてください。」何かを手に入れる為には、人様に何を言われようと、バカにされようと、決して諦めることなく、何かを手に入れたい、という気持ちを大切に抱き続け、それを実現させる為に地道な努力を継続させて頂くことが必要だと思うのです。見方を変えさせて頂くと、人様と同じようなことをしていては、それを実現できないが故に、遊ぶ時間や寝る時間を手放すなど、その実現の為には、何かを犠牲にしたり、何かを代償として差し出す必要があると思うのです。何かを犠牲にすることなく、何かを代償として差し出すこともなく、欲張ってあれもこれも手に入れようとしてしまうことがあるものですが、そういう時に限って、何も手に入れられなかったり、全てが中途半端で何も成し遂げられない、という結果に落ち着くことが多いと思うのです。人様と遊ぶ時間を惜しんで(犠牲にして、代償にして)手に入れたい何かの為に時間を費やさせて頂く。。。だからこそ、その実現が近づくのだと思うのです。あれもこれもと欲張るのではなく、どうしても叶えたい何かを1つに絞り、他の何かを捨て(犠牲にして、代償にして) (捨てることができる程度の何か、 ということでもあると思うのです。)脇目も振らず1つの何かに向かって邁進するからこそ、その実現が近づくのだと思うのです。だからこそ、新しい何かを得る為には、新しい流れに乗る為には、既存の何かを惜しむことなく 犠牲にする。。。 代償にする。。。 手放す。。。ことが大切なのだと思うのです。裏を返させて頂くと、 何かを犠牲にする。。。 何かを代償にする。。。 何かを手放す。。。ことができないのは、その何かに執着しているからこそだと思うのです。何かを犠牲にする。。。何かを代償にする。。。何かを手放す。。。のは、その執着心を捨てることに他ならないと思うのです。執着心を捨てることができる勇気があるからこそ、犠牲にしたり、代償にしたり、手放した何かよりも、その時の自分にとってより良いものを手にすることができる、ということなのだと思うのです。--------「今」の自分が「大切にしているもの」は、それと出逢った時や、それを手にした時の自分のものごとの見方や捉え方、心のあり方が、「大切なもの」と感じていたものや、当時の自分に「必要なもの」として、与えて頂いたもの、ということが多いと思うのです。常に流れている「今」と同じように、自分も多かれ少なかれ何らかの変化を伴いながら、次から次へとやって来る「今」を過ごさせて頂いていると思うのです。自分自身が変化を伴いながら過ごさせて頂いているということは、「大切にしているもの」も時の経過と共に変化している可能性があると思うのです。しかしながら、当時の自分のものごとの見方や捉え方、心のあり方で、「大切なもの」と感じたものが、時の経過に関係なく、自分を満たしてくれていたり、居心地が良かったりすると、 (満たしている、居心地が良いと思い込みたい、 ということもあると思うのですが。。。)その現状を手放したくない、という思いが生まれてしまうと思うのです。現状を手放したくない、という思いは、「大切なもの(大切にしているもの)」に「執着している」ということでもあると思うのです。何かに執着してしまうと、ものごとを客観的に見たり捉えたりすることができなくなってしまうと思うのです。変化し続けているその時の自分にとって「新しい大切なもの」が、今の自分の目の前にあるにもかかわらず、当時の自分の価値観や当時の自分に「大切だったもの」に執着していることによって、それに気付くことができず、チャンスを逃してしまう、ということも少なくないと思うのです。私たちは、魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世という修行の場に生を与えて頂いていると思うのです。その為には、自分の人生に与えて頂いている様々な境遇の中で、その時の自分にとって良い変化になりそうな新しいものは、どんどん取り入れさせて頂くことが大切だと思うのです。新しいものを取り入れさせて頂きたくても、既存の「大切なもの」や「古いもの」に執着していると、新しいものを取り入れる余地がなく、その居場所がない為に、結局のところ、取り入れさせて頂くことができないと思うのです。 (例えば、お買い物に行って、 次から次へと欲しい「何か」を買いあさっても、 自分の手で持つことができる量に限界があるように、 家の中にものを置けるスペースに限界があるように、 ただ「何かを手にしたい」ということで、 その時々の「何か」に執着して、取捨選択せず、 ただ「何か」を増やしていくことを続けていけば、 様々な「何か」で溢れかえってしまうだけで、 その「何か」がもっている本来の特性すら 活かすことができなくなってしまうと思うのです。)自分に良い変化になりそうな新しいものを取り入れないということは、魂の修正や成長を自ら停滞させていると思うのです。 (それは私たちの魂にとって、不本意なことだと思うのです。)既存の「大切なもの」や「古いもの」を手放したくないとして、それに執着することが、魂の修正や成長を妨げるのであれば、新しい変化を取り入れさせて頂く為に、古くなった「大切なもの」は、勇気をもって手放した方が良いと思うのです。 (それは私たちの魂が喜ぶ選択だと思うのです。)手放すべきものを手放さず、取り入れるべきものを取り入れず、更には、取り入れる前に拒否してしまっては、「新しい大切なもの」は無駄になってしまい、自分自身も良い変化に向かって更新されない為に、魂の修正や成長をさせて頂くことが、出来なくなってしまうと思うのです。過去の「大切なもの」も手放すべきものだと思うのですが、本当に手放すべきものは、その「大切なもの」にしがみついている執着心や、平常心や客観的視野を失ったものごとの見方や捉え方、心のあり方だと思うのです。執着心や偏ったものごとの見方や捉え方、心のあり方などは、執着心の中に自分を閉じ込めているようなものだと思うのです。執着心に自分が閉じ込められるということは、自由を失っている、ということだと思うのです。自由を失ってしまっていては、正しいものごとの選択や判断が出来なくなってしまうと思うのです。だからこそ、「大切なもの」や「大切なもの」に対する執着心を手放し、心を解放し、自由にさせてあげることが大切だと思うのです。とはいえ、何かに執着してしまっていると、それを手放すことはとても勇気のいることだと思うのです。しかしながら、いざ手放してみると、 「なんてことなかった♪」 「何で○○に拘っていたんだろう。。。」 「もっと早く手放せばよかった♪」ということが多いと思うのです。そういう感覚を失わせてしまうのが「執着心」故に、何ごとにも「執着」することなく、心がいつも自由に身動きが取れるようにしておきたいものですね。心が自由に動くことができれば、心はその時々の自分に必要なものを自ら探し出してきて、魂の修正や成長に繋がる新しい良い変化に導いてくれるのだと思うのです。自由に動くことができる心を持つ自分であれば、それまでの「古い大切なもの」をすんなりと手放し、「新しい良い変化」を生み出す可能性のあるものを素直に取り入れさせて頂くことができると思うのです。そういう変化があるからこそ、人生は楽しいのだと思うのです。だからこそ、 何かを犠牲にする。。。 何かを代償に差し出す。。。 何かを手放す。。。ことから生じる変化を楽しませて頂きたいものですね。源光「汝が何かを手に入れるには、 相応の代償を払う必要がある。 代償を払うことを惜しんではならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109100000/「汝が大切なものを手放すならば、 もっと美しいものが手に入るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110160000/「何か一つを手放してください。 それよりずっといいものがやってきますよ。 言い換えれば、何かを手放さない限り、 夢は手に入らないということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506230000/「自分が、大切にしている価値観や社会での立ち位置を手放したら、 それよりずっといいものがやってくることがあります。 だから人生は面白いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312230000/ 「自分の中にどうしても譲れないものがあるはずです。 それを守ろうとするから苦しいのです。 壊してしまいませんか。。 新たな世界に進むために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406060000/「長年、慣れ親しんだものを変える事は難しいのですが、 変えていかなければ、より良いものを 手に入れることはできないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303090000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.16
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「良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人。 こういう人。世の中でもっとも信頼できる人なのです。」普段はそれほど親しい間柄である訳でもないにもかかわらず、自分の調子が良い時や自分が相手にとって役に立っている時。。。はたまた、相手が自分から情報などの何かを得たい時は、さも親しい間柄であるかのように振る舞ったり、接してきては、自分のことや他者のことを根掘り葉掘り聞いてくる人が世の中にはいると思うのです。そういう方に限って、自分の調子が悪くなった時や自分が相手にとって役に立たなくなった時、はたまた、自分を介してご縁を結んだ方と親しくなるなど、何らかの目的を果たした結果、相手にとって自分の利用価値が無くなった時は、それまでの振る舞いや接し方とは態度がガラリと変わるものですね。更に、勝手な被害妄想を生み出しては、不平不満、愚痴、言いがかりをつけてきたり、自分に対する批判や中傷をしてきたり、時には、 「あなたの為を思って言っているのに。。。 損な役回りをしてあげているのに。。。」などと恩着せがましいことを仰られる方も。。。相手にとって、自分という存在が有益か無益か。。。それによって、自分に対する態度がコロコロと変わるような相手は、信用できないと思うのです。自分に都合の良い相手、自分にとって役に立ちそうな相手には、その人様に取り入ることができるよう、その人様に気に入られるよう、表面を取り繕って媚び諂う。。。自分を尊敬してくれる相手。。。自分を「凄い人♪」として、ちやほやと褒め称え、気持ち良くしてくれる相手。。。自分の言うことを良く聴いてくれる相手には、優しく、温かく接しながらもgive and take や take and take を求める。。。自分に都合の良くない相手(嫉妬)、自分にとって役に立たないと思う相手には、自分のことは棚に上げて、様々な言動をもって相手の陰口や悪口を吹聴したり、相手を誹謗中傷、罵倒し、痛めつける。。。自分を尊敬してくれない相手。。。自分を「凄い人♪」として認めてくれない相手。。。自分の言うことを聞いてくれない相手には、自分の思い通りにならないから、という自己本位な自分勝手で我が儘な考え方や思い込みで、相手を否定し、責め、傷つけ、支配しようとしたり。。。自分の思い通りにならないと常に自分は被害者、という被害妄想などから、不平不満、愚痴、嫉妬、復讐心を生み出したり。。。同じ一人の人間でも、人様によってコロコロと態度を変えるという、表の顔と裏の顔を持ち合わせている方が、思いのほか、世の中には多くいらっしゃられると思うのです。そう言う姿は、必ずどなた様かが見ているものだと思うのです。それは人様だけでなく、天も見ていらっしゃられると思うのです。それにもかかわらず、人様によってあからさまに態度を変える。。。自分に都合が良いか否か、損得勘定などにより、人様によって態度を変えるあからさまな姿を実際に見たり、表と裏の顔の違いを知ってしまうと、 「私にとってはとても良い人だけど、 別の人にはああいう酷い態度をとるんだ。。。 全く別の人だなぁ。。。 何が本心か分からない から注意しよう。。。 少し距離も置いて気を付けよう。。。」 「自分のことは棚に上げて、 私のことは言いたい放題言うくせに、 自分が取り入りたい相手には、 あんなにも良い人の振りをするんだ。。。 相手によってあんなに態度が変えるなんて、 とても信用できないから距離を置こう。。。」 ということになってしまい、誰もその人の言葉に耳を傾けなくなったり、誰もその人のことを信用しなくなってしまうと思うのです。しかしながら、当のご本人様は 「なぜ、距離を置かれたのか。。。」 「なぜ、みんな自分から離れていくのか。。。」ということが分からない、ということことも多いと思うのです。とはいえ、いつ自分がそのようになってしまうかも分からないのが、不完全な私たちでもあると考えさせて頂くと、 「人様の振り見て我が振り直せ♪」が大切だと思うのです。そのように反面教師として存在して下さったその相手に感謝させて頂き、かつ、優しく見守らせて頂きながら、自分の言動をしっかりと省みさせて頂くことができる自分、自分で自分を律することができる自分を育ませて頂きたいものですね。何よりも自分自身が、相手によって善人になったり。。。悪人になったり。。。時には相手に良く思われようと善人に成りすましたり。。。損得で相手を見て、「得」になると判断すれば味方になり、「損」と判断すれば敵になった り。。。見捨てたり。。。裏切ったり。。。多数派に属していれば安心として、長い物に巻かれたり。。。人様の顔色ばかりを気にして、自分の意思を無視したり。。。相手によってコロコロと態度を変えるという、自分に恥じるような自分にならないように気を付けたいものですね。自分の周りにいる方々が、権力者であろうと、お金持ちさんであろうと、地位や名誉、肩書きをお持ちであろうと、その方々がどういう生き方をしていようと、自分は自分、人様は人様だと思うのです。 (そもそも、権力やお金さん、地位、 名誉、肩書きなどに物を言わせるような方は、 それらが無ければ何もできない人故に、 そのような方に媚び諂って取り入っても、 結局のところ、自分で自分の首を 絞めるようなものだと思うのです。)人様のことをああだこうだという前に、まずは自分自身が、良心と理性に従って、誠実に、真面目に。。。自分がされて嬉しくないことは人様にもしない。。。自分がされて嬉しいことは人様に積極的にさせて頂く♪という、自分に恥じることのない生き方をさせて頂くことが大切だと思うのです。どなた様に対しても、その接する態度を変えない自分らしい自分、ありのままの自分、自然体な姿勢こそ、人様に安心して頂ける姿であり、人様からの信用や信頼を得ることができる誠実で真面目な生き方だと思うのです。自分がどのような状況であろうと、いつ何時も態度を変えることなく、自分に接してくれる人様がいると、その人様を心から信用できるだけでなく、心が安らぐと思うのです。そういう人様は自分にとって宝だと思うのです。そういう人様が、自分に対して、いつも同じ態度でいて下さるように、自分もまた、その人様を裏切るようなことのないよう、それまで通り、自分らしい自分、ありのままの自分、自然体の自分のまま。。。いつも同じ態度で、接することが大切だと思うのです。自分がされて嫌なことは、人様にもしない。。。自分がされて嬉しいことは、恩着せがましくなら ないよう、押し付けにならない程度に、人様にも積極的にさせて頂く♪そういう自分を育ませて頂くことによって、自分の身の回りにも、自分と同じような価値観や感性、姿勢でお過ごしになられている方が次第に集まると思うのです。その結果、お互い様の心や、相手を思い遣る心があるもの同士、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合うという、「幸せ」を感じながら生かさせて頂くことができるようになるのだと思うのです。源光「良い時も、悪い時も同じように接してくれる人が、 本当の友人です。 良い時も、悪い時も同じように接してくれる人を 決して裏切ってはいけません。」(ラクシュミーさん)「人は心です。 追い詰められた情勢になって初めて 誰が本当の友人だったのか 誰が友人顔をしていたのか、 そして誰が本当の味方だったかがわかるようでは まだまだ人を観る目がないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510270000/「困難な情勢になってはじめて誰が本当の友人だったのか 誰が利害のみで繋がっていた仮面友人だったのか、 誰が本当の頼りになる人だったのかがわかるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502070000/ 「困難な情勢になって、はじめて 誰が口先だけの人だったのか、 誰が味方顔をしていたのか、 そして誰が本当の心の友だったのかわかるものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409020000/ 「信じられない人とは手を切りなさい。。 信じられる人とは手を結びなさい。 信じた人から裏切られたら、 人を見る目を養えたことに感謝しなさい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403110000/「汝、友人を選ぶなかれ。 友人に選ばれる人になれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111260000/「友人を作ろうとしなくてもいいのです。 友人に選ばれる人になりましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209210000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.15
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「努力していると自分で思っているうちは まだまだ努力が足りないのです。 人から「あなた努力しているね。」 と言われてもまだまだ。 天から「あの人頑張っているね。」 と言われてようやく本物です。」「私は凄く努力している!」「私は凄く頑張っている!」自分で自分を評価することはとても大切なことだと思うのですが、それがただの自己満足に過ぎない評価は、もはや評価ではなく自惚れだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、「私は凄く努力している!」「私は凄く頑張っている!」と言えるほどの余裕がある。。。暇がある。。。裏を変えさせてい頂くと、努力が足りない。。。頑張りが足りない。。。ということでもあると思うのです。努力し続けたり、頑張り続けている人は、その努力や頑張りに自己満足したり、その努力や頑張りを他者にアピールすることなく、ただただ努力し、頑張っていらっしゃるものだと思うのです。それ故に、「努力していると自分が思っているうちは まだまだ努力が足りないのです。」なのだと思うのです。~~~~「〇〇さんは本当に努力していますね♪」「〇〇さんはいつも頑張っていますね♪」努力していることや頑張っていることを人様から評価されたり、褒められたり、言われることはとても有難く、嬉しいことだと思うのです。 (時には、思ってもいないことを、 そのように仰って下さっているだけ。。。 ということもあるものですが、 それは何となくそれが心無き言葉であることは 自然と伝わって来るものですね。。。)人様も自分も魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いている不完全なもの同士。。。ということは、人様から頂くその評価やお褒めのお言葉も、不完全な人様の個人的な自分基準(評価基準)によるもの、ということでもあると思うのです。だからこそ、人様から頂く評価やお褒めのお言葉を頂いても、お言葉を頂いたことには心から感謝させて頂きつつも、浮かれたり、驕ったり、安心しないよう、自分を律しながら、初心を忘れることなく、引き続き努力し、頑張ることを継続させて頂くことが大切だと思うのです。それ故に、「人から「あなた努力しているね。」 と言われてもまだまだ。」なのだと思うのです。~~~~「あの人頑張っているね。」と天に思って頂ける。。。魂の修正や成長をさせて頂く為に 「何が正しいかその全てを知っている良心」を私たちに与えて下さっているのは天。。。その良心に従って生かさせて頂くことさえ、ままならない私たちの日頃の心の内や言動をいつも見守って下さているのも天。。。ということは、私たちの心の内や言動の真意を正しく見極め、評価できるのは、良心を与えて下さっている天のみだと思うのです。自分で自分を高く評価しようと自分で自分を卑下しようと、自分勝手な自分基準で人様を高く評価しようと低く評価しようと、所詮は修行をさせて頂いている不完全な私たちの評価故に、その評価も不完全だと思うのです。人知の及ばない深遠なる天や神仏のお取り計らいにより、「何が正しいかその全てを知っている良心」を授かり、魂の修正や成長の為に修行をさせて頂いている私たちが、努力したり頑張ることはごく当たり前のことなのだと思うのです。それならば、「自分は凄く努力している!」などと自己満足したり、自惚れたりしないよう。。。「〇〇さんは本当に努力していますね♪」といわれて浮かれたり、驕ったり、安心しないよう。。。いつも天を相手にさせて頂けば良いと思うのです。「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長を促す魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。魂の修正や成長の為に良心を授かっているにもかかわらず、良心に恥じる言動をし、自分や人様を貶めるようなことを努力したり、頑張っても、それは努力や頑張りではなく、自分で自分を裏切る行いであり、修正すべき点を増やし続け、天から遠ざかる心のあり方、言動だと思うのです。天から授かった良心に素直に従った心のあり方で、言うこと、することが一致している良心言行一致の生き方で努力し、頑張らせて頂いてこそ、天に「あの人、頑張っているね。」とお思い頂けるのだと思うのです。=天が喜ぶ生き方==良心に従う生き方==自分の魂が喜ぶ生き方=この等式を、いつでも等式足らしめることができるような心のあり方を継続できるよう自分の心を磨かせて頂きたいものですね。源光「自己満足に浸らない人は、成長し続けます。 自信がない人の方が、多くのことを学べるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207010000/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「いくら努力しても、わかってくれない。」という人もいます。 あなたが本当に努力しているのならば、 あなたのことをわかってあげられないレベルの低い 上司や知人や家族なのでしょう。。 今の場所にいる限り絶対に「わかってもらえない」のです。 場所を変えるしかありませんね。。 しかし、努力の仕方が間違っているのなら、どこに行っても同じことです。 自己中心的努力は根本的に間違っていますよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407310001/「あなたの感性や情熱が本当に素晴らしければ、 偶然を装った必然で出逢いがあり、必ず評価してもらえます。 今は、心配せず、自分の技、能力を磨くことに専念しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310300000/「努力しているのに。。。。報われない。。。 違います。。。努力の仕方が、間違っているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403090000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「不器用な努力家こそ、天が愛してやまない人なのです。 幸運の女神はこの様な人に微笑みます。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206250000/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に 天が感動して、偶然を装った必然で、なんらの見返りも求めない 完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.14
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「落ち着いて、 りきまない。。。 ひるまない。。。 こだわらない。。。 これが難局に当たる時の心構えです。」力むのは、動揺するからだと思うのです。怯むのは、動揺するからだと思うのです。拘るのは、動揺するからだと思うのです。ムキになるのは、動揺するからだと思うのです。 動揺。。。心が揺れ動くこと。。。自分に与えて頂いている境遇について、不安、恐れ、怒りなどの感情が生まれることによって、平静さを失い心が揺れ動いてしまう。。。多かれ少なかれ良くあることだと思うのですが、動揺している時の自分は、本来の自分ではないと思うのです。普段は、優しい心、温かい心、お互い様の心、愛の心で生かさせて頂いていても、動揺してしまっている時は、普段の心を見失ってしまうことが多いと思うのです。平静を失う。。。冷静さを欠く。。。 (冷静さを欠いているにもかかわらず、 「自分は冷静だ!」と言い張ることも。。。)客観性を失う。。。 相手の立場になることができなくなる。。。 心が感情に支配される(感情的になる)。。。 良心に従うことを忘れたり、拒みたくなる。。。心が動揺している状態では、正しい選択や判断ができるわけがないと思うのです。それにもかかわらず、動揺している不安定な心の状態のまま、不適切な選択や判断による言動をしてしまうが故に、後々、後悔してしまうような失敗や過ちを犯してしまうのだと思うのです。私たちの心は、不安や恐れ、怒りなどを感じてしまうと、日常的なものごとの見方や捉え方、考え方や平常心を維持することが出来なくなり、心が乱れてイライラしたり、やけになったり、更には、自暴自棄になってしまうことさえあると思うのです。普段は、平常心によって、明るく、元気に、楽しく、笑顔で過ごさせて頂くことができたとしても、思いもよらないような境遇に遭遇してしまうと、直ぐに心が動揺し、平常心や冷静さを失い、感情的になり、更には、不安や恐怖、怒りなどを自ら生み出し、その自ら生み出した感情によって、自分で自分を傷つけ、更には人様を傷つけてしまうことも。。。自分で自分を傷つけたり、壊したり、人様を傷つけたり、壊したりしてしまうような不安や恐怖、怒りなどの感情を抱き続けていても、結局のところ、何も解決することはなく、ただただ、いつも何かに力んだり、怯えたり、拘ったり、イライラしていることが続くばかりだと思うのです。そして、そのような感情に振り回されて嫌な思いをするのは、自分自身やそれに巻き込まれた周りの人であることを考えれば、不安や恐怖、怒りなどの感情を抱いても、ろくなことがないばかりか、悪循環が継続するだけだと思うのです。だからこそ、どのような境遇を与えて頂いたとしても、決して動揺することのない強く逞しい心や、柔軟性や適応力に富んだ大きな心を育ませて頂くことが大切だと思うのです。境遇に振り回されているからこそ、動揺してしまうのが私たちの心なのだと思うのです。思いも寄らない境遇に臨機応変に対応できるような柔軟性や適応力に富んだ強く逞しい大きな心があれば、例え、平常心や客観的視野を欠くほどに動揺してしまったとしても、直ぐに深呼吸をして、平常心や客観的視野を取り戻せるよう、自分で自分の感情をコントロールすることができると思うのです。どのような境遇に遭遇しようとも、 「これが今の自分には必要な境遇なんだなぁ~。 感情的にならずに対処できるかどうかを試されているな? あぶない、あぶない。。。気を付けよう♪」 「これは魂の修正や成長の為に与えて頂いた試練なんだなぁ~。。。 ということは、チャンス到来ということだ!!ラッキー♪」という感じで、何が起こっても、後向き、否定的、消極的、悲観的になることのない明るい心。。。「自分に与えて頂いている全ての境遇は、 自分の魂の修正や成長をさせて頂く為に 与えて頂いている超ラッキーなことしかないはず♪ それを、試練とか、苦難とか、修行とか言うのかもしれないけど、 そういうチャンスを与えて頂いていることは超ラッキーなこと♪ 全ては天が与えて下さっている無償の愛の表現なんだ♪」という感じで、何が起こっても、前向き、肯定的、積極的、楽観的に捉えさせて頂くことができるような豊かな心、大きな心。。。 平常心と客観的視点を支える原動力が、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方や捉え方をさせる明るく、豊かな、大きな心だからこそ、何ごとにも動揺することなく、例え、難局に遭遇しても、冷静な状況判断と臨機応変な対応をとることによって、何ごとも上手くことが運ぶようになるのだと思うのです。源光「平常心をもって一切の事をなす人は 名人の域に達していますから 何をしても上手くいくのです。 人の失敗は、動揺することから始まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505030000/「柔は剛に勝ります。 柔軟な心、決して怒らない平常心の持ち主になりましょう。 心乱れ、怒りに震え、思考が常軌を脱している時、 人は取り返しの付かない失敗を招くのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306250000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「魂のレベルの高い人は 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。 ドンと来い!!試練。。 人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「苦難に直面したら嫌々耐えるのではなく、 現状を受け入れて、前向きに耐えるのです。 人は誰でも、逆転のエネルギーが内在しているのですが、 これを使わずに嘆いてばかり。。。もったいないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312240000/「人は等身大で生きていますから、悩みも喜びも等身大。。 目で見える基準。。それが全てと思って暮らしています。 違いますよ。。 宇宙即我。。。これが真実の世界。。人智を超える圧倒的世界。。。 小さなことにクヨクヨしないスケールの大きい人になってください。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408110000/「苦難に強い人もいますが、根性とか、覚悟とか、 歯を食いしばってとかではなく、愚鈍と慣れで、 これに自然に対応している人を人生の達人といいます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402190000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.13
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「本当の仕事とは 人生を全うすること、 精一杯生きることです。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場を与えて頂いている私たち。。。地上でしか修行が出来ないことを考えれば、地上で生かさせて頂ける機会は、本当に貴重な機会、貴重な時間だと思うのです。それ位に貴重な人生は、長いようで短いもの。。。無駄にしている暇はないと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちが、魂の修正や成長をさせて頂く為には、「自分さえ良ければそれで良い」という利己心ではなく、「お互い様の心」をもって、助け合い、支え合い、分け合い、愛し合い、協力し合う利他心を育ませて頂き、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、過去(生)から培ってきた特技や能力、智恵を、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることに心正しく活かさせて頂くこと。。。それこそ、自分で自分に課した地上における自分の人生の真のお仕事だと思うのです。それにもかかわらず、「自分さえ良ければそれで良い」という利己心に生きてしまったり。。。欲望や邪念に翻弄されて良心に背いたり。。。人様を貶めたり、騙したり、苦しめたり、傷つけたり、悩ませたり、侮辱したり。。。それでは、魂の修正や成長を目的として地上で修業をさせて頂いているにもかかわらず、逆に、修正すべき点を増やし続けているだけだと思うのです。同じ人生を全うするのであれば、同じ人生を精一杯生きるのであれば、自分で自分を騙し、貶めるようなことを全うしようとしたり、自分で自分を貶めるようなことに精一杯になるのではなく、良心に従って、心を磨かせて頂くことにこそ、精一杯に全うさせて頂くべきだと思うのです。今生という貴重な人生を、 本当の意味で全うさせたい。。。 本当の意味で精一杯生きたい。。。と、私たちの魂は常々思っていると思うのです。それが人生の目的であり、自分で築いてきた人生設計があるが故に。。。自分の魂の思いを満たす為には、魂が喜ぶ生き方をさせて頂けば良いのだと思うのです。=魂が喜ぶ生き方==魂の修正や成長をさせて頂くことができる生き方==良心に従って自分らしく生きる生き方=この方程式を成り立たせる為に、精一杯、方程式通りに生かさせて頂けば、今生という貴重な人生を全うさせて頂くことができると思うのです。中には、地上におけるお役目(天命)がある方もいらっしゃると思うのです。「名は体を表す」の言葉通り、自ら決めてきた自分の名前には、今生の人生のあり方、生き方、目標、目的などのキーワードや深い意味が込められていることもあると思うのです。お役目(天命)を知ることができるのも、自分の名前の真意を知ることができるも、良心に従って生かさせて頂くことができる自分がいるからこそ。。。だと思うのです。天からすれば、 『「今」を生きることしか出来ないにもかかわらず、 「今」を精一杯に生きることなくして、 いつ精一杯に生きることが出来のでしょう。。。 精一杯に生きることなくして、 人生を全うすることはできません。。。 精一杯に生きないからこそ、 人生を全うできないばかりか、 死後、大後悔するのです。。。』ということだと思うのです。天が「何が正しいかその全てを知っている良心」を、私たちが地上に生まれたときに、なぜ授けて下さるのか。。。それは、 間違いのない人生を精一杯に歩むことができるように。。。 そして、人生を正しく全うすることができるように。。。という、地上の民の心の幸せを願って下さっているからこそだと思うのです。だからこそ、 =魂が喜ぶ生き方= =魂の修正や成長をさせて頂くことができる生き方= =良心に従って自分らしく生きる生き方=の方程式を成り立たせることができるよう、精一杯に生かさせて頂き、死後、大後悔することのないように、人生を全うさせて頂きたいものですね。源光「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく、 個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、 死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「魂のこもった価値ある日々を送ってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303050000/「今を精いっぱい生きましょう。 明日、後悔しないように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160000/「人生の総括は本気だったかどうかです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410030000/「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「生きている間に精進しましょう。 今世は、心を磨く、得難い大チャンスなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506170000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.12
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「置かれている環境や職場、 病気のことを悪く言わないで下さい。 それは今のあなたに必要なものですから。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂き、生かさせて頂いている私たちが日々経験させて頂いている全ての境遇は、その日、その時の自分に必要故に与えて頂いている偶然を装った必然の境遇だと思うのです。私たちの自分勝手な自分基準によるものごとの見方では、自分に都合の良くないものごとに対して、直ぐに不平不満、愚痴、怒り、嫉妬などを生み出してしまうものですが、それらを生み出してしまう不完全で至らない点の多い私たちだからこそ、そういう点を修正させて頂く為、もしくは、本当に修正できているか否か。。。反省すべきことは何か。。。を自ら知る為に、天の無償の愛によるお取り計らいとして、与えて頂いている境遇なのだと思うのです。今の自分が置かれている環境は、今の自分にとって最適な修行環境であり、その修行の為に必要な環境なのだと思うのです。なぜ、その環境が今の自分に必要な環境なのか。。。それは、今のその環境に身を置くようになるような生き方や、ものごとの選択をしてきた自分の心のあり方に原因があると思うのです。今の自分が置かれている環境は、過去の自分が蒔いた種を、今、刈り取らせて頂いている。。。ということなのだと思うのです。過去の自分が蒔いた種が、今の自分のものごとの見方や心のあり方にとって、不都合な境遇として刈り取らせて頂いているということは、過去に種を蒔いた時の自分の心のあり方や行いが、良心に恥じる思考や行いであった。。。ということだと思うのです。その過ちや間違いに自ら気づけるよう。。。自ら気づき、反省し、正しく正せるよう。。。という天の地上の民を思う優しさと因果応報の法則から与えて頂いている「今の自分の修行に必要な境遇」。。。それを悪く言うのは、お門違いだと思うのです。悪かったのは、過去の自分の心のあり方と行い。。。それを素直に認め、素直に反省し、心正しく正させて頂く。。。その為に与えて頂いている「今の自分の修行に必要な境遇」が、自分にとって不都合な境遇であろうと、辛く苦しい境遇であろうと、心から感謝させて頂くべきものだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、自分にとって不都合な境遇であろうと、辛く苦しい境遇であろうと、それを悪く言うことなく、心から感謝させて頂くことができる磨かれた心や、美しい心が育まれていくからこそ、事態が好転していくのだと思うのです。--------職場や病気、その他についても同じだと思うのです。どのようなお仕事でも、それが僅かな人様の為にしかならなかったとしても、自分がそのお仕事をさせて頂くことを通じて、何らかの形で人様のお役に立たせて頂くことができ、人様にお喜び頂けるのであれば、それはとても嬉しいことだと思うのです。自分のお仕事について、 「こんな仕事やってられない」 「自分は何の役にも立っていないんじゃないか」などと思ったり、感じたりしても、それはあくまで自分が生み出している思いに過ぎないと思うのです。「こんな仕事」と思うものを、どのようにすれば「楽しく」させて頂くことができるのかを考えることも大切だと思うのです。自分のお仕事が役に立っているか否かは、自分が判断することではなく、人様が判断して下さること故に、自分は、自分に与えて頂いたイメージを 「これは人様のお役に立つかもしれない♪」 「これは人様にお喜び頂けるかもしれない♪」 「これはみんなにとって便利になるかもしれない♪」 「これをしたら、もっと良くなるかもしれない♪」などのような心持ちで、お仕事を楽しみながら、そして、頑張らせて頂いていれば良いのだと思うのです。お仕事に限らず、人様のお役に立たせて頂けることや、人様にお喜び頂けるであろうことのイメージが浮かび、そのイメージを具現化しようと努めて、 「何かをさせて頂くことがある」 「何らかの役目を与えて頂いている」ということだけでも有り難いことだと思うのです。だからこそ、それがお仕事であろうと無かろうと、働くことであろうと、遊ぶことであろうと、何でも楽しく頑張れるような自分の心を育ませて頂きたいものですね。何でも楽しく頑張れるような自分で過ごさせて頂くことが出来れば、何ごとに対しても、そして、生かさせて頂いていることに対しても、喜びを感じ、感謝の心を持って、日々を過ごさせて頂くことが出来ると思うのです。職場における人間関係。。。色々あると思うのです。私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、育ってきた環境、培ってきた様々な経験(過去生含)、感性、特技、能力、ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、様々な点において十人十色、千差万別で、共通している点といえば、「心ある人間同士」、ということくらいだと思うのです。そのような人間同士が同じ職場に集まれば、自分勝手な自分基準によるものごとの見方や価値観では、人様のことや人様の価値観を理解できないことも多々あると思うのです。だからといって、相手の価値観を否定したり、相手に対して不平不満、愚痴、怒りなどを生み出す必要はないと思うのです。世の中には色々な人がいて当たり前。。。どんな人でも、その方を必要とし、その方を大切に思っている人がいるもの。。。利己心や欲に塗れ、魂の修正や成長が必要な私たちを天が無償の愛の心でお見守り下さっているのと同じように、お仕事や職場について悪いことを言うこと無く、大きな心、優しい心、豊かな心、温かい心、愛の心をもって、感謝したり、尊重させて頂いていれば良いのだと思うのです。--------病気。。。その原因は様々だと思うのです。暴飲暴食。。。添加物だらけの食事。。。無理をする。。。生活の不摂生。。。ストレスを溜めこむ。。。悲観的思考。。。怒りで自分で自分を傷つける。。。過去生における業。。。 などなど見方を変えさせて頂くと、病気になる原因は自分にある。。。自分で作り出している。。。と思うのです。自分で作り出した病気を悪く言ったり、病気であることに自暴自棄になったりすれば、更に悪くなってしまうどころか、心まで病んでしまいかねないと思うのです。病気でも、否、病気を患っているからこそ、人としてあるべき正しい心である「良心」に従って、心正しく生かさせて頂けるよう改心させて頂くことが大切だと思うのです。「病気」は、肉体的にも精神的にも辛く苦しいものですが、それまでの自分の生き方をゆっくりと省みさせて頂く為に与えて頂いている貴重な機会として捉えさせて頂けば、とても有難い感謝すべき経験だと思うのです。もし、そういう捉え方ができないとすれば、そういう捉え方ができないような生き方をしているからこそ、「病気」を通じて、学びや気づきの機会を与えて頂いている、ということでもあると思うのです。気が病むと書いて「病気」。気は私たちが生かさせて頂く為の活力。その活力が病んでいるということは、活力が病んでしまうような生き方をしている。。。自分があまり望ましくない生き方をしている。。。だからこそ、活力が失われ、気が病んでしまう、そういうことなのだと思うのです。だからこそ、病気の時は、それまでの行いを反省し、心を改めさせて頂くことが大切だと思うのです。そして、気という生きる活力が病んでしまうことのないような生き方、良心に従った生き方ができるように地道に努力させて頂けば良いと思うのです。「病」の字の、「やまいだれ」の中にある「丙」の字は、脚が張り出た台を形取ったものでそうです。そこから、芽が地上に出て、葉っぱさんが広がった様子を示しているそうです。葉っぱさんが広がっている部分は、きっと、双葉さんなのかもしれません。その「丙」の字に「やまいだれ」という屋根がかぶさった字が「病」です。土から芽が出て、葉っぱを生み出した植物さんに必要なのは、エネルギー満点のお天道様の光や水分などです。そこに、屋根をかけてしまっては、折角育ってきた葉っぱさんには、お天道様の光りも当たらず、雨が降っても水分を補給できなくなります。そうなれば、それこそ葉っぱさんは、元気がなくなって萎れてしまいます。それが続くと、「病」になってしまうのだと思うのです。これは私たち人間も同じだと思うのです。私たちも本来あるべき自分が、「丙」の字の意味するように、一生懸命伸びようとしているしているところに、様々な障害(やまいだれ)があったり、自分で障害を作り出したりしてしまうが故に、本当の自分に屋根をかぶせて、本当の自分が見えないようにしてしまっていることがあると思うのです。本当の自分が、自分らしく生きられなければ、それはもはや自分ではないわけですから、本当の自分ではない状態、つまり「病」になってしまうのだと思うのです。本当の自分を、あるがままの自分を、素直に受け止める、素直に認めることによって、心にかかっている屋根は取れるのだと思うのです。勇気を持って、その屋根を取り去ったとき、(自分自身を素直に受け止め、素直に認めたとき)その時、病は消えるものだと思うのです。病は気から。。。心の脱皮をさせて頂けば病は消えるのかもしれません。何しろ心の脱皮をした自分は、新しく生まれ変わっているわけですから。。。病は、自分が、自分の心が、成長させて頂く為に必要な経験として与えられているものだと思うのです。それ故に、気づくべきことに気づかせて頂いたり、反省すべきを心から反省し、正すべきを心から正せば、自ずと病は不要になり、「心の脱皮」により病の殻をすてることが出来るのだと思うのです。病気そのものも意味なく与えられるものではない、と思うのです。裏を変えさせて頂くと、病気にならなければ、否、病気になってさえも、なぜ自分がそういう境遇になっているのかが分からない私たちだからこそ病気になるのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く修行の1つとしての病気。。。だからこそ、悪く言うことはしたくないものですね。源光「自分の置かれている境遇を嘆かないことです。 自暴自棄になって、嘆いたり怨んだりしている限り、 どんなに望んでも絶対に幸運とは波長が合わないのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100003/「たくさん苦しんでいる時にあえてよく生きることです。 世をはかなんで自暴自棄になれば、苦しみが長引きます。 なんで自分ばかりこんな目に会うのか!! と嘆いていればさらに苦難が追加されます。 苦しい時こそむしろ人を助けることですよ。 喜ばせることですよ。 自分より苦しい人は、それこそ星の数ほどいるのです。。。 悩み多ければ多いほど、光に近い人。。 人を救う天命を持って生まれてきた偉大な魂なのです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/20149・・・「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか? と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、 自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。 自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、 苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/「心の病、大病など、根性や、精神力、 お金では、どうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「人は、自分自身を成長させるために、 何らかの欠点と、試練を課して生まれてきたのです。 欠点と試練を課したのは、神仏ではなく自分です。 ですから天を仰いで神仏を恨むのは、 お門違いもはなはだしいのです。 欠点の中に試練克服のヒントがあります。 自分自身でそのようにセットしていますから、 必ず試練は自力で乗り越えられることになっています。 乗り越えた先には、大いなるご褒美が待っています。 ご褒美も自分で用意したものですから、 あなたにとって最高の贈りものであることは間違いありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407070001/「職業というものは要するに、 人のためにするものです。 人のためにならない仕事は虚業です。 このことに気づけば、今の仕事に誇りが持てるはずです。 職業に誇りが無ければ、いくら稼ごうが、人は喜びがありません。 生業で額に汗して働いて家族を養っているのならば立派な大人です。。 職業に上も下もありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412080002/ 「仕事は高貴なる心の栄養です。 世の中の役に立つ立派な仕事をしていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306080000/「汝を愛してくれるものに最高のもてなしをせよ。 それは家族であり、客であり、商品であり、 自然であり、生物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109020000/「あなたの現在の人生は、 過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「運命の中に偶然はなく、人間はある運命に出会う以前に、 自分がそれを作っているのです。 ただし運、不運はコインの裏表ですから、 ちょっとした心の転換で簡単にひっくり返るのは事実です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030002/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、トラブルも 事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「理不尽な出来事も、病気もいかなる苦難も、 克服できないことはないのです。 全ては、自分の行為が作り出したものなのですから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205200000/「肉体が病んでいようと、精神的に圧力が掛っていようと、 何があろうと、心は苦しむべきではありません。 いかなる状況も楽しむ人。こういう人は、全てを逆転出来る人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150002/「病気の時は、病気を楽しみ 貧乏な時は貧乏を楽しんで生きる人は、 いずれ健康を楽しみ、 程よい、お金に楽しませてもらうことになるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180002/「貧困の時も、病気の時も、いつも気高い心で生きていきましょう。 そうすれば、いずれ富の時代が訪れますが、 それでも、卑しき心とは無縁の人であり続けましょう。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220005/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.11
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「もし切羽詰まって、誰かを頼っているのなら あなたは囚われの身となるのです。 彼らはあなたの影の主人となって これから、あなたを搾取して、さらなる地獄へ叩き落します。 断崖絶壁に立っているのなら誰にも頼ってはなりません!! 自力です。 自力で頑張れ!! こういう天からの絶対命令なのです。 絶対命令を必死の形相で遂行するならば、 天は、徹底的に助けます。 そういう仕組みになっているのです。」自分が出来ることは自分でさせて頂く。。。自分のすべきことは自分でさせて頂く。。。自分が出来ることであり、自分がすべきことであるのであれば、自分ですることは極自然なことで、当たり前のことだと思うのです。時に、辛く苦しい状況に追い込まれることもあるものですが、それは見方を変えさせて頂くと、自分のキャパシティーを広げたり、スキルをアップさせるチャンスでもあると思うのです。例えば、キャパシティーやスキルが10段階に分かれていたとします。普段の自分が出来ること、自分がすべきことのキャパシティーやスキルが 【 5 】 だとします。そこに辛く苦しい境遇を与えて頂いたとします。辛く苦しい状況にもかかわらず、自分の出来ることは何とか自分でしよう!!自分のすべきことは何とか自分でしよう!!として、同じ 【 5 】を達成することができた時、その方が普段の状態に戻った時は、【 6 】のことができるほどのキャパシティーの広がりやスキルアップがされていると思うのです。同じものごとでも、平常時とそうでない時とでは、自分にかかってくる負荷は大きく変わると思うのですが、その負荷を負荷ともせず、自力で乗り越えようと、努力し、頑張るからこそ、キャパシティーが広がり、スキルがアップするのだと思うのです。辛く苦しい時は、それまでの自分を、今の自分が乗り越えることができるかどうかの、お試しのようなものなのだと思うのです。お試しを与えて頂けるということは、乗り越えられる可能性があるからこそ、与えて頂いているのだと思うのです。それならば、辛く苦しい境遇を与えて頂いたとしても、自分を信じて、自分を頼りにして、自力で何とかしようと、頑張らせて頂く甲斐があると思うのです。そうやって、キャパシティーを広げたり、スキルをアップしていくと、人としても、仕事としても、人様からの信用や信頼を得ることに繋がっていくのだと思うのです。反面、人は楽な方、楽な方へと逃げたがることが多々あると思うのです。少しばかり辛く苦しい境遇になったからといって、自分には出来ない、とすぐに諦めたり、自助努力はせず、人様にすぐに頼ったり、被害者面して、人様の助けを求めたり、自分の出来ることや、すべきことからも逃げてしまう。。。それでは、キャパシティーを広げたり、スキルアップの為の貴重な機会を無駄にしてしまうどころか、辛く苦しいことがある度に頼り癖や他力本願が露わになれば、キャパシティーもスキルも、当初より下がってしまうと思うのです。そればかりか、安易に人様に頼るという、相手のことを考えない利己心の現れや自分のことしか考えていない自分勝手な頼り癖や他力本願な姿勢に、人様からの信用や信頼を失うばかりか、人様から敬遠されたり、軽蔑されてしまい、折角の貴重なご縁が疎遠になってしまうことすらあると思うのです。一度、人様からの信用や信頼を失い、軽蔑されたり、疎遠になってしまうと、それを挽回することは、それこそ容易ではないと思うのです。だからこそ、どんなにか辛く苦しい時でも、まずは、自分の努力や頑張りで解決させよう、とすることが大切だと思うのです。それでも駄目な時は、自尊心を捨てて、人様のご助言やご指導に耳を傾けさせて頂き、それを活かさせて頂くことが大切だと思うのです。それでも駄目な時、初めて人様に頼らせて頂いたり、人様に助けを求めたり、ご相談させて頂けば良いのだと思うのです。その時、自助努力や頑張りの過程を見て下さっている方々は、人として信用・信頼できるその人の相談に耳を傾け、助けて下さると思うのです。人様に助けて頂いたときは、心から感謝させて頂き、そのご恩に報いさせて頂くことができるよう、努めさせて頂くことが大切だと思うのです。そして、時に、自分を頼り、自分に助けを求める方が現れた時は、その方やその方の状況を冷静に、客観的に判断させて頂いた上で、助けることを選択した時は、自分が人様に助けて頂いたように、相手の立場になって助けて差し上げれば良いのだと思うのです。そのようにさせて頂くこともまた、自分を助けて下さった方々への恩返しの一つになると思うのです。--------自分でしようとせず、人様を頼りにしたり、人様を当てにする心。。。依頼心。。。私たちに日々与えて頂いている様々な境遇は、私たちの魂の修正や成長の為に、その時の私たちにとって必要なことが、その時の私たちにとって必要な形で与えて頂いているものだと思うのです。ということは、私たちに与えて頂いている様々な境遇は、それが私たちの自分勝手な自分基準によるものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方で、自分に都合が良いものであろうとなかろうと、私たちにとって貴重な機会であり、自分で解決できるものだからこそ、そして、自分で学び、気付かせて頂くことができるものだからこそ、与えて頂いているものなのだと思うのです。そのような貴重な境遇を与えて頂いていながら、その境遇を目の前にして、直ぐに投げ出したり、諦めたり、不平・不満を抱いて、自分では何もせず、人様にやって頂こう、人様に助けてもらえば良いとして、他力本願の人任せで生かさせて頂いていては、自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いた貴重な機会が、自分の為にはならないどころか、貴重なチャンスを自ら捨てていることになると思うのです。自分の為に与えて頂いている貴重な機会と向き合わないということは、自分と向き合うことを自ら拒否していることにもなると思うのです。自分で自分を拒否するということは、自分で自分を信じることができない、ということと同じだと思うのです。自分で自分を信じることが出来なければ、本来自分に与えて頂いている力を生かすことができないばかりか、自分に与えて頂いている力をも信じることが出来ないということ故に、自分に与えて頂いている力は、自分を信じない度合いに比例して、弱まっていってしまうと思うのです。 (逆に捉えれば、自分を信じれば信じるほど、 自分に与えて頂いている力は強まる、ということでもあると思うのです。 それ故に、一見、「できない」と思えるようなことでも、 「できる!」と信じることで、「できる」ことがあるのだと思うのです。)自分なりの努力や頑張りの末、自分だけではどうにもならないとして、家族や人様に相談をさせて頂いたり、家族や人様にご指導を仰ぐという形で、家族や人様に頼ったり、甘えたりすることは、お互い様の心、助け合いの心をもつ心ある人間同士故に、あって然るべきだと思うのです。しかしながら、頼ることや甘えることに慣れてしまい、自分でできることさえも、人様に頼り、甘えてしまうことを繰り返していると「自分でできること」が、知らず知らずの内に「自分でできたこと」という過去形になってしまい、 自分でできるはずのことが、本当にできなくなってしまうと思うのです。それはまさに「自分でできる」という力が弱まり、「自分でできた」という失われた力に変わったことを現していると思うのです。自分に与えて頂いている様々な境遇から生じた問題(課題)を、人様に頼って、人様に甘えて解決させて頂いたとしても、それは一時的に解決しているように見えているに過ぎず、自分で解決しているものではないが故に、根本的な解決にはなっていないと思うのです。 (根本的な解決になっていないと、同じようなことで 同じような間違いや過ちを繰り返しやすくなると思うのです。)自分の問題(課題)は、自分で解決させて頂くからこそ、自分で解決しようと努めさせて頂くからこそ、学びや気付きとなって身に付き、正すべきが正されるのであって、自分の問題(課題)を、人様に解決して頂いても、そこからは、自分の学びや気付きは生まれず、正すべきも正されず、何も身には付かないのだと思うのです。 (自分が解くことができない数学の問題を友人に解いてもらっても、 解き方の根本が分からなければ、結局自分では解けないのと 同じだと思うのです。)もし、そこから学びや気付きとして身に付くことがあるとすれば、 「自分で出来ることは、人様に頼らず自分ですべき。」ということだと思うのです。楽な方へ、楽な方へ、と向かいやすい(逃げやすい)私たちは、頼ったり、甘えたりすることが、簡単に癖になってしまうと思うのです。 (本人としては「楽な方」へ逃げているつもりが、 天から見れば、「落な方」へ落ちている、つまり、 自分の力が弱まっている、ということになるのだと思うのです。)自分の心の拠り所を、人様に頼り、甘えることに置くのではなく、「何が正しいのか」を知っている自分の【良心】を、自分の心の拠り所として、生かさせて頂きたいものですね。--------もし、私たちがご神仏の立場にあるとき。。。 自分では何らの努力もしない。 (ご本人としては、努力をしているつもりでも、 その努力は、願望成就の為の崇拝、信仰、祈りばかりで、 自らの力で願望を達成しようとする姿勢や努力がない。。。) 自分では何も考えない。 (ご本人としては、考えているつもりでも、 その考えは、願望成就して頂く為にはどうすれば良いかを 考えているだけで、自らの力で願望を達成する為の方策等を 考えているわけではない。。。)などのような、他力本願で願望を成就しようとしている人や、願望成就を期待し、その見返りとして、形ばかり崇拝、信仰、寄進するという下心が見え見えの人や見え隠れしている人に、崇拝されたり、信仰されたり、寄進されたりしても、そのような方々の願望を叶えて差し上げよう、という思いには至らないと思うのです。同じ地上において、 「自分の出来ることをしよう!」 「自分がすべきことをしよう!」 「上手くいくか分からないけど、やるだけやってみよう!」 「失敗したけど、これも成功のもと! 気持ちを新たにして頑張ろう!」 「神仏は尊し。ゆえに神仏を頼らず。。。 お見守り頂いているだけで感謝感謝だ!! 私の努力、頑張りを見ていて下さいね!!」などとして、試行錯誤を繰り返し、日々努力し、頑張り続けるという美しい姿の人々を差し置いて、他力本願による願望成就を望むような方々の願望を叶えて差し上げよう、という思いには至らないと思うのです。そもそも、地上という場所が、魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場であることを考えれば、 努力をさせて頂くことが当たり前。。。 自分の出来ることは自分ですることが当たり前。。。 自分のすべきことは自分ですることが当たり前。。。 ご神仏に対する依頼心を大きくするのではなく、 自分を信じる心を大きくし、自らの努力に期待することが当たり前。。。 だと思うのです。だからこそ、ご神仏からすれば、 「努力している人に手を差し伸べたい。。。」 「頑張っている人を応援したい。。。」 「努力しない人には、努力することの大切さを知って頂きたい。。。」という思いになるのが自然だと思うのです。そして、何らかの期待や見返りなどの下心をもって、崇拝、信仰、寄進に頼る人々に対しては、 「地上は、修行の場です。。。 魂の修正や成長をする為には、自らの努力が必要です。。。 自らの努力なくして、魂の修正や成長はできません。。。 だからこそ、努力して生きて下さい。。。」 「私たちを崇拝、信仰するよりも、自分自身を信じて下さい。。。 自分自身を信じている人でなければ、 天は手を差し伸べることができません。。。」 「自分自身を信じて生きることができるように、 良心という心の羅針盤を授けました。。。」 「金銭や物品に寄進は、地上だけのもの。。。 私たちのところには届きません。。。 私たちのところに届くのは(私たちがいつも見えているのは)、 地上のあなたたちが心で思ったことそのものです。。。 祈りも同じです。。。」などのような思いを、私たちの心に届くよう、切々と投げかけて下さっていると思うのです。そのような天の思いを有難く受け留めさせて頂くことができるような自分、天の意を汲ませて頂きながら、天より与えて頂いた良心に従って、生かさせて頂くことができるような自分であることができるよう、日々、何ごとに対しても努力して生かさせて頂きたいものですね。天より授かった良心に従って、努力して生かさせて頂くその生き方は、天に対する恩返しにもなると思うのです。天は私たちからの恩返しを求めているわけではないと思うのですが、私たちが良心に従って努力して生かさせて頂くことが、天に通じる生き方故に、天は私たちの努力を好んで下さるのだと思うのです。自分の力を信じる。。。自分の可能性を信じる。。。心に死しても生き返る不死鳥を。。。源光 「依頼心を無くしていきましょう。 自分が持っている力が弱まっていくからです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209190000/「何とかなります。 やることをキチンとやっているからです。 どうにもなりません。 人頼みだからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510150000/ 「他人頼みでは、埒(らち)があきません。 人は自分のことで精一杯だからです。 自分が動くことで、事態を動かすしかありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412250001/ 「勤勉なしに、賞はありません。 努力なしに成功もないのです。 楽して成功しよう、儲けようという考えは そもそも間違っているのですから 天が助けてくれるはずもないのです。 苦難に押し潰されそうになっても 泥の中を這いつくばって耐えに耐え、 それでも、なぜ自分ばかりがこのような目にあうのか!!と 人を妬まず、生きて生きて生き抜く。。。 ここまでやらねば天は助けてくれないのです。 それは当たり前の事ことです。 だってあなたよりも優先して助けなければならない人は 世界中に溢れているのですから。。。 それこそ何十億人も。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412060000/ 「苦しくとも、できる限り自力で頑張りましょう。 安易に他人の同情を求めると、軽蔑という、 厄介なものが付いてくるからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402110003/ 「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 「物事には順番というものがありますから 割愛しないでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510020000/「あなたがすること、 それは、今、しなければならないことに 集中することです。 それが、たとえ断崖の道であろうとも 進まなければなりません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407210000/「今いる場所から始めるのです。 自分の持っているものを全て使って、 できることをするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407050001/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/「汝、天は準備のできていない人を助けないことを知り、 日々精進して偶然を必然とせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112050000/「神仏にいくら祈ってもすがっても、夢が叶うことはありません。 神仏は、コツコツと努力している姿を評価して、 ご褒美を降ろしてくれるわけです。 基本、神社仏閣で、お願いはしない方がいいのです。 おかしなものと同通してしまうからです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409220000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409220001/「苦しい時、神頼みをする人。 神は、あなたを愛の心で突き放します。 苦しい時、懸命に歯を食いしばって頑張る人。 神は、あなたを助けます。。 最もよく人を幸せにする人が 最もよく幸せになります。 これは、人類が誕生して以来、不変の法則です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311080000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311090000/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に、 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に、 天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「なんとかなる。。。。なりませんね。。。 なるわけがないのです。 やるべきことをやっていないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403090000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.10
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「喜びましょう。 期待しましょう。 明日を見ましょう。 そうです。 明日は、晴れるのです。 寒い冬ももう終わりです。。 あなたの人生。。 春の陽射しがそこまで来ていますよ。」朝の来ない夜はない。。。春の来ない冬はない。。。止まない雨はない。。。ものごとはいつか必ず良い方へ変わる♪という意で遣われる言葉だと思うのです。長いようで短い人生。。。短いようで長い人生。。。 良いこともあれば、悪いこともあると思うのです。 嬉しいこともあれば、悲しいこともあると思うのです。 楽しいこともあれば、苦しいこともあると思うのです。 健康な時もあれば、病気の時もあると思うのです。人生の過程において、色々あるからこそ、人生は面白いのだと思うのです。色々経験させて頂くからこそ、学べるのだと思うのです。正すべきを正せるのだと思うのです。少し見方を変えさせて頂くと、 「良い」とはどういうものかを知る為に「悪い」を経験させて頂く。。。 「悪い」とはどういうものかを知る為に「良い」を経験させて頂く。。。 「嬉しい」とはどういうものかを知る為に「悲しい」を経験させて頂く。。。 「悲しい」とはどういうものかを知る為に「嬉しい」を経験させて頂く。。。 「楽しい」とはどういうものかを知る為に「苦しい」を経験させて頂く。。。 「苦しい」とはどういうものかを知る為に「楽しい」を経験させて頂く。。。 「健康」とはどういうものかを知る為に「病気」を経験させて頂く。。。 「病気」とはどういうものかを知る為に「健康」を経験させて頂く。。。ということでもあると思うのです。「悪い」を知るからこそ、「良い」の有難みが分かると思うのです。。。「悲しい」を知るからこそ、「嬉しい」気持ちが一入になり、人様の気持ちも分かるようになるのだと思うのです。「苦しい」を知るからこそ、「楽しい」という喜びを実感することができ、人様の気持ちも分かるようになるのだと思うのです。「病気」をしるからこそ、「健康」の有難みが分かると思うのです。。。「良い」を知ったのであれば、「悪い」にならないように。。。「嬉しい」を知ったのであれば、「悲しい」にならないように。。。「楽しい」を知ったのであれば、「苦しい」にならないように。。。「健康」を知ったのであれば、「病気」にならないように。。。調子に乗ったり、傲慢になったり、無理をしたりすることのないよう、いつも良心に従い、自分の言動に責任をもって、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。楽は苦の種、苦は楽の種。。。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。。。苦楽は相伴う。。。禍福は糾える縄の如し。。。今が良ければ、次は悪いことが。。。今が悪ければ、次は良いことが♪今が楽しければ、次は苦しいことが。。。今が苦しければ、次は楽しいことが♪ということだと思うのですが、 「今が良ければ、次は悪いことが。。。」 「今が楽しければ、次は苦しいことが。。。」の時は、今の良好で楽しい状態においても、増長することなく、傲慢になることなく、謙虚な姿勢で過ごさせて頂いていれば、過度に悪くなったり、苦しむことからは、回避されると思うのです。良いときであろうと、悪いときであろうと、楽しいときであろうと、苦しいときであろうと、その時々によって、心のあり方や生き様、言動がコロコロと変わることなく、いつ何時も同じ態度でいることができるような心を育ませて頂きたいものですね。そうすれば、自分に与えて頂いている全ての境遇について、 「有難いなぁ~♪」と思うことができる大きな心、豊かな心が生まれ、何が起こっても感情に左右されることなく、ものごとを冷静に、客観的に洞察することができ、大きな痛手を負うことから回避できると思うのです。 (良いこと、悪いこと等の基準は人それぞれで、 自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、 「これは良い♪」「これは悪い。。。」と 決めつけているだけだと思うのです。 それ故に、同じ境遇でも、ある人は「これは良い♪」とし、 またある人は「これは悪い。。。」とするのだと思うのです。 自分に与えて頂いている全ての境遇は、 その時の自分にとって必要なこと故に、 必然として与えて頂いていることを考えれば、 実は全てが「良いこと♪」なのだと思うのです。 ただ、それを「(自分にとって都合が)良いか悪いか」で、 分けて考えようとしてしまう私たちの思考の悪癖が、 邪魔をしてしまっているのだと思うのです。 ということは、例え、その時こそは、 自分基準で「これは悪い。。。」と感じることであっても、 時の経過とともに、 『あの時思った「これは悪い。。。」という経験があったからこそ、 今の自分があるんだなぁ~。。。あの経験は良かったんだなぁ~。。。」 と素直に思うことができることもあると思うのです。 結果的に「良いこと♪」になる。。。 だからこそ、全ては「良いこと♪」なのだと思うのです。)中には、 「朝の来ない夜はある。。。」 「春の来ない冬はある。。。」 「止まない雨もある。。。」と思われる方もいらっしゃられると思うのですが、本質が「心」である私たちにとって、心のあり方が変われば、その捉え方も変わってくると思うのです。後向き、否定的、消極的、悲観的な心のあり方や言動が多ければ、どんなにか、 「朝の来ない夜はない。。。」 「春の来ない冬はない。。。」 「止まない雨はない。。。」と希望や期待を抱いていても、自らのその心のあり方や言動によって、 朝が来ないように。。。 春が来ないように。。。 雨が止まないように。。。させてしまっていると思うのです。 (場合によっては、 朝がきているのに自ら夜にしてしまう。。。 春が来ているのに自ら冬にしてしまう。。。 陽が照っているのに自ら雨にしてしまう。。。 ということさえあると思うのです。 それもこれも、私たちの後向き、否定的、 消極的、悲観的な心のあり方や言動に。。。 自分自身に原因があるのだと思うのです。)ということは、その逆。。。前向き、肯定的、積極的、楽観的な心のあり方や言動を多くして過ごさせて頂けば、例え、 「朝の来ない夜はある。。。」 「春の来ない冬はある。。。」 「止まない雨もある。。。」と希望や期待を抱いていなくても、自らのその心のあり方や言動によって、自ずと自分を取り巻く環境や人が変わり、 夜が明けて朝がやって来る。。。 冬が明けて春がやって来る。。。 雨が止んでお天道様が照る。。。ようになるのだと思うのです。天のお立場になってみると、 苦難や試練を良心と理性に従って、 耐え忍び、心磨かれているところに、愛の光で応援を♪ 喜びや笑顔多きところに、幸運を♪ 期待と努力の継続あるところに、ご褒美を♪ 明日に夢や希望を抱き続けるところに、チャンスを♪というスタンスでいらっしゃると思うのです。良い時であろうとなかろうと、態度を変えることなく、いつも良心と理性に従う心のあり方や言動。。。喜びや笑顔が多くなる自分の心のあり方や言動。。。期待を抱きつつも依存せずに努力する心のあり方や言動。。。明日に夢や希望を持って諦めずに生きる心のあり方や言動。。。そういう前向き、肯定的、積極的、楽観的な心のあり方や言動を多くして、自分で自分を鼓舞し、応援しながら、生かさせて頂きたいものですね♪源光 「明けない夜は無いのです。 あなたの人生も同じことです。」(ラクシュミーさん)「たとえ今は不幸な状況であっても、 じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるのです。 いつまでも冬が続くわけではなく、春は必ず訪れます。 朝のこない夜もないのです。」(ラクシュミーさん)「暑さ寒さも彼岸まで、 残暑は秋の彼岸までに治まり、 余寒は春の彼岸までに和らぐので、 それ以後は過ごしやすくなるという自然の理です。 どのように困難な事態であっても、 やがては終わりが来て乗り越えることができます。 だから苦難の時も、諦めずに耐えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509140000/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、 トラブルも事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「心の病、大病など、根性や、精神力、 お金ではどうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「なにもかも失われても、未来だけはまだ残っています。 希望を持っている限り、天はそれを求める気の毒な人を、 決して見捨てはしないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306130000/「冬の時代にすべてを今すぐに知ろうとしても無理です。 心が春になって雪が解ければ観えてくるのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050001/「汝、苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112110000/「汝、順境にあって悲観し、逆境にいて楽観すべし」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111160000/「魂のレベルの高い人は 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。 ドンと来い!!試練。。 人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「物事を悲観すれば、悲観した通りになってしまいますが、 楽観的に考え口に出していると、物事は、全て良い方向に向かいます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204160000/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「人生は、悩み、挫折、後悔。。これの繰り返しだと思っていませんか? 本当は、悩みは幸運の種、挫折は喜びの種、後悔は輝く希望の畑です。 幸運の種と、喜びの種を、輝く希望の畑に蒔いて育てれば、 必ず大きな実りの日々が訪れます。 種だけを見ていると、本当につまらないものに見えるかもしれません。 苦難の多いあなたは、すでに心の長者の資格があります。。 たくさんの種を手にした選ばれた人なのです。 あなたのすることは、ただ、蒔いて育てる。。それだけのことです。 あなたの望むもの全ての種は、手の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312160002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.09
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「人から、 「あなたには絶対に無理だからおやめなさい。」 と言われることに、挑戦しない限り 本当の成功には手が届かないのです。」本当の成功。。。それは、生まれる前に自ら決めてきた人生設計通りに生かさせて頂くことだと思うのです。自分の人生設計。。。それは、 自分らしく生かさせて頂くこと。。。 自分が本当にやりたいことを見つけ、やること。。。だと思うのです。親や人様から 「あなたには絶対に無理だからおやめなさい。」 「あなたにできるわけがない。」 「そんなことをやってどうするの?」 「そんなことをやっても役に立たないよ。」などと言われることが多々あるものですが、それは、親や人様の価値観に過ぎないと思うのです。それにもかかわらず、なぜ親や人様から 自分らしく生かさせて頂くこと。。。 自分が本当にやりたいことを見つけ、やること。。。を妨げられるようなことを言われるのか。。。それは、親や人様に何と言われようと、 自分らしく生かさせて頂くこと。。。 自分が本当にやりたいことを見つけ、やること。。。を遂行できるくらいに 自分らしく生きる努力をしているか。。。 自分が本当にやりたいことを見つけ、やろうとしているか。。。を自分で自分に試している。。。更には、それが自分の本当の意志であるか否か、覚悟があるか否かを天が見極めて下さっているのだと思うのです。親や人様の目や言われたことが気になって、自分が本当にやりたいことができない。。。それは自分らしく生きていないと思うのです。 (親や人様の言われるがままに生かさせて頂いても、 親や人様は自分の人生の責任は取れないと思うのです。 自分の価値観で相手のことをああだこうだという 親や人様の無責任な言動にも問題があると思うのですが、 親や人様に言われたからとして、自分の夢や希望を捨てたり、 諦めてしまう自分らしく生きていない自分にも 問題があると思うのです。 辛く苦しいのは、自分らしく生きていないからだと覆うのです。)親や人様から言われたから止められる。。。諦めることができる。。。そのようなものは、自分が本当にやりたいものではないと思うのです。親や人様から何を言われようと、どのような妨げを受けようと、それらをものともせず。。。自分が本当にやりたいことが上手くいくかどうか分からずとも、誰にも認められなくても、 「やりたくて仕方のないことだから。。。」 「やっていると幸せで喜びを感じるから。。。」 「やらずに後悔したくないから。。。」ただただ自分を信じて、挑戦する努力を継続させて頂く。。。 そういう姿勢で生かさせて頂くからこそ、生まれる前に自ら決めてきた人生設計通りに生かさせて頂くことができるという本当の成功や、自分らしく、本当にやりたいことを見つけ、それをさせて頂くことができるという本当の成功を手中に収めることができるのだと思うのです。本当の成功とは、人為的に作られた地上的価値観による成功を収めることではなく、自分で自分に課した試練を乗り越えながら、魂の修正や成長をさせて頂くことや、自分らしく、自分が本当にやりたいことを見つけ、それに挑戦し続け、努力し続け、自分の心が喜び、幸せを感じる生き方をさせて頂くことにあるのだと思うのです。なぜなら、地上的価値観による様々な成功は、天に持ち還ることができないばかりか、死後は無価値になってしまうもの。。。であるのに対し、自分らしく、自分が本当にやりたいことに挑戦し続けることから生じる本当の成功は、私たちの本質である「心」を育むだけでなく、挑戦すること、努力すること、それを継続することなどの1つ1つの様々な経験が今生の「心の財産」として天に持ち還ることができ、死後の自分の魂を形作る価値あるもの。。。だからなのだと思うのです。小さな頃、やりたいことをやって幸せを感じていたように、大きくなっても、やりたいことをやって幸せを感じることができる自分でありたいものですね。源光 「親や他人の期待に振り回されないことですよ。 あなたにはあなただけの道があるのです。 正々堂々と、自分の道を歩んでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504190000/「いまの環境が自分の求めるものと違う時は その環境から転進することが前向きな選択になります。 これは決して負けたのでも、逃げたのでもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601160000/「誰の期待に答えなければならないと 必死になって考える夢が叶う事はない。 ただひたすら汝の魂が歓ぶ楽しい夢をみることだ。 汝は夢を叶えることができるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109140000/「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「自分が望んだように生き、そして、 それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、 自分が満足できるような行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「運の悪い人は、障害があると簡単に諦めるのが得意。 運の良い人は、諦めるべきものは、サッサと諦め、 諦めてはならないものは、不退転の決意で徹底的に粘るのが得意。 そんなことを、まだやっているのか!? 道を極めた人は、若い時から、この様に評価され続けた人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280001/「たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものですが、 そんな人は生涯何も出来ない人。。 相手にする方が間違っています。 人に笑われてバカにされた夢は叶うと思って間違いありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402110000/「自分で選んだ道ならば、堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/ 「人からの忠告に基づいて自分の人生を設計すると、 あなたの人生はいびつになるのです。 自分の人生は自分で設計すればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406230000/ 「まず自分自身を満足させるのです。 自分自身も満足させられない人に、 いったい何ができるというのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410220000/「同じ現象でも挑めばチャンス。。。逃げればピンチ。。。 ただそれだけのことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505300000/「この道を行けば、どうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 迷わず行けよ、行けば、分かる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202040000/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.08
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『「今日も自分のベストを尽くした」 と思いながら、就寝する。。 そうですよ。 最高の1日だったのです。 よく頑張りました。 』「自分、今日も良く頑張った! この調子で明日も頑張ろう!」今日という一日を頑張った自分を認め、褒めて就寝させて頂くと、新しい今日を迎えて目覚めた時も、それを引き継いで、 「よし!朝になったぞ! 今日も一日頑張るぞ! 今日も一日楽しむぞ!」という気持ちで、活き活きとした表情になると思うのです。その逆も然りで、「あの時、もっと頑張れたはず。。。」「どうして〇〇ができなかったんだ。。。なさけない。。。」などと悔やんだり、自分を責めたりして就寝してしまうと、せっかく新しい今日を迎えて目覚めても、その思いをそのまま引き継いできてしまい、後悔の念に苛まれ続けたり、憂鬱な表情になってしまうと思うのです。それでは気持ちの良い一日を過ごさせて頂くことも容易ではないと思うのです。だからこそ、就寝させて頂くときは、例え、頑張っていなかったとしても、例え、自分で納得のいく頑張りではなかったとしても、例え、怠けてしまっていた自分がいたとしても、例え、後悔するようなことをしてしまった自分がいたとしても、今日という一日を無事に乗り越え、何とか生き抜いてきたことに違いないと思うのです。そのような自分を認め、褒めてあげて、心地良い眠りにつかせて頂くことが大切なのだと思うのです。そのようにさせて頂くことによって、 「頑張っていなかったのに頑張った。。。 怠けていたのに頑張った。。。 何て言わなくて済むように本当に頑張ろう!」 「納得のいく頑張りはできるか分からないけど、 今日すべきこと、今日出来ることは、 今日するように頑張ろう!」 「後悔は今日以降に同じことを繰り返さないように 与えて頂いた貴重な経験だったんだ! 自分の言動に責任を持って頑張るぞ!」という感じで新しい今日をお迎えさせて頂くことができるだけでなく、昨日までの様々な経験を今日に活かして生かさせて頂くことができるようになるのだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上に生まれる機会を与えて頂いている私たちにとって、「今日」という日は「修行の日」だと思うのです。「今日」という「修行の日」を生き抜き、乗り越え、また新たな「今日(明日のこと)」という「修行の日」をお迎えさせて頂くことの繰り返し。。。。表現を変えさせて頂くと、地上でしか修行をさせて頂くことができないが故に、「今日」という「修行の日」の繰り返しは、その一日一日が貴重な日、貴重な時間だと思うのです。そのように考えさせて頂くと、 「地上でしか修行させて頂くことができないのに、 今、頑張らなくて、いつ頑張れるんだ? 自分の人生、いつ死んでしまうかもわからない。。。 それなら、今日という日を。。。今という一瞬を、 無駄になんてできないな。。。 同じ限られた人生を過ごさせて頂くのであれば、 自分らしく、その日その日にすべきことや出来ることを 努力して頑張っていこう! 死んでから後悔しても遅いし、 死んでから後悔したら、地上に執着が残るから、 死んでも死にきれなくなってしまうし。。。 よし!明日も頑張れるように、今日も無理なく頑張るぞ!」という感じで、同じ一日を過ごさせて頂くのでも、その一日に対する見方や価値観が大きく変わってくると思うのです。今日という貴重な日を頑張って生きることができるように、そして、有意義に過ごさせて頂くことができるように、今日の終わりは、頑張った自分を認め、褒めて、明日も頑張れるように、しっかりと就寝させて頂く。。。そういう日々にしていきたいものですね。眠ることは、今日の疲れを癒す為のものではなく、明日を頑張る為に必要な活力を養うための大切な時間だと思うのです。 -------- 一日の終わりを苦悩で終えれば、明日の始まりも苦悩に迎えられると思うのです。一日の終わりを乱心で終えれば、明日の始まりも乱心に迎えられると思うのです。一日の終わりを気持ちの良い自分で終えれば、 明日の始まりも気持ちの良い自分で迎えられると思うのです。一日の終わりを愛に満ちた優しい心と笑顔で終えれば、明日の始まりも愛に満ちた優しい心と笑顔で迎えられると思うのです。同じ一日でも、人それぞれ喜怒哀楽、色々なことがあると思うのです。その喜怒哀楽が、一日に大きな影響を与えることも少なくないと思うのです。嬉しいことや楽しいことなど、心が喜び、笑顔を生み出してくれるような気持ちの良い状態は、明日に繰り越させて頂くことによって、明日の始まりも気持ちの良い状態でお迎えさせて頂くことが出来ると思うのです。反対に、怒りや哀しいことなど、心が辛く苦しく、心の泣き顔を生み出すような心乱れた状態は、出来るだけ明日に繰り越さない方が、明日の始まりをより良い状態でお迎えさせて頂くことが出来ると思うのです。「新たに始まった」何かを「良き終わり」としてお迎えさせて頂く為には、一日を「良き始まり」でお迎えさせて頂けば良いと思うのです。「良き始まり」をお迎えさせて頂くには、「良き終わり」で一日を締めくくらせて頂くことが大切だと思うのです。終わり良ければ、始まり良し♪始まり良ければ、過程良し♪過程良ければ、終わり良し♪それ故に、終わり良ければ全て良し♪なのだと思うのです。毎日、気持ち良く一日の終わりを迎え、毎日、気持ち良い一日の始まりを迎え、毎日、気持ち良い一日を過させて頂くことの繰り返しが、「良き終わり」と新たな何かの「良き始まり」をお迎えする準備になっているのだと思うのです。「良き終わり」と「良き始まり」をいつお迎えさせて頂いても良いように、一日を「良き終わり」で締めくくらせて頂けるよう、気合を入れて生かさせて頂きたいものですね♪ 源光 「働くこと、頑張ることを楽しみなさい。 寝る前に、今日一日頑張った自分を褒めてあげなさい。 汝は大いなる天啓を得るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109090000/「何があろうとも。。寝る前には心安らかに。。。 明日を信じて眠りについてください。。。 明日は好転するのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506240000/「眠りにつく前に、 その日にどんなに嫌なことがあっても 「今日はいい日だった」とつぶやくのです。 そうです。。。 明日は良い日に変わるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501280000/ 『「よし、朝だ!」というのも、 「あーあ朝か」というのも、汝の心次第だ。 今日という日は二度と来ない。 今日は天と交信できる日かも知れぬ。』(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108220000/「人は誰でも過ちを犯すものです。 犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「人は、日常の生き方で未来が決まるのです。 普段の心のありようが一番大切です。 他を害さない、傷つけない、相手の心を痛めない。。ことですよ。 相手を苦しめれば、その行為によって自分が苦しむことになります。 さらに相手の恨みを受けて苦しみが増幅するわけです。 相手の心を害したときは、すぐに謝るなり償うなりして、 一刻も早く、清算しておくことです。 心は丸くおだやかに。。 これが未来を開き、日々を豊かに送るコツなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601180000/ 「あなたが自分の最大の欠点を修正できるならば、 そこから、あなたの本来の人生が始まります。 それまでは助走期間に過ぎない人生です。 助走のみで還って来た人は、 一人の例外なく後悔の念にとらわれます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501060000/「過去を振り返りましょう。 後悔するためではありませんよ。 これからくよくよしないためです。 「あのときはなんてばかなことをしたんだ」 と思い出しましょう。そして 「あのときはこうすればよかったんだ」 という解決策を考えましょう。 よりよい言葉、よりよい行動、よりよい考え方を、自分で発見するのです。 次からそれを具体的に実行しましょう。 頭の中だけで思うのではなく、必ず実行することが大切です。 こうして以前、失敗したことも、成功するようになります。 全てが好転していきます。 欠点が長所となって輝き、理想的な人間へと修正されて 素晴らしい人生となって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「現在うまくいっているとしても、 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、 諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.07
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「夫婦円満のために 干渉しない時間を持ちましょう。 そっと相手をひとりにしてあげましょう。 夫婦で同じ屋根の下で暮らしているからこそ プライベートの時間が必要なのです。」 力を合わせるべきときに、いつでも力を合わせることができるような夫婦関係を築かせて頂いていれば、それ以外の時は、お互いがお互いを干渉、束縛、監視するようなことはせず、各々の自分の自由な時間を、自分の趣味など、自分のやりたいこと、好きなことに使わせて頂き、有意義に過ごさせて頂くことが大切だと思うのです。裏を返させて頂くと、各々が各々を干渉、束縛、監視することなく、自分の自由な時間を有意義に過ごさせて頂いているからこそ、力を合わせるべきいざという時に、二人三脚というタッグを組んで力を合わせることができるのだと思うのです。自分の自由時間がないくらいに二人三脚になってしまうと、「自分」として過ごさせて頂くことができなくなってしまうと思うのです。自分の自由時間を過ごさせて頂いていても、相手から干渉、束縛、監視されたり、自分の行動について、ああだこうだと言われたりすれば、自分の自由時間であるにもかかわらず、自由を感じることがなく、窮屈さを覚えたり、時にはストレスさえも感じてしまうと思うのです。それでは、いざという時に、二人三脚で、力を合わせることも容易ではなくなってしまうと思うのです。夫婦とはいえ、個性ある人間同士。。。近過ぎるくらいに身近なもの同士だからこそ、各々が各々に対して無遠慮になったり、相手の自由を干渉、束縛、監視などにより侵害するのではなく、相手を尊重し、相手を思い遣る心が大切だと思うのです。-------- 束縛は、相手を自分の思い通りにしたい、という利己心から生まれる相手の自由を奪う自分勝手な思いや行いだと思うのです。相手を束縛して、自分の思い通りにしたところで、相手の心は、逆に、自分からどんどん離れてしまうだけだと思うのです。 (束縛されている相手にしてみれば、 「束縛したがるということは、自分は信用されていない。。。 信頼されていない。。。ということだなぁ。。。 そんなに信用されていないんだなぁ~、自分は。。。」 と 思ってしまうと思うのです。 その結果、心がどんどん離れて行ってしまうのだと思うのです。)相手の心が離れていってしまうことこそ、心ある人間同士としては、とても寂しいことだと思うのです。それが、自分の愛する相手だとすれば尚のことだと思うのです。しかしながら、心が離れていってしまう原因が、相手を自分の思い通りにしたい、という自分勝手な思いから、相手を束縛をしている自分にあるのであれば、それも致し方のないことだと思うのです。愛する相手の心が離れてしまうことを望まないのであれば、束縛とは反対のことをさせて頂けば良いのだと思うのです。束縛の反対、つまり、自由にして差し上げれば良いのだと思うのです。愛する相手を自由にして差し上げ、相手の自由な行動を大きな心で見守らせて頂く。。。そういう相手を思い遣る心を持たせて頂きたいものですね。また、相手が明るく、元気に、楽しそうな笑顔で自由に過ごしている様子を見て、自分も嬉しくなるような豊かな心を持たせて頂きたいものですね。 (相手を束縛していようといまいと、相手が暗くなり、元気もなくなり、 笑顔すら浮かべなくなったら、相手を愛する自分も暗くなり、 元気もなくなり、笑顔もなくなってしまいがちになると思うのです。 それならば、相手が明るく、元気に、楽しそうな笑顔で 自由に過ごしている様子を見ている方が、自分も明るく元気になり、 何倍も幸せを感じることができると思うのです。)そもそも、自分の自由を奪われることは、誰も望むものではなく、誰にとっても嬉しいことではないと思うのです。自分が束縛されて嬉しくないと感じるのであれば、人様も同じように嬉しくないと感じるということ故に、自分がされて嬉しくないことは、人様にもすべきではないと思うのです。心ある人間同士。。。この世的なお互いの行動の自由を束縛し合っても、自分の自由を奪う相手に対して、不平や不満、怒りなどを覚えて、心が離れるだけ。。。それならば、この世的なお互いの行動は、お互いに自由に過ごさせて頂いても、いつも心と心は繋がっている。。。お互いの心が帰りたいと思う場所は、相手がいる場所であり、相手の心。。。というような、お互いの心と心が信用・信頼し合い、お互いがお互いに安心感を抱けるような心と心の深い繋がりを築かせて頂きたいものですね。お互いが自分の自由を満たさせて頂くことができると、お互いに、自分を自由にさせてくれる相手に対する感謝の心や、お互いの時間をもっと大切にしよう、という相手を思い遣る心や、何かをして相手に喜んでもらおう♪、という豊かな奉仕の心が生まれ、より心と心の繋がりやお互いの間にある愛をも深めることができるのだと思うのです。お互いに行動は自由でも、心と心はいつも繋がっている。。。そのことを忘れるほどに、相手に対する安心感があると、自分の自由を楽しみ、満喫することができる。。。そういう心と心の関係を築かせて頂きながら、お互いの愛を育ませて頂きたいものですね。-------- 人様を干渉したがる人に限って、干渉されることは嫌がる。。。人様を監視したがる人に限って、監視されることは嫌がる。。。人様を拘束したがる人に限って、拘束されることは嫌がる。。。人様の自由を奪いたがる人に限って、自由を奪われることは嫌がる。。。人様に何かを押し付ける人に限って、何かを押し付けられることは嫌がる。。。人様に何かを聞いて欲しい人に限って、人様のお話を聞くことは嫌がる。。。人様に自分を認めて欲しい人に限って、人様のことを認めることは嫌がる。。。自分がされて「嫌だなぁ~。。。」と思ったり、感じたりすることを、人様に平気でしてしまうのは、ただの我侭、自分勝手、利己心の表れでしかないと思うのです。干渉・監視すべきは、自分の言動であり、拘束すべきは、「拘束しよう」「束縛しよう」という利己心だと思うのです。~悪因悪果~「悪いこと」という悪果は、悪行から生まれるものだと思うのです。悪行は耽るもの。「耽る」は、一つのものごとに熱中すること。。。見方を変えさせて頂けば、周りが見えなくなる、ということでもあると思うのです。「人様の嫌がること」という悪行ばかりして、周りが見えなくなると、気付いた時には、自分がしてきた人様に対する悪行を自分がされる立場になってしまうと思うのです。なぜ、自分がされる立場を経験させて頂くのか。。。それは、「人様の嫌がること」をしてきた自分が、「自分が嫌がること」を人様にされることを通じて、人様が抱いた嫌な思いを人様の立場になることによって知り、反省し、正させて頂く為に経験させて頂くのだと思うのです。修正すべき点を修正させて頂くチャンス、ということでもあると思うのです。そのようなチャンスを大切に生かさせて頂く為には、「人様の嫌がること」をしてきた自分を反省させて頂き、自分が人様にされて嬉しくないことはせず、自分がされて嬉しいことをはじめ、「人様の喜ぶこと」をさせて頂きたいものですね。「人様の喜ぶこと」をさせて頂くという、相手を思い遣る愛の心、優しい心は、相手にそれを押し付けたり、相手からの見返りを求めたり、相手に何かを要求するようなgive & take なものではなく、ただただ相手を思う愛の心、優しい心から、与え尽くす give & give の心のことを言うのだと思うのです。人様の思想や行動の自由を奪う「拘束」は、「愛」ではないと思うのです。それを「愛」だと思い込んでいる自分の思想や感情を相手に押し付け、強制しているだけの「支配」、自己満足を得る為の「支配」に過ぎないと思うのです。愛の心や優しい心は、ただただ与え尽くすもの故に、相手の方がそれを受け入れて下さろうと、受け入れまいと、それは相手の方の自由。。。それ故に、愛の心や優しい心をもって人様に接した時に、それが相手に伝わらなくても悲しむことはないと思うのです。十人十色。。。千差万別。。。伝わる方には伝わり、伝わらない方には伝わらないもの。。。それはそれで良いのだと思うのです。愛の心や優しい心をもって、人の心と人の心が接し合うことができるとき、そこには「愛」という名の信用・信頼が生まれ、強い絆が築かれていくのだと思うのです。「愛」という名の強い絆が築かれたとはいえ、相手に無遠慮になって良い、というものではないと思うのです。「愛」によって強い絆が築かれたからこそ、 親しき仲にも礼儀ありという、「愛」ある礼儀、礼節を大切にさせて頂くべきなのだと思うのです。「愛」ある礼儀、礼節を大切にさせて頂くからこそ、信用・信頼が深まり、より「愛」を深めることさえも、出来るようになるのだと思うのです。源光「二人三脚で走る。。歩く。。散歩する。。語り合う。。 夫婦で力を合わせると素晴らしい世界が開けます。。 いつも二人三脚ではなく個人の時間も大切にしている夫婦は、 年齢を重ねるごとに幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160000/「互いを束縛しないことです。 互いを結ぶ紐は解けやすくしておいて、自由なのがよいのです。 豊かな心は、思いやりと愛を育みます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402220000/「互いを監視するのはやめましょう。 あなたが自由になれば、相手も自由になれます。 人は、相手を拘束した分だけ、自分も拘束されるのです。 愛とは、互いを信頼すること。。拘束することではありません。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402160000/ 「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.06
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「他人の怒れるときに静かにそれを観察する。 心に一切の波風が立たない。 これが当たり前のようにできた時に 初めて人となれるのです。 まだまだ修行が足りないあなた方ですが だからこそ地上に生があるわけです。」怒れる人に怒りをもってお応えすることは、火に油を注いだり、薪に油を注いだり、水が目一杯注がれたグラスに更に水を注ぐようなもので、更なる相手の怒りを生み出してしまうだけだと思うのです。怒りは破壊を生み出す凄まじいエネルギー故に、その怒りに対して、同じように破壊を生み出す怒りで応えるとすれば、破壊しか生み出さないと思うのです。裏を返させて頂くと、怒りに対して怒りで応じることなく、行かれる様子に動じることなく、臆することなく、怒りを包み込むような大きな心、愛の心で冷静に、優しく包み込んで差し上げれば、「破壊」が生み出されないばかりか、既に「破壊」されたものの再生を促すこともあれば、何か新しいものを生み出す新生をも促すこともあると思うのです。 (怒りによって生み出された「破壊」のエネルギーを 心のあり方を変えることによって「再生」や「新生」の エネルギーに変えることが出来るのだと思うのです。)天は、地上の私たちがどんなにか怒り狂い、良心に背き、お互いに傷つけ合ったり、地球さんを汚したり、破壊したりしても、それに対して、怒りで応じることは無いと思うのです。。。ただただ無償の愛でお見守り下さるだけ。。。なぜ、ただただ無償の愛でお見守り下さるだけなのか。。。それはきっと、全てが因果応報故なのだと思うのです。怒り狂う。。。 ⇒その怒りによって自分の魂や心身を滅ぼすことに。。。良心に背く。。。 ⇒業を積み、魂のレベルが下がることに。。。人様を傷つける。。。 ⇒自分だけでなく、家族、親族が傷つけられることに。。。地球さんを汚す。。。破壊する。。。 ⇒汚すこと、破壊することは、短時間で簡単にできるものですが、 一度汚したり、破壊したものをもと通りにしようとすると、 何十年、何百年という歳月がかかると思うのです。 それが意味するのは、私たちや私たちの子孫が生かさせて頂く環境が、 極めて劣悪になり、生き難い環境になることに。。。上記のような因果応報になるからこそ、自分が蒔いた種は自分で刈り取ることになるからこそ、天は、地上の私たちに怒ることなく、ただただ無償の愛という大きな心、愛の心でお見守り続けて下さるのだと思うのです。天が地上の私たちにして下さるように、地上で修業をさせて頂いている私たち人間同士も、一人一人が感情に左右されることなく、一人一人が良心に素直に従い、理性的に、そして、お互いを思い遣る心を持って、ものごとに対処することができるような大きな心、豊かな心、愛の心を育ませて頂くことがとても大切なのだと思うのです。--------「怒」は、「奴」に「心」と書きます。「奴」は、ものごとをぞんざいに指していう言葉だそうです。「ぞんざい」は、「いいかげんにものごとをするさま」のことだそうです。そうすると「怒」とは、 自分の「心」をぞんざい(奴)に扱っている。。。 自分の「心」を大切にしていない。。。ということだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場で修業させて頂くことを自ら決め、地上に生まれる貴重な機会を与えて頂いた結果、「今」をこの世で生かさせて頂いている私たち。。。「怒り」という感情によって、人様や何かを傷つけたり、破壊するだけでなく、自分や自分の人生をも台無しにしてしまうことのないように、「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、自分の感情をコントロールさせて頂きながら、理性的に生かさせて頂きたいものですね。--------「怒りに対する、最善の手段は猶予である。」 (セネカさん)「怒り」を感じてしまったときは、既に「怒り」感じてしまっているわけですから、 「怒り」を感じてしまった自分を悔やんだり、責めたりしても仕方がないと思うのです。 (「怒り」を自分以外の他のせいにしても仕方がないと思うのです。 なぜなら「怒り」という感情が生み出された原因はなんであれ、 「怒り」そのものを生み出したのは自分自身に他ならないからです。)「怒り」を感じてしまったときは、それを表情や心にあらわにしてしまった自分自身を悔やんだり、責めるのではなく、そういう感情をもっている自分がいるということを素直に認め、受け入れさせて頂けば良いと思うのです。そして、「自分で自分を赦してあげる」ことをさせて頂けば良いと思うのです。自ら生み出した「怒り」の感情を「爆発」させるということは、何を隠そう、自分の心身を傷つけていることになると思うのです。 (怒りの矛先を自分以外に向ければ、 自分以外を傷つけることにもなると思うのです。)「怒り」は、自分の心や細胞さん一つ一つに針を刺すようなものなものだと思うのです。ただ「怒り」故に痛みを感じることもなく「爆発」しているだけだと思うのです。 怒りを感じた後(感情の爆発後)、何ともいえないむなしい気分になったりすることがあるものですが、それは心や細胞さんたちが傷つき、疲れてしまっている状態だと思うのです。そういうことを繰り返していくと、心身の病になってしまうと思うのです。そのようにならないように、「自分で自分を赦してあげる」ことをさせて頂くことが大切だと思うのです。「自分で自分を赦す」ことは、自分を愛していることでもあると思うのです。同じ「怒り」という感情に対してでも、 「怒りを抑えなければ!」 「怒らないようにしなければ!」と自分に圧力をかけたり、自分に言い聞かせたり、自分にストレスをかけて、更なる怒りを生み出してしまいかねないようなことをするよりは、「自分で自分を赦す」という焦りのないマイペースな形で、「怒りを感じてしまった自分」だけでなく、生み出されてしまった「怒り」のエネルギーをも、みんなが自分で持っている愛の心で優しく包み込んで差し上げれば良いと思うのです。そして「怒り」のエネルギーのベクトルの向きだけを変えて、ポジティブなエネルギー(例えば「再生」のエネルギーなど)に自分で転換させて頂けば良いのだと思うのです。怒りや不安、恐怖、不平不満の念が入り乱れている今の世の中だからこそ、そのベクトルの向きを変えて行こうとする心のあり方によって、心の平和や世界の平和が、同じように引き寄せられてくると思うのです。怒りを感じてしまったときは、怒りの感情に左右されて(支配されて)、怒りを繋ぎとめようとするのではなく、怒りのエネルギーを手放す方が、(怒りのエネルギーを他のエネルギーに転換する方が)自分の心身にも、周囲の方々の為にも、みんなの為にも、全体の為にも良いことだと思うのです。お互いを傷つけ、破壊してしまう「怒り」には、「怒り」以外の、お互いを優しく癒し、穏やかに再生、新生を促すような大きい心、豊かな心、優しい心、愛の心をもって、応えさせて頂くことが出来るような自分を育ませて頂きたいものですね。 --------怒りを以て、相手や何かを制したつもりでも、それは怒りの感情によって支配されてしまっている自分の自分勝手なものごとの見方でしかないと思うのです。怒りは、結局のところ、自分で自分の心を貶めるだけでなく、自らの怒りの鋭いエネルギーにより自分の身体を蝕んだり、怒りを投げかけられた相手の不平不満、復讐心などを買うことになるだけで、何一つ良い事は無いと思うのですが、怒りの感情がそれを分からなくさせてしまっていると思うのです。それ故に、勝ったようで負け、なのだと思うのです。反対に、怒りを感じたとしても、その怒りの感情に支配されることなく(自ら怒りを制し)、相手や何かの立場になって、冷静さ(平常心)と客観的視点を以て、善処させて頂けば、自分で自分の心を貶めることも無く、自らの怒りの鋭いエネルギーによって自分の身体を蝕むことも無く、相手に不平不満、復讐心などを抱かせることもなく、万事が上手く運ぶようになると思うのです。むしろ相手には、喜んで頂けることさえあると思うのです。相手に喜んで頂けると自分も嬉しくなる。。。事の発端こそ、怒りを感じてしまったとしても、その怒りを露わにするのではなく、耐え忍んで制したからこそ、そのような良い結果に恵まれるのだと思うのです。それこそ、負けたようで勝ち、なのだと思うのです。そのような感じで、怒りの感情を自分で支配することができるかどうかの機会を、お試し(テスト)として与えて頂いていることも多々あると思うのです。そのお試しは、自分の心の本当の姿を知ることにもなると思うのです。自分ではどんな状況下でも怒りを支配することができているつもりでも、そのお試しの度合いによっては、怒りに支配されてしまうこともあると思うのです。そうやって自分の心の本当の姿を知ることによって、素直に反省させて頂くことができたり、正すべきことを再確認させて頂くことができるのだと思うのです。ということは、そのお試しをクリアしようとしまいと、どちらにしてもお試しは有り難いことなのだと思うのです。相手や何かに対して抱いた怒りによる勝ち負けは、怒りに支配されている自分がその勝ち負けにこだわっているだけで、本来はどうでも良いものだと思うのです。 本当に大切なのは、相手や何かに対する勝ち負けよりも、自分自身に克つことだと思うのです。--------自分が人様から何らかの仕打ちを受けた時、その相手に怒りを覚え、自分がされたのと同じように、その相手に何らかの仕返しをしようと考えたり、行動を起こしてしまうことがあると思うのです。ことの発端こそ、相手にあるとはいえ、何らかの仕返しをされれば、相手も黙っていないと思うのです。 (もし、当初から黙っていられるような方であれば、 ことの発端になるようなことはないと思うのです。)黙っていないということは、更に相手から理不尽な仕打ちや嫌がらせを受ける、ということになると思うのです。更なる理不尽な仕打ちや嫌がらせに腹を立てたり、目くじらを立てて相手を非難したり、相手に仕返しするなどの攻撃をしても、またやり返されるだけだと思うのです。それでは、同じ応酬の繰り返しで、いつまでたっても埒が明かないばかりか、相手に対する怒りがエスカレートし、相手に対する仕返しの言動もエスカレートしてしまいかねないと思うのです。心が乱れていたり、怒りに震えていると、本来の冷静な自分ではないが故に、その時の自分の思考や行動が常軌を逸したものになっていることさえ、気付けなくなってしまうと思うのです。感情に心が支配されてしまったそういう時に限って、取り返しのつかないような失敗や過ちを犯してしまうことが多いのが私たちだと思うのです。後悔先に立たず。。。「ムカッ!!」 「イラッ!!」 と感じた時は、売り言葉に買い言葉的に、直ぐに反応するのではなく、大きく深呼吸をさせて頂き、冷静さと平常心を速やかに取り戻させて頂き、柔軟な心をもって、対応させて頂けば良いと思うのです。 (相手にしない。。。 相手の挑発に乗らない。。。 相手の仕打ちに仕返ししない。。。 相手にしてバカを見るのは自分。。。 相手にしても楽しくない。。。 もっと楽しくなるようなことに目を向けよう♪ などのように思わせて頂けば良いと思うのです。)そもそも、いつまでたっても埒が明かないようなことに、自分の大切な時間を費やし続けて、時間を無駄にしても仕方ないと思うのです。更に、その間、いつも苛立ちや不平不満、怒りなどを感じながら過ごしていても、楽しくも、面白くもないと思うのです。そればかりか、そのような生き方をしていたら、自分で自分を貶めてしまうだけだと思うのです。相手からの理不尽な仕打ちに対して向きになったり、相手の挑発に乗ることによって、自分の感情が左右され、自分でも思いもよらないような言動をしてしまうなど、自分で自分を貶めてしまいかねないのであれば、相手の土俵に乗ることのないように、そこは平常心でぐっと堪えて大人になって、物事に動じない毅然とした態度をもって、相手からの仕打ちや挑発をかわす努力をさせて頂けば良いと思うのです。見方を変えさせて頂けば、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をかわす術を学ばせて頂く為の貴重な機会を相手が与えて下さった、と捉えさせて頂くこともできると思うのです。相手の方は、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をするという自分で自分を貶めてしまうようなことを、わざわざ、私が成長させて頂く為にして下さったんだ♪と捉えさせて頂くと、むしろ、感謝させて頂くべきだと思うのです。「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」という種を蒔いた以上は、何れ、「人様に理不尽な仕打ちをされる」「人様につまらない挑発をされる」という因果応報の結果を自ら刈り取らねばならなくなると思うのです。それと同じことを自分が相手に返すということは、自分も「人様に理不尽な仕打ちをする」、「人様につまらない挑発をする」、という種を蒔いているということになってしまうと思うのです。そのようなことになってから後悔しても遅いと思うのです。だからこそ、理不尽な仕打ちやつまらない挑発をされた時は、 「これは自分の魂の修正や成長の為に与えて頂いた 【ひっかけ問題】だな♪ 引っかからないようにしなきゃ!」と受け留めさせて頂き、「理不尽な仕打ち」「つまらない挑発」という【ひっかけ】に乗ってしまうことのないように、良心と理性を心の友にして、平常心と客観的視点を失わないようにして過ごさせて頂きたいものですね。 源光 「感情のままに左右される人間は、 自分自身の主人ではなく、 見えない何かの操り人形なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409240000/ 「柔は剛に勝ります。 柔軟な心、決して怒らない平常心の持ち主になりましょう。 心乱れ、怒りに震え、思考が常軌を脱している時、 人は取り返しの付かない失敗を招くのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306250000/「怒りに怒りで答えない人だけが、 自分と相手を救うことができるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207080000/「汝、怒る人に怒りを返さないことだ。 必ず相手を傷つけることなく、 勝ち難い争いに勝利する。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201270000/「身に降りかかってくる小さな火の粉は 真正面からぶつかるのではなく、 ユーモアで、身をかわしたり、スッと受け流すことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312180001/「理不尽な攻撃を受けている時に、 怒ったり、怖がったりしていると相手を喜ばせ、 ますます陰険な攻撃に拍車がかかります。 笑い飛ばして相手にしないのが一番です。 天は全てを知っていますから、あなたに正義があるのならば、 頃合を見て必ず助けてくれます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311230001/「怒りの激しさは その感情とともに その人の未来も実力も滅ぼすのです。 笑顔の優しさは その安らぎとともに その人の未来も実力も倍増させるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408240000/ 「平常心が大切です。 怒ると、相手よりも自分を深く傷つけてしまうからです。 笑顔が大切です。 笑うと相手も自分も明るく楽しくなるからです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408180000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408180001/「怒りは運勢を著しく衰退させる元凶です。 人は、負けたと感じたものの埋め合わせを怒りの中でするのです。 勝ったようで負け。。負けたようで勝ち。。これが人生です。。 原因の無い結果はありません。原因を創ったのは自分です。 ですから痛い目に遭っても、負けたと思わなければいいのです。。 人生は、全て勉強。。痛い目に遭わせて頂いて勉強し、 業を一つ消滅させたのですから万歳して喜ぶことですよ。 次に来るのは大勝利ですから、むしろ笑いが 込み上げてくるのが当然です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407280000/「怒りから生み出されるものは、破壊です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306260000/「人間だから他人から理不尽な仕打ちをされれば腹が立つのは当然です。 しかし火を吹く怒りは、平常心で鎮火しなければ、 加熱しすぎて自分の炎で自分が大火傷するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404050000/「汝が耐え難き怒りを忍耐の心で包み込むならば、 天は汝が失ったものの何倍もの贈り物をするであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110230000/「他人を傷つけてはならない。 思いや行いで危害を加えてはならない。 他人を苦しめる言葉を吐いてはならない。 怒りを捨てたものは神の世界に招かれる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107210000/「心の怒りを絶ち、表情の怒りを棄て、 人との相違を怒らない事です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205180000/「貪りによって富を失い、怒りによって魂を失うのです。 愛によって富を得て、笑顔によって魂を向上させなければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205050000/「怒りは敵です。 思ったことをその場で、すぐ言ってしまうから、 相手から恨まれ、人間関係が悪くなるのです。 一晩じっくり考えてから、相手に伝えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.05
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「限られた素材で, いかにおいしいご馳走を作り出すか。。 これが人の力量の差です。 同じ素材でも、その出来上がりはまるで違うのです。」今あるもので何ができるか。。。今あるものだけで何かを作る為には、どのようにすれば良いか。。。「〇〇があるから、◎◎を作ろう♪」「〇〇しかないから、◎◎を代用して、新しいものを作ろう♪」「〇〇と◎◎を組み合わせて、~~したら、新しいものが出来そう♪」「〇〇の量を増やして、◎◎を減らして、~~を足してみよう♪」創造して新しいものを作り出したり。。。新しいものを創り出そうと努力したり。。。創意工夫して新しい方法や手段を見つけたり。。。新しい方法や手段を見つけ出そうと努力したり。。。お料理に限らず、「今」あるものを見て、「今」創造し、「今」考え、「今」創意工夫することを「今」努力させて頂く、という心のあり方や、ものごとの見方、そして、それらを実現させる行動力をもって、過ごさせて頂くことを継続させて頂いていると、例え、失敗を重ねようとも、習慣化されている創造すること。。。創意工夫すること。。。努力すること。。。によって、何らかの素晴らしいものが生み出されることがあると思うのです。裏を変えさせて頂くと、 創造しなければ何も生み出せない。。。 創意工夫しなければ、新しい方法や手段を生み出せない。。。 考えたり、努力しなければ、何らの変化も生じないだけでなく、 変化に応じることさえもできない。。。ということでもあると思うのです。今あるもので何ができるか。。。「〇〇と◎◎があれば、 ~~ができるから、 〇〇と◎◎を買おう♪」「〇〇が足りないから、 〇〇を買おう♪」ということが良くあるものですが、何かをしようとする時に、 「今あるもので何ができるか。。。」 「いまあるものでどこまでできるか。。。」を考えずに、はたまた、挑戦せずに、ただ 「これも必要♪ あれも必要♪」 「これも欲しい♪ あれも欲しい♪」で「集める」ことにばかり意識を集中させてしまう。。。その結果は「集める」ことに満足して、当初しようとしていた「何か」は放ったらかし。。。折角「集めたもの」も大して活用することなく終わり。。。という熱しやすく冷めやすい様がみられることが、思いの外、少なくないと思うのです。お料理は、良い材料が集まれば、美味しいお料理や豪華なお料理ができるのは極自然なことだと思うのです。極自然な状況ではないことが多いことを考えれば、今ある材料で、どんな美味しい料理を作れるのか。。。臨機応変に、創造し、創意工夫し、挑戦して作るのがお料理の醍醐味だと思うのです。その結果、例え、美味しくないものが出来上がったり、失敗したりしたとしても、その経験が糧になって、簡単レシピやお手頃レシピを生み出したり、更なるアイディアの元になることもあると思うのです。何もかも足りているよりも、少し足りないくらいがちょうど良いのだと思うのです。少し足りないという不便さが、 創造力を掻き立てる。。。 創意工夫のインスピレーションを生み出す。。。 挑戦しようとする意欲を生み出す。。。など、私たちが本来持っている能力を開花させる原動力や、与えて頂いている智慧を活用させて頂ける原動力になっているのだと思うのです。何もかも足りていることに慣れてしまっていると、少し足りない状況に遭遇すると、予想だにしないことに動揺を隠せずに、あたふたとしてしまい、普段であればしないような失敗やミスをしてしまうことがあると思うのです。少し足りないことに慣れていると、それが当たり前故に、動揺することも無く、今ある素材を上手に活かせるようなメニューを臨機応変に、冷静に考え、柔軟に対処することができると思うのです。これは、何もお料理だけのことではないと思うのです。「何かを作ろう!」「何かをしよう!」とするときに、 「〇〇がないから作れない。。。」 「〇〇がないから出来ない。。。」としてしまえば、そこで終わってしまうと思うのです。そこで終わりにさせているのは、「〇〇がない」からではなく、何を隠そう自分自身に他ならないと思うのです。その先に続く道があるにもかかわらず、自分で自分の道を閉ざしてしまっている。。。そういうことだと思うのです。更に見方を変えさせて頂くと、「〇〇がない」という状況は、その先に続く道へ私たちを導こうという天のお取り計らいなのだと思うのです。「〇〇がない」という状況は、その先の道に行けるよう模索するチャンス、ということでもあると思うのです。その様な天のお取り計らいやチャンスを活かさせて頂くことができるのが、 「〇〇の代わりに、◎◎を代用してみよう!」 「〇〇がないなら、急遽◎◎に変更!」などのような柔軟な姿勢なのだと思うのです。創造を巡らせ、創意工夫し、挑戦していけば、「〇〇」に囚われずに済むばかりか、「◎◎」という新しい何かを生み出すことになり、新しい道が開けてきたり、様々な選択肢が出来て、楽しくなってくると思うのです。そういうことを繰り返させて頂くからこそ、 物事を見る視野が広がる。。。 心が大きく、豊かになる。。。 人生を楽しく過ごさせて頂くことができる。。。 本当にやりたいことを見つけることができる。。。 本当にやりたいことをやることができる。。。など、自分で自分を育ませて頂くことができ、自分の力量のキャパシティーを大きくしていくことができるのだと思うのです。少し足りないくらいの状況を与えて下さっているのが、天のお取り計らいであることを考えれば、少し足りないくらいの状況下に感謝させて頂き、少し足りないくらいの状況を楽しませて頂くことが大切なのだと思うのです。源光 「一流のシェフは 最高の料理をつくるために 最良の食材を集めようとする。 しかし、超一流のシェフは 今ある食材で 最高の料理をつくってみせる。」(フランスの格言)「今日があるのは、昨日の想いから。 今日の想いは、明日の人生を形作る。 すなわち、人生は、心の創造物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201250000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/ 「欲しいものを与えられ続けると人は堕落するのです。 少し足らない位が人は幸福を感じるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204110000/「人は、多少思うに任せぬことがあったほうが幸せなのです。 全くの自由は、必然的に不満と怠惰そして無気力を呼ぶからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401230000/「地上は修行の場ですから、思うに任せぬ事も多いのです。 だからこそ成長できることを喜ばなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210290000/「自由も過ぎれば不自由となり、 不自由も過ぎれば自由となるのです。 現実を変えるのは自分です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208040000/「人は、ぬるま湯のような居心地の良いところにいると、 なかなか成長できないのです。 人には、敵度な刺激が必要です。 少しくらい思い通りにいかない方が面白いのです。 居心地の悪いところにいる人ほど、成長ができます。 居心地の悪さを、成長へと転換させているからです。 適度なウイルスが体にあるほうが、免疫力があり、 強くなれることと同じです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.04
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「なまけたい。。。 楽がしたい。。。 という自分に勝つことができれば、 人生にも勝つことができるのです。」「今」できること。。。「今」すべきこと。。。それは、その時の自分が出来ること故に、その時の自分がすべきこと故に、その時の自分がすることが最善故に、人知の及ばない天のお取り計らいによって、「今」与えて頂いているものだと思うのです。いわば、「チャンス」を与えて頂いている、ということだと思うのです。それにもかかわらず、自分勝手な自分基準によるものごとの判断や自分の感情や欲を優先してしまい、 「今」できること 「今」すべきことから目を背けてしまうことがあると思うのです。「今は他のことがやりたい。。。」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」「今はやる気がないからやりたくない。。。」「どうして自分がやらなければならないの。。。」「もっと楽なことをしたい。。。」「もっと楽にできることをしたい。。。」などのような理由で、 「今」できること 「今」すべきことから目を背けたり。。。楽な方へ逃げたり。。。気付かない振りをしたり。。。しかしながら、天からすれば、「今は他のことがやりたい。。。」 →『その「他のこと」よりも、 すべきことがあるからこそ、 そのすべきことをするチャンスを 与えているのです♪」「今は面倒くさいからやりたくない。。。」 →「すべきことは面倒くさいかもしれませんが、 それをやるからこそ修行になるのです♪ そして、先へ進めるのです♪」「今はやる気がないからやりたくない。。。」 →「やる気の有無に関係なく、 すべきことはすべき時に。。。 出来ることはできる時に。。。 ということがあるのです♪ やる気がないのはあなたの心のあり方の問題です♪」「どうして自分がやらなければならないの。。。」 →「あなたがすべきことに意味があるのです♪ あなたがすべきことであるにもかかわらず、 あなたがそれをしなければ先に進まないのです。 それは、あなただけでなく、 あなたと繋がっている方々も同じです。 自分の為だけではなく、自分と繋がっている人様の為にも、 すべきこと、できることを今しなければならないことがあるのです。」「もっと楽なことをしたい。。。」「もっと楽にできることをしたい。。。」 →「あなたが地上に生まれたのは魂の修行の為。。。 楽なことばかりでは修行になりません。 努力したり、頑張ったり、耐え忍んだり。。。 そういう修行を乗り越えていくからこそ、 本当の楽が待っているのです。」ということでもあると思うのです。そのような天の深遠で人知の及ばないご配慮、お取り計らいによる貴重なチャンス。。。そのチャンスに素直に従わせて頂き、 「今」すべきことを「今」させて頂く。。。 「今」できることを「今」させて頂く。。。という姿勢で生かさせて頂いていれば、 新たなすべきこと 新たな出来ることが増えてくると思うのです。そうやって、前進させて頂くことができることこそ、運が拓けていく、ということに他ならないと思うのです。「今」すべきことを「今」しない。。。「今」できることを「今」しない。。。という姿勢では、「すべきこと」や「できること」をしていないが故に、先に進むことができず、停滞、はたまた、後退してしまうことにもなりかねないと思うのです。その結果、 新たなすべきこと 新たな出来ることを与えて頂くこともなく、前進もできなくなる。。。故に、=運が拓けない==自分に勝つことができない==人生に勝つことができない=ということになってしまうのだと思うのです。折角同じ一日を過ごさせて頂くのであれば。。。何の道、同じ何かをさせて頂くことになるのであれば。。。その何かに対する最初の気持ちや思いはどうであれ、気持ちの持ち方を変えて、その時の自分に与えられたことを気持ち良く、楽しみながらさせて頂くことができるような、柔軟なものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方をもって生かさせて頂きたいものですね。 コインに「表」と「裏」があるように、身体に「お腹」と「背中」があるように、乗り物に「前」と「後」があるように、ものごとは、その見方や見る角度、見る立ち位置、捉え方、捉える視点次第で、如何様にも見えたり、如何様にも捉えたりすることが出来るものだと思うのです。その如何様にも見えたり、捉えたりすることができる「心」を持っているのは自分故に、自分の「心」のあり方、「心」の持ち方次第で、ものごとの見方や捉え方の傾向はいくらでも変化するものだと思うのです。自分に与えて頂いた様々な境遇について、 「有り難いなぁ~♪」 「嬉しいなぁ~♪」 「楽しいなぁ~♪」 「この出逢いは必然なんだなぁ~♪ 素敵なことだなぁ~♪」 「この事故は意味があることなんだぁ~。深いなぁ~♪」 「全ては天のお取り計らいなんだなぁ~♪感謝感謝だなぁ~♪」 「今日も一日、良心に従って、自分らしく生きるぞぉっ!」 「今日もみんなが元気で一日を過ごせますように♪ みんなにとって良い一日でありますように♪」などと、素直に受け留めさせて頂いたり、境遇の中に何らかの意味を見出そうとしたり、意気衝天するかのような意気込みや、やる気に満ち溢れた自分で過ごさせて頂くことができるよう、そして、自分で自分をどんどん高めていくことができるよう、何ごともプラスに、前向きに、積極的に、肯定的に見たり、捉えたりして、明るく、元気に、笑顔で過ごせるようにするのも自分次第♪逆に、 「有り難いけど、別になくても困らないな。。。」 「嬉しいけど。。。楽しいけど。。。もっと何か欲しいなぁ~。。。」 「この出逢いは自分には必要なかったな。。。」 「くそっ!何で事故なんか起きたんだ!!(イライラ)」 「何で自分ばかりこんなことが起きるんだ!!」 「また一日が始まった。しんどいなぁ~。。。 「何でこんなことやらなきゃいけないんだぁ~? あぁ~~、面倒くさい。。。」などと、与えて頂いた様々な境遇を、素直に受け留めることができなかったり、足るを知らないことによって、 「だけど・・・」 「でも・・・」 などと、何かと意気消沈させるような見方や捉え方でマイナスに、後ろ向きに、消極的、否定的に捉えて、チャンスかもしれない貴重な機会をも無駄にしながら、自分で自分をどんどん貶めてしまいかねない思考や不平、不満、愚痴などの言動をしながら暗く過ごすのも自分次第。。。どちらが良くて、どちらが良くない、どちらが正しくて、どちらが正しくない、ということはないと思うのですが、私たちが魂の修正や成長を目的として、この世に生まれる機会を与えて頂いたことを考えれば、同じ一日を過ごさせて頂くのでも、同じ何かをさせて頂くのでも、魂の修正や成長の糧となるような、ものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方で、生かさせて頂きたいものですね。私たちは「今」この瞬間にも、絶えず繰り返されている「今」を与えられ、「今」を前進し続け、「今」という「時間」の中で生かさせて頂いていると思うのです。「今」という「瞬間」や、「今日」という「一日」は、本来、貴重な機会の連続だと思うのですが、それが「当たり前」のように与えられ、「当たり前」のように繰り返されているが故に、その「瞬間」や「一日」を疎かに過してしまうことがあると思うのです。過去は振り返ることは出来ても、戻ることは出来ないもの。。。この瞬間も「今」という一瞬は、常に前進を続けていて、同時に、戻ることができない過去を生み出していると思うのです。だからこそ、「今」という一瞬や、「今日」という「一日」を無駄にしたり、過去を振り返って後悔することのないように、何事もプラスに、前向きに、積極的に、肯定的に、受け留めさせて頂くことができるような思考や言動をして、過させて頂きたいものですね♪--------「する」か。。。「しない」か。。。「する」という行動は、それが上手く行こうと行くまいと、成功しようと失敗しようと、魂の修行を前進させていると思うのです。「しない」は、何も生み出さないが故に、魂の修行を停滞させたり、時には、後退させることにもなると思うのです。「する」。。。「しない」。。。の「行動」の有無が、直ぐにではなくても、何れ大きな差を生むと思うのです。面倒くさいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。逃げたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。嫌だなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。素通りしたいと思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。恐いなぁ~と思うことをさせて頂くからこそ修行になる。。。のだと思うのです。ということは、私たちが、面倒くさく感じること、逃げたくなるようなこと、嫌だなぁ~と思うようなこと、素通りしたくなること、恐いなぁ~と思うようなことは、その見方を変えさせて頂くと、私たちの修行の為に与えて頂いているものであったり、私たちの魂の修正度、成長度を確かめる為のテストだったりするのだと思うのです。修行やテストの機会を、面倒くさい、逃げたい、嫌だ、素通りしたり、恐いとして、修行を受け入れなければ、修正すべきを修正できないばかりか、成長をさせて頂くこともできないと思うのです。テストに至っては、それを受け入れないということは、テストを受けないということ故に、受け入れなかったその時点で、その時のテストは落第となり、チャンスを逃したということになると思うのです。反対に、それが面倒くさく感じることであろうと、逃げたくなることであろうと、嫌だなぁ~と思うようなことであろうと、素通りしたくなるようなことであろうと、恐いなぁ~と思うようなことであろうと、それを受け入れさせて頂いて、何かをさせて頂く、ということは、その何かが上手く行こうと行くまいと成功しようと失敗しようと、 「修行をさせて頂いた」 「テストを受けさせて頂いた」ということに変わりないと思うのです。その誠実で、真面目な姿勢の継続こそ、自分が自分に勝ち続けている証であり、自分の人生に奇跡という名の天の評価を積み重ねている証なのだと思うのです。そのようにして、自分に勝ち、自分の人生に勝っていくことこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為の有意義な修行になるのだと思うのです。だからこそ、「今」できること。。。「今」すべきこと。。。を「今」しっかりとさせて頂きたいものですね。源光「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/「今日出来る事を明日に延ばさない。 これの繰り返しで未来が拓けるのです。 先送りにしているからいつまでたっても 現状維持が精いっぱいどころか、 むしろ退歩していることがほとんどです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507180000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/ 「苦しいこと辛いことから逃げてはいけないのです。。。 楽はいつだって出来るのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503050000/ 「人が、逃げてしまいたいこと。。。嫌なこと。。 素通りしたいこと。。恐れること。。を 良心に従って率先してやる人は、奇跡を呼ぶのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405200000/ 「真の勇者とは、自分の欲望を克服した人のことです。 自らに勝つことこそ、最も難しい勝利なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407060000/ 「今日逃げたら、明日はもっと勇気が必要になるのです。」「何か困難なことから逃げ出すと、 やはりまた同じ系統の他の困難なことにぶつかるものです。 これは業の修正です。 いつかは乗り越えなければならないのですから、 今、頑張って乗り越えてしまいましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510130000/『「よし、朝だ!」というのも、 「あーあ朝か」というのも、汝の心次第だ。 今日という日は二度と来ない。 今日は天と交信できる日かも知れぬ。』(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108220000/「働くこと、頑張ることを楽しみなさい。 寝る前に、今日一日頑張った自分を褒めてあげなさい。 汝は大いなる天啓を得るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109090000/『「ああ。。面倒くさいなあ。。」 あなたは、こう思ったり、口に出して言ったりしていませんか? 面倒だと思うのは、やる気がない証拠です。... 「面倒くさい」こう思ったとたんに やる気に急ブレーキがかかるか、 バッグギアに入って心が、後退していきます。。 やる気がない気持ちが、相手にも伝わります。 面倒という言葉を禁句にして使わないことですよ。 「やれるだけやってみよう!!」と言い換えると 前進ギアが入って、難局が乗り越えられるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401080000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.03
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「幸せは、家庭の中にあるのです。 家族とは、あるものではなく、 手をかけて「育む」ものです。」家族がいる。。。とっても、とっても幸せなことだと思うのです。家庭。。。 夫婦・親子などの家族の集まり。 また,その生活の場所。という意だそうです。家庭は自分一人では築けないと思うのです。そのように考えさせて頂くと、一つ屋根の下で生活を共にする家庭は、配偶者という相手がいる夫婦だからこそ♪ 心の繋がりのある親子だからこそ♪ の特別で有難いものだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちにとって、家族とは一番身近な存在だと思うのです。 (一番身近でありながら、一番遠く感じられることも あるものですが。。。)一番身近な存在故に、自然体でいることができるというとても有り難い面がある一方で、 無遠慮になったり。。。 思い遣ることを疎かにしたり。。。という利己心に生きてしまうことがあると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではないにもかかわらず。。。ましてや、一つ屋根の下で一緒に暮らしているにもかかわらず。。。自分勝手で、我儘な利己心で過ごしてしまっては、一緒に暮らしている家族に迷惑をかけてしまうと思うのです。どんなにか気心が知れている約束の家族とはいえ、一つ屋根の下で一緒に暮らさせて頂いているのであれば、お互いがお互いを思い遣る心を持たせて頂きながら、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合って生かさせて頂こうと努力させて頂くことが大切だと思うのです。お互いがお互いを思い遣る心。。。親しき仲にも礼儀あり。。。その利他心の姿勢が家族間の心と心の繋がりや心の絆を育み、温かい家族関係や家庭を育むのだと思うのです。肉体としては家族一人一人が別々でも、家族の心はいつも一つ。。。それ故に一緒に居るだけで、幸せを感じるのだと思うのです。--------「幸せ」は、何かがたくさんあるから幸せ、というものではないと思うのです。小さなことにも大きな幸せを感じることができる豊かでゆとりのある大きな心で生かさせて頂けることが「幸せ」なのだと思うのです。「幸せ」は、自分に与えて頂いている様々な境遇に対する自分のものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方1つでも大きく変わると思うのです。それまで「幸せ」を感じることができなかった境遇についても、ものごとの見方や捉え方、考え方、心のあり方などが、ほんの少し変わるだけで「幸せ」を感じることができるようになったりするものだと思うのです。そういう「心が感じる幸せ」に気付かせてくれる相手は、とても有難い存在だと思うのです。~家族の絆♪~「行ってきま~す♪」と出掛けて、「ただいま~♪」と帰宅する。。。当たり前のように毎日繰り返されていることですが、当たり前のように毎日繰り返されていることだからこそ、「幸せ」に生かさせて頂いていることに感謝させて頂く心を忘れずに生かさせて頂きたいものですね。帰る場所がある。。。帰れる場所がある。。。帰りたい場所がある。。。とっても幸せなことだと思うのです。待っててくれる家族(相手)がいる。。。待つ家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。今日一日の出来事を話す家族(相手)がいる。。。今日一日の出来事を話してくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。一緒にご飯を食べる(食べたい)家族(相手)がいる。。。ご飯を作ってあげる(作ってあげたい)家族(相手)がいる。。。ご飯を作ってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。プレゼントをしたいと思う家族(相手)がいる。。。プレゼントをしてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。喜んでもらえるような何かをしたくなる家族(相手)がいる。。。自分を喜ばせようとしてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。手伝ったり、助けたくなったり、放ってはおけない家族(相手)がいる。。。手伝ってくれたり、助けてくれたり、手を差し伸べてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。甘えられる家族(相手)がいる。。。甘えてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。看病したくなる家族(相手)がいる。。。看病してくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。心配してくれる家族(相手)がいる。。。自然と心配してしまう家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。自分が得意なことを活かさせて頂くことができる家族(相手)がいる。。。自分が不得意なことを惜しげもなくやってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。何かあったときに直ぐに電話をかけようと思える掛け替えの無い家族(相手)がいる。。。何かあっとときに直ぐに電話をかけてくれ、気にかけてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。言い合いをする家族(相手)がいる。。。 (言い合うくらいに真剣になれる自分がいる。。。) (言い合うくらいに真剣になってくれる相手がいる。。。)意見をぶつけ合う家族(相手)がいる。。。 (意見を言いたくなるほど気にかけている相手がいる。。。) (意見を言ってくれるほど気にかけてくれている相手がいる。。。)自分の我儘を出すことが出来る家族(相手)がいる。。。 (自分の本性であり、自分らしさでもある 自分の我儘な面を安心して出せる相手がいる。。。) (相手の本性であり、相手らしさでもある 相手の我儘な面を安心して自分に出してくれる相手がいる。。。)とっても幸せなことだと思うのです。自分にとって必要な家族(相手)がいる。。。自分を必要としてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。守りたい家族(相手)がいる。。。守ってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。そのどれもが「当たり前」のように繰り返されているからこそ分からなくなっている家族(相手)にとっての自分という存在、自分にとっての家族(相手)という存在の素晴らしさ、大切さ、愛おしさがあると思うのです。それが「当たり前」でなくなったときに、相手の素晴らしさや大切さ、愛おしさに気付き、 「あの時、もっと〇〇しておけば良かった。」などという後悔が生まれることの無いように、日頃から、「当たり前」であることに心から感謝させて頂き、一つ屋根の下で、日頃から寝食を共にし、行動を共にする家族(相手)を思い遣りながら、明るく、元気に、仲良く、笑って生かさせて頂きたいものですね。--------「家族とは何か」「家族とはどうあることか」「家族とはどうあるべきか」などを模索し、「家族」という心の安らぎの場や、お互いの愛を与え合う場を見つけ、様々な経験や体験させて頂く為に、私たちは皆、「親」から生まれてくるのだと思うのです。その親との心のご縁が深かろうが浅かろうが、その親から与えて頂いている様々な経験や体験を通じて、学び、気付かせて頂いたことなどをもとに、自分が築きたいと感じる「家族」を相手の中に見出そうとしたり、相手が築きたいと感じる「家族」を自分の中に見出して頂くなど、知らず知らずの内に、「家族」のように仲良くできる親近感のある相手かどうかを見極めようとしていることがあると思うのです。それくらい、私たちは、心のどこかで「家族」という心の安らぎの場であり、お互いの愛を与え合う場を探し求めているのだと思うのです。掛け替えのないものを欠いてしまってから、それが掛け替えのないものであったことに気付く、ということのないように、自分の心が安らぎ、自分の愛を惜しみなく与えることができる「家族」を、自分に安らぎを与え、自分に愛を惜しみなく与えてくれる「家族」を、日頃から大切にして、「家族」の絆を大切にする家庭を築かせて頂きたいものですね。源光「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」ラクシュミーさん 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/「暖かい家庭があればいいのです。。。 それさえあれば人は生きていけるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601070000/「家族と笑顔で会話していますか。。 笑顔と生業の中に本当の幸せがあるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207260000/「本当の幸福は、財産や名声の中ではなく、 家族の語らいと生業の中にあるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206230000/「家族が、元気を充電する時間であり、癒される時間。。 会話を楽しむ時間。それは食事の時間です。 何があっても助け合って、明るく、物事が良い方向に進んで行く家族は、 例外なく、食事の時間を楽しんでいる家族です。 うまくいかない家族は、例外なく黙々と食べるだけです。。 あなたは楽しんでいますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280000/「幸せというものは、一人では決して味わえないのです。 幸せの連鎖。。無償の愛。。心と心を繋いでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405090000/「幸せとは、よく笑い、楽しむこと。。 それ以外は、おまけのようなものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312110001/「愛するもの、輝くものを持っている人は、 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/「目がさめて愛する人が傍にいる。。。 なんて幸せ。。。さあ愛する人のために働こう。 今日も笑顔で頑張ろう。。 永遠の家族とは、こういうものですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311280000/ 「地上の家族は、約束の家族です。 仲良く明るく助け合い、成長していきましょう。。 永遠の家族でありましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「家族とは汝についてすべてのことを知っていて、 それにもかかわらず汝を好んでいる人のことである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112020000/「家族の心と心の繋がりほど美しいものはこの世にありません。 みなさんそのことに気づいて欲しいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209090000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「帰る我が家が一番。こういう人は天から愛される人です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207120000/「互いを思いやって、家族の絆を深めていきましょう。 幸せの基本は家族の笑顔にあるのですから 誠実、勤勉そして素直でありましょう。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140000/「価値観を共有しながらも、 いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/ 「価値観を共有しながらも、いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「今まで努力してきたことや夢見ていた人生が、 自分にとって幸せかどうかは分からないのです。 ふとした出逢いで、チャンスに巡り合って将来が開けそうな時は、 自分で作った人生設計を思い切って見直す方が良いかもしれません。 あらゆる障害を乗り越えて どうしても一緒にならなければならなかった夫婦もあるのです。 真実の幸せを掴むために。。約束の子供に出逢うために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312190000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.02
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「生命のあるかぎり、 希望はあります。 今を真剣に生きることです。 明日ではありません。」今を生きる。。。今の自分が夢見る未来や希望を抱く未来を心に抱きながら、「今を生きる」姿勢でありたいものですね。そして、まだ見ぬ未来に余計な不安を抱くくらいなら、「今」という現実を直視させて頂き、「今」の自分に出来ることや、「今」すべきことを、「今」する、という「今を生きる」姿勢を繰り返しながら生かさせて頂きたいものですね。「今」を不安を描いた未来に生きるのではなく、「今」を後悔や辛く苦しい過去に生きるでもなく、「今」という現実を素直に受け留め、「今」の自分がさせて頂くことが出来ることや、「今」すべきことを「今」する、という「今の自分」で「今を生きる」という勇ましい姿を、未来は明るく迎え入れて下さるのだと思うのです。「今」の自分が出来ることや、「今」の自分がすべきことを、「今」の自分がしなければ、「未来」の自分が出来るであろうことや、「未来」の自分がすべきであろうことは、「未来」の自分もしないであろう、と思うのです。「未来」の自分が出来るであろうことや「未来」の自分がすべきであろうことを「未来」の自分がするであろう自分を築くためには、「今」の自分が出来ることや、「今」の自分がすべきことを、「今」の自分がする。。。やはり、「今を生きる」姿勢で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。「今」を不安を描いた未来に生きるのではなく、「今」を後悔を生み出した過去に生きるでもなく、「今」という現実を素直に受け留め、「今」の自分が出来ることや、「今」すべきことを「今」する、という「今の自分」で「今を生きる」という勇ましい姿を、未来は明るく迎え入れて下さるのだと思うのです。「過去」がどのような「過去」であろうと、その「過去」のお陰様あっての「今」の自分であり、予測される「未来」がどのような「未来」であろうと、「過去」や「今」のお陰様あっての「未来」の自分だと思うのです。まだ見ぬ「未来」に、「過去」に苛まれたことを投影して「今」を生かさせて頂くことは、まだ見ぬ「未来」に秘めている無限の可能性の扉を自ら閉ざしているに他ならないと思うのです。「過去」にとらわれず、「過去」を「今」を生きる自分に前向きに活かし、夢と希望をもって「未来」をお迎えさせて頂く。。。それこそ、無限の可能性を拓く鍵なのだと思うのです。-------- 「今」という一瞬は当たり前のように繰り返されているが故に、「今」という一瞬の大切さや重みを忘れてしまいがちですが、「今」という一瞬は、この世的には「今」しか体験させて頂くことができない、「今」だけの特別な時間だと思うのです。だからこそ、「今」出来ることや「今」すべきことを、「今する!(今させて頂く!)」という姿勢で、「今」という一瞬一瞬を大切にして、「今を生きる」姿勢で過させて頂きたいものですね。時間という制約の中で生かさせて頂いている私たちは「今」を生きることしかできないと思うのです。その「今」という時間の繰り返しを、私たちの魂の修行の為に与えて下さっている天からすれば、 『「今」を生きることしか出来ないにもかかわらず、 「今」を一所懸命に生きることなくして、 いつ一所懸命に生きることが出来るの? (いつ一所懸命に修行するの?)』ということになると思うのです。「修行の場」であるこの世に生まれることは、盲亀浮木の如く、とても難しく、めったにない貴重なことなのだと思うのです。めったにない貴重な「人生」や「今」という一瞬の繰り返しだからこそ、良心に背いたり、人生を投げ出したり、人生から逃げだすなど、人生を無駄にすることのないように、生かさせて頂きたいものですね。この世は、自分の心のあり方次第で、何度でも自分を生まれ変わらせることができる貴重な機会に恵まれた「修行の場」。。。失敗や過ち、挫折、苦難、試練にめげるのではなく、それらを人生の糧にする。。。自分が信じていることに疑念を抱いたり、夢や希望を決して諦めることなく、自分を常に信じ、良心に常に従いながら、自分を変化させ、生まれ変わらせる。。。この世に生まれてくる前に自ら設計してきたライフプランの道を歩ませて頂くことができるように、天に帰還したときに「後悔」することがないように、生まれてくるときに天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、明るく、元気に、楽しく、笑顔で生かさせて頂きたいものですね。--------「今」という瞬間の繰り返しの中でしか生かさせて頂くことができない私たち。。。次から次へとやってくる「今」という瞬間や「未来」を、過去の失敗や間違い、不運に苛まれながらお迎えさせて頂くことは、まだ何も描かれていない自分の「今」や「未来」のキャンバスを過去の失敗や間違い、不運で塗りつぶすことになってしまうと思うのです。それでは、自分の人生というキャンバスは、過去の失敗や間違い、不運で塗りつぶされてしまうだけでなく、自分がより辛く苦しいと感じてしまうようなことを、自ら引き寄せてしまうことになると思うのです。辛く苦しい思い出を、辛く苦しいことで上塗りしても、傷口に塩で、悪循環の繰り返しになってしまうと思うのです。そのような悪循環の繰り返しを、自分も自分の魂も望んでいないと思うのです。それならば、過去の失敗や間違い、不運などの辛く苦しい過去にフォーカスしてしまう癖を正させて頂き、まだ見ぬ「未来」に夢や希望を抱く、という新しい癖を身に付けさせて頂いた方が、「今」や「未来」を明るく、元気に、楽しく、笑顔で過ごさせて頂くことができると思うのです。「未来」を明るく、元気に、笑顔でお迎えさせて頂く為には、「今」この瞬間から明るく、元気に、笑顔で過ごさせて頂くことが大切だと思うのです。だからこそ、いつでも前向きに、積極的に、肯定的な姿勢で、明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂きたいものですね。笑う門には福来たる♪裏を返せば、笑わなければ福来ない。。。それならば、笑って笑って笑うしかないと思うのです♪源光「魂のこもった価値ある日々を送ってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303050000/「なにもかも失われても、未来だけはまだ残っています。 希望を持っている限り、天はそれを求める気の毒な人を、 決して見捨てはしないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306130000/「過去は過ぎ去った時間です。 未来には無限の可能性があります。 未来を開くのは自分です。 それを知っているつもりでも、過去にとらわれ、 未来を限定して考えている人も多いのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311230000/ 「過ぎ去った過去にとらわれず、 現在をいかによくするか。 今を生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501160000/「明日を生き抜くために必要なものだけを残して、 あらゆる過去を清算してください。 未来は、あなたの思いのままです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030000/「汝、過去を顧みるなかれ、現在を頼め。 さらに雄々しく未来を迎えよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110240000/「汝は、過去と現在とを混合しながら、 新しい未来を創造しなければならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201060000/「困難を予期してはいけません。 起こりもしないことに 心を悩ます必要はありません。 常に心に太陽を持ちなさい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160001/「絶望と希望の間に煩悶があります。 これは心に厚い雲が掛かって雨が降っている状態です。 でも雲の上にはいつも太陽が輝いていますよ。 絶望してもどうにもなりません。 何としても希望を持ち続けましょう。 笑顔を取り戻してくださいね。 私は常にあなたとともにあります。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030003/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030004/ 「力尽きたら、その場に倒れ込んでもいいのです。。。 生きていれば、次があります。 生きてさえいれば。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503080000/「人生の最大の喜びは、お金では買えないのです。 本物の家族愛 近隣愛 博愛 情愛 誠実、献身、忠誠、 といったものは、お金では決して買えません。 でもお金が無くては地上では生きてはいけないのも事実です。 真面目に誠実に勤勉に、良心に従って笑顔で生きている限り、 経済でも天は決してあなたを見捨てることはありません。 人生の旅の途中に、あなたと家族のために宝箱が置かれています。。 気付かずに、素通りする家族もいますが、 何度でも受け取るまで置き続けるのが天というものです。。 あなたは何度か素通りしたかも知れません。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311150000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311160000/ 「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「生きている間に精進しましょう。 今世は、心を磨く、得難い大チャンスなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506170000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.02.01
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